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[1978] 東大論・官僚論 <高山 渚氏のスレッド 「官僚を撃て!」
日時: 2015/10/03 12:17
名前: topics editor ID:eV6MBblQ

http://n-takayama.cocolog-nifty.com/
「官僚政治を撃て」ブログ
高山 渚


■2900  日本の教育の見直し 
□投稿者/ 高山 渚 -(2008/02/10(Sun) 11:27:01) [ID:xRpRbi5Z]

親記事
引用
日本の教育は一日でも早く革命的改革が必要な国家事業だと私は思います。

日本の教育は入学試験に合格するための受験教育に過ぎません。そしてその弊害を象徴的に示す最近の新聞・雑誌の記事を二つあげてみます。

一つは、日経新聞でJFE(日本鋼管と川崎製鉄の合弁)が官需減少のため海外からごみ処理プラントを受注したところ受注に見合う技術レベルが追いつかず大幅の赤字損失を計上した。また石川島播磨重工の発電用ボイラーも荏原の廃棄物処理施設も結局、見積もりに見合う技術的裏づけがなく海外受注したものの解約や工事の遅れで大幅な損失を出しているというものです。

もう一つは、週刊文春の記事で、千名の女性からみた嫌いな大学アンケートで、1位東大176票、2位早稲田138票、3位慶応89標、4位京大29票で、その理由はいずれも「自分は頭が良いという自己中心的価値観」ということに集約され、いずれも自分の同門と群れを作っている(企業や官庁にはびこる学閥の原点)という指摘です。多くの大学卒がいる中で、京大は除外できても、上位3校は10%以上の人が不快に感じ、少なくとも尊敬されない人間集団であり、この国の難関校なるものの教育の実態を極めて良く示す証拠でもあります。

この一見全く無関係に見える現象こそが、喫緊に革命的な改善を加えなければならない日本の教育の姿を表しています。そして入学試験の点数の高さのみに関心を奪われた難関校の当事者自身が、入試点数が高ければ我が校は超一流と鼻を高くし、自分の学校の教育内容などどうでもよいという極めて愚かで低級な、これを愚劣と言いますが、愚劣人間によって日本の教育が荒廃させられていることを私たちは確認することができます。

最初の記事は、戦後の日本の高度経済成長を支えたものが高品質の製品製造を可能にした技術教育、職業教育を受けた技術者でした。しかし、この30年間の間に難関東大を頂点とする受験教育にこれらの生徒が巻き込まれ、内容のない大学教育の犠牲になったことを示しているのです。

日本の労働生産性を見ると、いまや先進30カ国中19位です。大学卒が多い第三次産業のサービス業は最下位なのです。しかし製造業の第二次産業がアメリカに次いで第2位なので、全体で19位にとどまっているに過ぎません。日本を支える産業が農業などの一次産業や製造業の2次産業であるのもかかわらず、受験名門合格を最優先させる教育改革などまさに狂気の沙汰であることを申し上げたいと思います。


※これは糾弾掲示板の過去ログからの転載です。
今日のところは、これまでとします。
メンテ

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Re: 東大論・官僚論 <高山 渚氏のスレッド ( No.9 )
日時: 2014/03/29 13:24
名前: topics editor ID:ORm3HaJc

■2379  Re: 政治と官僚 

□投稿者/ 高山 渚 -(2007/10/07(Sun) 13:47:55) [ID:xRpRbi5Z]

Res76
引用
nyanfoさん、天橋立の愚痴人間さん、こんにちは
お二人とも日本の教育に触れられていますので、私も日本の教育について話をさせていただきます。

戦前の日本を支えていたのは、実は高等工業や高等商業と呼ばれた専門学校出身者達でした。戦後、これらの学校は国立2期校と呼ばれる大学に昇格しますが、東大中退の大宅壮一はこれを駅弁大学と呼びました。工業高校や商業高校の前身の工業学校や商業学校も旧制中学以上にこの国を支える日本人でした。

終戦後の新興企業創立や官製企業の建て直しは、ほとんどこれらの学校の出身者により行われたのです。半官営の石川島重工や東芝の再建で有名な土光敏夫さんがそうです。戦後の日本の復興の成功例として池田内閣の所得倍増計画という政策が挙げられますが、東大経済卒の下村治さんが作ったと言われます。しかしこれはGDPを倍増させて収入を2倍にするという単純な理論で、国内需要を喚起し、輸出を増やすという政策です。今の中国政府もやっています。

まず町の零細企業からおもちゃの輸出が始まりました。朝鮮戦争特需で製鉄業が復活しました。そして松下電器やソニーの家庭電化製品の国内需要が爆発的に拡大しました。トヨタ、ホンダ、ヤマハ、そしてキャノンという新興企業の台頭もありました。これらはすべて日本の高等教育とは無関係の出身者により行われたのです。池田自民党政府の成功といわれますが、そうではありません。トヨタや松下、ソニーはやがて日本製品輸出の花形企業になりますが、優れた品質と国際競争力を持ったのは工業学校出身者の高い製造技術があったからです。その証拠に、政府の計画よりもはるかに早い速度で日本のGDPは伸び、高度経済成長は実現したのです。

政府官僚による無駄な支出の最たるものは軍事費ですが、それを零細企業にまわしただけで日本経済は見事に再生できる国民の力を備えていただけの話しです。しかし、高度経済成長を自民党政府の大業績とし、行政の成功といい、金融政策の勝利といい、戦前の東大卒官僚はわが世の春を謳歌しました。それに連なる金融資本の連中も我が物顔でのし歩きました。

これは戦前から続く学歴偏重年功序列の秩序の再構築につながりました。製造業で働いた私の経験として語れますが、大企業の工場生産を支えたのは大学卒の技術者ではなく工業高出の技術者でした。しかし彼らには社内での昇進の道は固く閉ざされていました。一方、大学出なら無能力でもらくらく昇進し、管理職となって行きました。これが終戦後30年の企業のあり方であり、これは企業だけでなく役所までを含む日本の組織すべての悪弊となりました。無能者でも更迭できず、不公平な人事考課を受ける、社員の多数を占める非大学卒業者の思いはこれでした。

大企業の系列として働いた町の零細企業も、扱いはほとんどこの点数序列学歴偏重の秩序の中で政府からも企業からも扱われてきたのです。こうなれば結論は一つ、わが子には大学教育をなんとしても受けさせるということになります。こうして工業高校や商業高校は普通科高校に行けない子供の落ちこぼれ学校とみなされ、やがて公立学校は大学進学に向かないという理由で存在意義を失い始めたのです。

しかし日本の大学は東大を含めて高等教育など施さず、レジャーセンターだと指摘されて久しい時間が経ちました。中味はますます悪くなっていると思います。教師自身が人間を育成する教育を受けた経験を持たないからです。戦前の東大が官僚試験予備校と呼ばれたように、ここでも単なる知識の暗記と点数成績が最優先される教育とは呼べない学校に堕しているからです。いや、中味がないから入試点数が何点かなどというランキングで自分の頭の中味を保証しようとする陋劣な価値観が今の若い世代には溢れています。私はこれは一つの劣情だと考えています。

この反動として、この掲示板でも語られていますがテレビを中心媒体とする俗悪文化に毒された多くの若者達の反社会的行動が目立って増えているのです。日本の教育は深刻な問題を抱えています。しかしそれは東大を頂点とするこの日本社会の仕組みから発生しているのです。今、私が考えられる方法は東大を廃校にすること、または税金の投入を止めること、それが最も現実的なこの国改造法だと考えています。



■2386  Re: 政治と官僚 

□投稿者/ 高山 渚 -(2007/10/08(Mon) 13:05:50) [ID:xRpRbi5Z]

Res82
引用
東大の学問について触れさせて頂きます。
日本人は独創性がないのでノーベル賞が取れないと言われた時期がありました。主に東大卒の評論家が言ったことですが、これが事実ではなかった例を挙げます。

ノーベル賞は1900年に創設されましたが、実はこの第一回受賞者の有力候補者の中に日本人がおりました。北里柴三郎です。彼は熊本医学校から東京医学校(東大医学部の前身)に入学しましたが、試験が苦手で卒業まで通常の倍の8年を費やしました。今なら東大の1次試験にも合格できないでしょうが、草創期なので入学することが出来たのです。卒業後、東大を追われるようにドイツのコッホの下へ留学します。コッホはパスツールと並んで細菌学の父と呼ばれる大学者ですがここでコレラ菌を発見し、ベーリングと共同で抗血清療法を発明しました。今なら誰でも知っている病原菌の抗体療法のことです。

ノーベル財団から日本の帝国学士院にその旨の照会があり、推薦書の要請がありましたが学士院は推薦状を書きませんでした。帝国学士院は言わずと知れた東大の牙城です。北里は日本医学界を代表する東大医学部と当時の軍医の最高峰でもあった森鴎外の学説と真っ向から対立していました。東大と森鴎外は日本人に多い脚気は細菌によると唱えていました。北里はそれを実験的に否定していたのです。

次は1910年の鈴木梅太郎のビタミンB1の発見です。これは脚気が細菌ではなく栄養素欠乏で起こる病気であり、ビタミンという栄養素を世界最初に発見したものでした。鈴木梅太郎は東大農学部出身であったため、またも医学部の森鴎外は農学者が病気治療につながる業績を上げることは絶対に認めたくなかったと伝えられ、鈴木梅太郎の受賞も消えました。

その次は1914年と18年の2回ノーベル賞候補になった野口英世です。彼の業績は申すまでもありませんが、梅毒スピロヘータの発見とその神経麻痺の因果関係の発見という、今でも目もくらむような業績でした。昨年のノーベル賞は胃のピロリ菌発見者が受賞しています。しかし野口は小学校から日本医科大の前身の医学校で勉強させて貰い、当時の試験制度で19歳にして医師国家試験に合格する神童でしたが、学歴と生来の女遊びが大好きという不良であったことから帝国学士院の推薦は貰えず、2度とも見送られました。彼は京都帝大からすぐに医学博士を授与されますが、東大は彼が世界的に有名になった後で不思議にも理学博士の学位を授与しています。つまり東大は彼を医師とは認めなかったのです。

何とも凄まじい学閥意識と人を見る目のなさでしょうか。試験秀才エリートともてはやす事は森鴎外のような優れた作家の目ですら曇らすのです。日本の科学研究は東大が独占する、いや他者にはやらせないという意識が確立されていました。ノーベル賞の先陣は戦後すぐ京都大の湯川秀樹によってなされました。学界を牛耳ってはみたものの東大主流にはノーベル賞クラスの研究は生まれなかったのです。

東大卒はソニーの前身に努めた江崎玲於奈が取りますが、東大ではなく、彼はアメリカIBMへ渡り、半導体の研究でノーベル賞を受賞したのです。当時、もう一人有力候補がいました。光通信や発光ダイオードの発明者である東北大の西沢潤一です。現在のノーベル賞候補の青色ダイオード発明者の徳島大卒中村修二に先駆けて赤と黄色の発明者ですが、江崎がまだ受賞する前の西沢の論文は東大主導の日本の学会では否定されていました。これもアメリカで高い評価を受け、江崎の受賞後に西沢は学士院賞を受賞しました。

科学研究は研究費がなければ出来ません。アメリカと日本の差は研究費の差と言われ。従って論文の発表数は研究費に比例するとも言われます。日本の学会で他を圧倒する研究実績を示す有力な方法は何でしょうか。そうです、研究費に差をつけることです。次に示すのは2004年度の朝日新聞の大学ランキングの資料です。資料では左2列のみ掲載されていました。

 科研費獲得ランク 論文数ランク  論文経費ランク
1位 東 大 185億6900万円   1位 東 大 3,661件  1位 阪 大 255万円/件
2位 京 大  94億4800万円  2位 京 大 2,972件  2位 東北大 274万円/件
3位 阪 大  71億6900万円  3位 阪 大 2,814件  3位 京 大 318万円/件
4位 東北大  69億500万円   4位 東北大 2,525件  4位 東 大 507万円/件

左の2つから、やはり東大はすごい、科研費選抜でも論文数でも他を圧倒しているという結論になります。しかしそれでは1論文の経費はどうかと言えば、右端のようにこの順位は見事に逆転するのです。東大は阪大や東北大の2倍もの金がかかっています。文部省と東大のみならず朝日新聞も一心同体になって国民を欺き続けて来た証拠です。



■2392  Re: 政治と官僚 

□投稿者/ 高山 渚 -(2007/10/09(Tue) 15:53:00) [ID:QveveMQR]

Res84
引用
nyanfoさん
私のこの論証も自分の経験から骨子を作っていますが、貴方のご経験による検証は、更にこの論証に公平さを与える上で、大変有難いものです。

今日は東大主導文科省による「大学構造改革」なる欺瞞に満ちた政策を取り上げます。
これは21世紀COE(Center of excellence)プログラムというもので、「研究拠点形成費等補助金」という科学研究費とは別のお金配分プログラムです。

その主旨は「我が国の大学が、世界トップレベルの大学と伍して教育及び研究活動を行っていくためには、第三者評価に基づく競争原理により競争的環境を一層醸成し、国公私を通じた大学間の競い合いがより活発に行われること」とされています。

そして各大学から提案された課題について第三者委員会が評価してトップ30と呼ばれる大学が選ばれ、総額180億円、1件年間1〜5億円が5年間補助されるという仕組みです。
ところが、「選考過程は非公開。結果は公表するが、理由などどこまで公表するかは決まっていない。」とされ、委員長の東大卒ノーベル賞受賞者江崎玲於奈は「将来構想を重視したい。評価は主観的なもので、客観的なものはあり得ないと思う。評価者の見識に任せるしかない」というのです。

それで採用件数はどうかというと次の通りです。
11件: 東大,京大
 7件: 阪大,名大
 5件: 東北大,早稲田,慶応
 4件: 北大、東工大、九大
 3件: 筑波大、立命館大
 2件: 農工大、東京外大、奈良先端大,横浜国大,豊橋技術大,広島大

競争原理により競争環境を醸成する必要があるなら、研究費で差別してきた環境を一度すべて取り払い、公平に研究費を配分した後で第三者の評価にかけるのが競争原理の最初です。競争する前から研究費や設備費で差別したら、競争も何もありません。競争という言葉そのものを使うのもおこがましい。研究費があるほうが研究実績を上げるのは当然です。

もし東大が優秀であるというのであれば、下位の大学に多く補助金を逆配分して、改めて競争原理による評価を行うべきなのです。国立2期校と呼ばれた地方の大学は研究費が満足に貰えず、大学院もなく、戦後は国立1期校と呼ばれた旧帝大系大学に研究実績を独占されてきたようなものでした。

地方の国立医科大学の基礎科目担当の教授は、研究費が100万円に満たない年もあり、文科省の科研費審査は毎年落選続きと嘆き、その一方では東大卒の独立行政法人研究所の教授は年間6千万円、5年3億円の研究費を貰っているのです。論文数に差がでるのは当たり前で、Nature誌にも論文掲載の実績を持つ医学部教授は日本語の論文すら満足に書けない状況に追い込まれています。

東大以外の大学からの不満や批判に応えて、こんな欺瞞に満ちた構造改革の政策を出してきましたが、今までのあり方ではダメということは、少なくとも東大ではダメだという意味以外にはあり得ません。他の大学は世界と競争など研究費すら満足にないのですから、夢のまた夢でした。こんな不平等を半世紀以上続けて来ても恬として恥じないこの傲慢さペーパー試験によって支えられて来たのです。これ以上の下劣な後進性はありません。まともではないのです。

構造改革の本質は入試点数序列に従って予算を配分してきた誤りを正すものでなければなりません。入試難関が研究員の資質など保障しないことはもはや常識の部類です。それに日本の教育費は入試難関の研究員だけのものではあり得ない。江崎玲於奈が主観的に将来性に期待するというならなおのこと、無名でも全ての研究者へ予算を配分すべきことは論を待たないことです。彼らだって選ばれた人間だからです。それから公平に評価すればいいのです。

しかしこのような自明な理屈でも上の採択件数に見るように考慮されることはまずありません。だからこの日本の国は、東大が主導して行う政策の全てが必ず先の戦争のように破滅に進むことを私達日本人は肝に銘じなければならないのです。


(終わり)

高山氏の記事は旧掲示板に残っています。
まだまだ多くの記事を書いておられます。
メンテ
東京都知事選について ( No.10 )
日時: 2014/03/29 13:28
名前: 天橋立の繰り人間 ID:ORm3HaJc

高山氏のブログ「官僚政治を撃て」からの転載です。
http://n-takayama.cocolog-nifty.com/blog/2014/01/post-c6fa.html


<東京都知事選挙の候補者の選択は容易である>


東京都知事選挙に限らず、日本の喫緊の政治選択に関する選挙の対立軸は政治理念にあるのではなく、統治機構の是非をめぐる選択しかない。この意味で右翼対左翼とか、自民党対反自民党という対立軸は日本の政治を不毛なものにしてきたナンセンスである。



対立軸は東大を支配の根拠とする官僚政治を容認するのか、それを否定するのかの選択肢しか今の日本には存在しない。従って候補者が乱立し、どの候補者を選択すればよいかと困惑する必要もなく、官僚政治を容認する者か、そうではない者かを選択の基本とすれば済むことである。



この視点に立てば、選択は極めて容易である。



日本人が好きな学歴さがしの学歴からこの判断は出来る。「東大卒」は1%以下の例外を除いてすべて東大官僚容認派であり、肯定派である。政治改革やこの国の再生を託すことなど虚構に過ぎない。この指標でいえば、自民・公明が推す舛添要一、社民・共産が推す宇都宮健児はこの国をダメにする東大官僚一派であり、官尊民卑の反国民的政治は出来ても、国民主権、都民優先の地方政治など望むべくもないと考えればよい。

そして防衛大出身の職業軍人は今も昔も天皇の勅任官東大官僚の傀儡であり、日本の右翼は勅任官東大官僚の下僕に甘んじる反国民主権、反自由主義の時代遅れの固陋な集団である。

これらの勢力に対する対立軸は、反東大、反官僚、そして反中央集権を主張する立場しかない。日本では皮肉なことだが、出身はいずれも反自民党の野党ではなく、自民党出身でありながら、自民党をぶっ壊すと叫んだ小泉純一郎が支持を表明する細川護煕しかいないことになる。

日本人が犯してきた偏見とも言うべき党派による誤った人物評価観ではなく、ここでは官僚政治の容認なのか、反官僚政治なのか、もっと分かりやすく言えば、東大信仰の権威に期待する人物なのか、逆に東大信仰の虚構を否定する人物なのかという二者択一で十分である。

この意味で今回も、これからの都知事選や国政選挙でも、支持する政党が重要なのではなく、自民党であっても政治家個人の政治信念こそが政治的争点として最も重要なことである。混迷する野党の政界再編もここに求めれば、本当の意味での反自民党の政党を支える人脈が自民党の中からでも出現するに違いないし、反自民党の政党の本質が国民の前に分かりやすい姿として見えてくるはずである。

小泉は「脱原発」を都知事選の争点に据えた。しかしこれは選挙の対立軸の本質的な争点ではあり得ない。「脱原発」は「郵政民営化」と同様に、原子力を日本の官僚政治の象徴と位置ずけ、それに強烈に反対することを主張する政治的メッセージとしたものである。

小泉純一郎のこの突然の政治的活動の再開は、当初は官僚機構に包囲され、再び支配され始めた安倍晋三内閣に向けられたものだ。それは安倍晋三が官僚機構に支配されて崩壊した民主党政権に代わり脱中央集権政治の小泉内閣の後継者として国民に支持されたことによる。そしてなによりも小泉内閣後継者として、脱中央集権政治を貫いてほしい強烈な希望が小泉にあったからであろう。

小泉純一郎ならずとも、日本の東大閥官僚による政治の壟断が、この国をダメにしていることなど容易に理解できることである。経済や財政運営のみならず、司法や外交も、そして科学技術の振興に至るまで独占しても、東大官僚が不作為の無能集団であることは最早、誰の眼にも明らかなことであろう。

反官僚政治の小泉純一郎にしてみれば、小泉後継としての安倍内閣が再び官僚傀儡内閣に堕してしまい、東大コンプレックスの口先き反官僚の石原慎太郎よりはむしろ本質的に反霞が関であった猪瀬直樹が知事の座から引きずり降ろされ、官僚一派に占められてしまえば、小泉純一郎に期待した国民の反官僚政治という熱い思いがまんまとすり替えられてしまうことになる。

衆議院、参議院のみならず東京都までもが事なかれの虚妄の官僚派に再び支配されることは亡国を容認することであり、日本再生のために小泉が発信した政治改革・構造改革とは断じて相いれないことである。

今回の都知事選挙は2001年に始まった小泉構造改革内閣の反官僚政治への流れが民主党政権の変節によって再び大きく官僚政治へ引き戻されている日本の現状を阻止し、再び反官僚政治の流れに戻すための新たな挑戦なのである。
メンテ
Re: 東大論・官僚論 <高山 渚氏のスレッド ( No.11 )
日時: 2015/10/03 12:17
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:eV6MBblQ

管理人さんが仰っている官僚の堕落、腐敗、横暴について、最近は糾弾してませんでした。

高山氏のスレッドをUPして、また始めたいと思います。

どうか皆様のご意見も集約してください。

メンテ
Re: 東大論・官僚論 <高山 渚氏のスレッド 「官僚を撃て!」 ( No.12 )
日時: 2016/09/28 12:52
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:GGlTuy/c

これもUPします
メンテ
Re: 東大論・官僚論 <高山 渚氏のスレッド 「官僚を撃て!」 ( No.13 )
日時: 2016/12/08 16:49
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:Wx5EJpxw

UP
メンテ
Re: 東大論・官僚論 <高山 渚氏のスレッド 「官僚を撃て!」 ( No.14 )
日時: 2016/12/26 00:31
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:S8Zvs7uo

UP
メンテ
霞が関のかわず! ( No.15 )
日時: 2017/04/23 14:46
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:ba2uhKws

霞ヶ関のかわず(官僚諸君)よ、次回のスペースシャトルのゲストとして宇宙旅行でもして世界を見て来なさい。一匹のかわずは、愛嬌もあり自然の単位として尊重もする。同様の鳴き声を発する1万匹のかわずはおぞましい存在として変質する。君達個人の言い分よりも、君達の組織が全体として何かをやっているはずだ。それは君達にとって心地よいものだから、せっかくのものを辞退するのをはばかっている。互いに触れようともせず、ひたすらその恩恵によくするのをまっている。そのやり方を銀行の場合に例えてみよう(ただし実際はありえない話である)。ある銀行が最高経営会議で次のように決めました。
預金者の預金の0.5%を職員が退職後に行く子会社の運営費に当てる。
設立する子会社それぞれの名目を考える。
これにより、警備会社・清掃会社・宣伝広告会社など沢山の会社が出来て職員は生きている限り、安泰な生活が保障される事になりました。

民間は競争社会なので、特定の銀行がそれをやれば、預金者の実質金利が減少して顧客が減り経営が成り立たないからやりません。とこらが官僚社会は違います。独占企業なのでやりたい放題です。またピンハネの項目は無数と言って良いほどあります。結果、個々の官僚諸氏は善人のように振舞えますが、組織として膨大な収賄を行っております。他国では個人の収賄で犯罪となりますが、我が国では犯罪とならないように法律の網が張り巡らされております。例をあげて説明しましょう。誰でもがご存知のように、公立病院におけるベッドのシーツの取替え、食事の献立などにも実費を伴う規制があります。各種の資格をもって営業する事業者にも法律が改正される毎に窓口の官庁とは別の機関による有料の説明会があります。そこでの実質の説明者は窓口の担当者が出てきます(もともと窓口の官庁でもっと簡便に説明できるものです)。流行のISO制度も煩雑な書類の作成と維持するための膨大な費用がかかるだけで企業の運営に弊害があるほうが多い実態であります。しかし官庁が公共事業を発注する際の企業のランク付けの要素としているので各企業は仕方なく取り入れざるをえないのです。最近では産業廃棄物の運搬車に専用のワッペン(もちろん実費以上に高価なもの)を貼り付けることが義務付けられました、町の瓦屋さんも、水道屋さんも、いままでは何気なく積んでかえっていた工事の残材の専用車でないと出来なくなりました。実態は以前と変わらないのに、何のための規制かと、怒っております。全ての国民を犯罪予備者扱いしてはばからない行政の態度はこれで健全なのでしょうか。道路公団など大きな事例ばかり目にとまりがちですが、官僚による搾取の網は我々の生活の実に身近にまで張り巡らされております。いちいち事例であげることなど出来ないくらいの数です。

もちろん全ての事例において、官僚は立法の理由を尤もらしく説明しますが、これにだまされてはいけません。あらゆる分野での規制の手段は別にあります。少なくとも費用の伴わない規制に出来ますし。地方の行政にまかしたほうが良い場合もあります。実生活感に乏しい(霞ヶ関の井戸に生息する)官僚は自らの行っている作業の実態がわかりません(慾に目がくらんでいるので反省する気持ちも生じていない、又は組織防衛のため)。

我が国では、ここ30年間、国民を代表すべき政治家が堕落して、本当の政治が機能しなくなっていました。霞ヶ関のかわずは、だれに邪魔されることなく、せっせと自らの防壁を築いてきました。個人個人は勤勉で善良なつもりでありますが、出来上がったしろものは世界で類をみない妖怪な仕組みであります。官僚諸氏に物申す、個々の弁明の前に、広い世界に注目しなさい。日本の官僚組織の評価が世界でどれくらいのものか解っているはずです。実際はまだ評価しすぎです。(収賄の罪が考慮されていない)1000年以上前、荘園時代であったころ以来の退廃ぶりを恥ずかしく思いなさい。言い訳するならば、明治維新以後、我が国を支えてきた先輩諸氏にたいして行いなさい。充満する国民の憤怒の気持ちを感受しなさい。以上の文章に異論のある官僚諸氏の逆襲を待っています
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Re: 東大論・官僚論 <高山 渚氏のスレッド 「官僚を撃て!」 ( No.16 )
日時: 2017/08/23 13:46
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:8r1YESEg

高山渚さんの東大論は秀逸です。

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官僚論  ( No.17 )
日時: 2017/10/25 07:36
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:YVs6ABl.

高山さんが指摘しているように我が国の官僚は明治時代天皇の吏僚として始まりました。
国民よりも天皇の方を向いていたのです。

おりしも明治時代は皇国思想が押し付けられ、天皇の吏僚としての官僚は江戸時代の御側役の様な立場で業務にあたり、官吏としては優秀であったが同時に自分たちが国家を背負っていると思い上がりました。

戦後は民主主義が重んじられ天皇も象徴天皇に変り、官僚は当然、国民を主としてあらねばならなかったのですが、明治時代から生き残っている官僚組織は、官僚自身が国家の要の様に思い上がりが続いていました。

それでも戦後の復興期は官僚の政治かも国民の復興と言う目標をかかげ一致団結して動いていました。
ところが、20年も経ち池田内閣の頃には一応の成果をみて、経済も豊かになってきました。
急場の使命は果たしたのです。

そのあとが行けません。
官僚組織は、国民の心配をするよりも、官僚組織の充実を図ったのです。
このころから天下りの余録を求め、数々の特殊法人、公益法人をつくり官僚の為の福祉施設、官舎などを作り官僚世界をさらに充実していくことのなります。経済の発展は税収をふやし、それを可能にしたのです。

官僚を考えるばあい、もう一つの論点があります。
官僚が幾ら優秀でも、官僚が政治に手を出す事は出来ません。

数々の法令が現実に合わなくなった場合は解決策を出しますが、法令自体を作ることは出来ません。
それは政治の仕事であり、将来社会を見据えた政治、法令を作るのは政治です。

ところが自民党政治は、時代に合わなくなった法例のつづくりを官僚に任せ、それが政治と思い込んで、自分たちは経済の発展に伴って可能となってきた利権あさりに狂奔することになります。

政治が利権あさりをしている相応に官僚も自らの世界の充実にいそしむ時代が55年体制後の自民党独裁時代でした。
この間に、国民の為に必要な、根本的改革に必要な法令は作られず、全ての機能(法例)は、GHPが残したままの状態でした。
年金制度もしかり、医療保険制度もしかり、教育制度もしかりです。
もっと言えば、グローバル化する経済に対する政策も皆無です。

自民党政治の半世紀の間に、同じころからスタートした国つくりはヨーロッパ諸国に大きく遅れる事になりました。

官僚の腐敗、堕落などを取り上げて糾弾してきましたが、良く考えてみると政治が本来の政治をしていいれば官僚の腐敗も防げたものと思います。



メンテ
Re: 東大論・官僚論 <高山 渚氏のスレッド 「官僚を撃て!」 ( No.18 )
日時: 2017/11/10 10:51
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:WgQJjxMg

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