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[1643] 小沢一郎を総括する
日時: 2012/12/20 10:58:24
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:1355968705

衆院選の結果の考察は終えたつもりでしたが、阿修羅掲示板での論調をみて、もう一言述べたくなりました。

阿修羅の記事の殆どは著名ブロガーの記事の転載です。
一般の方が感想を述べるのであれば見過ごしていたかも知れませんが、私が問題とした記事も、その著名なブロガーによるものです。

それによりますと、

小沢が未来の党をつくり合流したことを批難する一方で、その失敗を嘉田代表に押し付けようとしています。
小沢は未来の党を出るべきだ、とか、嘉田代表、飯田代表代行を辞めさせるべきだとか言っています。

そうして、小沢の再起を望んでいます。
小沢のみに、政治改革、日本の改革の芽を期待しています。

私も以前は、小沢は日本の政治家で唯一国家像を持っているものと思って期待していました。
ですが、慎重に小沢を見つめ直せば、小沢に確たる国家像などありませんでした。

小沢を政策的に結果から見ていると、小選挙区制を取り入れたこと、政治資金規正法を成立させたこと、安全保障については国連中心主義であること、行政改革の必要性を言っていることなどです。
行政改革でも、それを地方分権にすり替え、霞ヶ関改革については具体的には何も言ってはいません。

これらは、国家像などと言うものではなく具体的な施策の問題であり、国連中心主義などは国連の実態を無視した素人の発想で、尖閣諸島問題など実際に生じる問題に対処できるものではありません。

民主党が政権を取った直後、小沢は幹事長として民主党が考える国家像を近く発表すると言いながら、結局出てきたのはマニュフェストでした。
あのようなものを、誰が国家像と思いますか。

また小沢は小沢塾を開いて若い議員を養成していたようで、私は、その内容に興味を持ってみていました。
漏れ聞く塾での小沢の言動は、議員としてのありよう、倫理道徳であり、次の選挙に勝ち抜くための姿勢の事でした。

先の衆院選で大勝し新人議員が大量に生まれ、鳩山内閣が、早速彼等を使おうとしたとき、小沢は時期尚早と止めました(このときはかなり豪腕を発揮したようです)。
そうして、それに引き換え新人に言った事が、次の選挙のために地元対策をする事でした。

ある人々は、これを賞賛していたようですが、トンでもなことで、国家国民よりも自分の選挙を優先させる馬鹿な指導でありました。

その後も小沢からは、上記のテーマの他には、財政、社会保障、経済など直接政策に結びつく領域の豊富など聞いた事がありません。

旨く逃げていたのです。
小沢のこのような性格を、分析すれば小沢と言う政治家の底の底が伺われます。

民主党が政権をとる少し前に、自民党との大連立に動きました。
そういえば。小渕内閣の時、小沢率いる自由党は自民党と連立を組んでいました。

常に自民党回帰を図る小沢の姿勢に疑問を持っていたのですが、それはまさしく小沢が描く国家像が自民党のそれに近いものであった証拠です。

そのほかに、小沢は肝心要で逃げだすひ弱さをもっています。
日常、雲隠れすることは耳にしていましたが、それは戦術の問題と思っていました。
最初に大きな疑問を抱いたのは、鳩山内閣で、首相は鳩山で良いとしても国家戦略局とか、政策を実現するための要の要職につかなかった事です。

小沢自身の裁判のことを念頭に置いたものと思いますが、それ以前に、それを承知で民主党を大勝させた国民に対して、それは自分勝手な逃げの姿勢に過ぎません。
裁判は、小沢個人のことであり、小沢の裁判に関心を示さない多くの支持者にとっては裏切りに過ぎません。
また、それは小沢を貶める勢力に、自ら身を捧げるようなものです。

小沢が開き直るとすれば、民主党内閣ができた時が、まさに乾坤一擲のチャンスであったのです。
その後の紆余曲折をへて、菅内閣不信任案決議の折の腰砕けぶりは、今でも憤慨が収まりません。
小沢自身は言質を与えていない理由で自身を正当化していても、それも自分勝手な逃げの姿勢であり、周囲の状況から逃げることはできなかったはず。
仮に責任がなくても、事に際しては責任を被る姿勢と言うものが周囲の人間の信頼を得て大きな組織を引っ張って行くのではありませんか。

結局、小沢はこのようなことを繰り返し、同士になるべき人間に袂を分かたれてきたのではないでしょうか。
私は、さすがにこれで、小沢に対する期待よりも、疑問の方が先行するようになり、小沢批判を展開したものです。

それでも、ようやく「国民の生活が第一の党」を立ち上げ、その基本政策で、国家像らしきものを見て、今一度小沢に期待を賭けていたところ、またもや第一線からトンズラを決め込みました。

その基本政策もおそらくペーパーだけのものであったのでしょう。
そうで、あれば、基本政策も国家像も、もっていない嘉田氏を担ぎ挙げ、国民に周知したばかりの自分の党の名前まで消せた理由も納得できます。

おそらく小沢パッシングを避けたつもりでしょうが、それなら何の為の無罪判決であったか。

小沢を支持してきた人たちが、小沢の無罪判決をどれほど待ってきのかを、元々冤罪であったとしても、無罪判決を持って小沢は反転攻勢してくれることを、どれほど期待していたか、

未来の党の出来事は、何もかも考慮に入れない自分勝手な逃げの姿勢の以外の何ものでもありません。

1国の改革をしようとするようなものが、このように姑息では、とても大業を成す事など無理でしょう。
そんなもので国民を引っ張ることなど出来ないことが如実に証明されました。
小沢自身に対する支持が半減していたことは、支持者が、それを見抜いてしまっていたのです。

選挙期間中は、それでも自民党や民主党を勝たせる訳には行かないので、支援のかたちを取ってはいましたが、小沢には殆ど期待できないことを決定的にさとりました。

最初に戻り、この記事を書きましたのは、そんな小沢に更なる期待をつなごうとする著名ブロガーの、今度はブロガー自身の腰抜けぶりに呆れたからです。

ネットの世界の狭さは、今回の選挙の結果で、嫌と言うほど思い知らされました。
それでも、持論をもって世に問うならば、もう少し客観的に小沢を見るべきではありませんか。
もう、そういう小沢に期待を寄せても、小沢を担いでも変革は得られない、小沢で国民を集約できません。
我々自身は立ち上がらねばならないと、何故、諭す事ができないのでしょう。

ブロガー自身が小沢を出汁にしている方が気楽で手間が省けるからでしょう。
日本のネットの世界で、これくらいの論調が、小さな了見の論調が主流を占めていることも、政治の貧困と同じく寂しいかぎりです。
メンテ

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Re: 小沢一郎を総括する ( No.26 )
日時: 2012/12/26 12:44:56
名前: 天橋立の愚痴人間

いやいや 生き物係 さん

ウサギ(小沢)が昼ね(雲隠れ)している間に、亀が先んじたと言うことでしょう。


未来の党など、斯くのごとし。

童謡が御似合いの政党なのです。
メンテ
Re: 小沢一郎を総括する ( No.27 )
日時: 2012/12/28 02:30:16
名前: 天橋立の愚痴人間

ttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121227-00001421-yom-pol

「未来」は「生活の党」に…代表は森裕子議員


 日本未来の党は27日、党名を「生活の党」に変え、代表を嘉田由紀子滋賀県知事から森裕子参院議員へと変更することを総務相に届け出た。

 「生活の党」は小沢一郎衆院議員ら旧「国民の生活が第一」(現在は国会議員15人)のメンバーで構成される見通しで、嘉田氏と嘉田氏に近い阿部知子衆院議員らは離党することになり、分裂が決まった。嘉田氏らは政治団体として党名を引き継ぐ方向だが、結党1か月にして国会から未来の党の名は消えた。

 小沢氏と嘉田氏は28日に大津市内で共同記者会見を行い、党分裂の経緯などを正式に説明する。

 当初は小沢氏らが離党するとの観測もあったが、離党して新党を結成した場合に受け取れる政党交付金は、未来の党が受け取る予定だった約8億6500万円(現時点での勢力による試算)と比べ、大幅な減額となる。小沢氏に近い議員が「衆院選の選挙資金の多くは、旧『国民の生活が第一』が負担した」などと語る一方、嘉田氏側は、日本未来の党という党名の存続にこだわり、党の「割れ方」を巡る騒動を「カネ目当てと思われたくない」と周辺に語っていた。これが、嘉田氏らが「名」を取り、政党交付金という「実」を小沢氏らが取る格好の決着になったものとみられている。
.

(引用終り)

まだやるのか、懲りない奴だ!

いや、なに、

生活の党の代表に森裕子を据えたことだ。

どの道、一平卒なら、嘉田でも良いじゃないか。

2回も、3回も同じ事を繰り返して、小沢は何を考えているのであろう。

もう、そのては桑名の何とやら!

その内に、またまた執行部と齟齬を来たし、立ち往生。

その結果は、作っては壊し、作っては壊し、しなきゃ、ならんのさ。

みんな、呆れているぜ!

誰と組んでも同じじゃないか。


馬鹿じゃないか、臆病者、

それほど責任から逃げるなら、大きなことは言わないことだ。

何が、大政治家だ!

その姑息性にうんざりだ。
メンテ
Re: 小沢一郎を総括する ( No.28 )
日時: 2012/12/28 17:29:56
名前: 天橋立の愚痴人間

ttp://www.asyura.com/12/senkyo141/msg/857.html

<「生活の党」小沢氏、古巣・民主との連携模索>


日本未来の党は、小沢一郎衆院議員らによる「生活の党」に衣替えし、混乱に区切りをつけた。

 小沢氏は来年夏の参院選に向け、古巣の民主党との連携も視野に新たな野党共闘を探るとみられる。

 「これ以上一緒にやらない方が、お互い個性が出せる。原発政策など協力できるところは今後もする」

 嘉田代表は27日、東京都内で記者団にこう語った。小沢氏ら旧「国民の生活が第一」メンバーとの「分党」が円満だとの立場を示したものだ。小沢氏に近い森裕子参院議員も、両院議員総会後、「円満に分党することで合意した」と強調した。

 しかし、実態は円満とはほど遠い。旧「国民の生活が第一」の議員には「未来の党は期待外れだった」との失望感が強い。環境問題に取り組むなどした嘉田氏の既成政党にない新鮮なイメージに期待して衆院選直前に合流したものの、公示前勢力の61議席から9議席に激減、「『嘉田効果』はなかった」とみているためだ。亀井静香元金融相も27日に離党届を提出し、来年夏に改選を控える参院議員からは「このままでは埋没する」と危機感が強まっていた。



(引用終り)

何を考えているのやら。

国民の前で、右往左往する革命の志士など

みっともないぜ!
メンテ
Re: 小沢一郎を総括する ( No.29 )
日時: 2012/12/28 21:12:09
名前: 天橋立の愚痴人間

駄目押し!


ttp://www.asyura.com/12/senkyo141/msg/863.html
未来の党「海江田氏投票」で波紋広がる
2012年12月28日 0:42  日テレNEWS24


 26日に参議院本会議で行われた首相指名選挙の決選投票の際、日本未来の党が民主党・海江田代表に投票していたことに波紋が広がっている。

 26日に参議院本会議で行われた自民党・安倍総裁と民主党・海江田代表との首相指名選挙の決選投票で、日本未来の党・森副代表ら8人は海江田氏に票を投じた。かつて民主党を離党した森副代表らが海江田氏に投票したことは今後、民主党との連携を進めていく意思表示とみられる。

 民主党・輿石参院議員会長は「首相指名選挙で海江田万里と書きましたと、そういうことを言っていたじゃないか。その意味合いは何を意味するのか、推測できるんじゃないですか」と述べた。

 一方で、民主党内には小沢一郎氏らに反発する声も根強くある。ある民主党議員は「小沢氏らが戻ってくるなら離党する」と話すなど波紋が広がっている。


 年の瀬に、醜い永田町三文芝居が演じられている。日本未来の党が党名を「生活の党」とし、代表を嘉田由紀子滋賀県知事から森裕子同党副代表に変更したのだ。嘉田氏と阿部知子衆院議員は党を離れ、森氏ら小沢一郎氏に近い一派は、同党に配分される2013年分の政党交付金約8億6000万円の大半を受け取るという。小沢一派はさっそく、古巣・民主党にすり寄りはじめた。

 「これ以上、一緒にやらない方がお互いの個性が出せる」

 嘉田氏は27日、都内で記者団にこう語った。円満解消を装ったが、永田町では「政党交付金の争奪戦だ。小沢一派に、嘉田氏らが追い出された」(自民党閣僚経験者)とみられている。

 何しろ、存続する「生活の党」は、未来が受け取るはずだった政党交付金約8億6000万円の大半を受け取れるが、嘉田氏らが新たな政治団体を結成しても交付金は受け取れないのだ。

 こうしたなか、小沢一派の次なる動きが見えてきた。



 森氏は27日、国会控室に就任あいさつに訪れた民主党の海江田万里代表に、「海江田万里8票プラスさせていただき

ました」と満面の笑みで語りかけたのだ。参院で行われた前日の首相指名選挙の決選投票で、8人が海江田氏に投票した

ことをアピールしたものだ。

 やはり、小沢氏と近い輿石東参院議員会長が君臨する民主党に接近するつもりなのか。



(引用終り)

何も言うことなし。

アホラシ!


国民を巻き込んで、小沢支持者をやきもきさせて、

結局、一連の騒動は、民主党内の小沢と反小沢の権力闘争であったと言うことか。
メンテ
Re: 小沢一郎を総括する ( No.30 )
日時: 2016/09/18 17:12
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:N7uWwPZc

もはや蛇足に過ぎないが、事のついでに他のサイトで書いたことを転載します。

小沢信者が信奉する、小沢理論

そんなもの全ては概論に過ぎず、

国連中心主義の安保論理も、TPPも、年金制度も全て、実際に政治に対した時、それで通じるものではない。

政治は現実、政権を取るとは現実に厳しく対応しなければならない。
小沢の頭の中で、その対応は全く考えられていない。

だから、小沢自身が総理になっても何もできず立ち往生。
民主党がやった事と同じ結果であったであろう。
小沢は、それを知っていたので、表に立つことを、立たされることを恐れていた。

一兵卒宣言をした、未来の党の問題も、それで理解できるであろう。
何故、あの時代表を避けねばならなかったのか。

斯く言う私は、それまで小沢の言うことを、そのまま理解してきていたが、本心を見せびらかしていたのでは、政治の世界、潰されるだけ。

だから小沢は、概論に留めて、核心は政権を取った時、有無を言わせず持ち出すものと思っていた。

それが豪腕であり軍師のなすこと。
ところが、どっこい、

私自身の大きな買いかぶり。
小沢とは、見た目のままのやからであった。

ペテンが見破られそうになると逃げ出す卑怯者であった。

明治以来の憲政の歴史で、有力政治家と言われる者の中で、小沢のような妙ちくりんな奴が登場したためしはない。
あれだけ、騒がれながら、期待されながら、正体をさらされることを恐れて、逃げだすなどと言う醜態を見せたものなどいない。
メンテ
Re: 小沢一郎を総括する ( No.31 )
日時: 2016/09/19 14:42
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:6IRPM6II

そう言う小沢が経世会にいたとき。金丸が健在な間は、金丸の代理として権勢を振るえたが、金丸が失脚すると、もういけない。

小沢の本性を知っている仲間から、小沢が盟主と担がれることはない。
そう言う経世会の跡目相続争いで、当然小沢追い落としが始まる。

形勢不利と見た小沢は、自民党を割る事になった。
二大政党制などと、これまた概論を振りかざし、反小沢の勢力と意見が合わない連中を纏め(騙し)自民党を出た。
自民党の野中が小沢だけは許せないと言っていたのは、政治家小沢の本性をしっかりと見抜いていたからであろう。

ことはともかく、社会の情勢は、自民党政治を変える方向にあり、細川政権が樹立することになる。
この過程で、小沢は反自民勢力をまとめることには力を発揮した。
これは政策の問題ではないので、小沢にも出来た。

だが、実際の細川政権の運営において、小沢には何の手助けをする才能はなかった。
その中で、強引にやったのは、国民福祉税構想の問題。

税制改革は細川ガ温めてきた構想であるが、ことは容易にはいかない。党内の意見もいろいろであった。

>ところが、思いがけないことが起こりました。2月3日の未明、午前0時52分、細川首相が7%の「国民福祉税」を突然記者発表したのです。
 大蔵省の斉藤次郎事務次官と小沢一郎新生党代表幹事、市川雄一公明党書記長などごく少数の間で調整して一気に決着を図ろうとしたものでした。そのため、「脚本・大蔵省、演出・いちいち(小沢一郎・市川雄一)コンビ、主演・細川首相」と揶揄されることになりました。「福祉」いう名前がついているというのに大内厚相はまったくの蚊帳の外、「馬鹿にするにもほどがある」と激怒したと伝えられます。



これで党内は四分五裂、もともと多数党の連立政権。
細川は求心力を著しくなくし、内閣崩壊へいたる。

小沢には、税法に対する何の豊富もなく、政権トップとしての矜持もなく、強引に突っ走っただけ。
それも党内の人間が相手ならまだしも、大蔵省と手を結ぶなど、自民党政治を批判して登場した細川政権にあるまじきこと。
同じことを民主党でもやっている。代表時代、党内の誰にも相談なく自民党と連立をしようとした。
自分の意見などないのである。

その後、民主党政権ができるまで、二大政党制、政権交代などと政治の枠組み問題が中心で動いていたから、アラは出なかったが、民主党政権が登場すると、おそらく戸惑ったのであろう。

小沢自身に政権を引っ張っていく具体的な施策など全く持ち合わせていないのだから。
それまでに、小沢の政治家としての本来の資質がないことを見抜かれ、小沢と行動を共にするような側近など。ほとんどいなかったのだから。

小沢の政策実行能力がないことに関連して、実際には小沢は常に自民党回帰へ走っている。
自民党のやり方に頼らざるを得なかったのである。

民主党の失敗は小沢を重要視しなかったと言う意見が、大方であるが、小沢には民主党のやり方以外、何も考えがなかったのである。
だから、小沢自身、具体的に民主党の政策を批判していないであろう。
野田内閣時代、消費税値上げの時期を問題にして党を出たのは、単なる口実として使ったのみ。

その証拠に、自分が危うくなると常に民主党に秋波を送っているであろう。
国民の生活が第一の党を1ヶ月も経たないうちに未来の党に変えたのは、それによって自分が直接政党の表に立たない為である。
現在も山本太郎の陰に隠れている。
国民の生活が第一の党を1ヶ月で捨てた行為こそ、小沢の正体であり、それまで小沢に期待していた人の大半は、これで呆れてしまい。小沢を見直し、捨て去ることになった

そうなのだ、小沢はね、責任を持った国会答弁もできないのである。
具体的な施策を持たないので、他党の追求には耐えられないのである。
国民の生活が第一の党を自ら引っ張って行く自信が全くなかったのである。

そんな小沢の言うことを、小沢が掲げる概念だけの政策を、理想のものと小沢に期待する人間が今でもいる。
小沢の言動に関するデーターは、政治家としては格段に多いはず。

しかしながら、小沢の実態に納得できるものはない。
この文章のような小沢観を知れば、全てがすんなりと理解できるはず。

そう、小沢は妙ちくりんなペテン師であったのである。
実害!

民主党みたいな政治勢力に、あらぬ期待をかけすぎ、本来の政治改革の姿が見えなくなったこと。
小泉が日本の政治改革を10年遅らせたと言われるが、
小沢がさらに10年、遅らせた。
結果として。

実態を伴わない架空の論理で政治勢力をまとめてきたから。
小沢には、民主党の枝野も前原も、野田も政策論でやり込める力はなかったのだから。

菅におとなしくしていろ、
と言われるほどに、全く軽んじられていたのである。
おとなしくしていろ、とは、政策の問題ではないのである。
小沢には政権政党を引っ張る、どのような具体的な政策もなかったことを、多くの仲間も知っていたのである。

安全保障の問題でも、国連中心主義を言い、国連待機軍を創設せよ、などと、馬鹿な話が実際の国会議員の間でできるものか。
尖閣諸島、竹島問題、北方領土問題を前にして、政権政党として。
あの、馬鹿な民主党内でも、小沢を相手にする奴はいなかったのである。

自民党時でも、そうであるが、小沢について党を出たのは、小沢の政策について出たのではなく、党内の権力争い、主流、反主流の関係で行動を共にしただけであるのである。

だが
最後に小沢のことを肯定しておこう。

小沢は政治の斡旋屋として実績は残したのである。

だが、それはあくまでも、自分の位置保全の為であり、国民を思っての事ではなかった。

現在の政治の現状を鑑み

誰が悪いのかな
メンテ
小沢一郎を総括する ( No.32 )
日時: 2016/09/22 13:54
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:zL3pe1YA

小沢一郎を悪くいう文章ばかりになってしまいました。
2009年当時の、小沢への私の想いも紹介しておきましょう。
旧掲示板にかいていたものですが、見られなくなっています。


小沢一郎に対する評価は極端に分かれる。

 肯定する人たちは、しっかりとした「国家観」を持っている唯一の政治家としてそれに期待を寄せる。 この点については小沢を否定する人たちの多くも認めるところである。 さらに言えば誠実な人柄に感銘を覚える。

 他方で小沢を蛇蝎のごとく嫌う人々も多い。 その人たちは彼の強引な手法、その人の思想による好悪の感情が露で取り付くしまがない態度を指摘する。 また自分勝手で約束を平然と反故にする身勝手な人間であると言う。

 彼に接したこともない私が言う小沢論は想像の域を出るものではないが、それでも情報を駆使し言動を注視することで、誠心彼に近づきたいと願うものである。

 私が彼に注目したのは、25年くらい以前のことです。 自民党の大物として浮上してきた彼がテレビで対談しているのを見たときからです。 大体大物政治家と言うのは、やけに老成ぶって司会者の問いかけにまともに答えようとしない輩ばかりです。 そんな中で小沢は司会者の問いかけに、はにかみながらも自分の哲学で答えようとしていました。 くだんの老成やろうにしては、青臭い奴だと軽蔑の対象であろうが私は彼の中に誠実を見ました。

 以来無条件にファンとなってしまったのですが、その時点で彼がそんなに大物とも意識せず、また大物になるとも思いもしませんでした。

 その後幹事長として、例の次期総裁選びで3人の候補者を事務所に呼びつけて面接したなどと言う問題行為が云々されたときなども、確かに思いも寄せない彼の一面に吃驚もしました。
しかしながら政治家としての国民に対する思いの念は、最初に受けた印象を裏切るものではありませんでした。

 そうこうしている内に自民党を飛び出すことになりました。 私自身驚愕的に受け入れた行為です。 そのとき政治家小沢に対する信頼は不動のものとなりました。 小沢はその判断について最初から現在まで、日本に政権交代を実現するための言い切っております。 自民党の中枢にいながら、政治家としての頂点、総理大臣の座を手中にしながらの決意はまさしく己の栄華よりも日本の改革を優先した判断です。 小沢は自民党政権の中枢にいながら自民党政治の欠陥を読みきっていたのです。

 今になっても、小沢の経歴の中に自民党の中枢にいたことをあげつらう人がいます。 政治家として、また本当に有能な人間が自然とその組織の中で有用な地位についた事に何故不審を抱くのでしょうか。 自民党の中で何も出来ない優柔不断の大人しい人間が国家の変革を目指せるとでも言いたいのでしょうか。 能力のある小沢だからこそ、何処でも力量を発揮し、かつ自民党を飛び出ることも出来たのです。

 その後の小沢の歩みは、折角の細川政権を瓦解させるなど悲劇的に推移し、結果は「壊し屋」などの名称を受けることになりました。 小沢が持ち続けている理想論が原理主義となり、仲間に性急にそれを要求した結果が体制を再び逆転させることになったのです。

 結果から見て、此処では確かに小沢の性急せいは不適切であったと思います。 政治の世界、人間の世界は何処までも理想的には推移しない事実を突きつけられてしまったのです。
その分小沢は政治の社会を甘く見ていたのでしょう。 しかしながら、その後十年の臥薪嘗胆、紆余曲折を経ても小沢の信念は微動もしてないことは明白です。

 最初に挙げた小沢を蛇蝎する人たちの言い分に彼の傲慢、身勝手がありますが、逆に考えて彼が、物分りの良い、すぐに妥協に応じる紳士である事が国民にとってどれほどのメリットになるのでしょう。 それは小沢の周りにいるライバルから見た評価でしかないのです。 その証拠に、小沢の国民に対する態度は常に誠実であり常に腰の低い態度を貫いています。

 小沢のHPなどでも証明できます。 数ある政治家のHPの中で主張者に返事をよこすHPがあるでしょうか。 現在はアクセスが多すぎてやってはいないと思いますが、以前は本人か秘書かは解りませんが短いコメントをつけて随分と後になっても主張に対する返信がありました。

 そこで民主党若手の悪口を書いてみましたが、返信には有能な若手も随分と育っているので今後に期待して欲しいと返信があったこともあります。 私は小沢に政治家を見ております。品行方正な一般人を要求しているのではありません。 国民に何をしてくれるかを基準に評価をして信頼しています。
25年前に聞いた、はにかみながらの青臭い書生論をとつとつと述べる小沢を信頼しているのです。

 年齢を重ね、今では決して気鋭の政治家とも言えませんが彼の心の中には、青春に気概に満ちていることを信じています。 要領の良い政治屋ではないのです。 政治家として豪腕なくしてどうして理想が貫けるのでしょう。 政治とは殺し合いと極論する人もいます。

 歴史的に見ても大きな政権争いは命がけです。 良いも悪いも小沢の全てがなければ大きな政権交代など出来ません。 小沢とは、そうした使命の元に存在する政治家と思っています。 私は、なお一層の激励を小沢に送りたい。


(2006年、小沢が民主党代表に就任したときの地方紙に載った小沢評)

小沢民主党の出現でやっと政治の対立軸が確定し、政治というものが本来の姿を取り戻した 小沢は国家ビジョンを明確にもつ数少ない政治家であり、その出現は時代の要請であると感じる。
風の吹くままに帆を張って右顧左眄して進むヨットのような政治屋から見れば、なるほど理念に裏打ちされ、豊富な政治経験から繰り出される政治手法は「豪腕」と映るであろうし、そのような理念も覚悟もない者たちからすれば、「政権交代こそ真の改革である」を持論として「去るものは追わず」でひたすら二大政党制の具現をめざした故の道程は、たしかに悲劇的ではあったものの、その生き様をして「壊し屋」としか批評出来ないのは至極当然のことであろう。・・・

政治を手段として、政党を目的化した大多数の政治屋には、政治を目的として希求する「小沢」という政治家は、異質でモンスターのような存在にしか映らないであろう。その意味で「小沢」の視線には、常に逆襲を伺う狡猾さが不気味につきまとい、その不敵な面構えは「権謀策術」や「手練手管」というイメージを背負った者ゆえのもののように見えるのだろう。「小沢」の動き次第で、昨年の総選挙における小泉の大勝利が逆に「あだ」となり、次期自民党の新総裁が新総理につけない事態も決して空想ではないであろう。
メンテ
Re: 小沢一郎を総括する ( No.33 )
日時: 2018/02/03 23:52
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:F5Mt4Uwc

今さらの話題であるが、達磨さんのスレッドで田中龍作氏と言う名前に触れて、この人は一時、小沢の支援をしていたフリージャーナリストである事を思いだし、ついでに小沢一郎の顔が浮かび、忘れていた怒りがこみ上げた。

私は小沢一郎の大きな期待を抱き、彼の存在が政治に関する意見の源泉であった。
小沢の不可解な動きも、小沢の戦略と思い容認してきた。

私が決定的に小沢を見限ったのは未来の党の騒動の時である。
その後の衆院選の敗北で小沢と嘉田の対立のニュースはいろいろと言われているが、その様なものには興味はない。

未来の党の結党時、小沢は党の役職にはつかないと言い始めた。
未来の党自体の国会議員は8名よりいない。
そこへ国民の生活が第一の党の国会議員、53名を引き連れて合流し選挙に臨んだ。

未来の党の国会議員の87%を率いる僚友が党の役職をおり一平卒になるなど、支持者にたいする何という無責任さ。
この事実だけで、衆院選で未来の党を選ぶことは止めた。

後から思えば、小沢には政党間の駆け引きは出来ても、政策で政党を引っ張るなどと言う能力は全くなかったのである。
自民党時代の剛腕も、金丸などの後ろ盾で党内の権力を握っていただけのこと。
政治家として、国民が期待できる人間ではなかった。

その証拠に、民主党が政権を取った時も、理由は何であれ、内閣に介入する事は避けた。
国民が民主党を支持したのは、小沢、鳩山のコンビが日本の政治を変えてくれるものと思ったからである。

小沢は内閣から身を引くだけでなく、盟友、鳩山が失速したとき、それを助けるどころか一緒に党の役職からも降りてしまった(一平卒になってしまった)。
その後も、政権を取った菅、野田に対して文句はつけるが政策論で議論した形跡はない。

詰まるところ、小沢には、政党はもちろん、仲間さえもひきつける政策な持ち合わせてはいなかったのである。
小沢を評価する人間は、小沢の基本政策が良いと言う。
しかしながら、小沢のそれは中学生のような理想論に過ぎず、原口など近い仲間と思われた人間にも信頼はされてはいなかった。
特に小沢の財政、経済論全く内容がなく、誰も取り上げ事はなかった。

自民党を離党したとき、有力議員が小沢と共にしたのは自民党時代の剛腕が政治的にも発揮されると勘違いしたからであり、小沢のメッキがはがれるにつれて、だんだんと小沢を離れていった。
正体がばれた小沢には、その後、田中真紀子も鈴木宗雄、河村かたしと言った著名な人間も近づくことは無かった。

そう言う小沢としては、未来の党を立ち上げた時、競争相手もいないことから、自分が全ての責任を負わねばならないとみて、早々に逃げ出した見るのが正解であろう。

このような小沢の小心さ、臆病さは東日本大震災の後でも放射能が怖く、1年も現地入りしなかった事でもわかる。
小沢などは、日本男子とも見ることが出来ない臆病者である。
奴は、400万人いたとも言われる支持者の心を弄んできたのである。

斯く言う私は、小沢支援の市民デモを大阪で組織したほど熱心な小沢支持者でした。
そう言う活動をしている最中に、菅内閣不信任案騒動が起き、小沢の最終的な判断を見て、これは可笑しい!
どの様な理由を考えても小沢を信頼する事に疑問をもち、あっさりと、その活動を降りました。
その直後から阿修羅掲示版などで反小沢のキャンペーンを張り、仲間からは裏切り者、ネトウヨ、自民党の工作員などと罵声を浴びました。
野中ひろむなど、小沢の人物を直接知っている者なら、ともかく、これほどの腰抜けとは思いもよりませんでした。

民主党を出てからの小沢は、予想通りの正体を暴露する結果となり、あの時、小沢支持を止めた事を喜ばしく思っています。

こいつのペテンを見破る事ができず、30年ちかく期待して来た事を恥じるばかりである。

現在、自由党の代表として動いている小沢の姿が、正真正銘小沢自身の姿なのです。
それ以上のものを期待する事はありません。


メンテ
Re: 小沢一郎を総括する ( No.34 )
日時: 2020/06/10 15:25
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:g0T2vv3A

小沢はね、

自民党時代は金丸の影響力下、自儘に行動し仲間から顰蹙を買う。
金丸が失脚したが、金丸のおかげで、その時点で自民党派閥の一方の権力を手にしていた。
全くの虎の威を借りる狐、そのものに過ぎなかった。

自民党を改革すると自民党を出たが、それは金丸がいないと己の権力が維持できないと思ったため。
自分が窘めてきた仲間から反撃される事が怖かったのである。
そのために何とか当時の仲間を誘い自民党を出ることにした。

その小沢の政治信念は、張り子のトラ、覚悟において脆弱なもの。
自民党を出て、反自民の時流にのり反自民勢力を糾合して運よく政権を手にしたものの、打ち出すべき施策など(政治信念)持ち合わせていない。

何も打ち出せないまま(国民福祉税構想などは大蔵省が悲願としていたものを頂戴しようとしただけ)、相変わらずの強引さ(身勝手)は同志に受け入れられず政権自体が破綻した。
小沢を党の盟主と仰ぐような者はいなかった。

小沢には同志を糾合する政治信念などは、なかったのである。
政治的誠実さはなかったのである。
小沢の身近にいて、小沢を知るものは、「これではだめだ」と思ったことであろう。
小沢の正体が暴露され、その後に同志はちりじりになる。

ところが、メディアからの情報よりない一般の小沢支持者には小沢の正体が分からない。
小沢が掲げた政策を単純に信じ(名目だけであるのに)小沢人気は、それなりに続いた。

結果、民主党政権ができるまでは、小沢の魔力が有効であった。
民主党政権が出来て、小沢が活躍できなかったことは、小沢自身に能力(信念)がなかったと共に、身近で小沢に接する仲間は。小沢の欺瞞性を知っていた。

小沢が政治的に何の影響力もなかったことは、時流に乗って議員となった、小沢チルドレンとなった議員が、少しも育たなかった他に、彼らも徐々に小沢を離れることになったことで証明される。

それほど政治信念に欠けた小沢の、民主党政権での言動、またその後の経緯を見てみると、もう無茶苦茶の一言に尽きる。
それは細川内閣の、それと同じであった。
管内閣不信任案騒動の時も、意志を貫く勇気も、管にとって代わる自負もなかった。

嘉田と立ち上げた国民の生活が第一の党などでは、一兵卒宣言をするなど、支持者に対して全くの無責任男。

小沢一郎を批難すると、小沢は民主党政権時代、仲間から爪はじきされ実力が発揮できなかったと擁護する人が多いが、ならば
国民の生活が第一の党の、この様は、どうして弁解できるか。

小沢自身、何の能力もなく、ただ逃げたのであるが、だれがその様な事を思えたであろう。

そのまさか!があったのである。

だが、結果、小沢の正体を多くの支持者が見抜くことになり、あきれ果てた支持者は小沢を一斉に離れ、当時の同志の議員の殆どを落選させた。


だれもが信じた小沢の政策は、全て概論、総論に過ぎず、現実政治では成り立たない。
何よりも、それを実践する気持ちがない。
国連待機軍構想なども、中学生程度の理想論。

小沢は自分が現実に政権の表に立つことの結果を恐れていたのである。
自分の無能力がばれることを恐れていたのである。
民主党時代、管に座敷牢に入れられた経緯など、正直、仲間からは、その程度に見なされていたのである。
その証拠に小沢に味方する仲間は誰一人いなかった。

国民の生活が第一の党の崩壊後、なりふり構わず、政策抜きの野党統合に走ったのも、政権交代の為の妥協などではなく、もともと小沢に政治信念はないのである。

自民党の野中は、その小沢の欺瞞性を早くから見抜いていて、小沢を毛嫌いしていた。
思うに、小沢は稀に見るペテンをしたのである。
己の政治的立ち位置だけを問題にしていたペテン師だったのである。

私も含めて何百万の支持者をだまし、長い間政界を持て遊んだ。政治を持て遊んだ。
最後は山本太郎にも袖にされる程度の実態。
あまりにもだらしないために長年、連れ添った婦人にも離縁される始末。

それが小沢一郎であった。

小沢一郎は、20年間に渡り野党のあるべき姿を変質させてきた。
小沢がいなけらば、もっと異なった野党の姿であったであろう。
小沢は、ことさら、政治理念も信念もないのに政権奪取だけを目指す野党を作って行ったのである。

民主党があれだけ議席(300議席)をとっても、何一つやることが出来なかった。
立憲民主党、国民民主党などは、その残礁に過ぎない。
結果、現在の日本には本当の野党は存在しなくなったと言える。


戦後政治を改革できる英雄と勘違いした私は、情けなかった・・・
また、我が国の憲政史上、最大の臆病者であったということである。
実際に、政治信念のみならず、福島原発事故のあと、放射線が怖くて地元には行かなかったことも本当の事のようである。
メンテ
小沢の素顔 ( No.35 )
日時: 2020/07/15 15:49
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:vr5u6f56

田中角栄以後の政界で、つねに圧倒的な存在感を放ってきた政治家・小沢一郎。
その実態は、角栄をはじめとする政界の「恩師」を次々と裏切り、野中広務ら「政敵」を屠るものでしかなかった。そんな小沢に数多くの有権者は「豪腕」「壊し屋」「乱世の小沢」という異名を与え、過剰なまでの「幻想」を抱いてきた。だが、彼が政治家として成し遂げたことはあまりに小さい。
東日本が大震災と大津波で壊滅的な打撃を受けた最中に、「菅下ろし」の政局を仕掛け、被災地に足を向けることがなかったことからも小沢という人間の“冷血”がよくわかる。このような人物が「政界再編のキーマン」と呼ばれる存在でいいのだろうか。
小沢一郎という「危険な政治家」を20年にわたって追い続けてきたジャーナリストが、その生い立ちから血脈のすべてを描く。ついに法廷に引きずり出される小沢金脈の“黒い霧”。そして、20年来、秘書として小沢に仕えてきた“懐刀”高橋嘉信が初めて明かす小沢の素顔とは――。


「小沢はもう終わりだな」
「決まってるじゃないですか。終わりですよ」

 野田佳彦内閣が発足した直後のことである。今回の組閣で政務三役に抜擢された議員2人が、密かにそんな会話を交わしていた。
 2人は小沢一郎元代表に対抗する民主党内の非小沢勢力・・・・・・ではない。彼らはともに、小沢グループでは中核と目されるメンバーだ。

 自他ともに認めるバリバリの小沢系---にもかかわらず、2人は小沢に対する憤りを隠さず、すっかり見限った様子だった。
「なぜ小沢は、代表選の前に野田と会っていたんだ。あれは俺たちに対する重大な裏切り行為だよ」

 民主党代表選が告示される直前、8月下旬のこと。小沢はかつての同志・細川護煕元首相を介し、野田首相との極秘会談を行った。
 細川の証言によれば、小沢と野田の会談時間は約40分。ともに幹部として長く同じ党に属していたにもかかわらず、両者がサシで話をするのは、これが初めてだったという。

 会談は終始、和やかな雰囲気だったようだ。細川によれば、野田が代表選で披露したどじょう演説≠ノ対し、小沢は「よかった」と電話で感想を伝え、さらに側近の輿石東参院議員会長が党幹事長に就任したことについても、「とても良い人事だ」と、野田を手放しで褒めたという。

 だがこの極秘会談は、小沢を支えるべく、野田や前原誠司政調会長、仙谷由人政調会長代行ら「反小沢勢力」との闘争を繰り広げてきた小沢の側近たちにとって、「許しがたい裏切り」にしか思えなかった。
 小沢グループのベテラン議員の一人は、忌々しげにこう語った。

「野田だけではない。小沢は我々には何も言わず、仙谷とも会っていた。結局、代表選が終わったら野田・仙谷にスリ寄って裏で手を結ぶつもりだったんじゃないか」

 冒頭で「小沢は終わり」と言い放った政務三役の一人も、こう吐き捨てた。
「これじゃあ来年9月(の代表選)も、野田が続投するのは決定的だな。小沢はもう終わったんだよ。今後、たとえ裁判がうまくいって無罪になったとしても、総理を目指すなんてとても無理だ。せいぜい野田の下で、副総理止まりだろうよ」

 2年前の政権交代の時点で、小沢とその「軍団」の力は、まさに他を圧倒していた。当時の鳩山由紀夫首相以下、閣僚も党役員も、小沢大♀イ事長に逆らうことはできなかった。

その影響力は、小沢が政治の師と仰ぐ故・田中角栄元首相を彷彿とさせるものだった。角栄は'76年にロッキード事件で失脚するも、その後の内閣は「角影内閣」「直角内閣」などと呼ばれ、政界のキングメーカーとして君臨した。

 時の総理も大臣も逆らえない、圧倒的な権力。小沢はほんのひと時、師匠に並びかけたのかもしれない。だが、絶頂は長く続かなかった。

 角栄がロッキード事件の裁判の過程で力を失っていったように、小沢もまた「政治とカネ」の裁判を抱え、昨年6月に幹事長を失職する。以来、自ら代表選に出馬するなど、幾度となく復権を図ってきたが、今回の代表選では野田に敗北。9月26日には、元秘書の大久保隆規被告ら3人の政治資金規正法違反事件の判決が控えている。小沢の政治生命は、いよいよ「落日」を迎えようとしているのだ。

 代表選で事実上の3連敗を喫した直後、小沢は自身の傘下にある3つのグループ、「一新会」「北辰会」「参院小沢グループ」の統合を発表した。約120名を一つに統合し、来年9月に予定される次回代表選に備えるため、と見られている。
 ところが驚くべきことに、「絶対服従」のはずの配下の議員たちが、小沢の号令に従わなかった。それどころかグループ内から統合案への異論が続出し、計画が頓挫したのである。

 小沢グループの議員たちからは、こんな反対意見が次々と飛び出した。
「小沢さんが有無を言わさず1人で統合を決めてしまった。代表選の敗因の分析もしないうちに、統合という結論ありきはおかしい」(小沢グループ中堅議員)

「代表選の連敗により、党内で反小沢票のほうが過半数を占めていることがはっきりした。小沢グループの数は減る一方だ。まずは仲間を増やすべきなのに、グループ統合論になるのは解せない。統合なんてすれば、締め付けを嫌がって仲間がさらに減るだけ」(同若手議員)

「いくらタマがないからと言っても、西岡武夫参院議長や輿石東参院議員会長なんていう、突拍子もない名前が飛び出した時点で、政治的に終わっている。小沢さんは、カンがすっかり鈍ってしまったのではないか」(同ベテラン議員)

 小沢グループは、かつての「田中軍団」を彷彿とさせる、鉄の結束力を誇ると言われてきた。
 しかし、領袖の角栄本人を含め、その後に何人もの総理大臣を輩出し、七奉行と称された幹部など人材の宝庫だった旧田中派に対し、小沢グループはまだ総理の椅子を手にしたこともなければ、お世辞にも人材が豊富とは言えない。
 政治評論家の小林吉弥氏はこう評する。

「田中元首相と小沢氏の人間性の違いが、集団の特性にも影響しているのでしょう。田中氏のもとには、彼の人間的な魅力に畏怖や尊敬の念を持った有能な人間が集まり、それが政治を動かす力に繋がっていた。

 一方で小沢氏の場合、田中氏が持っていたような懐の深さ、心の広さを感じることが少ない。小沢氏の周囲には、『選挙でバックアップしてもらえるかどうか』など、損か得かの利害関係に基づいた人間関係しかありません。そこが田中氏ともっとも異なる点であり、小沢氏が決して田中角栄にはなれない所以なのです」

 その権力の源泉がカネであるのは共通しているが、角栄の人間力で結びついていた面もある田中軍団に対し、滅多に人前に姿を現さず、引きこもりがちで人見知りな小沢の率いる軍団には、そうした「陽」の雰囲気がほとんどない。

 それでも、どうして表面上の結束を保っているかと言えば、カネをバラまき、一部の側近が「恐怖政治」を布いて、新人・若手の不満を抑えつけているのが実態だ。

(引用終わり)

※ 小沢の裏切りは、民主党を離脱した時の同志、60人を切り捨て、嘉田と共に未来の党に走るなど、晩年になる程、その正体が顕著になっている。
政治家以前に人間として失格である。
多くの支持者にとっては敵前逃亡であり、断じて許せられる問題ではない。
一人前の政治家が、まさか!と思う所業であり、小沢に心の病があるとしか、考えられない。
今に始まった事ではないので、小沢は昔から、その様な精神疾患があったのではないか。
いまだに、小沢の戯言(政策)信じて居る者もいるようであるが、それは、もう、カルト信者に他ならない。
小沢は自分の政策に誠実であった事は一度もない。

野田との代表選でも、自分が出ずに海江田を擁立しながら、裏では野田と手を結ぶ。
未来の党では、一兵卒になる。

要するに、小沢は自分が総理になって国を導くような思いは、もってなかった。
このような話は、何回も出てくる。
いざとなると、逃げまくる小沢の姿が現されている。
ただ、政局をもてあそび、自分が影響力を持ちたいだけの痴れ者。
国民を思う政治に、ひとかけらの信念もない。
その様な奴に、どうして日本の未来が託せるか。
こんな奴に、多くの支持者が騙されて現在(今の野党)がある。


昔、中国には宦官と言う官吏がいた。
宦官とは、何かの理由で去勢された(性器を切除し、種として生殖不能な状態とすること)官吏のことです。
宦官は時の権力者の近くで勤務し、権力者から寵愛を受けることが多かった。

それゆえに

秦の趙高
後漢の黄皓
唐の高力士

等、政治に口を出し権勢を振るうものが続出した。
彼らには、国家、国民の理念などなく、ただ権力を欲したのみ。
拠って、多くの国が亡びる結果を招いた。

小沢一郎!
どこに違いがあるのか。

最晩年になり、長年連れ添った妻にも離縁され、盟友もなく、いまだに一人野党再編を説く、哀れなピエロ!
生き恥さらしても、恥とも思わない、
それが、小沢一郎!

自業自得と言うもので一片の同情心も沸かない。
我が国の憲政史上、これほどの、大バカ者はいなかった。

メンテ

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