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[1931] 神社信仰
日時: 2014/01/01 23:35
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:JRz11XzA

私は、今年から3年、地元の氏神神社の氏子総代を引き受け神社守をしています。

それまで、殆ど興味の無かった神社と言う存在と取り組む事になりました。
近年は氏子の数も減少し維持しがたくなっている神社の財政のことも鑑み、以下の様な文章をなるべく配布し理解を得るような努力をしてきました。
神社信仰と言うものを理解する為に御紹介します。

「土地の神様の話し」

氏神

本来の氏神は、古代にその氏人たちだけが祀った神であり、祖先神であることが多かった。例として、中臣氏は天児屋根命、忌部氏は天太玉命を祀った。
中世以降、氏神の周辺に住み、その祭礼に参加する者全体を「氏子」と称するようになり、氏神は鎮守や産土神と区別されなくなった。同じ氏神を祭る人々を「氏子中」、「氏子同」といい、その代表者である氏子総代を中心に神事や祭事が担われている。氏神を祀る神社の周辺には住んでいないが、その神を信仰する者を「崇敬者(すうけいしゃ)」といい、氏子と併せて「氏子崇敬者」と総称する。
中世以降の例としては、源氏の八幡神(八幡宮)、平氏の厳島明神(厳島神社)などが挙げられる。別格として皇室の祖神を祭った伊勢神宮は、近世までは皇室のみの氏神であったが、今日では日本人全員の総氏神とされている。

「鎮守」

鎮守(ちんじゅ)は、その土地に鎮まりその土地やその土地の者を守る神のことである。平安時代以降になると荘園制が形成され貴族や武士、寺院などの私的領地が確立され、氏族社会が崩壊し氏神信仰も衰退するが、荘園領主達は荘園を鎮護する目的でその土地の守護神を祀るようになる。これが鎮守であり、室町時代の頃に荘園制が崩壊すると信仰は衰退し、氏神に合祀され今日に至っていることが多い。

「産土神」
産土神(うぶすながみ)はその者が産まれた土地の神であり、その者を一生守護すると考えられている。生涯を通じて同じ土地に住むことが多かった時代は、ほとんどの場合産土神と鎮守は同じ神であった。ただし、現在は転居する者が多いため産土神と鎮守神が異なる場合も多い。
この氏神信仰は七五三などで見ることが出来るが、子供のお宮参りは本来氏神にお参りして、その土地の一員になることを認めてもらうための儀式の一つだった。

「節分祭」の案内状

節分とは、季節の変わり目を示す意味であり、本来は春夏秋冬、4回あるそうです。ですので、暦の上では明日から春となります。

また、旧暦では節分を境目に年が改まり、節分祭を行なう事により、旧年の厄や災難を祓い清める「追儺(ついな)」の行事をしてきました。
現代では、元旦を迎える大晦日の有り様があります、
つまり「旧年をいつくしみ、新たな年の幸せを願う気持ちを現す」というために、年末年始の挨拶があり、除夜の鐘を聞き、初詣をすると言う風習を持っています。

「村祈祷(にいなめ祭)の案内状」

古代の人々は、その生活の殆どを土地と共に営んできました。
そうして土地はみんなの生活の糧をもたらす優しい大地であると共に、天変地異も伴う恐ろしい存在でもありました。
そこから生まれたのが、産土(うぶすな)神信仰であり、鎮守信仰です。
その信仰が、その土地に代々住む人々の祖先神のようになってきて、氏神(うじがみ)と言う言葉で表されるようになりました。
須津彦神社は、須津地区の代表的な氏神神社として、この地域に住む皆様の生活の安全、五穀豊穣を祈願して1500年以上前から存在し続けているとされています。
村祈祷とは、1年に一度、今でもこの土地で共に生きる皆様が集まり、氏神様に感謝すると共に、更なる1年の安全、五穀豊穣を祈願するものです。
何かと世知辛い世ですが、この機会に、悠久の歴史に触れていただきたいものです

「厄払い祈祷の案内状」

役年と言うものは
「男の42歳前後というのは本当に社会的責任も増し、精神的にも肉体的にもきつい年頃だと思います。女の33歳は子育ても真っ最中でそれどころではないかもしれませんが、昔は最後の子供を生んだ頃なので、女性にとってちょうどその頃が精神的にも肉体的にも疲れる年頃だったのでしょう。」
とありまして、厄と言うような負の思いよりも、それぞれ人生の節目に到達され事を御祝すると共に、心を引き締めていただく前向きの認識と取られる方が良いかと思います。
神社との関係で言いますと、誕生初参りや七五三などで神社に参られた方の成人された姿と再び、まみえさせていただくと言う事になります。



等などです。
私が考える氏神神社のありようとは、このような概念であったのですが。

ところが氏子総代の活動の中に、神社を束ねる神社庁との付き合いもあります。
明治の頃の国家神道の名残で、当地の神社も伊勢神宮を頂点とする、一つの流れに組み込まれています。
神社庁が主催する氏子総代会議は年に2回は開催されます。

そこでは式の冒頭で、伊勢神宮の天照大神に対して拝礼することを要求されます。
そこまでは、当地の神社の親分に敬意を称するための思い、しぶしぶ付き合ったものですが、その後に君が代の斉唱をする羽目になって、神社守である事に嫌気がさしました。
その様子などは、氏子には、とても報告する気にはなりません。

冒頭に紹介した純粋な信仰心とは相容れない要素を強く要求する現在の神社庁の考え方では、この後、どのように取り繕っても神社は観光の対象でしかありません。
普通の神社庁でも、これですので、靖国神社を運営してしている団体が、如何に国民と遊離している存在か判ると思います。

それでも私は後、2年、氏子総代を務めねばなりません。
神社庁など上部の考え方など、何するものぞ!と、地元の氏神信仰を守るつもりでやっています。

人間の心は、何事にも合理的精神で対応できるほど強くはありません。
そういう人たちが、1年に一度、家内安全の為に、神社の御札を購入していただく、その気持ちが純粋であることを信頼しています。
そのためにも、神社は存在している必要があると、この寒いなか年末年始の神社行事に取り組んでいます。

靖国神社を糾弾する一方、このような神社信仰観もあることを披露したくて投稿しました。
メンテ

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Re: 神社信仰 ( No.22 )
日時: 2014/03/24 23:12
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:iZtC3JAI

UP
メンテ
日本の神の概念 ( No.23 )
日時: 2014/05/01 18:45
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:Ri1uOz1w

神社の神様と言えば、
大圀主命(おおくにぬしのみこと)
須佐之男命(すさのおのみこと)などの伝説の人物の名前であったり
隼総別命(はやぶさわけのみこと)
誉田別天皇(ほむたわけのすめらみこと=応神天皇)など天皇、皇族など有力者の名が出てきます。

その他、神道においては恨みを残して亡くなった人物を『神』として祀り、祟りを避けようとした例も数多くあります。中でも菅原道真を祀る天満宮は亡くなった人間を神として扱う顕著な例です。 また、一人ひとりはそれほど有力な人物でなくとも、数多くの人々が亡くなった場合にも神として祀られ、これは靖国神社等が例として挙げられます。

このように神道の神々は、いろいろな種類があり、発展の段階もさまざまなものが並んで存在している。神には大別して以下のような側面がある。

1. 自然物や自然現象を神格化した神
2. 思考・災いといった抽象的なものを神格化した観念神
3. 古代の指導者・有力者などを神格化したと思われる神(エウヘメリズム)、氏の集団や村里の守り神とされるようになる神々
4. 万物の創造主としての神(ここにおいてはthe Godである)
5. 万物の創造主・主宰者としての全能の天皇

近代になるほど神の人格化が試みられ、神道と権力を結び付けて考えるようになります。西欧キリスト教さ社会における王権神授説の同じような発展をしています。
我が国でも明治天皇を現人神とした時代もありました。
ところで、我が国の神社信仰における神の概念は、そういう歴史的展開にも関わらず、自然物や自然現象を神格化した神の概念が強く残っています。

八百万の神(やおよろずのかみ)と言うのは、自然のもの全てには神が宿っていることが、八百万の神の考え方であり、日本では古くから、山の神様、田んぼの神様、トイレの神様(厠神 かわやがみ)、台所の神様など、米粒の中にも神様がいると考えられてきた。自然に存在するものを崇拝する気持ちが、神が宿っていると考えることから八百万の神と言われるようになったと考えられる。八百万とは無限に近い神がいることを表しており、数ある多神教の中でも、数が多い考え方であると言える。 またこういった性格から、特定能力が著しく秀でた、もしくは特定分野で認められた人物への敬称として「神」が使われることがある。

日本において外来宗教の影響を受ける以前に存在していた宗教をいう。純神道、原始(古)神道、神祇信仰ともいう。
古神道は「原始宗教の一つである」ともされ、世界各地で人が社会を持った太古の昔から自然発生的に生まれたものと、その様相はおしなべて同様である。その要素は、自然崇拝・精霊崇拝(アニミズム)、またはその延長線上にある先祖崇拝としての命・御魂・霊・神などの不可知な物質ではない生命の本質としてのマナの概念や、常世(とこよ・神や悪いものが住む)と現世(うつしよ・人の国や現実世界)からなる世界観と、禁足地や神域の存在と、それぞれを隔てる端境とその往来を妨げる結界や、祈祷・占い(シャーマニズム)による祈願祈念とその結果による政(まつりごと)の指針、国の創世と人の創世の神話の発生があげられる。

上記のややこしい説明は別としまして、要するに神道の神様の始原的な概念は、荒魂(あらみたま)・和魂(にぎみたま)と言う2つの側面を持って捉えられていると言うことです。
荒魂は神の荒々しい側面、荒ぶる魂である。天変地異を引き起こし、病を流行らせ、人の心を荒廃させて争いへ駆り立てる神の働きである。神の祟りは荒魂の表れである。それに対し和魂は、雨や日光の恵みなど、神の優しく平和的な側面である。神の加護は和魂の表れである。
荒魂と和魂は、同一の神であっても別の神に見えるほどの強い個性の表れであり、実際別の神名が与えられたり、皇大神宮の正宮と荒祭宮といったように、別に祀られていたりすることもある。人々は神の怒りを鎮め、荒魂を和魂に変えるために、神に供物を捧げ、儀式や祭を行ってきた。この神の御魂の極端な二面性が、神道の信仰の源となっています。
ここで説明したいのは、歴史的な変遷を重ねた神道(神社信仰)ですが、その始原的精神は今なを、いろいろな形で生きついていると言うことです。

荒魂・和魂の概念は、我が国の伝説の中にも現れています。
各地にある竜神伝説は、恐ろしい竜ではあるが、大切に崇めると雨を降らせてくれる人々の守り竜でもある。河童伝説もキツネ伝説も大概は、その動物の二面性を説いています。
菅原道真の様に恨みを残して死んでいった人を祀る気持ちも同じように禍を転じて福としたい気持ちの現れです。西欧にも竜神伝説はありますが、西欧のそれは、飽くまでも人間に禍する竜としてのみ描かれています。
日本の神道と言うよりも神社信仰のこの概念こそ日本的であり大切な想いであると思います。

メンテ
Re: 神社信仰 ( No.24 )
日時: 2016/12/04 22:10
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:8.cwWs.Q

UP

取越九郎さんの宗教論の端緒にしていただくために。

取越九郎さん、同じようなスレッドでも、ドンドン立てて下さい。
糾弾掲示板では、1000のスレッドは生きていますが、1000を超えると過去ログへ移り閲覧だけはできるようになります。
現在は過去ログに500以上のスレッドが入っています。

このシステムになる前の旧掲示板時代にも2000近いスレッドが立てられていました。
それは現在ではアクセス出来なくなっています。
またこのサイトの特徴は、いつでも古いスレッドを閲覧、UPできることにあります。
ですので古いスレッドへのアクセスも随分と増えているものがあります。
当初は少ないアクセスでも何年も経てば誰かが見ていることに成ります。

追伸です

本当は、レスがあまり長く続くのは読者から見れば問題がありますね。
メンテ
Re: 神社信仰 ( No.25 )
日時: 2016/12/26 00:45
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:S8Zvs7uo

UP
メンテ
神楽舞について ( No.26 )
日時: 2017/08/13 07:34
名前: topics editor ID:M8fivw6k

須津彦神社例祭の神楽舞について

獅子舞は、疫病退治・悪魔払いの行事として古く、インドで始まったものと言われています。
日本では、室町時代の終わりの頃、伊勢の国で飢饉、疫病を追い払うために獅子頭を作り、正月などに獅子舞を舞わせたのが始まりといわれています。
その後、獅子舞は神社で行われる神楽(巫女などが舞を奉納する)としても取り入れられ、伊勢大神楽により全国に広まって行きました。
神社で祭りや正月に行う獅子舞の事を神楽舞(略して神楽)と言います。

その神楽舞の内容を説明しましょう。
須津彦神社に奉納する神楽舞には、現在、剣の舞、鈴の舞、乱の舞、笹の舞の4つが残っております。以前は、加えて、四車(しぐるま)、囃子(はやし)、五宝楽(ごほうらく)があり半日も境内で舞っていたそうです。

舞の説明をする前に、神様と神楽のことについて説明します。
神社の氏神様は、通常神殿におられますが、祭りの時などは須津彦神社の神域を巡行されます。それが御旅行列なのです。

その時、神様が乗り移られる物を依り代(よりしろ)と言いまして、普通は神輿ですが、神楽の獅子頭も依り代とされています。
須津祭りの場合は、神事の初めに、宮司が何時もは閉ざしている神殿の内扉を開く時に、神楽が拝殿に入ってきます。その獅子頭に神様が乗り移られるとされています。
ついでに説明しておきますが、依り代には、御幣や笹、剣、榊、扇、弓など「採物(さいもつ)」と言われているものが多種ありますが、その多くは神様の力を授かると言う意味でしょう。

御旅行列のあと、神楽舞や太刀振りは地域を巡行します。これは祭りの神事を神社境内に留まらず、華やかにすることで民衆の楽しみとするようになって来た為です。
ここでは神社における神楽の奉納の舞を説明します。

まず、剣(つるぎ)の舞について、

獅子が宝剣をくわえて舞うことで、天地四方を清めます。宝剣を抜きはらって天地四方の邪気を切り祓う悪魔祓いの舞いとして知られています。静かな笛と太鼓の響きとともに舞う、神々しい舞いです。
獅子が「剣」を口にくわて舞うことは、まさに神が依りついていることを象徴的に表現しているのです。
剣の舞は、各戸訪問の時は、そのお宅を正面として、1方だけのお清めをするのですが、本祭に神社で奉納する剣の舞は、3方の舞と言って四方すべて(地区全域)の邪気を祓う中心的な神事です。
須津彦神社におけるこの舞には天狗が登場します。
天狗の役割は、獅子の真似をして舞うことです。神様が乗り移った獅子が民の為に厳かに舞う、その様を真似る天狗は、我々、民の気持ちを暗示させているのではないでしょうか。

鈴の舞(すずのまい)

門付けなどで最初に舞うのが「鈴の舞」。これは竈払い(かまどばらい)を意味します。現代でこそ、竈(かまど)は使われませんが、竈(かまど)は一家のいのちの根源です。火をおろそかにすると、すべてを失います。だから、「火の用心」なのです。獅子舞いは人々のいのちの根源たる竈(かまど)に感謝し、災いがおきないように最初に「鈴の舞」を舞うのです。一戸一戸を廻り、その家の厄払いをしてくれる神様の民に対する優しい心使いと思って良いのではないでしょうか。

乱の舞

伊勢大神楽のなかに、跳の舞(とびのまい)と言う舞があります。神楽では静かな所作から跳躍、登攀、飛び降り、逆立ち、旋回と回転、首振りと激しく動き回る仕草があります。これはすべて獅子神の悪魔調伏の威力を誇示する表現です。これを「狂い」と言いまして、激しい舞を見せることによって神の力を表現し、その力を皆さまに授けるのです。
須津彦神社の神楽の乱の舞の場合、その途中に洞入り(ほらいり)と言う動作が入ります。洞入りの意味は、獅子が洞窟に潜んで周囲を睥睨(へいげい)している様子を現すようで、実際の洞に入るのではなく、胴体で獅子頭を包み込んで現しています。また、洞に入った獅子が耳だけを動かす仕草をします。他の動物でも、自分を強く見せるために羽を広げたりして大きく見せる事があります。洞入りと言う動作も、獅子の強さの別の表現(威厳を現す)と見ることができます。洞入りを舞うときの舞手は、非常に無理な姿勢を取らざるを得ないそうです。
神道で言います神は、天変地異位を引き起こす恐ろしい存在であると共に、これを祀る(まつる)ことによって民に恵みをもたらす存在とされています。

笹の舞

伊勢太神楽では、これを、楽々の舞(ささのまい)と言います。         
『金槐集』には万葉の神楽を「ささ」とし、やがて採物の「笹」へと移り変わっていったとされています。この笹は単なる笹にあらず、神が依る物なのです。
舞では、「番内」と呼ばれる天狗面の者が笹をもって登場します。獅子はこれに神の来臨を乞うのです。これは神が乗り移ると言う意味ではなく、神様の力を笹に与えて欲しいという意味でしょう。                10日恵比寿などで「商売繁盛、笹もって来い」と言います。神の力が宿った笹を家に持ち帰へり、田畑にたてれば五穀豊穣となると信じられています。また、家に持ち帰れば災いを祓いのけるとされているのです。
須津彦神社の笹の舞は、神が宿った獅子が、のんびりと休んでいるところに笹を持った天狗が登場し、獅子をからかうと言う仕草で舞がなされています。からかうと言うよりも、天狗が持つ笹に神様に神の力を宿して欲しいと催促しているとも取れます。この場合、天狗はもう一方の手に持った扇子で催促します。休んでいるのに、あまりにもしつこいので、獅子は扇子を取り上げようとするのですが、天狗は、その都度、巧妙に交わして逃げます。獅子はいやいやながらも3回ほど繰り返しますが、容易には取れません。結局は4回目で扇子を取り上げ、舞は終了します。                       
この過程を長々と舞い、神楽舞の中では一番長い舞となっています。この舞は荘厳な神事と言うよりも、獅子の形になった神様に対して自分が持った笹に乗り移れと厚かましくも催促するまでに、民が神を身近に感じている様を現しているのではないかと思います。
登場人物が、なぜ天狗であるかと言いますと、古事記・日本書紀などに登場し、天孫降臨の際に案内役を務めた国津神のサルタヒコは、背が高く長い鼻を持つ容姿の描写から、一般に天狗のイメージと混同され、同一視されて語られることから天狗となったのでしょう。                    
祭礼で猿田彦の役に扮する際は、天狗の面を被ったいでたちで表現される事がよくあります。
最後に、笛と神楽舞の関係ですが、須津彦神社の場合、神楽が舞う時の笛は一人の奏者によってのみ舞われます。これは獅子の動きは必ず笛の音色に沿って動かされ、笛が止んだ時は、獅子は動きません。笛の奏者の音色、調子によって獅子の動きも微妙に違います。ですので、笛の奏者が複数いては、そのわずかな思いの違いが、獅子の舞に微妙に影響するからです。須津の神楽舞を御覧になるとき、笛の音色と舞の一体感を見て下さい。

須津彦神社 笹の舞動画(これは少し長いですよ、適当に早送りされればいかが、約1時間)

https://www.youtube.com/watch?v=Wv8kh_xPzh0

伊勢神楽 奉納神来舞、楽々の舞(これも笹の舞と言います)

https://www.youtube.com/watch?v=db6tpPfcJJA


伊勢神楽 鈴の舞 剣の舞

https://www.youtube.com/watch?v=Qd7GvHU6kmA

中には、この様な賑やかなものもあります。
この場合の獅子は怪物として扱われ、それを退治するのがストーリーとなっています。

https://www.youtube.com/watch?v=YmOhzzY8B2M


以上、須津彦神社の獅子舞について説明させて頂きました。冒頭に言いました様に、獅子舞は、疫病退治・悪魔払いの行事と広く行われてきていて、その形態は色々とあります。   舞も一人で舞う一人立ち、須津彦神社の神楽の様に二人で舞う二人立ちもありますが、多い時は十数人が獅子の中に入る大きな獅子舞もあります。
獅子が複数登場する地域もありまして、舞の内容も、民に害をなす怪物を退治されると言う様なものや、天狗と戦わせる様なものもあります。             
須津彦神社の神楽舞は、伊勢太神楽の系統を引き継ぎ、獅子は神の依り代として、荘厳な舞をすることが特徴です。                        
メンテ
Re: 神社信仰 ( No.27 )
日時: 2017/08/13 09:35
名前: 中川隆 ID:39JQeFmw

>私は、今年から3年、地元の氏神神社の氏子総代を引き受け神社守をしています。


この人は神社や祭りというのががどういうものか全然理解できていないんだ。


真実を知りたければ

日本の農村は怖い _ 狭山事件の背景
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/340.html

沖縄パナリの秘祭 _ 臨月になった美女を引き出して洞の中で行う秘密の儀式とは
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/446.html


メンテ
Re: 神社信仰 ( No.28 )
日時: 2017/08/13 09:37
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:M8fivw6k

中川さん、さっそくのコメントをありがとう。

貴方のお年と住んでおられるところを知りたいものですね。場所については都会か田舎で良いです。
紹介された文章をざっとですが読んできたところ、ずいぶんと時代が違う様です。

夜這いなどの風習があれば私もやって見たかった。
ですが、田舎の自治会の役員、昔の村役場の役員に当たりますが、戦争直後くらいまでは、地元の有力者が成る事に決まっていました。
現在では、誰もがそんな役に就くことは嫌っていて、仕方なく被選挙人を強引にしたてて選挙で選んでいる始末です。
隣組長などは順番で誰もがやらなくてはなりません。

また、田舎の風習について封建的なところが多いと言われています。
封建的と言うよりも、現在の自治会の綱領には、ほとんどの自治会では地域住民の親睦、発展を謳っています。
如何にも田舎の暮らしはお互いに助け合うところの様な気がするでしょう。

都会に比べて、良い点もありますが、反対に地域の事に積極的に参加しない人たちを非難する目もあるのです。
本当に困っている隣人を実際に助ける事もしないのに、隣人の動向を監視し、非難の眼で陰口をたたきあうなど、見苦しい風習があって、私はそういう有り様に怒りを感じています。

貴方の言う事は極端ですが、ある意味での非難は当たっていると思います。

神社の事について
このスレッドでも言っていますが
氏神信仰として発達してきた神社信仰は、我が国らしい平和な文化であり、本当の氏神信仰と言う物を、もっと見直して欲しいと思います。

氏神信仰と田舎の閉鎖性とは関係はそんなにないでしょう。
しかしながら、明治以降つくられた全国の神社の体系つくりには反対です。

その事も、このスレッドで書いています。
私の地方の神社は160ほどあり、総代を出して管理されている神社も100近くあり、年に2度は総代が集まり会議を開きます。
その会議と言うのが、明治時代につくられた神社の体系によって私の地域の神社も伊勢神宮の関連神社とされていて、支部の会議とされているのです。

その会議の冒頭で全員、伊勢神宮の方向を向いて拝礼する事になっています。その後で君が代を斉唱しろと言われました。
私は、当然、その様なものに同調はしません。
そればかりか、2度とそんな会議へは出席しなくなりました。

反骨精神は貴方の様にあるつもりです。
でもね、世の中がそうであると言っても、私は言うべきことは言い、やるべきことはするつもりです。
せっかくですので、

貴方自身の神社信仰についての意見も聞きたいですね。
メンテ
太刀振り ( No.29 )
日時: 2017/08/13 12:22
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:M8fivw6k

太刀振りについて

祭りの行事及び地方芸能としての太刀振りについて調べてみました。
須津祭りに見られる形の太刀振りは丹後地方独特の形式の様です。
これは約1200年前に、籠神社で始められたものが丹後半島一帯から豊岡市但東町の赤野神社、上宮津愛宕神社まで広がったものの様です。
その中でも、籠神社の形式により近いものは、当地須津から加悦谷平野、大宮町、但東町の赤野神社までの流れと上宮津です。
丹後半島部、伊根町から本庄、久美浜、網野に続く流れは太鼓、笛の拍子も少し違ってきます。
この近くで言いますと、さらに舞鶴、綾部、高浜方面でも太刀振りが行われていますが、これは籠神社系統のそれとは形が違います。

全国的には、金沢、富山、新潟と続く北陸方面にも太刀振りの風習があります。青森、岩手などで少し盛大にやられているようです。
西へ行きますと四国の高知、岡山県などでも少ないですが太刀振りが行われています。
それらの地域の太刀振りは、籠神社系統とはすっかり異なり、舞いの形も、獅子と太刀を持った人間との戦いの様子を見せたり、かたき討ちなど物語風の演出を伴ったり色々です。
剣道の型の様なものもあります。

この文章はネットの情報に頼っていますが、祭りの伝統芸能として太刀振りが盛んとされている地域としては丹後地方が一番ではないでしょうか。それは籠神社系統の太刀振りは、大太鼓を中心にした囃子方が充実していて、村内を巡行することを重視しているからではないかと思います。他地域では神社での奉納だけの太刀振りもあるようです。

では、ここで須津祭りの太刀振りの源流となっている籠神社の例祭(葵祭り)の歴史について紹介しましょう。
(少し長くなりますし興味のない方は読み飛ばしていただけば、と思います)

「元伊勢の秘宝と国宝海部氏系図(籠神社社務所発行)」より

当社の例祭は明治以降四月二十四日に行われる。然し往古は四月の二の午の日に行われる古例であった。そして之の神事を葵祭又は葵神事と云い、又之の御神事を御蔭祭とも呼ぶ。之は山城の一之宮である賀茂別雷神社並びに賀茂御祖神社で古来四月の二の午の日に御蔭祭が行われ、又同月二の酉の日に葵祭が行われたのと軌を一にし、欽明天皇の御代に始まったと伝えられる。当宮祭神を葵大神、又は青位大神とも申す古記も存する。之は御祭神の再誕に関する、所謂御生れの神事であるが、当神社に於ては更にその淵源をたどると、人皇四代懿徳天皇の御代四年甲午年に始まったと伝えられ、之の祭儀には豊受大神及び、彦火明命・彦火火出見命・丹波道主命に関する深秘がある。賀茂社と異る所は、賀茂の祭礼では祭員が葵の葉を付けるが、当社では祭員等が冠に藤の花を挿すことが古来の例になっている点である。このように当神社では藤の花が御祭神に深い由縁を持ち、その始めは藤祭と称していたのであるが、欽明天皇の御代に始まった賀茂祭が葵祭と称せられるに及んで、当神社でも葵祭と称されるに至ったと伝えられる。
これは當神社の元初の祭神豊受大神が水徳の大神であらせられ、与謝郡真名井原の真名井の水に因んだ本来の故事であったからである。

伊勢の祠官度会元長の神祇百首と云う和歌に、「藤花 花開ハ真名井ノ水ヲ結トテ藤岡山ハアカラメナセソ」とあり、註に「件ノ真名井ノ水ハ自天上降坐ス始ハ日向ノ高千穂ノ山ニ居置給フ其後、丹波与佐之宮ニ移シ居置タマフ、豊受大神勢州山田原ニ御遷幸仍彼水ヲ藤岡山ノ麓ニ居祝奉リ朝夕ノ大御饌料トナス」と見える。これは藤の花と真名井の水のことを詠じた歌であるが、外に当神社の祭に藤の花を用いたことは、後拾遺和歌集に良暹法師の詠める歌に、「千歳経ん君が頭挿せる藤の花、松に懸れる心地こそすれ」とあるに依って知られている。

本宮に対して奥宮である真名井神社の例祭は、豊受大神が伊勢国に御鎮座された日の前日である九月十五日であったが、明治以後新暦を用いるようになってからは十月十五日となった。

豊受大神はその御神格の中に月神としての一面も持っておられ、真名井神社の昔の例祭が、九月十五日と云う満月の日に行われた事もその反映と思われる。又その御神徳が数字の奇数に関わりがあり、一年の五節句(一月七日、三月三日、五月五日、七月七日、九月九日)、殊に後の七・九の二節句とは最も深い結びつきの神秘がある。古来中国に於て、奇数が陽とされ、偶数は陰を表した事と照應する教学が、当神社祭神秘伝の中に存するようである。

当神社の藤祭りが始まったのは、懿徳天皇四年(皇紀一五四年)と伝えられるが、平成六年は皇紀二六五四年となり、数えて藤祭り発祥満二五〇〇年目に當り、五月二十二日を吉日と卜して、藤祭葵祭発祥二千五百年祭を氏子中の奉仕により、盛大に行った。

(特殊神事)

当神社の御神事の神事は御蔭神事と申し、当神社第一の神事である。
之は御祭神彦火火出見命が、天の御蔭日の御蔭とかくりまして、世をしろしめす行事と伝えられるが、當神社に於ける御生れの神は丹波道主命である事は最近まで極秘伝とされていた。又、賀茂に於ては別雷神と申されている。

この御神事(お渡り)には、太刀振神事と云う典雅雄壮な特殊神事が遠く貞観年中から行われている。更に神代からと伝えられている鶺鴒囃(ササバヤシ)の古儀も行われるが、之は爺と孫(男子)、即ち祖孫共演の笹竹のはやしであり、弥生期農耕社会の一つの習俗を、現代に伝える極めて貴重な神事であると云われている。


さて、次には、何故「太刀振り」か、と言う事を考えてみたいと思います。

民俗(郷土)芸能とは、民間伝承や神事としての行事をより高めるための表現で、舞は家内安全や無病息災、五穀豊穣、悪魔退散など、人々の平安を神仏に祈願するとともに感謝の念を表しています。動作の一つ一つに意義があり、舞に繰り返しが多いのはそのためといわれています。
民俗芸能になぜ、武器(刀)が使われるのだろうかについて、その理由として、宗教者や民衆が、武器を魔除(よ)けや災厄を払い清める呪具、神器として考えていたことがあります。

刀を振る民俗芸能として例えば、青森県無形民俗文化財の津軽神楽は、宝剣・弓立・四家舞(しかまい)の際に剣や弓などを持って舞うものです。
山伏神楽が盛んな下北・南部地方の芸能でも、刀を使用する芸態が多くあります。
東通村の獅子舞「虎の口」や「三宝荒神」、法霊(ほうりょう)神楽(八戸市)の「杵舞」では、太刀を激しく振り、曲芸もする。岡三沢神楽(三沢市)の「両剣」では、二人で激しい剣の舞いや相撲のような組み討ちも行ないます

中居林太神楽(なかいばやしだいかぐら・八戸市)は、赤い獅子頭をかぶり、脇差を抜いて舞う。青森県無形民俗文化財「岩崎の鹿島祭」(深浦町)や「相内の虫送り」(五所川原市)に登場する「太刀振り」でも、シンボルとしての「太刀」を振り、互いに打ち合うことで、災厄や田畑の害虫を追い払います。
山梨県の無生野の大念仏(むしょうののだいねんぶつ)の中にも太刀振りが出てきますが、祈祷の様なものに近いように思われます。

このような芸能をすべて太刀振りと呼んでいるようですが、私たちがイメージする太刀振りとは随分と異なります。

祭りの伝統芸能として太刀振りが盛んとされている地域としては丹後地方が一番ではないでしょうか。それは籠神社系統の太刀振りは、大太鼓を中心にした囃子方が充実していて、村内を巡行することを重視しているからではないかと思います。他地域では神社での奉納だけの太刀振りもあるようです。
さて、次には、何故「太刀振り」か、と言う事を考えてみたいと思います。

民俗芸能になぜ、武器(刀)が使われるのだろうかについて、その理由として、宗教者や民衆が、武器を魔除けや災厄を払い清める呪具、神器として考えていたことがあります。
と言いますのは、古代に鉄が発見され、それによって作られた剣は当時としては驚くべき威力を発揮した武器であり、それに対する思いは武器であると共に畏敬の対象にもなっていました。

丹後の太刀振りはどこの地域も基本型はよく似ており、「葵祭」で行われる太刀振りと同様に、大きな鋲打ち太鼓のドーンドーンという大きな音に合わせ、皆が一斉に太刀を大きく空を切るように自在に回したり、飛び越えたりするのが特徴的です。
そしてその装いも大変類似しています。

太刀振りの年齢層は、小学生から青年までの男子で揃いの襦袢にタッツケを着用する。
太刀の形状も共通のもので、白紙を細く切ったシデで棒の両端を飾り、その先端に刀身を付けます。
太刀振りの伴奏の中心となる楽台は屋台形式で塗りはなく、短冊や日の丸扇をたくさん付けた細竹を楽台の二方に立て、後部に祭神の幟(のぼり)を立てる。台車は四輪で前からひきまわす。屋根の下に大型の鋲打ち太鼓を一個、後方に締め太鼓二個を載せる。鋲打ち太鼓は先が太く短い丹後特有の桴(ばち)で一人が打ち、これに締め太鼓打ちニ人が加わり、その他が笛役にまわります。

太刀を振ると言うことは、その太刀で邪鬼や災厄を打ち払い、家内安全、無病息災、五穀豊穣をもたらす事を願っているのです。
そうして、それは男の役目でもあったのです。女性が強くなっている現代は、男子に拘ることもないのでしょうが。
祭礼の後、各戸へ巡行し太刀振りを奉納すると言うことは、その御宅の邪鬼を打ち払い、
家庭の安寧を願ってくれると言うことです。


次に笹囃子(ササバヤシ)について説明します。

府中の籠神社では、太刀振りと共に、神代からと伝えられている鶺鴒囃(ササバヤシ)の古儀も行われていました。
之は爺と孫(男子)、即ち祖孫共演の笹竹のはやしであり、弥生期農耕社会の一つの習俗を、現代に伝える極めて貴重な神事であると云われています。

古代日本において、祭祀を司る巫女自身の上に神が舞い降りるという神がかりの儀式のために行われた舞がもととなり、それが様式化して祈祷や奉納の舞となりました。
千早・水干・緋袴・白足袋の装いに身を包んだ巫女が太鼓や笛、銅拍子などの囃子にあわせて鈴・扇・笹・榊・幣など依り代となる採物を手にした巫女が舞い踊ります。

依り代(よりしろ)と言いますのは、神霊が依り憑く(よりつく)対象物のことで、神体などを指すほか、神域を指すこともあります。
笹囃子に使う笹は、この依り代の役目を持っているのです。

笹囃子は中央に子供の新振りの一人が笹を担いで立ち、両脇に同じく子供の小太鼓打ちを揃えて舞います。
この3人の前には、神殿を背景にして、太刀組の20名余りの先輩諸氏が集まり誠意を込めて笹囃子の詩を歌います。

その歌詞を紹介します。

(露の踊り)
アー 露はすゝきいにゃ宿とァおりて
いや 露はすゝきいにゃ宿とァおりて
露はサィサィ ア一 一夜のお宿はカアスイ ヒイヨウ サィサィ
アー いや 露の踊りは おもしろや ヒイヨウ サィサィ
アー 水にもまれえしみいちしァいばや
いや 水にもまれえしみいちしァいばや
露はサィサィ ア一 一夜のお宿はカアスイ ヒイヨウ サィサィ
アー いや 露の踊りは おもしろや ヒイヨウ サィサィ
アー 駒に蹴られえしかあはやァ柳
いや 駒に蹴られえしかあはやァ柳
ほたるはサィサィ ア一 一夜のお宿はカアスイ ヒイヨウ サィサィ
アー いや 露の踊りは これまでも

(花の踊り)
アー 花が見たくば吉野へござれ 吉野桜は花さかり
アー ヒィヨウ トントントン ア ヒィヨウ トントントン
アー いや 花の踊りはおもしろや
アー 花が見たくば高雄へござれ 高雄紅葉は花ざかり
アー ヒィヨウ トントントン ア ヒィヨウ トントントン
アー いや 花の踊りはおもしろや
アー 花が見たくば六条へござれ 六条女郎衆は花ざかり
アー ヒィヨウ トントントン ア ヒィヨウ トントントン
アー いや 花の踊りはこれまで

露の踊りも、花の踊りも笹囃子の種類です。花の踊りは笹の代わりに桜の花(八重桜)をもって踊ります。
須津彦神社の例祭では、露の踊りは子供が舞、花の踊りは青年が舞います。
紹介した歌詞は、現代的に意味は解りにくいですが、両方とも素朴な生活の一部、自然の一部を歌って神に感謝している様子が伺えます。
太刀振りと笹囃子は、一緒に行われる地域が多いようです。

当神社以外の笹囃子の様子も紹介しておきましょう(大宮売神社)。

笹ばやしは11〜12才の少年の新発意一名、太鼓打10数名と大人の囃し方(歌い方)20数名で構成される。しんぼち太鼓打の服装は和服・筒袖・袴・白足袋・厚歯下駄に白縮緬の襷をかけ襟に御幣を一本さす。太鼓打は白布で締太鼓を前につけ桴には金紙を巻き五色の総をつけて、それを一本ずつ左右の手に特つ。しんぼちは布の袋入りの棒先に笹二、三○本を束ねてつけ、それに小鈴・瓢箪・鍋つかみをつけたものをかつぎ、五色の短冊で飾りつけた丸団扇を右手に持ち飾り編笠をかむる。囃し方の大人は羽織,袴で御幣を襟にさす。笹ばやしの演目は弁慶踊・上様踊・月待ち踊です。




元伊勢籠神社葵祭り 太刀振り 境内にて

https://www.youtube.com/watch?v=qQqfBQIGlXY

須津彦神社祭典「太刀振り小学生の部」

https://www.youtube.com/watch?v=Qw3T9d1PdLY

これも太刀振りです

https://www.youtube.com/watch?v=Z3_Do18IpFo

大命神社の笹ばやし(与謝野町石川)

https://www.youtube.com/watch?v=PQh40W8ZO7U
メンテ
天橋立の愚痴人間さん の話が何故 誰の興味も引かないのかというと ( No.30 )
日時: 2017/08/13 13:01
名前: 中川隆 ID:39JQeFmw

天橋立の愚痴人間さん の話が何故 誰の興味も引かないのかというと

籠神社というのはニニギノミコトの兄弟のホアカリノミコトが天下った、古代史の秘密を解く鍵を握るロマンの塊の様な神社

伝世鏡が調査されて北九州の弥生時代の王墓から出土するのと全く同じものだとわかった等の一番肝心な事を全然書いてないからなんだ

太刀振りの儀式なんかどうでもいい末梢的な話なんだよ



メンテ
Re: 神社信仰 ( No.31 )
日時: 2017/08/13 15:22
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:M8fivw6k

>天橋立の愚痴人間さん の話が何故 誰の興味も引かないのかというと

それを言われるな!

なんと、籠神社について調べられましたか。

この辺では一番権威を持っていまして、元伊勢神宮とも言っています。
伊勢神宮はここから出たと言う意味です。
最も同じような事を言っている神社は、あと2社あります。

丹後地方の歴史は「息抜き投稿欄」のスレッドでも最近書いておりますが、2〜6世紀にかけて相当発展していた様です。
現在は過疎地が多く、日本でも貧しい地域とされていますが。

中川さんは都会に住んでおられるのでしょうか。
祭りの太刀振りを儀式と見ておられますが、形の上では儀式ですが、実際は子供も大人も祭りを楽しんでいます。
祭りの為には1ヶ月くらいの準備が必要ですが、多くの人は納得して参加しています。

私も小学生のころ太刀振りをした思い出があり、そういうイベントを経験することによって、みんなで何かをする楽しみを経験し、これは、何でもかんでも金を追ったり、合理的に考える現代社会では、そうは得られない体験です。

追伸です。

紹介した須津彦神社の祭典は、不肖、神社総代をしていた私が名目人の頂点でした。
私が格式ばった人間に見ますか。
メンテ

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