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[2067] ニッポンの歴史認識
日時: 2014/08/16 06:51
名前: 山の辺のボンクラ ID:Nya4vdRA

今日、偶々NHKテレビの番組を見ていて、今更のように驚きました。

7月に“靖国神社みたままつり”と云うイベントで、多分10代後半と思われる若者に、「8月15日は何の日ですか?」とお云う質問に答えられなかった者が <100人中52人であった> と言う事です。

また、「今から73年前に日本が戦争をした国は、何処ですか?」と云う質問にも、「アメリカ」と答えられた者は極く僅かで、「中国」と答えた者は、“当たらずと言えども遠からず”と思いましたが、「韓国」と答えた者も居たり、「わからない!」と答えた者がぞくぞくでした。

更に、「アメリカと戦った時に、身方に成ったのは何処の国ですか?」と云う質問には、「わからない」「無いんじゃない?」が殆ど。番組の司会者は「ドイツ」と「イタリア」と答えていましたが、此れは正直私も「身方は無かった!」と思ったくらい、太平洋戦争での「ドイツ」と「イタリア」の存在感は有りませんでした。と云うのが、此れは私の本音です。

その他、NHK は「報道」と云う自己の仕事に就いて自己弁護めいた事を色々言って居ましたが、「よく言うよ!」と云う気がしてなりませんでした。

この番組の若者達(二十歳前後)の反応を見て、先ず一番に思った事は、“今の学校教育に於ける「歴史教育」は如何なって居るのだろう?”と言う事です。こちらの勝手な解釈ですが、彼らが知らないと言う事は、今の学校現場で「本当に有った歴史を教えていない」のではないかと言う事、若しくは彼らが教えられても「右から左へ忘れてしまっている」のか?と言う事です。

幾ら、“頭パッパラパ”のノー天若者と云えど、教えられたらもう少し多くの者が理解して居るでしょうに、今の若者がこの程度の歴史認識では、現在の安倍自・公政権が、どんどん右傾化して行って居ても、その状況が何たるかを全く理解して居ない、と思われます。更に、若者だけで無くいい歳をした大人達も、今の政治状況がどれ程危険に向いつつあるかを、感じも考えもしていないのではないかと思えて来るのです。

此れでは、中国や韓国から、歴史認識が間違っていると言われても仕方が無いのではないか? 一国の総理大臣もこの国の若者たちの歴史認識と同じだと決めつけられても、反論できない有様なのですから。

昔からよく言われる事に「一犬、虚に吠ゆれば、萬犬、実を伝える」と云う言葉が有りますが、若者の教育が出来ていない事を幸い、無知な頭に洗脳をし続けているに違いありません。
メンテ

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Re: ニッポンの歴史認識 ( No.3 )
日時: 2014/08/16 10:46
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:jgjpqkeE

この問題(慰安婦問題)は確かに歴史認識の問題ですね。

言葉の使い方は何でも、昔の戦争、それも長期で大規模な戦いの場合、従軍慰安婦的な存在は、どこの軍隊でもあったでしょう。
慰安婦の徴集方法、褒められたものではなかったはず。

そうして、こういう問題には触れて欲しくないのが心情でしょう。
それを朝日新聞社は、国内の問題としてではなく、韓国に訴えかけることでスクープとしようとしました。

それも認めたがらない、国内の反応を打ち破るために偽装工作までして。
実質の被害者の申し立てを取り上げて是非を社会に問うならいざ知らず、大手メディアがやったことは、とりもなおさず歴史認識を、その意味で問いただすことになるのでは、そうしたかったと言うことと思います。

そうすると、我が国の大手メディアの歴史認識そのものが、この程度のものと伺えます。
日本人の歴史認識に必要なのは、我が国自身の歴史を正しく知っておくことではありませんか。

もっとも、過去の歴史書は、どの場合でも勝者の論理により編集されていて、権力者に取って都合よく書かれており、本当のことは解らないのが常であるとは思います。
ところが民主主義の時代と言われている現代は、権力者は民衆のはずです。
民衆が都合よく歴史を認識すること、改竄することを、過去の歴史書と同様にするべきでしょうか。

都合の良い時は、民主主義を謳歌し個人の権利を主張しながら、集団となれば、どのような欺瞞もゆるすのでは、過去の権力者と同じことではないでしょうか。

なおかつ、戦前の国民とは違い、現代人は多くの情報をもち、現代史の全容を把握しています。
で、あるなら、近代史を著述する場合、先の大戦のことを、どのように書くのか、明治維新後の日本をどのように書くのか、国民自身が責任を持たねばならないのと違いますか。

日本人として明治の時代は、それなりに肯定すべき、誇らしい歴史えあったと言えましょう。
先の大戦に至る経緯も理解しなけらばならない事情も解ります。

しかしながら旧日本軍のやったことは、国民として糾弾しなければならないことが多いのではないでしょうか。
満州国立国、朝鮮併合、これなどは侵略であり、過去はともかく現代の日本人が認めるか認めないかは重大な意味があります。

ドイツでのナチスの暴虐は知られています。
あれも、全く人非人の行為であり、そんなものを認める現代ドイツ人は、ごく一部の狂人以外はないでしょう。

日本軍の暴虐性もナチスほどではないとしても、国民の命を弄ぶ、相当あくどいものでした。
実際に、満州における関東軍の行動(抑留者ができことを承知で、一節によると、関東軍自らロシアに捕虜の提供を申し出て関東軍の脱出を図った)は、国家国民を守るべき軍隊のそれではありません。

旧日本軍の幹部の有り様は、これも満天下さんが指摘されている様に、補給の保証もないのに多くの軍兵を遠方に押しやり餓死させて平気であった。沖縄では民間人に自殺を促したなど、指導者として、国民が、当然指弾すべき人間です。

それを、こともあろうに、靖国神社の祀るとは、一体、日本人は何を考えているのでしょう。
これでは、ナチスが何百万人の同胞を殺そうが、ヒトラーやゲーリングを靖国神社に祀り、崇拝していることと同じではないですか。

多くの日本人は、それを受け入れるのでしょうか。
日本の歴史認識とは、日本のためにあるのであり、諸外国のためにあるのではありません。

先の大戦の総括が出来てないことは良く言われます。
70年も経って総括する意味があるか、否かは、さておき、戦争体験者、または戦争を理解できる我々が、このままうやむやに放置することは、当然ながら、戦争をしらない若いものは、先の大戦の教訓は何も残りません。
同じ過ちを犯すかもしれません。
終戦記念日こそ、そうした歴史を思い起こし、若者の教訓としてこそ、無念に散った、250万英霊に報いることではないでしょうか。

そうしたことが、回り回って、集団安全保障に対する判断にも影響を及ぼします。
中国や韓国の為ではなく、日本人の問題として歴史を正しく認識させることが必要と思います。

昔の独裁者の時代と違い歴史を偽る必要性などないのです。
それも民主主義ではありませんか。






メンテ
Re: ニッポンの歴史認識 ( No.4 )
日時: 2014/08/22 06:19
名前: 山の辺のボンクラ ID:3MyludHk

読売、産経、ならいざ知らず、この頃の 朝日 までが何故「反権力」「反右翼」を忘れた報道姿勢に傾いてきたのか、全く以てジャーナリズムの本分を忘れた意気地のない姿に、腹立たしい思いをしている上に、更に加えて今回の「従軍慰安婦問題」の“大虚報”は、マスコミと云う物に対する信頼性を根底から失わせてしまった“大罪”ですが、

今度は其れを受けて、安倍自公政権が鬼の首でも取った様に、色々言い立てている事に、此れ又非常に白けた思いを抱かせられます。朝日 が何を以って今頃自公政権すり寄りの態度を示して来たのか? 何故今頃に成って過去の虚報を白状したのか、思慮浅き私には推理すべき術は有りませんが、其れはNHKに付いても同じような政権擦り寄りの姿勢が頓に顕著に成って来て。将に大政翼賛国家の趣を呈して来ました。(このNHKの今は、あの籾井が会長に就任した時既に予想出来た事ですが・・)

世は将に「思慮薄き」民衆が「思慮無き」愚帝を担いで、滅亡への道を浮かれ進むかの有様。日本国内の活字も電波も、メディアと云う物が挙げて権力の道具と成り果てた今は、もう勝負が着いたと思わざるを得ません。

残念ながら、真に残念ながら、日本人の歴史認識と現状認識は、救いがたい状況と言う事なのでしょう。
メンテ
Re: ニッポンの歴史認識 ( No.5 )
日時: 2019/04/15 09:26
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:R3.ADz4U

歴史認識が出来てないと言う言葉は、中国、韓国が使う言葉。

日本とって歴史認識とはどういうもの。
単純に振り返れば日本という国の成り立ち。

必要はないと思うが古代のそれから
もともと日本は東洋の端の小さな島国、人口も僅かで縄文時代には数十万人。
それが弥生時代になって海外からの移住者も増えて徐々に現在に至る人口を形成するようになった。

日本が国家として認識できるのはせいぜい1500年前の大和朝廷。
それから江戸時代までは、日本は日本なりに歴史を経験し、それは教科書にも記述されている。
もちろん、歴史は勝利者が書くもの詳細にみれば異なる経緯も含まれている。

では現代日本において改めて認識しなければならない歴史とは。
要するに明治以降軍国主義に陥って他国(具体的に言えば韓国、中国)を侵略したことであろう。
現在の感覚から見れば他国を侵略するなど悪逆非道な仕打ちであり許すべき国家犯罪である。

日本で朝鮮、中国を侵略することを最初に言い出したのは豊臣秀吉。
当時は世界中が侵略の歴史で、秀吉が言ったことなど悪とする理由はない時代であった。

幕末には、なおもイギリスによる中国侵略が試みられていたが、国家による侵略の歴史は終焉に近づいていた。
よせば良いのに明治政府は侵略によって国威を増そうとした。
西欧諸国に混じって同じ目的を持ったのは他にドイツだけ。
また植民地主義は第二次世界大戦まで続いていた。

反省すべき歴史認識を問題にするならば、この事であろう。
確かに、その時代では侵略を意図することは許されない。
倫理、道徳上許されることではないが、少なくとも欧米諸国に言われる筋合いではない。

その証拠に、歴史認識を言っているのは中国と韓国だけ。
それを言うなら、中国、韓国は、何故、イギリスに対してもモンゴル、ロシア、また韓国は何故中国を激しく憎まない。

大東亜戦争、大東亜構想は、この明治中期以降の国論の産物である。
それを認識せよとは、どういう事か。

そのような歴史など、戦後の教育を受けた私でも十分に知っている。
当時から、この様な面での教科書の記述はそんなに変わってはいない。

現代の若者が、そうした我が国の歴史認識が出来てないと騒いでいるが、それは歴史の事実が知らされていないことよりも、歴史に興味を持たない、政治に興味を持たない若者自身の問題であろう。

一国の国意が他国の侵略を目指したことを非難するならば、中国にはそのような歴史はなかったのか。韓国にもそのような歴史はなかったのか。
中国こそ周辺諸国への侵略を繰り返し、韓国も北方民族への侵略を試みてきた。
他国に歴史認識を求め非難できる道理はない。

歴史認識は、その国の国民自身の大切な要素である。
そういう意味で、太平洋戦争に対する日本国民の総括が出来てないことは遺憾に思う。
軍部の暴走に力を与えたのは天皇体制であり、元を糾せば明治の元勲に責任がある。
東条英機が登場する前の、米内光政、広田広毅などに、もう少し根性があれば軍部の暴走も止められたかも知れない。

求めている歴史認識とは何なのか。
この様な歴史を認識することと、現代日本の安全保障とは何の関係もない。

中国、韓国が日本に歴史認識がないと非難している具体的な内容は何なのか。
それは国家間の問題として何らかの見返りをよこせといっているに過ぎない。
それ以前に外交上のプレッシャーに過ぎない。

何故、中国、韓国に言われて、国民が反省しなければならないのか。

メンテ
Re: ニッポンの歴史認識 ( No.6 )
日時: 2019/04/23 06:46
名前: 常識人 ID:9WB9MNHY

他人、他国、に言われて自国の歴史認識を変えよ! と言う事では無く、日本人自身の為に、太平洋戦争に負けた時、日本の指導層や政府筋は明確に且つ厳格に日本の行いを反省し、愚かな戦争で近隣に被害を及ぼした事を謝罪して居ないのです。

更に日本自身の手で、戦争を起こした元凶の裁きを行って居ません。全て貴方(連合国)任せで、特にアメリカには『言いなり』も良い所です。事実それ以後の日本はアメリカの属国です。

戦後、ぺこぺこ頭を下げたのは欧米列強に対してで、近隣諸国に対しては尊大な態度のままでした。

此れでは、彼等が何時までも難癖を付けてくるのを防ぎようが有りません。『日本は反省し謝った! 彼等が色々言って来るのは何がしかの金銭を要求する為だ!』と言うのなら、何故、日本の政治家は文句を言って来る国と徹底的に討論して、文句を言わせない様にしないのでしょうか? 自分に『非が無い!』と言うのなら堂々と彼等と渡り合えば良いのです。それをしないのは、又は出来ないのは、自分にやましい所が有ると言う事です。

国際関係では、非難された事を相手の誤解だと認識させ、其れを相手に改めさせて沈黙させない限り、非難された方が悪い! と言う事に成るのです。
メンテ
Re: ニッポンの歴史認識 2019年8月、日本の敗戦を思う月 ( No.7 )
日時: 2019/08/06 05:23
名前: 贅六@関西弁 ID:AXYgFZew

また、対米敗戦の季節が巡って来た。74年前の8月15日、我々は身辺の状況から薄々分かっていた「屈辱の日」をはっきりと自覚させられたのです。

あの日を境に、日本と日本人は腑抜けに成り、家畜や奴隷と同様の民族と成り果てたのです。

あれほど傲岸・横暴を振るった軍部と、「撃ちてし止まん❕」等と戦意高揚を国民に訴えた政府指導者は、コロリと手の平を返し、保身・延命のために、必死になって征服者にシッポを振り、日本を、全て無条件で征服者に従う隷属国家としてしまったのです。

お笑い芸人の「綾小路きみまろ」は、『あれから40年!』などと言って、淑やかな妻が妖怪に変身したことを嘆いて見せて、世のバカババァどもの大きなウケを得たが、

我が日本の政府指導者は、74年を掛けて、民主主義を昔の強権・専制主義へと逆戻りさせてきました。其れだけでは無く、日本を再び戦争の出来る国へと逆戻りさせています。何が「航空母艦」だ?❕ 何が「イージス・ショア」だ?❕ 何が「ステルス戦闘機」だ?❕ 

役にも立たぬクソ兵器を、言い値で買わされて、一方で「民生」を疎かにして貧困者や高齢者を邪魔者扱いにする冷酷・非情な政策は、考え様によっては戦前より残酷な物と言えます。

《戦争》この悪魔的な行為は、何一つ社会に益を齎すものでは無い❕ それは只々<破壊>を齎すだけの物です。ま、屁理屈を捏ねる政治屋とか幇間評論家は、日本は克って朝鮮戦争の特需によって経済を潤し、戦後復興の足掛かりとした。等と言うが、其れは復興産業の一部ではあるが、決して全てでは無いのです。

何時の時代の戦争も、自分が体験してみなければ、その恐ろしさ、悲惨さ、無意味さ、は深く分からないものです。自分が死の恐怖を味わい、肉親を失い、財産を喪失、して仕舞わない限り、戦争が如何に無意味なものであるか理解できませんが、実際に体験した我々は『戦争の邪悪性』を伝え続ける義務が有ります。

自・公政権は言うまでも無く、この板の投稿者にも戦前の政治の再来を期待するが如き言辞を弄する者が居ますが、将に狂気沙汰と言わずして何と言えば良いのでしょう。

日本が戦争を起こした所為で、「原子爆弾」と言う≪悪魔≫を二度までも落とされ、世界の誰も経験した事の無い「非人道的」な被害と後遺症を、いまだに受け続けさせられて居るのです。

狂った政府指導者の所為で、あのような悲惨な経験をさせられた我々は、届かぬまでも絶えることなく反戦と政治批判の声を上げ続けなければ成らないのですが、残念ながら日本社会の意識は、反戦・平和の方向へ進んでいる様には見えません。

自分の家族の今後を思えば、弥が上にも焦燥感を掻き立てられますが、私一人では如何ともし得ません。
メンテ
Re: ニッポンの歴史認識 ( No.8 )
日時: 2019/08/06 11:51
名前: ooeyama ID:1rIrsls.

>世は将に「思慮薄き」民衆が「思慮無き」愚帝を担いで、滅亡への道を浮かれ進むかの有様。by山の辺のボンクラ氏


上記な社会を英国の劇作家バーナード・ショーは、”民主主義とは、無能な多数による選挙によって、腐敗した少数による任命に替えるやり方だ ”と述べ、思考停止状態の愚衆による民主主義に警鐘を鳴らしたが、まさに現在進行形の、我が国の政治&経済の在り様を映すようだ。


>更に日本自身の手で、戦争を起こした元凶の裁きを行って居ません。全て貴方(連合国)任せで、特にアメリカには『言いなり』も良い所です。事実それ以後の日本はアメリカの属国です。 by常識人氏


第二次世界大戦の敗戦国として、戦後国際社会に受け入れられたドイツと、戦後70年を経過しても尚 戦時中の悪行を被害国から責め立てられる日本、その大きな違いは、戦争を侵略行為として真摯に総括したドイツと、戦争を臭い物に蓋的に粉飾、歴史への総括を避けた日本の違い。

日本人自身の手で戦争を起こした元凶の裁きを行うとは、戦後民主的に選ばれた政権と司法によって、明治維新以降の悪しき天皇制軍国主義の徹底解体、権威者として君臨した昭和ヒロヒト天皇を断罪、大本営参謀など戦時体制を指導した東条等軍幹部の粛清。

しかし上記の如くそれら手の汚れる行為は、戦勝国からなる東京国際軍事裁判とGHQに委ね、天皇制と皇室史観に悲惨な目に遭った筈の日本社会は、国賊天皇を吊るすどころか、逆に「現人神」から「象徴」に衣替え、崇める趣旨を変えて神輿の頭に添える有様。

さらに国賊天皇に任命された東条等戦犯を、戦後一般神社となった靖国に「悪霊」として祀り、国賊天皇に斃れた「英霊」と合祀。あまつさえそんなカルト神社に、「英霊」を殺した元凶ヒロヒトや、中曽根、小泉、安倍等が参拝(ヒロヒトは親拝)する行為は、被害国中韓からの非難のみならず、国際社会から奇異の目で見られたのは当然だった。

側近の和平勧告を、今一度戦果を挙げてからと退けたヒロヒトは、戦後あたかも平和の使途の如き偽装で訪米、、記者の質問 戦争責任を問われ、そのような文学的な事は判らないと惚ける、原爆投下を問われ、やむを得なかったと逃げる、さらに護身の為沖縄島をアメリカ統治に提案する等、陛下でなく屁以下な売国奴は1989年、己が責任を総括することなく天皇陵へ逃げ去った。
メンテ
Re: ニッポンの歴史認識 ( No.9 )
日時: 2019/08/06 12:22
名前: ooeyama ID:1rIrsls.

>何時の時代の戦争も、自分が体験してみなければ、その恐ろしさ、悲惨さ、無意味さ、は深く分からないものです。


実際に体験した者でしか語り得ない真実はない、、しかし戦場の渦中にあって戦時を体験しながら、戦後 戦争を美しく騙った中曽根や源田等の極右自民議員も居るので、一概に体験者の証言が真実を語り尽くしているか疑問符が付く。実体験として被災した庶民の声なら、その恐ろしさ、悲惨さ、無意味さを一葉に信用できても、戦時それなりの役職に有った者の体験談は、自己防衛的な真偽入り交ぜての証言となり、最高指導者だったヒロヒトの責任逃れな実録本など、眉唾付けて読んだり聴いたりしなければならない。21世紀の現在、戦争未体験者が9割を超えたが、知力と想像力あれば体験なくとも、歴史の史実によりその恐ろしさ、悲惨さ、無意味さ、は容易に理解できよう。

メンテ
明治以降の天皇一族は日本古来の伝統と日本人の信仰を破壊し尽した反日売国奴だった ( No.10 )
日時: 2019/08/10 07:32
名前: 自分の頭では何も考えない日本人を嘆く者 ID:ICYlDH6w

明治以降の天皇一族は日本古来の伝統と日本人の信仰を破壊し尽した反日売国奴だった



 インドを支配するためにイギリスは傭兵を使っている。全兵力23万8000人のうちイギリス兵は3万8000人、残りの20万人はシパーヒー(またはセポイ)と呼ばれる傭兵だった。シパーヒーは上級カースト出身者が多く採用されたという。そのシパーヒーが1857年に反乱を起こした。「インド大反乱」、あるいは「第一次インド独立戦争」と名づけられているが、かつては「セポイの反乱」と呼ばれていた。

 当時、イギリスは技術革新にともなって工場制生産に移行している。いわゆる産業革命だが、中国(清)との貿易でイギリスは大幅な輸入超過に苦しむことになる。近代的な工場が作り出す製品が中国の絹や茶に負けたということだ。

 その苦境から脱するため、東インド会社はインド産のアヘンを中国へ密輸するのだが、それを中国側が禁止するとイギリスは武力による制圧に乗り出した。アヘン戦争(1840年から42年)である。この戦争で中国における利権を手にするが、まだ不十分だと考えたようで、1856年から60年にかけてはアロー戦争を仕掛けている。

 1865年にはイギリスが麻薬取引の拠点にしていた香港で香港上海銀行が創設され、66年に横浜へ進出、さらに大阪、神戸、長崎にも支店を開設している。1867年には「大政奉還」、長州藩と薩摩藩を中心とする新政府が誕生した。

 この当時、イギリスの支配層はライバルのフランス、ドイツ、ロシアに対抗するために約14万人の兵士が必要だと考えていたが、実際の兵力は7万人。そこで目を付けられたのが日本で、1902年には「日英同盟協約」が結ばれる。日本人を一種の傭兵にしようというわけだろう。この同盟は1921年、日本、アメリカ、フランス、イギリスの4カ国条約の成立によって廃止が決まるまで続いた。

 1904年に日本はイギリスのライバル、帝政ロシアと戦争を始めるが、戦費とし約2億ドルを融資したのはロスチャイルド系のクーン・ローブ。この金融機関を率いていたジェイコブ・シフと日銀副総裁だった高橋是清は親しい。言うまでもなく、ロスチャイルドはイギリスの動きと深い関係にある。日清戦争の後、日本は戦艦の建設に力を入れているが、その際にイギリス海軍が協力している。ロシアと日本との戦争を見通してのことだろう。


朝鮮半島から中国を狙う拠点としてもイギリスは日本を重視していたが、兵力の不足分を日本に化代わりさせようともしていた。フランス、ドイツ、ロシアに対抗するために約14万人の兵士が必要だと見られていたが、実際の兵力は7万人。足りない分は日本に使うということだ。「明治維新」の背後にはイギリスが存在していたが、1902年には日英同盟協約が結ばれている。
 「明治政府」は1871年7月に廃藩置県を実施して中央集権化を進めるが、琉球国を潰して琉球藩をでっち上げるのは72年。そして1879年に沖縄県が作られた。この琉球処分、つまり琉球併合は1871年10月の宮古島漁民の難破事件が引き金になっている。

 1872年に厦門のアメリカ領事だったチャールズ・リ・ジェンダーが来日しているが、この人物は外務卿だった副島種臣に台湾への派兵を勧めたとされている。その後、リ・ジェンダーは1875年まで外務省の顧問を務めた。

 日本は1874年に台湾へ派兵、75年には李氏朝鮮の首都を守る要衝の江華島へ軍艦を派遣して挑発、「日朝修好条規」を結ばせて清国の宗主権を否定させることに成功する。無関税特権を認めさせ、釜山、仁川、元山を開港させた。条規の批准交換にル・ジェンダーも陪席したようだ。

 1894年に朝鮮半島で甲午農民戦争(東学党の乱)が起こると日本政府は「邦人保護」を名目にして軍隊を派遣した。それに対して朝鮮政府は清(中国)に派兵を依頼、日清戦争につながる。この戦争に勝利した日本は大陸侵略を本格化させていく。

 当時、朝鮮王朝をコントロールしていたのは閔妃(高宗の妻)の一族。閔妃はロシアへ接近すると考えた日本政府は三浦梧楼公使を使い、閔妃を含む女性3名を惨殺する。暗殺に加わった三浦公使たちは「証拠不十分」で無罪になっているが、この判決は暗殺に日本政府が関与している印象を世界に広めることになった。なお、その後、三浦は枢密院顧問や宮中顧問官という要職についている。

 そして1904年に日本は帝政ロシアと戦争を始めるのだが、戦費はロスチャイルド系金融機関のクーン・ローブのジェイコブ・シフが用立てた。日本に対し、約2億ドルを融資しているのだ。当時、日銀副総裁だった高橋是清はシフと親しくなる。





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天皇一族は反日売国奴だった _ 日本をイギリスの植民地にする為に天皇一族が行った日本人の信仰の破壊




 神仏分離・廃仏毀釈というのは不可解な歴史的事件である。すごく変な話なのである。歴史の教科書では「合理的な説明」がよくなされているが(水戸学が流行していた。明治政府が欧米列強に伍するためにキリスト教に対抗して国家神道を体系化するために行った。江戸時代の寺檀制度に増長した僧侶の堕落のせいで民心の仏教から離反していた・・・などなど)、どうも腑に落ちない。

 神仏習合というのはそれ以前にすでに1300年の伝統のあるほとんど土着した日本の宗教的伝統である。それを明治政府の発令した一篇の政令によって人々が軽々と捨てられたということがまず「変」である。この人たちにとって、千年を超える宗教的伝統というのはそんなに軽いものだったのか?

 神仏分離令の発令は慶應四年(1868年)である。「五畿七道諸国に布告」して、「往古ニ立帰リ」「普ク天下之諸神社、神主、禰宜、祝、神部ニ至迄、向後右神祇官附属ニ被仰渡候」という祭政一致の方針が示される。

 次に神社に対して「僧形ニテ別当或ハ社僧抔ト相唱ヘ候輩ハ復飾被仰出候」という命令が発された。社僧とは神社に勤める僧侶であり、別当は寺院と神社が一体化した神宮寺の責任者である僧のことである。この人たちに「復飾」(還俗)して、神職に奉仕するように命じたのである。

 驚くべきは、この命令に対して全国の社僧・別当たちが特段の抵抗もなく従ったということである。「長いものには巻かれろ」という処世術が宗教界に徹底していたのか、それとも「神と仏といい ただ水波の隔てにて」という血肉化した神仏習合マインドのせいで寺で読経しようと神社で祝詞を上げようと、同じことだということだったのか、私にはわからない。

 そのあと仏像をご神体としていた神社に対しては仏像仏具仏典の類を「早々ニ取除」くことを命じた神仏判別令が出された。

 それまで神宮寺の多くでは仏像をご神体に祀っていたのである。

 この「特段の抵抗もなく」というのが不思議なのである。

 ありうる説明としては、神仏分離の当初の意図が「宗教の近代化」であり、すべての制度が「近代化されねばならぬ」ということについて明治初年の民衆たちも「まあ、公方さんもいなくなっちゃったし、なんかそういう潮目みたい」というふうに感じ取っていたからだ、ということがありうるかも知れない。歴史の滔々たる流れに逆らっても仕方がないんじゃないの、と。それくらいの歴史感覚は一般民衆にもあったのかも知れない(わからないけど)。

 ターゲットになったのは寺院だけではない。最初に発令されたのは六部、虚無僧、山伏、梓巫女、憑祈祷、狐下しなどの「前近代」的な遊行の宗教者の禁止だった。加持祈祷、オカルト、ノマド的宗教者が「まず」禁止された。そういう「前近代的な宗教のかたち」の徹底排除が近代国家の心理的基礎づけに必要だったと明治政府が判断したのである。

 だから、そのあと明治40年代になると、今度は神社合祀令が出て、「前近代的な神道」が排除されることになる。これについては南方熊楠がはげしい反対運動を展開したので、記憶されている人もいると思うけれど、全国20万社のうち7万社が廃されるというすさまじい「神社整理」であった。

 神道の国家統制を実施するためには、神社を公費で運営する必要がある。しかし、神社の数が多すぎて管理コストがカバーできない。だから小さい神社は(氏子たちがどれほど信仰していようと、どのような貴重な祭祀や芸能が伝えられていようと)、コスト削減のために統廃合するという政府の態度のうちに「神道に対する敬意」を見ることはむずかしいだろう。

 だから、国家神道というのは別にある種の宗教性の価値が高騰したということではなく、端的に「宗教的なものを政治的利用価値だけをものさしにして格付けした」ということに過ぎないのだと思う。
 
 もう一つあまり指摘されないことに天皇家はもともと仏教徒だという事実がある。

 京都東山の真言宗泉涌寺は13世紀に四条天皇の葬儀が行われて以来、天皇家の菩提寺に近い機能を果たしていた。江戸時代の歴代天皇皇后は後水尾天皇から孝明天皇まで全員が泉涌寺に葬られている。当然歴代天皇の位牌もここにあり、僧たちが読経してその菩提を弔っている。明治天皇の父である孝明天皇の葬儀は仏式で行われている。今でも歴代天皇の祥月命日には、皇室を代理して宮内庁京都事務所が参拝している。

 だから、天皇制=国家神道という図式が成立するのは、慶應四年の神仏分離令からさきの敗戦までの77年に過ぎないということになる。日本の天皇制の全歴史のうちの77年だけである。それを126代の歴代天皇がすべて神道の祭主であったと信じている人あるいは信じているふりをしている人が天皇制の支持者・反対者のいずれにも多い。これは天皇制という制度の複雑さを捨象して、問題をシンプルで、ハンドルしやすいものにしようとする態度の現れだと私は思う。

 つねづね申し上げている通り、複雑なものは複雑なまま扱うのが知的に誠実な態度だと私は思っている。複雑な仕組みをわかりやすい図式に縮減して、敵味方に分かれて罵り合うのは知的には不毛なことである。それよりは、素直に「なんだか一筋縄ではゆかぬものだ」と認めて、いったん理非正邪の判定を「かっこに入れて」、ほんとうのところは歴史的事件として何が起きたのか、ほんとうのところその歴史的事件の意味は何であるのかについて冷静に問うということが必要ではないのか。

 廃仏毀釈について腑に落ちないもう一つのことは、熱狂的な廃仏運動はかなり短期間で終息し、やがて寺院が再興され、人々が寺院に参詣するようになったということである。廃仏毀釈運動は慶應四年に始まり、明治三年にピークを迎え、明治九年にはほぼ収まった。なんで、そんなにあっさり終わってしまったのか。

 1300年続いた神仏習合という宗教的伝統をほとんど一夜にして弊履の如くに捨て去った熱狂が10年も続かなかった。この非対称性がよくわからない。それほどまでに仏教の檀家制度が憎く、僧侶の腐敗が許し難いものであったら、あるいは明治政府の宗教統制が厳格なものだったら、10年で廃仏運動が「収まる」わけがない。でも、あっさり終わってしまって、誰もその話をしなくなった。

 だから、今の日本人は「神仏習合」についても「神仏分離」についても、よく知らない。

 習合という宗教現象は他の宗教でもあることだから、理解はできる。けれども、それを一度暴力的に分離してみたら、さしたる抵抗もなく実現され、にもかかわらず数年でなんとなくそれも尻すぼみになり、それから100年経ってまたじりじりと神仏習合に戻っているという現象はうまく説明ができない。

 私が毎年参拝している羽黒山はもともと神仏習合で、本尊は聖観音菩薩だったが、神仏分離で山上の仏像仏具は捨てられ、ご本尊はご神体に入れ替えられた。そのときに酒田の篤志家が棄てられたり、焼かれたりした仏像を拾い集めて、自宅の蔵に保存していた。それを最近になって「もともと羽黒山のものだから」というのでその子孫が返却を申し出てきた。羽黒山はそれを嘉納して、二年ほど前に「千仏堂」という建物を本堂の横に立てて、数百体の仏像を安置している。神社の中に寺院があるという神仏習合の「ふつうのかたち」に戻ってきたのである。

 この神仏習合の「復古」趨勢に対してはいずれファナティックな神道系の政治組織から「やめろ」という攻撃が始まる可能性があると私は予想している。そのときにわれわれは明治初年に神仏分離をドライブしたイデオロギーと心性の現代における「アヴァター」を見ることができるかも知れない。

 「廃仏毀釈」に付随したさまざまな事件のうち、記憶しておいてよいトリビアがあるので、それを最後に列挙して話を終えたいい。

(1)廃仏毀釈にもっともはげしく抵抗したのは浄土真宗であった。県内のほぼすべての寺院が廃寺となった鹿児島でも、浄土真宗だけは廃仏の運動が下火になるやたちまち全県に布教を行い、廃寺の再建に取り組んだ。江戸時代に真宗門徒が弾圧されたときに「隠れ念仏」活動をしていた「抵抗の伝統」が生き残っていたのであろう。

(2)最も苛烈な廃仏運動を指揮した一人は、松本の知藩事であった戸田光則。戸田は将軍家の血筋を引き、松平姓と葵の家紋を許された親藩だったが、戊辰戦争が始まってから、勤王か佐幕か最後まで迷った末、新政府軍が中山道を通過する時点でようやく腹をくくって新政府についた。この日和見主義に対する新政府からの不信を解消するために戸田は廃仏毀釈に異常な熱意を示したのである。彼はまず戸田家の菩提寺を破壊するところから始めたのである。

(3)もう一人は京都府知事だった槇村正直。長州藩士で木戸孝允に重用された人物である。京都の文化的伝統にまったく関心がなかった槇村はきわめて熱心に廃仏運動に取り組んだ。まず神仏習合の祇園社感神院を八坂神社に改組し、本地仏の薬師如来を撤去。北野天満宮は北野神社に改名され、境内の寺院はすべて撤去解体された。彼は五山の送り火も地蔵盆も盆踊りも禁止したのである。それがどういう経緯で、どういう言い訳で復活したのか、誰か知っていたら教えて欲しい。

(4)興福寺は廃仏運動の被害がもっとも大きかった寺である。興福寺は春日大社と一体化していたが、分離され仏像仏具教典が棄てられた。五重塔も民間に売却され、金属だけを取り出すために買い主が火をかけようとしたが、延焼をおそれた近所の住人に制止されたおかげで焼けずに残った。いまは国宝である阿修羅像も運慶作とされる無著・世親像も金堂の床にうち捨てられていた。その惨状については、前に釈先生と興福寺に聖地巡礼に参ったときに詳しく伺った。

(5)伊勢には御師(おし・おんし)と呼ばれる「宗教者兼観光案内人」のような人がいた。自分の家を宿坊として参拝者を宿泊させ、聖地を案内し、伊勢暦や神札を売り、加持祈祷も行った。御師の職業的な特徴はそれぞれが自分の「檀那」を有していたことである。江戸時代には伊勢に御師2000人がいて、宿坊600軒があった。当時の伊勢詣では年間300万人、檀那総数は400万軒。

 という話を読んで、羽黒山伏のことを思い出した。羽黒山もかつては山伏が営む宿坊が300軒あり、それぞれの宿坊には「檀那」となる人々がいた。農閑期になるとその町村の人たちが「講」をつくって、連れ立って羽黒を訪れ、山伏の先達で三山で修験場を訪れ行をおこない、遊びながら故郷に帰った。羽黒に雪が降り山に登れなくなると、山伏たちは里に下りてその「檀家」を巡歴して、加持祈祷を行い、お札を売った。伊勢御師と同じである。

 あるときは定住する信者のもとを移動する宗教者が訪れ、あるときは定住する宗教者のもとを移動する信者が(聖地巡礼と観光旅行を兼ねて)訪れる。このような宗教と観光、行と娯楽の癒合したかたちは、前近代の日本に広く見られたようで、出雲大社、富士山、熊野などにも御師がいて、各地の檀那たちと密接な「師檀関係」を結んでいた。

 慶應四年の神仏分離令では山伏と御師がまっさきに弾圧の対象となった。羽黒山伏は宿坊が10分の1になったけれど、いまも残っているが、伊勢御師は明治初年に途絶えた。いったい、神仏分離令は何を圧殺しようとしたのかがここからよく知られる。


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靖国神道は軍人を殺人の前に奮い立たせる為のものであって、信仰ですらないインチキ神道


戦没者は恐ろしいものではないから神にはなれない.従って祭る必要もない.

神道の教義では,神になれるのは日本軍に残虐な殺され方をして,恨みを呑んで死んでいった中国やアジアの人々だけだろうね.


神道というのは原始信仰のアニミズムやトーテミズムをそのまま残した化石的な宗教だ.

アニミズムやトーテミズムでは人格神ではなく,人間に危害を及ぼす様なものはすべて神になる. 神仏習合というのは仏教の仏を神道の沢山いる神の一つにしただけだ.

日本の仏教というのは本当の仏教ではなく,中身は完全に神道で外形だけを仏教から借りただけの代物だ.だから仏教は日本に根付いたが,キリスト教は完全に放逐された.キリスト教は一神教で神道の精神と相容れないからだ.

しかし,靖国は神道の基本精神と合い入れないから,神道とは共存できない.

靖国は軍人を殺人の前に奮い立たせるためのものであって,信仰ですらないからだ.

靖国参拝は殺しの前の儀式行動としてやるものであって,宗教的な行動ではない.

 

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靖国は日本の伝統的な神道から逸脱している。古事記の神道を伝統とすれば、古事記は天皇の祖先神である天照大神を祀る伊勢神宮と、天照大神の子孫が滅ぼした(殺した)大国主命を祀る出雲大社。この二つの神社からなる。天皇は自分たちの先祖よりも、むしろ滅ぼした出雲の方に大きな神社を建てた。


*自分たちが権力を取るために滅ぼした人たちを鎮魂する神社を、自分たちの祖先の神社より大きくつくるのが日本の清清しい伝統であります* 。元寇との戦いでも、鎌倉に戦死した元の人たちを祀る寺をつくっているし、あの虐殺鬼「秀吉」でさえ、朝鮮で殺した人々の耳塚までつくっている。

そういうことを、先の大戦でも行うべきであった。中国や朝鮮、東アジアの人々の犠牲は、日本の犠牲の5倍も多い。1千万人の方々が日本の犠牲となった。伝統的な神道であれば、その人たちの霊を厚く祀るべきなのだ。その人たちの霊を慰めることをしないで、自国の死んだ人たちだけを祀るのはおかしいこと。

靖国は明治の初めの廃仏毀釈とつながっている。廃仏毀釈は仏を廃し神を残したといわれるが、実は神も排斥した。というのは、それと同時に修験道が同時に廃止されているからだ。


修験道は神と仏を結びつけたもの。神仏習合は東大寺を宇佐からやってきた八幡神が祝福したことに始まる。ここで公式に神と仏は習合した。それを助けたのが行基。それが空海によって完成される。そこから修験道が始まる。神と仏が仲良くするのが修験道なのだ。

ところが、その修験道を禁じ、仏を殺し、神を殺して、そのかわり国家を神とする神道が、新しい近代神道として起こった。神道のなかではごく最近のものである。近代日本の国家主義の産物で、他の神仏を殺してしまった。つぶして再度、国家神道の下に神道を統合した。だから、それはほんとうの神様ではない。一木一草のなかに神をみる。これが日本の伝統。そういう神様を全部殺して、天皇と国家を神としたのが国家神道。そういう伝統にあらざる神道を首相が公式参拝して保護するのはどうなのか?

*日本の伝統は犠牲になったものを祀らないと怨霊となって祟りをなす。だからその祟りを鎮めようというもの。アジアの人たちに酷いことをして殺したことが祟りになって日本の前途を危うくする、だからそういう魂を祀るという精神が靖国には皆無だ。これは日本の伝統的神道に欺くことである* 。

靖国は密かに祀る。心の中で祀る。そういう精神にしたらよい。近所に迷惑をかけた以上は近所に対し黙って祀る。目立たないように祀るのが国と国との礼儀だ。日本人とは慎ましやかな民族であるはずなのである。コイズミのように声高に祀るのは、「恥」と云わざるをえない。




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非業の死を遂げた人 = 自分たちが権力を取るために滅ぼした人

今度の戦争の事でいえば

非業の死を遂げた人 = 日本兵に殺された中国や朝鮮、東アジアの人々


非業の死を遂げた人を祭るのなら日本兵に殺された中国や朝鮮、東アジアの人々を祭るしかない。




靖国神道が古来の神道とは別物のインチキカルト

社の格好をしているから神道の神社だと思ってしまうが、その思想とか教義から見れば道教の土俗型に近いと思います。 祭られている「神」も、道教の「魔」とみれば、神社の解説もすっきり読めますね。 「宮司」も、道教の「陰陽師」と解せば、日ごろの行動まですっきり読めます。

 日本古来の神道の衣を被った道教の廟ということでしょう。



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宗教史や民俗史を学んできた者にとっては、靖国神社という存在が、幕末から明治期にかけての国学者たちによってデッチ上げられた、本来の意味での神道的信仰とはかけはなれた存在であるということは常識です。

日本古来の伝統文化とは縁もゆかりもない「奇形」と言ってもいい存在です。そもそも、日本古来の伝統文化の最大の「破壊者」が、明治政府であるということもあまり知られていません。(明治期の政府による廃仏毀釈運動によって、75%以上の寺院が破壊された)

つまり、靖国神社とは、我々、宗教史家たちがこよなく愛する日本の伝統文化(純粋な意味での神道、仏教、儒教、その他の民間信仰)を、非道にも破壊しつくした果てに誕生した、国家イデオロギー装置でしかありえないのです。

つまり、靖国を伝統文化論の立場から擁護するのは完全なる誤りであるといえます。


メンテ
Re:明治以降の天皇一族は日本古来の伝統と日本人の信仰を破壊し尽した反日売国奴だった ( No.11 )
日時: 2019/08/10 10:45
名前: ooeyama ID:6BT3wGqU

>明治以降の天皇一族は日本古来の伝統と日本人の信仰を破壊し尽した反日売国奴だった


ooeyamaが終戦後、所謂民主主義教育で教わった史実では、明治以降の天皇一族は、日本古来の伝統と日本人の信仰を破壊し尽した反日売国奴に、

即ち薩長維新政府の手で神輿として担がれ、人格と人権を蔑ろにされた操り人形の如く、その疑似権威を利用された哀れな傀儡だった。

人格と人権を奪われた名無し一族は、戦後も歴代保守政権に権威として都合よく利用され、思考停止した愚衆から絶え間ない敬愛と嘲りを受け続けている。


メンテ
Re: ニッポンの歴史認識 ( No.12 )
日時: 2019/08/10 18:55
名前: 贅六@関西弁 ID:99zDa3TM

例え「嘲りを受け続け」ようとも、結構な皇室費で広大な土地を占拠し、何不足なく暮らせる身分ですよって、これ程有り難い事はおまへん。

其れを戦前の様に有り難がってる国民の方に非がおますねん。まぁ、戦後に『思考停止』に成った日本人の事ですよって、物事を論理的かつ厳粛に考えんかい! ちゅうても無理な話ですけどね。

ワテはもうこの頃、日本や日本人の将来なんか考えん様にしてます。世界最低の「アホ総理」を頂いて、のほほんとその日暮らしをしてる民族に将来はおまへん。

まぁ、見ときなはれ! 此のままやったら、早うて30年、遅うても50年で、ニッポンは、中国、ロシア、アメリカ、に食い荒らされて悲惨な事に成ってまっせ❕

その前にワテは、この世のモノで無くなってますよって、日本の「末路哀れ」を見ずに済みますわ。 合掌❕❕
メンテ

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