Re: 当代世間騙し装置 ( No.231 ) |
- 日時: 2013/05/03 08:16:57
- 名前: 憲法記念日(1)・・満天下有人
- 今日の憲法記念日は、従来とは違う重みを持っている。
言わずと知れた自民党及び安倍政権による憲法改正が現実味を帯び、参院選の争点にも浮上して来たからだ。
TV報道に於ける識者や学者先生たちの論も多くなっているが、改正賛成の論にはただ実務的にアプローチする者が多く、中には唖然とするような浅薄な改正論者が多い事に驚くばかりだ。概ね時代にそぐわないからとか、他国では改正が当たり前のようになっているのに、改正していないのは我が国だけであるとか言うだけで、何故改正が何度も成されているのか、その諸国の事情に目を合わせる論は、皆無である。改正が一番多いのはドイツの57回だが、東西ドイツに分割され、そして統一され、それがEU発足のリーダーの地位になったことによる必然性に対する掘り下げも無い。
そして今の時代に合わないとする論も、具体的に何の何が合わないのか、それを上げる者も居ない。
先ずは改正に対する国民の反応を世論調査を、読売、朝日で見ると、両紙の体質の違いもあるのか(尤も最近の朝日とて似たようなものだが)、かなり様相が違う。
読売: 憲法を改正した方が良い 51% 改正しない方が良い 31% 集団的自衛権の行使 憲法改正して使えるようにする 28%、解釈を変更して使えるようにする27% 合計55% 憲法改正の発議要件96条を変えるべき 42% 変えるべきでないも42%
朝日:(内容には触れず) 96条の国会議員2/3の同意を1/2にハードルを下げる 反対54% 賛成38%
安倍自民党が憲法改正を、憲法の本質論からでなく、手続き論から始めたものだから、憲法全体論と96条問題がごちゃ混ぜになってしまっているのは、当然の混乱であろうか・・・
手続き論から言うなれば、憲法改正の発議は国民が選んだ国会議員によるものであり、国民が多数を選んだ政権与党の自民党が発議のきっかけを作ったことに違法性は無い。誠に初歩的なことで失礼ではあるけど、問題は憲法の精神、一般の法律が国民が守らねばならない縛りであることに対し、憲法は国民が権力を縛ることに本質があるのが、歴史的経験から得られた近代憲法の土台を成している。
何故権力を縛らねばならないかと言うと、国民は国民である前に人間なのである。人間は、本来的に自然に生きているものであり、その自然生存権を土台にして国家の有りようは決められなければならない。古くはアリストテレス、17世紀のホッブスに始り18世紀のルソーに受け継がれた「社会契約説」が、近代憲法思想の土台になっている。
アメリカに押し付けられたかも知れないが、その精神は我が憲法「国民の基本的人権」にも表明されている。そしてそれを権力側が守ることを義務付けているのが、憲法なのである。権力側が国民に守らせる規範では無く、話は逆なのである。
その精神と政権与党が改正したがっている手続き論に絡めて見ると、権力側を縛る目的に照らして見て、改正手続きは厳重にして尚厳重過ぎてもおかしくない。他国の改正手続きも後で紹介するが、極めて厳しい枠がはめられている。その手続きのハードルを2/3から1/2に緩めようとする所に、先ずウサン臭さを嗅ぎ取らねばならない。
確かに国民が選んだ多数与党が改正の発議をすることに違法性は無い。だが議員内閣制度の下では、与党から権力側となる内閣が選ばれる。以前、ギリシャ神話の、入り口と出口に二つの顔を持つヤヌス神の話を紹介させて頂いたことがある。
入り口の顔の口から入ったある物が、お腹の中で変に変わってしまってはいないか、それを出口の顔が確かめて不正義を防止するという謂われなのだが、議員内閣制度では、入り口の口と出口の口が一緒になっており、入り口の口が出口の口を監視する機能がぼやけてしまい、権力を監視する者がその権力の為に、国民をいかようにも規制出来るという、憲法の精神とは正反対に国民に守らせる規範を意図して改正に動く有り様になっている。故に権力がやり易いように本体改正の為に、手続きの改正から始めている。
・・・な〜に、最後は国民投票がある、そこで歯止めを掛ければ良いと思っても、肝心のその国民投票法自体が曖昧として、憲法上でも明確な規定になっていない。、第一次安倍内閣の平成19年5月に、憲法改正に伴う国民投票法が検討されたが、その時、改正発議である各議院の総議員の3分の2以上の賛成はそのままにして(今回、圧倒的多数の当選を得た調子に乗って、そのハードルを1/2に下げようとしている)、国民投票法案を、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行われる投票において、その過半数の賛成を必要とするようにしたのだが、その過半数とは何かを厳密に区分していない。 選挙の際に行われる投票の過半数となれば、先日の山口県参院選の投票率はたったの38%である。その過半数では19%の賛成があれば憲法も変えうることになる。国家運営の最も基本である憲法の改正が、それで良いものだろうか・・・少なくとも有権者の過半数以上の同意を要するのではないのか。
世論でも発議のハードルを下げる是非や、集団的自衛権のこととか、そんなことばかりが議論されているが、最も重要である現憲法でさえ権力側を縛れず、権力側である行政官僚などの為すがままの状態にしておいて、改正憲法をどうして守れると言うのか・・・
改正に最も必要なことは、9条の問題だけでは無い、それすらも集団的自衛権を焦点にするバカらしさである。安全保障を「国家の安全保障」としか捉えずに、上述した憲法の最基本である人間日常生活の安全保障(=自然権)から改正を見つめ直す視点が全く無い。
生活者の自然権を確保する為に、現憲法においてさえ守られていない権力・行政側の罰則をより厳格にすることから、改正は論じられるべきではないのか。有権者よ、自らの首を絞めるなと言いたい。
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Re: 当代世間騙し装置 ( No.232 ) |
- 日時: 2013/05/03 18:36:37
- 名前: 常時武主
- >選挙の際に行われる投票の過半数となれば、先日の山口県参院選の投票率はたったの38%である。その過半数では19%の賛成が有れば憲法も変え得る事に成る・・・。
自民党が狙って居るのは将に此の事で、政治に対する国民の無知と無関心、更には現状に対する無気力な姿勢が、曳いては日本の行く末を誠に危険な状況へと押し進める結果に成る事を、理解して居ないのをよい事に、国民に対して必死に刷り込みを行っているのです。
高齢化社会、高齢化社会、と叫ばれていますが、敗戦後も68年ともなりますと、戦争を知らない国民の方が多くなり、本当の戦争の悲惨さ、無意味さ、を体験して居ない為に、テレビゲームでもするような気持ちで、軍隊を持ちたい、戦争を遣ったろうじゃないか ! などと言う「戦争ゲーム」的な感覚で、現実の国際関係を見てしまう事に成って居るのです。
此れは如何しても避けられない、今の日本人の「無知」なのでしょうか?
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Re: 当代世間騙し装置 ( No.233 ) |
- 日時: 2013/05/03 20:59:46
- 名前: 憲法記念日(2)・・満天下有人
- 諸国の憲法改正手続き。
◎.米国: 連邦議会の両議院の三分の二により、または全州の三分の二の議会の請求により、憲法改正を発議できる。その後、改正は全州の四分の三の州議会、または州の憲法会議によって承認されると効力を有する(米合衆国憲法第5条)。全州の議会通過を要するので、徹底した審議が広範囲で求めれる点で極めてハードルは高い。
国民投票はない。憲法改正の前には州議会の選挙、または州憲法会議の選挙が行われるから、これが実質上国民投票と同じ意味を持つ。
◎.英国: 英国では成文憲法が存在しない。特定の重要な法律や判例や文章化されていない習慣法が、慣例的に重要なものとみなされて「不文憲法」とされている。それは極めて慎重で保守的な国民性によって、安易な改正はされないとの自信の表明でもある。
◎.フランス 憲法改正は議会解散の上、選挙を要する。その後、上下両院の過半数の賛成で発議される。改正決議は、両院合同会議で5分の3以上の賛成または国民投票で過半数の賛成で改正案が成立する(フランス1958年憲法」第89条)。
つまり憲法改正のさいは議会の選挙が行われる。これが国民投票に当たるものである。そして両院合同会議で5分の3以上の賛成と言う条件は実に厳しいものである。 つまりこれだけの徹底した審議が必要とされるわけである。
◎.ドイツ 東西ドイツ統一までは憲法を持たないと決め、統一後は連邦基本法が憲法に該当。連邦議会議決後、連邦参議院の2/3の同意を得て改正される。連邦州議会では少数でも国民発議によって改正が上程される。改正が頻繁に行われたのは、連邦と州の関係が各州の改正案要望によっていること、及び、ドイツ人独特の厳密性を求める気質も影響しているのかも知れない。特にユダヤ人迫害の反省もあってのことか、基本的人権を守る規定は厳密である。 国家財政と州財政との関連も、頻繁な改正の要素になっている。どの改正だったか資料を失くしたが、確か特別会計による国家二重帳簿は禁止されたと思う。我が国改正論議では、どうなっているのか見えにくい特別会計についての改正論議は、知る限り皆無である。
◎オーストラリア: 憲法改正には、「総督による提案」と「憲法改正国民投票(レファレンダム)での可決」という2 つの要件が必要とされる。後者の国民投票による可決は、連邦全体の国民投票数の過半数を要すると同時に、過半数の州における過半数の賛成を要し、極めて厳格化されている。
同国では普通選挙でも、一位当選しても投票数の過半数に達しない場合は、再選挙が行われ、何度もシャッフルされた後に過半数を得ないと当選出来ない。従って第一回目で三位得票しか無くても、政策がそれに近い候補者の票が流れて来れば、最終的に一位当選の可能性もある。
◎イタリア: 憲法改正は両院の過半数で発議、国民投票の過半数か、または両院の3分の2以上の賛成で承認される。これも国民の声を重視する現れである。実際は両院でどれだけの賛成を獲得するかで、両院で何度も何度も決議が繰り返される。ここで徹底的に国民に問題点を示し、国民投票は最後の手段とされている。
1◎スペイン: 憲法改正手続きは全面改正等の特別の場合の改正手続と通常の場合の改正手続の二通りに分かれている。前者の場合の手続きは極めて厳格であり、議会の各院の3分の2による可決→議会の両院の解散と総選挙→再び両院の3分の2の多数で議決→更に国民投票となる。 第2の場合の手続もかなり厳格で、議会の各院の5分の3以上の多数で改正案を可決→さらにいずれかの院の議員の10分の1以上の要求がある場合は、更に国民投票での採択が必要となる。(1978年スペイン憲法」第10章憲法改正)。
◎ロシア: 人権規定などは改正できないことになっている。それ以外は上下両院の5分の3で発議。そこで選挙で憲法制定会議が選出される。これが国民投票に該当するものだが、憲法制定会議は3分の2で承認するか、それともさらに国民投票に付すかを決める。国民投票になった場合は有権者の過半数の参加、投票者の過半数の賛成で承認される。
更に特定の憲法の規定は、これだけでは発効条件に満たず、ロシア連邦構成主体の立法権力機関の3分の2以上が承認した場合、効力を発する歯止めが加わっている。(ロシア連邦憲法」第135−136条)。
◎スウェーデン:国会(一院制)が改正案を2回議決。この間に国会の総選挙が行われなければならない。 さらに国会議員の3分の1が改正案を国民投票にかけると提案した場合、国民投票が行われる。
◎フィンランド: 一院制の議会で過半数の賛成により改正案を発議した後、次の選挙をまたいで再び審議され、今度は3分の2以上の賛成によって改正が成立する。
◎デンマーク 議会(一院制)が改正案を発議、その為に総選挙が行われ、総選挙後の国会で改正案を無修正で再議決出来た後、国民投票。投票数の過半数の賛成かつ全有権者の40%以上の賛成で承認される。
◎カナダ: 上下両院の過半数の可決後、3分の2以上の州の議会による承認を要する。かつ、全国人口の過半数がこの州に含まれなければならない。ただし一部の州でのフランス語の使用などに関する規定は、すべての州の賛成が必要とされる(カナダ1982年憲法第38−49条)。
・・・まだまだ沢山あるけど、共通していることは、憲法とは権力が国民に縛られると言う基本精神で貫かれており、それは選挙を通じて行われる事にある。目下の我が国の改正方向は先ず、何を改正するのか根本問題を避けて、国会議員の発議のハードルを低くする所から改正論が浮かんでいる所に大きな、根本的な問題が潜んでいる。参院選の争点にするだけで、諸国のように先ず、総選挙によって改正の方向を国民に明示する意図が感じられない。
更に言うなれば、違憲選挙もはぐらかしているような我が国会議員が、そもそも改正発議など出来る資格があるのかと言いたい。学者先生たちによる改正諮問委員会の内容についても、むしろドイツ連邦州のように、国民会議などで十分討議してから選挙で問うべきである。今日の憲法記念日が虚しくなる、ただ押し付けられた物だと言い、どこかの党のように、首相公選制度も改正の要項に入れてあるとか、ある部分だけをエサのようにしているだけである。
改正に反対しているのではない、実行もされていない憲法を更に厳しいものにする改正を望んでいるのだ。
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Re: 当代世間騙し装置 ( No.234 ) |
- 日時: 2013/05/04 10:18:50
- 名前: 憲法記念日(3)・・満天下有人
- 憲法改正の国会議員発議のハードルを2/3から1/2に下げる安倍自民党の動きに対する朝日の世論調査、それを信用するとして反対が54%、賛成38%。改正手続きのハードルを下げることには反対が多いが、それでも改正が必要とする者は51%、必要なしの34%を上回っている。
改正論の主たるものは、新しい権利や制度を盛り込むべきだからが69%、9条に問題があるからが17%になっている。新しい権利や制度とは何を言うのか、質問回答には明確化されていないが、まさかグローバリの時代だから、圧政を受けている国に対して軍事派遣してでも新時代の現状に合わせよ、そういうものではなく、漠然とした基本的人権の擁護だけでなく、新時代における多様化した社会生活上に必要な新たな権利、制度を求めるというものであると、善意に解釈したい。
ところで改正の発議は国民が直にやれることではなく、国会議員が発議する。その多数を占めている、つまり国民が代表として多くを選んだ自民党が発議することになる。これが改正のたたき台になる。
ところが政治の実態を広く国民に知らしめる使命を持つマスコミは、それを公表しない。その前に発議権を持つ政権与党が詳しくそれを国民に説明もしないのだから、目下の改正しようとする動きは、全く話にならない。そして改正の手続き論にばかり話を集中させて、上っ面を撫でているだけである。
仮に手続き論に焦点を合わせて見ても、ハードルを下げることに過半数の国民は既に反対しているから、憲法の基本精神である国民が権力側を制限するという立憲主義に既に違反していることになる。 権力に対し比較的批判姿勢を打ち出している昨今の東京新聞や中日新聞でも、改正内容を公表することを渋っているらしい。まあ、市井の努力家が苦労して自民党草案をネットで公開されているから、検索すれば一目瞭然なのだが、国民はおそらく殆どの者がそれも知らずして改正が必要だと言ってるだけなのであろう。
現憲法の個々の条項の改正詳細は次回に先送りするとして、全体としては天皇を元首とし、国民主権を大幅に制限し(草案第13条)、集団的自衛権の下にアメリカ同盟に邁進すると言うのが(現行第9条を削除、安全保障なる新たな条項の二で、国際平和維持の為の国防軍の創設)改正を貫く隠れた意図であると断言しても間違いが無いものだが、極め付きは国民主権を制限した上で緊急事態における内閣総理大臣の権限を強化し(新設の第9章)、最後に第102条で「全て国民は、この憲法を尊重しなければならない」と、国民に“強制”している。
社会契約説に基づく生活者の自然生存権から発せられる理念は悉く抹殺されて、近代憲法の理念、権力側が守らねばならない精神を全て破棄し、権力側が国民を規制する本末転倒のものに憲法を貶めてしまっている。世論調査に見れる新たな権利、制度なるものは、皆無である。
この自民党草案なるものは、国民が参院選で否定すれば済む話だが、仮に自民党及び隠れ自民党が参院で多数を取れば、この叩き案の実現性はかなり高いものになる。そうなった場合、新たな時代における新たな権利、制度なるものを国民は、どうやって憲法に具体化することが出来るのか・・・
改正を9条に求める世論も未だに結構多い。国際平和維持と称して態々アフガンやアルジェリアで戦闘したいのか・・・前の投稿でアメリカ兵士で両手両足のどれかを、あるいは全部を無くし、その状態で後50年も生きて行かねばならないアメリカの20歳代の多数の若者たち・・・財政ひっ迫でベトナム戦での古い補償は打ち切って新たな傷病兵の予算を組まねばならなくなっている。恐らくあと10〜20年で、いくらドルを印刷しても追い付かなくなるだろう。 それでも国家の為なら出向くのか。いやアメリカの穴埋めの為に・・・その前触れが「国家主権」を強烈に打ち出している政権与党の改正案なのである。7月の参院選はすぐである。有権者は余程心しておかねばならない選挙になる。
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Re: 当代世間騙し装置 ( No.235 ) |
- 日時: 2013/05/04 14:17:10
- 名前: 憲法9条・・・天橋立の愚痴人間
- 第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
上記条文の解釈として下記の事が言われているようです。 ttp://www.geocities.co.jp/WallStreet/7009/mg98x083.htm
読んで見れば、これは暇を持て余した学者達の言葉の遊びに過ぎません。 実際には、彼等が想定する世界など極一部の事象であり、それが把握できていないのに解釈論議が完結しているとする論理的な齟齬があります。
文章と言うものは、人間及びその集団が思い、行動する内容を全て捉えることは出来ません。 そういうことを認識した上での解釈でなければならないのに、単に条文の語義てき解釈に終始しています。
例えば「国権の発動たる戦争」と言う意味を、只の戦争と同じであるとする解釈があります。 「国権の発動たる」の「国権」の意味には、侵略戦争のように国権を他国に押し付けるものと、自国を守ると言う国権もあります。 その両方を国権と言う言葉に託して「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と言うことは、ガンジーのように、何をされようが無抵抗主義を貫くという事です。
ガンジーのように、個人的には、それで良いとしても1億以上の人口を抱える国家として、それを当てはめられるものではありません。 憲法9条を作った者が、其処までの思いで作ったとは思えません。 要するに「国権」でも、自国を守ると言う意味の国権の発動は除外されていると見る方が憲法作成の趣旨に適っていると思います。
で、あれば、 「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」
は・・・侵略戦争のように国権を他国に押し付けるもの・・・以外では認められていると言う事になります。 実際に、このような解釈に基づき自衛隊があり、アメリカも、その後日米安保条約を締結し共同軍事演習もやっています。
日本だけが、上記条文の解釈を歪なものとし大騒ぎしているのです。 言葉を変えれば、中学生の国語の試験に出る様なものを、大の学者諸氏が、拠って集って枝葉末節論議をやっているのです。
さて、憲法9条には、これとは別に問題があります。
その一つは、国連の平和維持軍の様な活動に参加するか、否かの問題です。 この場合も「国権」の解釈が問題であります。 憲法制定時には、おそらく、今日の様な国連の活動が想定されていなかったのでしょう。 また、国連と言っても、アメリカなど一部の国の思惑で方針が決定されている状況から、必ずしも、日本の「国権」と切り離して考えられない場合もあります。
もう一つは、戦闘現場において先制攻撃が出来ないとする解釈も、憲法9条の影響で想定されています。 これも時代が変わり、ミサイル攻撃などは、数千キロ離れたところからできます。 自衛の為の武力行使と言っても、ミサイルが領土に入ってからの迎撃では自衛も出来ません。
専守防衛と言う言葉が何処から来ているか知りませんが、よく言われているように、相手が発砲してからでなくては応戦する事が禁じられているようです。 最近の中国海軍によるレーダー照射事件もありました。 中国海軍が、その気であれば、すでに日本の自衛艦は甚大な被害を蒙っていたでしょう。
勿論、大きな戦争を想定し、最初の、少々の犠牲は含んだ上での「専守防衛」でしょうか、相手が核ミサイルであれば、最初の少々の犠牲は甘んじて受けると言うような事では済まされません。
議論すべきは、このような内容ではありませんか。
最後に、世界の情勢を鑑みても、自衛力が要らないと言う人たちがいますが、その様な人たちとは議論すること自体を憚ります。 こういう人たちは、個人としての死生観と人間の集団としての死生観の区別がつかない人たちであり、現実的には、戦争で何百万の犠牲を出すことよりも、もっと危険思想とも言えるものです。 自衛隊が要らないなら、警察がなくても社会は成り立つことでしょう。 其処までの覚悟の上で言われるなら言われれば良いとして、家族、周囲の人間にも押し付ける事ができましょうか。 憲法9条が、完全な戦争放棄であるならば、解釈が分かれる条文をクドクド書かないで、一言 「如何なる戦争も放棄し、軍事力は持たない」 とすれば良かったのである。
大体において、現在の日本の政治家、民意事態が、憲法を修正できるレベルではないように思います。 また、アメリカに依頼した方がよいのでは!
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Re: 当代世間騙し装置 ( No.236 ) |
- 日時: 2013/05/04 14:49:46
- 名前: 憲法9条・・・天橋立の愚痴人間
- つづきです。
文章と言うものは常に二律背反の要素を持っていまして、言いたいことを表すには苦労します。
前の記事で、自衛の意味での「国権」と言う言葉を不用意に使いました。 これでは、北方領土や尖閣諸島、竹島の場合への対応が問題となります。
このような場所では他国との「国権」の衝突が起きています。 我が国が自衛すること自体が相手国への攻撃となります。
この場合は、まず、政治的に国権を主張し、相手国に認めさせると言う事が課題となるでしょう。 そう言う意味では、憲法9条の趣旨が生きてきます。
ですが、その事が武力を必要としない事にはなりません。 竹島でも北方領土でも現在は韓国、ロシアが実行支配し、艦船で防衛しているので、日本の船舶が許可なく入れば拿捕されます。
尖閣諸島は現在、海上保安庁の警備艇が守っているので中国軍の艦艇は近寄りませんが、いなくなると尖閣諸島は中国海軍、警備艇に包囲されて、日本の艦船は入ることは出来なくなるでしょう。
政治的解決がつく、つかないは別として、現実は、このようでなければ国権を守る事ができないのです。 ずっと将来、世界国家ができ、民族の対立もなくなれば別の様相も出てくるでしょうが。
憲法問題を言う時、成文がどのようなものにしろ、見守る国民の意識が希薄であれば、何の役にも立ちません。 憲法9条以外でも、憲法の精神に反する政治、行政が横行しています。
違憲立法審査権すら、使えない国民に憲法改正論議など、おこがましい限りです。
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Re: 当代世間騙し装置 ( No.237 ) |
- 日時: 2013/05/04 14:53:35
- 名前: イントィッション
- 国防軍についてと、憲法9条の最後の新設の文章について、石原の爺の発言がそのまんま文章になっているようなもので、戦争を煽っています!!!
憲法の内容が、すでに戦争を煽るなんて、こんな文章は、文明国家にあり得るような文章ではありません!!!
アメリカの軍需産業に利益を与えるためだけの憲法改悪であることは、とっくにわかっています!!!
だから、憲法改悪には大反対なんです!!!
本当に、芯から、文明国として、独立国として、憲法を見直そうという態度ではまったくないのです!!!
それをよ〜く、国民が、特に若者が知らなければいけません!!!
アメリカは1990年代、つまり、2001年のニューヨークのテロがあったときに、イラク戦争になった直前は、メキシコ版TPPで、メキシコから600万人が仕事をアメリカに求めてやってきたので、アメリカ人が仕事がドンドンなくなってきたことも事実!!!
日本も早くTPPに入って、若者が仕事に就けなくなり、兵隊に行くしかなくなる状態をつくりあげて、TPPのアメリ
カの通産省の多国籍企業隊のぼろ儲けと共に、アメリカの軍需産業だけが潤うために、日中戦争を早く起こすためだけのシナリオができているんでしょう!!!
だから、新聞屋は、自民党が前から書いていた憲法改悪の内容を発表もしないんです!!!
憲法の内容です!!! ↓ ttp://www.geocities.jp/le_grand_concierge2/_geo_contents_/JaakuAmerika2/Jiminkenpo2012.htm
選挙でクーデターを起こした安倍政権の憲法改悪法案の原文です!!! ↓ ttp://www.jimin.jp/policy/policy_topics/pdf/seisaku-109.pdf ↓
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Re: 当代世間騙し装置 ( No.238 ) |
- 日時: 2013/05/04 15:33:43
- 名前: 憲法9条・・・天橋立の愚痴人間
- 「集団的自衛権」
これを忘れていましたね。 これも自衛の常套手段であり、当然、自衛権に含まれていると思います。
何千年の人間の歴史において弱いものが強大な敵に対する時、周囲のものに助けを求めて来ました。 集団的自衛権を認めない人間の方が、残酷であり無責任の傍観者であります。 もっとも助けを求める相手の選択は問題になりますが。
かつ、集団的自衛権の発動理由を検証することも重要な事です。 具体的に言いますと、集団的自衛権の行使の為に手を組んでいるアメリカが、それを発動したとしても、アメリカの、その行為が我が国の理念に合わなければ、その事例については堂々と参加の拒否をすればよいのです。
実際に、フランスなどは、そうしているでしょう。 我が国は、我が国の憲法の方針によって厳しい自衛の枠組みを持っていればよいのです。 問題は、現在の政党が、どの政党であっても軟弱で国家、国民の意思を代弁できていない事です。
私は、現在の憲法でも、集団的自衛権の行使は出来ると思うのですが、出来の悪い政党、国民の為に、憲法9条を狭義に解釈し、縛りをかけていることも必要かも知れませんね(子供に躾をするように)。
「戦争は平和を守る為にするものだ」と言う極論もあり、また、その言葉自身が欺瞞に満ちたものではありますが、少なくとも戦うことを忌み嫌うだけでは、決して戦いはなくならず、平和も維持できないでしょうね。
大きな事故や災害で沢山の人が犠牲になれば大騒ぎしますが、不幸、悲惨は個人であっても変わりません。 個人的な争い、殺し合いなど、昔よりも増えていて、将来はますます増加する事が予想されます。
そういう暴力から身を守ると言うことは、倫理道徳だけでは適いません。 個人の問題から集団の問題まで、身を守ると言うことを、真正面から見据えて考えねばならないのではないでしょうか。 集団的自衛権と言う概念は、その過程で当然出てきます。
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Re: 当代世間騙し装置 ( No.239 ) |
- 日時: 2013/05/04 15:47:32
- 名前: 憲法9条・・・天橋立の愚痴人間
- ひさしぶりで憲法9条をよく読んで見ました。
結論は、改正する必要は全くないと思います。
具体的に言えば、集団的自衛権も行使できます。 但し、アメリカが最近行なったイラク、アフガン戦争については、日本の「国権」に照らして参加すべきものではありません。 政府が言っているような原油の確保などについては戦争に訴えても守るような国権ではないと思います。
北方領土などの領土紛争については、相手が武力行使をしない限り、政治的に話し合う問題であり、現状で相手国の武力を伴う実行支配があったとしても、それを武力で奪還することは憲法の趣旨ではないと思います。
自衛隊の呼称など軍隊でも自衛隊でも憲法上でなんら支障はないと思います。 自衛のための軍備を相手国に合わせて充実させることも憲法違反ではないと思います。
どこが問題なのでしょう。 日本国憲法は、本当によく出来ていると思います。
後は、政治の問題ではないでしょうか。
最近の日本の政治は、自らの理念がないので、何かをしようとする場合、他の要因に事寄せてやります。
自民党が言っている国土強靭化のための公共事業の発注もそれであります。 福島の原発事故や、地震により大災害など、公共事業で防げるものではなく微々たる効果より期待できません。
20mを超える津波に対応する防波堤など出来ませんし。5mの津波に対抗する防波堤を全国の海岸線に設置することも出来ません。
震度6を超える直下型地震で崩壊する建物をなくすことは出来ません。 超高層ビルのガラスが何処までの震度に対応できるか知れたものではありません(実験の揺れが実際の揺れを全て体現できてはいないのです)。
このように、憲法改正の論議を出しているのは、自民党に限らず、全ての政党に戦争に関する理念がないからです。 理念なくして、アメリカに追従することで、何らかの利権にありつこうとする奴等が蠢いているのです。
石原などの発言を政治家として聞いていては悲しい限りです。右翼の街宣車に乗って叫んでいると見ればよいのです。
国民自身が、国民自身としても問題意識なく、このような憲法論議が出ている事に呆れます。
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Re: 当代世間騙し装置 ( No.240 ) |
- 日時: 2013/05/04 20:21:57
- 名前: Re憲法9条・・満天下有人
- <憲法問題を言う時、成文がどのようなものにしろ、見守る国民の意識が希薄であれば、何の役にも立ちません。憲法9条以外でも、憲法の精神に反する政治、行政が横行しています。違憲立法審査権すら、使えない国民に憲法改正論議など、おこがましい限りです。>・・・
このような国民意識は、安倍自民党にとっくに見透かされていますね、TPPにせよ矢継ぎ早に繰り出す安倍政権の政策がそれを、如実に顕していると思います。騙される前になめられたものです。 憲法を変えるからお前たちはそれに従えとの、大上段に振りかぶった上からの目線にもそれが出ていると思いますね・・・
今年の憲法記念日はこれまでと違って、非常に重要な節目を迎えた日であることを、少しでも良いから認識する必要があるとの片隅からの思いから、問題提起して見ようと思いました。
違憲審査すら思いが為されない現状からして、改正問題は9条だけの問題では無い、政官業による違憲すれすれの事は放置したままで、新しい時代に即したものと言うのであれば、それなりの方向性も少しは具体的に出ても良いと思うのに、それも無い。第一次安倍内閣の時にも改正論議があり、当時はまだ包括的な改正論が巷にもあって、例えば基本的人権問題も、中央集権的行政が重しとなっては根本から是正することに無理があるのではないか、ならば財源も含む地方分権制に変えて見たらどうか、国の形から憲法も改正されるべきではとの議論も、まだありました。
今回はそれすらありません。無い所へ人権を更に制限するかの如き改正案が先に準備されてしまっております。そして国民側に改正論議など期待するのもおこがましい程の状態で、先ず手続きを緩めることから始まっている改正動向では、自民党案が成立する危険性が多々ある、それで良いのかと言う問題意識を提起して見ました。
問題は9条だけでは無い、しかし自民党草案を見ていると、ここに比重が置かれている気配が濃厚なので、自民党案では改正の範囲が狭すぎるとの反面的意味で、9条が削除されてしまっていること、代わりに多国籍軍に参加して、自衛を超える方向で軍事強化が盛られていることを取り上げて見ました。そして下手すると言葉の裏に潜んでいる別の思惑に向かうことになる気配が、濃厚です。
世論調査に現れた国民の、新しい時代にそぐわない条項は改正しようとの気持ちに9条も含まれているとするなら、それはどのようなものであるか、知りたい所ですね。自衛権は保持すべしと言うなら、その範囲も明確にしておかないと、何もかもを自衛の名をつけて国際謀略に手を貸してしまう危険性に満ち溢れていると思います。
その意味で橋立さんが指摘されている自衛権なる言葉が持つ危険性、その通りであると思います。そして国家緊急事態における総理大臣の権限を強化することについて、大災害のことまで含めて、予め20mを超える大津波までをその中に入れている・・・起ってしまった原発事故でさえ、もたもたして何も有効な手立てさえ出来ないのに、ただ首相の権限だけは強めようとしています。
政治の貧困に帰してしまうと、実も蓋も無い話になり、また徒労感にさいなまされてしまいますが、怖いのは、なめられてしまっている国民の感性でしょう。
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