狡猾さ発揮に頭が一杯のシンゾー政権 ( No.109 ) |
- 日時: 2015/03/24 09:20
- 名前: 満天下有人 ID:SpeoNxU6
- アメリカに促されてのことだろうが、日中韓三国首脳会談開催に向けて、自主性の無い調整が続いている。
シンゾーは苦しくなったか、十八番の詭弁を弄し、国内には歴史認識上、中韓と相いれない向きもあるが、大局の判断を要することになってきた、と、得意の責任転嫁詭弁をまた始めた。
よく言うぜ、そもそもお前が先頭に立って、歴史認識問題を引き起こしたのではなかったのか、それがアメリカにちょいと突かれると、国内における反中韓感情を考慮して来たが、そうも行かないと、責任を世論に転化するみっとも無さだ。
続いて中国が立ち上げるアジアインフラ投資銀行・AIIB銀行の構想に、最初は無視していたのに、先ず英国が参加を表明、続いてアメリカまでもが参加しそうになってきたら麻生が、「誰が融資を決定するか、こういうことも明確になって来れば、中に入って協議する可能性は出て来る」と、回りくどい表現で、これもアメリカが参加するから入っておかにとまずい、との本音が見え透いているのに、他からの条件によっては参加しても良いと、意思を自力でなく他力要因に転化している。
そもそも、中国構想のアジア銀行は既に1966年に、アメリカのバックアプを受けて、55カ国が参加しているアジア開発銀行が既に存在しているのである。出資比率は日米共に約15%づつで、発言権を握り、総裁は歴代日本大蔵省→財務省が独占する密約の下に運営されて来た。前総裁は、日銀総裁になる前の黒田が、アジア開銀の総裁であった。
そして経営意思決定機関は15カ国からの総務で構成され、現在は麻生がアメリカの鼻息を伺いながら事実上の意思決定をしている。要するに中国による似たような投資銀行の設立は、このアジア開銀に中国も6%の出資国として名を連ねているが、事実上、意見が通らないことへの反発と、歴史問題で認識が全く違う日本主導のアジア金融機関への反発から生じていることは明らかである。
アジア開銀が存在していたのに、米ヘッジフアンドによる画策で発生した97年のアジア通貨危機に際し、当時、総理大臣を退任し再び大蔵大臣に就任していた宮沢喜一が、通貨交換価値を操作してアジア経済を滅茶苦茶にする米ヘッジフアンドの市場操作を封じるために、アジア通貨基金を創設し、アジア共通通貨を発行するしか、ヘッジフアンドを封じる道は無いとして提案したが、アメリカの一喝であっさり引き下がってしまった歴史もある。
中国の反発はアジア開銀に対してだけではない。IMFにも出資を増やして来たが、やはり日米による意思決定に不満を募らせて、中国主導の金融体制を画策していたし、ノウハウをかなり学習して自信がついたのであろう。情けないのは日本の姿勢である。まさかアメリカが参加するとは思ってもいなかったのに、風向きが変わると、辻褄合わせの狡猾さ全開となる(笑)。それも程度ものであるが、もう、恥も外聞もなく自主性の無さを前面公開に入った(笑)。いかにズルく立ち回るかだけで、頭が一杯になってしまう幼児性で政治をやっているだけだから、自主性もヘッタクレも無い。
そして国民に対しては、自衛隊をわが軍と、こともあろうに国会で自分の持ち物のように捉える発言をしている。先週、国会近くで、シンゾー辞めろデモに1万5千人が集まったようである。反アベの規模が少しづつ大きくなっているようだが、息切れしないように願いたい。いくら何でも、ここまでバカにされて尚、大人しいようでは、どうにもならぬ。
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器量! ( No.110 ) |
- 日時: 2015/03/24 13:45
- 名前: 天橋立の愚痴人間 ID:tkkTP9Fk
- 最近、衛星放送囲碁や将棋を見ています。
どちらも、盤面を読みに読んで次の手を考えています。勝負は一瞬の不注意をついて決着します。 囲碁のばあい、中押し勝ちと言うものがあり、途中で大差がついて勝負を投げ出す事がありますが、その中押し勝ち、あるいは負けでも両者の真の実力は伯仲していることがあります。
戦略的に、イチかバチかの大勝負の結果なのです。 将棋においても、持ち駒を頼りに、積極果敢にせめて、決着は1手(持ち駒)があるか、ないかで決まります。
国家の勝負の場合は、個人の勝負と違って、ある程度の確信がなければ出来ないこともあるでしょうが、我が国は勝負するどころか、自他の持ち駒の確認すらできておらず、また、広い碁盤の目を前に戦略など思いもつかないさまであり、勝負師に交わって戦うことなど及びもつかないのに、見えを張って金がある事を見せびらかしている存在の様です。
また、最近は田舎の方へも量販店、コンビニの進出が続いています。 えっ、こんな場所に、と思うところに作った店が意外と流行っていることもあります。
資本力のある企業は、思い切って手を打ってきます。 彼らは新規進出する店が10店あるとして、そのうちの3店くらいは失敗しても、他の7店が好調ならば全体としては成功なのです。
ですので上手く行かない店は、さっさと引き上げてしまいます。 ですが、1店を出すことが死活問題の小さな企業は、そうは行きません。
考え、考えしている間に、大きな企業の後塵を拝するか、五分五分の確率で出した店が上手くいかず廃業に追い込まれます。 こうしてグローバル化はますます進んで行くことになります。
我が国の政治屋、官僚共の器量では、国内問題は誤魔化せても国際間の勝負など、どの面を見ても無理なのでしょうね。 動けば動くほどカモにされてしまいます。
いっそのこと、外国の商人と渡り合うことに慣れている商社の連合(各社10人づつ派遣をしてもらい)で外務省、財務省を運営すればいかがなものでしょう。
実社会で揉まれたことのない連中(官僚、政治屋)など、どこの世界でも使い物にはならないのです。
教師を含む公務員など、単なる事務屋であれば良いのです。 そんな奴らに政治を任せたり、国家の運営を任せたり、子供の教育を任せるなど、とんでもないことです。
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Re: 法律は政官によって牛じられている日本国家 ( No.111 ) |
- 日時: 2015/03/25 07:09
- 名前: 満天下有人 ID:UbwfbPeY
- 民間大資本といえども、法律を操作できる政官の下では、国策の名分を振りかざされると手も足も出ないのが現実で、国際活動も逆に霞が関の庇護下にありますから、運営などは不可能でしょう。と言うより、もたれ合っていますから。国際取引で失敗しても、大資本になるほど、救済されます。天下りを受け入れる交換条件で。
現にシンゾー様ご外遊の次官クラスにゾロゾロ連いて行く連中の顔ぶれを見てください(笑)。そしてODAなどの実施に際し、外務、財務省などに実務便宜を図ってやれば、他のギリギリ違法取引でも目をつぶってくれます(笑)。軍事武器など、有利な取引をしようにも、逆に高値納入を要求されることもあります(笑)、これにも逆らえない。資源エネルギーなどの面においても、実際はそういう事の方が多いと思う。例えば東シベリア資源開発に絡んで、北方領土問題が関係してくれば不利な開発取引でも飲まざるを得ないケースもあり、その穴埋めは別の商売で、という交換条件によって引き受けるとか。サハリン天然ガスプロジェクトの完成間際に、対中国販売権をロシアに持って行かれてしまうとか。
霞が関は国家権力による徴税権を持ち、これが最大の武器でしょう。よく紙上で○○企業の何年度税務調査で申告漏れがあったとかの記事を目にされるでしょう、あれも半分くらいは何かお上の言う事を聞かなかったケースによるものと思います。調査となったら、それはすごいものです。大会議室を半年くらい占領して徹底調査されると、叩けばホコリの一つや二つくらい、必ず出て来るもので、それを口実にイジメられます。
教育関係においてさえそれが見れる、何やら学業にスポーツに今や一流高校になった大阪桐蔭高校が、父兄から余分な会費?を徴収し、裏金として約1億円を飲み食いや高級ブランド品購入に乱用していたことがバレて、問題になっているようですが、私立校として年5億円の助成金を文科省から受けているからには、学校令違反となり、厳しい処分になるのが普通なのでしょうが、仮にその裏金の使い先がどこかによって、法解釈もいかようにも変更されてしまうことでしょう。
片や、政治資金規正法違反を犯している下村文科相の博友会など、国会で問題になっているのに、自著出版記念と称してこの博友会は、お一人様1万2千円で堂々と資金集めのパーテイーをやっておりますね、これが文科省大臣です。こんな所が助成金出している私立高校など、問題にもしないことでしょう。
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法律は政官によって牛耳られている日本国家(2) ( No.112 ) |
- 日時: 2015/03/25 21:52
- 名前: 満天下有人 ID:UbwfbPeY
- やはりこの国は、国民意識よりも法律の条文の方が上位に置かれている。その典型例が、沖縄辺野古埋め建て差し止め命令を出した翁長県知事に対し、菅官房長官が早速に出した政府見解に表れている。
菅官房長官が知事の指示について「違法性が重大かつ明白で、無効なものだ」と言い放った、正にその意識がそうだ。国民であり有権者である沖縄県民が、長年に亘って闘争して来た沖縄米軍基地に対する意識に対し、それよりも政府、国会が決めた法律の方が上位に位置しているとの見解なのだ。
子供じゃあるまいし、政治は、そこに存在し生きて生活している国民の意識、安寧を目指すことにあることは、恥ずかしくて一々言うことでもないのに、それよりも政治決定の方を重要視するのが政治との感覚なのだ。
辺野古基地工事は、住民であり国民である沖縄県民の反対が、民主主義の原点であり、仲井真前知事も辺野古への基地移転反対を公約にしたから県民も知事に選んだ。それが一転して移転容認するとの裏切り行為で、安倍政権に寝返っただけのことで、そのことが何故、違法に当たるのか、とにもかくにも同じ日本人として理解できないことばかり出て来て、挙句に、今頃になって辺野古移転反対とは違法だと言い出す内閣、沖縄県民の辺野古基地移転反対は、ずっと反対で、特に法が成立した後に反対しているのではない。それなら違法と言われてもしょうがないが、そうじゃないだろう。誤魔化しによってドサクサに紛れて押っ取り刀でこさえた法を楯に、それを基準に違法だとは、もう中世以前の社会で生活しているような錯覚に襲われる。
前稿でも、これまでのこの国の政治でも少しは感じたことはあったが、しかしここまでひどい、何とも言えない賎しさというか、狡猾さと言うか、こんな連中によって好きに舵取りが行われる政治は、少なくとも戦後経験したこともない。
これに比べたら規模は小さいだろうが、大阪桐蔭中学・高校での、裏金不祥事。それに繋がる文科省の手の緩さ、これも賎しさと狡猾さが為せる業だろう、小さいがそれが寄せ集まると、知らず知らずのうちに、社会から規範が失せて行く。沖縄には法の足かせをはめて、永田町には違う法の解釋が適用される。
大阪桐蔭高校の不祥事は、教材費や模擬試験の受験料が裏金として保管され、一部が不正流用され、学校側の説明では、進学、スポーツ両面で実績を挙げている同校の更なる発展の為に、優秀な生徒獲得のために塾関係者への接待などに使ったと説明しているようだ。
しかし年1億円も使って教育向上の名目って一体、何なのだ。そしてこんな学校から一流と言われる大学に進学して、そして社会人となって世界に笑われる国家の一翼を占めて行く。英BBC放送による世界諸国による他国への評価では、先進国中、日本への評価が最低らしい。ドイツ人による日本人の評価が一番低いらしい。同じ敗戦国ながらドイツは、戦後賠償によってすさまじいハイパーインフレにも見舞われ、ユダヤ人虐殺問題で世界からのすごい批判にも耐え忍んで、財政面では今年やっと赤字予算から脱却できる所まで回復した。
片やアメリカ一辺倒で苦労せずに敗戦から生き延びてきた日本とは、訳が違う、筋金が違うのに、未だに米国の言うままになっているとの意識が、彼らにもあるからだろう。
辺野古に関する沖縄県民の行為について違法行為であるとする官房長官の発言など聞くと、さぞ腰を抜かすことだろう。中谷防衛大臣が、米海軍長官に対し、辺野古に米軍基地を創る日本政府の姿勢は、揺るぎないものであるとする姿勢に、日本の自立的優秀さを感じる国があるだろうか?。
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Re 法律は政官によって牛耳られている日本国家(2) ( No.113 ) |
- 日時: 2015/03/26 11:31
- 名前: 天橋立の愚痴人間 ID:AOWiD.nk
- そうだ、そうだ、大賛成!
>やはりこの国は、国民意識よりも法律の条文の方が上位に置かれている。その典型例が、沖縄辺野古埋め建て差し止め命令を出した翁長県知事に対し、菅官房長官が早速に出した政府見解に表れている。
>菅官房長官が知事の指示について「違法性が重大かつ明白で、無効なものだ」と言い放った。
何を言ってやがる。 違法な法律など山ほどある。 その法律を作っておいて、法律を絶対正義などと、何処をみて判断しくさる。
この様な例など中央、地方を問わずアチコチで起きている。
思いつくままにあげてみても
身体障害者自立支援法。 国民健康保険被保険者資格証明書。 瑕疵担保保険法。 税金の源泉徴収法 天下り規制法。 天下り先を確保する為につくる公益法人の設立に関する法律。 大阪万博のための公益法人を今でも温存する法律など、そのときは適正であっても、現在は実態を反映してない法律など、数え上げたら無数に存在する。
行政の窓口で、道理を説明しても、担当者から、このような法律があるからと拒否される事物は、ほとんどが違法な法律のせいである。
そもそも、法律とは憲法に照らし合わせてこそ法律なのである。 要するに憲法の精神に違背する法律を、これほど作っておきながら、法治国家と、なぜ言える。
法治国家の素振りをするならば、常に法律を憲法に照らし合わせて検証することだ。 そうして、法律などは事象の変化に合わせて改変するものである。
法の番人、公務員が己の権力を保持したい為に、法律の検証をないがしろにした時点で、公務員の使命は果たされていない。
菅官房長官よ、 法令を振りかざすのではなく、その法令について、関係者(国民)と膝突き合わせて話し合うべきではないのか。 その法令が今でも適正か、否かの検証をするのが、お前の役目ではないか。
皆さんも、くれぐれも、行政の窓口で「法律ではこうです」と言われても引き下がる必要はありません。 私などは、したり顔で、そう言う役人を相手にすると、すかさず、その法律を変えろと凄んでやります。
この場合、ほとんど出てくる言葉が「その様な事を私に言われても困ります」です。 そんなことで妥協しては行けません。
だから、こうして言っているのだ、あんたは役人であろう。 組織の事を言われて知らないで済むか。 あんたは私の抗議を上に取り次ぐ必要があるのだ。
取り次ぐと言っても、国法であれば霞ヶ関、地方条例であれば都道府県県庁へ届けよ。 大体、私の申し出を法律を盾に拒否したあんたに直接的な責任があり、私との関係調整のための処理を願わねばならない。 あんたが、それを拒むのならば、法律の問題ではなく、市民と行政の関係として市長を含む上の方に申し込むことになる。 如何か!と言えば、大抵は上の方に取次ぎますと言う姿勢に変わります。
実際は、この程度で引き下がってやります。 したり顔の担当者をやり込めることはできても、それが伝達されるとは思っていませんが。
源泉徴収のことで1回、税務署でやってやりましたが、毎年、確定申告で世話になる相手、あまり怒らせると何を仕返しされるか解りません。 私も臆病な小物であると自覚せざるを得ませんね。
泥棒や詐欺の証拠をつきつけられて、それは言えまいが!
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Re:憲法をないがしろにして、何の法治国家だと言うのだ! ( No.114 ) |
- 日時: 2015/03/26 13:23
- 名前: 満天下有人 ID:jFfAi0tY
- 前にも言いましたが、形だけを飾る憲法など、却って無い法が楽でしょう、この国においては。
最高裁を含め、憲法に矛盾する判断を下すために、四苦八苦する苦労からも解放される(笑)。
<あまり怒らせると何を仕返しされるか解りません。私も臆病な小物であると自覚せざるを得ませんね>
目には見えない報復、これには注意せねばなりませんが、だからと言って、引き下がることを小物と思う必要はないでしょう。何しろ相手は、1億2千万人もの国民を裁量している権力ですし、権力とは誰が責任者なのか、誰にも分からない、だから「権力者」である得るのでしょう。
私も役所の窓口では、しょっちゅう遠まわしに皮肉ってやります。今日は本年度、年金から天引きする高齢者健保金の半期分の通知が来まして、窓口に行って、年額はいくらに決まったのかと聞くと、それは6月にならないと分からないと言う。最終決定も出ていないのに先に請求書を出すとは、如何なる精神によるのかと(笑)、問い詰め、そしてその支払財源である私の本年度年金は、いくら減額するのかと問うとそれは係りが違うから分からないと・・・キミ、世の中、公的給付金で生きている者に対し、その給付額も分からずに徴収だけを先に知らせることについて、一体、どう思うかと、突っ込んでやったら、しぶしぶ、そう思いますと・・・
キミも、役人組織の一員だから、キミ一人でどうなるものでも無い事は解っている。だが、キミもそう思うなら、時間がかかっても一人一人が上に向かって、折に触れて思いを拡散していかない限り、何もよくならない。キミの所へ聞きに来る国民市民など、見ての通り、何も分かっていない事は、キミにも分かるだろう、だが、それに安住するではない!と説教かまして来ました(笑)。この若い者は、分かっていたようです、最後にこちらの言う事に同意しておりましたから・・・
報復も計算に入れた上で、言うべきことは言っておかないと、“物言わぬは、ハラ膨るる思い”になって、精神的消化不良を起こしてしまいますから。
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民主主義とは身勝手主義とみたり! ( No.115 ) |
- 日時: 2015/03/26 14:41
- 名前: 天橋立の愚痴人間 ID:AOWiD.nk
- 満天下さんも反骨の人の様です。
政治はさておき、行政に対して、もの申す人間が、せめて現在の100倍、1000倍もいれば行政から政治を変えることもできるでしょうに。
民間の個人の関係では、あれほど自己主張する人間がいながら、公共の価値に関して筋を通す人間はいません。
イヤハヤ
なんと言う身勝手で、大人しい国民になってのでしょうね。
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民主主義のコストとは、何を基準にしているのか? ( No.116 ) |
- 日時: 2015/03/28 18:24
- 名前: 満天下有人 ID:QVVygyqc
- 民主主義とはそもそも、多数の人間が生きるこの社会にあって、何を間違へて社会を構成する多数の人間を不幸にしているのか、同じ生存権を持つ生き物なのに、何故絶対多数を占める人間が、理不尽なことで苦労せねばならないのか、その間違いは何によって生じているのか、先哲たちがあれこれ思索した結果、絶対多数を占める人間社会なのに、その人間をないがしろにしていることが、おかしなことであるとの思想を生み出した。
つまり、民が主である筈だ、民が主でない社会はあり得ない、そこから民主主義という思想が生まれたのだろう。その意味から考えると、民主とは、個人的な民主ではなく、社会を構成する一人一人の民が集まっての民主、社会性のある民という意味での民主主義であらねば話がおかしくなってしまう。
個人でなく、複数の人間の為にということになると、複数の民を束ねるには、代表者が必要になって来る。民が主である社会運営を委任する者を選ばねばならなくなる。そこで選ばれた者は、政治家として、民の代理人となって複数の民のために働くことになる。
代理人である以上、その費用は民に負担してもらわねば、誰もタダ働きなどする筈がない。昔と違ってタダで政治をやるようなお目出度い政治家は、現代では居ない。政治家の根本には、そのような考えが横たわっているのだろう。だから、それにかかる費用を、歳費で賄ってもらうことは当然であり、足りなければ献金で補ってもらっても別におかしなことでもないとの主張も出て来るのだろう。
その一つの証かと思われるような記事が目に止まった。東京都議会で、議会出席を含む都政上の活動でかかる交通費について、一回1万円を支給するとの条例を改善しようとの動きに対し、自民、公明、民主が反対し、先送りにされてしまった。数百円の交通費で済んでも、最低1万円は支給されるのだから、そりゃ政治家も動きますわ(笑)。
あれっと思ったことは、他にある。その交通費支給の名目が「弁償費用」と呼ばれていることに奇異な感じを持った。弁償とは通常生活者なら、何か相手に損害を与えたら、弁償せねばならないと、咄嗟にそういう意味で弁償なる言葉が出て来る。民事和解だから弁償で事を荒立てない生活の知恵であろう。それで済まないケースになると立件になって「賠償」請求となる。
これが普通の人間感覚なのだが、政治の場になると話が逆になって来るのだねエ〜(笑)。政治家であるが故に、政治活動としてあそこも見て欲しい、こっちも見てくれよという要求を出すと、その交通費は政治家という人に「弁償」せねばなないのだ(爆笑)。
その根拠は地方自治法に定める「議員は職務を行うため要する費用の弁償を受けることができる」との条項によるのだそうな・・・・前稿でも言ったが、一旦、文章で書かれた法になると、それが最高の規範になる。民主主義の基本思想は、間接代理人として政治家に社会運営を委ねることなのだが、その民主主義によって政治を行う者にとっては、それよりも政官主義が上位に位置するのだ(笑)。だからその費用=民主主義のコストとして、民から費用を徴収するのは当然との解釈が正当性を持ってくる。
こうなると、民主主義とは実に面白い二面性を持った社会思想という姿も見えて来る。やはり、元々からして、この世は民主主義なんぞで成り立っているのではない、そう解釈すればよく解る。民主主義とは、少なくともこの国にあっては、成立させ得ない一種のユートピアであるかも知れない。
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見え透いた本音隠し詭弁で訪米したいシンゾー ( No.117 ) |
- 日時: 2015/03/28 20:11
- 名前: 満天下有人 ID:QVVygyqc
- 自衛隊を「わが軍」と表現して物議を醸し、続いて、連休の訪米を控えてワシントン・ポスト紙に答え、これまでの従軍慰安婦問題について、今度は「人身売買(ヒューマン・トラフィッキング)の犠牲となり、筆舌に尽くしがたい痛みと苦しみを経験されたことを思うと、心が痛む」と述べたとか。
おやおやこの坊や、これまでは従軍慰安婦など存在していなかった、というのが坊やの歴史認識ではなかったのか?(笑)、それがまた、どうして、春になってオツムが洗浄されたのか、周りから説教されてのことかどうかは知らないが、この落差は何なのだろうか?(笑)。お前むかし、WP紙に仲間と一緒に従軍慰安婦など存在しなかったとの、大きな広告を出したのではなかったか?
ドイツ格安航空の墜落事故で、副操縦士が精神を病んでいたことを揉み消されて、社の方が知らなかったと報道されているが、これに当てはめた時、大きな一国が墜落してしまうような、頭・精神がかなりいかれているようなパイロットを、機長として日本機の操縦を任せていて大丈夫なのかと思ってしまう。
危惧を抱いている乗客も多かろう。だが、墜落しないと誰も何も言わないのである。墜ちてしまってからでは遅いのだが、最も危惧されるシンゾー機長の精神状態は、国民の意識に鈍感で、むしろ批判派を、ヒステリーとしか思っていないことである。米国誘導のレーダーで操縦しておれば、大丈夫と思っている。だから、油圧管がおかしいと多国管制塔の多くが思っても(=歴史認識)、いや機長、それは違う、電気系統がおかしいのかもと、コクピットで言われると今度は、諸国管制塔に対し、おかしな原因の認識を間違えておりました、言われる通り油圧管(=歴史認識)に対する認識を間違えておりました、と、何だかそれに似た右往左往振りではないか(笑)。それも、卑しくて狡猾な男の見苦しさと思えば、納得も行く。
別スレッドで臨死体験のことがテーマに上がっている。不幸にも恐怖の墜落経験をされて亡くなられた乗客の皆さん、不遜ながら臨死をどのように体験されたのだろうか、8時間にも亘る恐怖に晒されては、本能的に花園が見えることもなかったであろうと、想像する。
バカ機長によってフラフラと旋廻する日本機に乗っていて、はてさて国民生活者としての臨死感は、どのようなものであろうか・・・あるも無いもヘッタクレも無い、土台、臨死感が無いのだから、感じないのだから・・・。 それもそうだろう、無意識のうちに持っている輪廻転生の死生観からすれば、死など一時の現象であると思えば、特に感じることなど何も無いだろう、善人なおもて往生をとぐ、いはんや悪人においておや、であるか(笑)。
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いやあ、笑い事では本当はありませんが、日本国民は自分で戦争を止めてはいないので、川の流れのように生きています。 ( No.118 ) |
- 日時: 2015/03/28 23:52
- 名前: 青トマト ID:6Q2Vn0wo
- 安倍が危険との意識もないのでしょうよ。
原爆落とされて降伏したことも共通認識としてはないのですから、
何でもお上が世話を焼いてくれた国民は、
やはり、一人立ち出来ないのですよ。
オンバヒガサなのですよ。
可愛い日本国民には…やはり一人旅が必要とされてるのでしょうね。
誰も助けてくれません…これが一番の薬なのでしょう。
日本人は外国人から年が若く見られると言われますが、これは容貌ではなくて、
精神年齢のせいであろうと思いますよ私は。
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