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[3357] 40年前の日本の政治<大平正芳を語る
日時: 2020/07/11 13:09
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:3SQDi4bg

EUなど経済統合、格差の増大でギスギスしてきた至上主義経済社会。
思えば、半世紀前、どのような状況で、どのように現在に至ったかを検証してみたい。
大平正芳は。1978〜1980年にかけて大平内閣を組織していました。



「大平正芳の時代認識」

1993年10月00日
著者 公文俊平 より引用。

を紹介しながら検証したいと思います。
上記サイトの文章は一部省略しています。


一九七八年一二月七日、第六八代内閣総理大臣に就任した大平正芳は、翌年の一月二五日、第八七回国会で行った最初の施政方針演説の冒頭で、「まず私の時代認識と政治姿勢について申し上げます」とのべて、 "文化の時代の到来" と "地球社会の時代" を、その "時代認識" の二本の柱とした。総理大臣の就任最初の施政方針演説で、 "時代認識" という言葉がもちいられたのは、この時をもって嚆矢とする。 

もともと、 "時代認識" という言葉は、それほど古くからあった言葉ではない。長年、宏池会のライターとして活躍してきた福島正光氏によれば、この言葉は、戦前広くもちいられていた "時局認識" という言葉の戦後版だという。戦後、それがいわば装いを新たにした形でジャーナリズムの一部でもちいられはじめていたものを、宏池会の政策文書などの中に次第にとりいれていったのだそうだ。しかし、この言葉は、いまだに広辞苑にも収録されていないし、私の調べたかぎりでの和英辞典にも見あたらない。その意味では、まだ日本語として完全に熟しているとはいえないのかもしれないが、次第に一般に普及するようになってきていることも事実である。

(中略)

より最近の例としては、「日本の政治を代表してきた自民、社会両党にそうしたグローバルな時代認識があるだろうか」(九二年七月) 、「社会党が田辺氏の辞任を契機に、時代認識をもって政権政党に脱皮することを願っている」(九二年一二月) 、「このような時に、経団連会長は相も変わらず自民党に資金提供をすると言っている。時代認識の欠如もはなはだしい。」(九三年六月) 、「地球規模の "環境冷戦" が始まったという時代認識に立ち、共生への道を探る」(九三年七月) 、「おれはもう七十八歳だよ。この年の人間を引っ張り出そうなんて、時代認識が間違ってる」(九三年七月) 、「連立与党が将来、どのようになるのか、政党政治への時代認識を河野氏がただした」(九三年八月) 、「首相発言といえば、所信表明演説で "侵略行為" と強調した戦争への反省も、非常に好意的に受け取られていることが分かった。時代認識にも国民の共感がある」(九三年九月) 、など多くのものがあり、この言葉が次第に日常用語として定着しつつあることを伺わせる。施政方針演説については、「時代認識や国際情勢から始めて、次第に内政問題へ話を移していくという施政方針演説の常道」(九三年一月) といわれるまでになってきている。 

これらの用例からみると、この "時代認識" (あるいは "時局認識" ) という言葉は、日本人が通有している世界観を端的にあらわしている "文化語" とでもいうべき言葉であることがわかる。すなわち、日本的世界観の特質のひとつは、外の世界が、ある大きな流れ−− "世界の大勢" −−にのってうごいているという信念をもっているところにある。しかも、この流れ自体は、黒潮が流れをかえるように、時に変化することがあって、それが "新時代" をもたらすのだが、われわれ日本人には、この時代の流れそのものをかえることはなかなかできない。われわれにできるのは、むしろ、その流れの方向や性質、とりわけそれらの変化を、なるべく速やかかつ的確に認識した上で−−つまり、正しい "時代認識" をもった上で−−それにあわせて自分自身のあり方や行動を変革することなのである。したがって、われわれの常に心がけるべきことは "変化への対応" (第二臨調がかかげた行政改革の第一理念)である。

これが、ルース・ベネディクトが『菊と刀』でしめした日本分析以来有名になった、日本人の、 "状況対応型倫理" 原則にほかならない。いいかえれば、この意味での "時代認識" の通有こそが、日本人を合意と行動にみちびく大前提なのである。そうだとすれば、日本の偉大な政治家の条件は、時代の変化に対する鋭敏な感覚をもち、他の人々にさきがけて、新しい時代認識とそれが含意する新しい対応行動を提示し、人々を説得できることだといってよかろう。他方、およそ日本の政治家たるものが最低限度もたなければならない資質は、すでに世間で広く通有されているものからかけはなれた、 "古い" 時代認識にいつまでもしがみついていないで、適当な時期に、新しい時代認識に乗りかえる機敏さと柔軟性をもっていることであろう。吉田茂は、戦後におけるこの意味での偉大な政治家の典型であった。

そして、後に検討するように、大平正芳もまた、その時代認識の新しさと的確さの両面において、日本の偉大な政治家の一人に数えられる条件をみたしている。しかも大平は、その施政方針演説を、みずからの時代認識をまず明示してみせることろから始めることによって、そのスタイルを後々の施政方針演説の "常道" にする先例を作ったという意味でも、注目に値する政治家だといわなければならない。  



著者は、ルース・ベネディクトが『菊と刀』を紹介して「日本の政治家の時代認識とは"状況対応型倫理" 原則にほかならない」と喝破している。

勿論、時代認識とは現実の把握がしっかりとできることが条件である。また的確に時代の要請を認識できてこそ、それに立脚する将来の指針を得ることが出来るのである。

明治維新以来、池田内閣までは欧米に追いつけ追い越せが明確な目標であり、各内閣は時代認識にも施政方針でも妥当な線を容易に保持することが出来ていた。
ベネディクトの状況対応型文化と揶揄されながらでも。

ここでは、大平正芳における時代認識と最後に現代の政治家の時代認識について検証することにする。


続く。
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Re: 40年前の日本の政治<大平正芳を語る ( No.1 )
日時: 2020/07/11 14:33
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:3SQDi4bg

「大平正芳の時代認識」

大平の時代認識へ直接迫るのではなく、大平の思考の概念をまず検証します。

>一.楕円の哲学  

時代認識は、当然のことながら、一定不変であり続けるわけにはいかない。時代の変化と共に、変化していってこそ、有用な時代認識だといえる。しかし、そのような時代と共に変化する時代認識そのものの基盤には、不変の、あるいはすくなくとも相対的により変化しにくい、世界認識の枠組みや哲学のようなものがなくてはならないだろう。

そうでなければ、そもそもどのような時代認識も持ちようがないのである。大平正芳の場合、そうした哲学は明らかに存在した。それは、彼のキリスト教信仰などとともに、青年時代にすでに確固として形成され、一生を通じてかわることがなかった。中でも、その中核にあるといってよいと思われるのが、いわゆる "楕円の哲学" である。 


つまり、大平の考えでは、およそものごとには二つの中心があって、その両者が緊張した均衡関係にある場合にはじめて、ものごとは円滑に進行する。ものごとの動きを政策的に制御しようとするものは、常にこの点に注目していて、両者のバランスをとることを心がけるべきであり、いずれに傾きすぎてもいけないというのである。 


楕円の哲学とは、文字の通り、思考を幾何学的に表現しているだけのものであり、思考の求心点を2極化して考える、それ以上の意味はないようです。
著者は他の事例も挙げていますが、以下のみ紹介します。

>さらに言えば、大平的民主主義観は、為政者と国民を民主政という楕円の二つの中心とみるものであったということもできそうである。大平は、政治家の仕事は自分に投票してくれた国民への奉仕であると考える一方で、国民の良識に信頼して、けっして国民に媚びようとはしない政治姿勢を堅持し続けた。彼は、すでに最初に選挙に打ってでた時から、次のようなことを肝に銘じていたという。  

目先の御利益を誇張的に宣伝して、有権者の歓心を買うようなことはいやしいことであると思った。国民の良識がいつの日にか厳正な審判を、かかる言動に下すに違いあるまいと思っていた。民主主義というものは、国民の良識を基調にもっているのだから、もし無責任な煽動が勝利を民衆の中に永遠に打立てるようなことがあるとしたら、私はむしろ私の方から民主主義との絶縁をも敢て辞さない積もりだ、という気負った気持ちをもって、自分自身に言い聞かせていた。
(『財政つれづれ草』、『回想録』、伝記編、p.155 より再引)  

(中略)

さらに、一九七一年には、通産相としての大平は、国民の政府依存癖、受け身意識、被害者意識を批判して、国民意識の転換の必要を次のように説いている。  

民間主導の真の意図するところは、これからは民間企業が自らの力によって厳しい国際競争を乗り切るのだという、はっきりした自覚を持つべきことを促したいことにある。いうまでもなく、自由経済体制にあっては、経済発展の担い手は民間企業であり、民間の英知、活力、創造力こそが発展の原動力なのである。ところが、従来、日本の企業は、困難な事態となると、とにかく政府に頼りがちになるという風潮がみられる。こうした安易な態度を改めなければ、未来へのたくましい発展は、望めない。 ......


大平の消費税導入の構想も、国家と国民を2極に仕立てて、双方の求心力がバランスを取ってこそ、本物の繁栄がもたらせられると言う思いからと思われる。

然るに昨今の民営化路線、消費税論議は、財政の面からのみ、ひたすら行政の責任回避から議論されていることを見なければならない。

また世論を扇動するマスメディアと、世論に右往左往する政治屋どもの醜態は希望を封殺するものである。




「財政政策について、途中はさみ込み」

>今にして思えば、一九八〇年代の十年間は、その前半でアメリカに追いつき追いこす勢いをみせていた日本が、その後半では、追いつきに成功したことへの自己満足と国家的目標を見失ったことによる混迷とから脱却できないでいる間に、新技術の開発や産業組織の改革などいくつかの面で、再び大差をつけられてしまった十年間だったということができそうである。

八〇年代のアメリカの "レーガノミックス" は、厖大な財政赤字や社会的な階層分化をもたらしたゆえに、大失敗だったと見るのが日本での通説であり、ほとんど嘲笑と憐愍の念をもって言及されることが多い。

しかし、レーガン政権のおこなった巨大な財政支出は、SDIによってソ連の野望を完膚なきまでに打ち砕いたばかりか、ほころびの目立っていた国内のハイウェー網の再建をも可能にした。また、その減税、自由化政策は、 "産業化の二一世紀システム" を支える一連の新たな技術革新−−情報革命−−に道を開いた。そのためにアメリカが支払わなければならなかった社会的なコストには厖大なものがあったが、とにもかくにもその結果として、アメリカは、次の世紀での軍事的・経済的な覇権を再びその手中にしつつある。

十八世紀末のイギリスが、産業革命という新たな力の源泉をみずからのものとすることによって、世界政治の檜舞台に主役として返り咲きをはたしたように、二〇世紀末のアメリカは、情報革命という新たな力の源泉をいち早く手にすることによって、 "パクス・アメリカーナ・マークU" への道をひらいたのかもしれない。恐らく、そのような観点からレーガノミックスが再評価される日も近いのではあるまいか。

それにひきかえ、日本は、すでに一九六〇年代に、世界に先駆けて情報化時代の到来をみてとっていたにもかかわらず、それを現実化するために必要な技術革新をみずからの力で生みだすことには失敗してしまった。また、大平の後継者たちが一九八〇年代の国家的課題として設定した行政改革と財政再建のうち、財政再建にはある程度成功したものの、政治・行政・経済・社会の改革はごく中途半端なものに終わってしまった。

その結果、一九九〇年代の前半にいたって、アメリカの復活が喧伝される一方で、日本経済の "沈没" あるいは、日本的 "システム" の崩壊が云々されるまでにいたっている。今にして思えば、当初指摘されたのとは違った意味で、冷戦の "敗者" は、ソ連だけではなかった。今や、 "叩き" ならぬ、嘲笑と憐愍の対象になりつつあるのは、日本の方なのである。そうだとすれば、一九八〇年代の日本は、その国家・社会の運営において、なにか重大な誤謬をおかしてしまったのではないかと考えざるをえない。 

いうまでもなく、一九八〇年代の日本の国家・社会の運営の誤りの責任を、大平正芳に負わせることはできない。その直接の責任は、誰よりも、大平の後継者たちにある。しかし、すくなくとも、八〇年代前半に日本の政治の中枢部で大平の後継者となった鈴木・中曾根、両政権が、基本的には大平の時代認識を継承し、大平のしいた政策路線−− "保守本流" 路線−−にしたがって政治をおこなおうとしてきたことも、また事実である。

私自身も、そのような流れの中で、大平の心を心として、微力ながら、一連の改革の試みに参加してきた。そしてその結果が現在のような事態を招いているとすれば、その原因の一端は、私たちが指導理念としてきた大平の時代認識の中にも、まったくなかったとはいえないかもしれない。あるいは、大平の時代認識それ自体というよりは、それに対する私たちの解釈に、なんらかの不備あるいはおごりがあったのかもしれない。その意味で、私は以下、自分自身の反省、自戒の念もこめながら、大平の時代認識の内容を再検討してみたいと思う。


続く
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Re: 40年前の日本の政治<大平正芳を語る ( No.2 )
日時: 2020/07/11 14:41
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:3SQDi4bg

>「二、地球社会の時代 」 

"楕円の哲学" を大平の時代認識の基盤をなす哲学だと位置づけた上で、次に、彼の "時代認識" の内容そのものを、より詳しく見ていくことにしよう。大きな流れとしていえば、大平独自の新しい時代認識は、その基本部分が、一九六〇年代の終わりから一九七〇年代の初めにかけてまず形成された。それは、大平正芳が、日本を指導する政治家としての自覚をもって、みずからの新たな時代認識を他にさきがけて明確に打ちだしはじめた時期と一致している。

ここでは、大平の時代認識を構成する "文化の時代" および "地球社会の時代" という二本の柱のうち、まずその第二のものから見ていくことにする。 

"地球社会の時代" の到来という時代認識の根底にあるのは、われわれは全地球的な "相互依存の時代" に生きているという認識である。大平のこのような認識は、一九六〇年代の初めに早くも形成され、その後も一貫して変わっていない。

"地球社会の時代" の到来という時代認識の根底にあるのは、われわれは全地球的な "相互依存の時代" に生きているという認識である。大平のこのような認識は、一九六〇年代の初めに早くも形成され、その後も一貫して変わっていない。 

すなわち、大平は、一九六三年の九月に池田内閣の外相として、第十八回国連総会でおこなった演説の中で、すでに次のようにのべている。

今日ほど、平和について語られ、平和について論ぜられることの多い時代はなかったと言っても過言ではありません。それは、人類の絶滅をもたらすべき核戦争の脅威が増大したことによって、われわれが、真剣に、平和の問題を考えざるをえなかったからであります。昨年末、キューバをめぐって起った危機が、全世界を恐怖で蔽ったことは、いまだわれわれの記憶に新しいところであります。地球の一角で起ったこの危機は、直ちに全世界、全人類の存亡に連なっていたのであります。誠に、われわれ人類は、今や運命をともにしているといえましょう。このようなことは、世界史上、いまだかつてなかったことであり、現代を特徴づける最も大きな要素の一つであります。

しかし、われわれが運命をともにしているのはこのような消極面においてのみではありません。今日の科学技術の発達が、人間生活のあらゆる分野における交流を促進したことは、誠に驚くべきものがあり、今や、一国民は、他の諸国民と、政治的にも経済的にも、文化的にも固くむすばれているのであります。個人が国家の中で孤立して生活しえないのと同様に、国家も、世界の中で、孤立しては存在しえません。このように、人類は今や、生においても、死においても、互いに深くかかわり合っているのであります。この意味において、われわれ人類は、真にその運命をともにするにいたったのであります。

この演説の中では、後に現代国際政治学のキーワードの一つとなった "相互依存" という言葉自体は、まだもちいられていない。しかし、クーパーの『相互依存の経済学』が出版されたのが一九六八年、コヘインとナイの『権力と相互依存』の出版は一九七七年であったことを考えると、大平がこの演説で、早くも相互依存という事実に着目していたことは、いくら高く評価してもよいだろう。 

大平はまた、同じ講演の中で、今後の日本が「国際的インサイダー」として「名誉ある生存を確保する」必要があることを強調し、そのためには何が最も大切かと自問して、次のように答えている。

われわれは、スマートな国際人になることがむずかしいにしても、少なくとも信頼される国際人にはならなければならないし、またそれは可能であるはずである。それには、まず、「できること」と「できないこと」を明らかにし、口にしたことは、必ず実行するということが必要である。とくにわれわれは、長い歴史を通じて単一の言語と人種を持つ社会を構成し、外部世界と隔絶していただけに、個人や集団相互の関係にはきびしさよりも甘さがあった。この甘さは、外国からみれば、エゴイズムととられたり、背信とうつったりすることが意外に多いことに思いを致すべきである。

さらに、われわれの行動は、独善的なものではなく、国際的にみて理解されるような目的とルールに即ったものでなければならない。日本のために世界があるのではなく、世界のために日本があると考えるべきである。



こうした大平の理念は、PKO問題にしても、環境保全の問題にしても、依然として国際的アウトサイダーの域を出ていないのである。



>三、転換期の到来と戦後の総決算  

次に、大平の時代認識の第一の柱である "文化の時代の到来" の部分に目をもどそう。その出発点にあたるのは、大平が、第二次佐藤内閣の通産相として、一九七〇年の一月に地方銀行の雑誌『五行評論』に発表した論文「新通商産業政策の課題」 (『回想録』、資料編所収 pp.194-201)である。 

大平はこの論文の冒頭で、一九七〇年代の日本は、「大きな転換期を迎え、いわば新たな歴史的段階に進み出ようとしていることが感じられる」とのべている。なぜか。それは、明治以来の日本の国家目標であった「欧米先進国へのキャッチ・アップ」が、いまようやく終わろうとしているからである。すなわち、「日本の国民総生産や工業生産高は自由世界第二位となり、耐久消費財の高い普及度は、豊かな国民生活を支える物質的基盤の充実を示している。また自動車、鉄鋼、石油化学等、製造工業の中核的分野における最新鋭工場は世界的にみても第一級で、良質、安価な製品を豊富に生み出しつつある」からである。 

大平によれば、明治以来の国家目標の達成は、日本にとって、新たな問題をなげかけることになる。

第一に、日本はもはや、「従来のような先進国の知識と技術を学びとることによる模倣的発展」を続けていくことはできない。いまや、「自らの力で新しい領域を切り開き、自力で独自の道を歩む創造的発展への転換のとき」がきたのである。 

第二に、にもかかわらず現在の日本には、そのような転換のための準備がまだできていない。なによりも、新しい国家目標として設定されるべき新しい価値が見出されていない。「永い間の模倣から脱して、日本国民の豊かな活力を引出すための、国民的指針となる新たな創造的価値を、為政者も国民もしっかりとつかみかね、また混迷状態を抜け出せずにいる」のである。一九七〇年代の初頭という時点で、経済的繁栄が依然持続しているにもかかわらず、「近年、少年犯罪の激増や大学紛争、物価高や住宅不足に対する庶民の不満など、...いろいろ深刻な問題が生じている」原因は、まさにこの目標不在の混迷状態にある。 

第三に、そうだとすれば、一九七〇年代の日本の「最大の課題」は、「このような新しい価値を創造し、その実現に向って国民を結集すること」でなければならず、そこに政治家の大きな使命があることになる。 

"追いつき型の近代化" の完了という意味での「明治以来の国家目標」がついに達成されたという大平の時代認識は、まことに的確であったといってよいだろう。そして、模倣の時代の後には創造的発展の時代がこなければならず、新しい発展を実現するためには新しい価値、つまり新しい国家目標の設定とその国民的な受容が必要だという認識は、そこからのほとんど論理的な帰結にほかならない。 

大平は当時通産大臣として政策目標に次のことをあげていた、

1 社会資本の立ち遅れや公害への対処、
2 経済の自由化と国際経済協力の推進、
3 重化学工業に代わる新しい成長産業−−情報産業、海洋開発、原子力産業などがあげられている−−の芽の育成、
4 自前の技術の開発のための政府による思い切った研究開発投資や海外資源の開発、5)政府に依存 しない民間主導型の経済運営の推進、             


時代が40年近く遡るので、現時点では全てを容認できるものではないが。

続く。
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Re: 40年前の日本の政治<大平正芳を語る ( No.3 )
日時: 2020/07/11 15:36
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:3SQDi4bg

>わが国は、いまや戦後の総決算ともいうべき転機を迎えている。これまでひたすら豊かさを求めて努力してきたが、手にした豊かさの中には必ずしも真の幸福と生きがいは発見されていない。ためらうことなく経済の成長軌道を力走してきたが、まさにその成長の速さの故に、再び安定を指向せざるを得なくなってきた。なりふりかまわず経済の海外進出を試みたが、まさにその進出の激しさの故に外国の嫉視と抵抗を受けるようになってきた。

対米協調を基調として国際政治への参加を避けてきたが、まさにドル体制の弱化の故に、けわしい自主外交に立ち向かわなければならなくなってきた。国をあげて自らの経済復興に専念してきたが、まさにわが国の経済の成長と躍進の故に、国際的インサイダーとして経済の国際化の担い手にならざるを得なくなってきた。

見られるとおり、ここには明らかに、後に "一国繁栄主義" (斎藤精一郎) などとよばれるようになった戦後日本の国家経営理念に対する、いかにも大平らしい反省がある。ここには、通産相当時の大平がみせていた高度経済成長の持続に対する楽観論は、まったくといっていいほど影をひそめ、大平本来の面目が、新しい時代認識の形を借りて、前面にでようとしている。

すなわち、これまでの日本に顕著にみられた経済成長優先主義や対米依存・協調主義、あるいは自国中心主義は、大平の目からすれば、まさに楕円の二つの焦点の一方にすぎなかったのであって、戦後の日本が他方の焦点を見忘れて突進したあまり、遂にバランスを失してしまったことへの咎めがいまや問われているというのが、この演説の背後にある大平の心境であったと思われる。そうだとすれば、豊かさに対する「真の幸福と生きがい」、成長に対する安定、海外進出に対する内需の拡大、対米協調に対する自主外交、国際的アウトサイダーに対する国際的インサイダーといった立場を明瞭に自覚することによって、バランスの回復をはかることこそ、 "戦後の総決算" の内容でなければならない。そこで大平は、そのような認識と反省にもとづいて、この転換期の試練を乗り切るための具体的な方策として、

1 政治家がみずからの姿勢を正すと同時に、政治への直接的参加を認める国民の「政治意識の奔流に道をつける」ことを通じての「政治不信の解消」、

2 戦争と欠乏が必要としてきた階層的、強者優先的な人間関係がもたらした「断絶と相克」に対処すべく、「分別をもった連帯感の横溢した人間」の育成を通じての、またとりわけ若者たちが求めている「自己実現の機会」の獲得という「国民の思いに道をつける」ことを通じての、「人間的な連帯感の回復」、

3 対米関係の改善、中国との国交正常化、南の諸国との経済文化協力の推進を通じての、「自主平和外交の展開」、

4 公共投資を中心とする公害防止、社会資本整備、環境改善を通じての、また、「相互に相補う生産性の高い工業と農業が、また都市と農山村が高次に結合された「田園都市国家の建設」を通じての、「自然と調和したバランスのとれた人間社会」の創出、

の四つを打ち出していたのだった。私は、これらの方策の中で、国民の「政治意識の本流に道をつける」とか、自己実現の機会の獲得という「国民の思いに道をつける」といった表現がもちいられていることを、とくに重視したい。

これらの表現は、大平の視野の中に、政治に参加したり自己を実現したりする欲求と能力をともに備えた、いわば新しいタイプの国民が出現しつつあることへの確固とした認識があったことを証拠だてているからである。また、ここで大平のみてとっていたような、新しいタイプの国民の出現は、いまようやく、誰の目にも明らかになろうとしているからである。


私が特に注目したいのは「田園都市国家の構想」です。
ここに「新しい国のかたち」が秘められています。

田中角栄の「日本列島改造論」にも小沢の「日本改造計画」にもない、明確な指標です。




>四、文化の時代の到来

しかし、先にものべたように、時代の激動の速度と振幅は、大平自身の予想さえはるかに上回るものだった。先の提言が発表されてからほんの二年しかたたない間に、大平の目にうつった日本では、「かつて人々の心を捉えていたバラ色の未来論は、色あせて、鉛色の終末論がこれに代わ」るようになった。同時に、「われわれのよって立つ基本的な社会規範、すなわち自由と民主主義に懐疑の目をむけるものすら現れる」ような状況が生じてしまった。大平は、一九七三年の八月に開かれた宏池会研修会での「新秩序への道標」と題する講演の冒頭で、その間の感慨をこう吐露している。  

二年前の提言において、われわれは事態がきわめて深刻であることを繰り返し強調した。だが、今日に到ってみると、それは、当時われわれが考えていたよりも、はるかに複雑かつ深刻であるように思われる。しかも、ひとりわが国ばかりではなく、先進諸国はいずれもわが国と同じ課題に直面し、同じ苦悶に喘いでいるようだ。 

このことは、戦後形成された世界秩序がこれまで経験したことのない地殻変動に見舞われていることを物語っているように思われる。この地殻変動は、人類史的規模のものであり、その中核は正に文明の基礎をゆさぶるもののようである。(『回想録』資料編、pp.226-227)

その上で大平は、自由と民主主義の本旨をあらためて問いなおし、「平和と自由と生きがいに満ちた社会」という理想を実現するための政策の三つの道標として、

1 人間関係を大切にすること、
2 物を大切にすること、
3 時間を大切にすること、

という、いってみれば人間の原点というか初心に戻るような理念を打ち出した。また、当面の政策課題としては、
われわれは、これまでひたすら歩んできた成長の延長線上にめざす果実があるものと信じ、一日も早くそれに到達しようと努めてきた。だが現在、わが国の経済は、さながらマッハの壁に突入した航空機のように、激しい衝撃や震動に見舞われ、これまでの操縦法では進むことが困難となった。いまは、新たな前進の方法を見出すべきときである。(『回想録』資料編、p.232)                           

という認識のもとに、物価、土地問題、公害問題の三つに対する新しい対策を講じていくべきだと提言した。 

こうして、一九七〇年代の現実は、「これまで快速を誇ってきた日本丸」を「スピードをおとし、警笛を鳴らしながら海難を避けることが精いっぱい」という危機的状況に追いやったのだが、その中でも大平は、「ただ道徳的に危機に対して責任を感ずるに止まらず、進んで歴史の法則に従って勇気をもって行動しなければ」(『回想録』資料編、p.265)ならないという気概を失わなかった。こうして、一九七八年一一月、自民党総裁選への立候補に当たって発表した政見の中で、大平は、自由民主党の同士たちに向かって、  

時代は、急速に変貌しています。

続く。
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Re: 40年前の日本の政治<大平正芳を語る ( No.4 )
日時: 2020/07/11 15:53
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:3SQDi4bg

>以上が、この章の冒頭でのべた第87国会での施政方針演説に盛り込まれた大平の「時代認識」が確立するまでの経緯である。ここで、あらためて、その時代認識の第一項「文化の時代の到来」の前半部分を読んでみよう。  

戦後三十余年、我が国は、経済的豊かさを求めて、脇目もふらず邁進し、顕著な成果を収めてまいりました。それは、欧米諸国を手本とする明治以降百余年にわたる近代化の精華でもありました。今日、我々が享受している自由や平等、進歩や繁栄は、その間における国民のたゆまざる努力の結晶にほかなりません。しかしながら、我々は、この過程で自然と人間との調和、自由と責任の均衡、深く精神の内面に根ざした生きがい等に必ずしも十分な配慮を加えてきたとは申せません。今や、国民の間にこれらに対する反省がとみに高まってまいりました。 

この事実は、もとより急速な経済の成長のもたらした都市化や近代合理主義に基づく物質文明自体が限界にきたことを示すものであると思います。いわば、近代化の時代から近代を超える時代に、経済中心の時代から文化重視の時代に至ったものとみるべきであります。(『回想録』資料編、p.284)    
                                  ちなみに、大平が施政方針演説の準備のために秘書官に手渡した自筆のメモは、1)今日の時代をどうみるか、2)今日の国際情勢をどうみるか、のふたつの部分からなっていたが、その前半には次のような文字が連ねられていた。(『回想録』伝記編、p.491)

一、今日の時代をどうみるか、その中にあって政治の役割をどう設定するか。その文脈の中で経済、文化、教育に関する政策を展開する。

1 脱経済。経済軽視ではない。
2 確信なき時代−−展望、創造が大切。
3 文化重視−−生きがい、生活の充実感。
4 脱イデオロギー−−既成観念から政治を解放する。
    
このふたつの資料をあわせて読むと、一九七〇年代の初頭に、大平がその到来にいちはやく気づいた "転換期" 、すなわち、欧米先進国への "キャッチ・アップ" を達成した日本が歩み入ろうとしていた "転換期" の内容は、「近代化の時代から近代を超える時代」への文明の転換期だったことを、大平が自覚するにいたったことがわかる。それは、同時に、「経済中心の時代から文化重視の時代」への転換だとも理解されたのである。 

大平のこのような時代認識がいかに先駆的なものであったか、あるいは逆に日本が、彼の時代認識とそこから引き出される課題に応えることにいかに立ち遅れてしまったかは、たとえば、次のような言葉からも明らかである。これは経済学者の正村公宏が、一九九四年の初頭に書いているものだが、その内容は、まさに大平が一九七〇年代に育んでいった時代認識そのものだといってよいだろう。        

日本は大きな転換の時代を迎えている。...開国と明治維新以来の「追い付き型」の「近代化」の全過程が終わろうとしている。日本は、今のところ非ヨーロッパ文化圏では唯一の「先進国」であり「二十世紀産業文明の最後の成功者」であるが、いまや二十世紀産業文明の克服こそが人類史の課題になりつつある。 

日本の政府と国民にとって、「経済」よりも「社会」を、そして「成長」よりも「成熟」と「安定」を、優先目標としなければならない時代が到来している。それは社会の存続の保証を優先するということであり、地球規模の資源および環境の保全と人類の生存の保証を優先するということでもある。(「社会の成熟・安定を優先に」、日本経済新聞、経済教室、1994年 1月 5日号)  


以上で終わります。
この文章は、その後著者のまとめで終わっています。

文中で大平も指摘していましたが、大量の商品を手にし、老若男女を問わず全ての情報を手に入れることが出来る現代社会は、最早以前のような生活規範、倫理道徳では制御できないものがあります。

一方で経済のグローバル化で生活手段を奪われる多くの人たちを作っています。
近代文明の理念では対応できないところまで来ているのです。

目先の財政、金融の問題を解決することも必要ですが、大きな視点にたち、時代を認識しあるべき将来の姿を指し示すのが政治ではないでしょうか。

そういう時代認識を40年近い過去に、すでに喝破していた大平正芳のような政治家を持っていたことを誇りとしなければなりません。

文明史的ともいえる大きな転換は非常に困難を伴います。
ですが、我々は、まずそのことを認識し、時代の挑戦に立ち向かわねばなりません。

それは決して我々一代の問題ではありません。
また、それは一つや二つの政策の問題でもありません。
逆に言えば、一つ一つの政策において、大きな展望が必要なのです。

そういう大きな課題の前に、先駆者でなければならない現代の政治家の情けないこと・・・言葉もありません。

また、大平もそうでしたが、我が国ではこういう人物を目先の利害だけで、いとも簡単に葬り去ってきました。
私は、小沢に大平ほどの理念があるとは思いません。
ですが、我が国をどうにかしたいと言う執念は、大平に勝るものがあります。

現代の衆愚は、またまた英雄を消し去ろうとしています。
大平のときと同じように、仲間の政治屋もぐるになって。

御長読ありがとうございました。

完。
メンテ

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