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[2308] 国家観とは
日時: 2015/10/15 10:49
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:.r223Az6

掲示板のトラブルが続いています。
今回のことで、管理人さんとメールを交換しました。
今回は随分と苦戦されていますが、糾弾サイトに対する想いは依然、衰えてはおられないようです。
気分直しに、新しい話題を立ち上げます。


「一体、日本人は自国をどの様に捉えているのだろうか」

これは糾弾トップの管理人さんの言葉です。
改めて、私たちは、どのような国家観をもっているのか検証して見たいと思います。
物理的に言えば、国家とは、国境線で区切られた領土に成立する政治組織で、地域に居住する人々に対して統治機構を備えるものである。
と言う事になり、形態として、独裁国家、民主主義国家、あるいは夜警国家、福祉国家と言う表現があります。
ところで、国家観と言った場合、その識別とは別の意味も生じてくるのではないでしょうか。
要するに、どのような国でありたいと希望する国民の総意と言うものでしょう。
もちろん、現代の日本の国の形が、国民が望んだ結果の民主主義福祉国家であることは間違いありません。
その国家観と言うものを別の方面から見てみましょう。
革命と言う言葉、事象があります。

その革命時において、国民は自ら選ぶ国家の形に強い要望をもっているものです。
ところが社会が落ち着くと、国民は国家の有り様にあまり関心を持たず、自然と希望が実現されていると思い込みます。
何時も、何時も革命時のような緊張はありえず、全体には、それで良いかと思いますが、時が過ぎると共に、各々の機構の中に退廃が生じ不正が横行するものです。

それは具体的には、官僚組織の腐敗、利権政治の横行、経済的強者の横暴などの形で現れてきます。
それも、ある程度は人間社会の宿命のようなものでしょう。
ですが、度が過ぎれば、国家は最初に国民が望んだ国家とは異なる展開をしてきます。
民主主義国家の場合、こうした場合は選挙によって国民の意思で矯正することになっています。
ところが、現代社会において、国民が望んだ国家の形を歪なものとしている原因に、官僚、政治屋、独占企業家の存在の上に、市場主義経済のシステムと言う妖怪が君臨している問題があります。
言い換えれば、国家をより意識しなければならないのですが、経済を中心とするグローバル化は、国家の概念・枠組をも、あやふやなものとしてしまっています。

国家は、国民の望み以外の要素によって展開しているのです。
民主主義の概念の大きな要素は、各人の権利の確保であり、国家の有り様は、個人の権利が保証されていれば問題はないのです。
また民主主義は多数決という要素も含んでいます。
多数決の意味は、過半数の人々が満足していれば、当面は国家の有り様に異議を持たないのです。
要するに、現実以外の要素を検証することはなく、将来を見越したり、国家自体の有り様についての検証はしないのです。
逆に言えば、官僚の腐敗、政治の堕落、市場主義の妖怪の暗躍も、民主主義的に過半数の国民が異議を唱えない限り容認されるのです。
それが民主主義国家の形であり、半分は悪を容認し、過半数の国民が異議を唱えないかぎり、現状維持で続いて行くのです。
それが民主主義で、我々が望む形でもあり、また、過去の独裁国家に比べて、遺棄すべき形態とも言えないでしょう。
ですが、何か腑に落ちないものがあります。
少なくとも現在の民主主義は、必ずしも理想の形ではないのです。

この認識の上に立って、国民は何を考えれば良いのでしょう。
民主主義国家となって半世紀以上、国民は現状に満足し、国家の有り様を深く考える事をしなくなりました。
国民の理想の追求を手控えするようになりました。
その分、国家の運営に従事する官僚、政治屋共は、己らの使命、国民のために国家は、どのようにあらねばならないかと言う事について怠惰を決め込む事になります。
特に、日本の様に善良な国民精神がある国では、言い換えれば、お上意識が強く国家を無条件で信頼する我が国では国家に対する批判意識が希薄であります。
国家観が希薄とも言えます。

国民に国家観が希薄なので、官僚、政治屋共は、それに便乗し、またTPPの交渉等に見られる様に、本当の国民の立場を省みることなく、一部の企業のために、グローバル化を目指す世界企業のために門戸を広げる結果となっています。
安全保障の問題でも、真に我が国の安全保障を論じることなくアメリカ従属の安全保障に走ります。
考えて見ますと、100億に近い人間が、異なった自然環境、宗教の下に均一の価値観でまとめられるはずはないのです。
未来社会の話は別にして、当面は、地域単位、言えば国家単位の考えかたを持たねば、その国民が望む国家の形を維持していけないのではありませんか。

このように言いますと、多くの人は民族主義、国粋主義を想定されるでしょう。
歴史には、確かに、そのようなものがあり、それは現代社会では必要ではないものとなっていると思います。
ですが、国民が国家という枠組みを重要視しないと、現実のような事が起きるのです。
繰り返し、言います。
国家と言う枠組みを重要視すると言うことは、民族主義に凝り固まれというのではありません。
安全保障の問題や、TPPの問題に具体的に意見を言えと言っている訳ではありません。
専門的な分野の決断は専門家に任せば良いのですが、そうかと言って、国家の有り様に無関心では駄目だと言うことです。

冒頭に掲げた、管理人さんの言葉、

>「一体、日本人は自国をどの様に捉えているのだろうか」

これは、この言葉通りに受け止めれば良いのではないかと思います。
民主主義の時代と言っても、国家は必要であり、国家の有り様が国民の有り様を支配しているのです。
国民が国家の必要性を認識し国家観を強く持つことが、政治を糾し、行政を糺す事につながる事になります。
現代社会は、欠落した民主主義の概念を余りにも強く持つために、国家観を希薄にしているのではないでしょうか。
そのために、国家の横暴を招き、官僚の腐敗、マスメディアの退廃を招いていると思います。

選挙があると言っても、それは形だけのこと。
選挙に対する無関心もあり、結局は制度的には整っているとしても、実際は邪悪な勢力に、過半数の原理を上手く利用される結果となっているのでしょう。
さて、国家観とは、如何なるものでしょうね。

メンテ

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Re: 国家観とは ( No.21 )
日時: 2017/10/14 12:09
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:ii2hd3O.

>「百人寄れば百の“国家観」が有る」と言われても仕方が無いのです。でも、まぁ、其の百の“国家観”の類似的な物を集約してその国の国民の国家観であると言う事は出来るでしょうけれど・・・。

それこそ抽象的な結論。

国家観が100人100様であっても問題はない。

それと統治の問題は別にある。
統治という事は人間が邑を作った時からあり、集団で生活する場合の必然の掟。

民主主義でも統治の主体が人民と言うだけで国家があれば、その国家の統治は存在する。
統治を否定すればアナーキスト。

アナーキストとして社会を否定するならば別として、丁度、衆院選。
人々は自らが思い描く国家観にそう議員に票を入れる。

単ある人気投票であってはならないはず。
まあね、実際には各人の判断の基準(国家観)があやふやだから人気投票化しているきらいはあるが。
また国家観全体を見ずに枝葉末節に拘りすぎる懸念もある。

自民党政治を非難している皆さんも、何を基準に非難されているか。
それは、それぞれの国家観(こういう社会、国であって欲しい思い)からではないのか。

国家と言う言葉が権力(統治)を連想させても自然なこと。
あって当たり前。なければ統治の機能が発揮できない。

その言葉、権力の概念と国家観とは全く違うもの。

>「国家観とは」等と言う命題からしてまことに抽象的 !

もともと言葉の定義は抽象的。
それでも(抽象的)国家観の概念を養う事は国民に大切なこと。

それなくしては民主主義は実らない。
国家観と聞けば
戦前の神道国家を連想する方が異常であるのではないか。

その代わりにあるべき国家観の醸成を妨げる事はない。
我が国に正常な国家観が醸成されることを願って止まない。

国民の多くがあるべき国家観を共有することこそが民主主義を醸成するのではないか。
また、その国家観は、全体として有効でなければならない。

部分的な好悪で国家観を歪なものとしていては、本当の民主主義国家を成すことは出来ない。
我々自身の為に。
メンテ
Re: 国家観とは ( No.22 )
日時: 2017/10/14 12:19
名前: 馬鹿者の戯言 ID:eZib27Xg

「意味も無く 又も絡むか 愚痴人間」

私の書いた文節を張り付けて居る所を見ると、上の様な語句がほとばしって来るが、♯21のレスは何を書いて居るのか解らない。

単語や語句に明確な理解をして居ない所も有る様だ。

しかし、絡む相手が居なければ張合いも無いだろうから、精々絡んでくれたまえ。
メンテ
グローバルVS反グローバル ( No.23 )
日時: 2017/10/14 12:33
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:ii2hd3O.

>“国家”と聞いて頭に浮かぶのは“国家権力”ですが、英国の歴史家「ジョン・アクトン」の言葉に依れば『権力は腐敗する、絶対権力は絶対に腐敗する』です。

政治(国家)が国民の為にあった例しは無いと言う言葉もあります。

現代社会の課題は、イントさんが別スレッドで指摘されているように

>>今は右寄りか左寄りというよりは、グローバル化か反グローバル化の政党にすれば、わかりやすい!

これに尽きます。


>つい四日前に、衆院の総選挙が始まったばかりですが、巷の噂では早くも自民党の圧勝 !と言う話で持ちきりです。実に情けない話ですが、安倍自・公政権の「暗黒の帝国」は強固にその力を保持しているようです。
そしてメディアは「安倍自・公」は引き続き 絶対多数 を維持し、腐敗した権力は更にその腐敗の度を増してゆくでしょう。即ち「権力は絶対」と成り、その「腐敗も絶対」と成る訳です。

上の言葉の意味も痛いほど良く解ります。

しかしながら、この様になった原因は
まさしく、反グローバル化と言うものの概要を政治家、国民がしっかりとつかんでいないからです。

政党には反グローバル化を目指す政党なく
国民は、その実態さえも気が付いてなく、似非反グロ政党に期待を寄せている。

本当の野党、反グローバル政党がなく、選選択肢の無いまま現実に流されている。

(方丈記より)

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。

たましきの都のうちに、棟を並べ、甍を争へる、高き、卑しき、人の住まひは、世々を経て尽きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。あるいは去年焼けて今年作れり。あるいは大家滅びて小家となる。住む人もこれに同じ。所も変はらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二、三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。朝に死に、夕べに生まるるならひ、ただ水のあわにぞ似たりける。

知らず、生まれ死ぬる人、いづかたより来たりて、いづかたへか去る。また知らず、仮の宿り、たがためにか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。その、あるじとすみかと、無常を争ふさま、いはば朝顔の露に異ならず。あるいは露落ちて花残れり。残るといへども朝日に枯れぬ。あるいは花しぼみて露なほ消えず。消えずといへども夕べを待つことなし。


引用終わり

この世界を救えるか!
救えるものは何か!
如何なる宗教の神も当てにはならない。
権力者などは悪魔の手先になりやすいもの。
グローバルの悪魔を追放できるのは我々自身。
我々自身が気が付かねば、立ち上がらねば
どうして野党が糺せるか。
野党にすがっていて、何をきたいする。
メンテ
馬鹿者の戯言 氏 ( No.24 )
日時: 2017/10/14 13:05
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:ii2hd3O.

NO21のレスは、NO20の貴方のレスへの反応である事は間違いない。

しかしながら、それに対して再反論するのが意見交換ではないか。

そうして意見の交換もできるのが掲示版の特性。

なおかつ「国家観」と言うのは私が立ち上げたこのスレッドの主題。

それについて意見を言うのは当然のこと。

にも関わらず、

>「意味も無く 又も絡むか 愚痴人間」

このように応じてくる。

意見の交換、対立した意見を述べる事は絡みではない。

個人的誹謗中傷をするのが絡みであり「荒らし」で」あるのだ。

あんたこそ、またまた問題をすり替えて絡んでくる。

NO21のレスを私の絡みと受け取る貴方の狭量の方が問題なのではないか。

>♯21のレスは何を書いて居るのか解らない。

で済ませる。

この言葉は贅六氏と同じ手法で何回も目にした。

自分の意見と異なる言葉は目に入れようともしない(傲慢の極み)。


その様な根性を直さないと掲示版活動には不向きなのでは。

私に纏わりつくな!

と言ったはず(ここは私のスレッドで国家論はその課題)。
メンテ
Re: 国家観とは お山の大将俺一人! ( No.25 )
日時: 2017/10/15 09:39
名前: 馬鹿者の戯言 ID:wO7h.iMs

お前さんの言ってる事は、其の儘お前さんに当てはまる事だよ。

尤もらしいコロモは着ているが、中身は糾弾とは程遠い「似非右翼」の論調ばかり。

更に、この板の番人然とした態度と、中身の薄いスレッドの乱立。

其れを、悦に入って生知性と孫引きの引用を連ねる。

精々頑張って、大博士振りを発揮するが良い!
メンテ
馬鹿者の戯言へ ( No.26 )
日時: 2017/10/15 10:10
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:GI6n.1nQ

バカタレ!

何の為に糾弾掲示板に顔を出す。

何度言っても絡みを止めない。

読者はあんたのような言葉が聞きたいのではない。

これからは、場合によっては、即削除の対象にする。

私へのエセミ根性が募って糾弾掲示板自体の有り様を誹謗中傷するに至る。

あんた見たいのには来ていただかなくて良いのだ。

この様な問答は、ふつう、この掲示板では起きてないのだ。

2チャンや阿修羅に行け!

紳士ぶっていたが、贅六と同人物である事が皆さんにも解ったであろう。


日時: 2017/09/10 00:04
名前: 贅六@関西弁 ID:EBskRC/6

そうでんなァ、下司でんなぁ、ワテが下司やったら、あんさんは丹後は丹後でも、肥えタンゴ担いだ田舎紳士でっか!

その田舎紳士が、精一杯背ぇ伸びして、他のサイトから孫引きして、此処へ引用して悦に入ってる! ご立派な事だすなァ。

まァ精々頑張って書いておくんなはれ。ほな、田舎紳士に敬意を表して、此処らで消える事にしまっさ!


思うに、あんさんがチョクチョク書いてる、「この掲示板へ気軽に書き込んでぇ!」ちゅう要請の原因は、この掲示板にスレッド立て捲ってるあんさんの、“一貫性の無さ”に原因が有るのかも知れまへんなァ。

自分に批判的な書き込みを「アラシ」や! ちゅうて攻撃する。「俺は天下の論客で御座い!」然とした書き込みに、閲覧者はアホラシ成って投稿を敬遠するのんとちゃいますかな。 ま、如何でもエエけどね

〇〇論、××研究、てな大げさなタイトルのスレッドを次から次と立てて、粋がってるのはあんさんだけでっせ!

ま、精々あんさんの崇高な知識をひけらかしとくんなはれ。
メンテ
国家観とは、国民の財産や税金を宗教カルトやユダヤ金融悪魔に売り飛ばすためだけ! ( No.27 )
日時: 2017/10/15 13:04
名前: イントゥイッション ID:V2OiZq.2

国家観なんていう言葉は、国民の財産や税金を詐欺させるために利用するための便利な言葉だけ!

本当に古い化石みたいな言葉!

国民一人一人が主権で、その集まりが国家ではなく日本!

国家なんて言葉はもうなくなればよい!!!

人民という言葉を使うということは、朝鮮に関連していることになる!

メンテ
Re: 国家観とは ( No.28 )
日時: 2017/10/15 15:38
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:GI6n.1nQ

イントさん

国家観ではなくて社会観、もしくわ

貴方は、どのような社会になる事を望んでいますかと問われたら、

その様なものは、何も思ってもいないと言えますか。

で、あれば

どうして安倍を非難されるか。

ユダ菌の所業を非難されているのか。

私は私なりに言葉を使っている。

その言葉に対して

>本当に古い化石みたいな言葉!

言われるならば、貴方の言葉に置き換えて述べられよ。

それとも、貴方の安倍糾弾、ユダ菌糾弾は、何の根拠もない事なのか。



>国民一人一人が主権で、その集まりが国家ではなく日本!

国家と言うのは共通概念で

具体的に言えば、日本は日本と言う国家となる。

そうして国民(日本人)は国家の構成員で同時に日本国の主権者である。

国家の概念を否定されるなら、憲法も法律も否定されればよい。

それをやっているのがアナーキスト。

イントさんはアナーキストを目指しておられるのか。

で、あれば

政治の問答など無用ではないか。


(追伸です)

皆さんも観られておられると思うので、

国家観と言う言葉について、

国家観と似たような言葉に国家像と言うのがあります。

まず、国家観と言うのは

国家の形式的な理念(形而上学的と言うか)の事であり、一般的な有り様、ただし国家と言う概念は、別途で国家の定義で申し上げているので、それらを網羅する全領域に渡った理念の総称を言います。

その内容は、権力の主権者の規定、国家の責務の規定、国民の理想的な有り様を示すこと。
国家観と言う範疇で言った場合、それらは抽象的な表現で語られる性格があるが、それをより具体的な言葉で現すのが国家像と言って良いでしょう。

ここでは国家像を求める前に、国民が求める国家の有り様と言う意味で国家観から始まっていますが、ややこしいので最初から国家像と言う捉え方でも良いかと思います。

「国家」という言葉を使っただけで明治以来の国家像を思い浮かべ意見を封鎖していては、何時までもあるべき日本の国家像を育む事が出来ません。

政治が低迷している今こそ、国民はこの基本的な概念を醸成することが必要なのではないでしょうか。
そこから新しい政党が生まれるので無くてはならないのではないでしょうか。


メンテ
合同墓 ( No.29 )
日時: 2018/02/22 13:51
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:YvvMnI7o

最近、合同墓と言うものがあると解った。

墓と言えば、自然葬と言って遺骨を海とか山に撒く事もある様だ。

墓と言うものは、実際に管理する家族にとっては、そりゃ厄介なもの。

都会に住む人にとっては墓地を所有するのは経済的にも大変で、

納骨堂と言って、ローッカー式の墓もすでに多くあると聞く。

ここまでは、形は何であれ、墓は個人または家族単位で考えられてきた。

合同墓と言うのは、そうではなくて、遺骨を多くの他人と一緒に納骨すると言う。

代表的なものに、地本願寺の合同墓がある。

https://tsukijihongwanji-lounge.jp/top/goudoubo.html

ここは1万人の合同墓であるそうだ。

実際は、こうでもしなければ、東京圏のような3000万人もの人口集中地で墓など持つことは出来ない。

田舎に住んでいると気が付かない深刻な問題ではある。

止むを得ないこととは解っていても、このスレッドの課題である、国家意識、家族意識と言う所属意識がだんだんと薄れていくことに危惧をかんじる。

民主主義的な考え方では合理的である事は間違いないが、その民主主義と言う考え方が万能であるか、無いかまで考える。


ついでに世界のお墓事情を添付します。

フランス
キリスト教の教義には、死んだ者は復活して天国へ行けるという思想があります。
そのため肉体を燃やすことはタブーであり、1963年まで火葬は禁止されていました。
カトリック教徒が90%を占めるフランスでも、そのため土葬が一般的です。
地下室のような構造の大型のお墓には、棚に棺が置かれるようになっており、2〜4人ほど入ることができるそうです。

しかし近年は宗教にとらわれない人や経済的な理由、土地不足などから火葬にする人も増えてきており、1989年には5%ほどしかなかった火葬率が、現在パリでは40%にまで上昇しているそうです。

また、フランスに限らずヨーロッパには観光スポットとなっている墓地がたくさんあります。
パリにあるモンパルナス墓地やモンマルトル墓地には、サルトルやヴォードレール、セルジュ・ゲンスブール、スタンダール、フランソワ・トリュフォーといった数々の著名人が眠っており、世界中の観光客が足を運んでいます。

ドイツ
ドイツのお墓は先祖代々のものではなく、基本的に個人のものです。
20〜30年ほどの墓地使用料を払い埋葬し、期間中に遺体が土に還ると、使用期限後はまた新しい故人が埋葬されるようになっています。
お墓の周りには色とりどりの花やグリーンがガーデニングのように植えられています。

スペイン
スペインには2つのタイプのお墓があります。
ひとつは日本人にも馴染みのある、穴に埋葬して墓標を置くタイプ。
もうひとつは壁タイプのお墓です。
地上に棺の大きさの穴が開いた壁があり、それぞれの穴にひとつずつ棺を納め、蓋をします。
土地に余裕のない都市部で多く見られるようです。

ルーマニア
「世界一陽気な墓」で有名なルーマニアのサプンツァ村。
墓碑には、故人の生前の職業や趣味、死因などがカラフルに描かれています。
木彫り職人だったパトラッシュ氏によって1935年より始められ、現在は世界中から毎年3万人もの観光客が訪れるスポットとなっているそうです。

グアテマラ
明るくポップなカラーの家型や箪笥型などさまざまな形が立ち並ぶのは、グアテマラの墓地です。
グアテマラでは、あの世は幸せな場所という考えがあり、遺族は故人の好きだった色などでお墓をペイントします。

「死者の日」である11月1日には、人々はお墓に集まって故人を偲んで宴会をし、凧揚げをする風習があります。
天国にいる故人へメッセージを届けるためとも、死者の霊が凧に乗ってくるとも言われています。

ペルー
ペルーの都市部ではこのような団地タイプのお墓が多く見られます。
土葬が一般的なペルーでは、火葬する場合には完全に自然死だということを証明しなければならず、煩雑な手続きがたくさん必要になるそうです。
高温で焼くペルーの火葬では遺骨も灰になってしまい、後から事件性が出てきた場合に再調査ができないというのが理由なんだとか。
実際にお墓を開いて再調査し、解決した事件もあったそうです。

韓国
土葬が一般的な韓国では、故人を穴の中に埋葬した後に、土を丸く盛った伝統的な土饅頭型のお墓を建てます。
風水で選ばれた場所に肉親のお墓を建てると子孫が繁栄すると考えられており、一族を埋葬するために山をひとつ買うといったこともあるそうです。

儒教を重んじる韓国では火葬はタブーと考えられています。
しかし日本と同じく核家族化や高齢化、深刻な土地不足に悩む近年、国が火葬を推奨するようになり、特に都市部では火葬率も増加傾向にあるそうです。
それに伴い、お墓も伝統的な土饅頭型から納骨堂や樹木葬などへと変化が見られてきています。

台湾
台湾の伝統的なお墓はとても大きくてカラフル。
遠くからだと、山の中腹にまるで家が並んでるかのように見えます。
「お墓というのは死者の家である」という考えから、このような形になったそうです。

台湾ではお墓参りは年に1回、清明節の日に行きます。
お墓参りの際には、ゆで卵の殻を地面に撒く習慣があります。
鳥が卵から生まれるように、お墓に眠るご先祖様がいたから自分たちが生まれたのだと、祖先への思いを表しているそうです。

インド
ヒンドゥー教徒が多くを占めるインドでは、火によって死者の魂が解放され神の元へ行くとされており、火葬はとても重要な儀式です。
火葬後、遺骨はガンジス川に流されます。そのため、インド人はお墓を持ちません。
この世に執着を残さないようすべてを焼き、罪を洗い流し、聖なるガンジス川と一体化することで、悟りの境地へと達することができると考えられているのです。

ヨーロッパのお墓事情
メンテ
ひさびさに 国家とは何か! ( No.30 )
日時: 2019/03/26 17:32
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:Uq1lwM2I

狩猟・採集の時代を経て、農耕が始まると、人々は土地に定着し集団で生活するようになった。
日本でも環濠集落という形で、周囲に堀をめぐらせていた。初めての、邑(ムラ)と言う概念であった。
邑は農耕生活をする上で、また収穫物を他人に奪われないための最小の単位であったが、やがて人間の欲望は、邑を統括し、より大きな邑を手中にする者が現れた。
これを豪族と言い、各地に豪族が乱立し始めた。

ある種類の人間にとって、支配欲はとどまらず、豪族を統括し地方の覇権を唱える者が出てきた。
この状態は、支配地の統治のための決まり事を必要とし、ある意味の国家の誕生である。
その統治者にとって、日常の生活は問題ではなく、物質的な栄華を求めることが目的になり、更なる拡大化を目指すことになる。

魏志倭人伝(西暦200年後半)では、日本には邪馬台国を中心として30カ国が中国王朝へ朝貢をしていたことが記されている。
史跡としては証明できないが弥生時代の中期には、日本には100カ国ほどが存在していたと中国の文献で知ることが出来る。

大和朝廷の出現によって、5世紀前後に現在の日本に等しい統一国家が形成された。
現代人が考える国家の概念である。
日本においては今から1500年ほど前のことであるが、エジプトでは5000年前に国家の形態が出来ている。
中国、朝鮮を含めて世界の多くの国家は、2000〜3000年前に形成されたと思われる。

さて、その国家であるが、
どの地方でも最初は神がかり的な要素を伴っている。
(国家の歴史)
>実態は権力者の独裁であったが、形の上では神権国家の形を取っている。
>国家経営が安定すると権力者は国民を私物化し、より強力な権利を主張する、これが封建国家という。
>このころヨーロッパではキリスト教が勢力を得て、権力者と結びつき神聖国家のような形態も生まれている。
イギリスでも王権神授説を唱え権力者の正当化を図っている。
権力者が神に頼らねばならなくなってきたのは、支配する大衆の意識をコントロールしがたくなってきたのであろう。
>このような時代も長く続いたが、画期的なのは、18世紀後半におきたフランス革命であり、これによって国民国家が登場することになる。
要するに主権在民の意識が高まり民主国家(近代国家)が人類の邑の発生から5000年を経て誕生したことになる。

ところで、高々200年の間に、人々の国家に対する意識の変遷が顕著である。
民主国家を手にした国民は、最初は自国の繁栄、発展を望み他国への侵略戦争、植民地戦争を始めた。
>略奪国家;国家を形成維持することによって、国民の繁栄が得られると思いこんでいたのである。
その後は、自国をより強力にするために専制国家の様相を帯びることになる。
第一次、二次世界大戦もこの延長で、しかも民主主義の名の下に行われた。
>このころ、従来の民主国家とは異なる階級国家(全体国家)の考え方がマルクスによって唱えられた。
>近代国家は、第二次世界大戦を経て、武力のよる覇権争いが無益なことを悟り、また資本主義の経済体制の矛盾が顕著になり、それに対応するために福祉を重視し福祉国家が求められることになって現在に至る。
一方で政治の実態は経済を中心とする資本国家と言えるものである。

以上、国家の形の形成を俯瞰してみましたが、
国家の性格と言う面からは次のような色分けが出来ます。

>野獣的国家

ホッブスのリヴァイアサンに代表される国家観です。国家は強制力を国民に誇示して、恐怖や暴 力を通して支配を貫徹します。国歌や国旗は、愛国=郷土(patria)のシンボルであり、それらのシンボルを通して国家は国民に対する従属を要求し、国 民は国家に対する忠誠を誓います。

>社会契約論(ルソーにより提起されたものであるが、理論上の概念である)

近代的社会契約論の内容は、「国家」が成立する前の「社会」の原始的な自然状態を仮定した上で、国家の正当性の契機を契約に求めるものだが、仮定する自然状態と、そこから国家を正当化する理論展開に多数の類型がある。もっとも、国家の正当性が成立する契機は、社会契約論のすべての立場で契約であり、王権神授説に基づく君主主権ないし国王主権と王権神授説は否定される。

>夜警国家 

ドイツのラッサールが、近代国家(ブルジョアの利益を守る)の役割を揶揄して表現したもので ある。つまり、夜警国家とは、外敵に対する防衛、国内治安の維持、そして最低限の福祉政策に国家機能を限定しする自由放任の国家観である。福祉国家の対概 念とされてきた。

>福祉国家 

1930年代の英国がナチスドイツの戦争国家に対抗して自国の国家を表象した宣伝用語に由来 する。それが冷戦期に共産主義全体主義国家に対する概念用語として洗練されていった。国民保険などに代表される社会福祉サービスを中心として民主主義を維 持するという国家運営形態を理想としている。

>多元的国家観

多元的国家における多元とは、国家を構成する諸団体の多元的共存状態のことをさす。つまり、 自由主義にもとづく利害諸団体の調整が、国家の役割である。国家は、多様な目的をもつ、それらの団体の調整に熱意を注ぐことに、民主主義の存在意味を見い だす。したがって、この社会の経済システムは新古典派経済学を軸とする自由主義経済である。経済のグローバル化に対しては、自国内の諸団体が不利益を生じ るときに権力を行使するが、通常は放っておかれる。

最後にもうひとつの側面、「大きな政府」と「小さな政府」について言います。

>「大きな政府」

経済政策や社会政策に、国が積極的に関与する政策です。そのため、財政規模が拡大する傾向にあります。

大きな政府では財政規模が大きくなるため、国のやるべき仕事も多くなります。必要なお金も増えるので、税金・保険料などの国民負担は重くなります(高福祉・高負担)。

政府が経済活動に積極的に介入することで、社会資本を整備し、国民の生活を安定させ、所得格差を是正しようとする。

大きな政府というと、北欧のたとえばスウェーデンやデンマークのような税金は高いが医療や福祉が充実していて、しかも全国民が無料でその恩恵にあずかれる国、というイメージだろう。


>「小さな政府」

「大きな政府」とは逆に、経済政策や社会政策について政府は関与せず、民間にゆだねる方法です。政府支出は少なく済みます。

小さな政府では財政規模は小さくなり、必要なお金が少なくてすむので、税金・保険料などの国民負担は低くおさえられます(低福祉・低負担)。

規制がなければ、個人や企業が思う存分力を発揮できるため、良いサービスが提供され、全体としても経済が活性化する。

行政に代わって民間が事業を行うことで、より効率的となる場合があります。国鉄がJRに移行したケースや、電電公社がNTTに移行したケースがあります。

小さな政府の代表的な国といえばアメリカです。日本は国民保険制度によって、収入に応じた保険料を支払えば、国の負担で医療が安く受けられますが、アメリカでは国民皆保険制度ではなく、個人がそれぞれ保険会社の保険に加入する仕組みとなっています。


※ 如何でしょうか。
※ 皆さんは国家と言うものの概念を考えてみる事はありますか。
※   議会制民主主義国家!
    その言葉に何を期待されますか。
    理想は何ですか。
    個人の権利の保障、自由、平等の精神ですか、
    格差のない幸せな社会ですか。
    福祉国家であることを願って国家は運営されてきた事実はありますが、統治の実態は必ずしも理屈通りの理想からではありま    せんでした。
    人間社会の葛藤は、理想に従順に従い進むものでもありません。
    もちろん、それでも現代社会は理想を求め続けるでしょうし、そうでなくてはなりません。
※ ですが、実態は、どのような形の国家がありえるでしょう。
メンテ

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