Re: 続・当代世間騙し装置 ( No.209 ) |
- 日時: 2015/05/08 19:04
- 名前: 贅六 ID:UoMK9tiE
- 規制ねぇ、市民の生活規範と公共の法規制との相関はイタチごっこの観がおますが、ワテが住んでる北摂の小都市は、駐輪場の整備と根気良い違法駐輪の撤去で駅前や盛り場の違法駐輪を解決した例とちゃいますかなぁ?
利用価値の低下した“古ビル”や“駅近か”のあらゆる空きスペースに、片っ端から“駐輪スタンド”を設置して、2時間くらいまでなら無料とし、その一方で違法駐輪はこまめに撤去する。加えてタスキ掛けの指導員を配して違法者へのビラ作戦を行う。
此れを何年くらい継続したですやろか? やがて違法駐輪は姿を消していきよりました。社会的コンセンサスが取れたちゅう訳でおます。但し一方で無謀走行による自転車と歩行者の交通事故は度々起きまんなァ。この場合、自転車と言えども死亡事故につながるケースもおまして、市当局や警察当局は何遍も啓蒙ビラなんかを配布してますが、根絶は出来てまへん。まだまだ根気が要りまんナァ。
ワテが言いますのは自転車だけの話だすが、要はお互いの遣る気と根気やおませんか? そやけど断っときますが決して“違法駐輪ゼロ”ちゅう訳ではおません。時々郵便局の前に自転車が固まってる事もおますなァ。そやけど一昔前の目を覆うような惨状は無ォ成りましたなァ。 この話お門違いかも知れまへんな。
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Re: 不法駐輪 ( No.210 ) |
- 日時: 2015/05/08 10:35
- 名前: 満天下有人 ID:js3VqvX.
- 不法と書くと、何だか駐輪法があって、それに違反しているような印象になりますが、むしろ、公序良俗に反すると言う普通の良識が無い、その事に腹が立ちます。
貴人的なことで恐縮ながら、一般論としては、不足している駐輪場の確保で、何とか需給が緩和して行けると思いますが、私がしょっちゅう経験する事態は、通勤時の駐輪とかそういうものではなく、そこにしか止めることが出来ない買物の場合ですね。
勿論、自転車で買い物に来られる人たちも、そこで買い物をするから、他に駐輪する場所がない、遠方でしか駐輪できないとなると、何の為に自転車で買い物に来たのか、意味が無くなる。よって、幅が僅か40cmしかない電動車も通り抜けてショッピングモールの玄関口まで設定された通路までにも駐輪してしまう。
ひどい時など、すみませんが、そこはこの電動車通り抜け専用通路ですから、駐輪しないでくれと目の前で言っても、知らん顔で止めてしまうのですねぇ。まあ、たまにそのような不逞の輩に遭遇することはありましたが、今年に入ってから、そのような人の事など知ったことかという風情の人間が一気に増えているのです。
電動車でないと歩けないので、通り抜けが出来ないと結局、回れ右して手ぶらで帰らざるを得ない事がしょっちゅうなのですね。監視員が運よくそこに居てくれる場合なら、自転車を動かしてくれるのですが、常時監視している訳でもないし・・・
ちょっとした配慮に欠ける人間が増えて来たのではなかろうか、また話が飛躍しますが、どれがどの事件だったか区別がつかない程に、毎日殺人事件が起こっている、しかも近親者間で・・・一昔前なら、殺人と聞いただけで、ギョッとして、犯人探しに推理気分も起ったものですが、最近では、生き埋め?どの生き埋め事件?と気にも止まらなくなり、犯人探しも、またバカな奴が出たか、そんな程度にしか受け止めなくなってしまいましたね。
目の前で不法駐輪をとがめても、知らん顔、追及するとこちらが殺されかねない世の中です(笑)。また話が飛躍します、左様な風潮が好き放題の政治家を産む土壌になっているのかも知れません。
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続・当代世間騙し装置→民主主義編 ( No.211 ) |
- 日時: 2015/05/08 10:00
- 名前: 天橋立の愚痴人間 ID:7hxe6eZw
- 満天下さん
それが民主主義の真骨頂なのです。
個人の権利、自由を追求すると言うことは、すなわち、相手の権利、自由をないがしろにするのです。
電話帳の問題も、表札の問題も、相手のことは考えていないのです。
不特定の相手、すなわち公共の利益、と言うものなど、いとも容易く放棄してしまうのです。
仕方がないですね、限りない個性の主張とは、やがて混沌の世界へ入ることになります。
考えて見れば簡単なことです。
1億人が住む日本で、1億の個人の主張、権利を通すとなれば弱肉強食の世界でなくてはなりません。
満天下さんも、屈強なガードマンを雇われて強引に、権利を主張されねばならないことになります。
それが究極の民主主義なのです。
民主主義とは、いかにも、アングロサクソンらしい処世術ですね。
民主主義と言う目先の人参で(キリスト教)、大衆を操りながら、その影で自己主張できる権力を養い社会を牛耳っています。
更に、進んで物質的に豊かな社会の民主主義となれば、また、格差が進んだ民主主義社会では、今まで培ってきた人間のモラルも崩壊
し(個人の権利の前には、モラルなど不要のもの)、性犯罪、強盗殺人なども権利の延長になるでしょう。
そう言うことも解らずに、表札も出さない、電話帳にも登録しない一般人が増えてきているのです。
こうなれば、もう、政治や行政が何を言っても、人間社会をコントロール出来ないでしょうね。
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勝手な民主主義への変貌(1) ( No.212 ) |
- 日時: 2015/05/08 13:15
- 名前: 満天下有人 ID:js3VqvX.
- 人生これまで、色んな民主主義説を読んで来て、歴史的にはその時代時代の背景が違い、そこから生じた民主主義の概念が、これまたそれぞれに概念が違うようです。その意味で少し、民主なる概念に何故「主義」という、ある種の思想と言いますか、イデオロギー的な概念が加わったのか、その歴史を駆け足で見てみたいと思います。さすれば今の民主主義なるものが、政治体制としての概念なのか、あるいは生存に関わる人間全ての権利事象に関わるものなのか、そこが少し整理出来るのではないか、そういう発想です。
さすれば、ミネさんの持論である参政員制度、純粋な政治形態として、その形態を理想的に利用できる規模の問題とか、そして自転車駐輪における大衆の行動が、民主主義という広い意味での概念に反する行為なのか、「主義」という言葉を加える事に拠る概念の混乱が、少し整理出来るのではないかと・・・。
最も古い原初的な民主主義は、ギリシャのアテナイから始まったことは、世界史を少しでもかじった方であれば、誰もが知っている。だがこの時代においては「主義」という概念とかを表すほどのものでもなく、一種の政治体制、政治形態を表す程度のものであったようです。
では何故そこからデモ(民衆)が権力の主人公(クラシイ)になったのか、また成り得たのか、それは当時古代の都市国家ポリスのサイズが小さかった、その範囲も一目で見渡せる程度の地勢で、人口も1万人も越えていなかった、故に専業役人を必要ともせずに、皆が交代で公共事項について協議する事が可能で、故に誰かが変に権力を動かすことも出来なかったし、文字通り政治と民衆が一体化できるものであったから、そういう事のようです。(今日でも北欧での地方自治においては、普通の勤め人が交代で自治行政に携わっているようですが、その原型が、アテナイのそれであったようです)
も一つは、橋立さんが指摘されるように、デモ(民衆)の数と、政治なり行政分野でも、その幅が広くなってしまい、現在ではデモ側の好き勝手もそれに応じて広くなってしまい、ギリシャ時代におけるような小さなポリス単位では、好き勝手な数も自ずと限られていた、故に民衆主体の政治が成立し易かったのではなかろうか・・・
ギリシャの衰退と共に民主制による政治も退廃し、衆愚政治なる言葉で民主制が揶揄されるようになって来ます。衆愚政治とは、正に目下の民主主義状態と同じく、民衆のエゴイズムが強くなり、それが政治をも堕落させてしまった。
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勝手な民主主義への変貌(2) ( No.213 ) |
- 日時: 2015/05/08 16:06
- 名前: 満天下有人 ID:js3VqvX.
- 複数の人間が生活する共同体において、住民共通の事項をどうのように決めるか、規模から見てギリシャでのポリスは、サイズ的に理想の単位であったのでしょう。故に民主政が行われ得た。しかしその民主政下において同時に、衆愚政治なる概念、現象が同時に発生していたというのも、実に皮肉なことです。
生活上の権利を持つ主権者が、それぞれのエゴを通そうとする。それは自己利益の積極的な追及に限らず、他人任せの機会主義、問題の先送りとか、色んな形でアテナイにおいても晩年にあっては、民衆による無関心が蔓延していたようです。先に申すならば、目下の民主主義は、既に「主義」というイデオロギーを含んでいるものですが、それは、「自由」民主主義という、自由概念が軸になっていることは、今更言うまでも無いこと。だがアテナイ時代ではまだ、その自由概念が民主政を毀損してしまったというものでもなかったようで、単に蒙昧な民衆が政治に参加する程度につれて、質が落ちて来たもののようです。今日と似たような状況が古代からあったようですね。
ギリシャアテナイ時代から近代国家群が多数生じている現代にあっては、都市国家ポリスと違い、国家というものの規模、政治規模がはるかに大きくなっており、そこえ権利主体である民衆に自由なる概念が加わって来ると、民主主義の規模も、極端に言えば果てしない広がりを持つようになってしまった。
橋立さんが何時も嘆いておられる民主主義における自由の履き違え現象が、それに該当することになります。民主主義に何時からこの「自由「概念が加わって来たのか、このことも又、民主主義の歴史を語っていると思います。何から自由でなければならなくなったのか・・・1700年代末期のフランス革命、アメリカ独立運動などがすぐに頭に浮かびます。史書をひもどきますと、そのハシリは、それ以前の1645年のピューリタン革命で自由概念が求められている。
国教制度=政治権力による信仰の強制に対する内面の自由を主張し、そのことから自由一般に対する国民の権利が民主政の根幹であるとして、「自由」民主主義概念のハシリとなり、フランス革命やアメリカ独立宣言の精神的支柱になって行く。 フランスでは王朝から公共資産を取り返す革命、アメリカ独立宣言では、その主体は人民であると明確に謳われ、どちらも民主主義に乗取った形が示されている。でも民衆が主権者であるとの思想が制度として発展したにせよ、経済的に貧困から脱出できない「民主」が増え始めた。
ここにメスを入れたのがカール・マルクスでした。フランス革命にせよ、それはせいぜいブルジヨア革命によって「法的」な平等が与えられただけであって、普通選挙権が民衆に与えられたからと言って、民主主義の実現にはならない、人間を抑圧している本源的な条件、経済的な基礎の抜本的革命が無ければ、人間の解放は無いとして、共産主義的民主主義を唱えた。
以前どこかで橋立さんの修正資本主義論の対話において、それはマルクスの急進的革命から離れて、議会民主主義制を通じて経済的平等=資本主義の修正を試みるとして発足したのが、「社会民主主義」制度を唱えたドイツ社会民主労働党であることを紹介した記憶があります。
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勝手な民主主義への変貌(3) ( No.214 ) |
- 日時: 2015/05/08 21:37
- 名前: 満天下有人 ID:js3VqvX.
- 1800年代の終わりから1900年初頭にかけて、ドイツを中心にどうして社会主義思想が生まれて来たのだろうか。時代背景を見ると、その頃では普墺戦争や普仏戦争、そして第一次大戦の兆しも出て、資本主義が寡占資本主義に向かい始め、それが帝国主義と結び
ついて経済が疲弊してしまった。
1873年頃から始まった世界的不況が、其の後20年間も続き、労働者の疲弊が社会主義思想を産みだし、だが革命的手段を選ぶよりむしろ、民主主義を尊重する制度の中で、より民主的な手段によって民主主権を守ろうとする動きが、ドイツ社会民主主義思想を生み出した。
これに噛みついたのがマルクスでした。資本が政治と結託して独占的傾向を強めている時に、既存の機構を民主化するようなやり方では、絶対的貧窮を避けることが出来なくなる。立憲的民主化のような手法では、既存勢力が立ち入る隙が多くなる。
ドイツ社会民主労働党が、勢力を伸ばす為に、宰相ビスマルクとも通じて補助金を得ながら協同組合方式に傾注する全ドイツ労働者党と提携を模索するようでは、労働者の権利は必ず誤魔化されてしまうとして、マルクスが徹底して批判したのが有名なゴータ綱領批判でした。
(話を少しそらしますが、欧州では革命は成功しない、むしろ当時の帝政ロシアの方が条件が整っていると分析したレーニンが、マルクス・エンゲルス思想をロシア革命に応用するように仕向けたようです。そして階級意識とは、労働者階級が自然発生的に生めるものではない、特に絶対権力社会にあっては、労働者による無秩序な行動は団結のエネルギーを産まない。むしろ専門職的なリーダーの下に束ねるべきとし、民主主義革命は標榜しなかった)
現実にマルクスが見抜いたように鉄の宰相・ビスマルクは、飴とムチの両刀を使って、労働組合を非合法化し、ドイツ社会主義思想を徹底して弾圧する一方で、社会政策として労働者の保護政策も出していた。その部分がドイツ民主労働党の議会を通じての社会主義実現の思想と一部相いれることになった。所謂修正主義と言われるものです。
この項では何を言いたかったかと申すなら、最初に申しましたように民主主義にも色んな形があるということで、ドイツ社会民主主義の存在のほんの一部に触れてみました。所で、レーニンによるロシア革命では、民主主義はどのようになっていたのか、あの革命には民主主義概念は無かったのだろうか、共産民主主義は生じなかったのか・・・労働者の階級意識に目覚めた民主主義なるものをレーニンは期待していなかった、それは当時のロシアでは、近代的工業労働者は少数で、むしろ農業国家であったから、革命としては職業的指導者によった方が、成功する、そのように考えたレーニンだから、共産主義に民主主義などあり得ない、というより、当時のロシアにおける労働者の意識レベルは、かなり低度であったらしい。
だから段階を踏んで共産制度の中で民主主義なる概念も育てようとしていたのか、レーニンが他界してしまっては、検証もできなくなってしまった。言えることは、その後に出たスターリンが、民衆意識の低さを利用して、民衆の底辺からの意識としての政治化・民主主義が萌芽する前に官僚主義共産体制を創り上げてしまった。形式的には選挙による二院制を決めたスターリン憲法も後で出たようだが、それは粛清と同時並行的に創られたものだから、本来的な民主主義概念でもない。
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Re: 勝手な民主主義への変貌 ( No.215 ) |
- 日時: 2015/05/08 22:14
- 名前: 天橋立の愚痴人間 ID:ztJcnU6o
- 何時もながら格調高い文章に関心します。
途中でしょうが、今までのところは、民主主義と言うものを、政治的に、社会体制的に捉えていて、確かに国家単位で民主主義の有り様を模索した経緯がわかります。
形は不完全でも、成果としては歪であっても、封建国家体制から、民主主義国家を目指そうとした良き時代でもあったようですね。
その後、多くの国で軍事独裁がはびこり、少し方向を違えた様子でもありますが、現代民主主義が、頭をもたげてきたのでしょうね。
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勝手な民主主義への変貌(了) ( No.216 ) |
- 日時: 2015/05/09 08:05
- 名前: 満天下有人 ID:AyJRluO.
- 安倍シンゾーによる安保法制の準備が着々と進んでいる。我が国も近代国家であると普通にそう思っているから、この国の民主主義にもその根底に、近代思想である立憲主義が当然に横たわっていると、疑うこともなく今日まで来た訳だが、シンゾーが米議会で行った演説では、立憲主義思想に基づく民主主義などそのカケラも伺えず、安保法制は日米同盟強化の為に必ず実現すると、一体、人類がギリシャアテナイ時代から2千年もかけて、民主主義の何たるかの歴史を積み重ねることで今日まで営んで来た社会が、僅か1時間程度の演説で消されてしまう光景には、ほんとに驚いた。
これは正に勝手な民主主義の典型例として、心から驚くべき事なのだが、世論や識者の反応を見ていると、余り天地驚愕の事として受け止められていないような雰囲気も感じる。その民衆の反応も広い意味で、民主主義が勝手に変貌してしまっている光景だろう。変貌と言うより、民主主義の放棄、と言った方が正確かも知れない。
先に申したように、ギリシャ民主政体であったポリスにおいても、共同政治の案件が増え、利害関係が錯綜するにつれて、民衆の怠慢が増え始めて、政治が所謂衆愚政治に堕落して行った。それでも人口の増加や、経済のパイの拡大によって政治社会の場が広がって来ると、民衆が堕落することで運行しなくなった政治が、その隙を見て逆に自由を制限する権力がはこびり、結局、民衆が自らのノドを締める形で苦しくなり、個々人が持つ人格権を要求し始め、それが社会民主主義を産んだり、自由民主主義を産んだりしてきた。
人間社会の根本構成、原理を振り返って見るに、同じ人間が別の人間に社会の運営を委託する時、同じ人間の間で治者と治められる人間が生じる訳で、しかし出発点ではどちらも同じ人間であることに違いは無い筈である。しかし社会運営が複雑化し、自由な要求の数が増えて来ると、委託することが増えて来て、その事が委託される者の裁量権を増やしてしまい、元は同じ人間でありながら、統治者と被統治者の乖離が進む。
つまり、双方において勝手な民主主義の出現という現象が起る。言葉で言ってしまえば簡単だが、実はこの現象が一番怖いし、もっと怖いのが双方がこの事に気がつかないという有り様ではなかろうか・・・
そもそも輸入民主主義でやって来た我が国の場合は、ある意味でこの現象について特に奇異にも感じない風潮があっても、おかしな事でもないのかも知れない。わが国では行き着く所まで行かないと事の重大性に気がつかないと指摘される投稿者も少なくない。行き着く所まで行くという事態は、民主主義の正に危機でもあるのだが、わが国の場合は逆に、大衆が不安でいたたまれない事態になって初めて、民が主である重要性が理解出来るのだろう、その点において、わが国では極限状況こそが民主主義の真の領域を提供する場になることだろう。
政治を委託した者が立憲主義を無視し、勝手に自分が憲法であるかの如き天地驚愕の政治を行う、一方でそのことが天地驚愕の事態であることとして強く反応しない民衆になってしまった。それはヒトラー的な物、あるいはスターリン的な一見、大衆主義を装いながら独裁を行うような物の出現を、徐々に準備し始めた現象でもある。
既に西欧社会では経験済の現象を、わが国はこれから経験するのだろうか、与えられたものはあったが、自らの手で初めての経験をする為に。
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Re: 勝手な民主主義への変貌(了) ( No.217 ) |
- 日時: 2015/05/09 09:36
- 名前: 天橋立の愚痴人間 ID:AdjYH8/k
- 民主主義についての一連の投稿は、
>わが国では行き着く所まで行かないと事の重大性に気がつかないと指摘される投稿者も少なくない。
上も言葉を体系的に表現されたものであると思います。
その内容を、私は以下のように理解しました。
民主主義社会と言うものを作ろうとする試みは、過去に、いろんな形であったが、いずれも十分な社会を作るには至らなかった。 そのうちに民衆の方が民主主義の概念に慣れてしまい、民主主義は社会的な概念から個人的な概念に変わってしまった。
それと同時と言うか、当然の成り行きと言うか、社会的な民主主義の概念は形骸化してしまい、代わりに時の権力を貪る資本と言う妖怪が封建領主にとってかわり、民主主義の仮面をつけて社会を支配し始めた。
民衆は、再び、民主主義に何を求めたのかを見直す事ができなければ、いつまでも資本の妖怪に虐げられることになるであろう。
こんな理解で、宜しいでしょうか。
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Re: 資本主義と民主主義 ( No.218 ) |
- 日時: 2015/05/09 11:52
- 名前: 満天下有人 ID:AyJRluO.
私の持論は、資本主義にも自由の概念がくっついていますが、そもそも資本主義であれ共産主義であれ、それは一種の経済に関する生産関係であり、故に、民主主主義なるむしろ政治的関係を構成する概念は、どの形の政治関係であれ、言い換えますと生産関係が資本主義的なものであれ、共産主義的なものであれ、それを形成する根底には民主主義、民が「主」である概念をはずしては成り立たない。
途中で共産主義には民主主義は存在しなかったのかとの疑問を挟んだ理由は、レーニン亡き後、スターリンが意図的に民主主義を排除したからであって、だがそのことは共産主義や社会主義には民主主義は併存し得ない、ということにはならない。
も一つは、最初に共産主義国家をロシアで成立させた狙いは、当時のロシアでは資本主義は発達しておらず、ナロードニキの標語を立てたことからも伺えるように、むしろ農奴の開放が主眼でありました。言い換えますと西欧で生じて来た民主主義は、資本主義であったからこそ発達して来た物であり、ある意味で資本主義なるものは、民主主義を産む籠ではなかったか・・・・
その意味において、橋立さんが解釈された<代わりに時の権力を貪る資本と言う妖怪が封建領主にとってかわり、民主主義の仮面をつけて社会を支配し始めた。民衆は、再び、民主主義に何を求めたのかを見直す事ができなければ、いつまでも資本の妖怪に虐げられることになるであろう。>、それと矛盾するものはありません。むしろピタリとはまって来ます。
現状が正にその通りですね、民主主義、つまり個々人の人格権を損なう事については議員を選び、その議会を通じて民主主義を守るその基本的な手順が、完全に失われてしまい、権力側による勝手な民主主義解釈によって、国全体が危険な方向へ向かっている。この現象も言い換えますと、資本の為にだけ民主主義が勝手に利用されてしまっている。
法人だけが減税の恩恵を受ける、軍事産業然り、挙句に主である民の格差はどんどん広がるばかりで、橋立さんがしばしば示される統計にそれが如実に表れている。果ては歴史問題にせよ、この国の民主ではなく、日本研究の重鎮が世界から187人もが集まった外国人によって指摘される有り様です。
TPP然りです。さすがに米次期大統領の候補者であるヒラリー・クリントン女史が、正式に反対を唱え始めたようです。こちらが主役にならねばならないのに、逆に米多国籍企業に利するだけのものに、この国の民主の反応の何と鈍いこと、食われてしまうのに・・・
私の投稿に対する橋立さんの解釋で、問題はありません。
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