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[3495] タルコフスキー 映画『僕の村は戦場だった 1962年』
日時: 2022/05/15 06:33
名前: スメラ尊 ID:QhNEiVps

タルコフスキー 映画『僕の村は戦場だった 1962年』

動画(英語字幕)
https://www.youtube.com/results?search_query=%D0%98%D0%B2%D0%B0%D0%BD%D0%BE%D0%B2%D0%BE+%D0%B4%D0%B5%D1%82%D1%81%D1%82%D0%B2%D0%BE&sp=mAEB


監督 アンドレイ・タルコフスキー
原作 ウラジミール・ボゴモーロフ
脚本 ウラジミール・ボゴモーロフ ミハイル・パパーワ
音楽 ヴァチェスラフ・オフチンニコフ
撮影 ワジーム・ユーソフ
公開 1962年4月6日
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%83%95%E3%81%AE%E6%9D%91%E3%81%AF%E6%88%A6%E5%A0%B4%E3%81%A0%E3%81%A3%E3%81%9F

キャスト

Ivan コーリヤ・ブルリヤーエフ
Kholin V・ズブコフ
Galystev E・ジャリコフ
Katasonov S・クルイロフ
Gryaznov N. Grinyko
Maska V. Maryavina
Ivan's Mother I. Tarkovskaya
The Oldman D. Milyucheko


映画のストーリー

イワン(コーリヤ・ブルリヤーエフ)がいまも夢にみた美しい故郷の村は戦火に踏みにじられ、母親は行方不明、国境警備隊員だった父親も戦死してしまった。

一人とり残された十二歳のイワンが、危険を冒して敵陣に潜入し少年斥候として友軍に協力しているのも、自分の肉親を奪ったナチ・ドイツ軍への憎悪からであった。

司令部のグリヤズノフ中佐、ホーリン大尉、古参兵のカタソーノフの三人が、イワンのいわば親代りだ。グリヤズノフ達はイワンをこれ以上危険な仕事に就かせておくことはできない……これが、少年を愛する大人たちの結論だった。しかし、イワンはそれを聞くと頑として幼年学校行きを拒否した。憎い敵を撃滅して戦いに勝たねば……やむなくイワンをガリツェフ(E・ジャリコフ)の隊におくことにした。

ドイツ軍に対する総攻撃は準備されていたがそのためには、対岸の情勢を探ることが絶対必要であった。出発の日、カタソーノフはざん壕から身をのり出し敵弾に倒れてしまった。執拗に彼の不在の理由をきくイワンにはその死は固く秘されホーリン、ガリツェフの三人は小舟で闇の中を対岸へ。

二人が少年と別れる時がきた。再会を約して少年は死の危険地帯の中に勇躍、進んで行く。その小さな後姿がイワンの最後だった。終戦。ソビエトは勝った。が、そのためには何と大きな犠牲を払われねばならなかったか……。

かつてのナチの司令部。見るかげもなく破壊された建物の中に、ソビエト軍捕虜の処刑記録が残っていた。その記録を一枚一枚調べるガリツェフ。あった。イワンの写真が貼りつけられた記録カードが。戦争さえなかったらイワンには平和な村の毎日だった筈なのに……。
https://movie.walkerplus.com/mv13198/

 
▲△▽▼

僕の村は戦場だった

噂には聞いていましたが、これほどまでの傑作とは思いませんでした。すばらしい映画でした。

タルコフスキーならではの詩的な映像と、独ソ戦争の悲劇を現実的にとらえた対照的な映像が見事にコラボレートして、一歩間違うとおとぎ話のような陶酔感の中で迎える衝撃的なラストにうなってしまいました。


一人の半裸の少年が森にたたずんでいます。

蝶が舞い、その蝶を視線が追いかけるとカメラが蝶の視線のごとくふわっと舞い上がります。

ショットは変わって少年の前に一人の母親らしき女性。

うれしそうに駆け寄る少年。

次の瞬間、ぼろ小屋で飛び起きる少年。

実はこの少年はソ連側からドイツに潜入して情報を探るゲリラ兵なのです。ショッキングなオープニングに一気に引き込まれます。


湿地の中を必死で駆け抜けてソ連領に舞い戻ったところから本編が始まります。


戦場の場面がリアルに生々しく語られる現実と、少年が夢見るときにみる平和な頃の詩情あふれる映像の対比が実に効果的で、本当に美しい。

湿地の中を進む場面で水面に映る照明弾の光の動きの中で船をこいでいくショット、

少年が夢の中でみる母親が井戸の外で倒れたところに降りかかる井戸水のショット、

あるいは少年が愛らしい少女とリンゴを積んだトラックに乗っていく中で、リンゴが道にこぼれだし、馬が拾い食いするショット

などタルコフスキーならではのファンタジックな映像もふんだんに盛り込まれています。


すでに両親の行方もわからない少年イワンの親代わりは戦場の3人の兵士たちだった。そして、冒頭のゲリラ斥候を終えたイワンにその兵士は幼年学校へ行くように勧める。

しかし、それに反対し、再度斥候にでる。無事ソ連領に送り届けた兵士たち、しかしまもなく戦争は終結。

ドイツの収容所を制圧した兵士たちがそこでみたのはドイツ軍が捕まえたソ連からの斥候たちの処刑のリストファイルだった、そしてそこにはイワンの名が・・・・


処刑される寸前に見たであろうイワンの幻想は愛くるしい少女と一緒に浜辺を駆け抜ける場面でした。

タルコフスキーならではの映像美の世界とサスペンス色あふれるストーリー展開、そして悲劇的なラストに見せる切ない現実への警告。完成度の高い見事な作品でした。
http://d.hatena.ne.jp/kurawan/20100510


▲△▽▼

19 :無名画座@リバイバル上映中:2006/02/25(土) 18:52:48 ID:nrY8uN4r

原作は「イワンの少年時代」というタイトルですよね。

でも何だか皮肉な題だなあ。少年時代を少年のまま過ごすことも叶わず、
戦争によって踏みにじられ、大人にならざるをえなかったイワン。

回想シーンがあどけない笑顔を浮かべてたのに、現実のシーンでは微笑を忘れた
一切感情を押し殺した表情をしてたのが余計に哀しい。


25 :無名画座@リバイバル上映中:2006/03/09(木) 10:25:13 ID:za8+WElc
もし、記憶違いなら悪いけど少年のお母さんが腋毛生やしてたような・・・


26 :無名画座@リバイバル上映中:2006/03/09(木) 14:54:33 ID:pWzQBXUM
おっ、いいところに目をつけましたね。なかなか目ざといですな。
あのお母さんはどうも色っぽすぎていかんです、ハイ。

28 :無名画座@リバイバル上映中:2006/03/09(木) 21:33:09 ID:BSZv+BGP
いや、ほんとに。
少年の回想シーンとは思えないほど肉感的ですね。


『鏡』を観ててもそう思うんですが、

どうもタルコフスキーにとって母親というのは
そういう肉感的な存在としてイメージされるみたいです。


29 :無名画座@リバイバル上映中:2006/03/10(金) 21:02:41 ID:G7Eo1+60

母親役はイリーナ・タルコフスカヤ。


30 :無名画座@リバイバル上映中:2006/03/11(土) 13:38:57 ID:UEITlvEh

おそらくイリーナ・タルコフスカヤさんは監督の最初の奥さんではないかと。
(同姓同名でなければ、イリーナという奥さんがいたはず)


38 :無名画座@リバイバル上映中:2006/05/12(金) 17:13:15 ID:9534X0Wy
浜辺で母が手を振って立ち去ろうとするところ恐いぐらい。


48 :無名画座@リバイバル上映中:2006/09/03(日) 23:38:29 ID:VbWH5bGO
ラストの水はすごかった
http://mimizun.com/log/2ch/kinema/1139048950/


▲△▽▼


アンドレイ・ タルコフスキーは、ヴォルガ川近郊のザブラジェで1932年4月4日、アルセニー・タルコフスキーとマリア・イワノヴナ・ヴィシニャコーワの息子として生まれた。

父は詩人で、その詩作によって後年にはかなりの名声を獲得することになる。

両親はモスクワの文学大学に学ぶ。

タルコフスキーが生まれた村は、もはや存在しない。

ダムがその地域に建設されて、人工湖の水底に眠っているのだ。

しかし、タルコフスキーが子ども時代を過ごした場所とそのイメージは、彼に消えることのない影響を及ぼし、作品に深甚な影響を残すこととなった。

一家がモスクワ郊外に引っ越した1935年には、父母の間の関係にひずみが見えはじめ、やがて、2人の離婚と、父の出奔を招くことになった。

アンドレイは、母、祖母、及び妹の家族構成、つまり男手のない家庭で成長した。

1939年に彼はモスクワの学校に入学したが、後に戦時中の疎開でヴォルガ河畔の親類の元に移った。

戦争の勃発で、父は兵役に志願、負傷して片脚をなくすことになる。

一家は、1943年にモスクワに戻った。

そこで、タルコフスキーの母は、印刷所の校正係として働いた。

戦時の年月は、少年の心に2つの大きな懸念が重くのしかかる日々であった。

死なずにすむだろうか? そして父は前線から無事に帰ってくるのだろうか? 

しかしながら、アルセニー・タルコフスキーがやっと戻ったとき、赤い星の勲章で顕彰されていたが、彼が家族の元に戻ることはなかった。


息子が芸術分野の仕事を見つけることを、タルコフスキーの母は一貫して望んでいた。

芸術の価値に対する彼女の信念は、彼が正式に授けられた教育に反映されている。

音楽学校、後には、美術学校に学んだタルコフスキーは、自分の映画監督の仕事はこうした訓練がなければ到底考えられないと、後年になって述懐している。

1951年から、彼は東洋言語大学で学んでいる。

これらの勉学は、しかしながら、スポーツによる負傷によって終わりを告げ、タルコフスキーは、シベリアへの地質調査団に加わり、そこでほぼ1年の間滞在し、ドローイングとスケッチのシリーズを製作した。

1954年に、この旅から戻った時、彼は、モスクワ映画学校 ( VGIK )に首尾よく合格し、ミハイル・ロンムの元で学ぶことになる。


タルコフスキーの商業映画第1作『僕の村は戦場だった』 (1962年)は、きわめて見通しの悪い状況で生まれた作品であった。

この映画は、E・アバロフ監督で撮影が開始されていたが、撮影されたシークェンスの質が不良なので中止されたプロジェクトだった。

後に、やはり映画を救済しようという決定がなされて、タルコフスキーがその完成の責任を負った。

こんな状況であのような情緒的なインパクトをもつ作品を創造できたという事実は、映画監督としての彼の力量とヴィジョンの強さを証言するものである。

彼のものでない素材が混ざっているにもかかわらず、このフィルムは彼の子供といってもいいだろう。そして、彼のスタイルの紛れもない刻印を帯びている。

大人に早くならざるをえなかった幼い少年、最後には戦争によって殺された少年の運命を描いている。

タルコフスキーは、自身の子ども時代とイワンの子ども時代との見かけの平行関係を否定して、両者の共通点は年齢と戦争という状況にすぎないと述べている。

映画は、ヴェネチア映画祭で金獅子賞を受賞し、タルコフスキーの国際的な名声を一気に確立させた。


『鏡』 ( 1974ー75年)は、自伝的な要素を強くもち、親密な幻視の強度を有している。

伝えられるところでは、映画には実話でないエピソードが全くない。

それゆえに、『鏡』はタルコフスキーの最も個人的な作品であり、特にロシアでは、(その主観主義のために)厳しい批判にさらされることになった。

しかしながら、幼年期を描出するその驚異的な手法と、子どもの、魔法のような世界観は、タルコフスキーの全作品に横溢する暗示的な技法を理解する鍵を我々に提供している。
ttp://homepage.mac.com/satokk/petergreen.html
メンテ

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タルコフスキー 映画『アンドレイ・ルブリョフ 1966年』 ( No.1 )
日時: 2022/05/15 06:38
名前: スメラ尊 ID:QhNEiVps

タルコフスキー 映画『アンドレイ・ルブリョフ 1966年』


動画(英語字幕)
https://www.youtube.com/results?search_query=Andrey+Rublyov


監督 アンドレイ・タルコフスキー
脚本 アンドレイ・コンチャロフスキー、アンドレイ・タルコフスキー
音楽 ヴャチェスラフ・オフチニコフ
撮影 ワジーム・ユーソフ
製作会社 モスフィルム
公開 1971年12月24日

キャスト

Andrei Rublyov アナトリー・ソロニーツィン
Kirill イワン・ラピコフ
Danil ニコライ・グリニコ
Feofan ニコライ・セルゲニフ
Boriska ニコライ・ブルーリャーエフ
A half-witted girl イルマ・ラウシュ
The Grand Duke ユーリー・ナザーロフ
The Duke the younger ユーリー・ナザーロフ
A Strolling Player ローラン・ブイコフ

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%83%96%E3%83%AA%E3%83%A7%E3%83%95_(%E6%98%A0%E7%94%BB)

▲△▽▼

映画のストーリー


〈第一部・動乱そして沈黙〉

一四〇〇年。降りしきる雨の中、三人の僧侶が田舎道を急いでいた。アンドレイ・ルブリョフ(A・ソロニーツィン)とキリール(I・ラピコフ)とダリール(N・グリニコ)は、モスクワのアンドロニコフ修道院の同じ僧房で神への奉仕と絵画の修業に十年近い歳月を過ごした研鑽の仲間たちである。

三人は雨やどりで立ち寄った丸太小屋で陽気な旅芸人が、富裕階級の聖職者の道徳的廃退を面白おかしい物語にして歌い踊るのを見たが、途中で一度キリールが小屋から姿を消した理由をアンドレイもダリールもそのときは気づかなかった。いきなり三人の騎兵隊がきて旅芸人をムリヤリ連れ去ったのはその直後のことだった。支配階級への民衆のささやかな抗議はいつもこのようにして圧殺されていたのだ。

一四〇五年。ある旅の途中で、キリールはフェオファン・グレク(N・セルゲエフ)に出会った。乞食坊主のような風態ながら、この男こそ国にならぶ者なきイコン(聖像画)の名匠だ。自分の画才がアンドレイにはるかに及ばぬことを知っているキリールはフェオファンに取り入りモスクワの寺院にイコンを描く仕事をもらうとそのための大公からの招請状を自分にあて修道院へ届けてほしいこと、それもアンドレイの見ている前で自分に手渡してほしいことを約束させたが、意外にも大公から届いた招請状はアンドレイあてであった。賢明なフェオファンはいち早くキリールの魂胆を見抜いたのだ。落胆と憤懣からキリールは逆にアンドレイを出世欲のかたまりと決めつけ、宗教界の堕落を罵って、僧職を捨て俗界へ飛び出してしまった。

一四〇六年。モスクワでのアンドレイの新しい生活が始まった。弟子たちの協力を得て彼は連日寺院の白い壁に向かったが、絵筆は一向に進まなかった。ペストがはびこり、飢饉がうち続き、民衆が年貢の高さに苦しめられながらしかもなお、無為な生活に甘んじているという現在の暗黒世界は早く終わらねばならない、そして人間は自分たちの力で地上に幸福を作りださねばならない−−そう信じているアンドレイには、たとえ「最後の審判」を壁画にするにしても、今までのように古い伝統をそのままなぞってキリストや使徒たちの周囲に地獄の釜ゆでの残酷な光景や悪魔の恐しさをただ毒々しく彩って描くことが耐えられなかった。彼が描きたいのは“愛”であった。忍耐と寛容に充ちた神の愛なのであった。

〈第二部・試練そして復活〉
一四〇八年。タタール人の突然の襲来はその頃であった。大公と公弟の争いに端を発したこの襲撃はロシア国内を地獄図に変貌させ、塁々たる屍の山を築き上げ、寺院をも血の海にして火を放った。

殺戮の嵐が通りすぎたあと、生きて堂内に残ったのはアンドレイと彼が助けた知的障害者の少女(I・ラウシュ)とフェオファンだけだった。

アンドレイが絵筆を捨てる決意をしたのは、その日である。少女の生命を救うためにせよ人をひとり殺してしまったことが彼の心をさいなんだからだが、理由はそれだけではなかった。同じロシアの土地で同じ信仰のもとに生きる者同志がなぜこのような殺し合いをせねばならないのか? もはや彼は人を信ずることが出来ず、ただ労働に生きる決意をかため、アンドロニコフ修道院へ戻っていった。

一四一二年。大飢饉が三年も続き、長い冬はいつまでも終わろうとしない。そんなある日、キリールが修道院へ戻ってきた。彼はかつての醜い出世欲とも無縁の人間になっていたが、旧交が戻った彼の前でも相変わらずアンドレイは言葉を知らぬ者のように無言の行を守り続けていた。

一四二三年。ロシアはなお暗黒の中にあったが、その底に秘めた生命力を諸外国に示威するため、大公は教会の頂きに飾る巨大な鐘の鋳造を技術者たちに命じた。しかしその鋳造の名人と言われた男はすでに死んでいて、そのひとり息子ボリースカ(N・ブルリャーエフ)が生前に父から秘訣を教えられたと主張するのを半信半疑ながら、彼をリーダーに、ともかく作業が開始された。まず最良質の粘土さがしから始まり、それを固めて作り上げた鐘の鋳型に、これまた彼ら自身の力で築いた溶鉱炉から銅を流し込むまで、技術者たちの不眠不休の努力は、まさに生命をけずる凄まじさで、ことにボリースカの創造への情熱は狂気じみて凄絶だった。その少年の姿を沈黙のうちに見守るアンドレイの瞳にも感動の色はかくせなかった。

ようやく完成した大鐘が各国からの使節団の前で、ロシアの大空に高らかな音を鳴り響かせたあと、大地につっ伏して号泣する少年にアンドレイは初めて近寄った。「父が鋳造の秘訣を教えてくれたなどといったのはウソだった。ただ鐘を自分で作りたくて……」。無邪気な少年にかえって泣きじゃくるボリースカを抱き寄せて、アンドレイはやさしくいった。「泣くことはない。お前は立派にやりとげたではないか。私はもう一度絵筆をとってお前と一緒にやっていこう」。十五年ぶりに彼の口から出た言葉だった。

古代ロシア美術史の今も燦然と輝くイコン美術の巨匠アンドレイ・ルブリョフの偉大な画業への出発は、実にこの瞬間から始まったのであった。
https://movie.walkerplus.com/mv12430/


▲△▽▼


アンドレイ・ルブリョフ

アンドレイ・ルブリョフ(ロシア語:Андре́й Рублёвアンドリェーイ・ルブリョーフ;ラテン文字表記の例:Andrei Rublev、1360年頃 - 1430年)はロシアの修道士、15世紀ロシア、モスクワ派(ルブリョフ派)における最も重要な聖像画家(イコン画家)のひとりである。

正教会では聖人とされ、記憶日は二つある(ユリウス暦:7月4日・1月29日、グレゴリオ暦換算:7月17日・2月11日)。

師にフェオファン・グレクがいる。
1405年頃修道士となりアンドレイの名を用いるようになった彼の作品のうち、もっとも重要なものは、創世記17章に材を取った『至聖三者』(聖三位一体)のイコンである(114cm×112cm、板、テンペラ)。アブラハムの許を3人の天使が訪れたという旧約の記述は、古くから正教会では「旧約における至聖三者の顕現の一つ」として捉えられ、アブラハムとサラによってもてなされる3人の天使の情景はイコンにも描かれてきたのであるが、3人の天使の情景のみが取り出されて描かれているのがこのイコンの新しい特徴である。

この作品はもともと知人である修道士の瞑想のために書かれたものであったが、後に(1511年頃?)ロシア正教会は教会会議でルブリョフの図像を、三位一体の唯一正当な聖像として認めるようになった。正教会に属さないカトリックでもルブリョフの『至聖三者』を用いることがある。

『至聖三者』は1904年ごろ再発見、修復された。

彼の様式に倣った聖像画家の一派をルブリョフ派と呼ぶ。

彼を題材とした映画『アンドレイ・ルブリョフ』(1967年、監督:アンドレイ・タルコフスキー)は1969年カンヌ国際映画祭の国際批評家賞を受賞している。
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%83%96%E3%83%AA%E3%83%A7%E3%83%95

 

▲△▽▼

タルコフスキー アンドレイ・ルブリョフ - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=x6kqlveBhVY


51:30 から 異教徒の女性 マルファ との対話


ルブリョフ
君は恐怖のなかで生きている、なぜなら君が知っているのは愛ではなくて獣欲なのだ。
魂のない肉欲、しかし愛は兄弟愛のようであるべきだ。


マルファ
すべての愛は同じではないの?
ただの愛なのよ。


▲△▽▼


アンドレイ・ルブリョフはキリスト教のあり方に疑問を持ちます。

先輩画家からは、愚かな人間たちなどどうでもいいじゃないか、画は神のために描くものだと諭されます。

先輩画家は、愚かな人間たちの上にはもうすぐ最後の審判が下るぞと言います。

しかし、アンドレイ・ルブリョフは先輩画家の言葉に納得ができないのです。

アンドレイ・ルブリョフはモスクワ大公から依頼された修道院の壁画「最後の審判」を描くことができません。


そんなある晩、アンドレイ・ルブリョフは異教徒の祭りに迷い込みます。


すでにキリスト教化していたロシアでは、アニミズム信仰を持つ人びとが異教徒と呼ばれて、教化の対象になっていました。

森の奥から響くざわめきを聞きつけたアンドレイ・ルブリョフは好奇心に勝てずにひとりで奥へ奥へと進んでいきます。

裸の女たちが松明を持って川に飛び込んでいました。

アンドレイ・ルブリョフは異教徒の祭りを垣間見ます。

小屋の中では、ひとりの女がはしごをのぼっては飛び降りてを繰り返しています。

女が飛ぶごとに着物がはだけて女の裸体がちらつきます。

アンドレイ・ルブリョフがそんな光景に見とれていると、男たちに「黒い悪魔がいたぞ」とつかまって小屋の中にひきずりこまれて縛られてしまいます。


アンドレイ・ルブリョフは、

「何をする、やめてくれ、お前たちは、最後の審判が恐ろしくないのか」

などと口にします。

小屋の中にはアンドレイ・ルブリョフと女が残りました。

翌朝、アンドレイ・ルブリョフはうしろめたそうな顔をして村をあとにしました。
全裸の女がうるんだ瞳でアンドレイ・ルブリョフのうしろ姿を見送ります。


異教の女マルファとの会話

マルファ
なぜあなたは頭を下にしたいの?
気分がもっと悪くなるのに。
なぜあなたは天の火でわたしたちを脅すの? (ルブリョフが「最後の審判」を口にしたことへの反感)


ルブリョフ
裸になって君たちがしようとしていることは罪なのだ。


マルファ
何の罪ですって?
今夜は愛しあうための夜なの。
愛しあうのは罪なの?


ルブリョフ
こんなふうに人を縛り上げるのは愛なのか?


マルファ
あなたが他の修道士をよぶかもしれないからよ。
あなたの忠実さをわたしたちが受け入れることを強制しようとする人たちよ。
あなたは恐怖の中で生きることが容易なことだと思っているの?


ルブリョフ
君は恐怖のなかで生きている、なぜなら君が知っているのは愛ではなくて獣欲なのだ。
魂のない肉欲、しかし愛は兄弟愛のようであるべきだ。


マルファ
すべての愛は同じではないの?
ただの愛なのよ。


マルファはルブリョフに近づきキスをする。 
http://foonenbo.asablo.jp/blog/2010/03/21/4962351



▲△▽▼
アンドレイ・ルブリョフ 神谷武夫
http://www.kamit.jp/19_gerzen/rublyov.htm


ネルリ河畔の ポクロフ聖堂
ttp://www.kamit.jp/19_gerzen/xnerl.htm


 過酷な運命に翻弄された建築家、アレクサンドル・ヴィトベルクのことを想うとき、私には もう一人のロシアの芸術家、アンドレイ・ルブリョフ (1360 頃-1430) の姿が それに重ねあわされる。というよりも、20世紀の映画作家、アンドレイ・タルコフスキー (1932-86) が 描いたところの画家『アンドレイ・ルブリョフ』の内面、と言ったほうが よいかもしれない。

 中世のロシア、15世紀はじめに ウラジーミルの ウスペンスキー大聖堂や モスクワの アンドロニコフ修道院聖堂などで 壁画やイコンを制作した この画家の生涯について、史実はあまり多くを語ってくれない。したがって 映画のルブリョフは、ひたすらタルコフスキーの想像力によって作られた エピソードの積み重ねによって描かれている。それらのエピソードとは「旅芸人 1400年」、「フェオファン 1405年」、「アンドレイの苦悩 1406年」、「沈黙 1412年」、「鐘 1423年」と題される8章から成り、それらの年号から、映画は ルブリョフの壮年期の 23年間を扱ったことになる。

 その背景として表現されているロシアは あまりにも暗い、まさに暗黒の時代である。モスクワ大公兄弟どうしの憎悪、タタール・モンゴルの侵攻、しいたげられる民衆、戦争と殺戮、そうした中で生きるルブリョフの姿もまた 苦悩に満ちている。

 映画が日本で公開されたのは、今から 29年前(1974年)の冬、銀座と新宿の "アート・シアター" において だった。タルコフスキーの名を 世に知らしめた『僕の村は戦場だった』は、それよりも さらに9年前だったから、当時の私は見ていず、『アンドレイ・ルブリョフ』が 最初に見たタルコフスキーの映画だった。 初めて聞く名前の監督であり、何の予備知識もなかったが、何かありそうだ という予感をもって見に行ったその映画は、モノクロ・フィルムである上に、暗いタッチの映画だった。しかし、その時に受けた深い感動は忘れられない。それは、私の心の中にも暗い気分が満ちていたから だったかもしれないが、さらに タルコフスキーに ゲルツェンの姿が重ねあわせられたからでもあった。



アンドレイ・ルブリョフ『三位一体』
ttp://www.kamit.jp/19_gerzen/xtrinity.htm


 けれども、アンドレイ・ルブリョフの代表作とされるばかりでなく、ゾートフによれば「中世ロシア・ルネサンス美術の最高傑作である」とされるイコン画『三位一体(トローイツア)』 を見ると、そこには 輝くような平和な光と、透明感あふれる 慈愛の気分が満ちている。それは 彼よりも1世紀前のイタリアの画家・ジョットーが パドヴァのスクロヴェーニ礼拝堂や アッシジのサン・フランチェスコ聖堂に描いた、心を洗うような清澄な壁画を髣髴とさせよう。それなのに、映画の中のルブリョフは、なぜ こんなに暗いのだろうか。

 「フェオファン 1405年」で描かれるエピソードは、ノヴゴロドのスパース・プロブラジェーニエ聖堂の フレスコ画を描いた画家、フェオファン・グレーク (1350 頃-1410 頃) の助手を ルブリョフが勤めた、という史実にもとづいている。フェオファンとは 名前が示すように もともとギリシア人(グレーク)であり、本来はテオファネスという。ジョットーにとっての師・チマブエにも相当するフェオファンは、コンスタンチノープル(現在のイスタンブール)からロシアにやって来て、ビザンチン絵画の技法をロシアに伝えた。ルブリョフは 彼の壁画制作に協力しながら、写実的であるよりは象徴的な その方法を身につけ、さらに それをロシア化する。

 その天上の世界のような 清らかで純粋な感覚表現によって、ルブリョフは中世ロシア最高の画家と讃えられるようになるのであるが、映画の このエピソードは、まだルブリョフがフェオファンの助手となる前を描いている。

 ルブリョフの競争相手でもあった修道士 キリールが、フェオファンのアトリエを訪ねる場面がある。彼が モスクワの街を歩いていくと、その背後で「おれは無実だ!」と叫ぶ男が 無理やり断頭台に かけられようとしている。その騒ぎを家の中で聞いたフェオファンは、「やめなさい、一体いつまで その男を いじめるつもりだ。あんたたちも 彼に劣らず罪人なのに、裁くとは恥知らずだ」と、窓から叫ぶ。映画全体のストーリーとは関係のない、こうした場面を挿入するというのが、この映画全体の手法であって、この場面ひとつでも、当時のソ連支配層(スターリニストたち) の禁忌にふれただろうことは 容易に想像できる。

 さて、フェオファンは職業的な画家であったから 宗教に対して自由であったが、ルブリョフは修道士としての画家であったから、画家である以前に 宗教的な倫理に従わねばならない。タルコフスキーは そこに 屈折した魂の軌跡を想像して、そうした彼の苦悩を この映画の根幹にすえた。

 次のエピソード「アンドレイの苦悩 1406年」において、民衆とは いかなるものかについて、ルブリョフとフェオファンに議論をさせるのである。フェオファンは、「人間は忘れっぽい動物だ。過去の失敗を忘れて 悪行をくり返している。進歩なんてものは 全然ない。イエスが再臨しても、また磔(はりつけ)にするだろう」と言う。

 ルブリョフの脳裏をよぎるのは、十字架を背負い 押しつぶされそうになりながら ゴルゴタの丘を登っていく イエスのイメージである。ユダヤの民衆にも 弟子にも裏切られて、雪のロシアで磔刑につくイエスの映像は、ルブリョフの晴朗な『三位一体』のイコン画と比べて、いかにも沈鬱である。民衆は「みんな同じ愚かな仲間なんだ。悪は至る所にある。わずかな金で裏切る人間もいる。大衆は災難続きだ。それでも彼らは黙々と働いている。不平も言わず、十字架を背負って歩いているんだ。イエスは死を選んだ。それは人の世の残酷と不正を教えるためだ」とルブリョフは言う。

 そして映画は「襲来 1408年」のエピソードで、モスクワ大公兄弟の争いに乗じて攻め込んだタタール軍による、ウラジーミルの襲撃と殺戮を描く。後にゲルツェンの流刑地となる ウラジーミルの町である。 "タタール" とは、中国では韃靼人と呼ばれた モンゴル系の遊牧民で、彼らは 14、15世紀にたびたびロシアを攻撃し 支配した。このタタール族に蹂躙された時代を、ロシア史では "タタールのくびき" と呼ぶ。ウラジーミルの町は焼かれ、大公と市民が たてこもるウスペンスキー大聖堂も破壊されて、暴行と殺戮が行われる。

 その時、犯されそうになった白痴の娘を助けるために、ルブリョフは斧で一人の兵士を殺めてしまう。しかも その兵士はタタールではなく、タタールと結んだ大公の弟軍のロシア人同胞、キリスト教徒だった。



映画『アンドレイ・ルブリョフ』のチラシ


 戦のあと、廃墟のようになったウスペンスキー聖堂で、亡霊として現れたフェオファンに ルブリョフは言う。「私は決心した、私は絵を捨てる」と。なぜ、との問いに、人を、ロシア人を殺めたからだ と答える。フェオファンは「悪は 人間の形でこの世に現れる。だから 悪を倒すための人殺しもあるさ。神は許して下さるだろう。だが 己を許すな。罰しながら生きるのだ。すべきことは、聖書にあるとおりだ。"善をなすことを覚えよ、真実を探せ。悩むものを救え、孤児にやさしくせよ。そうすれば、お前の罪は軽くなるだろう。罪に汚れたその身も、雪のように潔白となろう" と書いてある」と言って、自分に厳しくなりすぎないよう 求める。しかしルブリョフは きかず、「許しを乞うために、無言の行に入る。これからは、一切 口をきかない」と答える。その無言の行の実践を描くのが、映画の次のエピソード「沈黙 1412年」である。

 この寓意は何だろうか? 私には、戦争中の林達夫 (1893-1984) の "沈黙" が思い出されるのである。国家が 太平洋戦争の総力戦へと突き進むにつれて、かつての社会主義者はおろか、自由主義者でさえも大政翼賛会に身をゆだねて、"神国日本" が "鬼畜米英" を倒すのだと 戦争を謳歌するとき、正気のある人間だったら、沈黙するほかはない。当時、林達夫がマイナーな雑誌の片隅にわずかに書き残した文章は、こう語っている。


 こうして私は、時代に対して 完全に真正面からの関心を喪失してしまった。 私には、時代に対する発言の大部分が、正直なところ 空語、空語、空語! としてしか感受出来ないのである。私は たいがいの言葉が、それが美しく立派であればあるほど、信じられなくなっている。余りに見え透いているのだ。私は、そんなものこそ有害無益な "造言蜚語" だと、心の底では確信している。 救いは絶対に そんな美辞麗句からは来ないと断言してよい。(「歴史の暮方」)

 友人だとばかり思っていた学者や知識人が、軍国主義になだれ込んでいく。 数年後に戦争に負ければ、たちまち手のひらを返して "平和主義者" になる連中なのだが。


 私は あまりにペシミスティックなことばかり 語ったかもしれない。だが、正直のところ、哲学者ならば、プラトンのように ユートピアを書くか、ボエティウスのように『哲学の慰め』を書くかする外には手がないような時代のさ中にあって、威勢のよいお祭りに、山車の片棒かつぎなどに乗り出す気などは 一向に起こらぬ。絶壁の上の死の舞踊に参加する暇があったなら、私ならば エピクロスの小さな園を せっせと耕すことに努めるであろう。これは現実逃避ではなくして 生活権確保への 行動第一歩なのである。(「新スコラ時代」)

 戦争中、彼は庭造りに精をだしたが、言論人としては 全く沈黙した。それが本当の 知識人の良心というものだ。戦争中の日本の建築家たちが どのような発言をし、どのような図面を書いたかは、今度の藤森照信の『丹下健三』に詳しく書かれている。文化人たちが 良心を裏切って権力に迎合する そうした状況は、帝政ロシアの時代にもあった。そして、革命後のスターリン・ロシアの時代には一層、そうであった。タルコフスキーは、それを中世におけるイコン画家の行為によせて、シンボリックに描いたのである。この映画には、中世の時代に見せかけながら、ソ連の窒息しそうな社会体制に対する批判が 至るところに込められている。そう、これこそ ゲルツェンの仲間の歴史家・グラノフスキーの方法だったのである。

 ルブリョフはフェオファンに問う、「こんな時代が 一体いつまで続くんだ?」と。フェオファンは、「分からん、永遠にだろう」と答える。ロシアの暗黒の中世も、近世の帝政時代も、そして近代のソ連邦の時代も、さらにまた 我々が生きる現代も、歴史は永遠に繰り返し続ける。歴史家グラノフスキーは モスクワ大学公開講座で、暗い中世を論じながら、それを 19世紀の帝政ロシアと重ね合わせて、黙示的にツァーリズムを批判した。タルコフスキーは 『アンドレイ・ルブリョフ』において、中世ロシアと帝政ロシアと、さらに 20世紀のソヴィエト・ロシアとを重ね合わせて描いたのである。



映画『アンドレイ・ルブリョフ』の飛翔シーン
ttp://www.kamit.jp/19_gerzen/xflying.htm

 この映画が ソ連で上映禁止になり、5年もの長きにわたって お蔵入りしたのは 当然のことであったと言える。言論を抑圧する側を 最も刺激したのは、おそらく冒頭の「プロローグ」であったろう。これもまた 本編の筋とは何の脈絡もなく挿入されている 幻想的なエピソードである。

 川に面した とある古い聖堂に、追手の追撃を逃れてきた男が着くと、すでに用意されていた熱気球に乗って、聖堂の屋上から 空中に飛翔するのである。驚愕した人々が見守る中で、何者とも知れぬ "飛ぶ男" は、「俺は飛んだ、俺は飛んでいるぞ」と歓喜の叫び声をあげる。しかしそれも束の間、まもなく気球は破れ、男は地面に墜落して崩れ去るのである。

 人は、抑圧の現実世界を脱して、自由の世界へ飛翔しようと 夢見る。しかし 現実の絆や権力による束縛は強く、自由は容易に得られない。たちまちのうちに 包囲網にからめとられ、沈黙させられてしまう。事実 タルコフスキーは、この映画をつくったことによって、その後の5年間を沈黙させられたのである。ソ連では 映画はすべて官製であったから、当局の許可がなければ映画を撮ることはできない。フルシチョフによるスターリン批判 (1956年)があっても、強固な体制は簡単には変わらない。"飛ぶ男" のシーンは、タルコフスキーによる "内面の叫び" のような 体制批判だったろう。

 私はまた、現代日本の流行歌手の中で、唯一 聴くことを好む 中島みゆき (1952- ) の歌に 思いをはせる。「この空を飛べたら」という 彼女の作詞・作曲になる "自由への希求" の歌は、『アンドレイ・ルブリョフ』の この場面に触発されて作られたのではなかろうか。


"空を飛ぼうなんて 悲しい話を   いつまで考えているのさ "
" 暗い土の上に 叩きつけられても  こりもせずに 空を見ている "
" ああ 人は 昔々 鳥だったのかもしれないね  こんなにも こんなにも 空が恋しい"

 この映画のずっと後、私はもう1本、"飛ぶ男" の映像を見ることになる。 それはフランスの太陽劇団を率いる アリアーヌ・ムヌーシュキン(1939- )が脚本・監督をした『モリエール』であって、そこでは "自由への希求" が いとも たやすく実現されていた。1983年 8月 6日、岩波ホールで それを見た日の日記には、こう書いてある。


 映画『モリエール』の初日。素晴らしい映画だった。4時間という長さに、終りの方は少々沈んでしまったが(それが宮廷を舞台とするようになったからか)、とりわけ 前半は感動的で、思わず 涙ぐんでしまうほどだった。それは ストーリーが感動的だったわけでもなければ、悲嘆の場面があったわけでもない。その演劇的で祝祭的な映像空間と、そこで繰り広げられる遠い時代の人間たちの夢と希望の燃焼が、あまりにも美しかったからである。

 汚い街角の大道芸人たちによる いかがわしい祝典の頭上を、いかつい人造の翼をつけた "飛ぶ人間" が出現した時には、あの『アンドレイ・ルブリョフ』の冒頭シーンを思い出した。そして、こちらは失敗もせず、軽やかに、自由に飛び続けるのである。

 中世と 帝政ロシアと ソヴィエト・ロシアを重ね合わせた、暗い社会の谷間に "飛ぶ男" は墜落し、神を恐れぬふとどきもの と捕えられるモノクロの映像に比べて、極彩色のモリエールは まさしくルネサンス人、青く澄み切った空を背景に "飛ぶ男" は、社会の絆、運命のいましめを断って、自由の未来をめざして飛び立っていくのである。  Oh, Liberté ! Oh, Liberté !



映画『モリエ-ル』の 飛翔シーン
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 王政を倒して 共和制を実現させた実績感に裏打ちされて、フランス人には 未来への自信と楽天性があるのだろうか。その反対にロシアは デカブリストの乱以来、絶えず改革運動がつぶされて 抑圧の重みに押しつぶされてきたから、ロシアの文学、芸術には 常に悲劇性がつきまとう。ロシア文学に登場する人物たちには、というより ロシアの芸術家たちには、しばしば 人類の苦悩を一身に背負っているような趣がある。トルストイもそうであったし、ドストエフスキーも、画家のイワーノフもそうであり、そしてタルコフスキーもまた その最後の作品となった『サクリファイス』において、そうであったように見える。

 ところで、『アンドレイ・ルブリョフ』の飛翔シーンの舞台となった聖堂は、落合東朗の『タルコフスキーとルブリョフ』(1994年、論創社刊)にも書いてないのだが、ウラジーミル郊外の ボゴリューボヴォにある、

「ネルリ河畔のポクロフ聖堂」 (1165年)
ttp://www.kamit.jp/19_gerzen/xnerl.htm


である。 初期ロシア建築の傑作と うたわれている珠玉の聖堂だが、さらにまた不思議なことには、『ロシア建築案内』にも この聖堂は紹介されていない。

 このネルリ河は雨季に増水して、聖堂の敷地は小さな島のようになる。水面に姿を映す白亜の聖堂は、小規模ながら凛とした気品をたたえている。きっとタルコフスキーは、ロシアの古典建築の中でも、とりわけ この聖堂が好きだったのだろう。映画では "飛ぶ男" から見た、聖堂の高い位置の壁面彫刻も写されている。

 しかしながら、この映画で誰もが一番感動するのは、最後のエピソードであろう。そのタイトルは「鐘(コロコル)」という! あの日、映画を見ていて、このタイトルが出てきた時、私は思わず ゲルツェンの「鐘(コロコル)」誌 を連想したのである。

 モスクワ大公は 新しい聖堂のために、鐘造りの職人を さがさせた。ところが 疫病によって職人の親方たちは 皆死んでしまっていた。しかし 鋳物師の息子だった少年・ボリースカは、自分は父親から 鐘造りの秘密を教わっている、と嘘をついて、鐘造りの責任者の地位を獲得する。嘘がばれたら どうしよう という恐怖心と戦いながら、彼は必死で鋳型に使う 特上質の粘土を探し、大勢の職人たちに采配を振るって鋳型を造り、十分な量の銅と銀を用意させ、ついに火をいれて流し込む。
 奇妙なことに、このエピソードでは 少年・ボリースカが主人公であって、ルブリョフは脇に退いてしまう。無言の行を続けているルブリョフは、時々傍らから 気遣わしげに ボリースの悪戦苦闘を見守っているだけだ。

 ようやく 鐘は ひび割れもせずに できあがり、鋳型をはずすと、大公や外国の使節たちが訪れ、その衆目の前で鐘を吊り上げて、初めて鳴らしてみせる時が来る。この大鐘を吊り上げるには 巨大な足場を組み、四方八方にロープを張って、大群衆が力をあわせて引く。しかし外国の賓客は、「聖母マリアに誓って言うが、この鐘は鳴らんよ。これは鐘などと言えるものではない」とつぶやく。

 誰もが 不安の気持で注視する中、撞木を振って打ち当てると、鐘は 堂々たる音を立てて、みごとに鳴るのである。激しい緊張感が破れるとともに 感極まった少年は、野に倒れこんで泣きじゃくる。その時ルブリョフが現れて、父親のように少年を抱え起こし、初めて沈黙を破って、「泣くな」と言う。

 ボリースカは「父さんは 秘密を教えてくれなかった。ひどい親さ」と言いながら 泣き続ける。ルブリョフは、「立派にできたじゃないか。何を泣くんだ、祝うべき日だぞ。さあ、もういい、元気を出せ。もう泣くな、私と一緒に行こう。 私もまた絵を描く。お前は鐘を造れ」と 声をかけ続ける。画家、アンドレイ・ルブリョフの復活である。

 ここで不意に画面はカラーとなり、「エピローグ」として、ルブリョフが描いた イコン画のディテールを なめるように映し出していく。



アンドレイ・タルコフスキー (from website "Nostalghia com")


 こうして映画を見終わった時、私は、この監督は必ずや ソ連から亡命するだろう と直感した。これほど批判精神に満ち、自由への希求を持ち続ける芸術家が、いつまでもソ連にとどまっていられるわけもない、と思ったのである。タルコフスキーは、まさに映画上の ゲルツェンだと思われた。

 たとえば、この最後の 鐘のエピソードが いかに感動的であろうと、映画全体の筋から言って、いかにも唐突である。アンドレイ・ルブリョフの生涯を描く上で、不可欠のエピソードであったとは、とうてい思えない。タルコフスキーがこのエピソードを 強引に最終章にいれたのは、鐘を鳴らせたかったのではないか。ノヴゴロドの "自由の鐘" を。ゲルツェンが ノヴゴロドの鐘を鳴らせようと 「コロコル」 誌を発行したように、タルコフスキーは鐘を鳴らし、民衆(ナロード) をして、空を飛ばせたかったのではないだろうか。

 また、この映画を あらためて DVDで見て、私は思う。そもそも タルコフスキーは アンドレイ・ルブリョフという 一芸術家の生涯を描きたかったのだろうか? ゾートフが言う "ロシアの真の芸術的天才のシンボル" であるところの ルブリョフの生涯を? 彼は公式には そのように語っている。しかし、それにしては ルブリョフの芸術家としての主張や創作過程は ほとんど描かれていない。映画の最後にルブリョフの作品群が、突然カラーになって映し出されるのも、とってつけた感じがしないであろうか?

 タルコフスキーが描こうとしたのは、なによりも、人間の尊厳や 言論の自由を圧殺する ソ連の体制への批判だったのではないか。ゲルツェンが 生涯をかけて帝政ロシアを批判し、人間の自由と尊厳を回復しようとしたように。それだからこそ、この映画は当局によって 上映禁止にされたのである。

 タルコフスキーがソ連を出たのは、私の予想よりもずっと遅かった。それは、私がこの映画を見た 8年後の 1982年で、イタリアで『ノスタルジア』を撮るためだった。ゴスキノ(国家映画委員会)による攻撃のせいで、「20余年間 ソヴィエトの映画界にいて、およそ 17年のあいだ、絶望的な失業状態にあった」 というのは、まさに流刑中の建築家 ヴィトベルクのような思いであったろう。『ノスタルジア』を撮り終わったあとも 彼はロシアには帰らず、1984年に 事実上の亡命宣言をする。

 もしも タルコフスキーが その2年後、54歳の若さで死ぬ というようなことがなければ、1991年のソ連崩壊にも立会い、祖国に戻ることが あったかもしれない。しかし ゲルツェンと同じように、窒息状態のロシアを去ったあと、ロシアの大地への大いなる愛を抱きながらも、彼は2度と再び祖国の土を踏むことは なかったのである。

 しかし、ロシアに いたたまれなくなって ヨーロッパに亡命していながら、ヨーロッパにもまた絶望せざるをえなかった心情がまた、ゲルツェンとタルコフスキーに共通であろう。亡命宣言の後、二人とも2度とロシアの地を踏むことはなかったが、しかし ヨーロッパに安住の地を見出したわけではなかった。彼らの心は たえず祖国 ロシアに向けられていた と言っていい。

 中国の文学者・巴金 (1904-2005) は "文化大革命" 時に批判され、暗黒の時代を生きたが、その間 ただひたすら ゲルツェンの『過去と思索』を読み、訳しながら耐えたという。ソ連で、映画を作ることを妨げられて 長い不遇の時を過ごしていた タルコフスキーもまた、『過去と思索』を読み、国家によって作品の実現を妨げられた ヴィトベルクの生涯に、自己を重ね合わせていたのではないだろうか。それが『アンドレイ・ルブリョフ』の構想のもとになったのではあるまいか、と思われてならないのである。



映画『ノスタルジア』のチラシ


 タルコフスキーがロシアを出て 最初につくった映画は、イタリアを旅するロシアの詩人(これが どうしても "亡命ロシア人" のように見えてしまうのだが)の心象風景を 詩的に描いた『ノスタルジア』である。この映画のラスト近く、イタリアの ロマネスク − ゴチックの聖堂と ロシアの農村風景が重ねあわされる幻想シーンは 美しく、感動的だった。(これも 亡命ロシア人の "望郷の念" を描いているように映る。)

 その聖堂とは、イタリア中部のトスカナ地方に 廃墟として残る、サン・ガルガーノの シトー会修道院聖堂である。これはイタリアを代表する シトー会修道院建築として名高い カザマリの修道院の分院で、聖堂の建立は 13世紀であるから、母院と同じように ゴチック様式で建てられた。しかしシトー会の修道院は、修道士の観想を妨げるものとして すべての装飾的なものを拒否しようとしたから、尖頭アーチをはじめとする ゴチックの建築言語を用いていても 、後期ゴチックのように骨ばっていず、柱頭彫刻もなく、壁が多い瞑想的な建物となるがゆえに、その建築の性格は 著しくロマネスク的となる。

 また、映画に出てくる もうひとつの聖堂のクリプト(地下聖堂)は、ローマに近い ラツィオ地方の トゥスカーニャにある 聖ピエトロ聖堂のもので、これは純然たる 11世紀のロマネスクである。こうしたロマネスク建築や シトー会の修道院が、タルコフスキーの映画には しっくりと調和する。そこにはルネスンス以後の建築に見られない 深い精神の充足があり、魂の内面に降りていくような 深い静寂がある。それはバッハの音楽のもつ、いわば "抑制された歓喜" ともいうべき性格と同一のものだ。タルコフスキーが これらの聖堂やクリプトを映画の舞台に選んだのは、必然だったと言えよう。私にとってタルコフスキーの映画は、バッハの音楽と ロマネスクの建築と 切り離しがたく結びついている。

 再び 中島みゆきにふれると、かつての彼女の歌は、通常のポピュラー音楽とは異質の 深い内面性に彩られ、バッハの音楽にきわめて近いものであった。その言葉と音の流れは しばしば バッハのカンタータを聴いているような思いにさせるが、彼女の最高作というべき「異国」と「エレーン」は、あたかも "亡命日本人" の "望郷の歌" のように聞こえる。シュヴァイツァーは 長大なバッハの評伝において、バッハの音楽の本質を "晴れやかな死への憧れ" と書いたが、そのことは タルコフスキーの映画にも、中島みゆきの(ロックではない、バラードの)音楽にも言えるような気がするのである。

  
トゥスカーニャの聖ピエトロ聖堂
ttp://www.kamit.jp/19_gerzen/xtusca.htm
ttp://www.kamit.jp/19_gerzen/xtuscania.htm

 ところで 建築家のヴィトベルクは、「救世主聖堂」のコンペにおいて 新古典主義様式を採用した。それが私には 釈然としないところであった。ゲルツェンが描いたような神秘主義者であり、精神の深みを求めたヴィトベルクに、"アンピール(帝国)様式" とも呼ばれる ナポレオン帝政下の建築様式が ふさわしかったとは思えない。今回 インターネットで彼の図面を見出して意外な感に打たれたのである。

 ヴィトベルクは ロシアから外に出たことがないので、そして ロシアには ロマネスク建築がないので、ロマネスク様式に親しむことは なかったことだろう。しかし、もしも彼がヨーロッパを旅していれば、必ずやロマネスクの聖堂に、彼の性格と一致するものを 見出したはずである。

 彼は最初に手がけた大聖堂でつまずいて、そのまま朽ちていってしまったから、ゲルツェンやタルコフスキーのような 亡命体験を もたなかった。ヨーロッパに亡命すれば、それまでの "西欧派" も、近世ヨーロッパの欠陥を まのあたりにすることになり、それが さらに感覚と認識の深みをもたらしたはずなのだ。

 ゲルツェンがヨーロッパに絶望して、異国の地にありながら ロシアに目を向けなおしたとき、そこにロシアの農民を見出し、1861年 11月の『コロコル』誌に、初めて "ヴ・ナロード"(Going to the people, 人民の中へ)と書いたのである。

 ヴィトベルクは アレクサンドル帝の時代に、ロシアの偉大さを讃えるモニュメントとしての「救世主聖堂」を設計した。そこに付与された性格は、彼に影響を与えた 新古典主義の建築家、ルイ・エチエンヌ・ブレが最も好んだ語 "SUBLIME"(崇高さ)であったろう。しかしアレクサンドルのあとに帝位についた ニコライが支配するロシア帝政には、深く絶望したはずである。したがって、もしもゲルツェンやタルコフスキーのように ヨーロッパに亡命して、「救世主聖堂」を設計し直したとすれば、それはきっと、新古典主義ではなく、ロマネスク様式に近いものであったにちがいない と思う。


*  *  *  *

 私はこのサイトで、時代に虐げられ、迫害の中で 生涯身を屈することなく生きた、ロシアの芸術家たちを描こうとしてきたのであるが、タルコフスキーの映画を論じたついでに、もう1本の古い映画を紹介しておきたい。それはロシアではなく、ポーランド映画である。

 ポーランドの映画監督といえば、アンジェイ・ワイダが最も名高いが、私にとってワイダは『地下水道』でも『大理石の男』でも、"出来事" を描いた監督という印象が強い。ロシア文学のように 人間の内面をより深く描いたのは) イェジー・カワレロウィッチ (1992-2007) ではなかったろうか。私が見た記憶のある彼の作品は、『尼僧ヨアンナ』(1961)、『夜行列車』(1965)、それに『戦争の真の終り』(1957) の3作である。1922年生まれというから、タルコフスキーの 10歳上になる。その後 日本では あまり名前を聞かないが、実際には創作活動を続け、2001年には シェンキェヴィッチの『クオ・ヴァディス』(河野与一訳、1979年、岩波文庫)を映画化したらしい。

 私が見た 3作の内、『尼僧ヨアンナ』と『夜行列車』は 時々名画座などで上映され、ビデオも出ていたから 見た人も多いと思うが、『戦争の真の終り』は ほとんど 知られていないのではないだろうか。私にとって 彼の作品の中で この映画が一番印象深かったのは、映画の主人公が 建築家だったからである。それも、ヴィトベルクと同じように 悲運の建築家なのだった。

 回想シーンで描かれる主人公は 若く、将来を嘱望される建築家で、美しい妻をもらい、洋々たる前途に輝いていた。ところが、第2次世界大戦が勃発し、ドイツ軍とソ連軍がポーランドに侵入して領土を分割すると、運命が一変する。

 彼は出征して捕虜となったのか、あるいはユダヤ人としての受難であったのか、ナチスの強制収容所に入れられて、絶えず虐待を受け、精神に失調をきたすのである。夫を待ち続けた妻も、ついに 彼が死んだものとあきらめ、新しい人生を生きるべく 別の男と愛し合うようになっていた。そこへ突然、廃人のようになった夫が帰ってくると、妻は とまどう。 仕事もできず、時々 てんかん性の発作をおこす夫を、全面的に受けいれることはできない。その妻の態度がまた 彼の症状を さらに悪化させ、ほとんど口のきけない 唖者のようになってしまう。

 彼の回復に期待をかけた4年の後に、彼女はあきらめ、恋人と新しい家庭を持つために、夫の建築家を 廃疾者として田舎に住まわせることを決心する。 それを知った夫は、出かける妻に そっと紙切れを渡す。歩きながら妻がそれを見ると、「私を捨てないでおくれ」と書いてあるのだが、しかし彼女は気持を変えない。それを察した夫は、家人の留守中に 屋根裏部屋で首を吊って死んでしまうのである。 戦後4年、これが "戦争の真の終り" だった、という映画である。



映画『戦争の真の終り』建築家のアトリエのシーン

 この場合の建築家は、特に自由のために戦った というわけではないが、過酷な運命に翻弄されて 悲惨な結末に導かれていった。私がこの映画を見たのは まだ学生時代、封切りではなく、ポーランド映画特集か何か ではなかったかと思う。まだ建築家の卵にすぎなかったのに、なぜか 身につまされるものを 感じてしまったのである。(あとで わかったのだが、この映画は 1965年 8月に、新宿と銀座のアート・シアターで公開された。)

 映画の中の この建築家は、特に気分の良い日には、いかにもヨーロッパの建築家らしい、画家のようなアトリエで、住宅のスケッチ・プランなどを作っていることがある。そこへやってきた妻は、口をきけぬ夫の前で ひとりごとのように言う。

 「今でも町を歩いていて、昔 あなたが設計した住宅の前を通りかかると、思わず立ち止まって、ずっと眺めていることがあるわ」 と。

 自らの意思ではなく、外力によって、設計したくとも設計できない状態に 突き落とされてしまった 建築家や映画作家の姿、それが 最も うら哀しい姿で描かれていたのが、この映画だった。若い私は、なぜか そこに 自分の未来の姿を投影してしまったのである。後に、マフィアによる仕事の妨害は、それを現実のものとするのであるが。

ttp://www.kamit.jp/19_gerzen/rublyov.htm


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アンドレイ・タルコフスキー・インタヴュー
『アンドレイ・ルブリョフ』に関して

私は、アンドレイ・ルブリョフ、15世紀の偉大なロシアの画家の映画を作りたいのです。

私は、創造者の人格と彼が生きた時代との関連に興味があります。生まれ持った感受性のおかげで、画家は自分の生きる時代のもっとも深い意味を理解し、この意味を全き形で提示することができます。この映画は歴史映画でも伝記映画でもありません。

私は画家の芸術的な成熟の過程と、彼の才能を分析する過程に、すっかり魅了されています。

アンドレイ・ルブリョフの作品は、ロシアのルネサンスの頂点を記録しています。
ルブリョフは私たちの文化史でもっとも傑出した人物のひとりです。
彼の人生と芸術はけたはずれに豊かな素材を含んでいます。

台本づくりに着手する前に、私たちは歴史資料とスケッチを研究しました。
もっぱら、映画で見せることができないのは何かを決定するためにです。
たとえば、私たちは時代様式に、つまり、衣装や風景や言語に、限られた興味しか持っていません。

映画での出来事が実際に15世紀に生じているなと思わせようとして、歴史的な細部にこだわると、観客の関心がそれてしまいます。

時代臭さのない室内装飾、時代臭さのない(しかし適切な!)衣装、風景、現代の言葉ーこうしたことすべてが、もっとも重要なことだけを表現する助けになるでしょう。

映画はいくつかのエピソードで成立しますが、直接論理的に関連づけされてはいません。

しかし、すべてのエピソードは共通の思考の流れで内的に関連することになります。

挿話が年代順に並べられるかどうかはまだ分かりません。

私たちは、エピソードのドラマツルギーが三位一体の壮大なイコンを創造する理念を生み出す頃のルブリョフの人格の進化を内的に暗示するものと首尾一貫させたいと願っています。

それと同時に、正典的な制限とその型どおりの論理と形式を伴った伝統的なドラマツルギーを避けたいと思っています。

それらは、典型的な障害で、生の十全さと複雑さを表現するのを不可能にするものです。(中略)


芸術家を題材にした映画は時々こんなようになってしまいます。

つまり、主人公が何らかの出来事を目撃する、そして観客は彼が熟慮に沈むのを見守る、最後に彼は自分の思いを作品に表現する。

私たちの映画でルブリョフがイコンを描く場面はありません。

彼は人生を生きていくだけです。

エピソードのすべてに登場するわけでもありません。

映画の最後の部分、そこだけはカラーで撮影するつもりですが、そこはルブリョフのイコン画に捧げられます。

イコンしか映しません。

ドキュメンタリーのように、細かいところまで、きちんと見せるつもりです。

イコン画が映されるたびに、同じ音楽のテーマが流れます。
そのイコンの理念が現れる時代に対応するルブリョフの生の局面で鳴り響いたテーマです。

映画のこのような構造は、その目標から必然的に導き出されます。

つまり、人間性の弁証法を提示して、彼の精神の生を検証したいと思うのです。


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 このインタヴューは、『アンドレイ・ルブリョフ』製作の初期の段階でなされた。

 若々しく、新たな理念に燃える監督の姿が鮮やかに映されている。

たぶん、この時期に、自分のこのような試みが多くの反発と猛烈な批判を生み出すとは思っていなかっただろう。

撮影は困難を極め、同志コンチャロフスキーとの反目、そして決別が待っている。
追いつめられた彼は命を削るような撮影を決行して、農民に文字通り殺されそうになる。

映画は完成しても5年間上映禁止になる。

無断でフランスの映画会社が出品したカンヌで国際批評家大賞を受け、そのためにソ連国内で立場はますます追い詰められる。

 しかし、そこから出会いも生まれた。

『アンドレイ・ルブリョフ』を見たクラウディオ・アバドは感激して、後に自分の指揮するムソルグスキー『ボリス・ゴドノフ』の演出を依頼し、実りある友情が始まったのだった。
ttp://homepage.mac.com/satokk/selfcriticism/rublov.html


Tarkovsky on Tarkovsky 『アンドレイ・ルブリョフ』


映画の最も重要な慣例のひとつは、映画のイメージは私たちが見聞きする実際の、自然の、生きた形態でのみ体現できるということだ。

私たちが提示するものは自然主義的でなければならない。

私が自然主義と言うとき、実在の不愉快な側面に執着するという否定的な意味ではなく、映画的なイメージの感覚知覚におけるその役割という意味だ。

スクリーンに描かれた夢は、生そのものの自然の形態と同じように明確に目に見える要素で構成されていなければならない。

映画はルブリョフに関するものです。

…しかし私たちにとって映画の真実の精神的なヒーローは、ボリスカです。

映画の狙いは、非常に困難な時代から出現する伝染性の、狂熱のエネルギーを示すことです。
つまり、そういうエネルギーがボリスカのなかで目覚めて、燃えさかり、鐘鋳造につながるのです。
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アンドレイ・タルコフスキー
『アンドレイ・ルブリョフ』を語る


美は、植物が種子から生長するように、悲嘆から育つ


私たちは『アンドレイの受難』と題された脚本をアンドレイ・コンチャロフスキーと書いています。

偉大なロシアの画家アンドレイ・ルブリョフの人生をあつかった映画です。

友人のなかには、戦争でめちゃめちゃにされた子ども時代の映画、どう見たって現代的な映画から、「時代物」、ロシアの中世にどうやって移ることができるのか分からないって言ってます。


別に変なところはないでしょう。

主題テーマが、利用される叙述の形式を支配するだけのことです。

素材は15世紀から引っ張ってきますが、現在の問題を語るつもりです。

私は、芸術家とその時代、当時の民衆との絆に興味があります。

私は芸術の力に関する自分の見解を述べてみたいと思います。


ルブリョフは彼の作品において人間性の偉大な理想を称えています。

友愛の理念、人間の連帯が映画で最も重要なものになるでしょう。
真に偉大な芸術は時とともにますます貴重になります。

どれほど多くの人の思い、感情、希望が何世紀にわたってルブリョフの絵に染みこんでいったことか、そうに違いありません! 

私はスクリーンにそういう希望を伝えたいと思います。


映画は15のノヴェッラ:小話で構成されます。

アクションはルブリョフ、ダニル・チェルニー、キリルの3人の人物をめぐって集中します。

詩的な構造は全編にわたって保持されますが、叙述の連鎖を数回断ち切ることになります。

長年、映画は劇場のドラマツルギーに依存してきましたが、今や映画芸術は詩に近づいてきています。私には、詩における探求と近代映画の探求に非常に密接な関係が見えます。

私は、アレゴリー、隠喩、直喩を用いるのを好みます。

私は、不可能に思えるものが向かい合う状況が好きです。

認識からすり抜けるように思える複数のテーマを対峙させることは、私の内部に、イメージにあふれた最も深い思念を揺り動かします。

ますます多くの映画が詩的イメージに基づいて作られようとしています。

新作で私は古典的ロシア詩の比喩体系を具体的に利用するつもりです。(1963年)

映画のアイデアは「僕の村は戦場だった:イワンの少年時代」をやっている頃にすでにあった。


自分のアイデアじゃないと認めますね。

あるときモスクワ郊外の森を散策していたんだ、私とコンチャロフスキーと映画俳優のヴァジル・リヴァーノフでね...

ちょうどそのときにリヴァーノフが3人でルブリョフの脚本を書こうと提案した。
彼はぜひ主役をやりたいと。

でも、いろいろあってリヴァーノフは脚本書きに参加できなかった。
一方私たちのほうはすっかり虜になったその企画をあきらめることはできなくなった。

私たちはずいぶんすんなりと仕事を進めた。

1年後(もう少し後か)台本の異稿が3つ出来上がっていた。

私たちはもう一度見直しをして、時代考証のさまざまなソースを恐ろしくたくさん研究しなければならなかった。

少なくとも、旧来の出来合いの考え方を捨てることができるためにね。


台本の最終ヴァージョンにかかっているときに私たちはまだどこかしっくりこない部分があると感じていた。

でも出来上がったとき私は台本が成功作であると感じることが出来た。

それから良い映画が作れると感じたから、成功なんだね。

脚本家として私は経験が浅かった。

『ルブリョフ』の前に私は2作しか仕事をしていなかった。

すべてに満足したわけではなかったが、一貫性、首尾の統一の印象はそれが良い作品だと示唆していた。

私がつくろうとしているまさにそのたぐいの映画にうってつけの脚本だから立派な仕事だというわけだ。

俳優、ロケ地、カメラマンの貢献をあてにしているけど、この脚本は私たちの仕事を最後まで導いてくれる主導テーマを含んでいる。

当然、シーンを追加しますよ、省くシーンもあるだろうし、ただ土台はしっかり出来上がりました。


「この映画で私が何を言いたいのか」という質問に答えるなら、おおまかなことしか言えません

芸術と民衆との絆について直接何か述べるつもりはありません。

これはまあ、明らかでしょう。

脚本に明確に出ていると私は思います。

私は、自然の美を探り、美というものは、種子から植物が生長するように、悲劇から、災厄から育つことを観客に気づいてもらいたいとは願っています。

私の映画は美しい、族長的な古いロシアをめぐる物語にはならないでしょう。

私の願いは、輝かしく驚異に満ちた芸術が隷属、無知、文盲の悪夢の「続き」として出現することがどのようにして可能であったのかを示すことです。

私はこうした相互依存の関係を見つけだし、この芸術の誕生を跡づけたいと思います。

こういう条件が満たされたときはじめて私はこの映画が成功作だと思えるでしょう。


ここでオマール・ハイヤームの絵に触れておきましょう。

ご存じですか、薔薇の木があって、その根元に虫が何匹も食らいついているという絵を? 

しかし、死からのみ、不死は生まれるのです。

不死を理解するときに、私たちは死を理解するでしょう。

絡み合った白と黒とでも言いましょうか

そういう周期性を、生を理解する客観的で弁証法的様式と、例示の様態と共に、この映画を形作る基礎にするつもりです。

私たちはカメラマンのヴァディム・ユーソフとロケ地を選びました。
彼とは『イワンの少年時代』で既に仕事をしています。

脚本の仕事が続いている頃、ユーソフは別の映画作りに参加しました。

映画の歴史的な側面から、たくさんの人が必要な大きなシーンが求められ、そのために少なからぬ困難が生じることを忘れてはいけないでしょう。

例えば、クリコヴォ平原の戦いは省くことが出来ません。

ロシアがはじめて外国からの侵略者に対する道徳的な優越を悟る象徴になっているのですから。

ロシアが形成されるこの時代はディミトリー・ドンスキーの勝利抜きでは考えられません。

実現するのは面倒でしょうが、とにかく絶対に欠かせないエピソードです。
それは、(ロシアの王子が片棒を担いだもので、裏切りと腐敗の個人的な象徴となった)タタール人のウラジミール襲撃や、新しい鐘の鋳造のエピソードが欠かせないのと同じです。

これらのシーンはどれも小規模な解決が許されません。
こみ入った準備が必要です。(1965年)


伝記映画? 

違います、このフィルムは誰かの伝記を飾るエピソードが銀幕に再現されることはありませんから、伝記映画のジャンルに入りません。

ルブリョフの生涯を再構築することが私の意図だったのではなく、既に触れたように、私は主に人間に興味があるのです。

また過去の時代の雰囲気に興味があるのです。

しかし、だからといって時代劇になるわけじゃありません。

私の意見では、歴史的正確さは出来事を歴史的に再構築するという意味ではありません。

私たちが示したいことにとって重要なのは、それが真実味を帯びたあらゆる特性を保持すべきだということです。

俗に言う「時代もの」はしばしば、あまりに装飾過多で芝居がかっています。

異国趣味をすべて排除することも私の意識的な決定です。

エキゾチシズムは過去のものなら何でも凄いなと驚かせてそれでよしとする所まで来てしまいました。過去を含めて、すべてを通常の展望に収めて眺めるように努力しましょう![ノ]


ソロニーツィンに関して、私はただただ運が良かった。

最初、私はこの役を有名な俳優に任せることはできないと分かっていただけでした。

悪魔に憑かれたような一念が目に見えるような、強い表現力のある顔でなければならないと私は悟りました。

ソロニーツィンは、打ってつけの肉体的な外観であるだけでなく、複雑な心理過程の偉大な解釈ができる人物です。(1969年)


主役の俳優は映画に一度も出たことがない人物でなければならかった。

誰もが自分なりのルブリョフ像をもっているのだから、他の役を思い出させる人を使うことは出来ない。そういうわけで、それまで端役しかやったことのないスヴェルドロヴスクの劇場の俳優を選んだのです。

ソロニーツィンは、月刊「イスクーストヴォ・キノ」に載った脚本を読んで、モスフィルムまで自前ではるばるやって来て、自分以上にルブリョフをやれる者はいないと宣言したのです。

スクリーンテストをして、実際、はまり役だと私も納得しました。


『アンドレイ・ルブリョフ』をカットした者はいません。私以外にはね。

自分でいくつかカットをしました。

第1版で映画は3時間20分でした。第2版は3時間15分。

私は最終版を3時間6分まで短縮しました。

最後の版がベストで、もっとも成功していると私は確信しています。

長すぎるシーンをカットしただけです。
観客はそれらがないことにも気づきません。

カットは主題を変えてもないし、私たちにとってこの映画で重要であるものを変えてもいません。

言い換えると、意味のないひどく長いシーンを省いたのです。

観客に心理的なショックを引き起こすために野蛮なシーンをいくつか短縮しました。

ただの不愉快な印象を引き起こすためではありません。

それでは私たちの意図が台無しになります。

長いディスカッションの間カットするように忠告してくれた友人と同僚みんなの判断は、結局正しかったのです。

それを理解するのにしばらく時間が必要でしたがね。

最初私は、彼らが私の創造的個我を抑圧しようとしているのではないかと思いました。

後になって、私はこの最終版が私の要求以上の成果を挙げていることを理解しました。

だから映画が現在の長さに短縮されたのを全然後悔していません。[ノ]


画家のように色彩のハーモニーに敏感でない限り、日常生活で色彩に注目することはない。

例えば、私にとって映画のリアリティは白黒の階調に存在しています。

しかし『ルブリョフ』で私たちは生とリアリティを一方では芸術と関連づけ、もう一方でその絵と関連づけなければならなかった。

最後の色彩のシークェンスとモノクロフィルムの間の、このような関連は、私たちにとってルブリョフの芸術と彼の生の相互依存を表出する方策でした。

言い換えると、一方で、日常生活が合理的に現実的に提示され、他方でー彼の生を因習的な芸術で総括をして、次の段階で、その論理的な継続が来る。

アンドレイ・ルブリョフの壮麗なイコンをそんな短い時間で示すのは無理です。
だから私たちは選び抜いた細部を呈示し、観客を細部の断片の連続から、ルブリョフの至高の創造である、あの名高い「三位一体」のフルショットまで導いて、彼の仕事の全体像の印象を創造しようと努めました。

私たちは色彩のドラマツルギーのようなもので観客をこの作品まで導き、印象主義的な流れを創造し、観客が断片から総体へと移動するように願いました。

色彩のフィナーレは、およそ250メートルのフィルムを占めますが、観客に休息を与えるために必要だったのです。

モノクロームの最後のシーンが終わるとすぐに観客が映画館を出ていってほしくなかった。

観客は、ルブリョフの生から自らを引き離し、省察する時間を与えられるべきなのです。

私たちの狙いは、色彩を眺めながら私たちがつけた音楽に耳を傾けることで、観客が映画の全体から一般的な性質の結論をいくつか引きだして、心の中でその主要な道筋を選り分けることができるということです。

手短に言うと、観客に本をすぐに手放してほしくないんです。

もし『ルブリョフ』が「鐘」のエピソードでそのまま終わっていたら失敗作になっていただろうと思います。何としても観客を映画館にとどめる必要があったのです。

彼がどれほど偉大であったかを示すために、芸術家の生の継続のようなものを、付け加える必要がありました。

彼はそれらすべての経験を、最悪の経験を生き抜いたという事実をです。

そして、そうした体験からはじめて、彼の作品の色彩は得られたのだということをです。


こうした思いのすべてを観客に伝える必要がありました。

フィルムが雨にうたれる馬のイメージで終わることを指摘したいと思います。

私にとって馬は生命と同義であるので、象徴的なイメージなのです。馬を見ていると、私は生命そのものの本質にじかに触れているという感じがします。

もしかすると馬がとても美しい、人に優しい動物であるからなのでしょう。

それに馬はロシアの風景の特徴といってもいいでしょうから。

『ルブリョフ』には馬の出るシーンが数多くあります。

気球で空を飛ぼうとして人が死ぬ冒頭のシーンを思い出してください。

一頭の悲しげな馬は沈黙の目撃者なのです。

最後のシーンの馬の存在は、生命そのものがルブリョフの芸術のすべての源泉であったという意味なのです。(1969年10月)


原作者の特権を行使して私たちはアンドレイが沈黙の行に入るように決めました。

しかしそれは私たちが彼に同意するという意味ではありません。

それどころか、その後のエピソードで私たちは観客にアンドレイの沈黙が無意味であるということを納得させようとします。

その後の事件に直面すると、それは無駄なのです。

私たちの主人公は芸術家として何も出来ないのです。

彼は参加することが出来ないのです。

彼の沈黙は私たちにとって非常に幅広い、抽象的な、ほぼ象徴的な意味を持っていました。

アンドレイが沈黙しているエピソードで、映画の意味にとって根元的な重要性を帯びた出来事が生じます。

狂った村娘の登場人物がありますね、ブラゼナーヤです。

彼女は突然タタール人と一緒に行ってしまいます。

タタール人のひとりが好きになり、彼と一緒に行ってしまう。

狂った者だけが侵略者に輝かしく喜ばしいものを見いだすことができます。

彼女の狂気によって私たちは状況の馬鹿さかげんを強調したかった。

正気の人間ならあんなことはしないですよ。

しかしアンドレイは何か行動を起こすべきだったし、彼の責任ある立場に対するこの攻撃を許すべきではない。


なぜなら昔のロシアではブラゼナーヤは神聖な者と見なされました。

ブラゼナーヤ、ユロージヴィを侮辱することは当時大きな罪だと思われていましたから。

ところが彼は何も反応しない。

彼は誓いを守り、一言もことばを発さない。

アンドレイは他者のために立ち上がりもしなければ自分を守ることも出来ない。

ローラン・ブイコフの演じる旅芸人は、自分を警備隊に売ったのはアンドレイだと思う。

なぜなら彼が踊りながら貴族をからかった浮薄で批判的な歌を歌うのを眺める群衆の中にアンドレイがいるのを見たからです。

長い年月が経って、鞭打たれ多くの苦難を経験した流刑から帰ってきて、旅芸人は人々の面前でルブリョフを裏切りの罪で訴えます。

ルブリョフは身の潔白を証明できません。

彼は最後まで無言です。

彼は聖三位一体大寺院の壁画を描くように召喚されます。

彼はそれでも無言のままです。

彼は自分に引きこもり、自分の才能を埋もれさせて、狂人のように生きます。
何もかもが狂っている。

ルブリョフは正常な人間が行動するように行動しない。

祖国を愛する誇り高い市民が当然なすべき事をやらない。

自らの信念の力によって、鐘づくりに賭けた確信と情熱によって、ボリースカだけがアンドレイを沈黙から呼び覚まします。

強靭さ、人間の愛すべき創造力、忍耐力、そして自らの運命に対する信頼がルブリョフを罪深い誓いを破らせるように強制します。(1967年2月1日)
ttp://homepage.mac.com/satokk/selfcriticism/rublov2.html
メンテ
タルコフスキー 映画『鏡 1975年』 ( No.2 )
日時: 2022/05/17 05:02
名前: スメラ尊 ID:Gjda1JhU

タルコフスキー 映画『鏡 1975年』

監督 アンドレイ・タルコフスキー
脚本 アンドレイ・タルコフスキー アレクサンドル・ミシャーリン
音楽 エドゥアルド・アルテミエフ
撮影 ゲオルギー・レルベルグ
公開 1975年3月7日

動画
https://www.nicovideo.jp/search/%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC%20%E9%8F%A1?f_range=0&l_range=0&opt_md=&start=&end=


作中挿入音楽

ヨハン・ゼバスティアン・バッハ 『オルガンのためのプレリュード』,『ヨハネ受難曲』 断章
ジョヴァンニ・バッティスタ・ペルゴレージ 『スターバト・マーテル』 断章
ヘンリー・パーセル 『弦楽組曲』
テーマ音楽作曲:エドゥアルド・アルテミエフ

キャスト

母マリア/妻ナタリア:マルガリータ・テレホワ
父:オレーグ・ヤンコフスキー
少年時代の作者(アレクセイ)/現代の作者の息子(イグナート):イグナート・ダニルツェフ
幼年時代の作者:フィリップ・ヤンコフスキー
医者:アナトーリー・ソロニーツィン
挿入詩朗読:アンドレイ・タルコフスキー
ナレーション:イノケンティ・スモクトゥノフスキー
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8F%A1_(%E6%98%A0%E7%94%BB)


映画のストーリー

木々に囲まれた木造りの家で母親(マルガリータ・テレホワ)はいつももの悪いに耽つていた。一面の草原にたたずむ彼女に行きずりの医者(アナトリー・ソロニーツィン)が声をかけるが、彼女は相手にしない。

息子(イグナート・ダニルツェフ)が家の中にいると、外では干し草置場が火事だと母が知らせに来た。1935年のことだった。その年、父は家を出ていった。

そして今、母からの電話で息子は夢から醒める。彼女は、セルプホフカ印刷所で働いていた頃の同僚の死を知らせてきたのだが、息子は母に夢をみていたことを知らせる。

両親と同様、彼も妻のナタリア(マルガリータ・テレホワ)と別れた。彼は、母に似たナタリアを時々母と間違える程、母への執着が強い。そしてことごとく、林に囲まれた木造りの家と母の姿を思い出す。母もナタリアも彼には哀れに感じられる。

大戦中、モスクワからユリエヴェツに疎開した時、祖父の知人をたずねて行き、宝石と引きかえにお金を借りようとし、肩身のせまい想いをした時のことなど、彼にとって脳裏に鮮かに焼きついている幼い頃のことが思い出される。そして広い草原の夕暮時を彼の子供たちが歩く。
ttps://movie.walkerplus.com/mv11186/


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『鏡』 (ロシア語:ЗЕРКАЛО [Zerkalo],英語:The Mirror) は、アンドレイ・タルコフスキーが監督した1975年のソ連映画である。

作者の自伝的要素の強い映画であるが、また同時にロシアの現代の歴史を独特の手法で描き出した作品でもある。タルコフスキーの作品において、中心をなす代表作である。

オープニング−反響の暗喩

『鏡』は、言語症の少年が回復訓練を受けているTV画面の情景から始まる。女医が話しかけ、少年は吃音でうまく話せない。女医は少年をリラックスさせ暗示を与えつつ、「ぼくは話せます」と言ってごらんなさいと指示する。女医の言葉に合わせて少年が鏡像のように言葉を繰り返したとき、彼はうまく話すことが出来る。そして同時に「鏡」というタイトルが出てくる。

このオープニングはきわめて示唆に富んでおり、ここにタルコフスキーの映画のエッセンスが表現されているとも言える。無意識のなかに確かに存在するが、何かの障害によって意識にうまく再現されない記憶・情景。このような「心の深層」のイマージュが、ある魔術的とも言える手順を通じて、この現在に、鏡に映る像のように再現され意識化される。これがタルコフスキーの映画の基本的な構造でもある。

フラッシュバックと記憶

映画はそこから一挙に過去にフラッシュバックし、作者 (タルコフスキー) の少年時代に戻る。まだ若かった母が農場の柵に腰掛けている情景が出てくる。医者だと自称する見知らぬ男 (アナトーリー・ソロニーツィン) が現れ、作者の母と意味ありげな謎めいた言葉を交わし、風の吹くなか遠ざかって行く。その過ぎ去って行く医者の姿と共に、作者の父であるアルセニー・タルコフスキーの詩を朗読する声が流れる。

『鏡』は具体的な筋や物語を持っていない。妻との離婚問題に直面し退廃的に精神の絶望に陥って行く作者の「枠物語」はあるが、ふとした言葉や出来事が映画の場面を多様な過去の記憶の情景へと引き込んで行く。現在は過去の記憶に浸透される。

様々な魅力的でもあれば象徴性に富んだ情景が、あるときは田舎の自然として、家のなかの薄暗い情景として、印象的な雪のなかの坂道を登る少年の姿として現れる。映画は歴史ドキュメンタリーの映像を挿入しながら過去と現代を交互に行き来しつつ、記憶の積み重ねとして構成されている。展開して行く映像の場面に、詩人であった父アルセニーの詩を朗読するタルコフスキーの声が重なって行く。

個人の記憶とロシアの歴史

過去と現在を往復しながら、作者であるタルコフスキーの記憶が呼び出されると共に、ロシア(旧ソ連)の歴史、過去の時代の政治状況などが描き出されている。祖父の別荘で、夜、納屋が燃えた事件。このとき以来、父は家族から去って行ったのだった。母が印刷所で校正係を務めていたとき、印刷物の校正ミスをしたかと思い、早朝に活版の文字を確認しに出かけた情景。誤植が政治的意味を持つとき、人のいのちにも関わった、スターリン独裁時代のソ連の記憶であった。

作者の部屋で、スペイン人たちが闘牛について話している。ニュース映画の映像が現れ、スペイン内戦時代の様々な情景が流れて行く。またソヴィエト最初の成層圏飛行船の成功を祝う人々の姿が映し出される。印象的な情景が幾つもあるが、そのなかの一つは、「魔術的な存在の消失」とも言える、映像の暗喩である。

一人の老婦人の要望に応え、作者の息子イグナートはプーシキンの書簡の一部を朗読する。それは、タタール(チンギス・ハーンなど)の圧倒的な破壊・暴力に対する防波堤となった、ロシア(ルーシ)のヨーロッパ・キリスト教文明史における存在意義に関する一節であった。婦人は部屋のなかのテーブルに向かい紅茶を飲んでいる。イグナートがわずかの時間席を外して部屋に戻って来ると婦人の姿は消えている。紅茶のカップも消えているが、テーブルの上にはついさっきまでカップが置かれていた痕跡があり、それが見ているなかで、湯気が消えるように見る見る消えて行く。

記憶のイマージュの交錯と交響

作者は少年時代、雪のなかの道を歩き、射的場で軍事訓練を受けたことを思い出す。再び、ニュース映像が現れ、濁った川を渡ろうとする兵士たちや、行軍する兵士たちの映像が流れる。ベルリンの陥落とヒットラーの遺体。広島・長崎の原子爆弾のキノコ雲。毛沢東語録を手にした中国人群衆が押し寄せる文化大革命のニュース。中国とソ連の国境紛争であったダマンスキー島事件の情景。そして再び、現在へと時間は戻って来る。

一つの記憶が無意識から呼び出されると、それは別の記憶を更に呼び出し、記憶と記憶が交錯し、それは現在の情景とも交錯して、複雑なこころのイマージュを形造って行く。これは『惑星ソラリス』において、まさに宇宙空間で起こったことであり、歴史大作『アンドレイ・ルブリョフ』は、15世紀のイコン画家の時代と現代のあいだで鳴り響く、歴史と記憶、イマージュの交響音楽とも言える。

タルコフスキー自身は、第二次世界大戦の戦禍のただなかで生まれ少年時代を送った。この経験と記憶が、後に『僕の村は戦場だった (原題:イワンの子供時代,Ivanovo Djetstvo)』の作品イメージの構成に影響を与えているのは自然である。また父アルセニー(オレーグ・ヤンコフスキー)がタルコフスキー母子を、ある意味で見捨てたことも、彼のその後の芸術家としての主題となって来ている。軍服を着た父が少年タルコフスキーを胸に抱くシーンでは、劇的に音楽が高まる。

また映画の後半部でもっとも重い主題となっているのは、母と共に疎開した田舎で、財政的に行き詰まった母が、手持ちの宝石を売って家計の足しにしようと、少年タルコフスキーを伴って、販売交渉に出かける情景である。美しい田園風景の記憶、そして貧しい身なりの少年であった作者が垣間見た、豊かで暖かい家庭。ここにタルコフスキーの映画世界の始源点があると言える。


エピローグ−そしてはじまり

『鏡』は、父と母がまだ若く、高緯度地方の夏の白夜の夕暮れの中、田園の草のなか寝そべって、これから(の戯れにより)産まれる子は、男の子がいいか女の子がいいかと、未来を語っている傍らを、年老いた母が、まだ少年の作者と妹の手を引いて歩いて行く。大地母神的な「ロシアの母」の本能により、(上記の)来たるべき災厄の時代、夢想家で甲斐性の無い父親から、まだ生まれぬ子等を逃れさせているようにも見える。充足感に浸っている父親の傍らで、癇の鋭い若い母親もその事を垣間見、予感しているショットが入る。

十字架の前に赦しを請う、他の男(通りすがりの医師)に心を動かした多情な母、家族の大事な宝物を売り払った母、を捨てて、もはや性の対象ではない安全な老母と、童年時代の美しい記憶に回帰している、という「エディプス・コンプレックス」的解釈もされている。

しかし、映画史に残る名場面、宝石を売りに行った家で、ランプの明りに照らされながら、少年アレクセイが鏡を見つめている有名なシーンで、彼は母を許している(彼が許している、というより、鏡に映った自己の姿・深奥を観照するなかに、「神の赦し、彼らの営みを見守る神、が顕現している。」)という、時空の秩序を越えた情景のなかでクライマックスを迎える。

かつて火事を見たとき、燃える納屋の傍らにあった井戸が、枠組みの木材が虫に蚕食されている。燦然とした光のなかで、草と花のなかで、朽ち果てた過去を背後に記憶が出会い別れ、そして新しい未来へと進んで行く。

記憶と現在−永遠と鏡像

タルコフスキーにとって、過去は記憶のなかに存在する現在であり、現在それ自身も、過去の記憶のイマージュの一つの複合である。このようにしてうつろい行く記憶のなかに「永遠」が存在している。タルコフスキー自身は「永遠」という言葉は使わないが、変わることのない何かが存在しているのであり、それは「鏡」に映る像のなかにその存在の証明を持っている。

『鏡』のなかで、父アルセニーの詩を繰り返し朗読するのは、作者タルコフスキーであるが、父と作者は鏡を通じて、互いに像となっている。母マリアと妻ナタリア(同じ俳優が演じている)も鏡像関係にあり、更に作者と息子イグナート(少年時代の作者とイグナートは同じ俳優である)も互いに鏡像となる。

タルコフスキーの「水」を中心とした自然描写の映像美は魔術的であるが、実は彼の映画の思想そのものが魔術的だと言える。遺作となった映画『サクリファイス (原題:Offret/Sacrificatio)』においては、この「存在の魔術」が、具体的に描かれることになる。
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8F%A1_(%E6%98%A0%E7%94%BB)

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アンドレイ・タルコフスキー(ロシア語: Андрей Арсеньевич Тарковский, アンドレイ・アルセーニエヴィチ・タルコフスキー, 英語: Andrei Arsenyevich Tarkovsky, 1932年4月4日 - 1986年12月29日)は、ソ連の映画監督である。

「映像の詩人」と呼ばれ、叙情的とも言える自然描写、とりわけ「水」の象徴性を巧みに利用した独特の映像美で知られる。深い精神性を探求し、後期から晩年にかけて、人類の救済をテーマとした作品を制作・監督する。表現の自由を求めてソ連を亡命し、故郷に還ることなく、パリにて54歳で客死する。


1932年4月4日、ヴォルガ川流域のイワノヴォ地区、ユリエヴェツの近郊ザブラジェで生れる。

父はウクライナの詩人として著名なアルセニー・タルコフスキー[1]。
タルコフスキーの幼少期に父は家を出て別の家庭を作ったために、主に母親に育てられる(この間の事情は、自伝的作品 『鏡』(1975年) に描かれている)。

この幼少時にタルコフスキーは、作曲家に成る事を夢見て居たと言われる。
赤貧のうちに育ち、芸術学校でまず音楽の勉強をしたが家にピアノが無いので練習不足で断念。次に絵の勉強を始めるが結核で一年間療養生活を送る。

東洋大学のアラビア語に入学するが一年半で中退。ちょうどアメリカ文化に影響を受けた「スチリャーガ」と呼ばれた若者が現れた時期であり、タルコフスキーはその流行の先端を行くジャズと女性が好きな不良少年となった。

心配した母親がシベリア地質調査隊に入隊させ、1953年から1年間をシベリアのタイガの森で過ごす。

その後、映画大学への進学を決意。父親の尽力もあって1954年に全ソ国立映画大学に入学。落ちこぼれだったタルコフスキーが名門のこの学校へ入学できたのは奇跡だったと友人達は証言している。

ミハイル・ロンムのもとで映画を学んで[2]頭角を現し、後にやはりソ連を代表する映画監督となるアンドレイ・コンチャロフスキーやその弟のニキータ・ミハルコフらと親交を結ぶ。アメリカかぶれは健在で3年生のときにヘミングウェイ原作の短編『殺人者』を製作。

タルコフスキーの世代は、スターリン体制が終わりを告げて西側の文化がソ連に急速に流れ込んできた雪解け期が青年期にぶつかっており、タルコフスキーもそうした文化に大きく感化されている。後に彼が書いた映画評論も、ジャン=リュック・ゴダールからルイス・ブニュエル、黒澤明、ロベール・ブレッソン、アンディ・ウォホール、フェデリコ・フェリーニ、オーソン・ウェルズ、ミケランジェロ・アントニオーニ、イングマール・ベルイマンなど西側の映画への言及が多い。

卒業制作短編 の『ローラーとバイオリン』(監督)はニューヨーク国際学生映画コンクールで第一位を受賞。1962年にウラジーミル・ボゴモーロフのベストセラー小説 『イワン』 を原作とした 『僕の村は戦場だった』に急遽代役起用され、長編映画監督としてデビューする。これは1962年のヴェネチア国際映画祭でサン・マルコ金獅子賞、サンフランシスコ国際映画監督賞を受賞。国際的に高い評価を得る。企画段階では参加していなかった作品ではあるが、「水」や「夢」など、将来のタルコフスキー作品を彩るモチーフはこの時期から現れている。

将来を嘱望されたタルコフスキーは、1962年から63年末にかけてロシアの伝説的イコン画家の生涯を描いた歴史大作映画『アンドレイ・ルブリョフ』の脚本を映画大学の後輩コンチャロフスキーと共同執筆。大作ゆえの予算不足と検閲で苦しみながら1967年に完成するがソ連当局より「反愛国的」と指摘されて、国内では5年間上映されなかった。海外では高い評価を受け、1969年のカンヌ映画祭で国際映画批評家賞受賞。ソ連では71年12月にモスクワで公開された後、地方都市でも公開されて全国で290万人を動員した[3]。
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC

 
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アンドレイ・ タルコフスキーは、ヴォルガ川近郊のザブラジェで1932年4月4日、アルセニー・タルコフスキーとマリア・イワノヴナ・ヴィシニャコーワの息子として生まれた。
父は詩人で、その詩作によって後年にはかなりの名声を獲得することになる。

両親はモスクワの文学大学に学ぶ。

タルコフスキーが生まれた村は、もはや存在しない。

ダムがその地域に建設されて、人工湖の水底に眠っているのだ。

しかし、タルコフスキーが子ども時代を過ごした場所とそのイメージは、彼に消えることのない影響を及ぼし、作品に深甚な影響を残すこととなった。

一家がモスクワ郊外に引っ越した1935年には、父母の間の関係にひずみが見えはじめ、やがて、2人の離婚と、父の出奔を招くことになった。

アンドレイは、母、祖母、及び妹の家族構成、つまり男手のない家庭で成長した。

1939年に彼はモスクワの学校に入学したが、後に戦時中の疎開でヴォルガ河畔の親類の元に移った。

戦争の勃発で、父は兵役に志願、負傷して片脚をなくすことになる。

一家は、1943年にモスクワに戻った。

そこで、タルコフスキーの母は、印刷所の校正係として働いた。

戦時の年月は、少年の心に2つの大きな懸念が重くのしかかる日々であった。

死なずにすむだろうか? そして父は前線から無事に帰ってくるのだろうか? 

しかしながら、アルセニー・タルコフスキーがやっと戻ったとき、赤い星の勲章で顕彰されていたが、彼が家族の元に戻ることはなかった。


息子が芸術分野の仕事を見つけることを、タルコフスキーの母は一貫して望んでいた。

芸術の価値に対する彼女の信念は、彼が正式に授けられた教育に反映されている。

音楽学校、後には、美術学校に学んだタルコフスキーは、自分の映画監督の仕事はこうした訓練がなければ到底考えられないと、後年になって述懐している。

1951年から、彼は東洋言語大学で学んでいる。

これらの勉学は、しかしながら、スポーツによる負傷によって終わりを告げ、タルコフスキーは、シベリアへの地質調査団に加わり、そこでほぼ1年の間滞在し、ドローイングとスケッチのシリーズを製作した。

1954年に、この旅から戻った時、彼は、モスクワ映画学校 ( VGIK )に首尾よく合格し、ミハイル・ロンムの元で学ぶことになる。


タルコフスキーの商業映画第1作『僕の村は戦場だった』 (1962年)は、きわめて見通しの悪い状況で生まれた作品であった。

この映画は、E・アバロフ監督で撮影が開始されていたが、撮影されたシークェンスの質が不良なので中止されたプロジェクトだった。

後に、やはり映画を救済しようという決定がなされて、タルコフスキーがその完成の責任を負った。

こんな状況であのような情緒的なインパクトをもつ作品を創造できたという事実は、映画監督としての彼の力量とヴィジョンの強さを証言するものである。

彼のものでない素材が混ざっているにもかかわらず、このフィルムは彼の子供といってもいいだろう。そして、彼のスタイルの紛れもない刻印を帯びている。

大人に早くならざるをえなかった幼い少年、最後には戦争によって殺された少年の運命を描いている。

タルコフスキーは、自身の子ども時代とイワンの子ども時代との見かけの平行関係を否定して、両者の共通点は年齢と戦争という状況にすぎないと述べている。

映画は、ヴェネチア映画祭で金獅子賞を受賞し、タルコフスキーの国際的な名声を一気に確立させた。

『鏡』 ( 1974ー75年)は、自伝的な要素を強くもち、親密な幻視の強度を有している。

伝えられるところでは、映画には実話でないエピソードが全くない。

それゆえに、『鏡』はタルコフスキーの最も個人的な作品であり、特にロシアでは、(その主観主義のために)厳しい批判にさらされることになった。

しかしながら、幼年期を描出するその驚異的な手法と、子どもの、魔法のような世界観は、タルコフスキーの全作品に横溢する暗示的な技法を理解する鍵を我々に提供している。
ttp://homepage.mac.com/satokk/petergreen.html

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「魂の映像詩人〜タルコフスキー」

「僕のみる夢は、いつも同じだ。

僕が40数年前に生れた祖父の家、それが必ず再現される。懐かしい場所だ。

そして白いテーブル・クロスの食卓がある。

家に入ろうとして入れない・・・、そんな夢を何度か見た。

薄汚れた丸太の壁やよく閉まらない扉などを見て、夢だなと思うことがある。

そういう時には妙に物悲しく、目覚めたくないと思ったりする。

時に何事か起きて、あの家も、周囲の林も夢に見なくなる

夢に現れないと、僕は淋しくなる。夢を待ち焦がれるようになる。

夢の中で僕は子供にかえり、幸せを感じるのだ。まだ若いからだろうか?」

『鏡』は、タルコフスキーの作品のなかで最も難解な作品かもしれない。

なぜなら、この作品に貫かれているのは監督の内省的な自伝的要素の強い作品になっているからだ。自分の内面を見つめることさえ難しいのに、人の内面に入るのは困難なことである。

物語は父と別れた母への思いと、同じように妻と子供たちと別れてしまった『私』の回想と夢で綴られる。


母が印刷工場で誤植かもしれないと大騒ぎした日に、同僚のエリザヴェータから身勝手だと責められる。

そして、主人公も妻から「あなたは自信過剰よ。自分が存在するだけで、家族は幸せになると思っている」と母に似たような非難をされる。

自己の存在があっての世界。自己の存在があっての他者。

そうした人と人の繋がりの感情の襞が、この作品では鏡を通して語られる。


作品の冒頭近く、風に揺らぐ草原の中を通りすがりの医者が母に語りかける。

「・・・ごらんなさい。自然も素晴らしい。草も木も感じたり、認識したり、理解するのです。・・・

われわれは走り回り、くだらんおしゃべりをする。自分の中にある自然を信じないからですよ。

世俗のことばかり忙しくて・・・」と。


内なる自然、それは『神』と同義語ではなかろうか。

人間としての良心。善悪や恥に対する認識。

『惑星ソラリス』でもそれらは同じように語られる。そして、スナウトに「人間に必要なのは鏡だ」と語らせている。

自己を見つめるための『鏡』、
自己の内面を時間と空間を飛び越えて映し出す『鏡』。

鏡に映った自己は虚像ではあっても、その内面の多くを物語ってくれる。そして、それは実像なのである。


スターリン政権下、誤植は命とりだったのである。

そのため奔走した母。それを攻める同僚。
観ているものには理不尽さを感じないではいられない。

それは、時代のゆがみの現れ、タルコフスキーのソ連政権に対する不信感の現われだったにちがいない。


ともあれ、この作品は言葉で表し難い。それは冒頭述べたとおりである。

しかし、タルコフスキー特有の映像。この映像を見ているだけで至福のひと時を感じてしまう。

また、感情の奥襞を言葉のやり取りでさらけ出していく手法はベルイマンを、夢のシーン、特に母がベッドから浮き上がるシーンや家の壁が崩れ落ちるシーンにはブニュエルの影響が認められる。


そして、作品の随所に現れる『水』と『火』のイメージは、次作 『ストーカー』を経て『ノスタルジア』で頂点に達する。


≪父の詩≫

「私は予感を信じない 

前兆を認めない 

中傷も毒も恐れない 

この世に死は存在しないのだ 

すべては不死だ 

すべては不滅で17歳でも70歳でも死を恐れる必要はない 

ただ現実と光あるのみ 

この世に闇もなく、死もない 

我々はみな海辺に出る 

不滅の海の広がり
 
我々は力をあわせて綱を引く
 
家というものも永遠だ 

私は好きなときに呼び戻し 

その時代に生き 家を建てる・・・

それゆえに今 我々は妻や子と祖父や孫と一つテーブルにいる 

もし私が手を挙げれば 未来もここに現れる 

光も永久に残るだろう
 
過ぎ去った日々を私は肩に積み重ねて 深い時の森を抜けてきた 

私は自らこの世紀を選ぶ・・・」

鏡《ストーリー》


私の夢に現われる母・マリア。

それは、40数年前に私が生まれた祖父の家。

うっそうと茂る立木に囲まれた家の前で、母・マリア(マルガリータ・テレホワ)はいつものようにもの思いに耽つていた。

一面の草原にたたずむ彼女に行きずりの医者が声をかけるが、彼女は相手にしない。


母は、たらいに水を入れ髪を洗っている。
鏡に映った、水にしたたる母の長い髪が揺れている。


息子≪私の少年時代≫・イグナートが家の中にいると、外では干し草置場が火事だと母が知らせに来た。

1935年のことだった。その年、父は家を出ていった。


私は突然の母からの電話で夢から覚め、エリザヴェータが死んだ事を知らされた。
彼女は、母がセルポフカ印刷所で働いていた頃の同僚だった。

私は母に、母の夢をみていたことを知らせる。


両親と同様、私も妻ナタリアと別れた。

妻は、私が自信過剰で人と折り合いが悪いと非難し、息子イグナートも渡さないと頑張っている。

妻のもとにいるイグナートのことは、同じような境遇にあった自らの幼い日を思い出させる。

赤毛の、唇がいつも乾いて荒れていた初恋の女の子のこと。

同級生達と受けた軍事教練のこと。それは戦争と、そして戦後の苦難の時代でもあった。


そして、哀れだった母のこと。

大戦中、疎開先のユリヴェツにいた時、母に連れられて遠方の祖父の知人を訪ねて、宝石を売りに行き、肩身のせまい想いをした時のことなど、彼にとって脳裏に鮮かに焼きついている幼い頃のことが思い出される。


母の負担になったかもしれない自分の少年の日々のことを思うと、私の胸は疾く。

イグナートが同じ境遇をたどっているのかも知れないと思うと、さらに私を苦しめる…


そして、夕暮時、母が遠くで見守るなか、広い草原を子供たちが年老いた母につれられて歩いて行く。
http://acusco.cocolog-nifty.com/higurasi/2008/07/post_20eb.html

アンドレイ・タルコフスキー・インタヴュー


―1985年3月、ストックホルム― 『鏡』に関して


Q. 『鏡』であなたはご自身の生い立ちを提示されました。どのような鏡をあなたは使われたのですか。


その鏡は、スタンダールの鏡のように、道中をたどる鏡ですか。それとも、その中に自分自身を発見し、それまで知らなかった自分自身について何かを学ぶことになった鏡ですか。

言い換えますと、この作品はリアリスティックな作品ですか、それとも、主観的な自動創造なのですか。あるいはもしかすると、壊れた鏡の破片を集めて、映画的なイメージの枠内に収めて、完全な総体を構成する試みなのでしょうか。

映画というものは、部分を集めて一個の総体にする可能性をいつも創造してくれます。

映画は結局、モザイクのように、切り離されたショットから構成されています。

色彩とテクスチャーの異なる個々の断片で構成されています。

ですから、断片の一つ一つはそれ自体では、無意味かもしれません。またそう見えることでしょう。

しかしその総体の中に収まると、断片が絶対に必要なエレメントになるのです。

個々の断片はその総体の枠内でしか存在しません。だから映画は、私にとって最終的な結果を見る目で考えぬかれていない、いかなる断片もフィルムに存在しない、存在し得ないという意味で、重要なのです。

個々の断片のひとつひとつは、まったき総体によって共通の意味にいわば彩色されているのです。

言い換えると、断片は自立した象徴として機能せず、ある独自の、唯一無二の世界の一部としてだけ存在するのです。

そういうわけで、『鏡』はある意味で私の理論的な映画観に最も近いものです。


ご質問は、どのような種類の鏡なのか、でしたね。

ええ、まず第一に、この映画は創作されたエピソードをまったく含まない私自身の脚本に基づいています。

エピソードのすべてが実際に私の家族の歴史のものです。そのすべてです。例外はありません。

唯一創作されたエピソードは、ナレーター、作者の病気です。

作者はスクリーンに映りません。


ところで、この非常に興味深いエピソードは、作者の精神的な危機、彼の魂の状態を伝えるために、必要だったのです。


ひょっとすると、彼は命に関わる病気なのです。

ひょっとするとそれが映画を作り上げるさまざまな回想を生み出す理由なのです。
死ぬ間際に人生の最も重要な瞬間の数々を思い出す人のようにです。

ですから、これは作者が自分の記憶に加えた単純な暴力ではありませんー私は私が欲するものだけを覚えているのですーそんなものではありません、これらは臨終の時の男の回想なのです。

自分の思い出すエピソードを良心の秤にかけているのです。

このように、唯一創作されたエピソードは、他の完全に真実である回想に必要な先行条件になったのです。


この種の創造、このように自分自身の世界を創造することがこの真実かどうか、そうお訊ねなのですね。

ええ、もちろん真実ですが、私の記憶に反射したものとしての真実です。

例えば、撮影に使われた私の子ども時代の家を考えてみましょう。

映画であなたが目にする家です。あれはセットです。

つまり、あの家は昔、私の家が建っていた全く同じ場所にもう一度建てられたのです。

あそこに残っていたものは、基礎すらなかった、かつてそこにあった穴ひとつでした。

まさにその場所に家がもう一度建てられたのです。写真から再建したのです。

これは私にはきわめて大切なことでした。

私が何らかの自然主義者になりたかったからではありません。

そうではなく、映画の内実に対する私の個人的な姿勢の総体がそれにかかっていたからです。

もし家が別物に見えたなら、それは私にとって個人的なドラマになったことでしょう。

もちろんこの場所で樹木はずいぶん生い茂りました。すべてが生え放題で、ずいぶん切り倒さねばなりませんでした。

しかし、私がママをあそこに連れて行くと、ママはいくつかのシークェンスに出ていますから、彼女はあの風景にひどく心を動かされたので、私は正しい印象が創造されたのだとすぐに分かりました。


こう思うでしょうね。なぜまた、過去を念入りに再構築することが必要だったのか、と。

それもまた、ただの過去でなく、私が覚えていること、そしてそれを私がどのように覚えているか、それを再現することが必要だったのか。

私は、いわば、内的で主観的な記憶のために特定の形式を探求しようとしたのではありません。

私は昔のままにすべてを復元しようと努めました。

つまり、私の記憶に固定されたものを文字どおり繰り返そうと努めました。
その結果は非常に不思議なものでした。私には何とも奇妙な経験でした。

観客の興味を引くために、関心を引きつけるために、観客に何かを説明するために、構成されたり創作されたエピソードは何ひとつない映画を私は作りました。


エピソードのすべてが、まさしく私の家族に関する、私の生い立ちの、私の人生の回想だったのです。

そして、それが実は非常にプライベートな物語であるという事実にもかかわらずーもしかすると、まさにそのためにー私は後でたくさんの手紙を受け取りました。

映画を見た人たちは「どうやってあなたは私の人生で起きたことが分かったのか」と訊いてきたのです。

これは非常に重要です、ある内的な意味で、非常に重要です。

これはどういう意味なのでしょう。

これは、道徳的で精神的な意味で非常に重要な事実であると私は言いたいのです。

なぜなら誰かが自分の真実の感情を芸術作品で表出するなら、それは他者にとって秘密のままであることはありえないからです。

もし監督や作家が嘘をついているなら、ものごとを人工的に作り上げているなら、彼の作品は完全に-


Q. 「洗練の極み」


そう。イタリアでは、cervellotico, troppo cervellotico と言う。

「人工的に、よく工夫されている」という意味です。

そんな仕事は誰の心も動かさない。

だから、作家と聴衆の間の相互理解は、それがなければ芸術作品は存在しないのですが、創造する者が誠実であるときにのみ可能なのです。

しかし誠実な作家が自動的に傑出した作品を生むという意味ではないですよ。

能力と才能が基本的な予備条件なのは確かです。

ただし、芸術家の誠実さが欠けていたら、真の芸術的創造は不可能です。

本当のことを言えば、何らかの内的な真実を言えば、必ず理解が得られると私は信じています。

お分かりになりますか。提示された問題がきわめて複雑でも、イメージのシークェンスが、作品の形式構造がきわめて複雑でも、創造者にとって根本的な問題はいつも誠実さなのです。

構造の点で、『鏡』は私の映画で全般的にもっとも複雑なものです?構造としてです。

個々に考えられた断片としてではなく、まさしく一つの構造としてです。
そのドラマツルギーはなみはずれて複雑で、内転したものです。

Q. 夢や追憶の構造に似ていますね。結局これは普通の省察ではありませんね。

ええ、これは普通の省察ではありません。そこには、そういう込み入ったものがたくさんあります。

自分でもよく理解できないものもあります。

例えば、母に出演してもらうというのが私にはとても重要でした

映画にイグナーツ少年が座っているエピソードがあります-イグナーツじゃない-何て名前だったけ?

 作者の息子、彼がだれもいない父親の部屋で座っている。これは現在です、今現在です。

この少年は語り手の息子です。その少年は作者の息子と、少年時代の作者自身の両方を演じています。

で、彼がそこにいるとき、ドアベルが鳴ります。

彼がドアを開けると、女の人が入って来て、「あら、家を間違えたようね」と言います。

家を間違えたのです。これが私の母です。

で、彼女はドアを開けるこの少年の祖母です。

しかしなぜ彼女は彼が孫だと分からないのでしょう。なぜ孫は祖母が分からないのでしょう。


さっぱり分かりません。つまり?

第一にこれはプロットで、台本で説明されていません。

第二に、私にもこれは明確でないのです。


Q. 人生のすべてが理解出来るわけでも、明確なわけでもありません。


そうですね、私にとって、それは?どう言えばいいのかな?

さまざまな感情の絆と折り合いをつけることなのです。

私にとって、母の顔を見ることがきわめて大切なことでした。

この映画は結局彼女についての物語なのです。

彼女は玄関を不安げに、何かおずおずと、入って来ます。

ドストエフスキーの流儀で、マルメラードフの流儀でね。
それから彼女は孫に言う。

「家を間違えたようね」

あなたはこの心理状態を想像出来ますか。

私にとって、このような状況に落ちた母を目にすることが大切だったのです。

混乱した時の、気後れした時の、恥ずかしがっている母の顔を見ることが重要だったのです。

しかしちゃんとしたサブプロットを作るには遅すぎると私は分かっていました。

なぜ孫を認知できないのか、明らかにしてくれるように脚本を書くにはすでに手後れでした。

目が悪かったからとか何とか、ね。それを説明するのは非常に簡単なことだったでしょう。

しかし私は自分に言い聞かせました。


何もでっちあげないぞ。


母にドアを開けさせて、家に入り、息子[原文のママ]を認知できないようにしよう。

少年は彼女がだれか分からない。

この状態で彼女は外に出てドアを閉めることになります。

それは、私にとりわけ身近な人間の魂の状態です。

何か不如意の状態。精神的に縛られた状態です。

これを目にすることが私には大切だったのです。

一種、辱められた状態の人間の肖像です。

おとしめられたという感じです。


これを、彼女の若き日のシーンと並べてみると、そうすると、このエピソードは私に別のエピソードを想起させます。

つまり、若いころにイヤリングを売りにあの医者のところに行きます。

彼女は雨の中で立っています。何か説明しています、何かについて話しています、なぜ雨の中でなのでしょう。何のためなのでしょう。

もしかすると、このような謎が何もなければずっと良いのでしょうね。

しかし全く説明のない、理解不可能なこのようなエピソードがいくつかあります。
で、私たちにはその意味を探る手がかりがないのです。


例えば、人々はこう言うでしょう。

「向こうに座っていて、少年にプーシキンがチャーダーエフにあてた書簡を読むように言うこの年配の女性はだれなのか?」

この女性はだれなのでしょう? アフマートワか??

だれもがそう言います。彼女は実際アフマートワに少し似ています。

横顔が同じなので、彼女を思い出させるのです。

あの女性を演じたのは、タマーラ・オゴロードゥニコワです。私たちの製作マネージャーです。

実際すでに『ルブリョフ』の製作マネージャーでもありました。

彼女は私たちの大の友だちで、彼女の姿は私の映画のほぼすべてに映っています。
彼女は私にとって護符のようなものでした。

この女性がアフマートワだと私は思いませんでした。

私にとって、彼女はある種の文化的な伝統の継続を表象する「彼方」からの人物でした。

彼女はこの少年を何としても、そうした文化的な伝統と結び付けようと努力しています。

文化的な伝統を、まだ若く、今この時代に生きている人間と結び付けようと努力しています。

これはとても大切なことです。

簡潔に言うと?それは、ある種の傾向、ある種の文化的な根っこなのです。


ここに家があります。

ここには、そこに住んでいる男がいます。作者です。

そしてここには、この雰囲気に、こうした文化的な根っこに影響を受ける彼の息子がいます。

結局、この女性がだれであるのかは、明確に指示されてはいません。

なぜアフマートワなのでしょう? 

ちょっと衒いすぎです。この女性はアフマートワではありません。

簡単に言うと、この女性はまさしく、時の、切れた糸を繕うのです。

シェークスピアの『ハムレット』の場合と同じです。

彼女はそれを文化的、精神的な意味で回復させるのです。

それというのは、近代と過去の時代との絆です。プーシキンの時代と、です。

もしかするともっと後の時代と、かもしれませんーそれは重要ではありません。

私がこの映画で獲得した非常に重要な、きわめて重要な経験は、私にとって同様に観客にとってもこの映画が重要であると判明したことでした。

私たちの家族だけの物語であって、それ以外ではありえないということはどうでもいいことです。

この経験のおかげで私は多くのことが見えるようになり理解したのでした。

この映画は、監督としての、こういってもいいなら芸術家としての私と、私の仕事が奉仕する人々との間に絆があるということを証したのでした。

そのためにこの映画は私にとってとても重要だと分かったのです。

なぜなら、私がそれを理解したとき、私が大衆のために映画を作っていないと誰も私に不服をならすことができないからです。

まあ後になってもいろいろな人がぐずぐず言いましたがね。

しかしそれ以来、私はそういう不服を自分に申し立てることができなくなりました。


芸術と実人生ーロシアの伝統


Q. あなたとご家族の人生はリアリズムが典型的に必要とするものに従って形成されていません。
あまり典型的な家族とは言えません。
おっしゃったように、観客は自分の人生が反映された映像をそこに見いだしたのですが。
あなたのご家族、あなたの家、最も身近な家族はあなたに何を与えてきたのでしょうか。
そして後になって、何があなたの芸術的で文化的な霊感の源になったのでしょうか。
この質問をするのは、ポーランドの観客はロシアの芸術家の生い立ちや背景を何も知らないからです。これは大きな特徴です。一方、西側の芸術家はしばしば生い立ちしか知らされていません。

それは正確ですが、不正確でもあります。ある意味で、正しいと言えば正しいし、正しくないと言えば正しくないですね。

生い立ちを何も知らないという意味で、ロシアの芸術家に関するあなたのご意見は正しくありません。もちろん、現代の芸術家と比較するなら、もしかすると正しいのでしょう。

しかし、私は自分自身と現在の芸術家との比較を考えたことは一度もありません。

私はいつも、19世紀の芸術家と自分が結びついていると感じてきました。

例えば、トルストイ、ドストエフスキー、この流れの作家たち、チェーホフ、ツルゲーネフ、レールモントフ、やブーニンを挙げるなら、彼らの生がどれほど唯一無二のものであり、彼らの作品が人生と、彼らの運命とどれほど密接に結びついていたかがお分かりになるでしょう。

もちろん、私が述べたことは、私が自分をソ連の60年、70年、80年代の、いわば、文化の流れから完全に除外しているという意味ではありません。そうではありません。

しかし私は革命後に突然巨大なギャップが出来たという意見には、原則的に反対です。

この深い溝は、ロシア文化の発達に新段階をもたらすために、意図的に創造されたものです。

しかし私は文化が真空状態で発達できるとは信じません。

貴重な植物を移植しようと努力することは出来ます。

その根を掘り起こして植え替えるのです。

しかし、枯れてしまうでしょう。何も生長しないでしょう。

だから、転換期の作家は自分の運命を非常に悲劇的に経験したのです。

革命前に作家活動をはじめて、その後も仕事を続けた作家たちです。

アレクセイ・トルストイ、ゴーリキー、マヤコフスキー、ブローク。
文字どおりのドラマでした。ブーニンも-。

これは何もかもがもう恐ろしいドラマです。アフマートワも-。他にどんな人がいたか、神のみぞ知るです。悲劇です。ツヴェターエワ-。何も得るものはなかった。

移植は不可能だった。移植はすべきではなかったのです。

文化にこんな恐ろしい実験をするのを許すべきではなかったのです。

こういう生体解剖は、精神を幽閉してしまうので、人体に暴行を加えるよりもさらに酷いことなのです。


プラトーノフを例に取りましょう。

彼は、言うなれば、ロシアにおけるソ連期の発達時代に完全に帰属しています。
また彼は典型的なロシアの作家です。

彼の人生もまた典型的なもので、彼の作品にくっきりと反映しています。
だからあなたのご意見は全面的に正しいと言うことは出来ません。

このような文脈で私のことを言うならば、古典ロシア文化と私との絆は私にとって非常に大切です。

この文化は当然連綿と続いて、今日に至っています。古典ロシア文化が死んだと私は思いません。

私は、人生と作品を通じてーもしかすると無意識のうちにーロシアの過去と未来の間をつなぐこの絆を現実化しようと試みる芸術家のひとりでした。

この絆をなくすことは私にとって致命的でしょう。それなしに私は生き続けることは出来ないでしょう。

過去を未来と結びつけるのはいつも芸術家なのです。

芸術家は或る瞬間に生きているだけではありません。

芸術家は媒体なのです、いわば、過去から未来への渡し守なのです。


ここで私の家族について何が言えるでしょうか。

父は詩人です。

彼は革命が起きたときまだ小さな子どもでした。

革命前に彼が大人であったと言うことは実際出来ません。それは全く正確ではありません。

彼はソ連時代に成長しました。1906年生まれですから、1917年の革命時には11歳でした。

まだ未熟な子どもです。しかし彼は文化的伝統をよく知っていました、教養がありました。

ブリューソフ文学研究所を卒業し、多くの、主導的ロシア詩人のほぼ全員を知っていました。

言うまでもなく、彼をロシアの詩の伝統から切り離して想像することは出来ません。

ブローク、アフマートワ、マンデリシュターム、パステルナーク、ザボロツキーの系譜から切り離して想像することは出来ません。

これは私にとってとても重要な事でした。或る意味で私はこのすべてを父から受け継いだのです。


私を育てたのは、私の両親、特に母です。

なぜなら父は私が3歳の時に母の元を去ったからです。

そういうわけで、私は実は母に育てられたのです。

詩人として父が私にどのように影響したのか、はっきりとしたことを言うのは難しいでしょう。

もっと生物学的な意味で、無意識のレベルで、私に影響しました。

もっとも私はフロイトの信奉者ではありませんが。フロイトにはちっとも感心しません。

ユングも又私の趣味ではありません。

フロイトは俗悪な唯物論者です。切り口が違うだけで、パブロフと同じです。

彼の理論は人間の心理を説明するひとつの可能な唯物論的異稿にすぎません。


父は私に何ら影響しなかった、内的な影響力を持たなかったと思います。

何もかもが概ね母のおかげによっています。

私が自分自身を見いだすのを助けてくれたのは母です。

映画でも私たちの生活状態がとても厳しかった、とても困難であったことがはっきりと分かります。

そういう時代でもありました。

まさにその時に、母は独り残されたのです。

私は3歳、妹は1歳半、母は私たちをずっと育ててくれました。

再婚もせず、いつも私たちと一緒にいました。

母は2度と結婚しなかった。

彼女は夫を、私の父を、一生愛していました。

彼女は並外れた女性でした。実際聖女でした。

最初母は生活に対して全く準備が出来ていなかった、全くです。

そして、この無防備な女性をとりまく全世界が崩壊したのです。

つまり、まず第一に2人の子連れだというのに手に職が何もなかったのです。

私の両親はブリューソフ文学研究所で勉強をしていましたが、そのとき母は妹を妊娠しました。

それで母は免状を何も持っていないのです。

教育を受けた女性として準備する時間が全くなかった。

彼女は文学で自分の才能を試しました。

私は彼女の文章をいくつか見たことがあります。

彼女を襲ったあのカタストロフィが起きなければ、母は全然違った形で自己実現が出来たでしょうね。

だから本当に家に資産がまったくなかったのです。

母は印刷所の校正の仕事をしました。そこで最後まで働いていました。

つまり、戦後も、ずっとです、退職するまでです。

どうやって母がやりくりできたのか、どうやってがんばり抜いたのか、どうやって身体がもったのか、私にはまったく理解できません-分かりません。

どうやって私たちに教育を受けさせることができたのでしょうか。

私はモスクワの美術造形学校を出ましたが、そのためには金がかかる。
どこからその金を捻出したのでしょうか。

私は音楽学校も出ましたし、先生からレッスンも受けましたが、それも母が払ってくれました。


Q. それは戦前ですね?


戦前と戦中と戦後です。

誰もが音楽家になるものだと思っていましたが、私はなりたくなかった。

とにかく、どうしてこんなことが可能だったのか、私には理解できません。

まあ、こう言う人もいるでしょう、何か財産があったんだ、教育のある一家の子どもだから、当たり前でしょう。

ーしかし、ここには当たり前のことは何もなかった。

私たちは文字どおり裸足で歩いていましたからね。

夏には全然靴を履かなかった。靴がなかったんです。

冬になると私はフェルトのブーツを履きました。

それで、母が外出しなければならないときには-私たちは-貧乏なんてもんじゃなかった。

赤貧でもまだ言い表せない。

まったく分かりません、母は-分かりません。

母がいなければ、私はこんなふうにはならなかったでしょう、言うまでもないことですが。

私が今あるのはすべて、母のお陰なのです。


そのために、母は私に非常に強い影響を及ぼしましたー影響という言葉でも足りないー世界のすべてが私にとって母と結びついているのです。

ただし、私は、母が生きているときには、そのことに本当には気づかなかった。

母が死んでから、母の死後に、私は突然そのことに気づいたのです。

それに、あの映画を作っているときでも、もちろん当時母はまだ生きていましたー私は映画のテーマを十分には理解していなかった。

私は自分自身を語る映画を作っていると思っていました。

自分の幼年時代、少年時代、青年時代を書いたオデッサ時代のトルストイのように。

映画を撮り終えたとき、この映画が私ではなく、母についての映画だと分かりました。

これはー私の見方から言うとー本来の理念よりもこのようにして相当高貴な精神のものになりました。この理念をかくも完璧に高貴なものにした変化は、映画の製作中に生じました。

つまり、映画は私と共に始まりました。

私があれらの回想の、いわば、眼なのですから。

しかしそれから、まったく異なることが生じました。

この映画に携わる期間が長くなるほど、この映画が何をテーマとするのか、私にははっきりしてきたのです。


Q. 映画館を出たとき、私はこの映画が一編の詩として作られたのだと思いました。
つまり、映画では不可能なものに思えたのですー親密な抒情的な独白であると。


そうかもしれません、私には分かりません。

私は当時形式について何も考えていませんでした。特別なものを考案するつもりはなかったのです。

私が追求していたのは、記憶における復活です。

いや正確に言うと、記憶ではなく、スクリーンに私にとって重要であるものたちが復活することでした。

一般に、最も重要なことはこの道をたどるということで、例えば、自分の想い出を構築するアラン・レネの道をたどることではなかった。

あるいは、現代文学から例を引くなら、ロブーグリエの道を採ることでなかった。
ロシアの芸術家にとって芸術創造の非常に重要な側面は、必ずしも、より美しいものを創造することではなく、道徳的な責任感であったのです。
ttp://homepage.mac.com/satokk/selfcriticism/illg.html

オルガ・スルコワ:タルコフスキー・インタビュー


映画を撮るとき、私は俳優と出来るだけ話をしないようにする。

俳優自身が自分の個々のシーンを全体との流れでやろうとするのに、私は強く抵抗します。

時には、直前のシーン、あるいはその直後のシーンとの関連でも、ダメです。

例を挙げましょう。

『鏡』の最初のシーンで、主演女優がフェンスに腰を下ろして夫を待ちながら煙草を吸うシーンでも、主役を演じたマルガリータ・テレホワが脚本の細部を知らないことを私は望みました。

つまり、夫が最後のシーンで帰ってくるのか、永久に去ってしまったのか、彼女は知らなかったのです。

彼女が演じている女性がかつて、人生の未来の出来事を何も知らずに、存在していたのと同じ様態で、彼女にもその瞬間に存在していてほしいという思惑があって、なされたのでした。

もし女優が主役の亭主が二度と帰ってこないと知っていたら、状況の絶望ぶりを演技で前もって表出させていたことは間違いありません。

あるレヴェルで、たとえ潜在意識でなしたとはいえ、私たちはそれを察知したことでしょう。

これから起きることを自分が知っていることを、それに対する自分の態度を露わにしたことでしょう。

そういう細部の知識は大きなスクリーンでは確かに隠しようがないからです。

この場面では、そういう細部を未熟なかたちでばらさないことが絶対に肝要でした。

だから、実生活で経験するのとまさに同じやり方でこの瞬間を経験することがテレホワには必要だったのです。

彼女はこのように、希望をいだき、不信に陥り、また希望を取り戻すのです。

「解決のマニュアル」に触れることはありません。


与えられた状況という枠組みの中でーこの場合、枠組みは夫の帰りを待つことにあるのですがー彼女は自分自身の個人的な生の何か秘密の一片によって生きざるをえなくなった。

幸運なことに私はそれについて何も知りませんがね。


映画芸術で最も重要なことは、俳優がその俳優に完璧に自然なやり方である状況を表出することです。

つまり、その俳優の肉体的な、心理的な、情緒的なそして知的な性格に照応した様態で、ある状況を表出することです。俳優がどのようにその状況を表出するかは、私とはまるっきり無関係です。

別の言い方をしましょう、私には俳優に何か特定のかたちを強制する権利はありません。結局、私たちは皆、自分の完全に独自のやり方で同じ状況を経験しているのです。この例外的な表出力こそ、比類ないものであり、映画俳優の最も重要な側面なのです。


俳優を正しい状態に置くために、監督は自分の内面でこの状態を明確に感知できなければなりません。このようにしてのみ、当面のシーンの正確な調子を見つけだすことが出来るのです。

例えば、よく知らない家に入って、前もってリハーサルしておいたシーンを撮影するのは不可能です。知らない人たちの住居になっている馴染みのない家は、私のキャストに何も意思疎通することが出来ないのは、言うまでもありません。

人間の経験可能で正確な状態こそ、映画の個々の特定のシーンで目指すべき核心的でかつ完全に具体的な目標なのです…テイクの雰囲気を決定する魂の状態、監督が俳優に伝えたいと思う主なイントネーション、これこそ大切なのです。

俳優はもちろん、自分自身の方法を持っていなければいけません。

例えば、すでに触れたように、マルガリータ・テレホワは脚本の全体像を知らなかった。

彼女は自分自身の断片化された部分を演じただけでした。

出来事の帰結や自分自身の役のコンテクストを私が明かすつもりがないと探り当てたとき、彼女はひどく困惑しました…

まさしく、このようにして彼女が直観的に演じられた部分のモザイクを生み出し、それを後に私が全体像にまとめ上げたのです。
ttp://homepage.mac.com/satokk/surkowa.html

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アンドレイ・タルコフスキー 鏡
使われた音楽 バッハ「ヨハネ受難曲」
使われた意図 語ることによる受難


さて、今回取り上げる作品は前回に引き続きソ連の映画作家アンドレイ・タルコフスキー監督作品。

今回は「鏡」です。何でもタルコフスキー監督の中で一番「難解」な作品なんだそう。ただでさえ、「難解」と定評のある監督さんなのに・・・その中でも一番難解って・・・

この「鏡」という作品の最後のシーンで、バッハの「ヨハネ受難曲」が使われています。

実はマタイ受難曲も使われています。

タルコフスキー監督がマタイ受難曲を使った作品としては、彼にとっての最後の作品である「サクリファイス」や「ストーカー」もあり、これらについては以前に取り上げております。彼にとっても、色々と思い入れがあるんでしょうね。

しかし、この「鏡」では、マタイではなく、ヨハネ受難曲の方が目立つ使い方。だって最後のシーンでヨハネ受難曲が使われるわけですので、否応なしに注目することになる。

では何故に、この「鏡」ではタルコフスキー監督は、作品の最後という重要なシーンにおいて、お気に入りの「マタイ」ではなく、「ヨハネ」を使ったのでしょうか?


ちなみに、ここでこの「鏡」という作品のあらすじを・・・
と、行きたいところですが、ストーリーも何もあったものではありません。ダテに「タルコフスキーの中で一番に難解。」というレッテルを貼られているわけではないんですね。

タルコフスキーの記憶の中から様々なシーンが浮かび上がってくる・・・そのような構成です。


映画の中の様々なシーンの中で、作品の最後のシーンは、キリストの受難のイメージが特に顕著ですよね?

ご丁寧に十字架までかかっている。

おまけに主人公の母親(ご丁寧にマリーアという名前)が、2人の子供の手をつないで歩く。

映画での2人の子供は主人公とその妹のようです。


しかし、このとき観客はマリアとキリストとパプテスマのヨハネの組み合わせを連想します。

パプテスマのヨハネとイエス・キリストは親戚にあたります。

ヨハネのお母さんのエリザベツはイエスのお母さんのマリアと親戚で、お互いの妊娠中も一緒に暮らしていた間柄。よくいう言い方ですと、「生まれる前からの友達」ってヤツです。

だからマリアさんにしてみても、「親戚のヨハネちゃん」くらいの感じなんでしょう。

このマリアとキリストとパプテスマのヨハネの関係は、作品中ではレオナルド・ダ・ヴィンチの聖母子の絵で予告されています。

将来において、わが子に降りかかる受難をわかっているマリアが、赤子のキリストを抱きしめようとするシーンを描いた有名な絵です。

そこにはパプテスマのヨハネも描かれています。絵画を使うことによってラストシーンを予告し説明しているわけです。


あるいは、雪の中で主人公の少年に小鳥がとまるシーン。

このようなシーンは、キリストがヨハネから洗礼を受けた際に、鳩がキリストにとまったエピソードを思い出しますよね?

タルコフスキー監督の映画「鏡」において、母親マリアが自分の子供の手をつないで歩くラストシーンは、まさに「キリストとマリア」の「鏡」になっているわけです。


この「鏡」という作品は、実に多くの「鏡」となっている。

作品中では、主人公とその父親の間の共通性を強調しています。

主人公とその父親は「鏡」を挟んで向かい合っている状態。

似た容姿の妻。

本人は同じように芸術家。

同じように妻とは不和。


あるいは、レオナルド・ダ・ヴィンチだって、タルコフスキーにしてみれば、芸術家同士という「鏡」をはさんだ状態。いわば、同族意識ですね。

また、ダ・ヴィンチとタルコフスキーも母親の愛への渇望を共通して持っているといえるのでは?

そして、「始めに言葉ありき」の福音書のヨハネに対する同族意識もあるようです。

芸術家として「語る」こと。

そして「受難」。


「語ること」からの受難は、何も、ソ連の問題だけではありません。
いかなる政治体制でも起こっていることです。
だって本当の問題は為政者ではなく大衆なんですから。

それこそ、旧約聖書の時代から、「語った」人は、受難になったでしょ?

にもかかわらず芸術家は「語らないといけない。」存在である。つまり受難は不可避なんですね。


「語る」ことの難しさで、政治に関わることは、最初の方のシーンで出てきます。
主人公の母親が、「検閲に引っかかりそうな言葉を削除しそこなったかも?」と大慌てするシーンですね。


しかし、誰でもわかるシーンは映画の冒頭。

催眠術によって治った吃音者が「私は話すことができます!!」と喜ぶ冒頭。

そのシーンからは、「困難の中」から話すことの喜び・・・つまり芸術家として表現することの喜びが感じられますよね。


しかし、冒頭は「表現する喜び」ですが、ラストは受難のシーン。

「初めに言葉ありき。」のヨハネであり、芸術家肌のヨハネ。

この福音書のヨハネも、タルコフスキーにしてみれば、芸術家同士の同族と言えるわけです。


ヨハネ受難曲の流れる中、十字架を背景にマリアに手を引かれ進んでいく。
2000年前のキリストの受難も、タルコフスキーの受難の鏡といえそうです。

この「鏡」という作品。タルコフスキー監督の様々な自画像が展開されている作品といえそうです。

つまり様々な「鏡」に彩られているわけですね。タルコフスキー監督個人の「鏡」であるとともに、芸術家全般の「鏡」となっているわけです。


「語る」芸術家は「受難」は避けることができない。

神の意思は本人とは無関係にやってくる。


映画の中で数多く登場する草原の草が揺れるシーン・・・これは神がやってくる意味でしょう。


映画における主人公の父親は、神を意味している。

父親に抱かれること、それは神に召し上げられること。

これこそが芸術家誕生の瞬間であり、受難の始まりとなる。


小屋の炎上、原子爆弾、文化大革命、そしてマタイ受難曲の「そのとき大地が割れて・・・」というフレーズ・・・現在の世俗的安定の崩壊のイメージが顕著です。


だからこそ世界には芸術家の聖なるものが必要であり、芸術家は「語らなければならない」。


しかし、それは芸術家の受難につながっていくわけです。

「初めに言葉ありき」のヨハネで終了するこの映画、そのラストのシーンは「言葉ありき」ということで、最初のシーンの「私は話すことができます!」のシーンに回帰して行く・・・

芸術家の受難はかくも終わりなきものと言えそうです。
ttp://movie.geocities.jp/capelladelcardinale/old/04-06/04-06-29.htm

▲△▽▼

1982年9月9日にチェントロ・パラティーノで開催された「映画泥棒ー国際的陰謀」会議で、タルコフスキーは自らの理念を披露した。
彼は『七人の侍』『少女ムシェット』『ナサリン』『夜』のクリップを映した。

彼に影響を及ぼしたのではなく、彼に最も決定的な印象を刻印した映画である。

以下は彼の話のあらましである。


アンドレイ・タルコフスキー:

「影響、何か流れ込んできたもの、すなわち相互活動の問題は複雑です。

映画は真空では存在しません。

つまり共に働く仲間がいて、その影響は避けられない。

それでは影響、流れ込んできたものとは何でしょうか。

自分の働く環境や共同する人々の選択は、芸術家にとって、レストランで料理を選ぶようなものです。

黒澤、溝口、ブレッソン、ブニュエル、ベルイマンそしてアントニオーニが私の仕事に与えた影響について申し上げますと、『模倣』という意味では何ら影響はありません。

つまり私の観点からは、そんなことは不可能です。

何故なら、模倣は映画の目指すものとは何ら関係ないからです。

自己を表現する自分の言語は自分で発見しなければならないのです。

ですから、私にとって、流れ込んできたものというのは、私が賛嘆し高く評価する人々と共にいるという意味なのです。」


「もしフレーミングやシークェンスに他の監督の反響があると気付いたら、そのシーンは避け修正するように努めています。

こんなことはめったに起きないのですが、『鏡』から例を引きましょう。

私は主人公が室内にいてその母が隣の部屋にいるフレームを採りました。

二女性のクロースアップです。

パノラマショットで、女が鏡を見ながらイヤリングをつけてみて、母もまた鏡を覗き込んでいます。

実際シーン全体は鏡に映ったかのように撮られています。

ところが、実は鏡は存在せずに、女性はキャメラを直に見ているだけなのです。

つまり鏡がある錯覚がある。

この類いのシーンはベルイマンにそっくりのものがありうると気が付きました。

けれども、やはり、そのままで、私の同僚ベルイマンに謝意を表明し、肯定する証として撮ることに決めました。


「このリストにドブジェンコも追加しなければなりませんが、これまでに挙げた監督がいなければ、映画は存在していないことでしょう。

誰もが自分のオリジナルの様式を当然探していますが、もしこれらの監督がコンテクストや背景を与えてくれなかったなら、映画はいわゆる同じ映画にはならないでしょう。

現在多くの映画作家が非常に厳しい時代を経験しているようです。

イタリアの映画は窮地に落ちています。

私のイタリアの同僚たちは、私は映画で最も名声のある監督の幾人かについて語っているわけですが、イタリア映画はもはや存在しないと言いました。

もちろん、映画の観客がこの主な原因です。

久しく映画は大衆の趣味を追ってきましたが、今や大衆はあるタイプの映画は見たくないのです。

実際なかなか良いものなのに、敬遠するのです。


「映画監督の範疇には基本的に二つあります。

一つは、自分が生きている世界の模倣を求める人々で出来ています。

もう一つは自己の世界の創造を求める人々で出来ています。

第2の範疇には幾多の映画詩人が含まれます。ブレッソン、ドブジェンコ、溝口、ベルイマン、ブニュエル、黒澤という映画史上最も大切な人たちです。

これらの映画作家の作品の配給は難しい。

その作品は作家の内的霊感を反映しているので、これが必ず大衆の趣味とぶつかるのです。

映画作家が観客に理解されたくないという意味ではありません。

そうではなくむしろ作家自身が観客の、観客も気付いていないような内的感情を捕らえ理解しようとしていると言った方がよいでしょう。


「映画の直面している現在の苦境にもかかわらず、映画は芸術形態であり続けます。

芸術形態の一つ一つが個別のもので、他の芸術形態の本質に含まれない内実を担っています。

例えば、写真は、カル ティエ=ブレッソンの天才が実証しているように、芸術形態になれますが、写真は絵画になぞらえることは出来ません。

何故ならば絵画と競合しているわけではないからです。

映画作家が自問しなければならない問いは、何が映画を他の芸術と区別するのか、ということです。

私にとって映画は時間の領域を包括する点で、他に見られない独創的なものです。

音楽や芝居やバレエのように、時間の中で生起するという意味ではありません。

文字どおりの意味での時間です。

フレームとか、「アクション」と「カット」の間のインターヴァルは一体何でしょうか。

映画は時間の観点で実在を固定します。

フィルムは時間を保持する手段なのです。

これほど時間を固定し停められる芸術形態は他にありません。

フィルムは時間で出来たモザイクです。

そのためにはもろもろの要素を集約する必要があります。

3、4人の監督やカメラマンが1時間同じものを撮影したと想像して下さい。

一人一人独自の映像になるはずです。

結局出来上がるのは、3つか4つ全く異なるタイプのフィルムです。

なぜなら、一人一人がこれは捨て、あれは残してと選択して自分のフィルムを作るからです。

そうして、映画に関わる時間を固定する作業をしているにもかかわらず、監督は必ず自分のマテリアルを磨いて、それを通して自己の創造力を表現出来るのです。


「美意識の観点から言いますと、映画は今ひどい時代にあります。

カラーで撮影するのが、可能な限り実在に迫る手段だと考えられているのですから。

私はカラーは袋小路だと思っています。

あらゆる芸術形態は真理に到達して、一般化した形態を得るために苦闘しています。

色彩を使うのは人が実在世界をどのように知覚するのかと関係しています。

カラーであるシーンを撮影するのは、必然的に、フレームを有機的に構成し、このフレームに囲まれた世界の総ては色彩の中にあり、しかも観客にこの事実を自覚させねばならないという事なのです。

モノクロの利点は、その表現力が強烈で、観客の関心を脇にそらさないということです。


「カラー映画にもすぐれた表現様式の例があります。
でも今述べた問題に気付いている監督のたいていは、必ず白黒で撮影する努力をしています。

誰も、カラーフィルムで新しいパースペクティブを創造したり、白黒ほど効果的パースペクティブを作り出すのに成功したためしはないんです。

イタリア・ネオリアリズムが重要なのは、日常生活を掘り下げることによって映画に新境地を開いたという事実からだけではなくて、本質的に言うと、モノクロームでその探求がされたからでもあるのです。

人生の真理は必ずしも芸術の真理に照応していません。

だから今やカラーフィルムは純粋に商業的現象になりさがったのです。

映画は色彩を通して新たなヴィジョンを創造しようとする時代を通って来ましたが、結果は不毛です。

映画は体裁ばかり飾るものになってしまいました。

つまり、私が今見ているような映画は全然立場の違う人には全く違ったものになっているのです。


今ご覧に入れている映画のクリップは、私の心に一番近しいものを表象しています。

ある思考形態の実例であり、この思考がどのようにフィルムを通して表現されるかの実例です。


ブレッソンの『少女ムシェット』で少女が自殺を図るその様子は特に驚異的です。


『七人の侍』の一番若い侍が怖じけづくシークェンスで、黒澤がこの恐怖感をどうやって伝えているでしょう。

若者は草むらで震えていますが、身震いしている姿は目に見えません。

草むらと花々が震えている、揺れているんです。

ここは雨中の決戦です。

三船敏郎演ずる菊千代が死ぬとき、倒れた彼のその脚は泥に埋もれてします。

こうして私たちの目の真ん前で菊千代は死んでしまいます。


ブニュエルの『ナサリン』の、傷付いた娼婦がナサリンに助けられて、椀から水を飲む姿です。

アントニオーニの『夜』の最後のシークェンスは映画史上、ラブシーンが必然となり精神的行為の似姿を取った唯一のエピソードかもしれません。

肉体が相手の近くにあるのが大きな意味を秘めた独創的なシークェンスです。

2人ともお互いに対する感情は涸れ果てているのに、それでも相手の身近にいるのです。

ある友人が昔こう言いました。

夫と5年以上もいるなんてまるで近親相姦よ。

2人がお互いの近くから逃れる出口はありません。

お互いがまるで死に瀕しているかのように、死に物狂いで相手を救おうとしている姿です。


「撮影を始めるときは必ず、『私の仲間』と思っている監督のフィルムを見ます。

模倣するためではなく、彼らの醸し出す雰囲気を味わうためにです。

今お見せしているクリップがみんなモノクロームなのも偶然ではありません。

監督が自分に身近なものを何か掛け替えのないものに変容しているからこそ、これらは重要なのです。

しかもこれらのシーンは日常生活の出来事とは似ていないという点で独創的です。

ここには偉大な芸術家の刻印があり、私たちに彼らの内世界を垣間見せてくれるのです。

これらのシーンの総てが、娯楽を与えるよりはむしろ美を保持することによって、観客の欲求に応じるのです。

今日この種の主題を扱うのは困難を極めています。

そんな話をするのすらほとんど馬鹿げていると言えます。

誰もそんなものにはびた一文払わないでしょう。

でも映画が存在し続けているのは、これらの詩人たちのお陰なのです。


「映画を作るには金が必要です。

詩を書くのに必要なのはペンと紙だけです。

これが映画の不利なところです。

でも映画は屈さないと私は思います。

万難を排して自己の映画を実現する努力をする監督全員に、私は頭を垂れます。

実例としてクリップをご覧戴いた映画は皆、固有のリズムを持っています

(最近は、たいていの監督が快速で短いシーンを使い、カッティングとスピードのある監督こそ本当のプロだと思われています)。

真の監督なら誰でもその目的は、真理を表現することなのですが、そんなのはプロデューサーの知ったことでしょうか。

1940年代にアメリカでストレスのかかる職業をランク付けする調査がありました。

広島に原爆が投下された時代ですから、パイロットが1位を占めました。

2位が映画監督です。監督になるのはほとんど自殺行為というわけです。


「私はヴェネチアから帰ったばかりです。

そこの映画祭の審査員をしたので、現在の映画の完全な退廃を証言出来ます。

ヴェネチア映画祭は悲惨この上ないものだった。

ファスビンダーの『ケレル』のような映画を理解し是認するには、まるっきり異なる類いの精神性が必要だと、私は信じます。

明らかに、マルセル・カルネは私よりずっとそれを是認していましたが。

私は、それは反芸術的現象の現れだと思います。

その関心は、社会学的で性的な問題にすぎない。

ただファスビンダーの最後の作品だというだけで、あの映画が受賞するのは恐ろしく不当なことではないでしょうか。

ファスビンダーは『ケレル』よりずっと良い映画を作っているはずです。

けれども、映画の現在の危機は重要ではありません。

なぜなら芸術は絶えず危機の時代を通り過ぎてはそこで復活するからです。
ただ映画が作れないからと言って、映画が死んだということにはならないのです。


「最良の映画は、音楽と詩のはざまにあります。

映画はどんな芸術形態にも比肩する高いレベルに到達しています。

芸術形態として自らの姿を具体化しています。

アントニオーニの『情事』は随分昔の映画ですが、今日作られたばかりという印象を与えます。

本当に奇跡的な映画で、ちっとも古ぼけていません。

まあ今日作られるような類いの映画ではないかもしれませんが、それでもとても新鮮です。

イタリア人の同僚たちはとても悪い時代にいます。

ネオリアリズムも偉大な監督たちも去ってしまったように見えるし、プロデューサーはドラッグの売人みたいなもんですから。

金儲けだけを考えているんですが、長続きはしないでしょう。

イタリアで上映されている『ソラリス』は私の映画ではないと言いたいです。

もその配給会社はもう潰れてしまいました。たいていの配給会社の運命じゃないですか。」
ttp://homepage.mac.com/satokk/at_in_italy.html



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アンドレイ・ タルコフスキーは、ヴォルガ川近郊のザブラジェで1932年4月4日、アルセニー・タルコフスキーとマリア・イワノヴナ・ヴィシニャコーワの息子として生まれた。

父は詩人で、その詩作によって後年にはかなりの名声を獲得することになる。

両親はモスクワの文学大学に学ぶ。

タルコフスキーが生まれた村は、もはや存在しない。

ダムがその地域に建設されて、人工湖の水底に眠っているのだ。

しかし、タルコフスキーが子ども時代を過ごした場所とそのイメージは、彼に消えることのない影響を及ぼし、作品に深甚な影響を残すこととなった。

一家がモスクワ郊外に引っ越した1935年には、父母の間の関係にひずみが見えはじめ、やがて、2人の離婚と、父の出奔を招くことになった。

アンドレイは、母、祖母、及び妹の家族構成、つまり男手のない家庭で成長した。

1939年に彼はモスクワの学校に入学したが、後に戦時中の疎開でヴォルガ河畔の親類の元に移った。

戦争の勃発で、父は兵役に志願、負傷して片脚をなくすことになる。

一家は、1943年にモスクワに戻った。

そこで、タルコフスキーの母は、印刷所の校正係として働いた。

戦時の年月は、少年の心に2つの大きな懸念が重くのしかかる日々であった。

死なずにすむだろうか? そして父は前線から無事に帰ってくるのだろうか? 

しかしながら、アルセニー・タルコフスキーがやっと戻ったとき、赤い星の勲章で顕彰されていたが、彼が家族の元に戻ることはなかった。


息子が芸術分野の仕事を見つけることを、タルコフスキーの母は一貫して望んでいた。

芸術の価値に対する彼女の信念は、彼が正式に授けられた教育に反映されている。

音楽学校、後には、美術学校に学んだタルコフスキーは、自分の映画監督の仕事はこうした訓練がなければ到底考えられないと、後年になって述懐している。

1951年から、彼は東洋言語大学で学んでいる。

これらの勉学は、しかしながら、スポーツによる負傷によって終わりを告げ、タルコフスキーは、シベリアへの地質調査団に加わり、そこでほぼ1年の間滞在し、ドローイングとスケッチのシリーズを製作した。

1954年に、この旅から戻った時、彼は、モスクワ映画学校 ( VGIK )に首尾よく合格し、ミハイル・ロンムの元で学ぶことになる。


タルコフスキーの商業映画第1作『僕の村は戦場だった』 (1962年)は、きわめて見通しの悪い状況で生まれた作品であった。

この映画は、E・アバロフ監督で撮影が開始されていたが、撮影されたシークェンスの質が不良なので中止されたプロジェクトだった。

後に、やはり映画を救済しようという決定がなされて、タルコフスキーがその完成の責任を負った。

こんな状況であのような情緒的なインパクトをもつ作品を創造できたという事実は、映画監督としての彼の力量とヴィジョンの強さを証言するものである。

彼のものでない素材が混ざっているにもかかわらず、このフィルムは彼の子供といってもいいだろう。そして、彼のスタイルの紛れもない刻印を帯びている。

大人に早くならざるをえなかった幼い少年、最後には戦争によって殺された少年の運命を描いている。

タルコフスキーは、自身の子ども時代とイワンの子ども時代との見かけの平行関係を否定して、両者の共通点は年齢と戦争という状況にすぎないと述べている。

映画は、ヴェネチア映画祭で金獅子賞を受賞し、タルコフスキーの国際的な名声を一気に確立させた。


『鏡』 ( 1974ー75年)は、自伝的な要素を強くもち、親密な幻視の強度を有している。

伝えられるところでは、映画には実話でないエピソードが全くない。

それゆえに、『鏡』はタルコフスキーの最も個人的な作品であり、特にロシアでは、(その主観主義のために)厳しい批判にさらされることになった。

しかしながら、幼年期を描出するその驚異的な手法と、子どもの、魔法のような世界観は、タルコフスキーの全作品に横溢する暗示的な技法を理解する鍵を我々に提供している。
http://homepage.mac.com/satokk/petergreen.html
3. 2022年5月16日 09:56:11 : C6PUscOcec : VHcuTXBHTXZJY2s=[9] 報告
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『僕の村は戦場だった』戦争を「沼」で描くタルコフスキー
Wed, February 17, 2021
https://ameblo.jp/madamezelda/entry-12656412114.html
戦争映画はアクション映画。全てがその図式にあてはまるわけじゃありませんが、戦争映画ファンの多くが期待するのはそこじゃないでしょうか。戦闘機に戦車、兵器、軍装!それぞれの出来栄えを論評するのもお楽しみのひとつでしょう。

しかしタルコフスキーは、そんな戦争映画ファンの期待にこたえてくれるほど甘くはありません(笑) 『惑星ソラリス』が世界三大SFの1つに数えられながら、宇宙らしい絵ヅラのシーンは殆どなくて、「SF??」な作品であるように、『僕の村は戦場だった』も、アクション要素は皆無。軍用車両と言えばジープくらい、戦闘機も飛ばず、地上戦の映像もありません。

宇宙が舞台であろうが、戦争の時代であろうが、タルコフスキーが描くのはいつも同じ、人間の内面にある心象風景。「写真」よりも「絵」に近い、一旦タルコフスキーの中をくぐりぬけたイメージです。

本来他人には見えないはずの心の世界を映像詩として現出させるのがタルコフスキーであり、それが彼の作品が常に唯一無二である理由。だから、戦車や機関銃のディテールのような三次元的リアリティは、タルコフスキーの映画には不要。それどころか、世界観を損ねるものですらあるのかもしれません。

母が殺された時、少年の心も死んだ(ネタバレ)
冒頭、美しい夏の森で、少年(イワン)が楽し気に戯れています。

そこに水桶を抱えた母親(イルマ・ラウシュ:当時のタルコフスキーの妻)が現れ、少年は嬉しそうに駆け寄って、母の水桶から思う存分に水を飲みます。

「ママ、郭公が鳴いてるね!」

水桶から顔を上げて母を見上げる少年の笑顔! 母がいて、母が汲んだおいしい井戸水があって、森の木々がそよぎ、野生の鳥が鳴いている。それが少年の欲しいもの全て。喉を潤した彼は満ち足りて幸せそうです。

しかし次の瞬間、母を異変が襲います。地面に倒れる母。少年の叫び声・・・何が起きたのかは分からない、ただ、少年の母親が命を奪われたという事実だけが伝わります。

そして場面が変わり、舞台は闇に包まれた戦場へ。照明弾の光が不気味に閃く川の対岸の敵地から戻ってきたのは、冒頭の少年・イワン。ずぶ濡れの体で歩いているところを味方の兵士に怪しまれ、尋問されます。

この場面で、観客はイワンの変貌ぶりに驚かされることになります。

さっき母親に甘えていた無邪気な少年と同じ少年とは思えないほどやつれ、子供らしさが消えた彼の顔。もはや戦い以外の生きる目的をすべて削ぎ落してしまったような、ある種老成しきった少年の佇まいに、何か鳩尾がひんやりするような感覚をおぼえます。

尋問する将校が、

「俺に、命令する気か!」

と怒り出すほど淡々とした横柄な口調で、司令部に連絡すればわかる、連絡しないと責任問題になるぞ、と繰り返すイワン。彼が連絡先として伝えた電話番号は、将校が普段かけることを許されていない番号。しかしイワンに脅されて連絡をした結果、ポーリンという大尉が車でイワンを迎えにやってきます。イワンの話は本当でした。

大尉の姿を見て、

「ポーリン!」

と抱きつき、何度もキスを交わすイワン。イワンはいわゆる「連隊の子供」。自ら申し出て司令部の斥候として働いていたのです。

イワンは司令部の面々に可愛がられていて、彼らはイワンの安全のために幼年学校に入学手続きをしますが、イワンは頑なにそれを拒否し、復讐のために前線で戦うことを選びます。

どうやら母親だけでなく妹も殺され、父親は戦死したらしいイワン。母親や妹がいた幸福な時代の夢ばかり見る彼にとって、家族をうしなった世界で生きる意味もないのかもしれません。

或る日、いつものように偵察に出て、そのまま戻らなかったイワン。戦後、ポーリンはイワンの消息を最悪の形で知ることになります。

原作はウラジーミル・ボゴモーロフの小説。

タルコフスキーは戦場も平和も命も、水で表現する


(これは平和な時代。水辺で妹と追いかけっこをする少年イワン)

卒業制作の『ローラーとバイオリン』(1961年)から一貫して、水を演出に取り入れているタルコフスキー。長編デビュー作となった1962年の本作でも、それは変わりません。

彼の描く戦場は、美しい白樺が林立する沼地や、対岸に敵陣がある川辺。敵は姿を現さないものの、身を隠す場所のない川面をボートで敵陣側へと渡る危険、いつ泥に足をとられるかもわからない冷たい沼地を照明弾の光に怯えながら前進する困難、そういう形でタルコフスキーは戦場の厳しさ・命の瀬戸際を表現しています。

さらに言えば、本作の中での水は、命そのもののシンボルでもあります。

少年イワンが母親の夢を見る時、母はいつも井戸水を汲んでいます。イワンを夢から目覚めさせるのは、母が倒れ、井戸水がこぼれる瞬間。母親の命の理不尽な蹂躙が、こぼれた水で表現されているんです。

その井戸は、イワンと家族にとって命の井戸だった。母との思い出もそこには詰まっていました。美しい母と、母が汲んでくれるおいしい井戸水がある幸福な日々の夢は、それをすべて失った今のイワンの心の空洞を、否が応でも見せつけてきます。

彼はその空洞を復讐心で埋め尽くした。まだあどけない少年の中に漲る憎悪は痛々しく、そのまま戦争の悲惨さとして胸に迫ります。

逆光の十字架の不吉さ


「水」に加えて本作で巧みに使われているのが逆光の効果。

独軍の爆撃を受け、無残に傾いた教会の屋根の十字架を、タルコフスキーは逆光の中で黒く浮き上がらせます。爆撃シーンに実際の爆撃映像はなく、そこは爆撃音だけで流すのですが、爆撃機が去った後の焼け野原に焼け残った十字架を逆光が照らすこの映像だけで、戦争の禍々しさ、悲惨さが映像から噴き出してくるようです。

絵画による伏線


(デューラーの『ヨハネの黙示録の四騎士』。左下が死の騎士)

名画も、タルコフスキーが作品内で多用するアイテムの1つですよね。

『惑星ソラリス』にはブリューゲルの『雪中の狩人』が、『鏡』にはダ・ヴィンチの画集をめくる場面が、『ノスタルジア』にはピエロ・デッラ・フランチェスカの『出産の聖母』が、といった具合い。そこには深い意味が込められているようでもあり、単にタルコフスキー自身の記憶の一片のように見えることもある・・・ただ、タルコフスキーがそれらの名画に対して特定の強いイメージを抱いていたことは間違いない気がします。

もっとも本作では、とても分かりやすい意図をもってデューラーの『ヨハネの黙示録の四騎士』が使われています。

イワンが基地にあるわずかな本の中から見つけ出したデューラーの版画集。独軍からの戦利品らしいその画集をめぐりながら、イワンは『ヨハネの黙示録の四騎士』に目を留め、中でも「死」の化身である老騎士に興味を抱きます。

「この男に似たドイツ兵を見たことがある」

まさか! こんな骨と皮の老人が戦場に?と思ってしまうのですが、敵味方誰もが死相をひっさげ、殺意をギラギラさせながらうろついている戦場のこと、「死の騎士」に似ている男がいたとしてもおかしくはありません。

この「死の騎士と出会った」というイワンの言葉は、彼の辿る運命の伏線でもあります。

美少年と大人の友情


それにしても本作で少年イワンを演じているニコライ・ブルリャーエフの美少年ぶり!

タルコフスキーの作品には殆どの作品で少年が登場しますが、その中でも自らの意思を持って行動し、観客を共感の渦に巻き込む吸引力では、イワンがダントツ。彼がとびきりの美少年であることも、その吸引力の源泉になっていることは間違いないでしょう。

タルコフスキーはニコライ・ブルリャーノフを次作『アンドレイ・ルブリョフ』(1966年)でも起用しています。お気に入りだったのかもしれないですね。

面白いことに、『ローラーとバイオリン』でも本作でも、タルコフスキーは青年と少年の友情を描いています。しかも、その男同士の友情と対比するかのように、男女の恋愛も描かれているのですが、どちらのケースも男女の恋愛は浅いものとしてしか描かれていません。

本作の中で、イワンをとてもかわいがっているポーリン大尉が、女性の看護中尉・マーシャを森に誘い出し、誘惑しようとする場面があります。

ただ、マーシャのほうがその気になろうとすると、ポーリンのほうは引いてしまいます。どうやらポーリンは、マーシャに気があるらしい将校にちょっと嫌がらせをしたかった風情。本気で彼女と付き合う気持ちはなかったようです。

初期のタルコフスキーの作品には、恋に恋する女心に対する嫌悪感のようなものが感じられる気がするのは気のせいでしょうか? 逆に、男同士の友情、それも年長の男性が少年を対等の存在として尊ぶ関係性に美しさを見出していた。

タルコフスキーの父親は、家族を捨てて別の女性と生活していたようですが、父に対する思い、父を奪った女性への思いも、彼がこういう構図にこだわった背景の1つなのかもしれません。

タルコフスキー的美意識から乖離したゲッベルス一家の遺体
戦闘機も戦車も使わず、戦争のリアリティーを映像に持ち込むことを嫌ったかのように見えた本作ですが、終盤突如様相が変わります。

というのは、本作にはベルリンが陥落して独ソ戦が終結した後の描写があり、そこで自決したナチ幹部の遺体を写した映像が挿入されているのです。その中にはゲッベルス夫妻と幼い6人の子供たちの遺体もあります。

タルコフスキーは後年『鏡』でも戦時中の記録映像を挿入していますが、そこで映し出されているのは、広大な沼地(ここでも「水」!)を、兵士たちが筏に乗せた戦車を押しながら行進していく様子。戦闘や人の死を映し出すものではありませんでした。

本作が作られた1962年は冷戦の真っただ中。ソ連を代表して国際映画祭に参加した本作に、当局の息がかかっていないはずはない。当局の指示でこうなったのか、タルコフスキー自身が敢えてそれをしたのか、たしかなことは言えませんが、それまでのテイストとは打って変わって、突如映像に生々しさが注ぎ込まれる違和感からみても、前者だったのではないかという推測もあながち間違いではないのかもしれません。

クライマックスは爆撃ですっかり破壊されたナチの収容所。残された書類によって、そこで連合国側の捕虜の処刑が行われていたことが判明します。

ジュネーブ条約はどこへ行った?という話ですが、同時に、「カティンの森は・・・」とつい言いたくなってしまう。

このあたり、冷戦時代の西の教育を受けた私としては、どうしても違和感を持ってしまうんですよね。それもまた一種のバイアスなのですが。

結局、両者同じことをしていた。

戦争になったらルールは無意味になってしまう。子供の無邪気さも、命も奪ってしまう。

戦争だけは、嫌ですね。
https://ameblo.jp/madamezelda/entry-12656412114.html
メンテ
タルコフスキー 映画『惑星ソラリス (1972年)』 ( No.3 )
日時: 2022/05/17 05:32
名前: スメラ尊 ID:Gjda1JhU

タルコフスキー 映画『惑星ソラリス (1972年)』


監督 アンドレイ・タルコフスキー
脚本 アンドレイ・タルコフスキー フリードリッヒ・ガレンシュテイン
音楽 エドゥアルド・アルテミエフ
撮影 ワジーム・ユーソフ
公開 1972年3月20日


動画
https://www.nicovideo.jp/search/%E6%83%91%E6%98%9F%E3%82%BD%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%82%B9%201972%E5%B9%B4?hft=0&st=1550368679845&itc=9&ct=2&cip=1


作中挿入音楽

テーマ曲:ヨハン・ゼバスティアン・バッハ コラール・プレリュード 『イエスよ、わたしは主の名を呼ぶ』(BWV 639)

キャスト

クリス・ケルヴィン (心理学者):ドナタス・バニオニス
ハリー (クリスの前妻):ナタリア・ボンダルチュク
アンリ・バートン (宇宙飛行士):ウラジスラフ・ドヴォルジェツキー
サルトリウス (天体生物学者):アナトリー・ソロニーツィン
ギバリャン (物理学者):ソス・サルキシャン
スナウト (サイバネティックス学者):ユーリー・ヤルヴェト
ニック・ケルヴィン (クリスの父):ニコライ・グリニコ
アンナ (クリスの伯母):タマーラ・オゴロドニコヴァ
ギバリャンの客:オーリガ・キズィローヴァ
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%83%91%E6%98%9F%E3%82%BD%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%82%B9


映画のストーリー

未知の惑星ソラリス。その調査は、プラズマの“海”の理性活動の徴候により行き詰まっていた。海に接触しようとする試みはすべて失敗に終っている。

数年前惑星より帰って来た中尉の報告をビデオでみるクリス(ドナタス・バニオニス)は、翌朝、惑星上に浮かぶステーションへ飛んだ。三人の学者のいるはずのステーションは、張りつめた静寂と荒廃の兆。クリスの友人の物理学者は既に原因不明の自殺を遂げており、残された二人−−スナウト(ユーリー・ヤルヴェト)とサルトリウス(アナトリー・ソロニーツィン)も何やらおびえ自閉症がかっている。

彼らはクリスに二人以外の人影を見ても気にするなという。この謎を解明しようと死んだ友人のクリス宛のビデオを発見するが、海にX線を放射した事以外、謎をとく鍵はなかった。サルトリウスの部屋では他の人影を見、ステーション内を歩く少女を見かけるクリス。やがて眠りにつくクリスが目覚めた時、そこには数年前に死んだはずのハリー(ナターリヤ・ボンダルチュク)がいる。クリスはその女−−ハリーの服がチャックもなく着脱不可能なのに気づき、彼女をロケットに乗せ打ち上げた。

自室に戻った彼にスナウトはX線放射以後、海は人間の意識下にある人物をここに送り込んでくると話す。

案の定、ハリーは戻ってきた。ドアを破って入ってくる彼女。そのための傷はみるみる内に元通りになっていった。

図書室でのスナウトの誕生祝いの席上、ハリーは自分達は人間の良心の現われではないかと発言し、考え込む。しばらくしてハリーは液体酸素を飲んで自殺するが、やがて蘇生する。クリスはいつしか彼女を愛の対象と考えるようになった。

クリスは今度は自らの意識をX線放射することを提案する。地球の彼の家、母、ハリー。目覚めるクリス。だが、置手紙を残してハリーはいない。クリスの帰還は近づいていた。彼の家の庭、家より出てくる父。今、クリスは惑星ソラリスと邂逅する。海に浮ぶ彼の家と庭や池と共に−−。
ttps://movie.walkerplus.com/mv11564/


『惑星ソラリス』(わくせいソラリス、原題ロシア語:Солярис、サリャーリス[1]、英語:Solaris)は、アンドレイ・タルコフスキーの監督による、1972年の旧ソ連の映画である。

ポーランドのSF作家、スタニスワフ・レムの小説『ソラリス』(早川書房版での邦題は、『ソラリスの陽のもとに』) を原作としているが、映画自体はレムの原作にはない概念が持ち込まれており、また構成も大きく異なっている。

1972年カンヌ国際映画祭審査員特別賞受賞。1978年、第9回星雲賞映画演劇部門賞受賞。

作品をめぐる評価

タルコフスキーの名前を世界に知らしめた記念碑的作品。1972年のカンヌ映画祭に急遽出展され、審査員特別グランプリを受けた。

荒廃した宇宙ステーションを舞台に、カットが途切れず延々とカメラが回り続ける独特の映像感覚や、電子音楽で流れるバッハのコラール前奏曲(BWV639)の音楽感覚が映画評論家たちに絶賛されている。かねてより水・火などの映像の美しさで知られていたタルコフスキーによる海の描き方は、穏やかでありながら神秘的。また、タルコフスキーが生涯を通じて繰り返し愛用した人体浮遊シーンは、この映画の中でも効果的に用いられている。ストーリーは追いづらく、難解と評されることが多い。タルコフスキー監督は、後に意図的に観客を退屈させるような作風を選んだ、と述べている。

ポーランドの巨匠スタニスワフ・レムの『ソラリスの陽のもとに』を原作としているが、レムの作品は「枠物語」として利用しているだけで、主題的には1974年の『鏡』にヴァリエーションが見てとれる。

レムの原作では、惑星ソラリスの表面全体を覆う「海」が、知性を持つ巨大な存在で、複雑な知的活動を営んでいる。人類はこの「ソラリスの海」を研究し何とか意志疎通を試みようと努めるが、何世紀ものときが経過しても、「海」は謎のままに留まり、人類とのコミュニケーションを硬く拒んでいるようにも見える。このような基本設定の上に、「ソラリスの海」上空の軌道に設置された研究用宇宙ステーションに赴任して来た科学者クリス・ケルヴィンが、驚くべき出来事に直面するというところからストーリーが始まる。

タルコフスキーの『惑星ソラリス』は、レムの原作には無い、地球上での情景とエピソードが物語冒頭に置かれているし、同じく原作には全く登場しない(厳密には研究者ゲーゼが父に似ており、両者が地球上に墓場を持っていないことが作中語られている)、主人公の父親も出てくる。またタルコフスキーによる宇宙ステーションでの物語は、もっぱら主人公と「ソラリスが、主人公の記憶の中から再合成して送り出してきたかつて自殺した妻」との関係に集中している。レムが、その「ソラリスが、主人公の記憶の中から再合成して送り出してきたかつて自殺した妻」との人間関係のほかに、それ以上の大きなテーマとして、「人間と、意思疎通ができない生命体との、ややこしい関係」について思弁的な物語を展開するのとは、はっきりと異なる。

このために、レムとタルコフスキーとの間で大喧嘩が起きたことは有名。もともとレムは舌鋒鋭く他作家に対しても非寛容な批評を行ってきたことで知られており、独自のSF観にそぐわない自作の映画化には言いたいことがいくらでもあった。これに対して、芸術至上主義のタルコフスキーは自身の芸術観に身も心も捧げている。激しい口論の末に、レムは最後に「お前は馬鹿だ!」と捨て台詞を吐いたという。

レムはこの映画について「タルコフスキーが作ったのはソラリスではなくて罪と罰だった」と語っている。タルコフスキーの側は「ロケットだとか、宇宙ステーションの内部のセットを作るのは楽しかった。しかし、それは芸術とは関係の無いガラクタだった」と語っており、SF映画からの決別を宣言している。

この後、タルコフスキーは『ストーカー』で再びSF作品を原作に選ぶのだが、レムとの一件に懲りた彼は原作者のストルガツキー兄弟と文通しながら「路傍のピクニック」という短編を基にしてシナリオを作成し、宇宙船もあらゆる機械類も特撮も一切無しという特異なSF映画を作り上げることになる。結局のところ、タルコフスキーはSFによる非日常的なシチュエーションに創作意欲を掻き立てられはするが、SFそのものに興味がある訳では無かった。

『惑星ソラリス』と比較されることの多い『2001年宇宙の旅』を公開直後にタルコフスキーは観ているが、「最新科学技術の業績を見せる博物館に居るような人工的な感じがした」「キューブリックはそうしたこと(セットデザインや特殊効果)に酔いしれて、人間の道徳の問題を忘れている」とコメントしている。また劇中で、人間の心の問題が解決されなければ科学の進歩など意味がないという台詞をスナウトに語らせている。

未来都市の風景として東京の首都高速道路が使われているが、「タルコフスキー日記」によれば、この場面を日本万国博覧会会場で撮影することを計画していたものの当局からの許可が中々下りず、来日したときには既に万博は閉会。跡地を訪ねたもののイメージ通りの撮影はできず、仕方なしに東京で撮影したとのことである。巨匠はビル街の高架橋とトンネルが果てしなく連続する光景の無機質な超現実感にご満悦だったらしく、日記には「建築では、疑いもなく日本は最先端だ」と手放しの賞賛が書き残されている[2]。

日本初公開は1977年。かねてから親交のあった黒澤明が紹介に努めたが、SFファンなどからは酷評された。その後、各種の上映会等で徐々にタルコフスキーの理解者が増えていき、現在では名作の誉れが高い。黒澤は後に、熊井啓 の手により映画化された『海は見ていた』(英題:" The sea " watches . )の脚本で、『惑星ソラリス』と同様に、「海」の持つ 「限りない優しさ」 を描くことになる。 黒澤とタルコフスキーは、酒が入ると、ともに『七人の侍』のテーマを合唱するなど、肝胆相照らす仲だった。
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%83%91%E6%98%9F%E3%82%BD%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%82%B9
 
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タルコフスキー、ソラリスを語る

スタニスワフ・レムの『ソラリス』の映画脚本をつくろうと決めたのは、SFに興味があったからではなかった。

一番大切な理由は、『ソラリス』でレムは、私が身近に感じることが出来る道徳的な問題を取り上げたということだった。

レムの小説のより深い意味は、SFの限界内に収まっていない。

文学形式だけを論じるなら、問題を制限することになる。

この小説は、人間理性と知られざる者との衝突を扱っているだけでなく、新しい科学の発見によって生み出された道徳的葛藤をも扱っている。

『進歩の代償』と呼ばれる痛々しい経験の結果として生じる新しい道徳性を扱っている。

ケルヴィンにとってその代価は、物質形態で自分自身の良心の呵責に直接対面せざるをえないということだ。

ケルヴィンは自分の行動原理を変えない。自分自身にとどまる。
それこそ彼の悲劇的なジレンマの根本であるのだが。


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一体全体なぜ、私が見たSF映画のすべてで、監督は観客に未来の物質的な細部をじっくり見せようとするのか? 

なぜ彼らはースタンレー・キューブリックがそう称したようにー自作を予言的と称するのか?
 
専門家にとって『2001年』が多くの事例で食わせ物だ、芸術作品とはとても言えないと言うつもりはない。

私は、『ソラリス』を観客に異国情緒を味わわせることがないように、撮影したいと思う。

当然、テクノロジーの領域での異国情緒という意味だ。

例えば、電車に乗る乗客を撮影して、私たちが電車について何も知らないとしたらーそう仮定しましょうー以前電車を見たことがなかったからです、そのとき私たちは月に着陸する宇宙船のシーンでキューブリックがやったのと類似の効果を獲得するでしょう。
言い換えると、停車場で普通に撮影するやり方で宇宙のシーンを撮影する限り、何もかも上手く行くでしょう。

このように私たちは登場人物を、異国趣味のシーンではなく、リアルなシーンに置く必要があります。

なぜなら映画の登場人物が現実を知覚することによってのみ、観客が理解できるようになるからです。

だから、未来の科学技術を細々と見せると、映画の情緒的な基礎が壊れてしまいます。


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肝心なのは、その「科学技術」の、と言っておきましょう、その発達の各段階で人間は、霊的なエントロピーのようなものと、道徳的価値の拡散と、戦わねばならないということだと思います。

一方で、人間性は自らをあらゆる道徳から解放しようとします。

その一方で、道徳を創造しようとする。

このジレンマが、個人の生においても一般社会の生においても、並はずれて劇的な緊張に満ちた状況を生み出すものになります。

この劇的な解放と、それと同時に、精神的理想の探求は、人間が自らをもっぱら道徳的な問題に捧げることが出来る発達段階に到達するまで続くことでしょう。

人間が絶対的な外的な自由を獲得する段階、それを社会的な自由と呼びましょう、そこで人間は日々の糧に、雨露をしのぐ場所に、子どもの未来を確保することに、いちいち心を惑わす必要はないことでしょう。

そこで、人間はかつて外的自由に捧げた同じエネルギーで、自己の内部深くに降りていくことが出来るでしょう。

私にとってハリーとケルヴィンの間で宇宙ステーションで生じたことは、人間の自分の良心に対する関係が問題なのです。

[…]

映画は奴隷のように本に忠実に従うことは出来ない。

レムの足跡をたどることは、作家と本に対する背信行為になるでしょう。

私は、『ソラリス』の私の個人的な読み方を映像にしようとしました。

作者に忠実であるために、私は時々、ある種のテーマに対する視覚的等価物を探して、小説から逸脱しなければならなかった。

私には対比として地球が必要だった、もっともそれだけのためではありませんが…
私は、地球を観客の心の何か美しいものと等価のものにしたかった。

人の憧憬を表すものです。

だから、ソラリスの神秘的な幻想的な雰囲気に飛び込んだ後、突然地球を一瞥したときに、彼は再び正常に、くつろいで、感じる。

その結果彼はこの平凡さへの憧憬を感じ始める。

言い換えると、彼はノスタルギアの有益な影響を感じる。

結局、ケルヴィンは人間としての自分の義務であると見なす実験をするために、ソラリスに残る決心をする。

このように私は、観客がさらに十全に、さらに鋭敏に、彼の決心の劇的な意義のすべてを実感できるように、地球を必要としたのでした。

私たちの根源的な故郷であった、今も故郷である惑星に帰ることをこのように断念する、そのことの意義が実感できるように、です。


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スタンレー・キューブリックの『2001年宇宙の旅』を最近見ました。
人工的なものの印象が残りました。

最新科学技術の業績を見せる博物館にいるかのようでした。

キューブリックはそういうことに酔いしれて、人間のことを、人間の道徳の問題を忘れています。

それがなければ、真の芸術は存在できません。


映画の描写の最大限の直接性に私は信頼をおいています。

この映画でも私はギミックなしで、最も素朴な手段を用います。

今日流行の「スペクタクル」の類は避けています。

確かに、映画はカラーになりますが。
最近まで私はカラー映画に絶対反対でした、しかしどうすればいいのでしょうか、今日ではカラーを避けるのは不可能です。

何とかこの技術を最善のかたちで利用しようと苦心しています。
リアリズムの領域の中でしっくりしたものになるようにです。

SF映画のリアリズム?
 
ええ、可能だと思います。

私たちはこの想像世界を出来るだけ具体的なものにしています。

特にその純粋に外的な現れで、です。

『ソラリス』で示されるリアリティは物質的に経験可能なもの、ほとんど手で掴むことが出来るものになるはずです。

装飾のテクスチャーによって、ワディム・ユーソフの映画スタイルによって、それを実現します。

私たちの映画には、本にない地球上のシーンがあります。

対比のために地球が必要なんですが、それだけではありません。

私は観客に私たちの惑星の美に気づいてもらいたいと思います。

そうすればー調べようもない、神秘的な事柄をはらんだ雰囲気に包まれていたのでーもっと気持ちを込めて、地球に帰ってくるでしょう、その平凡さを自由に喜ばしく呼吸することでしょう。

この映画を見る方にホームシックの苦さを理解してもらいたいと思います。

結局クリスはソラリスにとどまる決心をします。

なぜならそれは科学者としての彼の使命が要求することだからです。

プロジェクトの監督を彼に託した人々に彼が負う責務が求めるからです。

この状況で、地球のイメージは観客の心理的な反応の触媒として作用し、クリスの決定に隠された意味を十分に、明確に見て取ることができるはずです。


________________________________________


私はSFは好きじゃない。

いやSFが基づくジャンルが好きでない。

テクノロジー、いろいろな未来論的なトリックや工夫が凝らされたああいうゲームが好きでない。

いつでも人工的だ。

でもファンタジーから引き出せる問題には興味がある。

人間と彼が抱える問題、人間の世界、人間の不安。

平凡な生もまたファンタジーにあふれている。

人生そのものがファンタスティックな現象です。

フョードル・ドストエフスキーはそのことをよく知っていた。

だから生そのものに、毎日の生、平凡な生そのものに焦点を定めたいのです。

その中では何だってあり得るのですから。


私の『ソラリス』は結局、サイエンスフィクションではありません。

その文学的な先駆者もそうではない。

ここで大切なのは、人間だ。その人格だ。

惑星地球と結んだ彼の非常に執拗な絆だ。
彼が生きる時代に対する責任感だ。

典型的なSFは好みでない。
私には分からないし、信じてもいない。

実際、『ソラリス』に取り組んでいるとき、私は『ルブリョフ』と同じテーマと取り組んでいた。

人間存在だ。

この2作はアクションが生じる時によって切り離されているにすぎない。


________________________________________


『ソラリス』は私の映画で一番成功しないものになった。

なぜならSFの要素を避けることが出来なかったからです。

スタニスワフ・レムは脚本を読んで、私がSF要素を排除しようとしているのに気づいて、不愉快になった。

脚色許可を取り消すと脅しました。

私たちは新しい脚本を用意しましたが、そこからは撮影中にこっそり逸脱することが可能だったのです。

そのつもりでした。しかしこの意図は十分には果たせなかったのです。


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スタニスワフ・レムの証言


私にはこの脚本に根本的な留保点がいくつかある。

まず第一に、惑星ソラリスをこの眼で見たかったと思うのだが、監督は不幸なことに、作品が映画的に静かな作品になるべきであるとして、私を拒否した。

第2に、私たちのごたごたの1つでタルコフスキーに言ったことだが、彼は『惑星ソラリス』をまったく製作しなかった。

彼は『罪と罰』を創ったのだ。

フィルムになったのは、この忌まわしいケルヴィンが可哀想なハリーを自殺に追い込んで、それから良心の呵責にさいなまれたが、彼女の出現、奇妙な理解不能な出現によって、ますますひどく苦しむことになる様子だ。

ハリーの出現のこの現象は私には、カントその人から得られる概念を規範とするものだ。

なぜなら物自体、到達不可能なもの、もの自体、浸透不可能な彼岸が存在するからだ。

しかし私の小説でこれは別のやり方で、明白にされ、構成されている…

しかし、第2部の20分を除けば、映画の全編を私は見たことがないことを明らかにしておかねばならない。

脚本はとてもよく分かっているのだが。

なぜならロシア人は原作者に特別に1部を作成する習慣があるからだ。

どうしようもなくひどいことがある。

タルコフスキーは映画にケルヴィンの両親を登場させている。

叔母すら出てくる。

しかし一番ひどいのは母親だ。

なぜなら母親はmat' である、mat' は Rossiya, Rodina, Zemlya [ロシア、母国、大地] であるからだ。

これだけで私は怒り心頭だ。

この瞬間に私たちは馬車を反対方向に引っぱろうとする2頭の馬のようなものだった。
[…]

私のケルヴィンは何の希望もなく惑星にとどまる決心をする。

一方タルコフスキーは島のようなものを出現させ、その島に小屋があるイメージを創造した。

小屋と島のことを聞いたとき、私はいらだちで気も狂わんばかりだった…

こんなものは情緒的なソースにすぎない。

そこにタルコフスキーは彼のヒーローたちをどっぷり浸けたのだ。

科学的な景色を彼は完全に切断して、その代わりに私には我慢ならない奇妙なものをたっぷり導入したことは言うまでもあるまい。
ttp://homepage.mac.com/satokk/selfcriticism/solaris.html


タルコフスキーのストックホルム・インタビュー


Q:なぜスタニスワフ・レムの『ソラリス』に基づいてなぜ映画を創られたのか、話してもらえますか? 何があなたをあの小説に引きつけたのですか?


私はスタニスワフ・レムを非常に高く評価していて、彼の作品は非常に好きです。

いつでも読めるときに読みます、読めるものは何でも読みます。

彼の散文も好きですが、たまたまーこんなことを言うのは残念なのですがー彼は映画というものをあまり好きじゃない、分からない。

それで、一緒に仕事をしているとき、私たちは不平等なパートナーでした。

私は彼の本をどうしようもなく愛していましたが、彼のほうは私の映画にまったく無関心でした。

彼はいつも作家として考えていました、まず文学だと-。

Q:文学が一番大切なものだった。


さあ、どうでしょう?
 
一番大切じゃなくーとにかく文学が存在していた、事実として。音楽、詩、絵画が存在しているように。

しかし彼は映画を理解できなかった。

今でもそうですよ。彼は、映画とは何であるのか、分かっていない。

たくさんいますよ、非常に頭のいい人たちで、文学、詩、音楽は熟知しているのに、映画は芸術だと思わない人がね。

映画はまだ誕生していないと考えるか、映画を感じられないのです。

森の木を見ることは出来ない、本物の映画と商業映画を区別できないという意味です。

明らかにレムは映画を芸術として真剣に扱わない。

だから、脚本でも自分の小説に忠実であるべきだったと彼は信じているのです、それを絵にするだけで良かったと。

私にはそんなことは出来ない。

その場合、彼は私ではなく、「イラストレーター」である監督に近づくべきだった。


Q:そういう監督なら「動く絵」が作れる。


ええ、よくいるタイプです。


Q:たいてい、死んだ絵しかつくらない。


そんな監督がいます、作家に綿密に従って、作品を例示する人たちです。

このタイプの映画はたくさんありますが、たいてい同じように見えます。

単なるイラストだから、みんな死んでいる、生命が何もない。

それ自体、そして当然ながら、芸術的な価値は全くない。

単なる写し絵です。

文学の原典に従属する副次的なものです。

そういうのをレムは期待していた。

もし本当に彼がそう期待していたなら。私には理解できないことです。

彼がこの手の期待をしていたと考えるのは非常に奇妙なことですが、映画芸術に対する彼の姿勢こそ、まさにこの結果、イラストを期待する人間の位置に彼を置いたのです。
もしかするとそんなことは全然望んではいなかったのでしょうが。

しかし、私たちの脚本が小説の正確な描写からはずれる部分があれば、彼は必ず反対したものでした。新たな道筋を工夫したらいつでも彼は憤然としていました。

あの時私にはとても気に入った脚本の異稿がありました。

その場合、アクションのほぼすべてが地上で起きるのです、その半分以上が、つまり、ハリーをめぐる過去のすべてでした。

なぜ彼女がはるか宇宙の彼方のソラリスで「生まれた」のか。

『罪と罰』を想い出させるものでした。

もちろんレムのオリジナルの理念とは真っ向から衝突しました。

なぜなら私は内面生活の問題、いわば精神的な問題に興味があったからです。

一方彼のほうは人間と宇宙の衝突に興味があった。

括弧付きの「未知なるもの」に興味があった。

これこそ彼の興味を惹くものだった。

言葉の存在論的な意味において、認識の問題とこの認識の限界という意味でーそういうものに興味があった。

人間性が危機にさらされているとすら言ってました、人間が感じないときに認識の危機があると。

この危機は増加している、雪だるまのように、それがさまざまな人間の悲劇のかたちをつくり出している、科学者が経験する悲劇も、です。

そのすべてが熟して一種の爆発を起こす、前進をもたらす、すべてが未来に向かって行進する、などなど。

爆発ーそれはいいでしょう、私も否定しない、しかし私はそんなことにまったく興味がない。

この小説に惹かれたのは、生まれて初めて私がこう言える作品と出会ったから、それに尽きるのです。

つまり、贖い、それは贖いの物語なのです。

贖いとは何か?ー

良心の呵責。言葉の直接的な古典的な意味でー過去の過ち、罪、の記憶が実在になるとき、にです。

私にとってこれこそあの映画を作った理由なのです。


一方、未知との遭遇の問題を語るべきならーその場合も、存在論的な側面は私には重要でなかった。

そうではなく、ある人間の心理状況の再創造だった。

その魂に何が起きているのかを示すことこそ重要だった。

もしその人間が人間であり続けるならー私にはそれが最もかけがえのないことだった。


私の映画の主人公が心理学者であることは偶然ではありません。

レムの小説の主人公も心理学者ですが。

彼は平凡な都市生活者です、俗物です、そう見えます。

私には、彼がそんなふうであることが重要でした。

彼は精神的な幅のかなり限られた人間であるべきです、月並みな人間ですーこの精神的な闘いを、恐怖を経験できるためにです。

苦痛に捕らえられて、自分に何が起きているのか理解できない動物のようにではなく、この精神的な闘いを経験できるためにです。

私に重要であったのは、人間は無意識に自分自身に人間的であることを強制するということです。

無意識に、そしてその精神的な能力が許す限り、人間は野蛮さに反抗します。

人間的であり続ける限り人間は非人間的なものすべてに抵抗します。

そして結局、彼はー少なくともそう見えるでしょうー徹底的に月並みな奴であるにもかかわらず、彼は精神的に高いレベルに立ちます。

まるで自分を断罪するかのようです。

この問題の内側に入り込み、自分を鏡の中に見たかのようです。


結局、彼は精神的に豊かな人間ですー

先に見たように、見かけは知的に限界があるにもかかわらずです。


父親と話すとき彼はどうしようもない俗物です。

バートンと話すとき、月並みな凡庸さで、知識について、道徳について語ります。
凡庸な話をします。

自分の思念を形成し始めると途端に彼は凡庸になる。

しかし何かを感じ始めると、あるいは苦しみ始めると、途端に人間になる。

で、レムはこのことにまったく無感動だった。まるっきり無感動だった。

私はこのことに深く心動かされた。


カンヌで映画が賞を受けて、誰かが彼におめでとうと言ったとき、レムは訊いた。

「で、私はどうしたらいいんだ?」

彼は恨みを込めてそう言ったー

しかし別の見方をしてこう訊けるでしょう。

「確かに。彼はどうしたらいいのだろう?」

もし彼が映画を芸術として扱ったなら、映画というものは、スクリーンに合わせたものは、いつも、いわば作品の廃墟から生じるのだと分かったでしょうに。

しかし彼はそんな風には映画を見なかった。

しかし私は、共に過ごし語り合ったあの日々のことを彼に限りなく感謝しています-
彼はきわめて興味深い人物です。とても楽しい人です。

だから、私が少し苦い思いをしたなら、それは、彼が私と私の映画をあんな風に扱ったからではなかったー映画を一般にあんな風に扱ったからなのです。

ところで、彼によろしくと、私の心からの感謝と敬意を彼に伝えるようにお願いできますか?


 私はいつまでも感謝と共に一緒に仕事をして過ごした時を想い出すでしょう。

しかし、私が先に述べたことは、少なくとも、客観性のために述べておく必要があったのです。


Q:2つの別の問題ですね。


そうです。

ここで私たちはある争点に触れています。

これは、いつも私に問題を提起する。

ええ、こんなことが以前ありました。

誰かに会う。とても知的な人です。

読書家で、詩、絵画、音楽などを知っていて。知識人です。

で、彼は私の新しい映画が好きだと言う。偉大な映画だと言う。

そして「おお、私はうれしい、ありがとう、ありがとう」と言う。
で、彼に話し始めると私は彼が何も理解していないことに気づく。

これはひどい。これはまったくひどい。

これは私がさっき話していたことの逆です。

まあ似たようなーその人は言う

「そうです、そうです、映画、私には分かります」ー

しかし実は映画を理解していない。

映画が何であるか、映画をどのように扱うべきか、映画から何が期待できるかー
映画から何を期待してはいけないか、何を期待すべきか、分かっていない。


これは一体どういうことか? 

詩、絵画、文学、音楽に関しては水の中の魚のように、自由自在なのに、映画のことになると全くの素人だ。

映画に関する議論も話し合いも全然出来ないー自分はその気になっているのに、ですよ! 

これは非常に奇妙なことだ。

私にはこちらのほうが、誰かにこう言われるよりずっと辛いことです。

「ええ、私にはあなたの映画が分からない。

私の意見ではそれは戯言だ。馬鹿馬鹿しい、もったいぶった戯言だ。

政府の金がこんな映画に費やされるのは理解できない。」


こういう手紙を受け取ったこともありますよ。

『ルブリョフ』で大騒ぎしている頃、KGBに直接手紙を送った奴がいた。

「タタールの国家に反対する映画を作るためにタルコフスキーが政府の金を使えないように、タルコフスキーをまっとうに更正させなきゃいかん」
と書いてよこした。


Q:タタール人?!


信じられますか? 

私はただ-

「戦争中タタール人はロシアの兄弟と一緒に、共通の理想のために血を流したのだ。
それなのにタルコフスキーは反タタール映画を作っている。」


分かりますか? 

「反タタール映画を作る気なら、タルコフスキーには二度と何も撮らせるな。」

それだけじゃない。こういう人たちは実は自分たちの歴史を知らなかった。

このタタールの人たちは、自分が『ルブリョフ』で描かれたタタール=モンゴル人とはまったく別であることを確かに知らなかったのです。

2つのまるっきり違うことなんです。

彼らは自分の歴史すら知らない。

カザンにいたときそこで私は同じ話をしました。

私はその手紙を読んで、言いました。

あなたがたはタタール人としての国家の尊厳を言われるが、そういうあなたがたの誰ひとり、知らないー自分が何者であるのかまるっきり分かっていない。

あなたの父祖が誰なのか、覚えてもいない。

あなた方は他の国家と混じり合っている。

ええ。こんなふうにいろんな手紙をたくさん受け取りましたよ、時には侮辱的なものも。

そういう手紙を受け取っても、何とも感じないものですよ。

なぜなら一般にどうしようもない無知な手紙ばかりですからね。

しかし突然誰かに出くわしたら、例えば誰か以前なら文化的な動向に立派な意見を持っていたとしましょう。

その彼が突然、あなたがやったことについてナンセンスなことを話し始めたらー
彼がまったく無理解であることを暴露するならーこれはさらにつらいものですよ。

賛成されるかどうか分かりませんが、例えば1冊の本を読むなら、例えば、何か文学作品を読むなら、読んでいる人と同じ数だけ本もあるんです。

読者のひとりひとりが自分で創造したイメージを見ています。
自分の体験に基づいて作りあげたイメージです。

文学は描写が中心で、映画は例証が中心だから、余計そうです。

でも、映画も個人のヴィジョンを受け容れます。

このことを私はとびきり貴いものだと考えています。

もしそれが文学で可能なら、なぜ映画ではそれと戦わなければいけないのですか?
 
その逆のー一般に当てはまることだけを考慮する、すべての特徴にあてはまるだけを考える、普遍的に受容されことだけ考える?
 
私にはこういうことはまったく理解できない。

これは差別だと思います。

芸術作品は観客、聴衆、読者によって創られると私は信じます。

個人の知覚の可能性を許さないなら、芸術は芸術ではないでしょう。

もちろん、或る程度準備をしておかなければならない。

しかし、一番大切なのは、準備、教育ではなく、むしろ精神的なレベルです。

これが受容なのです。理解というよりむしろ受容です。

もしあなたが受け容れる、受けとめるなら、あなたには理解できるでしょう。

あなたが理解できる日が来るでしょう。

だから、文学作品がその性質固有のやり方で状況を示し、解釈できるなら、なぜ、他のジャンルが、例えば映画作品が、自分のやり方でそれを出来てはいけないのでしょうか? 

そうでしょう? そうであるべきだと私は思いますよ。
ttp://homepage.mac.com/satokk/selfcriticism/illg.html

タルコフスキー『惑星ソラリス』


 映画の中の恋愛というのは、往々にして世界との関係の隠喩でもある。

多くの映画の主人公は、ラストで抱えていた問題が一掃されると同時に、パートナーを手に入れる。

まあこれだけだと、単なるそこらの色と出世のサクセスストーリーだが、もうちょっと気取った映画となると、何らかの理由で世界から孤立して暮らしている人物がいて、その人の前にふとした偶然で相手があらわれる。

それが、世界の差し出してくれた関係修復のための蜘蛛の糸になる――そんな映画はたくさん思いつく。

たとえば『ブレードランナー』なんかを考えてもらえばいい。

もちろんこれも一歩間違えると、自分では何もしない怠惰なおたくのところに、労せずして美少女が勝手に宅配されてなついてくれるという、ただの卑しい願望充足話になってしまうので、それを避ける工夫は必要なのだけれど。

 その一つのやり方は、そこで登場する蜘蛛の糸たる相手を、何か受け入れがたい変なものに仕立てることだ。

『ブレードランナー』はそれを、自分の倒すべきネクサス6型アンドロイドにしたことで実現した。
あの映画の長期的な価値は、その仕掛けがきわめて上手に構築されたことからもきている。


 そしてタルコフスキー監督の『惑星ソラリス』では、その相手はかつて自殺した妻の複製品だ。

 知性を持つらしき惑星ソラリスの海は、近くにやってきた人間が内心に抱いている世界との断絶の根本にあるものを探り出しては再現するという性質を持っている。


主人公の場合、それは自殺した妻だった。


 そうやって世界が、考えもしなかったような形で差し出してきた存在に対して、主人公はどう振る舞っていいかわからない。

いまでも奥さんのことは忘れられないけれど、でも一方で彼女の自殺の原因は自分にあるので、彼女の姿は傷口に塩をすりこまれるような苦痛だ。

耐えきれずに一度はそれを殺してみるし、またどうも自分が変な存在でうとましがられているのに気がついた当の複製奥さんも、自殺を試みるけれど、生き返ってしまう。


 『惑星ソラリス』は、そんな変な生き物とゆっくりと折り合いをつける過程の話となっている。

そこにある逡巡やとまどい、葛藤――それはまさに恋愛で、『惑星ソラリス』はそこにあまりロマンチックな要素を持ち込まないことで、逆に精神的な深みを出し仰せていた。


 いたんだが……『惑星ソラリス』はその最後の最後のところで、あさっての方向を向いてしまう。

主人公の脳内情報を投射されたソラリスの海は、奥さんもどきをあっさり消してくれて、かわりに昔の家とお父さんを復活させ、再会ごっこまで演じさせてくれる。

この時点ですでにソラリスの海は、おたくのビデオデッキまがいの都合のいい妄想再生実現マシーンになってしまっている。

その奥さんもどきをどうするか? 

そこにこそ、その恋愛――そしてそれまで映画が積み重ねてきた問いかけ――の意味があったはずだったのに。


 それはまた、タルコフスキーが常にやってきたごまかしでもある。


NHKがタルコフスキーについてのドキュメンタリーを放送したことがあって、そこにかれの妹が登場した。

そして、お兄さんの映画についてどう思うかと尋ねられたとき、彼女は吐き捨てるようにこんなことを述べたのだ。


 「大嫌いです。 冷たくて人工的で。

だいたい兄は映画で、家族への思慕を繰り返し描きますが、

実際には実家にも全然帰らず、まったく家族に会おうとすらしなかったんです。

あんなの全部、口先だけのインチキです」


 ぼくはこれを聞いて、タルコフスキー映画を見る目が一気に変わってしまった。

かれの描いていた家族への郷愁がまがいものなら、かれが晩年になってますますしつこく押しつけがましく描くようになってきた神だの世界の救済だのといったものも、やっぱりまがいものでしかないんじゃないか。

それはかれが現実の家族をまったく顧みずに脳内家族に萌えていたのと同様、本当の神様でも本当の世界でもない、脳内の物欲しげな妄想でしかないんじゃないか。


 そしてそれはかれの恋愛の描き方にも出ている。

『ノスタルジア』でもそうだ。

主人公は世界のさしのべてくれた実物の愛を無視して、世界を救うとかいう妄想への耽溺を選ぶ。

それはたぶん、世界の頭でっかちたちの間でのタルコフスキーの評価を高めた選択でもあるんだろう。


でもそれは、結局かれが各種の愛や、世界との和解を手に入れられなかった原因でもあるんじゃないか。

だがそもそも、かれは現実にそれを求めていたんだろうか。
ttp://cruel.org/other/esquiresolaris.html


Marina Tarkovskaïa raconte Andreï Tarkovski
ttp://www.youtube.com/watch?v=Y4VZ-keEdfY&feature=related

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タルコフスキーの評価は厳しかったが、それでも映画の場合は、実に数多くの作品を彼は見たのだった。

彼がもっともよく話題にした創造的な精神は、ブレッソン、アントニオーニ、フェリーニ、黒澤、ワイダ、ザヌーシ、ベルイマンだった。

これと関連して、私は1985年11月の出来事を思い出す。

アンドレイと私はストックホルムの映画博物館で映画ポスター展を見ていた。

私はベルイマンの姿を見つけた。

ベルイマンとタルコフスキーはお互い会いたがっていたが、一度も会ったことがなかったのだ。

ベルイマンは博物館の中の劇場のひとつから出てきたところだった。

このチャンスに、出会いは実に自然で、ほとんど避けがたいと思われた。

2人はおよそ15メートルの距離でお互いを認めることが出来た。

次の瞬間、私は仰天した。

2人ともくるっと踵を返した。

まるで厳しい軍事演習に加わっているかのように。

そして別々の方向に歩いていった。

2人は二度と会わなかった。

こうしてこの世界の2人の偉人は触れあうことなくすれ違ったのである。
ttp://homepage.mac.com/satokk/mihal/mihal.html


「惑星ソラリス」 原作はスタニスラフ・レム。


その「惑星ソラリス」というと最近リメイクされたようですね。
リメイク版の監督さんは、確か賞味期限切れとして名高い?ソダーバーグさん。

ソダーバーグのデビュー作「セックスと嘘とヴィデオテープ」は確かに見事な作品でした。

現代における宗教的なマターを、あるいは、芸術家としてのあり方を、現代的に扱って「大したモンだ!スゴイ!!」と思ったものです。

今でも様々な俳優や映画スタッフは「セックスと嘘とヴィデオテープ」について、「ソダーバーグ監督はデビュー作であの力量なんて・・・スゴイ!!」と言っているようです。

まあ、逆に言うと、その賛辞こそがソダーバーグの現状を語っていると言えるわけですね?

デビュー作の「セックスと嘘とヴィデオテープ」以降の作品は「語られない」わけ。

本来なら、俳優とか同じ映画業界の人間なら、最新作について語るものでしょ?
いつまで経っても、「デビュー作はスゴかった!!」ではねぇ・・・

このように賛辞を語ることによって、否定的な見解を表明する。

意図的にやっているかはわかりませんが、よくある話です。ホメ殺しみたいなものでしょうか?


さて、さて今回の本題であるタルコフスキーによる本家の「惑星ソラリス」。

私はソダーバーグのリメイク版は見ていませんが、リメイクを作りたくなる、プロデューサーの、心境は理解できなくもありません。

タルコフスキー監督の「惑星ソラリス」は、

1.セリフがロシア語である。
・・・・この点は、当然のこととして、アメリカの観客には不利ですよね?


2 通常のSF映画の「売り」であるはずの未来風景がショボイ。
・・・最新技術を使えばもっとハデな未来風景が作れるはずです。

ということで、リメイク版を作ろうと思ったのでしょう。
しかし、どのみちねぇ・・・

確かにアメリカ人は字幕がキライでしょう。
しかし、スタニスラフ・レム原作の「惑星ソラリス」を見るような観客は、いくらアメリカ人だってそれなりの水準の人でしょうから、本来は字幕には抵抗がないはずです。

「字幕は絶対にイヤ!!」という観客は、そもそも「惑星ソラリス」なんて理解不能でしょ?

あと、「未来風景がショボイ」・・・これだってねぇ・・・

「惑星ソラリス」は未来世界がテーマである作品ではないのだから、未来風景なんてどうでもいいことですからね?

ハデハデな未来風景を楽しみにするような人には、どのみち「惑星ソラリス」なんて無関係の作品ですよ。

というわけで、「惑星ソラリス」のリメイク版を製作することは理解できなくもないけど
・・・無意味なことは確実ですよ。


大体、リメイクって・・・

タルコフスキー監督の作品を手直しする・・・という発想自体ぶっ飛んでいますよ。

まあ、ソダーバーグもよく引き受けたものだと感心いたします。


さて、この「惑星ソラリス」ではバッハのコラール・プレリュードが使われています。

というか一般的な呼び名では「オルガン小曲集」の中のBWV639「われ汝に呼びかけん、主イエス・キリストよ」です。

まあ、そのコラールのタイトルは映画そのものには、登場しません。

この「惑星ソラリス」はソ連映画なので、SFであれば共産党政府も問題にはしなかったでしょうが、「キリスト」を連想させるような宗教的なものは「慎重」に扱う必要があったはずです。

当時のソ連では、あまりおおっぴらにキリストなんて扱えませんよ。

ちなみに、バッハのオルガン小曲集ですが、これらのオルガン曲は、コラール(プロテスタントにおける会衆歌)の伴奏として使われた曲なんだと思いますが・・・

ということで、タイトルだけでなく歌詞もあるわけです。

大体の大意は下記のようなものらしい。


「わたしはあなたに呼びかけます、イエス・キリストよ!

私の嘆きに耳を傾け、この時に恩寵をおあたえください。

どうか私がひるまぬようにしてください。」


バッハの音楽になじんでいる人だったら、ここで言われる「恩寵」が、「死」を意味しているのは簡単に読み取れるでしょう。

「死による救済を憧れる。」

バッハの音楽にはよく出てくる感情です。


有名な82番のカンタータの「我は満ちたれり。」なんて、そのものズバリの曲ですし。

しかし、タルコフスキーでこの曲を使った意図は、死を求めるというよりも、
「自分の嘆きに耳を傾け・・・恩寵を与えて欲しい。」ということなんでしょう。

この「惑星ソラリス」では、映画の中でも「嘆き」や「恩寵を求める渇望」が顕著です。

そもそも、バッハのオルガン音楽だって、この曲以外にも、他にいくらでもあるわけです。

例えばBWV605は「かくも喜びに溢れる日は」とおめでたいタイトルがついています。

BWV645は有名な「目覚めよと呼ぶ声あり」ですよね?

タルコフスキーは多くのバッハの音楽から、「深い嘆き」と「恩寵への渇望」の音楽を「選択」しているわけです。


では、タルコフスキーの抱える「嘆き」とは?

タルコフスキーの渇望する「恩寵」とは?

イタリアの監督パゾリーニは「映画作家はどの作品でも、同じことを言っているだけ。」と言っています。

作品によって、多少スタイルが違っていても、「言わんとする」ことはいつも同じというわけ。

映画作家の代表例のタルコフスキーも「いつも同じこと」を言っているわけです。


タルコフスキーはルネッサンスに懐疑のまなざしを向けていたのは確実でしょう。

「ノスタルジア」では反ルネッサンスの修道士サヴォナローラを連想させる人間を登場させているでしょ?

「サクリファイス」だって、昔の世界への憧れがでてきます。
昔に製作された地図などを喜んで見たりして。地図というのは一種の世界観ですからね。

他にも、アンドレイ・ルビリョフのイコンがルネッサンスの人間中心主義から遠いのは自明ですし。

その他の作品だっていわずもがな。


神から人類を解放したはずのルネッサンスが、本当に人類を解放したのか?

神を放逐した後の、人類のみの世界の代表例が、ソビエトの共産社会でしょ?

現実の共産社会が、人類の解放からもっとも遠かったのは言うまでもないことでしょう。


ちなみに、ヨーロッパの美術において、ルネッサンス以前と以降で随分違います。
単に表現技法の問題だけではありません。

ルネッサンス以降、画家は自画像を製作し、絵にサインを入れるようになりました。
絵画における遠近法だって、ある意味において、神の視点から人間の視点への変更です。

つまり芸術は芸術家のものになったわけです。
それ以前は「神」のものだったわけです。

だからこそ、自画像は作らなかったし、サインも入れなかった。
芸術家はただ神の代理にすぎなかったわけです。

ルネッサンス以降、芸術は芸術家の創造物ということになった。

それが本当にいいことなのか?

創造という神の領域に人間が踏み込んでしまって・・・
人間はそれに値する存在なのか?

あるいは人間の創造した芸術など、神の創造したものに比べれば、取るに足らぬものではないのか?

人間タルコフスキー、別の言い方をすると芸術家タルコフスキーが創造した映画は、このような人間の「創造」に対する懐疑の念が付きまとっています。
逆説的な存在なんですね。

神を放逐した後で、創造を行う人類・・・
そして映画を創造しているタルコフスキー本人。

タルコフスキーの映画は「人類の創造への懐疑に満ちた創造物」という逆説的存在と言えるように思います。


だからこそ、タルコフスキーとしては、創造することへの「嘆き」は、まさに「汝に呼びかけん!!」と言いたいところでしょう。

人間の創造のむなしさを知り抜いていながら、自らの創造意欲から創造せざるを得ない。
そしてその嘆きから解放されるには、神の恩寵が必要となる。

・・・だから「イエス・キリストよ!」というわけですね。


別にタルコフスキーがキリスト教的な救済を意図していたわけではなく、もっと普遍的な絶対的な存在としての神を考えているわけです。

人類にとってルネッサンスとは?

それは人類の歴史の上では脇道に過ぎず、単なる放蕩ではなかったのか?


20世紀にもなって、そして、よりにもよって当時のソ連で「主イエス・キリストよ!」と呼びかけることは、ルネッサンスの否定に繋がっていくわけです。


この世界を人類のものから、神のものへ返上すること。

それこそが、「放蕩息子の帰還」のラストシーンに繋がるわけです。


御丁寧に犬までがんばっている。
放蕩息子の帰還のシーンに犬はお約束ですからね。

自らの願いがすべてかなうソラリスという場にあって、人間が望むことは、父なる神への帰郷なんだ。


ルネッサンスという人類の放蕩を反省し、父なる神に帰還する。

最後のシーンやバッハのオルガン曲は、父なる神の世界への帰郷への渇望を意図しているんだろうと思います。

ちなみに、私はこの「惑星ソラリス」のヴィデオを持っています。
このヴィデオでの解説は・・・・なかなか・・・何と言うかぁ・・・

まあ、タルコフスキーの作品を解説するというドン・キホーテ的な行為は賞賛に値するかも・・・その点は、私も人のこと言えませんし・・・そういえば、「惑星ソラリス」では、ドン・キホーテも引用されていたっけ・・

そのヴィデオでの「解説」で、タルコフスキーがバッハの曲を使ったのは、バッハの宗教性がタルコフスキーになじみがあったから・・・と「解説」されております。

まあ・・・ただ・・・タルコフスキーが育った共産主義社会において、宗教がなじみとは言えないことは、多少知識がある人は御存知のはず。

またバッハのコラールというのは基本的にプロテスタントのものですよね。
ロシア正教では使わないんじゃないの?

まあ、昔のソ連の音楽家によるバッハの録音なんて、ヴァイオリンとかの器楽曲ばかりでしたものね。ソ連の音楽家による宗教曲のレコードなんて聴いたことないなぁ・・・

それにバッハの曲といっても、器楽曲から宗教曲まで色々とあるでしょ?

それに宗教性ということを言いたいのなら、別の作曲家でもいいのでは?
ハインリッヒ・シュッツとか、あるいはもっと地味な宗教音楽家の作品の方が、そのシーンの宗教性を表現できますよ。

その「選択」からタルコフスキーの意図も見えてくるわけ。

タルコフスキーが持っていたパレットを想定した上で、その選択の意図も見えてくるわけです。
タルコフスキーはバッハの曲というと、この曲しか知らない・・・というわけではないし、宗教音楽というと、この曲しか知らないというわけでもない。

ロシア人はヨーロッパ人だから、バッハの宗教性となじんでいるはず・・・というのは、日本人の主食がキムチというくらいトンチンカンな話。

多分DVDだと、その解説も直っているとは思うんですが・・・

まあ、ルネッサンス的英知であるDVDという媒体で、「ルネッサンス否定」の作品を見るのもオツなものですね。
ttp://magacine03.hp.infoseek.co.jp/old/03-12/03-12-23.htm

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放蕩息子の帰還 ルカ傳福音書 第15章


15:1取税人、罪人ども、みな御言を聽かんとて近寄りたれば、

15:2パリサイ人・學者ら呟きて言ふ、『この人は罪人を迎へて食を共にす』

15:3イエス之に譬を語りて言ひ給ふ、

15:4『なんぢらの中たれか百匹の羊を有たんに、若その一匹を失はば、
九十九匹を野におき、往きて失せたる者を見出すまでは尋ねざらんや。

15:5遂に見出さば、喜びて之を己が肩にかけ、

15:6家に歸りて其の友と隣人とを呼び集めて言はん

「我とともに喜べ、失せたる我が羊を見出せり」


15:7われ汝らに告ぐ、かくのごとく悔改むる一人の罪人のためには、
悔改の必要なき九十九人の正しき者にも勝りて、天に歡喜あるべし。

15:8又いづれの女か銀貨十枚を有たんに、若しその一枚を失はば、燈火をともし、
家を掃きて見出すまでは懇ろに尋ねざらんや。

15:9遂に見出さば、其の友と隣人とを呼び集めて言はん、

「我とともに喜べ、わが失ひたる銀貨を見出せり」


15:10われ汝らに告ぐ、かくのごとく悔改むる一人の罪人のために、神の使たちの前に歡喜あるべし』

15:11また言ひたまふ

『或人に二人の息子あり、

15:12弟、父に言ふ

「父よ、財産のうち我が受くべき分を我にあたへよ」

父その身代を二人に分けあたふ。

15:13幾日も經ぬに、弟おのが物をことごとく集めて、遠國にゆき、
其處にて放蕩にその財産を散せり。

15:14ことごとく費したる後、その國に大なる饑饉おこり、
自ら乏しくなり始めたれば、

15:15往きて其の地の或人に依附りしに、其の人かれを畑に遣して豚を飼はしむ。

15:16かれ豚の食ふ蝗豆にて、己が腹を充さんと思ふ程なれど、
何をも與ふる人なかりき。

15:17此のとき我に反りて言ふ

『わが父の許には食物あまれる雇人いくばくぞや、然るに我は飢ゑて
この處に死なんとす。


15:18起ちて我が父にゆき

「父よ、われは天に對し、また汝の前に罪を犯したり。


15:19今より汝の子と稱へらるるに相應しからず、雇人の一人のごとく爲し給へ』
と言はん」

15:20乃ち起ちて其の父のもとに往く。なほ遠く隔りたるに、父これを見て憫み、
走りゆき、其の頸を抱きて接吻せり。

15:21子、父にいふ

「父よ、我は天に對し又なんぢの前に罪を犯したり。
今より汝の子と稱へらるるに相應しからず」

15:22されど父、僕どもに言ふ

「とくとく最上の衣を持ち來りて之に著せ、その手に指輪をはめ、
其の足に鞋をはかせよ。

15:23また肥えたる犢を牽ききたりて屠れ、我ら食して樂しまん。

15:24この我が子、死にて復生き、失せて復得られたり」かくて彼ら樂しみ始む。

15:25然るに其の兄、畑にありしが、歸りて家に近づきたるとき、
音樂と舞踏との音を聞き、

15:26僕の一人を呼びてその何事なるかを問ふ。

15:27答へて言ふ

「なんぢの兄弟歸りたり、その恙なきを迎へたれば、
汝の父肥えたる犢を屠れるなり」


15:28兄怒りて内に入ることを好まざりしかば、父いでて勸めしに、

15:29答へて父に言ふ

「視よ、我は幾歳もなんぢに仕へて、未だ汝の命令に背きし事なきに、
我には小山羊一匹だに與へて友と樂しましめし事なし。


15:30然るに遊女らと共に、汝の身代を食ひ盡したる此の汝の子歸り來れば、
之がために肥えたる犢を屠れり」


15:31父いふ

「子よ、なんぢは常に我とともに在り、わが物は皆なんぢの物なり。


15:32されど此の汝の兄弟は死にて復生き、失せて復得られたれば、
我らの樂しみ喜ぶは當然なり」』
ttp://bible.salterrae.net/taisho/html/luke.html



タルコフスキー、ソラリスを語る


スタニスワフ・レムの『ソラリス』の映画脚本をつくろうと決めたのは、SFに興味があったからではなかった。

一番大切な理由は、『ソラリス』でレムは、私が身近に感じることが出来る道徳的な問題を取り上げたということだった。

レムの小説のより深い意味は、SFの限界内に収まっていない。

文学形式だけを論じるなら、問題を制限することになる。

この小説は、人間理性と知られざる者との衝突を扱っているだけでなく、新しい科学の発見によって生み出された道徳的葛藤をも扱っている。

『進歩の代償』と呼ばれる痛々しい経験の結果として生じる新しい道徳性を扱っている。

ケルヴィンにとってその代価は、物質形態で自分自身の良心の呵責に直接対面せざるをえないということだ。

ケルヴィンは自分の行動原理を変えない。自分自身にとどまる。
それこそ彼の悲劇的なジレンマの根本であるのだが。


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一体全体なぜ、私が見たSF映画のすべてで、監督は観客に未来の物質的な細部をじっくり見せようとするのか? 

なぜ彼らはースタンレー・キューブリックがそう称したようにー自作を予言的と称するのか?
 
専門家にとって『2001年』が多くの事例で食わせ物だ、芸術作品とはとても言えないと言うつもりはない。

私は、『ソラリス』を観客に異国情緒を味わわせることがないように、撮影したいと思う。

当然、テクノロジーの領域での異国情緒という意味だ。

例えば、電車に乗る乗客を撮影して、私たちが電車について何も知らないとしたらーそう仮定しましょうー以前電車を見たことがなかったからです、そのとき私たちは月に着陸する宇宙船のシーンでキューブリックがやったのと類似の効果を獲得するでしょう。
言い換えると、停車場で普通に撮影するやり方で宇宙のシーンを撮影する限り、何もかも上手く行くでしょう。

このように私たちは登場人物を、異国趣味のシーンではなく、リアルなシーンに置く必要があります。

なぜなら映画の登場人物が現実を知覚することによってのみ、観客が理解できるようになるからです。

だから、未来の科学技術を細々と見せると、映画の情緒的な基礎が壊れてしまいます。


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肝心なのは、その「科学技術」の、と言っておきましょう、その発達の各段階で人間は、霊的なエントロピーのようなものと、道徳的価値の拡散と、戦わねばならないということだと思います。

一方で、人間性は自らをあらゆる道徳から解放しようとします。

その一方で、道徳を創造しようとする。

このジレンマが、個人の生においても一般社会の生においても、並はずれて劇的な緊張に満ちた状況を生み出すものになります。

この劇的な解放と、それと同時に、精神的理想の探求は、人間が自らをもっぱら道徳的な問題に捧げることが出来る発達段階に到達するまで続くことでしょう。

人間が絶対的な外的な自由を獲得する段階、それを社会的な自由と呼びましょう、そこで人間は日々の糧に、雨露をしのぐ場所に、子どもの未来を確保することに、いちいち心を惑わす必要はないことでしょう。

そこで、人間はかつて外的自由に捧げた同じエネルギーで、自己の内部深くに降りていくことが出来るでしょう。

私にとってハリーとケルヴィンの間で宇宙ステーションで生じたことは、人間の自分の良心に対する関係が問題なのです。

[…]

映画は奴隷のように本に忠実に従うことは出来ない。

レムの足跡をたどることは、作家と本に対する背信行為になるでしょう。

私は、『ソラリス』の私の個人的な読み方を映像にしようとしました。

作者に忠実であるために、私は時々、ある種のテーマに対する視覚的等価物を探して、小説から逸脱しなければならなかった。

私には対比として地球が必要だった、もっともそれだけのためではありませんが…
私は、地球を観客の心の何か美しいものと等価のものにしたかった。

人の憧憬を表すものです。

だから、ソラリスの神秘的な幻想的な雰囲気に飛び込んだ後、突然地球を一瞥したときに、彼は再び正常に、くつろいで、感じる。

その結果彼はこの平凡さへの憧憬を感じ始める。

言い換えると、彼はノスタルギアの有益な影響を感じる。

結局、ケルヴィンは人間としての自分の義務であると見なす実験をするために、ソラリスに残る決心をする。

このように私は、観客がさらに十全に、さらに鋭敏に、彼の決心の劇的な意義のすべてを実感できるように、地球を必要としたのでした。

私たちの根源的な故郷であった、今も故郷である惑星に帰ることをこのように断念する、そのことの意義が実感できるように、です。


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スタンレー・キューブリックの『2001年宇宙の旅』を最近見ました。
人工的なものの印象が残りました。

最新科学技術の業績を見せる博物館にいるかのようでした。

キューブリックはそういうことに酔いしれて、人間のことを、人間の道徳の問題を忘れています。

それがなければ、真の芸術は存在できません。

映画の描写の最大限の直接性に私は信頼をおいています。

この映画でも私はギミックなしで、最も素朴な手段を用います。

今日流行の「スペクタクル」の類は避けています。

確かに、映画はカラーになりますが。
最近まで私はカラー映画に絶対反対でした、しかしどうすればいいのでしょうか、今日ではカラーを避けるのは不可能です。

何とかこの技術を最善のかたちで利用しようと苦心しています。
リアリズムの領域の中でしっくりしたものになるようにです。

SF映画のリアリズム?
 
ええ、可能だと思います。

私たちはこの想像世界を出来るだけ具体的なものにしています。

特にその純粋に外的な現れで、です。

『ソラリス』で示されるリアリティは物質的に経験可能なもの、ほとんど手で掴むことが出来るものになるはずです。

装飾のテクスチャーによって、ワディム・ユーソフの映画スタイルによって、それを実現します。

私たちの映画には、本にない地球上のシーンがあります。

対比のために地球が必要なんですが、それだけではありません。

私は観客に私たちの惑星の美に気づいてもらいたいと思います。

そうすればー調べようもない、神秘的な事柄をはらんだ雰囲気に包まれていたのでーもっと気持ちを込めて、地球に帰ってくるでしょう、その平凡さを自由に喜ばしく呼吸することでしょう。

この映画を見る方にホームシックの苦さを理解してもらいたいと思います。

結局クリスはソラリスにとどまる決心をします。

なぜならそれは科学者としての彼の使命が要求することだからです。

プロジェクトの監督を彼に託した人々に彼が負う責務が求めるからです。

この状況で、地球のイメージは観客の心理的な反応の触媒として作用し、クリスの決定に隠された意味を十分に、明確に見て取ることができるはずです。


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私はSFは好きじゃない。

いやSFが基づくジャンルが好きでない。

テクノロジー、いろいろな未来論的なトリックや工夫が凝らされたああいうゲームが好きでない。

いつでも人工的だ。

でもファンタジーから引き出せる問題には興味がある。

人間と彼が抱える問題、人間の世界、人間の不安。

平凡な生もまたファンタジーにあふれている。

人生そのものがファンタスティックな現象です。

フョードル・ドストエフスキーはそのことをよく知っていた。

だから生そのものに、毎日の生、平凡な生そのものに焦点を定めたいのです。

その中では何だってあり得るのですから。


私の『ソラリス』は結局、サイエンスフィクションではありません。

その文学的な先駆者もそうではない。

ここで大切なのは、人間だ。その人格だ。

惑星地球と結んだ彼の非常に執拗な絆だ。
彼が生きる時代に対する責任感だ。

典型的なSFは好みでない。
私には分からないし、信じてもいない。

実際、『ソラリス』に取り組んでいるとき、私は『ルブリョフ』と同じテーマと取り組んでいた。

人間存在だ。

この2作はアクションが生じる時によって切り離されているにすぎない。


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『ソラリス』は私の映画で一番成功しないものになった。

なぜならSFの要素を避けることが出来なかったからです。

スタニスワフ・レムは脚本を読んで、私がSF要素を排除しようとしているのに気づいて、不愉快になった。

脚色許可を取り消すと脅しました。

私たちは新しい脚本を用意しましたが、そこからは撮影中にこっそり逸脱することが可能だったのです。

そのつもりでした。しかしこの意図は十分には果たせなかったのです。


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スタニスワフ・レムの証言


私にはこの脚本に根本的な留保点がいくつかある。

まず第一に、惑星ソラリスをこの眼で見たかったと思うのだが、監督は不幸なことに、作品が映画的に静かな作品になるべきであるとして、私を拒否した。

第2に、私たちのごたごたの1つでタルコフスキーに言ったことだが、彼は『惑星ソラリス』をまったく製作しなかった。

彼は『罪と罰』を創ったのだ。

フィルムになったのは、この忌まわしいケルヴィンが可哀想なハリーを自殺に追い込んで、それから良心の呵責にさいなまれたが、彼女の出現、奇妙な理解不能な出現によって、ますますひどく苦しむことになる様子だ。

ハリーの出現のこの現象は私には、カントその人から得られる概念を規範とするものだ。

なぜなら物自体、到達不可能なもの、もの自体、浸透不可能な彼岸が存在するからだ。

しかし私の小説でこれは別のやり方で、明白にされ、構成されている…

しかし、第2部の20分を除けば、映画の全編を私は見たことがないことを明らかにしておかねばならない。

脚本はとてもよく分かっているのだが。

なぜならロシア人は原作者に特別に1部を作成する習慣があるからだ。

どうしようもなくひどいことがある。

タルコフスキーは映画にケルヴィンの両親を登場させている。

叔母すら出てくる。

しかし一番ひどいのは母親だ。

なぜなら母親はmat' である、mat' は Rossiya, Rodina, Zemlya [ロシア、母国、大地] であるからだ。

これだけで私は怒り心頭だ。

この瞬間に私たちは馬車を反対方向に引っぱろうとする2頭の馬のようなものだった。
[…]

私のケルヴィンは何の希望もなく惑星にとどまる決心をする。

一方タルコフスキーは島のようなものを出現させ、その島に小屋があるイメージを創造した。

小屋と島のことを聞いたとき、私はいらだちで気も狂わんばかりだった…

こんなものは情緒的なソースにすぎない。

そこにタルコフスキーは彼のヒーローたちをどっぷり浸けたのだ。

科学的な景色を彼は完全に切断して、その代わりに私には我慢ならない奇妙なものをたっぷり導入したことは言うまでもあるまい。
ttp://homepage.mac.com/satokk/selfcriticism/solaris.html

タルコフスキーのストックホルム・インタビュー


Q:なぜスタニスワフ・レムの『ソラリス』に基づいてなぜ映画を創られたのか、話してもらえますか? 何があなたをあの小説に引きつけたのですか?

私はスタニスワフ・レムを非常に高く評価していて、彼の作品は非常に好きです。

いつでも読めるときに読みます、読めるものは何でも読みます。

彼の散文も好きですが、たまたまーこんなことを言うのは残念なのですがー彼は映画というものをあまり好きじゃない、分からない。

それで、一緒に仕事をしているとき、私たちは不平等なパートナーでした。

私は彼の本をどうしようもなく愛していましたが、彼のほうは私の映画にまったく無関心でした。

彼はいつも作家として考えていました、まず文学だと-。


Q:文学が一番大切なものだった。

さあ、どうでしょう?
 
一番大切じゃなくーとにかく文学が存在していた、事実として。音楽、詩、絵画が存在しているように。

しかし彼は映画を理解できなかった。

今でもそうですよ。彼は、映画とは何であるのか、分かっていない。

たくさんいますよ、非常に頭のいい人たちで、文学、詩、音楽は熟知しているのに、映画は芸術だと思わない人がね。

映画はまだ誕生していないと考えるか、映画を感じられないのです。

森の木を見ることは出来ない、本物の映画と商業映画を区別できないという意味です。

明らかにレムは映画を芸術として真剣に扱わない。

だから、脚本でも自分の小説に忠実であるべきだったと彼は信じているのです、それを絵にするだけで良かったと。

私にはそんなことは出来ない。

その場合、彼は私ではなく、「イラストレーター」である監督に近づくべきだった。

Q:そういう監督なら「動く絵」が作れる。

ええ、よくいるタイプです。

Q:たいてい、死んだ絵しかつくらない。

そんな監督がいます、作家に綿密に従って、作品を例示する人たちです。

このタイプの映画はたくさんありますが、たいてい同じように見えます。

単なるイラストだから、みんな死んでいる、生命が何もない。

それ自体、そして当然ながら、芸術的な価値は全くない。

単なる写し絵です。

文学の原典に従属する副次的なものです。

そういうのをレムは期待していた。

もし本当に彼がそう期待していたなら。私には理解できないことです。

彼がこの手の期待をしていたと考えるのは非常に奇妙なことですが、映画芸術に対する彼の姿勢こそ、まさにこの結果、イラストを期待する人間の位置に彼を置いたのです。
もしかするとそんなことは全然望んではいなかったのでしょうが。

しかし、私たちの脚本が小説の正確な描写からはずれる部分があれば、彼は必ず反対したものでした。新たな道筋を工夫したらいつでも彼は憤然としていました。

あの時私にはとても気に入った脚本の異稿がありました。

その場合、アクションのほぼすべてが地上で起きるのです、その半分以上が、つまり、ハリーをめぐる過去のすべてでした。

なぜ彼女がはるか宇宙の彼方のソラリスで「生まれた」のか。

『罪と罰』を想い出させるものでした。

もちろんレムのオリジナルの理念とは真っ向から衝突しました。

なぜなら私は内面生活の問題、いわば精神的な問題に興味があったからです。

一方彼のほうは人間と宇宙の衝突に興味があった。

括弧付きの「未知なるもの」に興味があった。

これこそ彼の興味を惹くものだった。

言葉の存在論的な意味において、認識の問題とこの認識の限界という意味でーそういうものに興味があった。

人間性が危機にさらされているとすら言ってました、人間が感じないときに認識の危機があると。

この危機は増加している、雪だるまのように、それがさまざまな人間の悲劇のかたちをつくり出している、科学者が経験する悲劇も、です。

そのすべてが熟して一種の爆発を起こす、前進をもたらす、すべてが未来に向かって行進する、などなど。

爆発ーそれはいいでしょう、私も否定しない、しかし私はそんなことにまったく興味がない。

この小説に惹かれたのは、生まれて初めて私がこう言える作品と出会ったから、それに尽きるのです。

つまり、贖い、それは贖いの物語なのです。

贖いとは何か?ー

良心の呵責。言葉の直接的な古典的な意味でー過去の過ち、罪、の記憶が実在になるとき、にです。

私にとってこれこそあの映画を作った理由なのです。

一方、未知との遭遇の問題を語るべきならーその場合も、存在論的な側面は私には重要でなかった。

そうではなく、ある人間の心理状況の再創造だった。

その魂に何が起きているのかを示すことこそ重要だった。

もしその人間が人間であり続けるならー私にはそれが最もかけがえのないことだった。


私の映画の主人公が心理学者であることは偶然ではありません。

レムの小説の主人公も心理学者ですが。

彼は平凡な都市生活者です、俗物です、そう見えます。

私には、彼がそんなふうであることが重要でした。

彼は精神的な幅のかなり限られた人間であるべきです、月並みな人間ですーこの精神的な闘いを、恐怖を経験できるためにです。

苦痛に捕らえられて、自分に何が起きているのか理解できない動物のようにではなく、この精神的な闘いを経験できるためにです。

私に重要であったのは、人間は無意識に自分自身に人間的であることを強制するということです。

無意識に、そしてその精神的な能力が許す限り、人間は野蛮さに反抗します。

人間的であり続ける限り人間は非人間的なものすべてに抵抗します。

そして結局、彼はー少なくともそう見えるでしょうー徹底的に月並みな奴であるにもかかわらず、彼は精神的に高いレベルに立ちます。

まるで自分を断罪するかのようです。

この問題の内側に入り込み、自分を鏡の中に見たかのようです。


結局、彼は精神的に豊かな人間ですー

先に見たように、見かけは知的に限界があるにもかかわらずです。


父親と話すとき彼はどうしようもない俗物です。

バートンと話すとき、月並みな凡庸さで、知識について、道徳について語ります。
凡庸な話をします。

自分の思念を形成し始めると途端に彼は凡庸になる。

しかし何かを感じ始めると、あるいは苦しみ始めると、途端に人間になる。

で、レムはこのことにまったく無感動だった。まるっきり無感動だった。

私はこのことに深く心動かされた。


カンヌで映画が賞を受けて、誰かが彼におめでとうと言ったとき、レムは訊いた。

「で、私はどうしたらいいんだ?」

彼は恨みを込めてそう言ったー

しかし別の見方をしてこう訊けるでしょう。

「確かに。彼はどうしたらいいのだろう?」

もし彼が映画を芸術として扱ったなら、映画というものは、スクリーンに合わせたものは、いつも、いわば作品の廃墟から生じるのだと分かったでしょうに。

しかし彼はそんな風には映画を見なかった。

しかし私は、共に過ごし語り合ったあの日々のことを彼に限りなく感謝しています-
彼はきわめて興味深い人物です。とても楽しい人です。

だから、私が少し苦い思いをしたなら、それは、彼が私と私の映画をあんな風に扱ったからではなかったー映画を一般にあんな風に扱ったからなのです。

ところで、彼によろしくと、私の心からの感謝と敬意を彼に伝えるようにお願いできますか?


 私はいつまでも感謝と共に一緒に仕事をして過ごした時を想い出すでしょう。

しかし、私が先に述べたことは、少なくとも、客観性のために述べておく必要があったのです。

Q:2つの別の問題ですね。


そうです。

ここで私たちはある争点に触れています。

これは、いつも私に問題を提起する。

ええ、こんなことが以前ありました。

誰かに会う。とても知的な人です。

読書家で、詩、絵画、音楽などを知っていて。知識人です。

で、彼は私の新しい映画が好きだと言う。偉大な映画だと言う。

そして「おお、私はうれしい、ありがとう、ありがとう」と言う。
で、彼に話し始めると私は彼が何も理解していないことに気づく。

これはひどい。これはまったくひどい。

これは私がさっき話していたことの逆です。

まあ似たようなーその人は言う

「そうです、そうです、映画、私には分かります」ー

しかし実は映画を理解していない。

映画が何であるか、映画をどのように扱うべきか、映画から何が期待できるかー
映画から何を期待してはいけないか、何を期待すべきか、分かっていない。

これは一体どういうことか? 

詩、絵画、文学、音楽に関しては水の中の魚のように、自由自在なのに、映画のことになると全くの素人だ。

映画に関する議論も話し合いも全然出来ないー自分はその気になっているのに、ですよ! 

これは非常に奇妙なことだ。

私にはこちらのほうが、誰かにこう言われるよりずっと辛いことです。

「ええ、私にはあなたの映画が分からない。

私の意見ではそれは戯言だ。馬鹿馬鹿しい、もったいぶった戯言だ。

政府の金がこんな映画に費やされるのは理解できない。」


こういう手紙を受け取ったこともありますよ。

『ルブリョフ』で大騒ぎしている頃、KGBに直接手紙を送った奴がいた。

「タタールの国家に反対する映画を作るためにタルコフスキーが政府の金を使えないように、タルコフスキーをまっとうに更正させなきゃいかん」
と書いてよこした。

Q:タタール人?!

信じられますか? 

私はただ-

「戦争中タタール人はロシアの兄弟と一緒に、共通の理想のために血を流したのだ。
それなのにタルコフスキーは反タタール映画を作っている。」


分かりますか? 

「反タタール映画を作る気なら、タルコフスキーには二度と何も撮らせるな。」

それだけじゃない。こういう人たちは実は自分たちの歴史を知らなかった。

このタタールの人たちは、自分が『ルブリョフ』で描かれたタタール=モンゴル人とはまったく別であることを確かに知らなかったのです。

2つのまるっきり違うことなんです。

彼らは自分の歴史すら知らない。

カザンにいたときそこで私は同じ話をしました。

私はその手紙を読んで、言いました。

あなたがたはタタール人としての国家の尊厳を言われるが、そういうあなたがたの誰ひとり、知らないー自分が何者であるのかまるっきり分かっていない。

あなたの父祖が誰なのか、覚えてもいない。

あなた方は他の国家と混じり合っている。

ええ。こんなふうにいろんな手紙をたくさん受け取りましたよ、時には侮辱的なものも。

そういう手紙を受け取っても、何とも感じないものですよ。

なぜなら一般にどうしようもない無知な手紙ばかりですからね。

しかし突然誰かに出くわしたら、例えば誰か以前なら文化的な動向に立派な意見を持っていたとしましょう。

その彼が突然、あなたがやったことについてナンセンスなことを話し始めたらー
彼がまったく無理解であることを暴露するならーこれはさらにつらいものですよ。

賛成されるかどうか分かりませんが、例えば1冊の本を読むなら、例えば、何か文学作品を読むなら、読んでいる人と同じ数だけ本もあるんです。

読者のひとりひとりが自分で創造したイメージを見ています。
自分の体験に基づいて作りあげたイメージです。

文学は描写が中心で、映画は例証が中心だから、余計そうです。

でも、映画も個人のヴィジョンを受け容れます。

このことを私はとびきり貴いものだと考えています。

もしそれが文学で可能なら、なぜ映画ではそれと戦わなければいけないのですか?
 
その逆のー一般に当てはまることだけを考慮する、すべての特徴にあてはまるだけを考える、普遍的に受容されことだけ考える?
 
私にはこういうことはまったく理解できない。

これは差別だと思います。

芸術作品は観客、聴衆、読者によって創られると私は信じます。

個人の知覚の可能性を許さないなら、芸術は芸術ではないでしょう。

もちろん、或る程度準備をしておかなければならない。

しかし、一番大切なのは、準備、教育ではなく、むしろ精神的なレベルです。

これが受容なのです。理解というよりむしろ受容です。

もしあなたが受け容れる、受けとめるなら、あなたには理解できるでしょう。

あなたが理解できる日が来るでしょう。

だから、文学作品がその性質固有のやり方で状況を示し、解釈できるなら、なぜ、他のジャンルが、例えば映画作品が、自分のやり方でそれを出来てはいけないのでしょうか? 

そうでしょう? そうであるべきだと私は思いますよ。
ttp://homepage.mac.com/satokk/selfcriticism/illg.html


タルコフスキー『惑星ソラリス』


 映画の中の恋愛というのは、往々にして世界との関係の隠喩でもある。

多くの映画の主人公は、ラストで抱えていた問題が一掃されると同時に、パートナーを手に入れる。

まあこれだけだと、単なるそこらの色と出世のサクセスストーリーだが、もうちょっと気取った映画となると、何らかの理由で世界から孤立して暮らしている人物がいて、その人の前にふとした偶然で相手があらわれる。

それが、世界の差し出してくれた関係修復のための蜘蛛の糸になる――そんな映画はたくさん思いつく。

たとえば『ブレードランナー』なんかを考えてもらえばいい。

もちろんこれも一歩間違えると、自分では何もしない怠惰なおたくのところに、労せずして美少女が勝手に宅配されてなついてくれるという、ただの卑しい願望充足話になってしまうので、それを避ける工夫は必要なのだけれど。

 その一つのやり方は、そこで登場する蜘蛛の糸たる相手を、何か受け入れがたい変なものに仕立てることだ。

『ブレードランナー』はそれを、自分の倒すべきネクサス6型アンドロイドにしたことで実現した。
あの映画の長期的な価値は、その仕掛けがきわめて上手に構築されたことからもきている。


 そしてタルコフスキー監督の『惑星ソラリス』では、その相手はかつて自殺した妻の複製品だ。

 知性を持つらしき惑星ソラリスの海は、近くにやってきた人間が内心に抱いている世界との断絶の根本にあるものを探り出しては再現するという性質を持っている。


主人公の場合、それは自殺した妻だった。


 そうやって世界が、考えもしなかったような形で差し出してきた存在に対して、主人公はどう振る舞っていいかわからない。

いまでも奥さんのことは忘れられないけれど、でも一方で彼女の自殺の原因は自分にあるので、彼女の姿は傷口に塩をすりこまれるような苦痛だ。

耐えきれずに一度はそれを殺してみるし、またどうも自分が変な存在でうとましがられているのに気がついた当の複製奥さんも、自殺を試みるけれど、生き返ってしまう。


 『惑星ソラリス』は、そんな変な生き物とゆっくりと折り合いをつける過程の話となっている。

そこにある逡巡やとまどい、葛藤――それはまさに恋愛で、『惑星ソラリス』はそこにあまりロマンチックな要素を持ち込まないことで、逆に精神的な深みを出し仰せていた。


 いたんだが……『惑星ソラリス』はその最後の最後のところで、あさっての方向を向いてしまう。

主人公の脳内情報を投射されたソラリスの海は、奥さんもどきをあっさり消してくれて、かわりに昔の家とお父さんを復活させ、再会ごっこまで演じさせてくれる。

この時点ですでにソラリスの海は、おたくのビデオデッキまがいの都合のいい妄想再生実現マシーンになってしまっている。

その奥さんもどきをどうするか? 

そこにこそ、その恋愛――そしてそれまで映画が積み重ねてきた問いかけ――の意味があったはずだったのに。


 それはまた、タルコフスキーが常にやってきたごまかしでもある。


NHKがタルコフスキーについてのドキュメンタリーを放送したことがあって、そこにかれの妹が登場した。

そして、お兄さんの映画についてどう思うかと尋ねられたとき、彼女は吐き捨てるようにこんなことを述べたのだ。


 「大嫌いです。 冷たくて人工的で。

だいたい兄は映画で、家族への思慕を繰り返し描きますが、

実際には実家にも全然帰らず、まったく家族に会おうとすらしなかったんです。

あんなの全部、口先だけのインチキです」

 ぼくはこれを聞いて、タルコフスキー映画を見る目が一気に変わってしまった。

かれの描いていた家族への郷愁がまがいものなら、かれが晩年になってますますしつこく押しつけがましく描くようになってきた神だの世界の救済だのといったものも、やっぱりまがいものでしかないんじゃないか。

それはかれが現実の家族をまったく顧みずに脳内家族に萌えていたのと同様、本当の神様でも本当の世界でもない、脳内の物欲しげな妄想でしかないんじゃないか。


 そしてそれはかれの恋愛の描き方にも出ている。

『ノスタルジア』でもそうだ。

主人公は世界のさしのべてくれた実物の愛を無視して、世界を救うとかいう妄想への耽溺を選ぶ。

それはたぶん、世界の頭でっかちたちの間でのタルコフスキーの評価を高めた選択でもあるんだろう。


でもそれは、結局かれが各種の愛や、世界との和解を手に入れられなかった原因でもあるんじゃないか。

だがそもそも、かれは現実にそれを求めていたんだろうか。
ttp://cruel.org/other/esquiresolaris.html

Marina Tarkovskaïa raconte Andreï Tarkovski
ttp://www.youtube.com/watch?v=Y4VZ-keEdfY&feature=related


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タルコフスキーの評価は厳しかったが、それでも映画の場合は、実に数多くの作品を彼は見たのだった。

彼がもっともよく話題にした創造的な精神は、ブレッソン、アントニオーニ、フェリーニ、黒澤、ワイダ、ザヌーシ、ベルイマンだった。

これと関連して、私は1985年11月の出来事を思い出す。

アンドレイと私はストックホルムの映画博物館で映画ポスター展を見ていた。

私はベルイマンの姿を見つけた。

ベルイマンとタルコフスキーはお互い会いたがっていたが、一度も会ったことがなかったのだ。

ベルイマンは博物館の中の劇場のひとつから出てきたところだった。

このチャンスに、出会いは実に自然で、ほとんど避けがたいと思われた。

2人はおよそ15メートルの距離でお互いを認めることが出来た。

次の瞬間、私は仰天した。

2人ともくるっと踵を返した。

まるで厳しい軍事演習に加わっているかのように。

そして別々の方向に歩いていった。

2人は二度と会わなかった。

こうしてこの世界の2人の偉人は触れあうことなくすれ違ったのである。
ttp://homepage.mac.com/satokk/mihal/mihal.html


「惑星ソラリス」 原作はスタニスラフ・レム。


その「惑星ソラリス」というと最近リメイクされたようですね。
リメイク版の監督さんは、確か賞味期限切れとして名高い?ソダーバーグさん。

ソダーバーグのデビュー作「セックスと嘘とヴィデオテープ」は確かに見事な作品でした。

現代における宗教的なマターを、あるいは、芸術家としてのあり方を、現代的に扱って「大したモンだ!スゴイ!!」と思ったものです。

今でも様々な俳優や映画スタッフは「セックスと嘘とヴィデオテープ」について、「ソダーバーグ監督はデビュー作であの力量なんて・・・スゴイ!!」と言っているようです。

まあ、逆に言うと、その賛辞こそがソダーバーグの現状を語っていると言えるわけですね?

デビュー作の「セックスと嘘とヴィデオテープ」以降の作品は「語られない」わけ。

本来なら、俳優とか同じ映画業界の人間なら、最新作について語るものでしょ?
いつまで経っても、「デビュー作はスゴかった!!」ではねぇ・・・

このように賛辞を語ることによって、否定的な見解を表明する。

意図的にやっているかはわかりませんが、よくある話です。ホメ殺しみたいなものでしょうか?


さて、さて今回の本題であるタルコフスキーによる本家の「惑星ソラリス」。

私はソダーバーグのリメイク版は見ていませんが、リメイクを作りたくなる、プロデューサーの、心境は理解できなくもありません。

タルコフスキー監督の「惑星ソラリス」は、

1.セリフがロシア語である。
・・・・この点は、当然のこととして、アメリカの観客には不利ですよね?


2 通常のSF映画の「売り」であるはずの未来風景がショボイ。
・・・最新技術を使えばもっとハデな未来風景が作れるはずです。

ということで、リメイク版を作ろうと思ったのでしょう。
しかし、どのみちねぇ・・・

確かにアメリカ人は字幕がキライでしょう。
しかし、スタニスラフ・レム原作の「惑星ソラリス」を見るような観客は、いくらアメリカ人だってそれなりの水準の人でしょうから、本来は字幕には抵抗がないはずです。

「字幕は絶対にイヤ!!」という観客は、そもそも「惑星ソラリス」なんて理解不能でしょ?

あと、「未来風景がショボイ」・・・これだってねぇ・・・

「惑星ソラリス」は未来世界がテーマである作品ではないのだから、未来風景なんてどうでもいいことですからね?

ハデハデな未来風景を楽しみにするような人には、どのみち「惑星ソラリス」なんて無関係の作品ですよ。

というわけで、「惑星ソラリス」のリメイク版を製作することは理解できなくもないけど
・・・無意味なことは確実ですよ。


大体、リメイクって・・・

タルコフスキー監督の作品を手直しする・・・という発想自体ぶっ飛んでいますよ。

まあ、ソダーバーグもよく引き受けたものだと感心いたします。


さて、この「惑星ソラリス」ではバッハのコラール・プレリュードが使われています。

というか一般的な呼び名では「オルガン小曲集」の中のBWV639「われ汝に呼びかけん、主イエス・キリストよ」です。

まあ、そのコラールのタイトルは映画そのものには、登場しません。

この「惑星ソラリス」はソ連映画なので、SFであれば共産党政府も問題にはしなかったでしょうが、「キリスト」を連想させるような宗教的なものは「慎重」に扱う必要があったはずです。

当時のソ連では、あまりおおっぴらにキリストなんて扱えませんよ。

ちなみに、バッハのオルガン小曲集ですが、これらのオルガン曲は、コラール(プロテスタントにおける会衆歌)の伴奏として使われた曲なんだと思いますが・・・

ということで、タイトルだけでなく歌詞もあるわけです。

大体の大意は下記のようなものらしい。


「わたしはあなたに呼びかけます、イエス・キリストよ!

私の嘆きに耳を傾け、この時に恩寵をおあたえください。

どうか私がひるまぬようにしてください。」

バッハの音楽になじんでいる人だったら、ここで言われる「恩寵」が、「死」を意味しているのは簡単に読み取れるでしょう。

「死による救済を憧れる。」

バッハの音楽にはよく出てくる感情です。


有名な82番のカンタータの「我は満ちたれり。」なんて、そのものズバリの曲ですし。

しかし、タルコフスキーでこの曲を使った意図は、死を求めるというよりも、
「自分の嘆きに耳を傾け・・・恩寵を与えて欲しい。」ということなんでしょう。

この「惑星ソラリス」では、映画の中でも「嘆き」や「恩寵を求める渇望」が顕著です。

そもそも、バッハのオルガン音楽だって、この曲以外にも、他にいくらでもあるわけです。

例えばBWV605は「かくも喜びに溢れる日は」とおめでたいタイトルがついています。

BWV645は有名な「目覚めよと呼ぶ声あり」ですよね?

タルコフスキーは多くのバッハの音楽から、「深い嘆き」と「恩寵への渇望」の音楽を「選択」しているわけです。


では、タルコフスキーの抱える「嘆き」とは?

タルコフスキーの渇望する「恩寵」とは?

イタリアの監督パゾリーニは「映画作家はどの作品でも、同じことを言っているだけ。」と言っています。

作品によって、多少スタイルが違っていても、「言わんとする」ことはいつも同じというわけ。

映画作家の代表例のタルコフスキーも「いつも同じこと」を言っているわけです。


タルコフスキーはルネッサンスに懐疑のまなざしを向けていたのは確実でしょう。

「ノスタルジア」では反ルネッサンスの修道士サヴォナローラを連想させる人間を登場させているでしょ?

「サクリファイス」だって、昔の世界への憧れがでてきます。
昔に製作された地図などを喜んで見たりして。地図というのは一種の世界観ですからね。

他にも、アンドレイ・ルビリョフのイコンがルネッサンスの人間中心主義から遠いのは自明ですし。

その他の作品だっていわずもがな。


神から人類を解放したはずのルネッサンスが、本当に人類を解放したのか?

神を放逐した後の、人類のみの世界の代表例が、ソビエトの共産社会でしょ?

現実の共産社会が、人類の解放からもっとも遠かったのは言うまでもないことでしょう。


ちなみに、ヨーロッパの美術において、ルネッサンス以前と以降で随分違います。
単に表現技法の問題だけではありません。

ルネッサンス以降、画家は自画像を製作し、絵にサインを入れるようになりました。
絵画における遠近法だって、ある意味において、神の視点から人間の視点への変更です。

つまり芸術は芸術家のものになったわけです。
それ以前は「神」のものだったわけです。

だからこそ、自画像は作らなかったし、サインも入れなかった。
芸術家はただ神の代理にすぎなかったわけです。

ルネッサンス以降、芸術は芸術家の創造物ということになった。

それが本当にいいことなのか?

創造という神の領域に人間が踏み込んでしまって・・・
人間はそれに値する存在なのか?

あるいは人間の創造した芸術など、神の創造したものに比べれば、取るに足らぬものではないのか?

人間タルコフスキー、別の言い方をすると芸術家タルコフスキーが創造した映画は、このような人間の「創造」に対する懐疑の念が付きまとっています。
逆説的な存在なんですね。

神を放逐した後で、創造を行う人類・・・
そして映画を創造しているタルコフスキー本人。

タルコフスキーの映画は「人類の創造への懐疑に満ちた創造物」という逆説的存在と言えるように思います。


だからこそ、タルコフスキーとしては、創造することへの「嘆き」は、まさに「汝に呼びかけん!!」と言いたいところでしょう。

人間の創造のむなしさを知り抜いていながら、自らの創造意欲から創造せざるを得ない。
そしてその嘆きから解放されるには、神の恩寵が必要となる。

・・・だから「イエス・キリストよ!」というわけですね。


別にタルコフスキーがキリスト教的な救済を意図していたわけではなく、もっと普遍的な絶対的な存在としての神を考えているわけです。

人類にとってルネッサンスとは?

それは人類の歴史の上では脇道に過ぎず、単なる放蕩ではなかったのか?


20世紀にもなって、そして、よりにもよって当時のソ連で「主イエス・キリストよ!」と呼びかけることは、ルネッサンスの否定に繋がっていくわけです。


この世界を人類のものから、神のものへ返上すること。

それこそが、「放蕩息子の帰還」のラストシーンに繋がるわけです。


御丁寧に犬までがんばっている。
放蕩息子の帰還のシーンに犬はお約束ですからね。

自らの願いがすべてかなうソラリスという場にあって、人間が望むことは、父なる神への帰郷なんだ。

ルネッサンスという人類の放蕩を反省し、父なる神に帰還する。

最後のシーンやバッハのオルガン曲は、父なる神の世界への帰郷への渇望を意図しているんだろうと思います。

ちなみに、私はこの「惑星ソラリス」のヴィデオを持っています。
このヴィデオでの解説は・・・・なかなか・・・何と言うかぁ・・・

まあ、タルコフスキーの作品を解説するというドン・キホーテ的な行為は賞賛に値するかも・・・その点は、私も人のこと言えませんし・・・そういえば、「惑星ソラリス」では、ドン・キホーテも引用されていたっけ・・

そのヴィデオでの「解説」で、タルコフスキーがバッハの曲を使ったのは、バッハの宗教性がタルコフスキーになじみがあったから・・・と「解説」されております。

まあ・・・ただ・・・タルコフスキーが育った共産主義社会において、宗教がなじみとは言えないことは、多少知識がある人は御存知のはず。

またバッハのコラールというのは基本的にプロテスタントのものですよね。
ロシア正教では使わないんじゃないの?

まあ、昔のソ連の音楽家によるバッハの録音なんて、ヴァイオリンとかの器楽曲ばかりでしたものね。ソ連の音楽家による宗教曲のレコードなんて聴いたことないなぁ・・・

それにバッハの曲といっても、器楽曲から宗教曲まで色々とあるでしょ?

それに宗教性ということを言いたいのなら、別の作曲家でもいいのでは?
ハインリッヒ・シュッツとか、あるいはもっと地味な宗教音楽家の作品の方が、そのシーンの宗教性を表現できますよ。

その「選択」からタルコフスキーの意図も見えてくるわけ。

タルコフスキーが持っていたパレットを想定した上で、その選択の意図も見えてくるわけです。
タルコフスキーはバッハの曲というと、この曲しか知らない・・・というわけではないし、宗教音楽というと、この曲しか知らないというわけでもない。

ロシア人はヨーロッパ人だから、バッハの宗教性となじんでいるはず・・・というのは、日本人の主食がキムチというくらいトンチンカンな話。

多分DVDだと、その解説も直っているとは思うんですが・・・

まあ、ルネッサンス的英知であるDVDという媒体で、「ルネッサンス否定」の作品を見るのもオツなものですね。
ttp://magacine03.hp.infoseek.co.jp/old/03-12/03-12-23.htm

放蕩息子の帰還 ルカ傳福音書 第15章


15:1取税人、罪人ども、みな御言を聽かんとて近寄りたれば、

15:2パリサイ人・學者ら呟きて言ふ、『この人は罪人を迎へて食を共にす』

15:3イエス之に譬を語りて言ひ給ふ、

15:4『なんぢらの中たれか百匹の羊を有たんに、若その一匹を失はば、
九十九匹を野におき、往きて失せたる者を見出すまでは尋ねざらんや。

15:5遂に見出さば、喜びて之を己が肩にかけ、

15:6家に歸りて其の友と隣人とを呼び集めて言はん

「我とともに喜べ、失せたる我が羊を見出せり」


15:7われ汝らに告ぐ、かくのごとく悔改むる一人の罪人のためには、
悔改の必要なき九十九人の正しき者にも勝りて、天に歡喜あるべし。

15:8又いづれの女か銀貨十枚を有たんに、若しその一枚を失はば、燈火をともし、
家を掃きて見出すまでは懇ろに尋ねざらんや。

15:9遂に見出さば、其の友と隣人とを呼び集めて言はん、

「我とともに喜べ、わが失ひたる銀貨を見出せり」


15:10われ汝らに告ぐ、かくのごとく悔改むる一人の罪人のために、神の使たちの前に歡喜あるべし』

15:11また言ひたまふ

『或人に二人の息子あり、

15:12弟、父に言ふ

「父よ、財産のうち我が受くべき分を我にあたへよ」

父その身代を二人に分けあたふ。

15:13幾日も經ぬに、弟おのが物をことごとく集めて、遠國にゆき、
其處にて放蕩にその財産を散せり。

15:14ことごとく費したる後、その國に大なる饑饉おこり、
自ら乏しくなり始めたれば、

15:15往きて其の地の或人に依附りしに、其の人かれを畑に遣して豚を飼はしむ。

15:16かれ豚の食ふ蝗豆にて、己が腹を充さんと思ふ程なれど、
何をも與ふる人なかりき。

15:17此のとき我に反りて言ふ

『わが父の許には食物あまれる雇人いくばくぞや、然るに我は飢ゑて
この處に死なんとす。


15:18起ちて我が父にゆき

「父よ、われは天に對し、また汝の前に罪を犯したり。


15:19今より汝の子と稱へらるるに相應しからず、雇人の一人のごとく爲し給へ』
と言はん」

15:20乃ち起ちて其の父のもとに往く。なほ遠く隔りたるに、父これを見て憫み、
走りゆき、其の頸を抱きて接吻せり。

15:21子、父にいふ

「父よ、我は天に對し又なんぢの前に罪を犯したり。
今より汝の子と稱へらるるに相應しからず」

15:22されど父、僕どもに言ふ

「とくとく最上の衣を持ち來りて之に著せ、その手に指輪をはめ、
其の足に鞋をはかせよ。

15:23また肥えたる犢を牽ききたりて屠れ、我ら食して樂しまん。

15:24この我が子、死にて復生き、失せて復得られたり」かくて彼ら樂しみ始む。

15:25然るに其の兄、畑にありしが、歸りて家に近づきたるとき、
音樂と舞踏との音を聞き、

15:26僕の一人を呼びてその何事なるかを問ふ。

15:27答へて言ふ

「なんぢの兄弟歸りたり、その恙なきを迎へたれば、
汝の父肥えたる犢を屠れるなり」


15:28兄怒りて内に入ることを好まざりしかば、父いでて勸めしに、

15:29答へて父に言ふ

「視よ、我は幾歳もなんぢに仕へて、未だ汝の命令に背きし事なきに、
我には小山羊一匹だに與へて友と樂しましめし事なし。


15:30然るに遊女らと共に、汝の身代を食ひ盡したる此の汝の子歸り來れば、
之がために肥えたる犢を屠れり」


15:31父いふ

「子よ、なんぢは常に我とともに在り、わが物は皆なんぢの物なり。


15:32されど此の汝の兄弟は死にて復生き、失せて復得られたれば、
我らの樂しみ喜ぶは當然なり」』

ttp://bible.salterrae.net/taisho/html/luke.html
メンテ
タルコフスキー 映画『ストーカー 1979年』 ( No.4 )
日時: 2022/05/17 13:33
名前: スメラ尊 ID:Gjda1JhU

タルコフスキー 映画『ストーカー 1979年』 

動画
https://www.nicovideo.jp/search/%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%81%AE%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%BC?ref=watch_html5


『ストーカー』でゾーンが出来た説明の1つとして、4号炉の崩壊が挙げられていた。
6年後にチェルノブイリ原子力発電所の4号炉とその建屋が爆発しようとは…
この映画、タルコフスキーが祖国で撮った最後の映画は、予言と予兆に満ちあふれている。

ちょうど20年前に『ストーカー』はスクリーンに映し出された。

…ストルガツキー兄弟もタルコフスキーも名を挙げていない地域に突然ゾーンが出現した…

謎が出現し、それと軌を一にしてそこを調査したいと願う人々が現れた。

ストーカーもまた出現した。

ストルガツキー兄弟によると、ストーカーはうろついている観光客にゾーンの謎を売る略奪者だ。

タルコフスキーによると、ストーカーは、失われた魂をゾーンに導く運命にあり、彼の目標はそうした魂の救済である。

…『ストーカー』が封切りとなり、ゾーンに注がれる観客の関心がいっこうに冷めることもなく、20年が経過した。

何たることか! 映画に大きな貢献をした人たちはほとんど誰もこの世にいない。

偉大なロシアの芸術家アンドレイ・タルコフスキーは 墓地で眠っている。

ラリッサ夫人もまたこの世を去った、『ストーカー』の助監督だった。

編集のリュドミラ・フェイギノーワは悲劇的な焼死をした。

才能豊かなカメラももういない。ゲオルギ・レールベルクが最初のカメラだった。

撮り直しをしたアレクサンダー・クニャジンスキーもいない。

主役の俳優たちも死んだ。

傑出した俳優たち、アレクサンダー・カイダノフスキー、アナトーリ・ソロニーツィン、ニコライ・グリンコ…『ストーカー』に関わった数少ない生き残り、音響デザインを手がけたウラジミール・イヴァノヴィッチ・シャルンは、『ストーカー』の長期に及んだ過酷な撮影スケジュールこそ、キャストとクルーの状況に影響を及ぼして、それが彼らの若死にを招いたのだと、考えたくなるという…


耐えられないタルコフスキー


ヴラジミール・シャルンはこう回想する。

偶然タルコフスキーと仕事をする者はいなかった。

この人物がまさしく手強い人物であると誰もが知っていた。

一方で誰もが彼の厳しい要求を恐れていた。

もう一方でタルコフスキーの映画はひどい時間超過になることも知られていた。

ソ連時代にクルーは残業しても金にならなかった。

そしてタルコフスキーの「欠点」のなかで最も重要なものは、この偉大な芸術家が何でもかんでも自分でやろうとすることだった。

結局彼は『ストーカー』のセットデザイナーも務めることになった。

撮影の全ショットで草の葉先の一本いっぽんまで彼自身の手で位置を決められたものである。

私が『ストーカー』の仕事の契約に署名したとき、同僚はこう警告した。

「ダビングが始まって、プリントの準備をしようとすると、ますます困ることになるぞ。

最後の最後の瞬間に何か新しいアイデアが浮かんで、あんたは独りですべてをやり直すような羽目になるぞ。」


作曲家エドゥアルド・アルテミエフはこう想い出す:

「私がタルコフスキーに初めて会ったのはー『ソラリス』の時だったがー私は困り果ててしまった。

自分に必要なのは、音楽ではなく、音楽的にアレンジされた一連のノイズだと言明したのである。

おまけに、『アンドレイ・ルブリョフ』と『僕の村は戦場だった』のスコアを書いたヴャチェスラフ・オフチンニコフ以上の作曲家は想像できないと宣言した。

タルコフスキーと仕事をしている間ずっと、信頼されてないのではないのかという思いが私を去らなかった。

一作ごとに試験を受けて、自分のベストを絞り出そうとしている感じでした…」


タルコフスキーとUFO


「タルコフスキーは奇蹟があると信じていた、それは間違いない。」とシャルンは続ける。

「彼は空飛ぶ円盤の実在を堅く信じていたし、リャザン郡のミアスノエにある自宅の近くで見たと主張すらした。

彼の確信を覆すことは誰にも出来なかった。

地球外生命の存在にタルコフスキーは何ら疑念を差し挟もうとしなかった。

ちなみに、こういうことが神への信仰と見事に合わさっていました。

聖マタイと聖ルカ福音書を文字どおり暗唱していて、全文を空で言うことが出来ました。

「尋常でないものならタルコフスキーは情熱を傾けたので、エドゥアルド・ナウモフという男がいつの間にか私たちの仲間に入ってきました。

彼は超常現象に関して人気のある映画を何本か作っていて、超常現象に関する講座をやっていました。確か、彼はこういう自分の大規模な集会のチケットを不法に販売したために実際に臭い飯を食ったことがあります。

タルコフスキーのサークルは彼を可能な限り援助していました。

一度ナウモフは彼の映画の1本を見せてくれました。

当時有名なサイキックであったニネル・セルゲイエヴナ・クラギナを扱ったものでした。

戦時中彼女は戦闘機の射手ー航空士でしたが、ドイツ人にパイロットもろとも撃墜されました。

そのパイロットとそれから結婚して、3人の子どもをつくりました。

3人目の子どもが出来た後、テレキネシスの能力があることに彼女は気づきました
ー視線で物体を動かせたのです。

スクリーンに映ったクラギナは、科学者のような人々に囲まれて、透明のテーブルの向こうで腰掛けていました

ーいかさまと言われるのを避けるためにです。

テーブルの上にはライター、スプーン、その他のものが載っていました。
クラギナの顔が緊張で暗くなりました。

瞬き1つしない視線をライターに向けると、ライターは彼女の視線のままに動いたのです。

タルコフスキーは興味深げにナウモフのフィルムを見て、上映が終わるや否や叫びました。

「やあ、どうだい、これは『ストーカー』のエンディングだぞ!」

「あいにくセットにサイキックはいなかった。

ストーカーの娘の半ば呆けた視線を受けて動くことになっているカップは、見えない糸1本で結ばれていて、テーブルの向こうから私たちがそれを引っぱりました。

私はこの引っぱる仕事をしっかりやろうとしたのですが、タルコフスキーは私を蹴飛ばしてー犬の鳴き声の録音に行かせた。

それでカップは自分で引っぱったのでした。」

『ストーカー』の数々の拷問


「『ストーカー』にはいくつか問題があった。

映画の運命は不思議なものだった。

西ベルリンにガンバロフというプロデューサーがいた。

彼はタルコフスキーのいくつかの映画の世界配給権を持っていて、タルコフスキーに、当時まず手に入らないコダックのストックを供給した。

『ストーカー』のために、出たばかりの新しいコダックフィルムを送ってきた。

ゲオルギー・レルベルクがその頃『ストーカー』のカメラマンだった。

彼はタルコフスキーの『鏡』の撮影を務めたカメラマンだ。

しかしそこで災いが襲ってきた。

モスフィルムの掘り抜き井戸が壊れて、フィルムを加工するのに必要な水がなかった。
連中は私たちに何も言わずに、フィルム素材は現像されないまま17日間ほったらかされた。

感光されたまま現像されないフィルムは質が落ちる。感度が落ちて劣化する。

簡潔に言うと、第1部の素材の全部がスクラップの山になった。

おまけにーこれはアンドレイ本人が私に言ったことを繰り返しているのですータルコフスキーはフィルムをぱくられたと信じていました。

『ストーカー』のために特別にガンバロフが送ってきたこの新しいコダックは盗まれて、どうわけなのか、タルコフスキーの敵である、さる著名なソ連映画監督の手に入った。

そして、連中はアンドレイに普通のコダックを与えたが、誰もそれは知らなかった。
それで彼らはいつもと違う現像をやった。

タルコフスキーは敵の計略の結果だと思っていた。
しかし私は、日常的なロシアの怠惰さの結果にすぎないと思います。」

「おシャカになったフィルムの試写はスキャンダルになった。

タルコフスキー、レールベルク、ストルガツキー兄弟、ラリッサ夫人が映写室に集まっていた。

突然ストルガツキー兄弟のひとりがレールベルクのほうを向いて、ナイーブに訊いた。

「ゴーシャ、なぜここで何も見えないのかな?」

レルベルクは、自分のやることには一点の非もないといつも自負しているので、こう言った。


「うるさいぞ、黙っていろ、お前だってドストエフスキーじゃないだろ!」


タルコフスキーは怒りで我を忘れた。

しかしレールベルクの気持ちも分かりますね。

カメラマンにとって素材のすべてがおシャカになっているのを見るのがどういう意味か、想像してみてください! 

レールベルクはドアを乱暴に開け閉めして、車に乗ってどこかへ行ってしまった。
二度とセットに現れなかった。

それでカメラマンのレオニード・カラシニコフが登場した、間違いなく名人だ。
2週間一緒にいて、最後に、タルコフスキーが自分に何を望んでいるのか、分からないと正直に認めた。カラシニコフは自分から現場を離れたが、タルコフスキーはそういう誠実で勇気ある行動のために、彼に感謝していた。

それから、アレクサンドル・クニャジンスキーが加わった。」

ゴスキノUSSRの前代表議長ボリス・パヴリオノクの回想録から:


「タルコフスキーが映画を再撮影するチャンスを与えられないなら、映画が出来上がらないのは明らかだった。

政府は決定を下した:映画を再撮影せよ、必要な資金を供出せよ(40万ルーブルほど)…」

予想外の撮影日

タリンでの撮影が新たに始まったが、クルーはあまりうまくやっていなかった。

6月のある日に雪が降った。

木の葉が一枚残らず散ってしまったので、撮影機会もまた散ってしまった。

またぞろ製作中止の問題が持ち上がった。

クルーは2週間何もすることがなかったので、退屈をまぎらすために多くの者が酒瓶を愛するようになった」とウラジミール・シャルンは回想する。

「タルコフスキーはこの状況がどれほど危険であるか、承知していたので、行動する決意を固めた。

私たちはタリン郊外のひどいホテルに泊まっていた。

部屋に電話があるのは私だけだった。

ある夜タルコフスキーは私を呼んで、明日の7時から撮影を開始するとみんなに言ってくれといった。

しかし言うのは簡単ですよ! 

この間私の助手は退屈を紛らすために「トロイナヤ」というオーデコロンに砂糖で味付けをして飲んだくれていたんだ!
 
ソロニーツィンの部屋にはいると、トーリャと彼のメーキャップもすっかりへべれけだった。

明朝の撮影の話をすると、彼はパニックになった!
 
彼はアンドレイ・アルセェーニヴィッチを神のように崇拝していたからね。

彼のメーキャップは優れた技術をもっていたので、ジャガイモを3キロすぐ持ってくるように求めた。

下ろし金でおろして、2週間も飲んだくれてむくれてしまった顔につけるためだった。

しかし早朝3時のホテルのどこでジャガイモが手にはいるだろうか? 

外の店まで走っていったら、その女性警備員は警備を私に任せて、ジャガイモを取りに自宅に行ってくれた。

私は一生懸命ソロニーツィンのためにボウルいっぱいのジャガイモを下ろし金でおろした。

おかげで私の両手は切り傷だらけで血まみれですよ。

よくやったという思いで私の助手に、おろしたジャガイモを渡した。

で、戻ってみると何を見たと思いますか。

メーキャップの奴は酔いつぶれて床にころがり、ソロニーツィンがジャガイモのローションを自分で顔につけていたのです!」

骸骨の話


ヴィチアという名前の監督官が私たちのグループにいた。

悪い奴じゃなかったが、行動が読めない。

ある日タルコフスキーは時間をかけて、[映画の]登場人物達が藪の中に、まるで愛し合う瞬間にあるかのように絡み合っている ひと組の骸骨を発見する場面を準備していた。


むきだしの頭蓋骨に白髪が生えたー奇妙な女性の骸骨があって、その上に男性の骸骨が乗っている。

爆発なのか何なのか、ゾーンを創造したものの後に残ったのがそれだけだった、というわけだ。


タルコフスキーはずいぶん前からそのシーンの準備をしていた。

カツラも自分で見つけてきた。

2体の骸骨はなかなか見つからないし、おまけに値が張った。

とうとう撮影の用意がととのった。

白いシーツを広げて、その上に2体の骸骨を寝かせて、撮影の準備をした。

ところがここで監督官ヴィチアがセットに姿を現し、シーツを見るや、横になってすぐに眠ってしまった。彼は骸骨に気づかずに、2体とも壊してしまった。

タルコフスキーの4日がかりの仕事がおじゃんになった。

鼻息の荒い監督官のいろいろな難癖にずっと苦しめられていたから、タルコフスキーはもう我慢できなくなり、ヴィチアを荷造りしてモスフィルムに即刻送り返した。

奴は空港に車で送られたが、タルコフスキーは私の所にやって来て、言った。

「いいかい、あの馬鹿たれを連れ戻してこい、そうしないとまた厄介なことになる。」

それで私がヴィチアを連れて帰ってきた。

クルーの全員はタルコフスキーの善意の発露を喜んだ。

しかし骸骨の場面はタルコフスキーが本来望んだ形にはならなかったのである。

4号炉の崩壊

『ストーカー』では、ゾーンが実は何なのか、何がゾーンをつくり出したのか、はっきりとは説明されていない。

フィルムではゾーンの出現理由がいくつか挙げられている。

地球外生命が残した物である。落下した隕石が創造した。

作家(ソローニツィン)が主張しているようにー4号炉の崩壊で出来た。

インタビューでタルコフスキーは、プロットには全然興味がない、厳密に言って映画の出発点が唯一ファンタジーと関わる要素なのだと述べている。

映画が完成した6年後にチェルノブイリの4号炉と建屋が爆発して、30kmのゾーンが実在となった。

フィルムの美術監督としてタルコフスキー自身がゾーンの荒れ地の風景の複雑なパノラマをデザインした。

そうしたショットのひとつには、カレンダーからちぎれた12月28日という日付の紙が水に沈んでいるのが見える。

この日はタルコフスキーの人生最期の日だった。
彼は1986年12月29日に死んだ。


「私たちはタリンの近くで、半分稼働している水力発電所があるピリテ河という、そう大きくない河の周辺で撮影していました。」

とウラジミール・シャルンは言う。

「上流に化学工場があって、有害な液体物質を垂れ流していました。

『ストーカー』にこんなショットがありましたね:夏に雪がちらついて、白い泡が川面に浮かんでいる。

実際にあれは恐ろしい毒だったのです。

多くの女性クルーの顔面にアレルギー反応が出ました。

タルコフスキーは右の気管支のガンで死にました。

トーリャ・ソロニーツィンも同じです。

『ストーカー』のロケ現場とすべてがつながっていることが私にはっきりしたのは、ラリッサ・タルコフスカヤがパリで同じ病気で亡くなったときでした…」

「死んだら途端にタルコフスキーには友人が増えました。

私は自分がそういう一人だとは思わなかった。

私たちは『ストーカー』で一緒に仕事をしただけです。

アンドレイが祖国で撮った最後の作品です。

彼は私とアルテミエフを『ノスタルギア』の仕事に招きましたが、残念ながら、彼はイタリア人のクルーと仕事をせざるをえなかった。

写真は、ゾーンを出来るだけリアルに見せるために指導するタルコフスキーの姿。
ttp://homepage.mac.com/satokk/chernobyl.html


●ゾーンの謎

映画「ストーカー」で大きな謎はゾーンです。ゾーンとは何でしょうか?

81年日本公開時の映画パンフレットのあらすじから言葉を三つ拾い上げます。
その言葉からゾーンの正体を連想してみることにします。

                鉄条網が張られ
                発電所の跡
                足の動けない娘


この映画の完成は1979年。この時点でゾーンの正体を連想することは困難です。
事故は1986年に起こりました。タルコフスキーが予言者にも思えてきます。
ゾーンはチェルノブイリ原発事故跡地です。


  ●ストルガツキ―兄弟

原作と脚本は旧ソ連のSF作家、ストルガツキー兄弟。

映画「ストーカー」の脚本をめぐってのアルカジー・ストルガツキーの証言。


サイトより引用
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「アルカジー、『路傍のピクニック』を10度も書き直すのはうんざりするだろ
うね。」

「うん」私は慎重に、そして、全く誠実に答えた。
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脚本はうんざりするほどの書きかえが行われたようです。原作のオリジナルタイトルは「路傍のピクニック」。原作と映画はまったく違う話になっていて、共通点はゾーンという設定だけのようです。


サイトより引用
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彼は、時間をかけて読んでは読み返す。彼の口ひげがぴんとなっている。
そして、ためらいがちに言う。

「まあ、今のところはこれで間に合う。少なくとも、とっかかりができた・・・・
この対話は書き直すことができるし。」

何だか私がしづらい言い訳をやっているかのようだ。
それを、その前後のエピソードに合うようにしなければ。

「合ってないよね?」「うん、合ってない」
「会話の何が気に入らないのですか?」
「分からない、とにかく直してよ。明日の夜までに仕上げて」

とうの昔に公式の許可と承諾を得ていたこの脚本をめぐる私たちの共同作業はこんな具合だった。
-------------------------------------------------------------

タルコフスキーに促されながらも、ストルガツキー兄弟は脚本を書きかえていたようです。


サイトより引用
-------------------------------------------------------------
「どうだろう、アンドレイ、この映画にSFがどうして必要なんだ?
SFはやめよう」
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脚本の書きかえで、SFとしての形すらなくなってしまったようですが、映画「ストーカー」はSF大作として知られています。

この映画は「不自然なSFの意匠」をまとっている。ということが言われています。

また、この映画は「原作が意匠」である。と言う人もいます。
さらに、この映画は「脚本すら意匠」である。と言えるかもしれません。

なぜタルコフスキーはこのような意匠を映画「ストーカー」にまとわせる必要があったのでしょうか?


  ●ゾーンの設定

冒頭のタイトル。パンフレットのシナリオより引用
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”隕石が落ちたのか宇宙人が来たのかわからない。
とにかく、ある地域に奇怪な現象が起きた。そこがゾーンだ。

軍隊を派遣したが、かれらは全滅してしまった。
それ以来、ゾーンは立入禁止になっている。
手の打ちようがないんだ・・・・

ノーベル賞受賞物理学者ウォーレス博士がライ記者に語った言葉より”
-------------------------------------------------------------

戦車の残骸シーンが映画には出てきます。
しかし、原発事故が発生したら「軍隊を派遣」しないはずです。
「全滅してしまった」はわかります。放射能で汚染された地域だからです。

なぜ、ここに戦車や軍隊が出てくるのでしょうか?

いろいろと考えてみました。いろいろと考えてみた結果は・・・・、
ゾーンは果たして原発事故跡地なのか?ではなく、ゾーンは果たして原発事故跡地だけなのか?です。

ゾーンにはもう一つの設定があったのです。そのもう一つの設定と原発事故跡地との組み合わせによって、国家批判が発生します。

映画に意匠をまとわせることによって、タルコフスキーはこの国家批判を隠そうとしていたのです。

冒頭のタイトルは、おおまかにゾーンを説明したような文章です。
このゾーンの設定が二つあるために、おかしなことになっているわけです。
二つの設定がぶつかってパラドックス(矛盾)になっています。

「”隕石が落ちたのか宇宙人が来たのかわからない。
とにかく、ある地域に奇怪な現象が起きた。
そこがゾーンだ。」

これは原発事故発生のことです。もう一つの設定では何にあたるのでしょうか?

「軍隊を派遣した」

これはもう一つの設定に関係します。ここから連想できることは?

「それ以来、ゾーンは立入禁止になっている。手の打ちようがないんだ・・・・」

これは、原発事故跡地ともう一つの設定と両方に共通します。


パンフレットのあらすじより引用
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「部屋」を眼前にして、三人とも無事にここにたどりついたことを喜ぶストーカー。

がこの時、教授は、かって友人と共に製造した爆弾をリュックから取り出す・・・・。

かれは、人間が胸に秘めている最も大切な夢をかなえるというゾーン内の「部屋」が、犯罪者に利用され、人類が不幸に襲われるかもしれないという危倶を抱いていたから、「部屋」を爆破することを目的にゾーンに来ていたのだ。
-------------------------------------------------------------

「部屋」は原発事故の中心部、事故をおこした原子炉のあった部屋です。
もう一つの設定でも、「部屋」は中枢部にあたります。

「軍隊を派遣した」から連想するのは軍事体制。
「奇怪な現象が起きた」は、軍事体制の始まり。

タルコフスキーはゾーンを原発事故跡地との組み合わせによって、もう一つの設定を放射能で汚染され、立入禁止になった手の打ちようがない地域に喩えたのです。

そして事故を起こした原子炉のあった「部屋」をもう一つの設定の中枢部として、これを爆破しようとしたわけです。

ゾーンのもう一つの設定は、スターリン体制後のソ連です。


  ●ノスタルジア

チェルノブイリには放射能汚染地域に今でも住み続ける人々がいます。
また、避難先から戻って来た人々もいるそうです。
チェルノブイリはそこに住む人々にとって故郷です。


ゾーンに到着した直後のストーカー。シナリオより引用
-------------------------------------------------------------
「さあ、着きました。この静けさ。ここが一番ですよ。
いま、ご案内します。きれいな所で、人ひとりいません。」
-------------------------------------------------------------

この映画は単なる国家批判ではありません。
タルコフスキーの故郷に対するノスタルジアのようなものが感じられます。


あらすじより引用
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ゾーンには鉄条網が張られ、警戒厳重な警備隊がゾーンを守っていた。
だが、このゾーン内には、人間の一番切実な望みをかなえる「部屋」があるといわれていた。
そこで、禁を犯してゾーンに侵入しようとする者たちが現われる。
彼らを「部屋」まで案内する者はストーカー(密猟者)と呼ばれた。
この日も、ストーカーは妻が引きとめるのを振り切って、ゾーンヘと出発する。
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ストーカーもチェルノブイリに住む人々と同じく、ゾーンへと戻っていくのです。

しかし、タルコフスキーはこの映画の次の映画「ノスタルジア」完成後、亡命を宣言しました。


  ●母なる大地

映画では、教授、作家、ストーカーが「部屋」へと進む道筋を決定するのに、ナットに白くて細長い紐を結んだものを投げ、それが落ちた場所へと一人ずつ進み、3人がその場所に揃ったら、もう一度同じことを繰り返す。これを何度も繰り返して、「部屋」へと進みます。

ナットに白くて細長い紐を結んだものは何を意味するのでしょうか?

ところで、「部屋」に到着して、ゾーンの外へ出る行程のシーンがないことを不自然だと言う人がいました。


シナリオより引用
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3人の男たちは"部屋"の前に、互いに背を向けあったまま坐り、考えこんでいる。
ひとしきり雨が降って、"部屋"の中の水面が波紋で光る。
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ポスターにも使用された印象的なシーンです。
このあと数分のシーンの後、すぐゾーンの外です。
これは何を意味しているのでしょうか?

ある人は眠っているストーカーが胎児のようだ、と言います。

別のある人はゾーンとは子宮ではないか?と言います。

ゾーンにはもう一つの設定があります。

ナットに白くて細長い紐を結んだものは男性の精子。
「部屋」はゾーンの出口、女性の性器です。


あらすじより引用
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かれらは、水が滝の如く流れ落ちる「乾燥室」という皮肉な名を持つトンネルを通り、何人もの生命を奪った「肉挽き機」と呼ばれる非常に危険で恐ろしい管(バイプ)をくぐりぬけ、深い井戸をもつ、波紋が連なる砂丘の部屋を通過し、ついに「部屋」の入口にたどりつく。
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胎児のシーンは「乾燥室」と「肉挽き機」の間に入るシーンです。
「管(パイプ)」とは産道です。

母なる大地という言葉があります。ゾーンの三つめの設定は母体。
彼ら3人は胎内回帰をはたし、そしてもう一度新しく生まれたのです。


  ●ラストシーンの謎

この映画のラストシーンは、ゾーンとともに大きな謎です。

大江健三郎の小説「案内人」で、このラストシーンと関連するシーンを指摘しているようです。

それは冒頭シーンです。

シナリオより引用
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ベットには娘をはさんでストーカーと妻が寝ている。
かすかに汽笛が聞こえくる。

ベットの傍の椅子の上には綿や水を入れたコップが置いてある。
列車の近づく音と振動につれて、コップが静かにずり動く。
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ラストシーンは超能力でコップが動きますが、冒頭シーンは列車の振動でコップがずり動きます。


  ●20世紀の精神

想像力―ベケット『ゴドーを待ちながら』 より引用
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このヴラジーミルの言葉は、夢のなかで働くわずかの昼の意識のように聞こえる。
決して分からないゴドーを、まるで会う約束をしていて、彼に会うと救われるような相手として人格化しているのも夢と似た置換ではないか?

このとき夢という言葉は、当人にも分からない願望から、ある種のメカニズムを経て形成されるものをさしている。
ベケット劇に固有な性格は、不在の中心(ゴドー)があり、すべての行為、すべての科白は、この不在の中心との関係であるが、決して当人たちに異様と思われていないのは、夢同様である。
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「決して当人たちに異様と思われていないのは、夢同様である。」

これは映画「ストーカー」にもあてはまります。
映画の登場人物の科白も「夢のなかで働くわずかの昼の意識のように聞こえる」ようです。

 
無意識−フロイト『精神分析入門』 より引用
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無意識はすべての意識的に生きている人びとが、それぞれの精神世界を生きているときに気づかずにもっている願望が宿る心的な領域である。

無意識に関係する重要な研究のひとつは夢の形成に関するものである。

いうまでもなく夢には奇妙なところがある。
たとえば何人かの人が一人の人物に合成されていたり、出来事が不明瞭で非合理的なのに、夢のなか
ではそれなりに物語になり、一向に不思議に思わないのである。

夢思考が夢内容に変換する際に、夢内容にこうした歪曲を生み出す過程を「検閲」と名づけた。
「検閲」という言い方が出てきたのは、彼の時代ではまだ政府による検閲が新聞にたいして行われていたからである。

フロイトは『夢判断』の終わりで次のように述べている。

「夢形成に際しての心的作業は二つの仕事に分かれる。

夢思考〔潜在思考〕の生産とそれの夢内容〔顕在内容〕への変容である」とし、

後者、すなわち潜在夢を顕在夢に置き換える作業、つまり材料の省略、模様変え、編成変えが「夢の作業」と呼ぶに相応しい、と。

それと反対の方向、つまり顕現夢から潜在夢に到達しようとする作業が「解釈作業」である。


フロイトによれば「夢の作業」には四つの機制が働いている。

まず「圧縮」である。顕現する夢は「潜在する夢の、一種の短縮された翻訳である」。

第二に「置換」がある。

夢の作業はフロイトを超えて、言語化の方向に発展させられている。
ラカンはさらに発展させ、置換を換喩、圧縮を隠喩と見なすようになる。


第三に思考の「形象性への配慮」がある。
つまりすべてが視覚化されるとは言えないにしても、多くの場合、思考は視覚像に置き換えられる。
われわれの通常の思考の前段階は感覚的印象の記憶像であるとするなら、夢の作業とは、思考になんらかの退行的な処理を行って記憶像にまで戻ることを意味する。

言語によって論じられることと、視覚的イメージは食い違う。
したがって視覚化は、思考を変容させる。
しかし夢内容は、なんらかの方法によって因果関係を仄めかす方法をとっている。

第四に「二次的加工」と呼ばれる夢の作業がある。
これはむしろ顕現夢に関するものだと言えよう。
つまりこれまで述べてきたような夢の作業の直接の結果は知的に理解することが困難な結果をもたらすが、右の三つの夢の作業の結果にたいして働きかけ、それを一種の物語に整えていくもうひとつの作業がある。

三つの作業の結果を組み立て直し、「ある全体的なものとし、ほぼ調和したものとする」ことである。

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ゾーンには、さらにもう一つの設定があります。

四つめの設定、それは夢の中です。

  ●夢

感覚的に上の引用文と映画「ストーカー」を結びつけてみました。

無意識は「部屋」。3人は無意識へと向かっていたのです。

検閲は文字通りソ連当局の検閲。

換喩と隠喩はゾーンの設定。
タルコフスキーの父親は詩人です。
タルコフスキーも映像において換喩と隠喩を用いる、いわば映像詩人です。

そして、潜在夢は冒頭シーン、顕在夢はラストシーンとすると、3人は「夢の作業」をしていたことになり、顕現夢を冒頭シーン、潜在夢をラストシーンとすると、3人は「解釈作業」をしていたことになります。

3人はゾーン内で冒頭の列車の振動でコップがずり動くシーンを、ラストの超能力でコップが動くシーンへと、置き換える作業をしていたわけです。


  ●眠り

この映画には多くの眠りのシーンが出てきます。冒頭シーンも眠りです。

作家と教授、そして、胎児も眠っています。

シナリオより引用
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妻の声「"私が見ていると大地震が起こって、太陽は毛織の荒布のようになり、月は血のようになり・・・・」

ストーカーうつ伏せになって眠っている。
(画面は変わってモノクロとなる)
ストーカーのあお向けの寝顔のクローズ・アップ。
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画面がモノクロとなり、ゾーンの外でストーカーは夢を見ています。

そして、画面はカラーとなり、ゾーンの中。


シナリオより引用
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(画面は再びカラーとなる)
コンクリートの広場に坐っていた黒い犬、突然、立ちあがる。
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黒い犬も謎です。

シナリオより引用
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眠っているストーカー、夢うつつでため息をつきながら、目を覚まし、上目づかいにちょっと見て、起きあがる。

ストーカー(つぶやく)

「この日、ふたりの弟子が・・・・」

眠っている教授に重なるようにして横になっている作家。

ストーカーの声(つぶやくように)

「エルサレムから7マイルばかり離れたエマオという村へ行きながら、語りあい、論じあっていると、イエス自身が近づいて来られた。

しかし、彼らの目がさえぎられて、イエスを認めることができなかった。」

折り重なるように横たわっていた作家と教授、すっかり目を覚まし、ストーカーに注視している。

ストーカーの声

「イエスは彼らに言われた。
互いに語りあっているその話は、何のことか?」
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胎児が目を覚し、ストーカーが生まれかわる。


  ●再びストルガツキ―兄弟

ゾーンに到着した直後のストーカー。シナリオより引用
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ストーカー、草叢にひざまずいて、溜息をもらす。
やがて草叢に顔をうずめ、大地にうつ伏せになる。
そして静かにあおむけになり、額に手を当てて何か瞑想している。
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「瞑想」という言葉は、ストルガツキー兄弟がタルコフスキーの意図を理解せず、ストーカーを観念論者として脚本を書いている為です。

アルカジー・ストルガツキーの証言。サイトより引用
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私たちは、SFのシナリオではなく、寓話を書いた。
(寓話では、登場人物が時代の典型であり、典型的な理念と行動を担う者として登場するお話であると理解するならば、の話である。)

流行作家、及び、傑出した科学者が、自分の最も大事にしている夢を実現してくれるであろうゾーンに入る。2人を導くのは、新しい信仰の使徒、一種の観念論者である。
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あらすじより引用
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わが家に帰って、ストーカーは

「あんな作家や学者ども、何がインテリだ!・・・・骨折り損だった」

と絶望的に叫ぶ。
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  ●ラストシーンと黒い犬の正体

映画「ストーカー」はタルコフスキーの一種の「芸術論」に近いものとして観ることもできます。


3人がゾーンの外へ出て、画面はモノクロとなり、そして、しばらくして画面は再びカラー。

黒い犬が夢の中からゾーンの外までついて来る。ストーカーは眠る。

カラーは夢の続き。

そしてラストシーン。


シナリオより引用
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机の脇に少女が本を読みながら腰かけている。
やがて少女はふと眼をあげ本を膝に置いて、じっと窓の方を見据える。

少女のモノローグ

「ふと、まなざしを上げ、まわりを閃光のごとく、君が眺めやる時その燃える魅惑の瞳を、私はいつくしむ
だが一層まさるのは、情熱の口づけに目を伏せそのまつ毛の間から、気むずかしげでほの暗い、欲望の火を見る時・・・・」
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黒い犬は原作からの置き換え。
そして黒い犬は映画「ストーカー」へとさらに置き換わり、映画「ストーカー」そのものが自らのラストシーンへと置き換わる。

シナリオより引用
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犬が鼻を鳴らす声が聞こえる。
少女はいったん、窓の外に眼をやると、その眼差しを机に置かれたコップに注ぐ。

コップはひとりでに静かに机の上を滑りだす。少女は机の上のコップと花びんに次々と視線を向ける。
視線を受けると、コップが静かに動き出し、床に落ちる。
少女は机の上に頬を載せて、眼を凝らしている。
ベートーヴェンの”歓喜の歌”が響き、やがて消える。
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ttp://www.he.mirai.ne.jp/~ssrc/stalker.htm


タルコフスキーのストックホルム・インタビュー


Q:あなたのフィルムに登場する人物はロマン派のヒーローに似ています。いつも旅の途上にあり、この旅ー巡礼が秘儀参入になる。例えば『ストーカー』は典型的なロマン派の秘儀参入のパターンに沿ってつくられています。

その場合-ドストエフスキーがロマン主義者だとあなたが主張するとは思いませんが。
彼は全然ロマン主義者ではないー彼が生きた時代、彼の人生観が示しているように。
しかし、彼の主人公はいつも旅の途上にありましたね。

Q:むしろ迷路に入ったような。

それはどうでもいいです。
いつも、探求する人間の物語です。

目標に向かって進んでいく人間です、カンテラを下げたディオゲネスのように。

『罪と罰』のラスコーリニコフーこれももちろん同じ事です、いささかの疑いもない。
アリョーシャ・カラマゾフも、そうです、もちろん。

彼もまたいつもどこかを目指しているーしかし彼は全然ロマン主義者ではない。

こういう訳で、「いつも旅の途上にある人間」とあなたが言うとき、それは必ずしもロマン主義の決定する特徴ではないのです、それはロマン主義でもっとも重要なことではありません。

物質の崩壊と精神の創造


Q:あなたの主人公たちについて話しているとき、私たちは彼らを放浪者、巡礼と呼びました。ここで疑問があります:あなたの主人公、放浪者、巡礼者にとって、彼を脅かす混沌とした出来事から抜け出すチャンスはあるのでしょうか? あなたの作品に現れる時間は無慈悲です。すべてを廃墟に変えてしまいます。つまり、時間と出来事が登場人物を害し、無力にしてしまう、すべての物質的なものを損ない、無力にする。あなたは、誠実さ、個人の尊厳の感覚、個人の自己実現の権利といった価値の永続性を信じますか?


うーん。これを質問というのは難しい。

あなたは、おびただしい、さまざまな問題を列挙したといったほうが良い。

そんなおおざっぱに組み立てられた質問に答えるのは、私にはとても困難です。

一方では、登場人物を無力化する無慈悲な時間に言及されるー
それから「すべての物質的なもの」と言われる。

これが私にははっきりしません。

結局、あの登場人物たちはもっぱら「物質的な」ものではない。

物質的なものはすべて破壊にさらされますが、これらの登場人物は物質だけではないー
何よりも彼らは精神なのです。

Q:もちろんです。


だから、私はいつも大切だと考えてきましたーどの程度人間の精神は不壊であるのか、破壊不可能なのかー崩壊と破壊を被る物質を示すこと、破壊不可能な精神に対立するものとして、物質を示すことが、です。

まだ『ルブリョフ』には見つからないでしょう。

明らかにあそこで私たちは破壊、無力化を扱っていますが、それは或る意味で道徳的な破壊です。

物質性と精神性の対立ではありません。

一方『ストーカー』では、いやすでに『鏡』には、例えば、もはや存在しないあの家があります。

そしてもしかすると、永遠に残るその場所の精神の感触があります。

母は、外へ出るときー覚えていますかーいつも同じです。

母のこの姿、魂は朽ちない、不死であると示すことが私には重要だったのです。
それ以外のものは崩れ去ります。

もちろんこれは悲しいことですー
魂は、時には自らが身体を離れつつあるのを見守りながら、悲しく感じるものですから。

そこには何かノスタルギアのこもった憧れがあります。

アストラルの悲しみです。

この破壊が登場人物に関わるものではない、物質だけに関わるものだということは私には自明のことなのですが。

だからこそ、この対比を獲得することが重要だったのですー
移りゆくものの視点から現実を提示するために、です。

それが古くなったとか、その時を生き抜いたとか、或る特定の時期のその存在を生き抜いたといった狙いがないとしてもです。

一方、人間のほうはいつも同じです、いやもっと正確に言うと、同じままではなく、発達を続けます、無限にまで。

尊厳と言われましたね。

明らかに人間の尊厳はとても大切です、きわめて大切です。

それから、道のことも、旅のことも。

もし旅を、比喩的な意味でも、語るとするなら、どこにたどり着くか、は実は重要でないと言い添えておかねばなりません。

重要なのは、旅をはじめたということです。

『ストーカー』をめぐって

Q: 例えば『ストーカー』で-

いつでもそうです。いかなる状況でも。

『ストーカー』の場合は?
 
さあ、どうでしょう。

ただ、私は別の事を言いたかった。

つまり、重要なことは、最後にひとが達成したことではなく、最初にそのひとがそれを達成する道に足を踏み入れたということです。

なぜ、どこにたどり着いたのかが、重要でないのでしょうか。

なぜなら、この道に終わりはないからです。

そのために、まだ出発点に近いか、すでに終点に近いかはまったくもってどうでもいいことなのです。

あなたの前には旅があり、それに終わりは決してないのです。

で、もしあなたがその道に足を踏み入れていないなら?

そのとき、一番重要なことはそこに足を踏み入れるということです。

これこそ問題なのです。


そういう訳で、私にとって重要なのは、道そのものではなく、人がその道に、どの道でもいいです、踏み込む瞬間なのです。

 例えば『ストーカー』の場合、もしかするとストーカーは私にはそれほど重要ではありません

私にとってずっと重要なのは作家です。

冷笑家として、プラグマティストとして、ゾーンに入って、自分は善人でないと悟って、人間の尊厳を口にする人間になって帰って来る作家なのです。

初めて彼は次の問いに直面します。

人は善なのか悪なのか?
 
で、もし彼がすでにそのことを考えていたなら?

こうして彼は道に踏み込むのです-

ストーカーが自分の努力のすべては無駄に終わった、だれも何も理解していない、だれも自分を必要としていない、と言う時?彼はまちがっているのです。

なぜなら作家はすべてを理解したからです。

そういうわけで、ストーカー自身もそれほど重要でないのです。


この文脈で、もう一つ重要なことがあります。

実は、私はもう1本映画を、『ストーカー』の続編を作りたかった。

まあ、そんなことはロシアなら、ソ連なら出来たでしょうが、もはや不可能です。

ストーカーとその妻は同じ役者が演じる必要がありますから。ここでは別のことが重要です。

つまりストーカーはひとが変わります。

人々が、この幸せにたどり着くことができる、自己変容の浄福、内なる変化に向かって進んでいけると、もはや信じていません。

それで彼は人々を力づくで変えはじめます。

怪し気なやり方で人々をゾーンへと拉致しはじめます?

彼らの生活をよりよいものにするために、です。

彼はファシストになります。

ここには、純粋な理想が?
純粋にイデオロギーと関わる理由から?
その否定になりはてる姿があります。


つまり、目的が手段を正当化すると、ひとは変わるのです。

ストーカーは3人の男を力づくでゾーンに連れて行きます。

これこそ続編で描きたかったことです。


彼は自分の目標を達成させるためには流血も辞さない。
これはすでに大審問官の理念です。

大審問官は自ら犯罪を引き受けます、いわば-

Q:救済

救済の名において。このテーマはドストエフスキーがいつも問題にして来たことです。

Q:『悪霊』-


『悪霊』と『カラマーゾフの兄弟』で。

『悪霊』ではそれに触れてすらいない?

あそこで彼は一般にそうした最初の衝動すら否定している。

どんなものであれ、たとえきわめて高貴な衝動であれ-。
彼はそれすら否定している。

Q:それは『悪霊』ですね。


そうです、『悪霊』です。

しかし『カラマーゾフの兄弟』で彼は社会主義について、大衆の幸せの名において暴力の罪を引き受ける人々について 、書いています。

Q:あるいは、何らかの理念の名において。


そう、理念。それは重要ではありません。

この意味で、私にとってそれよりずっと重要なものは、道そのものではありません?
もちろんそれも重要ですが?

むしろ、道に足を踏み込む人、踏み込まない人の問題全般です。

彼らが旅を引き受けるか否か、なのです。

精神の自由

ですから、ここに挙げたこれらの側面のすべてが私には当然重要なのです。

あらゆる人間の特質が私にはきわめて重要なのです。

尊厳、自由-内的な自由ーご承知のように政治的な自由と精神的な自由は2つの異なる概念だからです。

政治的な自由について話すときには、実は自由の話をしていないのですー権利の話をしているのです。

私たちの良心に好ましいやり方で生きる権利、私たちが必要と考えるやり方で生きる権利。

社会に奉仕する権利ー私たち自身がこの課題を理解する限りでですが。

自由に感じる権利。権利です。いくらかの義務ももちろん伴います。

他のものとは関係なく、人は権利を有していなければなりません。

しかし私たちが自由について話すとき、私たちが心に描くのは-わからないなあーもし自由になりたければあなたはいつでも自由なのです。

人間は、牢獄に閉じこめられても、自由でいられるのだと私たちは知っています。

また自由を進歩と結びつけるべきではありません。これは絶対だめです。

人間の意識と個我が始まって以来、人間は自由であるか自由でないか、どちらかしかありえないー自由という言葉の内的な意味においてですよ。


こういう訳で、自由を話題にするときには権利の問題を、自由、内的な、精神の自由と混同すべきではないのです。

ここまで来ると、このテーマについて私が何を言っても連中には分からない。

先頃私はそういう会合に出ていました。

彼らは新聞に書きました。

「タルコフスキーが精神性について語るとは非常に不思議だ。」ー

彼らには不思議なのです、彼らにはさっぱり分からない、私が何を言っているのか、理解できないのです。

私が精神性について語っているとき、人間は、なぜ自分が生きるのか、知るべきである、自分の生の意味について考えるべきである、という意味なんですが、それがまったく理解できない。

それについて考え始めた人は、或る意味で、すでに精神の光に照らし出されているのです。

彼はこの問いを二度と忘れることはないでしょう。

この問いを投げ捨てることはないでしょう、彼は道に足を踏み入れたのです。

しかし、彼がこの問いを決して自分に問いかけないなら、精神性が剥奪されているのです。

動物のように、功利的に生きるのです。

こうなると人は何も決して理解することはないでしょう。

連中にはこういうことがまるっきり理解できない。

あの記事を書いたジャーナリストということになるとー私にはとにかくショックでした。

彼は確かに考えています。

つまり、精神性に触れていますから、これは間違いなく、正教会に関わっているものでしょう。

聖職者主義に関わっていると言ってもまず差し支えないでしょう。

彼にとっては、人間の魂とか人間が生きている間に果たすべき道徳的な努力といった疑問はまったく存在していないのです。

Q:彼らは自由の奴隷、進歩の奴隷に思えますね。

そうです、その通りです。そういう人には自由の理念は-

Q:価値である。

その通り。

それで、私が彼に自由とは何かと訊いたら、決して答えてくれないでしょうね。
なぜなら分からないのだから。

なぜならそれをどう扱えばよいのか、この自由をどうしたらいいのか、知らないからです。

でも脱線しましたね。質問はこんな風には述べられなかった。

しかしこの問題は私には恐ろしく重要なのです。

私は人間の権利の問題を決して持ち出そうとはしなかった。
私には興味のないことです。私は内的な自由の問題に興味があるのです。
ttp://homepage.mac.com/satokk/selfcriticism/illg.html

アンドレイ・タルコフスキー 「ストーカー」

使われた音楽 バッハ「マタイ受難曲」 等
使われた意図 芸術の荒廃と受難


20年ほど前に「ゾーン」という「思いがすべて実現される領域」が出現した。

ここで主人公はそのゾーンの案内人でストーカーと呼ばれる。

今回そのゾーンに連れて行く人間は、小説家と学者(いずれも固有名詞はなし)の2人。
ストーカーはこの2人を苦心のはてにゾーンに導くが・・・

今回は79年の作品「ストーカー」を取り上げます。
この作品のあと、タルコフスキーはソ連から亡命となったわけです。

ちなみに、ストーカーという言葉は、元々は「領域侵犯者」という意味ではなかったかな?
「入っちゃいけないところへ入っていく。」

その点では、女性を付回すストーカーと基本的には同じ意味なんですね。


このタルコフスキー監督の「ストーカー」では、クラシック音楽が4つ使われています。


ワーグナーのオペラ「タンホイザー」から巡礼の合唱。
バッハの「マタイ受難曲」から「哀れみたまえ。わが神よ」。
ラヴェルの「ボレロ」。
ベートーヴェンの「第9交響曲」。

まず、このゾーンへの旅の前にワーグナーの「タンホイザー」の「巡礼の合唱」が鳴らされます。

つまり、このゾーンへの旅は一種の巡礼である。

そのことをタルコフスキーは示しているわけですね。
「聖」なるものへの巡礼。


ソーンは「聖」なるものの象徴ではないか?
映画を見ている観客はそのように予感することになるわけです。


次に使われるのはバッハの「マタイ受難曲」からの第39番のアルトのアリア

案内人たるストーカーに導かれながら、ゾーンを進んでいく小説家が口笛を吹くわけです。


イエスが捕らえられて、ペテロ(イエスの第1弟子)が心配そうにしている。
そんなペテロを見つけた周囲の人から「アンタもイエスの仲間だろ!」と追及されるわけです。

自分も逮捕されたくはないペテロは、それを否認するわけです。
「オレはイエスなんて男は知らないよ!」ってね。

新約聖書で有名なシーンです。

心ならずもイエスを否認したペテロの心情を歌ったアリアが、この第39番のアルトのアリアですね。

「憐れみたまえ、わが神よ。

私のこの涙を。ご覧ください。

私の心と目はあなたの御前でさめざめと泣いています。」


という歌詞です。

深い悔恨の音楽と言えるものです。

一番重要であるはずの神の子たるイエスを、自分の弱さから否認してしまった悔恨です。

イエスを否定してまで、自分は生きるに値するのか?

自分自身の弱さから、イエスを否定したペテロは、心の弱さを持つ人類そのものですよね。


映画では小説家が口笛で歌っています。まあ、口笛には不向きな曲ですよね?

「サクリファイス」でも使っていることとも合わせて、よっぽどの意図があるわけですね。

イエスを否認したことについてのペテロの悔根の曲を使って、この「ストーカー」という作品においては、誰が何を否認したの?

鼻歌でうたっているのは小説家なので、小説家が否認したとみるのが自然ですね。

では、何を?

多分小説家が否認したのは神なのでしょう。

あるいは超越的な存在と言い換えることもできるでしょうか?

それとも「聖」なるもの?あるいは「良心」と言えるものかも?

映画を見ていた観客の方ならスグわかるでしょうが、この小説家はなかなかに鋭い洞察を持っている。

特に意識が朦朧としている時には、実に的確なことを言う。

今日における芸術の位置づけとか、
芸術家の創作の原動力とか・・・

例えば

「人間がものを書くのは苦しみ、疑うからだ。
自分自身や周囲に自分の価値を証明しようとするからだよ。」


とか・・・

このあたりの言葉はタルコフスキー自身の考えと全く共通でしょう。
そのような意味では、この映画における小説家とタルコフスキーは同じ問題意識を持っているわけです。

しかし、小説家は否認した。
イエスを、というより神を否認したわけ。


映画においては、この小説家はこのマタイ受難曲を口笛で吹いて、「イエスの否認」を示すだけでなく、様々な堕落した様相を見せています。

敬虔さがないし、
意思が弱いし、
妙な自意識がある。

つまり、この名前も与えられていない小説家は「堕落した芸術家」の象徴なんでしょうね。

そして同行する学者は物理学者という設定ですが、どうやらテクノクラート(官僚)のような組織内のインテリを象徴しているようです。

つまりこの「ストーカー」という作品は極めて知性の高い人間2人を、「聖なる場所」に導く巡礼の旅を描いた作品なんですね。

そして結果はどうなったの?

見事に大失敗ですよね?


2人のインテリは「望みがすべてかなう場所」に到達しても何もできなかった。

望むことができなかったわけです。

人間が最高の歓喜に至ることができるはずの場所で、どうすることもできない。

案内したストーカー(これも名前なし)の労苦は徒労に終わったわけですね。

人々の望みがすべてかなう場所。
「聖」なる場所であるゾーン。

これが「芸術」の世界を象徴していることは明白。
人々をその芸術の世界に導くストーカーはまさに芸術家。

世俗のことに全く無能で、できることといったら、聖なる世界への案内人。
この設定はまさにタルコフスキー本人を象徴しているわけですね。

そして、散々な労苦のあとで、人々に文句を言われることもタルコフスキーと同じでしょう。
特にタルコフスキーはソ連の人でしたし、周囲から色々と文句を言われたはずです。

その「芸術家」を象徴するストーカーにとって、今までに行った案内で、一番苦労した案内が、その小説家と学者を案内した旅の時。

妙な自意識があるインテリが、「聖なる世界」とは一番無縁である。
当時のソ連だけではなく、人類の歴史ではいつものことですね。


しかし、そのような不遜な人間なのに何故にゾーンに到達できたの?

この映画の中でストーカーは言います。

「不幸な人しかゾーンには到達できない。」

そのようなインテリが一番不幸というわけです。
だから文章を書いて自分を証明する必要があり、とにもかくにもゾーンには到達できる。


ゾーンという存在が象徴するものといえる芸術だって同じなんでしょうね。

「聖なる芸術」に到達できるためには、「不幸でないとダメ!!」・・・

ちょっと身もフタもない発想ですが、残念ながら現実でしょう。


芸術ということで、ストーカーは言ったりします。

「ここではまっすぐが一番近道とは限らない。」

これも、ソ連に限らず事実でしょう。

とはいえ、ソ連の音楽家のショスタコーヴィッチの音楽がいかにヒネリがあったのか、その点を思い出す人もいらっしゃるかも?


ゾーンへの旅から帰還したストーカーが、2人を散々に酷評します。

その酷評の言葉は、本物の芸術家が、ブランドだけの芸術家を評するときの常套句がちりばめられています。

「自分を売り込むことしか考えていない!」とか・・・

実はそのストーカーも、教養のある人なんですね。
だって、ストーカーの部屋の本棚を見てごらんなさいな。
いかにも本を読んでいる本の並び方になっていますもの。

このようにストーカーの仕事は世間に報われないシジフォス的な仕事の繰り返し。
まあ、だからラヴェルのボレロなのかな?

最後ではベートーヴェンの第9交響曲が使われます。

交響曲の中で何回も繰り返されるフレーズ「歓喜よ!美しい天上の火花よ!歓喜の楽園の娘よ!・・・」

映っている映像はストーカーの娘。生まれたときから足がないという設定です。

「楽園の娘」という言葉を背景に映っているということは、この娘が大きな意味を持っているわけですね。

映画では、その足がない娘が超能力を使えることが示されています。

コップを念力で移動させたりする。
いつからその能力が使えるようになったのかは描かれていませんが・・・

そして、それまでゾーンにいて守護していた犬がストーカーについてきてしまった。

つまり、「聖」なる「楽園」であるゾーンがその娘のもとに移動したということですよね?

それまでのゾーンの「力」が衰えつつあることは、映画の中で描かれています。

花が咲かなくなってしまったり、あと「もう誰もあの部屋を必要でないんだ!」とストーカーが嘆いたり・・・もう人が必要としなくなってしまった。

もう、従来のゾーン・・・つまり芸術が末期的であることが示されているわけです。

この「従来のゾーン」を「ソ連の芸術界」とみると、実に意味深長になります。

従来のゾーンの限界を示しているわけですから、こうなると新たなゾーンを作るために環境を変える必要が出てくる。亡命という発想も現実味を帯びてくるわけですね。

20年前に登場したゾーンという設定も、映画製作から約20年前頃にあったフルシチョフによる「雪解け」と関係があるのかも知れません。

父であるストーカー以上に、世俗の能力に欠け、父であるストーカー以上に「超越的な力」を持つ。
その娘がアンドレイ・タルコフスキーの父の詩を読む。
親子2代にわたってのストーカー・・・つまり芸術家の姿が見えるわけ。

その娘は新たな「楽園の守護者」になった。ということで、芸術家(ストーカー)の子供であるその脚のない娘も、タルコフスキー本人を表しているんでしょう。
アンドレイ・タルコフスキーの父親は詩人で芸術家でしたものね。


この「ストーカー」という作品。実に個人的な作品と言えるんでしょうね。
しかし、タルコフスキーという芸術家の姿を臆面もなくさらしているために、逆に普遍的な芸術家の姿を映し出していることになる。
だからこそ、この映画では登場人物が画面に正対するシーンが多い。観客に直接語りかけているわけ。

当時のソ連からの語りかけなので、ちょっと晦渋になっていますが、語っていることはどこの国でも、どの時代でも芸術家の関わる問題として全く同じ問題なんですね。

様々なクラシック音楽によって、芸術家の境遇や受難が象徴されている・・・
まっすぐではなく、回り道の表現で・・・そんな作品なんだと思います。
ttp://magacine03.hp.infoseek.co.jp/old/04-06/04-06-22.htm
ttp://magacine03.hp.infoseek.co.jp/old/03-12/03-12-30.htm


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バッハ『マタイ受難曲』

J. S. Bach - Matthaus-Passion - W. Mengelberg (1939)
https://www.youtube.com/watch?v=LEtwVHP8smQ&t=10s

Concertgebouw Orchestra Amsterdam
Director: Willem Mengelberg

_____

Willem Mengelberg - Bach : from Matthaus Passion マタイ受難曲より(1936-Live)
https://www.youtube.com/watch?v=4f7azEsJwBY

Jo Vincent, soprano、Ilona Durigo, contralto
Karl Erb, tenor、Willem Ravelli, bass
Amsterdam Toonkunstkoor, Jongenskoor Zanglust
Willem Mengelberg cond,/ Amsterdam Concertgebouw Orch.
recorded 5 April, 1936 - Live
________

J.S.Bach St Matthew Passion BWV 244 (first part) - Walter - NYP (1944)
https://www.youtube.com/watch?v=ALiNuGN3khE

New York Philharmonic Orchestra / Bruno Walter conductor.
Live rec. April 9, 1944 (only the recording of the first part...)

_______


J.S. Bach "Matthaus-Passion" Furtwangler Wien 1954
https://www.youtube.com/watch?v=xBXzM6ac_kE

Wiener Philharmoniker
Wilhelm Furtwangler, conductor
Wien, 15.IV.1954

_________

J.S.Bach "St.Mattaus Passion" [ K.Richter Münich-Bach-O ] (1958)
ttps://www.youtube.com/watch?v=FAUB605BuOk

Matthaus Passion J.S.Bach BWV 244 K. Richter 1971
ttps://www.youtube.com/watch?v=csRNPEpgmiY
メンテ
タルコフスキー 映画『ノスタルジア 1983年』 ( No.5 )
日時: 2022/05/17 05:25
名前: スメラ尊 ID:Gjda1JhU

タルコフスキー 映画『ノスタルジア 1983年』

動画
https://www.nicovideo.jp/search/Nostalghia%E3%80%80%EF%BC%8F%EF%BC%96?ref=watch_html5


サンガルガノ大聖堂の廃墟 

 アンドレイ・タルコフスキーの映画はすべてすばらしい映画的光景を映し出している。

『僕の村は戦場だった』はテーマの重さと拮抗するような映像のリリシズムがあった。

『惑星ソラリス』も突出したSF?映画だった。

東京の首都高速が未来都市のイメージとして活用されていることで話題になったが、むしろ、その後のタルコフスキーに頻出するブリューゲルとバッハの融合が印象に残る。

『ストーカー』も晦渋な映画だが、水のイメージがじつに美しい。

そしてタルコフスキー的な映像というてんでは、なかでも、『鏡』と『ノスタルジア』が秀逸だと思う。

 『ノスタルジア』は、イタリアが舞台だ。

ロシアから亡命してきた詩人(アンドレイ・タルコフスキーそのものだ)が、創作の自由のためにはロシアから離れねばならず、しかしその創作の源泉である故郷の原風景やロシアの大地から切り離されることによって生じる心理的葛藤(それをノスタルジアという)に苦しむ姿を美しい映像で描いている。

 ノスタルジアのラストに、ある廃墟の寺院が出てくる。

それがサンガルガノ寺院である

 私は、映画に導かれてこの寺院を訪問した。1993年のことである。


 資料として『タルコフスキーatワーク』(芳賀書店)の「ノスタルジアへの旅」(鴻英良)をみた。彼はノスタルジアのロケ現地をめぐる旅にでかけ、詳細にその発見を記している。

それによると、タルコフスキーの撮影チームは、ラストシーンをサンガルガノで、印象的な地下の聖母のシーンをトゥスカニアで撮影したことになっている。

私は、仕事でローマを訪れたさいに、フィレンツェに移動し、そこでレンタカーをして、トスカナ地方をドライブしてローマに戻る計画をたてた時、ぜひともこのサンガルガノの廃墟とトゥスカニアを訪れてみたいと思った(まぎらわしいが、トゥスカニアは、トスカナ地方にはない。ここもじつに素晴らしいところだった。町にはホテルが一軒しかなかったが、ここが素晴らしかった。)


(トゥスカニア全景と地下の聖母が撮影された場所)


 トスカナ地方をドライブしはじめると、すぐさま人生の至福につつまれるような感慨を味わった。

こんな素晴らしいドライブはそうはない。

フィレンツェもすばらしいが、サンジミニャーノ、シエナ、ペルージャ、アッシジといった小さな町々が途方もなく素晴らしい。

しかしサンガルガノは探し出しにくかった。

さきの鴻英良氏もサンガルガノへ行くのにはたいへん苦労している。
彼はレンタカーでなく電車をつかっていたのだ。

シエナから行くのだが、観光地ではないため、何もない田園のなかを迷いながら運転してたどりつくほかはない。

 うつくしいトスカナの田園のなかに、それはあった。

 夏のあいだには、臨時の売店なども開かれているから、訪れる人は案外少なくはないのかもしれない。絵はがきやカレンダーなども売っていた。

 サンガルガノがどういうものかは、次の写真をみてほしい。


 サンガルガノ大聖堂(廃墟)


 イタリアのガイドブックや、ミシュランの緑には、きちんとサンガルガノが紹介されている(小さくだが)。ミシュランによれば、人は、この廃墟を訪れると、あらためて栄華のはかなさと、人生についてしみじみと想いをいたすだろう、とある。

たしかに廃墟には、そういう想いへと人を誘う不思議な力がある。

ためにヨーロッパには廃墟趣味というのがあって、わざわざ廃墟を建築する!ことも多かったようだ。

もちろんサンガルガノは正真正銘の廃墟である。


 タルコフスキーのノスタルジアでは、ラストシーンで、イタリアに亡命した主人公が死んでゆく意識のなかで、故郷ロシアの原風景が蘇ってきて、その懐かしい風景の中に包まれて死んでゆくのだが、その故郷ロシアのノスタルジアに満ちた風景が、サンガルガノの廃墟のなかに再現されて、廃墟の建物と渾然一体となってえもいわれぬ効果を生み出していた。

そしてノスタルジアの風景のなかに、やがていちめん雪がふってきて静かに映画はおわってゆくのだ。この最期の風景だけでも、ノスタルジアは映画史に残るものではないかと思う。
ttp://www.lit.kyushu-u.ac.jp/~adachi/sangalgano.htm

Andrei Tarkovsky - "Tempo di viaggio" (italian with french subtitles)

ttp://www.youtube.com/watch?v=PY9DPNQSET0
ttp://www.youtube.com/watch?v=P0pcra3oGQk&feature=related
ttp://www.youtube.com/watch?v=OAP7Iv4Z0SI&feature=related
ttp://www.youtube.com/watch?v=bkygo4Kn7CI&feature=related
ttp://www.youtube.com/watch?v=yyXeDNPzXFs&feature=related
ttp://www.youtube.com/watch?v=R8hrHfv2Ou4&feature=related
ttp://www.youtube.com/watch?v=5M4Md2S7Mtk&feature=related


イタリアのタルコフスキー

タルコフスキーは『ノスタルギア』を「単純なラブストーリー」だと言う。

(ヤンコフスキイ演ずる)アンドレイ・ゴルチャコフはロシアの大学教授で、長年講義してきた建築を実際に見るために、イタリアを初めて訪れる。

彼は自分の通訳兼ガイド(ドミツィアナ・ジョルダーノ)に思いを寄せる一方で、トスカーナの数学教授のドメニコ(ヨセフソン)に自分の一種の分身を見いだす。

ドメニコは世界の終末は近いと信じているので狂人と見なされているのだった。

ローマのRAIでの製作発表記者会見で、タルコフスキーはこう述べた。

「『ノスタルギア』のテーマは、人々がお互いを本当に知らずに共に生きるのは不可能なことと、相互理解の必要性から生まれる問題を扱っています。

名前を知るくらいなら非常に簡単だが、他者を深く認識する段階に達するのははるかに困難だ。

また表面にはさほど現れませんが、この映画には、文化を輸入したり輸出したり、異文化を取り入れるのは不可能だという主張を扱った一面もあります。

私共ロシア人もダンテやペトラルカが分かると主張出来る。

それはイタリア人の皆さんがプーシキンが分かると主張出来るのと同じ理屈です。

けれども実はそんなことは不可能なのです。

つまり同じ国民でなければならないのです。

文化を複製し伝播するのは、その本質に有害であり、皮相な印象しか広めない。

異文化を教えるのは不可能なのです。」

「この映画で、通訳のエウジェニアが『どうしたら分かりあえるのかしら』と訊く。

アンドレイ・ゴルチャコフは『境界を壊すことだ。』と答えます。

これは複雑な地球規模の問題で、単純なレベルで解くか、全然解けないかのどちらかです。

単純なレベルでは子供が解決してくれると言えますが、もっと複雑なレベルでは自己認識の問題と関連しています。

アンドレイは自分の分身とも言える狂人にこうした難題を肩代わりさせようとします。
アンドレイは真理を探求しているのですが、自分が直接分かってもいないものを教えても無駄じゃないかという思いが心をよぎることがあります。

彼は、あの狂人に、自分の行動に確信を抱いている人物を見いだす。

世界の救済法を知っていると言って、それに基づいて行動する人間を見いだします。

ドメニコは反省を知らぬ、ただ行動するだけの無邪気な子供に似ています。

ですからある意味でアンドレイに欠けているものを代表しているのです。」
ドメニコのキャラクターは、部分的には脚本が既に脱稿した段階で、グウェラがたまたま見た新聞記事からインスピレーションを受けたものだった。

タルコフスキーによると、それは映画に重要な総合性をもたらす幸運な発見であった。

「グウェラは類い稀な才能に恵まれた詩人で、偉大な発見が出来る。

幸い私は映画畑で、グウェラは詩の方ですから、嫉妬しなくてすんでいますがね。」
タルコフスキーは最初はモスクワでかなりの部分を撮影する計画だったが、ソヴィン・フィルムとの協約が破棄されて、彼はモスクワのシーンに振り分けたフィートを半分に減らさねばならなかった。


「運命は私たちに救いの手を差し延べてくた。

トスカーナで見付けた家はモスクワより映画的にはるかに興味深いものです。

イタリアに、ロシアのこのささやかな一角を拡張出来るのを私はとても嬉しく思っています。」

タルコフスキーは今でも水にとりつかれたままなのだろうか?

「水は神秘的な要素です。一個の分子であり、とてもフォトジェニックです。」

とタルコフスキーは語る。

「水は運動と、変転と流動の感覚を伝えることができる。

『ノスタルギア』にもたくさん水があるでしょう。

たぶん水には潜在意識の反響があるのかも知れない。

ひょっとすると、私が水を大好きなのは、先祖の輪廻転生を隔世遺伝で記憶していることから生まれるのかも知れない。」


彼の映画の「悲観主義」とイタリアの人生観の「楽観主義」に生じうる軋轢について、また、イタリア人には彼の映画を理解するのが困難なのでは? と問い質すと、タルコフスキーはこう答えた。
「私にだって楽観主義はある。

今度の映画は比較的単純で分かり易いラブストーリーです。

けれども同時に私は、表面下に潜むもっと深遠で混沌としたものを、底まで掘り下げる努力をしています。

悲観主義は、気遣いと人が自分に課す問題の複雑さが絡んで生まれてくる。

こうした問題は、歓喜に満ちた態度で世界に向かっても解けるはずもない。

私の関心は、世界の現状を気遣い、胸を痛めている人々にあります。

このために、時には、余りに複雑になるのかも知れません。」

「映画は高度の緊張を伴う芸術形態です。

一般には理解されないことかも知れませんがね。

私は理解されたくないというのではなく、例えばスピルバーグのように、一般大衆向けに映画を作るのは私には出来ないということです。

もし自分にそんなことが出来ると分かったら、恐ろしく恥ずかしいでしょうね。

一般大衆に届きたいなら、芸術とは何ら関係のない『スターウォーズ』や『スーパーマン』のような映画を作らなければならない。

私が、大衆を白痴のように扱っていると、とらないでください。

ただ確かに私は、大衆を喜ばせようと苦心したりしない。

ジャーナリストの皆さんの前で、どうして私はいつもこんなに自己弁護ばかりしているんでしょうね。近頃私には、皆さんが欠かせないでしょう。

私の映画がアンゲロプロスと同じくらいの配給を得るのなら、特にそうでしょう!」
ttp://homepage.mac.com/satokk/at_in_italy.html

タルコフスキー、『ノスタルギア』を語る

内面への旅 ギデオン・バックマン


バックマン:
まず最初に、西側で仕事をする感想を話してもらいたいですね。
アンドレイ・タルコフスキー:今回は初めて外国で映画を撮るだけでなく、私は外国の条件下で初めて仕事をしています。

世界中どこに行っても映画を作るのは難しいと思います。

でも、何が難しいかが場所によって変わってくると私は気づきました。

こちらで、最も大きい障害は金と時間の不足がずっと続くことです。

特に資金不足は創造性を妨げ、また資金が不足すると時間が足りないということになる。

映画に取り組む時間が長くなるほど、コストも高くなる。


ここ西側では、お金が支配する。

ソビエト連邦で私は一度も費用のことは考える必要がなかった。

とにかく心配無用だった。

イタリアのテレビ会社RAIがとても気前よく、この映画製作に招いてくれました。
実際そうなんですが、割り当てられた予算は明らかに乏しい。

これまで外国で働いた経験がないので、いくらかは私の思いこみかも知れませんが。
現在のプロジェクトは実際に「文化的なイニシアチブ」と分類されていて、商業的ヴェンチャーとは思われていません。

一方では、イタリアの映画チームと技術的クルーと一緒に仕事をするのは、とびきり報いのある経験です。

彼らは極めつけのプロで、高度な知識があり、自分の仕事を楽しんでいるようです。
誰もが自分のやっていることを愛しているように見えます。

しかし私は、私たちロシア人の方法とイタリア人のやり方の比較をしたくない。
どこへ行っても、理由が何であれ、映画作りは複雑で骨の折れる仕事です。
私が西側で一番批判に値すると思うのは、全く経済的な要素に全面的に依存していることです。

これは、芸術形式としての映画の未来そのものを危難にさらす可能性をもっています。

ギデオン・バックマン:
あなたが20 年間に作った5作品:『僕の村は戦場だった』、『アンドレイ・ルブリョフ』、『ソラリス』、『鏡』そして『ストーカー』すべてに、個人と個人を取りまく環境の間にいつでも強い対立があります。
『ノスタルギア』でもこれがテーマですか?

強いのは常に葛藤そのものであり、個人ではありません。

それどころか、私の中心人物は必ずと言っていいほど、弱い人間です。

その人間の強さは彼らの弱さから生まれてくる。

彼らがその環境に上手く適応していない、環境と調和していないという事実から彼らの強さは生まれてきます。

当然、個人と社会の間には、際だった個人と彼を取りまく環境の間には、いつでも葛藤があります。

すなわち、これらの間にはいつでも対立が存在していて、これこそ私たちは葛藤だと言うのです。

人間関係の存在しないところには、葛藤もまた存在しない。

私は、社会との関係が対立の強い要素によって特徴付けられる人物を使うことに興味があります。

そういう人は自分を囲む現実に対して強烈な関係を持っていて、このために、そういう人は常に、最後には環境と衝突してしまうようです。

私はそういう人間を追いかけて、彼が自分の問題をどのようなやり方で解決するのか見つけだしたいのです。

自分のなかに閉じこもってしまうのか? 
それとも自分自身に誠実であり続けるのか?

ある意味で、これは私の作劇法のまさに根っこにある問題だと言えるかもしれません。


ギデオン・バックマン:
どのようにして『ノスタルギア』が誕生したのか、話していただけますか?

私は何度かイタリアへ来たことがありますが、およそ3年前に、よい友人で、イタリアの作家、詩人であり脚本家であるトニーノ・グウェッラと一緒に映画を作ることに決めました。

映画は私のイタリア体験をめぐるものになる予定でした。


オレグ・ヤンコフスキー演じるゴルチャコフは仕事でイタリアに来たロシアの知識人です。

映画のタイトルは、『ノスタルジア』という言葉では非常に不満足な翻訳でしかないのですが、私たちから遠く離れたものを求める苦悩、憧れても憧れても一体化することの出来ない諸世界を求める苦しみを示しています。

しかし、それは内面の故郷への憧れ、何らかの内的帰属感を表してもいるのです。

映画の「アクション」、出来事そのものの順序は、何度か修正されました。

一部は脚本を書いている準備段階で、また一部は撮影中にも修正されました。

私は分断された世界で、引き裂かれて砕け散った世界で生きることが不可能であることを表出したいのです。


ゴルチャコフは歴史の教授、国際的に知られたイタリア建築史の専門家です。

彼はそれまで複製と写真だけで知っていた、そして教えていた記念碑と建物を今こそはじめて、眼で見て手で触れる機会に恵まれたのです。

イタリアに到着するとすぐに、彼は、芸術作品を生みだした文化の統合的な部分にならない限り、芸術作品を伝えたり、翻訳することは出来ない。

知ることすら出来ないと実感し始めます。

さて、彼は18世紀の少しは知名度のある作曲家の足跡をたどるためにイタリアに来ます。

その作曲家は元はロシアの農奴だったのですが、主人によって宮廷音楽家として教育を受けるようにイタリアに送られたのでした。

彼はボローニャ音楽院でジャンバティスタ・マルティーニを師とし、やがて有名な作曲家となり、その後は自由人としてイタリアで生活をしました。

映画の重要なシーンに、ゴルチャコフが、イタリア人の通訳であり旅の連れである若い女性に、作曲家がロシアに書き送った手紙を示すところがあります。

そこで彼は、ホームシックを、彼の「ノスタルギア」を表現しています。

それが何を指示しているかと言うと、この作曲家は実はロシアに帰ったが、アル中になり、最後に自殺したということです。


ゴルチャコフにとっても、イタリアの経験は人生を変えるものになります。

イタリアの美とその歴史は、彼の魂に大きな印象を刻み込み、彼は苦しみます。

なぜなら、彼は自分自身の背景をイタリアと内的に和解させることができないのです。

彼のイタリア体験ははじめは全く外的な性格しか持っていないのに、ソ連に帰ったらそれが何かの終わりを内包するだろうと、彼はやがて気づきます。

そのため彼は憂鬱になります。

自分がイタリアで経験したことを忘れることも、捨ててしまうことも決して出来ないと知っているからです。

自分のイタリア経験を生かすことが自分にはできないのだと思い知ると、彼の内的な苦痛、「ノスタルギア」は増します。

このノスタルギアには、彼が自分の体験を故郷の愛する人々と共有することが出来ない、イタリアに出立する前には彼の最も近しい人々とも共有できないということを自覚することも含まれます。

他者と、自分の印象と経験を共有できないことをこのように意識すると、彼の滞在はひどく辛いものになります。

彼の魂は拷問をされたようになりますが、同時に、心の友を見いだす欲求が彼の中で揺れ動きます。彼を理解し、彼の経験を共有出来る者を求めます。


映画はノスタルギアの本性を探る一種の論考です。

あるいは、ノスタルジアと称されるかも知れないが、実際には憧れよりも多くのものを含んでいるあの経験に関する論考です。

ロシア人は、最大の困難を経験しなければ、新しい友人や知人と別れることが出来ない。

ソ連への帰郷が迫ると、それは悪夢になりますが、このイタリアへの憧れも、「ノスタルギア」と呼ばれるこの複雑な現象を創り出す多くの要素のひとつにすぎないのです。

ギデオン・バックマン:
映画では何が、魂の友を求める気持ちをあらわしているのですか?

ゴルチャコフは彼の経験を本に書くという最初の意思を放棄し、むしろ出会ったイタリア人に、その経験を手渡す、あるいは渡そうと心を決めます。

エルランド・ヨセフソン演じるトスカナの村の出身の数学教師に手渡そうとします。
7 年間このイタリア人は、彼が最も恐れる災害から妻子を救うために妻と子どもたちを家に閉じこめました。

彼は世界の終末を恐れていたのです。


この幾分異常で、神秘的な狂信者はゴルチャコフにとって、一種の「第二の自我」になります。

ゴルチャコフは彼に自分自身の感情と疑惑を認めます。

ドメニコ、その教師は映画の肯定的な力と見なせるかも知れません。

彼の性格は、未来に必要な状況を人格化しているからです。

彼はゴルチャコフの主な話し相手になりますが、彼は、ゴルチャコフが自分の内面に現れ始めていると感じる精神的な不安の極端な事例を表しています。

ドメニコはまた、人生の意味、自由と狂気の概念の意味の、絶えざる探求を表象しています。
もう一方では、彼は子どもの受容性を、しばしば子どもに見つけられる並はずれた感受性を、保持しています。

しかし、彼は、ロシア人に欠けているある特徴を併せ持っています。

ロシア人が容易に傷つき、生命の深い危機に陥る状況でも、このちょっと頭のおかしいイタリア人は単純で、核心にずぱっと斬り込んで、彼自身の啓発された外向性で、一般的な問題の解決を見いだします。

トニーノ・グウェッラが新聞の切り抜きでこの人物を見つけてきて、私たちはそれをもう少し展開しました。私たちは彼に子供じみた気前の良さといった感じを与えました。
一種無邪気な寛大さが彼には強力にある。

彼を取りまくものとの関連で彼の率直さは、子どもに見られるような信頼感を強く思い出させます。

彼は信念の行為を遂行するという思いに取り憑かれています。

火のついたロウソクを手に、トスカニアの村の真ん中にある巨大な、四角い古代ローマの温泉、バーニョ・ヴィニョーニの湯を抜いた温泉場を渡りきるといった行為です。

ゴルチャコフがこれをやろうとするのですが、ドメニコはさらに大きな犠牲が必要だと考えて、ローマに行き、カピトレウムのマルクス・アウレリウス像の上で焼身自殺をします。

それは暴力的な犠牲行為ですが、しかし狂信の要素はいささかもなく、 啓示の瞬間に啓示される救済への心穏やかな信念で行われます。

ギデオン・バックマン:
主人公の2人、建築学の教授と数学教師は、あなたが個人的に自己同一視出来る性格を持っていますか?

私が2人のどこが一番好きかと言うと、狂人の行為にある信頼感であり、旅人のほうは、より大きな理解を達成しようとする執拗さです。

その執拗さは希望と呼ぶことも出来るでしょう。

ギデオン・バックマン:
この2人を結びつける関係はご自身の気持ちを反映していますか?…

私のヒーローは、「狂人」を首尾一貫した強い人格だと考えている。

「狂人」は自分自身の行動に確信があるが、ヒーロー自身にはこのような確信が欠けている。

それで彼はドメニコにすっかり魅了され、最後には、ドメニコこそ、私のヒーローがいつも考え込んではすべてを合理化していたのを、そうすることなく生きる勇気を与える助けになります。

この意味で—この展開のおかげで—ドメニコはゴルチャコフの「もう一つの自我」になるのです。

人生で最も強い者は、子供の信頼と直観的な安心感を保持することに成功した者である。

ギデオン・バックマン:
この映画を作る何らかの外的な理由があるのですか? 
その内的緊張を解読する鍵を与える何らかの明らかなテーマが?

私にとって、人々が互いに出会って一緒に働くことがどれほど重要であるかを何度でも示すことがとても大切なのです。

独りで、自分の秘密の片隅で生きるときには、欺瞞的な平穏が支配するように思えます。しかし2人の人間が互いに接触すると途端に、この接触がどのように深められるか、意味深いものになりうるかという問題が生じます。

この映画は、ですから、何よりもまず、文明の2 つの形式、2 つの生き方、2つの異なる考え方に内在する葛藤を扱っています。第二に、人間関係で巡り会う類の困難を扱った映画です。

男女の愛情関係ということになると、一緒に生活することがどれほど難しいか、お互いをよく知らないときにお互いに感じた愛情を感じるのがどれほど難しいか、そういうことを示したいと思います。表面的に知り合うことは簡単ですが、お互いを本当に知るようになるのはずっと困難です。ゴルチャコフはイタリア女性の通訳と一緒です。若い女優ドミツィアーナ・ジョルダーノがエウジェニアを演じています。

それは—単純に言うと— 教授と女性との、始まりもしないラヴストーリーでもあります。


しかし、もっと広いパースペクティヴから見ると、映画は文化を輸入したり輸出することが不可能であることを示すでしょう。ソビエト連邦の私たちはダンテとペトラルカを理解していると思っているが、これは正しくない。またイタリア人はプーシキンを知っていると思っているが、これもまた誤った考えである。抜本的改革がない限り、その文化に疎遠な人に、ある民族の文化を移植することは絶対不可能でしょう。

ゴルチャコフの苦悩がはじまるのは、彼を取りまくすべての新しいもの—イタリア滞在中に彼の関心を惹いた感情と人間に魅了されるのを自分が遅かれ早かれ止めなければならないと気づくときです。新たな魅惑と興味が彼の中でうごめき始めます。

彼はある人物に出会う。彼自身のように、真の関係を築くのは不可能であると理解していて、それゆえに自分自身を犠牲にする人物です。その人物、ドメニコは同じような心の断片化に苦しんでいます。自分の内側で全世界と、あらゆる良きもの、人間、情緒、そして霊性と、一体化することが出来ないことで苦しんでいる。

誰もがドメニコを「狂人」だと思っている。もしかするとそうなのでしょう。
しかし彼が狂人だと見なされる理由、彼の反応と感情を生み出す理由、ゴルチャコフが非常にはっきりと認識する感情は、全く正常なものです。

ギデオン・バックマン:
それは別の受肉をした自己との出会いなのですか?

ゴルチャコフは類似を認識し、出会いが比較的短いという事実にもかかわらず彼は2人の間のつながりを感じることができます。2人の苦しみが似ていることが、2人を結びつけるのです。

映画を撮影していくうちに、ドメニコはさらにもっと重要になり、私たちは彼に、当初よりずっと堅固な造形を与えました。真の触れあいが不可能だとゴルチャコフがますます自覚するようになったことを、彼はさらに明確に表現します。

ある程度、彼はまた私たち全員が生きざるを得ない恐れ、来るべき未来の私たちの不安をも、表現しています。恐怖こそ、未来を待ち受ける私たちの心理状態の問題なのです。—未来が抱えた問題なのです。


誰もが未来を憂慮している。未来に安心できない。

この映画はこの私たちの不安と深く関わっています。
また我々の無感動もテーマです。

無感動がいかなる方向にでも状況を展開させてしまうからです。私たちは憂慮していますが、それと同時に状況を変えるために何もしていない。確かに、私たちは実際には多くのことをしていますが、私たちが「実際に」していることは、絶望的に不十分です。もっと多くのことをすべきなのです。

私がかかわっている限りでは、私にできるすべてがこの映画です。私が捧げるささやかなすべてです。ドメニコの苦闘は私たちすべてと関わっているのだと示すこと、あまりに受け身だと私たちすべてを責めるときドメニコが全く正しいのだと示すしか私には出来ない。彼は「正常者」が怠惰すぎると訴える「愚者」です。彼を取りまくものすべてを揺すり起こすために、自己を犠牲にして、自分自身の警告を強調します。これが彼の犠牲であり、彼に出来るすべてなのです。

彼の意図は、私たちに行動を強制することであり、「現在」を変えることです。

ギデオン・バックマン:
ドメニコにこの行為をさせる世界観はあなたのものでもありますか?

ドメニコの性格の本質的な要素は、彼の世界観そのものではありません。

究極の犠牲行為へと彼を導くあの世界観ではありません。

むしろ彼が内面の葛藤を解決するために彼が選択するやり方なのです。

従って、私は彼に立ち現れる葛藤ほど、彼の出発点に興味がありません。

私は彼の抗議がどのように生まれたのか、彼がどのようにそれを表現したのかを、理解したいし、示したいのです。

私は実は、彼がそれを「どのように」表現するかにも興味がないのです。

最も重要な事は、抗議そのものの存在自体なのです。

私は、個人が抗議を表現するのに選ぶ方法が重要だと思います。

恐れることなくはっきりと表明された素朴な意見すら(頭がおかしいと思われても仕方がない意見でも)、いわゆる「正常人」の話より、怠慢なおしゃべりに身を委ねて、決して何も実際は「行動」しない人の言葉よりも、多くのことを意味しうるのです。

ギデオン・バックマン:
あなたの考えが多数の聴衆に達することが重要だと思われますか?

万人が理解できる芸術映画の形式が存在すると私は思わない。

従って、すべての観客の役に立つ映画を作ることはほとんど不可能です。もしそれが出来たら、芸術作品ではなくなるでしょう。芸術作品は、異議申し立てを受けずに、認められることはないのです。

スピルバーグのような監督には大変な観客がついていて、巨万の富が懐に入り、だれもがそれを喜びますが、彼は決して芸術家ではないし、彼の映画は芸術ではない。もし私が彼のように映画を作るなら—自分に出来るとは思いませんが—私はまったくの恐怖で死んでしまうでしょう。芸術は山のようなものです。山頂があり、それを取りまいて丘陵がある。山頂に存在するものを誰もが理解できるわけではない。


観客を虜にして、私がやっていることに興味をもたせることが私の課題だとは思いません。それが暗示しているのは、私が彼らの知性を過小評価しているということだからです。結局、観客が馬鹿ばかりだとは思いません....

しかし私が芸術作品をつくるということだけ、プロデューサーに約束したら、世界のプロデューサーは誰も私に、びた一文投資しないということを私はしばしば考えます。

ですから、私は自分の作る映画の1作1作に私の精力と勤勉さのすべてを投資します。

私は私のベストを尽くそうとします。そうしなければ、私は二度と映画を作るチャンスに恵まれないかも知れません。

私は私なりのやり方で、自分の理想を妥協させずに、観客の関心を獲得するのに成功してきたと思います。

そしてそれが、結局、大切なのです。

私は、青い空の彼方をただよう知的なタイプではないし、別の惑星からやって来たわけでもない。

それどころか、私は地球と地球の人々に親密な絆を感じます。

端的に言うと、私は知的に実際以上にも実際以下にも見られたくない。

私は観客と同レベルですが、私には別の役割がある。私の使命は観客の使命とは異なっている。

あらゆる人の理解を得ることは私には重要でありません。
私にとって最も重要ことは、万人に理解されることはないということです。

映画が芸術形式なら—私たちは同意見だと思いますが—芸術の傑作は消費財ではない、むしろ、創造性の見地からも、それを生み出す文化に関しても、時代の理想を表現する芸術的頂点なのです。それを忘れてはいけない。

傑作は、私達が生きている特定の時代の理想に形式を与えます。

理想は、決して万人にすぐ近づけるものではない。

理想に近づくには、精神的に発達し、成長しなければならない。

大衆の精神的なレベルと芸術家が証す理想の間の弁証法的な緊張が消えるなら、芸術が本来の目的と働きを喪失してしまったということになります。

残念ながら、目にする映画が単なるエンターテインメントのレベルを超えていると言えるのは稀です。

私がドヴジェンコ、オルミ、ブレッソンの映画を大切に思うのは、彼らの純粋で素朴な禁欲的な感触に私が惹かれるからです。芸術はこうした特徴に到達する努力をしなければならない。それから信頼感に。


観客の意識に創造的な理念が到達する前提条件は、創作者が観客に信頼を寄せているということです。両者は共通のレベルで相互に意思疎通することが出来なければならない。他に道はありません。

創造者にとって全く明白なものに関するときですら、観客に理解を暴力的に強制しようとしても無価値です。しかし、観客の倫理原則を尊重しなければならないとしても、近代的映画芸術形式を創造する自らの義務に妥協があってはならない。

観客の後ろ向きの趣味に支配されてはならない。

私は、文学的、演劇的、劇的な構築を信じない。


それは芸術形式としての映画特有の作劇術と共通点がない。

ほとんどの現代映画はアクションをとりまく情況、映画の叙述を観客に説明することに終始する。しかし映画に説明は要らない。むしろ情緒に直接訴える必要がある。その時高められた情緒の状態が知性を自ずと前進させるのです。


私は、主題自体の論理の代わりに主観的な論理—思念、夢、記憶—を伝えさせてくれる映画を編集する原理に到達しようと努力しています。

私は、現実の状態と魂の人間的な状況、言い換えると、人間の行動に影響を及ぼす要因から発生する形式を探しています。

それは心理的な真実を提示する最初の条件です。

ギデオン・バックマン:
「主題の論理」は映画のプロットと同じですか?

私の映画では、物語自体は特に重要ではありません。

私の作品で真に意義深いものは、映画のプロットに表現されたことは一度もない。

私は不必要に気を散らすものを排除して、重要なことについて話そうとします。

純粋に論理的なレベルでは必ずしも結びつかない事物を示します。

内的な人間性において、私たちにそうした事物を結びつけるもろもろの思念をひっかきまわすのです。

ギデオン・バックマン:
ということは、あなたにとって重要なことは映画で伝えられる情緒であって、語られるストーリーそのものではないと言うことですか?

私は、私の映画であれはどういう意味なのか、これはどういう意味かとよく尋ねられます。

ひどい話です! 

芸術家は自分の狙いを答える必要はない。

私は、自作に関して特に深い考え、深遠な思想を持っていません。

私の象徴が何を表すのか、私はまったく分からない。

私が唯一追求しているのは、そういう象徴が特定の情緒を生み出すということです。

どのような感情が出現するにしろ、それは内面からのあなたの応答に基づいているのです。

ひとは常に、私の作品に隠された意味を発見しようとします。

しかし映画を作り、同時に、自分の思考を隠そうとするのは変ではないですか?私のイメージは、ありのままのイメージであり、何の意味もない.... 私たちは自分自身をあまりよく知らない。

つまり、 時々私たちは慣習的なやり方では計りきれない力を表出することがあるのです。

ギデオン・バックマン:

あなたの映画で「旅人」が頻繁に隠喩として用いられて来ましたが、『ノスタルギア』の場合のように、はっきり定義された主題であったことはありません。あなたはご自身を「旅人」と思われますか?

1 つの旅しか可能でない. 内面への旅です。

地球の表面をあちこち駆けめぐっても大したことは学ばない。

いつか出発点に帰り着くように旅をするとも私は信じない。

人間は決して出発点には戻らない。

なぜなら旅の過程で彼が変わってしまうからだ。

そして言うまでもなく、私たちは自分自身から逃れられない。

私たちは、私たちであるものを、担っている。

私たちは私たちの魂の住処を、カメが甲羅を運んでいるように、運んでいる。

世界中の国をめぐる旅は、単なる象徴的旅でしょう。

どこに到達しようとも、探しているのはやはり自分自身の魂である。

ギデオン・バックマン:
自分自身の魂を探索するためには自分自身に強い確信がなければならない。しかし今日、自分の立場を取りうる自分自身の能力への人間の信念は、 —いたるところで—外的な出来事、外側から来る理念への信念に価値をおく狂信に屈服してきたように、私には思えます。

そうです。私は、人類が自分自身を信じることを止めてしまったと感じています。

言い換えると、「人類」そのもの—ではなく、そんな概念は存在していません—むしろひとりひとりの人間個人を信じる気持ちがなくなってしまった。

現代人の魂を考えるとき、私には合唱隊の女性歌手に見えます。

彼女は音楽のリズムに合わせて口をパクパクするのですが、一音も発声しないのです。

結局、他の皆が歌っているのです!

彼女は歌っているふりをしているだけです。

他の人たちの歌で十分だと思っている限り、そうです。彼女がこんなふうに振る舞えるのは、自分自身の個人の行動の大切さに信頼を失っているからです。

現代人は信念を欠いている。自分の行動で社会に影響を及ぼすことが出来るという希望を喪失している。

ギデオン・バックマン:
そのような世界で映画を作る意味は何ですか?

人生の唯一の意味は、精神的に成長するときに求められる努力にあります。

誕生したときとは別の何かに私たちは変わる。

人生の意味は、発達してそうなるのに必要な努力にある。誕生と死の間の期間にこれを成就するなら、それが困難であり、進歩が時にはのろのろしたものに思えるとしても、私たちは実際、人間性に奉仕したことになるのです。

私はますます東洋哲学に興味をそそられています。

そこでは、人生の意味は観想にあり、人は宇宙の不可分の部分なのです。

西洋世界はあまりにも合理的になり、西洋の人生観は、より実用主義に根ざしているように見えます。
つまり、あらゆるものを少しずつ完璧なバランスに保ち、体を生き続けられるようにして、出来るだけ長い間ただ「存在」していればよい。

ギデオン・バックマン:
存在の経験を描く計器としての時間の概念を信じないのですか?

私は、「時間」が本質的に客観的なカテゴリーでないと確信しています。

「時間」は、人間がそれを知覚しなければ存在できないからです。

科学的な発見の数々も同じ結論を引きだしているようです。

私たちは「今」に生きていない。

「今」はあまりにも移ろいやすいので、ゼロではないが近づくほどにゼロに近づくので、それをつかまえる方法がない。

私たちが「今」と呼ぶ時間の瞬間はただちに「過去」になり、「未来」と呼ぶものが「今」になり、それもまたすぐに「過去」になる。

「今」を経験する唯一の方法は、自分自身を「今」と「未来」の間に存在する深淵に突き落としてみることです。

こういう理由から、「ノスタルギア」は過ぎ去った時をめぐる単なる悲嘆と同じではないのです。

ノスタルギアは、私たちが自分の内的な天賦を当てにするのを諦めて、それらを適切に整え利用しないとき、そうすることで自分の義務を行うのを怠ったとき、そうやって消え去った時をめぐる強烈な悲しみの感情なのです。
ttp://homepage.mac.com/satokk/bachman.html

カンヌのタルコフスキー

50歳になるアンドレイ・タルコフスキー、この繊細な詩人にして見事な映像芸術家(20年で5作−5つの傑作映画の創造者)がカンヌ映画祭にやってきた。

明日『ノスタルギア』を上映してイタリアの旗を高く掲げることになる。

この映画は彼とトニーノ・グウェッラとの共同脚本で、RAIとゴーモンの出資でローマで撮影された。

真剣なテーマの映画を見せることになる彼は、真剣なテーマを語ることになる。


ポルロ:
何への郷愁なのでしょうか、タルコフスキーさん?

タルコフスキー:私たちの「ノスタルギア」はあなたたちの「ノスタルジア:郷愁」ではありません。

個人的な感情ではなく、国外に出たロシア人が経験するとても複雑で深遠なものなのです。

それは、病です。

魂の力、仕事の能力、生きる喜びを枯渇させる病気です。

私は、このノスタルギアを、具体的な物語、イタリアに来たソヴィエトのインテリゲンチャの話と突き合わせて、分析します。

ポルロ:
そのノスタルギアにさいなまれながら、イタリアでの仕事はどうでしたか?

きわめて良好でした。

なぜなら、なんといっても、映画というものはどこでも大きな家族なのです。

この映画をつくるのに通訳もいらなかった。

ブロークンなイタリア語で言いたいことは通じましたから。

映画は普遍的な言語を使っています。

お互いを理解し、自分を説明するのに役立ちます。

ところが、この手の仕事、つまり映画作りの財政面に関して、議論が多すぎるのには驚きました。ロシアでは、議論にもならないことですから。

ポルロ:
ロシア人の主人公を見ていると、自伝的な映画として見たい気持ちに駆られるのですが。

そうですよ。ただし芸術的な観点からに、限られますが。

実際、そういう意味では、この映画ほど暴力的なほど私の気分を反映させた映画をつくったことがありません。

私の内面世界をこれほど深く解放させた映画は初めてです。

私自身、完成した映画を観たとき、この表出力に直面して愕然としました。

気分が悪くなったほどです。

鏡に映った自分の姿を見たときや、自分のもくろみを踏み越えてやりすぎたと感じたときに経験するのと同じ気分です。

ポルロ:
それでは、何があなたのもくろみだったのですか?

私の願いは、イタリアにやってきて、自分に関して思いがけない情緒を発見するロシア人を観察することでした。

もちろん、私がアフリカに行っても、どこに行っても、同じことが起きたことでしょう。

この男は国と国を隔てる障壁がある理由が分からない。

人間同士を分離しようとする人工的な慣例を受け入れない。

こういうことは当然、彼に恐ろしい苦悩を引き起こします。

お互いにもっと理解するにはどうしたらいいか聞けば、子どもでも、国境を開放したらいいと答えるでしょう。

もちろん、これは素朴で、理想主義的な答えですが、基本的には正当なものです。

この素朴な世界観と祖国を出た人間の現実的な生活状況がこのように衝突することから、ドラマが生まれるのです。

ポルロ:
お仕事が助けになりましたか?

映画はもっとも高貴で重要な芸術です。

とはいえ、商業と商品市場から誕生したという原罪をいまだに贖っているところなのですが。

ポルロ:
このすべては悲観論に非常に近いとは思いませんか?

その逆です。真の悲観論者は、幸福を求め続ける人たちです。

2,3年待って、それからどこまで実現したか、訊いてみたらいいのです。

ポルロ:
あなたの楽観論がどこにあるのか訊いてもいいですか?

私たちの文明のドラマは、科学技術のニーズが、精神性の要求から調和を欠いて、一方的に発達していることにあるのです。霊性の完成こそ、人生の本当の目的なのです。
ttp://homepage.mac.com/satokk/canne.html

アンドレイ・タルコフスキー・インタビュー2

(ナタリア・アスペシ)1983年カンヌ
私たちロシア人には、あの優しい感情が致命的な病なのです

アスペシ:
賞に関心はないのですか?

タルコフスキー:ないと言えば、嘘になります。

自分の本が読まれようが読まれまいが、気にしないという作家のようなことになってしまいます。

映画は観られるためにつくられるのです。

万が一、『ノスタルギア』がここカンヌで受賞したら、私はとてもうれしいでしょう。

『ノスタルギア』はイタリアで構想、撮影、製作されましたが、私の映画の中で最もロシア的な映画です。

アスペシ:
イタリアの生活はどうですか?

とても気に入っています。

イタリアは私が長期間いられる唯一の国です。

他なら一週間以上いられないでしょう。

けれども、月末にはモスクワに戻ります。

私の国、私の人々から離れて私は長くは生きられないのです。

私には多くの企画があります。心を決めなければならない。

なかでも、ドストエフスキーの『白痴』に基づく映画を構想しています。

私の教養は、偉大なロシアの作家たちによって、形成され、養われました。

彼らのように、私は物質生活と精神生活を融和させようと苦闘する劇的な状況を経験しています。

アスペシ:
カンヌ映画祭に持ってくるまでに『ノスタルギア』を一度しか観ていないというのは本当ですか?

そうです。大満足です。私の一番うまく実現した映画だと感じています。

私の内面世界を最も良く表現した映画です。

主人公は私の「分身」みたいなものです。

私の感情、私の心理、私の本性、そのすべてを持っています。

彼は鏡に映った私の姿です。

アスペシ:
なぜ自分の映画について話したくないのですか?

それは正確ではありません。映画のプロットを繰り返したくはない。

それ自体は意味がないからです。

ロシアの作家が、同郷の人間の研究をしにイタリアに来た。

その音楽家の足跡は2世紀前に失われている。

そこで、イタリア人の教授と金髪の通訳に出会って・・・。

こんなことを知って、何が面白いのですか? 

しかし、映画が言おうとしていることは説明しようとすることは出来ますよ。

それは情緒の表出です。私の中に最も深く根ざしている感情です。

ソ連を出るときに、それを最も強烈に感じたのです。

まさにその理由のために、イタリアだから『ノスタルギア』を撮影できたと言うのです。

私たちロシア人にとって、私たちにとって、ノスタルギアは優しく優しく甘い感情ではありません。

あなたたちイタリア人にとってはそうかもしれませんが。

私たちにとって、それは一種の死の病です。命に関わる病気です。

この深い共感が私たちを、自分だけの苦しみ、あこがれ、別離に縛らないで、他の者の苦悩に結びつけるのです。情熱に満ちたエンパシーです。

アスペシ:
『ノスタルギア』をご自分の作品のどこに位置づけされますか?

『ノスタルギア』は私にとってきわめて重要な映画です。

私が自分自身をすっかりと表出することができた映画です。

こう言いましょう。映画というものが真に偉大な芸術形式で、人間の魂のもっとも知覚不能な動きすら忠実に表象できるということを私に確証してくれました。

アスペシ:
たとえ一度でもご覧になって、完成した映画でもっとも心に残ったのは何でしょう?

そのほとんど耐え難い悲しみです。

ところが、それが精神性に自分を浸したいという私の欲求を非常に見事に反映しているのです。

とにかく、私は悦楽に耐えられない。

陽気な人たちは有罪だと私には思えます。

なぜなら、彼らは存在の憂慮すべき価値を理解できないのだから。

子どもと老人には幸福を許しますよ、でも、他の連中に関して、私は不寛容だ。


アスペシ:
23年のキャリアで、なぜ6作しか作っていないのですか?

作りたい映画だけを作ったからです。

相当な資金が必要でしたね。今、50歳になり、このような慎重さや、私自身の欲張りな点といった問題を自問し始めています。

私は急がなければならない。

もっと仕事をしなければならない。すべてを言わなければならない。
ttp://homepage.mac.com/satokk/aspesi.html

20年ぶりのタルコフスキー映画「ノスタルジア」


群馬会館でタルコフスキーの「ノスタルジア」を20年ぶりぐらいで見ました。

むかしはタルコフスキーに熱狂していた一時期もあったのですが、しばらく前からその熱も冷めてしまってよいのか悪いのか映画の中身とは関係ないところを見てしまいます。

登場する犬はシェパードみたいですが、この犬がとてもかしこい。

おそらくこの犬がうまく「演技」していなかったら、「ノスタルジア」の完成はおぼつかなったでしょう。


ロシアの田舎のシーン、詩人アンドレが滞在するホテル、狂人ドメニコの家などさまざまのシーンで犬が登場しますが、よほど訓練されていて勝手に動き回るような無駄な演技をしません。

まあ、動物のことですから何度かはNGを出したのだろうが、いい演技をしています。

追記 : このシェパードだが、タルコフスキー自身が飼っていたダックス(ダーネチカ)という愛犬じゃないかと思う。


あと、あらためて思ったのはカメラの撮影がとても丁寧に撮られていたこと。

その前に見た河瀬直美の「火蛍」の撮影ハンディ・カメラだったので対照的に感じられました。

「ノスタルジア」は人物など画面の中心を見ているとわからないのですが、画面の端を見ていると超スローでアップしてゆくのがわかります。

あれはカメラ自体に備わっている機能を使ってズームしたのか、それともレールの上でカメラを移動させたのだろうか?

ラストシーンのロシアの田舎とイタリアの遺跡を合成させたシーンもあらためて見るととても奇妙です。前景と後景とでは雪の降り方が異なっているのだ。

CG全盛の今日からすれば新鮮に感じられます。

もっともタルコフスキーには東京の首都高速を撮って未来都市を表現するというウルトラCの大技がありますね。撮影を担当したのはジョゼッペ・ランチという方らしい。

詩人アンドレのホテルの部屋、アンドレが窓を開けると外は雨降りなので部屋の向こうがわからないのです。

最初植え込みか森だろうと見当をつけていたが、しばらくすると薄黒いかたまりがゆっくりと下に流れていくのです。

なんだろう思っていると、また黒いのがゆっくりと下に落ちていく。
フィルムのキズでもなさそうだし。

窓ガラスはないはずなのですが仮にガラスがあったとすれば、窓に貼りついた木の葉が雨に打たれて流れ落ちている感じがした。

そのシーンではその黒いものの正体はわからずじまいだったのだが、ラスト近くで雨ぬきのシーンがあったので確認してみる。窓の外は土壁。

つまりあの黒っぽいものはどうやら土壁が剥がれて流れ落ちていたのだ。
詩人アンドレのホテルの部屋は映画用のセットだろうから、インスタントにこしらえた壁がホースで散水した水で流れてしまったようです。
ノスタルジア・コム ttp://www.acs.ucalgary.ca/~tstronds/nostalghia.com/
ttp://fuqusuke.s32.xrea.com/archives/000050.html
メンテ
タルコフスキー 映画『サクリファイス 1986年』 ( No.6 )
日時: 2022/05/17 05:29
名前: スメラ尊 ID:Gjda1JhU

タルコフスキー 映画『サクリファイス 1986年』

動画
https://www.nicovideo.jp/search/%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%81%AE%E3%82%B5%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%82%B9?ref=watch_html5



『ノスタルギア』の撮影前に書かれた、『魔女』と題された『サクリファイス』の最初の脚本コンセプトは、癌にかかった人間の治癒をめぐって展開した。

不治の病と知り、自暴自棄の状態になると、アレクサンデルは不思議な人物と出会う。

彼はアレクサンデルに、回復の唯一の希望は、魔力をもつ魔女と噂される女性のところに行って、彼女と寝ることだと告げる。

アレクサンデルがそうすると、彼は驚異的な治癒を経験し、医者は茫然自失することになる。

ところが、ある日その魔女がひょっこり姿を現し、雨にうたれながら家の外で待ち受けて、彼をさらおうとする。

脚本のこの段階で、アレクサンデルの犠牲は、家族と所有物を捨てて、貧者の姿に身をやつし、この女性と家を去ることだった。

『ノスタルギア』の撮影中に、タルコフスキーは、当時映画で気になっていることと自分の実生活との数多い平行関係に驚いた。

映画の主人公、アンドレイ・ゴルチャコフは短期間滞在するだけの予定でイタリアを訪れたが、望郷の念に消耗していく。

そして、ロシアに帰ることは叶わず、最後にはイタリアで客死する。

タルコフスキー自身、最初は、映画が完成するとロシアに戻るつもりだったが、 彼もまたイタリアで病気になり、滞在を延ばすしかなかったのだ。


タルコフスキーは、また、アナトーリ・ソロニーツィンの死にひどく心を痛めていた。

タルコフスキーの作品の多くで主役を演じたソロニーツィンは、『ノスタルギア』でもゴルチャコフの役を演じる予定だった。

また最初から『魔女』のアレクサンデルの役がふられていた。

ソロニーツィンは、物語の第1版でアレクサンデルの人生に転機をもたらすあの病気で死んだ。

そして「今では、数年後に、私もまたその病気で苦しんでいる」

林の木の下でアレクサンデルが、小さな息子に話す言葉は、痛いほどの意味を秘めている。

「死なんてものは存在しない。死の恐怖だけが存在する」

ttp://homepage.mac.com/satokk/pgreen.html


タルコフスキーは家にほとんど異常なほど愛着があった。

『サクリファイス』で家が焼け落ちるのをワンシーン、ワンカットで撮影するのは、それ自体が彼にとって目的になった。

我々は、『サクリファイス』で焼け落ちる家が、潜在的に実生活で病魔にむしばまれつつある彼の肉体の映像になるのを実感し、それを目撃する。

撮影は1度失敗して、2度目に成功した。
ttp://homepage.mac.com/satokk/house.html

サクリファイス製作風景
ttp://homepage.mac.com/satokk/offret/offret.html
メンテ
タルコフスキーが伝えたかった事 ( No.7 )
日時: 2022/05/17 05:48
名前: スメラ尊 ID:Gjda1JhU

タルコフスキーが伝えたかった事


Andrey, what is art?
http://www.youtube.com/watch?v=7Me--xHG-mQ&feature=related

Tarkovsky on Art
http://www.youtube.com/watch?v=V27XlEDLdtE&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=aedXnLpKBCw&feature=related


Tarkovski interview
http://www.youtube.com/watch?v=gy1DpCOON6Q&feature=related
ttp://www.youtube.com/watch?v=2MoVQr1t8kU&feature=related

The Law of Life Tarkovsky
http://www.youtube.com/watch?v=ueDsS48uZaY&feature=related


象徴について ―隠喩で自己表現するのが私の好みです―

私たちは詩的媒介か描写的媒体によって、自分をとりまく世界に関する情緒を表出することが出来ます。

隠喩で自分を表出するのが私の好みです。

力説しておきましょう、隠喩で、です。

象徴によってではありません。

象徴はその内部に、明らかな意味を、ある種の知的な公式を、含んでいます。

それに対して、隠喩はイメージです。

それが表象する世界と同じ際だった特徴を保持するイメージです。

イメージは―象徴とはちがって―意味は定かでありません。

輪郭の定かな、限定された道具を用いることによって、無限定の世界を語ることは出来ません。

象徴を構成する公式は分析出来ますが、隠喩は自己完結した存在なのです。
それ自体で独立した一項式です。

それに触れようとした途端に、隠喩は砕けてしまいます。(1983年5月12日)


―小鳥は邪悪な人の元には来ない―

私の意見では、映像は象徴ではありえない。

映像が象徴に変換されると必ず、思念はいわば壁で閉ざされ、十分に謎解きをすることができる。

ところが映像はそういうものじゃない。

象徴はまだ映像になっていない。

映像は説明できないけど、映像は真実をくまなく表出する。

その意味は知られざるままだ。

『鏡』の少年の頭にとまる小鳥は何を意味するのかと訊かれたことがあります。

しかし説明しようと努力すれば必ず、何もかもが意味を失うことに私は気づきます。

本来の意図と全く異なる意味を獲得して、正当な場から移動してしまう。

小鳥は邪悪な人の元には来ないとだけは言えるけど、それではまだ足りない。

真実の映像は抽出されたものであり、説明することは出来ない。

それは真実を伝達するだけであり、自分のハートに問いかけてはじめて、それを包括理解することが出来るのです。

そのために、作品の知的意義を利用することから、芸術作品を分析することは不可能です。
(1976年)

―芸術的な映像を解読することは出来ません―


私は象徴の敵です。

象徴は、読み解かれるために存在するという意味で、私には狭すぎる概念です。

それに対して、芸術的なイメージは読み解くことが出来ません。

芸術的なイメージは私たちを取り巻く世界と等価なのです。

『ソラリス』の雨は象徴ではありません。

特定の瞬間に主人公にとって特定の意義を持つ雨にすぎません。

しかし何かの象徴ではありません。

それは表出するだけです。

この雨は芸術的な映像です。

私にとって象徴は複雑すぎるものなのです。(1984年)


―人は、尋常な手段では把握できない諸力を表出することがある―

私の映画で、あれはどういう意味なのか、これはどういう意味なのかとしょっちゅう訊かれます。

我慢できないですよ! 

芸術家は自分の意図をいちいち説明する必要はないんです。

私は自分の作品について深く考えたことなんかないですよ。

私の象徴が何を意味するのか、私は知らない。

私は観客に、感情を、何らかの感情を誘発したいと願っているだけです。

誰もが、私の映画に「隠された」意味を見つけようと努力していますがね。

しかし、自分の考えを隠そうと努力しながら映画を作るのは妙じゃあないですか。
私のイメージは、イメージのままです、それを越えた何かを意味するわけではありません…

私たちは自分のことをそれほど知っているわけじゃないでしょ―
時折私たちは、通常の手段では把握できない諸力を表出するものなのです。(1984年)

―1日の間に起きた出来事を、ひとつひとつ、全部思い出して、スクリーンに映し出すなら、その結果はとても神秘的なものになるでしょう―


私の映画の神秘的な要素? 

スクリーンに映ったものは何でもすぐに理解できるべきだと誰もが思っているみたいですね。

私の意見では、私たちの日常生活の出来事のほうがスクリーン上に目撃できるものよりずっと神秘的です。

人生のたった一日の間に起きた出来事を、ひとつひとつ、全部思い出そうとしてそれを全部スクリーンに映し出すなら、その結果は私の映画[『ストーカー』]よりも百倍も神秘的になるでしょう。

観客はどうしようもなく単純なドラマに慣れてしまった。

実在の瞬間、真実の瞬間が銀幕に出現すると必ず、「訳がわからん」と叫ぶ声が聞こえるのです。

多くの人が『ストーカー』をSF映画だと思っています。

しかしこの映画はファンタジーに基づくものではなく、フィルムに定着されたリアリズムなのです。

その内実を3人の人物の人生の1日を記録したものとして、受容するようにしてみてください。

そのようなレベルでこの映画を見るようにしてください。

そうすれば複雑なもの、神秘的なもの、象徴的なものは何もないとお分かりになるでしょう。(1981年)
ttp://homepage.mac.com/satokk/about_symbol.html


映画監督の仕事に関して


私は、自分で書いていない脚本に基づく映画作りが想像できない。

他人の脚本に全面的に基づいた映画をつくる監督は、必然的にイラストレーターになるのだ。[…]

脚本というときそれが何を指すのか、脚本家という言葉そのものが何を指すのか、もっと詳しく説明してみよう。

「プロの脚本家」は存在するが、私に言わせれば実はそんなものは存在しない。
そういう人は映画をよく理解した作家になるか、(文学的素材を自分で組み立てる能力を発揮して)自分自身が映画監督になるべきだ。

なぜなら、脚本というような文学ジャンルは存在しないからだ。


今や私たちはジレンマに直面している。

脚本を準備しながら、監督が、映画に固定すべき具体的な時間群として自分が想像したものだけを、出来事とエピソードの形式で書き留めようと決心したとしよう。

文学作品と見なすなら、そういう脚本は、きまぐれな読者だけでなく、映画の仕事に関わるものには、無縁のものであり、理解不可能であり、まったく訳がわからないだろう。
また一方で、脚本家が自分の独自の考えを作家のように文学的形式で表出するなら、彼の作品はもはや脚本ではないだろう。

それは、たとえば、タイプされた70ページのストーリーになり、文学作品になる。
脚本家が撮影台本も準備しているなら、彼はカメラまで歩いていき、自分で映画を撮った方がいいだろう。

彼以外の誰も作品のヴィジョンを持っていないからだ。

彼以上によい仕事をどんな監督もすることができないだろうからだ。


だから、非常にすぐれた「映画らしい」脚本を与えられたなら、それを引き受けた監督は、やることが何もないだろう。

そして文学作品の形式で脚本が提供されるなら、監督はすべてを一から始めざるを得ないだろう。

監督が脚本に取り組みはじめると必ず、脚本は変わりはじめる。

どれほど深く、細部が出来上がった脚本であろうとも、そうだ。

監督は、脚本の鏡像、正確な逐語訳である映画を生み出すことは決してないだろう。
必ずある種の変形が生じるだろう。

だから、監督と脚本家の協働は、一般に闘いとなり、妥協を探ることになるのだ。
このようにしてよい映画を作ることは不可能ではない。

たとえ、準備段階で元々のアイデアがダメになって、監督と脚本家が古い「がらくた」に基づいて新たな概念を構築せざるをえなくなったとしてもである。


そうは言っても、映画作りで最も自然な流れは、アイデアを壊して変形させる必要がなく、その代わりに有機的にアイデアを展開させていくことである。

監督が自分で脚本を書く場合や、別の流れの時のように…脚本を書いたものが自分で映画を撮ろうと決心したときのように。[…]
手っ取り早く言うと、監督にとって唯一のよい脚本家とはよい「作家」であると私は思う。


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ノート

タルコフスキーが『ソラリス』でレムの原作を大幅に変えてしまったこと、『ストーカー』でもまたストルガツキー兄弟と衝突してしまったことを、思い出すなら、この発言はさらに興味深いものになる。

まあ、こんなことを信条としているから、大騒ぎを引き起こすのだ。

映画になってしまうと、それはまさしくタルコフスキーの映画であり、原作を読んだから映画の理解が深まるというものではない。

タルコフスキーの映画はいつも自立している。

だから彼自身が自作に、特に『鏡』に新たなアプローチで言及することを楽しんだのだ。
ttp://homepage.mac.com/satokk/directing.html


オルガ・スルコワ:タルコフスキー・インタビュー

映画は、劇場とちがって…


俳優にとって、映画は生そのもののようなものであるべきだ:

映画は、謎、秘密、神秘であるべきなのだ

私の場合、劇場より映画のほうがやりやすい。

映画の場合、全責任が私ひとりにあります。

劇場の場合、俳優の責任が大幅に増すことになる。

俳優がセットに到着しても、俳優が監督のアイデアと意図を一から十まで知っておく必要は全くない。自分で自分の役をつくり出すと、まずいことすらある。

映画俳優は、監督が準備するさまざまな状況下で、自発的に直観的に行動すべきなのです。

監督の役割は、俳優を適切な精神状態に持ち込んで、俳優が完全に信じていられるように後ろ盾をしてやるように、気を遣うことだ。

やりかたにはいろいろなやり方がありえる。俳優のタイプにもよる。

役者を教導して、シミュレーション不可能な心理状態に持ち込むことが必要なのです。
このように、映画監督の役割は、役者が銀幕上で実存的な真実を表出するように、取りはからうことなのです。

カメラレンズの前で、俳優は真実で自発的な状態でいなければならない。
俳優は現存しなければならない。
高度に自然な様態で現存しなければならない。

それ以外で、監督がなすべき仕事は、映画の素材を実際に編集することだけなのです。
その素材は、カメラの前で実際に起きたことの単なるコピーです。

芸術映画のカテゴリーにとどまりながら、俳優のなまの存在が提供するように思われる観客との接触のレヴェルに達するのは不可能である。

それこそ、劇場のカテゴリーにおいて、きわめて魅力的な特徴なんですがね。

というわけで、映画は芝居の代わりにはならない。

この誤解は数年前には流行りましたね。

劇場は観客と舞台の間にこのような親密で直接的な関連を可能にするという…
映画は、無限の回数にわたって、時間のまさに同じ瞬間を、再創造する能力のお陰で存在する。

映画の本性がノスタルギアなのである。

劇場では、すべてが進歩する。生きて、動いていく。

劇場は、人間の創造する欲求を実現させるもう1つの方法なのだ。

映画監督は多くの点で収集家に似ています。
その愛着の対象ー映像ーは生そのものです。

彼にとってー親密な細部、部分、断片の膨大な量の中で永遠に凍り付いた生そのものです。

俳優がいようがいまいが、状況は変わりません…


バレットが言うように、劇場俳優は、雪を素材にする彫刻家になぞらえることが出来る。

俳優が肉体的に存在し、身体と魂において生きている限り、その間だけは芝居が現存する。

俳優がいなければ、劇場は存在しない。


劇場では、役者のひとりひとりが個人で、最初から最後まで、役の全部を造形して、芝居の全体の理念と文脈に対応して、自分の情緒をかたどらなければならない。

ところが、映画では、俳優が自分の知的能力を使って役を作りあげることを避けることが肝要だ。

その代わり、俳優の唯一の課題は、生そのものに私たちを接近させることだ。
つまり、俳優の仕事は、純粋であること、真実であること、自然であることなのだ。
それ以上でも、それ以下でもない。

映画を撮るとき、私は俳優と出来るだけ話をしないようにする。

俳優自身が自分の個々のシーンを全体との流れでやろうとするのに、私は強く抵抗します。

時には、直前のシーン、あるいはその直後のシーンとの関連でも、ダメです。


例を挙げましょう。『鏡』の最初のシーンで、主演女優がフェンスに腰を下ろして夫を待ちながら煙草を吸うシーンでも、主役を演じたマルガリータ・テレホワが脚本の細部を知らないことを私は望みました。

つまり、夫が最後のシーンで帰ってくるのか、永久に去ってしまったのか、彼女は知らなかったのです。彼女が演じている女性がかつて、人生の未来の出来事を何も知らずに、存在していたのと同じ様態で、彼女にもその瞬間に存在していてほしいという思惑があって、なされたのでした。

もし女優が主役の亭主が二度と帰ってこないと知っていたら、状況の絶望ぶりを演技で前もって表出させていたことは間違いありません。

あるレヴェルで、たとえ潜在意識でなしたとはいえ、私たちはそれを察知したことでしょう。

これから起きることを自分が知っていることを、それに対する自分の態度を露わにしたことでしょう。そういう細部の知識は大きなスクリーンでは確かに隠しようがないからです。

この場面では、そういう細部を未熟なかたちでばらさないことが絶対に肝要でした。だから、実生活で経験するのとまさに同じやり方でこの瞬間を経験することがテレホワには必要だったのです。

彼女はこのように、希望をいだき、不信に陥り、また希望を取り戻すのです。「解決のマニュアル」に触れることはありません。

与えられた状況という枠組みの中でーこの場合、枠組みは夫の帰りを待つことにあるのですがー彼女は自分自身の個人的な生の何か秘密の一片によって生きざるをえなくなった。

幸運なことに私はそれについて何も知りませんがね。

映画芸術で最も重要なことは、俳優がその俳優に完璧に自然なやり方である状況を表出することです。つまり、その俳優の肉体的な、心理的な、情緒的なそして知的な性格に照応した様態で、ある状況を表出することです。

俳優がどのようにその状況を表出するかは、私とはまるっきり無関係です。
別の言い方をしましょう、私には俳優に何か特定のかたちを強制する権利はありません。

結局、私たちは皆、自分の完全に独自のやり方で同じ状況を経験しているのです。
この例外的な表出力こそ、比類ないものであり、映画俳優の最も重要な側面なのです。

俳優を正しい状態に置くために、監督は自分の内面でこの状態を明確に感知できなければなりません。このようにしてのみ、当面のシーンの正確な調子を見つけだすことが出来るのです。

例えば、よく知らない家に入って、前もってリハーサルしておいたシーンを撮影するのは不可能です。知らない人たちの住居になっている馴染みのない家は、私のキャストに何も意思疎通することが出来ないのは、言うまでもありません。

人間の経験可能で正確な状態こそ、映画の個々の特定のシーンで目指すべき核心的でかつ完全に具体的な目標なのです…

テイクの雰囲気を決定する魂の状態、監督が俳優に伝えたいと思う主なイントネーション、これこそ大切なのです。

俳優はもちろん、自分自身の方法を持っていなければいけません。

例えば、すでに触れたように、マルガリータ・テレホワは脚本の全体像を知らなかった。

彼女は自分自身の断片化された部分を演じただけでした。
出来事の帰結や自分自身の役のコンテクストを私が明かすつもりがないと探り当てたとき、彼女はひどく困惑しました…

まさしく、このようにして彼女が直観的に演じられた部分のモザイクを生み出し、それを後に私が全体像にまとめ上げたのです。

くり返しくり返し、私が役を把握しているということを完全に信頼することの出来ない俳優たちに出会ってきました。

何らかの理由で干渉を止めることができなかったのです。
彼らは私のアプローチをプロらしくないと思っていたのです。

そういう場合、私は彼らこそプロの俳優らしくないと思ってきました。

私の意見では、プロの俳優は容易にかつ自然に、目に見える努力も見せずに、どんなときでも、どんな指示でも受け容れて、あらゆる即興的な状況のなかで、個々の反応において自発的であることが出来なければなりません。


私も、そのタイプの俳優と仕事したいですね。
私に言わせると、それ以外の俳優は、型にはまった演技しかしない。

ルネ・クレールが俳優とどのように仕事をするのかと訊かれたことがありました。
自分は俳優と仕事をしない、ギャラを払うだけだと彼は答えました。

この逆説的で刺激的な考え方は、監督と映画俳優の間に存在する独特の関係に深い根を張ったものです。この名高いフランスの監督の言葉に含まれるように思われるシニシズムには、俳優という職業に対する深い敬意が隠されています。

ここには有能なプロに対する深い信頼が表明されています。
監督は、俳優にあまり向いていない類の人とだけ、仕事をすべきなのです。

しかし、アントニオーニの『情事』の俳優たちとの仕事、フェリーニとベルイマンの俳優たちとの仕事ぶり、オーソン・ウェルズの『市民ケーン』の仕事ぶりについて、何が言えるでしょうか? 

彼らは全然仕事をしているようには見えません。

登場人物に関して独特の真実さを感じるだけです。

しかしこれは、質的に異なる、映画だけに言える、真実さなのです。

原則として、言葉の演劇的な意味での表現力とは区別しなければいけません。

映画俳優は、無垢でナイーヴな性格の持ち主でなければいけません。

誠実で率直でなければなりません。
無用な思慮にふけるべきではありません。
むしろ単純に信頼を寄せるべきなのです…

自分の役のことを、映画での自分の役割とその全体の出来映えを、ああだこうだと考え始めると途端に、ー私の考えではー最も大切で最も根本的なものを失ってしまいます。
監督でも、自分の探り当てようとしているものを正確に知っている監督でも、前もって結果を知っているわけではないのです。

分析的で、理詰めの傾向のある俳優が脚本の全体を知ると、最終的な映画を知っていると思ってしまう。少なくとも、映画の最終的な姿を必死で想像しようとする。
まるで、それが演劇作品であって、劇場の役をリハーサルし始めたのだと勘違いしてしまう。

ここで、最初の間違いを犯しているのです。


映画がどうなるべきが自分には分かっていると信じる俳優は、役に対する自分の考えに型を与え始めます。

そうなると、映画の全体がひどいことになる。
望もうと望むまいと、演技で、映画そのものの理念と映画芸術をダメにしてしまうのです。

すでに指摘したように、俳優によってやり方が変わってきます。

時には、同じ俳優でもケースによっては別の方法が必要です。

ここで、監督は望ましい結果に到達する試みで創意工夫が出来なければいけません。
こうやって話していると、『アンドレイ・ルブリョフ』で鐘職人の息子ボリースカを演じたニコライ・ブルリャーエフのことを思い出します。

撮影中私は助監督にしょっちゅう、彼に私は彼の演技に大いに不満で、別の俳優で撮り直さなければいけないかもしれないと言わせてました。

私は、彼に災厄が待ち受けているという感触を植え付けて、彼が不安な気持ちにさいなまれるようにする必要があったのです。

俳優として、ブルリャーエフはひどく集中力に欠けていてわざとらしい。
彼の場合、この映画で私が望んだ結果を得るのに私が成功したとは思えない。
結局、彼はあの映画に出演した私のお気に入りの俳優の演技レベルに達していない。
イルマ・ラウシュ、ソロニーツィン、グリンコ…

言いたいことを明確にするために、ベルイマンの映画『恥』を考察しましょう。
あの映画には俳優が監督の理念を「暴露する」エピソードはほぼ1つも存在していません。

監督の理念は、登場人物が生活を生きるその背後にすっかり隠れて、その中に溶けこんでいます。

俳優たちはこうした状況と完全に一致した演技をしています。

現在に対して何らかの理念を浮かび上がらせようとしたり、何らかの態度を示したりはしません。

こうした人々を善人か悪人かであっさり片づけることは出来ない。無理です。
ずいぶん深く、複雑なものです。

実生活と同じくらいに、そうです。
例えば、主役(フォン・シドー)が悪人だと、私はカテゴリー的に主張することはない。

たぶん全員が善人であり悪人の両方なのです。しかしそれは重要なことではない。


一番大切なことは、俳優にいかなる偏見の暗示も存在させない、そして監督が人間の選択の多様性を探求するために状況を利用するということです。
アプリオリに先取りされた何らかの理念を単に例証するだけではダメです。

マックス・フォン・シドーの見事な役の描き方に注目してください。

非常に繊細な人間、立派で優しい心根の音楽家をめぐって描かれます。
しばらくすると、彼が実は惨めな臆病者だということが明らかになります。

現実ではこういうことがありえるのですが、勇敢な人間が必ずしも善人でない、臆病者が必ずしも悪人でないということを忘れないでください。
そうです。彼は弱い性格です。妻のほうが彼よりもずっと強い。
妻もまた恐れていますがね。


彼女の強さは、困難を克服するのに充分です。
マックス・フォン・シドー演じる主人公は弱くて傷つきやすいために苦しみます。
そして困難を耐え抜くことが出来ない。

彼はあらゆる手段で困難を避けようとする。逃げ出そうとする。
自分の手でそこから身を守ろうとするーしかしナイーブに愚直に…

生きるために自分と妻を守らざるを得なくなると、彼はあっと言う間にイヤな奴になる。

かつては存在していた善良さを失ってしまい、それと同時に、この新しい特徴が彼の妻には必要なものになってしまう。
妻は保護と救済を夫に頼るようになる。
以前は夫を軽蔑していたというのに、そうなってしまう。

夫は妻の顔を殴打し、出て行けとわめくが、妻は夫にすがりつく。
「悪は積極的で、善は消極的だ」という古い諺の陰にある叡知が目に見えはじめます。

しかし、なんと複雑なやりかたでこれが表現されているのでしょう! 

最初、ベルイマンの主人公は鶏の首をはねることすら出来ない。
しかし自己防衛の手段を見いだすや否や、彼は残酷な冷笑家になる。
何も恐れない。ひたすら行動し、殺し、仲間の人間を助けるために指一本動かさない。

そういう暴虐に直面して嫌悪と戦慄を感じるためには高潔な人間でなければならないという事実を、私たちは話しているのです。

人間がこの戦慄を喪失すると、彼は自分の精神性を、自分の精神的な能力を喪失してしまう。

この場合、これらの人々にこの種の憎悪を引き起こしたのが戦争でした。
戦争は、彼の人間観を伝えるためにベルイマンが利用した装置になったのです。

ベルイマンの別の映画『鏡の中にある如く』で、この同じ役を果たすのが病気です。
俳優の役割を論じる私たちのディスカッションとこれを結びつけるために、私は次の事実を指摘したいと思います。

ベルイマンは、登場人物が投げ込まれた状況を俳優が「超越する」ことは決して許さないのです。

これは非常に重要です。

映画芸術では監督が、俳優に生命を吹き込まなければいけないー俳優を自分の思想を喧伝するメガフォンに変えてはいけない…

映画の観客にとって、映画のフレームの中で登場人物に起きていることは闇に包まれている。

人間のひとりひとりが壮麗な秘密のままであるーそれは実生活と同じですー
一般に探究しつくすことは決してありえない秘密なのです。

ところが、劇場では、儀礼そのもの、舞台の芝居、その背後にある理念こそ、その最終的表出において、無限に魅力的で、包括理解不可能な秘密であり続けなければならないのです。

劇場では、演出家自身の理念がキャストの演技の土台にあります。

映画では、演技の基礎は隠されていなければならない。

映画芸術は人間の生を反映するからです。

言うまでもなく、それはまず理解不可能なものなのです。

劇場の俳優は、知的に構築された儀礼で機能を満たします。

演出家の思念は役を演じる人間が舞台に目に見えて存在することによって伝えられます。

映画の場合、時間に固定された瞬間のひとつひとつが、実生活の最奥の存在の本質そのものを、いくらかなりとも、含んでいなければなりません。

映画術の逆説がまさにここにありますね、生きた魂が冷たく機械的な鏡に再構築されるという…
ttp://homepage.mac.com/satokk/surkowa.html

映画との出会い

映画が自分にぴったりだと最初から知っている映画監督もいる。
私には疑問点があった。あまり好みというわけではなかった。

技術的に大きな利点があることは分かっていたが、映画が詩や音楽や文学のような立派な表現手段だとは理解していなかった。

『僕の村は戦場だった』を撮った後も、私は監督の役割を理解していなかった。
もっと後になって、私は映画が霊的な本質を成就する可能性を与えてくれることを悟ったのだった。

映画について

映画は、2つの異なるタイプの映画を作る2つのタイプの監督に基づいている。
自分の生きている世界を模倣する監督と、自分自身の世界を創造する監督ー映画詩人だ。

そして、映画詩人だけが映画史に残ると私は信じている。
ブレッソン、ドヴジェンコ、溝口、ベルイマン、ブニュエル、黒澤のように。

時間について


映画は時間という概念の中で動く唯一の芸術だと私は思う。
映画が時間とともに展開するからではない。

そういう意味なら他の芸術形式もある。バレエ、音楽、芝居がそうだ。
私が言うのは、文字どおりの「時間」という意味だ。
「アクション」と声をかけた瞬間から「カット」という瞬間までの、テイクとは何か。
実在、時間の本質を固定することだ。

永遠に巻いては巻きなおすのを許す時間の保存手段だ。
他の芸術形式ではそれが出来ない。
だから、映画は時間で出来たモザイクなのだ。

水について

私の映画には必ず水がある。
私は水が好きだ、特にせせらぎが好きだ。

海は大きすぎる。
怖いのではない。海は単調なのだ。

自然の中で、私は小さなものが好きだ。
マクロコスモスでなく、ミクロコスモス。

限られた表面。私は、日本人の自然観を愛する。
日本人は無限を反映した限られた空間に集中している。

水はその単一構造のために神秘的な要素である。
それに映画にぴったりなのだ。
水は動き、深さ、変化を伝える。水ほど美しいものはない。

色彩について

カラー映画はその黎明期にはリアリスティックに思えたが、今では袋小路に入ってしまった。

カラー映画は大きな間違いだ。

すべての芸術形式は真実を目ざし、それゆえに一般化、モデル理念を求める。

しかし生における真実は芸術における真実に照応していない。
色彩は私たちの外的な世界の生理学的かつ心理学的知覚の一部である。
私たちは色のある世界に生きているが、何かが色を意識させない限り、色に気づかない。

私たちは、この色のある世界を見ながら、色彩のことは考えない。
しかしカラーシーンを撮るとき、私たちは色彩を組織して、クロースアップでフレームに閉じこめて、それを観客に強制する。

私たちは観客にそういう絵はがきを何千枚何万枚と与えるのだ。

私にとって、モノクロのほうがカラーより表現力があり、リアリスティックだ。
なぜなら白黒は、観客の気を散らさず、映画の本質に集中できるようにするからだ。
カラーは映画芸術を嘘くさく、真実味をなくさせたと私は思う。


職業として、生き方としての映画作り

私は映画を創作するのを楽しむ。
スクリプトを書き、シーンを創造し、ロケ地を探す。

しかし撮影は面白くない。
いったんすべてを考えつくすと、実際に映画に仕立て上げる必要があるが、それは退屈だ。

私は自分の人生を映画と区別したことがない。
私はいつも重大な選択をせざるをえなかった。

多くの監督の作品は、自分の生き方と違う理念を表出している。
つまり、彼らは自分の良心を分裂させることができるのだ。
私にはそれができない。

私にとって映画は単なる仕事でない。映画は私の命だ。

観客について

私は観客の態度を気にしたことがない。

観客におもねるのは難しい。
役に立たないし不愉快なことだ。

映画の未来の成功を予言しようとする人もいるが、私はその手の輩ではない。観客に対する最良の態度は、自分自身であり続けることだ。
彼らが理解するような個人的な言葉を使うことだ。

詩人と作家は好かれようとはしない。
彼らはどうやれば読者が気に入るのか、知らない。
しかし、彼らは大衆が自分を受け入れるだろうと知っているのだ。
ttp://homepage.mac.com/satokk/remarks.html


タルコフスキーは語る 空中浮揚について

なぜ私はよく、空中浮揚のシーンを、浮き上がった身体のシーンを含めるのか? 

そのシーンが大きな力をもつからにすぎない。
このようにして、より映画的な、より映像的なものが創造できるのだ。

この観点から水が非常に重要になる。

水は生きている。深みがあり、動き、変化し、鏡のように反射し、私たちを溺れさせることも出来るし、私たちが飲むこともできるし、水で何かを洗うことも出来る、といったように…

また、水が不可分の実体であること、モナドであることは今さら言うまでもあるまい。

それと同じように、人が空中で浮揚しているのを想像するとき、私はそれが好きだ…
何か意味があると私は信じる。

少し頭の足りない人が私に、この前の映画でなぜ空中に浮かんでいる人々がいるのかと訊くなら、「魔法です」と答えるだろう。

もし同じ質問がもっと洗練された人から、詩的な感受性を備えた人から来るなら、アレクサンデルとマリアにとって愛は『ベッティー』の作者が考えているものと同じものではないのだと答えるでしょう。

私にとって、愛は相互理解の究極的な開示なのだ。
だから性交行為で示すことは出来ない。

映画に「愛」がなければ、それは検閲が原因だと、だれもが言う。
実は、スクリーンに映されているのは「愛」ではなく、「性行為」なのだ。

人間ひとりひとりにとって、それぞれのカップルにとって、性行為は個別のものなのだ。

それをスクリーンに映すと、状況は逆になってしまう。

「フランス・カトリック」1986年6月20日のインタビューから
ttp://homepage.mac.com/satokk/levity.html

自分をベルイマンと比較すると

私とベルイマンとの違いはこうだ。

私にとって神はもの言わぬ存在ではない。

あのスウェーデン監督の映画のオーラが『サクリファイス』に存在すると主張する人たちの意見に、私は全面的に反対する。

ベルイマンが神を語るとき、彼は沈黙する神、私たちと共にいない神の文脈で、そうするのだ。

だから私たちには共通点が何もない。ちょうど正反対なのだ。


主役の俳優がベルイマンとも仕事をしているとか、私の映画に残った風景を根拠にして、皮相な意見が提出されている。

そういう主張をする人たちはベルイマンのことを何も理解していないのだ。
実存主義とは何かを知らないのだ。

ベルイマンは宗教の問題より、キルケゴールに身近な存在なのだ。
(1986年6月20日のインタヴューから)


映画の音楽に関して

明らかに、音楽は私にとって非常に重要である。
重要なのは、私が撮影できた映像だけではない。

この映像のために、私はまさにバッハのこの抜粋が必要なのだ。
これが見つからなかったら、他のものでは代わりにならないし、第一に、あの映像を撮影しないだろう。このスウェーデンで私は、私に心躍る影響を及ぼした素晴らしい民俗音楽を発見しました。

この音楽を中心にして、私の新作の全素材が組織されます。

この音楽はフィルムに、伴奏として入るのではなく、情緒的な織物として入ることになります。
これもまた、いつものことですが。


音楽はフィルムと競います。

音楽は映画の有機的な要素になりえますが、映像を制御することも出来るのです。
これは深刻な問題です! 

音楽のないシーンは完全な別物です。
シーンは挿入される音楽で変わります。

純粋な映画は音楽なしで何とか出来るはずですが、それは全くの理論です。
音楽は映画の有機的な一部だからです。

音楽はシーンを説明する形式にとどまるものではないのです。(1987年発表のインタヴューから)


詩人について

詩とは何か。
詩は、世界を表現する、世界を思索する高度に独創的な様式です。

一般に人は、普遍的な世界観を表出することが出来ません。
そんなことは不可能です。

彼のヴィジョンはいつも断片的なものにとどまるでしょう。
詩人は、普遍的なメッセージを送り出すために一個のイメージを利用することの出来る人です。

ある人が、もうひとりの人のそばを通ります。
その人に視線を送ることは出来ますが、目に見ることは出来ません。
別の人が同じ人を見て、突然微笑みます。

はじめて見かける人が彼に連想の爆発を引き起こしたからです。
芸術の場合も似たようなものです。

詩人は小さな断片を出発点として、それを首尾一貫した総体に変えるのです。
この過程を退屈だと見なす人もいます。

そういう人は、重箱の隅をほじくるように、何もかもを知りたがる人です。
税理士や弁護士みたいにね。

ところが、詩人には、靴下の穴から飛び出した親指を見せればいいのです。
彼に全世界の映像を生み出すのにはそれで充分です。(1984年のインタヴューから)


『サクリファイス』を含む後期の作品について

『サクリファイス』からシークェンスを選び出して、舞台脚本が出来ないか、ですって? 

出来るかも知れませんが、別の2作、『ソラリス』と『ストーカー』のほうがもっと適していると思いますね。ただし、そういう戯曲は、もったいぶって、弱いものになるでしょう。

私にはフィルムであるということが重要なのです。

なぜなら映画は観客の時間とリズムを勘定に入れていないからです。

フィルムはそれ自身のリズムと時間を持っています。
映画を舞台に脚色すると、映画の内側に含まれた時間というこの非常に重要な問題が無視されるのです。

そういう脚本は成功しませんね。


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私は何であれ偶然に任せるのは嫌いです。

最も詩的な映像すら、最も無垢な映像すら、偶然には出現しません。

『サクリファイス』は私にとって最も首尾一貫した自作です。
この首尾一貫性の感覚は、人を狂気の淵にまで追いやることができます。
そういう意味で『サクリファイス』は私の初期のフィルムとは比較できません。


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現代人の世界に対する私の洞察という視点から考察すると、『サクリファイス』は私の他のフィルムより優れています。

しかし、芸術的な、詩的な創造としては、『サクリファイス』より『ノスタルギア』のほうを私は高く評価します。

『ノスタルギア』はなにものにも支えられていません。

それ自身の詩的な映像によってのみ存在しています。
それに対して『サクリファイス』は古典的なドラマツルギーに基づいています。
だから私は『ノスタルギア』のほうを身近に感じるのです。(1986年)

ttp://homepage.mac.com/satokk/sundry.html


1982年9月9日にチェントロ・パラティーノで開催された「映画泥棒ー国際的陰謀」会議で、タルコフスキーは自らの理念を披露した。

彼は『七人の侍』『少女ムシェット』『ナサリン』『夜』のクリップを映した。

彼に影響を及ぼしたのではなく、彼に最も決定的な印象を刻印した映画である。

以下は彼の話のあらましである。


アンドレイ・タルコフスキー:

「影響、何か流れ込んできたもの、すなわち相互活動の問題は複雑です。

映画は真空では存在しません。

つまり共に働く仲間がいて、その影響は避けられない。

それでは影響、流れ込んできたものとは何でしょうか。

自分の働く環境や共同する人々の選択は、芸術家にとって、レストランで料理を選ぶようなものです。

黒澤、溝口、ブレッソン、ブニュエル、ベルイマンそしてアントニオーニが私の仕事に与えた影響について申し上げますと、『模倣』という意味では何ら影響はありません。

つまり私の観点からは、そんなことは不可能です。

何故なら、模倣は映画の目指すものとは何ら関係ないからです。

自己を表現する自分の言語は自分で発見しなければならないのです。

ですから、私にとって、流れ込んできたものというのは、私が賛嘆し高く評価する人々と共にいるという意味なのです。」


「もしフレーミングやシークェンスに他の監督の反響があると気付いたら、そのシーンは避け修正するように努めています。

こんなことはめったに起きないのですが、『鏡』から例を引きましょう。

私は主人公が室内にいてその母が隣の部屋にいるフレームを採りました。

二女性のクロースアップです。

パノラマショットで、女が鏡を見ながらイヤリングをつけてみて、母もまた鏡を覗き込んでいます。

実際シーン全体は鏡に映ったかのように撮られています。

ところが、実は鏡は存在せずに、女性はキャメラを直に見ているだけなのです。

つまり鏡がある錯覚がある。

この類いのシーンはベルイマンにそっくりのものがありうると気が付きました。

けれども、やはり、そのままで、私の同僚ベルイマンに謝意を表明し、肯定する証として撮ることに決めました。


「このリストにドブジェンコも追加しなければなりませんが、これまでに挙げた監督がいなければ、映画は存在していないことでしょう。

誰もが自分のオリジナルの様式を当然探していますが、もしこれらの監督がコンテクストや背景を与えてくれなかったなら、映画はいわゆる同じ映画にはならないでしょう。

現在多くの映画作家が非常に厳しい時代を経験しているようです。

イタリアの映画は窮地に落ちています。

私のイタリアの同僚たちは、私は映画で最も名声のある監督の幾人かについて語っているわけですが、イタリア映画はもはや存在しないと言いました。

もちろん、映画の観客がこの主な原因です。

久しく映画は大衆の趣味を追ってきましたが、今や大衆はあるタイプの映画は見たくないのです。

実際なかなか良いものなのに、敬遠するのです。


「映画監督の範疇には基本的に二つあります。

一つは、自分が生きている世界の模倣を求める人々で出来ています。

もう一つは自己の世界の創造を求める人々で出来ています。

第2の範疇には幾多の映画詩人が含まれます。ブレッソン、ドブジェンコ、溝口、ベルイマン、ブニュエル、黒澤という映画史上最も大切な人たちです。

これらの映画作家の作品の配給は難しい。

その作品は作家の内的霊感を反映しているので、これが必ず大衆の趣味とぶつかるのです。

映画作家が観客に理解されたくないという意味ではありません。

そうではなくむしろ作家自身が観客の、観客も気付いていないような内的感情を捕らえ理解しようとしていると言った方がよいでしょう。


「映画の直面している現在の苦境にもかかわらず、映画は芸術形態であり続けます。

芸術形態の一つ一つが個別のもので、他の芸術形態の本質に含まれない内実を担っています。

例えば、写真は、カル ティエ=ブレッソンの天才が実証しているように、芸術形態になれますが、写真は絵画になぞらえることは出来ません。

何故ならば絵画と競合しているわけではないからです。

映画作家が自問しなければならない問いは、何が映画を他の芸術と区別するのか、ということです。

私にとって映画は時間の領域を包括する点で、他に見られない独創的なものです。

音楽や芝居やバレエのように、時間の中で生起するという意味ではありません。

文字どおりの意味での時間です。

フレームとか、「アクション」と「カット」の間のインターヴァルは一体何でしょうか。

映画は時間の観点で実在を固定します。

フィルムは時間を保持する手段なのです。

これほど時間を固定し停められる芸術形態は他にありません。

フィルムは時間で出来たモザイクです。

そのためにはもろもろの要素を集約する必要があります。

3、4人の監督やカメラマンが1時間同じものを撮影したと想像して下さい。

一人一人独自の映像になるはずです。

結局出来上がるのは、3つか4つ全く異なるタイプのフィルムです。

なぜなら、一人一人がこれは捨て、あれは残してと選択して自分のフィルムを作るからです。

そうして、映画に関わる時間を固定する作業をしているにもかかわらず、監督は必ず自分のマテリアルを磨いて、それを通して自己の創造力を表現出来るのです。

「美意識の観点から言いますと、映画は今ひどい時代にあります。

カラーで撮影するのが、可能な限り実在に迫る手段だと考えられているのですから。

私はカラーは袋小路だと思っています。

あらゆる芸術形態は真理に到達して、一般化した形態を得るために苦闘しています。

色彩を使うのは人が実在世界をどのように知覚するのかと関係しています。

カラーであるシーンを撮影するのは、必然的に、フレームを有機的に構成し、このフレームに囲まれた世界の総ては色彩の中にあり、しかも観客にこの事実を自覚させねばならないという事なのです。

モノクロの利点は、その表現力が強烈で、観客の関心を脇にそらさないということです。


「カラー映画にもすぐれた表現様式の例があります。
でも今述べた問題に気付いている監督のたいていは、必ず白黒で撮影する努力をしています。

誰も、カラーフィルムで新しいパースペクティブを創造したり、白黒ほど効果的パースペクティブを作り出すのに成功したためしはないんです。

イタリア・ネオリアリズムが重要なのは、日常生活を掘り下げることによって映画に新境地を開いたという事実からだけではなくて、本質的に言うと、モノクロームでその探求がされたからでもあるのです。

人生の真理は必ずしも芸術の真理に照応していません。

だから今やカラーフィルムは純粋に商業的現象になりさがったのです。

映画は色彩を通して新たなヴィジョンを創造しようとする時代を通って来ましたが、結果は不毛です。

映画は体裁ばかり飾るものになってしまいました。

つまり、私が今見ているような映画は全然立場の違う人には全く違ったものになっているのです。

今ご覧に入れている映画のクリップは、私の心に一番近しいものを表象しています。

ある思考形態の実例であり、この思考がどのようにフィルムを通して表現されるかの実例です。


ブレッソンの『少女ムシェット』で少女が自殺を図るその様子は特に驚異的です。


『七人の侍』の一番若い侍が怖じけづくシークェンスで、黒澤がこの恐怖感をどうやって伝えているでしょう。

若者は草むらで震えていますが、身震いしている姿は目に見えません。

草むらと花々が震えている、揺れているんです。

ここは雨中の決戦です。

三船敏郎演ずる菊千代が死ぬとき、倒れた彼のその脚は泥に埋もれてします。

こうして私たちの目の真ん前で菊千代は死んでしまいます。

ブニュエルの『ナサリン』の、傷付いた娼婦がナサリンに助けられて、椀から水を飲む姿です。

アントニオーニの『夜』の最後のシークェンスは映画史上、ラブシーンが必然となり精神的行為の似姿を取った唯一のエピソードかもしれません。

肉体が相手の近くにあるのが大きな意味を秘めた独創的なシークェンスです。

2人ともお互いに対する感情は涸れ果てているのに、それでも相手の身近にいるのです。

ある友人が昔こう言いました。

夫と5年以上もいるなんてまるで近親相姦よ。

2人がお互いの近くから逃れる出口はありません。

お互いがまるで死に瀕しているかのように、死に物狂いで相手を救おうとしている姿です。


「撮影を始めるときは必ず、『私の仲間』と思っている監督のフィルムを見ます。

模倣するためではなく、彼らの醸し出す雰囲気を味わうためにです。

今お見せしているクリップがみんなモノクロームなのも偶然ではありません。

監督が自分に身近なものを何か掛け替えのないものに変容しているからこそ、これらは重要なのです。

しかもこれらのシーンは日常生活の出来事とは似ていないという点で独創的です。

ここには偉大な芸術家の刻印があり、私たちに彼らの内世界を垣間見せてくれるのです。

これらのシーンの総てが、娯楽を与えるよりはむしろ美を保持することによって、観客の欲求に応じるのです。

今日この種の主題を扱うのは困難を極めています。

そんな話をするのすらほとんど馬鹿げていると言えます。

誰もそんなものにはびた一文払わないでしょう。

でも映画が存在し続けているのは、これらの詩人たちのお陰なのです。

「映画を作るには金が必要です。

詩を書くのに必要なのはペンと紙だけです。

これが映画の不利なところです。

でも映画は屈さないと私は思います。

万難を排して自己の映画を実現する努力をする監督全員に、私は頭を垂れます。

実例としてクリップをご覧戴いた映画は皆、固有のリズムを持っています

(最近は、たいていの監督が快速で短いシーンを使い、カッティングとスピードのある監督こそ本当のプロだと思われています)。

真の監督なら誰でもその目的は、真理を表現することなのですが、そんなのはプロデューサーの知ったことでしょうか。

1940年代にアメリカでストレスのかかる職業をランク付けする調査がありました。

広島に原爆が投下された時代ですから、パイロットが1位を占めました。

2位が映画監督です。監督になるのはほとんど自殺行為というわけです。
「私はヴェネチアから帰ったばかりです。

そこの映画祭の審査員をしたので、現在の映画の完全な退廃を証言出来ます。

ヴェネチア映画祭は悲惨この上ないものだった。

ファスビンダーの『ケレル』のような映画を理解し是認するには、まるっきり異なる類いの精神性が必要だと、私は信じます。

明らかに、マルセル・カルネは私よりずっとそれを是認していましたが。

私は、それは反芸術的現象の現れだと思います。

その関心は、社会学的で性的な問題にすぎない。

ただファスビンダーの最後の作品だというだけで、あの映画が受賞するのは恐ろしく不当なことではないでしょうか。

ファスビンダーは『ケレル』よりずっと良い映画を作っているはずです。

けれども、映画の現在の危機は重要ではありません。

なぜなら芸術は絶えず危機の時代を通り過ぎてはそこで復活するからです。
ただ映画が作れないからと言って、映画が死んだということにはならないのです。


「最良の映画は、音楽と詩のはざまにあります。

映画はどんな芸術形態にも比肩する高いレベルに到達しています。

芸術形態として自らの姿を具体化しています。

アントニオーニの『情事』は随分昔の映画ですが、今日作られたばかりという印象を与えます。

本当に奇跡的な映画で、ちっとも古ぼけていません。

まあ今日作られるような類いの映画ではないかもしれませんが、それでもとても新鮮です。

イタリア人の同僚たちはとても悪い時代にいます。

ネオリアリズムも偉大な監督たちも去ってしまったように見えるし、プロデューサーはドラッグの売人みたいなもんですから。

金儲けだけを考えているんですが、長続きはしないでしょう。

イタリアで上映されている『ソラリス』は私の映画ではないと言いたいです。

でもその配給会社はもう潰れてしまいました。たいていの配給会社の運命じゃないですか。」

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タルコフスキーが選んだ映画ベストテン

1972年4月のあのうす暗い雨降りの日のことはよく覚えている。

私たちは開いた窓辺に腰を下ろして、いろいろなことについて話していたが、話の矛先はオタール・イオセリアーニの『歌うつぐみがおりました』に向いた。

「良い映画だね」とタルコフスキーは言ったが、すぐに「ただちょっと、うーん、ちょっとね…少し…」と言葉を継いで、そのまま目を細めて何も言わなくなった。

一瞬内面に集中した後、彼は爪をかみながら、きっぱりと言った。

「そうじゃない!ちがう。とても良い映画だ!」


お気に入りの映画を10本ばかり選んでみないかとタルコフスキーに言ったのは、この時だった。

彼は私の提案を非常に真剣に受け取り、数分間、頭を垂れて一枚の紙に向かい、深いもの思いに沈んでいた。それから監督の名前のリストを書き始めたー

ブニュエル、溝口、ベルイマン、ブレッソン、黒澤、アントニオーニ、ヴィゴ。

しばらく経ってから、ドライヤー。

次に映画のリストをつくり、順番をつけて注意深く並べた。

リストは出来上がったように思えたが、突然不意に、タルコフスキーは新たなタイトルを加えたー

『街の灯』。

彼が作成したリストの最終版はこうだ。


田舎司祭の日記
冬の光
ナサリン
野いちご
街の灯
雨月物語
七人の侍
ペルソナ
少女ムシェット
砂の女(勅使河原宏)

リストをタイプし、"16.4.72 A. Tarkovsky" と署名すると、私たちはまた話に戻ったが、彼はごく自然に話題を変えて、穏やかなユーモアを交えて、どうでもいいようなことについて話し始めた。

20年経って、今日リストを眺めると、彼の選択が芸術家タルコフスキーを何と明確に特徴づけているかに驚かされる。


さまざまな監督がさまざまな雑誌で示した数多くのベストテン・リストと同様に、タルコフスキーのリストは目覚ましい啓示である。

その主な特色はー『街の灯』を除けばー選択の厳格さにある。

30年代、40年代のフィルムは、サイレントを含めて1本もない。


その理由は、タルコフスキーが、映画誕生後の50年を、彼にとって真の映画作りであるものの序奏と見ていたということだ。

ドヴジェンコとバルネットの両者を高く評価していたが、リストにソヴィエト映画が1本もないことから察するに、真の映画作りはソ連以外のところで行われているとタルコフスキーは見なしていたのかもしれない。

この点を考察するとき、ソ連の映画監督としての経験から、タルコフスキーがたえず論争に巻きこまれていたことも忘れてはいけないだろう。


タルコフスキーにとって、問題は映画監督の芸術がどれほどの美を達成するかにあるのではなく、芸術というものが到達しうる高みにあった。

『アンドレイ・ルブリョフ』の監督は、彼のすべての作品において最も深遠な精神的緊張と究極的な実存的自己露出を目指していて、この目的と両立しえないものはどんなものでも拒否する覚悟があった。

3本のベルイマン映画を含む彼のリストは、監督としても観客としても彼の趣味をまぎれもなく映し出している。

しかし後者は前者に従属するものであるのだが。

彼のベストテンをまとめるやり方が示すように、このリストはタルコフスキーのお気に入りの映画のリストにとどまるものではない。

それと等しく、お気に入りの監督のリストでもある。


タルコフスキーとベルイマンの「選択親和力」は、大昔に気づかれていたのだ。

『サクリファイス』のはるか前のことである。

ところで、ブレッソンの映画は偶然リストのトップに来るのではない。

つまり、タルコフスキーはブレッソンを至高の創造的個我と見なしていた。


「ロベール・ブレッソンは私にとって、真のそして純粋な映画監督の模範です…

彼は芸術というものの高次の客観的な法則にしか従いません…

ブレッソンは自分自身であり続け、名声がもたらすあらゆる圧力に屈することなく生き残った唯一の人物です。」

リストに『街の灯』が不意に現れるのも同じように説明できると私には思われる。

タルコフスキーにとってもっとも重要なことは、作品が映画芸術として成功しているとか、それが哲学的洞察を提示しているといったことではなく、むしろ、映画監督としてチャップリンが成し遂げた自己実現の包括的な性質であったのだ。


「チャップリンはいささかの疑惑の影もなく映画史に刻まれた唯一の人物です。

彼が残した映画は古くなることはありえません。」


タルコフスキーのベストテン映画の本質は、作家映画の担い手としての自己を宣言するものにほかならない。
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人生には幸福よりも大切なものがある…


アンドレイ・タルコフスキーは私たちの生活における精神性と芸術の占める位置について語る


主に彼の映画に対する興味から、また彼が西側にとどまると最近公式に決定をしたためでもあろうか、数多く集まった聴衆を前にしながら、タルコフスキーは自分の映画についてほとんど全く触れることもなく話を進めた。

その代わりに、彼は現代芸術の現況を分析し、近代社会の発達に関してコメントを寄せた。
そこに彼は非常に紛れもない「精神性の欠如」を看取しているのである。

芸術家タルコフスキーは、統語論にあまり気を遣わない。
彼の火のような気質(自分は性急な決定をするのは好まないと主張しているのだが)、彼の話しぶり−そこには芸術史の領域から引かれた多くの例にあふれている−彼の論旨のすばやい決めの見事さ、そしてその妥協を知らない鋭敏な精神はアインシュタインを髣髴とさせる。


2度にわたる講義の話題は、芸術祭の主催者によって決定された。

「黙示録」と「芸術家の役割と責任、1984年」と紹介されると、タルコフスキーはそれらに非常に個人的で興味深いひねりを加えた。

黙示録は芸術家としてのタルコフスキーにどんな意味をもつのか? 
彼は芸術活動をどのように見ているのか? 
また芸術家は近代社会でどんな役割を果たすのか?


自己中心の芸術は罪深い

ヨハネの黙示録は彼にとって「もしかすると史上で最も偉大な詩の作品」である。

無限に多い解釈を内包する映像の集積であり、人間に自分自身の生に対する責任を想起させるものである。

それは、罪に力点を置いたヴィジョンではなく、むしろ希望の源であり、それが映像の体系であるがゆえに、豊かな霊感の源泉でもある。

芸術家の観点から、黙示録は芸術的に非常に洗練された作品として出現する
(タルコフスキーは、7つの封印を破った途端に降りてくる沈黙に含まれる完璧な映像に驚嘆する)。

ところが、ヨハネのヴィジョンは、彼の講義全体の枠組みしか提供しない。
タルコフスキーはむしろ「芸術的才能」にその注視を集中することを選ぶ。
彼によると、「芸術的才能」は昨今、芸術家の個人の所有、その人格の一部と見なされがちである。
自分にふさわしいように統制支配できるものなのだ。


「この百年で、芸術家は精神性なしで何とかやっていけるという間違った結論に、人は到達しました。創造行為は突然本能的なものになってしまった。

その帰結として、芸術家の才能、天与の才は、芸術家を責任ある立場に必ずしも立たせなくなった。
そのために、私たちは現代芸術の大きな特徴となった精神的要素の欠如に至ったのである。」


タルコフスキーは「精神性」の正確な定義を与えないが、2つ目の講義で、この言葉によって彼が何を意味するのかについて、実際、いくつかの手がかりを提供してくれる。

タルコフスキーがドストエフスキーを「精神性の喪失と連関する問題を知覚した最初の作家」と呼ぶとき、この言葉は「信念、信じる力」の意味に近づき、それゆえに個人が恐怖を克服する手段に近づく。

ここで、精神性は純粋に形式的な芸術と対照的な位置にある。

「形式的な芸術」では「芸術家は形式の探求者、消費者に還元される。」


彼は続ける:


「この時代に、私たちはもはや芸術家の聴衆に対する態度に満足できない。
また聴衆の、芸術家とその作品に対する態度にも満足できない。」

個人の責任の問題は、タルコフスキーにとって最高に重要な問題である。
何度となく、彼は、人間の独自の自由意志と責任の重要性に注目を喚起する。

こうした価値が近代社会の発達で事実上存在しなかったと彼は思っているのだ。
近代社会の人間関係は共存する意志よりむしろ、恐怖に基づいているのだ。


私たちの精神的な発達は、これまでに生じたさまざまな変化についていくことが出来なかったし、そうする時間も与えられなかった。
これこそ、共同体の生存のために構築された集団で決定をする個人の不適切な可能性とともに、タルコフスキーが私たちの文明を邪悪であると断じる理由なのである。

彼はこう総括する:

「私は、皆様がご存じでない概念を、皆様に紹介しようとしているのではありません[…]

しかし皆さんの前でこうした問題について思索をめぐらすことで、私はこの過程の意義を知ったのでした。

皆さんが私に、これらの問題について考える機会を与えてくださったのです。
これは、独りでは出来ないことなのです。

「新しい映画を作る準備している間、それを何らかの独立した芸術形式、自由な創造であると見なすことは許されないことは私には全く明らかです。

むしろ、それは内面からわき上がってくるものを成就することなのです。

その場合、それは愉悦ではなく、むしろ苦痛に満ちた、もしかすると重すぎる義務なのです…

「芸術家が創造の過程でどれほど幸福な状態になれるか、私には理解できたためしがありません。

ひとは幸せになるために在るのではありません。

人生には、ただ幸福であるよりも、ずっとずっと高い目的があります。」


タルコフスキーは本や映画の登場人物の主張を作者自身に投影しない重要性を強調する。

この言葉は『ノスタルギア』の登場人物のひとりが話す言葉とそっくりである。

彼はこう付け加える:

「私が育った芸術は、それが自己表現でないときにのみ可能なのです。

私が他者から受け取ったものに焦点を定めたときにのみ可能なのです。

芸術は、私がそれを自分自身の目的に役立つように使うその程度に応じて、罪深いものになります。

そうすれば、私は、何よりも、つまらないものになりはてるでしょう。」

運命的な欠陥

タルコフスキーがさらに語りを進めると、ここまで触れられたさまざまな問題を彼がどのように理解しているのかが、浮かび上がってくる。

芸術祭主催者が課題として与えた話題は、「他者にそんなことを求めることは出来ない」とあっさりと一蹴される。

その代わりに、話は、全く異なる出発点から、もっと一般的に展開していく。

すなわち、芸術と私たちの生活におけるその役割という出発点からである。

ここでは、彼の言葉を追いかけたほうが良いだろう。


「芸術は、それに必要な精神的な内実を徐々に喪失する過程にあります。

芸術の目標という概念を失っているのです。

芸術は別の所に目標を求めています…

精神的クライマックスと社会的/経済的クライマックスの間に類似は存在しません… 私たちは精神性を失ってしまったのです。

私たちはもはやその必要性を感じません…
現代は、私たちの精神性を喪失するのにふさわしい時では、決してありません。」


芸術の商業化という問題、「大衆の趣味」に迎合する必要性を芸術家が肯定するという問題は、タルコフスキーの大いに懸念する事柄である。

もしかすると、もっとも大きな懸念かも知れない。

彼は経済の現状を忘れているわけではないが、それを自覚しているからと言って、「芸術は精神的な自覚を再確立させる巨大な責任を担っている」という彼の意見を揺るがすものにはならない。

精神的な自覚の欠如、それは、彼によれば、現代芸術が今ある危機の原因の一つとなっている。


彼自身の領域内で、タルコフスキーはある過程が作用しているのに気づいている。
その結果をタルコフスキーは災いと呼んでいる。


「観客は自分の望むものを得て、映画館に行くのを止めてしまいました。
もしかすると、観客はいわゆる商業映画に満足しなくなったのです」


タルコフスキー自身が、今起きていることの責任の一端を担わなければならないのか?

聴衆から笑い声が聞こえるのに、彼はさらに、万人に必ず罪があるその度合いだけ、自分にも明らかに罪があると言う。

それに続けて、「私の同僚も私も、芸術の真の目的が何か、あまりにもしばしば忘れてしまいがちです。時には、目標が仕事のキャリアの浮き沈みに左右されてしまうのです」

模範としてのイコン画家

「精神的」という言葉が何度も繰り返され、タルコフスキーがその言葉に託しているイメージが形をとりはじめる。

簡略化しすぎるリスクについて警告して、タルコフスキーは西洋(ヨーロッパ)芸術を古典的東洋(日本、東インド)芸術と比較する。


そこで、西洋芸術に、彼は、個人が自分自身、自己、自分の運命に心を奪われているさましか見えない。

それに対して、東洋には内向し、微妙なもの、ほとんど気づかれないものに集中する傾向があるという。


「私が言いたいのは、このタイプの精神性が西洋芸術でも十分に可能だということです。

自分自身を忘れること、自分自身を創造者として捧げること、犠牲にすること[…]それが芸術家にとって適切な道なのです。正しい態度なのです」


彼は、紀元1200年から1400年の頃のロシアのイコン絵画に言及して、自分の立脚点を明らかにする。

署名のあるイコンは存在しない。

芸術家は自分を芸術家と見なさず、神の僕と見なしていた。

芸術家は自分の才能を神の栄光のために用いるに過ぎなかったのだ:


「私が力説している大きな要素、それが誇りの欠如です」


「精神性」という言葉の使い方の背後に、一種の宗教的迷信のようなものが隠れているように見えるとしても、(ある質問に答えて、彼はあらゆるものには明確な理由があるという理念を強調した)タルコフスキーは芸術に含まれる精神性を、「生の意味といわれるものへの興味」と、総括したがっている。

最初の単純で明確な一歩は、自分にこの問いかけをすることである。

この問いが提起されない限り、ネコのレヴェルで存在しているにすぎない。

タルコフスキーはネコが幸福な動物であることを否定したくないのだが。

「何の目的のために私たちは生きているのか? 
私たちはどこから来たのか? 
私たちはどこへ行くのか?」

と問いかけることは、自分自身を意識することだ。

芸術家に必須の原材料であるかけがえのない人間的特徴を意識することだ。
そうしないなら、「芸術家でない、現実主義者でないということです。

最も重要な問題、すなわちひとりの人間を人間にしているものを観想することを拒否することだからです」


現代の不幸な風潮は、タルコフスキーによると、私たちが道徳的問題に関心を喪失した、自分自身以外のなにものにも信頼を喪失したという事実と関係している。

私たちは自分の(例えば芸術家としての)活動の結果として、ただちに金銭的な見返りがあると期待して生きている…

この風潮が芸術に影響を与えなかったわけがない、と彼は言う。


ところが、彼は、芸術家とは何か、芸術家は民衆にとってどんな存在であるべきか、に関して正確な定義をもっていて、

芸術家とは「民衆に精神的なものを供給するがゆえに、民衆に形を与える」ものだという芸術観に断固として反対する。

それどころか、タルコフスキーは芸術家を民衆そのものの内なる声の表出にすぎないと見ている。

これは、まず吸収から始まり、それから、(何であれ)媒介をとおして民衆自身に表現する能力が欠けているものを表出するのである。


「私にとって、これだけが、近代社会が芸術にどのように影響しているか、私たちが理解できる道筋なのです」

「現実主義」が「人間性に関する真実」を指し、人間の魂の生を描くことと関係しているという意味で、現実主義的芸術は、タルコフスキーによると、唯物主義のレヴェルに焦点を定める芸術ではありえない。

物質的側面を描くだけでは、「人間性の実質そのもの」を無視することになると彼は考えている。

「精神性の欠如は既成事実の開示にすぎないと言う人がいる。
これは私には乱暴で、文化に反しているものだ」

最後に、この講演で、主にこうした一般的な問題にこだわり、自分の映画にはついでに触れるだけであったタルコフスキーの目的は何だったのか?

「私が一番気にかけている問題が何なのか、私の映画を観る人たちが知ることは、私には大切です。
そうすれば、私たちはお互いをより良く理解できるからです」
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アンドレイ・タルコフスキー・インタヴュー ―1985年3月、ストックホルム―
偉大なロシア映画の伝統ーエイゼンシュテイン、ドヴジェンコなど


Q: 偉大なロシア映画の伝統とあなたの関係は? だれがあなたの師ですか?


ところで、偉大なロシア映画とはどういう意味ですか?


Q: エイゼンシュテイン、プドフキン-


ああ、はい、はい-私には、ドヴジェンコとプドフキンのほうがエイゼンシュテインよりずっと重要です。


Q:『イワン雷帝』と『アレクサンダー・ネフスキー』の創造者としての?

一般的に言うと、です。

ついでに言うと、エイゼンシュテインはソヴィエト指導者、特にスターリンに完全に誤解された監督でした。

誤解されたというのはースターリンがエイゼンシュテインの仕事の本質を理解していたなら、エイゼンシュテインを迫害したりしなかったでしょう。
これは私には完全な謎です。

どういうふうにそれが起きたのかは知っています、或る程度なら分かります。
エイゼンシュテインは才能豊かで、完璧な教養人でした。

当時あれほど教養のある、あれほど知性に恵まれた映画監督はいなかった。
当時の映画は若造が作っていました。

典型的な例として、独学で、正式教育は受けたことがなく、革命から映画になだれ込んできた連中です。


Q:しかしほとばしる情念というものがありました-


ええ、そうです。情念がありました-
革命のパトス、未来への希望、建設的な文化の変容-一般にそれはよいものでした-
エイゼンシュテインは少数者でした、もしかすると彼だけかも知れませんね、伝統の意義を評価していたのは。

彼は、連綿と続くもの、文化の継承が何であるのかを知っていました。
しかし彼はそれを吸収しなかった、心に吸収しなかった。

彼は知的でありすぎました、彼は恐ろしく合理主義でした。
冷たく、理性だけで、計算し、監督しました。

彼は自分の設計をまず紙上で試しました。計算機です。
彼はすべてを描きました。

フィルムのフレームを描いたという意味ではありません。
すべてを考え尽くして、そのすべてをフレームの中に詰め込んだということです。

彼は生そのものから描いたのではなかった、生は彼にいささかも影響しなかった。
彼に影響したのは、彼が作り上げた理念でした、
それが変容して生まれた何らかの形式でした。

一般に、すっかり生気の失せたもの、鉄のように硬直したもの、非常に形式的で、乾いて、感情を欠いたものでした。

映画形式、その形式的特徴、撮影、照明、雰囲気ー何一つ彼には存在していなかった。
すべてが考えぬかれた性格を帯びていました。

絵からの引用であれ、その他の技巧を凝らした構成であれ、そうです。

これは或る意味で、合成的な映画の典型的な概念でした。

そこでは、映画が視覚芸術、絵画、劇場、音楽、その他なにもかもの統合として出現しますー
ただし、映画そのものはそこにはなかった。

こうした部分の総計がこの新しい芸術になるとでもいうかのように。


穏やかに言ってもーそれは巨大な誤解です。

映画は、それを他の芸術と分ける独自の特定の性格によって、支配されているからです。

エイゼンシュテインは彼の芸術によって、いわゆる固有の映画芸術を表現することに成功しなかった。

彼はすべてのものをちょこちょこと利用しましたが、映画に固有であるものには気づかなかった。

もし気づいていたなら、これまでの芸術類型を削除し、捨てて、映画に「映画」だけを残したことでしょう。

Q:でも、メキシコを扱った映画がありましたね-

ええ、あの映画は国外で見ました。

私にはとても弱く、稚拙に思えますー

演技も、性格の発展も、舞台状況も。

見せ場に乏しい芝居、恐ろしく稚拙なデザインのポスターです。


しかし『イワン雷帝』を例にして考えてみましょう。

この映画の第1部が、ご存じのように、なぜ共感を呼んだのか、私には皆目分かりません。

第2部は猛烈に非難されたのに、第1部は賞讃されたのです。
なぜでしょうか? 私には理解できません。


恐怖の正当性についても彼は話していますね。
特に、貴族たちの首をばさばさ刎ねる残酷シーンです。

エイゼンシュテインはこの映画で独裁制の強化の味方をしています。
中央集権権力の強化です。

目の見えない人にでもこの映画のテーマは明らかです。
ところが、金とメダルをエイゼンシュテインに浴びせるかと思いきや、突然彼らはこの映画のためにエイゼンシュテインを迫害し始めたのです。

まったくの謎です。


それからエイゼンシュテインは次の映画『ベジン草原』を作ります。
『アレクサンダー・ネフスキー』のことは言わなくてもいいでしょう。
何もかも明白だからです。社会の期待を満たしたいという願望が明白です。

Q:その映画は知りません。


知らないってどういう意味ですか? 
エイゼンシュテインについて訊きたいなら、当然知っているべきでしょう。
彼は1920年、30年代のヒーローです。

集産主義の時代です。彼は少年でした。
パイオニア[ボーイスカウト]であった生徒です。

そして彼の不運はクラク一家の出身であることでした。
彼は、どういえばいいのかな、ソヴィエトの聖人のような存在になりました。
血のつながった両親をその筋に告発したのですからね。


Q:ああ、それなら知っています、パヴリク・モロゾフですね。


ええ、そうです、彼のことを言っているのです。

Q:でもその映画のことは知らない。


彼こそ、その映画でエイゼンシュテインが聖人、犠牲者、神聖な犠牲者、理念のために命を捧げた殉教者として提示した人物です。

エイゼンシュテインは自己を喪失しかけています。

突然彼は崩壊の瀬戸際にあるようです。私には理解できません。

何もかもが退歩しているようです。

彼は、当時ひろがっていた、そして後に支配的になった理念を強化する可能性を探していたのです。

ところが突如彼らはそれを拒絶したのです。

ただ-これは言っておくべきでしょうーこの映画の歴史はこうです。

エイゼンシュテインが撮影を始めると、彼の友人達、同僚たちは権威筋に、エイゼンシュテインが反ソヴィエト映画を作っていると警告したのです。
形式主義で反ソヴィエトで、うさんくさい神秘主義を混ぜ合わせて、といったようにです。

驚いた映画局はこれをスターリンに報告しました。

ここには計算があった。

スターリンは、現物をクレムリンに持ってくるように要求しました。
彼は素材を見ました。

何かが燃えている、樽が2階から転げ落ちてくる、当然ですが、富農が火をつけたコルホーズの産品を救おうとしているのです。

樽は出火した小屋から転げ落ちて来ます、1度、2度、3度と、クロースアップで、ロングショットで、ハイアングルから、ローアングルから-しばらく経つと、スターリンは我慢できなくなった。

こんなスキャンダルはたくさんだ! 

彼は部屋を出ていった。

私の見方からすると、エイゼンシュテインは、ソヴィエト映画の最も偉大な理論家であり映画人なのですが、自分の同僚たちによってつぶされたのです。

私は連中を知っていますからね、あの果てしのない会合で彼を形式主義とイデオロギーの逸脱で告発していた人たちと会ってましたからね。

大声でわめき、彼から自己批判を求めました。

私は彼らを知っています。このテーマで彼らと話をしました。

第20回の総会の後、すっかり別人に見えましたね、彼を弁護する同僚として出てきて、エイゼンシュテインについておとぎ話をして、自分が彼の友だちだと主張しました。

そうやって彼らはみんなでエイゼンシュテインを足蹴にしていたのです。

おおかたの連中がそうです。
直接本人から聞いたので、このことはよく知っています。
ええ、これが真相です-非常に不思議な実話です。

Q:で、ドヴジェンコは?


確かに、ドヴジェンコは私の心に一番近い人です。
なぜなら彼は誰よりも自然を感じていたからです。

彼は実際大地に密着していました。
これは私にとって一般にとても重要なことです。
もちろん、ここで私はサイレント時代からの初期のドヴジェンコを思い浮かべていますー
彼の存在は私には大きかった。
とりわけ、自然の霊化という彼の思想を考えています。
この手の汎神論のことを。

或る意味でーもちろん文字通りではありませんよー
私には汎神論に非常に近い感情があります。

汎神論はドヴジェンコに強い影響を残しています。
彼は自然がとても好きでした、自然を見てそれを感じることが出来たのです。

これは私にはとても意味のあることです、私はそれをとても重要だと思います。


結局、ソヴィエトの映画作家は自然を全然感じることができなかったのです。
自然を理解しなかった。

自然は彼らとちっとも共鳴しなかった。自然は無意味だったのです。
ドヴジェンコは、この空気から、この大地から、この生から映画の映像を引き裂かなかった唯一の監督でした。

他の監督にとってこのすべてが、或る程度自然な、背景、硬直した背景にすぎなかったのです。
それに対して、ドヴジェンコにとってそれは欠かせないエレメントでした。

彼は自然の生と結びついていると内的に感じていました。

Q:最近だと、自然に繊細な感覚をもった芸術家、自然を感じている芸術家は、『赤いカリーナ』のシュークシンでしょう。


あー、そうですね-もちろん彼は自然を感じることが出来た。
田舎育ちだから、自然を感じて理解せざるを得なかった。

確かに彼は自然を生きた。
しかしドヴジェンコはそれを見せる能力があった。

シュークシンは全然見せられなかった。

せいぜいその存在を推量できるだけだ。
彼の風景には芸術性が欠けている。

時には月並みな風景で、まるで偶然のように映画に入ってくる。

しかしドヴジェンコは風景に大いに関心を払いました、自然に自分自身を見いだそうと努めました。

あなたはロマン派ですか?


Q:作品をロマンチックと呼ばれるのに同意されますか?

いいえ、呼ばれたくありません。

Q:でも、あなたの作品には自分のアイデンティティ、絶対の価値を探求するロマンティックな旅のように、反復されるモチーフがあるのですが。世界の聖化、出来事の聖化、神話化の探求です。最後には、芸術家が表現すべき精神文化の原型的な純粋さへの信頼があります。これらに現れる精神はとてもロマンティックです。

見事に表現されましたね、でも私の印象では、あなたがここで特徴づけたものは全然ロマンティックではありません。

あなたが今述べられたことはロマン主義とまったく無関係です。

私が思うにロマン派は-ロマン主義という言葉を聞くと、私はすくみます。

なぜならロマン主義は試みだからです-いや試みですらない、それはある世界観の表現法です。

人が現実の出来事に、現実世界に、現実以上のものを見る、そんな現実の見方です。
ですから、聖なるものとか、真理の探求とか言われるとーそれは私にとって-

Q:ロマン主義ではない?

ロマン主義ではありません。

なぜなら私は現実を現実以上に大きくしないからです。

私にとって現実は一般に私がそこに見いだせるものよりもずっと偉大である、私が知覚できるよりもずっと深く、神聖であるからです。

ロマン派は人生が目に見えるよりも、すなわち彼らが推量しているよりも、ずっと豊かだと考えました。人生はそれほど単純ではない、人生には深みがあると信じました。
私たちがエキゾティック、形而上学と呼ぶもの、私たちの認識をそれ自体逃れるもの、知では把握できないものがたっぷりあると信じました。

彼らはそれを推量して、それを表現しようとしています。

例を挙げましょう。

オーラが見える人がいます。
人体をとりかこんでいる多彩な輝きが見える人がいます。

そういう人たちはある種の感覚をたいていの人よりも高度に発達させています。
この前そういう人とベルリンで話をしました。中国人でした。

治療してくれるんです。こちらの状態を完璧に知っているのです。
どう感じているのか、何が問題なのかーそういうことのすべてがオーラに見えるのです。

Q:その現象はキルリアン写真で確認されました。


そうです、これらの実験はそれと関係していますー

しかしそういう人はその眼でこのオーラが見えるんです。

ロマン派はそれをでっち上げようとしましたがね、それが存在するはずだと推測しましたがね。

詩人はそれが目に見えるのです。

こう言われますか? 

しかしロマン派にも詩人がいた。
もちろん、私はそれを否定しませんよ。

私の憧れのホフマンがいた、レールモントフ、最も深い詩人のひとり、途方もない詩人チュチェフがいました。

多くの詩人がいました-それは事実です。

しかし彼らをロマン派と呼べるでしょうか?ー
彼らはロマン派ではない、絶対にロマン派ではない。

ホフマンはロマン派でした。

ですから、ロマン派と言われると-明らかにーこうした芸術家によって利用された形式が一種仰々しく、拡大されて、美化され、高尚になっている。
生は十分に美しいと私は思います。

生には十分の深さと霊性があります。
だから、何も変える必要はありません。

私たちこそ、精神的な意味で、自分の発達に気を配るべきなのです。
現実を美化したりしないでね。

ですから、このロマンティックな装いは人間の内面に信念が欠けていることから生じるのです。

あるいは自分の想像の産物への信頼が欠けているのです。

Q:それは唯我論です。


そうです。
私個人にとって、ロマン主義は、あるいは、少なくともその重要な要素のひとつはまったく異なるものに思えます。

ええ、ドヴジェンコは非常に上手いことを言っています。

「泥沼にも星が映っているのが自分には見える。」

この種のイメージを私は完璧に理解できます。

しかし、もし誰かが自分には「天国の星の天使軍」と、飛び回る天使が見えると言ったら、それは消毒済みの、寓意的形式でしょう。

現実からほど遠い、完全に真実でない。

しかし、それが鍵でしょう、ドヴジェンコはそれが見えたのです。
彼は詩人でしたから。

彼にとって生はずっと十全なものでした。
霊性に満ちたものでした

得たいの知れないところに単なる付録を、自身の創造的活動に補足するものを、現実に探し回っている人々とは違いました。

ロマン派にとって生は創造する理由を提供しますが、詩人にとって創造は必然なのです。

なぜなら彼の内部ではまさに最初から霊性が生きていて、創造を彼から求めているからです。

このように、芸術家、詩人はーロマン派と違ってー自分が神に似た存在になることを、誰よりも理解しているのです。

それは論理的なことです。これこそ創造力が出来ることです。

まるでこの能力が最初から想定されているかのようです。
それは人間のものではありません。

一方ロマン派は自分の才能に、自分の創造的活動に、特定の美をいつも見いだそうとします。

Q:あるいは至上命令を。

至上命令を。上手い。ここで私はあなたと完全に同意します。

Q:ポーランド語に"wietszcz" という言葉があります。例えばアダム・ミツキエヴィチは国民の"wietszcz" だったと言います。予言者、国民の前に隠された真実を啓示した見者だったと言います-


ええ、ええ、そうです。それがロマン主義でなければね。

Q:どのようにでしょうか?

プーシキンもまたそんな人物でした。

後には多くの芸術家もそうでした。彼らは今日でも存在します。

彼らは仕えている-私が信じるに、ロマン主義はー狭義においてー芸術家が自己崇拝に酔いしれたとき、自分の芸術で自己を創造するとき、姿を開示します。

それは私が大嫌いなロマン主義の特徴です。

この自己肯定もです。
この果てしない自己提示は彼の芸術の結果ではありません、その目標なのです。

これは私にはあまり好ましくない。

一般にこういうのが私の好きでないロマン主義です。

ものものしく、恐ろしくもったいぶって、もったいぶった絵画、もったいぶった芸術概念などなど。

シラーのように主人公は2羽の白鳥に乗って旅をする。

ご存じですか? 

あれはキッチュです。キッチュ以外のなにものでもない。

ところで、ロシアでは、またポーランドでもそうだと思いますが、ノヴァーリスや、クライスト、バイロン、シラー、ワグナーのように、自分のことをべらべらしゃべりたがる芸術家はいなかった。

Q:しかし、それはロマン的な個人主義です、ロマン主義の主な際だった特徴のひとつです。

それは自己中心主義です。

「私にとってこれ以上何があるだろうか?」という制限の中でしか考えない。

恐ろしい仰々しさです。

自分を宇宙の中心に据える欲求です。

その対極は別の世界です、東洋的と、東洋文化と、私が思う詩の世界です。

例えばワグナーの音楽を例にしましょう。
あるいはベートーヴェン、どうかな?
ーそれは自分自身についての果てしない独白です。


つまり、見よ、何と自分は貧しいんだ、ぼろをまとって、なんて惨めなんだ、ヨブのように私は悲惨だ、何て不幸なんだ、何たる苦悩ー余人とは比較しようがないー私は神話のプロメテウスのように苦しんでいる-そして私はこのように愛している、私は-お分かりですか? 私、私、私、私。ー


それほど前じゃないですね、私は紀元前6世紀の音楽をじっくりと聴きました。
古代中国の儀礼の音楽です。

それは、個人を無に、自然に、宇宙に、絶対的に消滅させます。

それは質的に対極です。

芸術家が芸術作品に自己を消し去るとでも言うのでしょうか、芸術家自身が跡形もなく消え去るとき、その時、それは信じがたい詩になります。

魔法のような日本の精神性


まったく魔法のような例を引用しましょう。

中世の日本には多くの絵師がいて、彼らは将軍家に庇護を見いだしたり、大名のもとにとどまりましたー当時の日本は多くの藩に分かれていたのですー

そして、こうした絵師は優秀な芸術家でした、高い評価の芸術家で、名声の極みに達していました。

で、そこまで到達すると、彼らの多くは突然姿を消す、どこかへ行ってしまう。

姿をくらまして、全くの別人として、別の名前で、別の殿様の家中に再び現れる。
彼らは宮廷絵師のキャリアを、それまでと全面的に異なるスタイルで仕事を創造して、一から始める。

このようにして彼らの中には一生で人生を5つも6つも生きたのでした。

Q:謙虚さ-


これは謙虚さではありません。

謙虚さとも呼べるでしょうが、私はむしろ別の言葉を使いたいー

私にはそれはほとんど祈りのようなものです、私自身の「私」が、何の意義ももたない祈りのようなものです。

私に賦与された才能は天の高みから与えられたものなのでーもし私が本当にこの才能を与えられていたとするなら、ですよー私は傑出しているでしょう。

で、もし私が傑出しているなら、私はそれに仕えねばならないという意味です。
私は奴隷です、宇宙の中心ではありませんーこれはまったく明らかです。
あなたは適切にも謙虚さと言われましたが、これは謙虚さよりもずっと重要なものです。

Q:ここで私たちは『アンドレイ・ルブリョフ』に近づきましたね-


確かに。彼は何と言っても宗教的な人間でした、僧でした。

映画監督であること

Q:これは実際、絶対的に根本的な問題です。ここで、お許しをえてーちょっと挑発させてください。ご意見を伺いますー今日、この時代に、芸術家、監督は予言者なのでしょうか? 約束の地に民衆を導くモーシェなのでしょうか? あるいは自分の使命を果たす、「大文字で書かれた」道徳家なのでしょうか? あるいはもしかすると、自分の商品を売りさばく職人なのでしょうか? あるいは「精神貴族」なのでしょうか? あなたは、人々の物質的なものへのこだわりを、ささやかな消費者の喜びを、苦々しく思われてはいませんか? 民衆が悔悟者の粗末な衣をまとっているのを見たいと思っておられるのでは?


これらの側面の幅広さを制限するために、この問いを一般的な展望から、そして同時に根本的な展望から考察するのが良いと思います。

つまり、ここで、芸術家の一般的な働き、役割、社会での位置をざっと描いてみましょう。

当たり前ですが、私は、何よりもまず芸術家は彼が生きている社会の内側で熟しつつある理念を表現するという見解をもっています。

単純に言うと、芸術家は、社会そのものが懐胎している理念を表出する、一種の媒介のように見えます。

しかし社会は芸術家ではありえない。

芸術家もまた結局一個人です、1つの人格です。

つまり、芸術家は、その国の声である、その産物であると判明するがゆえに、国家を人格化したようなものです。

そして時には、国家、民衆、社会がこの芸術家を受け入れないということすらあります。

時には追放します。時にはまったく理解しない。

ずっとずっと後になってはじめて評価が得られるのです。

しかしそれは重要ではありません。次の意味でしかないからです。
彼らは自分自身を知らないのだ。彼らは自分自身の問題を知らないのです。
そのために、芸術家は自分の文化、自分の文化、自分の民衆に決して対立することはありえません。

どんなこともあろうとも、敵対することはありません。

現在の社会が容認しがたい理念を含む思想を表現したときですら、こうした理念が内部で、その社会の内側で発生しなかったという意味ではないのです。

社会はこうした問題に気づく時間がまだ足りなかったというわけです。
一般に芸術家もそうした問題を意識的に自覚するわけではありませんー芸術家は表現するだけです。

芸術家はそうした問題を感じることが出来るのです。

それはまさに、芸術家がそれらを表現できるがゆえに、そうなのです。
芸術家は時代を超えた叡智を必ずしも持つ必要はありませんが、より多くを感知できるからなのです。

芸術家は自分が何を言っているのか理解していないことがよくあります。
子どものように、大人の後から言葉を繰り返します。

子どもは何も理解せずに繰り返し、大人はこう言います。

「おやおや、この子は何を言っているんだ?
 聞いたかい。あっちへ行きなさい! 向こうへ行きなさい!」

大人は子どもをぶったりする。

子どもが家で耳にした言葉を繰り返しただけで大人は子どもを叩きます。
子どもはそういう環境で育っただけなのです。
手短に言うと、こうでしょうか。

「芸術家の役割は、その民衆の声であるべきことだということですー
いや、「あるべき」ではない、こう「あれ」と言うことは出来ない。

自分に向かって国家の声「であれ」と言うことは出来ない。

単純に芸術家は民衆の声である。そうです。


当然、ここには問題があります。

もしあなたが民衆の声であるなら、民衆があなたに求めることだけを言わねばならない。

しかしここに問題がある。

民衆はあなたに何も求めない。民衆は誰にも何も求めない。
自分には何かが求められている、何かが期待されているかのように行動するのが芸術家なのです。

もちろん、民衆は期待していますよ。しかし、無意識に、です。

まさに、この大衆、民衆への義務、生きている時代の名において、芸術家は自分のために創造するのではないということをいつも心に刻んでおかなければなりません。

しかしー自分のために創造するのではないのだが、芸術家は自分が親密に感じられるものだけを表現すべきです。

ここでも、結果的に、自分の心に身近な理念、創造的な仕事のいくつかの位相が、誰にも必要とされていないこともあるかも知れない。

しかしこの場合にもあなたには権利がない-ここでもあなたは無力です。

まず、人々があなたを必要としていたのかどうかが明らかになるのに、100年はかかる。

こういうことは、自分の生きている時代に確信をもって言えないことですね。

社会にも役立ち、同時に真実を全うするというのはとても難しい。

誰も必要としないなら、自分の作品の有用性に自信をもつのは困難です。

それにもかかわらず、正しいと思えることをやるということです。

時が教えてくれるでしょう。

努力をした時点で自分の努力を判断することは誰にも出来ないからです。

だから、芸術家はこうすべきだ、こうしてはいけないと言って、芸術家を道学者にしようとする試みは私は大嫌いです。

芸術での位置づけを採ってー右だ、左だーこれは全くのナンセンスです-完全に無意味です。

芸術家が政治的な意味で誰かの支えになれるのは、ずーーーーーっと、ずーーーーっと後になってからです。

死後随分経ってからです。
本か映画だけが生き延びているときです。

こんな具合です。

「彼が何を言っていたか見てみようー私たちと同じ事を言ってるだろ」

そして、やがては、たとえばその次の年には何もかもが変化し、その芸術家が全然別のことを言っていたと分かる。

それで、それは別の人、そのまた別の人の関心を惹く。

手短に言うとー芸術家には権利がない。

いや権利がないというのではなく、芸術家がすでにそうであるよりも、さらに人々の欲求に近づく道具を芸術家は何ら持ち合わせていない。

神が自分に結局は国家が必要とする存在になる可能性を授けたもうと信じることしか出来ません。

成功しようがしまいがーこれは芸術家が知らないことです。

当面知り得ないことです。

こうした高所から見ると、映画芸術はとても危険な芸術です。

なぜならただちに成功することを期待されるからです。

Q:時間がない


時間がない。すぐに成功しなければならない。

だから、非常にしばしば、映画製作者が成功したからといって、その内面世界がいわば時代と同時代に、同時代の問題にーそして人々にーふさわしいとは言えないのです。
こう言いましょう。

Q:ちょっと質問したいのですが-

いいですよ。でも私はまだ先ほどの質問のどれにも答えていません。
ですから、この件に関してもう一つ言っておきたいと思います。
あなたは予言者と言う。どういう意味でしょう、予言者というのは?
 
ドストエフスキーはよく予言者と言われる。
ええ、そうです。そう呼べるでしょう。

Q:彼にはそうした責任があった。予言者としての果たすべき責任が。

ええ、しかしプーシキンも予言者としての責任があった。

ご承知のように、自分でそのことを書いているー『予言者』で、この壮麗な詩は心にしみこみます。

しかしあなたは正しい。まったく正しい。

もちろん、予言者です。芸術家は予言者です。

祖国では受け容れられない予言者のようなものです。

それでは、プーシキンを例にとりましょう。

彼は詩人でした。その小さなサークルでは人気があった。

そして、友だちの中でもー同時代の人の場合はもちろんー「彼は天才だ」と言う人はそれほど多くなかった。

彼は詩人にすぎなかった。プーシキンという詩人。

誰も彼のことを、今日の私たちのように、天才だと言ったりしなかった。

ショパンがエチュードを作曲したとき、彼はただの音楽家だった。

しかし今日耳にするのは、彼は祖国の魂だ、あれは独創的な天才だーその詩心と精神構造の繊細さを考えるとーヨーロッパ文化で彼に肩を並べる者はいない、あれは途方もない天才だ。

お分かりですか? 

彼が生きているときには-友人仲間しかいなかった、ジョルジュ・サンドやいろいろな人たちです。

Q:それが生、生そのもの。

生そのもの、より優雅かもしれないが、たいてい恐ろしい、難しい。


だから-いや、ドストエフスキーのことを話しましょう。

最初ドストエフスキーはあの-ベリンスキーにトップに持ち上げられた、やがて彼を攻撃することになるベリンスキーによって。

あのひどいベリンスキーー私の見方からすると、ですよ。

簡潔に言うと、詩人のだれかの未来の位置を誰にも予言できません。
もちろん彼が予言者、民衆の声であるなら、もし内的な精神的な本能を保持しているなら、民衆の精神的な高みを人格化しているなら、祖国の魂であるならーそのときには明らかに彼は予言者にならざるをえない。間違いなくそのはずです。

芸術家と民衆との関係


予言者は何でしょうか? 

予言者は民衆の作品です。民衆の創造です。

それは芸術家自身が結果である、芸術家は、芸術作品が創造されるのと同じように、創造されるということです。

神が国家を創造したように、国家が芸術家を創造し、芸術家は自分の作品を創造する。
もしかすると、神とシェークスピアについての、ボルヘスの優れた短編をご存じでしょう-

Q:『全と無』だと思いますが。

そうかも、タイトルは忘れました。
とにかく、そこで神はシェークスピアに、シェークスピア自身が作品を創造したのと同じやり方で、神がシェークスピアを創造したのだと告げます。

全作品が同じ精神的な力に浸透されています。

だから、予言者としての使命が芸術家の双肩にかかっているという現実を否定することは出来ません、どうしても出来ません。

しかしどうやれば、自分の胸を叩いて、まわりの者に「私は予言者である」と告知できるでしょうか?

 そんな芸術家がいたことを私たちは知っています。また沈黙を守った者も。
プーシキンは自分が天才で予言者であるとは一度も言わなかった。

『予言者』という詩を書いていますが、彼自身は-

Q:しかし、私たちは芸術家の社会的な働きを念頭においていませんでした。予言者の責任ということでした。あなたの映画の人物は-

私は社会的な働きを話しているのではない。

私が話しているのは、芸術家の理想の追求についてです。

なぜなら理想がなければ芸術家は存在できないからです。

そしていわゆる理想は到達不可能なのです。

だから芸術家は実践的な意味では役に立たない実体なのです。

芸術家はいつも理想のことであれこれ頭を悩ましています。

そして理想は具体的なものではありません、いかなる方法でも利用できないものです。
私の見解では、これが現代社会のドラマです。

現代社会は芸術家を実用に応用することを要求します。

このように芸術家を利用しようとすると、芸術家はオモチャのように壊れてしまう、破壊されてしまう。何も残らないーこういうことがマヤコフスキーに起きたのです。


Q:なぜならマヤコフスキーは「声」だったから。

なぜなら彼は声だったから。

その声の響きを彼らは力ずくで指導したかった。

彼に「社会の要求」を提示していた人々、彼らは民衆の声がどのように響くべきであるか「よく知っていた」。

こうして彼らは芸術家、どの芸術家にもある最も神聖なものを奪っていった、つまり誠実さを、そして自分でこの声に耳を傾けるということを。

彼に指示を出した人々はこう言うでしょう

「私たちは、この声が何であるべきか、知っているが、君は知らない」

彼らは芸術家から、その働きを奪い取っていった。
彼を盗用し、破壊していった。

私たちが責任というとき、それはこの意味なのですー

あなたは「精神的な貴族制」と言う。

まずーどんな種類の貴族制を念頭に置くのか、はっきりさせましょう。

貴族制、精神的な状況、芸術家の状況-何が芸術なのか? 

傑作とは何か? その意味と条件とは何か? 

傑作は人間精神の偉大さを表現します。

この精神が追い求めている理想を表現します。

これが民衆の隠された期待と欲求の反映であることにはすでに言及しました。
もしそうなら、私たちは一種の頂上、絶頂について話しているのです。

そして頂上と絶頂について話しているときに、私たちは芸術作品によって表現されたこの理想に接近できるのか、この理想に到達できるのか、それを問うてもいるのです。
私たちはこのようにして、この現象の特徴である独創性について語っているのですー
これでいいですか?

Q:はい。

私たちは何かしらの偉大さを話題にしています。

そしてその現象が真空によって囲まれているときにだけ、偉大さについて語ることが出来ます。

絶壁や谷間があるときにだけ、雪をかぶった峰の頂を語ることが出来る、違いますか?

Q:しかし-

ちょっと待った。
だから頂上と谷間の間には違いがある。

もしそうなら、そしてもし頂上が芸術作品に保存された魂の内的な向上を象徴するなら、この独特の現象は、ひとの霊的な発達を引きつける、招き寄せ、呼び起こし、可能にするために生み出されたという意味になる。

そして、もしそうなら、誰かを霊的に発達させるために呼ぶ覚ますことが必要であるなら、彼はまた霊的な発達の比較的低い段階にいてはるか遠いところにいるという意味になる。

頂上にある芸術作品、傑作に対して、です。

自分の民衆の潜在可能性にすべてを反映させるとき作家が頂上にいるのに対して、です。

Q:定義では。

そうです。それはどういう意味ですか? 

こうした傑作、私たちがすでに、定義したそれらの機能は、追求すべき理想として現れますーこれはすでにある種の貴族主義、例外性、低いもの、魂の欠けたもの、悲惨なもの、それらのすべてを超越して精神的に高く上昇することを暗示しています。

大衆を超越して、暗愚を超越して舞い上がった民衆の精神が存在しています。

プーシキンは暗愚さを民衆と区別しました。

私たちはこのことをよく承知しています。

彼は、暗愚さについて書いています、ついでですが、そこには貴族と廷臣も含まれています。

当時『ボリス・ゴドゥノフ』で民衆について書いていますー

民衆は口を閉ざす-ーそこに特別な意味を与えています。

霊能力です、民衆が歴史の神秘に参入するのを可能にさせる霊能力です。
彼はそれに精神性の特徴を賦与しましたー高次の内的な叡智の特徴です。

簡潔に言うとー霊的な貴族主義と言うとき、芸術は低地を見下ろしてひろがる丘陵地帯のようなものです、芸術が自ずと貴族的なのです。

しかし社会学的なあるいは歴史的な意味で貴族的なのではなく、言葉の霊的な意味で、そうなのです。そうでなければ、芸術は存在しないでしょうー

もし芸術が、高次の霊的なレベルを追求する表現でないならば、芸術は存在しません。


Q:私の印象ではーもしかすると間違っているのかも知れませんがー西側の観客を話題にされるとき、あなたの言葉の調子はとても厳しくなりますが。

それほど厳しくないですよ-

それは西側の観客を批判しているのではなく、むしろ西側の観客がいる状況、西洋の文化状況を批判しているのです。

例えば、ロシア人にとって、今でも文化と芸術作品は必ず、ある種の霊的な、神秘的なーお好みならばー予言的な意義を担ったものです。

これと似た文化理解がポーランドでもずいぶん発達しました。
こちら側、西側では、文化は昔から消費の対象になりはてた。

消費者の所有物です。

彼らにとって文化とは何なんでしょうか? 

文化は私が持つことが出来るものです。
私が自由であることの結果として、です。

では自由とはどういう意味でしょうか? 
私はこちら側のだれもが持つものを持って自由である。

文化は西側に存在しているのでしょうか? 存在しています。
こうして私は文化を利用する権利を持つことが出来るし、持っています。

これはどういう意味でしょうか? 

私は持つことが出来る、とは?
 
ええ、ただー物理的に、功利的にー私は持つことが出来る、ということです。

ちょっと立ち止まってこう考えるなんて思いも寄らないでしょう。

「そうです。あなたはその文化を持つことが出来る。しかしあなたはそれを消化できるのか?」

ゲーテを例にとりましょうー

あなたは『ファウスト』を読むー

しかしあなたはそれを読むことが出来ましたか?

そりゃあ、所有すること、購入することは出来ますよ。
『ファウスト』を買いに行けばいいんだから。

ただしゲーテの『ファウスト』を買うことは出来ないでしょう。

むしろ映画館に行って、スピルバーグの映画を観るでしょう。
本屋に行くなら、漫画かベストセラーか、何か必読書を買うでしょう。

それでおしまいだ。

トーマス・マンは買わない。ヘッセも、フォークナーも、ドストエフスキーも買わない。

ええ、そういうことです。

何だって買える。

しかし文化を吸収するためには、作品を創造している芸術家自身の努力に等しい努力をしなければならない。

こんなことは、そういう消費者には思いも寄らないでしょう。

ちょっと行けば買えるんだ。金さえ払えばいいのさ。こう考える。
これこそ精神性の欠如の結果です。

芸術が貴族的であるということすら思いつかないでしょうー
言葉の霊的な意味でですよー繰り返しますけど。

別の意味で使うのを神が禁じたもうのです。


エリートの芸術だと連中は言う。

エリートとはどういう意味ですか?

 芸術は、万人が芸術を理解できることを、包括理解できることをいつも期待しています。

その瞬間を待ち望んでいます。

あらゆる芸術作品がこの目的のために創造されているのです。

しかし彼らはこういう。

これはエリート主義だ。なぜならすぐに理解できないから、と。

しかし理解できないというのはどういう意味でしょうか?
 
ありえない、芸術では-良い本を読むことは良い本を書くのと同じくらい難しいとゲーテは言っています。

その意味は、作家の狙いを理解するために人はある種の精神的な仕事をしなければならない、ということです。

繰り返します。

創造的な芸術家は、その民衆と敵対する者ではありません。
民衆に奉仕する個人なのです。

Q:あなたの言い回しを使わせていただくならーそういう観客はあなたの映画にいたる道にまだ足を踏み出していないと言えるのでしょうか? この旅が彼らを待ち受けていると言えるのでしょうか?

私の作品に対する観客の反応を私は密着して追跡しないので、それが本当かどうか、私にはとても分かりづらいです。

私が知っているのはただ1つです。

私の映画は、随分苦労して、ソヴィエト連邦で観客を見いだしていきました。

一作ごとに観客が増えていき、最終的には最後の2作の場合、チケットを入手するのが文字どおり不可能だった。

ゴスキノの経営陣は私の映画が人気があると気づくや否や、配給を引き上げました。
ただちに引き上げました。

最初彼らは、私の映画がこけると思ったから、封切りを許したのです。
こけなかったら、途端に上映をやめさせました。

Q:全作品がそんな扱いを受けたのですか?


今言っているのは最後の2作、『鏡』と『ストーカー』です。

これは計画通りでした。

この道は困難な道でした。
なぜなら私に出来ることは1つしか残されていなかったからです。

正直になり、自分に近しい事について自分の声で話すことです。
観客もまたそういうものとして見てくれるだろうと望みました。

最初、そういうやり方に観客は反発を覚えたようですが、徐々に観客数が増えてゆきました。

非常に不思議なことがあります。

ー不幸にもーソヴィエト連邦を出国しようとした頃、私の観客は非常に若い人たちでしたー16,17歳の若者ですーそして彼らは私を理解したのです。

とにかく私の映画を理解したのです。

「理解した」とはどういう意味でしょう? 
彼らは私の映画を受け容れたということです。

或る意味で私の映画は彼らの世界だったのです。私はそれでとても幸せでした。
しかし一般に私と同年代の人々はこれらの映画と情緒的に近しいと感じることがなかった、若者ほど、気持ちが近いと感じなかった。

これはとても不思議です。説明する気はありませんよ。


同じ過程が西側でも起こりました。
例えばロンドンで、確か5回、とにかく複数回、私の映画の回顧上映が行われました。
最後の上映は、さほど前じゃありません、1月ほど前ですか、ものすごい長蛇の列でした。

これは何でしょう? 

彼らは理解したのでしょうか? 理解していないのでしょうか? 

私にははっきりとは分かりません。

ここストックホルムでも大変な行列になりました。多くの人が私の映画を見に来ました。

今でも回顧上映が予定されています。

分からない。私自作が配給されるのを目にするのは一般にうれしいことですよ。
しかしあんなようになるのは大きな危険がある-ええ、誰もがこれらの映画を観ているだろうというのは。手短に言うと、先に話し合ったことから、観客動員でものすごい成功をした監督になるのはとても危険なことだということになるからです。とても危険です。

こういう場合、伝えようとすることに重要なことは何もないと私は思います。
前者の場合、内的な発達段階を経て、精神的な頂上に真に到達している。

そして観客に付いてくるように招いている。
まさにこの反対があるー芸術家自身が低次のレベルに滑り落ちていく。

これは間違いない。

当然、映画を作るためには監督に人気がなければならない。
そしてこれこそ映画の悲劇です。

祭りの場で、罪にまみれて、市場で映画が誕生したという事実がです。
物珍しい仕掛けがあって、あなたはそれをのぞき込む。

若い女性が服を脱いでいるのが見えた。

小銭を入れると、また別のことが起きようとする。

これは悲劇ですーなぜなら映画はそれ以来ちっとも変化していないからです。

新たな映画を作るためには金儲けをしなければならない。

他の芸術の場合、事情がまったく異なる。

本を書くなら家で机に向かえば出来るー
カフカのように、書いたけど何も出版しなかったカフカのように。

しかし本が書かれたのは間違いない。

手短に言うと、観客との関係、そして一般に人気との関係、という問題はとても複雑です。

しかも非常に頻繁に、それは芸術家が自分に課した問題と課題にかかっているのではなく、芸術家にプロデューサー、金が課した課題のほうにかかっている。

もしかするといつの日か、映画に金がかからないレベルにまでテクノロジーが到達したら、金属のヘルメットを頭にかぶって、脳波計のように私たちのファンタジーとイメージのすべてを記録して、それを編集して映画に出来ることでしょう。
これは金がかからない。

しかしこんなことが起きるのを目の当たりにして、この種の安いテクノロジーを話題にするには、随分長生きしなければならないでしょう。とりあえず、映画はとても金がかかる代物です。

ポーランド芸術の影響

Q:ポーランド芸術とポーランド映画はあなたの仕事に影響しましたか?

影響? 
もちろんです。VGIKで勉強している頃、ポーランド映画は異常に盛りあがったじゃないですか。

若き日のワイダやアンジェイ・ムンクなどの名前と結びついて花開いた時代でした。

Q:ポーランド学派。

ポーランド学派。世界中で有名になり、私たちにも影響せざるをえなかった。
特に印象に残るのが撮影です。

例えばヴォイチクが示したような、映画による世界知覚の様式です。
ワイダともムンクとも仕事をしたカメラマンです。
『灰とダイヤモンド』は私たちには啓示でした。

私たちの多くにとっては。こうしたもののすべてはとても影響力があって、とてもインスピレーションにあふれていました。

とりわけ、そうした映画に表現された生における真実さとの関係です、写実主義に基づく撮影から生まれる詩的な感興です。

これは当時ものすごく大切なことでした。
なぜならそれまで映画は真実味に欠け、厚紙細工で、嘘くさかったからです。
外的な面でも、その本質においてでも、です。

ポーランド学派の映画で、構造そのものがすでに驚異的だった、ポーランドの映画作家は自分が特殊な種類の構造を扱っていることを理解していました、それを壊さなかった。

昔の映画はイメージの構造を識別していなかった。
べニア板と壁紙と織物を貼り合わせたものでした。
つまり、その張りぼてでした。

当然スタジオで撮影されました。
それが突然純粋な自然、泥、荒廃した壁に向かったのです。

化粧を落とした俳優の顔に向かったのです。
完全に異なる感情が、イメージに浸透していきました、リズムが違うのですー
当時の私たちにとってこれは非常に大切なことでした。

ロシア人は亡命者になれない


Q:最後の質問をお訊きしますーあなたは亡命者として生活されています。ロシアの亡命芸術家の生活は、思うに、3つの名前で象徴できます。ブーニン、ナボコフ、ソルジェニーツィンです。この3人がそのヴァリアントです。亡命者として生きる3人の典型です。そのどれにご自分が一番近いと思われますか?

私は誰の生き方にも近いと感じないですよ。誰かの人格が自分に近いと感じることはありますよ。

Q:ええ、でもこの3つの名前は亡命者の3つの生き方なのです。

もちろんです。ブーニンです、間違いない。

間違いない。私は彼を身近に感じます。
なぜなら彼の作品にも親近感を覚えるからです。ブーニンは偉大な作家だと思います。


Q:しかし彼は過去に生きている、過去に自分を閉じこめている。もっぱら回想するだけです。

彼は回想する。どういう意味ですか? 回想するって? 

ソルジェニーツィンも回想しますよ。ナボコフも回想しますよ。

申し訳ないけど、誰もが回想しますよ。

芸術の理想は、結局、回想に基づいている。


Q:亡命者の生涯のモデルが念頭にあるのです。亡命者として、もっぱら過去の回想に閉じこもることが出来るー例えばブーニンのように。あるいは、異なる文化の中で、異なる言語を同化することが出来るー例えばナボコフのように。あるいは、新たな環境になじむよりもむしろ、祖国の問題にこだわって生きるー例えばソルジェニーツィンのように。

ロシア人は亡命者に絶対なれないんだ-


Q:誰だって、なれないですよ。

それから、忘れないでください、ナボコフは子ども時代にロシアを離れた。

ブーニンは、大人になってから、成人してから、出た、出国せざるをえなかった。
ソルジェニーツィンは成人であり作家であっただけでなく、先の2人が夢にも思わない経験を生き抜いた作家だった。

それはまったく比較できない人生ですよ。
しかし、あなたがモデルと言うならーそれなら私たちは身近なのでしょう。
どれほど身近なのかは分かりませんがね。

ナボコフはここではまったく当てはまらない。
彼は子どもの時に出国しましたからね。これはまるっきり違う。

出ていったのはソルジェニーツィンとブーニンだけです。

確かに、私はソルジェニーツィンが経験したことを経験したことがない、それからブーニンもーもちろんブーニンが経験したことも経験したことがない。

ご承知のようにブーニンはー彼の場合人生は革命前にすでに終わっていた。
革命のずっと前に、彼にとってすべてが崩れ落ちていた。

彼が描いている生は、追憶として、過ぎ去った人生として、示されています。


Q:彼は過去に閉じこもっていると言ったとき、そういう意味合いでした。

ええ、だから彼はあんなに痛々しいのです。
私はブーニンという作家を愛します。

彼の苦しみを理解し、さらには、彼の性格も分かります。

彼はすごい毒舌家でした。とても横柄で、いつも公正というわけでもなかった。
他者をひどく主観的に判断したりして。あまり善人ではなかった。
まあ、そうしておきましょう。

しかし、どうでしょうか、ナボコフは善人だったか? 
ソルジェニーツィンは善人か?
 
私は知らない。
だから、亡命者の生活モデルとあなたが言うとき、ブーニンは或る意味で明らかにソルジェニーツィンのほうに近い。

隠者のように生きたという意味で、です。

彼は新しい人生に順応できなかったし、心を開くことも出来なかった。
ナボコフの場合、英語でもロシア語でも書けたーしかしこれもまた子ども時代にロシアを離れたからだ。

ブーニンは非常に悪いタイプの亡命者を代表している。
例えば、ロシアを出たためにソルジェニーツィンがどこほど苦しもうとも、重要な問題、重要な事柄に心を向けることができるでしょう。

一方、ブーニンはー私が思うにー自分を苦しめた痛みをたえずもう一度生きることでしょう。

自分の内側にそれを抑圧することが出来なかった。
或る意味でソルジェニーツィンほど強くなかった。
とにかく彼はとても-子どものようなところがあった。
あのころ、いい子でないことが多かった。


Q:子どもは時にそうなりますね。

ええ。子どもにはよくある。彼は気むずかしい性格だった。
しかし、誰の性格が気むずかしくないのですか? 
ナボコフのですか? 違う。
もしかしてソルジェニーツィンの? やはり違う。

Q:あなたの性格は?

私のことを訊かれるなら、何も答えられませんね。
自分自身を判断することは私にはまったく出来ないからです。
やろうとしても、間違った判断をするでしょう。

Q:ブーニンも同じでしょうね。

どういう意味ですか?

Q:ブーニンもこの質問に同じように答えるでしょうね。

そう思いますか?

Q:ええ。そうするのが良いと考えて、誰もがそう行動すると思います。

何が良いのですか?

Q:そう行動するのが良いと。

しかし私は、自分自身について、自分がやることが良いと決して言えなかった。
第1に、私は自分がすべてを上手にやるとは信じない。
さらに、私がするかなりの部分を、私はひどいやり方をしている。
ええーしかしそれもまた別の話だ。

こんな風に私は性格としてはトルストイにずっと近く感じます。
芸術家の類型として、例えばドストエフスキーや他の誰よりも、身近に。
類型として、モデルとして、です。

私にとって最もロシア的な現象、私に最も重要な、最も身近なのはー精神的な意味で、ですー
この問題です、うーんと、聖アントニウス・コンプレックスとでも呼びましょうか。

つまり、精神と物質の葛藤です。それはハムレットの問題です。
私たちの知るハムレットはシェークスピアの創造です。
ドストエフスキーの創造ではありませんーですから、これはロシアの発見とは言えません。

聖アントニウスもロシア人ではない。
しかし、この聖アントニウス・コンプレックスは私には最も重要な問題です。
精神と物質の葛藤です。

人間の内側で神が悪魔と戦っている闘いなのです。
これがきわめて重要です。

トルストイもそれを感じていました。そのために悩みました。
彼は道徳の立場にいつも立っていました、むき出しの質問をしました。

芸術とは何か?

こんなものは誰も必要としていないと彼は決めました。
ブルジョアの迷信だ。

当時すでに大変な左翼でした。

彼は自分の創造的な仕事を否定し、初歩の読本を書き始めたり、色々なことをしました。

農業もやりたかった。
葛藤です。

理想と、可能であること、現実主義的に可能であることとの、葛藤です。


Q:そろそろお仕舞いにしたいと思うのですが。随分お時間を拝借しました。お話しをうかがえて、とても有り難く思います。


どういたしまして。


Q:祖国にーあなたの国とあなたの映画に、幸せに帰ることが出来ることをお祈りします。


いつポーランドに帰るのですか? [タルコフスキーはこの問いを私にしたーJ.I.]


Q:1月ほどで。


ここには何をしに来たのですか? レポーターとして?

Q:いいえ、個人的な事です。友人を訪れています。

そうですか、神様が御2人とともにあるように。
そしてもし出来ることなら、ポーランドを離れないように。

Q:国を出る気はありません。

亡命は重い負担ですよ。
ロシアからこちらに来た人がいてね、友だちです、誰なのかはどうでもいいことです-
「うーん、ええ? さあ。何? どうやって? 出るー出ない? 

何をすればよいか? どうやって生活するか?」ー
出ないように努めなさい。

出ないで済むように出来ることは何だってやりなさい。
そんなことはやっちゃあいけない。

母なる祖国を離れるべきじゃない。

ポーランド人も、ロシア人も、スラブ人一般に、そうだ。
他のどこにスラブのルーツを見つけるんだ? 

もちろんポーランドは西側に帰属する国だ、それは間違いない。
しかしポーランドのルーツすら、はるか東洋までひろがっている。

ロシアが東洋に帰属するからじゃないですよ。

ロシアのためにでもないですよ。
そうではなく、一般に東洋のほうに引かれる力が強いからです。

告白しましょう、私にはタイ、ネパール、チベット、中国すら、こういう国は精神的に霊感を受けた国です、フランスやドイツよりも精神的に私にはずっと身近です。
いろいろあるにしても、そうです。

そういうことを全部分かっているけど、理解し、好んでもいるのだけど、結局西洋風に育てられた。

ロシア文化一般が今日では西洋文化だ。

しかし、あの精神、東洋と私たちをまさしく結びつけるあの神秘主義ーそれは私たちにとって非常に近しいものだ。

ポーランドがカトリックの国であるにしても、です。
ところで、ポーランドのカトリックは不思議だ、例えばイタリアのカトリックとは違う。

共通点がない。
同じ法王を戴いているらしいけど。

ええ、これは非常に興味深い-もちろんポーランドはいつも2つの世界の間に挟まっていた。

ロシアはいつもポーランドをいたぶっていた。
ロシア人はそれをとてもよく覚えている。
それについて知っている。何が言えるかというと-
ttp://homepage.mac.com/satokk/selfcriticism/illg.html

メンテ
アンドレイ・ タルコフスキー(1932年4月4日 - 1986年12月29日) ( No.8 )
日時: 2022/05/18 13:48
名前: スメラ尊 ID:HreHUpPo

アンドレイ・ タルコフスキー(1932年4月4日 - 1986年12月29日)

アンドレイ・ タルコフスキーは、ヴォルガ川近郊のザブラジェで1932年4月4日、アルセニー・タルコフスキーとマリア・イワノヴナ・ヴィシニャコーワの息子として生まれた。

父は詩人で、その詩作によって後年にはかなりの名声を獲得することになる。

両親はモスクワの文学大学に学ぶ。

タルコフスキーが生まれた村は、もはや存在しない。

ダムがその地域に建設されて、人工湖の水底に眠っているのだ。

しかし、タルコフスキーが子ども時代を過ごした場所とそのイメージは、彼に消えることのない影響を及ぼし、作品に深甚な影響を残すこととなった。

一家がモスクワ郊外に引っ越した1935年には、父母の間の関係にひずみが見えはじめ、やがて、2人の離婚と、父の出奔を招くことになった。

アンドレイは、母、祖母、及び妹の家族構成、つまり男手のない家庭で成長した。

1939年に彼はモスクワの学校に入学したが、後に戦時中の疎開でヴォルガ河畔の親類の元に移った。

戦争の勃発で、父は兵役に志願、負傷して片脚をなくすことになる。

一家は、1943年にモスクワに戻った。

そこで、タルコフスキーの母は、印刷所の校正係として働いた。

戦時の年月は、少年の心に2つの大きな懸念が重くのしかかる日々であった。

死なずにすむだろうか? そして父は前線から無事に帰ってくるのだろうか? 

しかしながら、アルセニー・タルコフスキーがやっと戻ったとき、赤い星の勲章で顕彰されていたが、彼が家族の元に戻ることはなかった。


息子が芸術分野の仕事を見つけることを、タルコフスキーの母は一貫して望んでいた。

芸術の価値に対する彼女の信念は、彼が正式に授けられた教育に反映されている。

音楽学校、後には、美術学校に学んだタルコフスキーは、自分の映画監督の仕事はこうした訓練がなければ到底考えられないと、後年になって述懐している。

1951年から、彼は東洋言語大学で学んでいる。

これらの勉学は、しかしながら、スポーツによる負傷によって終わりを告げ、タルコフスキーは、シベリアへの地質調査団に加わり、そこでほぼ1年の間滞在し、ドローイングとスケッチのシリーズを製作した。

1954年に、この旅から戻った時、彼は、モスクワ映画学校 ( VGIK )に首尾よく合格し、ミハイル・ロンムの元で学ぶことになる。


タルコフスキーの商業映画第1作『僕の村は戦場だった』 (1962年)は、きわめて見通しの悪い状況で生まれた作品であった。

この映画は、E・アバロフ監督で撮影が開始されていたが、撮影されたシークェンスの質が不良なので中止されたプロジェクトだった。

後に、やはり映画を救済しようという決定がなされて、タルコフスキーがその完成の責任を負った。

こんな状況であのような情緒的なインパクトをもつ作品を創造できたという事実は、映画監督としての彼の力量とヴィジョンの強さを証言するものである。

彼のものでない素材が混ざっているにもかかわらず、このフィルムは彼の子供といってもいいだろう。そして、彼のスタイルの紛れもない刻印を帯びている。

大人に早くならざるをえなかった幼い少年、最後には戦争によって殺された少年の運命を描いている。

タルコフスキーは、自身の子ども時代とイワンの子ども時代との見かけの平行関係を否定して、両者の共通点は年齢と戦争という状況にすぎないと述べている。

映画は、ヴェネチア映画祭で金獅子賞を受賞し、タルコフスキーの国際的な名声を一気に確立させた。


『鏡』 ( 1974ー75年)は、自伝的な要素を強くもち、親密な幻視の強度を有している。

伝えられるところでは、映画には実話でないエピソードが全くない。

それゆえに、『鏡』はタルコフスキーの最も個人的な作品であり、特にロシアでは、(その主観主義のために)厳しい批判にさらされることになった。

しかしながら、幼年期を描出するその驚異的な手法と、子どもの、魔法のような世界観は、タルコフスキーの全作品に横溢する暗示的な技法を理解する鍵を我々に提供している。

ttp://homepage.mac.com/satokk/petergreen.html

@僕の村は戦場だった

ttp://www.youtube.com/watch?v=OkzTfa6_9nQ
ttp://www.youtube.com/watch?v=RBhA5vkxW4k&feature=related
ttp://www.youtube.com/watch?v=raeSygQ6Gvw&feature=related

ttp://www.youtube.com/watch?v=BJ80Mh-G5is&feature=related
ttp://www.youtube.com/watch?v=FER7x80Vz9A&feature=related
ttp://www.youtube.com/watch?v=kFwsh6YJJdA&feature=related

ttp://www.youtube.com/watch?v=qarrhSAWXq8&feature=related
ttp://www.youtube.com/watch?v=-nGkfGYTxMk&feature=related
ttp://www.youtube.com/watch?v=dTamjSg8qUI&feature=related

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噂には聞いていましたが、これほどまでの傑作とは思いませんでした。すばらしい映画でした。

タルコフスキーならではの詩的な映像と、独ソ戦争の悲劇を現実的にとらえた対照的な映像が見事にコラボレートして、一歩間違うとおとぎ話のような陶酔感の中で迎える衝撃的なラストにうなってしまいました。


一人の半裸の少年が森にたたずんでいます。

蝶が舞い、その蝶を視線が追いかけるとカメラが蝶の視線のごとくふわっと舞い上がります。

ショットは変わって少年の前に一人の母親らしき女性。

うれしそうに駆け寄る少年。

次の瞬間、ぼろ小屋で飛び起きる少年。

実はこの少年はソ連側からドイツに潜入して情報を探るゲリラ兵なのです。ショッキングなオープニングに一気に引き込まれます。


湿地の中を必死で駆け抜けてソ連領に舞い戻ったところから本編が始まります。


戦場の場面がリアルに生々しく語られる現実と、少年が夢見るときにみる平和な頃の詩情あふれる映像の対比が実に効果的で、本当に美しい。

湿地の中を進む場面で水面に映る照明弾の光の動きの中で船をこいでいくショット、

少年が夢の中でみる母親が井戸の外で倒れたところに降りかかる井戸水のショット、

あるいは少年が愛らしい少女とリンゴを積んだトラックに乗っていく中で、リンゴが道にこぼれだし、馬が拾い食いするショット

などタルコフスキーならではのファンタジックな映像もふんだんに盛り込まれています。

すでに両親の行方もわからない少年イワンの親代わりは戦場の3人の兵士たちだった。そして、冒頭のゲリラ斥候を終えたイワンにその兵士は幼年学校へ行くように勧める。

しかし、それに反対し、再度斥候にでる。無事ソ連領に送り届けた兵士たち、しかしまもなく戦争は終結。

ドイツの収容所を制圧した兵士たちがそこでみたのはドイツ軍が捕まえたソ連からの斥候たちの処刑のリストファイルだった、そしてそこにはイワンの名が・・・・


処刑される寸前に見たであろうイワンの幻想は愛くるしい少女と一緒に浜辺を駆け抜ける場面でした。

タルコフスキーならではの映像美の世界とサスペンス色あふれるストーリー展開、そして悲劇的なラストに見せる切ない現実への警告。完成度の高い見事な作品でした。
ttp://d.hatena.ne.jp/kurawan/20100510


19 :無名画座@リバイバル上映中:2006/02/25(土) 18:52:48 ID:nrY8uN4r

原作は「イワンの少年時代」というタイトルですよね。

でも何だか皮肉な題だなあ。少年時代を少年のまま過ごすことも叶わず、
戦争によって踏みにじられ、大人にならざるをえなかったイワン。

回想シーンがあどけない笑顔を浮かべてたのに、現実のシーンでは微笑を忘れた
一切感情を押し殺した表情をしてたのが余計に哀しい。

25 :無名画座@リバイバル上映中:2006/03/09(木) 10:25:13 ID:za8+WElc
もし、記憶違いなら悪いけど少年のお母さんが腋毛生やしてたような・・・

26 :無名画座@リバイバル上映中:2006/03/09(木) 14:54:33 ID:pWzQBXUM
おっ、いいところに目をつけましたね。なかなか目ざといですな。
あのお母さんはどうも色っぽすぎていかんです、ハイ。



28 :無名画座@リバイバル上映中:2006/03/09(木) 21:33:09 ID:BSZv+BGP
いや、ほんとに。
少年の回想シーンとは思えないほど肉感的ですね。


『鏡』を観ててもそう思うんですが、

どうもタルコフスキーにとって母親というのは
そういう肉感的な存在としてイメージされるみたいです。

29 :無名画座@リバイバル上映中:2006/03/10(金) 21:02:41 ID:G7Eo1+60

母親役はイリーナ・タルコフスカヤ。

30 :無名画座@リバイバル上映中:2006/03/11(土) 13:38:57 ID:UEITlvEh

おそらくイリーナ・タルコフスカヤさんは監督の最初の奥さんではないかと。
(同姓同名でなければ、イリーナという奥さんがいたはず)

38 :無名画座@リバイバル上映中:2006/05/12(金) 17:13:15 ID:9534X0Wy
浜辺で母が手を振って立ち去ろうとするところ恐いぐらい。

48 :無名画座@リバイバル上映中:2006/09/03(日) 23:38:29 ID:VbWH5bGO
ラストの水はすごかった
ttp://mimizun.com/log/2ch/kinema/1139048950/

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A アンドレイ・タルコフスキー 鏡 (ЗЕРКАЛО) 制作 75年 ソ連

ttp://www.youtube.com/watch?v=Ka6hX8OJrEs&feature=related
ttp://www.youtube.com/watch?v=Ox10yhzcfAI&feature=related
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「魂の映像詩人〜タルコフスキー」

「僕のみる夢は、いつも同じだ。

僕が40数年前に生れた祖父の家、それが必ず再現される。懐かしい場所だ。

そして白いテーブル・クロスの食卓がある。

家に入ろうとして入れない・・・、そんな夢を何度か見た。

薄汚れた丸太の壁やよく閉まらない扉などを見て、夢だなと思うことがある。

そういう時には妙に物悲しく、目覚めたくないと思ったりする。

時に何事か起きて、あの家も、周囲の林も夢に見なくなる

夢に現れないと、僕は淋しくなる。夢を待ち焦がれるようになる。

夢の中で僕は子供にかえり、幸せを感じるのだ。まだ若いからだろうか?」


『鏡』は、タルコフスキーの作品のなかで最も難解な作品かもしれない。

なぜなら、この作品に貫かれているのは監督の内省的な自伝的要素の強い作品になっているからだ。自分の内面を見つめることさえ難しいのに、人の内面に入るのは困難なことである。

物語は父と別れた母への思いと、同じように妻と子供たちと別れてしまった『私』の回想と夢で綴られる。

母が印刷工場で誤植かもしれないと大騒ぎした日に、同僚のエリザヴェータから身勝手だと責められる。

そして、主人公も妻から「あなたは自信過剰よ。自分が存在するだけで、家族は幸せになると思っている」と母に似たような非難をされる。

自己の存在があっての世界。自己の存在があっての他者。

そうした人と人の繋がりの感情の襞が、この作品では鏡を通して語られる。

作品の冒頭近く、風に揺らぐ草原の中を通りすがりの医者が母に語りかける。

「・・・ごらんなさい。自然も素晴らしい。草も木も感じたり、認識したり、理解するのです。・・・

われわれは走り回り、くだらんおしゃべりをする。自分の中にある自然を信じないからですよ。

世俗のことばかり忙しくて・・・」と。

内なる自然、それは『神』と同義語ではなかろうか。

人間としての良心。善悪や恥に対する認識。

『惑星ソラリス』でもそれらは同じように語られる。そして、スナウトに「人間に必要なのは鏡だ」と語らせている。

自己を見つめるための『鏡』、
自己の内面を時間と空間を飛び越えて映し出す『鏡』。

鏡に映った自己は虚像ではあっても、その内面の多くを物語ってくれる。そして、それは実像なのである。


スターリン政権下、誤植は命とりだったのである。

そのため奔走した母。それを攻める同僚。
観ているものには理不尽さを感じないではいられない。

それは、時代のゆがみの現れ、タルコフスキーのソ連政権に対する不信感の現われだったにちがいない。


ともあれ、この作品は言葉で表し難い。それは冒頭述べたとおりである。

しかし、タルコフスキー特有の映像。この映像を見ているだけで至福のひと時を感じてしまう。

また、感情の奥襞を言葉のやり取りでさらけ出していく手法はベルイマンを、夢のシーン、特に母がベッドから浮き上がるシーンや家の壁が崩れ落ちるシーンにはブニュエルの影響が認められる。


そして、作品の随所に現れる『水』と『火』のイメージは、次作 『ストーカー』を経て『ノスタルジア』で頂点に達する。

≪父の詩≫

「私は予感を信じない 

前兆を認めない 

中傷も毒も恐れない 

この世に死は存在しないのだ 

すべては不死だ 

すべては不滅で17歳でも70歳でも死を恐れる必要はない 

ただ現実と光あるのみ 

この世に闇もなく、死もない 

我々はみな海辺に出る 

不滅の海の広がり
 
我々は力をあわせて綱を引く
 
家というものも永遠だ 

私は好きなときに呼び戻し 

その時代に生き 家を建てる・・・

それゆえに今 我々は妻や子と祖父や孫と一つテーブルにいる 

もし私が手を挙げれば 未来もここに現れる 

光も永久に残るだろう
 
過ぎ去った日々を私は肩に積み重ねて 深い時の森を抜けてきた 

私は自らこの世紀を選ぶ・・・」


鏡《ストーリー》


私の夢に現われる母・マリア。

それは、40数年前に私が生まれた祖父の家。

うっそうと茂る立木に囲まれた家の前で、母・マリア(マルガリータ・テレホワ)はいつものようにもの思いに耽つていた。

一面の草原にたたずむ彼女に行きずりの医者が声をかけるが、彼女は相手にしない。


母は、たらいに水を入れ髪を洗っている。
鏡に映った、水にしたたる母の長い髪が揺れている。


息子≪私の少年時代≫・イグナートが家の中にいると、外では干し草置場が火事だと母が知らせに来た。

1935年のことだった。その年、父は家を出ていった。

私は突然の母からの電話で夢から覚め、エリザヴェータが死んだ事を知らされた。
彼女は、母がセルポフカ印刷所で働いていた頃の同僚だった。

私は母に、母の夢をみていたことを知らせる。

両親と同様、私も妻ナタリアと別れた。

妻は、私が自信過剰で人と折り合いが悪いと非難し、息子イグナートも渡さないと頑張っている。

妻のもとにいるイグナートのことは、同じような境遇にあった自らの幼い日を思い出させる。

赤毛の、唇がいつも乾いて荒れていた初恋の女の子のこと。

同級生達と受けた軍事教練のこと。それは戦争と、そして戦後の苦難の時代でもあった。

そして、哀れだった母のこと。

大戦中、疎開先のユリヴェツにいた時、母に連れられて遠方の祖父の知人を訪ねて、宝石を売りに行き、肩身のせまい想いをした時のことなど、彼にとって脳裏に鮮かに焼きついている幼い頃のことが思い出される。


母の負担になったかもしれない自分の少年の日々のことを思うと、私の胸は疾く。

イグナートが同じ境遇をたどっているのかも知れないと思うと、さらに私を苦しめる…


そして、夕暮時、母が遠くで見守るなか、広い草原を子供たちが年老いた母につれられて歩いて行く。
ttp://acusco.cocolog-nifty.com/higurasi/2008/07/post_20eb.html


アンドレイ・タルコフスキー・インタヴュー


―1985年3月、ストックホルム― 『鏡』に関して


Q. 『鏡』であなたはご自身の生い立ちを提示されました。どのような鏡をあなたは使われたのですか。


その鏡は、スタンダールの鏡のように、道中をたどる鏡ですか。それとも、その中に自分自身を発見し、それまで知らなかった自分自身について何かを学ぶことになった鏡ですか。

言い換えますと、この作品はリアリスティックな作品ですか、それとも、主観的な自動創造なのですか。あるいはもしかすると、壊れた鏡の破片を集めて、映画的なイメージの枠内に収めて、完全な総体を構成する試みなのでしょうか。


映画というものは、部分を集めて一個の総体にする可能性をいつも創造してくれます。

映画は結局、モザイクのように、切り離されたショットから構成されています。

色彩とテクスチャーの異なる個々の断片で構成されています。

ですから、断片の一つ一つはそれ自体では、無意味かもしれません。またそう見えることでしょう。

しかしその総体の中に収まると、断片が絶対に必要なエレメントになるのです。

個々の断片はその総体の枠内でしか存在しません。だから映画は、私にとって最終的な結果を見る目で考えぬかれていない、いかなる断片もフィルムに存在しない、存在し得ないという意味で、重要なのです。

個々の断片のひとつひとつは、まったき総体によって共通の意味にいわば彩色されているのです。

言い換えると、断片は自立した象徴として機能せず、ある独自の、唯一無二の世界の一部としてだけ存在するのです。

そういうわけで、『鏡』はある意味で私の理論的な映画観に最も近いものです。


ご質問は、どのような種類の鏡なのか、でしたね。

ええ、まず第一に、この映画は創作されたエピソードをまったく含まない私自身の脚本に基づいています。

エピソードのすべてが実際に私の家族の歴史のものです。そのすべてです。例外はありません。

唯一創作されたエピソードは、ナレーター、作者の病気です。

作者はスクリーンに映りません。


ところで、この非常に興味深いエピソードは、作者の精神的な危機、彼の魂の状態を伝えるために、必要だったのです。


ひょっとすると、彼は命に関わる病気なのです。

ひょっとするとそれが映画を作り上げるさまざまな回想を生み出す理由なのです。
死ぬ間際に人生の最も重要な瞬間の数々を思い出す人のようにです。

ですから、これは作者が自分の記憶に加えた単純な暴力ではありませんー私は私が欲するものだけを覚えているのですーそんなものではありません、これらは臨終の時の男の回想なのです。

自分の思い出すエピソードを良心の秤にかけているのです。

このように、唯一創作されたエピソードは、他の完全に真実である回想に必要な先行条件になったのです。


この種の創造、このように自分自身の世界を創造することがこの真実かどうか、そうお訊ねなのですね。

ええ、もちろん真実ですが、私の記憶に反射したものとしての真実です。

例えば、撮影に使われた私の子ども時代の家を考えてみましょう。

映画であなたが目にする家です。あれはセットです。

つまり、あの家は昔、私の家が建っていた全く同じ場所にもう一度建てられたのです。

あそこに残っていたものは、基礎すらなかった、かつてそこにあった穴ひとつでした。

まさにその場所に家がもう一度建てられたのです。写真から再建したのです。

これは私にはきわめて大切なことでした。

私が何らかの自然主義者になりたかったからではありません。

そうではなく、映画の内実に対する私の個人的な姿勢の総体がそれにかかっていたからです。

もし家が別物に見えたなら、それは私にとって個人的なドラマになったことでしょう。

もちろんこの場所で樹木はずいぶん生い茂りました。すべてが生え放題で、ずいぶん切り倒さねばなりませんでした。

しかし、私がママをあそこに連れて行くと、ママはいくつかのシークェンスに出ていますから、彼女はあの風景にひどく心を動かされたので、私は正しい印象が創造されたのだとすぐに分かりました。


こう思うでしょうね。なぜまた、過去を念入りに再構築することが必要だったのか、と。

それもまた、ただの過去でなく、私が覚えていること、そしてそれを私がどのように覚えているか、それを再現することが必要だったのか。

私は、いわば、内的で主観的な記憶のために特定の形式を探求しようとしたのではありません。

私は昔のままにすべてを復元しようと努めました。

つまり、私の記憶に固定されたものを文字どおり繰り返そうと努めました。
その結果は非常に不思議なものでした。私には何とも奇妙な経験でした。

観客の興味を引くために、関心を引きつけるために、観客に何かを説明するために、構成されたり創作されたエピソードは何ひとつない映画を私は作りました。


エピソードのすべてが、まさしく私の家族に関する、私の生い立ちの、私の人生の回想だったのです。

そして、それが実は非常にプライベートな物語であるという事実にもかかわらずーもしかすると、まさにそのためにー私は後でたくさんの手紙を受け取りました。

映画を見た人たちは「どうやってあなたは私の人生で起きたことが分かったのか」と訊いてきたのです。

これは非常に重要です、ある内的な意味で、非常に重要です。

これはどういう意味なのでしょう。

これは、道徳的で精神的な意味で非常に重要な事実であると私は言いたいのです。

なぜなら誰かが自分の真実の感情を芸術作品で表出するなら、それは他者にとって秘密のままであることはありえないからです。

もし監督や作家が嘘をついているなら、ものごとを人工的に作り上げているなら、彼の作品は完全に-

Q. 「洗練の極み」


そう。イタリアでは、cervellotico, troppo cervellotico と言う。

「人工的に、よく工夫されている」という意味です。

そんな仕事は誰の心も動かさない。

だから、作家と聴衆の間の相互理解は、それがなければ芸術作品は存在しないのですが、創造する者が誠実であるときにのみ可能なのです。

しかし誠実な作家が自動的に傑出した作品を生むという意味ではないですよ。

能力と才能が基本的な予備条件なのは確かです。

ただし、芸術家の誠実さが欠けていたら、真の芸術的創造は不可能です。

本当のことを言えば、何らかの内的な真実を言えば、必ず理解が得られると私は信じています。

お分かりになりますか。提示された問題がきわめて複雑でも、イメージのシークェンスが、作品の形式構造がきわめて複雑でも、創造者にとって根本的な問題はいつも誠実さなのです。

構造の点で、『鏡』は私の映画で全般的にもっとも複雑なものです?構造としてです。

個々に考えられた断片としてではなく、まさしく一つの構造としてです。
そのドラマツルギーはなみはずれて複雑で、内転したものです。


Q. 夢や追憶の構造に似ていますね。結局これは普通の省察ではありませんね。


ええ、これは普通の省察ではありません。そこには、そういう込み入ったものがたくさんあります。

自分でもよく理解できないものもあります。

例えば、母に出演してもらうというのが私にはとても重要でした

映画にイグナーツ少年が座っているエピソードがあります-イグナーツじゃない-何て名前だったけ?

 作者の息子、彼がだれもいない父親の部屋で座っている。これは現在です、今現在です。

この少年は語り手の息子です。その少年は作者の息子と、少年時代の作者自身の両方を演じています。

で、彼がそこにいるとき、ドアベルが鳴ります。

彼がドアを開けると、女の人が入って来て、「あら、家を間違えたようね」と言います。

家を間違えたのです。これが私の母です。

で、彼女はドアを開けるこの少年の祖母です。

しかしなぜ彼女は彼が孫だと分からないのでしょう。なぜ孫は祖母が分からないのでしょう。


さっぱり分かりません。つまり?

第一にこれはプロットで、台本で説明されていません。

第二に、私にもこれは明確でないのです。

Q. 人生のすべてが理解出来るわけでも、明確なわけでもありません。


そうですね、私にとって、それは?どう言えばいいのかな?

さまざまな感情の絆と折り合いをつけることなのです。

私にとって、母の顔を見ることがきわめて大切なことでした。

この映画は結局彼女についての物語なのです。

彼女は玄関を不安げに、何かおずおずと、入って来ます。

ドストエフスキーの流儀で、マルメラードフの流儀でね。
それから彼女は孫に言う。

「家を間違えたようね」

あなたはこの心理状態を想像出来ますか。

私にとって、このような状況に落ちた母を目にすることが大切だったのです。

混乱した時の、気後れした時の、恥ずかしがっている母の顔を見ることが重要だったのです。

しかしちゃんとしたサブプロットを作るには遅すぎると私は分かっていました。

なぜ孫を認知できないのか、明らかにしてくれるように脚本を書くにはすでに手後れでした。

目が悪かったからとか何とか、ね。それを説明するのは非常に簡単なことだったでしょう。

しかし私は自分に言い聞かせました。

何もでっちあげないぞ。


母にドアを開けさせて、家に入り、息子[原文のママ]を認知できないようにしよう。

少年は彼女がだれか分からない。

この状態で彼女は外に出てドアを閉めることになります。

それは、私にとりわけ身近な人間の魂の状態です。

何か不如意の状態。精神的に縛られた状態です。

これを目にすることが私には大切だったのです。

一種、辱められた状態の人間の肖像です。

おとしめられたという感じです。


これを、彼女の若き日のシーンと並べてみると、そうすると、このエピソードは私に別のエピソードを想起させます。

つまり、若いころにイヤリングを売りにあの医者のところに行きます。

彼女は雨の中で立っています。何か説明しています、何かについて話しています、なぜ雨の中でなのでしょう。何のためなのでしょう。

もしかすると、このような謎が何もなければずっと良いのでしょうね。

しかし全く説明のない、理解不可能なこのようなエピソードがいくつかあります。
で、私たちにはその意味を探る手がかりがないのです。


例えば、人々はこう言うでしょう。

「向こうに座っていて、少年にプーシキンがチャーダーエフにあてた書簡を読むように言うこの年配の女性はだれなのか?」

この女性はだれなのでしょう? アフマートワか??

だれもがそう言います。彼女は実際アフマートワに少し似ています。

横顔が同じなので、彼女を思い出させるのです。

あの女性を演じたのは、タマーラ・オゴロードゥニコワです。私たちの製作マネージャーです。

実際すでに『ルブリョフ』の製作マネージャーでもありました。

彼女は私たちの大の友だちで、彼女の姿は私の映画のほぼすべてに映っています。
彼女は私にとって護符のようなものでした。

この女性がアフマートワだと私は思いませんでした。

私にとって、彼女はある種の文化的な伝統の継続を表象する「彼方」からの人物でした。

彼女はこの少年を何としても、そうした文化的な伝統と結び付けようと努力しています。

文化的な伝統を、まだ若く、今この時代に生きている人間と結び付けようと努力しています。

これはとても大切なことです。

簡潔に言うと?それは、ある種の傾向、ある種の文化的な根っこなのです。

ここに家があります。

ここには、そこに住んでいる男がいます。作者です。

そしてここには、この雰囲気に、こうした文化的な根っこに影響を受ける彼の息子がいます。

結局、この女性がだれであるのかは、明確に指示されてはいません。

なぜアフマートワなのでしょう? 

ちょっと衒いすぎです。この女性はアフマートワではありません。

簡単に言うと、この女性はまさしく、時の、切れた糸を繕うのです。

シェークスピアの『ハムレット』の場合と同じです。

彼女はそれを文化的、精神的な意味で回復させるのです。

それというのは、近代と過去の時代との絆です。プーシキンの時代と、です。

もしかするともっと後の時代と、かもしれませんーそれは重要ではありません。

私がこの映画で獲得した非常に重要な、きわめて重要な経験は、私にとって同様に観客にとってもこの映画が重要であると判明したことでした。

私たちの家族だけの物語であって、それ以外ではありえないということはどうでもいいことです。

この経験のおかげで私は多くのことが見えるようになり理解したのでした。

この映画は、監督としての、こういってもいいなら芸術家としての私と、私の仕事が奉仕する人々との間に絆があるということを証したのでした。

そのためにこの映画は私にとってとても重要だと分かったのです。

なぜなら、私がそれを理解したとき、私が大衆のために映画を作っていないと誰も私に不服をならすことができないからです。

まあ後になってもいろいろな人がぐずぐず言いましたがね。

しかしそれ以来、私はそういう不服を自分に申し立てることができなくなりました。

芸術と実人生ーロシアの伝統


Q. あなたとご家族の人生はリアリズムが典型的に必要とするものに従って形成されていません。
あまり典型的な家族とは言えません。
おっしゃったように、観客は自分の人生が反映された映像をそこに見いだしたのですが。
あなたのご家族、あなたの家、最も身近な家族はあなたに何を与えてきたのでしょうか。
そして後になって、何があなたの芸術的で文化的な霊感の源になったのでしょうか。
この質問をするのは、ポーランドの観客はロシアの芸術家の生い立ちや背景を何も知らないからです。これは大きな特徴です。一方、西側の芸術家はしばしば生い立ちしか知らされていません。


それは正確ですが、不正確でもあります。ある意味で、正しいと言えば正しいし、正しくないと言えば正しくないですね。

生い立ちを何も知らないという意味で、ロシアの芸術家に関するあなたのご意見は正しくありません。もちろん、現代の芸術家と比較するなら、もしかすると正しいのでしょう。

しかし、私は自分自身と現在の芸術家との比較を考えたことは一度もありません。

私はいつも、19世紀の芸術家と自分が結びついていると感じてきました。

例えば、トルストイ、ドストエフスキー、この流れの作家たち、チェーホフ、ツルゲーネフ、レールモントフ、やブーニンを挙げるなら、彼らの生がどれほど唯一無二のものであり、彼らの作品が人生と、彼らの運命とどれほど密接に結びついていたかがお分かりになるでしょう。

もちろん、私が述べたことは、私が自分をソ連の60年、70年、80年代の、いわば、文化の流れから完全に除外しているという意味ではありません。そうではありません。

しかし私は革命後に突然巨大なギャップが出来たという意見には、原則的に反対です。

この深い溝は、ロシア文化の発達に新段階をもたらすために、意図的に創造されたものです。

しかし私は文化が真空状態で発達できるとは信じません。

貴重な植物を移植しようと努力することは出来ます。

その根を掘り起こして植え替えるのです。

しかし、枯れてしまうでしょう。何も生長しないでしょう。

だから、転換期の作家は自分の運命を非常に悲劇的に経験したのです。

革命前に作家活動をはじめて、その後も仕事を続けた作家たちです。

アレクセイ・トルストイ、ゴーリキー、マヤコフスキー、ブローク。
文字どおりのドラマでした。ブーニンも-。

これは何もかもがもう恐ろしいドラマです。アフマートワも-。他にどんな人がいたか、神のみぞ知るです。悲劇です。ツヴェターエワ-。何も得るものはなかった。

移植は不可能だった。移植はすべきではなかったのです。

文化にこんな恐ろしい実験をするのを許すべきではなかったのです。

こういう生体解剖は、精神を幽閉してしまうので、人体に暴行を加えるよりもさらに酷いことなのです。


プラトーノフを例に取りましょう。

彼は、言うなれば、ロシアにおけるソ連期の発達時代に完全に帰属しています。
また彼は典型的なロシアの作家です。

彼の人生もまた典型的なもので、彼の作品にくっきりと反映しています。
だからあなたのご意見は全面的に正しいと言うことは出来ません。

このような文脈で私のことを言うならば、古典ロシア文化と私との絆は私にとって非常に大切です。

この文化は当然連綿と続いて、今日に至っています。古典ロシア文化が死んだと私は思いません。

私は、人生と作品を通じてーもしかすると無意識のうちにーロシアの過去と未来の間をつなぐこの絆を現実化しようと試みる芸術家のひとりでした。

この絆をなくすことは私にとって致命的でしょう。それなしに私は生き続けることは出来ないでしょう。

過去を未来と結びつけるのはいつも芸術家なのです。

芸術家は或る瞬間に生きているだけではありません。

芸術家は媒体なのです、いわば、過去から未来への渡し守なのです。


ここで私の家族について何が言えるでしょうか。

父は詩人です。

彼は革命が起きたときまだ小さな子どもでした。

革命前に彼が大人であったと言うことは実際出来ません。それは全く正確ではありません。

彼はソ連時代に成長しました。1906年生まれですから、1917年の革命時には11歳でした。

まだ未熟な子どもです。しかし彼は文化的伝統をよく知っていました、教養がありました。

ブリューソフ文学研究所を卒業し、多くの、主導的ロシア詩人のほぼ全員を知っていました。

言うまでもなく、彼をロシアの詩の伝統から切り離して想像することは出来ません。

ブローク、アフマートワ、マンデリシュターム、パステルナーク、ザボロツキーの系譜から切り離して想像することは出来ません。

これは私にとってとても重要な事でした。或る意味で私はこのすべてを父から受け継いだのです。


私を育てたのは、私の両親、特に母です。

なぜなら父は私が3歳の時に母の元を去ったからです。

そういうわけで、私は実は母に育てられたのです。

詩人として父が私にどのように影響したのか、はっきりとしたことを言うのは難しいでしょう。

もっと生物学的な意味で、無意識のレベルで、私に影響しました。

もっとも私はフロイトの信奉者ではありませんが。フロイトにはちっとも感心しません。

ユングも又私の趣味ではありません。

フロイトは俗悪な唯物論者です。切り口が違うだけで、パブロフと同じです。

彼の理論は人間の心理を説明するひとつの可能な唯物論的異稿にすぎません。


父は私に何ら影響しなかった、内的な影響力を持たなかったと思います。

何もかもが概ね母のおかげによっています。

私が自分自身を見いだすのを助けてくれたのは母です。

映画でも私たちの生活状態がとても厳しかった、とても困難であったことがはっきりと分かります。

そういう時代でもありました。

まさにその時に、母は独り残されたのです。

私は3歳、妹は1歳半、母は私たちをずっと育ててくれました。

再婚もせず、いつも私たちと一緒にいました。

母は2度と結婚しなかった。

彼女は夫を、私の父を、一生愛していました。

彼女は並外れた女性でした。実際聖女でした。

最初母は生活に対して全く準備が出来ていなかった、全くです。

そして、この無防備な女性をとりまく全世界が崩壊したのです。

つまり、まず第一に2人の子連れだというのに手に職が何もなかったのです。

私の両親はブリューソフ文学研究所で勉強をしていましたが、そのとき母は妹を妊娠しました。

それで母は免状を何も持っていないのです。

教育を受けた女性として準備する時間が全くなかった。

彼女は文学で自分の才能を試しました。

私は彼女の文章をいくつか見たことがあります。

彼女を襲ったあのカタストロフィが起きなければ、母は全然違った形で自己実現が出来たでしょうね。

だから本当に家に資産がまったくなかったのです。

母は印刷所の校正の仕事をしました。そこで最後まで働いていました。

つまり、戦後も、ずっとです、退職するまでです。

どうやって母がやりくりできたのか、どうやってがんばり抜いたのか、どうやって身体がもったのか、私にはまったく理解できません-分かりません。

どうやって私たちに教育を受けさせることができたのでしょうか。

私はモスクワの美術造形学校を出ましたが、そのためには金がかかる。
どこからその金を捻出したのでしょうか。

私は音楽学校も出ましたし、先生からレッスンも受けましたが、それも母が払ってくれました。

Q. それは戦前ですね?

戦前と戦中と戦後です。

誰もが音楽家になるものだと思っていましたが、私はなりたくなかった。

とにかく、どうしてこんなことが可能だったのか、私には理解できません。

まあ、こう言う人もいるでしょう、何か財産があったんだ、教育のある一家の子どもだから、当たり前でしょう。

ーしかし、ここには当たり前のことは何もなかった。

私たちは文字どおり裸足で歩いていましたからね。

夏には全然靴を履かなかった。靴がなかったんです。

冬になると私はフェルトのブーツを履きました。

それで、母が外出しなければならないときには-私たちは-貧乏なんてもんじゃなかった。

赤貧でもまだ言い表せない。

まったく分かりません、母は-分かりません。

母がいなければ、私はこんなふうにはならなかったでしょう、言うまでもないことですが。

私が今あるのはすべて、母のお陰なのです。


そのために、母は私に非常に強い影響を及ぼしましたー影響という言葉でも足りないー世界のすべてが私にとって母と結びついているのです。

ただし、私は、母が生きているときには、そのことに本当には気づかなかった。

母が死んでから、母の死後に、私は突然そのことに気づいたのです。

それに、あの映画を作っているときでも、もちろん当時母はまだ生きていましたー私は映画のテーマを十分には理解していなかった。

私は自分自身を語る映画を作っていると思っていました。

自分の幼年時代、少年時代、青年時代を書いたオデッサ時代のトルストイのように。

映画を撮り終えたとき、この映画が私ではなく、母についての映画だと分かりました。

これはー私の見方から言うとー本来の理念よりもこのようにして相当高貴な精神のものになりました。この理念をかくも完璧に高貴なものにした変化は、映画の製作中に生じました。

つまり、映画は私と共に始まりました。

私があれらの回想の、いわば、眼なのですから。

しかしそれから、まったく異なることが生じました。

この映画に携わる期間が長くなるほど、この映画が何をテーマとするのか、私にははっきりしてきたのです。

Q. 映画館を出たとき、私はこの映画が一編の詩として作られたのだと思いました。
つまり、映画では不可能なものに思えたのですー親密な抒情的な独白であると。

そうかもしれません、私には分かりません。

私は当時形式について何も考えていませんでした。特別なものを考案するつもりはなかったのです。

私が追求していたのは、記憶における復活です。

いや正確に言うと、記憶ではなく、スクリーンに私にとって重要であるものたちが復活することでした。

一般に、最も重要なことはこの道をたどるということで、例えば、自分の想い出を構築するアラン・レネの道をたどることではなかった。

あるいは、現代文学から例を引くなら、ロブーグリエの道を採ることでなかった。
ロシアの芸術家にとって芸術創造の非常に重要な側面は、必ずしも、より美しいものを創造することではなく、道徳的な責任感であったのです。
ttp://homepage.mac.com/satokk/selfcriticism/illg.html


オルガ・スルコワ:タルコフスキー・インタビュー


映画を撮るとき、私は俳優と出来るだけ話をしないようにする。

俳優自身が自分の個々のシーンを全体との流れでやろうとするのに、私は強く抵抗します。

時には、直前のシーン、あるいはその直後のシーンとの関連でも、ダメです。

例を挙げましょう。

『鏡』の最初のシーンで、主演女優がフェンスに腰を下ろして夫を待ちながら煙草を吸うシーンでも、主役を演じたマルガリータ・テレホワが脚本の細部を知らないことを私は望みました。

つまり、夫が最後のシーンで帰ってくるのか、永久に去ってしまったのか、彼女は知らなかったのです。

彼女が演じている女性がかつて、人生の未来の出来事を何も知らずに、存在していたのと同じ様態で、彼女にもその瞬間に存在していてほしいという思惑があって、なされたのでした。

もし女優が主役の亭主が二度と帰ってこないと知っていたら、状況の絶望ぶりを演技で前もって表出させていたことは間違いありません。

あるレヴェルで、たとえ潜在意識でなしたとはいえ、私たちはそれを察知したことでしょう。

これから起きることを自分が知っていることを、それに対する自分の態度を露わにしたことでしょう。

そういう細部の知識は大きなスクリーンでは確かに隠しようがないからです。

この場面では、そういう細部を未熟なかたちでばらさないことが絶対に肝要でした。

だから、実生活で経験するのとまさに同じやり方でこの瞬間を経験することがテレホワには必要だったのです。

彼女はこのように、希望をいだき、不信に陥り、また希望を取り戻すのです。

「解決のマニュアル」に触れることはありません。


与えられた状況という枠組みの中でーこの場合、枠組みは夫の帰りを待つことにあるのですがー彼女は自分自身の個人的な生の何か秘密の一片によって生きざるをえなくなった。

幸運なことに私はそれについて何も知りませんがね。


映画芸術で最も重要なことは、俳優がその俳優に完璧に自然なやり方である状況を表出することです。

つまり、その俳優の肉体的な、心理的な、情緒的なそして知的な性格に照応した様態で、ある状況を表出することです。俳優がどのようにその状況を表出するかは、私とはまるっきり無関係です。

別の言い方をしましょう、私には俳優に何か特定のかたちを強制する権利はありません。結局、私たちは皆、自分の完全に独自のやり方で同じ状況を経験しているのです。この例外的な表出力こそ、比類ないものであり、映画俳優の最も重要な側面なのです。


俳優を正しい状態に置くために、監督は自分の内面でこの状態を明確に感知できなければなりません。このようにしてのみ、当面のシーンの正確な調子を見つけだすことが出来るのです。

例えば、よく知らない家に入って、前もってリハーサルしておいたシーンを撮影するのは不可能です。知らない人たちの住居になっている馴染みのない家は、私のキャストに何も意思疎通することが出来ないのは、言うまでもありません。

人間の経験可能で正確な状態こそ、映画の個々の特定のシーンで目指すべき核心的でかつ完全に具体的な目標なのです…テイクの雰囲気を決定する魂の状態、監督が俳優に伝えたいと思う主なイントネーション、これこそ大切なのです。

俳優はもちろん、自分自身の方法を持っていなければいけません。

例えば、すでに触れたように、マルガリータ・テレホワは脚本の全体像を知らなかった。

彼女は自分自身の断片化された部分を演じただけでした。

出来事の帰結や自分自身の役のコンテクストを私が明かすつもりがないと探り当てたとき、彼女はひどく困惑しました…

まさしく、このようにして彼女が直観的に演じられた部分のモザイクを生み出し、それを後に私が全体像にまとめ上げたのです。
ttp://homepage.mac.com/satokk/surkowa.html

アンドレイ・タルコフスキー 鏡

使われた音楽 バッハ「ヨハネ受難曲」
使われた意図 語ることによる受難


さて、今回取り上げる作品は前回に引き続きソ連の映画作家アンドレイ・タルコフスキー監督作品。

今回は「鏡」です。何でもタルコフスキー監督の中で一番「難解」な作品なんだそう。ただでさえ、「難解」と定評のある監督さんなのに・・・その中でも一番難解って・・・

この「鏡」という作品の最後のシーンで、バッハの「ヨハネ受難曲」が使われています。

実はマタイ受難曲も使われています。

タルコフスキー監督がマタイ受難曲を使った作品としては、彼にとっての最後の作品である「サクリファイス」や「ストーカー」もあり、これらについては以前に取り上げております。彼にとっても、色々と思い入れがあるんでしょうね。

しかし、この「鏡」では、マタイではなく、ヨハネ受難曲の方が目立つ使い方。だって最後のシーンでヨハネ受難曲が使われるわけですので、否応なしに注目することになる。

では何故に、この「鏡」ではタルコフスキー監督は、作品の最後という重要なシーンにおいて、お気に入りの「マタイ」ではなく、「ヨハネ」を使ったのでしょうか?


ちなみに、ここでこの「鏡」という作品のあらすじを・・・
と、行きたいところですが、ストーリーも何もあったものではありません。ダテに「タルコフスキーの中で一番に難解。」というレッテルを貼られているわけではないんですね。

タルコフスキーの記憶の中から様々なシーンが浮かび上がってくる・・・そのような構成です。


映画の中の様々なシーンの中で、作品の最後のシーンは、キリストの受難のイメージが特に顕著ですよね?

ご丁寧に十字架までかかっている。

おまけに主人公の母親(ご丁寧にマリーアという名前)が、2人の子供の手をつないで歩く。

映画での2人の子供は主人公とその妹のようです。


しかし、このとき観客はマリアとキリストとパプテスマのヨハネの組み合わせを連想します。

パプテスマのヨハネとイエス・キリストは親戚にあたります。

ヨハネのお母さんのエリザベツはイエスのお母さんのマリアと親戚で、お互いの妊娠中も一緒に暮らしていた間柄。よくいう言い方ですと、「生まれる前からの友達」ってヤツです。

だからマリアさんにしてみても、「親戚のヨハネちゃん」くらいの感じなんでしょう。

このマリアとキリストとパプテスマのヨハネの関係は、作品中ではレオナルド・ダ・ヴィンチの聖母子の絵で予告されています。

将来において、わが子に降りかかる受難をわかっているマリアが、赤子のキリストを抱きしめようとするシーンを描いた有名な絵です。

そこにはパプテスマのヨハネも描かれています。絵画を使うことによってラストシーンを予告し説明しているわけです。


あるいは、雪の中で主人公の少年に小鳥がとまるシーン。

このようなシーンは、キリストがヨハネから洗礼を受けた際に、鳩がキリストにとまったエピソードを思い出しますよね?

タルコフスキー監督の映画「鏡」において、母親マリアが自分の子供の手をつないで歩くラストシーンは、まさに「キリストとマリア」の「鏡」になっているわけです。


この「鏡」という作品は、実に多くの「鏡」となっている。

作品中では、主人公とその父親の間の共通性を強調しています。

主人公とその父親は「鏡」を挟んで向かい合っている状態。

似た容姿の妻。

本人は同じように芸術家。

同じように妻とは不和。

あるいは、レオナルド・ダ・ヴィンチだって、タルコフスキーにしてみれば、芸術家同士という「鏡」をはさんだ状態。いわば、同族意識ですね。

また、ダ・ヴィンチとタルコフスキーも母親の愛への渇望を共通して持っているといえるのでは?

そして、「始めに言葉ありき」の福音書のヨハネに対する同族意識もあるようです。

芸術家として「語る」こと。

そして「受難」。


「語ること」からの受難は、何も、ソ連の問題だけではありません。
いかなる政治体制でも起こっていることです。
だって本当の問題は為政者ではなく大衆なんですから。

それこそ、旧約聖書の時代から、「語った」人は、受難になったでしょ?

にもかかわらず芸術家は「語らないといけない。」存在である。つまり受難は不可避なんですね。


「語る」ことの難しさで、政治に関わることは、最初の方のシーンで出てきます。
主人公の母親が、「検閲に引っかかりそうな言葉を削除しそこなったかも?」と大慌てするシーンですね。


しかし、誰でもわかるシーンは映画の冒頭。

催眠術によって治った吃音者が「私は話すことができます!!」と喜ぶ冒頭。

そのシーンからは、「困難の中」から話すことの喜び・・・つまり芸術家として表現することの喜びが感じられますよね。


しかし、冒頭は「表現する喜び」ですが、ラストは受難のシーン。

「初めに言葉ありき。」のヨハネであり、芸術家肌のヨハネ。

この福音書のヨハネも、タルコフスキーにしてみれば、芸術家同士の同族と言えるわけです。


ヨハネ受難曲の流れる中、十字架を背景にマリアに手を引かれ進んでいく。
2000年前のキリストの受難も、タルコフスキーの受難の鏡といえそうです。

この「鏡」という作品。タルコフスキー監督の様々な自画像が展開されている作品といえそうです。

つまり様々な「鏡」に彩られているわけですね。タルコフスキー監督個人の「鏡」であるとともに、芸術家全般の「鏡」となっているわけです。


「語る」芸術家は「受難」は避けることができない。

神の意思は本人とは無関係にやってくる。


映画の中で数多く登場する草原の草が揺れるシーン・・・これは神がやってくる意味でしょう。


映画における主人公の父親は、神を意味している。

父親に抱かれること、それは神に召し上げられること。

これこそが芸術家誕生の瞬間であり、受難の始まりとなる。


小屋の炎上、原子爆弾、文化大革命、そしてマタイ受難曲の「そのとき大地が割れて・・・」というフレーズ・・・現在の世俗的安定の崩壊のイメージが顕著です。


だからこそ世界には芸術家の聖なるものが必要であり、芸術家は「語らなければならない」。


しかし、それは芸術家の受難につながっていくわけです。

「初めに言葉ありき」のヨハネで終了するこの映画、そのラストのシーンは「言葉ありき」ということで、最初のシーンの「私は話すことができます!」のシーンに回帰して行く・・・

芸術家の受難はかくも終わりなきものと言えそうです。
ttp://magacine03.hp.infoseek.co.jp/old/04-06/04-06-29.htm



05. 2010年8月05日 22:02:26: MiKEdq2F3Q

Bアンドレイ・ルブリョフ 1967年/モスフィルム製作

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アンドレイ・ルブリョフはキリスト教のあり方に疑問を持ちます。

先輩画家からは、愚かな人間たちなどどうでもいいじゃないか、画は神のために描くものだと諭されます。

先輩画家は、愚かな人間たちの上にはもうすぐ最後の審判が下るぞと言います。

しかし、アンドレイ・ルブリョフは先輩画家の言葉に納得ができないのです。

アンドレイ・ルブリョフはモスクワ大公から依頼された修道院の壁画「最後の審判」を描くことができません。


そんなある晩、アンドレイ・ルブリョフは異教徒の祭りに迷い込みます。


すでにキリスト教化していたロシアでは、アニミズム信仰を持つ人びとが異教徒と呼ばれて、教化の対象になっていました。

森の奥から響くざわめきを聞きつけたアンドレイ・ルブリョフは好奇心に勝てずにひとりで奥へ奥へと進んでいきます。

裸の女たちが松明を持って川に飛び込んでいました。

アンドレイ・ルブリョフは異教徒の祭りを垣間見ます。

小屋の中では、ひとりの女がはしごをのぼっては飛び降りてを繰り返しています。

女が飛ぶごとに着物がはだけて女の裸体がちらつきます。

アンドレイ・ルブリョフがそんな光景に見とれていると、男たちに「黒い悪魔がいたぞ」とつかまって小屋の中にひきずりこまれて縛られてしまいます。


アンドレイ・ルブリョフは、

「何をする、やめてくれ、お前たちは、最後の審判が恐ろしくないのか」

などと口にします。

小屋の中にはアンドレイ・ルブリョフと女が残りました。

翌朝、アンドレイ・ルブリョフはうしろめたそうな顔をして村をあとにしました。
全裸の女がうるんだ瞳でアンドレイ・ルブリョフのうしろ姿を見送ります。

異教の女マルファとの会話

マルファ
なぜあなたは頭を下にしたいの?
気分がもっと悪くなるのに。
なぜあなたは天の火でわたしたちを脅すの? (ルブリョフが「最後の審判」を口にしたことへの反感)


ルブリョフ
裸になって君たちがしようとしていることは罪なのだ。


マルファ
何の罪ですって?
今夜は愛しあうための夜なの。
愛しあうのは罪なの?

ルブリョフ
こんなふうに人を縛り上げるのは愛なのか?


マルファ
あなたが他の修道士をよぶかもしれないからよ。
あなたの忠実さをわたしたちが受け入れることを強制しようとする人たちよ。
あなたは恐怖の中で生きることが容易なことだと思っているの?


ルブリョフ
君は恐怖のなかで生きている、なぜなら君が知っているのは愛ではなくて獣欲なのだ。
魂のない肉欲、しかし愛は兄弟愛のようであるべきだ。

マルファ
すべての愛は同じではないの?
ただの愛なのよ。


マルファはルブリョフに近づきキスをする。
 
ttp://foonenbo.asablo.jp/blog/2010/03/21/4962351


アンドレイ・ルブリョフの代表作とされるばかりでなく、ゾートフによれば 「中世ロシア・ルネサンス美術の最高傑作である」 とされるイコン画、『三位一体 (トローイツア)』 を見ると、そこには 輝くような平和な光と、透明感あふれる 慈愛の気分が満ちている。

それは 彼よりも 1世紀前のイタリアの画家・ジョットーが パドヴァのスクロヴェーニ礼拝堂や アッシジのサン・フランチェスコ聖堂に描いた、心を洗うような清澄な壁画を髣髴とさせよう。

それなのに、映画の中のルブリョフは、なぜこんなに暗いのだろうか。

 「フェオファン 1405年」 で描かれるエピソードは、ノヴゴロドのスパース・プロブラジェーニエ聖堂の フレスコ画を描いた画家、フェオファン・グレーク (1350頃-1410頃) の助手を ルブリョフが勤めた、という史実にもとづいている。

フェオファンとは 名前が示すように もともとギリシア人 (グレーク) であり、本来はテオファネスという。 ジョットーにとっての師・チマブエにも相当するフェオファンは、コンスタンチノープル (現在のイスタンブール) からロシアにやって来て、ビザンチン絵画の技法をロシアに伝えた。

ルブリョフは 彼の壁画制作に協力しながら、写実的であるよりは象徴的な その方法を身につけ、さらに それをロシア化する。

 その天上の世界のような 清らかで純粋な感覚表現によって、ルブリョフは中世ロシア最高の画家と讃えられるようになるのであるが、映画の このエピソードは まだルブリョフがフェオファンの助手となる前を描いている。


 ルブリョフの競争相手でもあった修道士 キリールが フェオファンのアトリエを訪ねる場面がある。

彼が モスクワの街を歩いていくと、その背後で 「おれは無実だ!」 と叫ぶ男が 無理やり断頭台に かけられようとしている。

その騒ぎを家の中で聞いたフェオファンは、

「やめなさい、一体いつまでその男をいじめるつもりだ。
あんたたちも 彼に劣らず罪人なのに、裁くとは恥知らずだ」 

と、窓から叫ぶ。

映画全体のストーリーとは関係のない、こうした場面を挿入するというのが、この映画全体の手法であって、この場面ひとつでも 当時のソ連支配層 (スターリニストたち) の禁忌にふれただろうことは 容易に想像できる。

 さて、フェオファンは職業的な画家であったから 宗教に対して自由であったが、ルブリョフは修道士としての画家であったから、画家である以前に 宗教的な倫理に従わねばならない。 タルコフスキーは そこに 屈折した魂の軌跡を想像して、そうした彼の苦悩を この映画の根幹にすえた。


 次のエピソード 「アンドレイの苦悩 1406年」 において、民衆とは いかなるものかについて、ルブリョフとフェオファンに議論をさせるのである。

フェオファンは、「人間は忘れっぽい動物だ。 過去の失敗を忘れて悪行をくり返している。 進歩なんてものは全然ない。 イエスが再臨しても、また磔 (はりつけ) にするだろう」 と言う。

 ルブリョフの脳裏をよぎるのは、十字架を背負い 押しつぶされそうになりながら ゴルゴタの丘を登っていく イエスのイメージである。

ユダヤの民衆にも 弟子にも裏切られて、雪のロシアで磔刑につくイエスの映像は、ルブリョフの晴朗な 『三位一体』 のイコン画と比べて、いかにも沈鬱である。

民衆は 「みんな同じ愚かな仲間なんだ。 悪は至る所にある。 わずかな金で裏切る人間もいる。 大衆は災難続きだ。 それでも彼らは黙々と働いている。 不平も言わず、十字架を背負って歩いているんだ。 イエスは死を選んだ。 それは人の世の残酷と不正を教えるためだ」 とルブリョフは言う。

 そして映画は 「襲来 1408年」 のエピソードで、モスクワ大公兄弟の争いに乗じて攻め込んだタタール軍による、ウラジーミルの襲撃と殺戮を描く。

後にゲルツェンの流刑地となる ウラジーミルの町である。

"タタール" とは、中国では韃靼人と呼ばれた モンゴル系の遊牧民で、彼らは 14、15世紀にたびたびロシアを攻撃し 支配した。 このタタール族に蹂躙された時代を、ロシア史では "タタールのくびき" と呼ぶ。

ウラジーミルの町は焼かれ、大公と市民が たてこもるウスペンスキー大聖堂も破壊されて、暴行と殺戮が行われる。

 その時、犯されそうになった白痴の娘を助けるために、ルブリョフは斧で一人の兵士を殺めてしまう。
しかも その兵士はタタールではなく、タタールと結んだ大公の弟軍のロシア人同胞、キリスト教徒だった。



 戦のあと、廃墟のようになったウスペンスキー聖堂で、亡霊として現れたフェオファンに ルブリョフは言う。

「私は決心した、私は絵を捨てる」 と。

なぜ、との問いに、人を、ロシア人を殺めたからだ と答える。

フェオファンは

「悪は 人間の形でこの世に現れる。
だから 悪を倒すための人殺しもあるさ。
神は許して下さるだろう。
だが 己を許すな。 罰しながら生きるのだ。
すべきことは、聖書にあるとおりだ。

"善をなすことを覚えよ、真実を探せ。
悩むものを救え、孤児にやさしくせよ。

そうすれば、お前の罪は軽くなるだろう。
罪に汚れたその身も、雪のように潔白となろう" と書いてある」

と言って、自分に厳しくなりすぎないよう 求める。

しかしルブリョフは きかず、「許しを乞うために、無言の行に入る。 これからは 一切口をきかない」 と答える。 その無言の行の実践を描くのが、映画の次のエピソード 「沈黙 1412年」 である。

 この寓意は何だろうか?

私には、戦争中の林達夫 (1893-1984) の "沈黙" が思い出されるのである。

国家が 太平洋戦争の総力戦へと突き進むにつれて、かつての社会主義者はおろか、自由主義者でさえも大政翼賛会に身をゆだねて、"神国日本" が "鬼畜米英" を倒すのだと 戦争を謳歌するとき、正気のある人間だったら、沈黙するほかはない。

当時、林達夫がマイナーな雑誌の片隅にわずかに書き残した文章は、こう語っている。


 こうして私は、時代に対して 完全に真正面からの関心を喪失してしまった。

私には、時代に対する発言の大部分が、正直なところ 空語、空語、空語! としてしか感受出来ないのである。

私は たいがいの言葉が、それが美しく立派であればあるほど、信じられなくなっている。

余りに見え透いているのだ。 私は、そんなものこそ有害無益な "造言蜚語" だと、心の底では確信している。 救いは絶対に そんな美辞麗句からは来ないと断言してよい。  (「歴史の暮方」)


 友人だとばかり思っていた学者や知識人が、軍国主義になだれ込んでいく。
数年後に戦争に負ければ、たちまち手のひらを返して "平和主義者" になる連中なのだが。

 私は あまりにペシミスティックなことばかり 語ったかもしれない。 だが、正直のところ、哲学者ならば、プラトンのように ユートピアを書くか、ボエティウスのように 『哲学の慰め』 を書くかする外には手がないような時代のさ中にあって、威勢のよいお祭りに、山車の片棒かつぎなどに乗り出す気などは 一向に起こらぬ。 絶壁の上の死の舞踊に参加する暇があったなら、私ならば エピクロスの小さな園を せっせと耕すことに努めるであろう。 これは現実逃避ではなくして 生活権確保への 行動第一歩なのである。  (「新スコラ時代」)


 戦争中、彼は庭造りに精をだしたが、言論人としては 全く沈黙した。
それが本当の 知識人の良心というものだ。
戦争中の日本の建築家たちが どのような発言をし、どのような図面を書いたかは、今度の藤森照信の 『丹下健三』 に詳しく書かれている。

文化人たちが 良心を裏切って権力に迎合する そうした状況は、帝政ロシアの時代にもあった。
そして、革命後のスターリン・ロシアの時代には一層、そうであった。
タルコフスキーは、それを中世におけるイコン画家の行為によせて、シンボリックに描いたのである。

この映画には、中世の時代に見せかけながら、ソ連の窒息しそうな社会体制に対する批判が 至るところに込められている。
そう、これこそ ゲルツェンの仲間の歴史家・グラノフスキーの方法だったである。


 ルブリョフはフェオファンに問う、

「こんな時代が 一体いつまで続くんだ?」 と。

フェオファンは、「分からん、永遠にだろう」 と答える。

ロシアの暗黒の中世も、近世の帝政時代も、そして近代のソ連邦の時代も、さらにまた 我々が生きる現代も、歴史は永遠に繰り返し続ける。

歴史家グラノフスキーは モスクワ大学公開講座で、暗い中世を論じながら、それを 19世紀の帝政ロシアと重ね合わせて、黙示的にツァーリズムを批判した。

タルコフスキーは 『アンドレイ・ルブリョフ』 において、中世ロシアと帝政ロシアと、さらに 20世紀のソヴィエト・ロシアとを重ね合わせて描いたのである。


 この映画が ソ連で上映禁止になり、5年もの長きにわたって お蔵入りしたのは 当然のことであったと言える。 言論を抑圧する側を 最も刺激したのは、おそらく冒頭の 「プロローグ」 であったろう。

これもまた 本編の筋とは何の脈絡もなく挿入されている 幻想的なエピソードである。


 川に面した とある古い聖堂に、追手の追撃を逃れてきた男が着くと、すでに用意されていた熱気球に乗って、聖堂の屋上から 空中に飛翔するのである。

驚愕した人々が見守る中で、何者とも知れぬ "飛ぶ男" は、「俺は飛んだ、俺は飛んでいるぞ」 と歓喜の叫び声をあげる。

しかしそれも束の間、まもなく気球は破れ、男は地面に墜落して崩れ去るのである。


 人は 抑圧の現実世界を脱して、自由の世界へ飛翔しようと夢見る。

しかし 現実の絆や権力による束縛は強く、自由は容易に得られない。

たちまちのうちに 包囲網にからめとられ、沈黙させられてしまう。

事実 タルコフスキーは、この映画をつくったことによって、その後の 5年間を沈黙させられたのである。

ソ連では 映画はすべて官製であったから、当局の許可がなければ映画を撮ることはできない。

フルシチョフによるスターリン批判 (1956年) があっても、強固な体制は簡単には変わらない。 "飛ぶ男" のシーンは、タルコフスキーによる "内面の叫び" のような 体制批判だったろう。


ロシアは デカブリストの乱以来、絶えず改革運動がつぶされて 抑圧の重みに押しつぶされてきたから、ロシアの文学、芸術には 常に悲劇性がつきまとう。

ロシア文学に登場する人物たちには、というより ロシアの芸術家たちには、しばしば 人類の苦悩を一身に背負っているような趣がある。

トルストイもそうであったし、ドストエフスキーも、画家のイワーノフもそうであり、そしてタルコフスキーもまた その最後の作品となった 『サクリファイス』 において、そうであったように見える。


 ところで、『アンドレイ・ルブリョフ』 の飛翔シーンの舞台となった聖堂は、落合東朗の 『タルコフスキーとルブリョフ』 (1994年、論創社刊) にも書いてないのだが、ウラジーミル郊外の ボゴリューボヴォにある、「ネルリ河畔のポクロフ聖堂」 (1165年) である。

初期ロシア建築の傑作と うたわれている珠玉の聖堂だが、さらにまた不思議なことには、『ロシア建築案内』 にも この聖堂は紹介されていない。

 このネルリ河は雨季に増水して、聖堂の敷地は小さな島のようになる。
水面に姿を映す白亜の聖堂は、小規模ながら凛とした気品をたたえている。
きっとタルコフスキーは、ロシアの古典建築の中でも、とりわけこの聖堂が好きだったのだろう。
映画では "飛ぶ男" から見た、聖堂の高い位置の壁面彫刻も写されている。

 しかしながら、この映画で誰もが一番感動するのは、最後のエピソードであろう。 そのタイトルは 「鐘 (コロコル)」 という! 

あの日、映画を見ていて、このタイトルが出てきた時、私は思わず ゲルツェンの 「鐘 (コロコル)」 誌 を連想したのである。

 モスクワ大公は 新しい聖堂のために、鐘造りの職人を さがさせた。
ところが 疫病によって職人の親方たちは 皆死んでしまっていた。
しかし 鋳物師の息子だった少年・ボリースカは、自分は父親から 鐘造りの秘密を教わっている、と嘘をついて、鐘造りの責任者の地位を獲得する。

嘘がばれたら どうしよう という恐怖心と戦いながら、彼は必死で鋳型に使う 特上質の粘土を探し、大勢の職人たちに采配を振るって鋳型を造り、十分な量の銅と銀を用意させ、ついに火をいれて流し込む。

 奇妙なことに、このエピソードでは 少年・ボリースカが主人公であって、ルブリョフは脇に退いてしまう。 無言の行を続けているルブリョフは、時々傍らから 気遣わしげに ボリースの悪戦苦闘を見守っているだけだ。

 ようやく 鐘は ひび割れもせずに できあがり、鋳型をはずすと、大公や外国の使節たちが訪れ、その衆目の前で鐘を吊り上げて、初めて鳴らしてみせる時が来る。 この大鐘を吊り上げるには 巨大な足場を組み、四方八方にロープを張って、大群衆が力をあわせて引く。

しかし外国の賓客は、「聖母マリアに誓って言うが、この鐘は鳴らんよ。 これは鐘などと言えるものではない」 とつぶやく。

 誰もが 不安の気持で注視する中、撞木を振って打ち当てると、鐘は 堂々たる音を立てて、みごとに鳴るのである。 激しい緊張感が破れるとともに 感極まった少年は、野に倒れこんで泣きじゃくる。

その時ルブリョフが現れて、父親のように少年を抱え起こし、初めて沈黙を破って、「泣くな」 と言う。

 ボリースカは 「父さんは 秘密を教えてくれなかった。 ひどい親さ」 と言いながら 泣き続ける。

ルブリョフは、

「立派にできたじゃないか。 何を泣くんだ、祝うべき日だぞ。 さあ、もういい、元気を出せ。 もう泣くな、私と一緒に行こう。 私もまた絵を描く。 お前は鐘を造れ」

と声をかけ続ける。 画家、アンドレイ・ルブリョフの復活である。

 ここで不意に画面はカラーとなり、「エピローグ」 として、ルブリョフが描いた イコン画のディテールを なめるように映し出していく。


 こうして映画を見終わった時、私は、この監督は必ずや ソ連から亡命するだろう と直感した。

これほど批判精神に満ち、自由への希求を持ち続ける芸術家が、いつまでもソ連にとどまっていられるわけもない、と思ったのである。 タルコフスキーは、まさに映画上の ゲルツェンだと思われた。

 たとえば、この最後の 鐘のエピソードが いかに感動的であろうと、映画全体の筋から言って、いかにも唐突である。

アンドレイ・ルブリョフの生涯を描く上で、不可欠のエピソードであったとは、とうてい思えない。

タルコフスキーがこのエピソードを 強引に最終章にいれたのは、鐘を鳴らせたかったのではないか。

ノヴゴロドの "自由の鐘" を。 ゲルツェンが ノヴゴロドの鐘を鳴らせようと 「コロコル」 誌を発行したように、タルコフスキーは鐘を鳴らし、民衆 (ナロード) をして、空を飛ばせたかったのではないだろうか。

 また、この映画を あらためてDVDで見て、私は思う。

そもそも タルコフスキーは アンドレイ・ルブリョフという 一芸術家の生涯を描きたかったのだろうか?

ゾートフが言う "ロシアの真の芸術的天才のシンボル" であるところの ルブリョフの生涯を?

彼は公式には そのように語っている。
しかし、それにしては ルブリョフの芸術家としての主張や創作過程は ほとんど描かれていない。

映画の最後にルブリョフの作品群が、突然カラーになって映し出されるのも、とってつけた感じがしないであろうか?

 タルコフスキーが描こうとしたのは、なによりも、人間の尊厳や 言論の自由を圧殺する ソ連の体制への批判だったのではないか。

ゲルツェンが 生涯をかけて帝政ロシアを批判し、人間の自由と尊厳を回復しようとしたように。

それだからこそ、この映画は当局によって 上映禁止にされたのである。


 タルコフスキーがソ連を出たのは、私の予想よりもずっと遅かった。

それは、私がこの映画を見た 8年後の 1982年で、イタリアで 『ノスタルジア』 を撮るためだった。

ゴスキノ (国家映画委員会) による攻撃のせいで、「20余年間 ソヴィエトの映画界にいて、およそ 17年のあいだ 絶望的な失業状態にあった」 というのは、まさに流刑中の建築家 ヴィトベルクのような思いであったろう。

『ノスタルジア』 を撮り終わったあとも 彼はロシアには帰らず、1984年に事実上の亡命宣言をする。

 もしも タルコフスキーが その 2年後、54歳の若さで死ぬ というようなことがなければ、1991年のソ連崩壊にも立会い、祖国に戻ることが あったかもしれない。

しかし ゲルツェンと同じように、窒息状態のロシアを去ったあと、ロシアの大地への大いなる愛を抱きながらも、彼は 2度と再び祖国の土を踏むことは なかったのである。

 しかし、ロシアに いたたまれなくなって ヨーロッパに亡命していながら、ヨーロッパにもまた絶望せざるをえなかった心情がまた、ゲルツェンとタルコフスキーに共通であろう。

亡命宣言の後、二人とも 2度とロシアの地を踏むことはなかったが、しかし ヨーロッパに安住の地を見出したわけではなかった。 彼らの心は たえず祖国 ロシアに向けられていた と言っていい。

 中国の文学者・巴金 (1904-2005) は "文化大革命" 時に批判され 暗黒の時代を生きたが、その間 ただひたすら ゲルツェンの 『過去と思索』 を読み、訳しながら耐えたという。

ソ連で、映画を作ることを妨げられて 長い不遇の時を過ごしていた タルコフスキーもまた 『過去と思索』 を読み、国家によって作品の実現を妨げられた ヴィトベルクの生涯に 自己を重ね合わせていたのではないだろうか。 それが 『アンドレイ・ルブリョフ』 の構想のもとになったのではあるまいか、と思われてならないのである。
ttp://www.asahi-net.or.jp/~wu3t-kmy/4_rublyov/rublyov.htm



06. 2010年8月06日 23:21:43: MiKEdq2F3Q
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惑星ソラリス 1972年


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ノスタルジア 1983年


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サンガルガノ大聖堂の廃墟
ttp://www.lit.kyushu-u.ac.jp/~adachi/sangalgano.htm


07. 2010年8月07日 19:22:12: MiKEdq2F3Q

アンドレイ・タルコフスキー・インタヴュー
『アンドレイ・ルブリョフ』に関して

私は、アンドレイ・ルブリョフ、15世紀の偉大なロシアの画家の映画を作りたいのです。

私は、創造者の人格と彼が生きた時代との関連に興味があります。生まれ持った感受性のおかげで、画家は自分の生きる時代のもっとも深い意味を理解し、この意味を全き形で提示することができます。この映画は歴史映画でも伝記映画でもありません。

私は画家の芸術的な成熟の過程と、彼の才能を分析する過程に、すっかり魅了されています。

アンドレイ・ルブリョフの作品は、ロシアのルネサンスの頂点を記録しています。
ルブリョフは私たちの文化史でもっとも傑出した人物のひとりです。
彼の人生と芸術はけたはずれに豊かな素材を含んでいます。

台本づくりに着手する前に、私たちは歴史資料とスケッチを研究しました。
もっぱら、映画で見せることができないのは何かを決定するためにです。
たとえば、私たちは時代様式に、つまり、衣装や風景や言語に、限られた興味しか持っていません。

映画での出来事が実際に15世紀に生じているなと思わせようとして、歴史的な細部にこだわると、観客の関心がそれてしまいます。

時代臭さのない室内装飾、時代臭さのない(しかし適切な!)衣装、風景、現代の言葉ーこうしたことすべてが、もっとも重要なことだけを表現する助けになるでしょう。

映画はいくつかのエピソードで成立しますが、直接論理的に関連づけされてはいません。

しかし、すべてのエピソードは共通の思考の流れで内的に関連することになります。

挿話が年代順に並べられるかどうかはまだ分かりません。

私たちは、エピソードのドラマツルギーが三位一体の壮大なイコンを創造する理念を生み出す頃のルブリョフの人格の進化を内的に暗示するものと首尾一貫させたいと願っています。

それと同時に、正典的な制限とその型どおりの論理と形式を伴った伝統的なドラマツルギーを避けたいと思っています。

それらは、典型的な障害で、生の十全さと複雑さを表現するのを不可能にするものです。(中略)


芸術家を題材にした映画は時々こんなようになってしまいます。

つまり、主人公が何らかの出来事を目撃する、そして観客は彼が熟慮に沈むのを見守る、最後に彼は自分の思いを作品に表現する。

私たちの映画でルブリョフがイコンを描く場面はありません。

彼は人生を生きていくだけです。

エピソードのすべてに登場するわけでもありません。

映画の最後の部分、そこだけはカラーで撮影するつもりですが、そこはルブリョフのイコン画に捧げられます。

イコンしか映しません。

ドキュメンタリーのように、細かいところまで、きちんと見せるつもりです。

イコン画が映されるたびに、同じ音楽のテーマが流れます。
そのイコンの理念が現れる時代に対応するルブリョフの生の局面で鳴り響いたテーマです。

映画のこのような構造は、その目標から必然的に導き出されます。

つまり、人間性の弁証法を提示して、彼の精神の生を検証したいと思うのです。


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 このインタヴューは、『アンドレイ・ルブリョフ』製作の初期の段階でなされた。

 若々しく、新たな理念に燃える監督の姿が鮮やかに映されている。

たぶん、この時期に、自分のこのような試みが多くの反発と猛烈な批判を生み出すとは思っていなかっただろう。

撮影は困難を極め、同志コンチャロフスキーとの反目、そして決別が待っている。
追いつめられた彼は命を削るような撮影を決行して、農民に文字通り殺されそうになる。

映画は完成しても5年間上映禁止になる。

無断でフランスの映画会社が出品したカンヌで国際批評家大賞を受け、そのためにソ連国内で立場はますます追い詰められる。

 しかし、そこから出会いも生まれた。

『アンドレイ・ルブリョフ』を見たクラウディオ・アバドは感激して、後に自分の指揮するムソルグスキー『ボリス・ゴドノフ』の演出を依頼し、実りある友情が始まったのだった。
ttp://homepage.mac.com/satokk/selfcriticism/rublov.html


Tarkovsky on Tarkovsky 『アンドレイ・ルブリョフ』


映画の最も重要な慣例のひとつは、映画のイメージは私たちが見聞きする実際の、自然の、生きた形態でのみ体現できるということだ。

私たちが提示するものは自然主義的でなければならない。

私が自然主義と言うとき、実在の不愉快な側面に執着するという否定的な意味ではなく、映画的なイメージの感覚知覚におけるその役割という意味だ。

スクリーンに描かれた夢は、生そのものの自然の形態と同じように明確に目に見える要素で構成されていなければならない。

映画はルブリョフに関するものです。

…しかし私たちにとって映画の真実の精神的なヒーローは、ボリスカです。

映画の狙いは、非常に困難な時代から出現する伝染性の、狂熱のエネルギーを示すことです。
つまり、そういうエネルギーがボリスカのなかで目覚めて、燃えさかり、鐘鋳造につながるのです。
ttp://homepage.mac.com/satokk/selfcriticism/selfcomment.html

アンドレイ・タルコフスキー
『アンドレイ・ルブリョフ』を語る


美は、植物が種子から生長するように、悲嘆から育つ


私たちは『アンドレイの受難』と題された脚本をアンドレイ・コンチャロフスキーと書いています。

偉大なロシアの画家アンドレイ・ルブリョフの人生をあつかった映画です。

友人のなかには、戦争でめちゃめちゃにされた子ども時代の映画、どう見たって現代的な映画から、「時代物」、ロシアの中世にどうやって移ることができるのか分からないって言ってます。


別に変なところはないでしょう。

主題テーマが、利用される叙述の形式を支配するだけのことです。

素材は15世紀から引っ張ってきますが、現在の問題を語るつもりです。

私は、芸術家とその時代、当時の民衆との絆に興味があります。

私は芸術の力に関する自分の見解を述べてみたいと思います。


ルブリョフは彼の作品において人間性の偉大な理想を称えています。

友愛の理念、人間の連帯が映画で最も重要なものになるでしょう。
真に偉大な芸術は時とともにますます貴重になります。

どれほど多くの人の思い、感情、希望が何世紀にわたってルブリョフの絵に染みこんでいったことか、そうに違いありません! 

私はスクリーンにそういう希望を伝えたいと思います。


映画は15のノヴェッラ:小話で構成されます。

アクションはルブリョフ、ダニル・チェルニー、キリルの3人の人物をめぐって集中します。

詩的な構造は全編にわたって保持されますが、叙述の連鎖を数回断ち切ることになります。

長年、映画は劇場のドラマツルギーに依存してきましたが、今や映画芸術は詩に近づいてきています。私には、詩における探求と近代映画の探求に非常に密接な関係が見えます。

私は、アレゴリー、隠喩、直喩を用いるのを好みます。

私は、不可能に思えるものが向かい合う状況が好きです。

認識からすり抜けるように思える複数のテーマを対峙させることは、私の内部に、イメージにあふれた最も深い思念を揺り動かします。

ますます多くの映画が詩的イメージに基づいて作られようとしています。

新作で私は古典的ロシア詩の比喩体系を具体的に利用するつもりです。(1963年)


映画のアイデアは「僕の村は戦場だった:イワンの少年時代」をやっている頃にすでにあった。


自分のアイデアじゃないと認めますね。

あるときモスクワ郊外の森を散策していたんだ、私とコンチャロフスキーと映画俳優のヴァジル・リヴァーノフでね...

ちょうどそのときにリヴァーノフが3人でルブリョフの脚本を書こうと提案した。
彼はぜひ主役をやりたいと。

でも、いろいろあってリヴァーノフは脚本書きに参加できなかった。
一方私たちのほうはすっかり虜になったその企画をあきらめることはできなくなった。

私たちはずいぶんすんなりと仕事を進めた。

1年後(もう少し後か)台本の異稿が3つ出来上がっていた。

私たちはもう一度見直しをして、時代考証のさまざまなソースを恐ろしくたくさん研究しなければならなかった。

少なくとも、旧来の出来合いの考え方を捨てることができるためにね。


台本の最終ヴァージョンにかかっているときに私たちはまだどこかしっくりこない部分があると感じていた。

でも出来上がったとき私は台本が成功作であると感じることが出来た。

それから良い映画が作れると感じたから、成功なんだね。

脚本家として私は経験が浅かった。

『ルブリョフ』の前に私は2作しか仕事をしていなかった。

すべてに満足したわけではなかったが、一貫性、首尾の統一の印象はそれが良い作品だと示唆していた。

私がつくろうとしているまさにそのたぐいの映画にうってつけの脚本だから立派な仕事だというわけだ。

俳優、ロケ地、カメラマンの貢献をあてにしているけど、この脚本は私たちの仕事を最後まで導いてくれる主導テーマを含んでいる。

当然、シーンを追加しますよ、省くシーンもあるだろうし、ただ土台はしっかり出来上がりました。


「この映画で私が何を言いたいのか」という質問に答えるなら、おおまかなことしか言えません

芸術と民衆との絆について直接何か述べるつもりはありません。

これはまあ、明らかでしょう。

脚本に明確に出ていると私は思います。

私は、自然の美を探り、美というものは、種子から植物が生長するように、悲劇から、災厄から育つことを観客に気づいてもらいたいとは願っています。

私の映画は美しい、族長的な古いロシアをめぐる物語にはならないでしょう。

私の願いは、輝かしく驚異に満ちた芸術が隷属、無知、文盲の悪夢の「続き」として出現することがどのようにして可能であったのかを示すことです。

私はこうした相互依存の関係を見つけだし、この芸術の誕生を跡づけたいと思います。

こういう条件が満たされたときはじめて私はこの映画が成功作だと思えるでしょう。


ここでオマール・ハイヤームの絵に触れておきましょう。

ご存じですか、薔薇の木があって、その根元に虫が何匹も食らいついているという絵を? 

しかし、死からのみ、不死は生まれるのです。

不死を理解するときに、私たちは死を理解するでしょう。

絡み合った白と黒とでも言いましょうか

そういう周期性を、生を理解する客観的で弁証法的様式と、例示の様態と共に、この映画を形作る基礎にするつもりです。

私たちはカメラマンのヴァディム・ユーソフとロケ地を選びました。
彼とは『イワンの少年時代』で既に仕事をしています。

脚本の仕事が続いている頃、ユーソフは別の映画作りに参加しました。

映画の歴史的な側面から、たくさんの人が必要な大きなシーンが求められ、そのために少なからぬ困難が生じることを忘れてはいけないでしょう。

例えば、クリコヴォ平原の戦いは省くことが出来ません。

ロシアがはじめて外国からの侵略者に対する道徳的な優越を悟る象徴になっているのですから。

ロシアが形成されるこの時代はディミトリー・ドンスキーの勝利抜きでは考えられません。

実現するのは面倒でしょうが、とにかく絶対に欠かせないエピソードです。
それは、(ロシアの王子が片棒を担いだもので、裏切りと腐敗の個人的な象徴となった)タタール人のウラジミール襲撃や、新しい鐘の鋳造のエピソードが欠かせないのと同じです。

これらのシーンはどれも小規模な解決が許されません。
こみ入った準備が必要です。(1965年)

伝記映画? 

違います、このフィルムは誰かの伝記を飾るエピソードが銀幕に再現されることはありませんから、伝記映画のジャンルに入りません。

ルブリョフの生涯を再構築することが私の意図だったのではなく、既に触れたように、私は主に人間に興味があるのです。

また過去の時代の雰囲気に興味があるのです。

しかし、だからといって時代劇になるわけじゃありません。

私の意見では、歴史的正確さは出来事を歴史的に再構築するという意味ではありません。

私たちが示したいことにとって重要なのは、それが真実味を帯びたあらゆる特性を保持すべきだということです。

俗に言う「時代もの」はしばしば、あまりに装飾過多で芝居がかっています。

異国趣味をすべて排除することも私の意識的な決定です。

エキゾチシズムは過去のものなら何でも凄いなと驚かせてそれでよしとする所まで来てしまいました。過去を含めて、すべてを通常の展望に収めて眺めるように努力しましょう![ノ]


ソロニーツィンに関して、私はただただ運が良かった。

最初、私はこの役を有名な俳優に任せることはできないと分かっていただけでした。

悪魔に憑かれたような一念が目に見えるような、強い表現力のある顔でなければならないと私は悟りました。

ソロニーツィンは、打ってつけの肉体的な外観であるだけでなく、複雑な心理過程の偉大な解釈ができる人物です。(1969年)

主役の俳優は映画に一度も出たことがない人物でなければならかった。

誰もが自分なりのルブリョフ像をもっているのだから、他の役を思い出させる人を使うことは出来ない。そういうわけで、それまで端役しかやったことのないスヴェルドロヴスクの劇場の俳優を選んだのです。

ソロニーツィンは、月刊「イスクーストヴォ・キノ」に載った脚本を読んで、モスフィルムまで自前ではるばるやって来て、自分以上にルブリョフをやれる者はいないと宣言したのです。

スクリーンテストをして、実際、はまり役だと私も納得しました。


『アンドレイ・ルブリョフ』をカットした者はいません。私以外にはね。

自分でいくつかカットをしました。

第1版で映画は3時間20分でした。第2版は3時間15分。

私は最終版を3時間6分まで短縮しました。

最後の版がベストで、もっとも成功していると私は確信しています。

長すぎるシーンをカットしただけです。
観客はそれらがないことにも気づきません。

カットは主題を変えてもないし、私たちにとってこの映画で重要であるものを変えてもいません。

言い換えると、意味のないひどく長いシーンを省いたのです。

観客に心理的なショックを引き起こすために野蛮なシーンをいくつか短縮しました。

ただの不愉快な印象を引き起こすためではありません。

それでは私たちの意図が台無しになります。

長いディスカッションの間カットするように忠告してくれた友人と同僚みんなの判断は、結局正しかったのです。

それを理解するのにしばらく時間が必要でしたがね。

最初私は、彼らが私の創造的個我を抑圧しようとしているのではないかと思いました。

後になって、私はこの最終版が私の要求以上の成果を挙げていることを理解しました。

だから映画が現在の長さに短縮されたのを全然後悔していません。[ノ]

画家のように色彩のハーモニーに敏感でない限り、日常生活で色彩に注目することはない。

例えば、私にとって映画のリアリティは白黒の階調に存在しています。

しかし『ルブリョフ』で私たちは生とリアリティを一方では芸術と関連づけ、もう一方でその絵と関連づけなければならなかった。

最後の色彩のシークェンスとモノクロフィルムの間の、このような関連は、私たちにとってルブリョフの芸術と彼の生の相互依存を表出する方策でした。

言い換えると、一方で、日常生活が合理的に現実的に提示され、他方でー彼の生を因習的な芸術で総括をして、次の段階で、その論理的な継続が来る。

アンドレイ・ルブリョフの壮麗なイコンをそんな短い時間で示すのは無理です。
だから私たちは選び抜いた細部を呈示し、観客を細部の断片の連続から、ルブリョフの至高の創造である、あの名高い「三位一体」のフルショットまで導いて、彼の仕事の全体像の印象を創造しようと努めました。

私たちは色彩のドラマツルギーのようなもので観客をこの作品まで導き、印象主義的な流れを創造し、観客が断片から総体へと移動するように願いました。

色彩のフィナーレは、およそ250メートルのフィルムを占めますが、観客に休息を与えるために必要だったのです。

モノクロームの最後のシーンが終わるとすぐに観客が映画館を出ていってほしくなかった。

観客は、ルブリョフの生から自らを引き離し、省察する時間を与えられるべきなのです。

私たちの狙いは、色彩を眺めながら私たちがつけた音楽に耳を傾けることで、観客が映画の全体から一般的な性質の結論をいくつか引きだして、心の中でその主要な道筋を選り分けることができるということです。

手短に言うと、観客に本をすぐに手放してほしくないんです。

もし『ルブリョフ』が「鐘」のエピソードでそのまま終わっていたら失敗作になっていただろうと思います。何としても観客を映画館にとどめる必要があったのです。

彼がどれほど偉大であったかを示すために、芸術家の生の継続のようなものを、付け加える必要がありました。

彼はそれらすべての経験を、最悪の経験を生き抜いたという事実をです。

そして、そうした体験からはじめて、彼の作品の色彩は得られたのだということをです。


こうした思いのすべてを観客に伝える必要がありました。

フィルムが雨にうたれる馬のイメージで終わることを指摘したいと思います。

私にとって馬は生命と同義であるので、象徴的なイメージなのです。馬を見ていると、私は生命そのものの本質にじかに触れているという感じがします。

もしかすると馬がとても美しい、人に優しい動物であるからなのでしょう。

それに馬はロシアの風景の特徴といってもいいでしょうから。

『ルブリョフ』には馬の出るシーンが数多くあります。

気球で空を飛ぼうとして人が死ぬ冒頭のシーンを思い出してください。

一頭の悲しげな馬は沈黙の目撃者なのです。

最後のシーンの馬の存在は、生命そのものがルブリョフの芸術のすべての源泉であったという意味なのです。(1969年10月)

原作者の特権を行使して私たちはアンドレイが沈黙の行に入るように決めました。

しかしそれは私たちが彼に同意するという意味ではありません。

それどころか、その後のエピソードで私たちは観客にアンドレイの沈黙が無意味であるということを納得させようとします。

その後の事件に直面すると、それは無駄なのです。

私たちの主人公は芸術家として何も出来ないのです。

彼は参加することが出来ないのです。

彼の沈黙は私たちにとって非常に幅広い、抽象的な、ほぼ象徴的な意味を持っていました。

アンドレイが沈黙しているエピソードで、映画の意味にとって根元的な重要性を帯びた出来事が生じます。

狂った村娘の登場人物がありますね、ブラゼナーヤです。

彼女は突然タタール人と一緒に行ってしまいます。

タタール人のひとりが好きになり、彼と一緒に行ってしまう。

狂った者だけが侵略者に輝かしく喜ばしいものを見いだすことができます。

彼女の狂気によって私たちは状況の馬鹿さかげんを強調したかった。

正気の人間ならあんなことはしないですよ。

しかしアンドレイは何か行動を起こすべきだったし、彼の責任ある立場に対するこの攻撃を許すべきではない。

なぜなら昔のロシアではブラゼナーヤは神聖な者と見なされました。

ブラゼナーヤ、ユロージヴィを侮辱することは当時大きな罪だと思われていましたから。

ところが彼は何も反応しない。

彼は誓いを守り、一言もことばを発さない。

アンドレイは他者のために立ち上がりもしなければ自分を守ることも出来ない。

ローラン・ブイコフの演じる旅芸人は、自分を警備隊に売ったのはアンドレイだと思う。

なぜなら彼が踊りながら貴族をからかった浮薄で批判的な歌を歌うのを眺める群衆の中にアンドレイがいるのを見たからです。

長い年月が経って、鞭打たれ多くの苦難を経験した流刑から帰ってきて、旅芸人は人々の面前でルブリョフを裏切りの罪で訴えます。

ルブリョフは身の潔白を証明できません。

彼は最後まで無言です。

彼は聖三位一体大寺院の壁画を描くように召喚されます。

彼はそれでも無言のままです。

彼は自分に引きこもり、自分の才能を埋もれさせて、狂人のように生きます。
何もかもが狂っている。

ルブリョフは正常な人間が行動するように行動しない。

祖国を愛する誇り高い市民が当然なすべき事をやらない。

自らの信念の力によって、鐘づくりに賭けた確信と情熱によって、ボリースカだけがアンドレイを沈黙から呼び覚まします。

強靭さ、人間の愛すべき創造力、忍耐力、そして自らの運命に対する信頼がルブリョフを罪深い誓いを破らせるように強制します。(1967年2月1日)
ttp://homepage.mac.com/satokk/selfcriticism/rublov2.html

Andrey Tarkovsky on "Andrey Rublev"
ttp://www.youtube.com/watch?v=nQVzjR8Y918

ttp://www.youtube.com/watch?v=97Ep4OtbSOM&feature=related


彼の発病は突然だった。

誰一人そんなことは思ってもなかったし、悲劇的なものとも思ってもいなかった。

1985年12月に体調がすぐれなくて、徹底的なメディカルチェックを受けたことは知っていたが、フィレンツェに発つ前、クリスマスイブに空港まで連れて行ってくれと頼まれたときには驚きが待っていた。

その道中で、彼はシンクロされたサウンドトラックの最終版の指示を始めた。
彼は映画の献辞を変えるように言った。

「我が息子アンドリューシャに捧げる、こうして闘うために私は彼から離れることになる」

とするように。

クリスマスの翌日、私はアンドレイが癌だと知った。


しかし1986年6月のあの日に、ドイツで彼は治ったように見えた。回復期が目前にあるかのようだった。私たちは高揚して、昔のように冗談を飛ばしていた。

アンドレイはベッドの傍らの小さなテーブルに置かれた聖書に手を伸ばして、「伝道者の書」の一節を読んだ。

1:2傳道者言く 空の空 空の空なる哉 都て空なり

1:3日の下に人の勞して爲ところの諸の動作はその身に何の益かあらん

1:4世は去り世は來る 地は永久に長存なり

1:5日は出で日は入り またその出し處に喘ぎゆくなり

1:6風は南に行き又轉りて北にむかひ 旋轉に旋りて行き 風復その旋轉る處にかへる。

1:7河はみな海に流れ入る 海は盈ること無し 河はその出きたれる處に復還りゆくなり

1:8萬の物は勞苦す 人これを言つくすことあたはず 目は見に飽ことなく耳は聞に充ること無し

1:9曩に有し者はまた後にあるべし 曩に成し事はまた後に成べし 日の下には新しき者あらざるなり

1:10見よ是は新しき者なりと指て言べき物あるや 其は我等の前にありし世々に旣に久しくありたる者なり

(伝道者の書第1章第2節から第10節)
ttp://bible.salterrae.net/meiji/html/ecclesiastes.html

テクストが私を短調の気分に誘い、私たちの地上の生は時には無目的に思えると、地上的な反応を私がすると、アンドレイの反撃が閃光のように帰ってきた。

私たちの地上の生は、そんなひとつの見方で分類して片づけられるほど単純なものではない。

彼はページを繰って、また読んだ。

11:7夫光明は快き者なり 目に日を見るは樂し

11:8人多くの年生ながらへてその中凡て幸福なるもなほ幽暗の日を憶ふべきなり 其はその數も多かるべければなり 凡て來らんところの事は皆空なり

11:9少者よ汝の少き時に快樂をなせ 汝の少き日に汝の心を悦ばしめ汝の心の道に歩み汝の目に見るところを爲せよ 但しその諸の行爲のために神汝を鞫きたまはんと知べし

(伝道者の書第11章第7節から第9節)
ttp://bible.salterrae.net/meiji/html/ecclesiastes.html

宗教は、タルコフスキーの生で重要な役割を果たした。

彼は宗教者と会って、彼らと信仰の問題を話し合いたいといつも願っていた。

私たちがよく話したテーマに、私の叔母の人生と宗教があった。

病気の時にアンドレイは彼女の見事な人生観から多くの力を引き出した。

彼女の精神的支えと宗教的省察は、アンドレイの魂にはっきりとした刻印を残した。

映画が完成すると、私は彼から、叔母への言葉を添えたポスターを受け取った。

彼は、一度もあったことのない、しかし、自分のために多くの祈りを捧げてくれたことを承知している女性に、それを贈ったのである。

アンドレイは、現代人が祈る力を失ってしまった、そしてそれこそ私たちの精神の枯渇を示すものだと信じていた。


彼はしばしば聖書のテクストに基づいた映画を作りたいという欲求を感じていたが、そんな大それた仕事をやり遂げるのに、自分は卑小すぎると思っていた。

しかし、他の誰がそんな試みを出来たであろうか?


療養所のまわりを午後に散策することがアンドレイの日課だった。
その道行きで、私たちはヨブ記に描かれた愛の複雑な性質について話した。
かくも厳しい試練にさらされた愛。かくも厳しき苦悩。
それと同時に苦痛と悲惨を生み出す愛について。


散歩はおよそ45分だったが、私たちが歩いたのは、あちこちに置かれたベンチに腰を下ろしたりして、300メートルほどだった。
そのとき初めて、私はアンドレイの体力がどれほど弱っているか、気がついた。


歩いたために疲れ果てて、アンドレイはベッドに横になり、聖書に手を伸ばして『伝道者の書』をまた読み始めた。

3:1天が下の萬の事には期あり 萬の事務には時あり

3:2生るるに時あり死るに時あり 植るに時あり植たる者を抜に時あり

3:3殺すに時あり醫すに時あり 毀つに時あり建るに時あり

3:4泣に時あり笑ふに時あり 悲むに時あり躍るに時あり

3:5石を擲つに時あり石を斂むるに時あり 懐くに時あり懐くことをせざるに時あり

アンドレイは言った。

「覚えているかい? 私が『石を擲つに時あり石を斂むるに時あり』という題を私たちの映画につけたかったのを。

スウェーデン語では響きが良くなくてね。」

タルコフスキーは床についたまま、療養所の部屋の壁に掛けられたイコンを見やった。

彼の言葉の響きが消えて、森のささやきとツバメのさえずりが聞こえてきた。

しばらくしてから、彼はまた読み始めた。

3:6得に時あり失ふに時あり 保つに時あり棄るに時あり

3:7裂に時あり縫に時あり 默すに時あり語るに時あり

3:8愛しむに時あり惡むに時あり 戰ふに時あり和ぐに時あり

3:9働く者はその勞して爲ところよりして何の益を得んや

3:10我神が世の人にさづけて身をこれに勞せしめたまふところの事件を視たり

3:11神の爲したまふところは皆その時に適ひて美麗しかり 神はまた人の心に永遠をおもふの思念を賦けたまへり 然ば人は神のなしたまふ作爲を始より終まで知明むることを得ざるなり

(伝道者の書第3章第11節まで)
ttp://bible.salterrae.net/meiji/html/ecclesiastes.html

アンドレイは聖書を脇に置き、毛布を引き上げて、うやうやしくそれを隠すと、沈黙が再び訪れた。

それは虚無の沈黙ではなかった。深い瞑想に満ちた沈黙だった。


暗くなり、私の帰るときが来た。私たちは抱擁とキスを交わし、「イタリアで会おう」と言った。それが最後の出会いだった。1986年7月26日。


* * *

12:1汝の少き日に汝の造主を記えよ 即ち惡き日の來り年のよりて我は早何も樂むところ無しと言にいたらざる先

12:2また日や光明や月や星の暗くならざる先 雨の後に雲の返らざる中に汝然せよ

12:3その日いたる時は家を守る者は慄ひ 力ある人は屈み 磨碎者は寡きによりて息み 窓より窺ふ者は目昏むなり

12:4磨こなす聲低くなれば衢の門は閉づ その人は鳥の聲に起あがり 歌の女子はみな身を卑くす

12:5かかる人々は高き者を恐る畏しき者多く途にあり 巴旦杏は花咲くまた蝗もその身に重くその嗜欲は廢る 人永遠の家にいたらんとすれば哭婦衢にゆきかふ

12:6然る時には銀の紐は解け金の盞は碎け吊瓶は泉の側に壞れ轆轤は井の傍に破ん

12:7而して塵は本の如くに土に皈り 霊魂はこれを賦けし神にかへるべし

12:8傳道者云ふ空の空なるかな皆空なり


(伝道者の書第12章第1節から第8節より)
ttp://bible.salterrae.net/meiji/html/ecclesiastes.html


彼の葬儀の日、パリの聖アレクサンデル・ネフスキー教会で、私たちはろうそくを手に、偉大な芸術家に別れを告げようとしていた。

僧はろうそくに火をつけて、最前列に立つ人々にその炎を近づけた。

次々と炎が点されて、最後には、ちらちらと踊る火をいただいたろうそくのすべてが、私たちのアンドレイ・タルコフスキーの想い出の連鎖をつくり出していた。

ttp://homepage.mac.com/satokk/mihal/mihal.html


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サクリファイス (1986)

ttp://www.youtube.com/watch?v=zENPuEqgT4U

ttp://www.youtube.com/watch?v=kK9pHTyyKA4&NR=1

ttp://www.youtube.com/watch?v=k4izcNMy4rY

ttp://www.youtube.com/watch?v=ahxujJlYwZU&feature=related

ttp://www.youtube.com/watch?v=2_aEjbYED0Q&feature=related
ttp://www.youtube.com/watch?v=Mr5cYiRPf3E
ttp://www.youtube.com/watch?v=QeQCb5uyIFY

ttp://www.amazon.co.jp/%E3%82%B5%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%82%B9-DVD-%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC/dp/B000062VMC


『ノスタルギア』の撮影前に書かれた、『魔女』と題された『サクリファイス』の最初の脚本コンセプトは、癌にかかった人間の治癒をめぐって展開した。

不治の病と知り、自暴自棄の状態になると、アレクサンデルは不思議な人物と出会う。

彼はアレクサンデルに、回復の唯一の希望は、魔力をもつ魔女と噂される女性のところに行って、彼女と寝ることだと告げる。

アレクサンデルがそうすると、彼は驚異的な治癒を経験し、医者は茫然自失することになる。

ところが、ある日その魔女がひょっこり姿を現し、雨にうたれながら家の外で待ち受けて、彼をさらおうとする。

脚本のこの段階で、アレクサンデルの犠牲は、家族と所有物を捨てて、貧者の姿に身をやつし、この女性と家を去ることだった。

『ノスタルギア』の撮影中に、タルコフスキーは、当時映画で気になっていることと自分の実生活との数多い平行関係に驚いた。

映画の主人公、アンドレイ・ゴルチャコフは短期間滞在するだけの予定でイタリアを訪れたが、望郷の念に消耗していく。

そして、ロシアに帰ることは叶わず、最後にはイタリアで客死する。

タルコフスキー自身、最初は、映画が完成するとロシアに戻るつもりだったが、 彼もまたイタリアで病気になり、滞在を延ばすしかなかったのだ。


タルコフスキーは、また、アナトーリ・ソロニーツィンの死にひどく心を痛めていた。

タルコフスキーの作品の多くで主役を演じたソロニーツィンは、『ノスタルギア』でもゴルチャコフの役を演じる予定だった。

また最初から『魔女』のアレクサンデルの役がふられていた。

ソロニーツィンは、物語の第1版でアレクサンデルの人生に転機をもたらすあの病気で死んだ。

そして「今では、数年後に、私もまたその病気で苦しんでいる」

林の木の下でアレクサンデルが、小さな息子に話す言葉は、痛いほどの意味を秘めている。

「死なんてものは存在しない。死の恐怖だけが存在する」

ttp://homepage.mac.com/satokk/pgreen.html


タルコフスキーは家にほとんど異常なほど愛着があった。

『サクリファイス』で家が焼け落ちるのをワンシーン、ワンカットで撮影するのは、それ自体が彼にとって目的になった。

我々は、『サクリファイス』で焼け落ちる家が、潜在的に実生活で病魔にむしばまれつつある彼の肉体の映像になるのを実感し、それを目撃する。

撮影は1度失敗して、2度目に成功した。
ttp://homepage.mac.com/satokk/house.html

サクリファイス製作風景
ttp://homepage.mac.com/satokk/offret/offret.html

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1. ノスタルジア 1983年

ttp://www.youtube.com/watch?v=IU1gNassY04
ttp://www.youtube.com/watch?v=KrmsCdaZb7Y&feature=related
ttp://www.youtube.com/watch?v=Qvwei4WvMDM&feature=related
ttp://www.youtube.com/watch?v=Z5CZhY4S8Nk&feature=related
ttp://www.youtube.com/watch?v=0uXHCiueZ2w&feature=related
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ttp://www.youtube.com/watch?v=Mv1dZKIFEgY&feature=related
ttp://www.youtube.com/watch?v=8eRKKgDiQLM&feature=related
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ttp://www.youtube.com/watch?v=kLZB8PDYaZU&feature=related
ttp://www.youtube.com/watch?v=JWNVhaATCKI&feature=related

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サンガルガノ大聖堂の廃墟 


 アンドレイ・タルコフスキーの映画はすべてすばらしい映画的光景を映し出している。

『僕の村は戦場だった』はテーマの重さと拮抗するような映像のリリシズムがあった。

『惑星ソラリス』も突出したSF?映画だった。

東京の首都高速が未来都市のイメージとして活用されていることで話題になったが、むしろ、その後のタルコフスキーに頻出するブリューゲルとバッハの融合が印象に残る。

『ストーカー』も晦渋な映画だが、水のイメージがじつに美しい。

そしてタルコフスキー的な映像というてんでは、なかでも、『鏡』と『ノスタルジア』が秀逸だと思う。

 『ノスタルジア』は、イタリアが舞台だ。

ロシアから亡命してきた詩人(アンドレイ・タルコフスキーそのものだ)が、創作の自由のためにはロシアから離れねばならず、しかしその創作の源泉である故郷の原風景やロシアの大地から切り離されることによって生じる心理的葛藤(それをノスタルジアという)に苦しむ姿を美しい映像で描いている。

 ノスタルジアのラストに、ある廃墟の寺院が出てくる。

それがサンガルガノ寺院である

 私は、映画に導かれてこの寺院を訪問した。1993年のことである。


 資料として『タルコフスキーatワーク』(芳賀書店)の「ノスタルジアへの旅」(鴻英良)をみた。彼はノスタルジアのロケ現地をめぐる旅にでかけ、詳細にその発見を記している。

それによると、タルコフスキーの撮影チームは、ラストシーンをサンガルガノで、印象的な地下の聖母のシーンをトゥスカニアで撮影したことになっている。

私は、仕事でローマを訪れたさいに、フィレンツェに移動し、そこでレンタカーをして、トスカナ地方をドライブしてローマに戻る計画をたてた時、ぜひともこのサンガルガノの廃墟とトゥスカニアを訪れてみたいと思った(まぎらわしいが、トゥスカニアは、トスカナ地方にはない。ここもじつに素晴らしいところだった。町にはホテルが一軒しかなかったが、ここが素晴らしかった。)


(トゥスカニア全景と地下の聖母が撮影された場所)


 トスカナ地方をドライブしはじめると、すぐさま人生の至福につつまれるような感慨を味わった。

こんな素晴らしいドライブはそうはない。

フィレンツェもすばらしいが、サンジミニャーノ、シエナ、ペルージャ、アッシジといった小さな町々が途方もなく素晴らしい。

しかしサンガルガノは探し出しにくかった。

さきの鴻英良氏もサンガルガノへ行くのにはたいへん苦労している。
彼はレンタカーでなく電車をつかっていたのだ。

シエナから行くのだが、観光地ではないため、何もない田園のなかを迷いながら運転してたどりつくほかはない。

 うつくしいトスカナの田園のなかに、それはあった。

 夏のあいだには、臨時の売店なども開かれているから、訪れる人は案外少なくはないのかもしれない。絵はがきやカレンダーなども売っていた。

 サンガルガノがどういうものかは、次の写真をみてほしい。


 サンガルガノ大聖堂(廃墟)


 イタリアのガイドブックや、ミシュランの緑には、きちんとサンガルガノが紹介されている(小さくだが)。ミシュランによれば、人は、この廃墟を訪れると、あらためて栄華のはかなさと、人生についてしみじみと想いをいたすだろう、とある。

たしかに廃墟には、そういう想いへと人を誘う不思議な力がある。

ためにヨーロッパには廃墟趣味というのがあって、わざわざ廃墟を建築する!ことも多かったようだ。

もちろんサンガルガノは正真正銘の廃墟である。


 タルコフスキーのノスタルジアでは、ラストシーンで、イタリアに亡命した主人公が死んでゆく意識のなかで、故郷ロシアの原風景が蘇ってきて、その懐かしい風景の中に包まれて死んでゆくのだが、その故郷ロシアのノスタルジアに満ちた風景が、サンガルガノの廃墟のなかに再現されて、廃墟の建物と渾然一体となってえもいわれぬ効果を生み出していた。

そしてノスタルジアの風景のなかに、やがていちめん雪がふってきて静かに映画はおわってゆくのだ。この最期の風景だけでも、ノスタルジアは映画史に残るものではないかと思う。
ttp://www.lit.kyushu-u.ac.jp/~adachi/sangalgano.htm

Andrei Tarkovsky - "Tempo di viaggio" (italian with french subtitles)

ttp://www.youtube.com/watch?v=PY9DPNQSET0
ttp://www.youtube.com/watch?v=P0pcra3oGQk&feature=related
ttp://www.youtube.com/watch?v=OAP7Iv4Z0SI&feature=related
ttp://www.youtube.com/watch?v=bkygo4Kn7CI&feature=related
ttp://www.youtube.com/watch?v=yyXeDNPzXFs&feature=related
ttp://www.youtube.com/watch?v=R8hrHfv2Ou4&feature=related
ttp://www.youtube.com/watch?v=5M4Md2S7Mtk&feature=related


イタリアのタルコフスキー

タルコフスキーは『ノスタルギア』を「単純なラブストーリー」だと言う。

(ヤンコフスキイ演ずる)アンドレイ・ゴルチャコフはロシアの大学教授で、長年講義してきた建築を実際に見るために、イタリアを初めて訪れる。

彼は自分の通訳兼ガイド(ドミツィアナ・ジョルダーノ)に思いを寄せる一方で、トスカーナの数学教授のドメニコ(ヨセフソン)に自分の一種の分身を見いだす。

ドメニコは世界の終末は近いと信じているので狂人と見なされているのだった。

ローマのRAIでの製作発表記者会見で、タルコフスキーはこう述べた。

「『ノスタルギア』のテーマは、人々がお互いを本当に知らずに共に生きるのは不可能なことと、相互理解の必要性から生まれる問題を扱っています。

名前を知るくらいなら非常に簡単だが、他者を深く認識する段階に達するのははるかに困難だ。

また表面にはさほど現れませんが、この映画には、文化を輸入したり輸出したり、異文化を取り入れるのは不可能だという主張を扱った一面もあります。

私共ロシア人もダンテやペトラルカが分かると主張出来る。

それはイタリア人の皆さんがプーシキンが分かると主張出来るのと同じ理屈です。

けれども実はそんなことは不可能なのです。

つまり同じ国民でなければならないのです。

文化を複製し伝播するのは、その本質に有害であり、皮相な印象しか広めない。

異文化を教えるのは不可能なのです。」

「この映画で、通訳のエウジェニアが『どうしたら分かりあえるのかしら』と訊く。

アンドレイ・ゴルチャコフは『境界を壊すことだ。』と答えます。

これは複雑な地球規模の問題で、単純なレベルで解くか、全然解けないかのどちらかです。

単純なレベルでは子供が解決してくれると言えますが、もっと複雑なレベルでは自己認識の問題と関連しています。

アンドレイは自分の分身とも言える狂人にこうした難題を肩代わりさせようとします。
アンドレイは真理を探求しているのですが、自分が直接分かってもいないものを教えても無駄じゃないかという思いが心をよぎることがあります。

彼は、あの狂人に、自分の行動に確信を抱いている人物を見いだす。

世界の救済法を知っていると言って、それに基づいて行動する人間を見いだします。

ドメニコは反省を知らぬ、ただ行動するだけの無邪気な子供に似ています。

ですからある意味でアンドレイに欠けているものを代表しているのです。」
ドメニコのキャラクターは、部分的には脚本が既に脱稿した段階で、グウェラがたまたま見た新聞記事からインスピレーションを受けたものだった。

タルコフスキーによると、それは映画に重要な総合性をもたらす幸運な発見であった。

「グウェラは類い稀な才能に恵まれた詩人で、偉大な発見が出来る。

幸い私は映画畑で、グウェラは詩の方ですから、嫉妬しなくてすんでいますがね。」
タルコフスキーは最初はモスクワでかなりの部分を撮影する計画だったが、ソヴィン・フィルムとの協約が破棄されて、彼はモスクワのシーンに振り分けたフィートを半分に減らさねばならなかった。


「運命は私たちに救いの手を差し延べてくた。

トスカーナで見付けた家はモスクワより映画的にはるかに興味深いものです。

イタリアに、ロシアのこのささやかな一角を拡張出来るのを私はとても嬉しく思っています。」

タルコフスキーは今でも水にとりつかれたままなのだろうか?

「水は神秘的な要素です。一個の分子であり、とてもフォトジェニックです。」

とタルコフスキーは語る。

「水は運動と、変転と流動の感覚を伝えることができる。

『ノスタルギア』にもたくさん水があるでしょう。

たぶん水には潜在意識の反響があるのかも知れない。

ひょっとすると、私が水を大好きなのは、先祖の輪廻転生を隔世遺伝で記憶していることから生まれるのかも知れない。」


彼の映画の「悲観主義」とイタリアの人生観の「楽観主義」に生じうる軋轢について、また、イタリア人には彼の映画を理解するのが困難なのでは? と問い質すと、タルコフスキーはこう答えた。
「私にだって楽観主義はある。

今度の映画は比較的単純で分かり易いラブストーリーです。

けれども同時に私は、表面下に潜むもっと深遠で混沌としたものを、底まで掘り下げる努力をしています。

悲観主義は、気遣いと人が自分に課す問題の複雑さが絡んで生まれてくる。

こうした問題は、歓喜に満ちた態度で世界に向かっても解けるはずもない。

私の関心は、世界の現状を気遣い、胸を痛めている人々にあります。

このために、時には、余りに複雑になるのかも知れません。」

「映画は高度の緊張を伴う芸術形態です。

一般には理解されないことかも知れませんがね。

私は理解されたくないというのではなく、例えばスピルバーグのように、一般大衆向けに映画を作るのは私には出来ないということです。

もし自分にそんなことが出来ると分かったら、恐ろしく恥ずかしいでしょうね。

一般大衆に届きたいなら、芸術とは何ら関係のない『スターウォーズ』や『スーパーマン』のような映画を作らなければならない。

私が、大衆を白痴のように扱っていると、とらないでください。

ただ確かに私は、大衆を喜ばせようと苦心したりしない。

ジャーナリストの皆さんの前で、どうして私はいつもこんなに自己弁護ばかりしているんでしょうね。近頃私には、皆さんが欠かせないでしょう。

私の映画がアンゲロプロスと同じくらいの配給を得るのなら、特にそうでしょう!」
ttp://homepage.mac.com/satokk/at_in_italy.html

タルコフスキー、『ノスタルギア』を語る

内面への旅 ギデオン・バックマン


バックマン:
まず最初に、西側で仕事をする感想を話してもらいたいですね。
アンドレイ・タルコフスキー:今回は初めて外国で映画を撮るだけでなく、私は外国の条件下で初めて仕事をしています。

世界中どこに行っても映画を作るのは難しいと思います。

でも、何が難しいかが場所によって変わってくると私は気づきました。

こちらで、最も大きい障害は金と時間の不足がずっと続くことです。

特に資金不足は創造性を妨げ、また資金が不足すると時間が足りないということになる。

映画に取り組む時間が長くなるほど、コストも高くなる。


ここ西側では、お金が支配する。

ソビエト連邦で私は一度も費用のことは考える必要がなかった。

とにかく心配無用だった。

イタリアのテレビ会社RAIがとても気前よく、この映画製作に招いてくれました。
実際そうなんですが、割り当てられた予算は明らかに乏しい。

これまで外国で働いた経験がないので、いくらかは私の思いこみかも知れませんが。
現在のプロジェクトは実際に「文化的なイニシアチブ」と分類されていて、商業的ヴェンチャーとは思われていません。

一方では、イタリアの映画チームと技術的クルーと一緒に仕事をするのは、とびきり報いのある経験です。

彼らは極めつけのプロで、高度な知識があり、自分の仕事を楽しんでいるようです。
誰もが自分のやっていることを愛しているように見えます。

しかし私は、私たちロシア人の方法とイタリア人のやり方の比較をしたくない。
どこへ行っても、理由が何であれ、映画作りは複雑で骨の折れる仕事です。
私が西側で一番批判に値すると思うのは、全く経済的な要素に全面的に依存していることです。

これは、芸術形式としての映画の未来そのものを危難にさらす可能性をもっています。

ギデオン・バックマン:
あなたが20 年間に作った5作品:『僕の村は戦場だった』、『アンドレイ・ルブリョフ』、『ソラリス』、『鏡』そして『ストーカー』すべてに、個人と個人を取りまく環境の間にいつでも強い対立があります。
『ノスタルギア』でもこれがテーマですか?

強いのは常に葛藤そのものであり、個人ではありません。

それどころか、私の中心人物は必ずと言っていいほど、弱い人間です。

その人間の強さは彼らの弱さから生まれてくる。

彼らがその環境に上手く適応していない、環境と調和していないという事実から彼らの強さは生まれてきます。

当然、個人と社会の間には、際だった個人と彼を取りまく環境の間には、いつでも葛藤があります。

すなわち、これらの間にはいつでも対立が存在していて、これこそ私たちは葛藤だと言うのです。

人間関係の存在しないところには、葛藤もまた存在しない。

私は、社会との関係が対立の強い要素によって特徴付けられる人物を使うことに興味があります。

そういう人は自分を囲む現実に対して強烈な関係を持っていて、このために、そういう人は常に、最後には環境と衝突してしまうようです。

私はそういう人間を追いかけて、彼が自分の問題をどのようなやり方で解決するのか見つけだしたいのです。

自分のなかに閉じこもってしまうのか? 
それとも自分自身に誠実であり続けるのか?

ある意味で、これは私の作劇法のまさに根っこにある問題だと言えるかもしれません。


ギデオン・バックマン:
どのようにして『ノスタルギア』が誕生したのか、話していただけますか?

私は何度かイタリアへ来たことがありますが、およそ3年前に、よい友人で、イタリアの作家、詩人であり脚本家であるトニーノ・グウェッラと一緒に映画を作ることに決めました。

映画は私のイタリア体験をめぐるものになる予定でした。


オレグ・ヤンコフスキー演じるゴルチャコフは仕事でイタリアに来たロシアの知識人です。

映画のタイトルは、『ノスタルジア』という言葉では非常に不満足な翻訳でしかないのですが、私たちから遠く離れたものを求める苦悩、憧れても憧れても一体化することの出来ない諸世界を求める苦しみを示しています。

しかし、それは内面の故郷への憧れ、何らかの内的帰属感を表してもいるのです。

映画の「アクション」、出来事そのものの順序は、何度か修正されました。

一部は脚本を書いている準備段階で、また一部は撮影中にも修正されました。

私は分断された世界で、引き裂かれて砕け散った世界で生きることが不可能であることを表出したいのです。


ゴルチャコフは歴史の教授、国際的に知られたイタリア建築史の専門家です。

彼はそれまで複製と写真だけで知っていた、そして教えていた記念碑と建物を今こそはじめて、眼で見て手で触れる機会に恵まれたのです。

イタリアに到着するとすぐに、彼は、芸術作品を生みだした文化の統合的な部分にならない限り、芸術作品を伝えたり、翻訳することは出来ない。

知ることすら出来ないと実感し始めます。

さて、彼は18世紀の少しは知名度のある作曲家の足跡をたどるためにイタリアに来ます。

その作曲家は元はロシアの農奴だったのですが、主人によって宮廷音楽家として教育を受けるようにイタリアに送られたのでした。

彼はボローニャ音楽院でジャンバティスタ・マルティーニを師とし、やがて有名な作曲家となり、その後は自由人としてイタリアで生活をしました。

映画の重要なシーンに、ゴルチャコフが、イタリア人の通訳であり旅の連れである若い女性に、作曲家がロシアに書き送った手紙を示すところがあります。

そこで彼は、ホームシックを、彼の「ノスタルギア」を表現しています。

それが何を指示しているかと言うと、この作曲家は実はロシアに帰ったが、アル中になり、最後に自殺したということです。


ゴルチャコフにとっても、イタリアの経験は人生を変えるものになります。

イタリアの美とその歴史は、彼の魂に大きな印象を刻み込み、彼は苦しみます。

なぜなら、彼は自分自身の背景をイタリアと内的に和解させることができないのです。

彼のイタリア体験ははじめは全く外的な性格しか持っていないのに、ソ連に帰ったらそれが何かの終わりを内包するだろうと、彼はやがて気づきます。

そのため彼は憂鬱になります。

自分がイタリアで経験したことを忘れることも、捨ててしまうことも決して出来ないと知っているからです。

自分のイタリア経験を生かすことが自分にはできないのだと思い知ると、彼の内的な苦痛、「ノスタルギア」は増します。

このノスタルギアには、彼が自分の体験を故郷の愛する人々と共有することが出来ない、イタリアに出立する前には彼の最も近しい人々とも共有できないということを自覚することも含まれます。

他者と、自分の印象と経験を共有できないことをこのように意識すると、彼の滞在はひどく辛いものになります。

彼の魂は拷問をされたようになりますが、同時に、心の友を見いだす欲求が彼の中で揺れ動きます。彼を理解し、彼の経験を共有出来る者を求めます。


映画はノスタルギアの本性を探る一種の論考です。

あるいは、ノスタルジアと称されるかも知れないが、実際には憧れよりも多くのものを含んでいるあの経験に関する論考です。

ロシア人は、最大の困難を経験しなければ、新しい友人や知人と別れることが出来ない。

ソ連への帰郷が迫ると、それは悪夢になりますが、このイタリアへの憧れも、「ノスタルギア」と呼ばれるこの複雑な現象を創り出す多くの要素のひとつにすぎないのです。

ギデオン・バックマン:
映画では何が、魂の友を求める気持ちをあらわしているのですか?

ゴルチャコフは彼の経験を本に書くという最初の意思を放棄し、むしろ出会ったイタリア人に、その経験を手渡す、あるいは渡そうと心を決めます。

エルランド・ヨセフソン演じるトスカナの村の出身の数学教師に手渡そうとします。
7 年間このイタリア人は、彼が最も恐れる災害から妻子を救うために妻と子どもたちを家に閉じこめました。

彼は世界の終末を恐れていたのです。


この幾分異常で、神秘的な狂信者はゴルチャコフにとって、一種の「第二の自我」になります。

ゴルチャコフは彼に自分自身の感情と疑惑を認めます。

ドメニコ、その教師は映画の肯定的な力と見なせるかも知れません。

彼の性格は、未来に必要な状況を人格化しているからです。

彼はゴルチャコフの主な話し相手になりますが、彼は、ゴルチャコフが自分の内面に現れ始めていると感じる精神的な不安の極端な事例を表しています。

ドメニコはまた、人生の意味、自由と狂気の概念の意味の、絶えざる探求を表象しています。
もう一方では、彼は子どもの受容性を、しばしば子どもに見つけられる並はずれた感受性を、保持しています。

しかし、彼は、ロシア人に欠けているある特徴を併せ持っています。

ロシア人が容易に傷つき、生命の深い危機に陥る状況でも、このちょっと頭のおかしいイタリア人は単純で、核心にずぱっと斬り込んで、彼自身の啓発された外向性で、一般的な問題の解決を見いだします。

トニーノ・グウェッラが新聞の切り抜きでこの人物を見つけてきて、私たちはそれをもう少し展開しました。私たちは彼に子供じみた気前の良さといった感じを与えました。
一種無邪気な寛大さが彼には強力にある。

彼を取りまくものとの関連で彼の率直さは、子どもに見られるような信頼感を強く思い出させます。

彼は信念の行為を遂行するという思いに取り憑かれています。

火のついたロウソクを手に、トスカニアの村の真ん中にある巨大な、四角い古代ローマの温泉、バーニョ・ヴィニョーニの湯を抜いた温泉場を渡りきるといった行為です。

ゴルチャコフがこれをやろうとするのですが、ドメニコはさらに大きな犠牲が必要だと考えて、ローマに行き、カピトレウムのマルクス・アウレリウス像の上で焼身自殺をします。

それは暴力的な犠牲行為ですが、しかし狂信の要素はいささかもなく、 啓示の瞬間に啓示される救済への心穏やかな信念で行われます。

ギデオン・バックマン:
主人公の2人、建築学の教授と数学教師は、あなたが個人的に自己同一視出来る性格を持っていますか?

私が2人のどこが一番好きかと言うと、狂人の行為にある信頼感であり、旅人のほうは、より大きな理解を達成しようとする執拗さです。

その執拗さは希望と呼ぶことも出来るでしょう。

ギデオン・バックマン:
この2人を結びつける関係はご自身の気持ちを反映していますか?…

私のヒーローは、「狂人」を首尾一貫した強い人格だと考えている。

「狂人」は自分自身の行動に確信があるが、ヒーロー自身にはこのような確信が欠けている。

それで彼はドメニコにすっかり魅了され、最後には、ドメニコこそ、私のヒーローがいつも考え込んではすべてを合理化していたのを、そうすることなく生きる勇気を与える助けになります。

この意味で—この展開のおかげで—ドメニコはゴルチャコフの「もう一つの自我」になるのです。

人生で最も強い者は、子供の信頼と直観的な安心感を保持することに成功した者である。

ギデオン・バックマン:
この映画を作る何らかの外的な理由があるのですか? 
その内的緊張を解読する鍵を与える何らかの明らかなテーマが?

私にとって、人々が互いに出会って一緒に働くことがどれほど重要であるかを何度でも示すことがとても大切なのです。

独りで、自分の秘密の片隅で生きるときには、欺瞞的な平穏が支配するように思えます。しかし2人の人間が互いに接触すると途端に、この接触がどのように深められるか、意味深いものになりうるかという問題が生じます。

この映画は、ですから、何よりもまず、文明の2 つの形式、2 つの生き方、2つの異なる考え方に内在する葛藤を扱っています。第二に、人間関係で巡り会う類の困難を扱った映画です。

男女の愛情関係ということになると、一緒に生活することがどれほど難しいか、お互いをよく知らないときにお互いに感じた愛情を感じるのがどれほど難しいか、そういうことを示したいと思います。表面的に知り合うことは簡単ですが、お互いを本当に知るようになるのはずっと困難です。ゴルチャコフはイタリア女性の通訳と一緒です。若い女優ドミツィアーナ・ジョルダーノがエウジェニアを演じています。

それは—単純に言うと— 教授と女性との、始まりもしないラヴストーリーでもあります。


しかし、もっと広いパースペクティヴから見ると、映画は文化を輸入したり輸出することが不可能であることを示すでしょう。ソビエト連邦の私たちはダンテとペトラルカを理解していると思っているが、これは正しくない。またイタリア人はプーシキンを知っていると思っているが、これもまた誤った考えである。抜本的改革がない限り、その文化に疎遠な人に、ある民族の文化を移植することは絶対不可能でしょう。

ゴルチャコフの苦悩がはじまるのは、彼を取りまくすべての新しいもの—イタリア滞在中に彼の関心を惹いた感情と人間に魅了されるのを自分が遅かれ早かれ止めなければならないと気づくときです。新たな魅惑と興味が彼の中でうごめき始めます。

彼はある人物に出会う。彼自身のように、真の関係を築くのは不可能であると理解していて、それゆえに自分自身を犠牲にする人物です。その人物、ドメニコは同じような心の断片化に苦しんでいます。自分の内側で全世界と、あらゆる良きもの、人間、情緒、そして霊性と、一体化することが出来ないことで苦しんでいる。

誰もがドメニコを「狂人」だと思っている。もしかするとそうなのでしょう。
しかし彼が狂人だと見なされる理由、彼の反応と感情を生み出す理由、ゴルチャコフが非常にはっきりと認識する感情は、全く正常なものです。

ギデオン・バックマン:
それは別の受肉をした自己との出会いなのですか?

ゴルチャコフは類似を認識し、出会いが比較的短いという事実にもかかわらず彼は2人の間のつながりを感じることができます。2人の苦しみが似ていることが、2人を結びつけるのです。

映画を撮影していくうちに、ドメニコはさらにもっと重要になり、私たちは彼に、当初よりずっと堅固な造形を与えました。真の触れあいが不可能だとゴルチャコフがますます自覚するようになったことを、彼はさらに明確に表現します。

ある程度、彼はまた私たち全員が生きざるを得ない恐れ、来るべき未来の私たちの不安をも、表現しています。恐怖こそ、未来を待ち受ける私たちの心理状態の問題なのです。—未来が抱えた問題なのです。


誰もが未来を憂慮している。未来に安心できない。

この映画はこの私たちの不安と深く関わっています。
また我々の無感動もテーマです。

無感動がいかなる方向にでも状況を展開させてしまうからです。私たちは憂慮していますが、それと同時に状況を変えるために何もしていない。確かに、私たちは実際には多くのことをしていますが、私たちが「実際に」していることは、絶望的に不十分です。もっと多くのことをすべきなのです。

私がかかわっている限りでは、私にできるすべてがこの映画です。私が捧げるささやかなすべてです。ドメニコの苦闘は私たちすべてと関わっているのだと示すこと、あまりに受け身だと私たちすべてを責めるときドメニコが全く正しいのだと示すしか私には出来ない。彼は「正常者」が怠惰すぎると訴える「愚者」です。彼を取りまくものすべてを揺すり起こすために、自己を犠牲にして、自分自身の警告を強調します。これが彼の犠牲であり、彼に出来るすべてなのです。

彼の意図は、私たちに行動を強制することであり、「現在」を変えることです。

ギデオン・バックマン:
ドメニコにこの行為をさせる世界観はあなたのものでもありますか?

ドメニコの性格の本質的な要素は、彼の世界観そのものではありません。

究極の犠牲行為へと彼を導くあの世界観ではありません。

むしろ彼が内面の葛藤を解決するために彼が選択するやり方なのです。

従って、私は彼に立ち現れる葛藤ほど、彼の出発点に興味がありません。

私は彼の抗議がどのように生まれたのか、彼がどのようにそれを表現したのかを、理解したいし、示したいのです。

私は実は、彼がそれを「どのように」表現するかにも興味がないのです。

最も重要な事は、抗議そのものの存在自体なのです。

私は、個人が抗議を表現するのに選ぶ方法が重要だと思います。

恐れることなくはっきりと表明された素朴な意見すら(頭がおかしいと思われても仕方がない意見でも)、いわゆる「正常人」の話より、怠慢なおしゃべりに身を委ねて、決して何も実際は「行動」しない人の言葉よりも、多くのことを意味しうるのです。

ギデオン・バックマン:
あなたの考えが多数の聴衆に達することが重要だと思われますか?

万人が理解できる芸術映画の形式が存在すると私は思わない。

従って、すべての観客の役に立つ映画を作ることはほとんど不可能です。もしそれが出来たら、芸術作品ではなくなるでしょう。芸術作品は、異議申し立てを受けずに、認められることはないのです。

スピルバーグのような監督には大変な観客がついていて、巨万の富が懐に入り、だれもがそれを喜びますが、彼は決して芸術家ではないし、彼の映画は芸術ではない。もし私が彼のように映画を作るなら—自分に出来るとは思いませんが—私はまったくの恐怖で死んでしまうでしょう。芸術は山のようなものです。山頂があり、それを取りまいて丘陵がある。山頂に存在するものを誰もが理解できるわけではない。


観客を虜にして、私がやっていることに興味をもたせることが私の課題だとは思いません。それが暗示しているのは、私が彼らの知性を過小評価しているということだからです。結局、観客が馬鹿ばかりだとは思いません....

しかし私が芸術作品をつくるということだけ、プロデューサーに約束したら、世界のプロデューサーは誰も私に、びた一文投資しないということを私はしばしば考えます。

ですから、私は自分の作る映画の1作1作に私の精力と勤勉さのすべてを投資します。

私は私のベストを尽くそうとします。そうしなければ、私は二度と映画を作るチャンスに恵まれないかも知れません。

私は私なりのやり方で、自分の理想を妥協させずに、観客の関心を獲得するのに成功してきたと思います。

そしてそれが、結局、大切なのです。

私は、青い空の彼方をただよう知的なタイプではないし、別の惑星からやって来たわけでもない。

それどころか、私は地球と地球の人々に親密な絆を感じます。

端的に言うと、私は知的に実際以上にも実際以下にも見られたくない。

私は観客と同レベルですが、私には別の役割がある。私の使命は観客の使命とは異なっている。

あらゆる人の理解を得ることは私には重要でありません。
私にとって最も重要ことは、万人に理解されることはないということです。

映画が芸術形式なら—私たちは同意見だと思いますが—芸術の傑作は消費財ではない、むしろ、創造性の見地からも、それを生み出す文化に関しても、時代の理想を表現する芸術的頂点なのです。それを忘れてはいけない。

傑作は、私達が生きている特定の時代の理想に形式を与えます。

理想は、決して万人にすぐ近づけるものではない。

理想に近づくには、精神的に発達し、成長しなければならない。

大衆の精神的なレベルと芸術家が証す理想の間の弁証法的な緊張が消えるなら、芸術が本来の目的と働きを喪失してしまったということになります。

残念ながら、目にする映画が単なるエンターテインメントのレベルを超えていると言えるのは稀です。

私がドヴジェンコ、オルミ、ブレッソンの映画を大切に思うのは、彼らの純粋で素朴な禁欲的な感触に私が惹かれるからです。芸術はこうした特徴に到達する努力をしなければならない。それから信頼感に。


観客の意識に創造的な理念が到達する前提条件は、創作者が観客に信頼を寄せているということです。両者は共通のレベルで相互に意思疎通することが出来なければならない。他に道はありません。

創造者にとって全く明白なものに関するときですら、観客に理解を暴力的に強制しようとしても無価値です。しかし、観客の倫理原則を尊重しなければならないとしても、近代的映画芸術形式を創造する自らの義務に妥協があってはならない。

観客の後ろ向きの趣味に支配されてはならない。

私は、文学的、演劇的、劇的な構築を信じない。


それは芸術形式としての映画特有の作劇術と共通点がない。

ほとんどの現代映画はアクションをとりまく情況、映画の叙述を観客に説明することに終始する。しかし映画に説明は要らない。むしろ情緒に直接訴える必要がある。その時高められた情緒の状態が知性を自ずと前進させるのです。


私は、主題自体の論理の代わりに主観的な論理—思念、夢、記憶—を伝えさせてくれる映画を編集する原理に到達しようと努力しています。

私は、現実の状態と魂の人間的な状況、言い換えると、人間の行動に影響を及ぼす要因から発生する形式を探しています。

それは心理的な真実を提示する最初の条件です。

ギデオン・バックマン:
「主題の論理」は映画のプロットと同じですか?

私の映画では、物語自体は特に重要ではありません。

私の作品で真に意義深いものは、映画のプロットに表現されたことは一度もない。

私は不必要に気を散らすものを排除して、重要なことについて話そうとします。

純粋に論理的なレベルでは必ずしも結びつかない事物を示します。

内的な人間性において、私たちにそうした事物を結びつけるもろもろの思念をひっかきまわすのです。

ギデオン・バックマン:
ということは、あなたにとって重要なことは映画で伝えられる情緒であって、語られるストーリーそのものではないと言うことですか?

私は、私の映画であれはどういう意味なのか、これはどういう意味かとよく尋ねられます。

ひどい話です! 

芸術家は自分の狙いを答える必要はない。

私は、自作に関して特に深い考え、深遠な思想を持っていません。

私の象徴が何を表すのか、私はまったく分からない。

私が唯一追求しているのは、そういう象徴が特定の情緒を生み出すということです。

どのような感情が出現するにしろ、それは内面からのあなたの応答に基づいているのです。

ひとは常に、私の作品に隠された意味を発見しようとします。

しかし映画を作り、同時に、自分の思考を隠そうとするのは変ではないですか?私のイメージは、ありのままのイメージであり、何の意味もない.... 私たちは自分自身をあまりよく知らない。

つまり、 時々私たちは慣習的なやり方では計りきれない力を表出することがあるのです。

ギデオン・バックマン:

あなたの映画で「旅人」が頻繁に隠喩として用いられて来ましたが、『ノスタルギア』の場合のように、はっきり定義された主題であったことはありません。あなたはご自身を「旅人」と思われますか?

1 つの旅しか可能でない. 内面への旅です。

地球の表面をあちこち駆けめぐっても大したことは学ばない。

いつか出発点に帰り着くように旅をするとも私は信じない。

人間は決して出発点には戻らない。

なぜなら旅の過程で彼が変わってしまうからだ。

そして言うまでもなく、私たちは自分自身から逃れられない。

私たちは、私たちであるものを、担っている。

私たちは私たちの魂の住処を、カメが甲羅を運んでいるように、運んでいる。

世界中の国をめぐる旅は、単なる象徴的旅でしょう。

どこに到達しようとも、探しているのはやはり自分自身の魂である。

ギデオン・バックマン:
自分自身の魂を探索するためには自分自身に強い確信がなければならない。しかし今日、自分の立場を取りうる自分自身の能力への人間の信念は、 —いたるところで—外的な出来事、外側から来る理念への信念に価値をおく狂信に屈服してきたように、私には思えます。

そうです。私は、人類が自分自身を信じることを止めてしまったと感じています。

言い換えると、「人類」そのもの—ではなく、そんな概念は存在していません—むしろひとりひとりの人間個人を信じる気持ちがなくなってしまった。

現代人の魂を考えるとき、私には合唱隊の女性歌手に見えます。

彼女は音楽のリズムに合わせて口をパクパクするのですが、一音も発声しないのです。

結局、他の皆が歌っているのです!

彼女は歌っているふりをしているだけです。

他の人たちの歌で十分だと思っている限り、そうです。彼女がこんなふうに振る舞えるのは、自分自身の個人の行動の大切さに信頼を失っているからです。

現代人は信念を欠いている。自分の行動で社会に影響を及ぼすことが出来るという希望を喪失している。

ギデオン・バックマン:
そのような世界で映画を作る意味は何ですか?

人生の唯一の意味は、精神的に成長するときに求められる努力にあります。

誕生したときとは別の何かに私たちは変わる。

人生の意味は、発達してそうなるのに必要な努力にある。誕生と死の間の期間にこれを成就するなら、それが困難であり、進歩が時にはのろのろしたものに思えるとしても、私たちは実際、人間性に奉仕したことになるのです。

私はますます東洋哲学に興味をそそられています。

そこでは、人生の意味は観想にあり、人は宇宙の不可分の部分なのです。

西洋世界はあまりにも合理的になり、西洋の人生観は、より実用主義に根ざしているように見えます。
つまり、あらゆるものを少しずつ完璧なバランスに保ち、体を生き続けられるようにして、出来るだけ長い間ただ「存在」していればよい。

ギデオン・バックマン:
存在の経験を描く計器としての時間の概念を信じないのですか?

私は、「時間」が本質的に客観的なカテゴリーでないと確信しています。

「時間」は、人間がそれを知覚しなければ存在できないからです。

科学的な発見の数々も同じ結論を引きだしているようです。

私たちは「今」に生きていない。

「今」はあまりにも移ろいやすいので、ゼロではないが近づくほどにゼロに近づくので、それをつかまえる方法がない。

私たちが「今」と呼ぶ時間の瞬間はただちに「過去」になり、「未来」と呼ぶものが「今」になり、それもまたすぐに「過去」になる。

「今」を経験する唯一の方法は、自分自身を「今」と「未来」の間に存在する深淵に突き落としてみることです。

こういう理由から、「ノスタルギア」は過ぎ去った時をめぐる単なる悲嘆と同じではないのです。

ノスタルギアは、私たちが自分の内的な天賦を当てにするのを諦めて、それらを適切に整え利用しないとき、そうすることで自分の義務を行うのを怠ったとき、そうやって消え去った時をめぐる強烈な悲しみの感情なのです。
ttp://homepage.mac.com/satokk/bachman.html

カンヌのタルコフスキー

50歳になるアンドレイ・タルコフスキー、この繊細な詩人にして見事な映像芸術家(20年で5作−5つの傑作映画の創造者)がカンヌ映画祭にやってきた。

明日『ノスタルギア』を上映してイタリアの旗を高く掲げることになる。

この映画は彼とトニーノ・グウェッラとの共同脚本で、RAIとゴーモンの出資でローマで撮影された。

真剣なテーマの映画を見せることになる彼は、真剣なテーマを語ることになる。


ポルロ:
何への郷愁なのでしょうか、タルコフスキーさん?

タルコフスキー:私たちの「ノスタルギア」はあなたたちの「ノスタルジア:郷愁」ではありません。

個人的な感情ではなく、国外に出たロシア人が経験するとても複雑で深遠なものなのです。

それは、病です。

魂の力、仕事の能力、生きる喜びを枯渇させる病気です。

私は、このノスタルギアを、具体的な物語、イタリアに来たソヴィエトのインテリゲンチャの話と突き合わせて、分析します。

ポルロ:
そのノスタルギアにさいなまれながら、イタリアでの仕事はどうでしたか?

きわめて良好でした。

なぜなら、なんといっても、映画というものはどこでも大きな家族なのです。

この映画をつくるのに通訳もいらなかった。

ブロークンなイタリア語で言いたいことは通じましたから。

映画は普遍的な言語を使っています。

お互いを理解し、自分を説明するのに役立ちます。

ところが、この手の仕事、つまり映画作りの財政面に関して、議論が多すぎるのには驚きました。ロシアでは、議論にもならないことですから。

ポルロ:
ロシア人の主人公を見ていると、自伝的な映画として見たい気持ちに駆られるのですが。

そうですよ。ただし芸術的な観点からに、限られますが。

実際、そういう意味では、この映画ほど暴力的なほど私の気分を反映させた映画をつくったことがありません。

私の内面世界をこれほど深く解放させた映画は初めてです。

私自身、完成した映画を観たとき、この表出力に直面して愕然としました。

気分が悪くなったほどです。

鏡に映った自分の姿を見たときや、自分のもくろみを踏み越えてやりすぎたと感じたときに経験するのと同じ気分です。

ポルロ:
それでは、何があなたのもくろみだったのですか?

私の願いは、イタリアにやってきて、自分に関して思いがけない情緒を発見するロシア人を観察することでした。

もちろん、私がアフリカに行っても、どこに行っても、同じことが起きたことでしょう。

この男は国と国を隔てる障壁がある理由が分からない。

人間同士を分離しようとする人工的な慣例を受け入れない。

こういうことは当然、彼に恐ろしい苦悩を引き起こします。

お互いにもっと理解するにはどうしたらいいか聞けば、子どもでも、国境を開放したらいいと答えるでしょう。

もちろん、これは素朴で、理想主義的な答えですが、基本的には正当なものです。

この素朴な世界観と祖国を出た人間の現実的な生活状況がこのように衝突することから、ドラマが生まれるのです。

ポルロ:
お仕事が助けになりましたか?

映画はもっとも高貴で重要な芸術です。

とはいえ、商業と商品市場から誕生したという原罪をいまだに贖っているところなのですが。

ポルロ:
このすべては悲観論に非常に近いとは思いませんか?

その逆です。真の悲観論者は、幸福を求め続ける人たちです。

2,3年待って、それからどこまで実現したか、訊いてみたらいいのです。

ポルロ:
あなたの楽観論がどこにあるのか訊いてもいいですか?

私たちの文明のドラマは、科学技術のニーズが、精神性の要求から調和を欠いて、一方的に発達していることにあるのです。霊性の完成こそ、人生の本当の目的なのです。
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アンドレイ・タルコフスキー・インタビュー2

(ナタリア・アスペシ)1983年カンヌ
私たちロシア人には、あの優しい感情が致命的な病なのです

アスペシ:
賞に関心はないのですか?

タルコフスキー:ないと言えば、嘘になります。

自分の本が読まれようが読まれまいが、気にしないという作家のようなことになってしまいます。

映画は観られるためにつくられるのです。

万が一、『ノスタルギア』がここカンヌで受賞したら、私はとてもうれしいでしょう。

『ノスタルギア』はイタリアで構想、撮影、製作されましたが、私の映画の中で最もロシア的な映画です。

アスペシ:
イタリアの生活はどうですか?

とても気に入っています。

イタリアは私が長期間いられる唯一の国です。

他なら一週間以上いられないでしょう。

けれども、月末にはモスクワに戻ります。

私の国、私の人々から離れて私は長くは生きられないのです。

私には多くの企画があります。心を決めなければならない。

なかでも、ドストエフスキーの『白痴』に基づく映画を構想しています。

私の教養は、偉大なロシアの作家たちによって、形成され、養われました。

彼らのように、私は物質生活と精神生活を融和させようと苦闘する劇的な状況を経験しています。

アスペシ:
カンヌ映画祭に持ってくるまでに『ノスタルギア』を一度しか観ていないというのは本当ですか?

そうです。大満足です。私の一番うまく実現した映画だと感じています。

私の内面世界を最も良く表現した映画です。

主人公は私の「分身」みたいなものです。

私の感情、私の心理、私の本性、そのすべてを持っています。

彼は鏡に映った私の姿です。

アスペシ:
なぜ自分の映画について話したくないのですか?

それは正確ではありません。映画のプロットを繰り返したくはない。

それ自体は意味がないからです。

ロシアの作家が、同郷の人間の研究をしにイタリアに来た。

その音楽家の足跡は2世紀前に失われている。

そこで、イタリア人の教授と金髪の通訳に出会って・・・。

こんなことを知って、何が面白いのですか? 

しかし、映画が言おうとしていることは説明しようとすることは出来ますよ。

それは情緒の表出です。私の中に最も深く根ざしている感情です。

ソ連を出るときに、それを最も強烈に感じたのです。

まさにその理由のために、イタリアだから『ノスタルギア』を撮影できたと言うのです。

私たちロシア人にとって、私たちにとって、ノスタルギアは優しく優しく甘い感情ではありません。

あなたたちイタリア人にとってはそうかもしれませんが。

私たちにとって、それは一種の死の病です。命に関わる病気です。

この深い共感が私たちを、自分だけの苦しみ、あこがれ、別離に縛らないで、他の者の苦悩に結びつけるのです。情熱に満ちたエンパシーです。

アスペシ:
『ノスタルギア』をご自分の作品のどこに位置づけされますか?

『ノスタルギア』は私にとってきわめて重要な映画です。

私が自分自身をすっかりと表出することができた映画です。

こう言いましょう。映画というものが真に偉大な芸術形式で、人間の魂のもっとも知覚不能な動きすら忠実に表象できるということを私に確証してくれました。

アスペシ:
たとえ一度でもご覧になって、完成した映画でもっとも心に残ったのは何でしょう?

そのほとんど耐え難い悲しみです。

ところが、それが精神性に自分を浸したいという私の欲求を非常に見事に反映しているのです。

とにかく、私は悦楽に耐えられない。

陽気な人たちは有罪だと私には思えます。

なぜなら、彼らは存在の憂慮すべき価値を理解できないのだから。

子どもと老人には幸福を許しますよ、でも、他の連中に関して、私は不寛容だ。


アスペシ:
23年のキャリアで、なぜ6作しか作っていないのですか?

作りたい映画だけを作ったからです。

相当な資金が必要でしたね。今、50歳になり、このような慎重さや、私自身の欲張りな点といった問題を自問し始めています。

私は急がなければならない。

もっと仕事をしなければならない。すべてを言わなければならない。
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20年ぶりのタルコフスキー映画「ノスタルジア」


群馬会館でタルコフスキーの「ノスタルジア」を20年ぶりぐらいで見ました。

むかしはタルコフスキーに熱狂していた一時期もあったのですが、しばらく前からその熱も冷めてしまってよいのか悪いのか映画の中身とは関係ないところを見てしまいます。

登場する犬はシェパードみたいですが、この犬がとてもかしこい。

おそらくこの犬がうまく「演技」していなかったら、「ノスタルジア」の完成はおぼつかなったでしょう。


ロシアの田舎のシーン、詩人アンドレが滞在するホテル、狂人ドメニコの家などさまざまのシーンで犬が登場しますが、よほど訓練されていて勝手に動き回るような無駄な演技をしません。

まあ、動物のことですから何度かはNGを出したのだろうが、いい演技をしています。

追記 : このシェパードだが、タルコフスキー自身が飼っていたダックス(ダーネチカ)という愛犬じゃないかと思う。


あと、あらためて思ったのはカメラの撮影がとても丁寧に撮られていたこと。

その前に見た河瀬直美の「火蛍」の撮影ハンディ・カメラだったので対照的に感じられました。

「ノスタルジア」は人物など画面の中心を見ているとわからないのですが、画面の端を見ていると超スローでアップしてゆくのがわかります。

あれはカメラ自体に備わっている機能を使ってズームしたのか、それともレールの上でカメラを移動させたのだろうか?

ラストシーンのロシアの田舎とイタリアの遺跡を合成させたシーンもあらためて見るととても奇妙です。前景と後景とでは雪の降り方が異なっているのだ。

CG全盛の今日からすれば新鮮に感じられます。

もっともタルコフスキーには東京の首都高速を撮って未来都市を表現するというウルトラCの大技がありますね。撮影を担当したのはジョゼッペ・ランチという方らしい。

詩人アンドレのホテルの部屋、アンドレが窓を開けると外は雨降りなので部屋の向こうがわからないのです。

最初植え込みか森だろうと見当をつけていたが、しばらくすると薄黒いかたまりがゆっくりと下に流れていくのです。

なんだろう思っていると、また黒いのがゆっくりと下に落ちていく。
フィルムのキズでもなさそうだし。

窓ガラスはないはずなのですが仮にガラスがあったとすれば、窓に貼りついた木の葉が雨に打たれて流れ落ちている感じがした。

そのシーンではその黒いものの正体はわからずじまいだったのだが、ラスト近くで雨ぬきのシーンがあったので確認してみる。窓の外は土壁。

つまりあの黒っぽいものはどうやら土壁が剥がれて流れ落ちていたのだ。
詩人アンドレのホテルの部屋は映画用のセットだろうから、インスタントにこしらえた壁がホースで散水した水で流れてしまったようです。
ノスタルジア・コム ttp://www.acs.ucalgary.ca/~tstronds/nostalghia.com/
ttp://fuqusuke.s32.xrea.com/archives/000050.html


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