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[2733] 現代武士道
日時: 2010/09/01 00:19
名前: 天橋立の愚痴人間

武士道とは、封建社会の日本における武士階級の倫理及び価値基準の根本をなす、体系化された思想一般をさす。

武士道の始まりは個人的戦闘者の生存術としての武士道であり、武名を高めることにより自己および一族郎党の発展を有利にすることを主眼に置いていて中世期の主従関係は主君と郎党間の契約関係であり、「奉公とは「御恩」の対価である」とする観念があったためである。

この意識は少なくとも室町末期ごろまで続き、後世に言われるような「裏切りは卑怯」「主君と生死を共にするのが武士」といった考え方は当時は主流ではなかった。
このことは「武士たるもの七度主君を変えねば武士とは言えぬ」という藤堂高虎の遺した家訓に良く現されている。

江戸時代の安定期に入ると山鹿素行は、武士がなぜ存在するのかを突き詰めて考えた。
山鹿の結論は武士は身分という制度ではなく自分が(封建)社会全体への責任を負う立場であると定義をすることで武士となり、(封建)社会全体への倫理を担うとするものであると考えた。
こうして最初に書いたように、武士道(ぶしどう)は、封建社会の日本における武士階級の倫理及び価値基準の根本をなす、体系化された思想一般をさすことになる。

その極端な例として佐賀藩で、「武士道と云ふは、死ぬ事と見付けたり」の一節で有名な「葉隠」などの著作も出ている。 

武士道の究極として、下級武士が、自らの落ち度(其の是非に関わらず)を指摘されれば、上司に対して一切の弁解することなく切腹して死を選ぶということが最高の武士道の美徳とされた。

封建国家において、このような都合の良い官吏を養成するのが武士道であった。


ところが明治になって何を勘違いしたのか、教育者で思想家の新渡戸稲造が武士道を新たな感覚で評価した。
西欧文化と日本の文化の融合をキリスト教的理念から考えたものであろうが彼が何故そんな無謀な企みをしたのか解らない。

今までに見てきた明治までの武士道にそれを日本民族のバックボーンとするほどの内容はさらさらなかったのである。
特に徳川時代の武士道などは権力者側のマインドコントロールであり、そんなまやかしを受け入れることは出来ない。

でありますが、我々現代人も何を武士道と思っているか知りませんが、武士道こそ深遠な日本人の生き様であり自身の中に生きているように未だに勘違いしている向きがあります。

これは武士道とサムライと言う概念を重ね合わせている為ではないでしょうか。
サムライは、文字通り、理屈抜きに勇敢な戦士を意味しています。
黒澤明の7人のサムライではないですが、サムライは痛快な物語を演出します。
一方で武士道を扱った映画や小説などは陰険極まるものであり、遺棄したい概念であります。

現代社会において役所や企業などで不祥事が起きるたびに繰り返されるトカゲの尻尾切りの人事は、未だに武士道が生きている証拠です。
民衆に対する責任で詰め腹を切るような輩が皆無であることを、武士道の欠陥と考えることは間違いなのです。
もともと武士道に民の心を代弁する機能はないのです。


前置きが随分と長くなりましたが、残念ながら我が国の武士道精神は未だに健在なようです。
多くの方が嘆いているマスメディアの頽廃は、全て武士道精神のなせるものと考えてよいでしょう。

メディアは権力に媚をうり、メディアに登場するキャスター、コメンテータも御上のためなら、どんな無理難題も受け入れ、私を殺して仕えます。
男芸者のような、そんな輩がサムライであるはずはありません。

現代武士道とは、信念なく、金で身をうる処世術のことを言う。
現代で武士道は、若き頃から知能の鍛錬に励み、難関のテストをかいくぐり到着できる組織に入ってひたすら上司に服従することで成就する道なのである。

それを現代エリート道と考えている奴らに中国の故事え答えよう。

「燕雀 ( えんじゃく ) いずくんぞ 鴻鵠 ( こうこく ) の志を知らんや」
メンテ

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Re: 現代武士道 ( No.10 )
日時: 2017/07/31 01:51
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:CspDHr0E

取越 九郎、勢六さん

御二人の武士道に関する解釈は理解します。

しかし私が言いたい現代武士道としては

もう少し内容を読んでいただけないでしょうか。

私が好きな武士道とは戦国時代のそれであり、江戸時代に入って山鹿素行などが言いだした武士道(普通、武士道と言えばこれを指すのですが)など一番嫌いな概念です。

特に佐賀藩の葉隠などは、最低の概念であります。

ここで現代武士道と態々名をつけていますのは、その江戸時代の武士道の系譜をひく現代人の正義感の無さを皮肉っているのです。
考えても見てください。
企業では、企業の方針に逆らうことなく自分の出世のためにまい進する姿。
政治でもそうです、社会正義の為には身を捨ててでもやらねばならない事をする政治家がいますか。

全てが長いものには巻かれろなのです。
日本中が、無意識のうちにそういう社会になってしまっているのです。

それに比べて戦国時代の武士道とは、一人前の武士は一族郎党を養うためには、自分を認めない主君や見込みのない主君など、いつでも裏切ると言う生き様でした。
現代の感覚では、それもどうかと思いすが、自分の事は自分が決めて前進する気概だけは立派なものです。

また皆さんは武士道と、サムライと言う概念を同じ様には取ってはいませんか。
サムライは自らの信念の為には命をも省みず立ち向かっていく勇気のある武士の事です。

どちらにしても現代人には考えられない感情でしょう。
そうした状況を現代武士道と言っていますのは、現代にも江戸時代の様な武士道が生きていると貶しめているのです。

要するに江戸時代の主君とは違いますが、権威とか上役、派閥のボス並びに金をくれる者に飼い馴らされている不甲斐なさを現代武士道精神と言っているのです。

明治の新渡戸稲造の試みもピントはずれのものであったと言っているのです。

大和魂についても、まあ、とても願えることではありませんが「大和魂」スレッドを1/3でも通して読んではいただけないでしょうか。
メンテ

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