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[2222] 続・当代世間騙し装置
日時: 2015/02/14 08:24
名前: 満天下有人 ID:QNV3UuGE

毎日変なノートンのマークが画面に出て、ウイルス恐怖を煽られる。ノートンの指示に従って掃除したら、ここ掲示板で新規スレッドを立てた時に入れたPWが消えてしまって、投稿文の訂正が出来なくなってしまった。

そこでPWを入れる為に、再度スレッドを立てて見ます。投稿記事は全て今日までの重複投稿ですのであしからず。

2月9日投稿分:生存本能の為に生き残ろうとするテクニックは、生物によって様々だ。

好きな番組であるNHKのダーウインが来た、を見るにつけ、何時もそう思う。

どのような生態系であっても、原理は太陽エネルギーと水によって生態系が構成されている大原則がある。そしてその土台の上にあって、その生態系はそれぞれに生存を維持する為に、エネルギーが不足して来ると他の生態系が有するエネルギーを奪う本能的な細胞を有している。

そしてその行為が各種生態系の生存のバランスを保つ効果を有している。大蟻の過剰発生を抑えてくれるのが、蟻喰いの存在であるとか、そのような相互天敵の存在が自然生存のバランスを保つという合理性で地球は成り立っている。別の生態系が過剰になると別の生態系が、それを潰しにかかる、という具合にだ。

中には潰されないように擬態を発揮する生態系もあれば、先に生存エネルギーを得る為に擬態で相手を待ち構えている生態系もある。枯葉と見分けがつかない虫や、サンゴかと見間違うタツノオトシゴなどが、前者の例だ。後者の代表例にはカマキリが居る。

何を言いたいのかと言うなれば、既に真意は見抜かれている(笑)、そう、人間社会における、特に政治経済における擬態は日常茶飯事である、ということだ。言い換えると人間社会における擬態とは、世間の騙し装置であるということだ。

この生態系が巣食っている領域が永田町であり、霞が関であり、より広い範囲での擬態は、抽象的概念としての自由、民主主義である。擬態に騙される側は、自らも殺されずに、そこそこに生かされて来たものだから、天敵が定かに見えず、だが、どうも昨今のおかしな状況は、天敵が少しのさばり過ぎてはいないか、との、何だか天敵が明確には見えないのだが、どうもおかしいと感付き始めた。

しかし、イスラム過激は悪だ、との風潮、それは一部イスラムとしても、このままではキリスト教圏天敵が、お互い天敵でも、バランスが取れる範囲を超えて来た以上、防御的攻撃を仕掛けねばならなくなった、そのようにも見える。むしろキリスト教圏天敵は、擬態で錯覚を起こさせ、イスラム圏生存のエネルギーを狙っていた、騙していたとつまりキリスト教圏はカマキリだと・・・・

攻撃的擬態どもには勝てない。一つはそれらを我々が保存し、ある意味、保護しているからだ。こちらは守備的擬態になれない。少々色を変えて擬態騙しをやっても、最初から見抜かれてしまっているから、どうしようもない。永田町や和美が関に仕掛けられて来る擬態、消費税増税に還付制度を設けるとか、日銀超金融緩和でトリクルダウンによって民衆も潤うとか、イスラムテロは許せないと言う擬態には、アメリカ従属という本色、その先に憲法改悪が隠されている。

擬態と言う騙し装置が強化されて来ている。いよいよ生存をかけた最終闘争が迫って来た。この生存競争は生態系が別の生態に対して為されるのではない。同じ人間なる生態系においてである。しかも同じ国の中においてである。擬態にはしょっちゅう騙されるのが生物の宿命ではあるが、しかしトンマな騙され方は良くない。弱い証拠だ。




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日本資本主義揺籃の場(10)>債務通貨は最終的には国民が担保し、国民が清算することになる ( No.811 )
日時: 2016/03/14 16:34
名前: 満天下有人 ID:QNV3UuGE

重なる内戦の為に維新政府は遂に、西南戦争を契機に不換政府紙幣太政官札を大量に発行せざるを得なくなった。

この現象は我が国だけではない。後になるが第一次世界大戦によって、当時の英国も同じ状況に陥ったのである。各国とも停戦までの軍費を税で賄うことは不可能であったし、英国でも政府債務によるイングランド銀行からの借り入れは急増して行った。同時に英国政府は、開戦時に急を要した通貨は、取りあえず政府紙幣発行によって賄ったが、実は、停戦まで発行を止めることは出来ず、これも増えて行ったのである。

しかしその弊害が発生することを予め予想し、終戦直前から英政府は、イングランド銀行カンリフ総裁を委員長として、通貨発行も含め正常な状態に戻る手順報告書の提示を求めた。そして委員会は、やはり金価値をバックにした通貨に戻すのが最良の方法であり、それ以外に効果な手立てはないとし、それが機能しないのであれば貿易赤字の発生を初め、政府権限による信用の拡張は(不換政府紙幣発行のこと)銀行券の兌換性を脅かし、英国全体の国際的信用にも関わるとの報告書を提出したのである。

その政府権限による信用の膨張が、国民納税あるいは国民貯蓄からの借り入れを越えないようにすべきであるとして、一刻も早く国民の真の貯蓄が増加するような政策を発動せねばならないとしたのである。

ここにも通貨の価値は、最終的には国民資産によって担保されているのだから、その国民資産が増加して行くような政策=通貨の問題はそれ以前に経済政策の問題であるとの明確な意思が表明されている。我が国が西南戦争での不換政府紙幣を消却できたのも、国民納税が順調に戻ったからである。当時の大隈重信大蔵卿も、士族華族向けの殖産を興業する為には、起業公債を発行すべしとして、国債発行の原型を提示し、後任の松方正義もまた、通貨は民間経済に必要なのであって、民間市場の動きに従った民間による通貨発行にせねば、政府権限による発行では、民間活力の芽を育てることは出来ないとしたのである。

それが今日において尚、民間による信用創造の通貨が経済の活性化を邪魔している、故に政府権限発行を要するとの本末転倒の理屈が消えない。一体、民間信用創造通貨の何が、どこが経済成長を邪魔しているのか、そこを丁寧に説明した上での批判は、お目にかかったこともない。ただ民間通貨信用の創造を批判しているだけで、実例をあげての説明は皆無である。

何度も言うが、預金通貨という信用の創造による通貨は、経済活動においては常時現金を準備しておく必要はないというだけのことを、経済の実態、預金通貨も含めてそのパイの現実規模を説明するだけのものである。約束手形と同じ理屈なだけのことである。問題はそれ以前の経済政策にあるのである。更には資本主義的経済関係にあっては、商品としての通貨にも私的利潤追求の因子が含まれているのだから、その体制を抜きにした通貨論をいくらこねくり回したところで、金魚鉢の中で金魚を追っかけているようなものである。ミヒャエル・エンデやシルビオ・ゲゼルの童話的通貨論の幻想を追ってるだけである。

通貨の公共性を言うなら、私的利潤追求の総合的体制を、100%転換しない限り、単なる通貨の中での通貨議論をいくらしようが、百年河清を待つが如き、出口のないすご六ゲームをやっては振り出しに戻る堂々巡りをするだけである。まあ、暇な人がおやりになるのは勝手だが、グローバイリゼイションを認めながら、一方で諸国通貨発行自由権を持てとか、矛盾した発想が出るようではジャパンハンドラーズたちにまで、笑われてしまう。

私的利潤追求を社会の軸とする経済体制では、必ずどこかで行き詰まる。そして巨大な格差社会になる。なっても別にそれは滅びない。搾取できる民衆が存在する限りは。その巨大なシステムを通貨で解決しようとするは、ムダなことである。通貨によってではなく、その通貨による資本に、如何に共生のための公共性を埋め込めるかどうかが、最重要事項であるはずだ。資本主義の永続を願う体質を土台にしておいて、通貨面では公共性を求める二律背反では何も達成できないことに、どうして気がつかないのだろう、不思議である。

国民もまた、利子を望み資産蓄積したいのなら、それが政府によって破壊されないように財政面での関心を高めるべきである。利子を望むとは、通貨もまた利潤を求める資本主義を望むということだから、それを維持したいのなら、政府による財政破壊を十分監視せねばならない。同時に国家の国民であるなら、最終清算は国民の責任であることも当然なのである。

政府が社会保障費を賄えないと言うなら、徹底して他の経費削減を求めるべきである。さすれば私的資本にではなく、国民に最低必要な財源位、簡単に創出できる。官僚経費、軍事費、野放しの海外ODA・・・20兆円くらいはすぐに捻出できる。それを危険極まりない通貨印刷で賄えば、その跳ね返り後始末も又、国民に跳ね返ってくることを、十分に認識すべきである。その為に歴史を振り返っているのである。歴史遊びをやってるのではない。

その面での現状は、政府も国民もだらしない状況に至ってしまっている。それさえも気がつかいない状況を是正する方法は、破綻を待つしかないだろう。エンデの理想や、キツネと枯葉のような話は、全て童話に過ぎない。
メンテ
日本資本主義揺籃の場 ( No.812 )
日時: 2016/03/14 13:01
名前: ニホンザル ID:6GpmBjlg

東西世間裏算用以来ここまで続く有人様の批判の矛先をはっきりさせた論考です。
真にその通りと賛同いたします。

戦争で精算できると考えるのはユダ金戦争屋と共鳴するウヨだけです。

憲法9条は維新以来ユダ金戦争屋の手駒にされてきた日本国民を開放する先人の知恵。
それを実現させた幣原首相案はマッカーサーの理想の上と評価されたと言われています。

1000兆円もの国債収入を私的資本につぎ込みながら、国民の負債とのたまう為政者の浅ましさ。
それは1000兆円の収まり先を見れば分かるはずです。

真の資本主義である限り、政治は私的資本の手先になる宿命があるとのご解説。その通りだと思います。
いくらお金を出しても同じこと。その行きつく先は極少数の私的資本家に、残りの人は奴隷になる社会です。

政治・経済批判はそのようにした政治・行政に向けるべき。
提案は1000兆円を私的資本家から取り戻す方法であるべきだとのお考えだと思います。

実現できるのは民主主義です。
民主主義はそのための政治家を選ぶためのもの。
しかしその民主主義を機能させないシステムが維新以来この国に存在する。

私的資本家と結託して共に富を築いた維新システム。作ったのは薩長閥。
行政の維新システムに埋め込まれた長藩由来の撫育局。
難攻不落でマッカーサーでも崩せなかった。

日本資本主義揺籃の場とは私的資本と結託した維新システムの草創期を綴る歴史だと想像します。
私も横レスを控えて拝聴します。

有人様
別スレッドの続きです。

奥の手は日銀の倒産ですか、有人様の案は火災事故だったのではありませんか。
全焼してしまう。これが本当の火事場泥棒ですよ。
メンテ
Re: 国債焼却 ( No.813 )
日時: 2016/03/14 17:58
名前: 満天下有人 ID:QNV3UuGE

燃やしてしまうのが一番手っ取り早いのです・・・が、全員が類焼となる国民が余りにも可哀そうで(笑)。金融鎖国の上で、一時のハイパーインフレを耐え忍べば、まだ何か手がありそうな気がして・・・。

でも私的資本の利潤追求は、必ず競争の激化を招き、長期的には平均利潤率の限りなき低下現象によって限界を示し始めます。これでは燃やしてしまっても、同じ現象の到来が阻止できませんね・・・

それを国境を越えて維持しようとしたのが、多国籍企業によるグローバリ化戦略でありました。その利益はタックスヘイブンに隠され蓄積されている。それを擁護する政府権力。こんなのに更に法人税を減税し不足財源は、最終的には全国民が網をかぶせられる国民増税によって賄われる。

こんな構造を維持して、何で通貨だけで解決できましょうか。肝心要の大きな穴をポッカリ明けたままで(笑)。
メンテ
日本資本主義揺籃の場(11)>禁じ手の、日銀国債直接引受に踏み切った高橋是清 ( No.814 )
日時: 2016/03/15 10:17
名前: 満天下有人 ID:aFgQuxQ6

通貨の必要性は、民衆の自由な経済活動の為にあるとの当然の原理に気が付いた松方正義は、政府不換紙幣の発行を禁止し、政府財政運用に要する通貨も、国債発行によって調達する方法へ転換して、政府から通貨発行を切り離してしまった。

それでもまだ金融制度が未熟なままで、それは当時の秩禄公債、金禄公債に転換しても、それを財源に利子運用を始めた旧士族、華族が銀行もどきの金融業を始めて、当時の我が国にはきちっとした銀行が確立されておらず、国債発行、引受もスムーズには行かなかったようだ。

もたもたしている内に、戦争景気を謳歌させてくれた第一次大戦も終わり、NY株式市場にもバブル終焉が訪れ、1929年(昭和4年)、暗黒の木曜日がNY株式市場を襲って世界恐慌の幕が上がった。背景には戦争で本土に痛手を受けなかった米国と、英国の葛藤が恐慌を深化させてしまった。英ポンドが金兌換を停止したものだから、金流出を阻止する為にアメリカは、欧州からの輸入を制限する悪名高きスムート・ホーリイ関税法を成立させて、40%もの関税の壁を創ってしまった。この報復措置としてカナダ、フランスまでが関税を引き揚げ、関税報復合戦が繰り広げられて、世界経済は一気に収縮してしまい、恐慌を長引かせることになってしまった。

わが国は不幸にも、これに巻き込まれてしまった嫌いが強いのだが、経済、金融などのシステムが未熟なままであったから、めまぐるしく金輸出禁止、その解禁と、政策をクルクル変えてはみたものの、世界の趨勢に翻弄されて、昭和恐慌へと突入して行く。暗い時代の始まりである。

いびつな形で発展して来た金融と、企業の関係の代表例が、台湾銀行と当時の大手貿易商社・神戸の鈴木商店であった。鈴木酒店は早くから、医薬、防虫、防臭、防腐剤からセルロイドの原料や火薬原料まで幅広く利用される台湾樟脳の可能性に注目し、当時の台湾総督府長官で、後に初代満鉄総裁となる後藤新平に取入ってその利権を獲得し、巨財を得ながら、戦争情報にも特化して巨財を成した。これに食い込んだのが台湾銀行。業務の比重を余りにも鈴木商店に置きすぎて、関東大震災による不景気加速で倒産した鈴木商店と共に倒産してしまう。

この年昭和2年に陸軍大将であり政友会総裁であった田中義一が内閣総理大臣となり、戦争財政創りの為に禁じ手の国債日銀直接引き受けに踏み切った高橋是清が大蔵大臣に就任する。松方正義が通貨は民間経済の為にあるののであって、政府のものではないとして国債発行による通貨発行に政策を転換していたのに、戦争となってまた、国債発行による通貨調達を、事実上の政府発行紙幣として日銀に印刷を命じたのである。

大蔵大臣は政府である。我が国の通貨発行史は事実上、政府権力によって発行されて来ている。中央銀行には発行権など無かったのである。

軍人が総理大臣になって、いよいよ満州特化へ向けて走り出した時に、関東軍独走による張作霖暗殺事件が起こり、関東軍を制御できなかったとして田中内閣は総辞職してしまう。だが後を受けた政友会の犬養総裁は、不景気の民政党か、景気の政友会かとのスローガンを掲げて、総選挙に臨み、解散時の131議席から303議席へと大躍進したものだから、本格的な戦争財政へと突き進んだのである。

何だか現在の状況とそっくりだな(笑)。憲法を無視し、戦争出来る国にしたいアベシンゾー、経済政策面で野党よりましだと思う世論が、この一派を大躍進させてしまった。そしてテロ撲滅を名目にバンバンオカネをブン投げている。中国脅威を名目に、米軍事産業からは欠陥武器であろうが、まだ手に渡されていないものにまでオカネ払っている。

満州事変の頃は、内閣がクルクル変わり、当時当初の民政党内閣による予算は13億円程度であったが、満州事変を考慮すれば少ないとする政友会では、既に満州事変費として7000万円を計上していたのに、選挙に勝った犬養首相は更に6750万円を追加。その結果、最終歳出額は19億5千万円となり、高橋蔵相によって初の赤字国債が実行されたのである。そして公債の発行方法は、日本銀行をもって引受けせしめるとされた。

高橋蔵相の本音部分では,軍部の手前一時の便法としてやむを得ないと考えていた節もあり、事実、暗殺される前の頃になって、このようなやり方での戦費増加は好ましくないと発言している。だが、第一次大戦勃発時に英国政府が緊急事態」として一時的に発行した政府紙幣も、結局戦争が終わるまで発行し続けた麻薬症状と同じように、この日銀による政府国債の直接引き受けも、止まることなく継続されて行き、そろそろ出口を探すとした高橋蔵相も軍部に暗殺されてしまうのである。そして太平洋戦争終結時には巨額となって、国民預金封鎖、新円発行でようやく精算されるのである。
メンテ
日本資本主義揺籃の場(12)>満州事変から太平洋戦争に至るインチキ通貨戦費 ( No.815 )
日時: 2016/03/16 17:45
名前: 満天下有人 ID:9DKn2Z3M

関東軍による満州における暴走。帝国憲法では緊急時における緊急予算については、内閣総理大臣が天皇に奏上して勅令を得て支出できたが、後日必ず議会の承認を要した。だが若槻内閣は、現実に起こしてしまった事件はしょうがないとして、規制をかける訳でも無く満州事変費の予算計上を始める。これを背景に関東軍は調子に乗って、戦域を上海、南京にまで拡大してしまった。

高橋是清がこれを、日銀に国債を直接引き受けさせ、円印刷を容易にするため、それまでずっと保証発行限度額1億9千万円であった限度を一気に10億円まで引き上げたのである。そして戦争費についても、支出し易いように一般会計から切り離し特別会計を設置して協力したのである。満州事変勃発頃の一般会計予算は1億5千万程度のものであったが、特別会計上の軍事費会計はどんどん膨張して行き、当初20億円規模でスタートした額が、満州事変から太平洋戦争敗戦に至る間に、累計戦費は1554億円に達し、うち976億円が臨時軍事費公債でフアイナンスされていたのである。これは全公債の80%を占めるに至っていた。

この実態によって敗戦直後に、財政法が定められ、第5条で原則日銀による国債直接引き受けが禁止されたのである。

いすれにしても、高橋金融政策によって、そのようなやり方で、外貨建て日本国債には既に大きなリスクプレミアムがついていたのに、よくもまあ国債が暴落しなかったものだと感心するのだが、そこはちゃんと手品が発動されていたのである。

一つは、高橋による金本位制の停止で円が大暴落、維新の時に$1=1円と定めた基準値は、1931年(昭和6年)$1=2円にまで下落し、その翌年には4円にまで大暴落。輸出は三倍にも伸びたが高橋は、低金利下におけるインフレを嫌う資金が更に海外へ逃避し、円安に歯止めがかからなくなることを怖れて、資本防止逃避法を立法、ケースによっては国内市場を国際市場から遮断し、統制された国内で大量の国債が日銀直接引受で価格下落=金利上昇させることなく戦費を捻出できたと言う訳だ。そして二つ目に、国債保有者には市場変動影響を受けないように、発行価格を帳簿価格とする国債標準価格制度も設定していた。

これって私がいつも言う国債燃やしてしまえ、ただし金融鎖国が絶対必要条件、同時に物価統制令も要するとの論法に似ている(笑)。さすが、英知に長けた先輩たちは、とっくの昔におやりになていた(笑)。だが、やはり、通貨価値はそんな裏付けの無い通貨発行では必ず破綻することを予定しない大間抜けをやっていたのである。

高橋及び、その政策に呼応していた日銀深井総裁も、需給ギャップがプラスに転じ、雇用が上向くまでの一時の便法であり、時が来れば日銀によるフアイナンスは止める考えを持っていたようである。
(当時でも、こんな目茶苦茶な金融緩和をやっても、雇用者の実質賃金は下がり続け、満州事変時の指数100に対し、太平洋戦争開戦時では84にまで下がっている。何も要りません勝つまでは、と、少年時代にたたきこまれた者の実感としても、世の中給料が上がったと喜ぶ者はいなかったように覚えている。)

高橋や深井が一時の便法と言ったところで、ここにも麻薬症状が染みついてしまった・・・維新政府が政府による不換太政官札発行をやめることもできなかった、英国政府が第一次大戦勃発時に、一時の緊急対策としてイングランド銀行にポンドを印刷させ、結局終戦まで発行をつづけたと同じように、高橋や深井が一時の便法であって、止める予定であったと言ったところで、世間は、こんな便利な方法があるのかと、イージー・ゴーイングになってしまった。いつでも好きに出来る政府発行権限に潜む麻薬症状なのである。この政策は既に社会にモラルハザードを起こし始めていたのである。

当時の西村・大蔵事務次官の回顧によれば、日銀直接国債引受を世間は、こんなことが簡単に行われると将来、えらいことになるぞ、と心配していたのであるが、そのううちに、井上蔵相の時は公債で戦費調達は絶対いかんと言われていたのに、高橋さんの時代になると、通貨発行保証限度枠が2億円から10億円に増やしても経済はうまく行ってる、となれば更に20億円に増やしてもどうってことは・・・・・というムードが支配的になり、各省の予算要求は、政府には無償でオカネがどこからかいくらでも入って来る、一時便乗主義がはこびったと述懐されている。

そして財政規律が崩れて行くことえの世間の警戒感は後退して行ったのである。これもまた現在のムードにそっくりである。いくら政府借金が増えようが、何も破綻しない、インフレも起きないから、政府紙幣発行のどこが悪いと言う論である。満州事変勃発後の国債増発は7億6千万円に増加していたが、打ち出の小槌のような政策に麻痺してしまい、これに味を占めた軍部は遂に1000億円の予算を真面目な顔で要求するようになったのである。

高橋是清蔵相の一時の便法とする思惑は、軍部の便利な財布となり、満州事変拡大に拍車をかけ、遂には対米開戦という無謀な擧に出て行くのである。

これは知らなかったのだが、暴走関東軍による戦費確保は、高橋財政による円の印刷し捲りだけではなかったようである。NHKスペシャルが2011年に「圓の戦争」というタイトルで放映していたものだそうだが、朝鮮銀行の協力によって朝鮮銀行券を大陸で大いに活用していたそうである(次稿で・・・)。
メンテ
日本資本主義揺籃の場(13)>植民地銀行券を利用した現地関東軍の戦費錬金術(1) ( No.816 )
日時: 2016/03/17 07:00
名前: 満天下有人 ID:yJ68zwLA

こんな手まで使って戦費を調達していたとは、全く知らなかった。しかし朝鮮銀行券や台湾銀行券を発行させ軍費にあてがうことは、軍部の圧力があれば可能であったろう、軍部とてうるさい本国の議会承認を一々求める必要も無く、ほめられた方法ではないが、うまい手を考えたものだと思う。

2011年にNHKスペシャルで『圓の戦争』として放映したものを、丁寧に文字起こしされた記事を見つけたので、これを要約しながら紹介することにする。

『66年前の戦争の負の遺産が、思わぬ場所に刻まれていた。東京霞が関の財務省。戦争で使われた膨大な費用の一部が現在(いま)も借入金として記載されている。その額414億円。終戦時の国家予算を超える巨額の借金が何故残されたままなのか・・・・。

日本人だけで310万人もの犠牲者を出した日本の戦争。日本は中国やアメリカを相手に8年にも及ぶ戦いを続けた。戦線はアジア・太平洋に拡大、長期化した戦争は国力を遥かに超えるものだった。天文学的な額に上った戦費。しかし、それがどのように賄(まかな)われたのか、詳しいことは分かっていなかった。

今、日本軍と深く結び付いていた銀行の極秘資料が、次々と見つかっている。日本軍が占領地で、国内では見たことのない通貨「圓(えん)」を作り出していた実態。

「極端に言えば、中国での戦争は、全く日本円を使わないで済んでいる」(研究者)

金融のエリート達は、戦費を生み出す驚くべきシステムを作り上げていた。

「破綻しますよ、いつかは。いつかは破綻します」(元銀行員)

国を破滅へと導いていった戦争。日本軍の影に常に存在していた通貨「圓」。知られざる「圓」の戦争を見つめた。

昭和6年(1931年)9月、満州事変が勃発。日本の関東軍が、満州と呼ばれた中国東北部を武力で制圧、其処に傀儡国家(実質的に他国の統制下にある国)を作った。計画したのは、関東軍高級参謀の板垣征四郎(1885−1948)大佐。戦後、A級戦犯として死刑となった。そして、作戦主任参謀の石原莞爾(いしわら かんじ 1889−1949)中佐。

国の不拡大方針を無視して行われた満州事変。現地軍の独走を支えた戦費はどう賄(まかな)われたのか。本来、戦争に必要な費用は国から支給される。しかし、石原中佐には「戦争をもって戦争を養う」という思想があった。戦争に必要な資金や物資を、戦争によって自ら賄っていくというものだった。

関東軍の現地での資金調達。その実態が初めて浮かび上がってきた。

東京郊外の住宅街。此処に、関東軍と深い関わりを持つ国策銀行の内部資料があった。当時、日本の植民地だった朝鮮半島に作られた朝鮮銀行。戦争に加担したとして戦後、GHQ=連合国軍総司令部に解体された。

「これは朝鮮銀行の極秘資料でしてですね、実態とか綴られている重要書類が全部入っています」。戦後、散逸していた資料を集め、研究してきた多田井喜生(たたい よしお 1939−)氏。多田井氏は、朝鮮銀行の資産を引き継いだ日本債権信用銀行で常務を務めた。社史の編纂にも携(たずさ)わり、銀行が日本の戦争にどのように加担したのかを調べてきた。

朝鮮銀行が関東軍に資金を提供していたことを示す極秘文書。
メンテ
日本資本主義揺籃の場(14)>植民地銀行券を利用した戦費錬金術(2) ( No.817 )
日時: 2016/03/17 18:14
名前: 満天下有人 ID:yJ68zwLA

元日本債券信用銀行の多田常務の証言によれば、『朝鮮銀行券・圓は、朝鮮、満州にとどまらず内モンゴルの一部であった熱河省への侵攻作戦でも、軍費支出面で多大の便宜を与えていた。』

戦争を支える自らを事変銀行と自負していた朝鮮銀行。しかし関東軍への協力は、しばしば政府の意向を踏まえず独断で行われた。何故そのようなことが可能だったのか。

当時日本は、異なる3つの「圓(えん)」を発行していた。本土では日本銀行券、植民地の台湾銀行券と朝鮮銀行券、それぞれが同じ価値で交換出来た。万一植民地の経済が悪化した場合、本土から切り離す為に、敢えて別々に「圓」を発行していた。自由に「圓」が発行出来たことが、朝鮮銀行の独断での資金提供を可能にしていた。

『事変がある度に、朝鮮銀行券というのが、陸軍の軍事面の、軍事支出を支える銀行として、色々な面で活躍していく、と。利用されていく、と。朝鮮銀行券というのは、関東州から更には満鉄付属地、満州全体へと通貨圏を広げてゆくわけです』 (元日本債権信用銀行常務・多田井喜生氏)

軍と朝鮮銀行には、朝鮮半島から中国大陸に影響力を拡大するという共通の狙いがあった。朝鮮銀行元総裁の日記がある。大蔵大臣を二度務めるなど戦前の経済界の重鎮だった勝田主計(しょうだ かずえ 1869−1948)。満州事変後、陸軍の幹部が毎日のように訪れていた。中国における経済や金融について意見を求められていた。

「昭和8年(1933年)4月4日、鈴木貞一少佐来る」
大陸強硬派で陸軍の中国政策に強い影響力を持っていた鈴木貞一(すずき ていいち 1888−1989)中佐。後にA級戦犯として終身刑を受けた。

「昭和9年(1934年)12月6日、板垣少将来訪」
満州事変を首謀した板垣少将も訪れていた。

陸軍の実力者達に自らの経済的な思想を伝えていた勝田元総裁。中国に「圓」の経済圏を作るという壮大な構想があった。満州事変の3年前に書かれた未発表の原稿にこう記されている。

「経済力の強い国の貨幣が、他の国で使われることはまた、自然な状況である」
強い通貨こそが経済の弱い国を支配すべきという持論だった。

日本が傀儡国家・満州国を作った当時、中国には南京に国民政府があったものの地方では軍閥が割拠、それぞれが独自の通貨を発行し、経済はバラバラの状態だった。そこを「圓」で統一し、日本の一大経済圏を作るというのが、勝田元総裁の考えである。しかしそれは、一歩間違えば、経済的な侵略にも繋がりかねない思想だった。

『勝田(鮮銀総裁)の持っている思想、そういうものは、軍人側にとっては利用し易いもの。軍の大陸侵攻の方向と、朝鮮銀行の『圓』の方向というのは、合致するわけですね」(多田井氏)』

関東軍は更に中国の懐深くへと狙いを定めた。

昭和10年(1935年)6月、関東軍の参謀達が密かに会合を開いていた。その時の記録が残されていた。終戦時、GHOが押収していた資料である(『第一回関東軍幕僚 経調懇談会記録』)。関東軍参謀副長となっていた板垣少将。その配下にいた田中隆吉(1893−1972)中佐ら4人の参謀達が意見を述べた。

「軍のほうとしても、差し当って武力によってやることは出来ないから、経済工作によって、北支(ほくし)、中支(ちゅうし)、南支(なんし)とやっていこう。金融的に北支を支配し、国民党政権を倒す」

関東軍は、国民政府の支配下にあった北支と呼ばれる華北地域を狙っていた。しかし其処には、古くから権益を持つヨーロッパの列強(英・仏・独)や、北から共産主義の拡大を図るソビエトの存在もあった。軍が武力ではなく、政治・経済的な工作を推し進めた。

昭和10年(1935年)11月、軍は国民政府の不満分子を担ぎ出し、傀儡政府「冀東(きとう)防共自治政府」(1935〜1938)を打ち立てる。緊張は俄(にわ)かに高まっていった。日本政府は強い危機感を抱いていた。現地軍の独走や朝鮮銀行の戦費の支払いを政府は追認させられる形になっていた。

大蔵大臣・高橋是清(たかはし これきよ 1854−1936)。当時、軍事費の増額を求める軍部と激しく対立していた。

昭和9年(1934年)、5相会議での発言「軍事予算の膨張は、いたずらに外国の警戒心を刺激し国民経済の均衡を破ることになる」

高橋蔵相は現地軍と結び付いていた朝鮮銀行から、通貨の発行権を取り上げることも視野に入れていた。

昭和10年(1935年)2月、衆議院第67回議会での発言「今まで朝鮮銀行が国家に迷惑を掛けた原因は、発行権がある為、金が自由になり過ぎる点にある。朝鮮銀行に『圓』を発行させず、日銀券に統一したい」

金融経済界にはこうした考えを支持する人達がいた。かつて高橋蔵相が頭取を務めていた横浜正金銀行。日銀と共に日本を代表する銀行として国際金融を一手に担っていた。国際協調を重視する金融のエリート達だった(昭和2年(1927年)、未モルガン商会総裁と正金幹部の写真)。

その1人、昭和10年(1935年)に横浜正金銀行に入行した小原正弘氏(1912−)、99歳。京都帝国大学出身の小原氏は、国際的な市場で活躍したいと、正金銀行を選んだ。入社時の名簿が残されていた(昭和10年(1935年)4月、横浜正金銀行『人事週報』)。当時、社内では軍の大陸での行動に懸念が広がり始めていたと言う。

「僕ら普通のものには(あの時代は)暗かったね。嫌な空気でしたよ、今思えば」

翌年、昭和11(1936年)年2月26日、二・二六事件が勃発。陸軍の青年将校が、高橋蔵相ら重臣達を暗殺した。その日、小原氏は正金銀行の本店で事件の一報を聞いた。

「これはえらいことになったな、何でああいう人を殺したのかと思いましたね。ああいう人がいないとね、陸軍、あの当時は軍って言ってたけど、軍の思うようになっちゃうんじゃないかということを考えましたね」

軍部と対峙し、軍事費を抑えていた高橋是清。もはや止める者は誰もいなかった。

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日本資本主義揺籃の場(15)>植民地銀行券を利用した戦費錬金術(3) ( No.818 )
日時: 2016/03/18 07:53
名前: 満天下有人 ID:n101Butk

国債の日銀直接引き受けによる軍事費の増加を打ち止めにした高橋是清蔵相が暗殺された2・26事件の翌年、昭和12年7月、盧溝橋事件を契機に事実上の日中戦争が勃発。日本軍の侵攻と共に一大経済圏を作る為の「圓」の戦争が本格化していく。華北に展開する第5師団の板垣中将、そして、関東軍の東條英機中将。2人は満州国に隣接する地域に進軍、3つの傀儡政権が作られた。

関東軍の極秘文書に、関東軍の東條中将がこの時に出した通貨に関する指示が残されていた。

「幣制及び金融機構の一元的統一、研究を進むべし」
傀儡政権に「圓」の影響力を広げるよう指示していた。

現地軍の意向を受けて、朝鮮銀行員は前線深くまで従軍してゆく。リュックに大量の朝鮮銀行券を詰めて同行。占領と共に現地に出張所を開設して行った。朝鮮銀行員は、現地の通貨を回収し、「圓」への切り替えを図った。しかし、外国の通貨への反発は想像よりも強く、朝鮮銀行券は浸透しなかった。

そこで、日本軍は朝鮮銀行券に代わる新たな「圓」を作り出す。

昭和12年12月、華北を占領した日本軍が打ち立てた傀儡政権・中華民国臨時政府。この傀儡政権が発行した中国聯合準備銀行券。この連銀券には、人々に受け入れられるよう、“中國”という文字が入っていた。

聯銀券を浸透させる為、強引な手法が取られていた。戦時中の日本に纏(まつ)わる資料が大量に保管されている北京市档案館(とうあんかん)。日本の傀儡政権・中華民国臨時政府の資料が初めて公開された。

「聯銀券を使わなかった市民は、最高で無期懲役」という厳しい罰を科せられていた。

日本側の資料も残っていた。東京目黒にある防衛省防衛研究所。陸軍省経理局の極秘資料。強制的に聯銀券を使わせる為の方策が講じられていた(陸軍省経理局『聯銀券価値向上並びに流通強化策』)。

小麦粉や石油などの必要物資を聯銀券でしか買えないようにしていた。更にアヘンという記述。当時中国には、麻薬であるアヘンの中毒者が溢れていた。中毒者に対しても、アヘンを連銀券で売るよう指示していた。

日本軍は華北を抑えたものの、あくまで点と点に過ぎなかった。周辺ではゲリラ戦が頻発し、戦争は長期戦の様相を呈していた。現地では膨らみ続ける戦費を賄(まかな)う為の手段が求められていた。聯銀券を利用して資金を生み出す“或るカラクリ”が編み出された。

朝鮮銀行の極秘資料の研究を続けてきた元日本信用債券銀行常務の多田井喜生氏。多田井が収集した資料の中に、聞き慣れない言葉があった。

「中国聯合準備銀行との『預ヶ合』契約で調達する」

この「預ヶ合」という仕組みに鍵があった。

それまで華北では、朝鮮銀行が現地軍に、自ら発行する「圓」を戦費として渡していた。その戦費は国の臨時軍事費特別会計から賄われた。しかし、その額は急激に膨らんでいた。

(ニュース映画『支那事変国債』より)「今回の支那事変における戦費の大部分は、国債を発行して我々国民からお金を借りるという方法を取るのです。・・・・」

政府が戦時国債の購入を呼び掛けるニュース映画。戦費の大部分は国民からの借金で賄(まかな)っていたが、そのことが国の経済を脅かしていた。

朝鮮銀行が編み出した「預ヶ合」。傀儡銀行であった中国聯合準備銀行に無制限に金を発行させる方法だった。通貨は何の裏打ちも無しでは発行出来ない。朝鮮銀行が傀儡銀行と「預ヶ合」契約を結ぶ。日本から送金された「圓」を裏打ちとして、傀儡銀行が通貨を発行し、現地軍に渡す。そして、日本の軍事費に借金として計上される。

しかし裏打ちであるこの「圓」を、傀儡銀行は引き出すことは出来ず、国庫に戻される。日本の懐を痛めることなく、無尽蔵に生み出される戦費。それは戦争のツケを将来に先送りしているに過ぎなかった。

「国力がない日本としてはよく考えた知恵だとは思いますけどですね・・・・。極端に言えば、中国での戦争は全く日本円は使わないで済んでいると、そういうことの仕組みが出来ているわけです」(元日本債権信用銀行常務・多田井喜生氏)

預け合いによって膨大な聯銀券が溢れ、占領地の経済は混乱した。華北における聯銀券。そして蒙彊(もうきょう)地域にも新たな通貨・蒙彊銀行券を作り、「圓」の戦争を拡大する日本軍。しかし水面下では、中国が対抗する動きを見せていた。

当時、日本の傀儡銀行には多くの日本人が出向させられていた。横浜正金銀行の小原正弘氏。昭和14年(1939年)、中国聯合準備銀行へ出向したが、小原氏が目の当りにしたのは、日本の「圓」の脆さだった。

「日本軍のね、日本政府のバックにあるお札が出回っていて、それが日が暮れると法幣(中国の通貨「元」)の世界だという風なことを言われましたけど、武力で押し切っていられるうちは保つでしょう、表面的には。でも、それが弱ってきたら値打ちはガタ減りでしょうねぇ」

日本の占領地で広がっていたのが、中国の「元」だった。中国国民政府を率いていた蔣 介石は日中戦争が始まる前に“或る政策”を打ち出した。国民党本部に保管される、蔣 介石の公務を記した日記(昭和14年(1939年)『抗戦与建国』)。

(それにしても関東軍による通貨操作は、もう滅茶苦茶だったのですね・・・よくぞこれで戦時軍事物資が調達できたものだと思うのだが、やはり主要軍事物資は、アメリカに隠していた「金(きん)」で賄っていたのです。現役時代に禄をはんでいた母社のNY本社が保有していた金が、為替銀行横浜正金銀行(戦後為替銀行として再発足した東京銀行)と共に、アメリカ当局によって差し押さえを喰らったという社史もあったが、この話は少し先になります。
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日本資本主義揺籃の場(16)>植民地銀行券を利用した戦費錬金術(4) ( No.819 )
日時: 2016/03/19 09:40
名前: 満天下有人 ID:twT0ShN2

朝鮮銀行券など植民地銀行券を利用しての軍部による戦費調達錬金術、通貨は何の裏付けも無しでは交換価値維持ができないとの原則論に立ち返って次に使った手は、本国兌換紙幣「圓」を担保にして傀儡銀行・中国聯合準備銀行券に発行させた連銀券、でも日本本国兌換券「圓」には交換させなかった、もう通貨をオモチャにしたようなやり方で、しかもこの連銀圓を使わない中国人は、処罰されていたのである。

これに対抗した蒋介石は、「法幣」とも呼ばれる「元」を生み出した。当時の中国では国民政府の他に共産党など数々の軍閥が割拠し、それぞれが通貨を発行していたので、通貨の種類は1000を超えていた。そこに登場したのが、統一通貨「元」。蒋介石にとって、『元は中国を1つに束ねると同時に、日本と対峙してゆく有力な手段となりました。元は武器よりも強い殺傷力があったかも知れない。経済的基盤が無ければ勝てないからです』」(台湾国史館研究員・卓 遵宏氏)

新たに誕生した「元」の背後に、中国に権益を持つイギリスやアメリカの存在もあった。昭和12年(1937年)、上海の金融街。日本軍の侵攻を食い止める為、イギリスとアメリカは多額のドルとポンドを提供して「元」の価値を支えていた。欧米の支援を受け、「元」は瞬(またた)く間に中国全土に浸透したのである。

「もし日本との戦いが『元』誕生より前に発生したならば、中国は早く敗れ、或いは既に恥を忍んで和平を求めていたかも知れない。現在は幸いにして『元』が存在し、これによって極めて厳しい局面でも長期戦の基礎を固めることが出来る」(昭和14年(1939年)『抗戦与建国』)

日本と中国の戦争は泥沼化していった。

「圓」の戦争は、その舞台を更に広げていった。その実態を示す資料が見つかった。ダンボール700箱にも及ぶ膨大な資料である。世界20カ国に支店を持ち、日本の国際金融を一手に扱ってきた、あの横浜正金銀行。中でも重要な資料が『頭取席要録』。世界中に散らばった金融のエリート達が、国際情勢をつぶさに分析・報告していた。

「日本の公債や株式が、日本軍の軍事行動によって下落している」と報告したロンドン支店からの情報。アメリカに支援を求める中国の財政使節団の動きを詳細に調べた横浜正金銀行ニューヨーク支店からの情報。その中に、大蔵省や日銀が、アメリカに密かに純金(金塊)を送ったという情報が頻繁に登場していたことが、横浜正金銀行サンフランシスコ支店に残っている。

(日本資本主義揺籃の時期を支えたのは、貿易によってドルを稼ぐ三井物産と、貿易品を運ぶ日本郵船、そして最後の代金決済を外貨で行う横浜正金銀行、この三社が日本資本主義黎明期を支えた。
そして日本政府が金塊を送ったとの話、は第一次オイルショックの頃、当時では横浜正金銀行から東京銀行に代わっていたが、東銀SF支店長の接待ゴルフで、有名なペブルビーチゴルフ場にお供した時にも、詳しく話をお聞きしたことがあった。いくら通貨を勝手に政府権力で(この場合は軍部権力だが)、国際金融市場では日本の公式債券など、見るも無残に下落させられていたのである。昨今、また同じように政府権力による通貨発行論がうるさいが、国際市場との関連、利子率によって現れる通貨の評価となる債券の大元が、政府紙幣では債務性が無いから利子率も無い、そこらへんのことをどうする積りなのか、大きな穴を空けたままで政府権力を唱える。中国戦線拡大時の軍部による勝手なニセ札、神国ニッポンのやることは全て正しい、国際関係の分析に疎い思いあがった右翼思想が正にそれに通じ、同じような考えが後を絶たない。)

何故、大量の純金(金塊)を送っていたのか。

日中戦争が始まってから1年が過ぎ、軍事費は増大の一途を辿っていた。軍中央では、日中戦争勃発時現地で指揮を執った板垣征四郎中将が陸軍大臣、東條英機中将が陸軍次官に就任していた。最大で100万を超す兵力を送っていた陸軍。軍事費は遂に国家予算の7割を超えた。

大蔵省決算書史による昭和初期における国家予算に占める軍事費の割合は、昭和11年(1936年):47.7%、昭和12年(1937年):69%、昭和13年(1938年):76.8%、昭和19年敗戦前年では85.3%にまで膨らんでいた。ざっくり言うなれば、国家予算は全額が戦争費用であったと言える。少年時代日に日にチャブ台から食い物が無くなって行き、だが関東軍などはオカネを目茶苦茶に偽造して戦争していた訳だ。

日本は戦争に必要な石油や鉄などの戦略物資を海外に依存していた。その獲得に狩り出されていたのが、横浜正金銀行の金融エリート達。この時使われたのが、純金(金塊)だった。

昭和14年(1939年)に横浜正金銀行に入行した寺井弘治氏、89歳。大阪支店で為替業務に携(たずさ)わっていた寺井氏は、或る日、厳重な警備の下、何十もの木箱をアメリカに送るよう言われた。

「何かなぁと聞きますと、大事な金塊をニューヨークに送るので、全くシークレット・マター Secret Matter(極秘事項)だ、と。極秘の極秘で。何で送るんですかと聞いたら、『決済資金が無いから、純金(金塊)で決済するんや』って」

日本からアメリカに密かに送られていた純金(金塊)。日本はこの時期、輸入品を決済する代価・ドルさえ不足していた。アメリカは、石油などの戦略物資を供給する最大の輸入相手国だった。その戦略物資を輸入する為、政府や日銀が保有している純金(金塊)を切り崩す異常事態に陥っていたのである。

一方、アメリカは日中戦争が始まって以降、日本への不信感を強めていた。日本の資金力を密かに分析していたことが明らかになった。アメリカ国立公文書館。近年公開が始まったアメリカ財務省とFRB・ニューヨーク連邦準備銀行の内部資料。

「こちらが1930年代から40年代の財務省の記録です」(アメリカ国立公文書館 女性職員)

日中戦争勃発から半年後の、米財務省の極秘資料である(昭和12年(1937年)12月 米財務省の内部文書)。

「5月半ばに金塊が送られている。日本の銀行に残高は殆んど無い」

純金(金塊)に手をつけざるを得ない日本の厳しい状況(日本銀行の状態や日本の外貨準備量)をつかんでいたアメリカ。戦争を継続させることは難しいと見ていた。
大手企業の財務部門のトップを歴任し、アメリカ海軍大学で戦史を教えていたエドワード・ミラー Edward S. Miller(1930−)氏。経済という新たな視点から、日米開戦の要因を探ってきた。

「誰もが、日本はあと1年か2年で財産を使い果たして破綻するだろう、金融の専門家達は確信していました。日本は支払不能になって、中国との戦争をやめるはずだと。アメリカはそれを待っていたのです」

ところが、そのアメリカも気付かなかった資金の動きが発覚した。

横浜正金銀行ニューヨーク支店。昭和15年(1940年)8月、突如、横浜正金銀行の口座で1200万ドルもの金が動いていたことが分かった(昭和15年(1940年)8月3日のFRBの調査報告書)。FRBは、3週間にわたって密かに調査を続けた。

「日本に外貨を貯める動きがある。それは横浜正金銀行ニューヨーク支店の“隠し口座”にある」(同年8月27日のFRBの調査報告書)

日本がアメリカに送っていた純金(金塊)。売る時の相場によって差額が生じる。その差額は正金銀行ニューヨーク支店の“隠し口座”に貯められていた。その額は2年半で1億4000万ドル。戦争継続に欠かせない石油3年分を賄(まかな)える額だった。正金銀行はアメリカへの報告義務に従わず多額のドルを貯めていたのである。

「アメリカは日本が1億ドル以上のカネを持っていることを知ったのです。FRBから僅か数ブロック、目と鼻の先に隠していたのです。それは大きな衝撃でした。日本が中国との戦争を長期間続けることが出来るのですから」(エドワード・ミラー氏)」

(そう言えば母社の社史にも、当時NY本店が保有していた金塊が、アメリカ戦時立法による敵対性国資産凍結法によって差し押さえられたとの歴史を読んだことがある。通貨は結局、国際関係においては、最後の決済手段を要することになる。ある国が勝手に造った紙幣など通用しないのである。)
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日本資本主義揺籃の場(17)>アジアへの拡張主義揺籃の芽(1) ( No.820 )
日時: 2016/03/20 00:52
名前: 満天下有人 ID:LP2Vwt7I

それにしても板垣征四郎や石原莞爾などの軍部は、武力によって、更には植民地通貨の操作までをも動員し、何故そこまでやってアジア支配に乗り出したのか、それは「軍」であったからとしか言いようがない面もあるが、石原莞爾などは熱心な法華経の信者でもあったから、欧米列強によるアジア進出が、日蓮上人が唱えた「国難」とイメージが重なり、その国難を勝手に、アジア民衆に押し被せたのだろうか。

軍は軍事思想によって勢力を拡大したがる。でも国家全体として、軍事国家にして何故アジアを支配する行為に出たのか、西欧列強に対抗する為以前に、何らかの国体思想があった筈である。それを代表するのが現総理大臣・安倍普三の祖父岸信介と、かれに思想的影響を与えた思想家である。

勿論、岸信介が信奉し、士族であった曾祖父・佐藤信寛他、吉田松陰の思想を軸に集まっていた伊藤博文、木戸幸一、松岡洋右、安倍源基(終戦時の内務大臣)、等々、長州は熊毛郡多布施村から発せられた王政復古の狼煙に昭和フアッショを醸成して行く原点がある。それに繋がっているのが岸信介、佐藤栄作、安倍普三である。

イントちゃんの首相官邸スレにレス投稿した分を再掲すると、『長州藩は、長年、南朝の末裔をかくまって来ており、その多布施村の高松八幡宮で王政復古ののろしを上げ、桂小五郎や伊藤博文などが匿っていた南朝の末裔を天皇にして、権力を握ろうとした。それが明治天皇であったから、長州閥は、維新で好き放題やれ、官僚機構も含めて政治基盤を固めることが出来たのだ、と言う説。

事実の推移から見ても、どうも符合が合うことが多く、あながち陰謀論で片づけてしまうのも惜しいような(笑)。

この地域は半島からの渡来人が多く、そしてどうも奇異なことが多いような気がします。半島を席捲していた世界キリスト教神霊統一教会も、日本における基盤をここで固め、後に岸信介による厚遇で、渋谷高級住宅街の岸家の隣に本部を移している。さらには踊る宗教もこの地域から生まれている。シンゾー一派はずっと、統一教会行事には祝電を欠かさないなど、その腰の入れようは、尋常じゃありません。自民党幹事長になった頃には、ホテルオークラに事務所を持っていた彗光塾、対象物に手をかざすと神のお告げが分かると言う如何わしい宗教屋が開催していた有力企業の政治会合で、安倍普三氏は必ず内閣総理大臣になると予言し、その通りになってしまいました。神がかりなのですね・・・』

近代日本が、何となく気持ち悪い国に変貌して来たのも、どうも薄気味悪いこの地域に根があるのかも知れない。昭和史の研究家によれば、ここから出た士族出身政治家には、物事は全て権力を通じてでしか実現できないとする志向が強いのが特徴であると分析している。岸信介自身が、人間には権力欲とか、そういうものが本質的に強い面があると述懐し、自分の理想や考えを実現しようとすれば、その実現に必要な権力が伴わなければ駄目ですと言いきっている。

けだし、政治におけるある真理をずばり言い得ているのだが、さてその自分の「理想」とやらが問題なのである。学校の入門書のような事を言っても始らないが、政治はそこに居住する生活者たちの為のものであって、その総意が政治家個人の理想と一致している場合は良いが、それとは反対の方向に進められる場合が多いので、困ってしまう。そしてその必要な権力なるものが、政治家としての岸信介の経験から培われたものならともかく,得てして誰か思想家の影響によって為され、国民総意から乖離してしまうから困るのである。それは過去のことだと済ませても、尚、さようなゲノムが生き続けているから困るのである。

岸信介の個人資質からすれば、それは国家構成員の為にではなく、民衆なる者たちは最初から「統治すべき存在」としか見られていなかった。だから当時の憲法学者で、天皇主権説を唱えて、天皇機関説論者の美濃部達吉と真っ向から対立した上杉慎吉の思想に傾注し、頑迷な国粋主義団体の興国同志会に入会したのである。彼の思想に影響を与えたのは、この上杉慎吉と北一輝であろうか・・・

まあ、現在でも右翼国粋主義者に見れる傾向は、頑迷で、客観的分析に欠けるのが特徴なのだが、岸信介も東大秀才と言われながら、頑固な思想を持っていたということは、リベラルよりもそれを好み、権力を好む出身地の風土も重なった個人的資質によるものであったろう。

上杉慎吉なる憲法学者が、天皇主権説に走ったのには、訳があった。

若い頃にキリスト教に傾倒し明治39年に憲法を習得する為にドイツに留学。憲法の真髄を学ぶというよりそこで見たキリスト教圏の人間たちが、最後では何事も唯一神教キリストの神の教えに従うと言う背骨、これぞ国家を一つの方向に動かすエンジンだと思い、日本でも何かそれに代わるものがないかと熟考した結果が、「天皇」であった。キリストを天皇に置き換え、無限絶対の存在とすれば、キリストを唯一の拠り所とする欧米列強の精神に対峙できると考えたのである。そして岸信介もその思想に傾倒したのである。

だが、西欧文明の中でキリスト教が、生活規範にまで自然に浸透して来て、民衆にとって日々生活の教訓にまでなっていた文明と違い、上からのお仕着せのような精神の拠り所とするには、当然ながらムリがあろうというものだ。戦時中、天皇に対して別に不満とかそういう感情は無かったにせよ、来る日も来る日も敬愛せよと言われては、何をどうせよと言ってるのか、さっぱり理解できず、ただ教師たちの叱責が怖いから、表向き従っていただけの事であった。左様に、国民本音とかけ離れた国家主義では、行く先の結末は既に見えていたようなものである。

そして天皇主権説を引っ提げて、何故それを日本以外に広めようとしたのか、それは北一輝の思想と大川周明の大アジア主義にに影響されたものである。そして面白いことに、上杉慎吉もそうであったようだが社会主義、共産主義は自分には体質が合わないとしながらも、私有財産制度については疑問を持っていたのである。
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