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[529] 1000兆円の借金について<マクロ経済論>
日時: 2010/03/11 00:41
名前: 天橋立の愚痴人間

ヤフー掲示板より。
「21世紀の世界」トピックスで、最近興味のある意見交換をやっています。
私には、今一つ理解できない部分があります。
当サイトでも、財政の問題について同じような発想を持っておられる方がいます。
ご意見を御聞かせください。


http://profiles.yahoo.co.jp/junkangatashakai

2)内需拡大政策:国の資産を増やすような事業を国が行って、その支払いは通貨の印刷で賄う。この方法は内需拡大で景気をよくし、且つ将来に国の債務を残さないことを意味する。

国民の資産を増やすような事業を国が行って、需要を拡大する方法は、少なくともその需要分の景気浮揚効果がある。

その資金調達の方法が、国債発行に拠るのか、印刷に拠るのかによってその効果が変わるかだが、変わらないと言うのが正しいだろう。何故ならどちらの場合も通貨の増大量は同じだからだ。(貸借関係から生まれた通貨か、単に印刷して生まれた通貨かの違いはあるが、通貨の増大量は同一)

確かに通貨増大が国の借金となっているか、なっていないかの違いはあるが、もし国の借金になっていないことに意味があるのなら、買いオペをすれば実質的に同じこととなる。ところが既に述べたように、現状の日本では、買いオペは経済浮揚効果をほとんど持っていない。

国債は現状で買い手が付いているし、更には国の借金なら民間に金利分が流れる。そこにはいくらかの景気浮揚効果も期待できる。

私にはここまで、通貨の印刷による景気浮揚の道筋は見えて来ていません。もしシリウスさんが、景気浮揚効果が期待できる具体的道筋のアイデアがあるのなら、ぜひ教えてください。


以上全文転載。
メンテ

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1000兆円の借金について<マクロ経済論> おさらい 2 ( No.203 )
日時: 2018/06/16 18:46
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:rFpNfvC6

国家の経済の容量を現す言葉にGDPがあります。
500兆円を超えていた日本のGDPも470兆円くらいです。

マクロ経済の考え方の中に、通貨がどのように位置づけられるのか見てみましょう。

国民所得とは、ある一定期間内に国民が稼いだ所得の合計額のことです。これは、国民純生産(NNP)から間接税を差し引き、補助金を足し合わせることで求めることが出来ます。また、要素費用表示の国民純生産とも表現されます。(要素費用表示については、改めて下で説明します。)

三面等価の原則:(ハロッド・ドーマーの定理)

先ず混乱されないように前提を置くとして、この定理はあくまでも単年度の動態分析で、単年度損益計算書だと思って下さい。でないと政府累積借金=それはこの単年度損益計算から、静態分析資料である国の貸借対照表に反映され、累積されて行くものでありますから、最後に記しておりますISバランス理屈との整合性に混乱してしまいますので。

GDP(輸出入を含むGNPは別途)国民総生産は全て、家計・企業・政府(税)に分配
されて所得となり、支出される。これが三面等価の原則で、それで全体の説明が出来ます。

【総生産:】

【(A)分配面からの所得=】

雇用者所得(消費+貯蓄+税)
企業所得(消費+貯蓄(企業の場合は内部留保・営業余剰+税)

(註1)この税は=政府所得になります。
(註2)固定資本減耗=所謂減価償却費は、企業内部留保とみなし、営業余剰に含ませて、項目省略によってすっきりさせます。 

【(B)所得の支出=次のように分解されます。】

民間最終消費
企業最終消費
政府最終消費
総固定資本形成(民間投資+政府投資(所謂公共事業費)
在庫品

(A)=(B)ですから、両辺から消費を相殺しますと、
(S)貯蓄+税=(I)民間投資+政府公共事業となります。

この(I)投資=(S)貯蓄が、ハロッド・ドーマー定理のミソで、これをISバランス
と言います。S>Iの場合はまだ投資出来る、S<Iの場合は、投資不足で国内での
財源が不足を意味し、海外からの投資を要請するケースとなります。

我が国現状ではまだ(S)>(I)の状況にあり、投資の余裕はありますが、これが財政赤字に消費され投資国債になっていない。

また通貨の流通を要素として経済拡大の為の理論を色々な人が書いております。
こうした内容を総合的に検証して通貨管理がなされているのです。

続いて通貨管理の考え方も以下のように変遷していきます。

貨幣量の増減は物価にだけ影響を与え、生産活動や雇用の増減などには影響を与えないとする説。古典派経済学の中心的な命題のひとつであり、中立説によれば、貨幣は社会的な分業や効率性をもたらす以上の役割はない。経済活動の本質は物々交換であり貨幣はその仲介を行っているにすぎず、貨幣量の増減は貨幣錯覚による混乱をもたらすが国富・国民経済の観点では中立的であり、国富の増大には貨幣量の拡大ではなく生産・供給能力の増強によるべきとした。

数量説は貨幣の中立性を前提にしており、物価の乱高下は流通貨幣量の管理によって押さえ込むことができるとする。管理通貨制度が定着する以前は、社会に存在する貨幣の総量は誰にも計測できず、金塊が採掘されるなり、難破などの事故により貴金属が喪失するといった確率現象や、貯蓄のために金塊を退蔵するといった個々人の経済行動は、物価に対して深刻な影響を与える要素であった。

貨幣中立説は、歴史的には大航海時代以後にスペインなどが重金主義を採用したことによる反動ともいえる。後の絶対王政以後のフランスでは重商主義が唱えられ、貿易黒字による差額があれば、金銀は自然と自国に蓄積されるという考え方であった[4]。

フリードリヒ・ハイエクは、貨幣は相対価格を動かすことによって生産量に影響を及ぼすと考え、貨幣中立説を否定している[5][6]。

長期的には貨幣の中立性は成立し、金融政策は実体経済に影響を与えず、ただ名目変数を動かすだけであるという点では、新古典派経済学、マネタリスト、ニュー・ケインジアンの見解は一致している[7]。ただし、短期的には実体経済に影響を及ぼすかどうか、急激な経済の変動に対して金融政策は有効かどうかという点では、新古典派とケインジアンは対立している。

>フィッシャーの交換方程式

現実の統計値から貨幣量と物価の相関関係を分析するためのツールとして、アーヴィング・フィッシャーの交換方程式がある。これは貨幣量と物価の関係を、貨幣の流通速度あるいは取引水準といった概念を導入することで記述するもので、貨幣数量説の代表的なアイデアである。
M\cdot V = P\cdot Q
ここで
M はある期間中の任意の時点tにおける流通貨幣(通貨)の総量
V は貨幣の"流通速度"(特定期間内に人々のあいだで受け渡しされる回数:貨幣の回転率のようなもの)売買契約の約定回数
P はある期間中の任意の時点tにおける物価水準(通常は基準年度を1としたデフレータ)
Q は"取引量" (特定期間内に人々のあいだで行われる取引量(quantity)の合計)

である。

交換方程式は逐一個別の取引(単価p の商品をq 個だけ取引するため、貨幣m を1回支払う)をマクロ経済全体で合計(牌 = 1 → V )したものとされる。これは数学上非常に明晰な記述であるが、現実にはマクロ経済全体における流通速度V (= P Q /M )や取引量Q といった経済統計としては非常に観測・推計しにくい概念を導入しなければならない困難がある。

>現金残高方程式(ケンブリッジ方程式)とマーシャルのk

アーヴィング・フィッシャーとほぼ同時代のイギリスの経済学者アルフレッド・マーシャルも、独自に貨幣量と経済水準の相関関係に着目していた。1871年頃には着想を得ていたとされ、1923年に文章化、完全な定式化は弟子のアーサー・セシル・ピグーによって公刊された。貨幣数量説を批判的にとらえる論拠とされるアイデアである。
M = k\cdot P\cdot Y
ここで
M はある期間中の任意の時点t における現金残高(=ストック)
k は比例定数で、マーシャルのkと呼ばれる
P はある期間中の任意の時点t における物価水準(通常は基準年度を1としたデフレータ)
Y は実質GDP

である。

P Y は名目GDPであり、ケンブリッジ方程式の要諦は「現金として保有される残高は名目GDPに比例している」というものである。人はある年間所得(P Y)の水準に比例する程度に、つねに手元に投資や貸付、消費に回してしまわない資金量を一定(M )確保していることが予測できる。その割合比率(k )は貨幣選好であるが、マクロ経済全体で合計した場合にも同様の傾向があるはずである。そこで経済全体をおしなべた結果としての貨幣選好をk とすれば前述の方程式で記述される。なお、このマーシャルのkの逆数(P Y /M )は、貨幣の所得 流通速度と呼ばれる。フィッシャーの交換方程式とは異なり、特定時点での現金残高Mや、期中での名目GDP(名目総生産=名目総所得)は直接の統計や推計により比較的容易に計測することができる。また、k やP が変化しないという仮定の下では、M を増加させることでY を増加させることができるという関係を表している。

フィッシャーの交換方程式は明瞭で、一見するとMとPに極めて強い相関関係が予想される。しかしその根拠としてVとQが硬直的であることが前提となる。VやQが柔軟に動くものであれば、実際Mが増減してそれがPの変動をもたらしたとしても、なぜそうなるのかはフィッシャーの交換方程式では説明されていない。MV=PQは恒等式であり常に成立するが、あるMの水準に対してVやQがなぜか相応な値をとって、結果Pが相応な水準になっている、としか言えない。

新古典派経済学の考え方によると、労働供給が飽和する水準で実質GDPは均衡するので((セイの法則))、実質GDPは貨幣量や物価とは関係なく決定される。そこで貨幣量Mが一意的に物価水準Pを決めることになり、物価を安定させるには貨幣量Mの水準にのみ関心を払えばよい。フィッシャーのMが増加すればPも増加するという説明は、昔からある貨幣の中立性を数学的に洗練して叙述したものである。

ミルトン・フリードマンに代表されるマネタリストは、Q/Vの構造に長期的な安定傾向を見いだし、短期的には貨幣の中立性が満たされないことはあるが、長期的には満たされるとする。このため貨幣量が増加すると一時的に実質GDPまで拡大することはありうるが、長期的には実質GDPは完全雇用できまる水準に低下し、物価Pの上昇をもたらすだけだと考える。Q/Vは一回あたりの発注ロット数の平均値をあらわすが、フリードマンは経済の期待成長力や期待収益率の多寡によって、1回あたりの受発注量が増減することは短期的に観察できる事実であるが、長期の統計においては安定した関係にあると実証した(この功績でノーベル賞を受賞)。

交換方程式は取引経済の実態そのものの数式化であり、かならず両辺が一致する。限定された期中における交換のみに着目した恒等式には、来期以降の不確実性に対する予測やそれに対する準備という概念を一見必要としない明瞭さがある。一方でケンブリッジ方程式は貨幣選好kにもとづいて現金残高は特定の水準PYに対しても変動する。マーシャルのkは経済全体がどの程度の含み資産をもっているか、経済成長力(自然利子率)がどの程度か、投資収益率(名目利子率)がどの程度か、などといった状況にも左右されるかもしれない。

フィッシャーの交換方程式と、マーシャルのケンブリッジ方程式は、本来まったく別のアプローチから通貨量と物価の関わりを記述したものである。流通速度(PQ/M)の逆数が貨幣選好であると読み換えることの根拠はない。しかしQとは相殺取引等を前提とせず、不動産や債券など金融資産の売買を考慮せず、中間生産物の売買を除去すれば国富・国民経済計算の観点からは実質的な価値(実質GDP=Y)そのものであり、また統計的にはMやPは共通した統計量であり、二つの方程式を統合した分析は信用サイクルの分析などに重要な示唆をあたえている。

現実にはマーシャルの現金残高方程式の過程、すなわち貨幣量(流動性)が増減することで実体経済Yが深く影響を受ける効果があることは無視できない。

>有効需要

詳細は「有効需要」を参照

貨幣量の増加は、実質金利の低下へつながる。この結果、設備投資の増加へつながり乗数効果で有効需要が増加する。有効需要の増大は生産の増大、あるいは物価の上昇へ結びつく。

>貨幣錯覚

流通貨幣量の増減は、事前に約束され容易に変更されることのない数値である金利や賃金、社会保障、税、および資産価格などに対する評価の修正を通じて経済活動全般に影響を与える。

>ケインズによる解釈

一般化された記述[編集]
e = e_d(1 - e_e\cdot e_0 (1- e_w))
ここで
e は貨幣量の変化に対する物価の弾力性
ed は貨幣量の変化に対する(貨幣で測られた)有効需要の弾力性
ee は(賃金単位で測られた)有効需要の変化に対する雇用の弾力性
e0 は雇用の変化に対する産出量の弾力性
ew は(貨幣で測られた)有効需要の変化に対する賃金単位の弾力性

である。

ケインズによれば[8]、貨幣数量説では、ed = 1であるとともに、失業の存在するときはew = 0、ee e0 = 1よりe = 0となって物価が不変となり、完全雇用に到達するなり、ew = 1、ee e0 = 0よりe = 1となって物価は貨幣量に正比例して変化すると主張されているとする。

これに対してケインズは、流動性選好・資本の限界効率・消費性向の諸制約によってed = 1とは限らず、ew は完全雇用の到達以前に貨幣賃金率などの上昇が見られるため0と1の間の値を示し、ee e0 は収穫法則の制約によって1と0との間の値を示すことから、e は通例1より小であると一般化することができると考え、これを貨幣数量説の一般化された記述と呼んだ。

(引用終わり)

このようにケインズで初めて雇用の要素を取り上げています。
他の人間は、通貨のバランスのことより頭にありません。
特に最近の雇用情勢の悪化はグローバル化と生産手段の発達にあるのですが、それを考えようとはしません。
要するに、彼らは現状分析をしているだけです、それも後手に回って。
現状の経済学と言うものが、何の為に存在しているのか。

経済(金融)のための経済学(金融工学)でよりありません。
それでは、経済を研究し、論じるとは何の為であるのでしょう。

これが現状の経済学の実態であり、もはやその数式は全て見直す必要があるのです。
経済の話スレッドのNO116〜118の実態があるにも関わらず、全く効力のない戯言を弄んでいる経済専門家は恥を知るべきであります。
既成の経済理論こそ、実質の通貨の発行を野放しに許している。
国家経済を会計理論でまとめようとしている。
会計学上の理論では、国家、そのものが存在しない、活動停止であり、世界中にそのような国が既にあるはずである。
日本が1000兆円の債務を抱えながら、破綻しないのはなぜか。
国債の引き受けての95%が屋内であるからと言う理由が、まさしく通貨発行の原理を証明している。

中央銀行制度にこだわっているから身動きが取れない、先が見えないのである。
通貨発行権を国家(国民)に取り戻し、将来の為の現実にあった経済理念を立てねばならない。

資本主義のシステムも、基本的な見直しが必要な時代になってきたのである。
これができればユダ菌などは、自然と力を失って行く。
既存のルールの下でユダ菌に戦いを挑んでも、もはや勝てはしないのである。
通貨発行権を国家が持ち国民の為に適正に運営すれば、ユダ菌が何京円の通貨を溜め込んでいても、それは紙くず同然となる。

国家が、その生産力に見合った分だけ通貨発行権をもち、国民経済をリードしていくのが本来の有り様である。
それで深刻なインフレなど起きないのに、何故やらないのであるか。

これが出来るのが現代であり、人類の発展の成果であるのだ。
未来の社会であるのだ。
メンテ

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