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[3338] ねこでもわかる経済問題
日時: 2020/06/11 14:13
名前: ねこでもわかる経済問題サイトから転載 ID:3SQDi4bg

このスレッドは「ねこでもわかる経済問題」のサイトからの転載をします。
皆様が自然と受け入れておられ、それより手段がないと思われている市場主義経済のルールを、別の観点から見直しているもので、将来の社会のあり様を考えるとき、非常に参考になります。
多くの記述がありますので、興味を引いたものを少し紹介しまます。

まずは、ベーシックインカムから始めましょう。

https://sites.google.com/site/nekodemokeizai/beshikkuinkamu/korona_bi


「コロナ危機とベーシックインカムの重要性」

<市場経済(交換経済)は危機に脆弱である>

(じいちゃん)
コロナ肺炎の感染拡大によって、日本の経済が深刻なダメージを受けるのではないか、と心配されておる。すでに観光やイベント、外食、小売りといった第三次産業を中心に、前例のないほどの売り上げの落ち込みが生じ、多くの企業が倒産のリスクにさらされておる。そのため、経済が危機的状況になるのではないか、と心配されておるのじゃ。

(ねこ)
でも、売り上げが激減しているのは観光やイベント産業のような一部の業種ですにゃ。それなのに、どうして日本経済全体の危機を引き起こす心配があるのかにゃ。

(じいちゃん)
それは、現代経済の基本システムが「市場経済」であるためじゃ。市場経済とは、別の言い方をすれば「交換経済」と言える。つまり、物々交換の仕組みが、その根底にあるんじゃ。

(ねこ)
今の社会では、物々交換なんかしてないにゃ。

(じいちゃん)
左様じゃな、確かに物々交換はしていない。今日の市場ではおカネを介してモノが交換されておる。が、本質的には物々交換なんじゃ。大昔はカネなんかなかったから、市場経済の起源は「物々交換」じゃった。自分たちが生産したモノを市場に持参して、他の人の生産したモノと交換することが行われたと考えられる。こうして、多くの人が様々なモノを生産して、互いに交換することで成り立つのが市場経済じゃ。

物々交換において重要なのは、「参加者がそれぞれに、交換できる何かを生産すること」が前提となる。

例えば、お米を作るAさんと、魚を取るBさんが、それぞれに100の米と100の魚を生産していたとする。そのうち米50と魚50を市場で互いに交換することで、それぞれが米と魚の二つの財を手に入れることができる。つまりAさんもBさんも豊かになれるわけじゃな。

しかし、もし干ばつになってAさんのお米がとれなかったらどうなるか?この場合、Aさんには交換するものが全くないので、Bさんとお魚を交換することはできない。だからAさんは飢えてしまう。一方、Bさんはいつも通り魚100を生産したが、Aさんには交換するものが何もないので、Aさんに魚を渡すわけにはいかない。代価が払えない人には渡さない。そのためBさんは魚50が余ってしまい、腐らせて捨てることになる。つまり、経済が破綻すると言える。

(ねこ)
う〜ん、確かにAさんはかわいそうだし、行き場がなくて腐ってしまうお魚はもったいないけど、代価がなければ渡すわけにはいかない。経済には常に代価が必要。タダでモノはあげられない、フリーランチはない、そんなの当たり前のような気がするにゃ。おカネを介する場合はどうなの?

(じいちゃん)
おカネを介したとしても、基本的には物々交換と同じじゃ。なぜなら、一旦は「おカネと交換する」が、結局は、「おカネとモノを交換する」ことになるからのう。例えば、Aさんが米50をBさんに50円で売り、50円のおかねを手に入れる。その50円をBさんに支払って、Bさんから魚50を買うことになる。この時、おカネ50円がAさんとBさんの間をぐるぐる回ることになる。おカネがまわる、と俗に言われるのはそういうことじゃな。もちろん現代の市場は複雑化しているので、ここまで単純ではないが、基本的にはそういうことじゃ。

この場合も、やはりAさんが干ばつで米の生産ができなくなると、売るものがないので、おカネが手に入らない。だからAさんは飢えてしまうし、Bさんは魚が余って腐らせてしまう。このとき、AさんとBさんの間のおかねは、回らなくなっている。つまり、おカネがまわらないと、経済が破綻する。

今回のコロナ肺炎の場合で考えてみると、中国からの観光客がストップして観光業はほとんど売り上げがなくなった。つまり、観光サービスの生産ができなくなった。売る商品(観光商品)がなくなった。だから観光産業の従事者は給料がなくなって飢えてしまう。一方、観光産業の従事者の給料がなくなると、観光産業の従事者の購買力がなくなるので、他の産業が生産したモノも売れなくなって、売れ残りが生じ、売り上げが減る。つまり世の中のおカネが回らなくなる。こうして経済全体に「モノが売れない」という悪影響が広がって、経済が大きなダメージを被るんじゃよ。

(ねこ)
う〜ん、ひどい話だけど、これは避けられないんじゃないかにゃ。経済活動の仕組みから言って、必然的に生じることだと思うにゃ。

(じいちゃん)
普通の人はそう思うじゃろう。しかし、ところ変われば品変わる、というか、経済システムが変わると状況は一変する。市場経済だけが唯一無二の経済システムではない。別の経済システムの場合、必ずしも同じようになるわけではないのじゃ。たとえば共産経済じゃな。

<共産経済(分配経済)は危機に強い>

(ねこ)
共産経済って、共産主義のあれかにゃ。イメージ悪いにゃ。

(じいちゃん)
まあ、そう言うじゃろうと思ったが、まあ、まずは我慢して聞いてくれ。共産経済と言っても、昔のソビエトのような独裁政治体制としての共産主義じゃなく、原始共産制のことじゃ。原始共産制とは、昔の人々の社会のことじゃよ。

昔の人々は集落を形成して、共同で生活していたと考えられる。その場合、人々は互いに協力したり、手分けして野山へ行って猟をしたり、木の実や山菜を収穫していたじゃろう。そして、みんなで協力して収穫した食料などは、集会所に集められて、人々に公平に分配されていたと考えられる。例えばAさんとBさんがそれぞれ手分けして、Aさんが山に栗を拾いに行って100の栗を手に入れ、Bさんが海へ行って100の貝を拾ったとすると、それを持ち寄って、二人で山分けにする。するとAさんもBさんもそれぞれ50の栗と50の貝を得られて、一人で収穫するよりも豊かになれる。共同で労働し、労働の参加者全員にモノを分配する方法じゃな。交換ではなく、分配じゃ。

そして、もし仮に山へ栗を拾いに行ったAさんが、運悪く栗が一つも拾えなかったとしても、共同体の場合、Bさんが取ってきた貝の半分を分け与えらえる。なぜなら、みんなで分配するのが当たり前じゃからじゃ。逆に言えば、海が荒れてBさんが貝をまったく拾えないこともあるじゃろう。そんな時もBさんに栗が分け与えられる。このように、共同で生産して共同で分配する経済のシステムは、仮に一つの部門や一つの地域に問題が発生したとしても、それが経済全体を機能不全にすることはないのじゃ。

(ねこ)
へえ、例えば今回のコロナ肺炎の場合はどうなるのかにゃ。

(じいちゃん)
共産経済であれば、基本的には生産物は政府が集めて分配するし、サービスも政府が提供するんじゃ。じゃから、生活必需品は政府がすべて集める。そして政府が市場に商品を並べて、販売する。国民には政府からおカネが支給されるので、このおカネを使って政府から商品を買ったり、政府の店でサービスを受けることになるんじゃ。

じゃから、例えば観光産業が売り上げゼロで壊滅状態になったとしても、観光産業の従業員に給料が支払われて、買い物ができる。共産経済では生産物を手に入れるための「代価」を必要とせず、おカネというかたちで財やサービスの分配を受けるからじゃ。あるいは、コロナ肺炎の感染予防のために会社を休んだとしても、きちんと給料が支払われて、買い物ができる。市場経済では「労働の代価」として給料が支払われるが、共産経済では代価ではなく、分配として支払われるからじゃ。

(ねこ)
にゃー、すごいにゃ。みんなで財を生産して、みんなで財を分配する共産経済もいいにゃ。これなら、仮に自分のところに不幸が降りかかってきても、他の人と助け合って、安心して生活できるにゃ。でも、そんなの大昔の話であって、今じゃ、まったく時代遅れなんじゃないかにゃ。通用しないんじゃないの?

(じいちゃん)
ところが、今でも共産経済に近いシステムがしっかり機能しておる。それが「会社」じゃ。会社というシステムは、共同体にとても近いと考えられるのじゃ。特に日本では、その共同体意識が高いと考えられる。

会社には営業部門や生産部門など、部門ごとに役割分担があって、それぞれが仕事をして、その成果が売り上げ利益として出てくる。これは各部門が協働して生まれた利益じゃな。この利益が、給与制度という分配のルールに沿って、社員に公平に分配されていると考えることができるのじゃよ。もちろん給料の額に差はあるけれど、あくまで「分配」という形になっておる。

この場合、例えば、東北地区の営業部門が地震災害で売り上げがゼロになってしまったとしても、東北の営業部門の社員の給料がゼロになったり、極端に減らされることはない。つまり、必ずしも労働の対価としてのみ給料が支払われているのではない。共同作業という意識が根底にあるはずじゃ。だからこそ社員は「自分の会社」という意識を持つし、仲間意識もある。

(ねこ)
なるほどにゃ〜、会社というのは生産共同体であって、その内部システムは「共産経済」にすごく似ているんだにゃ。だから、会社の各部門が互いに支えあって生活していると言えるにゃ。どこかの部門が打撃を受けても、会社としてカバーするんだ。とってもいいと思うにゃ。だったら、社会全体にも会社の仕組みを広げたらいいんじゃないのかにゃ。

(じいちゃん)
会社のようなしくみを、社会全体に広げたら、それはまさに共産主義じゃ。会社では、経営陣が生産計画や販売計画、開発計画を立てておるが、共産主義になると、政府がそうした決定を行うようになる。計画経済じゃな。じゃが、すでに広く理解されておることじゃが、共産経済は資源の利用効率が市場経済に比べて低い。その理由はややこしいので省略するが、社会全体を共産経済にすれば済む、という単純な話にはならないんじゃ。

(ねこ)
むずかしいにゃ。

(じいちゃん)
じゃから、ワシも「世の中を共産主義にしろ」と主張しているわけではない。そうではなくて「市場経済システムだけが唯一無二で、最高のシステムであって、そこで発生する問題は避けがたいのだから、仕方がない」という考え方になってしまわないように、視野を広く持って欲しいということじゃ。市場経済システムには長所と短所があり、共産経済システムにも長所と短所がある。短所を補うべく、それぞれから参考にすべき点があるはずなんじゃよ。

<ベーシックインカムによって、脆弱性がカバーされる>

(じいちゃん)
ところで、「ウィルスが蔓延しても、人間の代わりにロボットが働けば経済が動くんじゃないか」と思う人がいるかもしれない。しかし、それは根本的に違うのじゃよ。モノが生産されなくなるから、モノ不足で経済が破綻するのではなく、本質的に言えば、カネが回らなくなるから経済が破綻するのじゃよ。市場経済では経済活動に常に代価が必要だから、カネが回らなくなると、即、経済がマヒしてしまう。

本来であれば、生活必需品の生産さえ確保できれば、そのほかの生産は消費を我慢すればいいだけの話じゃ。たとえば、観光をしなくても、命に係わるわけじゃないから、観光なんかしなくても本質的には困らないんじゃ。しかし、他の産業で生産された生活必需品、例えば食料や衣類を手に入れるためには、必ず「代価」が必要となる。その代価を得るために、必要・不必要にかかわらず、生産活動をやめることができない。生産をやめると、交換できなくなるから、常に交換するための何かを作ることになる。

つまり、生産できなくなるから経済が崩壊するのではなく、生産しないと売り上げがなくなって、賃金がもらえなくなるから、世の中のカネが回らなくなって、経済が崩壊する。だから生産を止められない。

(ねこ)
ということは、たとえ会社の売り上げが全滅しても、その関係者がおカネをきちんともらえるなら、世の中のおカネが回るから、経済は崩壊しない、ということかにゃ。

(じいちゃん)
そういうことなんじゃ。もちろん、生活必需品の生産は欠かすことができない。生活必需品が生産できなくなったら、そもそも分配するモノやサービスがなくなるのだから、おカネが回ろうが何しようが、経済は成り立たない。しかし、生活必需品の生産に支障をきたしていないのであれば、おカネさえ回せば、経済が完全にマヒしてしまうことはないんじゃ。

じゃから、いま、コロナウィルスで売り上げに大きなダメージを受けている人たちの所得を補償することは、すごく大切なんじゃよ。それは単にダメージを受けている人たちの生活を支えるという意味ではなく、カネが回らなくなって自分たちにも悪影響が及ぶ、ということがないように予防する意味もあるんじゃ。「政治家が人気取りのためにカネをばらまいている」とか批判があるが、それはまったくの間違いじゃ。

(ねこ)
被害の大きい産業の従事者は、会社が給料を払えない場合、政府が代わりに給付金を支給する必要があるんだにゃ。給料が減額された場合もそうにゃ。そうすれば、世の中のカネが回って、経済を支えられる。

(じいちゃん)
そうじゃ、そして企業の倒産を防止するため、企業への資金繰り支援も必要となる。が、この話は長くなるので、今回は省略するのじゃ。

(ねこ)
でも、ふと考えてみると、コロナ肺炎が流行しても、「それが必要であろうとなかろうと、生産しなければ生活できない」という理由で、多くの人が会社を休めない、なんて、変な気もするのですにゃ。仮にコロナ肺炎が流行していなかったとしても、「ひたすら生産と消費を繰り返さないと、経済が成り立たない」という社会は変ですにゃ。

さすがに「生活必需品だけ生産すればいい」とは言わないけど、世の中に売られているものは、なければ本当に困る、という商品ばかりじゃない。市場で交換する商品を生産するために、ストレスや疲労を貯めてまで必死に働かなくても、世の中のおカネがきちんと回るような仕組みがあれば、ほどほどに働いて、生活に時間的なゆとりが生まれるような気がするにゃ。

(じいちゃん)
まさに、その通りじゃな。生活に必要な財の生産が十分に行われるなら、本来であれば、それ以上に働く必要はない。もちろん、仕事が面白くて、生きがいで、24時間働いても苦にならない人もおるじゃろうから、それはそれでいいのじゃ。しかし、「給料が無いと生きていけないから、とりあえず働いている」という人も非常に多いし、仕事に生きがいを感じている人でも、もっと時間的なゆとりが欲しいと考える人もおるじゃろう。

だから、「労働の代価」として賃金が支払われるだけではなく、「共同体による分配」として支払われる部分があっても良いと思うのじゃ。それがベーシックインカム、国民配当の考え方に結び付く。もちろん、この配当をいきなり増やすことは現実的ではないから、例えば毎月国民一人1万円の支給から始めても良い。そして徐々に毎月の支給額を増やしてゆくわけじゃ。それが人々の物質的なゆとりを増やし、やがては時間的なゆとりへと、つながってゆくはずじゃ。

また、同時に人工知能やロボットの技術革新が進んで、人間の労働時間が減るようになると、そもそも労働の代価として国民に支払われる賃金の金額は減少傾向に向かう(技術的失業問題)。人間の労働時間が減るんだから、「労働の代価」としての賃金が減るのは当たり前じゃな。そうなると、世の中のおカネを回す、という意味から「共同体による分配」が重要になってくるんじゃ。
メンテ

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硬貨と紙幣の違い=政府通貨と銀行券の違い ( No.4 )
日時: 2020/06/15 00:40
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:vr5u6f56

硬貨と紙幣の違い=政府通貨と銀行券の違い


A.(じいちゃん)
おカネには10円や500円などの硬貨と、1000円や10,000円などの紙幣がある。ところで硬貨と紙幣の本質的な違いは何じゃと思う?

Q.(ねこ)
う〜ん、わからないにゃ。硬貨は金属で作られているし、紙幣は紙だにゃ。それ以外だと、そうにだにゃ、硬貨は「造幣局」が作ってるけど、紙幣は「国立印刷局」が作ってるのにゃ。

A.(じいちゃん)
そうじゃな、普通の人はそこまで知っていれば上出来じゃろう。じゃが本質的な違いはもっと別にある。これはいわゆる「偉い人」でも知らない人が多いから、試しに質問してやると面白いぞ。硬貨と紙幣の本質的な違いは「どこが発行しておるか」の違いじゃ。硬貨は政府が発行するが、紙幣は日銀が発行するのじゃ。作っているところは造幣局や国立印刷局じゃが、それは作らせているだけの話であって、発行しているのはそれぞれ政府と日銀なのじゃ。

それが証拠に、硬貨を見てみればよい。硬貨には「日本国」と刻印されておる。つまり日本政府が発行しておるのじゃ。そして紙幣には「日本銀行券」と印刷されておる。紙幣はつまり日本銀行が発行する銀行券ということじゃ。

Q.(ねこ)
へぇ〜知らなかったのにゃ、てっきり硬貨も紙幣も日本銀行が発行していると思っていたのにゃ。なんで硬貨は政府が発行して、紙幣は日本銀行が発行するのかにゃ。めんどくさいにゃ。

A.(じいちゃん)
それにはふか〜い訳があるんじゃ。というのも、貨幣と銀行券は歴史的にまったく別の起源から生まれたものだからじゃ。この違いを現代社会ではあっさりと聞き流しておるようじゃが、これはおカネの本質にかかわる重要な違いじゃから、ぜひねこにも知ってもらいたいのう。

Q.
硬貨と紙幣の起源が、歴史的に違うなんて知らなかったのにゃ。てっきり、金や銀が少なくなったから、紙のおカネにしたのかと思っていたのにゃ。不思議なのにゃ。教えてほしいにゃ。

A.
昔のおカネは硬貨じゃった。その当時は紙幣は存在しておらん。たとえばローマ時代にはローマ金貨があって、ローマ帝国つまり政府が金貨を鋳造しておった。また江戸時代では江戸幕府が大判、小判を鋳造しておった。ローマ帝国や幕府は「金山」「銀山」を所有しておったから、そこで金や銀を採掘して硬貨を作るのじゃ。もちろん、政府の役人が作るわけじゃなくて、職人が作るのじゃが。つまり昔のおカネである「硬貨」は基本的に政府が発行しておったわけじゃ。そして作った金貨や銀貨を使って劇場を作ったり、城を作ったりしたのじゃ。ず〜っと昔のローマの時代から、硬貨は政府が作ってきた。じゃから今の日本でも、硬貨を政府が発行したとしても何ら不思議ではない。

Q.
なるほどにゃ、だから100円や500円には「日本国」って刻印がされているんだにゃ。それじゃあ、政府が紙幣も発行すればいいんじゃないかにゃ。

A.
確かに日本銀行ではなく、政府が発行する「政府紙幣」という考え方もある。江戸時代には藩が発行した藩札があったり、明治初期の日本では政府紙幣が発行されたこともある。じゃが現代の社会では、なぜか政府紙幣の発行を主張すると大騒ぎになって止められてしまう。まあ、それはそれとして、紙幣の起源について説明しよう。これはちとややこしいぞ。

時代が進んでくると、金貨や銀貨などの貨幣が世の中に普及して、そうした金銀財宝をたくさん保有している「カネ持ち」が登場してくる。こうしたカネ持ちの持っている金貨や銀貨を狙って、強盗を企てる輩も出てくるようになる。こうなると自分の屋敷に金貨を保管しておくのは物騒じゃ。そこで金貨を強力な護衛兵に守られた金庫に預けるのが安心じゃ。そのような要望が増えてくると、強力な護衛兵に守られた「金庫業者」のような商売をする人たちが現れてきたのじゃ。

彼らは、カネ持ちから金貨を預かると、「預り証」を発行して、この預り証をカネ持ちに渡したんじゃ。そしてカネ持ちが金貨を返して欲しいときは、この預り証を金庫業者に持っていけば、引き換えに金貨を受け取ることができたんじゃ。この預り証が紙幣すなわち「銀行券」の始まりだとされておる。

Q.
紙幣の始まりは「金貨の預り証」だったんだにゃ。金貨と交換できる預り証なのにゃ。

A.
そうじゃ。そしてこの預り証が便利だったのじゃ。というのも金貨は重いし、大量に持ち運ぶのは物騒じゃ。そこで金貨の換わりにこの預り証を持ち歩いて売買を行うようになった。たとえばカネ持ちがお肉を買いに肉屋へ行き、そこで肉を買って預り証で支払うのじゃ。肉屋は好きなときに預り証をもって銀行へ行き、いつでも銀行から金貨を受け取ることができる。そうなると、いちいち銀行から金貨を引き出さなくても、この預り証を使って肉屋が農家から豚を仕入れることもできる。こうして預り証だけで取引が行われるようになり、これが「銀行券」になったと言われておるのじゃ。だから、今でも紙幣は政府ではなく、銀行が発行しておるのじゃ。そして金貨を預かっていた金庫業者は銀行になったのじゃよ。

Q.
面白いにゃ、金庫業者が銀行になって、金貨の預り証が銀行券になった。だから今でも紙幣は銀行が発行しているんだにゃ。なるほど、貨幣と紙幣は起源がまるで違うのにゃ。

A.
こうして銀行券が金貨の換わりにおカネとして使われるようになったが、あくまでも銀行券は金貨と交換できることが原則じゃった。これがいわゆる「金本位制」と呼ばれる制度の最初じゃ。日本でも世界でも、第二次世界大戦より前の時代では、金本位制と呼ばれる通貨制度が主流じゃった。これは、紙幣を発行するための裏づけとして銀行が「金」を準備しておくのじゃ。そして、金1グラムいくら、という感じで紙幣を発行するわけじゃ(例えば1オンス35ドル)。じゃから銀行が保有しておる金の量によって、発行できる紙幣の量が決まる仕組みじゃ。

しかし、国際的な貿易がどんどん盛んになると、貿易の赤字や黒字によっておカネがどんどん海外へ流出する国が現れるようになった。金本位制の場合は、おカネと金を交換できる約束になっておるから、だんだんと金が流出して、国内のおカネが足りなくなってしまい、経済に悪影響が出るようになったんじゃ。それで金と紙幣の交換を停止して、金が無くてもおカネが発行できるようにしたのじゃ。これが「管理通貨制度」と呼ばれる制度じゃ。この場合は、金とは無関係に紙幣を発行できる。金と無関係に紙幣を発行するのであれば、やろうと思えばいくらでも発行できる気がするが、そうではない。

Q.
金とは無関係だけど、何か別のものと関係があるの?

A.
その通りじゃ、管理通貨制度では金の代わりに「国債」が用いられるのじゃ。日本銀行が紙幣(日銀券)を発行する際には、何らかの資産が必要になる。金本位制のときは金が資産だったのじゃった。しかし金が使えなくなったので、代わりに何らかの資産が必要になった。そこで今日では日銀が主に国債を民間銀行から買い入れて、日銀券を発行しておるのじゃ。他にも民間銀行への貸付として日銀券を発行することもある。いずれにしても、銀行券はもともと「預り証」だったわけじゃから、何らかの資産の裏づけがないと発行できない仕組みなんじゃ。それは資産を管理する「帳簿」がそういう仕組みになっておるからじゃ。その帳簿が「バランスシート」なのじゃが、まあそれはいずれ説明しよう。

それに対して、政府が硬貨を発行する場合は、裏づけとなる金は必要ないし、国債も必要としない。考えてみると昔のローマ帝国や江戸幕府が硬貨を発行する際には、裏付けとなる資産は必要なかったわけじゃ。もちろん、昔の金貨は金そのものに価値はあったがのう。じゃから現在の政府が硬貨を発行する際にも裏づけは当然ながら必要ないわけじゃ。

Q.
なるほど、結局のところ、硬貨は昔から国や政府が発行していたから「政府通貨」なのにゃ。政府通貨を発行するには裏づけは必要ない。それに対して紙幣は銀行が発行していたから「銀行券」なのにゃ。そして銀行券を発行するには裏づけとなる資産が必要なのにゃ。う〜ん、こんな基本的なことも学校では教えてくれないにゃ〜。

A.
まあ学校では教えたくないこともあるのじゃろう。なお、銀行券にしても政府通貨にしても、その発行を決める権限は最終的に「政府」にあるはずじゃ。なぜなら民主主義の今日ではおカネを発行する最終的な権限は国民にあるからじゃ。これが「通貨発行権」と呼ばれる国民の権利じゃな。一つの国が一つの通貨を持つのはそのためじゃ。

しかし世界的な大実験がEU(欧州連合)で行われた。これが「ユーロ」すなわち統一通貨じゃ。これによって通貨発行権が国民の主権からはく奪されたのじゃ。まあ、その話は別の機会にしようかの。


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