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[1808] 山崎行太郎論
日時: 2013/08/19 11:31
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:18OD3CKE

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ 『毒蛇山荘日記』

http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/

で知られ、阿修羅掲示板でしばしば引用されている人です。
あまり興味はなかったのですが、ふと、氏のブログを訪ねて見ました。

驚くほど私と同じような考え方をしています。
まず、現在のところ(未だにと言いますか)小沢一郎を熱心に支持しています。
それでありながら、小沢一郎の「日本改造計画」など、興味がないので読んでいないと言います。もともと小沢一郎の人間性に期待しているので個々の政策に興味はないそうです。
(先の衆院選後には、いささか不審の念も生まれているはずですが)

ところで、山崎氏は三島由紀夫の研究で論壇にデビューしたくらいなので、自称右翼を名乗るほどの立場でありますが、
(これも私と同じで私も遠慮なく自称、真正右翼を名乗っています)、言っていることは保守批判の連続です。
左翼(マルクス主義者)については嫌いであるが、社会のためには、もう少し活発に動くべきだと言っています。

また民主主義の捉え方も、私と同じようなものが感じます。
曰く、小泉、竹中改革を圧倒的に支持したのは若い世代を中心とする大衆であり、今日の格差社会生み出した事に対する責任がある、事業自得であると言いきっています。
(ワタミ事件で、私が従業員にも非があると発言すれば、たちまち袋叩きにあう傾向が民主主義と思っている連中が多い中)

小泉、竹中がメディアを使い、国民を騙したのであると言う言い方で、大衆の言い訳をする人が殆んどであると思いますが、山崎氏は、同時に大衆の思想の貧困、劣化を指摘しています。
人間力の衰退と言う表現も、根性を失っているという表現も、私が常に使っている言葉です。

細かいことですが、孫崎氏と小沢氏との関係についても(孫崎氏が小沢擁護に傾いている)、孫崎氏を買ってはいないようです。
私も孫崎氏に世渡り上の欺瞞性を見ています。

私がここで書いています「新しい国のかたち」とは、マルクス主義に基づく共産主義国家の事ではありません。
日本の風土、日本人の特性にあった、歴史に培われてきた日本らしい「新しい国のかたち」なのです。

その意味で、右翼か左翼の二者選択であるなら、堂々と右翼と名乗ります。
山崎氏の選択も、其れに間違いないと思います。

詳細は、紹介した氏のブログ、特にトップページの動画を御覧になれば、いま書いたような事が語られています。

著名なブロガー、植草氏、天木氏、板垣氏などいろいろといますが、殆んど退屈極まりない愚論を展開しています、其の中で山崎氏には共感を感じたという事です。

勝手な贔屓の引き倒しではありますが。
メンテ

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Re: 山崎行太郎論 ( No.1 )
日時: 2013/08/19 11:32
名前: マルクスとケインズ・・・みすずのさと ID:18OD3CKE

「マルクスとケインズは「何を」見たのか?」

http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/searchdiary?word=%2A%5B%A5%B1%A5%A4%A5%F3%A5%BA%A4%C8%A5%DE%A5%EB%A5%AF%A5%B9%5D


マルクスとケインズは「何を」見たのか?それは不均衡であり非対象性であり等価

交換である。小林秀雄は、芸術家は最初に虚無を所有する必要があると言ったが、

小林秀雄の言う「虚無」こそが、マルクスやケインズが見たものである。言い換え

れば、「虚無よりの創造」が必要なのは、芸術家ばかりではない。科学者も宗教家

も、そして経済学者も同じだろう。



つまり既存の理論や方法論が無効であり、なんの役に立たない世界、それがマル

クスやケインズが見た経済学的な虚無である。それが、不均衡であり非対象性で

あり不等価交換の「虚無」である。マルクスもケインズもその経済学的な虚無の

発見に驚愕し、そしてその「見神体験」を軸に「経済学批判」を展開して行くの

である。そしてそれが結果的に「マルクス経済学」「ケインズ経済学」として体系

化されていくのである。



マルクスはマルクス主義者ではなかった、と言う言い方がある。これはデカルト

はデカルト主義者ではなかったという言い方と同じである。しかしこの微妙な差

異は決して単純ではない。言い換えれば、多くの経済学者や経済ジャーナリスト

は、マルクス主義者やケインズ主義者ではありえても、あるいはハイエク主義者

やフリードマン主義者でありえても、マルクスやケインズ、あるいはハイエクや

フリードマンではありえない。何故か。それは、「虚無よりの創造」という「野

生の思考」(レヴィ・ストロース)と無縁だからである。



マルクスはマルクス主義を信奉し、その理論を学習して、その理論の普及に努め

た人ではない。マルクスは「虚無」を凝視し、そこから理論的な思考を実践した

のである。マルクス主義という理論を通して現実を見たのではない。マルクスの

言う「唯物論思考」とはそういう理論なき思考実践のことである。言い換えれば

マルクスの経済学とはそういう思考過程そのもののことである。マルクスは、ル

ーゲへの手紙の中で、《ここに真理がある。ここに膝まずけと私は言いはしない。

私はただそれを示すだけだ…》と言っている。



マルクスの「資本論」は一つの理論体系として成立しているのではなく、資本主

義経済という奇妙な経済現象とは何かを問い続ける思考過程の書である。マルク

ス経済学という理論体系を構築していくのは、実はマルクスではなくエンゲルス

であり、のちのマルクス主義者たちである。キリスト教を体系化したのがイエス・

キリストではなく、ペテロやパウロであるように。



むろん、同じことがケインズやハイエクやフリードマンにも言えるだろう。しか

し、わわれわに理解できないのはこの、「マルクスとマルクス主義とは異なる」

という差異である。わわれわれは、マルクスをマルクス主義という理論からしか

考えることができない。最初に戻れば、マルクスが見たもの、あるいはマルクス

が驚いたものは、「商品」という物であった。したがってマルクスは「資本論」

を商品の分析から始めるのである。しかし、多くのマルクス主義者たちは、そこ

を飛ばして読み始める。何故か。



マルクス主義者たちは「商品という虚無」を見ようとせずに、マルクス主義とい

う「理論」を見ようとしているからだ。それは、マルクスやマルクス主義を批判

する者たちも同様である。


(引用終わり)



決定的な事は、何も書かれていないが、言いたいことは判る。
メンテ
Re: 山崎行太郎論 ( No.2 )
日時: 2013/08/19 11:32
名前: ケインズ・・・みすずのさと ID:18OD3CKE

「国民新党のケインズ主義的な経済政策を評価する」

http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/searchdiary?word=%2A%5B%A5%B1%A5%A4%A5%F3%A5%BA%A4%C8%A5%DE%A5%EB%A5%AF%A5%B9%5D


国民新党の動きが面白い。選挙結果は、島根県の「亀井女史」の大勝利以外は、たいしたことなかったように見えるが、選挙戦最終日の盛り上がりは半端ではなかったようだ。これは、産経新聞の山本雄史記者が現場取材した上で報告している話だからウソではないだろう。山本記者によると、28日午後7時半、有楽町マリオン前で行われた国民新党の最後の街頭演説は、他党の街頭演説を圧倒する勢いで、そのパワーは群を抜いていたらしい。

新橋駅前の安倍演説が、総理の最後の街頭演説とは思えないほどショボかったのに比して、国民新党の街頭演説は、多くの熱狂的な国民に囲まれ、いちばんの盛り上がりを見せたらしいのである。綿貫や亀井の演説に多くの国民が足を止め、聞き入っていたということだ。何故だろうか。国民新党は、経済政策的に言えば、公共投資削減と緊縮財政による財政再建を目指した小泉改革に対して明確に「ノー」と言った上で、小泉改革が理論的に依拠している新自由主義的経済政策を否定し、需要拡大による景気回復を目指すケインズ主義を党是としている。

小泉改革や竹中改革に飽き飽きしている国民の多くが、国民新党の経済政策に関心を寄せるのは当然だろう。さて、小沢民主党がマニフェストで公約している「バラマキ政策」も、需要喚起を重視した一種のケインズ経済学的な政策と考えていいのだが、しかし残念なことに「バラマキ政策」は、党内の一部からさえ批判されている。それは、おそらく民主党が、「バラマキ」というイメージの悪い言葉に象徴されるように、バラマキの経済学的な意味を、経済思想的に理論化しきっていないからである。「バラマキ」とは、言うまでもなくケインズ経済学の理論を適用すれば、必ずしも否定されるべき政策ではない。バラマキこそ、実は、言葉の印象は悪いが、需要喚起に直結した経済政策である。バラマキを「バラマキ」と言って否定したところに小泉以後のわが国の経済政策の陥穽と失敗の根拠があるのだが、この問題をもっとも明確に意識し、経済学的に理論化し、政策として主張しているのは国民新党である。

しかし、残念なことに、マスコミも学会も、この問題の意味を経済学的に、あるいは経済思想史的に、理解していない。むろん、財政破綻と財政再建の鍵をにぎるのはこのバラマキという言葉である。なぜ、バラマキが批判されなければならないのか。その理論的な根拠は何か。誤解を恐れずに言えば、ケインズ主義的な有効需要理論の本質はバラマキである。逆に、フリードマンやルーカス等が主張する新自由主義経済学、あるいは新古典派経済学は、バラマキを否定することから始まる。たとえば「合理的期待形成論学派」の頭目・ルーカスは、「ルーカス型総供給方程式」に基づいて、需要拡大政策の効果を全面否定する。つまり財政政策も金融政策もすべて無効だ、と主張する。言い換えれば、バラマキは経済成長にとって無駄であり、無用であるということを経済学的に体系化したのがフリードマンやルーカスの経済学である。

その時、使われる理論は、たとえば「クラウディングアウト現象」理論(国債の市中消化によって民間資金が国庫に吸い上げられる結果としての民間資金の不足状態が生じ、市中金利が高騰し、景気は回復しない…)であり、「マンデル・フレミング効果」理論(市中金利の高騰が円高を引き起こし、輸出産業に大打撃を与え、よって景気は失速する…)であるが、わが国の経済学者や経済評論家で、これらの理論の正当性について緻密な議論や分析をした人はほとんどいない。ケインズ主義的な有効需要理論が、何故、無効なのかを理論的に、且つ経済思想史的に説明できる人がいないのである。

ただ、それが、アメリカで、今、最先端の理論として流行している経済理論だから、正しいに決まっていると盲目的に信じ込んでいるだけであるようにしか見えない。むろん、今や、新自由主義や新古典派経済学の欠陥は明らかだ。小泉改革が、バラマキという名の公共投資のすべてを否定して、徹底的な緊縮財政を貫くことによって、さらに財政のプライマリー・バランスを悪化させ、経済成長をもたらすどころか、日本列島をシャッター列島、あるいは自殺列島にしてしまったのはその見本である。今、国民新党が、はっきりと新自由主義を否定し、ケインズ主義的な経済政策を主張していることの意味は重要である。自民党も民主党も、この問題の本質を理解していない。「成長か、逆行か」と安倍は喚いていたが、言うまでもなく安倍に、この言葉の持つ経済学的な意味がわかっているはずがない。ただ、誰かの振り付けで、口をパクパクさせているだけであろう。「緊縮財政で成長路線を…」とは自己矛盾も甚だしい。国民に声が届かないのも当然である。

(引用終わり)


山崎氏のバックボーンは

「文藝や哲学を知らずして 、政治や経済を語るなかれ!!!」

であるそうである。

経済を語る場合でも、市場の経済論に惑わされることなく、国民を見ているようである。
メンテ

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