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[3343] 官僚(公務員)の無謬性 <だれが、そんなことを望んでいるか!
日時: 2020/06/22 10:19
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:.yOXAdA2

日本の政府や大企業の官僚組織でほとんど無意識のうちに前提とされているのが、「無謬(むびゅう)性の原則」である。「ある政策を成功させる責任を負った当事者の組織は、その政策が失敗したときのことを考えたり議論したりしてはいけない」という信念だ。


官僚(行政)の無謬性」

と呼ばれる、我が国に根強く存在するものです。謬とは「誤り」という意味なので、無謬とは「誤りがない」ということ。

我が国では、官僚・公務員・行政は間違いを起こさないということになっているんですね。

なんのこっちゃと感じると思いますので、解説します。

官僚が行う政策はこれまで何十年にも渡って行われ、また将来的にも長期スパンで行われるものが多く存在します。

よってその影響も、何百万・何千万人にも及ぶことが予想されます(年金など)。

これだけ影響力が大きい政策を実行する官僚部隊には、万が一にでも間違いを犯してはいけないという強烈な圧力がかかるわけです。

そうした「健全な圧力」があるだけなら、緊張感を保つ意味で望ましいものだったかもしれません。

しかし我が国では、この強迫観念やプレッシャーが高じて

「官僚は間違えてはいけない=官僚は間違えない」

という恐ろしい発想に飛躍していくことになります。

ひとたび間違いを認めてしまえば、自分たちのみならず、それを実行してきたすべての官僚たちが間違っていたことになり、

歴史上何千万人もの人に間違った政策を実行してきたことになる...。

そんなことは絶対に認められないので、官僚たち自身(ひいてはそれを指示した政治家自身)が

「制度設計を間違えたので、年金は崩壊しました」

とか絶対に言えないわけです(苦笑)。

嘘のような本当の話ですが、間違いを認めなければ間違いにならないじゃないか、と。

彼らは数字をつぎはぎ、なんとか当初の政策を延命させようとします。

世論の力によって変わっていく場合でも、少しずつ、ほとぼりが冷めたころに、せめてその制度設計をした

歴代の政治家・局長・官僚たちが引退した頃に...という力学が働くため、

よっぽど強力なリーダーシップが働かない限り、

行政政策というのは少しずつの改善しか行われないということになります。

民間企業で当然行われる「PDCAサイクル」は、無謬性によって機能しないのですね。

余談ですが、橋下維新による大阪都構想はまさに、こうした「官僚の無謬性神話」を根底からぶち壊しにかかるものでした。

そのために公務員を中心とする勢力に大きな抵抗にあり、その改革は志半ばで足踏みしていることはご案内の通りです。



児童養護の例に引き付けて考えますと、

「乳児院は廃止した方がいいんじゃないか」

と思っていても、そのやり方で日本・東京都は戦後70年間、ずっと要保護児童たちを養育してきてしまったわけです。

その何万人もの児童たちに、「間違った」ことをしてきたことになる。

これは行政サイドとしてはなかなか認めづらいことです。

また、あまりに「乳児院はダメだった」というイメージが先行すれば、世間一般の人から

「乳児院出身者は間違った養育を受けてきたから、みんなダメなんだ」

というあらぬ偏見を持たれてしまう可能性があり、行政はそれを過敏に恐れます。

(勿論、間違っていたのは政策であって、対象の個人はまったく関係ないことです。)

一筋縄ではいかない部分もありますけど、先進諸国はこうした葛藤を乗り越えて、ドラスティックな改革・改善を実現してきました。足踏みをしている間に、

子どもたちはあっという間に大人になってしまいます。

児童養護の分野だけでなく、年金制度を始めとする世代間格差諸問題についても、

政治や行政は率直にその過ちを認め、方向性を正していかなければなりません。

先送りを続ける余裕は、もはや我が国はまったくないのです。



「間違いを犯したくない」

という気持ちは、誰の心の中にもあります。

それが過剰に膨らみ、組織の中に浸透したとき、それは「無謬性神話」という形で具現化してしまうのです。

物事や組織がなかなか変わらない...と感じるとき、時にこの「無謬性神話」に毒されていないか、自分自身や組織を振り返ってみると良いかもしれませんね。

これを乗り越えた改革を実現できるよう、私どもは引き続き政策提言・世論喚起を粘り強く続けていきます。

それでは、また明日。

(2015年10月17日「おときた駿公式ブログ」より転載)


(引用終わり)

上記の文章は、まだまだ、官僚に好意的なものです。
要するに、戦前は天皇陛下の吏僚として存在し、天皇には絶対服従、違背することは万死に値する。
絶対に失敗は許されない。

>官僚は間違いを起こさない、起こすべきではない

と言う信仰が根付いたもの。

戦後はそれを逆手にとり、国民に対して我々は間違たことはしないと見えを切るようになった。

仕えていた天皇がいなくなり、国民に対しては官僚共の思い上がりになってしまった。

その為に、官僚共は如何なる変化も避ける(冒険を侵さない)性癖が付くと共に、自分たちが間違ったばあい、あらゆる手段を講じて覆い隠そうとする。

高知県バス運転手冤罪事件など、あらゆる冤罪事件で、再審を拒む姿勢もそうである。
そのた、日常の細かい事象で、一般市民がどれだけの抑圧を受けていることであろうか。

言葉使いは丁寧でも、公僕と言う意識はない。
接する市民の不快を被らないことで、己の身の安全を確保しようとしているだけ。
本気で、市民の訴えを聞き気もなく、法令、条例を押し付けるだけ。

さらに、官僚(公務員)共は、天下り、年金など、自らの身分保障に目が眩み、あまたの血税を自分のものとする。
その行為まで、無謬としている。

官僚の無謬性!

思いあがるな!



メンテ

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Re: 官僚(公務員)の無謬性 <だれが、そんなことを望んでいるか! ( No.1 )
日時: 2020/07/06 20:38
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:b8GTW5P.

「コロナウイルス騒動と保険所の対応について」スレッドでも書いたことですが、

コロナウイルスの対策で保険所は要の役割を果たさなければならなかった。

だが保険所は定められたマニュフェストを守るだけで、非常時の臨機の対応ができなかった。

奴らにしてみれば、決められた通りの行動をとったので、自分たちに何の責任もないという考えである。

官僚の無謬性の裏には、このような職務怠慢、無責任さがあるのである。

とおり一辺倒は事より出来ない奴らが、自分達の無謬性など、何を基準のほざくのか。



九州豪雨禍の顛末

(気象庁の言い訳)

熊本県と鹿児島県の4日未明の記録的大雨は、気象庁の警報などの発表が夜から未明となり、住民の早期避難に十分につながらなかった。大雨時の避難は夜間だと危険を伴うため、日中に早めにすることが望ましいとされるが、今回のような突発的大雨の事前予測は「難しい」(気象庁)のが実情。早期避難を促す行政対応の難しさが浮き彫りになっている。

 今回の大雨で、気象庁が最大級の警戒を呼び掛ける
>大雨特別警報を出したのは4日午前4時50分。自治体が避難準備を促す目安となる大雨警報は、鹿児島県阿久根市など北部は3日午後8時前、

>被害の大きい熊本県では3日午後9時ごろだった。自治体が避難勧告を出す目安となる土砂災害警戒情報も鹿児島県で午後7時前、熊本県では午後10時前と、いずれも夜間だった。

※ これを受けて、自治体が避難指示を出すのは、いくら早くても、午後12時くらいとなる。
※ 大雨特別警報が出た時には、すでに被害が出始めていた。
※ 気象庁は、それを知っていた。
※ 少なくとも自治体の担当者は問題の河川の水位を見に行ったのであろうか。
※ 今回は大雨警報を出すのも遅すぎたのである。

 気象庁が臨時の記者会見を開いたのは4日午前6時。中本能久予報課長が「土砂災害警戒区域や浸水想定区域では何らかの災害が既に発生している可能性が極めて高い」とし「緊急に身の安全を確保してください」と呼び掛けた。

 ただこの時点で既に、住民が取るべき避難行動の必要性を示す大雨・洪水警戒レベルは危険度が最も高い「5」。記者から情報発信が遅いのではないかと問われると、中本氏は「特別警報が避難のトリガー(引き金)ではない。順番を経て避難のための呼び掛けはしている」と説明した。

 気象庁は近年、災害被害を軽減するため早めの避難を促しており、昨年7月に九州南部に梅雨前線が停滞した際には、緊急会見を開いて大雨特別警報の発表を事前に示唆し、危機感を強調していた。今回はそうした対応がなかったことについて、気象庁関係者は「昨年はある程度の降雨が続いていたので危険性が高いと判断した。今回はこんな急激に豪雨になるとは予測できなかった」と話す。 (森井徹)


(千寿園での避難活動)

救助に駆け付けた近所の男性によると、4日午前3時ごろにホームに着くと、1階の部屋とその周りに入居者が集められていた。職員と地元の協力者約20人で入居者を2階に運んだが、寝たきりや車いすの人が多く、避難に時間がかかった。

 エレベーターがないので、階段で1人を4、5人がかりで運んだ。目の前の小学校の校庭が完全に浸水し「やばいと思った」。午前5時ごろには水はホームの玄関まで迫り、避難を促され、その場を後にした。「間に合わなかったのかもしれない」。男性は悔しさをにじませた。

※ 近所から支援者が駆けつけるくらいなので千寿園では午前2時ころから避難を開始しようとしていた。

(自治体の警報活動はあったのか)

自治体の避難指示などが、気象庁の大雨警報を受けてするならば、気象庁の大雨警報は3日午後10時ころ。
自治体の職員が、放送などで地域に知らせることが出来るのは、早くて4日、午前0時。

その時には、千寿園では実質避難体制を取っていた。
千寿園の職員が危険を察知しているくらいなのに、自治体の災害監視体制は、どうなっていたのか。

気象庁の出遅れにも責任がある。
色々と言い訳しているが、要するに判断が甘かったに過ぎない。

また、自治体も、気象庁の発表がなければ動こうとしない。
これも、大いに怠慢。
河川の氾濫などは、常に起きている。
一気に大雨が降ったわけでもなく、数日前から雨が多い予報は出ていた。
気象庁の発表などに関係なく、所轄の河川の水位の監視くらいは、自力でやるべき。

ましてや、千寿園の近くには、結構、大きな河川がある。
その監視には、少なくとも3日の朝から、24時間体制で行うべきであった。

長時間の監視をしていれば、数時間後の予想は、気象庁のデータに頼らなくても予想できたはず。
役所の危機管理としては、当たり前の業務であろう。

今回の千寿園の悲劇は、気象庁の判断ミス、役所の怠慢の結果である。
今回は特殊な例と言っているが、その様な言い訳を許すのならば、同じような問題は次から次へと出てくる。

特殊でも、初めてでも、データーがあり限り、それを見抜くのがプロであり、能力ではないのか。
仕方がなかったで、済ませられる問題ではない。

ところが、奴ら公務員は。冒頭のような言い訳をするのである。


(追記)

熊本県球磨村の中渡徹防災管理官の弁解

記録的な大雨で大きな被害を受けた熊本県球磨村の中渡徹防災管理官は、「千寿園」について、施設では年に2回大雨による災害を想定し、建物の2階や高台に避難する避難訓練を行っていたということですが、「今回の避難の状況については今後、詳しく検証したい」と話しています。

また今回の大雨について、「4日の午前2時前から球磨川の水位が急に上昇した。防災行政無線で何度も避難を呼びかけたが、水かさが増すのが速かった」などと話しました。村では、球磨川にかかる6つの橋のうち、4つが流されたほか、国道219号線が寸断されあちこちで孤立している地区があるということです。

※ 何を検証しようというのだ。避難方法が訓練通りであったか、否かを検証したいのか。
 すでに近所の老人までもが支援にか駆けつけて必死に救助してるではないか。
 検証するならば、自分連絡が適正であったか、否かであろう。
 それならば、検証しなくても判っているはず。
 カッコつけるな。

※「4日の午前2時前から球磨川の水位が急に上昇した。防災行政無線で何度も避難を呼びかけたが・・・
 勝手なことを言うな。あんたが呼びかけた時にはすでにアチコチで被害が出ている。
 4日の午前2前から川の水位が急に上昇したというが、もっと早い時点で予測できなかったのか。大雨が降り続いていたであろうに。
 全て後手後手なのである。


【球磨川氾濫までの動き】
3日(金)
午後8時49分:芦北町に「大雨・洪水警報」
午後9時39分:人吉市・球磨村に「大雨・洪水警報」
4日(土)
午前3時半:球磨村に「避難指示」 遅すぎる、自分で観測していたら、流れが判ったはず。
午前4時32分:16市町村に「大雨特別警報」伝達
午前4時50分:熊本県に「大雨特別警報」
午前5時15分:人吉市に「避難指示」 遅すぎる、気象庁発表と連動してるだけ。
午前5時55分:「球磨川氾濫」発表  午前5時には道路は冠水していた。

※ これで判ると思います。
 球磨村に「避難指示」が出たのは午前3時30分。
 午前2時に「避難指示」を出していれば、様子が変わったかも。
 かつ、年に2回ほど避難訓練をしているならば、夜中を考えると施設の職員では手に余ると判断し、消防署などに支援を要請できたはず。


>大きな被害が出た特別養護老人ホーム「千寿園」付近の水位計に注目します。 ここの氾濫危険水位は8.7m。午前2時には6mを超え、その2時間後の午前4時には一気に氾濫危険水位を超え、午前7時には12m以上になりました。このように、寝ている人も多い時間に水位が一気に上がったことが、被害が大きくなった理由の一つです。

※ 確かにそれは言えるが、避難指示は、その様な事も組み入れてやっているのではないか。
 高々1時間の問題ではないか。
 適切な避難指示があれば問題はなかったのである。



気象庁や行政の担当者の話(言い訳)を聞けば、仕方がないと思うでしょうが、その裏に隠された判断ミスにも言及しなければならない。

官僚の無謬性の裏には、このように官僚の責任逃れの実態があるのである。

無謬性とは、何に対する無謬であるか。

己らのマニュアルに対する無謬性ならば、それだけで奴らの思い上がりであり、国民は認めないし、容赦はしない。


(追、追記)

ネットを見ていて新しい情報を得た。
天気予報のサイトで、全国各地の警報の状況が見れる。
試しに熊本県、球磨川流域の状況を見ました。

先に球磨川の水位の確認が十分であったか、否かについて言及しましたが。
実は球磨川クラスの河川ともなると、リアルタイムで水位が判るようなシステムが採用されていて、私でも、現在の状況が判ります。

それによると、水位のグラフは、1時間置きでも、10分置きでもリアルタイムで表示されています。
ちなみに、今の時間、8日の午前1時30分では、水位は8.75mと出ています。

問題は、水位に対応するシステムの事です。
それによると、水位 6.5mで水防団待機となっています。
次に水位8.0mで、氾濫注意と書かれています。
さらに水位10.9mで避難判断をすると言う事になっています。
水位12.2mでは、氾濫危険とあり、氾濫が起きても仕方がないという想定です。


くだんの熊本県球磨村の中渡徹防災管理官は、このマニュアルに従って、水位11.0mを確認してから、避難指示を出したのでしょう(
午前3時半)。

それでは遅い。

10分もあれば水位が1.0m近く上昇していることは、その図表を見ていれば判ること。
だから、避難指示を出して20〜30分後には氾濫してしまった。
これでは、住民は何の対応もできない。
恐らく、多くの住民は経験から、避難指示が出る前に避難していたのであろう。

全体を見て入れば、11.0mを待たずに9mをすぎたら避難指示を出すべきであった。

恐らく、その担当者も薄々気が付いていたであろうが、マニュアルを独断で無視する勇気がなかったのであろう。

腰抜けめ!であるが、

飼いならされた大概の公務員は、この様なものである。

マニュアルさえ守っていれば過失にはならないのである。

何が無謬性か!

また、対応のシステム自体が間違っているのではないか。
メンテ

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