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[267] 当代世間裏算用
日時: 2009/10/14 23:01
名前: 満天下有人 メールを送信する

「経済学の怠慢」@

・・・世間胸算用は、江戸時代の浮世草子作家の井原西鶴の名作か・・・

江戸時代では大名から庶民に至るまで、世間の勘定にツケ払いは当たり前のこと、掛売り期間が長い商いは年末大晦日に決裁・・・庶民はツケ買いの胸算用が狂って決裁から逃れるために、大晦日が近づくと必死に智恵を絞る、知能指数はかなり高かったようである(笑)・・・

・・・江戸時代の両替商は今で言うところの銀行のようなもの、一定の保証金を担保に入れておくと小切手帳を発行してもらえた・・・掛け売り人もツケ買い人も、残高以上の小切手を発行し合って、それが残高不足の複数人が絡んでしまうと、売り人も買い人も訳がわからなくなって、大晦日を越えてしまう(笑)・・・

・・・昨今、世界を大不況に落し込んだレバレッジ・金融錬金術、主要諸国中央銀行もフアンド発行当事者も、一体どれほど未決裁残高があるのか、誰にも把握できない・・・その点に限って言えば、誠に西鶴が面白おかしく書いた江戸時代の風景と大して違いも無い・・

把握している未決裁残高とて、さて公的資金を引っ張り込むにはどうすべえか、ビクビクものの胸算用に忙しいことであろうが、これは表に出せない算用であるから、裏算用というものであろう・・・政治資金などと言うシロモノも裏算用の一つであろうか・・・

・・・西鶴の時代のそれぞれの家計の裏事情から生じる駆け引きは、まだ牧歌的な匂いがあって、ほほえましくもなるが、当代ではさようなわけにも行かない・・・
通貨を媒介しての庶民の暮らしなどと言うものから大きく乖離してしまって、正にお金様々だけが大手を振って街を、いや世界を闊歩し、庶民の暮らしなどとは全く無関係に動き、いや逆に生活を、実質経済を振り回してしまう・・・

今日のその光景は、江戸庶民が実質生活維持のためにツケ買いし、売り方がツケ売りした風景と似ても似つかぬものである・・・

・・・出発点は確かに、借金を証券化してあなたがたの借金はこれで儲けて返済可能になりますよと・・・だが証券化された借金を、別の機関が借金で買い、その借金をまた証券化し、更に別の機関がそれをまた借金で買い・・・延々と借金の額が天文学的数字に膨れ上がってしまった・・・

今日の地球とは、貨幣錯覚がどれほど無用な苦しみを自ら製造しているのかが分からないままに、ババ抜きゲームを行なっている惑星のようになってしまった・・・。
メンテ

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Re: 当代世間裏算用 ( No.193 )
日時: 2009/12/30 23:07
名前: 満天下有人

当代世間・暮れるのか明けるのか@

・・・現実の生活に切れ目は無い、それでも人は気分一新の前に、何か新しいものを求めて一応区切りをつける、区切りを付ける時間があるということは、生活の対象としての諸々の営みが、休憩に入るからであろう・・・

毎年、過去何百年にも亘って暮れて明けを待つ、師走(しわす)の語源には諸説あるようだが、その一つに「年が果てる」意味の「年果つ(としはつ)」が変化して師走になったというのがある・・・

今年のような状況になってしまった年は早く果ててしまって欲しいとの願いから、政権を交代させた・・・さて明けて新しいものが出るか、新たな初日の出を拝めるか・・・

・・・暮れて明けるのか、明けがあるから暮れがあるのか、西洋宗教上では宇宙は混沌として闇であったことから始まるのが、創世記など教義の最初に置かれている・・・西欧宗教専門家の説を調べると、イスラムでもユダヤ・キリスト教義でも、一日は先ず闇から、暮れから始まる・・・

中東のイスラム世界では、太陽が地平線の彼方に沈み、宵闇が迫る頃から一日が始まる・・・夜明けを一日の始まりとする我々日本人の感覚、年が果て元日の初日の出を拝んでから、あるいは日常生活でも夜明けを一日の始めとする我々の感覚とは逆様である・・・

14世紀のオスマントルコでも、時間区分が日没を以って始めとしていたことにも、宗教信仰が現実生活を規定していたことが見れる・・・ユダヤ旧約聖書でも創世記では、「天と地が作られ、地は形無くうつろで闇が水の上にあり・・・深々と闇に包まれた世界」があり、そこで人々はもがき苦しむ・・・

なるほど、西欧宗教を貫く思想には闇が来ると終末だと言う、暗闇から始まるという時間区分は、終りという終末が始まる、終わりの始まりということであろうか・・・我々日本人は常に夜明けという宇宙現象を、新たな希望を見出す契機にするものだが、彼らは日常の生活においても先ず闇ありきなる思想が根底にあって、救済は人間同士の工夫とか助け合いによるものであっても先ず、神の導きによってという考えが根底になっている、手引きは常に神への信仰から与えられるような感じだ・・・

・・・当代世間裏算用スレッドを立てさせて頂いた冒頭に、経済学の怠慢なる投稿をさせて頂いた・・・その経済学は西洋から生じたものであり、しかも現実の生活上の経済行為であるのに、ここでも神への信仰が暗黙の内に軸になって経済理論の基礎である哲学になっている・・・それはかの18、19世紀のことだけのことでもない、金融バブル崩壊後、議会での金融政策の証言を求められたFRB議長グリーンスパンの答弁にも如実に出ていた・・・「バブルというものは人間が創りだしている、だが政策では如何ともし難い本質である」・・・

・・・スミスは、経済も神の導きにより自然なる場所に帰納して行くと言ったが、経済理論も始まりからグリーンスパンに至るまで、西欧においては神学の世界で捉えられ、闇から抜け出てもまた闇に入る形而上的な世界のものとして、諦観的な前提に立っている・・・

創世記における闇は誠に宇宙の本源的なものであろう、だが科学が著しく発達した今日、闇はむしろ一部人間によって創り出されているのではないか、自分たちだけが闇から抜け出るために・・・だがそもそも闇の中の混沌では人間なるもの生存も覚束ない、そこで神が十戒とか五戒とかで戒め・倫理道徳を説いているのに・・・カルヴィニズムに乗っ取り倫理道徳に根ざす資本主義の精神をウエーバーが説いていたのに、世界は再び闇を引き戻してしまった・・・
メンテ

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