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[3344] オーム真理教と現代若者気質
日時: 2020/06/22 17:05
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:.yOXAdA2

オーム真理教の顛末は、今さら書かなくて良く御存知の事と思います。

オーム真理教の教義とは、一体、何であったのでしょう。

>麻原彰晃こと松本智津夫の生い立ち

1955年3月2日、熊本県八代市高植本町の畳職人の家庭の4男(6男3女の9人兄弟の第7子)として生まれた。先天性緑内障のため生来、左目がほとんど見えず、右目は視力1.0程度だった。

12歳年上の長兄は全盲、5男も弱視だった。
おとなしくて、女の子とままごとばかりしている子どもだった。どうしても目を細めがちだったので、女の子からもいじめられることもあったという。

小学校に入学した年の秋、麻原の人生に最初の転機が訪れた。家から40キロ離れた、盲学校へ行くことになった。

子だくさんで貧しい家庭の先行きを案じた両親が、就学奨励費の受給を目当てに、転校を決めた。

20歳で卒業するまでの13年間、両親が訪ねてくることはなく、衣服や食料を送ってくることもなかった。

盲学校では、強い権力欲を見せ、暴力で支配していた。

全盲の子供を外へ連れ出すと食事をおごらせたり窃盗を命じたり、自分の欲しいものを買わせたりし、「外へ連れて行ってやったのだから日当をよこせ」などと言ってお金を巻き上げていた。
生活指導の教師が注意すると「言うだけなら、なにを言うたって勝手でしょう」とうそぶくこともあった。金への執着も強く、同級生への恐喝によって卒業するまでに300万円を貯金していた。お気に入り詳細を見る

小学部5年時に児童会長、中学部在籍時と高等部在籍時に生徒会長、寮長に立候補するが、全て落選している。

東京大学文科1類受験を目指すため、1975年3月末に東京都江東区、8月に品川区に移住

しかし9月には八代市の実家に戻る。
1976年、長兄の店の元従業員が兄を侮辱したため頭部を殴打し負傷させ、八代簡易裁判所にて1万5千円の罰金刑を受ける。

1月熊本市春日に移住し長兄の漢方薬店の助手を務め、3月、受験勉強をするために学生街のある熊本市黒髪町に下宿するが、5月にはまた実家に戻り、長兄の店を手伝っていた。お気に入り詳細を見る
1977年再上京し、代々木ゼミナール渋谷校に入学。

1978年、代々木ゼミナール渋谷校で知り合った妻、松本知子と結婚

千葉県船橋市湊町に新居を構えた。
鍼灸院「松本鍼灸院」を開院、同年9月を廃院。同市本町 に診察室兼漢方薬局の「亜細亜堂」を開業。

当時は松本家一家は千葉県船橋市に住み、貧しく家族全員で1つの寝室を共有していた。食事は野菜中心で肉の代りにグルテンを肉状にしたものを食べたり、ちゃぶ台の上にホットプレートを置き、「野菜バーベキュー」を楽しんでいた。この船橋の家には「瞑想室」があり、宗教画が掛けられ棚には仏像が置かれていた。麻原は日に1度は瞑想室にこもり修行をしていた。棚の前にはちゃぶ台があり、麻原はそれを祭壇と呼んでいた。「形は重要じゃない。心が重要なんだ。私にとっては」というのが麻原の口癖だった。後に教団が大きくなってからも、麻原はそれを祭壇として使っていた。

当時、麻原はヨーガ教室を東京都渋谷区で開いていたため、家にいることが少なかった。たまに帰宅すると強度の弱視のためテレビにくっつくように野球中継を見ていた。1986年ころには世田谷区の道場に住み込むようになりほとんど家に帰らなくなる。たまに麻原が帰宅すると3人の娘たちが大喜びで玄関まで走って行き、姉妹で父を奪い合うような普通の家庭であった。次女は父の帰宅を「太陽のない世界に、太陽が来た」などと表現していた。しかし、妻の松本知子は麻原が滅多に帰宅しないことから精神不安定であり、麻原に向かってなじるようないさかいがあり、麻原はこれにほとんど抵抗をしなかった。3女松本麗華の目には、知子が麻原の宗教を信じているようには見えなかったが、知子は麻原の著書の代筆を深夜まで行っており、後の麻原の著書のいくつかは、知子が書いたものであった。

麻原は子供に向かって「蚊に刺されると痒くていやだね。でも蚊も生きているんだよ」とか「お釈迦様によれば、私たちは死後生まれ変わり、もしかしたら蚊に生まれ変わるかもしれない」などと話していたが、一方妻の知子は蚊を平気で殺していた。

(引用終わり)

この過程で、麻原は内にこもり宗教心に目覚めて行く。
麻原の生い立ちを見れば、そりゃ、普通の子供のような精神的発育は出来なかったであろう。

1984年(昭和59年)、超能力開発塾「鳳凰慶林館」を主宰していた麻原彰晃(本名・松本智津夫)は後に「オウム真理教」となるヨーガ教室「オウムの会」(その後「オウム神仙の会」と改称)を始めた。当時は超能力の獲得を目指すアットホームで明るいヨガ教室だった。

教祖である麻原彰晃(本名:松本智津夫)は、「ヒマラヤで最終解脱した日本で唯一の存在で空中浮揚もできる超能力者であり、その指示に忠実に従って修行をすれば誰でも超能力を身に付けることができる」、などと謳い若者を中心とする信者を多く獲得した。教義的にはヒンドゥー教や仏教、さらにキリスト教といった諸宗教に合わせ、1999年に世界に終末が訪れるとするノストラダムスの予言など、終末論が交錯していた。麻原自身は釈迦の教えを忠実に復元したとしていたものの、実際のところ麻原にとって都合の良いものとなっていた。

この様に麻原個人の心的狷介から発したものを宗教として他人に押し付けることで自分の世界を広げようとした。
決して、一般的な宗教の定義にはならない。

けれども、その麻原に同調するものが多く現れた。
この事が問題である。

一体、麻原の何に惹かれて麻原を信奉したのか。
それは、単純な話、

現代社会の精神的混沌に耐えられなくなった若者が、何か普遍のものを求めて麻原にたどり着いたのである。
現代社会の精神的混沌とは、個人の自由であり、自主性の事であり、一般の人間は身近な満足にそれを見出すが、少し考える人間は、それなりに価値あるものを見つけられない。

この様に安直な人生観が、カルト(オーム)に走らせる。
新実智光、早川紀代秀、上祐史浩など、多くのインテリ信者がいたように、人生に悩む力をもっている人間ほど、オームに吸い寄せられる。

人間は、物質的な満足では生きられない、共生社会で初めて解放される精神をもっている種族である。
オームでなくても、この半世紀、多くのカルトが生まれている。

昔は既成の宗教が、人間を導いたものであるが、情報が氾濫し、知識ばかりを蓄えた人間が、自分の力で活路を見出そうとし、多くは返って邪道に入り込む。

素直に歴史に従うか、歴史に思いを問えばよいのに。
それをさせないのが、自称、知識人。

民主主義も良いけれど、人類は社会性動物であり、社会を求めるには、ある程度のルールがあることを認めねばならない。
自分勝手な、乏しい知識で活路が開けるなどと思い込むではない。

自主性と言う意味を、心して見直すべきである。

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