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[2251] 私たちが死んだら、「心」はどこに向かう!?
日時: 2015/03/28 12:32
名前: ryu ID:GPT5ehLM

 私、今週の頭、月曜にコレをみて気になったので紹介します!!


臨死体験
立花隆 思索ドキュメント
死ぬとき心はどうなるのか


『私』という存在は死んだらどうなるのか、死ぬとき『私』は何を見るのだろうか――。 20年余り前、臨死体験について徹底的に取材し考察を深めてきたジャーナリスト/評論家立花隆さん。74歳を迎え、がんや心臓の病を抱えて死を間近に感じる今、再び臨死体験の最新研究の現場を見つめ、“死”について思索しようとしている。死の間際に一定の人が見る臨死体験。臨死体験が世界で注目され始めた1980年代以来、その解釈としては、脳内現象として科学で説明できるとする「脳内現象説」と、肉体が死んでも“魂(もしくは自我を感じる「意識」)”が存在し続けるという「魂存在説」―――これら二つの説が互いに相容れない、激しい議論が続いてきた。そうした中、立花さんは新たな臨死体験の掘り起こしをすると同時に、そもそも「意識(魂)」と呼ばれているものの正体とは何なのか、最新の脳科学・心理学・哲学にいたるまで、徹底した取材に基づいて正面から挑もうとしている。科学的に見て、死後の世界があると言える余地はどれくらいあるのか。死後の世界がないとしたら、『私(自分)』という意識(魂)はどう生まれどう消えていくのか。私たちが当たり前と思っている『私』という存在はいったい何なのか。有史以来、人類が答えを追い求め続けてきた生と死にまつわる壮大な謎―――その謎に挑む立花さんの思索の旅を通じて、大震災や紛争などで多くの命が失われる今、命や『私』の存在する意味を考える。
メンテ

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Re: 私たちが死んだら、「心」はどこに向かう!? ( No.2 )
日時: 2015/03/29 10:07
名前: ryu ID:g4NqzylM


では、天の橋立さん、この世界には、「天国」とよばれるものが存在するとお考えでしょうか!?
メンテ
Re: 私たちが死んだら、「心」はどこに向かう!? ( No.3 )
日時: 2015/03/29 15:47
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:JcRVlajU

ますますロマンチックな話しになりますね。

天国と言う場合、反対の地獄のことにも触れなくてはいけないでしょう。
人間が、このような概念を抱くのは、人間自身が生存への不安の心が、それを求めているからと思います。

それゆえに、天国、地獄を言う場合、意識をしてなくても、それは宗教的な発想の領域になることが大半です。
宗教の世界は、キリスト教でもイスラム教でも、仏教でも天国と地獄の問題は重要なことです。
そのために宗教があると言っても良いでしょう。

「天国」が実在するか、否かの問いかけに応えるのではなく、各宗教における天国の地獄の概念を調べてみました。

キリスト教では天国の事を、次の様に言っています。

信者の霊魂が永久の祝福を受ける場所(キリスト教での用法)

霊魂とは、ウィキペディアによれば、

肉体とは別に精神的実体として存在すると考えられるもの。肉体から離れたり、死後も存続することが可能と考えられている、体とは別にそれだけで一つの実体をもつとされる、非物質的な存在のこと。
人間が生きている間はその体内にあって、生命や精神の原動力となっている存在、人格的・非物質的な存在。個人の肉体や精神をつかさどる人格的存在で、感覚による認識を超えた永遠の存在。

これ(霊魂の規定)によれば、天国は現生にもあり、死後の世界へも通じる概念と言えます。
まあ、概ねは死後の世界と考えられているようですが。
地獄に関しても同じです。

これに対して、同じ一神教である、イスラム教では、天国は、

天国は、信教を貫いた者だけが死後に永生を得る所とされています。
アラーの教えに忠実に従う事を旨としてますから、天国、地獄は死後の世界の事と言えるでしょう。
例として、ジハードの名目で自爆テロをやっていることでも証明されます。
「天国」の存在を信じるか、否かと言いますと、自爆テロをする人は信じていると言えるのではないでしょうか。

最後に、仏教の天国、地獄の話です。
これは、一神教世界のそれとは少し趣が違っていまして、
天国も地獄も輪廻転生の中で捉えられています。

六道(ろくどう、りくどう)とは、仏教において迷いあるものが輪廻するという、6種類の迷いある世界のことと規定され、

天道(てんどう、天上道、天界道とも)
人間道(にんげんどう)
修羅道(しゅらどう)
畜生道(ちくしょうどう)
餓鬼道(がきどう)
地獄道(じごくどう)

※ 天道とは天国のイメージではなく、自然に定まっている道理。天然自然の道理のことです。

仏教では、輪廻を空間的事象、あるいは死後に趣(おもむ)く世界ではなく、心の状態として捉える。たとえば、天道界に趣けば、心の状態が天道のような状態にあり、地獄界に趣けば、心の状態が地獄のような状態である、と解釈される。
更に人間(霊魂)は、生まれ変わりを続けていることになり、前世では畜生であったなどと、生前、死後の世界までも一連として考えます。
それら全体に対し、輪廻転生を超越した高位の存在として仏陀が、仏陀の世界として浄土が存在する。この対立構造においては、天国に相当するのは浄土(浄土宗では阿弥陀仏の浄土である極楽)である。

仏教で言う天国(浄土)とは、六道全てを超越している存在とあります。
と言うことは、他の宗教で言う、天国、地獄の概念も超越している世界のことであり、一般的な天国志向の考え方ではなくなります。
ここらあたりが、全てを無とか混沌に任せるインド哲学の真骨頂なのでしょうか。
結論として、武侠では天国も地獄も現世の問題であると言う様に考えれば良いのではないでしょうか。

結局のところ、どの宗教も「天国」と言うイメージを追ってはいますが、具体的な世界を提示している訳ではありません。
天国とは、現世に対する不安の裏返しであり、現世にあまり不安を抱いていない人にとっては、希薄な概念ではないでしょうか。

そう言う意味で、私は天国を求める気持ちは希薄であると言えます。

現実の生活に苦労してないとは言いませんが、そうかと言って弱音も吐いていないと言うことでしょうか。

この先は、いよいよ、人生論になりますね。

どこかで書いた様にも思いますが、とりあえず、この話は、ここまでとしたいと思います。

メンテ
霊は恐れたりしないで対話する気分で付き合えばよいのでは。「今日は、よろしく」と。犬も怖がると余計に吠えるのと同じと考えます。 ( No.4 )
日時: 2015/03/29 23:00
名前: 青トマト ID:71ZYFXPI メールを送信する

時々、姿は見なくても気配や訴えかけたい思いなんかは感じますね。

昼間の賑やかな時間には、生きている人や動物の活動霊が表面に賑やかに出ているので、彼ら霊達は訴えかけられないようですね。

しかし、私は彼らが危害を加える意思を持っている例は少ないと私の体験からは考えています。

それで、人にあったように、「今日は、宜しく、どうですか? どうしましたか?」と怖がらずに警戒を解いて親しく接すれば、彼らも協力的に接してくれると考えています。

霊感には強い人と弱い人の差は確かにあると思います。

しかし、突然に攻撃的な霊に接する事もあるようですが、これはやはり本人のこれまでの素行であるとか血縁先祖の犯した悪事への怨みが関係していると思いますよ。

これにたいしては、罪滅ぼしの為の行い、社会貢献なんかをすべきでしょうね。

相手が人だけでなく、動物などの生き物への悪事も宜しくないと考えています。

理性的議論気味の私からこんなことが出ると…おやー、と思われるかも知れませんね。

愚痴人間様が、キリスト教、イスラム、仏教の例を紹介されていますが、どれもがそれなりの正しさを持っていると思います。

人の心は霊体であり、想いが体を運行しているのであり、仮に心の無い体を想像すれば判ります。

心なくして体は動きませんね。

体が生きていれば、必ず心が生じています。

心の存在は生体活動と共にあるわけで、生きていれば、必ずそこに心があるわけです。

ですから、宇宙の運行は生きた活動ですから、そこには心がある、存在しているのです。

人の活動は動物よりも高度ですから、宇宙の活動原理に近いわけで、それ故に学問が可能で、宇宙開発にまで手を出せる訳です。

ただ、この理性的認識能力を行使して、人類が生き延びるには、自然と宇宙にたいしての素直な心構えが必要であり、原子爆弾を持つなどと言う核エネルギー利用の動機は、不浄な他の人間を支配しようなどと言ったものであって、素直な心ではないから、

破滅は必然なのです。

自然への宇宙への素直な心が、人類の永遠の命の継続をもたらすと考えられます。

様々な宗教の説くものは、乱世への警告を込めてのものでしょう。

地獄に落ちるのも必然的にあり得るものと考えています。

人類継続を求めて、必死に努力するものが報われて、転生するのはあり得る事でしょう。

天皇が最も素直で、最も遠慮深い御存在であるのは、自然宇宙の運行に重なる御存在であることによるものであると考えるのです。

とまあ、固い事を書いてしまいましたが、

天橋立愚痴人間様、いまだ御子息に仕送りをされておられるのですか?

学資ですか?それとも生活援助?

家族関係は判らないのでなんとも言えませんが、一人立ちをできる限り早くさせてあげないと、年齢を重ねても一人立ち出来なくなる危険性があるのでは?

あなた様の御子様ですから、才能もおありでしょうから、それを生かすには一人で立ち向かってゆく強い意思をもって人生を切り開いてゆくように、御支援をなさってくださいますように。

ロックフェラーの息子が日本に留学していたときに、わずかの生活費で狭い部屋で生活していたとのことで、それを見た日本人が、親が大富豪なのにケチだと呟き、日本人ならもっと子供を支援すると言っていました。

私は日本人は間違っていると思いますね。

それは、成り上がりものの考えだ。

ロックフェラーは子供のために、彼を鍛えるために、このように育てているのです。

その事を日本人は学ぶべきなのです。

商売人は子供に算盤を教えるのが通例であったのであり、武士は子供に侍の心掛けを教えるのが通例であり、百姓は自然への感謝の想いを伝えるのが通例であり、漁師は子供に天候と星の運行を伝えるのが通例であったわけです。

温室で肥料をふんだんに与えた作物は栄養豊とはならないので、日本全体がこの有り様ですから、一度、引っくり返る事になりそうな様相です。
メンテ
Re: 私たちが死んだら、「心」はどこに向かう!? ( No.5 )
日時: 2015/03/30 00:03
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:QqVj1lD.

青トマト さんも霊的な体験をされているようです。
この話は、そう言う体験をされているとか、卑近例で知っている人でなければ、なかなか納得して頂けません。

私の息子に付いて疑問を感じておられるようで、内容についてはほとんどの人があなたの言われる反応をされます。
私の周りでも私がやっていることを理解できる人は親族を含めて2人くらいよりいません。

スポーツの分野でも、全日本クラスで名を上げている人は、何らかの形で金銭的な支援を受けています。
アイススケートなどは、その最たるもので、普通では、あそこまで出来ません。

私も、これほどまでとは解らなかったのですが、芸能界と言う業界は、それは身勝手で金に汚い人種の集まりでして、デビューに向けて頑張っている若者を、スカウトと言う形で接近してきますが、実際の活動には、自己責任を通していて活動の為に必要な経費を一切出しません。

マネージャーを称して、色々なステージを紹介してきますが、例えば大阪のライブに出演がきまると、交通費、宿泊費は本人負担です。
全く売れない新人は、それでもよくて、出演するステージもそんなにありません。
ですので1週間の内、5日くらいはアルバイトができます。
このような状況で何年続けていても目がでることはありません。
実際は、その様な新人が多いのですが、少し目が出てくると、ステージの回数も増え、それに応じる事が、次のステップに繋がります。
要するに注目を浴びるような活動をしなければならないのです。

そのステップを上がって行ける多くの場合、特別の幸運児以外は、何らかの形で誰かの支援を受けているのです。
コブクロと言う著名な歌手(2人組)も、表向きは路上ライブをしていて、見出された様になっていますが、実際は和歌山の電気店の社長が資金的な面倒を見ていたのです。
演歌の大歌手、都はるみも、売れる前は、京都に住む母親が必死に支えていたのですが、ついにどうにもならなくなり、母親が東京へ行って、頼むから諦める様に言ったらしいですが、彼女の場合、その3ヶ月後には「アンコ椿」の歌がヒットし、上手く波に乗れた様です。

昔の演歌歌手などは、作曲家の家に住み込みで入り家事の手伝いをし、生活はさせてもらいながら、歌手の道も歩めました。
現在は、そう言うシステムはなくなっているようです。

私の息子が8年前に、同じような立場で頑張っていた仲間のほとんどは、資金が続かなく脱落していった様です。
それにしても、なぜ時間が掛かっているかと言いますと、デビューなど、その気になれば何時でもさせてもらえるようですが、デビューした後、順当に伸びなければ、それで一巻の終わりだそうです。
日本では毎年、200人以上の歌手がデビュー(CDを出すこと)しているようですが、生き残れるのは一人か二人の世界だそうです。

日本の音楽事務所は、どこでもこのような感じですが、最近、世話になっているアメリカの音楽事務所(ワーナー・ブラザース)は、少し違いまして、事務所が指定するステージに出る場合、必要な経費は事務所が出します。
それがアメリカのステージでも同じです。

私の息子は、いままでに1000万円以上の支援を受けていますが、残念ながら、生活費までは面倒を見てくれません。
しかしながら、アメリカの新人発掘は、飽くまでも投資と考えていることが良く解ります。
日本の音楽事務所は、金は出さず、あわよくば濡れ手に泡を求めているようです。

そう言う訳で、私の息子も自立するためと言うよりも、私が仕送りができないので、アルバイトに挑戦してきましたが、何せ1週間で3日程度より時間が取れません。
それも急な出演依頼とか打ち合わせの為に日が一定できす、結局、ほとんどの場合断念することになりました。

大体、芸能人を目指すような輩は、普通の神経の持ち主では務まりません。
私なら、ここまで親に面倒をかけるのは止めようと、とっくの昔に歌手志望を止めています。

おかげさまで、私の老後の人生設計はみるも無残に破滅してしまいました。
人は、息子が成功すれば左団扇と慰めてくれますが、同じように子供を支援し結局は無駄に終わった例など、随分と知っております。

それでも止められないのは、私の意地の様なものになってしまいました。
もう博打打ちの心境です。
このような言い訳をしても意味のないことですが、ついつい愚痴も言いたくなります。
メンテ
なるほどね、少しは理解できます。本当に愚痴人間になられましたか。 ( No.6 )
日時: 2015/03/30 02:17
名前: 青トマト ID:L1ofQMk2 メールを送信する

老後設計無残とは!

私も自分は芸能人ではありませんが、親族に芸達者が多くいて、喜びとか悲劇とかを見てきていますね。

よく地方からでてきて成功した芸能人の話で、ヤクザ関係との繋がりが指摘されたり、匂ったりする人がいますが、それは当然なのですね。

元々がバブル的な業種であって、ギヤンブルと似ていて、

胴元が儲かるんですわ…(笑い)

歌のうまい下手は二の次いで、根性と人に可愛がられる誠意が極め手なんですよね。

北島サブちゃん…とか…松山千春とか…歌は上手いのは当然必要ですが、まあまあでも根性と頭のよさと人柄…誠意でしょうね。

売れなくったってうまい歌手はたくさん居ますが、素人だってプロよりはるかに上手い人は沢山いますね。

昔の日本の芸能界は、内弟子制度があって、食わせて貰って、下男や下女をやって、教えて貰わなくて自分で学ぶ力がなければなりませんでした。

日本の名取りなんてのは、お客さんのとった名取りなんて芸風を継承する類いの内容は問わないのであって、内弟子の鍛えられた者でなければ務めれなかったのです。

ですから、内弟子を取って育てたのです。

それほどに芸とは厳しいものでした。

現在は簡単にプロになれると人々は勘違いする。

そうじゃない。

モデルだって、美女や美男であるだけでは務まらない。

三輪明宏さんを見て想像がつくと思いますが、彼はもともと、それでも、花柳界の家の出ですよね。

サザンの桑田さんも、確か料亭の息子さんじゃないですか。

北島のサブちゃんは学業成績が優秀だったんです。頭がいいのです。人柄もいいのですよ。網元の息子なんです。

これで、芸能界への憧れは破綻して構わないのです。

一般の人は、芸能なんて人がやるのを見て存分に楽しめば良いし、自分に才能があれば、素人芸で楽しめばよいのですよ。プロより上手い人はワンさと居るし、下手なプロも一杯居ますから。

愚痴人間様は、息子さんに投資したら、利息がついて戻ってくるかも知れませんね。

楽しみなのかもしれません。

子供にはやりたいことをやらせてあげてください。

例えモノにならなくても本人には悔いの無い人生を楽しむことが出来ます。

私の親戚筋の事で恐縮ですが、素晴らしい才能の持ち主が親がまたまた大変な才能の持ち主で成功の頂点に上り詰めた人だったが言うに言われぬ苦労をしていたので、子供に絶対に芸能界に入ってはならぬと許さず、それでも子供は諦めきれず、場末のバンドマンで終ったケースがあります。

本人が野垂れ死にしようが本人の人生を生かしてやるのが、本当の親心でしょう。

苦労の無い人生なんてあるのですか?

釈迦やキリストにでも聞いてこいってんだ。スットコドッコイめが。お前がトロいんだ。

とその成功したとやらの苦労親父に聞きたいものだ。

お前の人生は地位は得ても人生は失敗だよ。
と、私なら言ってやりますね。
メンテ
Re: 私たちが死んだら、「心」はどこに向かう!? ( No.7 )
日時: 2015/03/31 10:31
名前: ryu ID:ZnAd4J0Q

こんにちは、天の橋立さん!!どうもロマンチックな解答、有り難うございます。


ところで、、、
  
 「無」→「無」(無からは何も生まれない。)
 「有」→「有」(有というものが有るから存在というものが発生する。)

とすれば、
 
 「無」→「有」(何もないところから生まれる。)や 「有」→「無」と言うことは不可能なんだろうか!?
メンテ
Re: 私たちが死んだら、「心」はどこに向かう!? ( No.8 )
日時: 2015/03/31 10:55
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:YJL.XnBY

「有と無の哲学的概念」

ヘーゲルの論理学においては、有から出発して絶対理念に至るまでを扱って
いますが、有は有論において扱われており、有ー無ー成の弁証法から始まって
います。したがってヘーゲル論理学の性格を理解するためには、有ー無ー成
の弁証法について理解する必要があります。この部分がヘーゲル論理学の
出発点であると同時に核心にもなっているためです。

ヘーゲルの論理学は、有から始まります。有とは単に「ある」ということですが、
それは最も抽象的な概念であり、全く無規定性な空虚な思考なのです。ゆえに
それは否定的なもの、つまり「無」であるというのです。ヘーゲルにおいては、
有と無は共に空虚な概念であり、両者にほとんど区別がないのです。

次にヘーゲルは、有と無の統一が成であるというのです。そこにおいて、有も無も
共に空虚で抽象的なものですが、両者は対立の状態において統一をなした後に、
最初の具体的な思考としての成となるというのです。この有ー無ー成の論理を
基本とヘーゲルの方法が展開されているため、ここから正ー反ー合、肯定ー否定
ー否定の否定、定立ー反定立ー総合などの弁証法的論理も成立するようになった
のです。



「リグ・ベーダ」インド、ウパニシャッド哲学

そのとき、無もなく、有もなかった、
空界もなく、その上の天もなかった。
世界を庇護したのはだれか、それを包んだのはだれか。
あの底知れぬ深遠はどこにあったのか、あの海はどこに。

そのとき、死もなく、不死もなく、
夜と昼とがさだかでなかった。
かの唯一者は、息なく呼吸し、
そのほかには何ものも存在しなかった。

全世界は暗黒におおわれ、
光なく、夜の中に消える大洋であった。
そのとき、おおいの中に隠れていたもの、
かの(唯一者)が灼熱の力によって生まれた。

これから出て、はじめに現れたのが、
知の種子なる意欲であった。
有の根底を無のなかに見いだしたのは、
心の動きにしたがい、探し求めた聖賢たちであった。

彼らが測素を横にずっと張ったとき、
何がその下にあって、何がその上にあったのか。
種子をもつものが存在し、活動する力が存在した。
自存力が下に、あふれそうな力が上に。

だが、だれがうまく尋ね当てたのか。
創造がどこから生じたかを、だれか認めたものがいたのか。
神々も、この創造よりのちに生まれ出た。
では、創造がどこから生じたかを、だれが宣言するのか。

創造を生み出したもの、
彼はいと高き天の光でそれを総覧し、
彼はそれをつくりなし、あるいはつくりなさず。
彼はそれを知り、あるいはまたそれを知らないか。


引用終わり。

RYUさんは、やはり哲学志向、ロマンティストのようですね。

私は、リグベーダの世界が好きです。



メンテ
天のさん、やっぱりロマンチックです!! ( No.9 )
日時: 2015/04/01 13:17
名前: ryu ID:vWMtJ23s

ご解答いただき、有り難うございます、、、天のさん!! ryuです。
この解釈によるとこの世の全ての「始まり」は「無」じゃないということですね。
だと、、、すると 全ての「始まり」には、何が在ったんでしょうね!?

ちなみに、このスレ、、、「心・精神」について触れるんですけど
かの、デカルトは「我 思う。 ゆえに 我 在り。」と言っていましたが、
「心」とは意識の中で生まれるものでしょうか? あるいは、脳の活動・思考の過程で生まれるのでしょうか。
(※「臨死体験」された人たちの話(TV)をきくと心は脳の活動でえる産物とは違うようで・・・)
メンテ
横からお邪魔して、済みません。古代中国思想もユダヤ数秘術カバラもリグベーダと同じことを言ってますね。 ( No.10 )
日時: 2015/04/01 22:32
名前: 青トマト ID:n/BmXlRA メールを送信する

古代中国思想では、太極。

カバラでは、アインソフ。

無とか有とかは、認識上の概念であって、実体ではないのです。

だから、実体としての全くの無はあり得ない。

無と有とによる弁証法が人の認識の逃れられない法則であり、これによって人は認識活動を行うのです。

数字のゼロは無であり、
1から始まる数は有です。

この場合には無から有は発生しません。

しかし、

蚊の卵を人の肉眼は見えないから、蚊の卵は無です。
そこからボウフラが発生すれば見えますから有です。

ですから、無と有とは、単に人の認識活動の上での構成要素としての概念なのです。

堅苦しい表現で済みません。

太極もアインソフも同一であり、日本においてもそれにあたる言葉はあります。
神道においてもありますが、一般的にあまり知られていないだけです。

太極やアインソフも一般では語られることはないのではないですか。

この場合には、無から有が発したと言えるのです。


メンテ
無から有が発するのは、認識上の上での事で、始元での事ではありません。 ( No.11 )
日時: 2015/04/01 22:50
名前: 青トマト ID:n/BmXlRA メールを送信する

前の投稿では、記述が前後してしまいましたが、

卵からボウフラが発生したのを見たときに、

無から有が発したと見なす訳です。

人の卵子も小さすぎて見えませんね。

メンテ

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