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[2279] 未来社会を考える < ヒットラーの予言
日時: 2015/05/27 18:33
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:TUwY8d8w

ヒトラーの予言──2039年の未来図について

●以下は、ヒトラーが語った言葉(予言)である。
『1999年以後』(祥伝社)から抜粋


「…“2つの極”はますます進む。1989年以後、人間はごく少数の新しいタイプの支配者たちと、非常に多数の、新しいタイプの被支配者とに、ますます分かれていく。一方は、全てを操り、従える者。他方は、知らずしらずのうちに、全てを操られ、従わされる者たち。

しかも進むのはそれだけじゃない。人間がそうなるにしたがって、地球にも宇宙にも大変動が起こるのだ。1989年以後、人類には宇宙から、かつてないカタストロフィ(大破局)が近づくのだ。

若いころ私は、『我が闘争』に、いずれ人間が大自然から復讐されると書いた。それが1989年以後の状態だ。人間が思い上がって宇宙の自然を犯すため、宇宙が人類に復讐の災厄を下すのだ。そしてそれが人類を、想像を絶する究極の状態にみちびいていく。私が生まれてから150年後、21世紀に来る究極に。私自身もそれを霊感ではっきりと見てさえ、信じられないような究極に。」

「…(20世紀末は)たとえ表面はデモクラシーや社会主義の世であろうとも、実質はナチズムが支配していよう。デモクラシーの国も社会主義の国も、われわれナチスの兵器を競って使い、殺し合い、社会は私の望むとおり、強く支配する者と支配される多数者に分かれていよう。それは天変地異の期間でもある。人類は大自然から手ひどく復讐される。気候も2つに分かれ、激しい熱と激しい冷気、火と氷、大洪水と大旱魃(かんばつ)が代わる代わる地球を襲うだろう。」

「だからその中から『超人(ユーベルメンシュ)』が現われる。もはや普通の人間ではそういう危機を制御できない。それに対応するため人類は超人たちを生み、超人が世界や気候を、人間や戦争を治めることになる。
つまり天変地異の下に生きる多数者。それを支配する少数者。その陰で実質的に世界を操る超人グループ。これが、私の予知する21世紀の世界である。」

「しかし諸君、さらに重大なのは、私がいま、これを話している100年後のことだ。それを告げるためにこそ、私は今日を選んで諸君を招いたのだ。今日から100年後といえば、すなわち2039年1月25日だ。

諸君にはわからないだろうが、そのとき人類には真の究極の状況が起こっている。そのとき人類は──少なくとも、いま言っているような意味での人類は、2039年1月、地球からいなくなっているのだ。」

「それは諸君、何かの異変か大戦か災害のために、2039年、人類が残らず滅びるという意味ではない。たしかに、それまでに多くの大難が続けて起こる。1989年から1999年まで、世界は続けざまの天変地異と戦乱の中にあるだろう。そのため一部の恵まれた国を除き、多くの国が飢える。いくつかの国は崩れて燃える。毒気で息絶える街もある。

2000年以後は、それが一層ひどくなる。2014年にはヨーロッパの3分の1とアメリカの3分の1が荒廃してしまう。アフリカと中東も完全に荒廃する。結局、いまの文明は砂漠しか残さない。

しかし人類はそれでも滅びない。わがドイツの一部と米ソの中心部、日本や中国は深い傷を負いながらも生き残る。ただ諸君、それでも人類はいなくなるのだ。いまの意味での人類は、そのときもういない。なぜなら、人類は2039年1月、人類以外のものに“進化”するか、そうでなければ“退化”してしまっているからだ。」

「それをもっとはっきり言えば、人類の一部はそのとき、人類から、より高度なものに進化して、神に近い生物になっている。人類から神のほうへ進化するのだから、それは『神人(ゴッドメンシュ)』と呼んでかまわない。

残りの大部分は、これも進化なのか退化というべきかわからないが、一種の機械になっている。ただ操られて働いたり楽しんだりするだけの、完全に受動的な、機械的な反応しか示さない『ロボット人間』になっているのだ。それまでの気候異変と環境異変、政治と娯楽と食物、それから起こる突然変異が、そのようなロボットのような人間を大量に生み出す。

神人のほうも同様で、同じ原因から生まれてくる。ただ突然変異が大脳にプラスに働いて、進化の方向がロボット人間と別方向になるだけだ。その前段階の『超人(ユーベルメンシュ)』たちも、より進化して神人になる場合がある。

いずれにせよ、彼らはいまの人間の数次元上の知能と力を持つ。彼らは団結して地球を支配する。それまでのあらゆる危機や問題は、彼ら神人たちの知能と力で急速に解決されていく。」

「ロボット人間たちのほうは、それに従って生きるだけだ。これはある意味では気楽な身分だ。戦争も気候も経済も、神人たちによって制御されてしまうので、ロボット人間たちは神人たちの認める限度で、多くのものを与えられる。食物と住居も、職業も娯楽も恋愛も教育も、時には思想さえも与えられる。

ただロボット人間たちは、与えられ、操られていることを意識できないようになる。自分たちの意識では、何もかも自分で選択して勝手に生きているのだと思う。しかし、じつは神人たちがすべてを見通して、管理工場の『家畜』のように彼らを育て飼うことになるのだ。

こうして人類は、完全に2つに分かれる。天と地のように、2つに分かれた進化の方向を、それぞれ進みはじめる。一方は限りなく神に近いものへ、他方は限りなく機械的生物に近いものへ。これが2039年の人類だ。その先もずっと人類はこの状態を続ける。
そしておそらく2089年から2999年にかけて、完全な神々と完全な機械的生物だけの世界が出来上がる。地上には機械的生物の群れが住み、神々がそれを宇宙から支配するようになるのだ。」


(引用終わり)

ヒットラーと言うイメージでは、このような思想を思い浮かべることはできません。
どこまで、真実であるか解りませんが、ヒットラーでなくても、このような歴史観があることは興味深く、また概ねは現代及び未来社会を暗示している様です。

メンテ

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おやエリさん、これはお珍しい>いっせいです ( No.97 )
日時: 2015/08/07 11:31
名前: 満天下有人 ID:W4OKDEtU

猛暑続きで頭もタコイカのように軟化しますなあ(笑)。

<通貨の裏づけは、国民の総資産(国有資産も含む)であります。>、やはり理解されておりますね。

ただし、政府借金1000兆円に見合う国民金融資産はまだ300兆円ほど残っています。

日銀資金循環統計:昨年6月末現在 家計金融資産 1645兆円 ローン等負債355兆円。
                              差引残高1290兆円

           内、政府が最後の負債精算権力による担保精算分 −)1000兆円
              まだ通貨及び国債価値担保に充当できる額    290兆円

ギリシャはIMFやECB借金返済に、国有財産である港湾コンテナーヤード、空港、など売却。これから電力会社も売るようです。
わが国政府資産で最も換金性の高い投資勘定が約150円ありますが、これは公益法人向けの出資金で、実質は何も無いでしょうね。あと、木曽川とか大井川などの河川権利売ろうにも、買う所がおまへん(笑)。東名高速は形の上では既に民営化されているし・・・。

自衛隊を海外に派兵したいなら、アメリカやNATOから料金取ったら、どうでっしゃろ、財政の助けになりまっせ(笑)。

メンテ
Re: 未来社会を考える < ヒットラーの予言 ( No.98 )
日時: 2015/08/07 14:10
名前: エリーゼ ID:nBMV3eP.

>通貨の裏づけは、国民の総資産(国有資産も含む)であります。

>総資産が担保された通貨とも言えます。


このことは、1000兆円の負債の根拠となるものが、国有総資産への借入金によるコスト増ですが、

本来、国家のイニシャルコストは印刷によらなければなりません。このことは誰ひとりとして、理解していません。

もっと勉強して欲しいものです。

メンテ
あたらしい経済のシステムとは! ( No.99 )
日時: 2015/08/27 21:25
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:gCIKZues

あたらしい経済のシステムについて検索したところ、次のような問答があることを見つけました。

http://oshiete.goo.ne.jp/qa/2131543.html
質問者:dochiteboy

>クエッション

最近貧富の格差が拡大していると言われています。お金さえあれば何でもできるという極端な拝金主義やいわゆる勝ち組の人たち、その一方で学校の給食代すら払えない低所得世帯が急増しているとか。経済学者やエコノミストも所詮は今ある経済システムの枠内での議論をしているに過ぎません。
共産主義でも社会主義でも資本主義でもない、これまでの貨幣経済を根本的に変えるような全く新しい経済システムって考えられないものでしょうか?もちろん政治システムとも関係してくると思いますが。
一億総中流時代と呼ばれた時代がありましたが、それこそ全人類総中流世帯になるような画期的なシステムって考えられないものでしょうか?また、最先端の経済学の研究ではどんなことを研究しているのでしょうか?そういう画期的な議論はされていないのでしょうか?
数千年に一度くらいの大天才でも現れないと無理なのでしょうか?


dochiteboy氏の問いかけに、かなりの人が応じていました。
このスレッドの内容に即したものであるので紹介します。
ですが、どの方も問題意識はあっても、具体的な内容までは踏み込めていないようです。
ですが、この様な気運が高まる事は大切な事と思います。


>アンサー1

> 1.バイオテクノロジーの飛躍的進歩で食料が無制限に生産できる。

> 2.宇宙開発の飛躍的な進歩で宇宙ステーション、スペースコロニー、他惑星への移住が容易に可能になり、人口増加は問題にならない。
> 3.石油に変わる安価なエネルギーの開発が本格的に実用化し無制限に利用できる
> 遺伝子(テロメアの研究など)や再生医学の研究が飛躍的に進歩すれば人間の寿命は飛躍的に延びる

dochiteboyさんの仮定には書かれていませんが、これだけ科学技術が発達していれば、その世界の生産者は人間ではなく、人間と同等以上の知能を備えたロボットであるとも想定できます。それらロボットの開発・生産・保守・管理もロボット自身が行うでしょう。人間が行うよりも論理的、かつ正確であり、休む必要がないので生産性も高いはずです。人間が必要とするものは、全てロボットが用意してくれます。もはや、人間は働かなくても、何不自由なく生活できてしまう環境になります。

dochiteboyさんの言われる「全人類総中流世帯になるような画期的なシステム」「全く働かなかったとしても全ての人が最低限の衣食住を確保できる」の実現のために必要なのは、「全く新しい経済システム」ではなく、未来の科学技術ではないでしょうか?そして、そのような世界では、私たちの考える「経済」という概念自体が成り立たないように思えます。もっとも、仮定的要素をベースにした世界では、生きがいや生死観が現代人と全く異なるでしょうから、私にはその世界をうまく想像できないのですが…。

「無制限」など、都合のいい仮定的要素を付加してしまうと、「最先端の経済学の研究ではどんなことを研究しているのでしょうか?」以外の質問が意味を成さないように思えます。(偉そうですみません)



>アンサー2

最新の経済学でしたら、以下のキーワードで検索してください。

最近、立命館の先端総合学術研究科なんか元気です。

●実証的経済学と規範的経済学●厚生経済学●進化経済学●複雑系
●アローの一般不可能性定理●ゲーム理論●パレート最適●格差原理
●シュンペーター●スラッファ●ガルブレイス●森嶋道夫
注:若干、偏りあり。

それと、ベーシック・インカム論争について少し、ベーシックインカムとは、市民権に基づく個人の権利として、属性や地位に関わりなく、誰にでも無条件で支払われる生活保証金のようなもの。論争自体の紹介は、単に煩雑となるだけで、質問に関係しそうな部分だけご紹介します。

『要するに、多くのエコロジストが、労働時間の短縮が必要であり望ましいということに関心を寄せているが、簡単な計算を行えば、その理由がわかるだろう。100人からなる社会があり、そのうち90人が職についており、10人が失業中だとしよう。私たちは(a)失業している10人のために雇用を創出するよう努力するべきなのか、(b)90人の雇用を再配分するべきなのだろうか。
エコロジストの戦略に従えば(a)は決して実現することはできない。なぜなら、これは「成長へと突き進む」・・・p212

例えばイギリスのような国で、4000億ポンドのGDPが8000億ポンドになったとすれば、以前に比べて2倍ほど裕福になったと一般の人は考えるだろう。このような経済学者による福祉の定義のなかには、「財」が多くなれば多くなるほど必要や要求の充足度が高くなるとの想定がある。しかし、フレッド・ハーシュがかなり前に提示した、物質的財は「位置的である」という論点(Hirsch,1976)、すなわち財の効用は供給量に反比例して減少するという論点をのことを考慮に入れないとしても(ハーシュは通常の再生可能な財と芸術作品のように再生不可能な財を区別し、後者を位置的な財と呼んだ)、この経済学は、経済成長が財のプラス効果を帳消しにするような「不良品」を生み出しているという事実を見逃している。・・・ウルリッヒ・ベックが主張するように、脱工業社会は不良品の生成によって特徴づけられる(Beck1992)。この消費と極貧層の非消費との間の矛盾の結果、犯罪、絶望、依存といつた数多くの社会的なトラウマが生まれる。にもかかわらず、福祉は物質的な富の際限ない拡大によってもたらされると考えられているのである。p214』

以上、『自由と保障ベーシックインカム論争』 トニー・フィッツパトリックより

引用前半の(b)はワークシェアリングですが、日本では、掛け声だけで頓挫した理由を見つけないと。

●ところで、この気合の入っていない回答を書き込んだ本当の意味は、質問の最後の一行にあります。

いったいどんな天才が、自然科学・社会科学等の個別に分化した、膨大な成果を全て理解しうるのでしょうか?
最初のキーワードに載せた、複雑系は、知識分散と計画経済の不可能性を元に、一般均衡理論とは別の理論に挑戦しています、この件に関しては、塩沢由典氏の『複雑系経済学入門』等をお勧めします。

要約・回答全文のキーワードで自分で検索して調べてね。失礼しました。
悲観しすぎることは無いとしても、楽観できるとは言えません。


>アンサー3

(本当の)経済学者は、

経済学の(本当の)目的である、
完全雇用(=みんな能力・嗜好にあった仕事をして、飯を食える世界)
を達成するには、どうすればいいかを日々研究してます。
それでも、結論は出てきません。
なぜかというと、
 1.情報の伝達速度が平等ではない。
 2.情報の処理能力が平等ではない。
からです。

とりあえず、
 1.情報の伝達速度を平等にする。
 2.情報の処理能力を平等にする。
 3.挑戦する機会を平等にする。
ための仕組みを作ることさえ出来ればいいと思います。
ってのは、すでに経済学(特に情報経済学や労働経済学)では
確立されています。

(続く)
メンテ
あたらしい経済のシステムとは! ( No.100 )
日時: 2015/08/27 21:30
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:gCIKZues

>アンサー4

「最先端の経済学の研究」については知りません。


「これまでの貨幣経済を根本的に変える」というのは、「もちろん政治システムとも関係してくると思います」と考えているように、貨幣の小細工で変わるものではないでしょう。

歴史的に見れば、人類は機械力を手に入れてから大きく『生産力』が変化して変わってきたといえないでしょうか。

もちろん、未来については見えないので、現実から核心となることを考えれば、生産力が大きく変わることでより少数の人間の頭数によって、多くの人間の欲望を物質の面で生産できるということですから、あとは、どのようにしてその生産力の恩恵を多くの人間に行き渡らせるか、という課題でしょう。

したがって、その課題は、個人の問題ではなく、社会的に解決しなければならないことなので、当然のごとく、政治的な問題でもあるということでしょう。

また、公共事業と同じ機能は、戦争によっても作り出すことができます。公共事業費は誰かがもらうことですが、戦費もまた、それを誰かがもらうことです。「誰」は企業であっても、企業の株は、個人にたどり着くように。

まだアメリカはイラクで戦争していますが、こんなことしているようでは、未来の新しい経済システムは未来でしょうね。



>アンサー5

よくぞきいてくれました!!


 では説明しましょう、まず公共投資についてですが現在先進国全体で見ましても失業率は前に比べて上がってますよね?この原因はいろいろあるんでしょうが、IT革命や経済のグローバル化またはアメリカ流の合理主義による生産性の上昇によって余剰労働者がでてきたのがおもな原因だと思います。

 さらにその余剰労働者を吸収できる新たな産業がでてこないことと、民間企業は儲けた利益を設備投資に使わず、配当や企業買収に使い経営規模を巨大化あるいは多角化して得た利益をまた企業買収に使うという弱肉強食時代であり、失業者は増えるばかりであります。

 つまり現在民間に労働需要はなく、国が需要を作るしかないのです。え、公共事業?と思うかもしれませんが電柱や用水路を地下に埋めたり、公園の整備や植林などまだまだやらなければならないことがたくさんありますし、現在民間が採算が取れずやらないような研究開発を国がやることは非常に重要であります。

 さらに付け加えておくと現在のようにメディアが過剰消費を促してメーカーに利益をあげさせ、そしてその利益をもとにメーカーは設備投資をするというスタイルよりも、国が国家事業としてやるなり補助金出すなりして研究開発をしたほうが効率的に技術開発ができ国際競争力が高いのです。これはなぜかといいますと前に書いたモラルや勤勉性の問題と、いままで過剰消費するために生産に投入していた資源や労働力を、技術開発や研究開発に投入できるからなのです。
 
 まあこれをを可能にするためには労働者がいまよりも高度な技能を身に着けなければならないのですが。

 あとのふたつのキーワードは疲れたのでまた今度書きますね。


>アンサー6

一億総中流や景気循環の抑制と技術革新を両立するキーワードは、マネーサプライ、公共投資、そしてインテリジェント・デザインかな?

 実際現在の先進国を見ましても、商品を売って得た利益を元に研究開発をするという民間主導の経済だけでは労働力を吸収できなくなってきているようですし、また現在のようにメディアを使ってむりやり消費
させようとするとモラルや勤労意欲の低下を、まねくようですね。


>アンサー7

考えた人は多分ここに書き込む前にノーベル賞にむけ、論文を書くことと思います。


 さて、「貨幣経済を根本的に変える」と有りますが、近代以前から綿々と使われているシステム(金貨から紙幣、リアルマネーを使わない決済と姿を変えているモノの、本質的には同じ)をすぐに改変出来るとは到底思えません。

 第2に、全員が中流であることが可能かどうか、という点があります。質問者様が想定される「中流」というのはどの位のレベルですか?
 それが、世界の平均値であるならば、それは少なくともパソコンでインターネットを楽しむような余裕のある暮らしではありません。現在の日本の中流とするならば、既に人口は許容量を遙に越えています。
 余剰をパージしますか?それとも生活レベルを思いっきり落としますか?

 さらに、目指すモノに矛楯が含まれています。無から有を産み出すことが出来ない以上、底辺を引き上げる原資は、当然上の方から巻きあげたもので養われます。たとえば、日本における累進課税だったり、相続税だったりするわけです。
 しかし、上から巻きあげて下に配る以上、どうしたって、上にはつねに取られているという意識が付きまといます。反面、下に播く分を手篤くすればするほど、それに対する依存が起きます。社会主義国家での、福祉国家と言われた国々での社会実験の結果からすれば、国家が見える手で行う行為は思いのほか影響を与えやすいものです。ある程度適当な再分配のバランス、というものは有るかも知れませんが、一定のパイを奪い合っている以上、どうしても上が有れば下が出てくるモノと思われます。
 
#もっともこの様な答えは回答子が凡人であるためであって、大天才であればまた違うことを言えるのかも知れませんが。


>アンサー8

>全人類総中流世帯になるような画期的なシステム


それを「社会主義」っていいます。全ての生産性を国が管理して均等に分配すれば皆中流です。
でも、それではやる気が起きないですよね。やってもやらなくても中流なんですから。
だから、社会主義は崩壊しますよね。

つまり、人間が楽をしようとしている限り、総中流なんて不可能なのです。


以上です。
同じような事を考えている人が沢山いることをしり元気をいただきました。


メンテ
未来社会を考える意見の紹介 1 ( No.101 )
日時: 2015/08/28 14:33
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:5pAXU6uw

引き続いて、これから数回、あたらしい社会のシステム(経済)の構築の必要性を説いている人の意見を紹介します。
はじめは「るいネット」からの引用です。
原文は、長ったらしく、必要以上に理屈を言われていますので、その口調を参考までにご覧いただき、後で私の解説をします。

http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&t=6&k=2&m=261011

「新理論が登場してこない理由2 専門家は根本追求に向かえない」


本来なら、新理論を構築するのは、学者をはじめとする専門家の役割である。ところが、今こそ近代観念に代わる新理論が求められているのに、誰も新理論の構築に向かおうとしない。それは何故か?
学者や評論家やマスコミ人=観念思考の専門家たちは、近代観念をメシの種にして生きているので、決して近代観念を捨てることは出来ない。もし捨てれば、たちまちその地位を追われてしまう。
しかし、潜在思念は流動しており、彼らも、新しい潮流と頭の中の近代観念との矛盾・対立を少しは感じているはずだが、一向にその矛盾を切開し根本追求に向かおうとしない。
それは、そもそも新しい潮流を掴む感度が著しく低下しているからだと考えられる。では、彼らは、人々の意識潮流=潜在思念を感取する力を、何故そこまで低下させてしまったのか?

人類は一貫して潜在思念(本能と共認機能)で現実を対象化してきた。言葉や文字が登場して以降も、それら観念に大きく規制されながらも、潜在思念発の現実思考があくまでも主役であった。ただ、文字を操る専門家は、現実から乖離した観念思考に嵌っていったが、それでも多くは、潜在思念発の観念思考に(≒健全な範囲内に)とどまっていた。
しかし、100年前に学校が出来、全国民が7〜18歳(今では22歳)まで、一律に観念教育を受けるようになると、観念回路が成長してゆく時期に植えつけられたこの一律の近代観念は社会共認となり、人々の意識を強く支配するに至る。同時に、試験制度が末端にまで浸透し、その結果、試験エリート=統合階級という身分が不動のものとして確立されてゆく。そして、この新たな身分制度が磐石なものとして確立されてゆくにつれて、統合階級の意識は大衆から離反してゆく。
中でも決定的だったのは、’70年以来(とりわけ’02年以降)、大衆が私権収束から脱して共認収束を強めてきたのに対して、あくまで私権収束を促す試験制度の勝者たる試験エリートたちの意識がどんどんエリート意識(=私権意識)に塗れてゆき、決定的に大衆とは逆行していったことである。その結果、試験エリートたる専門家たちの大半が、大衆の期待を深く感取することができなくなってしまった。

有史以来、求道者たちは、同類期待(=みんなの期待)を深く感取し、それを自らの課題として根本から徹底的な追求を重ねることによって、新観念を生み出してきた。しかし、現代の専門家=試験エリートは、子どもの頃から近代観念を植え付けられ、その上、同類期待も真っ当に感取できなくなっているので、かつての求道者のような本物の追求課題を持ち得ていない。
もし、同類期待を深く自らの課題として孕んだ本物の求道者なら、職業的専門家になると本物の課題を追求できなくなることは明らかなので、プロの道を選ばなかったはずである。従って、易々とプロの道を選んだ時点で、課題意識が著しく低下していることは明らかであり、専門家の99.9%は失格だと言えるだろう。従って彼らは、相変わらず近代観念に立脚したまま専ら細分化された専門領域での目先の追求か、矛盾を取り繕う詭弁の追求しか出来なくなり、新理論どころか誰も大理論(グランドセオリー)の構築に取り組もうとしなくなってしまった。それが、新理論が登場してこない究極の原因(「自分」観念に毒されていない者も含めて、誰も新理論を生み出せない理由)であり、全ては学校制度と試験制度の所為である。

観念思考者たちが、根本追求に向かわない(=近代観念に代わる新理論の構築に向かわない)原因は、もう一つある。
先に述べたように、人類は同類圧力だけが現実を形成する全く新しい時代を迎えたが、人類はこれまで専ら自然圧力を対象とし、同類圧力(主に期待)をテコにして観念機能を形成してきたし、私権時代も飢餓の圧力→私権圧力を前提とした同類圧力(主に闘争)を追求力の源泉としてきた。従って、同類圧力のみを対象とし源泉とする観念思考は、経験したことがない。
例えば、受験勉強のような私権圧力でしか観念追求したことがない人には、同類圧力のみを源泉とする観念追求は出来ない(そもそも追求する気になれない)のかもしれない。試験エリートたる専門家や「自分」観念に囚われた観念病者などは、その典型だろう。
しかし、ほぼ同類圧力のみを源泉とし、対象として期応収束⇒課題収束してきた世代なら、仲間期待発で観念追求することは、充分可能なはずである。その意味では、何よりまず、私権発から同類発へ(=自分発からみんな発へ)の意識の切り替えが求められている。


(引用おわり)

要するに現代の経済のシステムの矛盾に気づきながら、経済の専門家と言われる連中は、真摯にこの問題と取り組む事をしないと言っています。

その理由の一つは、現実の経済専門家と言われている者は、そのほとんどが生活費を現在の経済のシステムの中から得ていて、それに反旗を翻すことは、そく生活の手段を絶たれる環境にあると言うことです。

巨大資本とそれにおもねく国家権力が、その様なものを自由にさせないのです。

もう一つは、現在の経済システムに対する認識が、人々の中では空気や水のように当たり前の自称と身についてしまい、根本的な事を疑うと言う事をしなくなっているのです。

経済の専門家と言えども、従来の知識があればあるほど、それを理解していればいるほど、それを疑うことができないのです。
発明、発見の歴史を見てますと、過去のそれは、簡単に思いつく内容が多かったのですが、今日は、物事についてあらゆる角度からの連携が必要とされており、どこを触れば大きな変換に結びつくかの糸口が見出しかたくなっていることもあります。

其れ故に、知識、情報にこだわる専門家よりも、素人的発想の中に、的を得ているものがあるのではないかと言うことが言えます。

表現は違えど(むつかしく言っている)、この様なことであると思います。
メンテ
未来社会を考える意見の紹介 2 ( No.102 )
日時: 2015/08/28 18:19
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:5pAXU6uw

前回に続いて「るいネット」からです。

http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=260986

「新理論が登場してこない理由1 近代観念は共認収束に蓋をする閉塞の元凶となった」

情報中毒による追求力の衰弱もその一つだが、新理論が登場してこない最大の原因は、近代観念が人々の共認収束に蓋をする閉塞の元凶となったからである。
近代観念も、市場の拡大期には私権拡大の可能性に誘引されて、その追求力が衰えることはなかった。しかし、豊かさの実現によって私権拡大が終息し、共認収束の大潮流が出現すると、私権欠乏を大前提とし自我を源泉として生み出された近代観念は、共認収束の出口に蓋をする閉塞の元凶でしかなくなる。

もちろん近代観念だけではなく、近代観念の教宣機関たる学校制度もマスコミも、あるいは私権収束を促す試験制度や試験エリート(学者・官僚・マスコミ人)の存在も、およそ私権統合を担ってきた法と体制の全てのものが社会の桎梏(手かせ足かせ)となったが、中でも、時代閉塞の真犯人と言うべきは、それら私権体制と市場拡大を導いてきた近代観念である。
人々の頭の中を支配する近代観念は、共認社会への出口を模索する人々にとって、この上なく厄介な障碍となっている。従って人々が、思考を閉塞させる近代観念やそれに基づく理論を、邪魔な物として忌避するのは当然である。だからこそ、’70年以来、人々は一貫して思想や理論を敬遠し、無思想・無関心が蔓延していったのである。今や大多数の人々は、理論=役に立たない厄介なものと見なすに至っている。

観念や理論がここまで忌避される原因は、時代=潜在思念が急速に転換していっているにも拘らず、近代観念が全く進化しなかった点にある。
では、近代観念は、なぜ進化できないのか?
近代観念は、自我発で形成された架空観念であり、その一つ一つの観念が、自己正当化観念として働いている。その結果、近代観念に染まったものは、無数の自己正当化観念に囲まれたその中心に強固な「自分」という観念を形成し、あたかもその「自分」観念こそが自分の本質であるかのような錯覚に陥ってしまう。
従って、いったん強固な「自分」観念を形成してしまうと、その「自分」観念を崩すことは自己の崩壊を意味することになるので、「自分」観念を疑うような根本追求に対する忌避回路が形成される。このような根本追求に対する忌避回路が形成されている以上、誰も近代観念を根底から覆すような大理論の構築に向かおうとしないのは当然である。
近代観念に代わる新理論が登場してこない原因の第一は、この「自分」観念による根本追求の忌避にある。

すでに、25年以上も前から、社会のいたるところで綻びが露呈し、その綻びが日増しに大きくなって危機的な様相を呈しているにもかかわらず、学者や官僚が小手先の弥縫策や矛盾を隠蔽する詭弁に終始し、決して根本追求に向かおうとしないのは、近代観念に刻印された、根本追求の忌避作用の為せる所である。
また、近代観念を見限って、予知や宇宙人やアセンション等の超常情報に収束している観念思考者たちも決して大理論の構築に向かおうとしないが、それは、彼らが「自分」観念を温存したまま超常現象に逃避しただけだからである。従って、その超常情報の発信そのものが、大きな騙しとなっている。実際、危機を煽るだけ煽って、後は祈るだけで何もしないこの連中は、金貸し勢にとって実に有難い援軍であろう。そんなことになってしまうのも、「自分」観念を温存したままだからであり、それほどに「自分」観念の根は深い。

しかし、自我・私権の終息により、近代観念(=自己正当化観念)の源泉と誘引先が閉ざされ、どんどん風化してゆくので、その中心に形成された「自分」観念も、時と共に風化してゆき、いずれ消滅する。
代わって、本能回帰・共認回帰の潮流に応合した「もったいない」「役に立ちたい」等の新しい言葉が浮上し、古い近代観念を圧倒しつつある。そして、それら本能回帰・共認回帰の潮流の中で育った若い世代は、次々と「自分」観念から脱却し、素直に期応充足⇒課題収束を深めていっている。いまや、「自分」観念にしがみついているのは、仲間関係が上手くいかない等の関係不全から観念収束した観念病者か私権派だけである。

(引用おわり)

このサイト特有の私権と言う言葉で、ややこしくと言えば語弊があるが、哲学的とか形而上学的に説明しています。
内容は、要するに科学の発達で情報が行きかい、多くの人がそれなりの知識を持つようになった。

と同時に、知識の面でも希求心が充足されたと思い込み、あたらしい知識を取り入れる欲望が少なくなってきた。
そうして、かれらが得ている情報とは多分に現状のものであり、現状を打開する為の情報は、多くはなく、其れゆえに、知識が現状容認で固定される。
一方で、物質的に満たされた社会の現象を見るだけで満足し、将来も思いうかべる気持ちがない。

その下りは下記のように表現されている。

「近代観念は、自我発で形成された架空観念であり、その一つ一つの観念が、自己正当化観念として働いている。その結果、近代観念に染まったものは、無数の自己正当化観念に囲まれたその中心に強固な「自分」という観念を形成し、あたかもその「自分」観念こそが自分の本質であるかのような錯覚に陥ってしまう。
従って、いったん強固な「自分」観念を形成してしまうと、その「自分」観念を崩すことは自己の崩壊を意味することになるので、「自分」観念を疑うような根本追求に対する忌避回路が形成される。このような根本追求に対する忌避回路が形成されている以上、誰も近代観念を根底から覆すような大理論の構築に向かおうとしないのは当然である。
近代観念に代わる新理論が登場してこない原因の第一は、この「自分」観念による根本追求の忌避にある。」

結果、

「自我・私権の終息により、近代観念(=自己正当化観念)の源泉と誘引先が閉ざされ、どんどん風化してゆくので、その中心に形成された「自分」観念も、時と共に風化してゆき、いずれ消滅する。

代わって、本能回帰・共認回帰の潮流に応合した「もったいない」「役に立ちたい」等の新しい言葉が浮上し、古い近代観念を圧倒しつつある。そして、それら本能回帰・共認回帰の潮流の中で育った若い世代は、次々と「自分」観念から脱却し、素直に期応充足⇒課題収束を深めていっている。いまや、「自分」観念にしがみついているのは、仲間関係が上手くいかない等の関係不全から観念収束した観念病者か私権派だけである」

要するに自己意識が萎えた人々は、自分が考えるのではなく、共生の概念にのみ逃げ、ボランティア活動などに存在意義を求める。
真正面から社会の有り様を言及することはしなくなる。

当然、あたらしい社会、経済のシステムなどに興味を持たず、先見者が、それを示しても反応はない。

と言う様な意味と考えます。
「るいネット」には、このように難解な文章がある。
もっと平易に現せると思うが。

ともかく、2つの意見は、あたらしい社会(経済)のシステムの提示は、二重の意味で困難であり、まだ誰もが成功していないと言うことでしょう。

必要なのは、解っていても。

メンテ
未来社会を考える意見の紹介 3 ( No.103 )
日時: 2015/08/28 18:29
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:5pAXU6uw

http://www.ritsumei.ac.jp/acd/re/ssrc/result/memoirs/kiyou18/5.pdf#search='%EF%BC%94%EF%BC%8E%E6%96%B0%E3%81%97%E3%81%84%E7%B5%8C%E6%B8%88%E5%AD%A6%E4%BD%93%E7%B3%BB%E6%A7%8B%E7%AF%89%E3%81%AE%E5%BF%85%E8%A6%81%E6%80%A7'

現代経済分析の視点・新しい経済学を求めて ... - 立命館大学のシンポジウムから。

4.新しい経済学体系構築の必要性

経済学の歴史は,古典派,マルクス主義,新古典派,ケインズ,また制度学派などが資本主
現代経済分析の視点・新しい経済学を求めて ―シンポジウムをめぐって―(岩田) 77
義社会の分析を行ってきた.これまでの日本の経済学界は,欧米で確立された経済学の応用で
あり,独自の体系を形成するまでには至っていない.しかし,最近では複雑系,あるいは進化
経済学などが一定の支持者をもって展開している.2008年のノーベル経済学賞を授与された
ポール・クルーグマンは新制度学派を名乗っている.21世紀の経済学は,理論・政策の多様化
が進展している.そこで今日の経済現象は,生産,分配,消費あるいは金融システムの転換ま
でを含んだ新しい経済システムの形成を必要としているのか.あるいは21世紀の経済学は,既
存の経済学の応用か新しい体系の確立かの岐路にたっており,経済学の真価が問われているの
である.

萩原は,経済学の意義を次のように捉える.経済学は新しい現象の発生にたいして,それと
どのように取り組んでいくかが,基本的な課題である.したがって現実的な出来事に向かい合
うことにより,その適切な処方箋を提起することが重要である.その場合のポイントは,例え
ば非正規雇用が増えることになれば,大多数の社会の構成員から分配の不公平なこと,制度の
改善の声が出てくることが望まれる.人間は利己的であるといわれているが,同時に他人に対
する「思いやり」を持っているのである.経済の種々な問題が生じても,人間の利己的な側面
からのみの解決策ではなく,「思いやり」を込めた処方箋を提起していくことが経済学の課題
である.さらに経済学は,現実の問題に対処できるものと,できないものを取捨選択していく
ことが求められている.

後藤は,経済学は経済システムを設計する責任があることを強調する.経済システムの設計
は,生産,消費,分配活動のなかで個々人が主体的に携わることを前提にすべきである.経済
システムにおいては,雇う側と雇われる側の階級的な固まりがあることが歴史的であり,また
構造的な点で重要である.ただしこうした固まりが社会を構成する唯一の分け方なのであるか
は問題がある.現在は「階級」という言葉を避け,「所得階層」などの言葉が使用されている.
統計的な手法による便宜的な「固まり」である.こうした方法以外に,例えば高齢者という「固
まり」,障害者という「固まり」,あるいは女性という「固まり」などがある.こうした「固ま
り」は,本人が望むと望まざるとにかかわらず,社会的・経済的な不利益を制度的に負ってい
るのである.マルクスが述べたように,制度が個人を制約し,さらにそれぞれのポジションに
よって幻想を抱くという状況がある.「固まり」を現実の暮らしの中で,種々な角度から捉え
ることが必要である.したがって生産,消費は個々人の選好や価値判断で集合的に行っている
のである.例えばわれわれがデパートに買い物に行って,何を買いたいのかを考えるとき,ど
のような経済システムを選択するのか,個々人によって異なっているのである.こうした個々
人の主体性に関して新古典派経済学は,同一視するという最大の難点がある.個々人は,一定
のシステムの中で,許容の範囲での予算とか,戦略とかをたて,自分の消費を決めていく.す
なわち個々人の自由がある.またこれまでの経済学は二つの大きなテーマをもってきた.一つ
は大きな経済システム,オルタナティヴの設計.もう一つは社会的選択理論に代表されるよう
なシステムの合意である.マルクスにより提起された歴史的・構造的な枠組みを受け継ぎなが
ら,新古典派経済学によるミクロ分析,すなわち個人に焦点をあてて,分析する視点である.
さらに規範としての「市民的自由」,「政治的自由」であり,センの主張する「福祉的自由」で
ある.「福祉的自由」は個々人が現実にどれだけ選択することができるか,選択の手段をもっ
ているか,また個々人と異なるポジションにいる人々がどれだけの選択権をもっているのかが,
問われる.こうした視点からの経済学の形成が必要である,と主張する.

角田は,新しい経済学とは自分の頭の中でひねり出すというのではなく,既存の経済学の再
配置が必要である,と主張する.個人の立場から出発すれば,個人は企業・集団で働く一人の
人間であり,地域の住民であり,消費者として企業に向かい合う,国民としての主権など様々
な属性をもっている.このような個人が社会関係の中で種々なコミュニティを形成する.コ
ミュニティを支えているのが市場でもある.国家は全体としてのルールを作成し,一部強制力
も発揮する.こうした点はサミュエル・ボールズが主張するようなコミュニティ,国家,市場
ということになる.ただしコミュニティは,古いコミュニティが解体されるという意味ではな
く,企業を含めて新しい集団が形成されていくということである.したがってこうしたコミュ
ニティをつないでいく新しいシステムが必要になる.またベーッシク・インカムについては,
たとえば現在の日本の社会保障の総額が100兆円であり,国民一人あたりにすれば90万円にな
る.後藤は,この90万円をベーシック・インカムとして保障すればどうか,と提案しているが,
しかし所得は生産,労働,資産があってはじめて発生するものである.古典派経済学は分配の
前に生産があることを主張していることの理解と同一の問題である.

平田は,大筋では後藤の提起と変わらないとして次のような考え方を示す.今日の経済学は
古典派経済学のフレームワークのなかだけで考えても問題を解決できない.一昔前はミクロ経
済学とマクロ経済学の関係がどのようになっているのかが議論になった.それは,たとえばミ
クロとマクロは接合していない,というようにである.ミクロ経済学とマクロ経済学は個別分
野では接合が進んでいた.それはミクロが新古典派経済学,マクロがケインズ経済学として整
理されていたからである.しかし最近の動向は,全体像を捉えるマクロの視点と新古典派のミ
クロの視点との接合がうまく行われていない.むしろケインズ経済学に対するアンチテーゼの
ような考え方が,数多く出現している.ところがそれらは,新古典派のマクロモデルでの個別
の消費,投資関数の組み立て理論ができていても,マクロ全体でどのように調整するか,フレー
ムワークとしてどのように捉えるかの理論立てが弱くなっている.したがってこうした考え方・
方法論が再構築さるならば,社会的な合理性あり,かつ社会的な合意がえられるならば,コン
トロールすることが可能かもしれない.そのためのプロセスを導き出すマクロコントロールが
現在見えにくくなっている.それ故に経済学は,ミクロとマクロの接合できるモデルの必要が
あり,課題がある.しかし現状は,こうした課題をこなすことが困難になっている.

(引用おわり)

分析ばかりで、いささかつまらない。

結局は、具体的にはベーシック・インカムに逃げている。
もちろん、無制限なベーシック・インカムであるが、もう少し考えられることがあるのではないか。

まあ、何はともあれ、大学の研究の立場では、こうした「あたらしい経済のシステム」について論議されていることが分かり、その紹介に代えさせていただいた。

メンテ
科学技術が貧困をもたらす ( No.104 )
日時: 2015/09/02 09:55
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:ESX5GMUk

https://sites.google.com/site/nekodemokeizai/jing-jino-ben-zhitookane/ji-shuno-jin-buga-pin-kunwomotarasutoiu-mao-dun

科学技術が進歩して生産性が向上すれば人々の生活は豊かになると誰もが思うでしょう。ところが現実はその反対です。科学技術の進歩により、安い価格で大量の商品が生産できるようになると、逆に失業がどんどん増えるのです。今まさにその矛盾が日本を襲っています。

<市場経済の致命的な欠陥>

科学技術が進歩して、機械やコンピューターが人々の労働を軽減してくれるなら、人々にゆとりが生まれ豊かな社会になる。子供の頃、多くの人はそう信じていたはずです。たとえばすごく高度なロボットが現れて、人々の代わりに労働をすべて担ってくれるなら、人々は労働から解放されるはずです。そして、人々はスポーツや芸術や学問の場で競い合うことによって、人間のさらなる可能性を追求するようになる。まあ、すこし現実離れした夢のような話ですが、でも、科学技術が進歩すれば、その夢に向かって徐々にでも前進するはずでしょう。

ところが現実は逆です。科学技術の進歩で生産性が高まると、労働力がいらなくなります。すると企業はコストダウンのために人々を解雇するようになります。コストダウンにより企業は、より安い価格で商品を大量に生産できるようになります。ところが日本のあちこちの企業で同じように生産性の向上に伴って人々を解雇するようになると、社会にどんどん失業者が増えます。失業者が増えることで商品を買うことのできる人も減ってしまいます。すなわち、技術革新により安い価格で大量の商品が生産できるようになる一方で、それを買える人がどんどん減っていくのです。そして商品を買える人が減るため商品が売れ残るようになり、デフレになってしまいます。驚くべきことに科学技術の進歩が原因で経済が衰退するのです。その引き金を引くのは「コストダウン」というおカネと市場の理論です。「生産と分配」という本来の目的を無視しておカネの理論が暴走しているのです。

少し考えれば、多くの人がこの異常な矛盾にすぐに気づくはずです。ところが、政治家も経済学者も、当然ながらマスコミも、この最大の矛盾を正面から問題提起する人は誰もいません。未だかつて、その答えを聞いたことも見たこともありません。

<新自由主義が矛盾を増幅する>

かつて終身雇用制の日本では、このような矛盾は露骨に表面化してこなかった。なぜなら、終身雇用だからコストダウンのために、社員を簡単に解雇することはなかったからです。確かに社員を首にできないぶんだけコストは下がりにくかったかも知れないが、逆に失業が増えないことで人々の購買力は維持され、商品が売れなくなることもなかったのです。それが日本の高度成長期の厚い中間所得層、いわゆる「日本総中流」の実態であり、これが貧富の格差の少ない日本を実現していた。物価は高くとも、貧富の差は少ない社会だった。

ところがアメリカからグローバリゼーションと新自由主義が導入され国際間のコスト競争が激化した。そして企業は海外とのコスト競争に打ち勝つためにコストダウンを迫られ、雇用の流動化が進む中で容易に社員を解雇するようになり、終身雇用制は崩壊した。これによりコストダウンが実現し、物価は安くなり始めたが、逆に人々の賃金が低下し、失業が増加することになり、国内の消費者の購買力は不況もあいまって低迷を続けた。内需が不足するデフレが続いているのだ。その結果、せっかくコストダウンで大量生産した商品も国内では売れず、結局は海外へ輸出せざるを得ない状況になった。事実、高度成長期には比較的低かった日本の貿易依存度は近年延び続けている。こうして日本の中流層は崩壊し、物価が安くとも貧富の格差は広がり、貧困層の増加を招いたのです。

技術革新により、安い価格で大量の商品が生産できるようになる一方で、それを買える人がどんどん減っていく。これは貨幣経済と市場経済のメカニズムが内包する致命的な欠陥です。「生産と分配」という経済本来の目的を無視しておカネの理論が暴走しているのです。今の日本政府のようにこれを「グローバリゼーションと新自由主義」は良い事だといって放置を続けると、貨幣経済と市場経済の負の側面がどんどん拡大して、やがて日本の経済が崩壊してしまうでしょう。

<高付加価値商品の開発は問題解決にならない>

今日まで貨幣経済と市場経済の矛盾を防ぐ唯一の方法として主流だった考えは「新しいニーズの開拓」です。新たな商品に対する人々の欲求を刺激することで需要を生み出し、その需要を満たすための商品を生産することで仕事が生まれ、失業していた人が職を得るという方法論です。「日本は高付加価値商品の開発に活路を見出すべきだ」などの主張がこれに当たります。しかしこの方法を採用した場合、人々の雇用を維持するためには生産性の向上に伴って限りなく欲求を拡大し、生産量を拡大し、大量生産、大量消費を続けなければなりません。永久に右肩上がりに大量生産・大量消費を拡大する。そんなことは可能でしょうか?不可能です。地球の資源が枯渇してしまいますし、環境の破壊も懸念されます。しかも欲求の拡大は無限ではないようです。だから日本の内需が伸びないのです。もし日本人の欲求が拡大し続けていたなら、日本経済は今とは違ったものになっていたはずです。

しかも、もし日本のメーカーが高付加価値商品を開発したとしても、それが日本の雇用を生み出すでしょうか?答えはNOです。高付加価値商品も人件費の安い海外で生産されます。実際、アメリカのアップル社はiPhoneで飛ぶ鳥を落とす勢いですが、その製品の生産はアメリカではなく台湾や中国で行われ、台湾や中国の雇用を生み出しています。すでに国境を越えた技術移転も簡単に行われるようになり、日本の企業が日本の雇用を生み出すという常識さえ疑わしいものになりつつあるのです。

「日本の不況は生産性の向上ではなく、中国からの輸入が原因だろう」と言う人もいるでしょう。しかし、それも生産性の向上の一種です。この生産性の向上は技術革新ではなく、グローバリゼーション(国際分業)が引き金です。中国で安く生産できるようになるということは、コストベースで言えば生産性の向上を意味するからです。技術革新でコストダウンすることと同じです。ロボットが人間の代わりに労働してくれると同じように、日本人の代わりに中国人が労働してくれるわけです。それで、日本人は生活必需品を作る必要がなくなったのです。その分だけ、日本の失業者が増えるのです。

(引用おわり)


文中にもある様に、失業の問題は市場主義経済論の、どこを弄っても解決はできない段階に来ているのですが、その至上主義経済の恩恵を受けている連中は、本当の事を、時代の変遷を認めようとはしません。

こうしたブログなど。利権と関係のない人たちが声を上げてはいますが。
メンテ
アルゼンチンの破綻とは ( No.105 )
日時: 2015/09/02 13:00
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:ESX5GMUk

財政破綻で大成功したアルゼンチン

https://sites.google.com/site/nekodemokeizai/akusesuno-duoi-ji-shi/cai-zheng-po-zhande-da-cheng-gongshitaaruzenchi


アルゼンチンはIMFの介入を受け、新自由主義政権の下で経済が崩壊し財政破綻したが、その後、新自由主義を排除し、目覚しい経済成長と福祉の実現を達成しつつあります。共産主義が病気であると同様に、新自由主義も国家を破綻に追い込む病気なのです。

「マスコミに載らない海外記事」というすばらしいブログがあります。そこでの記事「アルゼンチン: 何故フェルナンデス大統領が当選し、オバマが落選するのか」を以下に抜粋・一部修正して引用します。
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-8c71.html

(以下は、引用記事)

<アルゼンチン、危機から、力強い成長へ>

アルゼンチンの経済的破局と大衆反乱は、それまでアルゼンチンを支配してきた軍国主義と投機的略奪から、社会福祉と持続的な経済成長へという基本的転換を実現する好機となった。その結果、アルゼンチンはアメリカが後押しした30年間の略奪的新自由政権を脱し、「正常な資本主義福祉国家」を作り出すことに成功したのだ。

アルゼンチンは、1976年から1982年の間に、30,000人のアルゼンチン人を殺害した大量虐殺将軍達を生み出した、残虐な軍事独裁に苦しんだ。1983年から1989年まで、独裁政権時代の遺物に対処し損ね、三桁のハイパー・インフレーションの中で指揮をとった、新自由主義政権のもとで、アルゼンチンは苦しんだ。1989年から1999年、アルゼンチンは、最も利益の上がる、公企業、天然資源(石油を含む)、銀行、道路、動物園や公共トイレを、特売価格で外国投資家に売り渡された(追伸:世界銀行やIMFが介入した国では良くある搾取事例)。そして2001年12月、銀行が閉鎖し、10,000社が倒産し、最終的壊滅的崩壊に至った。

アメリカとIMFが推進した“自由市場”政策の全面的な失敗と人的災害を背景に(追伸:IMFの介入を受けた国家は長く貧困に苦しむが、アルゼンチンもそれ。IMFの実態を良く知るマレーシアはアジア通貨危機後にIMFを断固拒否して経済的に復活を遂げた)、キルチネル/フェルナンデスはアルゼンチンの対外債務をデフォールトし、民営化されたいくつかの企業と年金基金を再国有化し、銀行に干渉し、経済再生に向け社会的支出を倍増し、製造向けの公共投資を拡大し、一般消費を拡大した。2003年末までには、アルゼンチンはマイナスから、8%成長に転じた。

<人権・社会福祉と独立した対外経済政策>

アルゼンチンの経済は、2003年から2011年までに、アメリカ合州国の三倍以上、90%成長した。経済回復とともに、とりわけ貧困を減らす為のペログラムへの、三倍の社会的支出が行われた。貧しいアルゼンチン人の比率は、2001年の50%以上から、2011年の15%以下へと減少した。対照的に、アメリカの貧困は、同じ十年間で、12%から17%に増大した。

アメリカは、1%の人々がアメリカの富の40%を支配する(OECDで不平等が最大の国)。対照的に、アルゼンチンの不平等は半分に縮小した。アメリカ経済はリーマンショックで8%以上も下落し、2008-2009年の深刻な不況から回復し損ねた。対照的にアルゼンチンの落ち込みは1%以下で、堅調に、8%成長をとげている(2010-2011)。アルゼンチンは年金基金を国営化し、基本年金を倍増し、栄養不良対策と、就学を保証する、全児童に対する福祉プログラムを導入した。

対照的にアメリカでは、20%の子供たちが貧弱な食生活に苦しみ、青年の中退率は増大しており、少数民族の子供たちの25%が栄養不良状態にある。医療/教育の更なる削減が進むにつれ、社会状況は悪化するばかりだ。アルゼンチンでは、給与所得とサラリーマンの数は、実質で、10年間に50%以上増えたが、一方アメリカでは10%近く減少した。

アルゼンチンGNPの力強い成長は、成長する国内消費と、力強い輸出収入に支えられている。アルゼンチンの貿易黒字は有利な市場価格と競争力によって安定している。対照的に、アメリカの国内消費は停滞し、貿易赤字1.5兆ドルに迫り、歳入は年間9000億ドル以上の非生産的な軍事支出に浪費されている(追伸:だからTPPを強引に進めるわけだ)。

<緊急援助と貧困に対するアルゼンチン式代替案>

アルゼンチンの成功体験は、国際金融機関(IMF、世界銀行)、その政治支援者、経済新聞の評論家連中のあらゆる教えに反している。経済専門家達は口々に「アルゼンチンの回復は持続可能ではない」と予言したが、成長は十年以上にわたり継続した。金融評論家は、デフォールトすれば、アルゼンチンは金融市場から締め出されることになり、経済は崩壊するだろうと主張した。しかしアルゼンチン経済は出収入と国内経済の再活性化に基づく自己金融によって成り立っており、高名なエコノミストを当惑させている。

フィナンシャル・タイムズのコラムニストは依然としてアルゼンチンの「来るべき危機」について電波を飛ばしている。彼等は「高いインフレーション」「持続不可能な社会福祉」「過大評価された通貨」を持ち出してアルゼンチンの「繁栄の終わり」という予言を書きたてている。8%という成長率の継続や、2011年選挙でのフェルナンデス大統領の圧倒的勝利を目の前にして、自由主義者たちからの中傷誹謗は加熱するばかりだ。英米の金融関係ジャーナリスト連中は、学ぶ価値があるアルゼンチンの経済経験を中傷するのではなく、ヨーロッパと北米における自分たちの自由市場体制の終焉にこそ取り組むべきだろう。



※ もう一つの証言。



デフォルト国アルゼンチンに現代の「桃源郷」を見た

論説委員 太田泰彦

http://www.nikkei.com/article/DGXMZO82291540T20C15A1000000/

 世界の国々は4つのタイプに分類できる。「豊かな国」「貧しい国」、そして「日本」「アルゼンチン」である――。米国の経済学者ポール・サミュエルソンが1990年代に好んで語ったというジョークである。

 米欧の先進国の暮らしや産業のレベルが高いことは、誰から見ても明らかだ。途上国や新興国の人々の苦労を知らない者はいない。けれども、天然資源が乏しく第2次世界大戦で国土が荒廃した日本が、なぜあれほど経済的な成功を収めたのか。素人にも納得できるように説明できる経済学者はいない。

■見た目は「国家崩壊の危機」……

 同じように、世界中がうらやむほど豊かな自然環境と資源に恵まれたアルゼンチンが、どこで何をどう間違えて、これほど落ちぶれてしまったのか。これまた原因は何かと問われて、明快に答えられる専門家は見当たらない。ケインズ学派と新古典経済学を統合した経済学の泰斗の目にも、日本とアルゼンチンは不思議の多い国と映っていたに違いない。

 その後、日本はバブル崩壊と長いデフレを経験し、繁栄の謎を問われる特殊な国ではなくなった。一方のアルゼンチンは2001年に約1000億ドルの債務の返済ができなくなり、最初のデフォルト(債務不履行)に陥った。

 以来、パリクラブなどを舞台に債権者との交渉を延々と繰り返したほか、その間にも合わせて6回ものデフォルトを引き起こした。国際的な信用は地に落ち、孤立を深めている。巨額な債務や米国への激しい対決姿勢など、おどろおどろしい見出しが連日のように紙面に躍る。報道記事で知る限り、アルゼンチン経済はガタガタ。もはや国家崩壊の危機にひんしているようにも見える。

 そんなデフォルトをめぐる不安と臆測が渦巻く昨年の8月初め、緊張に身を固くしながら、同国の首都ブエノスアイレスを訪れた。聞くと見るとでは大違い、百聞は一見にしかず、と言うべきか。治安の混乱や困窮した市民の生活を想像していた私にとって、そこには驚くべき光景が広がっていた。

 人々の表情が、なんとのどかで、楽しげであることか。パリを思わせる美しい石畳の街角で、町の音楽家がタンゴを奏でている。朝には、センスのよい服装の男女が、忙しそうに、だが平和な面持ちで職場へと足早に歩く。夜になるとしゃれたレストランやバーでワイングラスを傾ける人々の笑顔が目立つ。百貨店やモールは買い物客でにぎわい、店には商品があふれていた。大規模なデモもなく、町は極めて静か。もちろん暴動など起きてはいない。

 私が訪れた数日間は、旧市街に露天商が並ぶ手作り小物のフェスティバルが開かれていた。小粋なバッグやアクセサリーを物色してぶらぶら散歩するブエノスアイレス市民と観光客たち。ここがデフォルトした国とは到底思えない。短期間の滞在中に、いつのまにか「危機」の2文字は私の頭の中から消え去っていた。

 この国は世界で孤立している。しかし孤立しても、基本的には生きていける国なのだと実感した。穀物の一大産地であり、大豆油、大豆カスの輸出は世界1位、トウモロコシは2位、小麦は9位。牛肉は世界一おいしいともいわれ、上質の国産ワインが安く手に入る。食べるものには困らない。工業製品の多くを輸入に頼るが、必要な物品は南米南部共同市場(メルコスル)で結ばれた隣国ブラジルから十分に入ってくる。

 エネルギーや鉱物資源もあり余っている。技術的に採掘が可能なシェールガスの埋蔵量は、中国に次いで世界2位とされる。番組でも紹介されるが、ハイブリッド自動車などの電池の素材として欠かせないリチウムの生産量は世界4位。銅やアルミなど需要が伸びる金属類も生産、輸出している。

 昨年7月末に陥った今回のデフォルト状態は、アルゼンチンに債務の返済能力が欠如していたのが原因ではない。2001年の危機対応で債務再編と減額に応じなかった、いわゆる「ホールドアウト債権者」との法廷闘争で、同国政府を訴えていたヘッジファンドなどの原告が勝利したからだ。同国が債務の全額を返済するまでは、債務再編に応じた「ホールドイン債権者」に対する利払いをも禁じるとしたニューヨーク地裁の判決を、米連邦最高裁が支持したのだ。ホールドアウト債権者との交渉が決裂した結果、同国は7月30日の利払いを履行できず、デフォルト状態とみなされた。

 実際にはアルゼンチン政府は、ホールドイン債権者への利子の送金を続けている。だが、裁判所の判決が出ている以上、米国の銀行は受け取ったカネを債権者に払い出すことができない。裁判所に怒られるのが怖いからだ。だから債権者の手元にカネが届かない。

 全体の3%とされるホールドアウト債権者は、97%のホールドイン債権者とアルゼンチンを、こうしたジレンマに陥らせることで「デフォルト認定を得ること」自体が狙いだったとされる。タダ同然の格安の値段で旧国債を買い取った上で、債務不履行に備える保険商品であるクレジット・デフォルト・スワップ(CDS)を大量に購入しており、はれてデフォルトとなれば巨額の保険金を手に入れることができる。ひとことでいえば、これは「マネーゲーム」だ。

 だからこそ、アルゼンチン側は猛反発した。その美貌とポピュリズム的な政策が目立つクリスティーナ・フェルナンデス大統領は、ここぞとばかりに「ハゲタカファンド」と、他国をネタにゲームに興じるウォール街、そして米国の価値観そのものを批判した。米国への反撃の急先鋒(せんぽう)は、ノーネクタイのラフな姿で記者会見に現れ、弁舌鮮やかにアルゼンチンの正当性を主張するイケメン大臣。43歳のアクセル・キシロフ財務相である。

■したたかさに陰りなし

 実はフェルナンデス政権は、アルゼンチン国内で今年10月に選挙を控えている。8月には予備選がある。通貨価値の下落やインフレで人気が低落していたこの時期に、米国から予期せぬ挑戦を受けたのは、むしろ幸運だと考えていた節がある。理不尽なハゲタカや米国を攻撃することで、国民のナショナリズム感情に訴え、支持率の底上げにつながると計算しているからだ。つまり、なんのことはない、アルゼンチン国内から眺めれば、今回のデフォルト騒動は「政治ゲーム」である。

 ニューヨークを舞台とする「マネーゲーム」と、ブエノスアイレスで繰り広げられる「政治ゲーム」。これがアルゼンチン史上8回目とされるデフォルトの本質である。

 せっかくだから、ここで一つ番組の秘密をお教えしよう。事の経緯は放送には盛り込まれないが、ジパング取材班は実はキシロフ財務相の単独インタビューに、ほぼ成功していた。最終的に見送ったのは、時間的な制約だけでなく、法外な金額の“コスト”がかかったからだ。外国の債権者に多大な迷惑をかけていながら、アルゼンチンのしたたかさには、いささかの陰りもない。

 鮮やかなドレスをひるがえし、エロス満点のタンゴダンサーが舞台で踊る、踊る……。きらびやかなバンドネオンの音がホールに鳴り響き、バイオリンは切なく歌う。食べ切れないほどのステーキをテーブルに載せて、観客はおいしいワインに酔いしれる。ブエノスアイレスはきょうも、元先進国の誇りと文化の香りに包まれている。

 同じように公的債務が大きくても、日本にはまねはできない。ここは現代の桃源郷ではないか。私は滞在の最終日に、そんな錯覚に陥っていた。


 「私が見た『未来世紀ジパング』」はテレビ東京系列で毎週月曜夜10時から放送する「日経スペシャル 未来世紀ジパング〜沸騰現場の経済学〜」(http://www.tv-tokyo.co.jp/zipangu/)と連動し、日本のこれからを左右する世界の動きを番組コメンテーターの目で伝えます。随時掲載します。筆者が登場する「他人事じゃない!?ハゲタカに狙われたアルゼンチン」は1月26日放送の予定です。

(引用おわり)

国家の破綻、破綻と大騒ぎしている経済学者に取って、破綻とは、金融資本の損得について言っているのであろう。
要するに現代の経済の混沌は、ロスチャイルドなどが作り、それに参加している金融マフィアたちのゲームなのである。

現代の金融理論など、そのゲームのルールに過ぎないのである。

次に、同じようにギリシャの事を見てみましょう。



メンテ
ギリシャの場合 ( No.106 )
日時: 2015/09/02 23:43
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:kbFeQ1pc

ギリシア問題は通貨統合のワナ

https://sites.google.com/site/nekodemokeizai/sono-tano-ji-shi/girishia-wen-tiha-tong-huo-tong-henowana

<ギリシア問題の根幹は生産力不足>

ギリシア問題の根底にあるのはギリシア国内の供給能力の不足です。そしてギリシアのように供給能力が不十分で国際競争力のない国が、ユーロを採用してドイツをはじめとする競争力の強い国々と通貨統合するとどうなるか?それはある種の「わな」のようなものです。通貨統合は人々に幸福をもたらすとは限りません。通貨統合すれば「弱肉強食の世界」になるのです。なぜそんなことが言えるのか、考えてみました。

<通貨統合前のギリシアは貿易収支は自然に均衡していた>

ギリシアは貿易赤字国です。貿易赤字ということは、ギリシア国内の生産だけで自国の人々の需要を満たすことが出来ないため、不足分を輸入に依存しているということになります。つまり国内の生産能力が不足した状態です。ところで、貿易赤字が続くと貿易代金の支払いのためにおカネがどんどん国外へ流出してしまいます。まず通貨統合前の状態を考えてみます。通貨統合前のギリシアにおいては、独自通貨の「ドラクマ」が使われていました。貿易赤字が続くと、為替市場においてドラクマは値下がりを続け、ドラクマ安になります。ドラクマが安くなると輸入品が値上がりしてしまうことから、自然と輸入に歯止めがかかるのです。輸入に頼れなくなると生活が苦しくなりますが、やがて国内の生産力を強化することで総需要の不足分を自国内で調達できるようになります。

また自国通貨が安くなることで輸出価格競争力が増し、輸出を増加し、その対価として自国で調達不能な資源などの輸入を再開することが出来るようになります。このように、独自の通貨を使用している状態であれば、為替市場における調整機能が働くことにより、自国通貨安を通じて輸入に歯止めがかかります。そしてやがて国内の生産力が強化されることで人々の需要は満たされ、貿易赤字の問題も解決されます。また、そうでなければならないのです。

<ユーロだから貿易赤字にストップがかからない>

ところがユーロは複数国家で導入されていることから、為替市場におけるユーロの相場は自国だけでなく他国の貿易収支を加えて影響されます。たとえばギリシアがユーロ圏外との貿易において貿易赤字でも、ドイツが貿易黒字であればユーロ全体としては貿易赤字にはなりません。だからユーロは値下がりせず、ギリシアの輸入品の価格が上昇することはありません。すると輸入品が安いのだから買えば済むという安易な判断になってしまいます。ユーロを握っている限り、いつまでも貿易赤字を垂れ流しで輸入ができる。こうなると国内の産業を発展させて生産力を向上する必要はなくなってしまいます。ところがここに罠があるのです。貿易赤字をそのまま続けると輸入代金の支払いのために国内のユーロが国外へどんどん流出して国内はユーロ不足、つまりおカネの無い状態となります。しかしユーロ通貨の発行権は欧州中央銀行だけにあり、各国は通貨の発行権を剥奪されています。つまりギリシアは自国通貨であるはずのユーロを発行することができません。すると、国内はどんどんおカネが不足してしまう。

<自由貿易だから関税もかけられない>

国内のカネが不足すると何が起こるのか?不況が発生するのです。そのメカニズムを通貨循環の視点から簡単に考えてみましょう。ギリシアの人々はギリシア国内の企業で働いている。そこで受け取る賃金はその企業が生産した付加価値、つまりギリシアで生産された全商品の総額とほぼ同額です。その賃金は本来なら全額がギリシア国内で生産された商品を買い取ることに使われなければならない。そうすることで企業におカネが戻り、そのカネに基づいて生産が行われ、そのおカネが再び人々の賃金となるからです。そうしておカネが国内で循環することにより、ギリシアの国内経済が健全に保たれます。

ところがその賃金の一部が輸入品の購入に向けられることで、海外へ流出して戻ってこなくなる。つまりギリシアで生産された商品に売れ残りが生じる。すると、本来は全額がギリシア国内の企業へ戻るはずだったおカネが減ってしまいます。ですから企業の収益が悪化します。また、売り上げとして企業へ戻ったおカネが次の段階でギリシアの人々の賃金となります。ところがそのおカネが海外へ流出して減っていますから、賃金として支払うべきおカネの総額がすでに不足しています。つまり、ユーロが海外へ流出することで賃金が次第に減るのです。そのようにして次第にギリシアの人々は購買力を失い、産業もすたれてしまいます。

このような場合、普通の国であれば、関税を用いて輸入を抑制すればよいのです。まず輸入を抑制して海外へのおカネの流出を防ぐ。そしてその間に不足している商品を国内で生産する体制を整える、あるいは別の輸出産業を育成することにより、貿易赤字を出さないようにしながら国内の需要を満たすための政策を行うのです。ところが、ユーロ圏では関税の権利も剥奪されています。関税が撤廃された自由貿易圏だからです。ユーロ圏はまさしく「新自由主義」の世界そのものです。つまり、もはや海外へおカネが流出することを防ぐ手段はないのであります。このようにギリシアは出血多量により瀕死状態となるわけです。


<通貨の発行権を剥奪された国の破綻>

ギリシア政府の苦悩は察するに余りあります。通貨は発行できない、為替の調整機能は働かない、関税もかけられない。一方で不況により困窮した国民からは突き上げられる。そこでギリシア政府は国債の増額に踏み切るのです。しかし、ギリシア国内ではおカネが貿易赤字のためにどんどん流出しているから、当然ながらギリシア国内の貯蓄額も非常に低くなっています。国内で国債を調達しようとしても国内にはおカネがない。ここは苦しくても踏ん張らねばならないのですが、ギリシア政府は悪魔の誘惑に勝つことができなかった。ギリシア国債を外国に売ってしまいます。ユーロは欧州通貨であり信用力がありますから、海外からユーロ建てで借金することができる。そのことに甘えてギリシアは国債を発行し続けたのです。それを買ったのは、ギリシアに大量の商品を輸出して、ギリシアから代金を稼ぎまくったドイツです。つまり、キツイ言い方をすると、ドイツはギリシアから巻き上げたカネをギリシアに貸し付けたわけです。いまや、そのドイツが先頭を切ってギリシアに借金の返済を要求しています。もちろん、借りるギリシアにも問題はあります。

そして国債にも通貨統合の罠があります。ギリシア国債はユーロ建てなので、ギリシアの自国通貨建て国債に見えますが、ギリシアにはユーロ通貨の発行権はありません。自国通貨であっても通貨発行権が無い場合は外貨建て国債と同じ意味になります。ですから破綻する可能性があるのです。

どういうことでしょうか?ユーロで借りたおカネはユーロで返済しなければならないが、ギリシアにはユーロ通貨の発行権は無い。たとえば日本のように通貨が独立した国家であれば政府が通貨の発行権を有しています。ですからデフォルトしそうになったら、円建ての国債の返済は円を刷れば可能なのです。そんなことをすれば確かに国債は暴落しますが、債務の返済が不能になることは絶対にありません。しかし、ギリシアは通貨の発行権が無いため、ユーロを刷れません。ギリシアにとってユーロは自国通貨でありながら自国通貨ではないのです。通貨発行が出来ないため、税収で返済が出来なくなった瞬間にデフォルト。即死です。通貨統合によって自国通貨を奪われることは恐ろしい事なのです。


<ギリシアのさらなる悲劇>

独自の通貨を持っている国の場合、国債のデフォルトは自国通貨の暴落を招きます。しかしこれで国が死んでしまうことはありません。確かに暴落すると輸入品の価格が高騰して一時的はかなり苦しくなることは間違いありません。しかし、自国通貨が暴落して通貨安になると、輸出価格競争力が回復します。通貨暴落により一時的に国内経済は大混乱に陥るものの、やがて輸出が経済を牽引するようになる。先日読んだ本によれば、過去に経済破綻した多くの国がこれにより数年で立ち直ってきているというのです。ロシアや韓国もまさしくそれです(両国とも近年に破綻を経験している)。財政が破綻したからといって国が終わることはありません。自国通貨安による輸出拡大で国の経済は回復できるのです。ところがギリシアの場合、自国通貨はユーロであり、経済規模の小さなギリシアの国債がデフォルトした程度では、ユーロが暴落することはありません。つまり通貨暴落による為替安の恩恵を受けることは一切ありません。このような状況ですから、ギリシアが輸出による国内産業の立て直しを図ることは極めて難しいと言えるのです。

ギリシアが債務の返済を行うためには、ギリシアが貿易黒字化し、輸出により外貨を稼ぎ、それで債務を返済することがもっとも自然な方法であります。しかし、それが出来ないとなればギリシアはどうすれば借金を返済できるのでしょうか?

@国民が保有しているユーロを増税で集めて返済。



現在ギリシアでは緊縮政策と増税が行われており、これに反対して国内では暴動が発生しているのです(最近は落ち着いたようですが)。しかし、これをやるとギリシア国内の通貨が不足して不況がますます悪化します。そこで、最近のギリシアは「国民に対してさらに増税をするから、そのかわり当面のカネを貸してくれ」と、IMFやECB(ユーロの中央銀行)に働きかけています。しかしIMFやECBは「まだまだ増税が足りんぞ」と突っぱねている状況です。追い詰められたギリシア政府は開き直ったり、逆切れしています。

A国土など貴重な資産を売り渡す。

もはや屈辱的でありますが、国土をカネ持ちに売り渡すのです。貴重な文化財を借金の返済のために外国人に売り渡すのです。投機などで巨万のあぶく銭を稼いでいる資産家に渡すのです。悲しい事にこれが資本主義の現実です。カネが主導する世界の真の姿です。

ニューズウィークのサイトに短いコラムがあったのであります。

ギリシャを「植民地化」するEU

http://newsweekjapan.jp/stories/world/2010/05/post-1252.php

貿易赤字国、つまり、輸出競争力が弱く、国内の生産力が不足しているギリシアのような国家がEUのように巨大な自由貿易経済圏に統合されると何が起こるのか?自由貿易経済圏というと、なにやら良さそうに聞こえるのでありますが、その実態は過酷な生存競争にあることを忘れてはならないのです


(引用おわり)

現在、ギリシャや中国の問題で、世界中の為替、株価の変動が起きていますが、それが国民目線から見た実体経済とは、何の関係のない領域で起きているかが判るでしょう。

ことの本質は別にあるのにも関わらず、金融資本主義と言うシステムは、それを見ようとはしない。
本当は奴らがいうほどに、世界の経済は不安定なものではないのである。

その根拠として、これから述べることになるが、現代は先進国と言われている国では、その国の国民が日常生活に必要とする物資は、ほぼ十分に確保されていて、分配の方法だけが問題であるのだ。

経済活動(生産の場)で、みんなが切磋琢磨しなければならなかった時代とは違っていることが考慮されていないのである。
メンテ

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