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[2279] 未来社会を考える < ヒットラーの予言
日時: 2015/05/27 18:33
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:TUwY8d8w

ヒトラーの予言──2039年の未来図について

●以下は、ヒトラーが語った言葉(予言)である。
『1999年以後』(祥伝社)から抜粋


「…“2つの極”はますます進む。1989年以後、人間はごく少数の新しいタイプの支配者たちと、非常に多数の、新しいタイプの被支配者とに、ますます分かれていく。一方は、全てを操り、従える者。他方は、知らずしらずのうちに、全てを操られ、従わされる者たち。

しかも進むのはそれだけじゃない。人間がそうなるにしたがって、地球にも宇宙にも大変動が起こるのだ。1989年以後、人類には宇宙から、かつてないカタストロフィ(大破局)が近づくのだ。

若いころ私は、『我が闘争』に、いずれ人間が大自然から復讐されると書いた。それが1989年以後の状態だ。人間が思い上がって宇宙の自然を犯すため、宇宙が人類に復讐の災厄を下すのだ。そしてそれが人類を、想像を絶する究極の状態にみちびいていく。私が生まれてから150年後、21世紀に来る究極に。私自身もそれを霊感ではっきりと見てさえ、信じられないような究極に。」

「…(20世紀末は)たとえ表面はデモクラシーや社会主義の世であろうとも、実質はナチズムが支配していよう。デモクラシーの国も社会主義の国も、われわれナチスの兵器を競って使い、殺し合い、社会は私の望むとおり、強く支配する者と支配される多数者に分かれていよう。それは天変地異の期間でもある。人類は大自然から手ひどく復讐される。気候も2つに分かれ、激しい熱と激しい冷気、火と氷、大洪水と大旱魃(かんばつ)が代わる代わる地球を襲うだろう。」

「だからその中から『超人(ユーベルメンシュ)』が現われる。もはや普通の人間ではそういう危機を制御できない。それに対応するため人類は超人たちを生み、超人が世界や気候を、人間や戦争を治めることになる。
つまり天変地異の下に生きる多数者。それを支配する少数者。その陰で実質的に世界を操る超人グループ。これが、私の予知する21世紀の世界である。」

「しかし諸君、さらに重大なのは、私がいま、これを話している100年後のことだ。それを告げるためにこそ、私は今日を選んで諸君を招いたのだ。今日から100年後といえば、すなわち2039年1月25日だ。

諸君にはわからないだろうが、そのとき人類には真の究極の状況が起こっている。そのとき人類は──少なくとも、いま言っているような意味での人類は、2039年1月、地球からいなくなっているのだ。」

「それは諸君、何かの異変か大戦か災害のために、2039年、人類が残らず滅びるという意味ではない。たしかに、それまでに多くの大難が続けて起こる。1989年から1999年まで、世界は続けざまの天変地異と戦乱の中にあるだろう。そのため一部の恵まれた国を除き、多くの国が飢える。いくつかの国は崩れて燃える。毒気で息絶える街もある。

2000年以後は、それが一層ひどくなる。2014年にはヨーロッパの3分の1とアメリカの3分の1が荒廃してしまう。アフリカと中東も完全に荒廃する。結局、いまの文明は砂漠しか残さない。

しかし人類はそれでも滅びない。わがドイツの一部と米ソの中心部、日本や中国は深い傷を負いながらも生き残る。ただ諸君、それでも人類はいなくなるのだ。いまの意味での人類は、そのときもういない。なぜなら、人類は2039年1月、人類以外のものに“進化”するか、そうでなければ“退化”してしまっているからだ。」

「それをもっとはっきり言えば、人類の一部はそのとき、人類から、より高度なものに進化して、神に近い生物になっている。人類から神のほうへ進化するのだから、それは『神人(ゴッドメンシュ)』と呼んでかまわない。

残りの大部分は、これも進化なのか退化というべきかわからないが、一種の機械になっている。ただ操られて働いたり楽しんだりするだけの、完全に受動的な、機械的な反応しか示さない『ロボット人間』になっているのだ。それまでの気候異変と環境異変、政治と娯楽と食物、それから起こる突然変異が、そのようなロボットのような人間を大量に生み出す。

神人のほうも同様で、同じ原因から生まれてくる。ただ突然変異が大脳にプラスに働いて、進化の方向がロボット人間と別方向になるだけだ。その前段階の『超人(ユーベルメンシュ)』たちも、より進化して神人になる場合がある。

いずれにせよ、彼らはいまの人間の数次元上の知能と力を持つ。彼らは団結して地球を支配する。それまでのあらゆる危機や問題は、彼ら神人たちの知能と力で急速に解決されていく。」

「ロボット人間たちのほうは、それに従って生きるだけだ。これはある意味では気楽な身分だ。戦争も気候も経済も、神人たちによって制御されてしまうので、ロボット人間たちは神人たちの認める限度で、多くのものを与えられる。食物と住居も、職業も娯楽も恋愛も教育も、時には思想さえも与えられる。

ただロボット人間たちは、与えられ、操られていることを意識できないようになる。自分たちの意識では、何もかも自分で選択して勝手に生きているのだと思う。しかし、じつは神人たちがすべてを見通して、管理工場の『家畜』のように彼らを育て飼うことになるのだ。

こうして人類は、完全に2つに分かれる。天と地のように、2つに分かれた進化の方向を、それぞれ進みはじめる。一方は限りなく神に近いものへ、他方は限りなく機械的生物に近いものへ。これが2039年の人類だ。その先もずっと人類はこの状態を続ける。
そしておそらく2089年から2999年にかけて、完全な神々と完全な機械的生物だけの世界が出来上がる。地上には機械的生物の群れが住み、神々がそれを宇宙から支配するようになるのだ。」


(引用終わり)

ヒットラーと言うイメージでは、このような思想を思い浮かべることはできません。
どこまで、真実であるか解りませんが、ヒットラーでなくても、このような歴史観があることは興味深く、また概ねは現代及び未来社会を暗示している様です。

メンテ

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Re: 未来社会を考える < ヒットラーの予言 ( No.19 )
日時: 2015/05/31 16:43
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:f9BGfbwE

青トマト さんの解釈も、私と同じようなものと思っています。

つまり

>アダムとイブの間違いが失楽園を招いたと、創世記でハッキリと指摘しています。

これは、人間と言う動物は、この世で一番欲深く、邪心の持ち主として生まれてきたと言うことになります。
そうであるならば、

>金融覇権帝国主義の思想と行動が、アダムとイブなのです。

この言葉は、この世の邪悪なもの、組織、人間は、もともと人間の本性の反映であり、信仰心で誤魔化していますが、民衆の邪悪さの本当の姿なのです。

キリスト教もイスラム教も、同じ発想で誕生し、それで人間を救済できるものと思っていましたが、人間の邪悪さ加減は想定外でそうはいかなかった、と言うことです。

こう言えば、全てが民衆の責任となり、政治、経済の分野で邪悪なものを糾弾する意味がなくなると考えられがちですが、そうではなく、宗教的な理想論からではなく、神の力の助けを借りず、人間自身で規制を考えねばならないと言うことです。
ですので、

>アベはその下男です。追放です。

アベを糾弾することは、すなわち

我々自信を糾弾しなければならないことになります。

我々自身に、その反省なくして、いくらアベを追放しても

第二のアベ、第三のアベが出てくるのではないでしょうか。

次から、いよいよ本題に入ることにします。




メンテ
Re: 未来社会を考える < ヒットラーの予言 ( No.20 )
日時: 2015/06/01 12:29
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:LMeP4TfU

今までは現代社会が直面する問題点を、より深いところで取り上げました。
現代社会の問題点の大きな要素を集約すれば、経済的格差と共生社会に対する価値観の喪失と思います。
福祉国家の成り立ちが危機に貧しているとも言えましょう。

このような問題に対処する為に国家はそれなりに努力をしていることも承知です。
しかしながら、それは望むべき解決へ向かえるものとは考えられません。
現代社会の問題点を生み出す原因(影響力)の方が優っているからです。

その問題点を生み出す影響力とは何が考えられるか、
一つは生存競争(要するに経済)がグローバル化しすぎて、個人的な努力でなんとか切り抜けられる範囲ではなくなってきているのです。
今までやってきた生活手法では自分自身が守れなくなってきているのです。
と言うことは、個人の生活(生存)を保証する為には、国家が介入しなければならなくなってきているのです。

このことは、まだ、最終段階になっている訳ではありませんが、そう言う時代が目先に見えてきています。
それは経済の流通のシステムの問題ではなく、科学技術の発達に伴う生産力の向上が人間の働く機会を奪っていることと、流通システムのグローバル化が、同じように流通に関わってきた人々の働く機会を奪っているのです。

前にも書きましたが、それは先進国ほど失業率が高いと言う現象で現れてきています。
先進国と言いましたが現在のところ、実際はギリシャ、スペイン、イタリアなどで顕著になっていますが、それは先進国の中でも弱い国から始まっていると解釈するべきで、やがて全ての先進国に広がることでしょう。

また、現在の失業率がそれほどでもない先進国は、概ね開発途上国への物資の供給をすることで、破綻を免れていますが、世界的に生産技術が発達して来ている現在、いつまで、その様なことで済ませられるかも問題です。

省みますと、人間社会は、物々交換の時代を脱してから、衣食住を満足させる為に延々と働くことで生活手段、通貨を得ていました。
一部の権力者、富裕層はいても社会全体は、このような社会を構成してきました。

その中でも、最も重要なのは食料の確保で、天変地異の為に危機に貧したことも沢山ありましたが、環境の変遷もありなんとか切り抜けてきました。

現在の危機は、そうした循環的なものではなく、人間自身が作り出した要因(生産技術の発達)によるものであり時期がくれば復活するものではありません。

多くの経済専門家は、新しい産業の交流とか、福祉の分野でその不足が補えると言ってきました。
景気が良くなれば、消費が増え労働市場が活性化するとも言ってきました。

もちろん、それは、それで成り立つ面もあるでしょうが、それで必要な労働市場が確保できると言う証明はありません。
危機の度合いの判断の問題です。

現在、生産技術がまだ未発達の、中国、インドなど世界の人口の1/3を占める国々が、先進国並みのレベルに達すれば、そのような悠長なことで済まされるでしょうか。

世界の100億の人口の半分以上が、新しい産業、福祉の分野で働くことができるでしょうか。
30年、50年後の世界を考える時、このような無責任な予想に任せて安心していられるでしょうか。

30年、50年は、すぐ、先のことです。
このような観点から見て、現在の経済の施策、将来への対応の方針に誤りはないかと考えるべきであります。

何が問題かと言えば、現在の経済政策は概ね100年も前の資本主義経済の理論の延長でより考えていないからです。
その理論がもたらした結果が現在であるのに、それを修正する為に、同じような発想でやっても効果は知れています。

否、知れていると言うよりも、人間社会の方が、資本主義の理論を超えて暴走していると考えられるでしょう。
何よりも安価なものを求める、便利さを求める、そう言う気持ちが経済のグローバル化の推進力となっているのです。

しかしながら、そのことは我々自身の繁栄であり、幸せであるので、それを否定する訳にも行かないことが問題です。

また別の分析があります。
グローバル化を推し進め、それによって利益を得ているのは巨大資本であり、金融資本であると言うものです。
多くの経済専門家は、このシステムを取り上げ現在の問題点の解決に結びつけようとしますが、それは二つの理由で成果を上げることはできません。

一つは、人間の利益追求を社会として認めているからです。
大なり小なり経済活動と言うものはエゴの塊なのです。
どこまでが許されて、どこからが駄目と言う線引きなど効果的にはできません。
もう一つは、グローバル化の利益を、我々自身が求めているからです。

いずれにせよ、従来の経済の施策では、今まではともかく、遠い将来の社会を維持することはできないことを認識するべきであるのです。

さて、ここまでは、結局は解決策は絶望的と言うことになります。
総花的な解決策を模索しても、何も出てこないでしょう。

結論から、申し上げますと、
既成の資本主義のシステムのままでは、避けることが出来ない失業者を出さない方法を組み入れることだと思います。

別の方法に、ベイシック・インカムを採用して、仕事のないものに生活を保証する(生活費を国家が渡す)ことがあります。
これは、後述の人間精神の崩壊につながるので、絶対にしてはならない方法です。

>既成の資本主義のシステムのままでは、避けることが出来ない失業者を出さない方法を組み入れることだと思います。

これが絶対に無理なことか否か、
少なくとも、あらゆる面から、その検証はするべきであるのです。

その方法についても後述することになりますが、現在、直ちに実践できるとも思いませんが、そう言う方法も考えた上での経済の政策を取るべき時期にはきています。

ですが、実際の政治は、TPP参加などと、無条件にグローバル化を進めるなど、将来の政策の転換に障害になることばかりをやっています。

このような意味でも、未来社会を想定した政治を語る必要は時期早々でもないのです。

ヒットラーの予言を噛み締めてください。

>こうして人類は、完全に2つに分かれる。天と地のように、2つに分かれた進化の方向を、それぞれ進みはじめる。一方は限りなく神に近いものへ、他方は限りなく機械的生物に近いものへ。これが2039年の人類だ。その先もずっと人類はこの状態を続ける。

メンテ
Re: 未来社会を考える < ヒットラーの予言 ( No.21 )
日時: 2015/06/01 16:06
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:LMeP4TfU

>既成の資本主義のシステムのままでは、避けることが出来ない失業者を出さない方法を組み入れることだと思います。

上記の内容について直接触れる前に、我々は社会のルールの有り様を見直す必要があります。

現代の社会は、民主主義の美名の下、個人の権利、自由が、何でも希望すれば叶えられると勘違いしています。
いつから、そのようになったのでしょう。思うようになったのでしょう。

最近は、自宅に表札を電話帳に自宅の電話番号も載せず、社会のサービスが受けられると思ってます。
または、自分が社会からはみ出してもやっていけると思い上がっています。

老人介護の問題でも、何かと言えば、介護が面倒な老人を施設に預けることばかりを思います。
社会が成熟して十分な余裕があればできても、その様な状況ではないことは自明の理のはずです。

それができる人間は、家庭は出来るだけの努力をして老人介護をするべきなのですが、大概の家庭では、それをしようとしません。
社会の実態と合わないのに自分の勝手を優先するのです。

その様なことは無理もないのです。
結婚生活においても、自分の自由にならないと、苦労が多いとすぐさま離婚に走ります。
結婚どころか、社会に出て職場の雰囲気が自分に合わないと、すぐさまやめてしまう若者も多くいます。

ともかく現代人は苦労など、何もしたくはないのです。
自分の好きなこと、権利、自由の主張が、まず前面にあるのです。

ですが実際は、それほど自由にはならないことを理解しようとしないのです。
このような風潮が、あるべき社会の変革を妨げているのです。

そうして、このような考え方が市民権を得ていて、誰もそれを非難はしないのです。
年寄り自体が、その様な考えになってしまっています。

最近の年寄りは、年金制度の充実の恩恵を受けていて、結構な経済力だけはあります。
その為に、年寄りの我が儘も昔に比べて大いに膨らんでいます。

また、年寄り自身が若い世代の邪魔をしたくないと介護を拒む傾向もあります。
それも贅沢と言うものではありませんか。
このような社会であれば、世代間の助け合いを一番に考えねばならないはずです。

年寄りが、そうであるので、若い世代は、なおさらのこと、自分の都合を優先して考えます。
最も、それに見合う税負担に応じるならば別ですが、富裕層はともかく社会全体では、それもできない状況であることをしっかりと認識すべきではありませんか。

要するに現代社会といえども、天国のような環境にはないのに、頭の中だけは天国を思い描いてはばからないのです。
その根拠が、民主主義の精神なのです。

民主主義さえ奉じていれば天国になるとでも勘違いしているのです。

話を戻しまして、
民主主義と言っても、自ずから社会のルールは毅然として存在しなければならないことを思い知るべきです。
考えて見ますと、現在でも刑法に関わらず社会の規範は厳然と存在します。

経済の領域でも、昔は電力、水道、電話、交通などは、公的機関によって運営される事を容認してきました。
煙草、酒類の販売も厳しく規制されています。
医療関係の分野も、結構な規制を受け入れています。

アメリカの禁酒法などは例外ですが、経済的なシステムの中でも、民主主義に反する規制は存在しているのです。
それは健全な社会、みんなの為の社会を維持する為の規制であり、国民は納得して受け入れてきたのです。

その時代に合わせた規制が必要で、それを受け入れる真摯な態度が国民に必要とされます。
安全保障の面などで、安倍のバカタレが言っている制約のことではありません。

何でも、かんでも民主主義を振り回さないで、必要なことは民主主義を見直すことができなければ、民主主義の名において、地獄へ異直線の歴史をたどることになるでしょう。

200年程度前に出てきた、民主主義の概念を、正しく理解しなければなりません。
現代社会の民主主義の有り様は、まこと、自分勝手なエゴ以外のなにものでもなく、それが結局は身を滅ぼすことになるでしょう。

未来社会を考えるためには、まず、この関門をクリアーしなくてはなりません。


メンテ
Re: 未来社会を考える < ヒットラーの予言 ( No.22 )
日時: 2015/06/03 11:26
名前: 贅六 ID:Yip9xfCw

スレッドの標題に合致してるか如何か判りまへんが、ワテは此のヒットラーちゅう男が、あの時代「国家社会主義ドイツ労働者党」即ち「ナチ」と言う政党のリーダーにのし上がって、その「党是」として唱えた三本柱「アーリア人優越主義」「反ユダヤ主義」「反共産主義」の内の「反ユダヤ主義}だけは中々エエ洞察力を持ってたなァ、て思てます。

考えても見なはれ、今の世界情勢の殆どはユダヤが制覇した“巨大資本”の猛威でもたらされた混乱と混沌でおますがな。

二千年も前に「国土」を失のゥたユダヤの民は、それ以来 分散、流浪、の民として世界を漂流し、ロンドンのシティで隠然と力を蓄えて居ましたが、自由の国“アメリカ”の社会で大きく勢力を伸ばし、アメリカの政権と確固たる協力関係を結んで、世界制覇への羽ばたきを始めよったんです。

此れは即ち、二千年の怨念に対する復讐の仕業とも言うべき行動で、彼等の復讐は留まる所がおませんやろねぇ。

もう一つおもろいのは、450年も前に、ウイリアム・シェークスピアがその戯曲「ベニスの商人」で、“シャイロック”と言あおまへんうユダヤ人の残酷性と冷血性を描いて警鐘を鳴らしてる、ちゅう事で、今の「イスラエル」ちゅう国を見ても、あんまり性質のエエ国やとは見えまへんわねぇ。

もっとコジツケて見てみたら、中世以来の西欧国家社会は「カソリック」以外の各宗教を排斥して来たし、その恨みと怨念が現代世界の不安定を招いてる、と言えん事はおまへんなァ。
メンテ
Re: 未来社会を考える < ヒットラーの予言 ( No.23 )
日時: 2015/06/03 20:58
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:9lXceqzY

>スレッドの標題に合致してるか如何か判りまへんが、ワテは此のヒットラーちゅう男が、あの時代「国家社会主義ドイツ労働者党」即ち「ナチ」と言う政党のリーダーにのし上がって、その「党是」として唱えた三本柱「アーリア人優越主義」「反ユダヤ主義」「反共産主義」の内の「反ユダヤ主義}だけは中々エエ洞察力を持ってたなァ、て思てます。

更に進んで、アルカイーダ、タリバン、イスラム国の活動を正義の味方と言えば、民主主義の名において、たちまち顰蹙を買います。

これについて以前にも書いてみました。

(キリスト教における贖罪と懺悔)

「贖罪」

1 善行を積んだり金品を出したりするなどの実際の行動によって、自分の犯した罪や過失を償うこと。罪滅ぼし。「奉仕活動によっ
て―する」

2 キリスト教用語。神の子キリストが十字架にかかって犠牲の死を遂げることによって、人類の罪を償い、救いをもたらしたという教義。キリスト教とその教義の中心。罪のあがない。

※ ボーイスカウトや欧米における寄付金の立場は、これにあたります。

「懺悔」

それぞれの宗教における神、聖なる存在の前にて、罪の告白をし、悔い改めることをいう。

>仏教も懺悔

仏教において懺悔(さんげ)とは、自分の過去の罪悪を仏、菩薩、師の御前にて告白し、悔い改めること。本来はサンスクリット語で「忍」の意味を持つ。半月ごとに行われる布薩では地域の僧侶が犯した罪を告白し懺悔するほか、自恣という僧侶同士が互いに罪を告白しあう行事もあった。 また、懺悔文という偈文があるほか、山岳修験では登山の際に「懺悔、懺悔、六根清浄」と唱える。

>キリスト教の懺悔

告解はカトリック教会においては、洗礼後に犯した自罪を聖職者への告白を通して、その罪における神からの赦しと和解を得る信仰儀礼。現在のカトリック教会ではゆるしの秘跡と呼ばれている。

プロテスタント教会では罪の告白という言い方がされる。プロテスタント教会では、一般にサクラメント(礼典)とは認められておらず、また義務もない。

キリスト教では懺悔の事を告解とも言い、罪の赦しを得るのに必要な儀礼や、告白といった行為をいう。
教派ごとに概念や用語が異なっている。カトリック教会および正教会では、教義上サクラメントと捉えられているが、聖公会では聖奠的諸式とされる。プロテスタントではサクラメントとは看做されていない。


※ ここに大きな違いがあります。
仏教における懺悔は、主に修行僧が行うものであるのに対して、キリスト教では、一般の信者が聖職者を通して行う。

要するに、キリスト教世界では、懺悔さえすれば、全てが許されるのです。
ボランティア活動や寄付さえすれば、道義心など捨てても良いのです。
これがキリスト教世界、アングロサクソン世界の実態であるのですが、一般的なキリスト教の概念が、これを隠しているのです。

更に、ご丁寧にも次のようなことが言われているのです。

救い主はこのように言っておられます。

救い主はわたしたちにこう述べておられます。「見よ,…わたしは,すべての人に代わってこれらの苦しみを負い,人々が…わたしが苦しんだように…苦しみを受けることのないようにした。」
イエス・キリストはわたしたちの罪を贖うために,御自身にしかできないことを行われました。主の贖罪の効力をわたしたち個人の生活の中で完全に発揮させるには,キリストを信じる信仰を持ち,罪を悔い改め,権能を持つ人によりバプテスマを受けて確認され,聖霊の賜物を受け,神の戒めを守り,神聖な儀式を受け,主のようになるための努力をしなければなりません。主の贖罪によりこれらのことを行うならば,わたしたちは主と天の御父とともに永遠に住むためにみもとに帰ることができます。

※ 肝心要のことは、イエスのせいにして、自分たちは悪行の免罪符を手にしているようなものです。
教会に寄付をしたり、祈りを捧げたりすることで、何をやっても許されるなら、結構毛だらけ、猫灰だらけではありませんか。

もちろん、これは善良な一般信者のことではありませんが、ユダヤをはじめとした権力欲、金力欲の強い人間は、このようなキリスト教を十分に利用します。

民主主義も資本主義も、その運営においてユダ金共に完全に利用されているのです。
否、キリスト教にマインドコントロールされてしまっている、我々自身も、それを認めているのです。

メンテ
悪行の免罪符!! としてキリストの名を叫ぶ。日本では…それは…天皇を利用するのですな。 ( No.24 )
日時: 2015/06/03 23:09
名前: 青トマト ID:mLyyX8qI メールを送信する

ドストエフスキーのカラマーゾフの兄弟でしたかねえ?

大審問官の前にキリストが突然現れて、審問官はキリストに、

「あんたに出てこられては困るんだよ、去ってくれ。」との主旨を言ったのですよね。

これが、日本では、天皇と政権担当者の緊張関係になって、

政権担当者に都合が悪いと、天皇を様々に圧迫したし、今でもしてるわけです。

で、創価学会では、この関係は、どうなるのでしょう?

学会幹部や池田大作と、お題目なのか日蓮なのか仏なのか?

都合が良ければ、それで良いなら、何でも良いか。

メンテ
ドストエフスキー ( No.25 )
日時: 2015/06/04 00:07
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:.ixe3YsY

青トマトさん、また興味ある言葉をありがとうございます。

カラマーゾフの兄弟も読んだことはありますが、何も覚えてはいません。
大体、陰気なドストエフスキーよりも、トルストイの方が好きでした。

>大審問官の前にキリストが突然現れて、審問官はキリストに、

>「あんたに出てこられては困るんだよ、去ってくれ。」との主旨を言ったのですよね。

ネットで検索したのですが、次のような場面の様です。


(5)「大審問官」

 「大審問官」の舞台は、16世紀のスペイン、宗教裁判の盛んな時代です。大審問官というのは、その裁判長、いわばその地域のキリスト教世界の最高責任者であります。そこへ、ひょっこりイエス・キリストが帰ってくるという話なのです。
 彼は人知れずこっそりやって来たのに、どういうわけか人々は皆、それがキリストであるとわかってしまいます。そこへ大審問官が通りかかり、キリストを捕えてしまうのです。大審問官も、それがキリストだと分かっているのです。その夜、大審問官は、こっそり牢屋のキリストを訪問し、こう告げるのです。

「お前はなぜ今頃、のこのこと帰ってきたのか。困るではないか。お前が去った後、キリスト教会は、実はお前の教えの上に築かれてきたのではない。本当は、あの時、お前と対決したあの悪魔の方が正しかったのだ。お前のせいで、キリスト教会はこんなに苦労をしたのだ。大多数の一般民衆にとっては、パンを与えられて、奇跡と神秘を見せられて、絶対的な権力の元に置かれた方が幸せなのだ。そのことを示してくれたのは、お前ではなく、他ならぬあの時の悪魔であった。」

 90歳になる大審問官にとって、それはこれまで誰にも言えなかった秘密でありました。それを突然、自分の目の前にあらわれたキリストに向かって、息せき切ったように、とうとうとぶち負けるのです。この大審問官は、人間とは自由の重荷に耐えられないか弱い存在であり、自由と引き換えにパンを授けてくれる相手にひれ伏すことを求める哀れな生きものであることを告げるのです。

 「知るがいい。わたしはおまえなど恐れてはいない。知るがいい。このわたしも、かつて荒野にあって、イナゴと草の根で飢えをしのいだことがあった。おまえが人々を祝福した自由を、祝福したこともあった。……だが、わたしはふとわれに返り、おまえの狂気に仕えるのがいやになった。そこでわたしは引き返し、おまえの偉業を修正した人々の群れに加わったのだ。……もう一度言っておくが、明日にもおまえは、そのおとなしい羊の群れを見ることになるのだ。われわれの邪魔をしにきた罪で火焙りになる炎に、わたしの指ひとつでわれ先にとおき火をかきあげる人の群れだ。われわれの火刑にだれよりもふさわしい者がいるとするなら、それこそはおまえだからだ。明日、わたしはおまえを火焙りにする。これで終わりだ」(p.288)。

 大審問官は口をつぐみますと、目の前のキリストが自分に答えてくれるのをしばらく待っています。相手の沈黙が、自分にはなんともやりきれない。老審問官としては、たとえ苦い、恐ろしい言葉でもいいから、何か言ってほしかった。しかしキリストは何も言わないのです。あのピラトの裁判におけるキリストを彷彿とさせます。
 さてこの大審問官とキリストとの対面、最後がどうなるかと言えば、次のようになります。(言わない方がいいでしょうか。私はよく最後まで言ってしまって、「ネタバレしちゃ、だめですよ」と叱られますが)。
 キリストは無言のままふいに老審問官の方に近づき、血の気のうせた九十歳の人間の唇に、静かにキスをするのです。そこで老審問官は、ぎくりと身じろぎをする。そして彼はドアのほうに歩いて行き、ドアを開けてこう言います。『さあ、出て行け、もう二度と来るなよ、、、、絶対に来るな、、、絶対にだぞ、ぜったいに!』そしてキリストは立ち去って行くのです。
 この「大審問官」は、創作ではありますが、とても真実味のある物語ではないでしょうか。彼は、民衆のためと言っていますが、それを言い訳のように用いながら、彼の心の中には、やはり権力への誘惑があったに違いないと思います。そういう意味では、この大審問官自身が、悪魔にひざまずきながら、この世界、そして皮肉なことに、キリスト教世界をうまく操れるすべを、悪魔から受け取っているのです。


(引用終わり)

ドストエフスキーはキリスト教に影響されたとされていますが、彼らしく一筋縄ではキリストを理解していないですね。
ある意味、キリスト教世界の微妙な難点をあぶりだしています。

キリスト教における「贖罪」と「懺悔」で言ったような事を裏付けられていると感じました。

メンテ
失楽園 ( No.26 )
日時: 2015/06/04 16:21
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:SdaVykX6

別スレッドで、満天下さんが、失楽園について次のように言っておられます。

「神が御創りになった最初の人間アダム、そのアダムとエバがヤハウエの神の意志にそむいたとして、楽園から追放される。「労働」とは、人間に対する罰として失楽園から始まったと、欧米人は人が働かねばならなくなったのは、この創世記に記されている人類の祖・アダムの罪を相続しているからだと、日常的にも自然にそのように精神に埋め込まれているようです。」

期せずして、人間にとって労働(仕事)は、生活を営む上で(社会を維持する上で)必要不可欠なものと定義されているようです。
それが、生産技術の発達で、多くの人が労働しなくても良いことになる事は、そもそも、人間の生い立ちの前提条件が崩れるものとなり、もはや神も仏もない時代、救い様のない時代へ向かうと言うことになります。

如何に科学技術が発達しても摂理に反する生き方が出来るものでしょうか。
人類は冒してはならない領域まで目の前にしていることになります。

その様な訳で、私の言いたいこと(持論)、人間は概ね働く事をやめてはならない。
能力があり意志のある人々に仕事を与えることは、何にもまして重要なことである。

生産技術の発達が、人間から仕事を奪う様なことがあれば、何らかの形で、それを補わねばならない。
一方で、民主主義、資本主義の原理は人類が勝ち取り、人類の幸せに欠かせないものであるならば、国家の力で、社会の力でこれに対処しなければならない。

民主主義、資本主義と言って、これが二律背反で不可能と決め付ける必要はない。
何ができるかを検討しなければならない。
将来は、神の摂理も抱合した民主主義、資本主義のシステムを考えなければならない。

経済の仕組みを考える以前に、人間に仕事を与える為に、作為的にでも仕事を確保することである。
例えば、第一次産業と言われる分野を興隆、復活させることである。

科学肥料が人間に害を及ぼすならば、手間暇かかっても有機農業を復活させることである。
林業を興して、地球の緑を復旧することである。
自然を元に返す為の産業を興すことである。

これらの分野は、経済競争故に打ち捨てられて来た分野でもあり、人間は人間社会の為に、復旧品しなければならない。
しかしながら、資本主義のシステムを取る限り、民主主義を守る限り、それは無理な方向であろう。

そこで、私は提案したい。

以上、言った事業の展開の為の財源は資本主義の論理以外から調達する。
要するに、通貨の増刷(ヘリマネ政策)にほかならない。
民主主義について触れたのは、この領域に関する通貨の増刷が民主主義(資本主義)の概念(公平)に反すれども条件付きでこれを受け入れる必要があるからである。

この為の国家の規制を受け入れることである。
また、それに伴う(食料自給を目的とした場合)交易の制限で生じる物価の不公平性を容認することである。

現代社会は、大規模生産、経済的競争のおかげで、多くの人が昔は考えられない物質、機械器具を手にし狂喜している。
テレビは各部屋に1台、電話は一人一人、自動車もほとんどの家庭が所有し、複数台ある家庭も少なくない。
食料は必要なものの倍以上作っては捨てている。

このような繁栄を否定するつもりはない。
が、そのうちの10%くらいであれば、思うようにはならない不自由を受け入れることができないものか。

人間社会の将来の安定の為に、それくらいの不自由を受け入れるべき時に来ていることは間違いない。
現在は、急激に来た天国のような幸せ感に浸ってはいるが、多くの人が、これではいけないと感じるべき時である。

そうした時に初めて政治は動く、社会は変わる。
現代社会は、色々な矛盾がで初めているが、その不快感を、実際の制度のせいにしているだけでは解決には至らない。

科学技術の発達は、人間の身の丈を超えてしまったのである、神(失楽園)の想定を超えてしまったのである。
これが問題であることを認識しなくてはならない。

とりあえず、今日はこの辺で。





メンテ
失楽園・・・人間生存の基本である第一次産業を忘れた罰 ( No.27 )
日時: 2015/06/04 21:04
名前: 満天下有人 ID:LBCcjgUY

紀元前600年頃の、バビロンの捕囚時代に記されたと言われる創世期に書かれている失楽園。

神によってアダムとエバが失楽させられたその楽園は、有名なエデンの東、メソポタミア文明のチグリス。ユーフラテス河流域に存在した。

神は、園を耕し果実の実を作るよように命じたのに、園の中央に神が植えた知恵の木と生命の木の実を食べたものだから、神しか永遠の知恵と生命を持たないのに、その実を食べた人間が神のようになるのはけしからんとして、神はアダムとエバを追放された。

黙って自然の恵みを耕すことに専念しておれば、人間は生きることが出来るのに、知恵の実を食べてしまったものだから、追放された。でも神の意思に反して人間が生き長らえるには、神が罰したその知恵でしか生き延びる手立てがない。

かくして人間と言う生き物は、神のご意志に反しても、あれこれ知恵を絞って生きる知恵=科学の発達、それによる産業革命、そしてそこから生じた資本主義、それに頼るしか生きることが出来なかった・・・そういうことなのかも知れません。

だがその人間の知恵が編み出した資本主義なるもの、人間が産み出したそのシステムが逆に、人間を支配するようになってしまった。デカルト時代の、我れ思う、故に我あり程度の哲学では、まだそれに気がついていない。ヘーゲルに至って、初期の弁証法的思索の芽が出て、人間が己個人と相対するだけで生きれるのか、社会関係における人間を考えねばならないのではないか、その疑問の入り口に立ったのではあるが、まだ形而上的な把握しか出来ていない。

フオイエルバッハがやっと、人間が編み出したそのシステムに人間が支配されていることに気が付き、カール・マルクスに至って、本格的にその原因が理論的に確立された=人間疎外論なる哲学=労働の外化、労働の二重の疎外論がそれ。(岩波文庫・経済学、哲学草稿84頁)。

働くことに何故か意義を感じなくなった人間、働いても働いても何故か、充実感を覚えない。精一杯働いてもそれは、おれのものでは無くなる、そしてオカネにも結び付かない空虚さ。それは労働が「外化」されたからで、その事は既に神が警告して、お前達人間よ、いくら知恵を働かしてもいずれ、その知恵によってお前たちは滅びるとした、あの2600年前の失楽園で警告されている。そのことをフイオエルバッハやマルクスは気がついていて、論理的に検証したのだと思います。

これから更に生産性の向上で、人間の存在はどうなるのか、その疑問に対して神は既に御答えになっていたと思います。人間は既に人間性を失っていた=これが疎外論であり、働くことの「外化」という哲学で、ヤハウエの神、及び近代哲学の先駆者たちが既に言ってたことだと思います。
メンテ
Re: 未来社会を考える < ヒットラーの予言 ( No.28 )
日時: 2015/06/05 00:49
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:WPr3j5fc

>紀元前600年頃の、バビロンの捕囚時代に記されたと言われる創世期に書かれている失楽園。

結局は、人間の本性は、3000年前から変わらず、それを看過することも、3000年前から行われていたと言うことの様です。


加賀美直史さんと言う生物科学の分野に進んだ人の文章です。彼のブログへ行きましたが英語が多く、ほとんど読めませんでした。
https://naofumi.castle104.com/about/

生物の進化と人間の愚かさについて、少し考えてみました。
生物の進化はDNAレベルでのランダムな変異・組換えが起こった後に、自然選択によって有用なものが残っていくという過程であると考えられています。45億年の歴史と、現在の非常に複雑で高度な生物という形で、このアプローチの有用性は十分に示されています。
リンクのWikipediaの記事にも強調されていますが、生物の進化には目的はなく、変異はランダムに起こると考えられています。
一見すると、これは非効率です。ランダムに頼るよりも明確に目的を持って進化した方が効率がいいように思われます。特に人間のような文明を築いて、医学が発達し、機械工学などの学問が確立していれば、自分で自分の体を作り替えてしまったほうがいいのではないかと。
しかしよくよく思い返してみると、人間が自分の手で進化させたものは必ずしも良い結果を生んでいません。例えば金融危機で問題となっている金融システム。これも長い年月をかけて人類が進化?させているもののです。あるいはビッグ3の経営だって、社員の創意工夫で組織が進化?していてもおかしくありません。いずれも霊長たる人間の中でも優秀なものが、思考力を働かせ、時間をかけながら発展させてきたものです。日本のいまの政治だって、人間が自ら作り上げて進化させてきたものです。
これらは人間が自ら目的意識を持って進化させたとしても、必ずしも良い方向には進まないことの良い例だと思います。
そういう謙虚さを持って、現代人は様々な課題にあたっていくべきだと思います。


この文章を紹介したのは「進化にもコントロールが必要ではないか!」と言うことを言いたかったからです。
ネットで検索しても「進化のコントロール」では、ほとんどヒットしません。
ですが、加賀美氏と同じように、誰かが考え出しているものと思います。

最近、数日、触れてきました人間自身の問題を解きほぐすに必要な概念となるのではありませんか。

メンテ

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