ホームに戻る > スレッド一覧 > 記事閲覧
[2770] 楽しく糾弾しましょう(音楽がダウンロードできます) 流行歌・日本の歌編
日時: 2017/11/06 12:53
名前: topics editor ID:z5ZqiEqI

一応は分類してますが、厳密なものではありません。

思いでの曲など、紹介して下さい。

ここは懐かしのメロディでも良いと思います。


このシリーズには次のものがあります。

管弦楽編
オペラ・シャンソン編
ピアノ・ギター・その他編
映画音楽編
ジャズ・ポップ・カントリー・R&B・その他編
流行歌・日本の歌編
メンテ

Page: 1 | 2 | 全部表示 スレッド一覧 新規スレッド作成

懐かしの名曲 ( No.10 )
日時: 2022/05/13 15:22
名前: スメラ尊 ID:RKDyU/bo

懐かしの名曲

『城ヶ島の雨』 作詞 北原白秋 作曲 梁田貞 1913年10月30日発表
https://www.youtube.com/results?search_query=%E5%9F%8E%E3%83%B6%E5%B3%B6%E3%81%AE%E9%9B%A8


『浜辺の歌』 作詩:林古渓 作曲:成田為三 大正5年(1916年)発表
https://www.youtube.com/results?search_query=%E6%B5%9C%E8%BE%BA%E3%81%AE%E6%AD%8C


「月の沙漠」 作詞 加藤まさを 作曲 佐々木すぐる 1923年(大正12年)3月発表
https://www.youtube.com/results?search_query=%E6%9C%88%E3%81%AE%E6%B2%99%E6%BC%A0  


「夏の思い出」 江間章子作詞 中田喜直作曲 1949年(昭和24年) 6月13日発表
https://www.youtube.com/results?search_query=%E5%80%8D%E8%B3%9E%E5%8D%83%E6%81%B5%E5%AD%90++++%E5%A4%8F%E3%81%AE%E6%80%9D%E3%81%84%E5%87%BA  


「知床旅情」 作詞・作曲 森繁久彌 1960年発表
https://www.youtube.com/results?search_query=%E7%9F%A5%E5%BA%8A%E6%97%85%E6%83%85%E3%80%80
メンテ
いい日旅立ち _ 山の向こう側で待っているのは… ( No.11 )
日時: 2022/05/11 08:54
名前: スメラ尊 ID:7p9rFF4M

いい日旅立ち _ 山の向こう側で待っているのは…

いい日旅立ち Kyoto vol.1 山口編 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=QMhX_pF0NkA

山口百恵 いい日旅立ち - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E5%B1%B1%E5%8F%A3%E7%99%BE%E6%81%B5+++%E3%81%84%E3%81%84%E6%97%A5%E6%97%85%E7%AB%8B%E3%81%A1+


雪解け 間近の 北の空に 向かい 過ぎ去りし 日々の夢を 叫ぶ時
帰らぬ 人たち 熱い胸を過ぎる
せめて今日から 一人きり 旅に出る
ああ 日本のどこかに 私を待ってる 人が居る
いい日旅立ち 夕焼けを探しに 母の背中で聞いた 歌を道連れに

岬の外れに 少年は 魚釣り 青いススキの小道を 帰るのか
私は今から 想い出を作るため 砂に枯れ木で 書くつもり さようならと    
ああ 日本のどこかに 私を待ってる 人が居る
いい日旅立ち 羊雲を探しに 父が教えてくれた 歌を道連れに

ああ 日本のどこかに 私を待ってる 人が居る
いい日旅立ち 幸せを探しに 子供の頃に歌った 歌を道連れに


▲△▽▼


いい日旅立ち・西へ 鬼束ちひろ
https://www.youtube.com/watch?v=xPZXIQdHaZ0


遥かな しまなみ 錆色の凪の海
セピアの雲は流れて どこへ行く
影絵のきつねを追いかけた あの頃の夢を今もふところに 西へ行く
ああ 日本のどこかに私を待ってる 人がいる
いい日旅立ち ふたたび風の中 今も聞こえるあの日の 歌を道連れに


蛍の光は 遠い日の送り火か
小さく見える景色は 陽炎か
出逢いも別れも 夕暮れにあずけたら自分の影を捜しに 西へ行く
ああ 日本のどこかに私を待ってる 人がいる
いい日旅立ち 朝焼けの雲の中 今も聞こえるあの日の 歌を道連れに


ああ 日本のどこかに私を待ってる 人が居る
いい日旅立ち 憧憬は風の中 今も聞こえるあの日の 歌を道連れに


▲△▽▼
▲△▽▼

1. 日本の何処かで私を待っている人とは…

谷村新司

「歌詞をよく見て下さい。

『いい日旅立ち』は決してそんな祝いの席に歌うような、いい意味の曲ではありません」


925 : 愛と死の名無しさん : 2009/06/25(木) 02:59:26

いい日旅立ち

これは、普通に国語がわかれば、別れを振り切るために一人旅にでる心境を表した歌でしょ。


「帰らぬ人達」の幻影を求めて、旅に出る。
「日本のどこか」でその大切な人に会えるかもしれない。
そんな強烈な願望が「熱い胸をよぎる」。

でも、決して出会えることはない。
大切な人は、「夕焼け」であり、「羊雲」であり、もう決して出会うことのない存在だから。

そして、

「想い出を創るため砂に枯木で書く」
「“さよなら”と」


これは失恋と言うより死別では?
とてもいい曲だけど。

▲△▽▼


「いい日旅立ち」について桑田さんが 
 

「死の匂いがする・・」 


って言っていたのを聞いて「あ・・ すごい」 と思ったのと同時に 急にゾッとしてね。僕は今まで 普通に
 
「恋に破れた女が 傷ついたこころを癒すために新しい出会いを求めて ひとり旅に出る・・」 
 
・・そういう詞だと思って聴いていたんだ。 だけど 桑田さんは 


「死地への旅路・・   死に場所を求めてさまよう女の歌」 


だと・・・ そういう風に捉えておられるんだよね・・。

▲△▽▼


『いい日旅立ち』の状況設定に一番近いのは、人麻呂が軽の里に住む隠り妻が死んだと知らされた時に詠んだ長歌でしょうか:

柿本朝臣人麿が、妻の死し後、泣血哀慟してよめる歌二首、また短歌


207

天飛ぶや 輕の路は 我妹子(わぎもこ)が 里にしあれば
ねもころに 見まく欲しけど 止まず行かば 人目を多み
数多(まね)く行かば 人知りぬべみ さね葛 後も逢はむと
大船の 思ひ頼みて かぎろひの 磐垣淵(いはかきふち)の
こもりのみ 恋ひつつあるに

渡る日の 暮れゆくがごと 照る月の 雲隠るごと
沖つ藻の 靡きし妹は もみち葉の 過ぎて去(い)にしと
たまづさの 使の言へば 梓弓 音のみ聞きて
言はむすべ 為むすべ知らに 音のみを 聞きてありえねば

吾が恋ふる 千重の一重も 慰むる 心もありやと
我妹子が 止まず出で見し 輕の市に 吾が立ち聞けば
玉たすき 畝傍の山に 鳴く鳥の 声も聞こえず
玉ほこの 道行く人も 一人だに 似てし行かねば
すべをなみ 妹が名呼びて 袖ぞ振りつる

(あの軽の地は私の妻の里だから、よくよく見たいと思うけれども、しょっちゅうその道を行くと人目が多く、度々行けばきっと人が知るだろうから、後にでも会おうとそれを頼みに、心の中でばかりずっと恋しく思っているうちに、

空を渡る日が暮れていくように、照る月が雲に隠れるように、なびき寄って寝た妻は死んでしまった、そう使いの者が来て知らせてきた。

知らせを聞いて、どう言ってよいのかどうしてよいのか分からず、じっとしてもいられないので、自分が恋しく思っている千分の一でも慰められる気持ちにもなるだろうかと、妻がいつも出て見ていた軽の市に行って佇んで耳を傾けたが、懐かしい妻の声も聞こえず、道行く人も一人も妻に似た人が通らないので、どうしようもなく妻の名を呼んで、袖を振ったことだ。)

短歌二首

  208 秋山の黄葉を茂み惑はせる妹を求めむ山道(やまぢ)知らずも

 
(秋の山に、紅葉した草木が茂っていて、そこに迷い込んだ妻を捜す山道すらわかわない。)

  209 もちみ葉の散りぬるなべに玉梓の使を見れば逢ひし日思ほゆ


(もみじがはかなく散りゆく折りしも、文の使いをする人を見ると、妻と逢った日のことを思い出す。)


当時、死んだ人は自ら山路に入っていくと信じられていました。208では、まだ妻の死を認めようとせず、山道に迷い込んだだけだと思っている。しかし、時間を経た209では、やっと妻の死を現実のものと認め、静かな回想にふける。

▲△▽▼

男の場合は最愛の女性が死んでも後を追う事は考えられませんが、女性の場合にはよく聞く話ですね。 『いい日旅立ち』の歌詞を素直に読む限りは次の様にしか解釈できないと思います:

『帰らぬ 人たち 熱い胸を過ぎる』

は恋人(?)が亡くなったという事、


『雪解け 間近の 北の空に 向かい』

というのは死んだ恋人がまだこの世に未練があって、何処かの山中を彷徨っているという設定でしょう。

『過ぎ去りし 日々の夢を 叫ぶ時』

この女性は死んだ恋人と結婚の約束をしていて、将来の夢についていつも語り合っていた。


『日本のどこかに 私を待ってる 人が居る』

あの人はまだ何処かの山中で私が来るのをずっと待っている。


『砂に枯れ木で 書くつもり さようならと』

私もあの人を追ってこの世に別れを告げよう。


▲△▽▼


トンネルの向こう側で待っている女性とは…


川端康成「雪国」

もう三時間も前のこと、島村は退屈まぎれに左手の人差指をいろいろに動かして眺めては、

結局この指だけが、これから会いに行く女をなまなましく覚えている、
はっきり思い出そうとあせればあせるほど、つかみどろこなくぼやけてゆく記憶の頼りなさのうちに、この指だけは女の触感で今も濡れていて、自分を遠くの女へ引き寄せるかのようだと、不思議に思いながら、鼻につけて匂いを嗅いでみたりしていたが、

ふとその指で窓ガラスに線を引くと、底に女の片眼がはっきり浮き出たのだった。彼は驚いて声をあげそうになった。


雪国は作者が36歳の時から書き始められたものです。あらすじは、


主人公の島村が芸者・駒子を求めて北国の温泉宿にやってきます。

同じ電車に、美しい眼を持った葉子という女性が乗っていることを知りますが、この葉子は駒子の踊りの師匠の娘でした。

島村と駒子の関係が美しい文章でつづられます。やがて島村は葉子にも魅力を感じるようになります。物語の最後、繭倉(まゆくら)という建物が火事になり、火事の中に葉子がいることに気づいた駒子が葉子を助けに火の中に飛び込みます。

 この作品は冒頭から「宝石」に彩られています。

「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。
夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。

向かい側の座席から娘が立って来て、島村の前のガラス窓を落とした。…

『駅長さあん、駅長さあん。』」

 あまりにも有名な書き出しです。トンネルを抜けると、積もった雪によって夜の底が白くなります。静かな信号所に、「駅長さあん」という葉子の美しい声が響き渡るのです。

 島村は電車の中のことを思い出します。


「もう三時間も前のこと、島村は退屈まぎれに左手の人差し指をいろいろに動かして眺めては、結局この指だけが、これから会いに行く女をなまなましく覚えている、…この指だけは女の感触で今も濡れていて、自分を遠くの女へ引き寄せるかのようだと、不思議に思いながら、…ふとその指で窓ガラスに線を引くと、そこに女の片眼がはっきり浮き出たのだった。」(8頁)


 駒子の体を指が覚えていて、その指で窓ガラスに線を引くと、そこに向かい側の座席に座っていた葉子の美しい目が写ったのです。

「殊に娘の顔のただなかに野山のともし火がともった時には、島村はなんともいえぬ美しさに胸が震えたほどだった。…娘の眼と火とが重なった瞬間、彼女の眼は夕闇の波間に浮かぶ、妖しく美しい夜光虫であった。」(10-11頁)

 何と美しい表現でしょう。葉子の眼が「夕闇の波間に浮かぶ、妖しく美しい夜光虫」だというのです。葉子の「顔のただなかに野山のともし火がともった時」との表現には、物語終わりの火事の場面が暗示されています。

 島村は村の温泉宿に投宿します。午後、駒子が遊びに来て、二人で外に出ます。

「…島村は宿の玄関で若葉の匂いの強い裏山を見上げると、それに誘われるように荒っぽく登って行った。…足もとから黄蝶が二羽飛び立った。蝶はもつれ合いながら、やがて国境の山より高く、黄色が白くなってゆくにつれて、遙(はる)かだった。」(28頁)

 駒子と山を登る。すると足もとから二羽の黄蝶が飛び立つ。蝶たちはまるで島村と駒子のようにもつれ合いながら、国境の山より高く青い空へと白く消えていくのです。作者の美的感覚には尋常ならざるものがあります。

 別の日には、島村が村を散歩していると芸者が5〜6人立ち話をしており、その中には駒子がいました。島村を見ると「咽(のど)まで染めて」しまいます。駒子は走って島村に追いつくと、彼女が住んでいる踊りの師匠の家に案内します。

「右手は雪をかぶった畑で、左には柿の木が隣家の壁沿いに立ち並んでいた。家の前は花畑らしく、その真中の小さい蓮池(はすいけ)の氷は縁(ふち)に持ち上げてあって、緋鯉(ひごい)が泳いでいた。柿の木の幹のように家も朽ち古びていた。」(51頁)

 駒子の部屋ははしごを登った二階の屋根裏部屋で、昔はここで蚕(かいこ)を飼っていたといいます。

「壁にも丹念に半紙が貼ってあるので、古い紙箱に入った心地だが、…この部屋が宙に吊(つ)るさっているような気がしてきて、なにか不安定であった。…蚕のように駒子も透明な体でここに住んでいるかと思われた」(52頁)

 傾いたような部屋はまるで繭のように吊られているようで、そこに駒子が透明な体で住んでいるような気がするのです。
 駒子は島村が泊まっている宿にも出ていますが、ある日駒子の走り書きを葉子が持ってきました。

「『どうもありがとう。手伝いに来てるの?』

『ええ。』と、うなずくはずみに、葉子はあの刺すように美しい目で、島村をちらっと見た。島村はなにか狼狽した。…

気のゆるみか、少し濡れた目で彼を見上げた葉子に、島村は奇怪な魅力を感じると、どうしてか反(かえ)って、駒子に対する愛情が荒々しく燃えて来るようであった。」(131-133頁)

 島村は駒子に加えて葉子にも魅力を感ずるのです。

 島村はそろそろこの温泉場から離れるはずみをつけるつもりで汽車に乗って、近くの街をうろついてみます。白い山を見て、島村はこんなことを思います。

「…一人旅の温泉で駒子と会いつづけるうちに聴覚などが妙に鋭くなって来ているのか、海や山の鳴る音を思ってみるだけで、その遠鳴(とおなり)が耳の底を通るようだった。」(156頁)

 この山の遠鳴りは作者に実際に聞こえたようです。50歳の時に書いた「山の音」でそれが描写されています。

「…ふと信吾に山の音が聞こえた。…地鳴りとでもいうか深い底力があった。…音がやんだ後で、信吾ははじめて恐怖におそわれた。死期を告知されたのではないかと寒けがした」(新潮文庫、2007年、10頁)

 タクシーで帰ってくると、小料理屋の前で芸者が3、4人立ち話をしており、その中に駒子がいます。二人で歩き始めると、「火事だ」との声が聞こえ、二人は駆けはじめます。駒子は踏切の手前で急に立ち止まると、

「『天の河。きれいねえ。』

駒子はつぶやくと、その空を見上げたまま、また走り出した。

 ああ、天の河と、島村も振り仰いだとたんに、天の河のなかへ体がふうと浮き上がってゆくようだった。…旅の芭蕉が荒海の上に見たのは、このようにあざやかな天の河の大きさであったか。…島村は自分の小さい影が地上から逆に天の河へ写っていそうに感じた。」(163頁)

 島村は天の川のあざやかさに驚かされるだけでなく、逆に自分の影が空まで伸び、天の川の形になって夜空にかかる錯覚をみるのです。

 島村と駒子は火事の現場に着きます。

「あっと人垣が息を呑んで、女の体が落ちるのを見た。

…落ちた女が葉子だと、島村も分かったのはいつだったろう。

…島村がこの温泉場へ駒子に会いに来る汽車のなかで、葉子の顔のただなかに野山のと  もし火がともった時のさまをはっと思い出して、島村はまた胸がふるえた。

 駒子が島村の傍(そば)から飛び出していた。

…葉子を胸に抱えて戻ろうとした。…駒子に島村は近づこうとして、…踏みこたえて目を上げた途端、さあと音を立てて天の河が島村のなかへ流れ落ちるようであった。」(171-173頁)

 「雪国」はこの非常に美しい「宝石」とともに終わるのです。


● スキイの季節前の温泉宿は最も客の少ない時で、島村が内湯から上がって来ると、もう全く寝静まっていた。古びた廊下は彼の踏む度にガラス戸を微かに鳴らした。その長いはずれの帳場の曲がり角に、裾を冷え冷えと黒光りの板の上へ拡げて、女が高く立っていた。  


● とうとう芸者に出たのであろうかと、その裾を見てはっとしたけれども、こちらへ歩いて来るでもない、体のどこかを崩して迎えるしなを作るでもない、じっと動かぬその立ち姿から、彼は遠目にも「真面目」なものを受け取って、急いで行ったが、女の傍に立っても黙っていた。女も濃い白粉の顔で微笑もうとすると、反って泣き面になったので、なにも言わずに二人は部屋の方へ歩き出した。  
 

● …なにか彼女に気圧される甘い喜びにつつまれていた


● 女の印象は不思議なくらい清潔であった。足指の裏の窪みまできれいであろうと思われた。


● なにかすっと抜けたように涼しい姿


● 細く高い鼻が少し寂しいけれども、その下に小さくつぼんだ唇はまことに美しい蛭の輪のように伸び縮みがなめらかで、黙っている時も動いているかのような感じだから、もし皺があったり色が悪かったりすると、不潔に見えるはずだが、そうではなく濡れ光っていた。


● …美人というよりもなによりも、清潔だった。


● なんともいえぬ清潔な美しさであった。


● 一人生真面目な顔つきであった。


● 百合か玉葱みたいな球根を剥いた新しさの皮膚は、首までほんのり血の色が上がっていて、なによりも清潔だった。


● 「ずっと欠かさず日記をつけてるのかい。」

  「ええ、十六の時のと今年のとが、一番面白いわ。」  

 ⇒  十六の時:行男への恋心 今年:島村への恋心


● 「そんなものを書き止めといたって、しょうがないじゃないか。」

  「しようがありませんわ。」

  「徒労だね。」

  「そうですわ。」と、女はこともなげに明るく答えて、しかしじっと島村を見つめていた。


 全く徒労であると、島村はなぜかもう一度声を強めようとした途端に、雪の鳴るような静けさが身にしみて、それは女に惹きつけられたのであった。彼女にとってはそれが徒労であろうはずがないとは彼も知りながら、頭から徒労だと叩きつけると、なにか反って彼女の存在が純粋に感じられるのであった。

● 駒子が息子のいいなずけだとして、葉子が息子の新しい恋人だとして、しかし息子はやがて死ぬのであれば、島村の顔にはまた徒労という言葉が浮かんできた。駒子がいいなずけの約束を守り通したことも、身を落としてまで療養させたことも、すべてこれ徒労でなくてなんであろう。

 駒子に会ったら、頭から徒労だと叩きつけてやろうと考えると、またしても島村にはなにか反って彼女の存在が純粋に感じられてくるのだった。

● (葉子の声の描写) 澄み上がって悲しいほど美しい声だった。どこかから木魂が返ってきそうであった。


● (葉子の目つきの描写)それは遠いともし火のように冷たい
  


● そして静かな声で、八月いっぱい神経衰弱でぶらぶらしていたなどと話しはじめた。「気ちがいになるのかと心配だったわ。」   

⇒ 妊娠の予感→金銭の呪縛、師匠たちに顔向けできない

● (駒子、島村に) 「あんた、いい加減な人ね。」


● 少しはにかんでから、唄を待つ風に、さあと身構えして、島村の顔を見つめた。 島村ははっと気圧された。

…忽ち島村は頬から鳥肌立ちそうに涼しくなって、腹まで澄み通って来た。たわいなく空にされた頭のなかいっぱいに、三味線の音が鳴り渡った。全く彼は驚いてしまったというよりも叩きのめされてしまったのである。敬虔の念に打たれた、悔恨の思いに洗われた。自分はただもう無力であって、駒子の力に思いのまま押し流されるのを快いと見を捨てて浮かぶよりしかたがなかった。  
 


● …だんだん憑かれたように声も高まって来ると、撥の音がどこまで強く冴えるのかと、島村はこわくなって、虚勢を張るように肘枕で転がった。


 勧進帳が終わると島村はほっとして、ああ、この女はおれに惚れているのだと思ったが、それがまた情けなかった。

・・・島村には虚しい徒労とも思われる、強い憧憬とも思われる、駒子の生き方が、彼女自身への価値で、凛と撥の音に溢れ出るのであろう。

   ⇒  彼女の弾く「黒髪」:一度去って戻らぬ男を待ち暮らす女の悲しみを唄ったもの

● 情景
月はまるで青い氷のなかの刃のように澄み出ていた。 
 

● 「つらいわ。ねえ、あんたもう東京ヘ帰んなさい。つらいわ。」
と、駒子は火撥の上にそっと顔を伏せた。

 つらいとは、旅の人に深はまりしてゆきそうな心細さであろうか。またはこういう時に、じっとこらえるやるせなさであろうか。女の心はそんなにまで来ているのかと、島村はしばらく黙り込んだ。


「もう帰んなさい。」

「実は明日帰ろうと思っている。」

「あら、どうして帰るの?」

と、駒子は目が覚めたように顔を起こした。

「いつまでいたって、君をどうしてあげることも、僕には出来ないんじゃないか。」

 ぼうっと島村を見つめていたかと思うと、突然激しい口調で、

「それがいけないのよ。あんた、それがいけないのよ。」

と、じれったそうに立ち上がって来て、いきなり島村の首に縋りついて取り乱しながら、

「あんた、そんなこと言うのがいけないのよ。起きなさい。起きなさいってば。」

と、口走りつつ自分が倒れて、物狂わしさに体のことも忘れてしまった。 それから温かく潤んだ目を開くと、

「ほんとに明日帰りなさいね。」

と、静かに言って、髪の毛を拾った。


● 駒子は肩の痛さをこらえるかのように目をつぶると、さっと顔色がなくなったが、思いがけなくはっきりかぶりを振った。

「お客様を送ってるんだから、私帰れないわ。」

島村は驚いて、

「見送りなんて、そんなものいいから。」

「よくないわ。あんたもう二度と来るか来ないか、私にはわかりゃしない。」

「来るよ、来るよ。」

…葉子「行男さんが呼んでる。」と、駒子を引っ張るのに、駒子はじっとこらえていたが、急に振り払って、「いやよ。」

● 「素直に帰ってやれ。一生後悔するよ。強情張らないでさらりと水に流せ。」


● 「いや、人の死ぬの見るなんか。」

それは冷たい博情とも、余りに熱い愛情とも聞こえるので、島村は迷っていると、

…「ねえ、あんた素直な人ね。素直な人なら、私の日記をすっかり送ってあげてもいいわ。あんた私を笑わないわね。あんた素直な人だと思うけれど。


● 島村はわけ分からぬ感動に打たれて、そうだ、自分ほど素直な人間はいないのだという気がしてくると、もう駒子に強いて帰れとは言わなかった。
  

● 無為徒食の彼には、用もないのに難儀して山を歩くなど徒労の見本のように思われるのだったが、それゆえにまた非現実的な魅力もあった。


● 「あれだって、私には真面目なことだったんだわ。あんたみたいに贅沢な気持ちで生きてる人と違うわ。」


● 「わからないわ、東京の人は複雑で。あたりが騒々しいから、気が散るのね。」

「なにもかも散っちゃってるよ。

「今に命まで散らすわよ。」


●  (酔った駒子の膝の上に頭を乗せて)

目を閉じているとその熱が頭に染み渡って、島村はじかに生きている思いがするのだった。駒子の激しい呼吸につれて、現実というものが伝わって来た。それはなつかしい悔恨に似て、だたもう安らかになにかの復讐を待つ心のようであった。


● 駒子の愛情は彼に向けられたものであるにもかかわらず、それを美しい徒労であるかのように思う彼自身の虚しさがあって、けれども反ってそれにつれて、駒子の生きようとしている命が裸の肌のように触れて来もするのだった。彼は駒子を哀れみながら、自らを哀れんだ。


● 葉子はあの射すように美しい目で島村をちらっと見た。島村はなにか狼狽した。
  


● 駒子のすべてが島村に通じて来るのに、島村のなにも駒子には通じていそうにない。駒子が虚しい壁に突き当たる木霊に似た音を、島村は自分の胸の底に雪が降り積むように聞いた。このような島村のわがままはいつまでも続けられるものではなかった。


● 最終シーン

駒子は芸者の長い裾をひいてよろけた。葉子を胸に抱えて戻ろうとした。その必死に踏ん張った顔の下に、葉子の昇天しそうにうつろな顔が垂れていた。(駒子は自分の犠牲か刑罰かを抱いているように見えた。)…


「この子、気がちがうわ。気がちがうわ。」

そう言う声が物狂わしい駒子に島村は近づこうとして、葉子を駒子から抱きとろうとする男達に押されてよろめいた。踏みこたえて目を上げた途端、さあと音を立てて天の河が島村の中へ流れ落ちるようであった。

▲△▽▼


山の向こうに住んでいる人間はみんな…

802:tky10-p121.flets.hi-ho.ne.jp:2011/01/22(土) 22:33:30.90 0

川端康成の「雪国」は死後の世界
みんな幽霊という設定

803:tky10-p121.flets.hi-ho.ne.jp:2011/01/22(土) 22:35:37.56 0

ちなみに千と千尋も死後の世界だね
トンネル抜けるとそこは黄泉の国ということ

講演の中で、奥野健男は川端康成の「雪国」に触れ、実際に川端康成と話したときのことを語ってくれた。

川端によると「雪国」というのは「黄泉の国」で、いわゆるあの世であるらしい。


  「雪国」があの世であるというのは何となくわかる気がする。島村はこの世とあの世を交互に行き交い、あの世で駒子と会うのである。駒子とはあの世でしか会えないし、この世にくることはない。島村と駒子をつなぐ糸は島村の左手の人差指である。島村が駒子に会いにくるのも1年おきぐらいというのも天の川伝説以外に何かを象徴しているのだろうか。

  とてつもなく哀しく、美しい声をもつ葉子はさしずめ神の言葉を語る巫女なのか。その巫女の語る言葉に島村は敏感に反応するのだ。もしかしたら葉子は神の使いなのかもしれない。

 駒子は葉子に対して「あの人は気違いになる」というのは、葉子が神性を帯びているからではないのか。

 日本人とって、あの世とは無の世界ではない。誰もが帰るべき、なつかしい世界である。あいまいな小説「雪国」がなぜか私になつかしい思いをさせるのはやはり「雪国」が黄泉の国だからなのだろうか。


川端は代表作雪国でトンネルを効果的に使っているが、1953年4月に発表された小説『無言』でも現世とあの世をつなぐ隠喩として名越隧道をうまく使っている。なお、川端が自殺した逗子マリーナには、車で鎌倉から一つ目の名越隧道と二つ目の逗子隧道を抜けてすぐ右折し5分程度の距離にある。


ずいぶん昔、何かの会合のあと友人数人とスナックで 飲んでいた時、そのうち一人との会話である。

「川端康成の『片腕』はシュールな傑作だね。口をきく片腕と添い寝 して愛撫するとは」と友人。

「あれはハイミナールの幻覚だと言われているがね」と傑作であるこ とは認めつつ、

「川端康成なら君など問題にならないくらい読んでいる がね」と言う代わりに、どうでもいいような不確かなゴシップ を喋る私。


「『眠れる美女』はまさしく屍姦だが、あれもハイミナールの幻覚か い?」

「いや、あれは実際にやっていたと言う話だ。死体愛好癖とロリコンは 川端康成の二大テーマだからね」


渡部直己『読者生成論』(思潮社)の中にある「少女切断」を読みつつ 上記の会話を思い出した。この「少女切断」は非常に刺激的で、一瞬、川 端康成全集を買って読み返そうかなどと思ったくらいだ。

読み返すとは言っても川端康成が少女小説を書いていたのは知らなかった。 昭和十年から戦後四、五年まで数にして二十以上の長短編少女小説を 書き、これらの少女小説は渡部直己によれば読み応えのある傑作である という。またこの少女小説の一つである「乙女の港」には、中里恒子 による原案草稿20枚が発見されているとのことだから、本物の少女小説 である。

今日すでに存在していない、ここで言う「少女小説」とは渡部直己によ れば、次のようなものである。


「 お互いの睫の長さも、黒子の数も、知りつくしてゐたような、少女の 友情……。

相手の持ちものや、身につけるものも、みんな好きになって、愛情を こめて、わはってみたかったやうな日……。(『美しい旅』)


そうした日々の静かな木漏れ日を浴びて、少女たちはふと肩を寄せあい、 あるいは、人垣をへだててじっと視つめあい、二人だけの「友情と愛の しるし」に、押し花や小切れなどさかんに贈りあっては、他愛なくも甘美な 夢にひたりつづける。お互いを「お姉さま」「妹」と呼びかわし、周囲から 《エスの二人》と名ざされることの悦びに、いつまでも変わらぬ「愛」を 誓いあう二人の世界を彩って、花は咲き、鳥は唄い、風は薫りつづける」


この「少女小説」は、現在の ギャル向けポルノ雑誌と同じ機能も果たしていたのであろう。

今日存在する「少女小説」は、だいぶん様子が違ってきている。たとえば 耽美小説と呼ばれる美少年の性愛を露骨に描写した小説も「少女小説」の一種 であろう。この少年とは大塚英志が言うような、少女の理想型としての少年で ある。
実はこのジャンルはまるで苦手だ。子供の頃、少女マンガというのは 実に退屈なものだなと思った。したがって、後年その少女マンガから傑作が 生まれることなど私の想像力の範囲を超えていた。文学が痩せこけていくのに 反比例して、様々な表現分野が豊饒になり、いわゆる文学を超えた傑作が 多く生まれた。それもまた私の守備範囲を超えていたのであった。

友人の一人(男)が鞄の中に常時少女マンガ雑誌を携帯し、赤川次 郎的少女小説なども愛読している。この感性はどちらかといえば少数派に違いない。

時々「わぁーっ、素敵」などとこの男が言ったりするのは少女マンガの悪影響 だろうが、聞いている方にはかなりの違和感がある。これは異化作用とは 言えない違和感である。

渡部直己が模範的反少女小説として詳細に論じているのは『千羽鶴』で ある。
『千羽鶴』の主人公三谷菊治や『雪国』の主人公島村はその年齢に比して ひどく老成した印象を受ける。彼らはテクストから、はみ出さない。

島村は視点に過ぎないし、冥界を往還する傍観者的な過客の分際から踏み 出そうとはしない。『伊豆の踊子』の一高生にとって 伊豆がそうであったように、島村にとって『雪国』は黄泉の国であり異界で あり、彼は 異人の劇に観客的に出演する。異界は彼にとって慰藉であり、生への意志 を充填する場所なのだ。

三谷菊治は、死者が紡ぎだす美に翻弄されるだけで、 自らの欲望を生きることはなく、作品の狂言まわしですらない。彼は 死者と近親相姦的にかかわる。自殺してしまう太田未亡人も文子も、 もともとこの世の人ではなかった。 或いは三谷菊治自身が死者なのかもしれない。

渡部直己によれば、 事態をなかば抑圧し、なかばそれを使嗾する検閲者である栗本ちか子は、 読みの場の知覚をみずから模倣しつつ作品に介入する 人物の典型、作者の分身たちがひしめきあう世界に紛れこんで、むしろ 読者の分身たらんと欲する人物で、小説一般に幅広く散在する。渡部直己 は『千羽鶴』の場合、作品はあげてこの人物を唾棄しようとすると書いて いる。

だが栗本ちか子は此岸の人であり、テクストを抜け出して我々の人生に 顔を出したりする。彼女は物語の検閲者であり、その欲望は使嗾しつつ抑 圧することのように見えて、実は他者を破滅させることにある。

そのA病院なんですけど、〇〇の斡旋をしているそうで。 素敵な世界に案内してくれるのは病院の院長さん。

最初は一枚写真を撮られますが、それからは一蓮托生、きっといい仲間となってくれるはずです。まあ、もともと院長の知り合いの方しか呼ばれないようですが、そこは努力と根性でなんとかしてくだい。みなさん名士がそろってらっしゃるそうなので、サロン気分でのご利用などもいかがでしょうか。

気になるお値段の方は、「相手」によっても変わってくるようですが、5万〜10万円が相場なのだとか。そのお相手もある程度限定されていて、事故で死んだ若い女子中高生なんかが人気なようですよ。ちなみに今までの「お相手」の最高金額は一回20万。 7歳の少女の死体だったそうです。


山は死霊が住む場所


弥谷寺(いやだにじ)。


昔から死霊が行くと信じられている弥谷寺のイヤという言葉は、恐れ、慎むという意味で、敬うのウヤ・オヤなどと同義の言葉。徳島県の剣山麓の祖谷山(いややま)のイヤも同じ言葉で、奥深い山村、吉野川上流地方の人は古くは死霊のこもる山というイメージを持っていた。

弥谷参り。

人が死ぬと死者の霊をこの山に伴っていくのが弥谷参りという。
死後七日目、四九日目、ムカワレ(一周忌)、春秋の彼岸の中日、弥谷寺のオミズマツリの日などに、死者の髪の毛と野位牌(のいわい)などを持っていく。


三豊郡旧荘内の箱浦(詫間町)では弥谷参りを死後三日目、または七日目に行なうことになっている。七日目の仏事のことを一一夜(ひといちや)という。

弥谷参りに偶数で行くというのは、帰りに死者の霊がついてくるのを防ぐためであり、帰りに仁王門の傍の茶店で会食をしてから後を振り向かないで帰ることや、家に帰ってから本膳で会食をするというのは、死霊との食い別れを意味する。

墓に設けた棚をこわすのも、死霊が墓に留まるのを嫌がり、再び死霊が家に帰ってくるのを防ぐための風習。

死んでから後に何年かたって、彼岸の中日やオミズマツリに弥谷山へ行くのは死霊に再会するためのものであるかもしれないが、死して間もない頃に行なわれる弥谷参りの行事は、明らかに死霊を家から送り出すための行事であった。

七十一番の弥谷寺参詣をおもな行事として、四国八十八ケ所寺の中で七十二番の曼荼羅寺、七十三番の出釈迦寺、七十四番甲山寺、七十五番善通寺、七十六番金倉寺、七十七番道隆寺を巡ることが春秋の彼岸の中日に行なわれているが、香川県の西部一帯ではこれを七ケ所巡りと呼んでいる。

七か寺の中で弥谷寺参りだけは欠かせないところから見ると、この行事は新仏のあった家では死者の霊を送り出すため、そうでない家では弥谷山にこもっている死霊に会いに行くためのものであった。

このような寺々をめぐる風習が、やがては四国八十八ケ所遍路の風習にまで広がっていく一因になったといわれている。

埋め墓と弥谷山。


弥谷山は死霊のこもる山であるが、それをはっきりと物語っているのは山麓地方から付近一帯に行なわれている墓制がある。今ではそれは両墓制(りょうぼせい)と呼ばれ、死体を埋める埋め墓と死後一年とか二、三年目に建てられる参り墓(石碑)との二つの墓を有する墓制として知られているが、どちらかというとそれはそれほど古くない墓制であった。

死者の霊はなんということなしにひとりでに弥谷山に上っていくようになっている。弥谷山には死霊の行く山としての信仰が深く、付近の住民にとってはもちろん四国の霊地を遍歴する者にとっても、どうしても立ち寄らねばならぬ霊場なのだ。




アイヌ人の異界伝説


藤村久和は、アイヌの老人と生活をともにしながら、臨死体験をした人の証言に基づく、あの世に関する伝承を採取した。

それによると、なぜか共通して、眼の前に道があり、そこを歩いていくと、あの世の入り口である洞くつがある。洞くつへ入っていくと、今度は長いトンネルである。なおも進んでいくと、急に道が狭くなり高さも低くなる。その非常に狭苦しいところを通って行くと、やがて向こうにポツンと灯りが見え、先を急ぐとようやくそのトンネルが終わり、新しい世界が眼の前に広がる。

右手は海岸で、左手は山である。道はさらに曲がりくねってうねうねと続き、どんどん行くと一本の小川があり、橋が架かっている。その橋を過ぎると、行く手にポツポツと家が見え、煙が出ている。そこは、まるでどこかの村のようで、この世と違う情景はまるでないという。ここがあの世へ旅立つための準備場所なのである。

霊は、「準備場所」にある一番高い山の頂点まで行き、そこから天空を越えてあの世の山へ行く。


▲△▽▼

「いい日旅立ち・西へ」は亡霊が歌う歌

いい日旅立ち 山口百恵

は死出の旅に出る女性の歌でしたが、まだ、ロマンチックな雰囲気を一杯に湛えていました。一方、リメーク版「いい日旅立ち・西へ」 の方は全く救いが無い哀しい歌です。

特に、西方浄土に模した仄暗い黄泉の世界で亡霊が歌う PV は恐ろしかったですね:

歌手の谷村新司(54)が17日、山口(現三浦)百恵さんの大ヒット曲「いい日旅立ち」のリメーク版「いい日旅立ち・西へ」(29日発売)のお披露目会見を都内のホテルで行った。

 同曲はJR西日本「DISCOVER WESTキャンペーン」のイメージソングで、谷村が25年ぶりに新たに歌詞を書き下ろし、歌手の鬼束ちひろ(22)がカバーに挑戦。谷村は「鬼束さんは影のある雰囲気が百恵さんと似ていますね」と笑顔。鬼束は「自分の情感のすべてをかけて歌いました」とコメントを寄せた。
[2003年10月18日6時14分更新]


なるほど。鬼束も分かってますね。この曲の凄さを。楽しみです。
朝日新聞の記事です(2003.10.14)。

……生まれる前の曲だが、

「母が好きで、幼いころ車の中で聞いていた」

といい、

「この曲を歌うのは私しかいない」

というほどのほれ込みよう。録音当日、スタジオで原曲を聞き、

「完璧な楽曲。隅々まで集中して歌いきらないと情感が表現できない」

と感じた。「自分の歌を歌おう」と心がけたCDは29日発売。




これは死んだ恋人を追って自殺した女性が歌っているのでしょうか。

鬼束さんはこの曲の意味を正確に把握しています。

自分から望んで向こうの世界へ入って行こうとした女性ですが、遂に死んだ恋人とは再会できず、こちらの世界へも戻れなくなってしまったのです:


『出逢いも別れも 夕暮れにあずけたら自分の影を捜しに 西へ行く』


死んだ後で、自分の影が消えているのに気付いたのですね。


『影絵のきつねを追いかけた あの頃の夢を今もふところに 西へ行く』

昔、影絵のきつねを追いかけた様に、幻の様なあの人を探して今度は西へ行ってみよう。


『蛍の光は 遠い日の送り火か 小さく見える景色は 陽炎か』

自殺した女性は幽鬼の姿となって、死んだ恋人の姿を求めて西方浄土へ向かって飛んでいるのでしょうか。

『日本のどこかに 私を待ってる 人が居る』

きっと西の果てにあるという浄土まで行けば、あの人に会えるんだわ。

『今も聞こえるあの日の 歌を道連れに』

昔生きていた時、恋人と一緒に歌った歌でしょうね。



「いい日旅立ち・西へ」は能をイメージして作詞されているのでしょうか?

愛に執着する人間は向こうの世界へは入れず、薄明の中を永遠に彷徨い続ける事になります:


能 井筒 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E8%83%BD++%E4%BA%95%E7%AD%92

『筒井筒』/伊勢物語(第二十三段)
http://plaza.rakuten.co.jp/miri3310s/13005


『井筒』のあらすじは、旅僧が在原寺を訪ね、在原業平とその妻になった紀有常の娘の跡を弔っていると一人の女性が現れ、古塚に花と水を手向けます。僧の不審にこたえて女は伊勢物語の歌などを引いて、二人の恋物語を語り、遂に女は実はその女だと名乗り、井戸の陰に姿を隠します。(中入)

夜も更けて僧の仮寝の夢に、業平の形見を身につけた先刻の女が現れ、業平を偲ぶ舞を見せ、やがて寺の鐘の声に夜も明け、僧の夢も覚める、というものです。



業平を想い舞を舞うシテ


「能楽図絵二百五十番」月岡耕漁

「昔あの人と暮らした在原寺で、こうして昔を今に返すように舞っていると、井筒に映る月影のさやかな事…」

そうつぶやいた彼女の思いは次第に過去へと遡っていった。


「月はあなたのいらした頃の月と同じでしょうか、春はあなたのいらした頃の春と同じでしょうか…、

そう詠みながらあなたを待ち続けたのはいつの事だったでしょうか…」

「筒井筒…」彼女は思い出の歌をくちずさむ。


「…井筒にかけしまろがたけ、生(お)いにけらしな…」

そう詠んだ彼女は、自分がいつの間にか老いてしまった事に気づかされる。

思い出の井筒に姿をうつす
彼女の足は、自然に思い出の井筒へと向かう。そして業平の直衣を身に着けたその姿で、子供の頃業平としたように、自分の姿を水面にうつす。そこに映るのは、女の姿とは思えない、男そのもの、業平の面影だった。

舞台は一瞬静寂につつまれる。


「なんて懐かしい…」


そう呟いて、彼女は泣きくずれる。 そして萎む花が匂いだけを残すかのように彼女は消え、夜明けの鐘とともに僧は目覚めるのだった。


▲△▽▼
▲△▽▼


「いい日旅立ち」は谷村新司が東北の田園風景を眺めているときに生まれたという。


自然と信仰が息づく「生まれかわりの旅」出羽三山

山形県の中央に位置する出羽三山の雄大な自然を背景に生まれた羽黒修験道では、

羽黒山は人々の現世利益を叶える現在の山、
月山はその高く秀麗な姿から祖霊が鎮まる過去の山、
湯殿山はお湯の湧き出る赤色の巨岩が新しい生命の誕生を表す未来の山

と言われます。

三山を巡ることは、江戸時代に庶民の間で「生まれかわりの旅」として広がり、地域の人々に支えられながら、日本古来の、山の自然と信仰の結び付きを今に伝えています。

旅は俗世を表す門前町から始まり、随神門は神域へと誘う境界です。

参道の石段の両側には天を覆うような杉並木が山頂まで続き、訪れる者に自然の霊気と自然への畏怖を感じさせ、心身を潤し明日への活力を与えてくれます。

「生まれかわりの旅」のはじまり

出羽三山は、山形県の中央にそびえる羽黒山(414m)・月山(1,984m)・湯殿山(1,504m)の総称であり、月山を主峰とし羽黒山と湯殿山が連なる優美な稜線を誇ります。

おおよそ1,400年前、崇峻天皇の御子の蜂子皇子が開山したと言われる羽黒山は、羽黒修験道の行場であり中枢です。

修験道とは、自然信仰に仏教や密教が混じり生まれた日本独特の山岳信仰です。

羽黒修験道の極意は、羽黒山は現世の幸せを祈る山(現在)、
月山は死後の安楽と往生を祈る山(過去)、
湯殿山は生まれかわりを祈る山(未来)

と見立てることで、生きながら新たな魂として生まれかわることができるという巡礼は江戸時代に庶民の間で、現在・過去・未来を巡る「生まれかわりの旅」(羽黒修験道では「三関三渡の行」と言う。)となって広がりました。


羽黒山の秋の峰入り〜「生まれかわりの旅」の原点〜

はるか昔から人々は、山は神そのものであり神霊の宿る聖地、新たな生命を育む霊地と考えてきました。

山伏がその霊地である山に籠こもるということは、現世の自分を一度葬り母の胎内に宿ることを意味します。

山伏たちは自らを死者とみなして白装束をまとい 「あの世」に見立てた山を駈け巡り、難行苦行をして穢を祓い、わが身に山の神霊をいわい込め新たな魂として再び「生」を得てこの世に出峰します。

山伏の目的は、即身成仏(生きたまま悟りを開く)するための修行であり、山で得た霊力を用いて生きとし生けるものを救済することです。この擬死再生の儀礼を現在に残す唯一の修行と言われているのが羽黒修験の「秋の峰入り」です。

現在は、神仏分離政策により、出羽三山神社が行う明治以降神式に改められた羽黒派古修験道の「秋の峰入り」と、羽黒山修験本宗羽黒山荒澤寺で行う神仏分離以前の法具法灯を継承し神仏習合のまま十界修行を行う古来の「秋の峰入り」の二つが毎年行われています。


生まれ変わりのはじまり 羽黒山


聖観世音菩薩(現世利益の仏)=補陀落浄土ふだらくじょうど=現在
伊氐波神いではしん(出羽郡の産土神)・稲倉魂命うかのみたま(穀霊の神)
※浄土とは仏の世界

羽黒山は、開祖・蜂子皇子が現在の世を生きる人々を救う仏(聖観世音菩薩)を祀ったといわれ、出羽三山の中で最も村里に近い、人々の現世利益を叶える山であったことから「現在の世を表す山」といわれています。

羽黒山は、開祖・蜂子皇子が現在の世を生きる人々を救う仏(聖観世音菩薩)を祀ったといわれ、出羽三山の中で最も村里に近い、人々の現世利益を叶える山であったことから「現在の世を表す山」といわれています。



「月」と「黄泉」の清浄なる世界 月山

(国指定天然記念物)
阿弥陀如来(死後の救済仏)=極楽浄土=過去
月読命つくよみのみこと (夜を司る神・水を支配する神)

標高 1,984 m、高く秀麗な姿から太古の昔より信仰を集め、「祖霊が鎮まる山」 として「過去の世を表す山」と言われています。

美しい高山植物が咲く山頂 までの道のりは神秘的で、まるで極楽浄土のような光景です。

圧倒的な神秘の実感 湯殿山



大日如来(永遠の生命の象徴)=密厳浄土みつごんじょうど=未来

大山祇命おおやまつみのみこと(山の神)・大己貴命おおなむちのみこと(国土の神)・少彦名命すくなひこなのみこと(医薬の神)

全てのものを生み出す山の神「大山祇命」が祭神として祀られる湯殿山は、「未来の 世を表す山」といわれています。

山中で 修行を行う山伏が、生まれかわりを果たす聖地でもあります。


▲△▽▼

死と再生というテーマ

ユング心理学の本を読んでいて「死と再生」というテーマにたびたび出会うことに気がつきました。

ここでいう「死」は肉体的な死を意味するのではなく、象徴的な「死」のことです。

それは、「ひとつの世界から他の世界への変容を意味し、古い世界の秩序や組織の破壊を意味」しています。

象徴の世界の「死」は肉体の死と直接結びついているものではなく、ある人が象徴的な死を繰り返し体験しても、肉体的生命は生き続けていることが多いのだそうです。

ユング心理学では、たとえば「結婚」は娘にとっては処女性が失われるという死の体験であり、両親にとっては娘が失われる死の体験という、2重の死が含まれていると考えます。


肉体的な死と象徴的な死はかならず結びつくものではないですが、微妙なかかわりを持つものでもあるといいます。

生死をさまよう体験をしたときに、それを転機としてそれ以降の人生が大きく変わるようなことがそうです。

これは特別新しい考え方ではないですよね。夏目漱石が生死をさまよう大病をわずらったあとでその後の作品が変わっていった例、また精神科医であった神谷美恵子さんが若い頃結核になったが自分が死ななかったことが心の中で大きな部分を占めていたこと、作家の辻邦生さんも生死に関わる病気をしていたことがその後の作品に影響を与えていると思います。


このような死と再生のテーマを、河合隼雄さんが自殺との関わりについて述べたものがありました。

自殺しようとする人が、象徴的な意味での死の体験を求めていることについてです。

人は深い意味での死の体験によって、次の次元に生まれ変わることができる。
このような体験を求めたが、しきれなかった(死の体験をしそこなった)ために自殺未遂を繰り返すことになるというものでした。

深い意味での死の体験には充分な自我の力が必要になるといいます。自我の力がそのときに充分強いかどうかで、ひとりでその体験を行ったり、セラピストの力が必要であったり、または今はそのときではないとして、それが肉体的な死の体験へつながってしまうことを予防するのだそうです。

死の体験はいちどすれば終わるのではなく、その体験を繰り返しながら長い成長の過程をたどっていくものでもあるそうです。

自殺が精神の再生や新生を願って行われることもあるという考え方は、自殺がすべてそのようなものと考えるのではないですし、自殺をすすめるものでもありません。ここで私が伝えたかったのは

象徴的な死の体験が、次の次元へ生まれ変わる意味をもっていること、

そう考えることで自分自身の「死」についての考えに何かが加わったように感じたことです。

死と再生についてのテーマは私にはまだよくわかっていなくて説明できない部分も多いです。また、みなさんそれぞれのとらえかたもあると思います。このテーマについてもっとよく知りたい方は、ユング心理学やその他死と再生に関する本を読んでみてください。



「死と再生と、象徴と/考える人 河合隼雄さん」 2008/01/12

大晦日だったか、元旦だったか、
新聞の広告に、大きな笑顔があった。

親しんだ、名前があった。

「さようなら、こんにちは 河合隼雄さん」
(新潮社 考える人 2008年冬号)




その中で、こんな話が出てきます――


今増えてきているのは、抑鬱症(デプレッション)ですね。それはわりと説明が可能なんです、人生が長くなったこととか、社会の変動が速くなったことで。つまり自分の獲得したパターンというのが、意味を持たなくなることが多いんですね。


今まで大丈夫だったものとか、
今まで大切にしてきたものとか、

もっというと、今までそうやって生きてきたものが、<意味を持たなくなる>。

あるいは、通用しなくなる。


たとえば、私が算盤(そろばん)のすごい名人になったとします。算盤さえあれば、と思っているときにコンピューターが出てきますね。そこで自分の持っていたシステムそのものが、まさに行き詰るわけです。そうすると、これはもう抑鬱症になりますね。


自分の大切にしてきたものが、突然、価値を持たなくなる。

いい悪いではなくて、ともかく、そうなる。

それではどうしようもなくなる。

(大丈夫だと思いたい、でも、現実、大丈夫じゃない)
(一部をとったら大丈夫、でも、総体として、危うくなる)
(大丈夫だといえば大丈夫、危ういといえば危うい)

状態というか、環境というか、
取り巻く状況が変化しているのに、
自分というものが取り残されてしまう。

(もちろん、それはいい悪いの問題ではない)

それは、例えば(ヘンテコリンな例だけど)、

厚着をしているうちに、春になり、夏になったようなもので、
薄着をしているうちに、秋になり、冬になったようなもので、

冬に厚着をするのは間違ってないのだけれど、
暖かくなったのに厚着のままでいると、さすがに暑い。
真夏となると、なおさら。

夏に薄着をするのはその通りなんだけれど、
寒くなったのに薄着のままでいると、さすがにつらい。
真冬となると、なおさら。

身体も壊す。
壊す前に、つらい。


ファッションだとか、生き様だとか、
それはその通りで、ある意味、個人の聖域だけど、

だけど、実際問題、
凍えたり、汗だくになったり、
困ったことになってしまう。


気温は測定できて、温度計とか、天気予報とかで、
それを確認できるけれど、

時代の流れとか、社会の流れとか、
己を取り巻く状況とか、
そういうものは、なかなか数字として測定できません。


人生観でもそうでしょう。たとえば節約は第一なんて考えているうちに、息子は全然節約せんで無茶苦茶やっているのに、あれはいい子だ、なんて言われる。そうなると自分の人生観をいっぺんつくり変えなきゃいかんわけです。




こういうことが、14歳(思春期)とか、中年の時期に問題化するのかもしれません。

思春期には、思春期なりの、<今まで積み重ねてきたもの>があって、
でも、それが行き詰ってしまう。

中年期には、中年期なりの、<今まで積み重ねてきたもの>があって、
でも、それが行き詰ってしまう。

いいとか悪いとかじゃなくて、
ともかく行き詰ってしまう。(*1

(理由なんかない。ないことはなくても、明確ではない)
(言葉を持たないから、納得も表現も、伝えることもできない)
(つまり、なかなか意識化できない)
(そういう風になっている)

ともかく、通用しなくなってしまう。

こうなると、壊すしかなくなる。


そこをうまく突破した人はすごく伸びていく人が多いんです。突破し損なった場合は、極端な場合は、死んでしまう、自殺するわけです。もう生きていても仕方ないと。抑鬱症というのは、常に自殺の危険性があります。それがわれわれとしても非常に大変なんです。




ここが難しいところで、
根本的な崩壊を防ぎながら、いかに壊すかということが、突破するための必然になるのだと思います。

言葉をかえると、
いかにうまく壊すか、ということになる。

もっと奥に突っ込むと、
いかに生命としての死を避けながら、象徴的な死を経験するか、ということになる。


我々は破壊や死を避けるあまり、<そこを突破すること>まで拒否してしまう。

それは一方で正しく、もっともでありながら、
もう一方では、それだけでは語れない部分がある。

何を壊し、何を殺すか、
生命としては壊さず、殺さず、
(むしろ、生かし、残し)
どうやって、壊し、変革させていくか。

そのために、互いにつながった、深い部分にある、内なるものを、
どう壊し、変容させていくか。

それには、どうしても悲しみというものと付き合わなければならない。

そして、象徴ということが、非常に意味を持ってくる。



実際には壊さず、実際には死なず、殺さず、

それでいて、殆どそれに近い、
それでしか語れぬもの、
それでしか代替が利かないものを、
経験し、経ねばならない。

(ここに象徴の魔法がある)

しかし、そのものは見えず、
(また、見たくないものである場合が多いし)
実際と同じくらいの、悲しみも経験する。

(ギリギリ、皮一枚を隔てて、あちらとこちらが隣接する)

ここに、象徴の意味が出てくる。

実際にはそうでなくて、
しかし、ほぼ実際に近く、

深いところでつながっていて、

実際と同等の悲しみを経験する。

そして、最終的に、実際に変容する。


これをうまく表現するには、
もっと言葉が熟さねばならないのだろうな…。

実際にやらずに、実際にやるというのは、
たいへん意味深い。


(それは安易な代替では行えんことだ)


(*1
環境の変化や、身体の変化が、
生じやすい時期でもありますね。



ユングは、「死後の生」のような神秘的な考えがもつ意味について、次のようにも述べます。
彼は母親が死ぬ前日に彼女が死ぬ夢を見ます。
悪魔のようなものが彼女を死の世界へとさらっていったのです。

しかし彼女をさらった悪魔は、じつは高ドイツの祖先の神・ヴォータンでした。ヴォータンはユングの母を、彼女の祖先たちの中に加えようとしていました。

この高ドイツの神・ヴォータンはユングによれば「重要な神」「自然の霊」であり、あるいは錬金術師たちが探し求めた秘密である「マーキュリー(ローマ神話の神)の精神」として、「われわれの文明」の中に再び生を取り戻す存在でした。しかしその「マーキュリーの精神」は歴史的にキリスト教の宣教師たちにより悪魔と認定されていました。

ユングにとってこの夢は、彼の母の魂が、「キリスト教の道徳をこえたところにある自己のより偉大な領域に迎えられたこと」を、そして「葛藤や矛盾が解消された自然と精神との全体性の中に迎えられたこと」を物語っていました。

母の死の通知を受け取った日の夜、ユングは深い悲しみに沈みつつも、心の底の方では悲しむことはできなかったと言います。

なぜなら彼は、結婚式のときに聞くようなダンス音楽や笑いや陽気な話し声を聴き続けていたからです。

彼は一方では暖かさと喜びを感じ、他方では恐れと悲しみを感じていました。

ユングはこの体験から、死の持つパラドックスを洞察します。

母の死を自我の観点から見たとき、それは悲しみになり、「心全体」からみたとき、それは暖かさや喜びを感じさせるものになります。

ユングは「自我」の観点からみた死を、「邪悪で非情な力が人間の生命を終らしめるものであるようにかんじられるもの」と述べます。

「死とは実際、残忍性の恐ろしい魂である。…それは身体的に残忍なことであるのみならず、心にとってもより残忍な出来事である。一人の人間がわれわれから引き裂かれてゆき、残されたものは死の冷たい静寂である。そこには、もはや関係への何らの希望も存在しない。すべての橋は一撃のもとに砕かれてしまったのだから。長寿に価する人が壮年期に命を断たれ、穀つぶしがのうのうと長生きする。これが、われわれの避けることのできない残酷な現実なのである。われわれは、死の残忍性と気まぐれの実際的な経験にあまりにも苦しめられるので、慈悲深い神も、正義も親切も、この世にはないと結論する」(下p.158)。

しかし同時に夢は、母をヴォータンの神が死を通じて祖先たち下へつれていったと教えます。死は、母にとって、またユングにとって、喜ばしいものであると夢は教えます。

「永遠性の光のもとにおいては、死は結婚であり、結合の神秘である。魂は失われた半分を得、全体性を達成するかのように思われる」(下p.158)。
メンテ
1970年代 四畳半フォークの時代 ( No.12 )
日時: 2022/05/07 16:59
名前: スメラ尊 ID:hljhk4o.

1970年代 四畳半フォークの時代

四畳半フォークとは、フォークの中でも、恋人同士だけの貧しい暮らし(四畳半の部屋に同棲など)における純情的な内容を中心とした、主に1970年代の作品のことを指す。
代表例としては、かぐや姫の「神田川」や「赤ちょうちん」などがある。


かぐや姫 神田川 1973年9月20日 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%81%8B%E3%81%90%E3%82%84%E5%A7%AB++%E7%A5%9E%E7%94%B0%E5%B7%9D

かぐや姫 赤ちょうちん 1974年1月10日 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%81%8B%E3%81%90%E3%82%84%E5%A7%AB++%E8%B5%A4%E3%81%A1%E3%82%87%E3%81%86%E3%81%A1%E3%82%93

「夢一夜」 作詞:阿木燿子 作曲:南こうせつ リリース 1978年10月25日
https://www.youtube.com/results?search_query=%E5%8D%97%E3%81%93%E3%81%86%E3%81%9B%E3%81%A4+++%E5%A4%A2%E4%B8%80%E5%A4%9C++1978%E5%B9%B4



2018.10.03
【神田川/かぐや姫】隠された歌詞の意味を紐解く!
やさしさが怖かったと歌う2人の関係性を考察!

1970年代前半に隆盛を極めたフォークソング。その筆頭格に挙げられるグループ「かぐや姫」の代表曲が「神田川」です。肩を寄せ合い同棲生活を送る男女の純愛を描いた歌詞は女性目線と思われていますが、実は、知られざる事実が。「やさしさが怖かった」理由には、当時の若者を取り巻いていた驚きの時代背景があったのです。

フォークソングの代表曲

「かぐや姫」最大のヒットソング

1973(昭和48)年9月、3人組のフォークグループ「かぐや姫」がリリースした「神田川」。

リーダーの南こうせつが、ラジオ局の放送作家だった喜多條忠(当時の表記は喜多条忠)に作詞を依頼しました。

喜多條は学生時代に同棲していた彼女との思い出をモチーフに、わずか30分ほどで書き上げたといいます。

出来上がった歌詞を喜多條からの電話で聞いた南は、その場でメロディーが浮かんだそうです。

「神田川」は、同年7月発売のアルバム「かぐや姫さあど」に収録されました。

南がDJを担当していたラジオの深夜番組でオンエアしたところ、リスナーからリクエストが殺到。

哀愁漂うバイオリンの音色も印象的な「神田川」はシングル曲としてリカットされ、ミリオンセラーを記録しました。

70年代の若者文化のシンボル的な曲で、神田川に架かる東京都中野区の橋のたもとには歌碑が建立されています。


切なくも美しい歌詞と旋律を併せ持った名曲をお聴きください。透き通るハーモニーも聴きどころです。

「四畳半フォーク」の代名詞

「神田川」の代名詞でもあるのが「四畳半フォーク」という言葉。

1960年代に米国で広がったフォークソングは、ボブ・ディランやピーター・ポール&マリーなどに代表される若者の音楽でした。

人種差別反対やベトナム反戦のメッセージを込めた、プロテストソングと呼ばれるフォークです。

同時代の日本もまた、日米安保闘争や東大・日大闘争をはじめとする学生運動が盛んでした。

プロテストソングは社会派フォークのミュージシャン、作品を生み、若い世代の閉塞感や憤りを代弁します。

しかし、国家権力にねじ伏せられた学生運動は70年代に入ると行き詰まり、リアリティーを失いました。

「虚無」に陥った若者たちの心をつかんだのは、個人のささやかな生活や恋愛を歌ったフォークソング。

生活派フォーク、私小説フォークと呼ばれる、歌詞も旋律も日本的なウェット感に包まれた音楽です。

こうした曲はやがて「四畳半フォーク」と称されるようになります。

地方の親元を離れ、東京や大阪などの大都会に出てきた当時の学生の平均的な住まいが、四畳半一間の安アパート。

彼らの生活感を象徴したキーワードが「四畳半」だったのです。

ちなみに、「神田川」の歌詞には「三畳一間の小さな下宿」というフレーズが登場します。

J-POPの源流

時代を反映する力


「四畳半フォーク」という言葉を初めて使ったのは、松任谷由実(当時は荒井由実)だったとも言われています。

貧乏じみた生活のわびしさを追憶する暗い雰囲気の曲を、揶揄(やゆ)するニュアンスが含まれています。

1972(昭和47)年に発売された、ある週刊誌には「四畳半フォーク」をプロテストソングと対比した、こんな記述が。

「去勢されたロック・フォーク」

「四畳半ムードのいかにも男女のカッタるい感じの歌」

しかし、当時の若者にとって「四畳半フォーク」の世界にこそ、リアリティーがあったことは否めません。

他愛のない日常をありのまま切り取って表現する手法は、後のJ-POPに脈々と受け継がれます。

「何でもない毎日にこそ、その時代を生きる人々の息遣いがある」という事実。

若者たちの等身大の世界を歌って共感を集めたのが「四畳半フォーク」でした。

その時代の空気を作品として永遠に残せる音楽の素晴らしさを、見事に証明してみせたといえます。

古い社会への抵抗


「四畳半フォーク」の定番と言える恋愛の舞台が「同棲」です。

婚前交渉などもっての外だったのはもちろん、自由恋愛さえ憚(はば)かられていた当時。

日本社会の古く、息苦しい価値観を打ち壊そうという若者たちの行動が「同棲」という形で顕在化したのです。

「神田川」がリリースされる前の1972(昭和47)年には、漫画「同棲時代」が大ヒットします。

時に傷付け合いながらも、深く愛し合う恋人たち。

しかし、精神的にも経済的にも未熟なカップルを待ち受けていたのは、破滅的な別れでした。

「四畳半フォーク」で歌われる2人の暮らしも困窮を極め、未来の明るさなど感じられないものがほとんど。

爪に火を灯すような生活で味わう惨めさや葛藤が、ディテールまで赤裸々につづられています。

あまりにも刹那的な純愛に全てを捧げた情念は、時代を隔てたリスナーの胸にも響くのです。

「神田川」の歌詞が意味するもの

女性目線の歌?

貴方は もう忘れたかしら
赤い手拭 マフラーにして
二人で行った 横丁の風呂屋
一緒に出ようねって 言ったのに
いつも私が待たされた
洗い髪が芯まで冷えて
小さな石鹸 カタカタ鳴った
貴方は私の 身体を抱いて
冷たいねって 言ったのよ

出典: 神田川/作詞:喜多條忠 作曲:南こうせつ


「神田川」もまた、貧しさの中で営まれた同棲生活を追憶した曲です。

神田川が流れる、都心の「三畳一間の小さな下宿」。

男女の暮らしが貧しいものであることは、容易に想像できます。

寒空の下、首に手拭いを巻いて銭湯に出掛ける2人。

相手が出てくるのを外で待つ間に、すっかり冷え切った湯上がりの髪。

凍えた身体が震えるのに合わせて箱の中で鳴る、使い古された石鹸。

そんな身体を抱くしか術がない切なさ。

貧しさゆえの。何とも言えない悲哀が伝わる描写です。

ところで、この歌詞の語り手は男性、それとも女性でしょうか。

冒頭の「忘れたかしら」という言葉遣いから、女性を連想するのが自然なように思えます。




「やさしさが怖かった」理由

実は男性目線だった?

若かったあの頃 何も怖くなかった
ただ貴方のやさしさが 怖かった

出典: 神田川/作詞:喜多條忠 作曲:南こうせつ


曲が進むにつれ、歌詞からは別の疑問も湧いてきます。

それは「貴方のやさしさが怖かった」という告白。

「やさしさ」が怖いとは、何を意味するのでしょう。

想像されるのは「相手が何か隠し事をしているのではないか」という疑念。

あるいは、経済的に困窮する中で「相手の『やさしさ』が、いつまで続くのだろうか」という不安です。

しかし、喜多條自身は後の新聞対談で、驚くべき真相を明かしています。

学生運動の最中、機動隊と衝突する激しいデモ活動に明け暮れていた自分。

疲れ果てて帰ると、学生運動と無縁の彼女は穏やかにカレーライスを作っている。

そんな彼女を見ていると、平穏な暮らしについ心を奪われそうになる。

しかし、それは活動家としての自分の信念を揺るがせることに他ならない。

自分のために料理を作る彼女の「やさしさ」こそが、自分にとって最も怖いことなのだ。

つまり、「神田川」のサビは、男性の視点で書かれた歌詞だったのです。

男女の目線が入り混じった歌詞


新聞対談の中で、喜多條はさらなる真相も明かしています。

横丁の風呂屋の外で待たされていたのは、自分でもあるということ。

当時の若い男性の間で流行していたのは、女性と見紛うような長髪。

喜多條は「神田川」の歌詞の語り手が男性であるか女性であるかは「よく分からない」とも発言しています。

過ぎ去った同棲生活を振り返る中で、濃密な時間を共にした男女の思いが交錯した曲。

それが「神田川」だったのです。

時代の記憶

「ニューミュージック」へ

一世を風靡した「四畳半フォーク」の終焉は、あっけないものでした。

その理由は、世の中が急速に豊かになったから。

国民的規模でもたらされた経済的余裕は、若者の関心を消費生活、つまり物欲の充実に向かわせます。

若者たちは消費生活を犠牲にする「同棲」をしてまで、社会に抗(あらが)うことをやめました。

過去に追いやられた学生運動に郷愁を感じることもない彼らが熱を上げたのは、都会的な「ニューミュージック」。

重苦しい生活感を排した、ファッショナブルな歌詞とサウンドが特徴です。

荒井由実が1stアルバム「ひこうき雲」をリリースした75年、「かぐや姫」は解散します。

受け継がれる精神


21世紀の現代に「四畳半フォーク」はそぐわないでしょう。

しかし「平凡な毎日」の素晴らしさを歌い、若者の心に寄り添うフォークの精神が消えることはありません。

例えば「ゆず」「19」「コブクロ」「うたいびとはね」。

90年代後半ムーブメントを起こしたネオ・フォークのアーティストたちは、J-POPの主流であり続けています。

アコースティック・ギターを抱えた彼らの曲に、奇をてらった過激なメッセージはありません。

「四畳半フォーク」の精神は、今の音楽にしっかりと受け継がれているのです。

まとめ

70年代フォークの旗手、吉田拓郎も


「かぐや姫」と並ぶ70年代フォークの代表選手といえば、吉田拓郎。

彼もまた、激動の時代を生きた若者の代弁者でした。

60〜70年代フォークソングの代表格・吉田拓郎。井上陽水などとレコード会社を設立したり、楽曲を森進一に歌ってもらったり、と何かと大反響を呼んだ超有名人です。こんな素晴らしいアーティストを時代の流れとともに風化はさせぬ!ということで吉田拓郎の珠玉のフォークソング集をご覧いただきましょう。


「神田川」の歌詞の謎 2010-01-07

『神田川』という歌をご存知だろうか。俊郎でなく、南こうせつとかぐや姫が1973年に発表した歌だ。1970年代を代表する歌といってもいいだろう。おそらく、ご両親が口ずさむのを聴いた方もおられるだろう。私自身も、父母から教えられて、自分でもよく歌っていた。

 〜〜〜〜
貴方はもう忘れたかしら
赤い手ぬぐい マフラーにして
二人で行った 横丁の風呂屋
一緒に出ようねって言ったのに
いつも私が待たされた 

洗い髪が芯まで冷えて
小さな石鹸 カタカタ鳴った
貴方は私のからだを抱いて
冷たいねって言ったのよ
若かったあの頃何も恐くなかった
ただ貴方のやさしさが 恐かった
 〜〜〜〜


さて、この歌詞の最後の部分、「ただ貴方のやさしさが 恐かった」が、謎めいているように感じないだろうか?私は子供のときから、意味が分からず、ただ何となく、「女性の複雑な心情でも表しているんだろう」とぐらいにしか思っていなかった。母も、「好きでたまらないと、もし裏切られたらなんて不安がふとよぎる」というようなことを言っていたと記憶している。

皆さんは、この「ただ貴方のやさしさが 恐かった」の本当の意味をご存知だろうか?数年前私は、テレビか雑誌かで偶然この意味を知って衝撃を受けた。


ところで、母は別の部分も変だといってた。それは、

「一緒に出ようねって言ったのに いつも私が待たされた 洗い髪が芯まで冷えて・・・」

の件である。母が言うには、「普通、風呂の時間が長いのは女の方で、待っている男がイライラさせられるもん」だそうだ。日常的に銭湯を利用したことの無い世代に属する私には、・・・まして一緒に銭湯に行く女性もいない私には・・・実感がないことではあるが、確かに女性の方が長風呂、というステレオタイプが無根拠でなかろうとは想像に難くない。

・・・実は、この母の何気ない感想が、謎を解く鍵であったのだ。

1960〜70年代は、学生闘争や革命の理想に燃えた若者たちの時代で、南こうせつたちも、革命の理想や世の矛盾を多く歌に乗せていた。

ヘルメットを被って覆面をして、機動隊のバリケードに突っ込んでいく、そんな無骨な男たちにとって、家に帰って同棲する愛する女性と過ごす、ひと時の安らぎ・・・歌の二番に描かれている、貧しくても小さな幸せ・・・

 〜〜〜〜
貴方はもう捨てたのかしら
二十四色のクレパス買って
貴方が描いた私の似顔絵
うまく描いてねって言ったのに

いつもちっとも似てないの
窓の下には神田川
三畳一間の小さな下宿
貴方は私の指先見つめ
悲しいかいってきいたのよ
 〜〜〜〜

この静かな幸せは、当時の騒然とした学生闘争とは全くの異質だった。闘争に明け暮れる男は、この小さな幸せに一息をつき、ああ、このまま時が止まればいいのに・・・・・・と、

革命の理想も、正すべき世の矛盾も忘れてしまいそうで、

そんな風に、自分の生きがいを捨てて家庭に安住してしまいそうになるのが

「怖かった」

そうなのである。

お分かりになるだろうか?そう、この歌は、女性の心情を詠んでいるのではなく、革命に生きる男性の心情を詠んでいるのである。この歌の主人公は、男。作詞者、喜多條忠は自分の心情を詠んでいたのである。語り口が女性的なので騙されていたが・・・くどいようだが、「ただ貴方のやさしさが 恐かった」というのは、「ただ貴女のやさしさが 恐かった」というのが本当で、


「やさしい貴女との幸せな日常に、自分の使命を忘れてしまうのが恐い」

という意味なのだ。


とすると、歌の第二の謎の部分、「一緒に出ようねって言ったのに いつも私が待たされた 洗い髪が芯まで冷えて・・・」で、待っていた「私」は男性ということになる。やっぱり女性は長湯というステレオタイプに沿った歌だった。

それにしても、「洗い髪」っていうと、普通の感覚では女性の長い髪を連想するのではないか?・・・と思われることだろう。1970年代・・・上に挙げたYou Tubeにあるレコード・ジャケットからも分かるように、当時は 男も長髪にするのが流行っていたんだよ。

「大丈夫、俺も今、上がったところだから」と、見栄をはる男の、湯冷めした身体をぎゅっと抱きしめて、「冷たいね」という女

萌えまくるじゃねぇか、畜生め。リア充氏ね!!

こういう事実を知ると、歌の印象、ぐっと変わってくるでしょう?

・・・・ごめんなさい、嘘つきました。

いえ、百パー嘘じゃないんです。「あなたのやさしさが恐かった」ってのは、学生闘争に明け暮れる男の心情吐露が元々なのは事実なんですね。作詞者、喜多條忠がこのフレーズを思いついたのは、上に述べた背景からです。

でも、歌自体は、男が主人公でも、女が主人公でもなく、両者の目線が渾然としているそうです。だから、銭湯の外で待ってた人、似顔絵を描いた人、「悲しいかい」って聞いた人、どれが男でどれが女か、どれが同一人物で、どれとどれが違う人なのか、分からないんだそうです。

分からないってのは、作詞者自身が、「わたしにも分かりません」といってるからなんですね。当時長髪だった作詞者は、風呂屋で待ったことも待たせたことも経験しているそうです。

ある意味、歌の聞き手が自分の経験に照らし合わせて、勝手に補い、勝手に解釈でき、十人十色に共感できる、そういう自由さが、この歌が広く売れた理由かもしれません。

だから、「女性の複雑な心情でも表しているんだろう」というような私の単純な解釈も、「好きでたまらないと、もし裏切られたらなんて不安がふとよぎる」という母の恋の駆け引き的解釈も、間違いとは言い切れないわけで。

歌謡曲でも、詩でも、和歌でも、だいたい広く親しまれているのは、オープンなんだよね。情景が頭にすぐに描けるような、詳細で緻密な表現があるのに、個人個人の心に描かれる情景は、それぞれ違っているような・・・・個性的で且つ、普遍的な性質が、求められているんだろうね。


▲△▽▼
▲△▽▼


「22才の別れ」 作詞・作曲:伊勢正三 リリース 1975年2月5日
https://www.youtube.com/results?search_query=22%E6%89%8D%E3%81%AE%E5%88%A5%E3%82%8C

イルカ なごり雪 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%82%AB++%E3%81%AA%E3%81%94%E3%82%8A%E9%9B%AA




「かぐや姫」の名曲「なごり雪」


女性フォークシンガーのイルカが歌ったことで知られているこの曲。

もともと「かぐや姫」の曲。「かぐや姫」のメンバー、伊勢正三が作詞・作曲したものです。

1974(昭和49)年に発売された「かぐや姫」の大ヒットアルバム「三階建の詩」に収録されました。

「22才の別れ」「赤ちょうちん」といった名曲が収録されています。

後世に歌い継がれている「なごり雪」を、なぜイルカがカバーしたのか?

OTOKAKEライターが解き明かした記事です。


2017.12.31
イルカ「なごり雪」ってどんな雪?!
伊勢正三が手がけた永遠の名曲!歌詞の意味を紐解いてみた!

1970年代の曲でありながら、いまだ多くの歌手に歌い継がれている名曲「なごり雪」。実は、イルカさんが歌っているのもカバー曲だった、って知ってましたか?名曲にまつわるエピソードを添えて、歌詞の意味を紐解きます。

山崎とま


名曲「なごり雪」、まずはお聴きください!

イルカさんの歌う、「なごり雪」です。

名曲を特集した歌番組などでは、必ずといっていいほど紹介される曲なので、幅広い世代に知られていますよね。

この「なごり雪」、原曲を歌っていたのは別の人だった、って知ってましたか?

そんな昭和を代表する名曲、「なごり雪」について詳しく見ていきましょう♪

「なごり雪」ってどんな曲?

イルカ「なごり雪」ってどんな雪?!伊勢正三が手がけた永遠の名曲!歌詞の意味を紐解いてみた!の画像


1974年、フォークグループ『かぐや姫』のアルバム『三階建の詩』の収録曲として発表されました。

メンバーは、リーダーの南こうせつ(ギター)、山田パンダ(ベース)、伊勢正三(ギター)の3人


「22才の別れ」や「神田川」などのヒット曲があり、「なごり雪」が収録された『三階建の詩』も、オリコンアルバムチャートで1位、年間チャートでも5位にランクインしています。

当時を知る往年の方々には何を今更…と思われそうですが、とても人気があるグループだったんですね!

それぞれが作詞作曲を担当し、リードボーカルを取ることができますが、今回ご紹介している「なごり雪」は伊勢正三さんが作詞作曲を手がけた曲です。

イルカさんのカバーバージョンが大ヒット!


『三階建の詩』をリリースした翌年、レコード会社への不信感などから、かぐや姫が解散。

最後にリリースしたアルバムがオリコンチャートの100位圏内に186週ランクインし続けるという、人気絶頂での解散でした。

解散後、伊勢正三さんと旧知の仲だったイルカさんのプロデューサーから、「なごり雪をカバーさせて欲しい」と依頼されたそうです。

そこで、ファンから根強い人気があったものの、かぐや姫としてシングルカットしていなかった「なごり雪」を提供する流れになりました。

そして1975年、イルカさんのカバーによるシングル「なごり雪」をリリース、大ヒットするのです。

最初は歌うことをためらっていた?


かぐや姫が歌った原曲の「なごり雪」は、アルバム曲でありながら、ファンからとても人気のある曲でした。

それを知っていたイルカさんは「かぐや姫のイメージを壊したくない」と、最初は自分が歌うことをためらっていたそうです。

もし当時のイルカさんが歌わなければ、かぐや姫ファンの思い出の曲、で終わっていたかもしれません。

また、「なごり雪」のイメージがイルカさんの歌声にぴったりハマっていたからこそ、ここまで世に広まり、現在まで歌い継がれる名曲になったのでしょうね。

世代を越えて共感される歌詞

イルカ「なごり雪」ってどんな雪?!伊勢正三が手がけた永遠の名曲!歌詞の意味を紐解いてみた!の画像


おそらく、上京して出会った大学生が主人公ですよね。

大学を卒業して故郷に帰る「君」を、東京に残る「ぼく」が駅まで見送りにきている場面です。

歌詞の舞台は東京ですが、作者の伊勢正三さんは故郷の大分県の津久見駅をモチーフにしているそうです。

場所が東京でなくとも、恋愛だけでなくとも、様々な場面で、様々な別れの曲としても受け取れるものがありますよね。

二度と会うことがないかもしれない別れ

汽車を待つ君の横で
ぼくは時計を気にしてる
季節はずれの雪が降ってる
「東京で見る雪はこれが最後ね」と
さみしそうに 君がつぶやく
なごり雪も 降る時を知り
ふざけすぎた 季節のあとで
今 春が来て 君はきれいになった
去年よりずっと きれいになった

出典: なごり雪/作詞:伊勢正三 作曲:伊勢正三


当時の時代背景を考えると、九州や東北新幹線なども全線開通していないはずですし、もちろん格安航空もなかった時代ですよね。

各駅停車を乗り継いだり、夜行列車に乗ったり、本州との橋やトンネルがなく、連絡船やフェリーを使わなければならなかったり。

当時の地方出身者にとっての東京は、現在よりも気軽に行ける場所ではなかったのだと思います。

地元に戻ってしまえば、もう一度東京で生活することはもちろん、もう二度と遊びに行くことすらないかもしれない。

きっと、君もぼくも、いつか来る別れや、その後の将来のことを考えないようにして、東京で出会ったふたりの刹那的な恋愛を謳歌していたのではないでしょうか。

それぞれの歩む道が違ってしまったふたり

伊勢正三が手がけた永遠の名曲!歌詞の意味を紐解いてみた!_ 2


動き始めた
汽車の窓に 顔をつけて
君は何か 言おうとしている
君の口びるが
「さようなら」と動くことが
こわくて 下を向いてた
時が行けば 幼い君も
大人になると 気づかないまま
今 春が来て 君はきれいになった
去年よりずっと きれいになった

出典: なごり雪/作詞:伊勢正三 作曲:伊勢正三


故郷へ続く汽車の窓越しで、向かい合うふたり。

「さようなら」という言葉に、「行かないで」と言うことは簡単だと思いますよね。

しかし、ここで引き留めることは「君」の両親からすると、娘と結婚するということに近いのではないでしょうか。

当人同士というより、両親や親戚の意見、家と家との繋がりが最も重要視されていた当時は、今よりももっと結婚に対するハードルが高かったように思います。

そこまでの仲ではなかったのか、「君」の両親を納得させられるような「ぼく」ではなかったのか。

子供っぽい恋愛ばかりを繰り返す日々を過ごしているうちに、「君」も自分自身の道を進む日が来てしまった。

もしかしたら、ふたりが将来のことをもっと真剣に考えていれば違った結末になったかもしれません。

また、真剣に考えていたとしても、歌詞と同じような別れを迎える運命だったのかもしれません。

いずれにせよ、こういう別れになることは、お互いが一番よくわかっていたのだと思います。

何も言えないぼくは、いくら引き留めたくとも、別れから目を逸らして下を向いているしかなかったのでしょう。

思い出の日々を惜しむように降る雪

君が去った ホームに残り
落ちてはとける 雪を見ていた
今 春が来て 君はきれいになった
去年よりずっと きれいになった 

出典: なごり雪/作詞:伊勢正三 作曲:伊勢正三


君が行ってしまったホームで、雪を見ているぼく。

降っている間は雪ですが、地面に落ちるととけて、雪ではなくなってしまいます。

もしかしたら、落ちてはとける雪に、君との思い出と別れを重ねているのかもしれません。

この曲には「今 春が来て 君はきれいになった」「去年よりずっと きれいになった」というフレーズが繰り返されていますよね。

これは、君の年齢的な成長、外見的な綺麗さもちろんあると思います。

それに加えて、自立して自らの道を歩き始めた、大人の女性になった強さや美しさも同時に描いたフレーズだと思います。

ぼくは、別れがきてしまった時、その美しさに気づかされてしまった。

そして、余計に名残惜しい気持ちが、雪のように降っては消えていったのではないでしょうか。

「なごり雪」とは?


タイトルにもなっている「なごり雪」。

辞書などには「名残の雪」で載っていて、春が来ても消え残っている雪、春が来てから降る雪、という意味で春の季語でもあります。

この曲が発売された頃は、勝手に日本語を作るな、「なごり雪」ではなく「なごりの雪」にしろ、と言われたこともあったそうです。

しかし、今ではすっかり定着し、2013年に日本気象協会が選んだ「季節のことば36選」にも「なごり雪」として選ばれています。

また、「名残」は元々”余波”と書いて”なごり”と読む言葉で、波が打ち寄せ、後に残った海水や海藻などを意味していました。

そこから転じて何かの後に残る余韻や影響を表し、平安時代ごろにはすでに人との別れを惜しむ意味でも使われています。

この曲のタイトルとしては、卒業=春が来て降る雪、そして人との別れを惜しむように降る雪、という感じでしょうか。

なごり雪ではない”雪”が降っていた冬は、ふたりはまだ学生。

ほんの少し前の学生時代を思い出しているような、余韻も感じる言葉選びですよね!

後世に引き継いでいきたい名曲

イルカ「なごり雪」ってどんな雪?!伊勢正三が手がけた永遠の名曲!歌詞の意味を紐解いてみた!の画像


「なごり雪」は、イルカさんが歌ってヒットした後も、様々なアーティストによって歌い継がれています。

古くは天地真理さんや榊原郁恵さんに始まり、近年ではアイドルの松浦亜弥さんや仮面女子、桑田佳祐さんや徳永英明さん、ロックバンドのMUCCやPENICILLINなど。

発売から40年あまりが経っていますが、今後もたくさんのアーティストに歌われていくはずです。

きっと、世代やジャンルを超えて人の心に残るからこそ、後世に引き継がれる名曲になっているのでしょう。



メンテ
岩崎宏美 『聖母(マドンナ)たちのララバイ』 ( No.13 )
日時: 2022/05/11 03:26
名前: スメラ尊 ID:7p9rFF4M

岩崎宏美 『聖母(マドンナ)たちのララバイ』


岩崎宏美 - 聖母たちのララバイ - 1982 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=bL52D-vr79c

聖母たちのララバイ 岩崎宏美 2000 昭和の歌 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=8stEnG7VVCE

聖母たちのララバイ(2004version)
https://www.youtube.com/watch?v=IqWM4BItKVw

岩崎宏美 聖母たちのララバイ - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E5%B2%A9%E5%B4%8E%E5%AE%8F%E7%BE%8E+++%E8%81%96%E6%AF%8D%E3%81%9F%E3%81%A1%E3%81%AE%E3%83%A9%E3%83%A9%E3%83%90%E3%82%A4++


▲△▽▼


『聖母(マドンナ)たちのララバイ』原曲・元ネタ
ttp://www.worldfolksong.com/songbook/sokkuri/madonna-lullaby.html?msclkid=3b29fae2d08e11ec978b8278ebbe67a9

アメリカのタイムスリップ映画サントラを元に作曲されたヒット曲
『聖母(マドンナ)たちのララバイ』は、1982年5月にリリースされた岩崎宏美のシングル。作詞:山川啓介、作曲:木森敏之(共作扱い/詳細は後述)。

「火曜サスペンス劇場」初代エンディングテーマとして1コーラス分が作曲され、その後の反響を受けてフルコーラスが製作された。

発売2週目でオリコンシングルチャート1位を獲得。累計売上は130万枚を超えるミリオンセラーとなり、同年11月には第13回日本歌謡大賞を受賞した。

岩崎宏美ベスト盤


同年末の第24回日本レコード大賞にも期待が高まったが、曲前半のメロディが1980年のアメリカ映画「ファイナル・カウントダウン」サントラからの盗作が発覚し、日本レコード大賞の対象から除外されている。

メロディの元ネタとなった映画サントラとは、一体どのような楽曲だったのだろうか?映画の概要や該当する楽曲について、簡単にまとめてみた。

ちなみに、作曲者の木森敏之は『仮装大賞テーマ曲』でもマイケル・ジャクソンの楽曲を大胆に取り入れた作曲を行っているが、こちらは『聖母たちのララバイ』のように大きな問題にはなっていないようだ。

映画「ファイナル・カウントダウン」とは?

映画「ファイナル・カウントダウン」(The Final Countdown)とは、1980年に公開されたアメリカ映画。原子力攻撃空母ニミッツが太平洋戦争中にタイムスリップする架空戦記(歴史改変SF)。

映画 ファイナル・カウントダウン The Final Countdown

イギリスの作曲家ジョン・スコット(John Scott)が音楽(サントラ)を手がけた。盗作発覚後、『聖母たちのララバイ』は木森敏之とジョン・スコットとの共作扱いに訂正されている。

『聖母たちのララバイ』の元ネタとされるサントラ『ローレル&オウエンス(Laurel And Owens)』について、どれぐらい似ているのか、YouTube動画で確認してみよう。


【YouTube】Laurent and Owens
https://www.youtube.com/watch?v=HpnsRuX1Cac


曲の前半部分が、ほぼそのまま『聖母たちのララバイ』のそれと共通している。ここまで大胆な引用もなかなか珍しい。

もともと『聖母たちのララバイ』は、「火曜サスペンス劇場」エンディングに1コーラスだけ流れる限定的な作品だったので、おそらく作曲者の予想では、こんな短い楽曲にそれほど注目は集まらないだろう、だから大胆な引用が問題化することもないだろう、と甘く見ていた部分があったのかもしれない。

歌詞にも共通点が?
元ネタとされる映画「ファイナル・カウントダウン」との共通点は、メロディだけではなく、歌詞の一部にも見られる。該当部分を次のとおり引用する。

この都会(まち)は 戦場だから
男はみんな 傷を負った戦士

<引用:山川啓介『聖母たちのララバイ』歌詞より>

「戦場」「戦士」といったキーワードが、タイムスリップ戦争映画である「ファイナル・カウントダウン」と偶然にも内容的に近接しているのが興味深い。

かわぐちかいじ「ジパング」元ネタ?
余談だが、映画「ファイナル・カウントダウン」のストーリーは、講談社の漫画雑誌「モーニング」で2000年から2009年まで連載されていた漫画「ジパング」にも影響を与えている。

漫画「ジパング」では、海上自衛隊のイージス艦が太平洋戦争中にタイムスリップし、歴史の波に飲み込まれていく。

かわぐちかいじ「ジパング」コミックス第1巻

「ジパング」も「ファイナル・カウントダウン」も、どちらも現代から太平洋戦争中へのタイムスリップであり、海上の嵐(あらし)が引き金になるという状況も似ていることから、「ファイナル・カウントダウン」は「ジパング」着想に大きな影響を与えたと考えられる。

▲△▽▼

『聖母(マドンナ)たちのララバイ』の元ネタ

前回、人間の社会的な役割を表わすペルソナという元型を見たのですが、それが
強すぎるとその人の人間性なり個性なりがなくなってしまうということを述べま
した。

人間の心の中にはそれを補償する作用のものがあります。それは夢や物語などの
イメージの世界では一般に異性の人物像で表わされます。ユングは男性の心の中
に潜むペルソナを補償する女性像を「アニマ」、女性の心の中に潜む男性像を
「アニムス」と呼びました。

「アニマ」とはラテン語で「たましい」という意味で、「アニムス」はその男性
形です。

アニマとして分かりやすいのは理想の女性像として現れる場合です。有名な例で
は、ダンテにおけるベアトリーチェ、ダビンチにおけるモナリザのようなもので
しょうか。

アニマには色々なレベルのものがあります。ユングはこれを、生物的なアニマ、
ロマンチックなアニマ、霊的なアニマ、叡智のアニマ、と4つに分類しました。
生物的なアニマというのは、とにかく女であれば何でもいいというレベルのもの
で、性的なもの・肉体的なものが強調されます。夢魔などはこのレベルのアニマ
とも考えられます。

ロマンチックなアニマでは、相手の人格がそなわって来ます。一般的には美人で
優しく情感のある女性、理想の女性像として表現されます。昔話や伝説、文学作
品などにその多くの例を見ることができるでしょう。

最後の2つはちょっと区別が付かない感じですが、神聖な存在にまで高められて
いて、ヨーロッパなら聖母マリアや女神アテネなど、日本の感覚で言えば観音菩
薩や天照大神のような存在でしょう。

Robert Wang の「ユングのタロット」ではアニマは女教皇のカード、アニムスは
魔術師のカードで表わされています。これはそのまま聞くと違和感を感じるかも
知れませんが、自分が男性であったとしてアニマのカードを探すとやはり女教皇
でしょうし、自分が女性であったとしてアニムスのカードを探すとやはり魔術師
になりそうです。

しばしば男性は人生の半ばに差し掛かった辺りで、ペルソナを取るかアニマを取
るかという二者択一を強いられることがあります。そういう時ペルソナを取った
人は社会的にはどんどん成功して大きな収入を得るようになりますが、数年後に
突然奥さんから離婚要求を突き付けられたりして困惑します。またアニマを取っ
た人は家庭生活はより充実したものになりますが、今まで築いてきた社会的信用
を失い、会社をクビになったりします。アニマはときには強力な破壊者としても
作用するのです。

恋人や夫婦というのは、お互いのアニマ・アニムスまで考えると実は4人の関係
であるという見方ができます。つまり夫は自分の中にアニマを持ち、妻は自分の
中にアニムスを持ち、夫・妻・アニマ・アニムスという四角関係が存在するので
す。夫は妻・自分のアニマ・妻のアニムスとの関係を維持しなければなりません
し、妻は夫・自分のアニムス・夫のアニマとの関係を維持しなければなりません。

つまりそこには6本の関係の糸があり、そのバランスが崩れると、その男女関係
にはひずみが発生し、長い期間にわたってその状態が続くと、どちらかが堪えら
れなくなって、破局に至ります。男女関係というのは実に難しいものです。

占星術的に言えば、太陽が夫、月が妻、金星がアニマで火星がアニムスでしょう。

岬兄悟の「ラヴ・ペア」シリーズでは、主人公はアニマ・アニムスの世界からや
ってきた理想の女性と文字通り合体してしまいます。アニマ・アニムスはもとも
と宇宙からやってきた精神的生命体で、それにより人類は高等生物に進化したの
だ、というのは面白い設定です。
ttp://www.ffortune.net/spirit/sinri/genkei/gen08.htm



ユングの元型論と変容論 @ 影とアニマ

ユングの言う「アニマ」は男性の中にある未熟な女性である。男性が眺める女性は多かれ少なかれ理想化されている、つまりアニマが投影されている。このアニマの観念は「影」と並行して考える事でより良く理解される。影が同性として現れる事が多いのに対しアニマ、アニムスは異性である所が異なるが、心理的機能は影と同じ様に考えられているからだ。

(1)まず「影」は人間が幼児期のある段階で無意識の中に抑圧した自分自身の一部である。それは表の人格と反対の性格を持つ「自分が否定したい自分」「受け容れられない価値観」である。
影は普段は抑圧され社会的鍛錬を経ていないため、暗く未熟で原始的、情動的であり、反社会的である場合もある。

アニマも同じである。幼児は両性具有的であり、その後多くは社会的ジェンダーの圧力により女性性が抑圧され隠される。そして影と同様にまずは「否定的エネルギー」として作用する。

(2)影とアニマは「投影」される点でも共通している。
自分自身の影を他人の中に見る事をユングは「投影」と呼んだ。投影は激しい感情、多くは怒りを伴う。例えば或る人の陰湿な面に理不尽とも言える激しい怒りを感じる時、それは自分の奥に同じ陰湿さが隠されている事を否定したいためかもしれない。

アニマの場合、投影は対象の中に自分の理想化された異性像を見る事である。ユングはそれを4つの発展段階論に整理した。

@ 生物的アニマ
性的、肉体的な色彩が強く、性格、心情より容姿が優先される。アプロディテがこの代表だろう。

A ロマンチックなアニマ
性的な面を残すが、性格も顧慮され、美的で恋愛の対象である。「ロミオとジュリエット」など悲恋物語に出て来る女性。

B 霊的アニマ
無償の愛、無限の慈悲などの癒しを求める。乙女の清浄さと母親の暖かさを併せ持つ。聖母マリアや観音菩薩が例として挙げられる。

C 叡智的アニマ
近づき難い神聖さと知恵を持つ。性的要素は完全に消える。女神アテナやモナリザの微笑がもたらすもの、また河合隼雄氏は弥勒菩薩を挙げている。

一方アニムスの発展段階論はユングの死後、妻のエンマによって提案されたが、ユング自身はアニムスはアニマと比べて不定形で捉えがたいものと考えていて、ユング派の中でも彼女の説を認めない学者もいる。ここではユング心理学の中心になる影とアニマに限定しアニムスの段階論は参考資料を挙げるにとどめる。比較神話の中で必要になったら再考したい。

徹底解説!ユング心理学 : アニムスの変容で女性の心の成長度がわかる
ttp://blog.livedoor.jp/brgj/archives/925859.html

(3)影は社会と断絶しているのではなくむしろ意識よりも周囲の雰囲気に影響され易く集団ヒステリー的な状態になり易い。伝染性のエネルギーを持っているのである。
ユングの弟子、マリー=ルイス・フォン・フランツは例として悪魔に取り憑かれた修道女や現代アメリカのKKKなどを挙げている。もちろんナチスもその良い例となるだろう。

これは意識よりも無意識の方が他者と繋がっているとするほとんどの神秘主義者の説と一致する。ダイアン・フォーチュンによれば「呪い」は相手の無意識に働きかける事であり、その秘訣は相手の「裏庭の鍵を握る」事である。

アニマも同様に人の運命を左右するほどのエネルギーを持つ。恋愛は時には人間に死を恐れない強さを与える一方、時には悲惨なほど堕落させる場合もある。僕が日本思想史の記事で書いた「政治と恋愛の相似」はユング的に言えば「影とアニマの相似」という事になる。

(4)従って影やアニマに対し正面から向き合い、対決し、同化する事が最良の対処法である。

「影の同化」によって人間は影の強力なエネルギーを使いこなしギリシャ神話的英雄となる。ヘラクレスの12の功業がその例として挙げられている。
逆に影が意識と切り離され孤立するほど不可解な魔術的な形で意識に危険な作用を及ぼす事になる。影は無視され誤解されることにより敵対的なものとなる。影は表の人格に対して毒にも薬にもなりうる両義性を持っているわけである。

アニマも同様に両義性を持ち、(2)の4段階を経て表の人格に統合されるとユングは考えた。アニマの両義性はグレイトマザーの両義性に繋がっている。これについてはまた次回に。
ttp://bashar8698.livedoor.blog/archives/15686973.html



男性を惹きつける「真珠の耳飾りの少女」のなぞ
有名人の絵
ttp://aurorashakti.blog117.fc2.com/blog-entry-126.html?sp

少し前まで、上野の美術館に
フェルメールの最高傑作「真珠の耳飾りの少女」が来ていたね。
この絵が好きな人は多いよね。
新聞に書いてあったけど、
皇太子は、この絵を何度も見に行ったとのこと。
なんかわかる気がするね〜。
特に男性は惹きつけられる人が多いだろうね。
なぜ、この絵は人を惹きつけるのか! 
今日は、ユング心理学とアートセラピーの観点からそこに迫っていくよ。


まず、ユング心理学から見てみよう!

ユングの元型(アーキタイパルイメージ)の中には、
男性の心の中にある理想の女性像、アニマと
太母と言われるグレートマザーがあるね。

1番目にアニマを、
2番目にグレートマザーの生の側面から、
3番目にグレートマザーの死の側面を、そして、
4番目に男性の心の中にある娼婦的な女性像を、
5番目に淑女的な女性像を説明するね。

まず一つ目は、男性の心の中にあるアニマ像だね。
この「真珠の耳飾りの少女」に代表される永遠の少女。
かわいく、楚々としてあどけなさが残る少女。
男性は、このタイプの女性には弱いね。
自分が完全に自由にでき、優位に立てる見目が美しい女性像だね。
しかも、フェルメールが描いたこの作品は、
現実の女性像を描いたのではないかと
言われているにもかかわらず現実味がなく、
ある意味、理想的な美しいアニマとして考えられるくらい、
見る人の想像をかきたて、夢見る余地を残している。
だから、男性はアニマにとりつかれて、
一目で恋に落ちてしまったりする。

そして2つ目は、グレートマザーの生の側面。
聖母マリアに象徴されるはぐくみ育てる母なるもの。
絵画でいうとレオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」。
男性は、無限大に受容される暖かな母なるものを
「モナ・リザ」に投影することができるね。

3つ目は、死のグレートマザーね。
男性を呑みこみ殺してしまう母なる元型だね。
これは鬼子母神などに象徴される悪女。
男性を征服するアマゾネスのような女性像。
こわいよね。
アニムス(女性の中にある男性原理)に乗っ取られた
現代の行動的、論理的女性にも通じるものがあるやり手の女性像。
女性は自戒しないとね。
でも、今日は省くね。

4つ目は娼婦像。
セックスアピールがあり、本能的にそそられる女性像。
広くとらえると愛人タイプの女性像とも考えられるね。
これも今日は省くね。

5つ目は淑女像。
つつましやかな女性像だね。
これは良妻賢母にもつながる昔ながらの女性のお手本。
これを男性は今でも女性に期待しているところがあるね。
これも今日は省き。

男性の心の中には、
この5つのタイプの女性像が混然一体としてあるんだけど、
フェルメールの「真珠の首飾りの少女」は、
まさに典型的な1番目のアニマ・タイプなんだね。

そして、次に、アートセラピーから、この絵に迫っていくよ。
この絵で特徴的なのは、この少女が左を向いていること、
そして、左に光源があるということ。
多分、同時代の画家のレンブラントとはここが大きく違うかな。
空間表象の見方として画面の左側は、
女性的な部分・過去・心の内界の領域だね。
おそらく、フェルメール自身が、
男性的で目的達成的であったり、行動化する右側の領域より、
画面の左側に象徴される心の内界や人々の生活に興味があり、
追求する画家だったんじゃないかな。
特に、左側の光源は、
暖かさや認められたい気持ちや包まれたい気持ちを表し、
彼自身もそれを求めていたかもしれないね。

色彩の点から言っても、
真黒な背景から浮かび上がってくる青と黄色の補色の組み合わせは、
見る人をどきっとさせるね。
不調和の色の重ねが見事に生きている絵だね。

次に人物だよ。画面の中央は現在を意味したね。
そこに、少女の顔の表情が浮かび上がるように焦点づけられ、
アップで描かれている。
物言いたげで、純粋無垢な感じだけれど、すごい色気だね。
なぜだと思う? 
それは、半開きの口と振り向いている姿勢からだよ。
ふくよかなどこか肉感的な唇、柔らかな目、
まるで闇から浮かび上がってきた
この世のものとは思えないくらいの美しさだね。

そして、振り向くという行為は、一瞬をとらえている。
飾らない命の輝きがそこにあるんだ。
一瞬であるがゆえに永遠。
呼びかけられたのか、それとも待っていたのか…、
振り向く一瞬には意図がまるでない無垢の美しさがあり、
それゆえ女性の色気を感じさせる一要素にもなっていて、
男性にはたまらないね。
だから、美人画に見かえり美人が多いのもうなずけるね。

ちなみに、京都の永観堂にある「みかえり阿弥陀像」を知っている? 
この阿弥陀様は、弟子に振り向いて「遅し」って言うんだよ。
つまり「早く来い」ってこと。すごい言葉だよね。
もし、この言葉をこの少女がこの姿勢で口にしたら…
ほとんどの男性はついていっちゃうだろうね(笑)。

フェルメールは、最近広く知られるようになった画家だけど、
今、この絵がこれだけ脚光を浴びる背景には、
現実の女性より架空の女性に癒されたいという
男性の心理があるかもしれないね。
肉食系男子が少なくなったと言われるけど、
思うようにならない現実の女性より、
望み通りになる架空の少女への支配欲みたいなものを
投影しているのかもしれないね。

今日は、ユング心理学やアートセラピーから
フェルメールの絵を見てみました。
いろんなことが見えてくるね。どうだったかな?
それでは、またね!
ttp://aurorashakti.blog117.fc2.com/blog-entry-126.html?sp



母、娘、太母、そしてマリアから叡智へ

 母、娘、太母( たいぼ )は、ギリシャ神話ではデメテル、コレー、ヘカテーです。易経流に言うと巽、兌、坤と成ります。
 『 女性の三相 』などと呼ばれていますが、それぞれは『 元型 』でもあります。

 モナリザに描かれた、少女、娘、母、太母( 大巫女 )。
 これに対して故、河合隼雄博士は、その記念すべき処女作『 ユング心理学入門 』( 培風館 p204 )で、

 アニマが分析を通じて追求されるとき、それは一つの発展の過程をたどるように思われる。


 と述べられ、アニマの大きなアウトラインを次のように提示されました。

 これをユングは四段階に分けて、第一段階を生物学的な段階、次にロマンチックな段階、そして霊的( spiritual )な段階、最後のは叡智( wisdom )の段階としている。(p205)

 モナリザのモデルを考える時、これは大きなヒントになる ……… いや、ほとんど答えに近いのではないでしょうか?

 ( ここで少し耳寄りな情報を挿入しておきますと、コレーはそもそも、創造・維持・破壊という存在の三相(つまり循環)を一身に受け持っていた女神だと言うのです。ダ・ヴィンチはこれも意識していたのかも知れません。リンクを張っておきます。)
ウィキペディアのコレーの項目
 さて、生物学的な段階とは「 娼婦型アニマ 」で、アニマの歩みは性的な魅力から始まります。女の子もおませさんなら、小学校の中学年くらいにも成ると、お化粧に厚い関心を示し、自分の髪を事務ハサミで切り、とんでもなく不細工に成った顔を鏡に写し、そのサイケな美しさに感動し頬を紅潮させ、親を絶叫させる事があります。( 笑 ) 中学生くらいに成ると髪を染めたくてたまらなくなり、自分が耳飾りなどして町を歩く姿を想像するだけで、心がはずむ。もう、世界全部が自分のものに成ったような気がするようです。結構な事です。

 男性の中のアニマも、お色気優先です。とにかく直接的に子供を生むような事が中心です。
 この段階のアニマは、まだ人格や個性とは関連していません。

 そして次のロマンチックな段階とは、センチメンタルな段階ではないと河合博士は注意を呼びかけます。

 ロマンチックアニマは、まさに西洋の文学が多大の努力を払って描き続けたものであり、古来の日本においてはあまり発達させられていなかったものといえるだろう。(中略) 実際的に、この段階にまでアニマを開発させている日本人は、現在においても、非常に少ないように思われる。(p206)

 と言いますから、なかなか一筋縄ではいきません。ほとんど人間として最高の段階であると思います。私はこのアニマは『 創造性 』が特徴であると思っています。と言うのも、もっぱら天才の男子の仕事と言われる創造は、基本的に女性原理に属するものと私は考えており、彼はまさに身を削って産み出すのです。
 娼婦型アニマと、その周辺の僕たち、つまり怒りや妬み、憎しみ、恐怖、死を中心とした自他の区別のない攻撃性など、自分の下位意識、影との全面対決をして、それらを取り込んで練り上げた内面を持つ人々。
 最も憎むべき、それを排斥するのに全人格を賭けて戰って来たものが、まさに自己の中にあると認め、それを受け入れた自己を許すだけではなく、しかも「 真 善 美 」への志向をやめない人。
 前に進まざるを得なかったため、これらの不可能事を成し遂げた、泣きながら大切なものを置き去りにして来て、後にそれそのものを永遠に手に入れた人 ……… 
 それは特に著名人、偉人でなくても、自分の人生を本当に創り上げて行った人々の内面の、人格化された何かであると思います。

 アニマの第三の段階は霊的な段階で、聖母マリアによって典型的に示される。(中略)
 これは母でありながら、同時に処女であり、母親としての至高の愛と、乙女の限りなき清らかさを共存せしめている。(p206)

 母であり娘でもあるもの! それはマリアであったか!
 ( マリアと言えば、レオナルドが繰り返し描いた姿、そしてその奥にいるマリアの母アンナ。モナリザにはそれが共に描かれている?!)

 何か、モナリザを解説するための文章のようですね。愛欲、下位の意識は神聖な愛に昇華されて、マリアの本質にさえ変容しています。
 マリアの名は、「 モナリザのモデルは母親説 」の周辺で、常に囁かれています。
 深く練り上げられた人格は、ついに気高い宗教的な色彩を帯びて来、この段階が最も聖なる、最上の段階であると言われています。

 しかし最上の次にはいつも、美しく何かを放棄した形で、すべてを統べる、その上がある事に成っています。河合博士はこの不思議に対し、

 これは、たぶん、「ときとして、たらないものは過ぎたるものにまさるという真実によるものであろう」(p207)

 と言うユング自身の言葉を引用しておられます。
 確かに完成してしまったら、動きがなくなります。そしてこれは易の方でやかましく言うのですが、変易こそが存在の性質です。仏陀にように涅槃に入ってしまったら、欠落を求めて遊行せねばなりません。
 しかしいったい、神のように、この世界の全てを認識する事が出来たら、我々はどんな表情をすれば良いのでしょう?
 ショウペンハウエルは、「 この世界の苦痛と快楽をすべて知る者が、地上が月面のように何もかもなくなったのを見れば、前と比べてどれだけ良い事に成ったかと思うだろう。」と、強烈な皮肉でごく若い私を爆笑させ、また、「 この世界の苦痛と喜びの比率を知りたければ、食うものの快楽と、食われるものの苦痛を比べてみるがいい。」とも言いましたが、いや、これは笑い事ではなかった。
 しかしもし、自分が世界そのものに成ったら?
 食べるために殺しながら、同時にこの世界の存続のために殺されており、しかも風や光や水でもある存在に成ったら?
 岡倉天心がモナリザを表現した通り、「 心に暗愁をいだきて笑みて 」と成るのではないでしょうか?
 巨大な苦悩はわずかの歓喜と完全に均衡(きんこう)を保ち、静かに、いつまでも回転しているからです。
 これは『 叡智のアニマ 』と呼ばれるもので、河合博士はその例として、ゼウスの頭から鎧(よろい)を着て生まれて来たギリシャの女神アテネを挙げた後、

 この段階のアニマ像としてわざわざギリシャの女神をあげなくとも、我国の有名な中宮寺の弥勒菩薩像があげられると筆者は考える。(p207)

 と述べておられます。あの、半跏思惟像(はんかしゆいぞう)ですね。お顔がよく写っている中宮寺のHPの『 本尊 』や、楽しいブログ などがお勧めです。
 そして中宮寺『 本尊 』のページには、弥勒菩薩が、

 数少い「 古典的微笑( アルカイックスマイル )」の典型として高く評価され、エジプトのスフィンクス、レオナルド・ダ・ヴィンチ作のモナリザと並んで「 世界の三つの微笑像 」とも呼ばれております。

 とあります。

 もちろんダ・ヴィンチは、突然あわられた訳ではありません。それまでのヨーロッパの文明、文化の背景、キリスト教の下地、美術や技術の蓄積の上に、出るべくして出たのです。しかし二つの文明圏に対し、一人の人間が一枚の絵で堂々渡り合うなど、途方もない事です。『 個人 』と言うものを、つくづく考えさせられてしまいます。と言うのも、私達だって、個人なのですからね。たぶん、すべてはここから生まれたからです。そしてこれからも、産まれて行くからです。
 この、いとも簡単になぶり殺しにされてゆく、個人から ………

 河合博士は、

 モナ・リザも、西洋における、この段階のアニマ像の表現の一つと考えられる。(p207)

 として、アテネ神、弥勒坐像、モナリザの共通項として、観世音菩薩を引き合いにしながら、この段階のアニマが、

 男性のようでもあれば女性のようでもある( むしろ女性的と思われる )(p207)

 と、まさにモナリザの中核に言及しています。更に言うならモナリザは、はっきりと女性であり、その正面には男性の顔が現れており、その奥には、神がまします。

 母であり、理想の女性であり、世界そのもの、つまり自己自身でもあるもの。その形成には母親が重要な役割を果たし、そしてそれは目の前の一個人モデルに投影される事もある。

 ……… 何か、思い出す概念はありませんか?
 そう、今まで見てきた通り、ユングの言う『 アニマ 』の概念に、非常に正確に合致します。それは『 自己 』と呼ばれる自分のたましいが、あるいはこの宇宙が、女性的な人の姿に表現されたものです。
 この答えにも驚かされましたが、私はむしろ今、教科書通りに暗記していたユングの『 アニマ 』の概念が、これほどまでに豊穣であった事に驚いています。これはモナリザに取り組まねば絶対に、一生わからないでいた事でしょう。
 そうしてダ・ヴィンチは、すべてのアニマ像を残らずこの一枚に結晶させたのでしょう。

 ちょうど透明なダイヤモンドが、その形の中に全ての色を宿していて、見る側の目がさまざまに色を拾い、みずから魅了されるように、それが多彩であると言う事を教えてくれるのです。
 目が色を拾うのは、目の中にすでに全ての色の光があるからです。アニマは我々の心の中に、種々の階層をなしてある。
 アニマは最下位から最上位の意識まで、地下から天上までを貫く一本の柱のようにある。
 人の心の中には、最初から全ての女性像が、複合された合成画のように、一つの人格として統合されてある。
 ダ・ヴィンチはそれをそのまま描いたのだと思われます。
 これが『モナリザのモデルは誰か?』に対する答えだろうと思います。
 しかしいったい人間にそんな事が? ……… たった四本のラインだけで? ……… ダ・ヴィンチの天才に、改めて驚嘆せざるを得ません。

 我々が「モナリザのモデルは?」と問う時、それは「絵画中央の女性」を意味している筈です。
 その答えは出たと言って良いのではないでしょうか?
 我々は「モナリザのモデルは誰か?」と言う問いで、「アニマとは何か?」を論じていたのではないでしょうか?

 モナリザ中央の女性は、『 正確な意味でのユングの言うアニマ像 』
 少女であり娘であり、母であり聖母でもある、人類の意識に普遍的に存在する女性像。
 投影の題材として使われたのは、夫人(モナ)リザ(エリザベッタの愛称)・デル・ジョコンダ。

 ところがモナリザは、これで終わりではありません。
 人はアニマによって、意識の堂奥へと導かれるものだと言います。
 ダ・ヴィンチが完全なアニマ像を描いたのは、まさにそこへ、「 世界へ 」と、人を導くためと思われるからです。
 だからこれはむしろ、入り口かも知れないのです。
ttps://monalisa-nazo.sakura.ne.jp/honnbunn/hahamusumemaria.html



中年の恋愛?深層心理から紐解くミドルエイジ男性の恋愛
【現役カウンセラーが解説】中年男性が時に直面する激しい恋愛感情。普段は真面目で冷静な【心理カウンセラーが解説】真面目な中年男性が、突然道ならぬ恋に溺れてしまうことがあるのはなぜ? C.G.ユングの深層心理学の理論をもとに、この心理を解説します。
大美賀 直子

中年期こそ、思わぬ恋愛感情に溺れやすい理由

恋愛に夢中になった中年男性

真面目に人生を歩んできた中年男性が、ふと目の前に現れた魅力的な女性に心を奪われ、恋に落ちていくことがあります。それが不倫であったり、立場をわきまえない恋愛だったりすると、家族の信頼や社会的信用を失ってしまうことも……。こうした出来事を今は他人事に感じていても、いつそれが自分事になるかわかりません。

深層心理学の大家、C.G.ユングは40歳を「人生の正午」と呼びました。40代に入ると、人は若いころに設定した人生目標からのシフトチェンジを迫られ、後半生の生き方を模索するようになるのです。この中年期に、多くの人は「中年の危機」を体験し、激しい感情の波に振り回されます。

中年の危機にはさまざまな現象が起こりますが、たとえば、それまで恋愛にさして関心をもたなかった男性が、ある女性に訳もなく惹かれて恋愛感情に溺れしまう、といったこともあるのです。C.G.ユングの深層心理学理論の中に「アニマ」という概念があり、この概念が中年男性の恋愛感情を理解する一つのヒントになるかもしれません。

ユングの提唱する「アニマ」とは……男性の中に潜む女性らしさ
私たちは通常、自分の性別に基づいた「男性らしさ」「女性らしさ」を意識しながら生きていることが多いものです。しかし、C.G.ユングは、人間の潜在意識には、自覚する性別と真逆の性別、つまり、男性の中には女性らしさ、女性の中には男性らしさが潜んでいると説きました。この男性の中に潜む女性性を「アニマ」と呼び、女性の中に潜む男性性を「アニムス」と呼びます。ここでは、男性の中の「アニマ」についてお話しします。

多くの男性は普段、自分の中のアニマを意識せずに生活していますが、実はそうした中でも、時折、アニマ的な要素が表出されそうになる瞬間があります。そんなとき、男性はたいてい「メソメソしてはダメだ」「女々しいな、俺は」というようにその要素を否定し、男らしくあることをより強く意識しようとするものです。

しかし、人生の転換期である中年期には、若いころに抑えていた潜在意識下の要素が湧出しやすくなります。そのため、それまで「男らしさ」にこだわってきた人ほど、潜在意識に潜むアニマが急に湧き出し、女性的な感情に振り回されることがあるといわれています。


その結果として引き起こされる現象の一つに、「中年期の恋」があります。つまり、自分の心に潜むアニマのイメージに符合する女性にめぐり合うと、無性にその女性に惹きつけられ、統合したくなってしまうのです。

段階によって異なる「アニマ」のステージ

では、アニマとは具体的にどのようなものなのでしょう? たとえば、甘やかさや優美さ、神秘性や感情の豊かさ、繊細さ、包み込むような優しさ……こうした女性的なイメージが「アニマ」です。これらは、力強く、論理的で厳格な男らしさとは、対極にあるものといえます。


こうしたアニマにはいくつかのステージがあり、その人の精神性によって、アニマのイメージが異なると言われています。

アニマ未満のレベルは、「お母さん」的な女性への思慕の念や「近所のおばさん」のように身近で優しい女性に対する愛着の念だといわれます。その上が恋愛感情にも通じるアニマのステージであり、ユングはこれを4つの段階に分類しました。

第1段階は「生物学的なアニマ」。性欲を満たしてくれそうな肉感的な女性に惹かれます。女性の精神性には関心がなく、若さや体形、セクシーさに惹かれます。たとえば、グラマーなモデルやグラビアアイドルは、この層のアニマのイメージに近いものと思います。

第2段階は「ロマンティックなアニマ」。女性の人格に着目し始め、女性の清らかさや優雅さに憧れを抱きます。アニメやSF映画のヒロインに憧れる感情、といえば分かりやすいでしょうか。たとえば、映画『ルパン三世 カリオストロの城』のヒロインであるクラリスや、『スター・ウォーズ』のレイア姫は、この層のアニマのイメージに近いものと思います。

第3段階は「霊的なアニマ」。聖母マリアのように純粋で清らか、同時に母性的な強さや包容力も持ちあわせた深みのある女性性への尊敬です。女優にたとえるなら、往年の吉永小百合さんやオードリー・ヘプバーンはこの層のアニマのイメージに近いものと思います。

第4段階は「叡知のアニマ」。この段階まで来ると、人間のレベルを超えた神々しい女性性への崇拝になります。モナリザや観音菩薩、弥勒菩薩といった、現実の女性を超越した気高さ、穏やかな中にある力強さ、女性的な神仏に象徴されるイメージに静かに心打たれる心境です。

中年期の恋愛の注意点……恋に溺れるか、統合された自分になるか
多くの男性は若い頃には、自分の男性性を満足させることで自信を得ていこうとするものです。ところが後半生に入ると、それだけでは自分の人生を満たすことができないことを、心の深い部分で感じるようになります。

こうした中、「アニマ」つまり自分の中にある女性性をも満たしていくことに心が向かい、自分自身の男性性と女性性を統合させ、心の全体性の完成を目指す――。これが中年期に行う人生課題の一つなのだと、C.G.ユングは説いています。

しかし、アニマのイメージに符合する現実の女性に惹かれすぎて、その人との恋におぼれ、それまで築いてきた自分の人生を破棄してしまったら、「統合」という人生課題に向き合うどころか、破滅と後悔の道に進んでしまうかしれません。また、アニマのイメージばかりを膨らませて実際に付き合い始めると、その女性も結局「ただのつまらない女」だと知って失望し、かといって自分にはもう戻る家庭もない、ということにもなりかねません。

大切なのは「中年のこの時期に、なぜこの女性に無性に惹かれるのか」、そうした自分の感情の意味と向き合い、深く考察することです。すると、その女性を現実的に手に入れるより、自分のアニマの象徴として憧れや尊敬の念をもって接していた方が、自我とのバランスを保ちながら長く健康的に成長できるということがわかるようになると思います。

こうして自分の中のアニマと向き合い、アニマも自分自身を構成する大切な一部であることを受け入れることによって初めて、男性は人間としての「心の全体性」の実現に向かっていくことができるのです。

女性の「アニムス」に関しては

「力と知性に目覚めた女性が「いばらの道」を歩むわけ」
ttps://allabout.co.jp/gm/gc/450391/

をご覧ください。
ttps://allabout.co.jp/gm/gc/449673/


アニマ・アニムスの4つの発達段階

アニマ、アニムスについておさらいです。
アニマとは、男性の内面にある女性性(女性像) アニムスとは女性の内面にある男性性(男性像)でしたよね。

そして、男性性とは、「能動性」と「切り分ける機能」を特徴とした男性原理を表現した性質で 「論理性」「合理性」「理性」「競争志向」をキーワードに「判断する」「評価する」「分析する」性質でした。

女性性とは、「受動性」と「融合・結合する機能」を特徴とした女性原理を表現した性質で、「情緒性」「感受性」「感性」「イメージ」「協調志向」をキーワードに「受容する」「共感する」「あるがままに見つめる」性質でしたね。

このアニマ・アニムスには、それぞれ4つの発達段階があり、より高次なアニマ・アニムスに成長することで全体としての自分も成長でき魂が磨かれてゆくことになります。

ユング博士によるアニマの4つの発達段階

(1)肉体的なアニマ
アニマの第1段階は、肉体的なアニマです。
これは、アニマの最も未熟な段階なのですが、この段階では、性的な面が強調されます。
この段階のアニマを持つ男性は、それを女性に投影するので、女性に対して内面よりも肉体的・性的な魅力を求める傾向があります。

(2)ロマンティックなアニマ
アニマの第2段階は、ロマンティックなアニマです。
第1段階の肉体的なアニマでは、性的な魅力のある女性であれば誰でもよかったのですが、第2段階のロマンティックなアニマでは、女性を一人の人格として認め、特定の一人の女性に対して、その内面的な女性らしさに魅力を感じるようになります。

(3)霊的なアニマ
アニマの第3段階は、霊的なアニマです。
この段階のアニマを持つ男性は、女性に対して、その精神性の高さに魅力を感じるようになります。
この霊的なアニマの代表的な象徴の一つとしては、聖母マリアがあります。
聖母マリアは、母親でありながら処女でもあります。
母親として子どもを育てる存在であり、かつ、乙女のような清らかな精神性をも持った存在でもあります。
つまり、対極的な要素を統合することによる、成熟した精神性が、このアニマの特徴です。

(4)叡智のアニマ
アニマの発達の最終段階は、叡智のアニマです。
この段階に到達している男性は極めて稀だと言われていますが、この段階においては、内なる女性性が叡智にまで高められ、もはや女らしさが強調されることはありません。
叡智のアニマの代表的なイメージとしては、ギリシアの女神アテナや、絵画のモナリザがあります。
東洋では、観音菩薩や弥勒菩薩などがこれにあたります。
いずれも中性的、あるいは両性具有的ですね。これが叡智のアニマの特徴です。


エンマ・ユング(ユング博士の妻)によるアニムスの4つの発達段階

(1)力のアニムス
アニムスの第1段階は、力のアニムスです。
この段階のアニムスを持つ女性は、それを男性に投影するので、肉体的な力強さを持つ男性に惹かれる傾向があります。
思春期の女の子は、この段階のアニムスを持っていることが多く、彼女たちが、有名なスポーツ選手や、ちょっと不良っぽい先輩、運動部で活躍する同級生の男子、躍動感あふれるダンスをする男性アイドル等にあこがれるのは、力のアニムスの投影によるものと考えられます。

(2)行為のアニムス
アニムスの第2段階は、行為のアニムスです。
この段階のアニムスを持つ女性は、強い意志にもとづいて行動力を発揮する男性に惹かれる傾向があります。
肉体的な力強さとは違って、強い信念や意志力などの精神性がベースになっているのが特徴です。

(3)言葉のアニムス
アニムスの第3段階は、言葉のアニムスです。
この段階のアニムスを持つ女性は、ものごとを的確に表す言葉、人の心を動かす言葉、論理的でわかりやすい言葉、など、これらの言葉を使う能力に長けた男性に惹かれる傾向があります。
言葉を使って、価値観の違う相手と対話し、理解し合ったり、利害の対立する相手と上手に交渉したり、理不尽なことを言う相手に理性的に抗議をしたり、そんな力を有しているのが、第3段階のアニムスです。
「ロゴス」という言葉があります。
これは、「論理、理性、言語」を意味する言葉なのですが、第3段階のアニムスは、このロゴス性が開花した状態ともいえます。

(4)意味のアニムス
アニムスの発達の最終段階は、意味のアニムスです。
この段階のアニムスを持つ女性は、ものごとを言葉で的確に説明するだけでなく、ものごとに秘められた意味をも解き明かしてくれる男性に惹かれる傾向があります。
この段階のアニムスのイメージは、老賢者です。

それぞれのアニマ・アニムスが発達してゆけば、それに見合った相手と出会えることになるわけですね。

であるとすると、パートナーや恋人の足らないところを探すのではなく、自らのそしてお互いのアニマ・アニムスを高められる関係性を継続してゆくことがより豊かな生活につながってゆくのでしょうか?
ttps://ameblo.jp/noma-nouen/entry-12493592282.html
メンテ
ゴダイゴ 「ガンダーラ」 ( No.14 )
日時: 2022/05/07 21:18
名前: スメラ尊 ID:hljhk4o.

ゴダイゴ 「ガンダーラ」

ゴダイゴ ガンダーラ - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%82%B4%E3%83%80%E3%82%A4%E3%82%B4++++%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%A9
 

西遊記 -1978年- ドラマ無料動画
http://rain2008.blog36.fc2.com/blog-entry-231.html


1978年10月~1979年4月、日本テレビ系で放映され、一世を風靡した堺正章主演の伝奇ドラマ。

堺が中国のスーパーヒーロー・孫悟空に扮し、猪八戒に西田敏行、沙悟浄に岸部シロー、そして今は亡き美貌の女優・夏目雅子が三蔵法師役を務めるなど斬新なキャスティングが話題を呼び、お茶の間を大いに沸かせた。

当時としては稀有だった中国ロケや雄大な富士の裾野でのロケも敢行し、常識を打ち破ったスケール感に視聴者は度肝を抜かれた。  1978年10月1日〜1979年4月1日 全26話


_____


ゴダイゴ

活動期間
1975年 - 1985年
1999年 - 2000年
2006年 -


メンバー

ミッキー吉野(キーボード)
タケカワユキヒデ(リードボーカル)
浅野孝已(ギター)
スティーヴ・フォックス(ベース)
トミー・スナイダー(ドラムス)
吉沢洋治(ベース、ギター)



▲△▽▼


キタキツネ物語  ニコニコ動画
https://www.nicovideo.jp/search/%E7%8B%90%E7%8B%B8%E7%9A%84%E6%95%85%E4%BA%8B%E3%80%80%2F7?ref=watch_html5

The Glacier Fox 1978
https://www.youtube.com/watch?v=5PpKlcuTnfw
 
『キタキツネ物語』「小さな翼」ゴダイゴ
https://www.youtube.com/watch?v=bIQjN3cCxZg


1978年公開 監督・脚本・編集:蔵原惟繕

「小さな翼」
歌:ゴダイゴ
作詞:三村順一、奈良橋陽子
作曲:タケカワユキヒデ
編曲:ミッキー吉野

メンテ
1970−1980年代の歌謡曲 1 ( No.15 )
日時: 2022/05/07 21:04
名前: スメラ尊 ID:hljhk4o.

1970−1980年代の歌謡曲 1


藤圭子「圭子の夢は夜ひらく」 石坂まさを(作詞)曽根幸明(作曲) リリース 1970年4月25日
https://www.youtube.com/results?search_query=%E8%97%A4%E5%9C%AD%E5%AD%90+++%E5%9C%AD%E5%AD%90%E3%81%AE%E5%A4%A2%E3%81%AF%E5%A4%9C%E3%81%B2%E3%82%89%E3%81%8F++1970%E5%B9%B4  


「わたしの城下町」 作詞:安井かずみ 作曲:平尾昌晃 リリース 1971年4月25日
https://www.youtube.com/results?search_query=%E5%B0%8F%E6%9F%B3%E3%83%AB%E3%83%9F%E5%AD%90+++%E3%82%8F%E3%81%9F%E3%81%97%E3%81%AE%E5%9F%8E%E4%B8%8B%E7%94%BA+++1971%E5%B9%B4


「津軽海峡・冬景色」 作詞 阿久悠、作曲 三木たかし リリース 1977年 1月1日
https://www.youtube.com/results?search_query=%E6%B4%A5%E8%BB%BD%E6%B5%B7%E5%B3%A1+%E5%86%AC%E6%99%AF%E8%89%B2++1977%E5%B9%B4  


「みずいろの雨」 作詞:三浦徳子/作曲:八神純子 リリース 1978年9月5日
https://www.youtube.com/results?search_query=%E5%85%AB%E7%A5%9E%E7%B4%94%E5%AD%90++%E3%81%BF%E3%81%9A%E3%81%84%E3%82%8D%E3%81%AE%E9%9B%A8+1978  


「魅せられて」 阿木燿子(作詞), 筒美京平(作曲・編曲)リリース 1979年2月25日
https://www.youtube.com/results?search_query=%E9%AD%85%E3%81%9B%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%A6+1979%E5%B9%B4  





メンテ
1970−1980年代の歌謡曲 2 ( No.16 )
日時: 2022/05/07 21:07
名前: スメラ尊 ID:hljhk4o.

1970−1980年代の歌謡曲 2


「翼をください」作詞:山上路夫、作曲:村井邦彦 リリース 1971年2月5日
https://www.youtube.com/results?search_query=%E7%BF%BC%E3%82%92%E3%81%8F%E3%81%A0%E3%81%95%E3%81%84++1971%E5%B9%B4  


「フィーリング」 日本語詞:なかにし礼 作曲:Morris Albert リリース 1976年12月1日
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%82%BB%E3%83%83%E3%83%88+++%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0++1976%E5%B9%B4


高田みづえ「私はピアノ」 作詞・作曲 桑田佳祐 リリース 1980年3月21日
https://www.youtube.com/results?search_query=%E7%A7%81%E3%81%AF%E3%83%94%E3%82%A2%E3%83%8E++1980%E5%B9%B4


「春なのに」1983年1月11日発売 中島みゆき(作詞・作曲)
春なのに 柏原芳恵 - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E6%98%A5%E3%81%AA%E3%81%AE%E3%81%AB++%E6%9F%8F%E5%8E%9F%E8%8A%B3%E6%81%B5


「桃色吐息」康珍化(作詞)佐藤隆(作曲 #1)岡本朗(作曲 #2) リリース 1984年5月21日
https://www.youtube.com/results?search_query=%E9%AB%98%E6%A9%8B%E7%9C%9F%E6%A2%A8%E5%AD%90+%E6%A1%83%E8%89%B2%E5%90%90%E6%81%AF++1984%E5%B9%B4  
メンテ
1970−1980年代の歌謡曲 3 ( No.17 )
日時: 2022/05/10 11:17
名前: スメラ尊 ID:neEbeIso

1970−1980年代の歌謡曲 3


「愛はかげろう」 作詞・作曲 三浦和人 リリース 1980年9月25日
https://www.youtube.com/results?search_query=%E9%9B%85%E5%A4%A2+++%E6%84%9B%E3%81%AF%E3%81%8B%E3%81%92%E3%82%8D%E3%81%86+1980%E5%B9%B4  


「ルビーの指環」 松本隆(作詞) 寺尾聡(作曲)リリース 1981年2月5日
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%83%AB%E3%83%93%E3%83%BC%E3%81%AE%E6%8C%87%E7%92%B0+1981%E5%B9%B4


「出航 SASURAI」有川正沙子(作詞) 寺尾聡(作曲)リリース 1980年10月21日
https://www.youtube.com/results?search_query=%E5%AF%BA%E5%B0%BE%E8%81%A1++%E5%87%BA%E8%88%AA++1980%E5%B9%B4


「ダンシング・オールナイト」作詞:水谷啓二 作曲:もんたよしのり リリース 1980年4月21日
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%83%80%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%88++1980%E5%B9%B4


「赤いアンブレラ」作曲:もんたよしのり リリース 1980年10月5日
https://www.youtube.com/results?search_query=%E8%B5%A4%E3%81%84%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%96%E3%83%AC%E3%83%A9+++%E3%82%82%E3%82%93%E3%81%9F+++1980%E5%B9%B4
メンテ
鬼束ちひろ「月光」「眩暈」「流星群」 ( No.18 )
日時: 2022/05/12 05:55
名前: スメラ尊 ID:vyLkgpW6

鬼束ちひろ「月光」「眩暈」「流星群」


鬼束ちひろ - 月光 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=iyw6-KVmgow

鬼束ちひろ - 眩暈 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=inu2N03AqTI

鬼束ちひろ - 流星群 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=RXQRZ2Ub6BY

鬼束ちひろ - Infection - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=Xz3ordnTiaM

鬼束ちひろ - YouTube動画
https://www.youtube.com/results?search_query=+%E9%AC%BC%E6%9D%9F%E3%81%A1%E3%81%B2%E3%82%8D


▲△▽▼
▲△▽▼


鬼束ちひろの月光・眩暈・流星群など名曲まとめ!過去から現在まで全て歌詞付き!
ttp://pinky-media.jp/I0003512

「月光」で鮮烈なデビューを果たし、数々の名曲を生み出してきた鬼束ちひろ。鬼束ちひろは「眩暈」「流星群」を筆頭に名曲が数多くあり、鬼束ちひろの楽曲は幅広い年齢層に支持され続けています。今回は現在も愛され続ける鬼束ちひろを代表する数々の名曲の魅力を歌詞付きでまとめてみました。

鬼束ちひろの月光・眩暈・流星群など名曲まとめ!過去から現在まで全て歌詞付き!

鬼束ちひろ名曲まとめ「月光」「眩暈」「流星群」etc@

「月光」「眩暈」「流星群」、名曲の生みの親、鬼束ちひろとは?
日本有数の女性シンガーソングライターと知られている鬼束ちひろは、1980年10月30日に、宮崎県で生を受けました。

鬼束ちひろが音楽に興味を持ったのは中学の頃。特に洋楽が好きだった母親の強い勧めでカーペンターズのベストアルバムを聴いてからとのことですが、小学校二年生の頃に友人の誘いを受けてエレクトーンを習ったり、ご両親とも音楽が好きで、幼少期の頃から洋楽に触れる機会も多かったため、興味を持つべくして持ったと言ったところでしょうか。

鬼束ちひろの名前の由来も、さだまさしのアルバム『夢供養』内の楽曲である『歳時記(ダイアリィ)』の歌詞に登場する人物から来ています。名前すらも名曲から取られていたとは、まさに音楽のサラブレッドと言ったところですね。

シンガーソングライター鬼束ちひろ誕生までの軌跡
前述の通りカーペンターズのベストアルバムを聴いてから、鬼束ちひろはそれ以降、海外の女性シンガーソングライターを中心とした洋楽にのめり込んでいきます。

そんな鬼束ちひろが本格的にシンガーソングライターを目指す決定的なきっかけになったのは高校二年生の頃。

アメリカの女性シンガーソングライターであるジュエル・キルヒャーのベストアルバム、『心のかけら』を聴いた鬼束ちひろは、彼女の持つ音楽性と存在に衝撃を受け、その瞬間で自身も女性シンガーソングライターを目指すことを決断したと語っています。

後に鬼束ちひろは、テレビに出演した際や自身のライブで、ジュエルの楽曲である「Foolish Games」「You Were Meant For Me」をカバーしています。また、デビューが決まるまでの間、鬼束ちひろは「Call」を皮切りに「edge」「NOT YOUR GOD」など、歌詞のすべてを英語で作詞していますから、その影響力は計り知れないことが伺えますね。後に「Call」と「edge」は日本語で、「NOT YOUR GOD」はそのままでアルバムに収録され、彼女が織りなす名曲に名前を連ねることになります。

鬼束ちひろ名曲まとめ「月光」「眩暈」「流星群」etcA
名曲「月光」の先駆け?鬼束ちひろデビュー曲とは
鬼束ちひろは1999年の3月に高校を卒業していますが、それと同時に上京し作曲活動に入っています。

後に鬼束ちひろの名を知らしめることになる名曲の「月光」が作曲されますが、それと同時に「We can go」「シャイン」、「月光」「シャドウ」などもこの当時に作られています。

そして同年10月、デビューシングルとなる楽曲「シャイン」のレコーディングに入り、翌年の2月9日に発売されます。鮮烈なキャッチコピーと、突き刺さるような歌詞が注目され、TSUTAYA渋谷店では発売に合わせてキャンペーンを行ったり、フジテレビ系列の「めざましテレビ」では特集を組まれましたが、オリコンシングルチャートのランキングは圏外、受注数も1000枚ちょっとという、デビューを飾るにしては物足りない結果に終わってしまいました。

しかし後にこの楽曲はファーストアルバムに収録され、ロックティストだった曲調もシンプルなピアノ演奏にアレンジされたことで、物静かな曲調が織りなす中で歌う鬼束ちひろの剥きだしの感情が強調され、隠れた名曲として知名度を上げました。

鬼束ちひろ シャイン(Single Ver) 【TV】 - YouTube
ttps://www.youtube.com/watch?v=hTWOE_cm92I

It pressed me(それは私を抑圧し) It pressed me(抑圧し) It blamed me (責めたわ) again and again(何度も何度も) 椅子を蹴り倒し 席を立てる日を日を日を日を日を 願ってた

引用元: ttp://apo-k.la.coocan.jp/on1.htm

元々、学校というシステムを嫌っていたという鬼束ちひろ。同調を強制させる学校を「牢獄に見立てて作曲した」と言うように、閉塞的な牢屋からいつか抜け出せることをひたすら祈り続けながらも、きっとそのチャンスを掴んでみせるという彼女の強い意志も感じさせる歌詞です。

鬼束ちひろ名曲まとめ「月光」「眩暈」「流星群」etcB
鬼束ちひろを代表する名曲「月光」
鬼束ちひろと言えば、真っ先に思い浮かぶのは「月光」と言う人も多いのではないのでしょうか? 2ndシングルである「月光」は2000年8月9日に発売され、60万枚のセールスを記録しました。

テレビ朝日系列のドラマ「TRICK」の主題歌に起用され、鬼束ちひろの織りなす静かな旋律と歌声に合わせたかEDのタイトルバックは、非常に強いインパクトを視聴者に与えました。

2014年に公開された「トリック劇場版 ラストステージ」では、14年ぶりに主題歌になった他、様々な番組でも起用されており、現在も長く愛されている名曲です。

鬼束ちひろ - 月光 - YouTube
ttps://www.youtube.com/watch?v=iyw6-KVmgow

I am God's child.(私は神の子) この腐敗した世界に堕とされた How do I live on such a field? (こんなところでどうやって生きていけばいいの?) こんなもののために生まれたんじゃない
引用元: ttp://apo-k.la.coocan.jp/mu3.htm

最初の歌詞で排他的な印象を与える「月光」ですが、徐々に曲が展開していくにつれて、生きていく上で抱えざるを得なかった痛みやトラウマ、癒えたと思っていてもふとした拍子に湧き上がる、誰しもが覚えのある衝動をそっと包むような感覚に捉われていきます。負の面を想像させる歌詞でありながらも、それがただの現実逃避ではなく癒しを全面に感じるのは鬼束ちひろならではと言ったところでしょうか?

鬼束ちひろ名曲まとめ「月光」「眩暈」「流星群」etcC
実は初めての試み?○○が存在しない「眩暈」
2001年2月に発売された「眩暈」は両A面シングルで発売されました。「眩暈」は同年の2001年に第43回日本レコード大賞作詩賞を受賞し、同時収録されている「edge」もまた、東映系公開映画『溺れる魚』の主題歌になりました。

残酷に続いてくこの路で 例えば私が宝石になったら その手で炎の中に投げて 邪魔なモノはすぐにでも消えてしまうの ガラクタで居させて
引用元: ttp://apo-k.la.coocan.jp/on4.htm

「眩暈」と「edge」の二つの名曲。実は歌詞部分に一つも英語詞がありません。前述したとおり鬼束ちひろはジュエルを始めとした海外の女性シンガーソングライターに強く影響を受けていますから、今までの楽曲には必ず英語詞が登場していました。

しかしこの「眩暈」を皮切りに、徐々に日本語詞だけで作られた楽曲が増えていくことになります。また、歌詞の方も今までとは違い、「一人であがき救いを求める」というものではなく「隣に寄り添う相手に救いを求めたくとも手を伸ばしかねている」といった内容にも見えるため、鬼束ちひろにとってこの「眩暈」は新境地開拓の曲ではないかと言う意見も見受けられています。

もう一つの試み。「眩暈」をきっかけに取り始めたスタンス

鬼束ちひろ - 眩暈 - YouTube
ttps://www.youtube.com/watch?v=inu2N03AqTI

また、鬼束ちひろは「眩暈」で音楽番組に出演したのをきっかけに、ステージ上で素足で歌うスタイルになっていきます。

鬼束ちひろ ROLLIN - YouTube
ttps://www.youtube.com/watch?v=6IbdHzsdzmI

ちなみに今でこそ裸足で歌う女性シンガーは多いですが、Mステのタモリ曰く元祖・はだし系はCocco。彼女もまた独特の世界観を持つ歌姫で、多くの名曲を生み出しています。

鬼束ちひろ名曲まとめ「月光」「眩暈」「流星群」etcD
前作とリンク?「流星群」誕生秘話
2002年2月6日に発売された6枚目のシングルになる「流星群」。こちらの曲も前述のドラマ「TRICK2」に主題歌として起用されました。

鬼束ちひろ - 流星群 - YouTube
ttps://www.youtube.com/watch?v=RXQRZ2Ub6BY

この「流星群」、実は前作の5thシングルである「Infection」があって生み出された物であると鬼束ちひろは語っています。

鬼束ちひろ - Infection - YouTube
ttps://www.youtube.com/watch?v=Xz3ordnTiaM

爆破して飛び散った 心の破片が そこら中できらきら光っているけど いつの間に私は こんなに弱くなったのだろう
引用元: ttp://apo-k.la.coocan.jp/on5.htm
これは「Infection」の歌詞のサビの部分。

まるでガラスが砕け散ったかのようにキラキラと煌めきながら散らばる心の破片。その破片が、次回作である「流星群」で星になって降り注いできたのだと鬼束ちひろは解説しています。

心を与えて 貴方の手作りでいい 泣く場所が在るのなら 星など見えなくていい 呼ぶ声はいつだって 悲しみに変わるだけ こんなにも醜い私を こんなにも証明するだけ でも必要として 貴方が触れない私なら 無いのと同じだから
引用元: ttp://apo-k.la.coocan.jp/on6.htm

楽曲のテーマは『微熱っぽい体温』。自分の醜さを受け入れながらも人との繋がりを無視しては生きられないというメッセージ性を纏うこの歌詞は、それこそ流星に託す祈りのようにどこまでも純粋で一途、そして一縷の哀しみを感じさせます。

現在も長く支持される鬼束ちひろの名曲の魅力とは
2000年のデビュー以来、鬼束ちひろの楽曲は長きに渡って名曲として知らしめられていますが、その一番魅了する部分はやはり歌詞にあるのではないでしょうか。

女性が歌う楽曲と言えば多くの人が浮かべるのは、甘酸っぱくも切ない恋心や友情、平穏な日常でじんわりと感じる幸福といった、ポジティブなイメージ、所謂「陽」の部分を前面に押し出した歌詞かと思われます。

しかし鬼束ちひろの描く世界は、生きていく上で持たざるを得ない痛みや理不尽、そしてそれを解放する術に縋りつきたいけれどどうしようもないジレンマを余すところなく歌詞にし、そして美しくも激しく歌い上げており、どうしようもない現代社会で砂を噛むようにして生きている人々にとって共感し得るのでしょう。
また、鬼束ちひろ自身も様々なしがらみを抱えているエピソードも聞きます。

2002年の全国ツアーの際、「観客の顔が突然悪魔に見えて、マイクを持つ手がガタガタ震えた」と語っており、鬼束ちひろはパニック障害を患っていることが判明しました。現在ではそのような発作には見舞われてはいないものの、ステージに立つと今でも不安になるとのこと。

鬼束ちひろはデビュー当時から、どこか精神的に不安定なところがあるのでは…と思っていたファンも多くいたようで、その不安定さが今ある鬼束ちひろの名曲があると考えると、文字通り身を削って生み出された名曲達なのでしょうね。

現在の鬼束ちひろの活動は?
一時はその変貌っぷりに病気説が囁かれていた鬼束ちひろですが、シンガーソングライターとしての活躍は衰えてはいません。
2015年8月には全日本国民的美少女コンテストで鬼束ちひろの名曲・月光を歌った縁で、音楽部門に入賞した花岡なつみのデビュー曲である「夏の罪」を提供。ちなみに鬼束ちひろにとって、自身が歌うことのない楽曲を作詞作曲するのは初めてとのこと。

花岡なつみ - 夏の罪(Music Video Short Ver.)[テレビ朝日系木曜ドラマ「エイジハラスメント」主題歌] - YouTube
ttps://www.youtube.com/watch?v=f-kOrNbRwYI

また、2016年には友人の中島美嘉のトリビュートアルバムにて「Fighter」をカバー。2年ぶりになるワンマンライブを行ったり、自身のオフィシャルサイトで詩を披露したりなど、また新たに鬼束ちひろの名曲が生み出されることを期待しても良さそうです。
ttp://pinky-media.jp/I0003512

▲△▽▼
▲△▽▼

鬼束ちひろの現在の顔が変わりすぎでエグい?!闇落ちがヤバすぎる!【画像あり】 2021.11.30
ttps://towatariyota.com/?p=3619

2021年11月28日に、シンガーソングライターの鬼束ちひろさんが器物損壊の疑いで現行犯逮捕されました。

その時のネットニュースで、鬼束さんの様々な顔画像が使用され、顔が変わりすぎ!と話題に。
そこで、今回は鬼束ちひろさんの現在と過去の顔を画像で比較してみました!
なんでも、鬼束さんの闇落ちがヤバすぎるんだとか…。
さっそく詳しく見ていきましょう!

鬼束ちひろの現在の顔が変わりすぎでエグい?!過去の画像を時系列で比較してみた!

「月光」などで知られるシンガーソングライターの鬼束ちひろさん。
2021年11月28日に、救急車を蹴ったとして器物損壊の疑いで現行犯逮捕され話題になりました。
鬼束さんのネットニュースでは、様々な顔写真が使われ、顔が変わりすぎていて混乱する人が続出。

実際にネットニュースで使われていた画像がこちらです↓
たしかに、全部顔が変わりすぎていて、同一人物なのかもわからなくなってきますね笑

そこで、鬼束ちひろさんの顔画像を現在と過去で時系列で比較してみました!


デビュー当時(2000年〜2003年)

やつれた?(2007年〜2010年)

ケバくなってきた?(2011年)

出典:Twitter
ゴスロリ?!パンク?!(2013年)

少し落ち着いた?(2015年)

突然坊主に!(2017年)

坊主にしてからの鬼束さんは、普段フィッグを楽しんでいたようです。

ナチュラルに戻った?(2020年)

2021年最新
ttps://towatariyota.com/?p=3619

▲△▽▼

鬼束ちひろは病気で激変?現在の画像はある?薬や精神病の疑惑も!
ttp://pinky-media.jp/I0011714

歌手として活動している鬼束ちひろ。久々にテレビに登場したときのその姿は以前のような清楚な雰囲気は全くなく、あまりにも衝撃でした。その変わりように、鬼束ちひろが病気なのでは?との噂が出ました。しかし、実際病気を患っていたことがあったとか!?

鬼束ちひろの激変ぶりがすごい!原因は病気!?
歌手の鬼束ちひろは、全盛期のころの美貌を封印したことがあったのですが、あまりの変貌ぶりに「精神の病気では?」などとのうわさが飛び交うほどでした。その真相とは??

もののけ姫になりたし!! pic.twitter.com/mFsCy9M6Kl
— 鬼束ちひろ Official (@onitsukachihiro) September 4, 2017

鬼束ちひろのプロフィール
生年月日:1980年10月30日(36歳)
出身地:宮崎県日南市南郷町
・ステージでは裸足で歌うことが多いことから、「裸足の歌姫」などと言われている。

鬼束ちひろの活動ぶり
鬼束ちひろは高校生の時からシンガーソングライターになりたいという夢を持っていたそうで、その時から作曲活動を始めました。
月光以降、順調に歌手活動を行っていた鬼束ちひろですが、事務所との契約問題や自身の声帯の不調などにより2003年に活動休止を発表しました。それから6年後の2009年に活動再開を発表し、現在にいたります。

まるで病気!鬼束ちひろのすごすぎる激変ぶりとは?
そんな鬼束ちひろですが、歌手として活動している間にとんでもない変貌を遂げていました。

鬼束ちひろのデビュー当時から全盛期の画像
こちらは鬼束ちひろの全盛期のころの画像。鬼束ちひろといえばこのようなさわやかで清楚なイメージが強かったですよね。

とても透き通った純粋なイメージが強かった鬼束ちひろ。こんな人があの名曲を作り出したというのも納得できます。

歌だけでなく、その見た目も魅力的だった鬼束ちひろ。美人でありながらかわいらしさを持つ、とても素敵な女性に映りました。

激変後の鬼束ちひろの画像
しかし、2013年にバラエティ番組に出演した時の鬼束ちひろは、以前の姿がまるで感じられないほどの変わりようでした。病気では?とすら思ってしまうほど。

メイクも服装も何もかも変わってしまった鬼束ちひろ。ビジュアル系バンド?と勘違いるすよな見た目です。ここまで変わってしまうと、病気を疑われても仕方がないかもしれません。

鬼束ちひろは病気だった??その症状がひどい!?
実は鬼束ちひろは全盛期のころ病気を患っていました。体の病気というよりは精神病に近かったようです。ライブ中、突然観客が悪魔に見えるという症状が出たそうです。そしてマイクを持つ手が震えてしまうという症状も。

なんと鬼束ちひろはパニック障害に陥ってしまったようなのです。やはり精神病だったようですね。ツアー中にパニック障害の発作が出ることがあったそうで、それ以降、また発作が起きるのでは?という不安が隣り合わせだったそうです。パニック障害はいろんな症状が出る厄介な病気ですから、発作が出てしまうと本当に大変です。

鬼束ちひろは一時期歌手活動を休止していたのですが、その間も心が病んでいたようです。精神安定剤や睡眠薬を大量に飲んで自殺を図ろうとしたこともあったそうです。薬は手放せなかったようですから、薬の依存症になっていたことも考えられます。

鬼束ちひろが激変したのは病気が原因?さらには彼氏からのDVも!
鬼束ちひろは月光以降活躍していたころはとにかく清楚できれいなイメージが強かったですよね。だからこそ、あまりの変貌ぶりに病気を疑われました。

しかし鬼束ちひろがこのような見た目になったのは病気とは別の理由のようです。私たちが持っていた鬼束ちひろのイメージは、鬼束ちひろにとっては吐き毛がするほど嫌なもの。清楚な格好などはとにかく嫌いだったそうなのです。イメージの問題でキャラを作っていたのでしょうね。鬼束ちひろは変貌したのではなく「本来の姿に戻った」ということらしいのです。

鬼束ちひろは活動再開から間もなくして、今度は同棲中の彼氏からDVを受けるという災難に遭います。なんと彼氏からの暴力により体中けがを負ってしまったとか。しかし、鬼束ちひろは「男性は暴力をふるうもの」と思っていたようで、DVは当たり前だと思っていたとか。まだまだ精神的に不安定なのかもしれませんね。

昔の姿を取り戻した現在鬼束ちひろ
再びバラエティ番組に出た際には、昔の鬼束ちひろの姿を取り戻したかのように思えました。そしてその時、幸せであるということも語っていました。

あのものすごい変貌した鬼束ちひろは「本来の姿」などと言っていましたが、やはりあれは、鬼束ちひろが精神的に病んでいたためにあのような姿になってしまったように思えてならないですね。「狂ったような格好が本当は好き」などと言ってしましたが、そのような気持ちも精神状態が不安定だからこそ、そのように感じていたのかもしれません。

何より、現在の鬼束ちひろの姿が、「普通」の姿になっていますから、あの奇抜なファッション・メイクをした鬼束ちひろはやはり異常だったのかもしれませんね。人まで変えてしまうとは、精神病は恐ろしいです。

今後の鬼束ちひろの活躍に期待!
見た目も歌手としての活動も復活した鬼束ちひろ。また、あの頃のように素敵な曲と歌声を届けてくれることでしょう。今後の活躍に期待したいです!そして二度と心の病気にはなってほしくないですね。強く生きてほしいです。
ttp://pinky-media.jp/I0011714

▲△▽▼

2017年09月13日 UPDATE
鬼束ちひろの現在と元彼・古宮裕輔の暴行事件を振り返る!【画像あり】
ttp://pinky-media.jp/I0011751

歌手として活動中の鬼束ちひろといえば、最近では暴力事件のイメージが強い人が多いのではないでしょうか。そこで鬼束ちひろの過去を振り返りながら、現在の姿を見ていきたいと思います。鬼束ちひろの現在の歌手活動は?暴力事件の元カレはどうしてる?

鬼束ちひろの現在が気になる!

もののけ姫になりたし!! pic.twitter.com/mFsCy9M6Kl
— 鬼束ちひろ Official (@onitsukachihiro) September 4, 2017

鬼束ちひろといえば、独特の歌声と歌詞が魅力的な歌手ですが、見た目の変貌ぶりや暴力事件など、何かとお騒がせの歌手でもあります。そんな鬼束ちひろの過去を振り返りながら、現在の姿も見ていきたいと思います。

鬼束ちひろは、高校生のころから歌手になる夢を抱き続け、作曲活動を地道に行っていました。そして高校生の時にオーディションでグランプリを受賞したことがきっかけとなり、歌手の道に進むことになったのです。

それ以降も数々の名曲を生み出した鬼束ちひろはこれまでに21枚のシングルを発売しています。途中、活動を休止し時期もありましたが、無事活動を再開し、喜んだファンは多かったようです。

鬼束ちひろの過去や現在をまとめてみた!
鬼束ちひろの人生は決して平たんなものではありませんでした。すでにこの年齢にして、かなり波乱万丈な人生を歩んできました。そんな鬼束ちひろの過去〜現在についてまとめてみました。

鬼束ちひろの過去〜現在の変貌まとめ!
まずは鬼束ちひろの顔面変貌歴から見てみましょう!最初は清楚系のかわいらしい雰囲気だった鬼束ちひろがいつからかまるで別人のようになってしまいました。

鬼束ちひろのデビュー当時
鬼束ちひろといえばこのようなナチュラルな雰囲気のイメージが強かったですね。とても清楚でさわやかな感じがする歌手でした。

鬼束ちひろの変貌画像
鬼束ちひろはかわいらしさの中にも美しさがある、とても魅力的な女性でした。笑うと「ニカッ」としたような表情をするのがまたかわいらしかったです。

鬼束ちひろの変貌画像
鬼束ちひろはどこか絵になるような美しささえ持っていますね。歌手だけの活動はなんだかもったいない!もっといろんな才能を発揮できそうな予感すらします。

鬼束ちひろの変貌後
しかし、鬼束ちひろはとんでもない姿に変わってしまったのです。

鬼束ちひろの変貌画像
これが鬼束ちひろだなんてとても信じられませんね。メイクもファッションもこれまでとは180度違うものになっています。

鬼束ちひろの変貌画像
この鬼束ちひろのあまりの変貌ぶりは、バラエティ番組も放ってはおけず、「アウトデラックス」などに出演していました。恰好だけでなく、かなりの爆弾発言をしたことでも話題になりました。

鬼束ちひろの変貌画像
鬼束ちひろは腕にタトゥーまでも入れてしまいました。かなりいかつい雰囲気になってしまいましたね。この雰囲気で月光をうたうことができるのでしょうか・・。歌詞が頭に入ってこなさそうです。

鬼束ちひろの変貌画像
こちらはみゅじっくステーションに出演した時の鬼束ちひろ。なんだかホラー写真のように見えますね。目つきが怖すぎます。

鬼束ちひろの変貌画像
どこか椎名林檎のような雰囲気すら感じられる鬼束ちひろ。鬼束ちひろはこれまでのナチュラル系から雰囲気を変えようとしたのでしょうか。

鬼束ちひろの現在
そして現在はすっかり以前の見慣れた姿に戻った鬼束ちひろ。一安心です。

鬼束ちひろの変貌画像
そしてまたアウトデラックスに出演した鬼束ちひろ。このときはすっかり以前の姿に戻っていた鬼束ちひろ。この姿を見て誰しもが安心したはずです。

鬼束ちひろの変貌画像
すっかり落ち着いた大人の女性になった鬼束ちひろ。デビュー当時の雰囲気ともまた違って、どこかきりっとしたかっこいい女性に見えます。

鬼束ちひろの変貌画像
すっかり吹っ切れた表情をしている鬼束ちひろ。ようやく闇の中から脱出したのでしょうか。モデルさんのようなカッコよさも感じます。

鬼束ちひろの変貌画像
デビュー当時のピュアな感じもやはり残っているように見えますね。それだけに周りは心配かもしれませんんが、もうさすがに大丈夫でしょう。

鬼束ちひろの変貌画像
大人かわいい鬼束ちひろ。一体あの激しいメイクやファッションをしていたときには、鬼束ちひろに何があったのでしょうか。

鬼束ちひろが激変したと理由とは??
鬼束ちひろのあまりの変貌ぶりに、鬼束ちひろの病気を疑う声が多くあがりました。しかし、鬼束ちひろ本人はその理由を病気ではないと語っているようです。

実はもともと鬼束ちひろは奇抜なファッションやメイクが好きだったらしいのです。それが事務所側に無理やり清楚系のキャラとして売り出されたとか。鬼束ちひろが言うには、変わったのではなく、「本来の姿に戻った」だけだというのです。また、関係者が話すには、鬼束ちひろは何においても「限度」のわからない人だというのです。ですから、ファッションやメイクも「ここまでやると醜い」というラインがわからないのでしょうね。現在見た目がよくなったのは、ちゃんと物事の限界についてちゃんと指摘してくれる彼がそばにしてくれているかららしいです。今は幸せなようですね。

鬼束ちひろはかつて病気だった?
鬼束ちひろは見た目の変わりようが病気によるものではないと否定はしていたようですが、実際病気を患っていたことがあるようです。

鬼束ちひろはとあるツアー中に、突然観客の人たちが悪魔に見えてきたことがあるそうです。幻覚になるのでしょうか。かなり病んでいますね。

さらにはライブ中、マイクを持つ手が震えることもあったそう。歌手にとってマイクは一心同体。そんなマイクを持つてが震えるなんて、本人としても気が気ではなかったでしょうね。

鬼束ちひろは実はパニック障害を起こしていたといいます。観客が悪魔に見えたのも、マイクを持つ手が震えたのも、すべてパニック障害の発作の影響らしいです。

過去には薬に依存したり自殺未遂したことも!?
さらには過去には薬漬けになることもあったという鬼束ちひろ。精神的に病んでいた鬼束ちひろは、睡眠薬や精神安定剤に頼ることもしばしばあったそうです。

《FC》2017/01/01鬼束ちひろWTBC動画は
そしてついに自殺未遂をおかしてしまいます。これまで服用していた睡眠薬と精神安定剤をウイスキーで大量に流し込んだというのです。変わり果てた姿で発見されたくないという思いから、自殺を試みる際に親に連絡したそうで、駆け付けた親のおかげで鬼束ちひろは一命をとりとめたといいます。

かなり精神的に不安定になっていたようですね。このような状態であれば、歌手活動ができるわけがありません。

現在鬼束ちひろの病状は落ち着いている?
気になるのは病気の再発ですが、パニック障害に関しては、発作が起きたツアー以降発症していないそうです。精神的にも落ち着いてきたのかもしれませんね。

鬼束ちひろが被害者となった暴行事件の全貌とは?
そしてさらに鬼束ちひろが世間を騒がせることとなったのは、暴行事件でした。なんと暴行事件の犯人は鬼束ちひろの元彼でした。

暴行事件を起こした鬼束ちひろの元彼
鬼束ちひろは、おもちゃ屋さんで知り合った男性と意気投合し、すぐに同棲を始めたそうです。幸せな同棲生活が始まるかと思いきや、地獄の始まりだったのです。
なんと、同棲を開始してわずか2週間で、元彼の鬼束ちひろへの不満が募り、鬼束ちひろに暴力をふるったというのです。この出来事が、ニュースにもなった暴行事件です。
元彼は鬼束ちひろのことを殴ったり蹴ったり、さらには頭をもって床にたたきつけるなど、とにかく激しい暴力をふるいました。それにより、鬼束ちひろは大けがを負います。鬼束ちひろは事務所の関係者に助けを求め、助けられたようです。

暴行事件を起こした元彼というのが、この古宮裕輔という男性。39歳という年齢でありながら、なんと無職ということにも驚きです。
古宮裕輔は鬼束ちひろを暴行した後、なんと逃亡してしまいます。しかしあえなく逮捕されました。恋人に暴力をふるったあげく逃げるなんて、とんでもない男です。
そして逮捕後に分かったことでしたが、鬼束ちひろの元彼・古宮裕輔はなんと前科者でした。しかも前科5犯!なぜそんな男に鬼束ちひろはひっかかってしまったのでしょう。

この暴行事件で、鬼束ちひろの元カレに対して、古宮裕輔は懲役2年6か月が科せられることになりました。事件があったのが2010年で、判決が下りたのが2011年5月。それから2年半の実刑となると、刑期を終えたのは2013年の秋ごろということになります。それから3年ほど経っていますが、古宮裕輔は普通の暮らしをしているのでしょうか。また鬼束ちひろに近づいていなければいいのですが・・。

鬼束ちひろは、現在歌手活動を再開させ、11月には21枚目のシングルとなるgood bye my lovewをリリースしました。そのほかにもライブ活動を行うなど、歌手活動は順調なようです。また2017年にはアルバムのリリースが決定しているようです。

過去にいろいろなことがあった鬼束ちひろですが、現在は普通の姿にもどったようですね。何より、歌手としての活動を本格的に再開させたことはないよりも喜ばしいことです。これからの鬼束ちひろの活躍に期待したいですね!
ttp://pinky-media.jp/I0011751

▲△▽▼

鬼束ちひろをキレさせた通行人の“強烈な嫌味”、「事実なら最低!」同情の声 2021/12/2

「うちのお客さんが現場を目撃したんだって。“いちゃもんをつけた人を蹴るのならまだわかるけど、助けに来た救急車を蹴るっていうのはお門違いじゃないの!?”って言ってたよ」(現場近くの飲食店店主)


 11月28日、穏やかな日曜日の午後4時半ごろに事件は起きた。JR恵比寿駅近くのパチンコ店で、歌手・鬼束ちひろ(41)が友人女性と2人でパチンコに興じていたところ、友人の体調が急変。鬼束は店員に事態を伝えて、救急車を呼んでもらった。間もなく店の前に救急車は駆けつけたのだが、

「友人女性を乗せて救急車が走り出そうした時、鬼束さんがその救急車の後ろのほうを蹴った。現場に居合わせた60代ぐらいの通行人男性に嫌味を言われた彼女が、カッとなってなぜか救急車を……」(スポーツ紙記者)

「私に嫌味を言った男が許せない」
 目撃者によると、救急車の蹴られた部分は手のひらほどの大きさの凹みがあったという。結局、友人女性は後から来た別の救急車で搬送された。

 蹴った鬼束はというと、救急車の車体を数センチ凹ませたとして、警視庁渋谷署に器物損壊の疑いで逮捕されるという事態に……。

 警察の取り調べに対して鬼束は、

「自分が一番悪いというのはわかっているが、私に嫌味を言った男が許せない」

 と供述。これに対してネットでは、鬼束を擁護する意見も出ている。

「“通行人男性の嫌味が最低だ!”と鬼束さんに同情する声もあがっています。事実かどうかはわかりませんが、通行人男性の発言がネットで拡散されているんです」(ウェブライター)

 その内容はこうだ。

『ギャンブル中毒者なんて助けるな! 救急車を呼ぶのに税金が何万かかるか知ってんのか! そのまま野垂れ死にさせろ!』

 発言の真偽を確かめるべく、パチンコ店周辺を聞き込みするも、その発言を聞いた人は見つからなかった。そんななか、パチンコ店の常連客からはこんな話も。

「最近はそうでもなかったけど、鬼束さんはちょっと前までは午後から夕方にかけて毎日のように店に来ていたよ」

 2000年にデビューして、『月光』『目眩』などヒット曲を連発した鬼束。そのスター性は隠せないようで、

「いつも黒っぽい服を着ているけど、芸能人のオーラがものすごく出てるから“鬼束ちひろ”だとわかっていましたよ。いつもというわけではないけど、だいたい同い年ぐらいの友人女性と一緒に来ていたね」(同・常連客)

 さらには、

「勝っているのか、負けているのかはわからないけど、景品交換所でだいたい会うのは鬼束さんのほうだった(笑)。そのときは、いつも酔っ払っていましたよ」(同・常連客)

 だが事件直後、警視庁が行った薬物検査では、鬼束からアルコールや薬物は検出されなかったという。

 シラフで救急車を蹴るなんて余程のこと。通行人にどんな嫌味を言われたのか、ますます気になってしまう……。
ttps://news.yahoo.co.jp/articles/ecb972f32d3b77b1b47095837a27e790fb6d6645  




2021.12.13 18:55
鬼束ちひろ、過去のいじめ自慢か…薄毛の人を嘲笑し屈辱的行為「スリーハンバーガー」

鬼束ちひろのTwitterアカウントより
 歌手の鬼束ちひろが11月28日、東京・渋谷区の路上で救急車を蹴ったとして器物損壊の疑いで警視庁に逮捕された。30日に釈放され、12月2日に「この度は、私の不適切な行動により、多くの皆様にご迷惑をおかけしました事を、心よりおわび申し上げます。深く反省しております」と謝罪コメントを発表した。

「鬼束は逮捕後に警視庁渋谷署から病院に搬送され、薬物検査を受けたが陰性だった。警察が不審がるほど、鬼束は話が支離滅裂であったり不自然な様子だったのかもしれない」(全国紙記者)

 事件を受けて鬼束は世間から批判を浴びた一方で、鬼束が体調を崩した知人のために呼ばれた救急車の近くで一般人から嫌味を言われ、それに腹を立てて車両を蹴ったとも報じられていることから、鬼束に一定の理解を示す声も出ていた。たとえばダウンタウンの松本人志は5日放送のテレビ番組『ワイドナショー』(フジテレビ系)内で、「良くないことではあるんですけど、僕、そんなに偉そうに言いたくないかな。もちろん擁護するわけじゃないんですけど、最近、芸能人に清廉潔白とか品行方正を求め過ぎているから」とコメントしていた。

 この事件をめぐっては、鬼束が2011年に出版された自伝的エッセイ『月の破片』(幻冬舎)で綴っていた、過去にマネージャーの車のフロントガラスを素足で蹴破ったり、父とケンカして殺虫剤を吹きかけたというエピソードも一部週刊誌やスポーツ紙で紹介されていた。


「一連の報道では触れられていなかったが、『月の破片』には小山田圭吾の騒動を彷彿とさせるようなエピソードが書かれている」(出版関係者)

 小山田といえば、「ロッキング・オン・ジャパン」(ロッキング・オン・ジャパン)や「クイック・ジャパン」(太田出版)に掲載されたインタビュー記事で、過去に障がい者をいじめていたことを自慢していたことが問題視され、本番当日の4日前に東京五輪開会式の音楽担当を辞任した騒動が記憶に新しい。

マネージャーへの仕打ち
 そして鬼束の『月の破片』には、2000年にリリースした2枚目のシングル「月光」がヒットした頃の様子について、次のような記述がある。

<髪の毛が薄いことを気にしていた当時のマネージャーの頭頂部を、ポラロイドに収めるという暴挙に出てやったのだ>(同書より)

<「やったー、写真撮っちゃった! スリーハンバーガー!」 振り返った敵に憎々しげに言うと、ピンポンダッシュみたいに逃げ出した。スリーハンバーガーとは、私がマネージャーに容赦なくつけたあだ名だ。頭の両脇と天辺(てっぺん)の三カ所にだけ髪の毛がちょこんと生えていて、パクパクとハンバーガーのバンズみたいに口を開けて小言ばかり言うから、スリーハンバーガー>(同)

 鬼束は<申し訳なかったとは思っているけれど>と反省している気持ちも綴っているが、前出。出版関係者はいう。

「小山田が告白したいじめとは性格が違うとはいえ、鬼束も過去のイタズラを告白していたことが、小山田と共通していると、一部の出版関係者の間で話題になっていた。ミュージシャンは過去の問題行動を武勇伝的に語る傾向があるのかと」

 鬼束が仮に五輪のような大規模なプロジェクトに関わり、『月の破片』のこの一節が発掘されたら、大問題に発展していたかもしれない。
ttps://biz-journal.jp/2021/12/post_269283.html?msclkid=2adb9d25d16911ec8f4d6a93f25fc738

▲△▽▼

鬼束ちひろの逮捕理由は薬中?!情緒不安定でヤバすぎ! 2021.11.30
ttps://towatariyota.com/?p=3591

2021年11月28日に、歌手の鬼束ちひろさんが器物損壊の疑いで逮捕されました。

なんでも、救急車を蹴って、警視庁に現行犯逮捕されたんだとか。

しかし、鬼束ちひろ容疑者の本当の逮捕理由は薬中なのでは?なんて声も。

鬼束ちひろ容疑者の情緒が不安定でヤバすぎなんだとか…。

さっそく、詳しく見ていきましょう!

鬼束ちひろの逮捕理由は薬中?!

2021年11月28日に、歌手の鬼束ちひろさんが救急車を蹴ったとして、器物損壊の疑いで逮捕されました。

しかし、本当の逮捕理由は薬中だったのでは?なんて噂も。

というのも、鬼束ちひろ容疑者は前から薬物の使用を疑われていたといいます。

さらに警視庁は、鬼束ちひろ容疑者に対して、薬物検査を行うと説明。

2021年11月28日の午後11時前に、鬼束容疑者を乗せた車が渋谷署を出て病院に向かったそう。

2021年11月29日の午前0時40分頃、鬼束容疑者を乗せた警察車両が警視庁渋谷署に戻ったとのこと。

鬼束容疑者の逮捕理由は、器物損壊というのは建前で、本当は薬物検査をしたかったのかもしれませんね。

鬼束ちひろは結婚して子供はいない?!DVされてもラブラブな理由がスゴい!
あわせて読みたい

鬼束ちひろは結婚して子供はいない?!DVされてもラブラブな理由がスゴい!
シンガーソングライターの鬼束ちひろさん。 実は2015年に結婚していたといいます。 2021年で結婚6年目になりますが、子供はいないそう。 鬼束さんは旦那さんにDVをされ…


鬼束ちひろが情緒不安定でヤバすぎ!

器物損壊の疑いで現行犯逮捕された鬼束ちひろ容疑者。

逮捕当時の情緒が不安定すぎてヤバかったんだとか。

鬼束容疑者は、渋谷区のパチンコ店で20代の友人が突然、けいれんを起こして倒れたため、救急車を呼んだそう。

しかし、鬼束容疑者は駆けつけた救急車を突然、蹴り始めたといいます。

鬼束容疑者は

「通行人から嫌みを言われてパニックになった」

と容疑を認めているそう。

現場では、救急隊員が車両の写真を撮っていたといいます。

なんでも、鬼束容疑者は救急車を3p程凹ませたなんて話もあるんだとか!

救急車の前で泣き叫ぶ女性がいたという目撃情報もあったようです。


鬼束容疑者が通行人から嫌味を言われたのは本当のようですね。

しかし、それで救急車を泣きながら蹴るというのは、やはり情緒不安定でヤバい感は否めませんね…。

鬼束さんは、以前に和田アキ子さんへ殺害予告もしていたんだとか。


まとめ
今回は鬼束ちひろ容疑者の逮捕理由についてまとめてみました。

鬼束容疑者は、器物損壊の疑いで逮捕されましたが、薬物検査もされていました。

もしかすると、器物損壊は建前で、本当の逮捕理由は薬中だったのかもしれませんね。

となると、鬼束容疑者の情緒が不安定すぎてヤバいのも納得です。
ttps://towatariyota.com/?p=3591


鬼束ちひろは和田アキ子に殺害予告していた?!紳助も巻き込んだ理由が驚愕! 2021.11.30
ttps://towatariyota.com/?p=3600

2021年11月28日に、救急車を蹴ったとして現行犯逮捕された鬼束ちひろさん。

実は、以前に和田アキ子さんに殺害予告していた過去があるんだとか!

さらに、紳助さんにも殺害予告していたそう。

鬼束さんが和田アキ子さんと紳助さんに殺害予告した理由が驚愕なんだとか…。

さっそく、詳しく見ていきましょう!


鬼束ちひろは和田アキ子に殺害予告していた?!

実は、鬼束ちひろさんは以前に和田アキ子さんに殺害予告をしていたんだとか!

鬼束さんは、Twitterで

あ〜和田アキコ殺してえ。

と呟いていたといいます!

実際のツイートは削除されていますが、あっという間にスクリーンショットが拡散されたんだとか。

さらに鬼束さんは

なんとか紳助も殺してえ。

と、島田紳助さんにも殺人予告していたそう。

鬼束さんの実際の殺人予告ツイートが、こちらです↓

こんなことつぶやいてしまうくらいですから、鬼束さんは和田アキ子さんと紳助さんに恨みでもあったのでしょうか?

鬼束ちひろの現在の顔が変わりすぎでエグい?!闇落ちがヤバすぎる!【画像あり】
あわせて読みたい

鬼束ちひろの現在の顔が変わりすぎでエグい?!闇落ちがヤバすぎる!【画像あり】
2021年11月28日に、シンガーソングライターの鬼束ちひろさんが器物損壊の疑いで現行犯逮捕されました。 その時のネットニュースで、鬼束さんの様々な顔画像が使用され、…


鬼束ちひろは和田アキ子と紳助に殺害予告した理由が驚愕!

鬼束ちひろさんが和田アキ子さんと島田紳助さんに殺害予告をした理由はいったい何だったのでしょうか?

じつは、明確な理由はないんだとか!

和田アキ子さんと鬼束ちひろさんには接点はなかったそう。

恐らく、島田紳助さんとも接点が無いのではないでしょうか?

鬼束さんは、殺害予告の件で炎上し、謝罪文を公表しています。


「このたびは、皆様に、ご迷惑をかける発言をして本当にすみません。
ご迷惑をかけた方々にお詫びしたところ、アーティストとして若いfanの手本となるよう言葉を頂きました。
今後二度としないよう、気を付けます。
和田アキ子さん、紳助さん、本当にすみませんでした。
深く、反省します。」

鬼束さんは、この謝罪文でも「反省してない感がスゴい」と炎上したんだとか…。

一方の和田アキ子さんは、この件に関してテレビでは何も語らなかったといいます。

鬼束ちひろさんが、和田アキ子さんの殺害予告をツイートしたのは、2012年6月22日。

和田アキ子さんは、ツイートが投稿された翌日である2012年6月23日に

ラジオ番組で以下のようにコメントしています。

「『殺してえ』なんてつぶやかれちゃってね。

芸能界にいない紳助まで」

「いろいろあるけど、つぶやくっていうのもどうかねえ?」

「変わった人だよね。

とにかく変わった人だから放っておこうね。

ここ(ラジオ)で言ったからもうおしまい」

和田アキ子さんは、自身がパーソナリティのラジオ番組「ゴッドアフタヌーン アッコのいいかげんに1000回」に出演し、鬼束さんへ言及していたようです。

この時期は、鬼束ちひろさんが精神的に病んでいた時期だといいます。

そのため、たまたま目についた和田アキ子さんか島田紳助さんに対して攻撃的になってしまっていたのかもしれません。

いずれにしろ、鬼束さんは、和田アキ子さんと島田紳助さんとは面識がなかったにも関わらず、殺人予告をしてしまうほどの精神状態だったようです。

余程の恨みがあるのかと思いきや、驚愕の理由でしたね…。
ttps://towatariyota.com/?p=3600



鬼束ちひろの過去の病気から現在まで!精神状態や彼氏事件も【現在の画像あり】
2017年07月25日
ttps://pinky-media.jp/I0003533

鬼束ちひろは2000年『月光』を歌い一躍有名になった清純派シンガーソングライターです。その後、病気説、暴行被害、容姿の変貌など様々な話題を振りまきましたが現在鬼束ちひろはどうなっているのでしょう。現在鬼束ちひろは病気なのでしょうか?では現在の鬼束ちひろに迫ってみます。

鬼束ちひろの過去の病気から現在まで!精神状態や彼氏事件も【現在の画像あり】

鬼束ちひろのプロフィール
生年月日:1980年10月30日
出身:宮崎県日南市
所属:NAPOLEONRECORDS
職業:シンガーソングライター

『月光』を歌っている頃の鬼束ちひろは、このような感じでした。2000年2月に『シャイン』でデビューした鬼束ちひろは、仲間由紀恵と阿部寛出演のTVドラマ『TRICK』の主題歌に『月光』が起用されたことによって名が知られるようになりました。現在もこのような姿の鬼束ちひろなのでしょうか…

2000年7月からテレビ朝日系で放送された大人気フィクションドラマです。劇場版で公開されるほど話題となるドラマでした。自称天才マジシャン仲間由紀恵演ずる山田奈緒子と日本科学技術大学物理学教授、阿部寛演ずる上田次郎のつかみどころのないようなコンビネーションがたいへん面白く、このコンビが事件のトリックを暴いていくというミステリードラマです。

『月光』の頃は清純派な鬼束ちひろ
『月光』を歌う鬼束ちひろからは、彼女の魂で歌い上げるようなパフォーマンスによって鳥肌を立てる人も多かったものです。ですが一方で、鬼束ちひろの歌い方に、好き嫌いが別れるかもしれないというような感想を持つ人もいたようです。ですが、とにかく鬼束ちひろが話題となったことには違いありません。現在もこのような魂の歌を歌っているのでしょうか…

2000年の頃の鬼束ちひろは、何とも清純派なイメージで透明感満載でした。『月光』を歌う鬼束ちひろは、歌い方や歌声にも特徴があったことからインパクトがあり、見る人を釘付けにするようなシンガーソングライターでしたね。この頃、鬼束ちひろに病気の噂などはありませんでしたし、そしてまた、奇行や容姿の変貌などの兆候もありません。果たして現在はどうなっているのでしょう。

現在病気なの?パニック障害を語る鬼束ちひろ
2002年全国ツアーを敢行していた頃の鬼束ちひろは、お客さんの顔が突如悪魔に見え、マイクを持つ手が震え出すというような状況を何度か味わったそうで、パニック障害と診断されていました。現在、パニック障害はないもののステージに立つ際には不安感が沸き起こるということです。

2003年には鬼束ちひろは声帯結節を患い活動休止。その後、事務所をいくつか移籍し2007年に活動再開しますが休業を挟みつつ現在に至っているようです。順風満帆な活動とはいえなかったようですね。ネット上の鬼束ちひろの病気の噂の中に声帯結節というものは出てきませんでしたが、歌手にとってはつらい病気だったことでしょう。

現在病気と噂されてしまう鬼束ちひろ、暴行事件!
2010年8月18日、鬼束ちひろは自宅マンションで知人男性に暴行被害を受けます。知人男性というのが、鬼束ちひろが当時同棲していた彼氏だったのです。

同棲相手からの暴行により全治1か月の重傷を負った鬼束ちひろ。芸能人がDV被害によって警察沙汰になったことはこれまでになかったことのようです。被害届は鬼束ちひろのマネージャーからの提出でした。

現在病気と噂されてしまう鬼束ちひろの病気のはじまり?
捜査関係者によると鬼束ちひろのDV被害状況は、流血状態にあったといわれているほどです。そして鬼束ちひろは以前より彼氏から酷いDVを受けていたといわれています。そのことをきっかけに鬼束ちひろは自傷行為に走っていたという噂です。彼氏からのDVがきっかけで鬼束ちひろは心を病み始めたと思われます。

鬼束ちひろは、暴行事件の影響から精神が不安定な状況に陥り、体調不良での音楽活動休止や復活を繰り返していたようです。たいへんな暴力を受けては、心が病気にもなってしまいます。現在心の病が治っているといいのですが…

心を病み始めた頃の鬼束ちひろが当時依存していたA子さんという女性が証言するには、夜中でも鬼束ちひろからの呼び出しが頻繁だったそうで、中でも睡眠薬が大量に入った袋を持って、お医者さんにこれを飲んで寝ないといけないといわれていると語った鬼束ちひろにはぞっとしてしまったと語っています。心の病気から睡眠導入剤を処方されていたのでしょう。

現在病気と噂されてしまう鬼束ちひろの病気とは心の病か…
鬼束ちひろが以前にも大量の薬を服用して自殺未遂をした経験があると聞いていたA子さんが心配になり鬼束ちひろの所属事務所に相談したところ、鬼束ちひろには優しくすれば頼られてしまうので、ある程度の見放しも必要だといわれ、優しくしないよう忠告されたほどだといいます。現在、病気が噂される鬼束ちひろの病とはこのような心の病気だと思われ、この病気は事実だったように思われます。

彼氏が裁判で暴露、秘なる鬼束ちひろが露呈される
東京地検で行われた鬼束ちひろの彼氏の裁判では、彼氏が鬼束ちひろの秘められたプライベートを暴露したようです。なんと、鬼束ちひろはこの彼氏に日頃よりかなり酷い精神的苦痛を与えていたのです。内容はいろいろありますが、要は鬼束ちひろは彼氏を自分より下に見ているような言動が常だったようです。もちろん彼氏の暴力はいけないことですが、そこまでに追い込んだのは鬼束ちひろだったもようです。鬼束ちひろの彼氏には懲役2年6ヶ月が言い渡されました。現在二人はもう交際していないでしょうね。

『やじうまテレビ』で暴行事件を語る鬼束ちひろ
時が経ち2011年4月19日テレビ朝日系『やじうまテレビ』に出演した鬼束ちひろが過去の暴行事件を「大変ですよ殴られたり…」と語っています。元彼氏については魅力的な男性だったといい、ただ手癖が悪かったんじゃないかな…とコメントしていました。お気づきかと思いますが、この頃から鬼束ちひろは変貌していますね。このインタビューでは、鬼束ちひろのため口、喧嘩口調が気になった方も多かったようで心の病気では?と思われがちだったようです。

鬼束ちひろの自伝エッセー『月の破片』
鬼束ちひろは2011年4月20日に自伝エッセー『月の破片』を発売しています。内容は、清楚なイメージの鬼束ちひろを良い意味で裏切るような強烈なエピソードばかりのようです。最初に筆者も鬼束ちひろのイメージを清楚と記しましたが、鬼束ちひろ自身、清楚が嫌いだったようです。これから載せる鬼束ちひろが変貌を遂げた画像を見る前にお伝えしたいのは、鬼束ちひろは本当は派手好きで気が狂ったかと思われるほどのコーディネートが好きなのだということです。

現在病気と噂されてしまう鬼束ちひろ@
鬼束ちひろは2011年頃から変貌を遂げ始めます。

現在病気と噂されてしまう鬼束ちひろA
かっこいいですよね。ただ単にデビューした頃が清楚だっただけのことです。

現在病気と噂されてしまう鬼束ちひろB
そもそも派手が好きなだけです。いいじゃないですか。

現在病気と噂されてしまう鬼束ちひろC
コーディネートをがらりと変えたのですからそりゃ激変ですよ。

現在病気と噂されてしまう鬼束ちひろD
すごくいいと思います。

現在も鬼束ちひろが病気と噂されてしまう理由
鬼束ちひろを追ってみると、現在鬼束ちひろが病気と噂されてしまう理由はこれではないかと思われるものがありました。2013年に出演したフジテレビ系『アウトデラックス』での鬼束ちひろがインパクトありすぎだったのです。

130509 アウト×デラックス - YouTube
ttps://www.youtube.com/watch?v=kBx1oNY2pXM

真っ赤なルージュに奇抜なワンピースで、叫んだり意味不明な言葉を発するというような、まともにトークもできていない鬼束ちひろがたいへん面白かったのですが、鬼束ちひろが病んでいるようにも見えなくなかったと思われます。ですがこれが現在を表す本来の鬼束ちひろだと思うのです。

アウトデラックス出演時の瞬間的に白目を剥いて映った画像がよく出回っているのですが、そのような画像から鬼束ちひろが今も精神的な病気だと思われてしまうような気がします。パッと見たそのような画像から病気だとはやし立てる風潮はよくありませんね。

2回目に登場した鬼束ちひろは、最初の登場より落ち着いた感じでしたが、着ているセーターの中央には江頭2:50が大きくデザインされたもので、やはり人とは違うコーディネートが好きなんですね。現在の方が可愛くなったと評判の声もありますよ。ちょっと昔の鬼束ちひろよりも健康的ですよね。そしてまた、普通に家族の幸せを願う言葉もありました。

現在よりこの頃は健康的には見えませんね。後に自身でも語るように精神的な病気があった頃ではないでしょうか。俄然現在の方がいいですよね。

2016年現在の鬼束ちひろ
現在またメイクが変わりましたかね。ナチュラルな鬼束ちひろですね。メイクによって印象が変わることがよくわかりますね。どちらにしても綺麗です。世間の認識する鬼束ちひろと本来の自分で苦悩した鬼束ちひろが辿り着いた現在の姿です。

自伝エッセーの中から見える鬼束ちひろ
鬼束ちひろはエッセー『月の破片』の中で、パニック障害を発症したことも詳細に記していますし、自殺未遂の経験も詳細に記しています。ですからそれほどの心の病気を患っていたことは事実でしょう。ですが今現在、世間が病気、病気と騒ぐのはちょっと違うかもしれませんね。

現在奇抜な雰囲気に変貌を遂げた彼女を見て奇行だと感じたり病気と感じる方がいるかもしれませんが、先にあげた『やじうまテレビ』の喧嘩口調インタビューにしても、過剰に緊張するせいから自身を戦闘モードにしなければインタビューにも応じられないという鬼束ちひろの奥深い理由もあるのです。彼女はネット上で気が狂ったと叩かれているのは事実ですが、エッセー『月の破片』を読んでみると分かってくることがありそうですよ。
筆者は、アウトデラックスで魅せたような現在の本来の姿の鬼束ちひろは好きです。みなさんはどう思われますか?

現在から未来へ歌い続ける鬼束ちひろ
現在精神的な心の病気は完治したのかはわかりません。心の病気というのは計り知れませんからね。結局のところ、デビュー当時の鬼束ちひろと現在が違い過ぎて世間がびっくらこいたということですね。鬼束ちひろは鬼束ちひろが思うままに生きていいのです!あなたは面白い!
ttps://pinky-media.jp/I0003533


▲△▽▼
▲△▽▼

鬼束ちひろの家族構成がスゴい?!妹は日本舞踊で弟はラーメン屋だった! 2021.11.30
ttps://towatariyota.com/?p=3663&msclkid=2adbdcacd16911ecb8c03acdab40657e

シンガーソングライターの鬼束ちひろさんの家族構成がすごいんだとか!

なんでも、鬼束さんは3人兄弟の1番上で、妹は日本舞踊でドラマにも出演しており、弟はラーメン屋をしていたんだそう。

さっそく、詳しく見ていきましょう!


鬼束ちひろの家族構成がスゴい?!

シンガーソングライターの鬼束ちひろさん。

その歌唱力や才能は天才とも言われています!

鬼束さんは、小学生の頃から作詞していたなんて話も。

実は、スゴいのは鬼束さんだけではなかったようです。

鬼束ちひろさんの家族構成もすごいんだとか!

鬼束さんは、5人家族で、3人姉弟の長女。

母親:民謡の師範代
父親:漁師
妹:舞台女優
弟:ラーメン屋
なんとも凄い家族構成!

なんとなく、鬼束さんの天才肌のルーツを垣間見た気がしますね。

それでは、鬼束ちひろさんの家族について詳しく解説してまいりますね!



鬼束ちひろの母親は師範でシングルマザーだった!

出典:Twitter
鬼束ちひろさんの母親は、民謡の師範代なんだとか。

民謡の師範代とは?

民謡は伝統的な歌唱曲の総称。

師範代は、その分野での指導者のことを指し、いわゆる先生のこと。

鬼束ちひろさんの母親も「歌」を仕事にしていたのですね!

師範代とのことなので、他の人に指導できるほどのレベルの持ち主ということがわかります。

鬼束ちひろさんも、幼い頃から母親に民謡を習っていたのでしょうか?

じつは、鬼束ちひろさんの母親は離婚しており、シングルマザーだったそう。

鬼束ちひろさんの母親は、19歳の時に結婚して21歳で鬼束ちひろさんを産んだそう。

鬼束ちひろさんは、母子家庭で育ったといいます。



鬼束ちひろの父親は漁師!

鬼束ちひろさんの父親は、漁師なんだそう。

鬼束ちひろさんご自身も

「漁師の家系だから」

と語っています。

もしかすると、鬼束さんの父親の家系は、先祖代々「漁師」の家系なのかもしれませんね。

鬼束さんの父親は、漁業が盛んな南郷町で働いていたとのこと。

なんでも鬼束ちひろさんの故郷、南郷町の地区のまとめ役といった存在だったんだとか。

鬼束さんの祖父も漁師で、“海の男の潔さ”のようなものが血筋として現れるといいます。

鬼束さんが曲を書く時に、漁師のような性格が出てくるんだそう。



鬼束ちひろの妹は舞台女優?!

鬼束ちひろさんの妹さんは、舞台女優なんだそう。

妹さんについては、詳しいプロフィールが公開されていました!

名前:鬼束 桃子(おにずか ももこ)
生年月日:1990年3月2日
年齢:31歳(2021年時点)
出身地:宮崎県日南市
出身大学:東京藝術大学 音楽学部邦楽科(日本舞踊専攻)
身長:151cm
血液型:O型
特技:日本舞踏、弓道、三味線
趣味:書道
資格:藤間流(勘右衛門派)名取

鬼束ちひろさんの妹さんは、鬼束桃子さんといって舞台女優をしているといいます。

2012年の映画「罪とペンギンと罰」のヒロイン・丸美役や、2014年のドラマ「信長協奏曲」に準レギュラーで出演していたんだとか!

さらに、日本舞踊の世界でもご活躍されているそう。


鬼束桃子さんは、幼少期から日本舞踊を習っていたといいます。

さそて、桃子さんが16歳の時に「藤間桃乃樹」という師範レベルの芸名が与えられたんだそう。

桃子さんも美人なので、鬼束ちひろさんとは美人姉妹と言われているそうですよ!



鬼束ちひろの弟はラーメン屋だった!

鬼束ちひろさんには、2歳年下の弟がいます。

鬼束さんに似て、美形な顔立ちですね!

鬼束ちひろさんの弟は、2017年9月に関内・横浜スタジアム近くで「麺創 蛍」というラーメン屋を開業。

家系豚骨鶏白湯ラーメンを提供していたそう。

豚骨鶏白湯醤油味のスープに、家系の様な大和製麺所のストレート中太麺が美味しいんだとか!

味はさっぱりしていて、特に中高年にはやさしいラーメンだといいます。


残念ながら2021年11月現在は閉店してしまったとのこと。
ttps://towatariyota.com/?p=3663&msclkid=2adbdcacd16911ecb8c03acdab40657e

▲△▽▼

鬼束ちひろは結婚して子供はいない?!DVされてもラブラブな理由がスゴい! 2021.11.30
ttps://towatariyota.com/?p=3659

シンガーソングライターの鬼束ちひろさん。

実は2015年に結婚していたといいます。

2021年で結婚6年目になりますが、子供はいないそう。

鬼束さんは旦那さんにDVをされているなんて噂もありますが、ラブラブな理由がスゴいんだとか!

さっそく詳しく見ていきましょう。


鬼束ちひろは結婚して子供はいない?!

鬼束ちひろさんの結婚が発覚したのは2018年。

お相手は一般人なんだとか!

なんと鬼束ちひろさんは、2018年7月にインスタのコメント欄で結婚していた事を報告。

しかも2015年ころに、既に結婚していたといいます。

馴れ初めは、「たまたま」なんだとか。

たまたま出会って、たまたま結婚した

と語る鬼束ちひろさん。

なんとも彼女らしいですね。

2021年で結婚して6年目になりますが、子供はいないそう。

鬼束ちひろさんは、結婚して落ち着いたなんて言われているようです。

鬼束ちひろの現在の顔が変わりすぎでエグい?!闇落ちがヤバすぎる!【画像あり】
あわせて読みたい


鬼束ちひろは結婚してDVされてもラブラブな理由がスゴい!

鬼束ちひろさんは、結婚の報告をしてすぐ、旦那さんからDVを受けているような投稿をしていたんだとか。

鬼束さんのインスタグラムの投稿には

「毎日アザだらけ」

と書かれており、ファンから心配の声が多く上がっていたそう。

しかし、鬼束さんはその日のうちに全ての投稿を削除。

スタッフから

「気分のまま皆様の不安や心配を煽る投稿が増えてまいりましたので一時休止させていただきますことをご了承ください」

と投稿され、DV騒動は一件落着したんだとか。

鬼束さんと旦那さんは、よく喧嘩をするといいます。

ケンカしすぎで1ヶ月に5回くらい離婚しかける

と語る鬼束さん。

鬼束さんは荷物をまとめて家出してしまうそうですが、いつも三軒茶屋あたりで捕獲されるんだとか。

なんだかんだ、きちんと仲直りしちゃうそう。

旦那さんはかなり包容力があるのでしょうね!

鬼束さんと旦那さんは喧嘩するほど仲が良いようで、かなりラブラブだといいます。

鬼束さんが旦那を想って書いた曲もあるんだとか!

それが、2017年に発表 した 『火の鳥』と2018年に発表した『トワイライト』なんだそうですよ。

一方の旦那さんの反応は

あ、そう

とそっけなかったよう。

もしかしたら、照れ隠しなのかもしれませんね!


鬼束ちひろの逮捕理由は薬中?!情緒不安定でヤバすぎ!
2021年11月28日に、歌手の鬼束ちひろさんが器物損壊の疑いで逮捕されました。 なんでも、救急車を蹴って、警視庁に現行犯逮捕されたんだとか。 しかし、鬼束ちひろ容疑…


鬼束ちひろの旦那はどんな人?

鬼束ちひろさんと結婚できるなんて、旦那さんはどんな人なんでしょうか?

結婚相手は一般人なので詳しい情報は公開されていませんでした。

なので、現時点で分かっている鬼束ちひろさんの旦那さんの情報をまとめてみました!

出身:北海道
生年月日:1980年
年齢:41歳(2021年時点)
身長:183cm
性格:とても面白い
仕事:鬼束ちひろさんのスタッフ?

鬼束ちひろさんが結婚した旦那さんは、北海道出身の一般人男性。

年齢は鬼束さんと同い年だといいます。

鬼束さんの旦那さんは、身体が183pもあるんだとか!

かなりの高身長男性ですね。

性格はとても面白い人だそうですよ。

一般人なので、残念ながら写真はありませんでした。

鬼束さんによると、旦那さんは「いい意味で普通」なんだとか。

さらに鬼束さんは、旦那さんのことを「鬼スタフ」ともいっていたようです。

もうなんにもかくしません 

あたしの旦那は鬼スタフ です。

鬼束ちひろさんの旦那さんは、鬼束さんを家庭でも仕事でも支えてくれる存在なんですね!

鬼とついているので、ちょっとスパルタなのかもしれませんが笑
ttps://towatariyota.com/?p=3659
メンテ
音楽史上で最も哀切な歌 _ 森田童子『ラストワルツ』 ( No.19 )
日時: 2022/05/18 13:50
名前: スメラ尊 ID:HreHUpPo

音楽楽史上で最も哀切な歌 _ 森田童子『ラストワルツ』

森田童子 - (best)僕たちの失敗 ベスト・コレクション
https://www.youtube.com/watch?v=qEMhYL6E2xA

0:00 ぼくたちの失敗
3:24 蒼き夜は
7:30 雨のクロール
9:30 蒸留反応
15:23 哀悼夜曲
18:38 孤立無援の唄
24:24 さよならぼくのともだち
28:26 逆光線
31:06 サナトリウム
35:48 男のくせに泣いてくれた
39:08 春 漫
41:50 G線上のひとり
45:26 ラストワルツ



森田童子の世界(全曲のコメント)
https://11146484morita.blog.fc2.com/


▲△▽▼


テレビ・ドラマ 真田広之・桜井幸子 高校教師 (TBS 1993年) 動画

高校教師 第1集
https://www.youtube.com/watch?v=lbaKQ1hfi50

真田広之・桜井幸子 高校教師 (TBS 1993年) 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E9%AB%98%E6%A0%A1%E6%95%99%E5%B8%88+%E7%AC%AC+%E9%9B%86


主題歌には、1970年代を中心に活動した女性シンガーソングライター・森田童子の曲「ぼくたちの失敗」が使用され、リバイバルヒットとなった。

『高校教師』は、1993年1月8日から3月19日まで放送された日本のテレビドラマ。脚本は野島伸司。主演は真田広之と桜井幸子。TBS系列「金曜ドラマ」枠で、毎週金曜日22:00 - 22:54に放送された。


原作 野島伸司
脚本 野島伸司
時代設定 1993年



主題歌
「ぼくたちの失敗」
作詞・作曲・歌 - 森田童子
第9話以外のオープニング、第2話、第3話、第6話、第9話、第10話、最終話のエンディングの他、挿入歌としても何度か使われている。

挿入歌
「男のくせに泣いてくれた」
作詞・作曲・歌 - 森田童子
第4話エンディング。第5話、第9話の挿入歌としても流れる。
「G線上にひとり」
作詞・作曲・歌 - 森田童子
第5話エンディング。
「ぼくが君の思い出になってあげよう」
作詞・作曲・歌 - 森田童子
第7話エンディング。
「君と淋しい風になる」
作詞・作曲・歌 - 森田童子
第8話エンディング。
「君は変わっちゃたネ」
作詞 - 森田童子/作曲 - 木森敏之/歌 - 森田童子
第9話オープニング。



▲△▽▼

2020年08月19日
いまiPadで寝ころびながらみてるのが(画質音質クオリティのこだわりはどうした、流される俺)、「高校教師」、これは自分の青春ど真ん中のヒット作だが、みてなかった。

リメイク版の10年ちかく後のは好きでみてたけれど、オリジナルが好きな大学生が、いかによくなくなったか熱く語っていた。生物学の研究者崩れと、女子高生の恋愛話。

脚本の野島伸司は、自分の文学青年的な資質にはストライクすぎて、悪口しか言いたくない。
作中の同性愛の女子高生が、主人公の少女に不吉な予言をする。
「いつかあなたも、男に幻滅するよ」みたいな。
これはある意味で、野島伸司的な主人公の男性がたどった道のようにも思える。

自己愛的で内向的で、幼児的な母親的理想像を女性に求め、狂気にまで至る。心象は都市に魅せられながらも根本は農村や村落共同体へ帰る願望がある。

こうした男性は、都市化の完成や女性の台頭によって、ただのコミュ障なオタクやひきこもりに転落した。

野島作品も、スランプに次ぐスランプで、やたら刺したり放火したり殴ったりの不自然さしか残らない。

この作品では、家庭環境の複雑さゆえだが、冒頭から一目惚れの女子高生が、一貫して主人公の男の絶対的な味方であり続ける。なんとも都合よく心地よい設定。
しかし旬のよさというべきか、素直な人物たちの心の動きに感情移入できて、とても応援してしまう。

森田童子の、どこまでも暗闇を、ただ暗闇のままに歩いていくような不思議な音楽が、よく似合っている。
変な教訓や、ポジティブへの変容などは要らないのだ。
一般社会的な価値観からは、ただ破滅に向かうだけの姿が潔く、どこか癒される。

考えてみたら、自分の20代は、鬱屈やら不遇感があって、こうしたドラマと自身を重ねてみていたのだ。だからとても個人的な感想だけども、これだけ長く生き残ってまたみることができているのは、普遍的でもあるのだなと。
たいへんな名作だと思う。

▲△▽▼
▲△▽▼

森田童子は、1975年、太宰治の絶筆と同名のファーストアルバム『GOOD BYEグッドバイ』でデビューしたシンガーソングライター。
フォーク全盛期にライブハウスを中心に活動を開始し、いまにも消え入りそうな儚い歌声と、弱さや淋しさを肯定する歌詞の世界観は学生運動に挫折した若者の共感を呼び、いつしか「地下のカリスマ」「地下の女王」などとも呼ばれはじめる。

しかしその活動期間はわずか8年にすぎない。6枚のオリジナルアルバムと1枚のライブアルバムを世に問うた後、1983年12月26日のライブを最後に、森田童子は人前から姿を消す。残されたのは、多くの逸話と伝説。カーリーヘアに色の濃いサングラスという特徴的ないでたち、出身地はおろか、年齢や家族構成など、プライバシーを語らない姿勢も伝説化に拍車をかけた。

歌うのをやめた10年後の1993年にはドラマ『高校教師』の主題歌になった「ぼくたちの失敗」が話題を集めた。楽曲は100万枚に迫る大ヒットを記録するが、森田童子が私たちの前に姿を現すことはなく、さらに25年後の2018年4月に世を去った。




ken********さん 2007/4/12 17:36
森田童子さんの「僕たちの失敗」の歌詞を解読できる方いますか?
歌というのは理解とかではなく、感じるものだということは解かっているんですが、ここの歌詞はこう思うとか解かる人お願いします。


ベストアンサー jan********さん 2007/4/12 18:02
この歌がリリースされたのは、1976年です。
60年代後半の全共闘など、日本は高度成長時代の歪みを抱え、
不安定な時代になっていました。

全共闘の時代を学生として過ごした面々も、結局は社会に取り込まれ、せかせかと働き個を消されていく。モラトリアムや、大人社会に埋もれる無力感が若者の間に蔓延した時代でありました。

森田童子さんが歌を歌いだしたきっかけは、自分の友人が亡くなったことだそうで、歌詞中には、歌詞上の主人公を見守る親友が描かれていることが多いです。この歌にも、主人公とその親友が描かれています。

「ぼくたちの失敗」は、サラリーマンとしての生き方になじめず、ジャズ喫茶などに入り浸っていた若者たちが、いつしか住む世界を変え、社会の荒波の中で自分を見失ったとき、ふと過去の出来事を思い出す姿を描いているのだと思います。



森田は女性(だろう)と思っていたが、歌詞を聴いていると、
「君」が女性のようで違うようで、「僕」は男性のようでそうでない。
後日、わかったことだが、森田は自分を「僕」と表現しているようなのだ。
女性が「僕」と言うと不思議な魅力を感じる。

間奏に森田が言う。
「あの頃、井の頭線の線路沿いのアパートに、君と暮らし始めた。
何もない無力なぼくは、ただ君を愛すことしか知らなかった」


後に森田童子として歌い始める若い女性が、アパートの一室で、自殺を図って睡眠薬を飲んだ友人、あるいは恋人を看病している。


ぴよにんじんさん 2010/10/7 1:06
森田童子のぼくたちの失敗について・・・ 歌詞の意味は分かりますか?一体、何を失敗したのですか?

ベストアンサー h_d********さん 2010/10/7 2:55
森田童子は友人の死を切っ掛けに歌い始めた人です。そして、その友人の死には学生運動(全共闘運動)が大きく関わっており、彼女も少なからず関わっていたと推測されます。この曲に登場する「君」がその友人で「僕」が森田童子。運動に敗北し「君」が死に「僕」は志も友人も失ってだめになってしまった。そんな内容の歌詞だと思いますので、生き方を「失敗」したのだと思います。



【追記 10-07-16】

朝日新聞の記事が森田童子に触れていた(5月22日)。山坂いくつもあるのが人生だと、ここでも実感させられる。
記事の中の「病」に拘ってみると、彼女は学齢からして在学中に1年の遅れが生じ、更に高校中退後3年ほど北海道で療養生活を送っている。
『さよなら ぼくの ともだち』は友人の死を契機にここで生まれたのだが、してみると、この時期からの長患いの後遺症のようにも思える。最終部分を引用したい。
『ぼくたちの失敗』が、テレビドラマ「高校教師」の主題歌になってヒットしても、再び歌おうとはしなかった。彼女の消息を知る人を介して、その真意を問う対話がしたいと打診してもらった。だが、とても親しかった人との唐突な死別とみずからの病で、「手紙すら書けないほど憔悴している」という返答があった。危ういバランスでつなぎとめられている世界が、まだそこにはあった。
しかしこの署名記事には、「森田童子」を偽名だとするのが論外だとしても(もちろん戸籍名ではないが、「偽名」とは文章のプロとして気は確かか?)、詰めの甘い箇所が少なくない。例えば「ひとり遊び」のレコーディングとCD制作(2003年)を知らなかったのだろうか。それとも判り易いプロットに当て嵌めるため意図的に無視したのか。後者であれば気持ちは半分だけ判る、といっておこう。

詞の中に飼い馴らしたかの「ぼく」や「きみ」の無数の死も、生身の人生には耐性を育まなかった。あるいは、成熟という名の感受性の劣化をこそ彼女は拒否し続けているのか。


【追記 18-07-02】

古い友人と久しぶりにメールのやりとりをしていたら、彼女の訃報がネットに流れた。私のGメール・アカウントは moritadoji.inochi で、不可思議な符合に驚いたと触れていた。まだ若いのに、と続いていたが、私としては「そうだったのか」と深く寂かに納得するものがあった。

彼女については謎が多い。公表された情報が少ないのだから当然かもしれないが、例えば誕生年や出生地は複数の情報が流れていて、どこからも訂正されず始末が悪い。

私が折に触れて参照したのは次行のサイトで、しかしながら長らく更新されておらず、いわばアーカイブ状態だ。

森田童子研究所
また、このサイトで頻繁に登場する「犬のしっぽ」さんのサイトは既に消滅しているが有難い事に次行のミラー・サイトがあって、
「犬のしっぽ」ミラー・サイト:
ここから彼女の年表を覘いてみよう。

52年1月15日、東京生まれ
68年、高校入学

なのだが、順当にいけば高校入学は67年だからどちらかが間違っている筈で、そうでなければ入学以前に1年の遅れが生じている。
70年、高校を中退。暇にまかせてふらふらと旅に出る。

とあるが、やはり同じサイトの、雑誌「ラジオマガジン」のインタヴュー記事によると事情は異なる。一部を引用すると、
彼女は高校半ばにして不幸にも胸をやみ,転地治療という形で3年間を北海道で過ごした。その時代,'60年代末期は学園闘争が激しく吹き荒れていた頃だった。

そしてこの記事に従うと、極めてデリケートかつエキセントリックな神経と感受性に言葉を失いそうになるが、自分の過去を捏造するとも、思えない。また、

失われた青春の残像を拾い集めて五線のキャンバスに描き続ける詩織人−森田童子 31歳。
と結ばれていて、83年1月の時点で31歳、つまり誕生年が52年である事を前提にしている。誕生年53年説の元祖は、実は JASRAC 会報に載った訃報(65歳と表示)ではないのかと睨んでいる。
記事の最後にも触れてある80年の黒テント公演はTVドキュメンタリとして放送された。下の静止画はその最終部のものだ。
写真:森田童子(もりたどうじ)、TVドキュメンタリ『夜行』より
私(わたくし)達のコンサートが不可能になってゆくさまを見てほしいと思います。そして、私達の歌が消えてゆくさまを見てほしいと思います。ひとつの時代の終わりに向けて、私達の最後の切ない夢を、見てほしいと思います。
無垢なリリシズムと甘味なセンチメントに包まれた魔法のような世界が、そこには確かにあった。


【追記 18-07-28】

ネット上には、どこからともなく、彼女が著名な作詞家の姪らしいという噂が流布されていた。なかにし礼、という固有名詞を挙げてあるものも最近では少なからず、先日このふたりをキーワードにして検索。その結果から次のふたつに注目してみた。

松風亭日乗:densukedenden.blogspot.com/2013/12/blog-post_18.html
「なかにし礼」のコメントが作家作詞家なかにし礼本人なのかどうか。別人がそんな事をしてどんな意味があるのか私にも謎だが、ネットは何でもありというのも確かな経験則である。とした上で、「自殺誘発ソングの旗手森田童子が平凡に幸せに生きてる」 と断定しているのは、上に紹介した10年の朝日新聞の記事内容を踏まえれば首肯できない。
「自殺誘発ソング」の旗手だったとはいえども、近親者(配偶者であるとは後で判る)との死別、自らの病いに苦しむ有様は、バチが当たったと反省しているのではないか、とでも形容されていい状態だったからだ。

永井均 tweet:twitter.com/hitoshinagai1/status/852547262966243328
永井均はヴィトゲンシュタインを読んでいた時にお世話になった。判り易い説明で核心がストンと腑に落ちたという記憶がある。はるか昔の話だ。
スレッドを辿ると愛憎相半ばする書き込みに意表を衝かれるが、「深く深く納得した。事実は小説より奇なり!」という言葉に導かれて、なかにし礼『兄弟』を読む事に。報告は後日。


【追記 18-08-01】

文学作品として鑑賞しようとは思わなかった。私小説形式の自伝として、童子との関連で目を通した。

登場人物名でいうと、兄の次女、中西美以子が童子に該当する。それ以外に年齢的にマッチする近親者はいない。
兄夫婦は小樽、東京、青森と流れ、再び上京して、すぐ次女が生まれる。
特攻崩れを自称する兄は人格破綻者に近くなり、「事業」を目論んでは失敗して借財を膨らませ、弟の禮三(なかにし礼)が作詞家として成功した後は、「家長」として弟の稼ぎを犯罪的な手法で平然と流用する。
なかにしの2度目の結婚を契機に彼らは暮らしを別にするが、これが71年。童子デビューの2年前になる。
この後も、兄の巨額の尻拭いは6年後の母の死を経て更に2年後の訣別まで続く。ざっといえば童子の活動期間とほぼ一致する時期である。

このような係累を持つ人間なら、誰でも秘匿しようとするだろう。
この事はとてもよく判るが、彼女の父親がこの黄金を生む娘をどのように利用したか、あるいは利用しようとしたかについて、『兄弟』は全く触れていない。というよりもその前に、自分の姪が童子である事は、匂わされてもいない。
また、童子がなかにしの姪であるとすれば、阿久悠と並んで稀代の作詞家たる彼の血を引いたと、つい思いたくもなるが、彼自身の作品であるという可能性はないのか。小説より奇なり、とは、実はこのような、あるいは更に別の、この作品から離れた事情を指摘しているのではないか。


【追記 18-08-07】

この歌もそうか、あの歌もそうか、というミューズの化身のような時代が、作詞家なかにし礼には確実にあった。しかしその初期から中期にかけて、恥部とでもいうべきふたつの事件の中心人物として、彼はマスメディアの集中砲火を浴びた。「芸能界相愛図」事件と風吹ジュンへの拉致監禁事件である。いうまでもなく『兄弟』では片鱗も窺う事ができない。
前者はこの文章と関わりを持たないので省略。後者について、最も詳細に説明された記事を次行に紹介しよう。
デジタル鹿砦社通信:《脱法芸能12》風吹くジュン誘拐事件
ここに登場するアド・プロモーション社長前田亜土の名前が、童子のマネージャ兼配偶者として彼女の死後、私たちの聞き及ぶところとなった。
事件とその後の収束期間を考えれば直後といえるような時期に童子はレコード・デビューしているのだが、何故ここに犯罪的なプロダクションの社長が関わってくる事になるのか。浮世離れしたシンガーソングライターの背景に広がる闇の世界、はたまた汚濁の池に咲く白蓮、とでもいうべきだろうか。いやはや何とも。


【追記 18-08-09】

匿名掲示板の「森田童子について語りませんか Part.4」スレから。
森田童子の夫、前田亜土は
森田童子を手掛ける前に
風吹ジュンの事務所社長(アドプロダクション)だった

安月給などの劣悪条件で風吹ジュンを拘束
風吹ジュンが事務所移籍を画策
移籍先の社長を暴行し風吹ジュンを
ホテルに拉致して脅したのが
例のあの風吹ジュン事件

なかにし礼と兄が前田亜土を業界に引き入れた
アドプロダクションはなかにし兄弟が重役

森田童子の事務所、海底劇場は
アドプロダクションの次に作った事務所
事務所自体も同じマンションの部屋を
そのまま使ってた

風吹ジュンからしたら森田童子は
聴きたくない歌手だったろうね(No 564)
という事のようではあるが、
吹雪(ママ)ジュンの件についてどっちが悪かった誰が悪かったとかは別の話だからどうでもいい
問題は前田亜土の妻であった森田童子が中西正一の娘だというのは事実かどうか
もし事実ならなかにし礼の書いた『兄弟』によって森田童子の背景が少しは明らかになる(No 599)
と、理性的な意見交換がされている。好むと好まざるとに関わらず、事実を特定するような「証言」の登場も、おそらくは時間の問題だろう。


▲△▽▼


伝説のまま逝った森田童子は全共闘世代の挫折感を癒す存在だった...親交のあった劇作家が素顔と音楽を語る
リテラ2018年7月4日

リバイバルヒットした森田童子の『ぼくたちの失敗』

       
 4月に亡くなっていたことがわかった森田童子。森田といえば、1975年にファーストシングル『さよなら ぼくの ともだち』を発表して注目を集め、当時の若者からカルト的な支持を受けていたフォークシンガーだが、その素顔は謎に包まれていた。本名は非公開、人前ではサングラスを外さず、アルバム7枚、シングル4枚を発表して、1983年に事実上の引退。1993年に『ぼくたちの失敗』がテレビドラマ『高校教師』(TBS系)の主題歌となり、シングルCDが100万枚近くのリバイバルヒットとなったが、そのときも表舞台に出てくることはなかった。

 そして、森田が伝説のまま逝ってしまったいま、その音楽をリアルタイムで感じたことのある人も少なくなっている。いったい彼女は当時の若者にとってどういう存在だったのか。そして、その素顔は......。森田の歌のファンで彼女と親交があった劇作家の高取英に話を聞いた。

 高取が森田童子と知り合ったのは、森田がデビューしたすぐあと、1976年から1977年のことだったという。

「『音楽全書』(海潮社)という音楽誌で森田童子について書いたのですが、彼女のマネージャーでイラストレーターの前田亜土さんから連絡がありまして。前田さんと親しくなって、それから付き合いが始まったんです。公表してませんでしたが、前田さんは森田童子のパートナー、夫でもあった」

 以後、高取は森田のライブに足しげく通い、ライナーノーツも執筆したり(『森田童子全集V a boyア・ボーイ』などに収録)、森田も高取の演劇の公演に顔を見せるようになった。そして、お互いの音楽、演劇に批評文を寄せ合う関係になったという。

「私が作った芝居『少年極光 (オーロラ) 都市』の音楽を作っていただいたこともあります。僕の詩に曲をつけるのに、『私、人の詩に曲つけたことないんですよねー』って言うから、『好きにしていいですよ』と、彼女のいいと思う形に変えてもらって、3曲作ってもらいました」

 高取は当時、自分たちが森田童子に強く惹かれた理由について、こう分析する。

「森田童子が登場したのは全共闘運動が挫折して、少し経った頃。彼女の歌はその全共闘世代の心情、挫折感に寄り添うものでした。たとえば、仲間がパクられた日曜の朝、といったことを歌ったり、高橋和巳の『孤立無援の思想』から来ている『孤立無援の唄』、爆弾教本の『球根栽培法』から来る『球根栽培の唄』といった歌があったり。彼女自身は全共闘世代より少し若くて、運動のピークの頃はまだ高校1〜2年でしたが、東京教育大(現筑波大学の前身)の紛争に関わっていたという話もあった。どこかのセクトに入ってるとか、高校全共闘みたいなかたちでやっていたというのはないとは思うけれど、その文化や気分はすごく色濃く共有しているアーティストでしたね」

 全共闘世代の心情を代弁し、支持を集めているミュージシャンはたくさんもいたが、森田がほかの誰とも違っていたのは、彼女の歌が"弱さ"に光をあてていたことだった。

「森田さんのライブって客が泣くんですよ。死んでいってしまった友人を歌にした『さよなら ぼくのともだち』って歌で、泣き出す人も出てくる。歌っている森田さんも歌いながら涙をぬぐう。全共闘世代って、強がったり過激ぶったりするのが習性で、自分の弱さをさらけだせない人が多かったんですが、森田童子の歌を聴いていると、その弱さを隠さなくてもいい気がしてくる。たとえば(映画監督の)高橋伴明さんは早稲田大学の学生運動出身で、すごい武闘派だったんですが、森田童子が好きだと言っていました。そういう人でも森田さんの歌に感動するんです」

●森田童子引退の理由は? ドキュメント映像で語っていた消えていく覚悟

 また、森田は、当時、まだ根強く残っていた「男は強くたくましく」「女はおしとやかに」という性の固定観念からも解放してくれる存在でもあったという。

「当時はさまざまな価値観が大きく転換し始めた時期ではありますが、まだ、男らしさ、女らしさという意識は残っていました。そんななかで、森田童子の歌の内容は、センチメンタルというか、ある種"女々しさ"と呼ばれるようなものだったかもしれない。でも、その女々しさを堂々と歌い上げたことで、男女の性差を超えて、孤独感のある人、友人をな無くした人、運動に挫折した人、そういう、やさしくて弱虫かもしれないという人たちに響いた。『さよなら ぼくの ともだち』という歌の中にも『弱虫でやさしい静かな君を僕はとっても好きだった』という一説があるんですが、そんなことを歌う人はこれまでいなかったんですよ。強がっている人はたくさんいるけど、強い人なんて実はいない、弱虫であること、それが好きだったといってくれた」

 森田の音楽を"女々しさ"という言葉で説明する高取だが、実は森田の側も高取の作品に同じく"女々しさ"を見ていた。高取の代表作『聖ミカエラ学園漂流記』を批評する文章の中で、森田はこう書いている。

〈『聖ミカエラ学園漂流記』の高取英の劇作法は、拙い少年少女の肉声を惜りることによって、高取英の女々しい反逆の試みは、確かに不思議な説得力を持ち得た〉

 ふたりが表現で深く繋がっていたことを物語るエピソードだが、しかし、その高取も、森田の素顔についてはよくわからないままだったという。

「サングラスを取った素顔は、わたしも見たことがありません。カーリーヘアもおそらくカツラでしょうし、素顔は一切隠してましたね。プライベートなことも一切話さない。前田さんと結婚していることも、本人たちは一切話しませんでした。それに物静かで、とつとつとしか喋らない人なので、感情の動きもよくわからなかったし、曲のイメージそのままでした」

 1983年、彼女が音楽活動を引退する直前には、こんなこともあったという。

「『聖(セント)ミカエラ学園漂流記』(群雄社出版)の出版記念パーティーに来ていただいたんです。それで、『スピーチをお願いできますか?』って言ったところ、彼女はイヤだとははっきり言わないで『え、え......』って。そのあと、3分ほどしたらその場から消えていました。スピーチの話を急に言われてとまどったのでしょう、悪いことしたなって」

 森田らしいエピソードだが、それからまもなくして、森田は本当にすべての表舞台から完全に姿を消してしまった。

「引退の理由を出産とか病気とかいう人もいましたが、そういったことではなくて、音楽活動をするなかで、自分が言いたいことはもう言いつくしたという感じだったんじゃないかな。80年頃、森田童子の屋外ライブの企画から実現までを追った『夜行』というドキュメント映像があるんですが、その中で森田が『私たちの歌が消えていくさまを見てほしいと思います』という言葉を口にしています。やることをやったら消えていく、最初からそういう覚悟があったんでしょう」

 しかし、彼女の歌と記憶はそれから30年以上たったいまも、1970年代に青春を過ごした人々の心の中に強く刻まれている。7月19日には、高取も出演する追悼イベント「夜想忌 〜さよならぼくのともだち〜 追悼 森田童子」が開催される予定だ。(敬称略/高橋南平)



▲△▽▼
▲△▽▼


2013年12月18日水曜日
以前書いた森田童子の記事に、「なかにし礼」さんからコメントをいただいた。
「なかにし」さんのコメントの全文は以下の通り。

「彼女の歌が一部の敏感過ぎる人達の、生きようかなそれとも死のうかなという、危うい紙一重の精神状態にあるところを、死んじゃいなよこっちへおいでよと死のスイッチを押させたのは負の一面として事実。

森田童子は手放しで称賛出来ない、ある意味自殺誘発ソングで何人も自殺に追いやった批判も加えられるべき人物。あれだけ死ぬだの死にたいだの死を甘美に唄った自殺誘発ソングの旗手森田童子が平凡に幸せに生きてるのはなんたる皮肉。」

森田童子の歌を聴いて自殺した人がどれほどいるか、私には分からない。ただ、いても不思議はないと思う。私自身、童子の歌を聴きながら、あの記事で書いたように、「深入りしたら危険だ」という思いと「深入りせずにいられない」という思いがせめぎ合っていた。

死への誘惑という点でいえば、文学の方がよりポピュラーだと思う。芥川龍之介の晩年の作品なんかまさにそうだし、中原中也の詩や宮澤賢治の童話だって死に近い。極め付きは太宰治か。太宰の弟子を自認していた田中英光なんか、太宰の墓前で自殺したくらいだ。しかし、彼らはその落とし前をつけるように、早死にしたり自殺したりした。とすれば、そのような作品を世の出した者は死ななければならないのか、という話になる。

人間には死に近づく時期がある。だからこそ、古今東西、死に近い作品は多いのだ。しかし、そこから逃れられれば、それはそれでいいじゃないか。森田童子は、とにかく生き延びたのだ。彼女が死の誘惑から逃れることができたとすれば、それはそれで喜んであげてもいいと思う。

今、昔のアルバムが結構CDで復刻されているけど、森田童子のオリジナルアルバム復刻の話は聞かない。単にセールスが見込めないのか、それとも本人の了解が得られないのか。

もし、森田童子が昔の作品が世に出ることを頑なに拒んでいるとすれば、それが彼女なりの落とし前のつけ方なのかもしれない。
投稿者 densuke 時刻: 21:58

▲△▽▼

2022.01.23
業界騒然! 謎の歌手・森田童子の父親が「なかにし礼の兄だった」事実が意味すること

なかにし礼『血の歌』と『兄弟』をめぐって

作詩家なかにし礼とシンガーソングライター森田童子が叔父と姪の関係であることを明らかにしたことで、『血の歌』(毎日新聞出版)が話題を集めている。同時にこの作品は、短篇ではあるが、なかにしのヒット作『兄弟』(1998年、文藝春秋)と表裏をなす重い内実をたたえている。

『兄弟』は作詩家から小説家になったなかにしの初めての本格的長篇。特攻隊の生き残りで、事業の失敗や弟名義での借金でなかにしを破滅にまで追いこむ常軌を逸した兄(話題となったテレビドラマではビートたけしが演じた)となかにしの愛憎と葛藤を描いた小説で、「兄さん、死んでくれてありがとう」と主人公が独白する結末が当時、大きな反響を呼んだ。そのモデルである兄の娘(次女)が、何と森田童子だったのだ。

映画の中のなかにし礼と森田童子
音楽史において、大衆の心に響く歌謡曲の作詩家であるなかにしと、孤高のシンガーソングライターの森田は対極的な存在であるが、映画史においては、この叔父と姪は踵を接し、1978年にともにスクリーンデビューしている。

森田童子『ラスト・ワルツ』ジャケット森田童子『ラスト・ワルツ』ジャケット


この年に公開された大森一樹監督の『オレンジロード急行』で、森田童子のメジャーデビュー作『さよなら ぼくの ともだち』が初めて映画の挿入歌として使われ、同年に公開された『時には娼婦のように』(小沼勝監督)はなかにし礼の同名曲の大ヒットを当てこんで製作されたからだ。

『時には娼婦のように』は、《当時、(兄が作った─引用者註)借金に追われている時期で、好条件を提示されたこともあり、原案、脚本、音楽、さらには主演までこなした》(『わが人生に悔いなし─時代の証言者として』、河出書房新社)となかにしが語るロマンポルノであるが、なかにし礼のバイオグラフィにおいてはきわめて重要な作品である。

この映画に現れる心臓発作と性への耽溺、兄の借財を背負わされる弟、複数の女性との同棲、なかにしが第二の故郷と呼ぶ青森への郷愁といったなかにしの人生に欠くべからざる光景が、なかにしがのちに書く『翔べ!わが想いよ』('89年、東京新聞出版局、新潮文庫、文春文庫)から『夜の歌』(2016年、毎日新聞出版、講談社文庫)にいたる自伝小説のプロトタイプ(試作品)になっているからだ。


なぜこの原稿が書かれたのか
この作品を起点として、なかにしを「戦争と歌謡曲を交響楽(シンフォニー)のように、硝煙とエロスをカットバックで描いた作家」と評した、私の『夜の歌』講談社文庫版('20年)の解説を読んだなかにしは、私を西麻布「キャンティ」に招いてくれた。だが、交遊が始まってまもなく、2020年12月になかにしは突然他界した。死後に机の引き出しから発見された未発表原稿をなかにしの子息で音楽プロデューサーの中西康夫が刊行したのが、『血の歌』である。


『血の歌』は作家の死後に刊行された未発表原稿の常として、多くの謎につつまれている。

どうして作者がこの原稿を書いたか、が第一の謎である。後記で中西康夫が『血の歌』は1995年に執筆されたと推測しているように、『血の歌』は'96年に小説のモデルである兄(中西正一)が死去する1年前に、『兄弟』の習作として書かれたものと思われる。

『血の歌』は、兄が語り部に近い立場で書かれていることから、仮借なく兄を描いた『兄弟』よりも兄へのシンパシーが宿る。また、『血の歌』において戦時中に兄が操縦する戦闘機を失墜させる場面は、ほぼそのまま『兄弟』の完成稿に使われている。『血の歌』でなかにしは、兄の視点から娘(森田童子)を描き、同時に娘を小説の「狂言回し」に使えないかと模索していたと憶測できる。


では、なかにしはなぜ封印したのか
しかし、'95年の執筆当時、森田童子は音楽活動を停止中だったとはいえ、'93年に『ぼくたちの失敗』がテレビドラマの『高校教師』の主題歌として使われたことから再ブレイク中だった。なかにしや正一との関係が世間に知られれば、彼女のプライバシーや作品評価に差し障ると考え、なかにしは森田童子をモデルとする『血の歌』を封印したのだろう。

『兄弟』を担当した元文藝春秋の編集者・鈴木文彦は述懐する。

「『兄弟』執筆の前、お兄さんが亡くなられる以前に、かなり感情移入の激しい習作を読んだ覚えがおぼろ気にあります。当時、お兄さんをモチーフにしたいわゆる“兄モノ”の習作がいくつかあって、その一つが『血の歌』だったのではないでしょうか。森田童子については、兄の娘だとなかにしさんから直接うかがったことがあります。『血の歌』はモデル小説の引きの強さがありますが、森田童子が存命だった執筆時点では、彼女のプライバシーにも配慮していたので、発表には至らなかったのではないかと思います。結果として、お兄さんの死を待って長篇仕立てで『兄弟』に結実し、なかにしさんの代表作になっていきます」

『兄弟』という大作に濃密に関わった編集者ならではの見方と言えるだろう。

父から見た娘、また娘から見た兄という視点が削られ、弟から見た兄という視点で小説を一貫させたことで、『兄弟』の構成は堅牢になり、作品は直木賞候補になるなど大きな評価を得た。『血の歌』は『兄弟』のいわば試作品であったのだ。

そのようにいったんボツにした草稿をなかにしはなぜ残していたのか、が第二の謎である。後記で中西康夫が書くように、なかにしはつねに原本(草稿)を廃棄していたという。彼が『血の歌』だけを残しておいたのは、将来何らか形での発表を意図していたと考えるのが自然だろう。

次に湧き上がる謎は、なかにし礼が森田童子の音楽的才能をどのように捉えていたかという点である。その謎を解き明かしてくれたのが、『血の歌』では「お貞さん」、『兄弟』では「藤原慶子」と呼ばれて作中に登場する辣腕音楽プロデューサーの松村慶子である。彼女は'64年に『知りたくないの』(菅原洋一)で作詩家・なかにし礼を、'74年に『さよならぼくのともだち』で森田童子を、ともにメジャーデビューさせた。

松村は「礼ちゃんは童子を『手に負えない才能だ』と高く評価していて、本当は応援したかった」と証言した。しかし、森田童子は「叔父の七光りで世に出たくない」と反発し、松村も「メジャー過ぎて、どこか体制的な匂いがする礼ちゃんの姪ということはマイナスで、童子を反体制、非体制で売りたい」と戦略を立て、「森田童子との関係をずっと隠し通すこと」をなかにしに提案、なかにしがその約束を死ぬまで守り続けてくれたことを感謝する。


小説『時には娼婦のように』を構想していた
森田童子の音楽が、なかにし兄弟が育った満州牡丹江の裕福な家庭にあった音楽的な環境に胚胎していることは疑いがないだろう。しかし、森田は叔父の後ろ盾なしで自らの音楽世界を築き、父親の戦争中の失墜と戦後の堕落に対して全共闘世代の挫折感を対置させ、先行世代への鎮魂歌を歌いつづけた。彼女は中西家の「虚無という血」を引き継いだ、と私には思える。

「『血の歌』が出たとき、さすが礼ちゃんと感心したわね。童子と自分が死んだあと、すべてを明らかにする。礼ちゃんらしい見事な自己演出だと思った」と語る松村は、なかにしが『血の歌』の原稿を意図的に家族の目に付きやすい場所に置き、自分の死後の出版を暗に望んでいたと考える。中西康夫もそれが父の遺志だと信じている。なかにしとの共同作業で数々のヒット曲を生み出した辣腕プロデューサーと、なかにしと最も身近に接してきた子息の見解には、確かに説得力がある。

森田童子のファースト・アルバム『GOOD BYE グッドバイ』森田童子のファースト・アルバム『GOOD BYE グッドバイ』


しかし私は、『血の歌』を読んで、一つの別な想像をめぐらせた。

私がなかにし礼と最後に会ったのは、なかにしが亡くなるちょうど2年前、'19年の12月だった。「キャンティ」で私と話すうちになかにしは、『時には娼婦のように』というタイトルで、'70年代の懶惰な日々を小説にしたいと思い立った。7人の女性が住み、彼女らの世話をする年配のマダムがいる一軒家。なかにしにはそこを訪ねて遊んだ日々があった。特権的な時間であったとは思うが、平和ボケの極みのような退廃と乱倫のなかに、なかにし独自の共生と気づかいの哲学を再発見しようとしたのかもしれない。なかにしはその時代を描きたいと切実な調子で言い始めたのだ。

その後、なかにしはその小説の構想を河出書房新社の担当編集者に持ちかけたと聞いたが、それが実現しないまま終命の時を迎えた。ここから先は私の憶測だが、なかにしはこの作品に、'74年の森田童子の歌手デビューを絡め、当時の音楽状況をふくめて回想しようと目論み、その時のために、いつか作品の形を与えようと思っていた草稿を机の引き出しに入れておいたのではあるまいか──。

こんなふうに『血の歌』は、さまざまな空想を喚起し、なかにし礼の死が創作活動を無残にも途絶させたことを、悲しみとともにあらためて思い起こさせる掌編なのである。

▲△▽▼

2022.01.01
「僕たちの失敗」の森田童子の父親は、なんとあの人だった

なかにし礼の未発表作品に書かれたこと

作詩家であり、作家のなかにし礼が亡くなって1年が経つ。それにあわせ、死後に自宅から発見された未発表作品『血の歌』(毎日新聞出版)が刊行された。そこに書かれていた主題が、一部で波紋を呼んでいる。なかにしの代表作『兄弟』で描かれたあの破滅的な兄。その娘こそ、一世を風靡した森田童子であったのだ。つまり、森田は、なかにしの姪にあたる。なぜ、なかにしは森田との関係をここで明かすことになったのか。森田と交流もあった元『ガロ』編集長の高野慎三が記す。

テレビドラマ『高校教師』のあの歌声

かつて森田童子という類まれなシンガーソングライターが存在した。一部で熱狂的に支持されたようだ。その後1990年代前半に、テレビドラマ『高校教師』のバックに流れる「ぼくたちの失敗」で一般的に知られるようになった。そのときの語りかけるような音律と透き通る細い歌声が聞く者の心をとらえた。そして、「暗く悲しい歌」の歌い手として認知された。

森田童子のファースト・アルバム『GOOD BYE グッドバイ』森田童子のファースト・アルバム『GOOD BYE グッドバイ』


森田童子の存在をはじめて知ったのはいつのことだろう。70年代の終わりに、わたしより一回り以上も若い青年たちが「一度聞いて欲しい」と録音テープを届けにきた。聞いてみて、「いやにセンチメンタルな歌だなあ」とそのときは思った。


突然の電話
従来、わたしは音楽にほとんど関心を持たなかった。クラシックも、ジャズも、ロックも聞いたことがない。戦前・戦後の歌謡曲のいくつかと、森進一や八代亜紀の2、3の歌を好んだ。

1970年以降のフォークソングにも馴染めなかった。森田童子の歌も私的な生活を言葉にしたフォークとさほど違いはないものとわたしは思い込んだ。

ただ、若い友人たちのこだわりが尋常ではなかった。森田童子のコンサートにしばしば出かけていたようだ。「ぼくたちの歌」と捉えているふしがうかがえた。この場合の「ぼくたち」とは1960年代後半の「反乱の季節」における高校生世代を意味する。たぶん、森田童子の歌のなかに自らを重ね合わせていたのだろう。その心情を理解できなくはなかったが、「青春の甘酸っぱさ」は願い下げたかった。

そんなある日、森田童子の関係者から突然の電話がある。用件は、「つげ義春さんの作品を使用したいのですが」との問い合わせだ。

わたしは1967年から71年までマンガ雑誌『ガロ』の編集長を務め、つげ義春さんを担当した。その縁で、辞めてからもつげさんの取次役のようなことをやっていた。つげさんに連絡を取ると即時に承諾。「使用料は考えないで」との言葉も伝えた。また別の日に「作品のタイトルをコンサート名にしてもいいですか?」と問われ、これもつげさんから了解を得た。

森田童子がつげ義春の愛読者であることを知って、わたしは新たに格別の興味を抱いた。それでも、もっと歌を聞いてみたいとまではならなかった。

森田はなぜつげ義春に執着したか
ところがである。「これから森田とお邪魔します」と、また電話があった。1時間ほどして、杉板づくりの大きなリンゴ箱を肩に担いだ男性が、わたしが営む小さな文具店のガラス戸を開けた。「森田がいろいろお世話になりました」と言うと、表通りの歩道をふり返った。帽子を深くかぶったサングラス姿の彼女が深々とお辞儀をした。あわててわたしも返した。パートナーと思われる男性は「これからつげさんにもお届けします」と急いで車に戻った。森田童子と接したのはこのときが最初であり、最後だ。

挨拶の言葉ひとつ交わすこともなかったが、感じのいい出会いだった。

同じころ、住まいに近い渋谷道玄坂裏の円山町のラブホテル街の電柱に「森田童子コンサート・夜行1」とか「大場電気鍍金工業所コンサート」とかのステッカーを見かけた。『夜行』は、つげ義春の新作を掲載した本だ。どれほど彼女がつげ義春に執着しているかを想った。いや、つげ義春だけではない。下町葛飾の労働者たちの60年安保闘争を描いた実弟のつげ忠男のマンガ集『懐かしのメロディ』に寄せて、彼女は「絶望と孤独の風景」と綴り、つげ忠男への限りない愛惜を表明した。

以後、森田童子との接点は途絶えたままになった。歌うことをやめ、東京を離れたと風のうわさが流れた。気になりだしてCDを購入し、ときどき聞いた。いくつもの歌詞から森田童子の立ち位置が想起され「ああそうだったのか」との思いに襲われた。つれ合いが森田童子の歌を聞きながら、台所でふと手を休め、「いい歌よね」と言う。そして「正しい歌だわ」と続けた。冗談じゃない、歌に正しいも正しくないもあるものか、と言い返そうとして、思いとどまった。

なかにし礼の『血の歌』が明かす森田童子の過去
森田童子より2歳年上のつれ合いは、森田童子の頑なな意思と、ときどきの危機意識を瞬時に受け止めたのかもしれなかったからだ。その「正しさ」とは「理念を持っている」ということではないだろうか。森田童子の歌は「闘い」の歌ではないかもしれないが、「抵抗」の意思を示す歌ではあるだろう。「正しさ」とは「抵抗」の謂いでもあるのだろうか。

「反乱の季節」を若者たちとともに闘おうとした作家・高橋和己の「孤立無援の思想」をモチーフとした歌もあった。つげ義春の「海辺の叙景」をイメージした作品もある。

いったい、森田童子とは何者なのか、と疑問を抱いた。しかし、わたしにはどのような情報も届かなかった。森田童子は謎に包まれたままの存在となった。それから20年が経ち、30年が経ち、予期しないときに訃報が飛び込んできた。わたしはつれ合いの遺影のある小さな部屋で、森田童子の歌を流した。

森田童子『ラスト・ワルツ』ジャケット森田童子『ラスト・ワルツ』ジャケット


そして、いまになって、なかにし礼の未発表小説『血の歌』(毎日新聞出版)によって、森田童子の過去が明らかにされた(作品のなかでは「美納子」「森谷王子」となっている)。森田童子は、なかにし礼の姪だったのだ。なかにし礼の代表作である『兄弟』のモデルだった、「特攻帰り」で、戦後、放埒に生きたという実兄の娘だったのである。そのあまりに衝撃的な人間関係に驚きを禁じ得ないが、しかし、それらはある意味、充分に納得のいく事柄であった。

荒廃した父親を通して「戦後」を感知し続けた
《堕ちていくばかりの父親と、それに振り回される家族がいた。墜落を恐れながら、みずからさらなる墜落を求める父。あるいは美納子は中西よりも、いや中西の背中越しに、戦争の興奮を見てしまったのかもしれない。そして、興奮から遅れてやってくる、傷と孤独。それは美納子にとって、時代の儚さであり、自分の命の悲哀であったのではないか》(『血の歌』より)

森田童子の歌から感受される途方もない「暗さ」は、たんに父親という存在の個性に求められるべきではないだろう。青春期に戦争を体験した、いわれるところの純粋戦中派にとって、敗戦後をどのように過ごしたかは、ひとりの個人の問題に還元されるべきことがらではない。つげ忠男がいくつものマンガで描き続けた「特攻帰りのサブ」の生き死には、B29撃墜の戦闘機パイロットであった父親像とみごとにオーバーラップする。いわば、敗戦後における父親の自堕落な姿は、下町で虚勢を張る与太者の「サブ」と寸分の違いもない。

つげ忠男は、工場街の裏町で目撃した実像の与太者を通して「戦後」を凝視した。森田童子は、父親の荒廃した実像を通して「戦後」を触知した。つげ忠男の一連の作品が戦後の「正しさ」を描き留めたように、森田童子も「戦後」のなかで自らの「正しさ」を追い求めた。

『血の歌』は、森田童子の秘密に触れると同時に、戦争体験を経た「戦後」という時間の秘密をも物語る。森田童子の歌が存在する限り、つげ忠男の作品が存在するかぎり、「戦後」は終わらないのである。


▲△▽▼

血の歌 Kindle版
なかにし 礼 (著)

痛ましい歌声が、俺の胸を血まみれにする。
戦争の昂揚と絶望、そして戦後の果てない堕落。兄の人生を見つめたその娘は、「謎の歌手」に生まれ変わった。
代表作『兄弟』の原型にして、いまに鮮烈な未発表作品、なかにし礼の死後1年目に衝撃の単行本化!

▲△▽▼


なかにし礼生い立ち〜家族と兄弟仲に無謀過ぎる兄に振り回された半生

現在ではコメンテイターとしても顔を見なくなった
作詞家のなかにし礼さん。

妻に元女優の石田ゆりさんを持ちその姉にいしだあゆみ
さんが見えるなかにし礼さんの生い立ちや家族と兄について
壮絶な過去を追ってみようと思います。

昭和歌謡曲の作詞を多数担当し、数々のヒット作を
世に送り出したなかにし礼さん。

1998年からは小説家としても活動し、2000年には
『長崎ぶらぶら節』で直木賞を受賞されています。

またラジオやテレビ番組でのコメンテーターなど様々な
顔を持ち活躍を続けています。

そんななかにし礼さんの生い立ちから兄に振り回された
半生などをまとめてご紹介します。

なかにし礼プロフィール
本名 中西 禮三(なかにし れいぞう)
生年月日 1938年9月2日(80歳2018年9月現在)
職業 小説家、作詞家
出生 満州国の牡丹江省牡丹江市
学歴 東京都立九段高等学校、立教大学文学部英文科

大学在学中にシャンソンの訳詞を手がけました。

1964年に『知りたくないの』のヒットを機に
作詞家になり、『今日でお別れ』『石狩挽歌』
『時には娼婦のように』など約4000曲の作品を残し
日本レコード大賞など数々の賞を受賞されています。

その後は作家活動を開始し1998年に『兄弟』次作に
『長崎ぶらぶら節』など作家としても数多くの
作品を残されています。

なかにし礼の生い立ち〜裕福だった満州時代と家族
なかにし礼さんの両親はなかにし礼さんが
生まれる前に北海道の小樽から、旧満州(中国東北部)
に渡りました。

醸造業を営むなかにし礼さんの両親は関東軍に
お酒を納め、ガラス工場やホテルも経営し成功を
収めていたそうです。

なかにし礼さんは従業員に「坊ちゃん」と呼ばれ
当時は相当な裕福な家庭で育ちました。

その後なかにし礼さんが小学1年生の時に終戦し
満州から引き上げて8歳の時に小樽に戻りました。

その時に家族とともに何度も命の危険に遭遇し
その時の体験が以後の活動に大きな影響を
与えたと言われています。

戦前戦後を生きた人特有の壮絶な体験をなかにし
さんも体験されていたようですね。

今では想像もつかないような壮絶な経験から
数々の作品が誕生しているのかもしれませんね。

なかにし礼さんは当時の混乱の様子を実体験に
基づいて『赤い月』という小説を書かれています。

なかにし礼の家庭崩壊の始まりは戦後の兄の傍若無人から
なかにし礼さんには14歳も年の離れた兄がいました。

14歳とかなり年齢の離れた兄弟だったため恐らく
なかにしさんの年齢(現在80歳)では徴兵制度で
戦争に駆り出される年齢には届いていませんでした。

だが14歳も年上の兄は当然徴兵で日本男児の義務と
して戦争に駆り出されているはずです。

兄は戦時中特攻隊に所属していて生き延び、終戦後
何とか命からがら生き延びた少数派の一人として
なかにし礼さん達家族の元へ帰ることができました。

父親の死後、一家の大黒柱として祖母、母、姉から
頼りにされましたが、戦後の兄は人が変わったように
破滅的で大金を投資しては失敗し、一家はすぐさま借金を
抱える事に没落したそうです。

頼りにするどころか兄の自暴自棄な精神状態に巻き込まれて
一家はどんどん貧乏になっていったそうです。

戦争が一人の青年に与えた影響はやはり生還してきた
極一部の強運を持ったなかにし礼さんのお兄さんであれ
人生観を破壊される程のインパクトとショックがあって
の変貌だったのでしょう・・・
Sponsored Link

なかにし礼の兄に振り回された半生と絶縁
ただこの時代の長男と言ったらもうそれはそれは特別な
存在で14歳も年下の弟が意見うぃ言えるような立場では
ありません。

どうにか家庭を立て直したいなかにしさんら兄弟を
傍目にちっとも元に戻りそうにない兄の尻拭いがこの
時代特有の兄弟関係でかなり壮絶な目にあうことに・・・

なかにし礼さんには兄の借金を肩代わりしていた
時期があるそうです。

作曲家として起動に乗り世間でいう成功者となりつつ弟が
夢に向かう最中になかにし礼さんは兄に振り回され
憎しみを抱くようになったそうです。

なかにし礼さんがどんどん有名になりお金を稼ぐように
なっても兄がどんどんなかにし礼さんから借金して
浪費してしまいます。

最後にはなかにし礼さんの名義でお金を借りて
全てを使い切ってしまうほどでした。

なかにし礼さんは兄の借金を返済するのに
大変苦労されたそうです。

その金額も破格の7憶円もの大金を肩代わりしていたとか。

普通なら返しきれない量の借金だったんですね。

ただそんな兄を疎ましく思いつつ兄を憎むが兄嫁が
長男の嫁であるため、献身的になかにしさんらの
母親の介護をしていたこともあり兄を切り離すことが
できなかったそうです。

だがそれも母親が生きているうちは何とか我慢しても
母親が亡くなり家族ができたなかにし礼さんは兄と縁を
切る覚悟をしたそうです。

当然でしょう・・・

あまりにも傍若無人な兄の振舞いは限度を超え過ぎです。

なかにし礼さんもほとほと嫌気がさしていたのでしょう。

縁を切ってからは16年間一切会わず兄が亡くなったと
電話があったときは内心喜んだそうです。

この辺りの心境がなんともリアリティがあります。

そんな兄との関係を自らの体験に基づいた自伝小説
『兄弟』は直木賞候補にもなり1999年にはテレビ朝日の
開局40周年スペシャルとしてドラマ化されています。

「兄さん、死んでくれてありがとう」
という有名な台詞がありますが聞いたときは
衝撃的でした。

今書いてても相当インパクト大過ぎます。汗

でも自分に置き当てたら、死んでくれてありがとう〜では
済まされないとは思いますが・・・

だって7億ですよ。

せめて自分が稼いだ金で借金して欲しいものです・・・

兄弟とは言え人のお金を、身勝手過ぎます。

なかにし礼さんのデビュー作にして代表作の『兄弟』
を読んだことがない方はぜひチェックしてみましょう。


兄弟 (文春文庫)

中古価格
¥2,975から
(2018/9/23 21:09時点)


Sponsored Link

おわりに

現在は2012年に食道がんを患い完治するも2015年に再発しこれも克服したなかにし礼さん。

戦争が幸いして精神状態が破綻したであろう兄弟の莫大な借金を身勝手で理不尽な借金と分かりながら返済を続けてきたなかにし礼さんは絶望的な半生を送って相当苦労されています。とは言えそんな兄さんもお亡くなりになられましたし改めて戦争の恐ろしさを考えさせられるエピソードでした。

現在も精力的に活躍を続けどんな状況でも希望を失わずに生きてきたなかにし礼さんの作品をぜひ読んでみてください。

▲△▽▼

486伝説の名無しさん2019/04/12(金) 23:17:23.23
風吹ジュン誘拐監禁ですが、暴力団とか事件の詳細はどうでもいいです。
ここで興味深いのはアドプロモーションの社長が森田童子の夫、役員が父と叔父だということです。

1974年9月に事件が起きて、1年後に森田童子がレコードデビューしてます。
デビューアルバムには松村慶子をはじめ、当時の一流のスタッフで、なかにし礼が懇意にしている人たちが集まってます。

まるで、もう一度、風吹ジュンに代わってアイドルを売り出そうとするかのようです。

これは想像ですが、風吹ジュン事件で中西、前田ファミリーは負債を負ったことでしょう。

そこでアイドル風吹ジュンの穴埋めとして、家族の一員の前田美乃生さんを森田童子にして歌わせたんじゃないでしょうか。
もちろん本人に有り余る才能があったればこそでしょうが。

たぶんこれはそんなに外れたことじゃないと思います。
そう考えると、森田童子の歌や正体を隠していたことなど違った見方ができるんじゃないでしょうか。


488伝説の名無しさん2019/04/13(土) 09:15:24.33

週刊平凡 1974年10月10日号
「風吹ジュンがなかにし礼さんを強盗傷人罪などで告訴!」(*抜粋)

9月20日―。東京・高輪警察署に一通の告訴状が提出された。
告訴人は風吹ジュン、『ガル企画』の石丸末昭社長、同・杠洋之輔マネジャーの3名。

被告訴人はなかにし礼氏(本名・中西礼三)、実兄の中西正一氏、『アドプロ』の前田亜土社長、同プロの宇野マネジャー、それに住吉連合の幹部・岩井政道氏、その配下・小川利行氏の6人。

岩井氏と小川氏は即日、高輪署に逮捕された。
今後の捜査の状況によっては、人気作詞家・なかにし礼氏に、司直の手がのびないという保証はどこにもない。

『ガル企画』が発足したのは9月9日だが、発足以前にはなかにし礼氏自身も経営者のひとりとして参加予定だったという。それを石丸社長があえて外したのはなかにし氏の評判がかんばしくなかったためといわれる。なかにし氏が、これをおもしろく思うわけがない。

さらに『アドプロ』の前田亜土社長の夫人・美乃生さんは中西正一氏の娘さんである。彼にとっては姪に当たるわけだ。金の卵に逃げられた親類のため、芸能界に顔をきくなかにし礼氏がひと役買って出た気持ちを思えば、あわれである。


495伝説の名無しさん2019/04/14(日) 02:09:28.18

本名を出して素顔を公開したら色んな事がバレてしまうし、
売れてしまったら週刊誌が正体をつきとめようとつけ回る。
だから正体を隠し、わざと売れないようにメディア露出を避けていたのかな。
そしてそれは引退後も。

497伝説の名無しさん2019/04/14(日) 02:46:19.80

いろんなことがはっきりわかった。昔の平凡記事アップしてくれた方ありがとう。
森田童子(中西美乃生→前田美乃生)という名前が報道されていたので
本名では活動できなかったわけだね。
だいぶ謎が解けた。



518伝説の名無しさん2019/04/15(月) 22:34:29.14
東京新聞夕刊 昭和51年5月31日より

…前略…

 太宰のどこがいい?と問えば「太宰のことは聞かないでください。いいたくありません」

 高校を中退し、実家を離れておばの家に同居中という。でも「学校や家庭のことはわたしの歌となんの関係もありません」とまたもやパンチを食らう。

 しかし、歌の話になると素直だった。

「高校時代にサイモンとガーファンクルのLPを聴いて、わたしも歌を作りたくなったんです。僕と君という対話のことばが何かやさしくて思いやりがあっていいなと思った。

”卒業”という映画に女の人をさらう場面があるんだけど、何かもの悲しくて、青春とはあんなことぐらいでしかないのかとも思った」

四、五年前から作詞、作曲を始め、昨年八月に初めてポリドールでLPをレコーディングして以来、コンサートを十数回。

「引っ込み思案で人前に出るのがこわかったから、私がいないというところから始めればよかったんだけど、コンサートやってみて、案外と露出症だということがわかり、スリリングがあって、けっこう楽しんでいます」といった調子。

…後略…


1974年9月20日、なかにし礼、前田亜土、中西正一(森田童子の父)らが強盗傷人罪で告訴される

   9月22日、風吹ジュン事件で暴力団事務所を家宅捜索、組員二人を逮捕

1975年8月、森田童子がファーストアルバムをレコーディング
   11月21日、「GOOD BYEグッドバイ」発売

ラジオマガジン1983年2月号より

森田『私は女系家族の中で育ち、女の嫌な部分、泥々した部分を見過ぎてしまって、女を感じさせる女性は苦手になってしまった。』

森田『昔は対人恐怖症がひどかった。親に人見知りしてたぐらいだから』

2016年 アルバム全集発売



726伝説の名無しさん2020/01/14(火) 11:48:56.99
山崎ハコはサラリーマン家庭で高校生のときからコンテストに出て成り上がってきた
音楽がなければ生きていけないってところがある

森田童子はデビュー前から結婚していて、家族親戚ぐるみのプロモーションで売り出した
突然音楽活動をやめちゃったように、どこかアマチュアっぽい

731伝説の名無しさん2020/01/14(火) 17:15:23.66

森田童子は夫、前田正春がマネージャーだった
父、中西正三が後期の原盤権を管理する会社の社長だった

叔父、なかにし礼が懇意の当時の一流ユニットで録音、デビューした
まさしく家族親戚に支えられての音楽活動だった

こういう背景を知ると童子の音楽もより深く鑑賞できる


748伝説の名無しさん2018/09/25(火) 13:24:33.67
『兄さん、お願いだから死んでくれ〜』っタイトルでドラマ化もされてるね
なかにし礼役はトヨエツで兄役はビートたけし

あの気性の激しい兄の娘だったんだ?

弟の印税を使い込んでは何度も会社潰してたらしいからそりゃ素性明かせねーわな
いろんな方面から恨まれてたろうし
娘をデビューさせたのは金儲けしたい兄(父)の差し金か?

兄は華麗にアコーディオンを弾きこなす音楽センスがあったらしいから
童子は受け継いだのだろうね


756伝説の名無しさん2018/09/25(火) 19:11:31.53>>757
>>748
童子が頑なに正体を隠していたのとリンクしますね。
1994年に亡くなってるなら、
ミリオンセラーでブレイクした時は介護中だったんだろうか。


757伝説の名無しさん2018/09/25(火) 19:20:20.47
>>756
小説を読めば父親がどうやって死んだか書いてある。



811tattyanneko2018/09/27(木) 20:22:40.80
なかにし礼の小説「兄弟」は森田童子ファンなら必読です

これを読むといろんな事がわかりますが、他の資料と照らし合わせるともっと詳しいことが見えてきます

たとえば、なかにし礼の他の著作で「翔べ!わが思いよ」というのがあります
1989年、東京新聞に連載された自伝です

なかにし礼と森田童子こと中西美乃生さんは1968年から1971年まで、東京都中野区にある同じ家に暮らしていました
前回引用した部分、美以子さんが十五歳のときから十八歳までです

一方でなかにし礼は「なかにし礼商会」を1970年に設立
1973年に解散しています

この会社に前田亜土がいたのです
以下は「翔べ!わが思いよ」新潮文庫版、232ページからです

中野区江原町に土地を買い、そこに家を建てた。北青山三丁目に小さなビルが売りに出たので、即金で買った。

思いもかけぬと言ったら嘘になる。ついに、待ちに待ったというべきか。とにかく、意外に早く大きな幸運がやって来たのだ。
三十歳になったばかりの私は、夢の中にいるように呆然としていた。
中野の家には兄の家族や母も一緒に住んだ。千家和也や初信之介といった弟子たちも寝泊まりしていた。

北青山のビルには″なかにし礼商会″という名の会社をつくり、私が社長になって、社の真似事をやつた。ワイワイただ騒いでいるだけのもので、会社らしい目的も実行力も持ち合わせていなかった。と言ったら、その時の仲間の、杜洋之輔、前田亜土、
沢井貞夫などにすまない気もするが、社長の私が言うのだから間違いなかろう。だけど、ワイワイ騒ぐというのは楽しいものだ。お祭り騒ぎ……有頂天……。
そういえば『日本の祭り』というチャンとした仕事もしたっけ。
年末のレコード大賞は残念ながら『いいじやないの幸せならば』に決まった。
ttps://imgur.com/vpbAlrK.jpg

じっさいにこのころ、なかにし礼の著作を前田亜土がいくつか装丁をしています
この本にあるように前田亜土もなかにし礼の家に寝泊まりしたかもしれません

こうして森田童子こと中西美乃生さんと、前田亜土さんこと正春さんが出会ったのでしょう
美乃生さんはまだ未成年だった頃ですね

812tattyanneko2018/09/27(木) 20:23:12.86

それからもう一つ、この文章で考えたことがあります

なかにし礼の弟子、千家和也と初進之介がなかにし礼宅に寝泊まりしていたという部分です
つまり家で作詞の仕方を教えていたわけで、そのときに森田童子も教わったんじゃんないかと想像しました
森田童子の歌は書きっぱなしポエムじゃなくて、ちゃんとした流行歌の歌詞になってます

詞のアクセントとメロディーを合わせる、聴かせどころに新奇なフレーズを使うといった作詞の基本などもこのときに学んだんじゃないでしょうか
だからあれだけすごい曲ができたのでは

私としては世の中に流布している「森田童子の作品はなかにし礼の代作説」より「森田童子はなかにし礼に教えを受けた仮説」のほうがそれらしく思えます

▲△▽▼
▲△▽▼
▲△▽▼

この話の続きは

FC2BBS
https://a777777.bbs.fc2.com/

に書きます。
メンテ

Page: 1 | 2 | 全部表示 スレッド一覧 新規スレッド作成

題名 スレッドをトップへソート
名前  「名前#任意の文字列」でトリップ生成
E-Mail 入力すると メールを送信する からメールを受け取れます(アドレス非表示)
URL
パスワード ご自分の投稿文の編集、削除の際必要です。面倒でしょうが入力をお勧めします。
投稿キー (投稿時 投稿キー を入力してください)
コメント

   クッキー保存