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[2250] 安倍内閣打倒宣言!
日時: 2015/03/23 22:18
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:vHedK4R.

>沖縄県知事 辺野古沖での作業中止を指示

沖縄県の翁長知事は臨時の記者会見を行い、アメリカ軍普天間基地の移設計画を巡って、沖縄防衛局に対し、名護市辺野古沖での作業を1週間以内に中止し県の現地調査に協力するよう指示したことを明らかにしたうえで、指示に従わない場合は前の知事が出した埋め立て工事で岩礁を破壊する許可を来週にも取り消す方針を示しました。


安倍の幼稚で卑劣な沖縄県いじめ。
沖縄県民よ、石にかじりついても翁長知事を守って頂きたい。

安倍の馬鹿の横暴に、地団駄踏んでばかりいたが、冒頭の知事の発言、

この手があった、全国の原発再稼働になびいている知事たちよ、翁長知事を見習うべし。
沖縄県を見習うべし。

みんなで安倍自民党、及びその取り巻きの官僚、業界の奴らに目に物を言わせよう。
翁長知事、沖縄県民の皆さん、一歩も引かず頑張って下さい。


くたばれ!

安倍

自民党

霞ヶ関

売国奴財界人

メンテ

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衆院選! ( No.94 )
日時: 2017/09/18 23:08
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:D5XQIqu.

「自民党の歴史 保守合同」

終戦直後から、社会主義勢力の台頭を危惧する保守政治家の間で、戦前の二大政党であった立憲政友会系政治家と立憲民政党系政治家が結集して新党を結成する構想が出された。政友会系はかつて同党の総裁候補とされていた鳩山一郎を代表に担ごうと考え、戦時中の翼賛議会で鳩山とともに軍部と戦った民政党系の三木武吉が構想の実現に奔走した。
だが、民政党系の多くは党首の経験の無い鳩山よりも自党の最後の総裁であった町田忠治が党首に相応しいと主張し、結局民政党系の大半は大日本政治会を母胎とする日本進歩党の結成に参加し、結成1ヵ月後総裁に町田を就任させたことにより構想は挫折した。だが、翼賛議会において主流を占めた翼賛議員同盟→翼賛政治会の流れを汲む進歩党は間もなく公職追放によって壊滅的な打撃を受けることになった。
一方、鳩山を初代総裁として政友会系を中心に結成された日本自由党(以後合同や改称を経るが以下同党の略称で、最終的な正式名称にもなった「自由党」で統一する)は1946年の第23回衆院選で第一党となった。
ところが直後に鳩山・三木以下幹部の多くが公職追放の対象となってしまう(自由党は新人議員が多かったため、進歩党とは対照的に追放発令後も第一党を維持した)。そこで、占領軍の受けの良い親英米派の外務大臣吉田茂を総理・総裁に擁立して危機を乗り越えようと考えたのである。

鳩山派の考えに反して、吉田は鳩山の公職追放解除後も政権は私物ではないとして、鳩山への政権移譲を拒絶する。この頃には鳩山から任された自由党は結成当初とはかけ離れたものとなっており、官僚出身の親吉田派の若手議員が多数を占めていた(吉田学校)。更に、吉田は鳩山の病気を口実に緒方竹虎を後継者にする事を決める。これをきっかけに自由党内は吉田支持派(官僚派中心)と鳩山支持派(党人派中心)に事実上分裂する。
1954年、鳩山は三木武吉・河野一郎・岸信介らとともに吉田に不満を持つ自由党内の同志や野党の改進党などの他の保守系政党と大同団結を図って日本民主党を結成した。一方、残った自由党内でも吉田の「ワンマン」と称される政治手法に対して国民の不満が高まっている事を感じた幹部たちは緒方を中心に吉田に退陣を勧告した。ここに至って吉田も内閣総辞職を決断して、自由党総裁を緒方に譲った。だが、国会での首班指名選挙では鳩山が緒方を破って第1次鳩山一郎内閣が成立した。

その後、左右社会党が再統一されて日本社会党となり、保守政党にとって大いに脅威となった。社会党の脅威に対抗するため、三木や緒方らが保守合同を働きかけた。また、参議院の緑風会は、不偏不党を建前としていたが、会員の多くは保守系であり、やはり有志という形で保守合同を求める口上書を民主、自由両党に送った。
保守合同には反対論もあり、その中心人物として旧改進党系の松村謙三、宇都宮徳馬、三木武夫らがおり、彼らは保守分立論を唱えた。しかし、最終的に保守合同によって自由民主党が結党され、唯一の保守政党による単独政権が誕生し、55年体制が始まった。
結党当初の自民党は吉田派・反吉田派、党人派・官僚派、戦前派・戦後派など複雑な人間関係、思想対立の要素が絡んでおり、決して磐石であるとはいえなかった。保守合同した当時、三木武吉は自民党について「10年持てば」と言い、松村謙三は「30年後には崩壊する」と予想した。
だが、日本経済の急速な成長やいわゆる「政・官・財」の癒着構造、派閥などによる役職・資金配分のシステムや派閥抗争による擬似政権交代などに支えられる形で時を追うにつれてその政治的基盤は次第に強化されていった。

(引用終わり)

さて現代であるが、自民党の中に、岸田、二階、石破、細田、麻生、額賀派などがあり権力争いを続けている。
その周りに(野党として)同じ様な考えの持ち主が、維新の会(松井・橋下)、にほんのこころ(平沼)民進党(前原)ファーストの会(小池)自由党(小沢)などがいるが、保守合同前の政策の対立よりも少ないのが現実。

このようなものは単なる組み合わせだけの問題であり政治改革の問題ではない。
保守合同当時は、日本社会党、共産党と言う野党の存在が明白で、それなりの力を持っていた。

現代の政治ゴッコに政策的な意味は全くない。
彼等の権力争いのゲームとして存在しているだけのこと。
野党も与党もないのだよ(仮の姿)。
いまこそ本当の政治が必要な時にも関わらず。

このようなゲームに我々のい夢、希望を託しても無駄な事。
そこまで政治屋共に愚弄されることは無いだろう。

ゲームとして観察しようではないか。
小池と言うサラブレッドの情報はあっても、それがガセネタか何かは解らない。
小池に賭けるも、安倍に賭けるも、ダークホース石破に賭けるも穴馬、前原に賭けるも競馬の事に過ぎない。
政治は変わらない、変るはずはない。

皆さん、特定の馬にあまり入れ込まないで、適当な金額を賭けられるのが宜しかろうと言うもの。
さあ、秋の天皇賞は二度あるようだ。




多くの方が感じられているように、日本はもっと、もっと困窮しなければ変わらない。
何をすべきかについて、気が付かない。
そうだ、現在の日本はまだまだ幸せすぎるのだ。
そう思っているだけではあるが。

後悔先に立たずと言う、
まさに、その通り、気が付くときには遅いのだ。
30年、50年先にならないと、本当の野党も現れないのだ。
それまでは政治の事は忘れる事である。
メンテ

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