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2005年 小選挙区 北海道11区 確定得票 |
| 順 |
氏 名 |
年齢 |
政党 新旧 |
得票数 |
割合 |
| 1 |
中川 昭一 |
52 |
自民 前 |
当 107,056 |
51.51% |
| 2 |
石川 知裕 |
32 |
民主 新 |
84,626 |
40.72% |
| 3 |
長谷部 昭夫 |
61 |
共産 新 |
16,145 |
7.77% |
| (年齢、所属政党は選挙時(2005年9月11日)、比当は重複立候補した比例区での当選) |
パパの中川一郎は北海道の広尾生まれで、戦後、九州大学農学部を卒業し北海道庁入り。 その後、大野伴睦の目にとまり、当時、北海道開発庁で働いていた中川は昭和38年に北海道5区から自民党で出馬し衆院議員となる。 その後、7期連続当選し、昭和57年10月の自民党総裁選では14人の派閥でありながら50人の推薦人を集めて立候補していた。 中川は昭和48年7月に渡辺美智雄、石原慎太郎ら24人と自民党内の政策思想集団「青嵐会」を結成し、自主憲法制定、靖国神社国家護持を訴えていた。 その後、「青嵐会」は昭和54年に中川派へと衣替えしていた。 中川のニックネームはその風貌と政治姿勢から「北海のヒグマ」。 しかしその愛称とは裏腹に実際は小心で心配性であった。 息子の昭一の見るからに陰気な性格は、親爺が第一秘書の鈴木宗男に不正政治資金を暴露する、と脅かされ、ホテルで首吊り自殺した事から来るのだろうか。
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中川昭一財務相兼金融担当相は17日夕、首相官邸を訪れ、先進7カ国財務相・中央銀行総裁会議(G7)後に、泥酔状態で記者会見した問題で、麻生太郎首相に辞表を提出し、受理された。
2009年2月17日
中川財務・金融相は17日夕、首相官邸で麻生首相に辞表を提出した。首相は後任について、与謝野経済財政相に兼任させると表明した。 中川氏は同日昼、主要7カ国財務相・中央銀行総裁会議(G7)後にもうろうとした状態で記者会見し批判を招いた責任を取り、09年度予算案・関連法案の衆院通過後に辞任する意向を表明していた。だが、野党は即時辞任を要求し、参院に問責決議案を提出。国会の空転が避けられない見通しとなり、早期辞任を迫られる形となった。 Asahi
2009年2月17日 |
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