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[3495] タルコフスキー 映画『僕の村は戦場だった 1962年』
日時: 2022/05/15 06:33
名前: スメラ尊 ID:QhNEiVps

タルコフスキー 映画『僕の村は戦場だった 1962年』

動画(英語字幕)
https://www.youtube.com/results?search_query=%D0%98%D0%B2%D0%B0%D0%BD%D0%BE%D0%B2%D0%BE+%D0%B4%D0%B5%D1%82%D1%81%D1%82%D0%B2%D0%BE&sp=mAEB


監督 アンドレイ・タルコフスキー
原作 ウラジミール・ボゴモーロフ
脚本 ウラジミール・ボゴモーロフ ミハイル・パパーワ
音楽 ヴァチェスラフ・オフチンニコフ
撮影 ワジーム・ユーソフ
公開 1962年4月6日
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%83%95%E3%81%AE%E6%9D%91%E3%81%AF%E6%88%A6%E5%A0%B4%E3%81%A0%E3%81%A3%E3%81%9F

キャスト

Ivan コーリヤ・ブルリヤーエフ
Kholin V・ズブコフ
Galystev E・ジャリコフ
Katasonov S・クルイロフ
Gryaznov N. Grinyko
Maska V. Maryavina
Ivan's Mother I. Tarkovskaya
The Oldman D. Milyucheko


映画のストーリー

イワン(コーリヤ・ブルリヤーエフ)がいまも夢にみた美しい故郷の村は戦火に踏みにじられ、母親は行方不明、国境警備隊員だった父親も戦死してしまった。

一人とり残された十二歳のイワンが、危険を冒して敵陣に潜入し少年斥候として友軍に協力しているのも、自分の肉親を奪ったナチ・ドイツ軍への憎悪からであった。

司令部のグリヤズノフ中佐、ホーリン大尉、古参兵のカタソーノフの三人が、イワンのいわば親代りだ。グリヤズノフ達はイワンをこれ以上危険な仕事に就かせておくことはできない……これが、少年を愛する大人たちの結論だった。しかし、イワンはそれを聞くと頑として幼年学校行きを拒否した。憎い敵を撃滅して戦いに勝たねば……やむなくイワンをガリツェフ(E・ジャリコフ)の隊におくことにした。

ドイツ軍に対する総攻撃は準備されていたがそのためには、対岸の情勢を探ることが絶対必要であった。出発の日、カタソーノフはざん壕から身をのり出し敵弾に倒れてしまった。執拗に彼の不在の理由をきくイワンにはその死は固く秘されホーリン、ガリツェフの三人は小舟で闇の中を対岸へ。

二人が少年と別れる時がきた。再会を約して少年は死の危険地帯の中に勇躍、進んで行く。その小さな後姿がイワンの最後だった。終戦。ソビエトは勝った。が、そのためには何と大きな犠牲を払われねばならなかったか……。

かつてのナチの司令部。見るかげもなく破壊された建物の中に、ソビエト軍捕虜の処刑記録が残っていた。その記録を一枚一枚調べるガリツェフ。あった。イワンの写真が貼りつけられた記録カードが。戦争さえなかったらイワンには平和な村の毎日だった筈なのに……。
https://movie.walkerplus.com/mv13198/

 
▲△▽▼

僕の村は戦場だった

噂には聞いていましたが、これほどまでの傑作とは思いませんでした。すばらしい映画でした。

タルコフスキーならではの詩的な映像と、独ソ戦争の悲劇を現実的にとらえた対照的な映像が見事にコラボレートして、一歩間違うとおとぎ話のような陶酔感の中で迎える衝撃的なラストにうなってしまいました。


一人の半裸の少年が森にたたずんでいます。

蝶が舞い、その蝶を視線が追いかけるとカメラが蝶の視線のごとくふわっと舞い上がります。

ショットは変わって少年の前に一人の母親らしき女性。

うれしそうに駆け寄る少年。

次の瞬間、ぼろ小屋で飛び起きる少年。

実はこの少年はソ連側からドイツに潜入して情報を探るゲリラ兵なのです。ショッキングなオープニングに一気に引き込まれます。


湿地の中を必死で駆け抜けてソ連領に舞い戻ったところから本編が始まります。


戦場の場面がリアルに生々しく語られる現実と、少年が夢見るときにみる平和な頃の詩情あふれる映像の対比が実に効果的で、本当に美しい。

湿地の中を進む場面で水面に映る照明弾の光の動きの中で船をこいでいくショット、

少年が夢の中でみる母親が井戸の外で倒れたところに降りかかる井戸水のショット、

あるいは少年が愛らしい少女とリンゴを積んだトラックに乗っていく中で、リンゴが道にこぼれだし、馬が拾い食いするショット

などタルコフスキーならではのファンタジックな映像もふんだんに盛り込まれています。


すでに両親の行方もわからない少年イワンの親代わりは戦場の3人の兵士たちだった。そして、冒頭のゲリラ斥候を終えたイワンにその兵士は幼年学校へ行くように勧める。

しかし、それに反対し、再度斥候にでる。無事ソ連領に送り届けた兵士たち、しかしまもなく戦争は終結。

ドイツの収容所を制圧した兵士たちがそこでみたのはドイツ軍が捕まえたソ連からの斥候たちの処刑のリストファイルだった、そしてそこにはイワンの名が・・・・


処刑される寸前に見たであろうイワンの幻想は愛くるしい少女と一緒に浜辺を駆け抜ける場面でした。

タルコフスキーならではの映像美の世界とサスペンス色あふれるストーリー展開、そして悲劇的なラストに見せる切ない現実への警告。完成度の高い見事な作品でした。
http://d.hatena.ne.jp/kurawan/20100510


▲△▽▼

19 :無名画座@リバイバル上映中:2006/02/25(土) 18:52:48 ID:nrY8uN4r

原作は「イワンの少年時代」というタイトルですよね。

でも何だか皮肉な題だなあ。少年時代を少年のまま過ごすことも叶わず、
戦争によって踏みにじられ、大人にならざるをえなかったイワン。

回想シーンがあどけない笑顔を浮かべてたのに、現実のシーンでは微笑を忘れた
一切感情を押し殺した表情をしてたのが余計に哀しい。


25 :無名画座@リバイバル上映中:2006/03/09(木) 10:25:13 ID:za8+WElc
もし、記憶違いなら悪いけど少年のお母さんが腋毛生やしてたような・・・


26 :無名画座@リバイバル上映中:2006/03/09(木) 14:54:33 ID:pWzQBXUM
おっ、いいところに目をつけましたね。なかなか目ざといですな。
あのお母さんはどうも色っぽすぎていかんです、ハイ。

28 :無名画座@リバイバル上映中:2006/03/09(木) 21:33:09 ID:BSZv+BGP
いや、ほんとに。
少年の回想シーンとは思えないほど肉感的ですね。


『鏡』を観ててもそう思うんですが、

どうもタルコフスキーにとって母親というのは
そういう肉感的な存在としてイメージされるみたいです。


29 :無名画座@リバイバル上映中:2006/03/10(金) 21:02:41 ID:G7Eo1+60

母親役はイリーナ・タルコフスカヤ。


30 :無名画座@リバイバル上映中:2006/03/11(土) 13:38:57 ID:UEITlvEh

おそらくイリーナ・タルコフスカヤさんは監督の最初の奥さんではないかと。
(同姓同名でなければ、イリーナという奥さんがいたはず)


38 :無名画座@リバイバル上映中:2006/05/12(金) 17:13:15 ID:9534X0Wy
浜辺で母が手を振って立ち去ろうとするところ恐いぐらい。


48 :無名画座@リバイバル上映中:2006/09/03(日) 23:38:29 ID:VbWH5bGO
ラストの水はすごかった
http://mimizun.com/log/2ch/kinema/1139048950/


▲△▽▼


アンドレイ・ タルコフスキーは、ヴォルガ川近郊のザブラジェで1932年4月4日、アルセニー・タルコフスキーとマリア・イワノヴナ・ヴィシニャコーワの息子として生まれた。

父は詩人で、その詩作によって後年にはかなりの名声を獲得することになる。

両親はモスクワの文学大学に学ぶ。

タルコフスキーが生まれた村は、もはや存在しない。

ダムがその地域に建設されて、人工湖の水底に眠っているのだ。

しかし、タルコフスキーが子ども時代を過ごした場所とそのイメージは、彼に消えることのない影響を及ぼし、作品に深甚な影響を残すこととなった。

一家がモスクワ郊外に引っ越した1935年には、父母の間の関係にひずみが見えはじめ、やがて、2人の離婚と、父の出奔を招くことになった。

アンドレイは、母、祖母、及び妹の家族構成、つまり男手のない家庭で成長した。

1939年に彼はモスクワの学校に入学したが、後に戦時中の疎開でヴォルガ河畔の親類の元に移った。

戦争の勃発で、父は兵役に志願、負傷して片脚をなくすことになる。

一家は、1943年にモスクワに戻った。

そこで、タルコフスキーの母は、印刷所の校正係として働いた。

戦時の年月は、少年の心に2つの大きな懸念が重くのしかかる日々であった。

死なずにすむだろうか? そして父は前線から無事に帰ってくるのだろうか? 

しかしながら、アルセニー・タルコフスキーがやっと戻ったとき、赤い星の勲章で顕彰されていたが、彼が家族の元に戻ることはなかった。


息子が芸術分野の仕事を見つけることを、タルコフスキーの母は一貫して望んでいた。

芸術の価値に対する彼女の信念は、彼が正式に授けられた教育に反映されている。

音楽学校、後には、美術学校に学んだタルコフスキーは、自分の映画監督の仕事はこうした訓練がなければ到底考えられないと、後年になって述懐している。

1951年から、彼は東洋言語大学で学んでいる。

これらの勉学は、しかしながら、スポーツによる負傷によって終わりを告げ、タルコフスキーは、シベリアへの地質調査団に加わり、そこでほぼ1年の間滞在し、ドローイングとスケッチのシリーズを製作した。

1954年に、この旅から戻った時、彼は、モスクワ映画学校 ( VGIK )に首尾よく合格し、ミハイル・ロンムの元で学ぶことになる。


タルコフスキーの商業映画第1作『僕の村は戦場だった』 (1962年)は、きわめて見通しの悪い状況で生まれた作品であった。

この映画は、E・アバロフ監督で撮影が開始されていたが、撮影されたシークェンスの質が不良なので中止されたプロジェクトだった。

後に、やはり映画を救済しようという決定がなされて、タルコフスキーがその完成の責任を負った。

こんな状況であのような情緒的なインパクトをもつ作品を創造できたという事実は、映画監督としての彼の力量とヴィジョンの強さを証言するものである。

彼のものでない素材が混ざっているにもかかわらず、このフィルムは彼の子供といってもいいだろう。そして、彼のスタイルの紛れもない刻印を帯びている。

大人に早くならざるをえなかった幼い少年、最後には戦争によって殺された少年の運命を描いている。

タルコフスキーは、自身の子ども時代とイワンの子ども時代との見かけの平行関係を否定して、両者の共通点は年齢と戦争という状況にすぎないと述べている。

映画は、ヴェネチア映画祭で金獅子賞を受賞し、タルコフスキーの国際的な名声を一気に確立させた。


『鏡』 ( 1974ー75年)は、自伝的な要素を強くもち、親密な幻視の強度を有している。

伝えられるところでは、映画には実話でないエピソードが全くない。

それゆえに、『鏡』はタルコフスキーの最も個人的な作品であり、特にロシアでは、(その主観主義のために)厳しい批判にさらされることになった。

しかしながら、幼年期を描出するその驚異的な手法と、子どもの、魔法のような世界観は、タルコフスキーの全作品に横溢する暗示的な技法を理解する鍵を我々に提供している。
ttp://homepage.mac.com/satokk/petergreen.html
メンテ

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タルコフスキーが伝えたかった事 ( No.7 )
日時: 2022/05/17 05:48
名前: スメラ尊 ID:Gjda1JhU

タルコフスキーが伝えたかった事


Andrey, what is art?
http://www.youtube.com/watch?v=7Me--xHG-mQ&feature=related

Tarkovsky on Art
http://www.youtube.com/watch?v=V27XlEDLdtE&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=aedXnLpKBCw&feature=related


Tarkovski interview
http://www.youtube.com/watch?v=gy1DpCOON6Q&feature=related
ttp://www.youtube.com/watch?v=2MoVQr1t8kU&feature=related

The Law of Life Tarkovsky
http://www.youtube.com/watch?v=ueDsS48uZaY&feature=related


象徴について ―隠喩で自己表現するのが私の好みです―

私たちは詩的媒介か描写的媒体によって、自分をとりまく世界に関する情緒を表出することが出来ます。

隠喩で自分を表出するのが私の好みです。

力説しておきましょう、隠喩で、です。

象徴によってではありません。

象徴はその内部に、明らかな意味を、ある種の知的な公式を、含んでいます。

それに対して、隠喩はイメージです。

それが表象する世界と同じ際だった特徴を保持するイメージです。

イメージは―象徴とはちがって―意味は定かでありません。

輪郭の定かな、限定された道具を用いることによって、無限定の世界を語ることは出来ません。

象徴を構成する公式は分析出来ますが、隠喩は自己完結した存在なのです。
それ自体で独立した一項式です。

それに触れようとした途端に、隠喩は砕けてしまいます。(1983年5月12日)


―小鳥は邪悪な人の元には来ない―

私の意見では、映像は象徴ではありえない。

映像が象徴に変換されると必ず、思念はいわば壁で閉ざされ、十分に謎解きをすることができる。

ところが映像はそういうものじゃない。

象徴はまだ映像になっていない。

映像は説明できないけど、映像は真実をくまなく表出する。

その意味は知られざるままだ。

『鏡』の少年の頭にとまる小鳥は何を意味するのかと訊かれたことがあります。

しかし説明しようと努力すれば必ず、何もかもが意味を失うことに私は気づきます。

本来の意図と全く異なる意味を獲得して、正当な場から移動してしまう。

小鳥は邪悪な人の元には来ないとだけは言えるけど、それではまだ足りない。

真実の映像は抽出されたものであり、説明することは出来ない。

それは真実を伝達するだけであり、自分のハートに問いかけてはじめて、それを包括理解することが出来るのです。

そのために、作品の知的意義を利用することから、芸術作品を分析することは不可能です。
(1976年)

―芸術的な映像を解読することは出来ません―


私は象徴の敵です。

象徴は、読み解かれるために存在するという意味で、私には狭すぎる概念です。

それに対して、芸術的なイメージは読み解くことが出来ません。

芸術的なイメージは私たちを取り巻く世界と等価なのです。

『ソラリス』の雨は象徴ではありません。

特定の瞬間に主人公にとって特定の意義を持つ雨にすぎません。

しかし何かの象徴ではありません。

それは表出するだけです。

この雨は芸術的な映像です。

私にとって象徴は複雑すぎるものなのです。(1984年)


―人は、尋常な手段では把握できない諸力を表出することがある―

私の映画で、あれはどういう意味なのか、これはどういう意味なのかとしょっちゅう訊かれます。

我慢できないですよ! 

芸術家は自分の意図をいちいち説明する必要はないんです。

私は自分の作品について深く考えたことなんかないですよ。

私の象徴が何を意味するのか、私は知らない。

私は観客に、感情を、何らかの感情を誘発したいと願っているだけです。

誰もが、私の映画に「隠された」意味を見つけようと努力していますがね。

しかし、自分の考えを隠そうと努力しながら映画を作るのは妙じゃあないですか。
私のイメージは、イメージのままです、それを越えた何かを意味するわけではありません…

私たちは自分のことをそれほど知っているわけじゃないでしょ―
時折私たちは、通常の手段では把握できない諸力を表出するものなのです。(1984年)

―1日の間に起きた出来事を、ひとつひとつ、全部思い出して、スクリーンに映し出すなら、その結果はとても神秘的なものになるでしょう―


私の映画の神秘的な要素? 

スクリーンに映ったものは何でもすぐに理解できるべきだと誰もが思っているみたいですね。

私の意見では、私たちの日常生活の出来事のほうがスクリーン上に目撃できるものよりずっと神秘的です。

人生のたった一日の間に起きた出来事を、ひとつひとつ、全部思い出そうとしてそれを全部スクリーンに映し出すなら、その結果は私の映画[『ストーカー』]よりも百倍も神秘的になるでしょう。

観客はどうしようもなく単純なドラマに慣れてしまった。

実在の瞬間、真実の瞬間が銀幕に出現すると必ず、「訳がわからん」と叫ぶ声が聞こえるのです。

多くの人が『ストーカー』をSF映画だと思っています。

しかしこの映画はファンタジーに基づくものではなく、フィルムに定着されたリアリズムなのです。

その内実を3人の人物の人生の1日を記録したものとして、受容するようにしてみてください。

そのようなレベルでこの映画を見るようにしてください。

そうすれば複雑なもの、神秘的なもの、象徴的なものは何もないとお分かりになるでしょう。(1981年)
ttp://homepage.mac.com/satokk/about_symbol.html


映画監督の仕事に関して


私は、自分で書いていない脚本に基づく映画作りが想像できない。

他人の脚本に全面的に基づいた映画をつくる監督は、必然的にイラストレーターになるのだ。[…]

脚本というときそれが何を指すのか、脚本家という言葉そのものが何を指すのか、もっと詳しく説明してみよう。

「プロの脚本家」は存在するが、私に言わせれば実はそんなものは存在しない。
そういう人は映画をよく理解した作家になるか、(文学的素材を自分で組み立てる能力を発揮して)自分自身が映画監督になるべきだ。

なぜなら、脚本というような文学ジャンルは存在しないからだ。


今や私たちはジレンマに直面している。

脚本を準備しながら、監督が、映画に固定すべき具体的な時間群として自分が想像したものだけを、出来事とエピソードの形式で書き留めようと決心したとしよう。

文学作品と見なすなら、そういう脚本は、きまぐれな読者だけでなく、映画の仕事に関わるものには、無縁のものであり、理解不可能であり、まったく訳がわからないだろう。
また一方で、脚本家が自分の独自の考えを作家のように文学的形式で表出するなら、彼の作品はもはや脚本ではないだろう。

それは、たとえば、タイプされた70ページのストーリーになり、文学作品になる。
脚本家が撮影台本も準備しているなら、彼はカメラまで歩いていき、自分で映画を撮った方がいいだろう。

彼以外の誰も作品のヴィジョンを持っていないからだ。

彼以上によい仕事をどんな監督もすることができないだろうからだ。


だから、非常にすぐれた「映画らしい」脚本を与えられたなら、それを引き受けた監督は、やることが何もないだろう。

そして文学作品の形式で脚本が提供されるなら、監督はすべてを一から始めざるを得ないだろう。

監督が脚本に取り組みはじめると必ず、脚本は変わりはじめる。

どれほど深く、細部が出来上がった脚本であろうとも、そうだ。

監督は、脚本の鏡像、正確な逐語訳である映画を生み出すことは決してないだろう。
必ずある種の変形が生じるだろう。

だから、監督と脚本家の協働は、一般に闘いとなり、妥協を探ることになるのだ。
このようにしてよい映画を作ることは不可能ではない。

たとえ、準備段階で元々のアイデアがダメになって、監督と脚本家が古い「がらくた」に基づいて新たな概念を構築せざるをえなくなったとしてもである。


そうは言っても、映画作りで最も自然な流れは、アイデアを壊して変形させる必要がなく、その代わりに有機的にアイデアを展開させていくことである。

監督が自分で脚本を書く場合や、別の流れの時のように…脚本を書いたものが自分で映画を撮ろうと決心したときのように。[…]
手っ取り早く言うと、監督にとって唯一のよい脚本家とはよい「作家」であると私は思う。


________________________________________


ノート

タルコフスキーが『ソラリス』でレムの原作を大幅に変えてしまったこと、『ストーカー』でもまたストルガツキー兄弟と衝突してしまったことを、思い出すなら、この発言はさらに興味深いものになる。

まあ、こんなことを信条としているから、大騒ぎを引き起こすのだ。

映画になってしまうと、それはまさしくタルコフスキーの映画であり、原作を読んだから映画の理解が深まるというものではない。

タルコフスキーの映画はいつも自立している。

だから彼自身が自作に、特に『鏡』に新たなアプローチで言及することを楽しんだのだ。
ttp://homepage.mac.com/satokk/directing.html


オルガ・スルコワ:タルコフスキー・インタビュー

映画は、劇場とちがって…


俳優にとって、映画は生そのもののようなものであるべきだ:

映画は、謎、秘密、神秘であるべきなのだ

私の場合、劇場より映画のほうがやりやすい。

映画の場合、全責任が私ひとりにあります。

劇場の場合、俳優の責任が大幅に増すことになる。

俳優がセットに到着しても、俳優が監督のアイデアと意図を一から十まで知っておく必要は全くない。自分で自分の役をつくり出すと、まずいことすらある。

映画俳優は、監督が準備するさまざまな状況下で、自発的に直観的に行動すべきなのです。

監督の役割は、俳優を適切な精神状態に持ち込んで、俳優が完全に信じていられるように後ろ盾をしてやるように、気を遣うことだ。

やりかたにはいろいろなやり方がありえる。俳優のタイプにもよる。

役者を教導して、シミュレーション不可能な心理状態に持ち込むことが必要なのです。
このように、映画監督の役割は、役者が銀幕上で実存的な真実を表出するように、取りはからうことなのです。

カメラレンズの前で、俳優は真実で自発的な状態でいなければならない。
俳優は現存しなければならない。
高度に自然な様態で現存しなければならない。

それ以外で、監督がなすべき仕事は、映画の素材を実際に編集することだけなのです。
その素材は、カメラの前で実際に起きたことの単なるコピーです。

芸術映画のカテゴリーにとどまりながら、俳優のなまの存在が提供するように思われる観客との接触のレヴェルに達するのは不可能である。

それこそ、劇場のカテゴリーにおいて、きわめて魅力的な特徴なんですがね。

というわけで、映画は芝居の代わりにはならない。

この誤解は数年前には流行りましたね。

劇場は観客と舞台の間にこのような親密で直接的な関連を可能にするという…
映画は、無限の回数にわたって、時間のまさに同じ瞬間を、再創造する能力のお陰で存在する。

映画の本性がノスタルギアなのである。

劇場では、すべてが進歩する。生きて、動いていく。

劇場は、人間の創造する欲求を実現させるもう1つの方法なのだ。

映画監督は多くの点で収集家に似ています。
その愛着の対象ー映像ーは生そのものです。

彼にとってー親密な細部、部分、断片の膨大な量の中で永遠に凍り付いた生そのものです。

俳優がいようがいまいが、状況は変わりません…


バレットが言うように、劇場俳優は、雪を素材にする彫刻家になぞらえることが出来る。

俳優が肉体的に存在し、身体と魂において生きている限り、その間だけは芝居が現存する。

俳優がいなければ、劇場は存在しない。


劇場では、役者のひとりひとりが個人で、最初から最後まで、役の全部を造形して、芝居の全体の理念と文脈に対応して、自分の情緒をかたどらなければならない。

ところが、映画では、俳優が自分の知的能力を使って役を作りあげることを避けることが肝要だ。

その代わり、俳優の唯一の課題は、生そのものに私たちを接近させることだ。
つまり、俳優の仕事は、純粋であること、真実であること、自然であることなのだ。
それ以上でも、それ以下でもない。

映画を撮るとき、私は俳優と出来るだけ話をしないようにする。

俳優自身が自分の個々のシーンを全体との流れでやろうとするのに、私は強く抵抗します。

時には、直前のシーン、あるいはその直後のシーンとの関連でも、ダメです。


例を挙げましょう。『鏡』の最初のシーンで、主演女優がフェンスに腰を下ろして夫を待ちながら煙草を吸うシーンでも、主役を演じたマルガリータ・テレホワが脚本の細部を知らないことを私は望みました。

つまり、夫が最後のシーンで帰ってくるのか、永久に去ってしまったのか、彼女は知らなかったのです。彼女が演じている女性がかつて、人生の未来の出来事を何も知らずに、存在していたのと同じ様態で、彼女にもその瞬間に存在していてほしいという思惑があって、なされたのでした。

もし女優が主役の亭主が二度と帰ってこないと知っていたら、状況の絶望ぶりを演技で前もって表出させていたことは間違いありません。

あるレヴェルで、たとえ潜在意識でなしたとはいえ、私たちはそれを察知したことでしょう。

これから起きることを自分が知っていることを、それに対する自分の態度を露わにしたことでしょう。そういう細部の知識は大きなスクリーンでは確かに隠しようがないからです。

この場面では、そういう細部を未熟なかたちでばらさないことが絶対に肝要でした。だから、実生活で経験するのとまさに同じやり方でこの瞬間を経験することがテレホワには必要だったのです。

彼女はこのように、希望をいだき、不信に陥り、また希望を取り戻すのです。「解決のマニュアル」に触れることはありません。

与えられた状況という枠組みの中でーこの場合、枠組みは夫の帰りを待つことにあるのですがー彼女は自分自身の個人的な生の何か秘密の一片によって生きざるをえなくなった。

幸運なことに私はそれについて何も知りませんがね。

映画芸術で最も重要なことは、俳優がその俳優に完璧に自然なやり方である状況を表出することです。つまり、その俳優の肉体的な、心理的な、情緒的なそして知的な性格に照応した様態で、ある状況を表出することです。

俳優がどのようにその状況を表出するかは、私とはまるっきり無関係です。
別の言い方をしましょう、私には俳優に何か特定のかたちを強制する権利はありません。

結局、私たちは皆、自分の完全に独自のやり方で同じ状況を経験しているのです。
この例外的な表出力こそ、比類ないものであり、映画俳優の最も重要な側面なのです。

俳優を正しい状態に置くために、監督は自分の内面でこの状態を明確に感知できなければなりません。このようにしてのみ、当面のシーンの正確な調子を見つけだすことが出来るのです。

例えば、よく知らない家に入って、前もってリハーサルしておいたシーンを撮影するのは不可能です。知らない人たちの住居になっている馴染みのない家は、私のキャストに何も意思疎通することが出来ないのは、言うまでもありません。

人間の経験可能で正確な状態こそ、映画の個々の特定のシーンで目指すべき核心的でかつ完全に具体的な目標なのです…

テイクの雰囲気を決定する魂の状態、監督が俳優に伝えたいと思う主なイントネーション、これこそ大切なのです。

俳優はもちろん、自分自身の方法を持っていなければいけません。

例えば、すでに触れたように、マルガリータ・テレホワは脚本の全体像を知らなかった。

彼女は自分自身の断片化された部分を演じただけでした。
出来事の帰結や自分自身の役のコンテクストを私が明かすつもりがないと探り当てたとき、彼女はひどく困惑しました…

まさしく、このようにして彼女が直観的に演じられた部分のモザイクを生み出し、それを後に私が全体像にまとめ上げたのです。

くり返しくり返し、私が役を把握しているということを完全に信頼することの出来ない俳優たちに出会ってきました。

何らかの理由で干渉を止めることができなかったのです。
彼らは私のアプローチをプロらしくないと思っていたのです。

そういう場合、私は彼らこそプロの俳優らしくないと思ってきました。

私の意見では、プロの俳優は容易にかつ自然に、目に見える努力も見せずに、どんなときでも、どんな指示でも受け容れて、あらゆる即興的な状況のなかで、個々の反応において自発的であることが出来なければなりません。


私も、そのタイプの俳優と仕事したいですね。
私に言わせると、それ以外の俳優は、型にはまった演技しかしない。

ルネ・クレールが俳優とどのように仕事をするのかと訊かれたことがありました。
自分は俳優と仕事をしない、ギャラを払うだけだと彼は答えました。

この逆説的で刺激的な考え方は、監督と映画俳優の間に存在する独特の関係に深い根を張ったものです。この名高いフランスの監督の言葉に含まれるように思われるシニシズムには、俳優という職業に対する深い敬意が隠されています。

ここには有能なプロに対する深い信頼が表明されています。
監督は、俳優にあまり向いていない類の人とだけ、仕事をすべきなのです。

しかし、アントニオーニの『情事』の俳優たちとの仕事、フェリーニとベルイマンの俳優たちとの仕事ぶり、オーソン・ウェルズの『市民ケーン』の仕事ぶりについて、何が言えるでしょうか? 

彼らは全然仕事をしているようには見えません。

登場人物に関して独特の真実さを感じるだけです。

しかしこれは、質的に異なる、映画だけに言える、真実さなのです。

原則として、言葉の演劇的な意味での表現力とは区別しなければいけません。

映画俳優は、無垢でナイーヴな性格の持ち主でなければいけません。

誠実で率直でなければなりません。
無用な思慮にふけるべきではありません。
むしろ単純に信頼を寄せるべきなのです…

自分の役のことを、映画での自分の役割とその全体の出来映えを、ああだこうだと考え始めると途端に、ー私の考えではー最も大切で最も根本的なものを失ってしまいます。
監督でも、自分の探り当てようとしているものを正確に知っている監督でも、前もって結果を知っているわけではないのです。

分析的で、理詰めの傾向のある俳優が脚本の全体を知ると、最終的な映画を知っていると思ってしまう。少なくとも、映画の最終的な姿を必死で想像しようとする。
まるで、それが演劇作品であって、劇場の役をリハーサルし始めたのだと勘違いしてしまう。

ここで、最初の間違いを犯しているのです。


映画がどうなるべきが自分には分かっていると信じる俳優は、役に対する自分の考えに型を与え始めます。

そうなると、映画の全体がひどいことになる。
望もうと望むまいと、演技で、映画そのものの理念と映画芸術をダメにしてしまうのです。

すでに指摘したように、俳優によってやり方が変わってきます。

時には、同じ俳優でもケースによっては別の方法が必要です。

ここで、監督は望ましい結果に到達する試みで創意工夫が出来なければいけません。
こうやって話していると、『アンドレイ・ルブリョフ』で鐘職人の息子ボリースカを演じたニコライ・ブルリャーエフのことを思い出します。

撮影中私は助監督にしょっちゅう、彼に私は彼の演技に大いに不満で、別の俳優で撮り直さなければいけないかもしれないと言わせてました。

私は、彼に災厄が待ち受けているという感触を植え付けて、彼が不安な気持ちにさいなまれるようにする必要があったのです。

俳優として、ブルリャーエフはひどく集中力に欠けていてわざとらしい。
彼の場合、この映画で私が望んだ結果を得るのに私が成功したとは思えない。
結局、彼はあの映画に出演した私のお気に入りの俳優の演技レベルに達していない。
イルマ・ラウシュ、ソロニーツィン、グリンコ…

言いたいことを明確にするために、ベルイマンの映画『恥』を考察しましょう。
あの映画には俳優が監督の理念を「暴露する」エピソードはほぼ1つも存在していません。

監督の理念は、登場人物が生活を生きるその背後にすっかり隠れて、その中に溶けこんでいます。

俳優たちはこうした状況と完全に一致した演技をしています。

現在に対して何らかの理念を浮かび上がらせようとしたり、何らかの態度を示したりはしません。

こうした人々を善人か悪人かであっさり片づけることは出来ない。無理です。
ずいぶん深く、複雑なものです。

実生活と同じくらいに、そうです。
例えば、主役(フォン・シドー)が悪人だと、私はカテゴリー的に主張することはない。

たぶん全員が善人であり悪人の両方なのです。しかしそれは重要なことではない。


一番大切なことは、俳優にいかなる偏見の暗示も存在させない、そして監督が人間の選択の多様性を探求するために状況を利用するということです。
アプリオリに先取りされた何らかの理念を単に例証するだけではダメです。

マックス・フォン・シドーの見事な役の描き方に注目してください。

非常に繊細な人間、立派で優しい心根の音楽家をめぐって描かれます。
しばらくすると、彼が実は惨めな臆病者だということが明らかになります。

現実ではこういうことがありえるのですが、勇敢な人間が必ずしも善人でない、臆病者が必ずしも悪人でないということを忘れないでください。
そうです。彼は弱い性格です。妻のほうが彼よりもずっと強い。
妻もまた恐れていますがね。


彼女の強さは、困難を克服するのに充分です。
マックス・フォン・シドー演じる主人公は弱くて傷つきやすいために苦しみます。
そして困難を耐え抜くことが出来ない。

彼はあらゆる手段で困難を避けようとする。逃げ出そうとする。
自分の手でそこから身を守ろうとするーしかしナイーブに愚直に…

生きるために自分と妻を守らざるを得なくなると、彼はあっと言う間にイヤな奴になる。

かつては存在していた善良さを失ってしまい、それと同時に、この新しい特徴が彼の妻には必要なものになってしまう。
妻は保護と救済を夫に頼るようになる。
以前は夫を軽蔑していたというのに、そうなってしまう。

夫は妻の顔を殴打し、出て行けとわめくが、妻は夫にすがりつく。
「悪は積極的で、善は消極的だ」という古い諺の陰にある叡知が目に見えはじめます。

しかし、なんと複雑なやりかたでこれが表現されているのでしょう! 

最初、ベルイマンの主人公は鶏の首をはねることすら出来ない。
しかし自己防衛の手段を見いだすや否や、彼は残酷な冷笑家になる。
何も恐れない。ひたすら行動し、殺し、仲間の人間を助けるために指一本動かさない。

そういう暴虐に直面して嫌悪と戦慄を感じるためには高潔な人間でなければならないという事実を、私たちは話しているのです。

人間がこの戦慄を喪失すると、彼は自分の精神性を、自分の精神的な能力を喪失してしまう。

この場合、これらの人々にこの種の憎悪を引き起こしたのが戦争でした。
戦争は、彼の人間観を伝えるためにベルイマンが利用した装置になったのです。

ベルイマンの別の映画『鏡の中にある如く』で、この同じ役を果たすのが病気です。
俳優の役割を論じる私たちのディスカッションとこれを結びつけるために、私は次の事実を指摘したいと思います。

ベルイマンは、登場人物が投げ込まれた状況を俳優が「超越する」ことは決して許さないのです。

これは非常に重要です。

映画芸術では監督が、俳優に生命を吹き込まなければいけないー俳優を自分の思想を喧伝するメガフォンに変えてはいけない…

映画の観客にとって、映画のフレームの中で登場人物に起きていることは闇に包まれている。

人間のひとりひとりが壮麗な秘密のままであるーそれは実生活と同じですー
一般に探究しつくすことは決してありえない秘密なのです。

ところが、劇場では、儀礼そのもの、舞台の芝居、その背後にある理念こそ、その最終的表出において、無限に魅力的で、包括理解不可能な秘密であり続けなければならないのです。

劇場では、演出家自身の理念がキャストの演技の土台にあります。

映画では、演技の基礎は隠されていなければならない。

映画芸術は人間の生を反映するからです。

言うまでもなく、それはまず理解不可能なものなのです。

劇場の俳優は、知的に構築された儀礼で機能を満たします。

演出家の思念は役を演じる人間が舞台に目に見えて存在することによって伝えられます。

映画の場合、時間に固定された瞬間のひとつひとつが、実生活の最奥の存在の本質そのものを、いくらかなりとも、含んでいなければなりません。

映画術の逆説がまさにここにありますね、生きた魂が冷たく機械的な鏡に再構築されるという…
ttp://homepage.mac.com/satokk/surkowa.html

映画との出会い

映画が自分にぴったりだと最初から知っている映画監督もいる。
私には疑問点があった。あまり好みというわけではなかった。

技術的に大きな利点があることは分かっていたが、映画が詩や音楽や文学のような立派な表現手段だとは理解していなかった。

『僕の村は戦場だった』を撮った後も、私は監督の役割を理解していなかった。
もっと後になって、私は映画が霊的な本質を成就する可能性を与えてくれることを悟ったのだった。

映画について

映画は、2つの異なるタイプの映画を作る2つのタイプの監督に基づいている。
自分の生きている世界を模倣する監督と、自分自身の世界を創造する監督ー映画詩人だ。

そして、映画詩人だけが映画史に残ると私は信じている。
ブレッソン、ドヴジェンコ、溝口、ベルイマン、ブニュエル、黒澤のように。

時間について


映画は時間という概念の中で動く唯一の芸術だと私は思う。
映画が時間とともに展開するからではない。

そういう意味なら他の芸術形式もある。バレエ、音楽、芝居がそうだ。
私が言うのは、文字どおりの「時間」という意味だ。
「アクション」と声をかけた瞬間から「カット」という瞬間までの、テイクとは何か。
実在、時間の本質を固定することだ。

永遠に巻いては巻きなおすのを許す時間の保存手段だ。
他の芸術形式ではそれが出来ない。
だから、映画は時間で出来たモザイクなのだ。

水について

私の映画には必ず水がある。
私は水が好きだ、特にせせらぎが好きだ。

海は大きすぎる。
怖いのではない。海は単調なのだ。

自然の中で、私は小さなものが好きだ。
マクロコスモスでなく、ミクロコスモス。

限られた表面。私は、日本人の自然観を愛する。
日本人は無限を反映した限られた空間に集中している。

水はその単一構造のために神秘的な要素である。
それに映画にぴったりなのだ。
水は動き、深さ、変化を伝える。水ほど美しいものはない。

色彩について

カラー映画はその黎明期にはリアリスティックに思えたが、今では袋小路に入ってしまった。

カラー映画は大きな間違いだ。

すべての芸術形式は真実を目ざし、それゆえに一般化、モデル理念を求める。

しかし生における真実は芸術における真実に照応していない。
色彩は私たちの外的な世界の生理学的かつ心理学的知覚の一部である。
私たちは色のある世界に生きているが、何かが色を意識させない限り、色に気づかない。

私たちは、この色のある世界を見ながら、色彩のことは考えない。
しかしカラーシーンを撮るとき、私たちは色彩を組織して、クロースアップでフレームに閉じこめて、それを観客に強制する。

私たちは観客にそういう絵はがきを何千枚何万枚と与えるのだ。

私にとって、モノクロのほうがカラーより表現力があり、リアリスティックだ。
なぜなら白黒は、観客の気を散らさず、映画の本質に集中できるようにするからだ。
カラーは映画芸術を嘘くさく、真実味をなくさせたと私は思う。


職業として、生き方としての映画作り

私は映画を創作するのを楽しむ。
スクリプトを書き、シーンを創造し、ロケ地を探す。

しかし撮影は面白くない。
いったんすべてを考えつくすと、実際に映画に仕立て上げる必要があるが、それは退屈だ。

私は自分の人生を映画と区別したことがない。
私はいつも重大な選択をせざるをえなかった。

多くの監督の作品は、自分の生き方と違う理念を表出している。
つまり、彼らは自分の良心を分裂させることができるのだ。
私にはそれができない。

私にとって映画は単なる仕事でない。映画は私の命だ。

観客について

私は観客の態度を気にしたことがない。

観客におもねるのは難しい。
役に立たないし不愉快なことだ。

映画の未来の成功を予言しようとする人もいるが、私はその手の輩ではない。観客に対する最良の態度は、自分自身であり続けることだ。
彼らが理解するような個人的な言葉を使うことだ。

詩人と作家は好かれようとはしない。
彼らはどうやれば読者が気に入るのか、知らない。
しかし、彼らは大衆が自分を受け入れるだろうと知っているのだ。
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タルコフスキーは語る 空中浮揚について

なぜ私はよく、空中浮揚のシーンを、浮き上がった身体のシーンを含めるのか? 

そのシーンが大きな力をもつからにすぎない。
このようにして、より映画的な、より映像的なものが創造できるのだ。

この観点から水が非常に重要になる。

水は生きている。深みがあり、動き、変化し、鏡のように反射し、私たちを溺れさせることも出来るし、私たちが飲むこともできるし、水で何かを洗うことも出来る、といったように…

また、水が不可分の実体であること、モナドであることは今さら言うまでもあるまい。

それと同じように、人が空中で浮揚しているのを想像するとき、私はそれが好きだ…
何か意味があると私は信じる。

少し頭の足りない人が私に、この前の映画でなぜ空中に浮かんでいる人々がいるのかと訊くなら、「魔法です」と答えるだろう。

もし同じ質問がもっと洗練された人から、詩的な感受性を備えた人から来るなら、アレクサンデルとマリアにとって愛は『ベッティー』の作者が考えているものと同じものではないのだと答えるでしょう。

私にとって、愛は相互理解の究極的な開示なのだ。
だから性交行為で示すことは出来ない。

映画に「愛」がなければ、それは検閲が原因だと、だれもが言う。
実は、スクリーンに映されているのは「愛」ではなく、「性行為」なのだ。

人間ひとりひとりにとって、それぞれのカップルにとって、性行為は個別のものなのだ。

それをスクリーンに映すと、状況は逆になってしまう。

「フランス・カトリック」1986年6月20日のインタビューから
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自分をベルイマンと比較すると

私とベルイマンとの違いはこうだ。

私にとって神はもの言わぬ存在ではない。

あのスウェーデン監督の映画のオーラが『サクリファイス』に存在すると主張する人たちの意見に、私は全面的に反対する。

ベルイマンが神を語るとき、彼は沈黙する神、私たちと共にいない神の文脈で、そうするのだ。

だから私たちには共通点が何もない。ちょうど正反対なのだ。


主役の俳優がベルイマンとも仕事をしているとか、私の映画に残った風景を根拠にして、皮相な意見が提出されている。

そういう主張をする人たちはベルイマンのことを何も理解していないのだ。
実存主義とは何かを知らないのだ。

ベルイマンは宗教の問題より、キルケゴールに身近な存在なのだ。
(1986年6月20日のインタヴューから)


映画の音楽に関して

明らかに、音楽は私にとって非常に重要である。
重要なのは、私が撮影できた映像だけではない。

この映像のために、私はまさにバッハのこの抜粋が必要なのだ。
これが見つからなかったら、他のものでは代わりにならないし、第一に、あの映像を撮影しないだろう。このスウェーデンで私は、私に心躍る影響を及ぼした素晴らしい民俗音楽を発見しました。

この音楽を中心にして、私の新作の全素材が組織されます。

この音楽はフィルムに、伴奏として入るのではなく、情緒的な織物として入ることになります。
これもまた、いつものことですが。


音楽はフィルムと競います。

音楽は映画の有機的な要素になりえますが、映像を制御することも出来るのです。
これは深刻な問題です! 

音楽のないシーンは完全な別物です。
シーンは挿入される音楽で変わります。

純粋な映画は音楽なしで何とか出来るはずですが、それは全くの理論です。
音楽は映画の有機的な一部だからです。

音楽はシーンを説明する形式にとどまるものではないのです。(1987年発表のインタヴューから)


詩人について

詩とは何か。
詩は、世界を表現する、世界を思索する高度に独創的な様式です。

一般に人は、普遍的な世界観を表出することが出来ません。
そんなことは不可能です。

彼のヴィジョンはいつも断片的なものにとどまるでしょう。
詩人は、普遍的なメッセージを送り出すために一個のイメージを利用することの出来る人です。

ある人が、もうひとりの人のそばを通ります。
その人に視線を送ることは出来ますが、目に見ることは出来ません。
別の人が同じ人を見て、突然微笑みます。

はじめて見かける人が彼に連想の爆発を引き起こしたからです。
芸術の場合も似たようなものです。

詩人は小さな断片を出発点として、それを首尾一貫した総体に変えるのです。
この過程を退屈だと見なす人もいます。

そういう人は、重箱の隅をほじくるように、何もかもを知りたがる人です。
税理士や弁護士みたいにね。

ところが、詩人には、靴下の穴から飛び出した親指を見せればいいのです。
彼に全世界の映像を生み出すのにはそれで充分です。(1984年のインタヴューから)


『サクリファイス』を含む後期の作品について

『サクリファイス』からシークェンスを選び出して、舞台脚本が出来ないか、ですって? 

出来るかも知れませんが、別の2作、『ソラリス』と『ストーカー』のほうがもっと適していると思いますね。ただし、そういう戯曲は、もったいぶって、弱いものになるでしょう。

私にはフィルムであるということが重要なのです。

なぜなら映画は観客の時間とリズムを勘定に入れていないからです。

フィルムはそれ自身のリズムと時間を持っています。
映画を舞台に脚色すると、映画の内側に含まれた時間というこの非常に重要な問題が無視されるのです。

そういう脚本は成功しませんね。


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私は何であれ偶然に任せるのは嫌いです。

最も詩的な映像すら、最も無垢な映像すら、偶然には出現しません。

『サクリファイス』は私にとって最も首尾一貫した自作です。
この首尾一貫性の感覚は、人を狂気の淵にまで追いやることができます。
そういう意味で『サクリファイス』は私の初期のフィルムとは比較できません。


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現代人の世界に対する私の洞察という視点から考察すると、『サクリファイス』は私の他のフィルムより優れています。

しかし、芸術的な、詩的な創造としては、『サクリファイス』より『ノスタルギア』のほうを私は高く評価します。

『ノスタルギア』はなにものにも支えられていません。

それ自身の詩的な映像によってのみ存在しています。
それに対して『サクリファイス』は古典的なドラマツルギーに基づいています。
だから私は『ノスタルギア』のほうを身近に感じるのです。(1986年)

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1982年9月9日にチェントロ・パラティーノで開催された「映画泥棒ー国際的陰謀」会議で、タルコフスキーは自らの理念を披露した。

彼は『七人の侍』『少女ムシェット』『ナサリン』『夜』のクリップを映した。

彼に影響を及ぼしたのではなく、彼に最も決定的な印象を刻印した映画である。

以下は彼の話のあらましである。


アンドレイ・タルコフスキー:

「影響、何か流れ込んできたもの、すなわち相互活動の問題は複雑です。

映画は真空では存在しません。

つまり共に働く仲間がいて、その影響は避けられない。

それでは影響、流れ込んできたものとは何でしょうか。

自分の働く環境や共同する人々の選択は、芸術家にとって、レストランで料理を選ぶようなものです。

黒澤、溝口、ブレッソン、ブニュエル、ベルイマンそしてアントニオーニが私の仕事に与えた影響について申し上げますと、『模倣』という意味では何ら影響はありません。

つまり私の観点からは、そんなことは不可能です。

何故なら、模倣は映画の目指すものとは何ら関係ないからです。

自己を表現する自分の言語は自分で発見しなければならないのです。

ですから、私にとって、流れ込んできたものというのは、私が賛嘆し高く評価する人々と共にいるという意味なのです。」


「もしフレーミングやシークェンスに他の監督の反響があると気付いたら、そのシーンは避け修正するように努めています。

こんなことはめったに起きないのですが、『鏡』から例を引きましょう。

私は主人公が室内にいてその母が隣の部屋にいるフレームを採りました。

二女性のクロースアップです。

パノラマショットで、女が鏡を見ながらイヤリングをつけてみて、母もまた鏡を覗き込んでいます。

実際シーン全体は鏡に映ったかのように撮られています。

ところが、実は鏡は存在せずに、女性はキャメラを直に見ているだけなのです。

つまり鏡がある錯覚がある。

この類いのシーンはベルイマンにそっくりのものがありうると気が付きました。

けれども、やはり、そのままで、私の同僚ベルイマンに謝意を表明し、肯定する証として撮ることに決めました。


「このリストにドブジェンコも追加しなければなりませんが、これまでに挙げた監督がいなければ、映画は存在していないことでしょう。

誰もが自分のオリジナルの様式を当然探していますが、もしこれらの監督がコンテクストや背景を与えてくれなかったなら、映画はいわゆる同じ映画にはならないでしょう。

現在多くの映画作家が非常に厳しい時代を経験しているようです。

イタリアの映画は窮地に落ちています。

私のイタリアの同僚たちは、私は映画で最も名声のある監督の幾人かについて語っているわけですが、イタリア映画はもはや存在しないと言いました。

もちろん、映画の観客がこの主な原因です。

久しく映画は大衆の趣味を追ってきましたが、今や大衆はあるタイプの映画は見たくないのです。

実際なかなか良いものなのに、敬遠するのです。


「映画監督の範疇には基本的に二つあります。

一つは、自分が生きている世界の模倣を求める人々で出来ています。

もう一つは自己の世界の創造を求める人々で出来ています。

第2の範疇には幾多の映画詩人が含まれます。ブレッソン、ドブジェンコ、溝口、ベルイマン、ブニュエル、黒澤という映画史上最も大切な人たちです。

これらの映画作家の作品の配給は難しい。

その作品は作家の内的霊感を反映しているので、これが必ず大衆の趣味とぶつかるのです。

映画作家が観客に理解されたくないという意味ではありません。

そうではなくむしろ作家自身が観客の、観客も気付いていないような内的感情を捕らえ理解しようとしていると言った方がよいでしょう。


「映画の直面している現在の苦境にもかかわらず、映画は芸術形態であり続けます。

芸術形態の一つ一つが個別のもので、他の芸術形態の本質に含まれない内実を担っています。

例えば、写真は、カル ティエ=ブレッソンの天才が実証しているように、芸術形態になれますが、写真は絵画になぞらえることは出来ません。

何故ならば絵画と競合しているわけではないからです。

映画作家が自問しなければならない問いは、何が映画を他の芸術と区別するのか、ということです。

私にとって映画は時間の領域を包括する点で、他に見られない独創的なものです。

音楽や芝居やバレエのように、時間の中で生起するという意味ではありません。

文字どおりの意味での時間です。

フレームとか、「アクション」と「カット」の間のインターヴァルは一体何でしょうか。

映画は時間の観点で実在を固定します。

フィルムは時間を保持する手段なのです。

これほど時間を固定し停められる芸術形態は他にありません。

フィルムは時間で出来たモザイクです。

そのためにはもろもろの要素を集約する必要があります。

3、4人の監督やカメラマンが1時間同じものを撮影したと想像して下さい。

一人一人独自の映像になるはずです。

結局出来上がるのは、3つか4つ全く異なるタイプのフィルムです。

なぜなら、一人一人がこれは捨て、あれは残してと選択して自分のフィルムを作るからです。

そうして、映画に関わる時間を固定する作業をしているにもかかわらず、監督は必ず自分のマテリアルを磨いて、それを通して自己の創造力を表現出来るのです。

「美意識の観点から言いますと、映画は今ひどい時代にあります。

カラーで撮影するのが、可能な限り実在に迫る手段だと考えられているのですから。

私はカラーは袋小路だと思っています。

あらゆる芸術形態は真理に到達して、一般化した形態を得るために苦闘しています。

色彩を使うのは人が実在世界をどのように知覚するのかと関係しています。

カラーであるシーンを撮影するのは、必然的に、フレームを有機的に構成し、このフレームに囲まれた世界の総ては色彩の中にあり、しかも観客にこの事実を自覚させねばならないという事なのです。

モノクロの利点は、その表現力が強烈で、観客の関心を脇にそらさないということです。


「カラー映画にもすぐれた表現様式の例があります。
でも今述べた問題に気付いている監督のたいていは、必ず白黒で撮影する努力をしています。

誰も、カラーフィルムで新しいパースペクティブを創造したり、白黒ほど効果的パースペクティブを作り出すのに成功したためしはないんです。

イタリア・ネオリアリズムが重要なのは、日常生活を掘り下げることによって映画に新境地を開いたという事実からだけではなくて、本質的に言うと、モノクロームでその探求がされたからでもあるのです。

人生の真理は必ずしも芸術の真理に照応していません。

だから今やカラーフィルムは純粋に商業的現象になりさがったのです。

映画は色彩を通して新たなヴィジョンを創造しようとする時代を通って来ましたが、結果は不毛です。

映画は体裁ばかり飾るものになってしまいました。

つまり、私が今見ているような映画は全然立場の違う人には全く違ったものになっているのです。

今ご覧に入れている映画のクリップは、私の心に一番近しいものを表象しています。

ある思考形態の実例であり、この思考がどのようにフィルムを通して表現されるかの実例です。


ブレッソンの『少女ムシェット』で少女が自殺を図るその様子は特に驚異的です。


『七人の侍』の一番若い侍が怖じけづくシークェンスで、黒澤がこの恐怖感をどうやって伝えているでしょう。

若者は草むらで震えていますが、身震いしている姿は目に見えません。

草むらと花々が震えている、揺れているんです。

ここは雨中の決戦です。

三船敏郎演ずる菊千代が死ぬとき、倒れた彼のその脚は泥に埋もれてします。

こうして私たちの目の真ん前で菊千代は死んでしまいます。

ブニュエルの『ナサリン』の、傷付いた娼婦がナサリンに助けられて、椀から水を飲む姿です。

アントニオーニの『夜』の最後のシークェンスは映画史上、ラブシーンが必然となり精神的行為の似姿を取った唯一のエピソードかもしれません。

肉体が相手の近くにあるのが大きな意味を秘めた独創的なシークェンスです。

2人ともお互いに対する感情は涸れ果てているのに、それでも相手の身近にいるのです。

ある友人が昔こう言いました。

夫と5年以上もいるなんてまるで近親相姦よ。

2人がお互いの近くから逃れる出口はありません。

お互いがまるで死に瀕しているかのように、死に物狂いで相手を救おうとしている姿です。


「撮影を始めるときは必ず、『私の仲間』と思っている監督のフィルムを見ます。

模倣するためではなく、彼らの醸し出す雰囲気を味わうためにです。

今お見せしているクリップがみんなモノクロームなのも偶然ではありません。

監督が自分に身近なものを何か掛け替えのないものに変容しているからこそ、これらは重要なのです。

しかもこれらのシーンは日常生活の出来事とは似ていないという点で独創的です。

ここには偉大な芸術家の刻印があり、私たちに彼らの内世界を垣間見せてくれるのです。

これらのシーンの総てが、娯楽を与えるよりはむしろ美を保持することによって、観客の欲求に応じるのです。

今日この種の主題を扱うのは困難を極めています。

そんな話をするのすらほとんど馬鹿げていると言えます。

誰もそんなものにはびた一文払わないでしょう。

でも映画が存在し続けているのは、これらの詩人たちのお陰なのです。

「映画を作るには金が必要です。

詩を書くのに必要なのはペンと紙だけです。

これが映画の不利なところです。

でも映画は屈さないと私は思います。

万難を排して自己の映画を実現する努力をする監督全員に、私は頭を垂れます。

実例としてクリップをご覧戴いた映画は皆、固有のリズムを持っています

(最近は、たいていの監督が快速で短いシーンを使い、カッティングとスピードのある監督こそ本当のプロだと思われています)。

真の監督なら誰でもその目的は、真理を表現することなのですが、そんなのはプロデューサーの知ったことでしょうか。

1940年代にアメリカでストレスのかかる職業をランク付けする調査がありました。

広島に原爆が投下された時代ですから、パイロットが1位を占めました。

2位が映画監督です。監督になるのはほとんど自殺行為というわけです。
「私はヴェネチアから帰ったばかりです。

そこの映画祭の審査員をしたので、現在の映画の完全な退廃を証言出来ます。

ヴェネチア映画祭は悲惨この上ないものだった。

ファスビンダーの『ケレル』のような映画を理解し是認するには、まるっきり異なる類いの精神性が必要だと、私は信じます。

明らかに、マルセル・カルネは私よりずっとそれを是認していましたが。

私は、それは反芸術的現象の現れだと思います。

その関心は、社会学的で性的な問題にすぎない。

ただファスビンダーの最後の作品だというだけで、あの映画が受賞するのは恐ろしく不当なことではないでしょうか。

ファスビンダーは『ケレル』よりずっと良い映画を作っているはずです。

けれども、映画の現在の危機は重要ではありません。

なぜなら芸術は絶えず危機の時代を通り過ぎてはそこで復活するからです。
ただ映画が作れないからと言って、映画が死んだということにはならないのです。


「最良の映画は、音楽と詩のはざまにあります。

映画はどんな芸術形態にも比肩する高いレベルに到達しています。

芸術形態として自らの姿を具体化しています。

アントニオーニの『情事』は随分昔の映画ですが、今日作られたばかりという印象を与えます。

本当に奇跡的な映画で、ちっとも古ぼけていません。

まあ今日作られるような類いの映画ではないかもしれませんが、それでもとても新鮮です。

イタリア人の同僚たちはとても悪い時代にいます。

ネオリアリズムも偉大な監督たちも去ってしまったように見えるし、プロデューサーはドラッグの売人みたいなもんですから。

金儲けだけを考えているんですが、長続きはしないでしょう。

イタリアで上映されている『ソラリス』は私の映画ではないと言いたいです。

でもその配給会社はもう潰れてしまいました。たいていの配給会社の運命じゃないですか。」

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タルコフスキーが選んだ映画ベストテン

1972年4月のあのうす暗い雨降りの日のことはよく覚えている。

私たちは開いた窓辺に腰を下ろして、いろいろなことについて話していたが、話の矛先はオタール・イオセリアーニの『歌うつぐみがおりました』に向いた。

「良い映画だね」とタルコフスキーは言ったが、すぐに「ただちょっと、うーん、ちょっとね…少し…」と言葉を継いで、そのまま目を細めて何も言わなくなった。

一瞬内面に集中した後、彼は爪をかみながら、きっぱりと言った。

「そうじゃない!ちがう。とても良い映画だ!」


お気に入りの映画を10本ばかり選んでみないかとタルコフスキーに言ったのは、この時だった。

彼は私の提案を非常に真剣に受け取り、数分間、頭を垂れて一枚の紙に向かい、深いもの思いに沈んでいた。それから監督の名前のリストを書き始めたー

ブニュエル、溝口、ベルイマン、ブレッソン、黒澤、アントニオーニ、ヴィゴ。

しばらく経ってから、ドライヤー。

次に映画のリストをつくり、順番をつけて注意深く並べた。

リストは出来上がったように思えたが、突然不意に、タルコフスキーは新たなタイトルを加えたー

『街の灯』。

彼が作成したリストの最終版はこうだ。


田舎司祭の日記
冬の光
ナサリン
野いちご
街の灯
雨月物語
七人の侍
ペルソナ
少女ムシェット
砂の女(勅使河原宏)

リストをタイプし、"16.4.72 A. Tarkovsky" と署名すると、私たちはまた話に戻ったが、彼はごく自然に話題を変えて、穏やかなユーモアを交えて、どうでもいいようなことについて話し始めた。

20年経って、今日リストを眺めると、彼の選択が芸術家タルコフスキーを何と明確に特徴づけているかに驚かされる。


さまざまな監督がさまざまな雑誌で示した数多くのベストテン・リストと同様に、タルコフスキーのリストは目覚ましい啓示である。

その主な特色はー『街の灯』を除けばー選択の厳格さにある。

30年代、40年代のフィルムは、サイレントを含めて1本もない。


その理由は、タルコフスキーが、映画誕生後の50年を、彼にとって真の映画作りであるものの序奏と見ていたということだ。

ドヴジェンコとバルネットの両者を高く評価していたが、リストにソヴィエト映画が1本もないことから察するに、真の映画作りはソ連以外のところで行われているとタルコフスキーは見なしていたのかもしれない。

この点を考察するとき、ソ連の映画監督としての経験から、タルコフスキーがたえず論争に巻きこまれていたことも忘れてはいけないだろう。


タルコフスキーにとって、問題は映画監督の芸術がどれほどの美を達成するかにあるのではなく、芸術というものが到達しうる高みにあった。

『アンドレイ・ルブリョフ』の監督は、彼のすべての作品において最も深遠な精神的緊張と究極的な実存的自己露出を目指していて、この目的と両立しえないものはどんなものでも拒否する覚悟があった。

3本のベルイマン映画を含む彼のリストは、監督としても観客としても彼の趣味をまぎれもなく映し出している。

しかし後者は前者に従属するものであるのだが。

彼のベストテンをまとめるやり方が示すように、このリストはタルコフスキーのお気に入りの映画のリストにとどまるものではない。

それと等しく、お気に入りの監督のリストでもある。


タルコフスキーとベルイマンの「選択親和力」は、大昔に気づかれていたのだ。

『サクリファイス』のはるか前のことである。

ところで、ブレッソンの映画は偶然リストのトップに来るのではない。

つまり、タルコフスキーはブレッソンを至高の創造的個我と見なしていた。


「ロベール・ブレッソンは私にとって、真のそして純粋な映画監督の模範です…

彼は芸術というものの高次の客観的な法則にしか従いません…

ブレッソンは自分自身であり続け、名声がもたらすあらゆる圧力に屈することなく生き残った唯一の人物です。」

リストに『街の灯』が不意に現れるのも同じように説明できると私には思われる。

タルコフスキーにとってもっとも重要なことは、作品が映画芸術として成功しているとか、それが哲学的洞察を提示しているといったことではなく、むしろ、映画監督としてチャップリンが成し遂げた自己実現の包括的な性質であったのだ。


「チャップリンはいささかの疑惑の影もなく映画史に刻まれた唯一の人物です。

彼が残した映画は古くなることはありえません。」


タルコフスキーのベストテン映画の本質は、作家映画の担い手としての自己を宣言するものにほかならない。
ttp://homepage.mac.com/satokk/topten.html

人生には幸福よりも大切なものがある…


アンドレイ・タルコフスキーは私たちの生活における精神性と芸術の占める位置について語る


主に彼の映画に対する興味から、また彼が西側にとどまると最近公式に決定をしたためでもあろうか、数多く集まった聴衆を前にしながら、タルコフスキーは自分の映画についてほとんど全く触れることもなく話を進めた。

その代わりに、彼は現代芸術の現況を分析し、近代社会の発達に関してコメントを寄せた。
そこに彼は非常に紛れもない「精神性の欠如」を看取しているのである。

芸術家タルコフスキーは、統語論にあまり気を遣わない。
彼の火のような気質(自分は性急な決定をするのは好まないと主張しているのだが)、彼の話しぶり−そこには芸術史の領域から引かれた多くの例にあふれている−彼の論旨のすばやい決めの見事さ、そしてその妥協を知らない鋭敏な精神はアインシュタインを髣髴とさせる。


2度にわたる講義の話題は、芸術祭の主催者によって決定された。

「黙示録」と「芸術家の役割と責任、1984年」と紹介されると、タルコフスキーはそれらに非常に個人的で興味深いひねりを加えた。

黙示録は芸術家としてのタルコフスキーにどんな意味をもつのか? 
彼は芸術活動をどのように見ているのか? 
また芸術家は近代社会でどんな役割を果たすのか?


自己中心の芸術は罪深い

ヨハネの黙示録は彼にとって「もしかすると史上で最も偉大な詩の作品」である。

無限に多い解釈を内包する映像の集積であり、人間に自分自身の生に対する責任を想起させるものである。

それは、罪に力点を置いたヴィジョンではなく、むしろ希望の源であり、それが映像の体系であるがゆえに、豊かな霊感の源泉でもある。

芸術家の観点から、黙示録は芸術的に非常に洗練された作品として出現する
(タルコフスキーは、7つの封印を破った途端に降りてくる沈黙に含まれる完璧な映像に驚嘆する)。

ところが、ヨハネのヴィジョンは、彼の講義全体の枠組みしか提供しない。
タルコフスキーはむしろ「芸術的才能」にその注視を集中することを選ぶ。
彼によると、「芸術的才能」は昨今、芸術家の個人の所有、その人格の一部と見なされがちである。
自分にふさわしいように統制支配できるものなのだ。


「この百年で、芸術家は精神性なしで何とかやっていけるという間違った結論に、人は到達しました。創造行為は突然本能的なものになってしまった。

その帰結として、芸術家の才能、天与の才は、芸術家を責任ある立場に必ずしも立たせなくなった。
そのために、私たちは現代芸術の大きな特徴となった精神的要素の欠如に至ったのである。」


タルコフスキーは「精神性」の正確な定義を与えないが、2つ目の講義で、この言葉によって彼が何を意味するのかについて、実際、いくつかの手がかりを提供してくれる。

タルコフスキーがドストエフスキーを「精神性の喪失と連関する問題を知覚した最初の作家」と呼ぶとき、この言葉は「信念、信じる力」の意味に近づき、それゆえに個人が恐怖を克服する手段に近づく。

ここで、精神性は純粋に形式的な芸術と対照的な位置にある。

「形式的な芸術」では「芸術家は形式の探求者、消費者に還元される。」


彼は続ける:


「この時代に、私たちはもはや芸術家の聴衆に対する態度に満足できない。
また聴衆の、芸術家とその作品に対する態度にも満足できない。」

個人の責任の問題は、タルコフスキーにとって最高に重要な問題である。
何度となく、彼は、人間の独自の自由意志と責任の重要性に注目を喚起する。

こうした価値が近代社会の発達で事実上存在しなかったと彼は思っているのだ。
近代社会の人間関係は共存する意志よりむしろ、恐怖に基づいているのだ。


私たちの精神的な発達は、これまでに生じたさまざまな変化についていくことが出来なかったし、そうする時間も与えられなかった。
これこそ、共同体の生存のために構築された集団で決定をする個人の不適切な可能性とともに、タルコフスキーが私たちの文明を邪悪であると断じる理由なのである。

彼はこう総括する:

「私は、皆様がご存じでない概念を、皆様に紹介しようとしているのではありません[…]

しかし皆さんの前でこうした問題について思索をめぐらすことで、私はこの過程の意義を知ったのでした。

皆さんが私に、これらの問題について考える機会を与えてくださったのです。
これは、独りでは出来ないことなのです。

「新しい映画を作る準備している間、それを何らかの独立した芸術形式、自由な創造であると見なすことは許されないことは私には全く明らかです。

むしろ、それは内面からわき上がってくるものを成就することなのです。

その場合、それは愉悦ではなく、むしろ苦痛に満ちた、もしかすると重すぎる義務なのです…

「芸術家が創造の過程でどれほど幸福な状態になれるか、私には理解できたためしがありません。

ひとは幸せになるために在るのではありません。

人生には、ただ幸福であるよりも、ずっとずっと高い目的があります。」


タルコフスキーは本や映画の登場人物の主張を作者自身に投影しない重要性を強調する。

この言葉は『ノスタルギア』の登場人物のひとりが話す言葉とそっくりである。

彼はこう付け加える:

「私が育った芸術は、それが自己表現でないときにのみ可能なのです。

私が他者から受け取ったものに焦点を定めたときにのみ可能なのです。

芸術は、私がそれを自分自身の目的に役立つように使うその程度に応じて、罪深いものになります。

そうすれば、私は、何よりも、つまらないものになりはてるでしょう。」

運命的な欠陥

タルコフスキーがさらに語りを進めると、ここまで触れられたさまざまな問題を彼がどのように理解しているのかが、浮かび上がってくる。

芸術祭主催者が課題として与えた話題は、「他者にそんなことを求めることは出来ない」とあっさりと一蹴される。

その代わりに、話は、全く異なる出発点から、もっと一般的に展開していく。

すなわち、芸術と私たちの生活におけるその役割という出発点からである。

ここでは、彼の言葉を追いかけたほうが良いだろう。


「芸術は、それに必要な精神的な内実を徐々に喪失する過程にあります。

芸術の目標という概念を失っているのです。

芸術は別の所に目標を求めています…

精神的クライマックスと社会的/経済的クライマックスの間に類似は存在しません… 私たちは精神性を失ってしまったのです。

私たちはもはやその必要性を感じません…
現代は、私たちの精神性を喪失するのにふさわしい時では、決してありません。」


芸術の商業化という問題、「大衆の趣味」に迎合する必要性を芸術家が肯定するという問題は、タルコフスキーの大いに懸念する事柄である。

もしかすると、もっとも大きな懸念かも知れない。

彼は経済の現状を忘れているわけではないが、それを自覚しているからと言って、「芸術は精神的な自覚を再確立させる巨大な責任を担っている」という彼の意見を揺るがすものにはならない。

精神的な自覚の欠如、それは、彼によれば、現代芸術が今ある危機の原因の一つとなっている。


彼自身の領域内で、タルコフスキーはある過程が作用しているのに気づいている。
その結果をタルコフスキーは災いと呼んでいる。


「観客は自分の望むものを得て、映画館に行くのを止めてしまいました。
もしかすると、観客はいわゆる商業映画に満足しなくなったのです」


タルコフスキー自身が、今起きていることの責任の一端を担わなければならないのか?

聴衆から笑い声が聞こえるのに、彼はさらに、万人に必ず罪があるその度合いだけ、自分にも明らかに罪があると言う。

それに続けて、「私の同僚も私も、芸術の真の目的が何か、あまりにもしばしば忘れてしまいがちです。時には、目標が仕事のキャリアの浮き沈みに左右されてしまうのです」

模範としてのイコン画家

「精神的」という言葉が何度も繰り返され、タルコフスキーがその言葉に託しているイメージが形をとりはじめる。

簡略化しすぎるリスクについて警告して、タルコフスキーは西洋(ヨーロッパ)芸術を古典的東洋(日本、東インド)芸術と比較する。


そこで、西洋芸術に、彼は、個人が自分自身、自己、自分の運命に心を奪われているさましか見えない。

それに対して、東洋には内向し、微妙なもの、ほとんど気づかれないものに集中する傾向があるという。


「私が言いたいのは、このタイプの精神性が西洋芸術でも十分に可能だということです。

自分自身を忘れること、自分自身を創造者として捧げること、犠牲にすること[…]それが芸術家にとって適切な道なのです。正しい態度なのです」


彼は、紀元1200年から1400年の頃のロシアのイコン絵画に言及して、自分の立脚点を明らかにする。

署名のあるイコンは存在しない。

芸術家は自分を芸術家と見なさず、神の僕と見なしていた。

芸術家は自分の才能を神の栄光のために用いるに過ぎなかったのだ:


「私が力説している大きな要素、それが誇りの欠如です」


「精神性」という言葉の使い方の背後に、一種の宗教的迷信のようなものが隠れているように見えるとしても、(ある質問に答えて、彼はあらゆるものには明確な理由があるという理念を強調した)タルコフスキーは芸術に含まれる精神性を、「生の意味といわれるものへの興味」と、総括したがっている。

最初の単純で明確な一歩は、自分にこの問いかけをすることである。

この問いが提起されない限り、ネコのレヴェルで存在しているにすぎない。

タルコフスキーはネコが幸福な動物であることを否定したくないのだが。

「何の目的のために私たちは生きているのか? 
私たちはどこから来たのか? 
私たちはどこへ行くのか?」

と問いかけることは、自分自身を意識することだ。

芸術家に必須の原材料であるかけがえのない人間的特徴を意識することだ。
そうしないなら、「芸術家でない、現実主義者でないということです。

最も重要な問題、すなわちひとりの人間を人間にしているものを観想することを拒否することだからです」


現代の不幸な風潮は、タルコフスキーによると、私たちが道徳的問題に関心を喪失した、自分自身以外のなにものにも信頼を喪失したという事実と関係している。

私たちは自分の(例えば芸術家としての)活動の結果として、ただちに金銭的な見返りがあると期待して生きている…

この風潮が芸術に影響を与えなかったわけがない、と彼は言う。


ところが、彼は、芸術家とは何か、芸術家は民衆にとってどんな存在であるべきか、に関して正確な定義をもっていて、

芸術家とは「民衆に精神的なものを供給するがゆえに、民衆に形を与える」ものだという芸術観に断固として反対する。

それどころか、タルコフスキーは芸術家を民衆そのものの内なる声の表出にすぎないと見ている。

これは、まず吸収から始まり、それから、(何であれ)媒介をとおして民衆自身に表現する能力が欠けているものを表出するのである。


「私にとって、これだけが、近代社会が芸術にどのように影響しているか、私たちが理解できる道筋なのです」

「現実主義」が「人間性に関する真実」を指し、人間の魂の生を描くことと関係しているという意味で、現実主義的芸術は、タルコフスキーによると、唯物主義のレヴェルに焦点を定める芸術ではありえない。

物質的側面を描くだけでは、「人間性の実質そのもの」を無視することになると彼は考えている。

「精神性の欠如は既成事実の開示にすぎないと言う人がいる。
これは私には乱暴で、文化に反しているものだ」

最後に、この講演で、主にこうした一般的な問題にこだわり、自分の映画にはついでに触れるだけであったタルコフスキーの目的は何だったのか?

「私が一番気にかけている問題が何なのか、私の映画を観る人たちが知ることは、私には大切です。
そうすれば、私たちはお互いをより良く理解できるからです」
ttp://homepage.mac.com/satokk/at_in_london.html

アンドレイ・タルコフスキー・インタヴュー ―1985年3月、ストックホルム―
偉大なロシア映画の伝統ーエイゼンシュテイン、ドヴジェンコなど


Q: 偉大なロシア映画の伝統とあなたの関係は? だれがあなたの師ですか?


ところで、偉大なロシア映画とはどういう意味ですか?


Q: エイゼンシュテイン、プドフキン-


ああ、はい、はい-私には、ドヴジェンコとプドフキンのほうがエイゼンシュテインよりずっと重要です。


Q:『イワン雷帝』と『アレクサンダー・ネフスキー』の創造者としての?

一般的に言うと、です。

ついでに言うと、エイゼンシュテインはソヴィエト指導者、特にスターリンに完全に誤解された監督でした。

誤解されたというのはースターリンがエイゼンシュテインの仕事の本質を理解していたなら、エイゼンシュテインを迫害したりしなかったでしょう。
これは私には完全な謎です。

どういうふうにそれが起きたのかは知っています、或る程度なら分かります。
エイゼンシュテインは才能豊かで、完璧な教養人でした。

当時あれほど教養のある、あれほど知性に恵まれた映画監督はいなかった。
当時の映画は若造が作っていました。

典型的な例として、独学で、正式教育は受けたことがなく、革命から映画になだれ込んできた連中です。


Q:しかしほとばしる情念というものがありました-


ええ、そうです。情念がありました-
革命のパトス、未来への希望、建設的な文化の変容-一般にそれはよいものでした-
エイゼンシュテインは少数者でした、もしかすると彼だけかも知れませんね、伝統の意義を評価していたのは。

彼は、連綿と続くもの、文化の継承が何であるのかを知っていました。
しかし彼はそれを吸収しなかった、心に吸収しなかった。

彼は知的でありすぎました、彼は恐ろしく合理主義でした。
冷たく、理性だけで、計算し、監督しました。

彼は自分の設計をまず紙上で試しました。計算機です。
彼はすべてを描きました。

フィルムのフレームを描いたという意味ではありません。
すべてを考え尽くして、そのすべてをフレームの中に詰め込んだということです。

彼は生そのものから描いたのではなかった、生は彼にいささかも影響しなかった。
彼に影響したのは、彼が作り上げた理念でした、
それが変容して生まれた何らかの形式でした。

一般に、すっかり生気の失せたもの、鉄のように硬直したもの、非常に形式的で、乾いて、感情を欠いたものでした。

映画形式、その形式的特徴、撮影、照明、雰囲気ー何一つ彼には存在していなかった。
すべてが考えぬかれた性格を帯びていました。

絵からの引用であれ、その他の技巧を凝らした構成であれ、そうです。

これは或る意味で、合成的な映画の典型的な概念でした。

そこでは、映画が視覚芸術、絵画、劇場、音楽、その他なにもかもの統合として出現しますー
ただし、映画そのものはそこにはなかった。

こうした部分の総計がこの新しい芸術になるとでもいうかのように。


穏やかに言ってもーそれは巨大な誤解です。

映画は、それを他の芸術と分ける独自の特定の性格によって、支配されているからです。

エイゼンシュテインは彼の芸術によって、いわゆる固有の映画芸術を表現することに成功しなかった。

彼はすべてのものをちょこちょこと利用しましたが、映画に固有であるものには気づかなかった。

もし気づいていたなら、これまでの芸術類型を削除し、捨てて、映画に「映画」だけを残したことでしょう。

Q:でも、メキシコを扱った映画がありましたね-

ええ、あの映画は国外で見ました。

私にはとても弱く、稚拙に思えますー

演技も、性格の発展も、舞台状況も。

見せ場に乏しい芝居、恐ろしく稚拙なデザインのポスターです。


しかし『イワン雷帝』を例にして考えてみましょう。

この映画の第1部が、ご存じのように、なぜ共感を呼んだのか、私には皆目分かりません。

第2部は猛烈に非難されたのに、第1部は賞讃されたのです。
なぜでしょうか? 私には理解できません。


恐怖の正当性についても彼は話していますね。
特に、貴族たちの首をばさばさ刎ねる残酷シーンです。

エイゼンシュテインはこの映画で独裁制の強化の味方をしています。
中央集権権力の強化です。

目の見えない人にでもこの映画のテーマは明らかです。
ところが、金とメダルをエイゼンシュテインに浴びせるかと思いきや、突然彼らはこの映画のためにエイゼンシュテインを迫害し始めたのです。

まったくの謎です。


それからエイゼンシュテインは次の映画『ベジン草原』を作ります。
『アレクサンダー・ネフスキー』のことは言わなくてもいいでしょう。
何もかも明白だからです。社会の期待を満たしたいという願望が明白です。

Q:その映画は知りません。


知らないってどういう意味ですか? 
エイゼンシュテインについて訊きたいなら、当然知っているべきでしょう。
彼は1920年、30年代のヒーローです。

集産主義の時代です。彼は少年でした。
パイオニア[ボーイスカウト]であった生徒です。

そして彼の不運はクラク一家の出身であることでした。
彼は、どういえばいいのかな、ソヴィエトの聖人のような存在になりました。
血のつながった両親をその筋に告発したのですからね。


Q:ああ、それなら知っています、パヴリク・モロゾフですね。


ええ、そうです、彼のことを言っているのです。

Q:でもその映画のことは知らない。


彼こそ、その映画でエイゼンシュテインが聖人、犠牲者、神聖な犠牲者、理念のために命を捧げた殉教者として提示した人物です。

エイゼンシュテインは自己を喪失しかけています。

突然彼は崩壊の瀬戸際にあるようです。私には理解できません。

何もかもが退歩しているようです。

彼は、当時ひろがっていた、そして後に支配的になった理念を強化する可能性を探していたのです。

ところが突如彼らはそれを拒絶したのです。

ただ-これは言っておくべきでしょうーこの映画の歴史はこうです。

エイゼンシュテインが撮影を始めると、彼の友人達、同僚たちは権威筋に、エイゼンシュテインが反ソヴィエト映画を作っていると警告したのです。
形式主義で反ソヴィエトで、うさんくさい神秘主義を混ぜ合わせて、といったようにです。

驚いた映画局はこれをスターリンに報告しました。

ここには計算があった。

スターリンは、現物をクレムリンに持ってくるように要求しました。
彼は素材を見ました。

何かが燃えている、樽が2階から転げ落ちてくる、当然ですが、富農が火をつけたコルホーズの産品を救おうとしているのです。

樽は出火した小屋から転げ落ちて来ます、1度、2度、3度と、クロースアップで、ロングショットで、ハイアングルから、ローアングルから-しばらく経つと、スターリンは我慢できなくなった。

こんなスキャンダルはたくさんだ! 

彼は部屋を出ていった。

私の見方からすると、エイゼンシュテインは、ソヴィエト映画の最も偉大な理論家であり映画人なのですが、自分の同僚たちによってつぶされたのです。

私は連中を知っていますからね、あの果てしのない会合で彼を形式主義とイデオロギーの逸脱で告発していた人たちと会ってましたからね。

大声でわめき、彼から自己批判を求めました。

私は彼らを知っています。このテーマで彼らと話をしました。

第20回の総会の後、すっかり別人に見えましたね、彼を弁護する同僚として出てきて、エイゼンシュテインについておとぎ話をして、自分が彼の友だちだと主張しました。

そうやって彼らはみんなでエイゼンシュテインを足蹴にしていたのです。

おおかたの連中がそうです。
直接本人から聞いたので、このことはよく知っています。
ええ、これが真相です-非常に不思議な実話です。

Q:で、ドヴジェンコは?


確かに、ドヴジェンコは私の心に一番近い人です。
なぜなら彼は誰よりも自然を感じていたからです。

彼は実際大地に密着していました。
これは私にとって一般にとても重要なことです。
もちろん、ここで私はサイレント時代からの初期のドヴジェンコを思い浮かべていますー
彼の存在は私には大きかった。
とりわけ、自然の霊化という彼の思想を考えています。
この手の汎神論のことを。

或る意味でーもちろん文字通りではありませんよー
私には汎神論に非常に近い感情があります。

汎神論はドヴジェンコに強い影響を残しています。
彼は自然がとても好きでした、自然を見てそれを感じることが出来たのです。

これは私にはとても意味のあることです、私はそれをとても重要だと思います。


結局、ソヴィエトの映画作家は自然を全然感じることができなかったのです。
自然を理解しなかった。

自然は彼らとちっとも共鳴しなかった。自然は無意味だったのです。
ドヴジェンコは、この空気から、この大地から、この生から映画の映像を引き裂かなかった唯一の監督でした。

他の監督にとってこのすべてが、或る程度自然な、背景、硬直した背景にすぎなかったのです。
それに対して、ドヴジェンコにとってそれは欠かせないエレメントでした。

彼は自然の生と結びついていると内的に感じていました。

Q:最近だと、自然に繊細な感覚をもった芸術家、自然を感じている芸術家は、『赤いカリーナ』のシュークシンでしょう。


あー、そうですね-もちろん彼は自然を感じることが出来た。
田舎育ちだから、自然を感じて理解せざるを得なかった。

確かに彼は自然を生きた。
しかしドヴジェンコはそれを見せる能力があった。

シュークシンは全然見せられなかった。

せいぜいその存在を推量できるだけだ。
彼の風景には芸術性が欠けている。

時には月並みな風景で、まるで偶然のように映画に入ってくる。

しかしドヴジェンコは風景に大いに関心を払いました、自然に自分自身を見いだそうと努めました。

あなたはロマン派ですか?


Q:作品をロマンチックと呼ばれるのに同意されますか?

いいえ、呼ばれたくありません。

Q:でも、あなたの作品には自分のアイデンティティ、絶対の価値を探求するロマンティックな旅のように、反復されるモチーフがあるのですが。世界の聖化、出来事の聖化、神話化の探求です。最後には、芸術家が表現すべき精神文化の原型的な純粋さへの信頼があります。これらに現れる精神はとてもロマンティックです。

見事に表現されましたね、でも私の印象では、あなたがここで特徴づけたものは全然ロマンティックではありません。

あなたが今述べられたことはロマン主義とまったく無関係です。

私が思うにロマン派は-ロマン主義という言葉を聞くと、私はすくみます。

なぜならロマン主義は試みだからです-いや試みですらない、それはある世界観の表現法です。

人が現実の出来事に、現実世界に、現実以上のものを見る、そんな現実の見方です。
ですから、聖なるものとか、真理の探求とか言われるとーそれは私にとって-

Q:ロマン主義ではない?

ロマン主義ではありません。

なぜなら私は現実を現実以上に大きくしないからです。

私にとって現実は一般に私がそこに見いだせるものよりもずっと偉大である、私が知覚できるよりもずっと深く、神聖であるからです。

ロマン派は人生が目に見えるよりも、すなわち彼らが推量しているよりも、ずっと豊かだと考えました。人生はそれほど単純ではない、人生には深みがあると信じました。
私たちがエキゾティック、形而上学と呼ぶもの、私たちの認識をそれ自体逃れるもの、知では把握できないものがたっぷりあると信じました。

彼らはそれを推量して、それを表現しようとしています。

例を挙げましょう。

オーラが見える人がいます。
人体をとりかこんでいる多彩な輝きが見える人がいます。

そういう人たちはある種の感覚をたいていの人よりも高度に発達させています。
この前そういう人とベルリンで話をしました。中国人でした。

治療してくれるんです。こちらの状態を完璧に知っているのです。
どう感じているのか、何が問題なのかーそういうことのすべてがオーラに見えるのです。

Q:その現象はキルリアン写真で確認されました。


そうです、これらの実験はそれと関係していますー

しかしそういう人はその眼でこのオーラが見えるんです。

ロマン派はそれをでっち上げようとしましたがね、それが存在するはずだと推測しましたがね。

詩人はそれが目に見えるのです。

こう言われますか? 

しかしロマン派にも詩人がいた。
もちろん、私はそれを否定しませんよ。

私の憧れのホフマンがいた、レールモントフ、最も深い詩人のひとり、途方もない詩人チュチェフがいました。

多くの詩人がいました-それは事実です。

しかし彼らをロマン派と呼べるでしょうか?ー
彼らはロマン派ではない、絶対にロマン派ではない。

ホフマンはロマン派でした。

ですから、ロマン派と言われると-明らかにーこうした芸術家によって利用された形式が一種仰々しく、拡大されて、美化され、高尚になっている。
生は十分に美しいと私は思います。

生には十分の深さと霊性があります。
だから、何も変える必要はありません。

私たちこそ、精神的な意味で、自分の発達に気を配るべきなのです。
現実を美化したりしないでね。

ですから、このロマンティックな装いは人間の内面に信念が欠けていることから生じるのです。

あるいは自分の想像の産物への信頼が欠けているのです。

Q:それは唯我論です。


そうです。
私個人にとって、ロマン主義は、あるいは、少なくともその重要な要素のひとつはまったく異なるものに思えます。

ええ、ドヴジェンコは非常に上手いことを言っています。

「泥沼にも星が映っているのが自分には見える。」

この種のイメージを私は完璧に理解できます。

しかし、もし誰かが自分には「天国の星の天使軍」と、飛び回る天使が見えると言ったら、それは消毒済みの、寓意的形式でしょう。

現実からほど遠い、完全に真実でない。

しかし、それが鍵でしょう、ドヴジェンコはそれが見えたのです。
彼は詩人でしたから。

彼にとって生はずっと十全なものでした。
霊性に満ちたものでした

得たいの知れないところに単なる付録を、自身の創造的活動に補足するものを、現実に探し回っている人々とは違いました。

ロマン派にとって生は創造する理由を提供しますが、詩人にとって創造は必然なのです。

なぜなら彼の内部ではまさに最初から霊性が生きていて、創造を彼から求めているからです。

このように、芸術家、詩人はーロマン派と違ってー自分が神に似た存在になることを、誰よりも理解しているのです。

それは論理的なことです。これこそ創造力が出来ることです。

まるでこの能力が最初から想定されているかのようです。
それは人間のものではありません。

一方ロマン派は自分の才能に、自分の創造的活動に、特定の美をいつも見いだそうとします。

Q:あるいは至上命令を。

至上命令を。上手い。ここで私はあなたと完全に同意します。

Q:ポーランド語に"wietszcz" という言葉があります。例えばアダム・ミツキエヴィチは国民の"wietszcz" だったと言います。予言者、国民の前に隠された真実を啓示した見者だったと言います-


ええ、ええ、そうです。それがロマン主義でなければね。

Q:どのようにでしょうか?

プーシキンもまたそんな人物でした。

後には多くの芸術家もそうでした。彼らは今日でも存在します。

彼らは仕えている-私が信じるに、ロマン主義はー狭義においてー芸術家が自己崇拝に酔いしれたとき、自分の芸術で自己を創造するとき、姿を開示します。

それは私が大嫌いなロマン主義の特徴です。

この自己肯定もです。
この果てしない自己提示は彼の芸術の結果ではありません、その目標なのです。

これは私にはあまり好ましくない。

一般にこういうのが私の好きでないロマン主義です。

ものものしく、恐ろしくもったいぶって、もったいぶった絵画、もったいぶった芸術概念などなど。

シラーのように主人公は2羽の白鳥に乗って旅をする。

ご存じですか? 

あれはキッチュです。キッチュ以外のなにものでもない。

ところで、ロシアでは、またポーランドでもそうだと思いますが、ノヴァーリスや、クライスト、バイロン、シラー、ワグナーのように、自分のことをべらべらしゃべりたがる芸術家はいなかった。

Q:しかし、それはロマン的な個人主義です、ロマン主義の主な際だった特徴のひとつです。

それは自己中心主義です。

「私にとってこれ以上何があるだろうか?」という制限の中でしか考えない。

恐ろしい仰々しさです。

自分を宇宙の中心に据える欲求です。

その対極は別の世界です、東洋的と、東洋文化と、私が思う詩の世界です。

例えばワグナーの音楽を例にしましょう。
あるいはベートーヴェン、どうかな?
ーそれは自分自身についての果てしない独白です。


つまり、見よ、何と自分は貧しいんだ、ぼろをまとって、なんて惨めなんだ、ヨブのように私は悲惨だ、何て不幸なんだ、何たる苦悩ー余人とは比較しようがないー私は神話のプロメテウスのように苦しんでいる-そして私はこのように愛している、私は-お分かりですか? 私、私、私、私。ー


それほど前じゃないですね、私は紀元前6世紀の音楽をじっくりと聴きました。
古代中国の儀礼の音楽です。

それは、個人を無に、自然に、宇宙に、絶対的に消滅させます。

それは質的に対極です。

芸術家が芸術作品に自己を消し去るとでも言うのでしょうか、芸術家自身が跡形もなく消え去るとき、その時、それは信じがたい詩になります。

魔法のような日本の精神性


まったく魔法のような例を引用しましょう。

中世の日本には多くの絵師がいて、彼らは将軍家に庇護を見いだしたり、大名のもとにとどまりましたー当時の日本は多くの藩に分かれていたのですー

そして、こうした絵師は優秀な芸術家でした、高い評価の芸術家で、名声の極みに達していました。

で、そこまで到達すると、彼らの多くは突然姿を消す、どこかへ行ってしまう。

姿をくらまして、全くの別人として、別の名前で、別の殿様の家中に再び現れる。
彼らは宮廷絵師のキャリアを、それまでと全面的に異なるスタイルで仕事を創造して、一から始める。

このようにして彼らの中には一生で人生を5つも6つも生きたのでした。

Q:謙虚さ-


これは謙虚さではありません。

謙虚さとも呼べるでしょうが、私はむしろ別の言葉を使いたいー

私にはそれはほとんど祈りのようなものです、私自身の「私」が、何の意義ももたない祈りのようなものです。

私に賦与された才能は天の高みから与えられたものなのでーもし私が本当にこの才能を与えられていたとするなら、ですよー私は傑出しているでしょう。

で、もし私が傑出しているなら、私はそれに仕えねばならないという意味です。
私は奴隷です、宇宙の中心ではありませんーこれはまったく明らかです。
あなたは適切にも謙虚さと言われましたが、これは謙虚さよりもずっと重要なものです。

Q:ここで私たちは『アンドレイ・ルブリョフ』に近づきましたね-


確かに。彼は何と言っても宗教的な人間でした、僧でした。

映画監督であること

Q:これは実際、絶対的に根本的な問題です。ここで、お許しをえてーちょっと挑発させてください。ご意見を伺いますー今日、この時代に、芸術家、監督は予言者なのでしょうか? 約束の地に民衆を導くモーシェなのでしょうか? あるいは自分の使命を果たす、「大文字で書かれた」道徳家なのでしょうか? あるいはもしかすると、自分の商品を売りさばく職人なのでしょうか? あるいは「精神貴族」なのでしょうか? あなたは、人々の物質的なものへのこだわりを、ささやかな消費者の喜びを、苦々しく思われてはいませんか? 民衆が悔悟者の粗末な衣をまとっているのを見たいと思っておられるのでは?


これらの側面の幅広さを制限するために、この問いを一般的な展望から、そして同時に根本的な展望から考察するのが良いと思います。

つまり、ここで、芸術家の一般的な働き、役割、社会での位置をざっと描いてみましょう。

当たり前ですが、私は、何よりもまず芸術家は彼が生きている社会の内側で熟しつつある理念を表現するという見解をもっています。

単純に言うと、芸術家は、社会そのものが懐胎している理念を表出する、一種の媒介のように見えます。

しかし社会は芸術家ではありえない。

芸術家もまた結局一個人です、1つの人格です。

つまり、芸術家は、その国の声である、その産物であると判明するがゆえに、国家を人格化したようなものです。

そして時には、国家、民衆、社会がこの芸術家を受け入れないということすらあります。

時には追放します。時にはまったく理解しない。

ずっとずっと後になってはじめて評価が得られるのです。

しかしそれは重要ではありません。次の意味でしかないからです。
彼らは自分自身を知らないのだ。彼らは自分自身の問題を知らないのです。
そのために、芸術家は自分の文化、自分の文化、自分の民衆に決して対立することはありえません。

どんなこともあろうとも、敵対することはありません。

現在の社会が容認しがたい理念を含む思想を表現したときですら、こうした理念が内部で、その社会の内側で発生しなかったという意味ではないのです。

社会はこうした問題に気づく時間がまだ足りなかったというわけです。
一般に芸術家もそうした問題を意識的に自覚するわけではありませんー芸術家は表現するだけです。

芸術家はそうした問題を感じることが出来るのです。

それはまさに、芸術家がそれらを表現できるがゆえに、そうなのです。
芸術家は時代を超えた叡智を必ずしも持つ必要はありませんが、より多くを感知できるからなのです。

芸術家は自分が何を言っているのか理解していないことがよくあります。
子どものように、大人の後から言葉を繰り返します。

子どもは何も理解せずに繰り返し、大人はこう言います。

「おやおや、この子は何を言っているんだ?
 聞いたかい。あっちへ行きなさい! 向こうへ行きなさい!」

大人は子どもをぶったりする。

子どもが家で耳にした言葉を繰り返しただけで大人は子どもを叩きます。
子どもはそういう環境で育っただけなのです。
手短に言うと、こうでしょうか。

「芸術家の役割は、その民衆の声であるべきことだということですー
いや、「あるべき」ではない、こう「あれ」と言うことは出来ない。

自分に向かって国家の声「であれ」と言うことは出来ない。

単純に芸術家は民衆の声である。そうです。


当然、ここには問題があります。

もしあなたが民衆の声であるなら、民衆があなたに求めることだけを言わねばならない。

しかしここに問題がある。

民衆はあなたに何も求めない。民衆は誰にも何も求めない。
自分には何かが求められている、何かが期待されているかのように行動するのが芸術家なのです。

もちろん、民衆は期待していますよ。しかし、無意識に、です。

まさに、この大衆、民衆への義務、生きている時代の名において、芸術家は自分のために創造するのではないということをいつも心に刻んでおかなければなりません。

しかしー自分のために創造するのではないのだが、芸術家は自分が親密に感じられるものだけを表現すべきです。

ここでも、結果的に、自分の心に身近な理念、創造的な仕事のいくつかの位相が、誰にも必要とされていないこともあるかも知れない。

しかしこの場合にもあなたには権利がない-ここでもあなたは無力です。

まず、人々があなたを必要としていたのかどうかが明らかになるのに、100年はかかる。

こういうことは、自分の生きている時代に確信をもって言えないことですね。

社会にも役立ち、同時に真実を全うするというのはとても難しい。

誰も必要としないなら、自分の作品の有用性に自信をもつのは困難です。

それにもかかわらず、正しいと思えることをやるということです。

時が教えてくれるでしょう。

努力をした時点で自分の努力を判断することは誰にも出来ないからです。

だから、芸術家はこうすべきだ、こうしてはいけないと言って、芸術家を道学者にしようとする試みは私は大嫌いです。

芸術での位置づけを採ってー右だ、左だーこれは全くのナンセンスです-完全に無意味です。

芸術家が政治的な意味で誰かの支えになれるのは、ずーーーーーっと、ずーーーーっと後になってからです。

死後随分経ってからです。
本か映画だけが生き延びているときです。

こんな具合です。

「彼が何を言っていたか見てみようー私たちと同じ事を言ってるだろ」

そして、やがては、たとえばその次の年には何もかもが変化し、その芸術家が全然別のことを言っていたと分かる。

それで、それは別の人、そのまた別の人の関心を惹く。

手短に言うとー芸術家には権利がない。

いや権利がないというのではなく、芸術家がすでにそうであるよりも、さらに人々の欲求に近づく道具を芸術家は何ら持ち合わせていない。

神が自分に結局は国家が必要とする存在になる可能性を授けたもうと信じることしか出来ません。

成功しようがしまいがーこれは芸術家が知らないことです。

当面知り得ないことです。

こうした高所から見ると、映画芸術はとても危険な芸術です。

なぜならただちに成功することを期待されるからです。

Q:時間がない


時間がない。すぐに成功しなければならない。

だから、非常にしばしば、映画製作者が成功したからといって、その内面世界がいわば時代と同時代に、同時代の問題にーそして人々にーふさわしいとは言えないのです。
こう言いましょう。

Q:ちょっと質問したいのですが-

いいですよ。でも私はまだ先ほどの質問のどれにも答えていません。
ですから、この件に関してもう一つ言っておきたいと思います。
あなたは予言者と言う。どういう意味でしょう、予言者というのは?
 
ドストエフスキーはよく予言者と言われる。
ええ、そうです。そう呼べるでしょう。

Q:彼にはそうした責任があった。予言者としての果たすべき責任が。

ええ、しかしプーシキンも予言者としての責任があった。

ご承知のように、自分でそのことを書いているー『予言者』で、この壮麗な詩は心にしみこみます。

しかしあなたは正しい。まったく正しい。

もちろん、予言者です。芸術家は予言者です。

祖国では受け容れられない予言者のようなものです。

それでは、プーシキンを例にとりましょう。

彼は詩人でした。その小さなサークルでは人気があった。

そして、友だちの中でもー同時代の人の場合はもちろんー「彼は天才だ」と言う人はそれほど多くなかった。

彼は詩人にすぎなかった。プーシキンという詩人。

誰も彼のことを、今日の私たちのように、天才だと言ったりしなかった。

ショパンがエチュードを作曲したとき、彼はただの音楽家だった。

しかし今日耳にするのは、彼は祖国の魂だ、あれは独創的な天才だーその詩心と精神構造の繊細さを考えるとーヨーロッパ文化で彼に肩を並べる者はいない、あれは途方もない天才だ。

お分かりですか? 

彼が生きているときには-友人仲間しかいなかった、ジョルジュ・サンドやいろいろな人たちです。

Q:それが生、生そのもの。

生そのもの、より優雅かもしれないが、たいてい恐ろしい、難しい。


だから-いや、ドストエフスキーのことを話しましょう。

最初ドストエフスキーはあの-ベリンスキーにトップに持ち上げられた、やがて彼を攻撃することになるベリンスキーによって。

あのひどいベリンスキーー私の見方からすると、ですよ。

簡潔に言うと、詩人のだれかの未来の位置を誰にも予言できません。
もちろん彼が予言者、民衆の声であるなら、もし内的な精神的な本能を保持しているなら、民衆の精神的な高みを人格化しているなら、祖国の魂であるならーそのときには明らかに彼は予言者にならざるをえない。間違いなくそのはずです。

芸術家と民衆との関係


予言者は何でしょうか? 

予言者は民衆の作品です。民衆の創造です。

それは芸術家自身が結果である、芸術家は、芸術作品が創造されるのと同じように、創造されるということです。

神が国家を創造したように、国家が芸術家を創造し、芸術家は自分の作品を創造する。
もしかすると、神とシェークスピアについての、ボルヘスの優れた短編をご存じでしょう-

Q:『全と無』だと思いますが。

そうかも、タイトルは忘れました。
とにかく、そこで神はシェークスピアに、シェークスピア自身が作品を創造したのと同じやり方で、神がシェークスピアを創造したのだと告げます。

全作品が同じ精神的な力に浸透されています。

だから、予言者としての使命が芸術家の双肩にかかっているという現実を否定することは出来ません、どうしても出来ません。

しかしどうやれば、自分の胸を叩いて、まわりの者に「私は予言者である」と告知できるでしょうか?

 そんな芸術家がいたことを私たちは知っています。また沈黙を守った者も。
プーシキンは自分が天才で予言者であるとは一度も言わなかった。

『予言者』という詩を書いていますが、彼自身は-

Q:しかし、私たちは芸術家の社会的な働きを念頭においていませんでした。予言者の責任ということでした。あなたの映画の人物は-

私は社会的な働きを話しているのではない。

私が話しているのは、芸術家の理想の追求についてです。

なぜなら理想がなければ芸術家は存在できないからです。

そしていわゆる理想は到達不可能なのです。

だから芸術家は実践的な意味では役に立たない実体なのです。

芸術家はいつも理想のことであれこれ頭を悩ましています。

そして理想は具体的なものではありません、いかなる方法でも利用できないものです。
私の見解では、これが現代社会のドラマです。

現代社会は芸術家を実用に応用することを要求します。

このように芸術家を利用しようとすると、芸術家はオモチャのように壊れてしまう、破壊されてしまう。何も残らないーこういうことがマヤコフスキーに起きたのです。


Q:なぜならマヤコフスキーは「声」だったから。

なぜなら彼は声だったから。

その声の響きを彼らは力ずくで指導したかった。

彼に「社会の要求」を提示していた人々、彼らは民衆の声がどのように響くべきであるか「よく知っていた」。

こうして彼らは芸術家、どの芸術家にもある最も神聖なものを奪っていった、つまり誠実さを、そして自分でこの声に耳を傾けるということを。

彼に指示を出した人々はこう言うでしょう

「私たちは、この声が何であるべきか、知っているが、君は知らない」

彼らは芸術家から、その働きを奪い取っていった。
彼を盗用し、破壊していった。

私たちが責任というとき、それはこの意味なのですー

あなたは「精神的な貴族制」と言う。

まずーどんな種類の貴族制を念頭に置くのか、はっきりさせましょう。

貴族制、精神的な状況、芸術家の状況-何が芸術なのか? 

傑作とは何か? その意味と条件とは何か? 

傑作は人間精神の偉大さを表現します。

この精神が追い求めている理想を表現します。

これが民衆の隠された期待と欲求の反映であることにはすでに言及しました。
もしそうなら、私たちは一種の頂上、絶頂について話しているのです。

そして頂上と絶頂について話しているときに、私たちは芸術作品によって表現されたこの理想に接近できるのか、この理想に到達できるのか、それを問うてもいるのです。
私たちはこのようにして、この現象の特徴である独創性について語っているのですー
これでいいですか?

Q:はい。

私たちは何かしらの偉大さを話題にしています。

そしてその現象が真空によって囲まれているときにだけ、偉大さについて語ることが出来ます。

絶壁や谷間があるときにだけ、雪をかぶった峰の頂を語ることが出来る、違いますか?

Q:しかし-

ちょっと待った。
だから頂上と谷間の間には違いがある。

もしそうなら、そしてもし頂上が芸術作品に保存された魂の内的な向上を象徴するなら、この独特の現象は、ひとの霊的な発達を引きつける、招き寄せ、呼び起こし、可能にするために生み出されたという意味になる。

そして、もしそうなら、誰かを霊的に発達させるために呼ぶ覚ますことが必要であるなら、彼はまた霊的な発達の比較的低い段階にいてはるか遠いところにいるという意味になる。

頂上にある芸術作品、傑作に対して、です。

自分の民衆の潜在可能性にすべてを反映させるとき作家が頂上にいるのに対して、です。

Q:定義では。

そうです。それはどういう意味ですか? 

こうした傑作、私たちがすでに、定義したそれらの機能は、追求すべき理想として現れますーこれはすでにある種の貴族主義、例外性、低いもの、魂の欠けたもの、悲惨なもの、それらのすべてを超越して精神的に高く上昇することを暗示しています。

大衆を超越して、暗愚を超越して舞い上がった民衆の精神が存在しています。

プーシキンは暗愚さを民衆と区別しました。

私たちはこのことをよく承知しています。

彼は、暗愚さについて書いています、ついでですが、そこには貴族と廷臣も含まれています。

当時『ボリス・ゴドゥノフ』で民衆について書いていますー

民衆は口を閉ざす-ーそこに特別な意味を与えています。

霊能力です、民衆が歴史の神秘に参入するのを可能にさせる霊能力です。
彼はそれに精神性の特徴を賦与しましたー高次の内的な叡智の特徴です。

簡潔に言うとー霊的な貴族主義と言うとき、芸術は低地を見下ろしてひろがる丘陵地帯のようなものです、芸術が自ずと貴族的なのです。

しかし社会学的なあるいは歴史的な意味で貴族的なのではなく、言葉の霊的な意味で、そうなのです。そうでなければ、芸術は存在しないでしょうー

もし芸術が、高次の霊的なレベルを追求する表現でないならば、芸術は存在しません。


Q:私の印象ではーもしかすると間違っているのかも知れませんがー西側の観客を話題にされるとき、あなたの言葉の調子はとても厳しくなりますが。

それほど厳しくないですよ-

それは西側の観客を批判しているのではなく、むしろ西側の観客がいる状況、西洋の文化状況を批判しているのです。

例えば、ロシア人にとって、今でも文化と芸術作品は必ず、ある種の霊的な、神秘的なーお好みならばー予言的な意義を担ったものです。

これと似た文化理解がポーランドでもずいぶん発達しました。
こちら側、西側では、文化は昔から消費の対象になりはてた。

消費者の所有物です。

彼らにとって文化とは何なんでしょうか? 

文化は私が持つことが出来るものです。
私が自由であることの結果として、です。

では自由とはどういう意味でしょうか? 
私はこちら側のだれもが持つものを持って自由である。

文化は西側に存在しているのでしょうか? 存在しています。
こうして私は文化を利用する権利を持つことが出来るし、持っています。

これはどういう意味でしょうか? 

私は持つことが出来る、とは?
 
ええ、ただー物理的に、功利的にー私は持つことが出来る、ということです。

ちょっと立ち止まってこう考えるなんて思いも寄らないでしょう。

「そうです。あなたはその文化を持つことが出来る。しかしあなたはそれを消化できるのか?」

ゲーテを例にとりましょうー

あなたは『ファウスト』を読むー

しかしあなたはそれを読むことが出来ましたか?

そりゃあ、所有すること、購入することは出来ますよ。
『ファウスト』を買いに行けばいいんだから。

ただしゲーテの『ファウスト』を買うことは出来ないでしょう。

むしろ映画館に行って、スピルバーグの映画を観るでしょう。
本屋に行くなら、漫画かベストセラーか、何か必読書を買うでしょう。

それでおしまいだ。

トーマス・マンは買わない。ヘッセも、フォークナーも、ドストエフスキーも買わない。

ええ、そういうことです。

何だって買える。

しかし文化を吸収するためには、作品を創造している芸術家自身の努力に等しい努力をしなければならない。

こんなことは、そういう消費者には思いも寄らないでしょう。

ちょっと行けば買えるんだ。金さえ払えばいいのさ。こう考える。
これこそ精神性の欠如の結果です。

芸術が貴族的であるということすら思いつかないでしょうー
言葉の霊的な意味でですよー繰り返しますけど。

別の意味で使うのを神が禁じたもうのです。


エリートの芸術だと連中は言う。

エリートとはどういう意味ですか?

 芸術は、万人が芸術を理解できることを、包括理解できることをいつも期待しています。

その瞬間を待ち望んでいます。

あらゆる芸術作品がこの目的のために創造されているのです。

しかし彼らはこういう。

これはエリート主義だ。なぜならすぐに理解できないから、と。

しかし理解できないというのはどういう意味でしょうか?
 
ありえない、芸術では-良い本を読むことは良い本を書くのと同じくらい難しいとゲーテは言っています。

その意味は、作家の狙いを理解するために人はある種の精神的な仕事をしなければならない、ということです。

繰り返します。

創造的な芸術家は、その民衆と敵対する者ではありません。
民衆に奉仕する個人なのです。

Q:あなたの言い回しを使わせていただくならーそういう観客はあなたの映画にいたる道にまだ足を踏み出していないと言えるのでしょうか? この旅が彼らを待ち受けていると言えるのでしょうか?

私の作品に対する観客の反応を私は密着して追跡しないので、それが本当かどうか、私にはとても分かりづらいです。

私が知っているのはただ1つです。

私の映画は、随分苦労して、ソヴィエト連邦で観客を見いだしていきました。

一作ごとに観客が増えていき、最終的には最後の2作の場合、チケットを入手するのが文字どおり不可能だった。

ゴスキノの経営陣は私の映画が人気があると気づくや否や、配給を引き上げました。
ただちに引き上げました。

最初彼らは、私の映画がこけると思ったから、封切りを許したのです。
こけなかったら、途端に上映をやめさせました。

Q:全作品がそんな扱いを受けたのですか?


今言っているのは最後の2作、『鏡』と『ストーカー』です。

これは計画通りでした。

この道は困難な道でした。
なぜなら私に出来ることは1つしか残されていなかったからです。

正直になり、自分に近しい事について自分の声で話すことです。
観客もまたそういうものとして見てくれるだろうと望みました。

最初、そういうやり方に観客は反発を覚えたようですが、徐々に観客数が増えてゆきました。

非常に不思議なことがあります。

ー不幸にもーソヴィエト連邦を出国しようとした頃、私の観客は非常に若い人たちでしたー16,17歳の若者ですーそして彼らは私を理解したのです。

とにかく私の映画を理解したのです。

「理解した」とはどういう意味でしょう? 
彼らは私の映画を受け容れたということです。

或る意味で私の映画は彼らの世界だったのです。私はそれでとても幸せでした。
しかし一般に私と同年代の人々はこれらの映画と情緒的に近しいと感じることがなかった、若者ほど、気持ちが近いと感じなかった。

これはとても不思議です。説明する気はありませんよ。


同じ過程が西側でも起こりました。
例えばロンドンで、確か5回、とにかく複数回、私の映画の回顧上映が行われました。
最後の上映は、さほど前じゃありません、1月ほど前ですか、ものすごい長蛇の列でした。

これは何でしょう? 

彼らは理解したのでしょうか? 理解していないのでしょうか? 

私にははっきりとは分かりません。

ここストックホルムでも大変な行列になりました。多くの人が私の映画を見に来ました。

今でも回顧上映が予定されています。

分からない。私自作が配給されるのを目にするのは一般にうれしいことですよ。
しかしあんなようになるのは大きな危険がある-ええ、誰もがこれらの映画を観ているだろうというのは。手短に言うと、先に話し合ったことから、観客動員でものすごい成功をした監督になるのはとても危険なことだということになるからです。とても危険です。

こういう場合、伝えようとすることに重要なことは何もないと私は思います。
前者の場合、内的な発達段階を経て、精神的な頂上に真に到達している。

そして観客に付いてくるように招いている。
まさにこの反対があるー芸術家自身が低次のレベルに滑り落ちていく。

これは間違いない。

当然、映画を作るためには監督に人気がなければならない。
そしてこれこそ映画の悲劇です。

祭りの場で、罪にまみれて、市場で映画が誕生したという事実がです。
物珍しい仕掛けがあって、あなたはそれをのぞき込む。

若い女性が服を脱いでいるのが見えた。

小銭を入れると、また別のことが起きようとする。

これは悲劇ですーなぜなら映画はそれ以来ちっとも変化していないからです。

新たな映画を作るためには金儲けをしなければならない。

他の芸術の場合、事情がまったく異なる。

本を書くなら家で机に向かえば出来るー
カフカのように、書いたけど何も出版しなかったカフカのように。

しかし本が書かれたのは間違いない。

手短に言うと、観客との関係、そして一般に人気との関係、という問題はとても複雑です。

しかも非常に頻繁に、それは芸術家が自分に課した問題と課題にかかっているのではなく、芸術家にプロデューサー、金が課した課題のほうにかかっている。

もしかするといつの日か、映画に金がかからないレベルにまでテクノロジーが到達したら、金属のヘルメットを頭にかぶって、脳波計のように私たちのファンタジーとイメージのすべてを記録して、それを編集して映画に出来ることでしょう。
これは金がかからない。

しかしこんなことが起きるのを目の当たりにして、この種の安いテクノロジーを話題にするには、随分長生きしなければならないでしょう。とりあえず、映画はとても金がかかる代物です。

ポーランド芸術の影響

Q:ポーランド芸術とポーランド映画はあなたの仕事に影響しましたか?

影響? 
もちろんです。VGIKで勉強している頃、ポーランド映画は異常に盛りあがったじゃないですか。

若き日のワイダやアンジェイ・ムンクなどの名前と結びついて花開いた時代でした。

Q:ポーランド学派。

ポーランド学派。世界中で有名になり、私たちにも影響せざるをえなかった。
特に印象に残るのが撮影です。

例えばヴォイチクが示したような、映画による世界知覚の様式です。
ワイダともムンクとも仕事をしたカメラマンです。
『灰とダイヤモンド』は私たちには啓示でした。

私たちの多くにとっては。こうしたもののすべてはとても影響力があって、とてもインスピレーションにあふれていました。

とりわけ、そうした映画に表現された生における真実さとの関係です、写実主義に基づく撮影から生まれる詩的な感興です。

これは当時ものすごく大切なことでした。
なぜならそれまで映画は真実味に欠け、厚紙細工で、嘘くさかったからです。
外的な面でも、その本質においてでも、です。

ポーランド学派の映画で、構造そのものがすでに驚異的だった、ポーランドの映画作家は自分が特殊な種類の構造を扱っていることを理解していました、それを壊さなかった。

昔の映画はイメージの構造を識別していなかった。
べニア板と壁紙と織物を貼り合わせたものでした。
つまり、その張りぼてでした。

当然スタジオで撮影されました。
それが突然純粋な自然、泥、荒廃した壁に向かったのです。

化粧を落とした俳優の顔に向かったのです。
完全に異なる感情が、イメージに浸透していきました、リズムが違うのですー
当時の私たちにとってこれは非常に大切なことでした。

ロシア人は亡命者になれない


Q:最後の質問をお訊きしますーあなたは亡命者として生活されています。ロシアの亡命芸術家の生活は、思うに、3つの名前で象徴できます。ブーニン、ナボコフ、ソルジェニーツィンです。この3人がそのヴァリアントです。亡命者として生きる3人の典型です。そのどれにご自分が一番近いと思われますか?

私は誰の生き方にも近いと感じないですよ。誰かの人格が自分に近いと感じることはありますよ。

Q:ええ、でもこの3つの名前は亡命者の3つの生き方なのです。

もちろんです。ブーニンです、間違いない。

間違いない。私は彼を身近に感じます。
なぜなら彼の作品にも親近感を覚えるからです。ブーニンは偉大な作家だと思います。


Q:しかし彼は過去に生きている、過去に自分を閉じこめている。もっぱら回想するだけです。

彼は回想する。どういう意味ですか? 回想するって? 

ソルジェニーツィンも回想しますよ。ナボコフも回想しますよ。

申し訳ないけど、誰もが回想しますよ。

芸術の理想は、結局、回想に基づいている。


Q:亡命者の生涯のモデルが念頭にあるのです。亡命者として、もっぱら過去の回想に閉じこもることが出来るー例えばブーニンのように。あるいは、異なる文化の中で、異なる言語を同化することが出来るー例えばナボコフのように。あるいは、新たな環境になじむよりもむしろ、祖国の問題にこだわって生きるー例えばソルジェニーツィンのように。

ロシア人は亡命者に絶対なれないんだ-


Q:誰だって、なれないですよ。

それから、忘れないでください、ナボコフは子ども時代にロシアを離れた。

ブーニンは、大人になってから、成人してから、出た、出国せざるをえなかった。
ソルジェニーツィンは成人であり作家であっただけでなく、先の2人が夢にも思わない経験を生き抜いた作家だった。

それはまったく比較できない人生ですよ。
しかし、あなたがモデルと言うならーそれなら私たちは身近なのでしょう。
どれほど身近なのかは分かりませんがね。

ナボコフはここではまったく当てはまらない。
彼は子どもの時に出国しましたからね。これはまるっきり違う。

出ていったのはソルジェニーツィンとブーニンだけです。

確かに、私はソルジェニーツィンが経験したことを経験したことがない、それからブーニンもーもちろんブーニンが経験したことも経験したことがない。

ご承知のようにブーニンはー彼の場合人生は革命前にすでに終わっていた。
革命のずっと前に、彼にとってすべてが崩れ落ちていた。

彼が描いている生は、追憶として、過ぎ去った人生として、示されています。


Q:彼は過去に閉じこもっていると言ったとき、そういう意味合いでした。

ええ、だから彼はあんなに痛々しいのです。
私はブーニンという作家を愛します。

彼の苦しみを理解し、さらには、彼の性格も分かります。

彼はすごい毒舌家でした。とても横柄で、いつも公正というわけでもなかった。
他者をひどく主観的に判断したりして。あまり善人ではなかった。
まあ、そうしておきましょう。

しかし、どうでしょうか、ナボコフは善人だったか? 
ソルジェニーツィンは善人か?
 
私は知らない。
だから、亡命者の生活モデルとあなたが言うとき、ブーニンは或る意味で明らかにソルジェニーツィンのほうに近い。

隠者のように生きたという意味で、です。

彼は新しい人生に順応できなかったし、心を開くことも出来なかった。
ナボコフの場合、英語でもロシア語でも書けたーしかしこれもまた子ども時代にロシアを離れたからだ。

ブーニンは非常に悪いタイプの亡命者を代表している。
例えば、ロシアを出たためにソルジェニーツィンがどこほど苦しもうとも、重要な問題、重要な事柄に心を向けることができるでしょう。

一方、ブーニンはー私が思うにー自分を苦しめた痛みをたえずもう一度生きることでしょう。

自分の内側にそれを抑圧することが出来なかった。
或る意味でソルジェニーツィンほど強くなかった。
とにかく彼はとても-子どものようなところがあった。
あのころ、いい子でないことが多かった。


Q:子どもは時にそうなりますね。

ええ。子どもにはよくある。彼は気むずかしい性格だった。
しかし、誰の性格が気むずかしくないのですか? 
ナボコフのですか? 違う。
もしかしてソルジェニーツィンの? やはり違う。

Q:あなたの性格は?

私のことを訊かれるなら、何も答えられませんね。
自分自身を判断することは私にはまったく出来ないからです。
やろうとしても、間違った判断をするでしょう。

Q:ブーニンも同じでしょうね。

どういう意味ですか?

Q:ブーニンもこの質問に同じように答えるでしょうね。

そう思いますか?

Q:ええ。そうするのが良いと考えて、誰もがそう行動すると思います。

何が良いのですか?

Q:そう行動するのが良いと。

しかし私は、自分自身について、自分がやることが良いと決して言えなかった。
第1に、私は自分がすべてを上手にやるとは信じない。
さらに、私がするかなりの部分を、私はひどいやり方をしている。
ええーしかしそれもまた別の話だ。

こんな風に私は性格としてはトルストイにずっと近く感じます。
芸術家の類型として、例えばドストエフスキーや他の誰よりも、身近に。
類型として、モデルとして、です。

私にとって最もロシア的な現象、私に最も重要な、最も身近なのはー精神的な意味で、ですー
この問題です、うーんと、聖アントニウス・コンプレックスとでも呼びましょうか。

つまり、精神と物質の葛藤です。それはハムレットの問題です。
私たちの知るハムレットはシェークスピアの創造です。
ドストエフスキーの創造ではありませんーですから、これはロシアの発見とは言えません。

聖アントニウスもロシア人ではない。
しかし、この聖アントニウス・コンプレックスは私には最も重要な問題です。
精神と物質の葛藤です。

人間の内側で神が悪魔と戦っている闘いなのです。
これがきわめて重要です。

トルストイもそれを感じていました。そのために悩みました。
彼は道徳の立場にいつも立っていました、むき出しの質問をしました。

芸術とは何か?

こんなものは誰も必要としていないと彼は決めました。
ブルジョアの迷信だ。

当時すでに大変な左翼でした。

彼は自分の創造的な仕事を否定し、初歩の読本を書き始めたり、色々なことをしました。

農業もやりたかった。
葛藤です。

理想と、可能であること、現実主義的に可能であることとの、葛藤です。


Q:そろそろお仕舞いにしたいと思うのですが。随分お時間を拝借しました。お話しをうかがえて、とても有り難く思います。


どういたしまして。


Q:祖国にーあなたの国とあなたの映画に、幸せに帰ることが出来ることをお祈りします。


いつポーランドに帰るのですか? [タルコフスキーはこの問いを私にしたーJ.I.]


Q:1月ほどで。


ここには何をしに来たのですか? レポーターとして?

Q:いいえ、個人的な事です。友人を訪れています。

そうですか、神様が御2人とともにあるように。
そしてもし出来ることなら、ポーランドを離れないように。

Q:国を出る気はありません。

亡命は重い負担ですよ。
ロシアからこちらに来た人がいてね、友だちです、誰なのかはどうでもいいことです-
「うーん、ええ? さあ。何? どうやって? 出るー出ない? 

何をすればよいか? どうやって生活するか?」ー
出ないように努めなさい。

出ないで済むように出来ることは何だってやりなさい。
そんなことはやっちゃあいけない。

母なる祖国を離れるべきじゃない。

ポーランド人も、ロシア人も、スラブ人一般に、そうだ。
他のどこにスラブのルーツを見つけるんだ? 

もちろんポーランドは西側に帰属する国だ、それは間違いない。
しかしポーランドのルーツすら、はるか東洋までひろがっている。

ロシアが東洋に帰属するからじゃないですよ。

ロシアのためにでもないですよ。
そうではなく、一般に東洋のほうに引かれる力が強いからです。

告白しましょう、私にはタイ、ネパール、チベット、中国すら、こういう国は精神的に霊感を受けた国です、フランスやドイツよりも精神的に私にはずっと身近です。
いろいろあるにしても、そうです。

そういうことを全部分かっているけど、理解し、好んでもいるのだけど、結局西洋風に育てられた。

ロシア文化一般が今日では西洋文化だ。

しかし、あの精神、東洋と私たちをまさしく結びつけるあの神秘主義ーそれは私たちにとって非常に近しいものだ。

ポーランドがカトリックの国であるにしても、です。
ところで、ポーランドのカトリックは不思議だ、例えばイタリアのカトリックとは違う。

共通点がない。
同じ法王を戴いているらしいけど。

ええ、これは非常に興味深い-もちろんポーランドはいつも2つの世界の間に挟まっていた。

ロシアはいつもポーランドをいたぶっていた。
ロシア人はそれをとてもよく覚えている。
それについて知っている。何が言えるかというと-
ttp://homepage.mac.com/satokk/selfcriticism/illg.html

メンテ

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