Re: 当代世間騙し装置 ( No.301 ) |
- 日時: 2013/05/24 14:52:41
- 名前: イントィッション
- >ある女子大生などツイッターで、金融緩和による金融筋からの融資攻勢に出合って、借金して株を買い、500万円ほど儲けたと言っていたのが、昨日ではマイナス100万円になってしまったと嘆いている(笑)。まあ大暴落の後では一時的に揺り戻しもあろうから、そこで傷を少しでも小さくして逃げなさい(笑)。
あ〜ぁ! 騙しの証券ウーマンが最近、地方をうろついているんです〜W
地方の小さなウィークリーみたいな主婦用新聞が住宅に一軒、一軒配られて、女性証券ウーマンがぁ、駅前のホテルでティーパーティではないにしても、お茶とケーキで釣って、女性はもっと株式投資に興味を持ちましょう〜。。。
なんて、情報を毎週流しております〜。。。 アベノミクスは、これぞチャンス!と、数十万円を初めてかけた女性にこの前、出会いましたぁ。。。
私が、「え〜大丈夫?」と言うと、その彼女、奥さんは、
「だって、もし失敗しても“ゼロ”にしかならないのよね〜。。。 マイナスなんてことは無いわよね〜」
と。。。と。。。と。。。
その奥さん、昨日どうなったんやらぁ??? その前に売ったのかなぁ? WWW。。。
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Re: 当代世間騙し装置 ( No.302 ) |
- 日時: 2013/05/24 16:51:24
- 名前: 國井
- 満天下有人さま
藤村操も他力本願の教えに巡り合っていれば、 「死にいたる病」におかされずに済んだことでしょうに。
キェルキェゴールもスピノザもキリスト教的ではないですね。 これであれば、宗教はアヘンではないでしょう。
宗教はアヘンであると言ったマルクスは、既存のキリスト教ではないでしょうか。 世界制覇するためにキリスト教を利用しています。 アフリカでの民族紛争もキリスト教によると言われています。 宗教紛争も、キリスト教に起因する事であると言われます。
豊臣秀吉がキリシタン禁止令を出したのは、賢明だったと思います。 キリシタン大名は、火薬一樽と若い娘50人と交換したとのこと。 若い娘らは、路上で鎖に繋がれ、秘部を晒しものにされて、売られていたそうです。 天正少年使節団が報告しているそうです。 イエズス会の神父等、立派な事をしたと誉め讃えられていますが、 陰では何をした事やら。 キリシタン大名と悪事の限りを尽くしているのが関の山。
日本は、キリスト教徒が1%、中国が5%、韓国が50%。 アメリカは、戦争に勝ったのに改宗する人が少ないとマッカーサーは、怒ったそうです。 それで、国際キリスト教大学を設立したとのこと。
社会を支配するものとしてのキリスト教なのでしょう。 砂川事件の最高裁長官田中耕太郎は、クリスチャン。
高級住宅地には、教会が建っていますが、成果は、如何なものなのか。
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Re: 当代世間騙し装置 ( No.303 ) |
- 日時: 2013/05/24 17:25:39
- 名前: ミセスワタナベ・・満天下有人
- あっはっはっ、イントちゃん、外人フアンドも日本主婦のヘソクリを狙って、「ミセスワタナベ」と総称し、鴨にしています(笑)。
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Re: 当代世間騙し装置 ( No.304 ) |
- 日時: 2013/05/24 22:48:51
- 名前: キリスト教による支配か・・満天下有人
- <宗教はアヘンであると言ったマルクスは、既存のキリスト教ではないでしょうか>
いえ、違います。マルクス家はスピノザと同じく、オランダ系の立派なユダヤ教徒で、家系は由緒あるユダヤ教のラビです。だが父親が弁護士資格を取って開業するに際し、プロテスタントに改宗せざるを得ない事情があったようです。
彼は博士号取得の為の論文を書くとき、思考の手法をスピノザの往復書簡を丹念にメモしていたと言うメモも発見されていますが、いずれにしても両者に共通する思想構成の過程で、「神」なるものを奇蹟を起こす絶対唯一のものとする当時のキリスト教論破の思想を丹念に積み上げて行き、ユダヤ教でも無い気御リスト教でもない絶対唯一のものが他にある筈だ、そして行き着いたのが物質の秩序ある一定の運行がそれである、つまり唯物論に到達した。唯物論というと、よく人間性の無視だとの批判が起こりますが、それは逆で、人間(性)を軸に考察しております。
ま、それはともかく、<社会を支配するものとしてのキリスト教なのでしょう>
古くはローマ帝国ネロ帝がキリスト教を弾圧し、しかし皇帝権力維持の為にキリスト教徒を味方につけることを考え、諸々の経緯を経て権力闘争に勝ったコンスタンテイヌス帝が313年にミラノ勅令を公布して初めてキリスト教を公認。
11世紀の十字軍遠征も、名目はエルサレムをイスラム教から奪還するのが目的で、宗教紛争ではありますが、実態は必ずしもそうでもなく、中東に既にあったキリスト正教会や東方諸教会を潰してカトリック教会に変えてしまう、同教内部の闘いでもあったようです。
アフリカにおける紛争も、宗教上の争いに見えますが、どなたも御存じの通り、ヤダヤ、イスラム、キリスト各教は根は同じで兄弟宗教、キリスト教がユダヤ教を弾圧した骨肉の争いとて、兄弟ケンカのようなもので、アメリカ独立戦争も、プロテスタントに対する英本土の攻撃で、南北戦争も同じく実質上では英国及び欧州を支配していたユダヤ金融資本による新天地植民地化が本質でした。
そこに見えるものはキリスト教による支配というより、ユダヤ教による支配の方が、より鮮明です。ユダヤ教と言うより、ユダヤ民族で構成する「金光」教による支配(笑)と言う方が、本質的だと思います。 世界初の中央銀行と言われる英イングランド銀行、フランス銀行、そしてアメリカで設立されたFRBの生成の歴史を見ると、看板はキリスト教徒で実質はユダヤ教徒による通貨の支配です。兄弟ケンカしているように見せて(イスラエル問題に対する米・イス間の葛藤)、実は仲の良い兄弟プロジェクトをやっているようなものです(笑)。アフリカにおける紛争も、ダルフール地方ナイジェリア他どこも同じで、本質は天然資源支配の紛争であって、宗教紛争の衣をかぶっているだけの様相です。
現代にあっては先ず資源覇権の紛争があって、それが宗教紛争になっているようですが、根底はやはり経済問題でしょう。マルクスが理論化した「下部構造論」の原理が、やはり命題として生き続けているやに思います。
それにしても世界の宗派ではイスラム教徒がどんどん増える傾向にあるようですね、現在ではキリスト教33%、イスラム教徒22%、ヒンドウー教徒13%、イスラエルなどイスラム教徒が半分も居るとか・・・聖地エルサレムには、あの狭い地域にキリスト教、ユダヤ教、イスラム教それぞれの聖跡を持っている。仲良くやれば出来ないこともなかろうに、まあ既得権益が絡むと諍いが絶えない。
ユダヤ教徒など世界に占める比率は僅か0.2%、しかしこれが世界経済を支配している。
我が国ではキリスト教徒は僅か1%ですか・・・どこかの調査会社が宗派の調査をして合計したら、人口総数より信者の数が大きかったとの笑い話もあるようです(笑)。
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Re: 当代世間騙し装置 ( No.305 ) |
- 日時: 2013/05/25 10:18:46
- 名前: 國井
「神は死んだ」といったニイチェも敬虔な牧師の家庭で育ったのですね。
しかし、弁護士資格をとるためにプロテスタントに改宗するとは・・・ 宗教はそんなもの? 自力の教えから、他力の教えに改宗するのとは違いますよね。
マルクスの「宗教はアヘン」は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教全般を指すのですね。 彼は、宗教を如何に捉えていたかですね。 唯物論の立場於いてですが。
仏教についても理解していたのでしょうか。
藤村操の苦悩を如何に唯物論では解くのですか。
十字軍の話ですが、 イスラム教徒は、自分達の兄弟分のような人が来たと喜んでいたら、 殺されたと言うことだったらしいですね。
キリスト教徒がユダヤを忌み嫌うのは、多少理解できますが。
戦争に勝利したのにキリスト教徒の少ない事にマッカーサーは怒った話ですが、 1%と私は、以前、聞いたことがありますが、 確かな話では、ありませんので、何処かで確認をとって下さい。
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Re: 当代世間騙し装置 ( No.306 ) |
- 日時: 2013/05/25 14:57:27
- 名前: 万物は不可解なり・・満天下有人
- 我々日本人には理解出来ない西欧の信仰葛藤、ほんとの宗派を隠さねばならぬ程の葛藤、宗派を変えることが宗教の軽さを表しているとも思えません。我が国では信長による一向宗殲滅のすさまじい虐殺もあったと思いますが、近年ではオーム真理教がありますね、信じることも人間のサガなのでしょうが、無信仰の我々には想像するだけで(笑)。
藤村操も、短気を起こさず、も少し思考に時間をかけて世の変遷を見ておれば、唯物論の真髄に到達できたかも知れません。失恋が自殺の一端であったとの分析もあるようですが、「ホレーショの哲学、何に値するものぞ」、という遺文、シエイクスピアのハムレットの友人として登場するホレーショのことかな?ちょっと意味が分かりません。
今年初めに、ウエールズの某大学の兼研究グループが新たにシエイクスピアに纏わる経済行為の資料を発見。シエイクスピアが地主然としていたイングランド中部の生誕地・ストラトフオ−ト・エイボンで、脱税しては土地を更に買占め、大麦小麦も買い占めていたと言う裁判所記録を発見、その記事を目にしました。
彼も天才だったでしょうが、毀誉褒貶も多いですね。マルクスの「経済学・哲学草稿」など大著資本論を書き上げるまでの草稿集などで、貨幣論の稿ではシエイクスピア劇における貨幣をもじった表現が多用されているし、ゲーテもフアウストで人間が敵わない貨幣について嘆息しています。
藤村操が「ホレーショの哲學竟(つい)に何等のオーソリチィーを價するものぞ、とは、何を指していたのか、そもそもハムレットは王家における関係者の葛藤を描いたものですから、敢えて藤村が哲学的に考えて見たとすれば、万物の一部である人間とは、何とつまらぬ生き物よ、それを嘆いて自殺したのかも知れません・・・自ら思う恋も絡めて。彼が「不可解なり」と叫んだのは、万物というより実に不可解な生き物・人間に絶望したのかもですね、彼のことは詳しくも無いので、いい加減なことは言えませんけど。
ニーチエも56歳の生涯の晩年、精神に異常を来したようですが、やはり人間に対する絶望が原因であったようですね。彼の有名な「神は死んだ」との一句の背景にあったものは、当時の世相背景から、人間どもは善悪の基準を失った、もう神など要らぬ・・・失望の対象は、ただ有名なものにだけ傾斜する大衆への反感であったようです。
ツァラトゥストラはかく語りきで「のがれよわが友よ、お前の孤独のなかえ!」と言う一節のわが友よ、というのは自分を指してのことだったと解釈します。『・・・民衆は大いなる事柄、すなわち創造的な事柄をろくに理解しない。しかし民衆は、大いなる事柄の上演者と俳優のすべてに対しては、感受性を持っている・・・世界は新しい諸価値の案出者たちの周りを回転している。目に見えずに回転している。だが民衆と名声は、俳優たちの周りを回転しているだけだ。これが世の成り行きというものだ・・・』
何だか今の世にも通じるものを感じます。マルクスも人を狂わす貨幣についての事に関連してですが「実存しつつあり活動しつつある価値の概念としての貨幣は、一切の事物を倒錯させ置換するのだから、それは一切の事物の全般的倒錯と置換を意味するから、一切の自然的ならびに人間的な倒錯と置換である。」として、人間というものは、幻惑されてしまう生き物だと言ってるようです。
マルクスは「万物の流転を静止して見れば」と言ってますが、藤村もニーチエも、今少し静止しておれば唯物的史観に行きつけたかも知れません。
いずれにせよ、役者、上演者の周りを回転する大衆・・・はてさて、安倍のミクスへの信奉、自民党信奉は、いかに?(笑
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Re: 当代世間騙し装置 ( No.307 ) |
- 日時: 2013/05/26 11:30:05
- 名前: 北の国から
- 満天下さん、みなさんこんにちは。
北海道も、やっと春がきて、桜が満開になりましたが、その後の雨と風で一気に散って しまいましたが、それでも野山ですずらんや紫のエゾエンゴサクが咲き始めています。
人類は、いままでもいろいろと愚かなことをくりかえしたりしていますが、そしてそ のことを、きちんと学習しようとする国もあれば、(一次的にせよ)無反省でそのおろ かなことを(歴史を逆流させ)くりかえしたりするものらしいです。 しかし、この人類は数百万年とりあえず続いてきているわけですから、おろかなこと を、しっかり反省、学習しながら、いろいろな困難も乗り越えてきているというという 事実をみるかぎり「希望と展望」はなくなっていくことはないのかもしれません。
高度に発達した資本主義社会でも、たぶん「お金がすべて」というひともいれば「ふ つうに生活できれば、あとは平和に暮らせれば十分」というひともいて、さまざまな問 題はあるものの、一定のバランスがとれていると考えることもできるとも思います。 学生時代に読んだ哲学者寺沢恒信によると、人間の、とてつもないエネルギーを発揮 するときの、その背景には、身近な愛するひとのため、という強力なモーメントがある そうですが、歴史がその発展の法則にそって前進していくのをいろいろな局面で支えて いるのは、こうしたエネルギーとその積み重ねなのでしょう。
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Re: 当代世間騙し装置 ( No.308 ) |
- 日時: 2013/05/26 11:47:40
- 名前: 北の国から
- 宗教は、人間のエネルギーな発揮に、おおきな力を発揮する要因になっているよう
にみえることがあるのでしょうが、しかしその要因となっているのは、それぞれの宗 教の教義というよりも、その人がその宗教にかかわる理由となっている事柄(たとえ ば家族や自分の幸せ)にむかってエネルギーを発揮できているにすぎないのではない か、という気がするわけで(宗教そのものはその代用であって)す。 したがって、何千年後かに「階級のない社会」が実現したとしても、合理的な説明 だけでは精神的に受け入れがたい(たとえば最愛の人の急死など)ことがある以上、 宗教という形態や行為は残るだろうと言われています。 つまり、人類は「合理的、科学的、理性的」な理由だけでエネルギーを発揮する人 とそうでない人が必ず一定の割合で混在しているものだからです。
そして、それは貧富の差や、文化の水準などとはまたちがった要素のなかで混在し ていて、そのことがひどい社会を、すこしづつでも歴史の前進の方向にすすめるエネ ルギーになっているにちがいません。
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Re: 当代世間騙し装置 ( No.309 ) |
- 日時: 2013/05/26 20:46:10
- 名前: 個人恣意と総社会的恣意・・満天下有人
- 北の国さん今晩は、毎度です。
申したかったことは、個々の人間と信仰の関係では無く、例えば信仰に対する個人の思惟なるものが、別の総社会に関わる分野に対しても同じ思惟の過程を辿れば、嘆きの本質がどこにあるのか、見極められなくなってしまう、過去の歴史もそうであるように、現在でも人類が出口を見つけられなくなっている、いや、ムリして出口を見つけなければならないと言う状況ではないと、皆がそう思えば別にそれでも構わない訳です。
しかし現実は、そうはなっていない、自殺の問題が言われ、格差の問題も国家内だけのことでなく、国際関係においても食える国、食えない国があり、それを巡って紛争が起こり、自爆が絶えない。
原発が無いと経済が持たないと言う人も居るし、いやそれでは国民が死んでしまうと危惧する人も大勢居る。そのことが個人の思惟としての愛する者の為のエネルギーによって、それが広い範囲でのエネルギーに必ず繋がり、全て吸収されておれば、社会問題になることも無いのに、現実はそうはなっていない。
そうはなっていなくとも人によっては、「別にそう思わなくても良いのでは」と思う人も多数いる事でしょう。問題は「そう思っても構わない」という人々と「そうは思わない」という人々との混在割合の問題では無く、結果として出ている現象の問題、各分野における制度の歪みの問題とか、問題は結果にあるのではないかと思います。
そうは思わないと思う人にとっては、個人の思惟としては、何かを信仰して家族平穏に暮らそう、日々を敬虔に生きようとしているのに、何だか身近に変な現象が押し寄せて来る、一体どうなってんだと思う、「疎外感」なるものが払拭できない人々が大勢居ることも現実です。
高度に発達した資本主義社会でも、お金が全てと思う人もおれば、平和に暮らせれば十分と思う人も居る、これもそれぞれに違う思う人がいることで、バランスが取れていれば万事OKとは行かない現実現象があるわけで、超金融緩和であろうが円安であろうが、バランスが取れるとは行かない面が、現実にもあるし(財政の金利負担とか)、結果としてまた金融破綻という一般にも影響を及ぼす問題も含んでおり、バランスが取れない時期が来る、下記しますように個々人の思惟なるものが、それをどう捉えているのか、捉えるに至る思惟はあるのか、原発問題しかりですが、個々人の思惟がどう「外化」されるのか、これも下記しますようにその過程を分析したのが19世紀に花開いた哲学であったと言う意味で、宗教と併せてそこから触れて見た次第です。
<そしてそれは、貧富の差や、文化の水準また違った要素の中で混在していて、そのことがひどい社会を、少しづつ歴史の前進の方向に進めるエネルギーになっている>・・・
誠に弁証法的観方で同意しますが、宗教そのものについては、何故取り上げたかと申しますと、宗教そのものを批判することを意図したものでなく、正に言われるような歴史の前進のエネルギーを産み、19世紀における合理主義哲学の開花の契機になったのは、それまでの欧州における宗教支配、社会政治制度が全てカトリック教会によって支配されていた、それに対する反発として新たな思想が開花した、その関係で総社会的思想転換の大きなインパクトになった宗教として、取り上げたものです。
個々人の日々の糧というよりも、社会制度として根を張り、数多の弊害を生んだ巨大な力の宗教としてです。そして尤も大事な事は、それが単なる宗教批判ではなく、何故個々人が神を想うのか、その神は個々人にどのような安息を与えているのか、個々人は何を認識して神を想うのか、個々人の思惟がどのように共通の理念に繋がって行くのか、単に神との関係、信仰の関係に留まらず、そこまでの分析をも含めた「認識哲学」を産み、そしてその思考方法が社会制度一般を創り上げている「思い」にまで角度を広げたことにあるからです。従って、軸を宗教批判においたのではなく、社会制度が宗教によって構築されていたからで、むしろ個々人の宗教に対する思惟が、それと同じ思惟でどこまで総合化されて社会一般の思惟と関わっているのか、そのことを考え、重点をそこに置きたかったのですが、その点については、國井さんが提起された藤村操のこと、あるいはニーチエに関連して、ほんの少し申しましたが、これは果てしない人間論になるので、横に置いた次第。
今日では、宗教による社会制度一般への影響、外ではキリスト教原理主義やら、アッラーとやらの影響が大きいようですが、少なくとも我が国ではその懸念は目下の所は無く、むしろ個々人の日々の糧の範囲に収まっている、しかし宗教団体が政治進出のバネにしている所もあり、且つ、神道をまた国家精神の中軸におくような動きも感じられ、要警戒だと感じておりますが、まあ、私の杞憂かも知れません。もしバランスを取ることで問題にならない何かがあるとするなら・・・。
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Re: 当代世間騙し装置 ( No.310 ) |
- 日時: 2013/05/27 07:58:20
- 名前: タイトル漢字の取り違え・・満天下有人
- 「個人の“思惟”と社会全体の“思惟”」と書いたつもりが、漢字変換を間違え、“恣意”なる言葉を置いてしまった。だが結果オーライになっているから、言葉とは皮肉なものだ(笑)。
恣意とは個々人による勝手な思考を意味し、取り違えた自由な発想も含み、そのことが全体社会の勝手気ままな思考となり、歪んだ世の制度を創り上げてしまう。唯物論で使はれる思惟は、知的生命体である人間だから、色んな事象を科学的に体系立てて考え、事の本質をきちっと把握する思考体系とでもいうものであろうか・・・
恣意なる思考に留まっていると、オレはこんなに一生懸命働いているのに、何だか生活が楽にならないな、あるいは、働く意志は十分なのに、どうして仕事にありつけないのか、個々人の思考が個々人の悩みの範囲に留まって堂々巡りで自己完結してしまう。唯物哲学論ではこの思考を「疎外感」と称している。
話は飛ぶが、先日の東海原子力機構の事故、何かの実験中に、陽子ビームの出力に異常が起こり、陽子の量を調節する電磁石に過大な電流が流れたのが原因とみられことがわかったようだが、被曝した研究者や作業員への影響は、問題ない範囲であったとは、不幸中の幸いであった。
・・・このスレッドの冒頭趣意に、未発見素粒子を見つける為の欧州原子核研究機構・CERNによってスイスに設置された巨大な超高速実験装置のことから始めた。宇宙物質を構成する17個の素粒子の内、未発見の6個?を探るものらしい。物質を構成する素粒子が質量を持つのは、ヒッグス粒子なるものがある筈だ、その仮説に基づいて素粒子を高速で衝突させて発見する装置だそうな。
まだ人類が発見していない最小単位の素粒子を暗黒物資、そこから生じるエネルギーを暗黒エネルギーとも言い、宇宙を膨張させているらしいが、国際物理学会では、実験中に生じると仮定されるブラックホールの危険性を理由に、実験反対の学者さんたちも結構居るとか・・・
この原子力研究機構開発もHPを見ると、素人にはよく分からないけど、人間にに役立つ研究、例えばより高度な放射線探索装置の研究などを行っている様子、・・・でも役立ち情報として福島事故後の放射線量の測定とか、色々書いているが、結果ばかりを研究してもしょうがないだろうし、現に福島事故の後遺症についても、ほんとに信用して良いものなのか、一般ではデーターを隠し、公表されていないとする批判も多い。
この原研実験事故も、加速器実験で放射線漏れを検知しながら、警報を切り、換気扇を回して放射性物質を外に出しながら実験を継続したことが分かり、報告が1日半遅れてもし付近住民が危険でも逃げる時間はなかったとの記事を見るにつけ、「恣意」的なものを感じる、ここにも「思惟」と「恣意」の落差がある。
環境工学学者でウラン濃縮研究者でもある武部邦彦名大教授が述懐されていたが、1年ほど前、埼玉の近くで講演をしたときに、福島のコメについて汚染リスクが高いと暗示したら、福島の農業関係議員から「福島の農家は死んでも良いのか!」と罵倒されたと言う。そこでコメは東電に買い取ってもらうのが筋だと反論されていた。 ここにも「恣意」と「思惟」の落差が見て取れる。福島農家の方がまだ、危険を承知しているらしいが、その「思惟」は、そこから先、誰にどうして貰えば良いかが分からなくなっている、これが「疎外」されている一つの典型でもある。そして何でも良いから事を自己完結し、農業議員によって売れるようにしてもらえば良いとの現実論に傾いてしまう。言うなれば「思惟」が疎外によって「恣意」に転化してしまっている。個々の歪みを是正するには、考える行為において、最後まで知的に科学的に思考を(=思惟を)保てるか、不特定多数の生活者の考えが世の中を、最後は決定すると言う点で、唯物弁証法的思考は、大きな暗示を提示している点で、有為な手法であると、私はそう思う。
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