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[1661] 人間成長の限界
日時: 2013/01/01 08:39:39
名前: 満天下有人 ID:1356997180

・・・目出さも
    あなた任せの
        年の明け・・・

・・・宇宙運行の神は、暮れると必ず明けを運んでくださる。
そこに棲まはせてもらっている人間ども、そろそろ自らの手で明けを運ぶことが出来るのか、21世紀もその内の13%を既に費やした、自らが創り上げて来たシステムも老朽化し限界に近づいてもいるような・・・

社会の、世界の仕組みを巨大な機械と見立てて見るに、民主主義とやら言う潤滑油も、部品にばかり油を注ぎ、この巨大な機械が果たして全人類のエンジンとして適切なものなのか、機械そのものの構造を考えて見る修理屋さんが居ないように思える。

・・・いや修理屋さんは修理が専門だから、機械の構造そのものの適否を求めるのは酷というものだ。だが大きな設計士さんが世界を見渡しても居ないことが、人間の成長の限界を予感させる・・・

ITを駆使しての今日的民主主義の表現の場を掲示板とするなら、どの巨大掲示板を見ても、部品の修理というか、ここのネジはあそこの部品屋に頼もう、いやこっちだと、部分だけの議論に終始している・・・某巨大掲示板を見てたら潤滑油にはベーシックインカムが最適だとの、未だに機械全体を爆発させてしまうような危険な論がまかり出て来ている。

一つの修理現象としてそこにも、機械全体の構造を見れていない、単なる油差しの視点しかない。

・・・新たな機械のエンジンは、エネルギーをくまなく隅々にまで送り込むものでないと、偏った構造ではいずれエンジンストップの日を迎える。人間社会を動かす巨大機械に新たなセンサーを組み込まないと爆発してしまう。新たなセンサーの哲学をどこに求めるか、人間に対する価値観なるものは何なのか、空気を吸い、食わない事には人間は生存できない。価格需給や金融分析主導の論に終始する経済も、何のために同じ論議を繰り返しているのか、経済における価値論がすっぽり抜けたままである・・・これも機械の部品いじりと同じ光景ではないか、宇宙の動かし難い元素を無視したままで、地球崩壊をあれこれ論じるに等しくなる・・・

・・・まあ、人間はただ生きている、生かされているだけの生物体で、別に価値なんぞを求めるややこしい話など不要かも知れない。ならばそれこそが「人間成長の限界」というものになる。だが、生存したいという本能が存在する限り、部品いじりを何のためにやっているのか、人間に沿った共通する価値原則をも一度振り返って見ることから始め直さないと、運行機械が爆発してしまう。

…謹賀新年、謹んでお喜びを申すべきところ・・・

目出たさも
  半ばなりけり
      年の明け・・・

各位様におかれましては、先ずは生存継続の証として新年を迎えることが出来たことに同慶を申し上げたく。  
メンテ

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Re: 人間成長の限界 ( No.26 )
日時: 2013/01/12 13:32:55
名前: イントィッション

日銀総裁に必要な第一の要件は売国者でないこと

英語を話す優秀でない人と、英語を話さない優秀な人のどちらが良いかと言えば、英語を話さない優秀な人が良いに決まっている。


言語の問題はあらゆる手段で解消可能だが、本人の能力の問題は解消不能だからだ。


日銀の総裁に就任する人物なら、英語を話せる前に、普通の漢字を読める日本語能力が必要であることも言うまでもない。



日銀総裁に必要な能力は、第一に金融政策に関する正しく深い学識である。


金融政策の本質を正しく、深く理解する人でなければ日銀総裁の職は務まらない。


この点について言えば、財務省出身者の99%は失格である。


財務省の幹部経験者の大半は法学部出身で、国家公務員試験の法律職か行政職で採用された人々である。行政や法律の専門家ではあっても金融政策の専門家ではない。



ttp://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/post-1f62.html

日銀総裁に就任する人物として求められる第二の資質は、売国者でないことだ。これが本当の意味での第一の資質であると考えるべきだ。


売国者ではない愛国者であることが必要だ。


まして、自分の納税額を減らすために、1月1日の所在地を外国にして、地方税の支払いを免れるような納税忌避行為を繰り返し行うような人物は、まずこの要件に適合しない。


竹中平蔵氏は2001年から2006年にかけて小泉政権で経財相や郵政民営化相などの職に就いたが、その実績には重大な疑問符が付けられている。
メンテ
Re: 人間成長の限界 ( No.27 )
日時: 2013/01/12 14:46:52
名前: 満天下有人

しかし国がやる強度設計は、ほんとにいい加減なものですね、文字通り中はスッポンスッポンじゃないですか、土建分野だけでなく、全てが空洞みたいで・・・その伝で言えば、

<国の財政赤字など、5000兆円になろうが1京になろうが捨て置いて、ただし金利負担もなくして、>も出来ない事では無いと思いますが、その前提としては、どうしても鎖国を要するでしょう。

オープンにして為替も金利も外と連動したまでは、国債金利0でやることは不可能でしょう、逆に金利の暴騰を招いてしまうし。鎖国は出来ないことは無い筈です。高度成長期におけるお上による護送船団方式は、いわば半鎖国でやったのですから。さすればお上も世間の批判に晒されることも無くなるのに。
今の状況は企業だけでなく政府までが国際的に一流でありたいとするから矛盾してしまうのですね・・・自由市場原理に従って、お上たちもいい目をしようとするから、国内体制もグチャグチャになってしまう。
黒船来航以来、学習は十分やったし、相手の手の内も既に分かっている時に、鎖国しても別に怖いものはないと思うのです。オープンにしたままで国内循環型は難しいでしょうが、鎖国でもしないと国内は循環型にはなれないと思いますね・・・な〜に、鉄鉱石も原油も売ってくれなくなる心配は無用、商売ですから売ってくれる国は他にも出て来る筈です・・・

貿易収支など、仰る通り、たかが15%程度のことです。

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Re: 人間成長の限界 ( No.28 )
日時: 2013/01/12 15:00:19
名前: 満天下有人

イントちゃん、漢字で中央銀行の中立の意味も分からないやつが、英語で分かる筈もありませんね。

安倍の頭の中では、竹中も日銀総裁候補名簿に載っているようですが、まあ、いくら何でもあのような売国奴を据えることは回りがさすがに首を縦に振らないでしょう。

テレ朝とかTV局は安倍再登場で喜び、竹中が委員になった産業強化会議の成長戦略もベタ褒め・・・こいつら5年前では竹中に集中砲火を浴びせていたクセに、もう「信義」などどうでも良いと言った風情・・・漢字の意味など、どうでも良い人間ばかりが増えて。
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青少年に精神を研ぎ澄ます鍛錬を・・ ( No.29 )
日時: 2013/01/13 08:20:52
名前: 満天下有人

学校問題から後を絶たない青少年の自殺を嘆いてアメリカ在の友人が、次のようなメールを送ってくれました。

『日本人の 国民的性格か、弱いもの いじめが 好きなんです!先生と生徒/学生、体育会での先輩と後輩、大日本帝国陸軍での初年兵と下士官、総て一方的なんです。
(逆らうことなんて、出来ませんよ!)  いや〜サドマゾの世界なんです、日本人は明治以後狂ってしまった!

沖縄空手道の大家:上原 清吉(うえはら せいきち、1904年3月24日 - 2004年4月3日)

本部朝勇の高弟の一人であり、本部御殿手古武術の第12代宗家。
また弟子に対する気遣いも深く、ある武術大会で武術師範が弟子と演武をして弟子を打ったり蹴ったりして血まみれになる光景を見て気分を害し「稽古で弟子に怪我を負わせる先生と言うのは、自ら指導する力量が無いことを表してるようなものだ。」と語った。御殿手の稽古も大変厳しいが、それでもなお稽古で重大な怪我人を出していないのは弟子たちを遥かに凌駕する実力の持ち主であったからなのである。

私見ですが、日本人の道徳規範は武士道に総てがあると思います。武士道を放棄すると大正から現在に至る日本人となります。』

・・・上原氏の古武道の真髄は「稽古で弟子に怪我を負わせる先生というのは、自ら指導する力量が無いことを表しているようなものだ」、正にそのことを友人は言いたかったのでしょう。

上原氏は少年の頃、家業である醸造業が傾き、兄を頼ってフイリピンのダバオへ移住もされ、そのまま太平洋戦争勃発でジャングルでの戦闘に従事、復員後に戦闘で使った武術に嫌悪感を抱いていたと言われている。それでも占領下にある沖縄での米兵の乱暴ぶりに堪り兼ねて、已む無く武術を行使したこともある。

精神の鍛錬として我が国における武術には、空手に剣道、柔道などもあるが、軍部政治によってその精神も悪く利用されたケースも多いことであろう、武術を通じての精神の鍛錬も、奥義に達するのは常人ではなかなか難しいことでもあるが、しかしそこには何かを追及する道が存在することも確かであろう。

それを教える者がいなくなった、今では自由なサークル活動で趣味的に武術習得の場しかない。教える側も悪しき戦後総中流社会の中で教えられ、途中から芽生えた弱い者いじめの中で育ってしまっている。加えて変な競争社会に晒されて来て、教える者が自らを守ることに精を出す。
・・・極端な戦争反省から復古調であるとの批判が出ることは承知の上で、精神を研ぎ澄ますものとしての武術を、必須科目にしてはどうなのか、真髄を教える者がいない今日では、道のりも遠い事ではあるが。何か道は無いものか・・・
安倍が求める昔の日本を取り戻すこととは、全く違う方向の純粋なものとしての、精神の奥にあるものを求める道を。


メンテ
Re: 人間成長の限界 ( No.30 )
日時: 2013/01/13 17:49:33
名前: 天橋立の愚痴人間

人間成長の限界ならぬ人間性の限界の話になるかも知れません。

大阪の高校での話は、詳しく知れば知るほど卑劣な状況のようです。
学校ぐるみの犯行と断定して対処すべきであります。

自殺した生徒は、自分の事を担任にも校長に言っても火に油を注ぐ結果になる事が判っていたのでしょう。
親の期待も裏切りたくない気持ちとの板ばさみになり、学校を辞めることもできず発作的に死を選んだ事が十分に理解できます。

他のスレッドで吼えまくっていますのは、このような状況下で一般の理では打開できない事が判っているのです。
橋下も絡んで色々と言っていますが、この組織ぐるみの犯行を、直接関係した者にのみ責任を取らせることで決着がなされる事が目に見えています。
それも世間の顔色を見て、最小限の処罰で。

それでは自殺した子供、両親を救えるものではありません。
トコトンの復讐こそが、何とか気持ちを和らげる事ができるのです。

くだんの学校のPTAの有志が100人や200人、学校へ乗り込んで教師全員を2〜3日缶詰にし、吊るし上げるくらいの行動を起こさねば、根本的な解決はなく、また、どこかで繰り返されます。

教育委員会のクソ共(此処は、そんなクソが集まっている場所)も同じようにする必要があります。
この行動は表面の理屈に重点があるのではありません。
父兄の怒りの大きさを示すものです。
暴力には暴力(実行はしなくても)で対応して、相手の心根を怯えさせる必要があります。

話代わって剣道の事です。
以前にも書きましたが私が大学時代、4年間だけ剣道をしました。

剣道は(空手も)元々殴ることがテーマの競技、たまには防具を外れたところにも竹刀があたります。
当たると痛いですし傷もできます。
連続した稽古では吐き気をもよおす場合もあります。

最初は、防具をつけているにせよ、相手を思いっきり叩いてよいものか、と戸惑う気持ちもあるでしょう。
気合のために発生練習もします。
他の人が見ていると、罵声を上げている姿は単なる野蛮、単純と見えるでしょうが、

そういうことを通して、敵に向かう気概を養成しているのです。
御蔭さまで、以後の日常生活において、必要な場合には大声を上げて抗議する事に躊躇することはなくなりました。
叩かれても(叩かれた事はありませんが)怯む気持ちを持つことはなく、勝てなくても自分の誇りは維持できるようになったと思います。

何よりも内部のその気概の充実が相手を押す力となっていると思います。
私が徴兵制に賛成していることも、単に、人間は自身の成長のために身体で体得すべき大きなものがあると言う事を言いたいのです。

徴兵制といえば軍国主義と同じ意味を持つと考える人には理解できないでしょうが。
つまる、ところ、掲示板での私の戦闘性も武道の賜物でしょうか。

私の場合は4年間の武道の経験、武道にのめりこむことを良しとするつもりは毛頭ありません。
のめりこむと、のめりこむ事による弊害が人によってはあるかも知れません。
そこのところは、私には体験できていませんので、このように申しておきます。
丁度、2年くらいの徴兵制でよいのです。
みんなが、それによって何かを身につけるとは言いませんが、自分を守るという気概は、外的から国を守るだけではなく、自分たちの国(社会)自身を守ると言う事につながります。
男だけでも!

変な落ちとなってしまいました。
メンテ
夜警国家 ( No.31 )
日時: 2013/01/14 07:35:06
名前: 満天下有人

<暴力には暴力(実行はしなくても)で対応して、相手の心根を怯えさせる必要があります。> 

同じような事件が連続しても何も変えられない、ついこの間の昨年夏に、滋賀県大津市での中学生自殺事件で大きな騒ぎがあったと言うのに、また悲惨な事件が起こってしまう。

<人間性の限界>が、人間成長の限界でもありましょう、となるとドイツ社会学者ラサールの夜警国家をはるかに超える自警で対処せざるを得ない状況です。

大津事件では、教育委員会なる制度上の欠陥について、当該子どもと親はそっちのけで、大津市長と教育長との間にバトルがあったやに記憶します。教育委員長が加害者側家庭における倫理観や教育の問題を楯に問題をすり代えて、市長と対立、市長は地方行政上無関係でないとの問題に発展するなら、教育長は市長の組織下に入るべきで、教育委員が中立性などを主張できる立場にはないと、その無責任性を批判しておりました。

安倍政権も選挙中から教育委員会制度をそのように変えると公約しておりました、しかし一方で自由で強い個人の確立とも言ってますから、制度上のことで果たして問題が解決出来るものなのか、甚だ怪しいことです。

自由な社会と言いつつ、一方で相手が組織的に立場を守るなら、こちらも組織化しない限り太刀打ちできなくなる、人間性の限界があるなら、自警せざるを得なくなります。いじめ問題に限らず、色んな分野でいよいよそうせざるを得ない社会構造になってしまったと言うことでしょう。
メンテ
Re: 人間成長の限界 ( No.32 )
日時: 2013/01/14 09:34:31
名前: 北の国から

 満天下有人さん、今年もよろしくおねがいいたします。

 人間の成長というテーマは、やはりたいへん壮大なテーマであり、ましてや、その限界(つまり
到達点はないと解釈しましたが)については、難解な問題です。

 たとえば、地球の110億年の歴史の、ほんの一コマが現代であるとすると、この数千年の人間
の生きる知恵という点では、ほとんどおおきな進歩はないというのが、考古学者たちの見解です。
古代の壁画などのデッサン力の水準の高さなどは、よく知られていることです。

 ところが、人類が(ほんとうに少しづつではありますが)「弱肉強食」から「支えあう」という
知恵を前にすすめたところが、人間の人間たる所以になりつつあるのでしょうか。そして、そのこ
とが、『人類の数十万年におよぶ基本的DNA』として(本来的に)息づいていることのみが、人
間の成長の貴重なベイスになっている(もちろん激しい逆流もありますが)と思います。

 憲法9条にしても、25条にしても、国民がただ黙っていただけでその恩恵に浴するのではなく、
(憲法前文にあるように)不断の努力でその本質的内容を勝ち取らなければならなく、このことを
自覚できるチャンスがあるのかないのか、闘いのきっかけにたちあがれるのかどうか。
 このことが、今日の「人間の成長」を考える上で大きなポイントのような気がします。

 だからこそ、体罰、自殺の事件では、そういう社会を変えていくさまざまな運動、とりくみだけ
でなく、当事者(犠牲者たち)たちが、その場で敢然と(機敏に)反撃をすることが必要であると
思うわけで、そういう積み重ね(物理的なものも含む実践)なくして、人間の成長は前進しないの
ではないでしょうか。 
メンテ
Re: 人間成長の限界 ( No.33 )
日時: 2013/01/14 11:55:33
名前: 満天下有人

北の国さん、こちらこそよろしくお願い致します。

所謂、経済上での成長率に対し、人間の性(サガ)が、どれほど成長したのか、両方の意味で成長がどのような軌跡を辿って来たのかと、途方もないことを考えてみたくなって、掲題スレッドを立ててみた次第です。追々テーマを追加して行きたいと考えております。

誠に古代壁画を起点に振り返って見ますと、さほど人間は進歩もしていない、弱肉強食から共存共栄の道を探りながらも、その時々に於いて小さな知恵が何か大きなものに誤魔化されて、言ってみれば構造の原理を誰が創っているのか、各人はそれが分かっているのに、その時々の知恵で問題を回避すれば、大きな事を見逃してそれが進歩だと思ってしまうのですね・・・「賢しこい愚者」の集まりとでも言えば良いのか。

経済上の成長は既に限界に来ている、ならばどうするか、共生の道を探るしかない。それも出来ないとなるとどうするか・・・小さな範囲でも良いから共生するしか手立てが無い、鎖国の途も選択肢に入って来ることでしょう。グローバルな共生の道を閉ざしているのは、正にその今日的なグローバリゼイションである矛盾に気がつくかどうかにかかっている。

憲法改正問題も然りでしょう、何をどのように変えるのかという、根本にある価値観が欠落したままでは、ましてや安倍政権が言うところの天皇を元首にして自衛権を云々するだけでは、文字通り国家主義に走るだけで、それ以前の価値基準=そこに生存する人間を基本に物事を考えずに、単に武器を持って国民を守ると言うだけの改正に過ぎなくなるでしょう。現状でさえ、基本的人権も守れないのに、何を守る為に改正しようとするのか・・・

仰る通り、そのことは憲法前文に謳われているように国民の権利は、国民の不断の努力によって確保されるべきなのに、そのことが大きなウネリになっていませんね。小賢しく振舞って身を守ろうとする根性は、正にこれも賢い愚者の集団でありましょう。

・・・北海道では当然の気象でしょうが、今日は関東地方も朝から雪で、平野部でもかなりの積雪の予想です。成人の日ではありますが、どうも過去においても成人の日の天候はよろしいくないようで。どの成人の日をとっても、若者にとってのこれからの人生を暗示しているように感じます。
メンテ
Re: 人間成長の限界 ( No.34 )
日時: 2013/01/14 11:57:37
名前: 天橋立の愚痴人間

>自由な社会と言いつつ、一方で相手が組織的に立場を守るなら、こちらも組織化しない限り太刀打ちできなくなる、人間性の限界があるなら、自警せざるを得なくなります。いじめ問題に限らず、色んな分野でいよいよそうせざるを得ない社会構造になってしまったと言うことでしょう。

衆愚を民主主義の落とし穴と考えていましたが、このシチュエイションを説明されて、新たなものに気がつきました。

自由な社会、所謂、個人の権利、個性の自立と言うことは、いかにも理想的ではありますが、一方で組織は組織として過去も現在も健在であり、自由な社会が確立されるほどに、バラバラになった個性に対して組織の権力は強く覆いかぶさっていると言う事になります。

昔の様に権力自体は強くありませんが、そう思っているのが盲点で、個人がバラバラになった分だけ強く作用する結果となっている事に気がつかないのでしょうね。

資本主義の矛盾も同じ事で、大衆が、その利益に喜んでいる間に、じわじわと自分自身を追い詰めている事に思いを馳せようとはしないのです。

もちろん、民主主義も資本主義も人類が望んだ理想であり、これを否定する気はないのですが、そのシステムが持つ負の面もしっかりと認識し対応しなければならない事に気がつくべきですね。

丁度、北の国からさんが同じ事を書いておられます。


>憲法9条にしても、25条にしても、国民がただ黙っていただけでその恩恵に浴するのではなく、
(憲法前文にあるように)

・・・不断の努力でその本質的内容を勝ち取らなければならなく・・・

このことを
自覚できるチャンスがあるのかないのか、闘いのきっかけにたちあがれるのかどうか。
 このことが、今日の「人間の成長」を考える上で大きなポイントのような気がします。

メンテ
Re: 人間成長の限界 ( No.35 )
日時: 2013/01/14 12:37:18
名前: イントィッション

>憲法改正問題も然りでしょう、何をどのように変えるのかという、根本にある価値観が欠落したままでは、ましてや安倍政権が言うところの天皇を元首にして自衛権を云々するだけでは、文字通り国家主義に走るだけで、それ以前の価値基準=そこに生存する人間を基本に物事を考えずに、単に武器を持って国民を守ると言うだけの改正に過ぎなくなるでしょう。現状でさえ、基本的人権も守れないのに、何を守る為に改正しようとするのか・・・

今日は、成人式。。。

なにやら、山口だったかでは、60歳の還暦式ならぬ、熟年式。。。

今頃の60歳で熟年? 特に山口で? アベベのミクスのおひざ元は、熟年式というより、

いつまでたってもカビが生えた脳みそ未熟式が自民党にピッタリでしょう!
 
ついでに、メディアも同じであります。。。 社会を変な方向に導いていくカビが生えた未熟式! 

未熟式の記念日をつくらねばなりませんねぇ。。。 
メンテ

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