Re: 達磨さんに催促されて 天皇論 ( No.9 ) |
- 日時: 2011/01/01 23:05
- 名前: 沖縄戦の亡霊
- 天橋立の愚痴人間 さん
あけましておめでとうございます。昨年は大変お世話になりました。(もう、バレバレ・笑)
そうしてあなたの怒りは天皇家と言うよりも、ヤマトンチューに向けられているかと思います。 <仰る通りです。何しろ、私自身が現在はヤマトゥンチュなのです。
実は私がこれだけ厳しく言えるのは、 私がこの10年近く、ずっとヤマトゥンチュと一緒に暮らしてきて、 「本当のヤマトゥンチュは、天橋立の愚痴人間さんの仰る<100年前の感覚>を 未だしっかりその芯に残している」と感じているからです。
ただ恐れながら「大きな意味」については、そこは宗教に入り込むので、 宗教と無関係の「ただの人」の私は、そこに論を入れる事を余り好んでおりません。
神秘体験(と恐らくは通常呼ばれるもの)の経験を、事実、この身で経ているからです。 実際に経験してしまうと、これは厳密な意味での「個人の死生観の確立」ですから、 それはさすがに他者と共有できない、それが「人間」としての限界でもあり、矜持でもある、と認識しています。
それを共有しようとすると、それはどうしても宗教になってしまう。 宗教の教祖様なんて、真っ平ゴメン、と思っています。 なので私は、敢えてそこに行かないでいます。どうぞ、ご容赦を。
ただ、一つだけ「大きな意味」を思う時に感じることなのですが… 「象徴」という実に複雑なものを最高法規の第一条に持ってきてしまったゆえに、 ヤマトゥンチュは、宗教と政治を分けて考える―すなわち「政教分離」をこの150年、 一度だってしていない、というのが私の考えです。 (大日本帝国憲法の頃は、「政教分離していない」ことがはっきりしていましたが、 今は、政教分離しているのかどうかはっきりしていません。 けれど、どう見ても「政教分離してない」です。上のブログに書いてあることしかり、です。 つまり「象徴制」とは「政教分離してる」ように見せかけた詐術としか考えられません。 結局、現在の日本国憲法は実は第1条〜第8条がある以上、 いつだって「大日本帝国憲法」と何ら変わりなく施行できる可能性を残している。 いや、沖縄からすれば事実、そうやって運用されてきています。 実は、双方見てる私にすれば沖縄だけじゃなくて全部そうなんですけどね…。 沖縄にいれば、それがよりはっきり見える、ということです。 そうでなければ「日米安保」なるたった二国間の条約が、憲法の上位概念に存在している事実をどうやって説明しますか? 実際、東京じゃあナンカ変わった条例が出来て、今まで通り漫画すら描けなくなったそうで。 もうこれ、戦前の治安維持法による検閲の始まり以外の何ものにも見えません。 結局「日本」と呼ばれる場所で生きてる人は「大日本帝国憲法」下における臣民なんです。 更には今の憲法があるため「そのことに、自分で気づけなくなった」 50年に一度と言われる政権交代が起こって、今回つくづく思ったのですが。 結局はその「詐術」の腕前が上がっただけで、何もかわっていない。実際の暮らしが何も変わらないのはそのためです。)
結果、宗教(というより歴史的文化)も政治も失ってしまっている、 という風に異国人には見えます。 文化も政治もない国、それが「ヤマト」なんです。
(憲法といえども法律です。それは「改正」が可能なのです。 すなわち「なくなる」可能性がそこに発生する。 しかしながら「歴史的文化」であれば、それは法律とは何ら関係がありませんから「なくなる」ことがありません。 すなわち、引継ごうと思う人がいさえすれば、それは半永久的に持続されます。 その「歴史的文化」をちゃんと持っていたのが、 天橋立の愚痴人間 さんの仰る「100年前の日本人」なんじゃないでしょうか。 …私は明治政府成立を節目として考えてるので150年なんですけど。 本来ならば、こういった指摘は外国からきた私がすべきことではないような気もしますが。)
島には政治はないけれど、世界遺産となった「歴史的文化」が残っています。 世界遺産になろうがどうなろうが、それが私を含む、島で生まれた多くの人が、 「私はウチナーンチュである」と言う時、真っ先に思き、 更にはそれが今も島に暮らす人との結びつきの根拠だと思える以上は それが一つの歴史的文化であることは間違いありません。
歴史的文化もない、そして政治もないでは、人が頼るべきものは最早何もありません。 それが恐らく、昨年の昭和22年の統計開始以来最多の(すなわち太平洋戦争当時よりも多い) 119万4千人の死亡者数の原因なのじゃあないか、と見ています。
ちなみに、沖縄は死亡者数も多いでしょうが、出生率は全国トップクラスであると記憶しています。 (だから島は「白物家電市場」なるものが今もちゃんと廻ってます。 ちなみに、今、ちょっとネットを調べてみたら、沖縄、死亡率もどうやら全国最下位レベルのようです。)
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Re: 達磨さんに催促されて 天皇論 ( No.10 ) |
- 日時: 2017/07/28 14:13
- 名前: 天橋立の愚痴人間 ID:qkc3vFZk
- 天皇制をまともに論じる場などはめったにありません。
ここでは多くの人が思いを述べられています。
せっかくですので過去ログに入る前にUPして保存しておきます。
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Re: 達磨さんに催促されて 天皇論 ( No.13 ) |
- 日時: 2017/07/28 15:45
- 名前: 天橋立の愚痴人間 ID:qkc3vFZk
- いらっしゃい中川さん。
ところで、どこでこんな記事を見付けられた。 こんな事を書いていると右翼に狙われますよ。
明治天皇云々は、想像もつかないが、秋篠宮の容貌に関するくだりには、そうかと思わせるものがあります。 もう死にましたが、私の母親などが、こんな事を聞けばヒステリックの怒り出しますよ。
ヒステリックと言えばイントさん、彼女の論調もヒステリックでしょう。 彼女自身がヒステリックとは言いませんよ。 そんな事を言ったら叱られます。
まあ天皇家の血筋と言えば、いろいろな陰謀論が出ても仕方がないですね。 同じ様に徳川幕府にも直系は碌な将軍が出ていませんね。
しかしながら、ここで聞きたいのは天皇制、そのものの是非なのですが。 どうやら中川さんも、多くの皆さんと同じように問題外と思っておられるようですね。
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「大嘗祭」を国費でするのは疑問である→秋篠宮の発言 ( No.14 ) |
- 日時: 2018/11/30 16:02
- 名前: 天橋立の愚痴人間 ID:wsY4Xqvw
- 秋篠宮さまが、53歳の誕生日を前に、きのう11月29日に記者会見を開かれた。
そこで日本を揺るがす大きな政治的発言をされた。
すなわち、天皇の代替わりに行われる皇室行事である「大嘗祭」の経費について、「宗教色の強いものを国費で賄うことが適当かどうか」と異議を唱えられたというのだ。
「大嘗祭(だいじょうさい)」
天皇が即位の礼の後、初めて行う新嘗祭。大嘗祭は古くは「おほにへまつり」、「おほなめまつり」とも訓じたが、現在は「だいじょうさい」と音読みすることが多い。新嘗祭(にいなめさい)は毎年11月に、天皇が行う収穫祭で、その年の新穀を天皇が神に捧げ、天皇自らも食す祭儀であるが、「大嘗祭」は一世一度、新天皇の即位のときに大々的に行われてきた。
(引用終り)
前回、平成天皇の即位に際しても、22億円(多くは式場建設費)を使ったが、その時もこの問題は出ていたそうである。 天皇制について、必ずしも国民が一致して受け入れている訳でもないので当然の事と言える。
しかしながら天皇家の方から、しかも皇太子が即位すれば皇統第一位の相続者の位置にある秋篠宮の発言としては、別途、問題が生じる。 天皇制を受け入れる入れないの問題は常に存在し、民主主義の手法によって現在の憲法は天皇制を受け入れている。
それによって宮内庁を設置し皇族の生活権も保証している。 秋篠宮の大嘗祭の経費を国費に拠る拠らないも結局は国民の税金を使う事には違いはない。
秋篠宮が天皇制は必要ないと言うならば、その話も聞けよう。 しかしながら、大嘗祭を国費でやるか、やらないかは国民の判断である、政治の判断である。
当事者(天皇家側)が発言するならば、財政も苦しい折、質素に執り行って欲しいと言う希望であるだろう。
もうひとつの問題がある。 この時期、次の天皇の即位の儀式に現天皇を飛び越えて、このような発言をするならば、昔の朝廷では反逆者扱いとなる。
よくも、まあ、
言ったものだ。
政治の事が暇なので、このような話題を提供します。
天皇制について、我々は否応なしにある程度受け入れているのです。 だから天皇制維持のために予算も組んでいるのです。
天皇が変わると元号が変わります。 少々うっとおしいこともありますが、 これも古代からの日本の文化と言えましょう。
私は万事、合理化の西欧の知恵は否定します。 その西欧でも、最後の土壇場では人知れず、懺悔、告白などで逃げているでしょう。 その方が、余程卑劣な文化と言えます。
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「大嘗祭」の経費について ( No.15 ) |
- 日時: 2018/12/01 14:09
- 名前: 天橋立の愚痴人間 ID:xVRyWh9A
- >天皇の代替わりに行われる皇室行事である「大嘗祭」の経費について、「宗教色の強いものを国費で賄うことが適当かどうか」と異議を唱えられた。
この秋篠宮の発言に対してネットでは概ね秋篠宮の発言を称賛し秋篠宮の意見を無視する宮内庁を言語道断と避難している。
だが、一歩引いて考えては如何なものか。 天皇制について憲法では次のように規定している。
第1章 天皇
第1条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。 第2条 皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。 第3条 天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。 第4条 天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。 2 天皇は、法律の定めるところにより、その国事に関する行為を委任することができる。 第5条 皇室典範の定めるところにより、摂政を置くときは、摂政は、天皇の名でその国事に関する行為を行ふ。この場合には、前条第一項の規定を準用する。 第6条 天皇は、国会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する。 2 天皇は、内閣の指名に基いて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する。 第7条 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。 1 憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。 2 国会を召集すること。 3 衆議院を解散すること。 4 国会議員の総選挙の施行を公示すること。 5 国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。 6 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。 7 栄典を授与すること。 8 批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。 9 外国の大使及び公使を接受すること。 10 儀式を行ふこと。 第8条 皇室に財産を譲り渡し、又は皇室が、財産を譲り受け、若しくは賜与することは、国会の議決に基かなければならない。
(引用終り)
一番大事なのは、天皇が政治に関わらないことの規定である。 しかしながら象徴と言ってもアイドルと言う意味では決してない。 限定された中での国体に組み込まれているのである。
皇位継承についても皇室典範に基づき内閣の承認が必用な項目である。 天皇家の財産権についても、その処分は国会の議決が必要である。
皇位継承と言う事は、天皇制において重要な事であり、世襲せいであっても、皇族の勝手な決定をそのまま受け入れられるものではない。 国民が納得することも重大な事である。
「大嘗祭」はある程度宗教色が出るとしても、それは日本人の多くが受け入れている神道のものであり、また五穀豊穣を願う儀式が宗教的偏りとは言えない。
この重大な式典を、皇族だけが取り仕切ってよいのであろうか。 皇族の婚姻などは、天皇家の問題として概ね天皇家の私事であって良い。
判官贔屓かしらないが、秋篠宮の発言を我が意を得たりの様に反応するのは、余りにも視野が狭い。 なるほど、経費の節約と言う観点からは話が聞けても、もっと大きな問題があるのである。
天皇制と言う大きな枠組みの中で、天皇継承について、天皇家の意のままにされる事で良いのか。
「大嘗祭」を盛大にするか否かは、国民が判断する事であろう。
その「大嘗祭」が質素なものであっても良いと言う皇室側の希望は発言されてもしかるべきであるが、それを言うのは現天皇でなければならない。
秋篠宮は出過ぎた真似をしたことになり、かつ、国民と天皇制の関係を私物化して考えているのである。
秋篠宮の越権行為は秋篠宮の性格であり、今後我が国の天皇制の根幹を揺るがすことにもなりかねない。
(宗教色と言うことに関する考察)
五穀豊穣、社会の安寧を求める儀式は、特定の宗教を指す事にはならない。 政治と宗教を切り離すのは、キリスト教の於けるイエスの存在、イスラム教におけるアラーの存在の影響を受けない為である。
また五穀豊穣、社会の安寧などは、カルト以外のどの宗教でも目的であり、これを受け入れる事は信仰の偏りではなく人間生活の中の精神的希求である。
拠って「大嘗祭」の神事は、殆どの国民の受け入れる所であり、宗教的偏りではない。
神社庁などが全国の神社を統括し皇室と神道を結び付けようとしている事は問題ではあるが、神社庁の存在など後世に出てきたもので本来の神道(氏神信仰)の精神ではない。
それに大日本帝国憲法では天皇を現人神と規定したが、現在の憲法では国民の象徴と規定していて天皇をキリスト、アラ―のように神と思う人間はいない。
神道の歴史においても天皇を神と規定したことはない。
>「宗教色の強いものを国費で賄うことが適当かどうか」と異議を唱えられた。
と言った秋篠宮の発言は、余りにも拙速な判断であった。
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秋篠宮はノータリン ( No.16 ) |
- 日時: 2018/12/01 20:11
- 名前: 天橋立の愚痴人間 ID:xVRyWh9A
- ついでにもう一言。
秋篠宮が言った、大嘗祭の費用は内廷会計で行うべきだ」と異議を唱えたそうだ。 馬鹿も休み休みに言え。 内廷費は天皇家のいわば生活費で、年間3億円くらい支払われている。
これとは別に皇族費として一人当たり、約3000万円が支給されている。 さて、さて
秋篠宮が言う様に内廷費で大嘗祭をやるとなると、葬式における家族葬みたいなもので、来賓は一切呼ばず内輪でしようと言う事か。
日本の皇室は世界の王室と付き合いもあり、天皇の継承ともなると世界中の大使も参列してしかるべきもの。
秋篠宮という奴は、安倍以上にノータリンではないか。 ついでに言うと、 皇室関係の予算は、 秋篠宮自身も言っている宮廷費が主な予算で、その年の行事や、宮殿の改修などで年に拠って異なるが、28年度で55億円使われている。
この中に式典費、警備費などが含まれていて皇族の公務に関わる費用を出している。 大嘗祭の費用は、当然、ここから出すべきものであり、内廷費などから出せるものではない。
こんな馬鹿な話を何故! 取り上げるのか。
秋篠宮はノータリン おそらく内廷費が幾ら出ているかも知らなかったのであろう。 宮内庁は馬鹿を相手にしていられない、と無視したのであろう。
(参考までに)
イギリスも王室費として、年間60億円ほどの予算を組んでいる。 しかしながら、イギリス王室と日本の皇室と違うのは、イギリス王室はその資産を運用し独自に収入を得ている事である。 エリザベス女王にかぎって言えば、10年間で2900億円の収入があり、ただしこれらの収入の85%は政府に渡しているそうだ。 ちなみにチャールズ皇太子は、その所領から年間25億円の収入があるそうだ。
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即位の礼・大嘗祭 ( No.17 ) |
- 日時: 2018/12/01 21:36
- 名前: 天橋立の愚痴人間 ID:xVRyWh9A
- 大嘗祭について勘違いして記述した面があるので追記します。
天皇の継承、即位の儀式は、1年にも及ぶ長い期間に渡るものです。 大嘗祭は、その一連の行事として行われるものであり、行事の中心は即位の礼であります。 次に今生天皇の即位の礼、大嘗祭の日程を紹介します。
1990年(平成2年)
1月23日 賢所・皇霊殿・神殿に期日奉告の儀、伊勢神宮・天皇陵等に勅使発遣の儀 1月25日 伊勢神宮・神武天皇・前四代天皇陵奉幣の儀 2月8日 斎田点定の儀 8月2日 大嘗宮地鎮祭 9月27日 斎田抜穂前一日大祓(悠紀田:秋田県南秋田郡五城目町) 9月28日 斎田抜穂の儀(悠紀田) 10月9日 斎田抜穂前一日大祓(主基田:大分県玖珠郡玖珠町) 10月10日 斎田抜穂の儀(主基田) 11月12日 即位礼当日賢所大前の儀 同日 即位礼当日皇霊殿・神殿に報告の儀 同日 即位の礼・即位礼正殿の儀 ※国事行為 同日 即位の礼・祝賀御列の儀(オープンカーでのパレード) ※国事行為 同日 - 15日 即位の礼・饗宴の儀 ※国事行為 11月13日 園遊会・内閣総理大臣夫妻主催の晩餐 11月16日 伊勢神宮に勅使発遣の儀 11月18日 一般参賀 11月20日 大嘗祭前二日御禊・大祓 11月21日 大嘗祭前一日鎮魂の儀・同大嘗宮鎮祭 11月22日 大嘗祭当日神宮に奉幣の儀 同日 大嘗祭当日賢所大御饌供進の儀 同日 大嘗祭当日皇霊殿・神殿に奉告の儀 同日 大嘗宮の儀・悠紀殿供饌の儀 11月23日 大嘗宮の儀・主基殿供饌の儀 11月23日 - 25日 大饗の儀 11月24日 大嘗祭後一日大嘗宮鎮祭 11月27日 - 28日 即位礼・大嘗祭後神宮に親謁の儀 12月2・3・5日 即位礼・大嘗祭後神武天皇・前四代天皇陵親謁の儀 12月3日 茶会 12月6日 即位礼・大嘗祭後賢所・皇霊殿・神殿に親謁の儀 同日 即位礼・大嘗祭後賢所御神楽の儀 12月10日 天皇陛下御即位記念祝賀会
※ 秋篠宮が言及した 大嘗祭は、この中の一部であり、即位の礼の約10日後に行われています。
なお、即位礼正殿の儀 ・祝賀御列の儀・饗宴の儀は国事行為とされています。 国事行以外は、内廷費から出すべきだと言う秋篠宮の主張ですが、そうなれば、その年の内廷費を増やさねば出来ません。 結局は税金を使う事になるのですが、秋篠宮の発言は、経費的な面よりも、神事は宗教的な意味があると言う事を重視した発言となります。
天皇家と神道の関係は、厳密には難しい問題がありますが、天皇を象徴として受け入れた我が国の体制(憲法)は、天皇家と神道の関係も抱合して受け入れているものと思います。
古代エジプトの時代から王家という存在は何時でも民衆以外の要素と結び付けられるものがあります。 それは宗教と言うよりも神の概念に基づくものです。
天皇家を天皇家として在らしめることの中に神的なものがあっても不思議ではありません。 天皇制を一切、否定するならばともかく、天皇家と神道の関係を一般的な信仰と同じように捉えることが良いのでしょうか。
しかしながら現実的には政治と宗教の慣れあいは好ましくなく、神事については国事行為から外しているのでしょう。 ただ、天皇家の一族、ましてや皇位継承第一位となるような秋篠宮自ら、神事を明確に切り捨てる(一般民衆と同じ観念で)のは如何なものか。
曖昧になっている天皇制の根源を危うくするものであると言える。
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秋篠宮殿下の行状 ( No.18 ) |
- 日時: 2018/12/29 10:43
- 名前: 天橋立の愚痴人間 ID:RU/sHrFQ
- 新天皇の即位後、初めて迎える新嘗祭が大嘗祭である。来年の11月14日から翌日にかけ、皇居に大嘗宮を設営して執り行われる運びとなっている。
あらためて振り返ると、11月22日に会見に臨まれた秋篠宮さまは、以下のように述べられていた。
殿下 :具体的にもし言うのであれば,例えば,即位の礼は,これは国事行為で行われるわけです,その一連のものは。ただ、大嘗祭については,これは皇室の行事として行われるものですし,ある意味の宗教色が強いものになります。私はその宗教色が強いものについて,それを国費で賄うことが適当かどうか、これは平成のときの大嘗祭のときにもそうするべきではないという立場だったわけですけれども,その頃はうんと若かったですし、多少意見を言ったぐらいですけれども。今回も結局,そのときを踏襲することになったわけですね。もうそれは決まっているわけです。
ただ、私として、やはりこのすっきりしない感じというのは,今でも持っています。整理の仕方としては,一つの代で一度きりのものであり、大切な儀式ということから、もちろん国もそれについての関心があり、公的性格が強い,ゆえに国の国費で賄うということだと。平成のときの整理はそうだったわけですね。ただ、今回もそうなわけですけれども、宗教行事と憲法との関係はどうなのかというときに、それは、私はやはり内廷会計で行うべきだと思っています。今でも。ただ、それをするためには相当な費用が掛かりますけれども。大嘗祭自体は私は絶対にすべきものだと思います。ただ、そのできる範囲で、言ってみれば身の丈にあった儀式にすれば。少なくとも皇室の行事と言っていますし。そういう形で行うのが本来の姿ではないかなと思いますし、そのことは宮内庁長官などにはかなり私も言っているんですね。ただ,残念ながらそこを考えること,言ってみれば話を聞く耳を持たなかった。そのことは私は非常に残念なことだったなと思っています。
(記者会見終わり)
30日には大きく報じられ、山本信一郎長官は“そう受け止められたのであれば申し訳ない”とコメント。さる宮内庁関係者が明かす。
「予期せぬお言葉に、長官は困惑しきっていました。皇族方にお仕えする身とはいえ、あのような“仕打ち”には、我々の間でも顔をしかめる者がいたほどです」
※ あの様な仕打ちとは
>そのことは宮内庁長官などにはかなり私も言っているんですね。ただ,残念ながらそこを考えること,言ってみれば話を聞く耳を持たなかった。そのことは私は非常に残念なことだったなと思っています。
この下りです。 記者会見で、この様に言われれば宮内庁としても責任上、口を紡ぐことは出来ないだろう。
https://search.yahoo.co.jp/video/search?p=%E7%A7%8B%E7%AF%A0%E5%AE%AE%E3%81%AE%E5%A4%A7%E5%98%97%E7%A5%AD%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E7%99%BA%E8%A8%80&tid=fac871be999f412ea008bfff2d8ecbf9&ei=UTF-8&rkf=2&dd=1
参考までに、前回は公費である宮廷費から総額約22億5千万円が支出され、うち大嘗宮の設営には14億円余りが充てられた。一方、現在の内廷費(両陛下と東宮ご一家共有の生活費)は年間3億2400万円。前年までの残余金と合わせても、これでは儀式の規模が大きく変容しかねない。
さらに、矛先を向けられた政府でも、
「官邸はご発言の真意を測りかねています。大嘗祭の方針は4月に決まっているのに、何故このタイミングなのか。それを確認できるパイプもなく、秋篠宮さまが陛下や皇太子さまにもご相談された上で仰ったのではないか、と訝る声がもっぱらです」(政治部デスク)
※(私の注釈)陛下や皇太子が秋篠宮を使って代弁させるような姑息な人柄では決してないと思う。 しかも、具体的に神嘉殿を使えなどと言われるはずはない。 訝るとは、秋篠宮の発言が、それほど、信じられないものであったと言う事。
逸脱した行為
折も折、10日には即位の礼と大嘗祭への公費支出が憲法違反にあたるとして、市民団体「違憲訴訟の会」のメンバーらが、宗教家など241人を原告として訴訟を提起した。同会の酒田芳人弁護士によれば、
「11月9日には訴訟へ向け、原告団の集会を開きました」
秋篠宮さまの発言との関係については、
「原告団としてまとまった見解があるわけではなく、お答えしかねます」
というのだが、こうした動きを勢いづかせるのは明白だ。麗澤大の八木秀次教授(憲法学)は、
「殿下ご自身が、政教分離について誤解なさっているのではないでしょうか」
としながら、
「大嘗祭は、皇室の純然たる私的行事ではない。憲法が規定する皇位継承の移行に伴う由緒ある儀式と位置付けられ、政府は前回、公的性格を持つ儀式には宮廷費を使っても問題ないとしています。殿下は、皇室のプライベートな儀式と公的儀式との整理がついておられなかったのかもしれません。いずれにせよ、ご発言を巡って政府が対応せざるを得なくなったこと自体、皇族の行為としては逸脱していると思います」
混乱を招きつつ、秋篠宮さまは5月から皇嗣、すなわち皇位継承順位1位となられるわけである。
「週刊新潮」2018年12月13日号 掲載
(引用終わり)
政教分離の立場で一般の国民の中からは、大嘗祭への国費の支出に異議を申す人たちはいる。 でも、それは政治の問題であり政府が判断するもの。 天皇制とは、元々このようになっている。
それを秋篠宮は、何の立場か知らないが、皇位継承第一位になる皇族の立場で言うからには、いろいろな問題が派生する。 第一、それが良い悪いに関わらず政治の判断に口を出したこと。 それも、言うだけではなく自分の言うことが聞けない宮内庁の担当者の対応に不快感を示すなど、あってはならない態度をしめした。
実際には大嘗宮の設営の経費、15億円の節約を理由にである。 近代ではまれにみる天皇の生前譲位のことであり、国民も注目しているところ、大嘗祭は宗教的な儀式であるとして皇族だけの内輪で済ませることが国民にとって了とすることか。
天皇制を認める代わりに天皇制のなかの重要な儀式は国民に対してオープンであるべきではないのか。 さらに秋篠宮は譲位が行われれば、皇位継承第一位になる立場。 そんな立場の人間が実兄、皇太子の即位の儀式の有り様に口を挟み、さらに、その旨を記者会見で公にするなど、時代が時代であれば反逆罪に問われるところ。
大嘗宮の設営について言えば、伊勢神宮では20年に一度遷宮を行っている。 実に勿体ない話であるが、それを合理的に考えるだけが考えではない。 文化というものには、そういう不合理性も随分とあるもの。 宗教意識と言うだけではなく、文化という面からも捉えてみることである。
また、この問題が高じれば天皇制の存在そのものを云々させるように発展しかねない。
今回の秋篠宮の発言は、秋篠宮自身の軽薄さを現したのみ。 皇位継承第一位になるようだが、容易に政治に口を出す、こんな人物が皇位に就いたら大変だ。
そんな秋篠宮の発言をもてはやす傾向もある様だが、政教分離の理屈だけにとらわれず、もっと事態を多角的に見てほしいもの。
>こんな意見も有りますよ。
そもそもの支出の是非については、宗教学者の島薗進氏のように、戦後の皇室に戦前からの国家神道的な考え方が多く引き継がれていることを指摘し、そうしたことや、公費支出に疑問を投げかけるニュアンスの意見もあれば、皇室問題に詳しい所収氏のように、宗教行事というよりは伝統文化行事だから構わないという人もいる。
私は皇室の行う宗教的な色彩の強い行事への支出は憲法違反と決めつけることもなく、皇室が行う上での問題はないと考えている。 皇室の宗教儀式が国民に影響を与えたり、皇室が政治に口をはさむことがなければ容認できることである。 そもそも、日本国憲法は皇室制度をいちから創設したのでなく、現実にあるものを追認したのである。そうである以上は、矛盾があるのは仕方ないのであって、政教分離と皇室の伝統のどちらかを優先させるわけにもいかず、バランスを取って仕切るしか仕方ないのである。
そこで、内廷費というのを設けて日常的な神事は、そちらから支出しているのであるが、大嘗祭は費用も大きいので国費でということに平成の大嘗祭のときになったのである。
それを安直に動かすことは、あまり気が進まないのが正直なところだ。また、内廷費といえども国費由来には違いない。 そういった経費も考慮に入れて、内廷費を特別に増額するというのも、非透明性を増すだけだで、いっそのこと国費で行う方が良いのではないか。 また、内廷費で払える程度の規模にするという意見もあるし、それは皇室行事一般についてもある議論だが、あまり目だなく何事もするなら、皇室の存在感も存在価値も低くなるだろう。 (即位式自体、海外からの来賓を制限し質素に行なうことも考えられる)
そういう意味では、秋篠宮殿下の考え方は、少し一面的なのではないかと思う。
(追記)
そんなに税金の無駄使いが心配なら、国民の懐を心配するならば皇居までは言わないが、京都御所、赤坂御用地など5000億円を超える不動産の一部でも手放したらどうか。
ついでのついでに管理人さんのブログから、王室と皇室の違い
皇室を語るときに、ヨーロッパの王室と対比される。 開放的な王室と閉鎖的な皇室と言うように比較されるのだが、王室と皇室は全く別次元の家系で、それが日本人には理解できていないようだ。
皇室は日本人の血のルーツであり、古代から血統を守ってきた家系であって、いわば純粋な日本人と言う意味で存在している。 この血統、血を守ると言う考え方は、江戸時代に確立されたものだが、現在も残っている家元制度などで見ることが出来る。
血統を守ると言う原点が天皇家であり、その血統的系譜と言うのは日本人の思考の原点となっている。 江戸時代では殿様の息子は殿様になり、家老の息子が家老になるのは当然の事、として確立されていた。 そのようにしてそれぞれの家系を存続させてきた。
現代でも人気のある水戸黄門は、何らかの実力があったのではなく、これを見ろ、と徳川家の紋章、三つ葉葵の印籠+を差し出すことで、皆がひれ伏した。 ドラマの中とは言え、その時代をよく反映していて面白い。 また、日本人はこのような無意味な実力者を尊敬する傾向がある。
日本人の持つ尊血主義は外国には無く、理解されない。 市川団十郎は誰もがなれるのではなく、歌舞伎界の実力とは無縁のものである。 茶道の裏千家の宗匠になるには千家の息子として生まれるしかなく、他に適している人がいても、尊血社会では受け入れられない。
そして、この尊血主義が最も簡単に家を存続させる方法なのだ。 家元が変わるたびに作法が変わるようでは、流派が分裂してしまい、長続きしないことは明白だ。
徳川二百数十年の歴史ですっかり日本人に染み込んだ尊血主義は、現代でも役者の世界や歌手の世界にも定着している。 そして、政治の世界にも。 これだけは勘弁して欲しいのだが。
王室は血統などは全く無縁の系列で、戦う事によって勝ち取った地位なのだ。 戦争で勝った王の息子や娘が王の死後その地位を継ぐことが有っても、長く続くことは無かった。 歴史を見れば分かるように、自分を守るため、血統などとはかけ離れた異国人との政略結婚の繰り返しで、ヨーロッパの王室は親戚状態だ。
王室は王としての実権を取るため、または存続させるために、親子の間、兄弟間でも殺し、自らの力で勝ち取ったものなのだ。 そして、反抗する者は容赦なく殺す事が、唯一自分の地位を守る法でもあった。
王室が開放的で奔放、自由なのは、国民から尊敬される必要がないので、当然と言える。 王室は、例えばイギリスのエリザベス女王は大農園などの大地主であり、ロンドン市内の一等地に広大な土地を所有し、貸している。 その収入は莫大なもので、しかも無税なのだ。
一時期、税金を課すべき、と言う議論があったあので、今現在も無税かどうかは分からないが、いずれにしてもその収入は莫大なものである。 仮に、エリザベス女王が女王でなくなったとしても、その莫大な財産の所有者には違いない。
日本のマスコミは程度が低いので、このような単純明快な歴史も無視して皇族と王室を同列に並べて論ずることが多いが、全く別質なものを、無理やり同列にして論ずるのだから、突き詰めるほど矛盾が出てくる。
天皇家は、適しているから、ふさわしいからと言うような次元とは全く違う、日本人が好む血統が支配する世界なのだ。
おしまい
秋篠宮は確信犯!
>天皇の代替わりに伴う皇室行事「大嘗祭(だいじょうさい)」への公費支出について、秋篠宮さまが宗教色が強いとして宮内庁に疑義を呈した際、代替案として、宮中の「神嘉殿(しんかでん)」を活用して費用を抑え、それを天皇家の私費で賄うという具体案を示していたことがわかった。
バッカじゃなかろうか!!!!!!
大嘗宮の設営に関わる経費の問題よりも、大嘗祭を内輪で行うと言う発想が問題になるのだ。
新天皇即位に関わる儀式だぞ!
時の政権が「財政困難のおり、大嘗祭は神嘉殿で行いたい」と言えば
「ハイ そうですか」と納得するのが皇族の立場であろう。
この様な事を見ていると
紀子妃と結婚前の付き合い中、2度も中絶させたと言う噂も信じたくなるではないか。 秋篠宮が大学2年の時、1年生として入学してきた紀子妃と出会い、結婚まで5年間交際を続けてきた。 また秋篠宮家では紀子妃が職員に厳しくあたり、その上東宮家と対抗意識があり宮内庁とは円満ではなかったようである。 この様な背景も今回の発言の裏側にはあるようだ。
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Re: 達磨さんに催促されて 天皇論 ( No.19 ) |
- 日時: 2019/04/29 12:50
- 名前: 天橋立の愚痴人間 ID:R8O4dMzY
- 「新しい元号について、どのように思われますか 」スレッドで書いたことであるが、改元を記念して5月1日に神社で神楽舞・太刀振りを奉納すると言うことを思いついた地域がある。
それは私の地域のことであるが、当地の自治会役員も神社総代も私より年齢は若い戦後生まれの人間である。
そうした人たちが、新天皇の即位を祝って地区上げて行司を行うなど、全く持って時代錯誤。
しかしながら、彼等には戦前の神道国家の理念が解らない。
もちろん頭の中では理解しているであろうが、上っ面な情念に左右され動いたものであろう。
もともと元号は定めても、其れを日常生活に使うということ自体、象徴天皇制とは違和感があること。
この様な事が全国の一地区の問題であれば、すてて置いても良いだろうが、形は違っても何らかの行事が催されるのであれば、天皇制自体の問題となる。
個人的な行為として新天皇を祝うのも、祝賀パレードを見に行くも良いだろう。
しかしながら、其れが組織的に行われ、全国に蔓延するとなれば別である。
こうしたことが起きるのは、先の大戦の総括が出来てないからであり、
それ以上に明治以降の神道を礎にした皇国体制への総括がされていないからである。
私は神社信仰を肯定するものであるが、それは古神道としてであり、明治政府によってなされた神道の統合(全国8万社の神社の97%を伊勢神宮を頂点とする神社庁傘下とした)政策は神道の精神をゆがめるものであり、政治に利用されてきた。
この明治神道は否定する。 その様な国体に二度としてはならない。
そんな傾向があるならば、天皇制にも異論を出さざるを得ない。
「大和魂」も「神社信仰」も2000年の歴史に裏づけされる日本の文化である。 其れが明治維新以来、百年足らず軍閥などで歪められてきた。
私は、その「大和魂」も「神社信仰」否定はしない。歪められたものを糾したい。
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Re: 達磨さんに催促されて 天皇論 ( No.20 ) |
- 日時: 2019/08/26 15:48
- 名前: 天橋立の愚痴人間 ID:qGAMdE3s
- 「天皇家の陰謀」なるスレッドもある。
ここに参加されている多くの方も天皇制を毛嫌いされてる。
天皇制をめぐって不幸な時代はあった。
しかしながら、その様なことは差し置いて「天皇制」を見てみることも必要だ。
ある人は、天皇制は文化であり、国宝の様に思っていると書かれていた。
右翼や国粋主義者の様に、決して天皇制を積極的に評価されているわけではないことは解る。
また、過去にあった様に天皇制を利用して何かをなそうとする輩が出ないとも限らない。
しかしながら、天皇を敬愛する風土は確かに文化として存在する。
民主主義が行き渡ることで、皆が自己責任で生きることを求められ、各人は返って孤独感に苛まれることがある。
人生とは、考え方によれば空しいもの。
共に生きているという思いが人を助けもする。
日本ぬ住む人たちの象徴として天皇制を維持することは、実質的利害で考えるものではない。
そんな天皇制は、未来社会において、さらに存在意義が出てくるのではないでしょうか。
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