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[2128] 国家と政治と議会制民主主義
日時: 2014/12/05 17:20
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:eqmADly6

日本には、民主主義が定着していないとか、議会制民主主義が成立していないとかいう議論が出ています。
そうして、それが政治の停滞の根本の要素の様に思われています。
そこで、「国家」「政治」「議会制民主主義」について考察してみました。

まず、国家とは

国家とは、国境線で区切られた領土に成立する政治組織で、地域に居住する人々に対して統治機構を備えるものである。領域と人民に対して排他的な統治権を有する政治団体もしくは政治的共同体である。 政治機能による異なる利害を調整し、社会の秩序と安定を維持していくことを目的にし社会の組織化をする。またその地域の住民は国家組織から国民あるいは公民と定義される。

次に政治とは

政治とは社会に対して全体的な影響を及ぼし、社会で生きるひとりひとりの人の人生にも様々な影響を及ぼす複雑な領域である。広辞苑では「人間集団における秩序の形成と解体をめぐって、人が他者に対して、また他者と共に行う営み。」としているわけであるが、政治は、社会や社会に生きるひとりひとりの人にとって そもそも何が重要なことなのか、社会がどのような状態であることが良い状態なのか、ということも扱い、様々ある人々の意志からどれを選び集団の意志とするか、どのような方法でそれを選ぶか、といったこととも深く関係している。
古典である『政治学』を著した古代ギリシアの哲学者アリストテレスは、政治を研究する政治学を《善い社会》の実現を試みるためのマスターサイエンスであると位置づけている。このような位置づけは政治が理想社会を実現するために社会に対して働きかける性質を持つことを示している。政治が善い社会のために社会に作用する一方で、何が社会にとって善いかという問題に関する対立や協調も政治の領域には含まれる。この側面について政治哲学者のハンナ・アーレントは『人間の条件』の中で、政治を 自己とは異なる他者に対して言語を使って働きかけ、結合する行為であると捉えている。つまり政治とは人々が善い社会で生活することを達成するために、社会に対して働きかけることであり、また何が善いことかという判断に関する議論を伴うものであると言うことができる。

最後に、政治の形態である議会制民主主義について考えてみましょう。

「議会制民主主義は、国民が選出した代表者で構成される議会の討議にもとづいて政治を運営していくことによって、国民の合意による政治という民主主義の理念を実現しようとするものである。議会制民主主義のもとでは、議会は、国民の意思を代表するものとして、政治の中心におかれることになる。対になる概念として直接民主制がある。現在ほとんどの国が「間接民主制」である。
日本国憲法前文は、国民の代表者が権力を行使するものとし、国民は「正当に選挙された国会における代表者を通じて」行動すると述べて、議会制民主主義を採用することを明らかにしている。 議会制民主主義が本当に民主主義として機能するためには、代表者(議員)の構成が、民意を正しく反映するものでなければならない。したがって、国民の意思を可能なかぎり反映できるような選挙制度が要請される。また、議会においては、多数決による決定の前に、少数意見を最大限に尊重した冷静な討議がなされなければならない。

(ウィキペディアからの引用終わり)
 
現代社会に於いて政治を語るとき、民意が反映されているか、いないかが最重要の問題とされている。
つまり

「議会制民主主義は、国民が選出した代表者で構成される議会の討議にもとづいて政治を運営していくことによって、国民の合意による政治という民主主義の理念を実現しようとするものである。議会制民主主義のもとでは、議会は、国民の意思を代表するものとして、政治の中心におかれることになる。

また、議会においては、多数決による決定の前に、少数意見を最大限に尊重した冷静な討議がなされなければならない。」
だが、前述したように政治には次の様な使命も負わされていることを軽視している。
「古典である『政治学』を著した古代ギリシアの哲学者アリストテレスは、政治を研究する政治学を《善い社会》の実現を試みるためのマスターサイエンスであると位置づけている。このような位置づけは政治が理想社会を実現するために社会に対して働きかける性質を持つことを示している。」


ここで、民主主義の名において、ある意味で、国民が主体となりすぎていることを考えてみたい。

要するに、国民の意思、望みと言うものは、具体的な政策の選択が主眼ではなく、まず、生のままの希望を訴えれば良いのである。
政策として提示されたものの選択ではなく、希望を突きつけるべきであるのである。

小泉内閣の時でも、小泉の示した郵政民営化の施策以外に選択肢は別にあったのである。
現代社会の困難な問題に対して国民は、ただ希望を要求すれば良いのである。
例えば、働く場所を確保せよ!と言う一言で良いのである。
それに対して方法を考えるのが政治である。

現代の政治の言う事など、まだまだ不十分であり、それ以外に出来ることがあるのに、国民が適当なところで妥協するから、政治が進まないのである。
それで持って、民意を組み上げた民主政治が出来ていると思っている。

このような面で、政治の体たらくの原因は民意にあると言える。
まあ、しかしながら政治は権力、革命的発想でなければ民意が、実際に政治を動かすことも叶わないことは解る。

ここまでは、仕方がないとして、問題は政治家の方にあるのである。
奴らは議会制民主主義を遵守することばかりに重きを置き、
「このような位置づけは政治が理想社会を実現するために社会に対して働きかける性質を持つことを示している。」

いわゆる「政治学」の存在を疎かにしているのである。
疎かにしていると言うよりも、この崇高な理念を実現できる能力のある政治家がいないのである。

独裁の危険があるとしても、政治は大衆をリードしていかねばならないのである。
それなのに、選挙の時の大衆受けばかり狙って、自己保身のために、無難な対応よりすることが出来ない、官僚の様な体質となっているのである。
政治とは大衆を操作することと思い込んでいる。

大衆の側にも問題がある。
知識の吸収のみで思い上がった大衆は、己の考えに合わせて政治を理解し、判断する。
もっと大きな優れたものの存在を求める気持ちがないのである。
こうして衆愚の政治が民主主義の名の下に蔓延しているのである。

そうしたなかで「議会制民主主義」と言う言葉だけが、弄ばれているようだ。
メンテ

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自民党が単独で300を越す勢い! ( No.1 )
日時: 2014/12/05 22:27
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:QX.1HkAc

そりゃ、そうだ!

消費税なんかは、どの政党がやっても上げざるうを得ない。
民主党もあれだけ消費税は4年間は値上げしないと言いながら、公約破りをして消費税値上げの検討をしていた。
TPPの問題も、どの政党もTPPを完全に無視できる政党はない。
それに見合う経済戦略がないのである。

沖縄基地問題も、文句をつけてはいるが民主党でも、手も足も出なかった。
原発問題も同じ、口先では原発廃止と言っているが、実際に政権をになって諸般の事情、原発族の猛反対を押し切ってやれる覚悟があるとは思わない。

あるならば、その政党は市民運動のレベルで活動しているはず。
未だに反原発デモを党を上げて支援することはなく、横目で眺めている程度である。

憲法改正!
これは大東亜構想に近い安倍の危険性であるが、悲しいから、国民の生活に、今すず直接影響するものではない。
集団的自衛権は、この領域の話であり、意外と選挙の投票の大きな判断材料とはならない。

問題は、国民の関心事は経済につきる。
野党による「アベノミクス批判」が姦しいが、殆どは、総論、概念論であり、政党間の議論と言ったものではない。

要するに、株価が上がったことには文句がつけられない。
公共事業の増発で中小の土建屋が一息ついていることにも、正面切って反対など出来ない。
地方へ来て選挙演説で、それを言えば聴衆に横を向かれるであろう。
お前たちは、何をやった、何をしてくれる!と。

要するに、

『自民がましだ』

と言うことなのである。

国民生活がますます窮乏するなか、財政問題の様なものまで気が回らないのが国民の心情であるのだ。

そういう国民の願いに応える何の政策もなしに、アベノミクス批判をしていても、自らの無能力さをさらけ出しているのみ、決して票には結びつかない。

よって、自民党の圧勝が予想される。
単独で320議席も視野にある。

野党の馬鹿共は、ことの本質が解っているのであろうか。

野党には、国民を引っ張る政策がないのである。

国民に、民意に迎合して、叫んでいるだけなのであり、国民に代わって政治を担うつもりなどなく、
己が国会議員を続けたいだけの話である。

だから政策なしでも野党共闘が叫べるのである。
これは、もう、政治ではない。

議会制民主主義の本質でもない。

安倍自民党にも腹が立つが、
それ以上の政治家の仮面を被った与太者を許せない。



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Re: 国家と政治と議会制民主主義 ( No.2 )
日時: 2014/12/06 18:54
名前: 山の辺のボンクラ ID:i5zU6ujI

私は斯う考えます。

「政治」とは、支配者と被支配者との対置関係だと思います。個人または少数の支配者が大多数の被支配者を統治し、程度の差こそあれ被支配者から搾取を行う物だと看ています。

其処にはイデオリギィーの違いは関係ありません。民主主義だろうが、共産主義だろうが、王政国家だろうが、皆等しく「国民」と言う被支配者は搾取されて居り、支配者である「政府」は税金と言う名の「搾取」をしているのです。

又「国家」とは、その成立から考える必要が有りますが、「軍事力」と言う暴力手段を持った者或いは集団が、他の対抗する勢力と争って策定した「支配範囲」であると思います。
其れが歴史の流れを経て、現代の様な「国家」と言うものに成って居るのです。

この「国家」の版図を今だに広げようとしているのが、ロシアであり、中国であり、この両国は近代テクノロジィーを持った中世国家の様な前近代的国家であると思います。

ロシアは早くから(中国よりも)“ヨーロッパ化”を進めた為に、共産主義体制が崩壊した後、議会制民主主義の形を取って居ますが、共産主義時代そっくりな独裁政治と何ら変わる事が有りません。

中国は市場経済主義と言う妙チキリンナ解放経済を行い、実態は殆ど資本主義なのに共産党一党独裁の国家体制で、“全人代”等と言う代表者会議が形だけ存在する物の、突き詰めると中国伝統の「専制君主国」と言う方が当たって居ます。

古来中国には、王の下に官僚が居ましたが政治家は居らず、王の意向を官僚が実施して居たので、今の様子が其れと酷似しているのは民族的伝統と言うべきでしょう。

今の日本は何か此の二つに似てきたような観があり、空恐ろしい限りです。
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Re: 国家と政治と議会制民主主義 ( No.3 )
日時: 2014/12/06 19:36
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:RYV/Uyww

仰る通りと思います。

民主主義国家と言っても、国の組織、政府には権力があります。
その権力が国民の味方であると言う保障はどこにもなく、殆どは為政者の我欲か、社会の強者のために使われて来たのが現実ですね。

それを国民の方に目を向けさせるのは大変なのですが、日本は歴史的にお上意識が強く、お上のやることに強い反発をしません。
選挙の時でも、人々は各政党の公約の見比べばかりに気を取られ、それを選択することで社会が変えられると思っています。

そうではなく、その裏の、邪悪なものの存在を認識し、それらと政党、政治屋共の関係まで見据えねばならないのですが、とても、そこまでは頭が回らないようです。

私は、そうしたおどろおどろしい内容までは認識できなくても、少なくとも、政党が掲げている政策について、もっと疑問くらい持つべきではないかと思います。

要するに自分たちの単純な希望を、トコトン追求すると言う姿勢が必用と思うのです。
選挙で政党、政治屋を選択すれば終わりではなく、期待に応えないと承知しないぞ!と言う、憤怒の気持ちを何かの形で現すことが必要でしょう。

考えてみれば、我が国の国民は、細川内閣の時と、民主党内閣の時と、ここ20年も経たないのに2度も大きな意思を表明しますた。
こうしたことは他の先進国でもあまり見られないでしょう。
そういう意味では形式的には、議会制民主主義は成り立っていると思います。

何が悪かったのでしょう。
それは、ひとえに野党の体たらくです。

新しい国作りができる政党がないのです。

山の辺のボンクラ さんは、その政党を作るのも国民の責任と言われています。
それも納得ですが、

木っ端野党の存在をなんとかならないかと思います。

政党を作る責任と言うのは、選挙で選ぶことではないのでしょうね。



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Re: 民意、行政、政治 ( No.4 )
日時: 2014/12/07 15:28
名前: 北の国から ID:78ALTLms

 民意というものは、いつも正しいとは限らないし、場合によっては歴史を大きく後退
させてしまう要因とすらなっているということは、天橋立さんをはじめ、みなさんが指
摘されているとうりだと思います。
 2005年ごろに、昔、産炭地としておおいに栄えた夕張市の財政破たんの問題が大
きなニュースになり、結局、夕張市は「財政再建団体」となり(つまり市の事業は、国
の承認なしにきめられなく、30年で数百億の借金を返済)ました。
 当時の夕張市は人口約1.3万人。南北に約40キロの細長い地域に、医科の医療機
関は2か所(市立病院と民間の診療所)でした。
 市が再建団体になると、市立病院の医師は辞めていきます。(このへんに医師の責任
感のなさ倫理観の欠落が現れます)

 住民は(高齢化ということもあって)、「医療機関をなんとかしてほしい」という声
を行政にむけます。
 僻地の行政にとって(たとえお金があっても)医師を確保するということは、難問中
の難問であり、市立病院は閉鎖されることになります。

 いろいろ経過があって、その病院を、診療所(一部民間)として引き継いでいく、と
いう医師が現れ、離れたところの民間の診療所と一緒に地域医療を担当することに」な
ります。

 ボクは当時の仕事の関係で、何回も夕張に足を運び、医師や商工会のかたたちとも、
いろいろ話を聞かせていただいたり、話をさせていただきました。

 そこで「民意」というものは一体なんなのかということを何回も考えさせられました。

 住民は、「透析の設備は必要」「脳外科はどうするんだ」「夜間診療、往診にも対応し
てほしい」などの要求を出されました。
 病気を抱えているかたにとっては切実な要求です。

 しかし、社会通念から冷静に考えると(誤解をおそれずに言うと)、無理、難題です。
 夕張に来た若い医師が「それは住民エゴです」と思わず口走ったほどで、これは、切実
な要求ではあるものの、ある意味「民意の暴走」と思いました。
 「財政破綻は市民のせいではない」という意見もありましたが、ボクは「立派に市民の
せい」と思っていました。

 しかし、だからと言って「民意は無茶苦茶」と言って終わりにできないとも思いました。

 政治と行政が、この馬鹿げた民意にのっかて市政をおこない、無駄がねを使いながら、一
方では、政治がこの民意を煽りたてきた、というのが夕張の歴史だからです。

 つまり、民意というものが、歴史の発展の方向にすすむには、住民サイドの統治能力がな
ければならなく、住民サイドの統治のなかで「よく勉強し、やる気と実行力のある民間人」
がいることが絶対に必要なのだ、と思いました。

 住民は、そこで生活し、働いているのですから、基本的には歴史を前に進める潜在的力と
価値観をもっているものです。
 でも、それがいろんな場面でゆがめられていくのですね。
メンテ
Re: 国家と政治と議会制民主主義 ( No.5 )
日時: 2014/12/07 22:44
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:TH3.13pE

北の国から さん、

夕張市の人口は15000人くらいなのですか。私が住んでいる宮津市も、とうとう20000人を割ってしまい、19000人程度となりました。
その宮津市が全国で一番人口の少ない市と思っていました。

財政状況も全国の市町村で25番目くらいに悪く、夕張市の破綻の問題も他人事ではありません。
原因は、過疎化にあり、税収は落ちる一方で、高齢化もあり社会福祉費用が増大しています。

近くに京都府立病院と言う大きな病院はありますが、市民病院などはなく、市内で一番大きな民間の病院も5年くらい前に破綻し、経営は都市部の大手病院の傘下に入り続けられています。

最も車で30分から1時間も走れば、結構、信頼の置ける病院が2、3あり、自動車を使える人にとっては問題はありません。
住民に意向を問えば、そりゃ勝手気ままに自分たちの市にも市民病院を作れと言うでしょうが、作ったところで実際には更に施設の伴った近郊の大きな病院へ足を運ぶつもりでしょう。

そういう民意は嫌いですね。
ですが、個人の生活が社会の変革に伴い、自己責任ではどうにもならなくなっているように、行政も、全てその行政の責任にされたもたまりません。

はやり国家単位で解決を考えねばならないことと思います。
夕張市の行政に対する不満と言うのではなく、国家を相手に、日本人として環境整備を強く訴えるべきでしょう。

ところが、それを夕張市に市民病院を作れと言う様に、具体的に言うから夕張市の問題に特化してしまい、夕張市ではどうにもならないと言う結論が簡単に出てしまうのです。

私が言う民意とは、そうした大きな希望であり、個別の事例の解決を目指すと、それが矮小化してしまい、本当の民意として政治に反応しないと言うことです。

日本の政治は昔から利益誘導型政治がはびこり、政治屋にとっても国民にとっても、政治とはそういうものだと言う観念が根付いてしまっています。

夕張市に市民病院を復活せよと言うよりも、交通手段を持たない弱者の医療体制を確立せよと、国家に対してしつこく、大きな声を上げるべきです。

その解決方法はいくらでもあります。
大きな病院の巡回バスを、こまめに運行するとか、往診システムを充実させるとか、それも民間の小さな医院とリンクさせるなどして医療システムを組織することです。

これは、一市町村単位ではできず、府県、国家単位の指導が必要です。
こうしたことは、住民が考えなくても、住民の強い要望を受けて、それに応じるべき組織が考えれば良いのです。

最近の人たちは、民主主義の影響か、全て自分の考えで物事を結論つけたい思いが強く、何事でも具体例を出して意見を言います。
知識の吸収は必要なことですが、その知識にたより、溺れ、適正で効果的な要求が出来てないことすら気付きません。

行政は逆に、それを利用して巧妙に民意を処理してしまいます。
民意の要求は、単純であるほど行政は困るのです。

それに気がついて欲しいものですね。
メンテ
Re: 国家と政治と議会制民主主義 ( No.6 )
日時: 2014/12/08 11:36
名前: 北の国から ID:JpLZ/LEw

 地方自治体の財政が、元産炭地にかぎらずたいへん厳しいということはご承知のとおりです。
夕張も、国策で石炭をどんどん掘り出していたころは、人口も11万7千人だったそうですが、
いまや(財政再建団体による住民サービスのはげしい低下などもあり)、9千人前後まで減少
してしまいました。
 夕張の財政破たんの根本要因はもちろん国のエネルギー政策の転換であります。

 ところが、夕張は市内の炭鉱が撤退しても、数年間は「産炭地特別交付金」などを過大にあ
てにして、自治体相手に商売する「企画屋」などの口車にのって「観光事業」などに多額の市
財政を支出し、しかも市の財政状況を、議会にも市民にもわかりにくくするための「粉飾」が
おこなわれていたことが、大分経ってから明るみにでます。

 つまり、夕張市民は「財政危機状況」や「その原因」について行政からも政治からも知らさ
れていなかったとぴう面があります。
 したがって、行政や夕張市議会は「財政危機状況を踏まえて、どういう地域づくりをするの
か」という問題について市民に提案していく義務が」あったし、住民自身も「産業」「雇用」
などについて住民サイドからさまざまな提案をしなければならなかったと思います。
 夕張市には、有名なメロンがあったし、特産のナガイモを材料にした焼酎も人気ブランドで
したし、スキー場や「国際映画祭」なども地域経済に貢献していました。

 ところが、地方自治体の多くは「国保財政の赤字」と「国保病院への支出」がおおきな部分
を占めていました。面積が広く、都会までの距離が50キロ、100キロという地域が少なく
ない北海道はとくに深刻な問題です。

 つまり、天橋立さんが指摘されるように、「国保」の問題も「医療過疎」の問題も根本は、
明らかに「国の政治の問題」です。その地域の産業と雇用、医療、介護に展望がなければ、
北海道の地方都市は(1次産業は惨憺たる状況)再建はむずかしいのです。

 このことを、ねばりづよく住民に知ってもらい、民意というものが、自律的な健全性をと
りもどすように、いろんな場面で努力することが求められているのでしょう。
メンテ
Re: 国家と政治と議会制民主主義 ( No.7 )
日時: 2017/11/13 14:04
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:t7TZHxoI

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