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[2820] 哲学のはなし(考えるとは)
日時: 2017/12/05 11:45
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:sdl19w96

人間の思考の仕方について、歴代の哲学者のやって来た道を辿るのも意味のある事と考えます。
そこで、少し退屈に思われる方もいるでしょうが、思考自身のあり方の為に書いてみます。
ギリシャ哲学から実存哲学のサルトルまで、少し長くなります。


哲学の系譜

主に西欧哲学について語ります。
エイジプト、メソポタミア文明は古くからありましたがまとまった文書は残されていません。
ギリシャ時代に入り、初めて思想、科学の文章が残されています。
そのギリシャ哲学ですが、著名なのはソクラテス、プラトンです。
ソクラテスについては、彼自身の著作ではなく「ソクラテスの弁明」などと言う語りつがれで残っています。

(ソクラテス)

ソクラテスの思想は、内容的にはミレトス学派(イオニア学派)の自然哲学者たちに見られるような、唯物論的な革新なものではなく、「神のみぞ知る」という彼の決まり文句からもわかるように、むしろ神々への崇敬と人間の知性の限界(不可知論)を前提とする、極めて伝統的・保守的な部類のものだと言える[要出典]。「はかない人間ごときが世界の根源・究極性を知ることなどなく、神々のみがそれを知る、人間はその身の丈に合わせて節度を持って生きるべき」という当時の伝統的な考え方の延長線上に彼の思想はある[要出典]。
それにも拘らず、彼が特筆される理由は、むしろその保守性を過激に推し進めた結果としての[要出典]、「無知の知」を背景とした、「知っていることと知らないこと」「知り得ることと知り得ないこと」の境界を巡る、当時としては異常なまでの探究心・執着心 、節制した態度 にある[要出典]。「人間には限界があるが、限界があるなりに知の境界を徹底的に見極め、人間として分をわきまえつつ最大限善く生きようと努める」、そういった彼の姿勢が、その数多くの内容的な欠陥・不備・素朴さ[要出典]にもかかわらず、半端な独断論に陥っている人々よりは思慮深く[要出典]、卓越した人物であると看做される要因となり、哲学者の祖の一人としての地位に彼を押し上げることとなった。

要するに道徳律の様なものが彼の主題であった。
次に登場するのがプラトンです。

(プラトン)

プラトンのイデア論
一般に、プラトンの哲学はイデア論を中心に展開されると言われる。
最初期の対話篇を執筆していた30代のプラトンは、「無知の知」「アポリア(行き詰まり)」を経ながら、問答を駆使し、正義・徳・善の「単一の相」を目指して悪戦苦闘を続けるソクラテスの姿を描き、「徳は知識である」といった主知主義的な姿勢を提示するに留まっていたが、40歳頃の第一回シケリア旅行において、ピュタゴラス派と交流を持ったことにより、初期末の『メノン』の頃から、「思いなし」(思惑、臆見、doxa ドクサ)と「知識」(episteme エピステーメー)の区別、数学・幾何学や「魂」との結びつきを明確に打ち出していくようになり、その延長線上で、感覚を超えた真実在としての「イデア」の概念が、中期対話篇から提示されていくようになった。
生成変化する物質界の背後には、永遠不変のイデアという理想的な範型があり、イデアこそが真の実在であり、この世界は不完全な仮象の世界にすぎない。不完全な人間の感覚ではイデアを捉えることができず、イデアの認識は、かつてそれを神々と共に観想していた記憶を留めている不滅の魂が、数学・幾何学や問答を通して、その記憶を「想起」(anamnêsis、アナムネーシス)することによって近接することができるものであり、そんな魂が真実在としてのイデアの似姿(エイコン)に、かつての記憶を刺激されることによって、イデアに対する志向、愛・恋(erôs、エロース)が喚起されるのだとした。

いわゆる形而上学的な発想であり、人間としての普遍の真理を念頭に置きました。
プラトンが説く道徳律が現在でも有効とされるのは、これ故の事です。
そのごプラトンの思いは、個人的な思想から国家の有り様を意識し、国家論を書くことになります。
国家論では国民一人一人の道徳律を説き、君主は君主たるべき資格を問います。
これが成れば、それだけで理想国家になるのですが、現実は、そうは行きません。
我欲の塊である人間性を軽く見ていたのです。

その後には、キリスト教の教義が広まる事によって、プラトンのイデア論の陰が薄くなり、中世哲学へ移って行きますが、人間学としてのギリシャ哲学は中世以降復活することになります。
それでも、プラトンの後にはアリストテレスもでて、ストア、エピキュロス哲学も興りました。

プラトンの文章(国家論 洞窟の比喩)

>洞窟の中に閉じ込められた囚人は、洞窟に映る影絵のようなものだけしかみたことがなく、それが実体だと思っています。
しかし、いったんその囚人を外に連れ出し、光の溢れる実際の世界を見せたらどうなるでしょう。
最初はおそらく光がまぶしすぎて苦痛を感じるでしょう。
しかし慣れてしまうと、もう暗い洞窟の中には戻りたくなくなり、洞窟の中にいるものを哀れに思うようになるでしょう。


(アリストテレス)

アリストテレスの師プラトンは、対話によって真実を追究していく問答法を哲学の唯一の方法論としたが、アリストテレスは経験的事象を元に演繹的に真実を導き出す分析論を重視した。このような手法は論理学として三段論法などの形で体系化された。

アリストテレスによると、人間の営為にはすべて目的があり、それらの目的の最上位には、それ自身が目的である「最高善」があるとした。人間にとって最高善とは、幸福、それも卓越性(アレテー)における活動のもたらす満足のことである。幸福とは、たんに快楽を得ることだけではなく、政治を実践し、または、人間の霊魂が、固有の形相である理性を発展させることが人間の幸福であると説いた(幸福主義)。
また、理性的に生きるためには、中庸を守ることが重要であるとも説いた。中庸に当たるのは、恐怖と平然に関しては勇敢、快楽と苦痛に関しては節制、財貨に関しては寛厚と豪華(豪気)、名誉に関しては矜持、怒りに関しては温和、交際に関しては親愛と真実と機知である。ただし、羞恥は情念であっても徳ではなく、羞恥は仮言的にだけよきものであり、徳においては醜い行為そのものが許されないとした。


これはプラトンが説いた道徳律を、より論理的、理性的に位置づけることになります。
その代わりに、作り上げた至高善が人為的なものとなり、後にヘーゲルが陥ったと同じように、思念の結果が人々を束縛する事になった。
(参考までにヘーゲルの国家論を紹介します)
 「世界史は自由の意識の進歩である」と考えるヘーゲルは、有名な弁証法によって、歴史の進展を記述しました。つまりヘーゲルにとって歴史とは、テーゼ、アンチテーゼ、そしてジンテーゼの三段階を経て発展していくのです。

 ヘーゲルはこの弁証法を道徳にも適用させました。彼によれば道徳とは、個人の精神が達成すべきものなのではなく、むしろ国家によって達成されるべきであると言います。道徳が主観的であるのに対して、国家が設定する法は客観的です。ヘーゲルはこの両者の統合体を「人倫」と名付けました。この人倫もまた、テーゼ、アンチテーゼ、そしてジンテーゼの三段階で発展していきます。人倫におけるテーゼに該当するのは、「家族」で、アンチテーゼに該当するのが「市民社会」であり、そしてジンテーゼに該当するのが「国家」です。

 ここでいう家族とは、共同体の最小単位です。家族の各構成員は「愛情」によって結び付いています。しかし家族では、個人の独立性が阻害されてしまいます。それ故に自由も見当たりません。

 そこで家族のアンチテーゼとして市民社会が登場します。市民社会は、個々人が自由意志で結び付いている状態です。愛情は、端的に否定されます。代替的に、自由が得られます。

 しかしながら愛情を否定することには喪失感が伴います。それ故人間の幸福とは何なのかという疑念が生まれてしまいます。そこでこのテーゼとなる家族とアンチテーゼとなる市民社会を止揚したジンテーゼとして国家が導入されるのです。

 ヘーゲルにとって、国家は家族と市民社会の対立が止揚されることによって完成するものでした。彼は国家を市民社会や家族よりも高次元の絶対的な存在として解釈していたのです。こうして国家が完成すれば、人倫も達成されているので、もはや道徳を追求する必要もなくなります。

 ヘーゲルにとって、国家と市民社会の差異は自明でした。彼は市民社会を「欲望の体系」と呼んでいました。それは、自己自身の目的を達成するために他人を利用する社会を意味します。こうした個々人の欲望が衝突している市民社会に対して、国家は個々人の利益と全体の利益が一致すると言います。

 このように、ヘーゲルの家族・市民社会・国家論は、言わばあるべき理想の国家像を提起している点で特徴的です。

(引用終わり)

ヘーゲルは思考の結果としての理想国家から人間のあるべき姿を規定したのです。それがナチズムにつながります。
マルクスは、ヘーゲルとは違う手法で国家を考え(経済)、ヘーゲルの批判をしていましたが、結果的に同じ過ちを犯しました。

アリストテレスの解説以降、結論を急ぎすぎ不要な事を言ってしまいましたが、この件はそれぞれの書きこみの中で検証して行くことになるますので、読み飛ばしてください。


(登場する人物を挙げておきます)
                    (関連する思想家)
ソクラテス  ギリシャ哲学
プラトン   ギリシャ哲学(国家論)
アリストテレス ギリシャ哲学(倫理学)
ストア哲学   ストイックの概念     ゼノン
エピキュロス哲学 快楽主義
アウグスティヌス  キリスト教哲学
スコラ哲学  中世キリスト教哲学     トマス・アクナス
ダンテ   ルネッサンスの幕開け     コペルニクス
ルター   宗教改革
カルビン  宗教改革
マキャベリ 唯物論
ホッブス  唯物論
パスカル  ルネッサンス期の哲学     
デカルト  観念論
スピノザ  一元論
ヒューム  イギリス経験論       アダム・スミス、ジョン・デューイ(プラグマティズム)
ライプニッツ  単子論
ルソー    社会契約論
カント    観念論
ヘーゲル   唯物弁証法        フォイエルバッハ
ショーペンハウアー  愛の哲学
バートランド・ラッセル  心の哲学(自我論)
キルケゴール 実存主義
フッサール  現象論
フロイト   心理学
ユング    心理学         ヴント(ゲシュタルト心理学)
ニーチェ   孤高の精神
ベルグソン  生の哲学
マックスウエーバー  社会学
ハイエク   新自由主義(経済)
サルトル   実存主義       ハイデッガー
メルロポンティ  実証主義
マルクス   共産主義?      エンゲルス


(注記)

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マルクス その1 ( No.25 )
日時: 2017/12/04 21:16
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:gRJtcogo

(マルクス)

カール・ハインリヒ・マルクス(ドイツ語: Karl Heinrich Marx, 1818年5月5日 - 1883年3月14日)は、ドイツ・プロイセン王国出身の哲学者、思想家、経済学者、革命家。1845年にプロイセン国籍を離脱しており、以降は無国籍者であった。1849年(31歳)の渡英以降はイギリスを拠点として活動した。

フリードリヒ・エンゲルスの協力を得つつ、包括的な世界観および革命思想として科学的社会主義(マルクス主義)を打ちたて、資本主義の高度な発展により共産主義社会が到来する必然性を説いた。ライフワークとしていた資本主義社会の研究は『資本論』に結実し、その理論に依拠した経済学体系はマルクス経済学と呼ばれ、20世紀以降の国際政治や思想に多大な影響を与えた。

マルクスと言えば「資本論」一思想家の影響力としては最大のものです。
しかしながら私はマルクスの功績について次のものより認めません。

1 資本主義体制の瑕疵を指摘した。
 当時の資本主義のシステムは、アダム・スミスの登場で確立されてから50年も経っていません。その段階で、およそ200年後の現状を喝破するなど、どんでもない洞察力でした。

2 共産主義の出現で、世界中に社会福祉の考えが生まれた。
 かつでは日本は世界一の社会主義国と言われていた。
 社会の弱者に対するケアの大切さが認められた。

3 労働者階級の団結(労働組合)の必要性を説いた。
 実際にマルクス生前中にインターナショナル運動を起こし世界中の労働者に呼びかけていた。

しかしながら、マルクスの「資本論」は全くの出来損ないで、これをマルクス哲学の主題とは考えたくもない(実際には資本論が中心ではあるが)
何故かと言えば、経済の理論書としてみても、資本論の内容は人間の経済活動を網羅しているものではなく、剰余価値の取り扱いに終始している。

剰余価値などは、いわゆる利潤の事であり、人間の経済活動、数千年の歴史においても利潤の追求は常に行われてきた。
資本論の世界でも、それを認めながら(利潤の必要性)、ただ、その配分の公平さのみを謳っている。
公平とは何か、平等とは何かの定義づけもされていない。

人間の社会、人間の活動において、公平とは平等が定義付けられるのは、リンゴを平等に分けるとか、公平とは機会均等の条件を守ると言う場合に成立する概念である。

しかるに人間の経済活動全般において、公平、平等はどのように実現できると言うのか。
それをあたかも出来るかの様に錯覚させている。
また古代社会から連綿と続いている倫理、道徳の課題が、たかが資本論一冊で解決できると言うのか。
マスクス主義を行う共産主義国家では、宗教も哲学も禁止でした。
人間に考えさせれば、必ずマスクス主義を疑う結果が出てくるからです。

マルクスは哲学的にはスピノザの影響を受けていると言う。
スピノザは一元論を持って知られている。
スピノザの一元論もマルクスによって歪曲されたと言うことです。

ある命題の下、すべての人間性を包括できるとする傾向がある。
ところが実際には、ギリシャ以来、どの哲学も人間社会を包括的に捉えられたものはない。
ところがマルクスは資本論の主張である剰余価値の取り扱いによって人間社会が変えられるとした。
これは大きな間違いであり、唯我独尊にすぎない。

そのマルクスの「資本論」を聖書の様に取扱い国民に押し付けたのが旧共産主義国家なのである。
これまでに見てきた様に、哲学と言うものは、人間の考えというものは「資本論」一冊では、とても捉えられるものではない。
このために、共産主義国家樹立直後から、国民の中に不満、不平が渦巻いた。

ロシア革命後に成立した、ソビエトは、マルクスが死んで30年後に成立している。
マルクス本人と、革命の指導者、レーニン、スターリンとは面識は全くない。

ただ若いころのレーニンがマルクスに傾注し、ロシア革命後の国つくりにマルクスの資本論を取り入れただけのことであり、その時に資本主義体制にする事も出来た。
マルクスの理論には、前述したような欠陥があったが、革命の成果を急ぐレーニン、スターリンは、強引にマルクス主義を貫いて言った。
その結果は、2000万人とも、4000万人とも言われる粛清となって現れた。

ここでマルクスの伝記と資本論の極一部を紹介します。

マルクスは若いころからイギリスへ渡り学究生活をしていた。40歳のころから経済学批判を書き始め1865年、47歳のころには「資本論」を書いた。
第一インターナショナル運動と言うのは、初めての労働者の国際組織であり、資本論を書き終えたマルクスによって創立宣言が書かれた。
インターナショナル運動(プロレタリア国際主義に基づく社会主義運動)は、その後、紆余曲折し第四インターナショナル(1938年)まで続いたが、1919年に始まった第三インターナショナル運動からは、コミンテルン共言い、レーニンの影響が強くなった。
レーニンが大学生のころ1902年にマルクスの資本論に出会い影響を受けていた。

一方、ロシアの社会は、1700年代から続いていたロマノフ王朝も、ヨーロッパの近代化と共に改革をせざるを得なくなっていた。
折も折、1904〜5年の日露戦争の敗北はロマノフ王朝の衰退を露わにし、議会を組織し立憲君主を始めねばならない状況になっていた。
その後もロシア社会に変革を求める動きは拡大し、ついには1917年のロシア革命が起きることになった。
レーニンは、その主導力となったポルシェビキの指導者であり、来るべき国の体制をマルクス主義求めた。
当時のインターナショナル運動が、レーニンの指導の下、新制ロシアの指導原理となって行った。

マルクスが始めたインターナショナル運動は、マルクスが思ったような経緯では進まず、時にはアナーキズムの方向に走る事もあり、最終的にはレーニン、スターリンによって旧ソ連的共産主義を形成する事になる。
マルクスの書いた「資本論」は、資本主義のシステムの全面的な批判によって構成されていて、経済学の理論としては確かに革命的なものであったが、論文の内容を詳しく検証すれば、大いなる欠陥論文であった。
医薬品で言えば、その効用などは動物実験でも検証されていないものであった。
その後の共産主義社会の70年が臨床実験であったとも思われる。
その実験の犠牲者は世界中で1億人に近い悲劇を起こした。

共産主義の理念とマスクス主義を重ね合わせて考える事は間違っている。


マルクス経済学では、価値と価格を区別します。価格は需給関係によって変わります。

今は原油が高騰していますが、やがて下落するでしょう。価格は、上下の幅はありますが、時間をとればだいたいの平均的水準に落ち着きます。その水準が価値です。つまり、マルクス経済学では、価格と価値は常には一致しないと考えます。

ところで、では価値はどうして決まるのでしょうか。
マルクスは、社会的必要労働の投下に、その根拠を求めました。つまり、社会において、その商品が必要ならば、誰かが労働力を投下する(生産する)はずです。価格があがれば、生産者は増えますし、下がれば減りますよね。そこで、それが価値の根源とみなしたわけです(労働価値説)。
しかし、ここで問題が生じます。

必要なものを必要なだけ生産していたら、剰余価値は生まれません。剰余価値がなければ、経済的な不平等もあり得ないわけです。

そこでマルクスは考えました。世の中には、剰余価値を搾取する資本家と、搾取される労働者という二大階級が存在する!!

つまり、資本家は、労働者を低賃金で働かせて、そのぶんの剰余価値を搾取している。本来、社会的必要という観点から支払うべき賃金を支払わず、その分を自らの懐に入れているのだというわけです。

なぜ、そんなことができるのか。それは、資本家には貨幣・土地・工場などの生産手段があって、労働者を雇えば生産できるのに対して、労働者には自らの労働力を売ることでしか生きていけないからです。
この問題を解決するためには、生産手段の私有を排して、社会主義あるいは共産主義の社会にしなければだめだというのが、マルクスの主張でした。

メンテ
マルクス その2 ( No.26 )
日時: 2017/12/04 20:35
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:gRJtcogo

資本論とは、どのようなものか興味がある方に、その極一部を紹介します。
資本論は大変大きな著作でありますが、資本主義の欠点を説く部分以外は、下記の様な経済論に終始しています。


(資本論原文)

第九章 剰余価値率
第一節
労働力の搾取

(1) 前貸し資本 C によって、生産過程において産み出された剰余価値が、別の言葉で云えば、資本 C の価値の自己拡大が、まずは最初に余剰として、生産物の価値の量がそれらの構成要素の価値を凌ぐものとして、我々の検討対象として現われる。

(2) 資本C は、二つの部分から成っており、一つは、生産手段に投下された貨幣総計 c 、もう一つは、労働力に支出された貨幣総計 v である。cは、不変資本となっている部分を表す、また、vは、可変資本となっている部分を表す。であるから、まずは、C = c + v と表す。仮に、前貸し資本が、500英ポンドであるとしよう。そして、その内訳が、500英ポンド= 不変分410英ポンド+ 可変分 90英ポンド(£500 = £410 const. + £90 var.)であるとしよう。そして、生産過程が終了した時、我々は、商品を手にしているであろう。その商品の価値 =(c+v)+sであり、ここの s は、剰余価値である。または、前に我々が記した数字で書けば、この商品の価値は、( 不変分410ポンド+可変分90ポンド ) + 余剰分90ポンド となるであろう。最初の資本が、今は、C からC' へと、500英ポンドから、590英ポンドへと変化したのである。その違いは、s 、または、剰余価値 90ポンドである。生産物の構成要素の価値は、前貸し資本の価値に等しいのであるから、生産物の構成要素の価値を越えた生産物の価値の超過分は、前貸し資本の拡大分、または、生産された剰余価値である 云々は、単なる同語反復にすぎない。

(3) とはいえ、この同語反復について、もう少し、詳しく調べてみよう。対比させられている二つのものは、生産物の価値と、生産過程で消費された その構成要素の価値である。これまで、我々は、労働手段をなす不変資本部分が、どのようにして、その価値の僅かな分数部分を生産に移管するか見て来た。他方の残余の価値は、それらの道具に存在し続ける。この残余部分は、価値の形成にはなんら寄与しない。我々は、現時点では、この部分については、考慮外にしておいてもいいであろう。この部分を計算に入れたとしても、何の違いも生じない。例えば、前の式、c = 410英ポンドを取り上げてみよう。この総計が、原料の価値312英ポンドと、補助材料の価値44英ポンドと、そして過程における機械の摩損分の価値54英ポンドからなっていると考えてみよう。また、使用する機械の全価値が1,054英ポンドであると考えてみよう。そして、この機械の全価値から、計54英ポンドの分のみが生産物を作り出すために前貸しされ、それが、過程において、機械が失った摩損分であると分かる。この部分が、生産物と一体になった部分の全てである。ところで、もし、我々が、同様、機械全価値の残余分に、気づくなら、それらは依然として、機械のうちに存在しつづけており、生産物に移管されるものとして、前貸しされた資本の一部であることも分かるはずである。そして、そのように、我々の計算の両側にそのことを表すならば、我々は、一方に、1,500英ポンドを、そして他方に、1,590英ポンドを置かなければならぬ。これらの二つの計の差、または剰余価値は、依然として、90英ポンドということになる。従って、この本全編を通して、内容に矛盾がない限り、我々は常に、生産手段の価値は、その過程で実際に消費された価値を意味し、その価値のみを意味するものとする。

(4) その様な意味を表すものとして、我々は、元の公式 C = c + v に戻ってみよう。我々が見て来たように、この公式は、つぎのように変形される。C' = (c + v) + s 、つまり、C が C' になる。我々は、不変資本の価値は生産物に移管されて、単に生産物に再現することを知っている。新たな、実際に過程において創造された価値、生産された価値、価値生産物は、従って、生産物の価値と同じものではない。それは、最初に表れた、(c + v) + s、または、不変資本410英ポンド+ 可変資本90英ポンド+ 剰余価値90英ポンドのようなものではなく、v + s または、可変資本90ポンド+ 剰余価値90ポンドなのである。590英ポンドではなく、180英ポンドなのである。もし仮に、c = 0 または他の言葉で云えば、もし仮に、ある工業の一部門で、資本家が、生産手段、それが原料であれ、補助材料であれ、または労働手段であれ、以前の労働によって作られたものを用いることなく、ただ、労働力と、自然から供給される材料のみを用いて生産することができるならば、この場合、生産物に移管する不変資本はないであろう。この場合の生産物の価値要素は、すなわち、我々の例であった410英ポンドは削除され、計180英ポンドが、新たな価値として創造され、または、生産された価値である。この中には、剰余価値の90英ポンドが含まれており、また、不変資本 c をいかに巨大なるものにしようと、同じ価値に留まる。つまり、我々にとっては、C = (0 + v) = v または、C'、拡大された資本= v + s であるのだから、従って、前述のとおりC'−C = sでなければならない。一方、もし、if s = 0 または別の言葉で云えば、もし、可変資本の形式で前貸しされた労働力が、その等価しか生産しないとしたら、我々にとっては、C = c + v または、C'、生産物の価値−(c + v) = 0 、または、C = C' でなければならない。前貸し資本は、この場合、その価値を拡大しなかったのである。

(5) 考察してきたことを踏まえれば、我々は、剰余価値が、純粋に、労働力に変換された資本の一部である可変資本v の価値変化の結果であることを知っている。その結果、v + s = v + v 、または、v + vの増加分 となる。であるから、いろいろと云ったとしても、ただ、「v のみが変化する。」というのが事実なのである。だが、変化の実態は、資本の可変部分の増加の結果として、同時に前貸しされた資本総計の増加ともなることから、その実態の明確さが失われる。最初は500英ポンドであったものが、590英ポンドになった。それゆえに、我々の考察を正確な結果に導くために、我々は、生産物の中の、不変資本のみが表れる部分を度外視して見なければならない。つまり、不変資本を0と、または、c = 0 としなければならない。このことは、単に、数学的公式の応用であって、我々が、不変分と可変分の大きさを、加算と減算の記号のみによって、相互に関連させられている関係として見て行く場合は、いつでもこのような方法が使われる。
メンテ
終わりに ( No.27 )
日時: 2017/12/05 10:02
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:sdl19w96

御長読有難うございました。

これが人間の考える事の歴史の系譜です。

ですが、このような考え方でなければ考えたことにはならないと途方に暮れられる必要はありません。

文章で書き現せばこのように大変ですが、そこは人間の脳コンピューター。

皆様の頭の中は、これら全ての情報が、人生経験の中で、それなりにインプットされているのです。

そうして、普通の人でも現代のスーパーコンピューターよりも何倍も速く計算できる能力を持っています。

知らず知らずの内に、哲学の系譜を網羅した判断がされているのです。

自分が悲観的になれば、実存主義に陥っているかなと、
楽しく過ごせていれば、エキピュロスで正解かなと、
人生について瞑想にふけるときは、ニーチェやパスカルとおなじ境遇、
カウンセラーを受けるときはフロイトを思い出しましょう、

自信を持たれて、少しだけ注意して考えていただければ、このような哲学体系など読まれなくても良いのです。

ここでは皆様の頭の中のコンピューターの内容を説明させていただいただけです。

総体的にみていただけば、何かと合点がいかれることがあるでしょう。

それでも何か読もうと思われるならば、私はプラトンの「国家論」一冊を進めます。


最後に、ここでは西欧哲学について述べましたが、東洋哲学と言うのもあります。
西欧哲学に於いては常に至高の存在、神が見え隠れしていました。
そうして人間は、その神に近づこうとしたり、超越しようとしていましたが、東洋哲学には、神様が多すぎて神に並ぼうとするなどの発想はありません。

ですから東洋思想の神は、人々が気に掛ければ何時でも健在な姿を見せます。
余りにも人間的過ぎる西欧哲学に東洋哲学が取って代わるのも良いのではないでしょうか。
将来の世界の人類の為に。




(お終い)
メンテ
東洋哲学 ( No.28 )
日時: 2020/06/11 10:14
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:3SQDi4bg

久しぶりに、このスレッドをUPしたとき、東洋哲学について触れていないことに気が付き、簡単でありますが追記します。

東洋哲学!

哲学と言えば西欧哲学を思い浮かべ、東洋哲学とは何であろうと思います。

東洋哲学とは、ヨーロッパから見た東洋すなわちアジアで生まれた哲学を一緒くたに纏めた用語。中国哲学、インド哲学、イスラム哲学など、日本哲学も含まれる。
初めに、その概要を説明しましょう。


(中国哲学)

中国の思想の源流はシャーマニズムである。春秋戦国時代に、覇を争った諸侯のための政治哲学として、儒家や道家に代表される諸子百家が、それぞれ自説の優位性を諸侯に説いた。漢代以降、武帝の時代に国教的地位を獲得し、儒家思想から洗練されていった儒教と、道家の老荘思想を取り入れてはいるが、実際は秦の方士徐福のような不老長生を説く神仙思想から発展した道教が発達した。
また、後漢代に仏教が伝来し、六朝隋唐代に盛行した。この時期より、中国哲学は、三教を中心とした宗教哲学として展開する。体系的な仏教哲学の影響をうけ、宋代に、儒教は朱熹らによって体系的な哲学として再構成された。また道教もそれまでの民間宗教から官僚的ヒエラルキーと五行論に基づく理論性を発展させた。仏教自体も、道教的な非論理的傾向を吸収してインド仏教とは異質な中国仏教としての禅宗や浄土教を生み出した。またそれは、最初は対立していた儒仏道の三教が、次第に融合していく過程でもある。
明代には朱熹らの性即理に対して、心即理を説く王陽明の陽明学が隆盛した。が、王陽明の主張を見ると、そこには禅宗の影響が非常に色濃いことは明白である。これら中国哲学の特徴は、世俗性・実践性が強いことである。

(インド哲学)

厳しい自然風土と錯綜した複雑な社会構造のもとで、古代インドでは生活の基本となる思想や学問が求められた。そこで生まれたのがヴェーダ(Veda)、ウパニシャッド(Upanisad)の哲学である。『リグ・ヴェーダ』(Rg-Veda)は上天(deva)への讃歌集であり、そこでは、自然現象や抽象概念などが神格化されている。それらの諸神は、三界に配されており、祭祀の際には諸神の中の一神を勧請してきて現世的な利益をもとめることが行なわれていた。ヴェーダ経典にはブラーフマナ(Brahmana)という注釈書が作られ、さらに、ヴェーダ経典を集大成したウパニシャッドやアーラヌヤカによってより深化することとなった。そこでは、宇宙の根元をブラフマン(brahman)と呼び、それに対して人間に内在する原理をアートマン(atman)と名づけ、その二者が一体化した状態を求めることとなった。同時に、人間の行為の善悪の果報の原因を、前生の業(karman)に求める輪廻の思想も発達した

(日本哲学)

日本哲学は伝統的には中華系に属する。日本では大陸渡来の仏教・儒教と、日本古来の神道などの宗教思想が混在してきた。これは中華世界の周辺(朝鮮、ベトナム)の哲学に共通した特徴である。
奈良時代には律令制下で陰陽道が発達を遂げた。その後、平安時代の天台宗・真言宗、鎌倉時代の浄土宗・日蓮宗・臨済宗・曹洞宗など、仏教の各宗派で独自に教義を追究した。
室町時代には、仏教思想を日本独自に発展させた茶の湯や能楽など、個別の芸能を究める動きが起こった。
江戸時代になると、国学や儒学など、体系的な哲学思想が発達した。
明治時代に、西周によって「哲学」という語が作られ、西洋哲学を輸入したり、近代以前の日本哲学と融合させて独自の思想を構築する哲学者が誕生していった。

(イスラム哲学)

イスラムにおける「哲学」の始まりを、広く定義すればイスラム教が成立した時点と捉えることも可能であろう。 イスラムの教えもそもそも「哲学的」であるし、クルアーンの解釈をめぐる論争・カリフの後継者争い(シーア派とスンナ派)の対立などは代表的)など、広い意味での「哲学的」な論争はイスラム教成立当初から、続いていたことであるが、通常はギリシア哲学がイスラム世界に移入されたのをもって、独立したひとつの学問としての「イスラーム哲学」を始原とみるのが通常である

西洋哲学と比して宗教(イスラム教)と密接に関わっているのが特徴で神秘主義的な要素が強い。起源は、イスラム世界のヨーロッパ方面の拡大と共にイスラム世界にも移入されたプラトンやアリストテレスの古代ギリシア哲学であった。唯一神アッラーフを信奉するイスラムの教えにすれば、これは異文化の考え方であり、イスラム神学(カラーム)としばしば対立したりもした。
イスラーム哲学がもっとも栄えたのは、地理的にも拡大期であった9世紀から10世紀(アッバース朝期)にかけてである。当時それとは対照的にヨーロッパ世界ではキリスト教的世界観が支配的で、古代ギリシアの哲学などは、すでに表舞台からは遠のき哲学の歴史からすれば一時的な衰退期でもあった。ヨーロッパ世界において哲学が再び開花するのは、イスラム哲学者たちによって継承されていたアリストテレスやプラトンの哲学が再びヨーロッパへもたらされたことによるものである。
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中国哲学 ( No.29 )
日時: 2020/06/11 11:01
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:3SQDi4bg

中国哲学(ちゅうごくてつがく)は、古典中国語(漢文)による哲学。または、諸子百家・儒教・道教・中国仏教・中国文化といった前近代中国の伝統思想の総称。
「中国哲学」という概念は、19世紀末から20世紀の明治期日本や中華民国が、西洋哲学を摂取するなかで作った便宜的な概念であり、それゆえ明確な境界・定義は決まっていない。
上記の様に、中国哲学と言っても西欧哲学のような形態はなく、中国独自のものとしては孔子に始まる儒教思想があった。

ですが儒教は民衆に倫理道徳を解き、社会的には忠孝の精神を説いた。
結果は為政者の為の為政の論理として広まった。

中国仏教は唐の時代に最も栄え、日本にも影響を与えた。

唐の建国当初、仏教は未だ国家の統制下にあり、造寺や度僧は制限を受けていた。更に、高祖代には、排仏主義者で元道士の太史令・傅奕による排仏案が何度も献策されていた。

紀元7世紀の最も重要な高僧は、玄奘三蔵(600年 - 664年)である。唐の国禁を破って天竺(インド)へ仏典請来の大旅行を決行した(630年 - 644年)。彼の請来した仏典は、太宗の庇護を受けて、組織的に漢訳が進められ、後世の東アジアの仏教の基盤となった。彼の弟子の慈恩大師基(632年 - 682年)は法相宗を開宗した。
この時代の各宗派の状況を順に上げれば、善導(613年 - 681年)が浄土教を大成した。禅宗は、第五祖弘忍(602年 - 674年)以後、南北二宗に分裂した。分裂当初は、長安を中心とした唐の中心部、都市部に教線を張った神秀(? - 706年、第六祖)の北宗が優勢であったが、慧能(638年 - 713年)が禅宗の諸派中、後に主流となる南宗において第六祖と呼ばれた。法蔵(643年 - 712年)が華厳宗を確立した。善無畏(637年 - 735年)金剛智(669年 - 741年)が密教を伝えた。

もう一つ、この時代の仏教で忘れてはならないのは、末法思想に基づく三階教の存在である。各宗派の僧が一緒に住むのが通例であった当時の寺院制度の中で、三階教のみが他宗派とは別組織としての、独自の三階寺院を持つに至った。しかし、三階教は無尽蔵と呼ばれる金融組織を持っていたことなどから、弾圧の対象となり、姿を消すこととなった。

また、唐朝を一時中断させて武周朝を建てた武則天も、妖僧薛懐義を重用し、一種の恐怖政治を行うなど問題が多いが、熱心な仏教信者であった。その武周革命には、偽作とはいえ仏教経典である『大雲経』を利用しており、日本の国分寺に通じる大雲経寺を各地に建立した。また、同姓の老子(李耳)を祖と仰ぐ唐の慣例で宮中での席次は「道先仏後」と定められていたのを「仏先道後」に改めた。さらに、自身の姿に似せたという大仏を龍門の奉先寺に造営し、その威容は今日まで伝えられている。
紀元8世紀には、不空(706年 - 774年)が密教を大成した。不空の弟子の恵果の密教は、真言密教として日本の空海に伝えられることになる。一方禅宗の方は北宗禅の神秀の下を出た荷沢神会(684年‐758年)が慧能に参じ、自らを七祖とし、慧能を禅宗六祖とする南宗禅の立場を確立した。
紀元9世紀は、黄檗希運(? - 850年頃?)、臨済義玄(? - 867年)、趙州従諗(778年 - 897年)らの禅宗(南宗)が盛んであった。
また、この時代、仏教信者の多い宦官勢力に影響されて、仏教を崇敬する皇帝が多く現れた。第11代の憲宗も、そういった皇帝の一人であった。彼は、30年に一度しかいわゆる御開帳されない法門寺の仏舎利を長安に迎えて盛大な法会を執行した。韓愈は、「論仏骨表」を上奏し、その偽妄であることを直諌したが、受け入れられる筈もなく、当時は未開発であり、風土病などによって中央の人々から恐れられていた広東省に左遷されることとなった。

中国に関しては、宗教的にみて独自の宗教心のない民族で、仏教においても、東南アジア、日本の様に民衆に深く浸透して行くことはなかった。
それよりも、早くから黄河文明を形成し中華思想が発達していた。

中国が世界の文化,政治の中心であり,他に優越しているという意識,思想。
中国では伝統的に漢民族の居住する黄河中下流を中原と称し,異民族を夷狄 (いてき) ,あるいは蛮夷と呼んできた。異民族は,中華がその徳化によって包摂しようというのである。
儒教的な王道政治の理想を実現した漢民族を誇り、中国が世界の中心であり、その文化・思想が最も価値のあるものであると自負する考え。

要するに中国では個人の生きざまを問題とするよりも民族の優位性を誇り権威を目指すことが常習化していた。
成功者は、ある意味、鷹揚で大人と言う呼称を好むが、一方で民衆の秩序意識は育たず現在にも至っている。

メンテ
インド哲学 1 ( No.30 )
日時: 2020/06/11 11:13
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:3SQDi4bg

インド哲学は、哲学の中でもインドを中心に発達した哲学で、特に古代インドを起源にするものをいう。インドでは宗教と哲学の境目がほとんどなく、インド哲学の元になる書物は宗教聖典でもある。インドの宗教にも哲学的でない範囲も広くあるので、インドの宗教が全てインド哲学であるわけではない。しかし、伝統的に宗教的な人々は哲学的な議論をしてその宗教性を磨いている伝統がある。

インドでは仏教も小乗仏教が栄えているように、ヒンズー教の経典ウパニシャッドを祖とする哲学も、瞑想的であるが、飽くまでも個の存在を問題としている。

後に紹介するが、現代社会でも人気のあるヨガも、その一つで、心身の鍛錬によって個が存在を意識することに重点を置いている。
だから、カースト制度など現実社会の矛盾には少しも関心を持たない。

さて、そのインドの哲学とは

六派哲学
• ミーマーンサー学派 
• ヴェーダーンタ学派
• サーンキヤ学派
• ヨーガ学派
• ヴァイシェーシカ学派
• ニヤーヤ学派

>ヴェーダーンタ学派(ヴェーダーンタがくは、デーヴァナーガリー: वेदान्त, Vedānta、英: Vedanta)はダルシャナ(インド哲学)の学派。シャド・ダルシャナ(六派哲学)の1つに数えられる。ヴェーダとウパニシャッドの研究を行う。古代よりインド哲学の主流であった。「ヴェーダンタ」の語源は veda と anta (終わり)を掛け合わせたもので、ヴェーダの最終的な教説を意味し、ウパニシャッドの別名でもある。
開祖はヴァーダラーヤナで、彼の著作『ブラフマ・スートラ』(別名・『ヴェーダーンタ・スートラ』)のほか、『ウパニシャッド』と『バガヴァッド・ギーター』を三大経典(プラスターナ・トラヤ)としている。
ヴェーダーンタ学派における最も著名な学者は、8世紀インドで活躍したシャンカラであり、彼の説くアドヴァイタ・ヴェーダーンタ哲学(不二一元論)は最も影響力のある学説となっている。ほかに、ラーマーヌジャらが提唱するヴィシシュタ・アドヴァイタ{制限(非限定的)・不二一元論}や、マドヴァの説くドヴァイタ(二元論)などがある

ブラフマン(宇宙の本質)とアートマン(自己の本質)の究極的同一性を説く。シャンカラが最も著名。

>ミーマーンサー学派(ミーマーンサーがくは、Mīmāṃsā-darśana)はインド六派哲学の一学派で、ヴェーダの中で祭式に関わる部分を研究する学派である。カルマ・ミーマーンサー(Karma-Mīmāṃsā, 祭事の研究)とも。紀元前200-100年頃生きたジャイミニが書いたとされる『ミーマーンサー・スートラ』(Mīmāṃsā-sūtra, )を根本経典とする。別名ジャイミニ・スートラ
祭式を重視し、祭式を行うことで現世や来世の幸福を得ることができるとする。神は祭式の1要素に過ぎず、同じくヴェーダを研究するヴェーダーンタ学派と比べて神が占める地位は低い。またインド哲学の多くが重視する解脱にも関心が低い。 言語不滅論。
膨大かつ多様なヴェーダ祭式を統一的に解釈するための複雑な言語論や認識論の体系を持っている。
形式主義・儀礼先行のため、最も正統の学派でありながらも、早い段階で権威は失堕している。

>サーンキヤ学派は厳密な二元論を特徴とし、その徹底性は世界の思想史上でも稀有のものである[5]。世界はある一つのものから展開し、あるいはこれが変化して形成されるという考え方をパリナーマ・ヴェーダ(転変・開展説)といい、原因の中に結果が内在するという因中有果論であるが、ヴェーダ・ウパニシャッドの一元論や、プラクリティ(根本原質)からの世界展開を主張するサーンキヤ学派はこれにあたる。精神原理であるプルシャは永遠に変化することのない実体である、とし、それに対し物質原理であるプラクリティを第一原因とも呼ぶ。プラクリティには、サットヴァ(sattva/ सत्त्व 、純質)、ラジャス(Rajas/ रजस्、激質)、タマス(tamas/ तमस्、翳質・闇質)という相互に関わるトリ・グナ(tri-guṇa、3つの構成要素, 三特性、三徳)があり、最初の段階では平衡しており、平衡状態にあるときプラクリティは変化しない、とする。
しかしプルシャの観察(観照、関心)を契機に平衡が破れると、プラクリティから様々な原理が展開(流出)してゆくことになる。プラクリティから知の働きの根源状態であるブッディ(Buddhi, 覚)またはマハット(mahat, 大)が展開され、さらに展開が進みアハンカーラ(Ahaṅkāra, 我慢または我執, 自我意識。アハンは「私」、カーラは「行為」を意味する)が生じる[5]。アハンカーラの中のトリ・グナの均衡がラジャスの活動によって崩れると、これからマナス(意, 心根、Manas、思考器官)、五感覚器官(Jñānendriya、五知根、目・耳・鼻・舌・皮膚)、五行動器官(Karmendriya、五作根、発声器官・把握器官(手)・歩行器官(足)・排泄器官・生殖器官)、パンチャ・タンマートラ(五唯または五唯量、Pañca Tanmātra、五微細要素, 五つの端的なるもの[注釈 2])が展開して生じる。パンチャ・タンマートラは感覚器官によって捉えられる領域を指し、声唯(聴覚でとらえる音声)・触唯(皮膚でとらえる感覚)・色唯(視覚でとらえる色や形)・味唯(味覚でとらえる味)・香唯(嗅覚でとらえる香り・匂い)である[5]。この五唯から五大(パンチャ・ブータまたはパンチャ・マハーブータ(Pañca Mahābhūta)、五粗大元素[6])が生じる。五大は、土大(Pṛthivī, プリティヴィーもしくはBhūmi, ブーミ)・水大(Āpa, アーパもしくはJala, ジャラ)・火大(Agni, アグニもしくはTejas, テージャス)・風大(Vāyu, ヴァーユ)の4元素に、元素に存在と運動の場を与える空大(Ākāśa, アーカーシャ, 虚空)を加えた5つである。プルシャはこのような展開を観察するのみで、それ自体は変化することがない。
「プルシャ、プラクリティ、ブッディ(マハット)、アハンカーラ、十一根(マナス・五感覚器官・五行動器官)、パンチャ・タンマートラ、パンチャ・ブータ」を合わせて「二十五諦」(二十五の原理)と呼ぶ[5][7]。(「諦(Tattva)」は真理を意味する[8]。)
ブッディは、プラクリティから展開して生じたもので、認識・精神活動の根源であるが、身体の一器官にすぎず、プルシャとは別のものである。ブッディの中のラジャスの活動でさらに展開が進み、アハンカーラが生じる。これは自己への執着を特徴とし、個体意識・個別化を引き起こすが、ブッディと同様に物質的なもので、身体の中の一器官とされる。アハンカーラは、物質原理であるプラクリティから生じたブッディを、精神原理であるプルシャであると誤認してしまう。これが輪廻の原因だと考えられた。プルシャはプラクリティを観照することで物質と結合し、物質に限定されることで本来の純粋清浄性を発揮できなくなる。そのため、「ブッディ、アハンカーラ、パンチャ・タンマートラ」の結合からなり、肉体の死後も滅びることがない微細身(みさいしん、リンガもしくはリンガ・シャリーラ(liṅga‐śarīra))はプルシャと共に輪廻に囚われる。プルシャは本性上すでに解脱した清浄なものであるため、輪廻から解脱するには、自らのプルシャを清めてその本性を現出させなければならない。そのためには、二十五諦を正しく理解し、ヨーガの修行を行わなければならないとされた[5]。
サーンキヤ学派はヨーガ学派と対になり、ヨーガを理論面から基礎付ける役割を果たしている。

>ヨーガ学派(ヨーガがくは、梵: योगदर्शनम् Yoga-darśana)は、インド哲学の学派で、ヨーガの実践により心身を統一し、解脱を目指す学派である。六派哲学の1つに数えられる。『ヨーガ・スートラ』を教典としている[1]。
サーンキヤ学派の兄弟学派といわれるが、最高神を認める点が異なる。
メンテ
インド哲学 2 ( No.31 )
日時: 2020/06/11 11:21
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:3SQDi4bg

ヴァイシェーシカ学派(ヴァイシェーシカがくは)はダルシャナ(インド哲学, darśana)の学派。六派哲学(ṣad darśana)の1つ。カナーダが書いたとされる『ヴァイシェーシカ・スートラ』を根本経典とする。一種の自然哲学と見なされることもある。
『ヴァイシェーシカ・スートラ』では、全存在を6種のカテゴリーから説明する。言葉は実在に対応しており、カテゴリーは思惟の形式ではなく客観的なものであるとする。 カテゴリーは実体・属性・運動・特殊・普遍・内属の6種である。
6種のカテゴリー[編集]
実体[編集]
実体(dravya)は以下のように分けられる。
• 地 (pṛthivī)
• 水 (āpas)
• 火 (tejas)
• 風 (vāyu)
• 虚空 (ākāśa)
• 時間 (kāla)
• 方向 (dik)
• アートマン (ātman)
• 意(マナス) (manas)

>ニヤーヤ学派(ニヤーヤがくは、梵: Naiyāyika[1])はインド哲学の学派。六派哲学の1つに数えられる。ニヤーヤは理論(あるいは論理的考察)を意味[2]し、インド論理学として代表的なものであり、論理の追求による解脱を目指す。アクシャパーダ・ガウタマ(Akṣapāda Gautama)が著したとされる『ニヤーヤ・スートラ』を根本テキストとする。ガンゲージャによって著された『タットヴァ・チンターマニ』へと根本テキストが移ったものは「新ニヤーヤ」と呼ばれ区別される。

第1篇第1課では、以下の16の項目を正しく知ることにより、解脱がなされるとする。
1. 認識手段(直接知覚・推論・類比・信頼すべき言葉)
2. 認識対象(アートマン・身体・感覚器官・感覚器官の対象・認識・思考器官・活動[カルマ]・過失[煩悩]・輪廻・果報・苦・解脱)
3. 疑惑
4. 動機
5. 実例
6. 定説
7. 論証式を校正する5肢(主張提示・理由・根拠事例・当該問題への適用・結論)
8. 吟味
9. 確定
10. 論議(通常の討論)
11. 論諍(勝つために手段を選ばない討論)
12. 論結(相手の論難に終始する)
13. 議事理由
14. 詭弁
15. 誤った論難
16. 敗北の立場

以上。

インド哲学が扱う内容が、どのようなものか想像できると思います。
西欧哲学と異なるのは、存在そのものの認識です。
西欧哲学が一神教の下で、全て神の存在と結び付けているのに対して、多神教では、飽くまでも存在は個の認識であるとしています。

後にリグベーダなどを紹介し、キリストやイスラム教などの一神教との違いを見ていただきます。

メンテ
イスラム哲学 ( No.32 )
日時: 2020/06/11 11:38
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:3SQDi4bg

西洋哲学と比して宗教(イスラム教)と密接に関わっているのが特徴で神秘主義的な要素が強い。起源は、イスラム世界のヨーロッパ方面の拡大と共にイスラム世界にも移入されたプラトンやアリストテレスの古代ギリシア哲学であった。唯一神アッラーフを信奉するイスラムの教えにすれば、これは異文化の考え方であり、イスラム神学(カラーム)としばしば対立したりもした。

イスラーム哲学がもっとも栄えたのは、地理的にも拡大期であった9世紀から10世紀(アッバース朝期)にかけてである。当時それとは対照的にヨーロッパ世界ではキリスト教的世界観が支配的で、古代ギリシアの哲学などは、すでに表舞台からは遠のき哲学の歴史からすれば一時的な衰退期でもあった。ヨーロッパ世界において哲学が再び開花するのは、イスラム哲学者たちによって継承されていたアリストテレスやプラトンの哲学が再びヨーロッパへもたらされたことによるものである。従って、ヨーロッパの哲学の流れを考えるにしても、イスラーム哲学が果たした役割は見逃すことのできないものであろう。

なお追って、詳述するが、翻訳活動に端を発し、アヴィセンナと来て、アヴェロエスでもってイスラーム哲学(ファルサファ)は終わりであるという見方が散見できるが、純粋に哲学というものを考えればこれも可能である。というのも、イスラーム哲学はその後は神秘主義・神学と不可分な存在となり、ファルサファとは異質なものへと変質していったからである。その後のイスラムにおいて哲学が顕著になるのは、近代化と共に他の学問・技術など共に移入されてからであり、イスラーム哲学の他、西洋哲学を中心に現在ではイスラム文化圏内でも、一つの学問分野として認知・研究教育されている。


7世紀にイスラム世界が成立すると(この辺りの歴史は、イスラム帝国、ウマイヤ朝、アッバース朝の項を参照)、ムハンマドの死後、正統カリフ時代を経て、アラブ人至上主義を取っていたウマイヤ朝が750年に滅んだ後アッバース朝が成立した。アッバース朝は非アラブ系であったペルシア人からの支持もあって、アラブ人以外のムスリムたちにも道を開いた世界帝国へと変わっていった。この支配下には、ペルシアやエジプトといったギリシア文化の影響が色濃く残っている地域も含まれており、そこには哲学をはじめとする医学・数学・天文学などの諸学問が、ギリシア時代のものからエジプトやシリアなどの東地中海沿岸の各地に残っていた。アッバース朝は、バグダードにシリア人学者を招いて、シリア語のギリシア文献をアラビア語に翻訳させた。イスラーム哲学の起源のひとつとして、アラビア語への翻訳活動があるというのは、見逃せない事である。

哲学に関していえば、キリスト教とギリシア哲学の対峙において、反駁のためあるいは哲学的方法によるキリスト教の思想的展開をさぐるため、ギリシア哲学の接受が行われた。シリアのに正当性を持たせるため、哲学的な方法を用いていたので、アッバース朝の支配下にあっても哲学の文献が残っており、イスラム教徒たちも利用することができた。

>西欧(ギリシャとの交流)

5世紀から10世紀にかけて、シリアのキリスト教徒(ネストリウス派のキリスト教徒)はアリストテレスの文献、ポリュフュリオス、偽ディオニュシオス・ホ・アレオパギテースの著作をギリシア語からシリア語に翻訳した。これは主にエデッサのネストリウス派またレサイナとカルキスの単性論派にになわれた。

832年にアッバース朝第7代カリフ・マアムーンはバグダードに翻訳を行う官庁をおいた。これがいわゆる知恵の館(バイト・アル=ヒクマ)であり、ギリシア語やシリア語、パフラヴィー語に加え、インドからもたらされたサンスクリット語などさまざまな文献が集められ、これらを相互に翻訳・研究が行われた。特に医学の他に天文学・占星術関係の文献の翻訳が盛んで、天文台や図書館などの施設も併設されていた。日常の礼拝や農事暦に関わるなどに暦の制定にも天文学や占星術の知識は欠かせない存在であったため、この時代の翻訳業や観測の事蹟は後世のイスラム社会や諸政権にも多大な恩恵を与えている。また、同時にアッバース朝はクーデターによってウマイヤ朝を打倒して誕生した政権であったため、自らの政権の正統性を立証するため論理学的な知識を欲していた面もある。これによってアリストテレスをはじめギリシアの諸著作およびアリストテレス註解書がアラビア語圏に紹介されたが、ただの知的欲求というよりも、『オルガノン』や『トピカ』などに代表されるアリストテレスによって確立された論理学の方法論を体制側が学ぶためという現実的な要求もあった。しかし、同時にこれによって古代後期の新プラトン主義の影響が濃いアリストテレス解釈が紹介されることになる。

またさらに、このシリア語(中には、ギリシア語からの翻訳もあったが)がキリスト教徒らによってアラビア語に翻訳されていた。これにより、ムスリムたちにもギリシア哲学の研究が可能であった。この翻訳は、現在みても高水準の正確さのものもあった。これにより、ムスリムたちも、ネオプラトニズム、アリストテレス、プラトン、プロティノスなどを翻訳することができるようになった。ただしムスリムたちがアリストテレスの著作と考えていた著作が、実際はプロティノスのものだというように、若干の誤伝があった。またムスリムの哲学者たちは、医者や数学者でもあったのでアルキメデスやガレノスなどの著作も翻訳された。

共に一神教世界であるので、共鳴する箇所が多かったのでしょう。

>現代イスラーム哲学

Dr. ムハンマド・イクバール(1877年 - 1938年)、英領インド帝国(現在のパキスタン)出身の著名なムスリム哲学者、詩人、学者
多くの西洋人が思っているのとは逆に、シャハブッディーン・スフラワルディーの「Hikmat al-Ishraq(照明哲学)」や、その後のモッラー・サドラーの「Hikmat-e-Mota'aliye(超越論的神智学)」といった黄金時代を過ぎて今日でもなおイスラーム哲学は非常に活発である。イスラーム哲学を概説する上でもう一人避けては通れないのはムハンマド・イクバールである。彼は、20世紀初期のインド亜大陸のムスリムたちの間でイスラーム哲学を再形成・再生した[1]。彼はウルドゥー語とペルシア語で詩的作品を書いている一方で、『イスラームにおける宗教的思考の再構築(en:The Reconstruction of Religious Thought in Islam [2])』がイスラーム圏における近代政治哲学の里程標となった
メンテ
東洋の世界 ( No.33 )
日時: 2020/06/11 11:45
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:3SQDi4bg

さて、数回にわたり退屈な話が続きましたが、もっと平易な形で東洋の世界を覗いてみましょう。


>リグ・ヴェーダ    インド哲学の祖

そのとき、無もなく、有もなかった、
空界もなく、その上の天もなかった。
世界を庇護したのはだれか、それを包んだのはだれか。
あの底知れぬ深遠はどこにあったのか、あの海はどこに。

そのとき、死もなく、不死もなく、
夜と昼とがさだかでなかった。
かの唯一者は、息なく呼吸し、
そのほかには何ものも存在しなかった。

全世界は暗黒におおわれ、
光なく、夜の中に消える大洋であった。
そのとき、おおいの中に隠れていたもの、
かの(唯一者)が灼熱の力によって生まれた。

これから出て、はじめに現れたのが、
知の種子なる意欲であった。
有の根底を無のなかに見いだしたのは、
心の動きにしたがい、探し求めた聖賢たちであった。

彼らが測素を横にずっと張ったとき、
何がその下にあって、何がその上にあったのか。
種子をもつものが存在し、活動する力が存在した。
自存力が下に、あふれそうな力が上に。

だが、だれがうまく尋ね当てたのか。
創造がどこから生じたかを、だれか認めたものがいたのか。
神々も、この創造よりのちに生まれ出た。
では、創造がどこから生じたかを、だれが宣言するのか。

創造を生み出したもの、
彼はいと高き天の光でそれを総覧し、
彼はそれをつくりなし、あるいはつくりなさず。
彼はそれを知り、あるいはまたそれを知らないか。


>菩提和讃(ぼだいわさん)

一切唯心造なりと、衆生おのおの仏性を、受けて生まれしものなれば
一念不生に至るとき、忽ち仏性現前し、老若男女もろともに、その身が即ち仏なり。
しかるに一念迷い初め、本有の仏性見失い、みずから凡夫となるゆえに貪り瞋り痴さの、煩悩しげき三毒に、闇き迷いの日々となる。
また色声香味触と五欲の悦楽追い求め、刹那の夢に酔いしれる
殺生偸盗邪淫慾、悪口両舌綺語妄語、破戒無懺の輩に、いつか救いのありぬべき。
それ人間の身を受けて、この世に生まれ来ることは、爪の上端に置ける土。
まして尊き仏法の、教えに親しく遇うことは、まこと得がたき縁なり。
かかる時節を失わず、信心決定いたすべし。
人々賢き智慧あれば、春は万の種を蒔き、秋の稔りを待つのみか、衣服家宅に至るまで、遠き計画立てながら、今をも知れぬ後の世の、永き冥路を打ち忘れ、空しく過ごすぞ愚なり。
無常の風に誘われて、忽ちこの世を終るとき、何を頼みとなすべきや、あまた資産のあるとても、冥途の用にはならぬもの。
家財重宝持つ人も、携え行くべき途ならず、偕老比翼の契いもしばし浮世の夢ならん。
兄弟朋友ありとして、伴い行くことさらになし、出入りの息の絶えぬれば、野辺の送りを営みて、老いも若きも仇野の、空の煙と消え失せん。
朝夕撫でし黒髪も、蓬が根の塵となる。
かかる憂き目のあるゆえに、ひたすら菩提を願うべし。
弘誓の願を身につけて、忍辱精進怠らず、布施や愛語にこころざし、十善の道歩みつつ、他己をも自己と覚るならば、これぞ菩薩の浄土なり。
観世の慧眼明らかに、弘く衆生に回向して、ともに濁世を渡るべし。
尚ぶらくは人間の、受くる形はそのままに、仏の姿にかわらねば、本来より具えし霊明の、一仏心に覚むとき、この身すなわち仏にて、仏が仏を念ずれば、一声唱うる称名も、諸仏の浄土に通徹す。
日々仏に近づきて、礼拝供養も懇ろに、香花燈燭とりささげ、粥飯茶果等供えつつ、身口意三輪浄らかに、称名念仏経陀羅尼、坐禅観法修すれば浄土はもとよりわが身にて、心が即ち仏なり。
つらつらこの身を観ずるに、生生世世の父母や、一切衆生にいたるまで、その恩愛の深きこと、天の極り無きごとし。
されば誓願たてまつり、無明の眠りを覚しつつ、行住坐臥に怠らず、一心勇猛に修業して、無辺の衆生を慈しみ、菩提の道に趣かせ、本有の仏性発露して、不報の恩を報ぜんと、般若の船に掉さして、涅槃の岸に到るべし。


>観音和讃
 
観音大悲の夢の告げ 我等は不生不滅なり
過去七佛のその内で 釈迦牟尼世尊(しゃかむにせそん)に呼び出され
衆生済度の身と成りて 衆生の苦患を導引けり
安楽浄土へ勧むれど 貪欲瞋恚(しんい)が引き留めて
行気は更に出せぬぞ 兎角迷わず胸の中(うち)
正面(おもて)向きをば佛顔を 面ばかりを振り捨て
誠で願え観世音 金銀とては入らず道
唯平常(へいぜい)の心持ち 御上のご恩を先に立て
親に孝行一の事 その上他人も親類も
睦まじうして今日 これらの心が人の道
兎角腹をば立てぬ事 忍辱(にんにく)柔和なるが
由し惜しひ恣ひが深くして神や佛を祈る故
何で感応ある者か 一心不乱に真を据え
祈りて見たるその時は 天地も感応有るとかや
それらの心を振り捨てて 一文餅を買うような
心で祈る神佛 如何で感応有りはせず 兎角
真似にも慈悲がよい            前世
の報いか今ここで 現れ出たる是非も無や かかる
有様見ながらも 仁心慈悲の不起こらは見ながら
落ち入る穴の底 己と作る地獄にて 神や佛も
手がとわず引き揚げ玉え観世音 これは何故
西国の札所に懸ある御誓願 五逆消滅
成佛と 誓いの誌(しるし)有るからは 今日まで盗みした
人も 悪心残らず振り捨てて 元の心で願うなら 遅い
速いはとにもあれ 極楽往生違いない 然からば祈れ
観世音 たといこの世は貧もあれ 又富貴成る人
は なお飢えつ寒(こごえ)つする人を 助け扶くは誰が
為ぞ 我が身の後生や今生も 寿命長久福徳を
天よりあたえあるまいか 貧者が拝みはせぬものか これを
思えば世の中に 慈悲ほどめであいものは無し
上立つ人は みな慈悲の 強きお方はそのままに 早や
この世から神仏 これを証拠にするか よい人には ふた
無きものぞ 六根具足の身となりて 人とな
づくは何故ぞ 人ほど尊きものは無し 自ら仏証
あるゆえに みずから神仏肉親を離れたもうと思うなよ
知らねばさても ぜひも無や 天地も動かす人の心(しん)
古仏や古神の尊像と 己が顔と見くらべて
とくと思案をするがよい 神書(しんきょう)仏経見る人が
これを知しらすは何ゆえぞ 思えば無明に覆われて 明(あか)
なく御趣意のほどは いかばかり


いかがでしょうか。

難解な文章など読まなくても人間の存在の意味が分かるでしょう。
キリストの教えとの違いも判るでしょう。

それが東洋なのです。
メンテ
生の哲学 ベルグソン ( No.34 )
日時: 2020/07/24 19:21
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:nMbh/ObM

久しぶりにUPします。

哲学の大きな分類に

形而上学
観念論
唯物論
実存主義
実証主義

などがあります。
これは時系列ではなく、ギリシャ哲学の中にも唯物論、観念論、形而上学もあります。

この中で形而上学と言うのは、頭の中で人間の存在を位置づけようとするもの(ある意味論理的、科学的ともいえます)。
観念論は、

純粋思考により人間を把握しようとするもの。

唯物論は、

人間の性癖を分析し、形式的に人間を把握しようとするもの。

実存主義とは、

人間自身の分析(我欲を含む)から人間の存在意義を求めようとするもの、実際は、その意義が求められず自暴自棄に陥る場合が多い。

ここに上げませんでしたが「生に哲学」と言う言葉もあります。代表的な哲学者として

アルトゥル・ショーペンハウアー
フリードリヒ・ニーチェ
アンリ・ベルクソン
ゲオルク・ジンメル
ヴィルヘルム・ディルタイ
ヘルムート・プレスナー
ホセ・オルテガ・イ・ガセット
カール・ジョエル
ルートヴィヒ・クラーゲス
オスヴァルト・シュペングラー

などがいます。
時代背景は、カントなどが出て観念論が最盛期だったことから、実存主義に至るまでの間で、大きくは「生の哲学」は実存主義の走りとも言えます。

その「生の哲学」を主張した人物でベルグソンを取り上げます。
ベルグソンは晩年に彼の哲学の集大成として「道徳と宗教の二源泉」と言う著作を残しました。

この中でベルグソンは人間と人間社会のあり様について述べています。
結論から言いますと、ベルグソンの主張は3つの内容に集約されます。

(1)社会のあり方としての「開かれた社会」という概念であり、
(2)「贅沢から簡素への反転」の時期であり、
(3)「精神科学、特に死後の存続の科発展」であろう。

この中の「開かれた社会」と言う概念の為に、道徳と宗教について語っています。

●道徳と宗教には第一源泉があると言い、以下の様に述べています。

>蟻や蜂は本能に従って驚くべき王国を作り上げる。人間も家族から始まる社会なく
して生きていけない。人間は蟻や蜂と違って知性を得た。知性は本来自分の方を見て
いる。社会の中でなければ生きていけないにもかかわらず、人間はその束縛に素直に
従えない。蟻や蜂であれば、もし一瞬なりとも知性が働いて「なぜ自分はこのように
蜜を運ぶだけで一生過ごさねばならないのか」と自問してもすぐ本能が「せねばなら
ぬからするのだ」と仕事に戻らせるだろう。

人間の知性はこれに煩悶する。社会の束縛に反抗するかもしれない。知性に任せた
ならば、個人の反抗によって、社会は疲弊し崩壊するかもしれない。社会は必要であ
るから存在するのであり、それに立ち向かう社会側の努力が当然生まれる。道徳や習
慣、教育あるいは初期の宗教といったものは、社会の維持のために個人個人に責務を
負わせるものだ。人間道徳のうち、このような社会の必要からくる束縛の道徳を、道
徳の第一の源泉と言おう。いわば社会に自然に備わった原始の本能的な源泉なのだ。
道徳教育によって植えつけられる責務感に従わせることによって、社会は崩壊から免
れる。しかしこの第一の源泉からうまれる道徳責務は、まず家庭にはじまり、集落、
そして国家まではその統一的な力が及ぶ。そのような道徳的責務は、その領域を越え
れば適用されない性格のものだ。一旦戦争になれば、それまで説かれた道徳の善悪は
逆転さえする。大量殺人も是認され称揚される。それは本質的に閉じた社会に通用す
るものだった。

●道徳と宗教には第二源泉

道徳には第二の源泉がある。完全な道徳、国家社会の限界を一挙に超えた道徳、人
類愛がそれである。この愛の魂はさらに人類にとどまらない。全宇宙へと広がるもの
だ。
誤解しがちなことだが、第一の源泉から生まれる道徳宗教が、範囲を拡大して行っ
ても第二のそれには到達しない。社会を維持するための道徳が、家庭から、近隣社会
へ、そして人類へと広まっていきそうに錯覚するがそうではない。国連を持つまでに
至った現在の国際社会をみても、国家主義のさきには飛躍できない限界が見えている。
家族愛、祖国愛は、常に除外を生み、憎悪とともに燃えるものである。
第二の源泉による開かれた道徳、すなわち人類愛を呼びかける高次の道徳の起源を
探れば、そこには一個の人間がいる。その個人の偉大な創造の情動がある。魂が感動
で揺さぶられる情動があり、それに接した人たちは、その人のことを伝えなければな
らない情動に揺さぶられる。ここに生まれた波動の伝播で、我々はその人物のことを
伝え聞いている。釈迦、ソクラテス、イエスである。(わが国の身近な例では道元や親
鸞、尊徳も挙げられるだろう。)
彼らは、いのちの危険をかいくぐり、試練を受けながら

詳細は省きますが、この中で、自然宗教とか動的宗教とか言う言葉を使い、自然宗教や道徳と宗教が第一源泉であった時代は「閉じられた社会」と言い、人類は「開かれた社会」を目指すべきだとと説いて、その宗教、道徳を分析しています。
宗教も道徳も限られた人間を対象にするのではなく世界宗教、世界共通の道徳を考えるべきだと言っているのです。
この点、著名な歴史学者、アーノルド・ツインビーは、キリスト教、イスラム教、仏教を高等宗教として他の宗教と区別しています。

>第二の源泉による開かれた道徳、すなわち人類愛を呼びかける高次の道徳の起源を
探れば、そこには一個の人間がいる。その個人の偉大な創造の情動がある。魂が感動
で揺さぶられる情動があり、それに接した人たちは、その人のことを伝えなければな
らない情動に揺さぶられる。ここに生まれた波動の伝播で、我々はその人物のことを
伝え聞いている。釈迦、ソクラテス、イエスである。(わが国の身近な例では道元や親
鸞、尊徳も挙げられるだろう。)

>(2)「贅沢から簡素への反転」の時期であり、

(2)は飽食の時代を戒めているのですが、実際には真逆の方向へ進んでしまいました。

>(3)「精神科学、特に死後の存続の科発展」であろう。

(3)は、科学の発達で、神に頼らない新しい存在観が見出されるであろうと予言したものです。
 半分は当たっているかも知れませんね。

まあ、ある意味、理想論で片づけることもできるでしょうが、帝国主義が華やかであった19世紀後半で、このような主張をしていたことを評価しましょう。

ベルグソンを取り上げた意味は、彼の主張、そのものではなく、彼と言うよりも「生の哲学」が当時の小説家にも影響を与え、ロマンロランの「ジャンクリストフ」「ミケランジェロの生涯」など英雄小説を流行らせ、ドストエフスキーの「罪と罰」も当時の小説であった。

いずれも人間個人の生き様を描いている。

古き良き時代とも言えるでしょう。

実存小説は、楽しくはない!

哲学に親しんでいただくための

閑話休題のような投稿になりましたね。
メンテ

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