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[3008] 遊びの科学
日時: 2018/06/12 19:06
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:tcnfJFr2

遊びとは、知能を有する動物が、生活的・生存上の実利の有無を問わず、心を満足させることを主たる目的として行うものである。基本的には、生命活動を維持するのに直接必要な食事・睡眠等や、自ら望んで行われない労働は含まない。

遊びは、それを行う者に、充足感やストレスの解消、安らぎや高揚などといった様々な利益をもたらす。ただし、それに加わらない他者にとってその行動がどう作用するかは問わないのであり、たとえ他者への悪意に基づく行動であっても当人が遊びと認識するのであれば、当人に限ってそれは遊びとなる。
纏めれば、遊びは次の様な要素を含む。
1 自由意思にもとづいておこなわれる。
2 他の行為から空間的にも時間的にも隔離されている。
3 結果がどうなるか未確定である。
4 非生産的である。
5 ルールが存在する。

成人においては遊びはレジャーとして認識されるが、子供にとっての遊びは、別の意味で状様な事である。
遊びが人生に不可欠の資質を鍛錬する場でもあるということから、「子どもの仕事は遊ぶことである」といわれることが多いように、子どもの発達に特に重要な意味をもっている。運動能力や知的能力を競うことでこれらの能力が発達していくと同時に闘争本能も磨かれる。その一方で「勝っておごらず、負けて悔やまず」というおおらかな人生態度も学ばなければならない。そしてまた、多くの遊びには大なり小なりのルールがあるので、ルールにしたがうフェアプレイの精神が培われ、ルールがあるからこそ社会が成り立っていることを知らなければならない。喧嘩にも作法があることを学ばなければならないのである。

発達心理学においては、遊びの発達は社会性の発達と関わっていると報告されている。子どもの遊びの様態を観察した結果、 乳児期の遊びの始まりは探索行動と遊びの転換現象に見られる。乳児は新奇なものを与えられると、はじめは警戒し、次におずおずと触り始め、叩いたり舐めたりし探索する。一通りの探索を終えて対象の正体に安心を覚えると、叩きつけて音を出すなど同じ行動繰り返すようになり、笑顔や笑い声を出すようになる。

子どもは「一人遊び」をするが、やがて同じ年頃の子どもと並んで、しかし関わり合わずに遊ぶ「平行遊び」が見受けられるようになり、やがて他人と協働して行う「協力遊び」へと移行することが確認されている。兄弟などで遊んでいると、上の子が遊んでいるときに下の子が乱入してきて上の子が怒る、といった場面が見受けられるが、下の子を入れてあげられるようになるためにはある程度自分の遊びが確立していなければならない。また、プレイルームでの観察によると、3歳児など年齢が低い場合、いろいろな遊びをつまみ食いするようにして室内を移動していくが、年齢が上がって4,5歳になると、いくつかの遊びに腰をすえて取り組んでいけるようになる。幼児の注意持続時間も年齢とともに上がっていくので、一見移り気な3歳児の行動は年齢相応の注意や興味の持続とも関係があると思われる。

幼児のごっこ遊び

ごっこ遊びは、ふりとごっこ遊びに分けられる。ふりは、ふり行動とも呼ばれるが、日本ではみたて(見立て)といわれる。Aを「B」と見なすためである。小石を「あめ玉」と見立てて遊んだり、コップに泥水を入れて「ジュース」と呼ぶような行動がそれである。物を物としてしか扱えない感覚運動期(乳児期)から、物を別の物として扱える表象の時期に入ったことを示している。

3歳以降にはふり行動に物語性が加わり、ごっこ遊びらしくなってくる。また、以前には親の促しや代弁によって成り立っていたふり行動が、主として子どもの力で展開するようになるのもこの時期からである。
幼児から進みやがて学童期には次の様な遊びをする。

ままごと、鬼ごっこ、かくれんぼ、ビー玉、ケンケン、メンコ遊び

さらに進めば

凧揚げ、魚釣り、山遊びなど遊びにも創意工夫が必要となる。

年配の人にとっては当たり前の事であり殆どの遊びを経験されているであろう。
しかしながら現代の子供は、幼児期(3歳まで)の一人遊びはともかく、集団で遊ぶ、鬼ごっこ、かくれんぼ、ビー玉遊びなどは極単に減ってきている。
土地環境のせいもあるが、ネットのゲームなどがそれに代わってしまっている。
凧揚げ、山遊びなどは、さらに機会がなく、あったとしても整えられた環境で受動的にこなしている場合が殆どである。

私などは近所の山深く入り込み、そこに隠れ家を作るなどして楽しんだものである。
木の枝にロープを張ってターザンをまねた事もあり、危険ではあるが常に創意工夫を必用とした遊びの連続であった。
遊び道具も豊かな時代ではなかったので、紙鉄砲、杉鉄砲、船、そり、四輪車まで何でも作ったものである。極めつけはゴム動力の潜水艦までつくり、実際に水中に潜ったあと浮上してきた。
このようなものを作ろうとする発想さえ現代の子供には無いであろう。
殆どが既成の遊び具として揃っているから。

こうした経験で何が得られるかと言えば、判断力、感性である。
現代の若者は教育によって知性だけは優れているが、感性、判断力に乏しい。
知性と違い感性、判断力を磨くことは体験を基にしなければならないので非常に難しい。

特に幼少期の経験に基づく判断力の有無は、その人の成長にとってかけがえのないものである。
このような面の成長を待たず知性だけが先行する現代人の特徴は言わないでも明白である。
勿論、天才的な能力を持つ人間もいて、彼らにこのようなものを当てはめる必要はないが、一般的に言えば、青少年の育成において、この判断力、感性を磨く機会を増やすようにしなければ成らない。

最近の教育で言われている自主性などと言うものは、こうした判断力を通して身に付くべきものである。
判断も出来ない者に自主性を押し付けて何になる。
結局は押し付けられ、与えられた自主性と実際の社会の有り様に齟齬をきたし、閉塞状態に陥らせるだけの事である。

知性だけで人生を乗り切れない事は明白であり、もっと人間自身の有り様から見直さねばならない。
知性だけは優れてはいるが、判断力(感性)となると小中学生に等しい頭デッカチの人間が多すぎる。
その様な人間は、判断に迫られると、ネットなどの情報に飛びつく以外はなく、結局情報に右往左往する羽目になるが、それがインテリと思っているので世話がない。
そのために、本来の子供の遊びを取り戻す事である。
メンテ

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