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[3338] ねこでもわかる経済問題
日時: 2020/06/11 14:13
名前: ねこでもわかる経済問題サイトから転載 ID:3SQDi4bg

このスレッドは「ねこでもわかる経済問題」のサイトからの転載をします。
皆様が自然と受け入れておられ、それより手段がないと思われている市場主義経済のルールを、別の観点から見直しているもので、将来の社会のあり様を考えるとき、非常に参考になります。
多くの記述がありますので、興味を引いたものを少し紹介しまます。

まずは、ベーシックインカムから始めましょう。

https://sites.google.com/site/nekodemokeizai/beshikkuinkamu/korona_bi


「コロナ危機とベーシックインカムの重要性」

<市場経済(交換経済)は危機に脆弱である>

(じいちゃん)
コロナ肺炎の感染拡大によって、日本の経済が深刻なダメージを受けるのではないか、と心配されておる。すでに観光やイベント、外食、小売りといった第三次産業を中心に、前例のないほどの売り上げの落ち込みが生じ、多くの企業が倒産のリスクにさらされておる。そのため、経済が危機的状況になるのではないか、と心配されておるのじゃ。

(ねこ)
でも、売り上げが激減しているのは観光やイベント産業のような一部の業種ですにゃ。それなのに、どうして日本経済全体の危機を引き起こす心配があるのかにゃ。

(じいちゃん)
それは、現代経済の基本システムが「市場経済」であるためじゃ。市場経済とは、別の言い方をすれば「交換経済」と言える。つまり、物々交換の仕組みが、その根底にあるんじゃ。

(ねこ)
今の社会では、物々交換なんかしてないにゃ。

(じいちゃん)
左様じゃな、確かに物々交換はしていない。今日の市場ではおカネを介してモノが交換されておる。が、本質的には物々交換なんじゃ。大昔はカネなんかなかったから、市場経済の起源は「物々交換」じゃった。自分たちが生産したモノを市場に持参して、他の人の生産したモノと交換することが行われたと考えられる。こうして、多くの人が様々なモノを生産して、互いに交換することで成り立つのが市場経済じゃ。

物々交換において重要なのは、「参加者がそれぞれに、交換できる何かを生産すること」が前提となる。

例えば、お米を作るAさんと、魚を取るBさんが、それぞれに100の米と100の魚を生産していたとする。そのうち米50と魚50を市場で互いに交換することで、それぞれが米と魚の二つの財を手に入れることができる。つまりAさんもBさんも豊かになれるわけじゃな。

しかし、もし干ばつになってAさんのお米がとれなかったらどうなるか?この場合、Aさんには交換するものが全くないので、Bさんとお魚を交換することはできない。だからAさんは飢えてしまう。一方、Bさんはいつも通り魚100を生産したが、Aさんには交換するものが何もないので、Aさんに魚を渡すわけにはいかない。代価が払えない人には渡さない。そのためBさんは魚50が余ってしまい、腐らせて捨てることになる。つまり、経済が破綻すると言える。

(ねこ)
う〜ん、確かにAさんはかわいそうだし、行き場がなくて腐ってしまうお魚はもったいないけど、代価がなければ渡すわけにはいかない。経済には常に代価が必要。タダでモノはあげられない、フリーランチはない、そんなの当たり前のような気がするにゃ。おカネを介する場合はどうなの?

(じいちゃん)
おカネを介したとしても、基本的には物々交換と同じじゃ。なぜなら、一旦は「おカネと交換する」が、結局は、「おカネとモノを交換する」ことになるからのう。例えば、Aさんが米50をBさんに50円で売り、50円のおかねを手に入れる。その50円をBさんに支払って、Bさんから魚50を買うことになる。この時、おカネ50円がAさんとBさんの間をぐるぐる回ることになる。おカネがまわる、と俗に言われるのはそういうことじゃな。もちろん現代の市場は複雑化しているので、ここまで単純ではないが、基本的にはそういうことじゃ。

この場合も、やはりAさんが干ばつで米の生産ができなくなると、売るものがないので、おカネが手に入らない。だからAさんは飢えてしまうし、Bさんは魚が余って腐らせてしまう。このとき、AさんとBさんの間のおかねは、回らなくなっている。つまり、おカネがまわらないと、経済が破綻する。

今回のコロナ肺炎の場合で考えてみると、中国からの観光客がストップして観光業はほとんど売り上げがなくなった。つまり、観光サービスの生産ができなくなった。売る商品(観光商品)がなくなった。だから観光産業の従事者は給料がなくなって飢えてしまう。一方、観光産業の従事者の給料がなくなると、観光産業の従事者の購買力がなくなるので、他の産業が生産したモノも売れなくなって、売れ残りが生じ、売り上げが減る。つまり世の中のおカネが回らなくなる。こうして経済全体に「モノが売れない」という悪影響が広がって、経済が大きなダメージを被るんじゃよ。

(ねこ)
う〜ん、ひどい話だけど、これは避けられないんじゃないかにゃ。経済活動の仕組みから言って、必然的に生じることだと思うにゃ。

(じいちゃん)
普通の人はそう思うじゃろう。しかし、ところ変われば品変わる、というか、経済システムが変わると状況は一変する。市場経済だけが唯一無二の経済システムではない。別の経済システムの場合、必ずしも同じようになるわけではないのじゃ。たとえば共産経済じゃな。

<共産経済(分配経済)は危機に強い>

(ねこ)
共産経済って、共産主義のあれかにゃ。イメージ悪いにゃ。

(じいちゃん)
まあ、そう言うじゃろうと思ったが、まあ、まずは我慢して聞いてくれ。共産経済と言っても、昔のソビエトのような独裁政治体制としての共産主義じゃなく、原始共産制のことじゃ。原始共産制とは、昔の人々の社会のことじゃよ。

昔の人々は集落を形成して、共同で生活していたと考えられる。その場合、人々は互いに協力したり、手分けして野山へ行って猟をしたり、木の実や山菜を収穫していたじゃろう。そして、みんなで協力して収穫した食料などは、集会所に集められて、人々に公平に分配されていたと考えられる。例えばAさんとBさんがそれぞれ手分けして、Aさんが山に栗を拾いに行って100の栗を手に入れ、Bさんが海へ行って100の貝を拾ったとすると、それを持ち寄って、二人で山分けにする。するとAさんもBさんもそれぞれ50の栗と50の貝を得られて、一人で収穫するよりも豊かになれる。共同で労働し、労働の参加者全員にモノを分配する方法じゃな。交換ではなく、分配じゃ。

そして、もし仮に山へ栗を拾いに行ったAさんが、運悪く栗が一つも拾えなかったとしても、共同体の場合、Bさんが取ってきた貝の半分を分け与えらえる。なぜなら、みんなで分配するのが当たり前じゃからじゃ。逆に言えば、海が荒れてBさんが貝をまったく拾えないこともあるじゃろう。そんな時もBさんに栗が分け与えられる。このように、共同で生産して共同で分配する経済のシステムは、仮に一つの部門や一つの地域に問題が発生したとしても、それが経済全体を機能不全にすることはないのじゃ。

(ねこ)
へえ、例えば今回のコロナ肺炎の場合はどうなるのかにゃ。

(じいちゃん)
共産経済であれば、基本的には生産物は政府が集めて分配するし、サービスも政府が提供するんじゃ。じゃから、生活必需品は政府がすべて集める。そして政府が市場に商品を並べて、販売する。国民には政府からおカネが支給されるので、このおカネを使って政府から商品を買ったり、政府の店でサービスを受けることになるんじゃ。

じゃから、例えば観光産業が売り上げゼロで壊滅状態になったとしても、観光産業の従業員に給料が支払われて、買い物ができる。共産経済では生産物を手に入れるための「代価」を必要とせず、おカネというかたちで財やサービスの分配を受けるからじゃ。あるいは、コロナ肺炎の感染予防のために会社を休んだとしても、きちんと給料が支払われて、買い物ができる。市場経済では「労働の代価」として給料が支払われるが、共産経済では代価ではなく、分配として支払われるからじゃ。

(ねこ)
にゃー、すごいにゃ。みんなで財を生産して、みんなで財を分配する共産経済もいいにゃ。これなら、仮に自分のところに不幸が降りかかってきても、他の人と助け合って、安心して生活できるにゃ。でも、そんなの大昔の話であって、今じゃ、まったく時代遅れなんじゃないかにゃ。通用しないんじゃないの?

(じいちゃん)
ところが、今でも共産経済に近いシステムがしっかり機能しておる。それが「会社」じゃ。会社というシステムは、共同体にとても近いと考えられるのじゃ。特に日本では、その共同体意識が高いと考えられる。

会社には営業部門や生産部門など、部門ごとに役割分担があって、それぞれが仕事をして、その成果が売り上げ利益として出てくる。これは各部門が協働して生まれた利益じゃな。この利益が、給与制度という分配のルールに沿って、社員に公平に分配されていると考えることができるのじゃよ。もちろん給料の額に差はあるけれど、あくまで「分配」という形になっておる。

この場合、例えば、東北地区の営業部門が地震災害で売り上げがゼロになってしまったとしても、東北の営業部門の社員の給料がゼロになったり、極端に減らされることはない。つまり、必ずしも労働の対価としてのみ給料が支払われているのではない。共同作業という意識が根底にあるはずじゃ。だからこそ社員は「自分の会社」という意識を持つし、仲間意識もある。

(ねこ)
なるほどにゃ〜、会社というのは生産共同体であって、その内部システムは「共産経済」にすごく似ているんだにゃ。だから、会社の各部門が互いに支えあって生活していると言えるにゃ。どこかの部門が打撃を受けても、会社としてカバーするんだ。とってもいいと思うにゃ。だったら、社会全体にも会社の仕組みを広げたらいいんじゃないのかにゃ。

(じいちゃん)
会社のようなしくみを、社会全体に広げたら、それはまさに共産主義じゃ。会社では、経営陣が生産計画や販売計画、開発計画を立てておるが、共産主義になると、政府がそうした決定を行うようになる。計画経済じゃな。じゃが、すでに広く理解されておることじゃが、共産経済は資源の利用効率が市場経済に比べて低い。その理由はややこしいので省略するが、社会全体を共産経済にすれば済む、という単純な話にはならないんじゃ。

(ねこ)
むずかしいにゃ。

(じいちゃん)
じゃから、ワシも「世の中を共産主義にしろ」と主張しているわけではない。そうではなくて「市場経済システムだけが唯一無二で、最高のシステムであって、そこで発生する問題は避けがたいのだから、仕方がない」という考え方になってしまわないように、視野を広く持って欲しいということじゃ。市場経済システムには長所と短所があり、共産経済システムにも長所と短所がある。短所を補うべく、それぞれから参考にすべき点があるはずなんじゃよ。

<ベーシックインカムによって、脆弱性がカバーされる>

(じいちゃん)
ところで、「ウィルスが蔓延しても、人間の代わりにロボットが働けば経済が動くんじゃないか」と思う人がいるかもしれない。しかし、それは根本的に違うのじゃよ。モノが生産されなくなるから、モノ不足で経済が破綻するのではなく、本質的に言えば、カネが回らなくなるから経済が破綻するのじゃよ。市場経済では経済活動に常に代価が必要だから、カネが回らなくなると、即、経済がマヒしてしまう。

本来であれば、生活必需品の生産さえ確保できれば、そのほかの生産は消費を我慢すればいいだけの話じゃ。たとえば、観光をしなくても、命に係わるわけじゃないから、観光なんかしなくても本質的には困らないんじゃ。しかし、他の産業で生産された生活必需品、例えば食料や衣類を手に入れるためには、必ず「代価」が必要となる。その代価を得るために、必要・不必要にかかわらず、生産活動をやめることができない。生産をやめると、交換できなくなるから、常に交換するための何かを作ることになる。

つまり、生産できなくなるから経済が崩壊するのではなく、生産しないと売り上げがなくなって、賃金がもらえなくなるから、世の中のカネが回らなくなって、経済が崩壊する。だから生産を止められない。

(ねこ)
ということは、たとえ会社の売り上げが全滅しても、その関係者がおカネをきちんともらえるなら、世の中のおカネが回るから、経済は崩壊しない、ということかにゃ。

(じいちゃん)
そういうことなんじゃ。もちろん、生活必需品の生産は欠かすことができない。生活必需品が生産できなくなったら、そもそも分配するモノやサービスがなくなるのだから、おカネが回ろうが何しようが、経済は成り立たない。しかし、生活必需品の生産に支障をきたしていないのであれば、おカネさえ回せば、経済が完全にマヒしてしまうことはないんじゃ。

じゃから、いま、コロナウィルスで売り上げに大きなダメージを受けている人たちの所得を補償することは、すごく大切なんじゃよ。それは単にダメージを受けている人たちの生活を支えるという意味ではなく、カネが回らなくなって自分たちにも悪影響が及ぶ、ということがないように予防する意味もあるんじゃ。「政治家が人気取りのためにカネをばらまいている」とか批判があるが、それはまったくの間違いじゃ。

(ねこ)
被害の大きい産業の従事者は、会社が給料を払えない場合、政府が代わりに給付金を支給する必要があるんだにゃ。給料が減額された場合もそうにゃ。そうすれば、世の中のカネが回って、経済を支えられる。

(じいちゃん)
そうじゃ、そして企業の倒産を防止するため、企業への資金繰り支援も必要となる。が、この話は長くなるので、今回は省略するのじゃ。

(ねこ)
でも、ふと考えてみると、コロナ肺炎が流行しても、「それが必要であろうとなかろうと、生産しなければ生活できない」という理由で、多くの人が会社を休めない、なんて、変な気もするのですにゃ。仮にコロナ肺炎が流行していなかったとしても、「ひたすら生産と消費を繰り返さないと、経済が成り立たない」という社会は変ですにゃ。

さすがに「生活必需品だけ生産すればいい」とは言わないけど、世の中に売られているものは、なければ本当に困る、という商品ばかりじゃない。市場で交換する商品を生産するために、ストレスや疲労を貯めてまで必死に働かなくても、世の中のおカネがきちんと回るような仕組みがあれば、ほどほどに働いて、生活に時間的なゆとりが生まれるような気がするにゃ。

(じいちゃん)
まさに、その通りじゃな。生活に必要な財の生産が十分に行われるなら、本来であれば、それ以上に働く必要はない。もちろん、仕事が面白くて、生きがいで、24時間働いても苦にならない人もおるじゃろうから、それはそれでいいのじゃ。しかし、「給料が無いと生きていけないから、とりあえず働いている」という人も非常に多いし、仕事に生きがいを感じている人でも、もっと時間的なゆとりが欲しいと考える人もおるじゃろう。

だから、「労働の代価」として賃金が支払われるだけではなく、「共同体による分配」として支払われる部分があっても良いと思うのじゃ。それがベーシックインカム、国民配当の考え方に結び付く。もちろん、この配当をいきなり増やすことは現実的ではないから、例えば毎月国民一人1万円の支給から始めても良い。そして徐々に毎月の支給額を増やしてゆくわけじゃ。それが人々の物質的なゆとりを増やし、やがては時間的なゆとりへと、つながってゆくはずじゃ。

また、同時に人工知能やロボットの技術革新が進んで、人間の労働時間が減るようになると、そもそも労働の代価として国民に支払われる賃金の金額は減少傾向に向かう(技術的失業問題)。人間の労働時間が減るんだから、「労働の代価」としての賃金が減るのは当たり前じゃな。そうなると、世の中のおカネを回す、という意味から「共同体による分配」が重要になってくるんじゃ。
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ベーシックインカムはビジョンが必要 ( No.2 )
日時: 2020/06/12 11:03
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:y82yz5oU

ベーシックインカムはビジョンが必要


(ねこ)
新聞・マスコミや政治家の話を聞いても、未来へ向かって社会がこれからどうなるのか、というか、どういう社会にしたいのか、ちっとも見えてこないのにゃ。いろいろ問題になっている社会現象を捉えて、ただカラ騒ぎしているようにしか見えないのにゃ。

(じいちゃん)
ほう、たとえばどんなことじゃ?

(ねこ)
うにゃ、たとえば人工知能の進化がどんどん加速しているから、近い将来には今の仕事の半分は消えてしまい、膨大な失業者が生まれると騒いでいるにゃ。だから新しい仕事を生み出さなきゃならないといわれてるにゃ。一方で、高齢化で近い将来には働く人が減って、経済が縮小すると騒いでいる。日本は人手不足で大変なことになるというにゃ。ところで、人手不足になれば人々の給料は増えるはずにゃ。しかし人手不足と騒ぐくせに、給料はほとんど上がらないのにゃ。すべての話が矛盾していて、いったい社会がこの先どうなるのか、ちっともわからないにゃ。

(じいちゃん)
そうじゃのう、新聞マスコミは社会に生じている多くの事象を統合的に考えるのではなく、ある面だけ捉えて大騒ぎする。あっちで騒ぎ、こっちで騒ぐ。だから混乱するし、矛盾があってもなんとも思わんのじゃろう。

(ねこ)
まだあるにゃ。人工知能やロボットが進化すれば、将来的には人間がほとんど働く必要のない社会になるはずだにゃ。つまり毎日労働に追われる生活から解放されて、楽になれるということだにゃ。そうなれば人々の仕事が減るわけだから、働かない人が増えるのは当たり前なのにゃ。ところが政治家は「仕事を与えろ」「雇用を守れ」とかいってるにゃ。そんなんじゃ、人間が働かなくていい社会なんて永遠に実現しないことになるにゃ。

(じいちゃん)
人工知能やロボットが進化すれば、仕事を失って収入を絶たれたり、転職で所得が減る家計が生じる可能性は非常に高い。じゃから失業者をなくして万人に仕事を与えたり、最低賃金を引き上げることに意味が無いとは言い切れん。しかし、いつまでもそれに固執していたら、どれほど科学技術が進んでも人間は労働から解放されんし、そもそも、そんなにいつまでも新しい仕事を作り出し続けることなど不可能じゃろう。それでもなお、失業者をなくすために仕事を作ることに固執すれば、ほとんど意味のない仕事、たとえば穴を掘って埋めるとか、賽の河原のような無限作業をするしかなくなる。しかも、そんな仕事に高給を払う必要まで生じてくる。

(ねこ)
かと思えば、あいかわらずグローバリズムの推進だの、自由貿易だの、前世紀のバブル時代から同じ事を念仏のように唱えているにゃ。もう50年以上にもそんなことを主張しているにゃ。それで世の中が良くなったのかにゃ。経済のグローバル化がすすんでも、人々の所得は減り続け、格差が拡大し続けているにゃ。しかも、人工知能が人々から仕事を奪う時代が近づいているというのに、人手が足りないから、移民をどんどん日本に入れろとか言い出したにゃ。

(じいちゃん)
グローバリズムが拡大しても日本人の生活はちっとも良くならんのう。一部の人は富が集中して豊かになったかも知れんが、大部分の人たちは所得が減少してしまったし、貧困率も確実に増加しておる。子供の貧困問題が言われており、実に6人に1人の子供が貧困状態じゃという。そんなことは、バブル景気の頃は考えられもしなかったことじゃ。こうした社会の質の低下は、いわゆるグローバリズムと同時に進行しており、グローバリズムは庶民の生活にほとんど役に立たないと考えても不思議はないじゃろ。

(ねこ)
う〜ん、考えれば考えるほど、何がなんだか、わからないにゃ。

(じいちゃん)
まったくじゃ、世論は混乱しておるのう。その理由は、新聞やマスコミにも政治家にも、「未来社会へのビジョンが何もない」からじゃと思う。前世紀の古い価値観のまま政策を論じたり、あるいは場当たり的に現状に対応する政策ばかり主張しておる。もっと大きな立場から、「未来社会を築き上げようとする姿勢」が何も感じられん。まさにマスコミも既存のすべての政党も時代遅れじゃ。飛躍的な進化を遂げつつあるテクノロジー(技術)にまったく対応できておらん。

人間社会において、テクノロジーは極めて重要じゃ。テクノロジーが社会を変えるといって良い。たとえば、農業というテクノロジーによって、人間の社会は狩猟採集の時代から大変化を遂げたわけじゃ。それまで獲物を追って移動生活していた人々が定住化し、それによって財の蓄積も可能になり、社会の分業化や階層化も現れた。テクノロジーは社会に決定的な変化をもたらす、むしろ変化の中心にあってこれを主導すると言って良いじゃろう。

すなわち、人工知能やロボット技術をはじめとする様々なテクノロジーの加速度的な進化は、今日の社会システムに大変革を迫るものになる。資本主義や社会主義、あるいはグローバリズムやナショナリズムといった考え方が、すでに陳腐化し、矛盾を内包つつあるのは、むしろ当然なのじゃ。にも関わらず、相変わらずこうした陳腐化した視点から社会を分析して報道し、あるいは政策を立案して政治を動かすのでは、テクノロジーのもたらす恩恵を人々の生活に十分に活かす事はできまい。まさに明確なビジョンを打ち出す必要があるのじゃよ。

(ねこ)
そうなのにゃ、新聞マスコミにも、政治家にも、未来社会へのビジョンが何もないんだにゃ。国会を見ても、ただ目の前の問題で大騒ぎしているようにしか見えないのにゃ。

(じいちゃん)
昔から、未来社会が空想として描かれることはしばしばあった。ロボットが人間の代わりに労働する社会もその一つだった。理想社会(ユートピア)の一つとして、無味乾燥な労働から人間が解放されるという夢があった。しかし、その当時は遠い未来の話だと多くの人は認識していて、具体的にそうした社会の実現に向けてロードマップ(手順書)を描くことはなかったし、そもそも技術的な飛躍が大きすぎて描くことなどできんかった。だから、それはそれで良かったのじゃ。しかし現実としてロボットが人間の代わりに労働する社会が視野に入りつつある現在、まさにその社会を実現するためのロードマップが必要なのじゃ。ところが、新聞マスコミも、与党や野党の政治家も、未来社会へのロードマップを示していない。

人工知能やロボットが人間の代わりに労働する社会を実現する。それは将来へのビジョンの大きな目標に当たるはずじゃ。それは単にテクノロジーが進化すれば自動的に実現するわけではない。そのテクノロジーの進化の恩恵を人々に行き渡らせるために、社会システムには新たな変革が必要なのじゃ。本来であれば、それを提案することこそが新聞マスコミ、政治家の果たすべき役割じゃと思う。

(ねこ)
そうなのにゃ、未来を描き出すのが政治家や新聞マスコミの仕事なのにゃ。

(じいちゃん)
人工知能やロボットが人間の代わりに労働する社会では、人間はどうやって生活するのか?今日、大部分の人々は会社に就職して仕事し、労働の代価として所得を得ることで生活しておる。しかしロボットが働くようになると人間は働かないのじゃから、労働の代価として所得を受け取ることはない。となれば大部分の人々が収入を絶たれてしまう、それこそ「ロボットに仕事を奪われた」ことになる。そうならないために、未来社会では労働とは無関係に人々に所得が支給されることになるじゃろう。

労働する、しないに関わらず人々に一定の所得が支給される考え方はすでに以前から存在しておる。それがベーシックインカム(国民配当)と呼ばれる考え方じゃ。年齢性別にかかわらず、すべての国民に対して最低限の生活が可能な金額、毎月例えば1人当たり12万円が支給される、といったものじゃ。したがって、ロボットが人間の代わりに働く未来社会では、こうしたベーシックインカム(国民配当)が人々に支給されるようになると考えるのが自然じゃろう。

そう考えると、わしらのような国民が目指すべき将来の社会の姿は、完全雇用の社会ではないとわかるはずじゃ。したがって、

雇用を守るのではなく、
雇用を必要としない社会を実現する

これが重要じゃ。

(ねこ)
雇用を守れと騒ぐのもいいけど、最も重要なのは、雇用を必要としない社会の実現なんだにゃあ。今の左派に欠けているのは、この点かも知れないにゃ。党の基本方針として、堂々と「雇用を必要としない社会の実現」を掲げて欲しいにゃ。

(じいちゃん)
左様じゃ。そうすれば左派も政策的にもっと大胆になれるじゃろう。財務省や日銀といった古い常識の塊のような連中の話に従っていては、未来社会は実現できん。もちろん、明日からすぐ未来社会になるという話ではない。ただしビジョンとしてそれを掲げ、ロードマップを描かなければ何も進まない。実現しないどころか、このままではテクノロジーと社会システムの乖離は大きくなるばかりじゃろう。

もちろん、こうしたビジョンは与党にも大切じゃ。既存の政治家はグローバリズムを盲目的に推進しておるが、そもそもグローバリズムと今日のテクノロジーの進化がどのように融合するのか、まるで見えていない。てんでバラバラじゃ。まるで社会の進化とテクノロジーの進化が、別々に機能できると信じているかのようじゃ。これではますます両者の間の矛盾が広がるだけじゃろう。

もう時代は21世紀じゃ。
テクノロジーは進化しておる。
それに相応しい、未来の経済システムが必要だと思うのじゃ。


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