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[1981] 「るいネット」から< 新しい社会のかたち
日時: 2014/04/01 11:12
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:NY1sbfTw

1週間に350万のアクセスがあると言う巨大サイト「るいネット」からの情報を紹介し検証するスレッドとしてみましょう。
「るいネット」は類グループと言う企業グループが主催しているサイトで中核は類設計室と言う設計事務所なので企業としては大きな企業ではありません。
組織的に管理されているようで、ふざけた記事はほとんどなく、数人の人が「るいネット」の基本的な考えを発信しています。
全体に観念論的な色彩が強く、悪く言えばカルト的な様相もあるとみています。

カルトと決めつけては大変失礼なので、この事について説明します。
内容を見ていただけば御分りと思いますが、全体に大変、論理的(観念論的)に進められています。
物事を推論する過程では観念論的論理は有効、不可欠と思いますが、社会のシステムにそれを反映する段階では、何かの規範として出さねばなりません。
その時に思考の連続は遮断されるのです。
そうしてその時の論理が社会を支配する事になるのです。

あまりにも観念論としての論理に頼る法則は状況に応じた変換ができなくなり、逆に理論が人間を支配するようになるのです。
宗教における教義の様に、抜けられなく(論理に反抗できなく)なりがちになるのです。
しかしながら、物事の本質へ向かって行くために詳細に検証する姿勢には感心するものがあり、文章的には随分と参考になるものがあり敬意を表したい。
冒頭で紹介しますのは「るいネット」をリードされている四方氏の文章を中心に紹介します。

http://www.rui.jp/ruinet.html?i=100&c=4&t=0


「実現論」
序文
第一部 前文
第二部 私権時代
第三部 市場時代
第四部 場の転換

下は第四部 場の転換の細目です。
結局は第四部の内容を主張することが目的と思います。
場の転換とは、パラダイムチェンジと言う言葉に置き換えられます。
国と言う言葉自体を超えて使っていますが、要するに新しい国のかたち、社会のかたちを模索していると思います。
読んでいただけば解りますが、私自身は、その内容(共認意識の捉え方)に違和感を避けられません。
ですが、方向性としては、これほど多角的に将来を見据えて論議しているものは、ないのではないでしょうか。

イ.人類500万年のパラダイム転換
ロ.共認社会の生存圧力と同類圧力
ハ.場の転換(意識下の活力転換)
ニ.場と主体のズレ(圧力と活力源のズレ)
ホ.支配共認根絶の共認闘争
ヘ.秩序収束⇒規範・制度の共認圧力と政権闘争
ト.本源集団の再生


以下の文章は第三部 市場時代のものの一部です。

ハ.貧困の消滅→私権の衰弱→性の衰弱    
   
性権力者に主導された民主国家は、(豊かさ要求の産物たる)市場拡大と(要求主義・権利主義の産物たる)福祉制度によって、'70年頃、遂に貧困を消滅させることに成功した。但しそれは、貧困を消滅させるに至った類間の圧力(社会的な力関係)という観点から見た見解であって、自然・外敵圧力と対峙して貧困を克服した直接的な力(物質的な力)という観点から言えば、その主役は科学技術であり、要するに人類は極限時代から営々と蓄積してきた事実の認識→科学技術の進化によって、遂に貧困を克服したのだとも言える。  
   
だが、貧困を消滅させた結果、私権の強制圧力が衰弱し、これまで私権の強制圧力を最大の活力源にしてきた人々の活力も急速に衰弱してきた。それに伴って、国家も企業も家族も個人も、自らを私権の強制圧力によって統合することが難しくなり、遂に3千年に亙って社会を統合してきた私権統合が機能不全に陥って終った。その結果、全ての存在が目標を失い、フラフラと迷走し始めた。更に、性権力の最大の抑圧物であった私権(占有権)の強制圧力≒男原理を去勢したことによって'80年頃には性権力の全面支配が完了し、社会は女原理一色に塗り潰されていった。女支配は子供や男たちを去勢して、(私権の衰弱によって衰弱した)活力を更にとことん衰弱させてゆく。その結果、ますます統合不全が深刻化し、社会の混迷と衰弱は年々ひどくなってきた。とりわけ'90年以降、事態は加速度的に悪化しつつある。  
   
それだけではない。社会を全面支配した性権力は、実はそれ自体では自立して存在する事が出来ない。なぜなら、性権力は自由な性市場を母胎にしており、自由な性(性の自由欠乏)は性的自我を源泉にしている。そして、自我は共認圧力(集団圧力や闘争圧力や規範圧力)に対する否定をバネとする反or 破のエネルギーでしかない。従って、自我を源泉とする性の自由欠乏も、性の抑圧力(上記の共認圧力)に対する反or 破のエネルギーでしかない。換言すれば、性権力の土壌を成す性の自由(欠乏)は、性の抑圧を前提にしている。従って、性権力が集団を破壊し性規範を解体し私権圧力を去勢して、全ての抑圧力を消去させて終うと、自らもエネルギー源を失って消え去るしかない。  
   
性の衰弱は、既に私権が衰弱し始めた'70年頃から始まっている。心中物語に代表される様な、私権の強制圧力との緊張関係から生じる性の自由への強力な収束力が衰弱したことによって、'70年頃から情熱をかき立てる様な恋愛が成立しなくなり、性をムキ出しにした官能小説やポルノ映画が主流に成っていったが、それは性の火(活力)が消える直前の最後の輝き(活力)だったのである。私権の衰弱が顕著になった'90年代に入ると、性はSMや3Pに最後の活路を求め、その刺激にも飽きると、もはややることが無くなって終った。こうして'95年頃から、遂に性の自由欠乏→性闘争(恋愛)そのものが急速に衰弱し始めた。  
   
既に、ネオン街は寂れる一方であり、ムキ出しの淫売屋も客が減り続けている。何よりも、性欠乏が衰弱したので性活力がそこそこ旺盛な年齢は下がる一方であり、今や性の中心は高校生・中学生である。これは、男と女の役割規範やそれに基づく男女の期待・応合や互いの肯定視など、共認に基づく人類本来の性の豊かさが喪われ、もはや物理的・本能的な性欲しか残っていないという事を示しており、実際20歳代で早くも擦れっ枯らしと成った男女が急増している。しかも、私権が衰弱して真っ先に関係耐力(厳しい自我・私権闘争に耐える関係能力)が衰弱して終ったので、互いの自我や要求に対応するのが煩わしくなってきた。その結果、衰弱した性に残された+よりも煩わしさの−の方が上回り、互いに相手を捨象する女捨象や男捨象が顕著になってきた。  
   
性闘争(恋愛)を土壌として肥大してきた性権力にとって、これは致命的である。全ての抑圧力を解体して終った以上、性権力もまた消え去るしかない。だが、私権統合から性権(力)統合へと移行した途端に(or 移行途中で)、当の性権力自身が消滅すれば、社会は全面的崩壊状態に陥る。だがそれは、同じく性闘争を究極の活力源としてきた私権社会が消滅する日と時を同じくする。それは、性権(力)こそが私権の原点であったことからも、当然の成り行きであろう。

※ まだ続きますが、今回はここまでとします。
貧困の圧力と言う概念を使った社会の分析は見事であると思います。
メンテ

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新しい社会のかたち 3<民主主義とは! ( No.4 )
日時: 2015/09/30 11:50
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:djrHbZto

【民主主義と共認原理】

いったい民主主義とは何だったのか?

私はこれまでも、新理論を構築するためには、近代思想を全的に否定する必要があると考えてきた。そして、「自由」「個人」「人権」等の架空観念を、近代思想の要と見てきた。
しかし、これまで民主主義については(その怪しさを重々知りつつも)、全的には否定し切れないでいたが、近代思想の本丸は実はこの「民主主義」にあったのではなかろうか。
実際、庶民レベルでは「個人」や「人権」という言葉はあまり使われなくなったが、「民主主義」だけは根強く支持されているし、今もアメリカが他国を侵略する口実は、「民主主義(ではない国は破壊すべき)」である。

それに対して「民主主義」は、そもそも始めから共認原理を踏み外してしまっている。それは、成員の大多数が、ほとんど何も学ばず、何も知らないという点である。これでは共認原理はまともに作動しない。
例えば法律については、それが日常のあらゆる生活を規制しているものであるにもかかわらず、(専門家以外)誰も知らないし、社会がおかれている状況についても、大半の成員がほとんど知らない。

何も知らずとも、主張し判断できる主体は、一つしかない。それは、自我・私権の主体である。自我・私権の主体なら、ほとんど学ばず、ほとんど知らなくても、己に都合のいい理屈を並べたてることは出来る。子どもの言い訳や屁理屈と同じである。
また、民主主義は、自我・私権に立脚しているので全員合意は望めない。だから、多数決で決着をつけるしかなくなるが、この多数決もまた、民主主義が自我・私権に立脚したものであることの証拠である。

事実、民主主義は、何よりも「発言権」や「評価権(議決権)」を優先させ、『まず学ぶ』という人類の根本規範を見事に捨象している。だから、「民主主義は正しい」と信じ込まされた人々は、『まず学ぶ』という根本規範を踏みにじり、身勝手な要求を掲げて恥じない人間と化す。

その先鋒となったのが、金貸しが生み出した共認支配の専門家たち=学者や評論家やジャーナリストである。彼らは現実と直対することから逃げて、もっぱら書物から学んで専門家となった連中である。逆に言えば、彼らは現実から何も学ばず、従って、現実を改善してゆけるような実現の論理を持ち合わせていないので、何事も批判し要求することしかできない。
だから、彼らは一様に、民主主義を根拠にして人々にも同じように批判し要求するようにそそのかしてきた。その結果が、自我ばかり肥大させ、何も実現できない(=批判と要求しかできない)無能化された人々である。

要するに、金貸し勢は、「民主主義」を人々に吹き込むことによって、人々の自我をどんどん肥大化させると共に、どんどん無能化した上で、自分たちの好きなように染脳してきたわけである。
こうして民主主義は、『学び』をないがしろにし、「発言権・議決権」を優先(=批判と要求を優先)させることによって、とことん自我を暴走させると共に、とことん人々を無能化させてきた。

かくして、民主主義に導かれて暴走してきた近代社会は、ついに経済破綻と地球破壊の底なし沼に沈み、そこから這い上がれなくなってしまった。いまや、人類は滅亡の一歩手前にある。
それは、民主主義が自我の暴走装置であり、とりわけ金貸しの暴走を正当化する自我=悪魔の思想であることの、疑問の余地のない証であり、もはや、この期におよんで民主主義を正当化する一切の言い訳は通用しない。


※ 資本主義と民主主義は双子の関係と言って来ましたが、ここに別の角度からの洞察があります。
  資本主義に修正を加えようとすれば、民主主義にも何らかの修正が必要であると言っていることにもつながります。
  また、民主主義の世界で、選挙で何でも可能な様に錯覚していますが、共に生きるための方策は誰かが指し示す事をしなければ、  民主的には生まれては来ない問題です。
ところが、誤った民主主義の概念は、その英雄の出現すら望まない。
メンテ

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