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[35] 新しい日本のかたち
日時: 2009/08/03 07:48
名前: 天橋立の愚痴人間

政権交代後を睨み、50年100年先までの構想を探りたいと思います。

抽象的な紹介で申し訳けありませんが、此処も皆様の御意見で埋めていただきたいと思います。

私も、そのうちに力を入れて書き込みをしようと思います。
メンテ

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Re: 新しい日本のかたち ( No.18 )
日時: 2009/08/11 16:00
名前: 天の橋立の愚痴人間

【現代のケインズ理論の唱える政策】

ケインズ自身ともケインジアンとも異なり、現代のケインズ理論の結論によれば、政府支出を増やすことによる景気対策の効果はあまりないということになっている。なぜなら政府支出の増加で増えた人々の所得は、流動性のわなのもとではすべて貨幣のまま持たれてしまうので、消費需要の増加として広がっていくことはないからである。金融政策についても、金融引き締めなどして貨幣供給を減らせばますます不況が悪化するという意味では影響があるが、逆に金融緩和で貨幣供給を増やしても、全部人々がそのまま持ってしまい世の中に出回らないので何の効果もない。つまり旧来のケインジアン以上に深刻な不況の存在を説きながら、新古典派をもしのぐ政策無効命題を導きだしているのである。

ではどうすればいいのか。
現代のケインズ理論の論者がよく唱えているのが、有名なクルーグマンの提唱した「調整インフレ論」である。「インフレターゲット論」というのは、今日の日本の状況におけるこの穏当な呼び名である。これは、中央銀行が何パーセントのインフレを必ず実現するぞと宣言して、それまで金融緩和を続けるというものである。人々にインフレが起こることを確信させることができれば、今安いうちに買った方がトクだということになり、需要が起こってくる。
これを貨幣供給量のコントロールでやることには、はたしてうまくコントロールできるのかという反対も多い。運転を間違えてとんでもないハイパーインフレになったらどうするのかというわけである。

そこで山形浩生やフェルドシュタインは消費税を使う方法を提唱している。実は私も彼らに先立ってそれを唱えていた。私の場合は彼らと異なり最初数年は消費税無税くらいにまで減税することを主張している。そして数年後に必ず今よりも高い税率に上げることを確約するのである。この場合にも、今のうちに買った方がトクだということで、需要が起こってくる。

稲葉振一郎はドーアの議論を紹介して、賃上げを手段に使う方法を提唱している。将来にわたって必ず賃上げが持続すると予想されれば、それは物価水準も上昇するということだから、調整インフレ論と同じ効果が期待される(ただし私は、貨幣供給の同率での増大がないといけないと思う)。この議論を読んだ時思い出したのだが、私が最初にクルーグマンの調整インフレ論を知った時、韓国の経済危機の際の大幅賃金カットが思い浮かんだものだった。あの時このまま切り下げられた水準で賃金が維持されると思っていた者は一人としていなかっただろう。必ず数年後には組合の戦闘性が復活して賃上げがなされると、みなが確信していたはずだ。ということは物価水準も上がることが予想されたわけで、もしかしたらそれが急回復の要因だったかもしれない。

その他、現代のケインズ理論からは、なるべく貨幣で持つことをソンにして支出させる政策が導きだされる。例えば全般的な資産課税で税引後利子率をマイナスにしてしまうなどである。現金は新札切り替えで旧札を無効にし、交換手数料を取ればいい。切り替え期間後には政府が旧札の「本物のニセ札」を大量に印刷して駅前に置いてバラまいて無価値なものにしてしまうのがいい。
以上がケインズ経済学の概念であり、
http://www.std.mii.kurume-u.ac.jp/~tadasu/yougo_keynes.html
からの引用です。

ケインジアンとして、サミュエルソンやガルブレイスがいることを追記しておきます。
ケインズの経済学の注目をしなければならないのはマクロ経済学の部分です。


次には、マクロ経済学について少しは探求して、その後、ハイエク理論を中心とした新自由主義経済論の特性を見ようと思います。


随分と長ったらしくなりますが、我々が輪絵が無意識の内に受け入れている、資本主義経済のシステム民主主義のシステムは何であったか、あるのかについて認識を新たにした上で新しいかたちをどのように考えられるかと言うことを問いたいと思います。
メンテ
Re: 新しい日本のかたち ( No.19 )
日時: 2009/08/14 12:40
名前: 天の橋立の愚痴人間

「マクロ経済学」

マクロ経済学は、「政府・企業・個人という経済主体」の行為を、大きな観点から総合的に分析する学問であり、「GDP・国民所得・物価・貯蓄・消費・投資・国際収支・景気指数などの集計概念(集計データ)」を元にして研究が進められます。 マクロ経済学の目的を簡単に言ってしまえば、『将来の経済状況(景気変動,デフレ,インフレ,バブル)の予測』であり『有効な経済政策(政府の財政・金融政策)の実行のための理論構築』です。マクロ経済学は、国民の自由な経済活動のみに基づく市場原理(競争原理)を完全に信頼することは出来ないというケインズ経済学の前提に立っています。

次に経済政策としてのマクロ経済学の実態を述べます。
これは。1国あるいは世界経済の短期的な(数年単位)での経済活動の変動、つまり景気循環に関する施策です。

政府はいわゆるマクロ経済政策によって景気循環を抑制、特に不況時に産出量
の落ち込みを軽減させることができると考えられています。マクロ経済政策は財政政策と金融政策の2つに分けることができます。

財政政策は公共事業などの政府支出と租税などの収入を景気の変動に応じて
調整することで経済の生産活動に影響を及ぼそうとするものです。一般に不況
時には生産の落ち込みを抑えるため収入に比べ支出が拡大され、好況時には
逆の調整が行われます。

いっぽう金融政策はお金の流通量である貨幣供給量などを政策手段として用い
ます。一般に不況時には貨幣供給量の拡大、好況時には抑制が行われます。
これらのマクロ経済政策は景気循環の抑制にどの程度の効果があるのでしょう
か? 90年代を通じて日本の財政赤字は大きく拡大しました。 これは不況が長期
間続き、その間政府支出と比較して税収が大きく落ち込んだためです。この不況の長期化はマクロ経済政策の実施が不十分、もしくは誤った政策が採られたためなのでしょうか?それともマクロ経済政策は景気回復に効果を発揮することができなかったのでしょうか。

景気循環、そしてマクロ経済政策の問題はマクロ経済学の中心的なテーマであ
り、マクロ経済学のみがここでとりあげた様々な問いに対して満足のいく答えを提供しているといえます。ただし財政政策、金融政策の効果を考える上では制度面の理解も不可欠ですから、財政学や金融論を学ぶことも重要です。

メンテ
新自由主義経済論 ハイエクとケインズの比較 ( No.20 )
日時: 2009/08/14 13:57
名前: 天の橋立の愚痴人間

新自由主義経済論の理論的元祖とされているハイエクについて、ケインズとの絡みを含んで書いてみたいと思います。
とは、言いましても、下記のサイトの転写に近いものです。

www.i.hosei.ac.jp/~hayashi/hayek.pdf#search='ハイエクと新自由主義'

1 はじめに
 ケインズ経済学の危機と新自由主義的経済学の台頭。

1970年代の二度に渡る石油ショックの発生以来、インフレと景気停滞・高失業率が
並存するスタグフレーションが顕在化するなど、従来のケインズ経済学では説明しがたい現象が起こり、ケイジアンのマクロ有効需要政策では景気変動の適切な制御が困難になってきた。
そうした時代状況を背景に、HicksやTobinなど有名なケイジアン自身により「ケインズ経済学の危機」が叫ばれ、ケイジアンのマクロ経済学・経済政策の有効性に対する疑問や批判が高まってきた。

そこで新しい理論と政策を掲げて登場したのが、新自由主義も哲学に立脚する経済学の一群であった。それらはマネタリズム、合理期待学派及び新しい古典派、公共選択学派などに大別される。
経済理論的には短期的には不均衛の存在を認めるにせよ、長期的には均衡の相で市場を捉える分析アプローチをベースとしている。

哲学的には、夜警国家や非干渉主義を旨とする古典派の自由放任ではなく、また国家介入を積極的に是認するケイジアンの自由主義とも異なり、個人の尊厳、自由権を最重要視しつつも社会権も斟酌する新自由主義を共通の基盤としている。

Harrodの言う「ハーベイロードの前提」に立脚して、知的エリートである政府が積極的に経済介入を行うべきだとするケインズ主義的政策は、財政支出の膨張、租税負担の増大、政府規制の拡大などにより「政府の肥大化」、「大きな政府」をもたらし、民間経済のダイナミックな発展活力を萎縮させ、経済成長率の低下をもたらす懸念を強めた。

こうした介入主義に基づくケインズ経済学に対抗して、新しい潮流は新自由主義の哲学に立脚し、財政支出の削減、減税、政府規制の緩和などにより「小さな政府」を目指し、ルールに基づく安定的通貨供給政策などにより中央銀行による裁量的金融介入を規制し、民間活力を蘇生させる政策提言を行ってきた。

続く
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Re: 新しい日本のかたち ( No.21 )
日時: 2009/11/07 17:34
名前: 天橋立の愚痴人間

過去ログに入りそうなのでUPしました。

まだ続ける意志を持っております。


達磨さん、

参考になる紹介もしていただいておりますが、

紹介だけの記事は、もう少し減らしていただけませんか。
メンテ
Re: 新しい日本のかたち ( No.22 )
日時: 2009/11/08 22:29
名前: 役立ちの住人

天橋立の愚痴人間さん。

大変勉強になります。

私は、経済はあまりにも通貨の動きにとらわれてしまっていると感じるのです。
もちろん通貨は非常に正確に経済を測ってくれます。
現代の経済は通貨の動きそのものです。
しかし、経済の主人公はあくまでも人間です。

私たちは、通貨のない時代から生活をしてきました。
生産、消費、分配という一連の経済の動きは、今も昔も人間の生活の糧としての核心部分であることは、は何ら変わりありません。

しかし、個人、法人、国家の全てのレベルで、利益を追求することを究極の目的として、それぞれの活動、理論、概念は作られてきました。
本来は道具であったはずの通貨が、利益という目標の下、何時しか目的に化けてしまっています。

しかし国家的な、経済目標は、あくまでもこの核心部分である、生産と分配、消費に向けられなくてはならないと思うのです。
本来は、通貨でさえもそのための道具でしかないと。

経済にまつわる多くの要素は、実際に有効な機能を持っているものが殆どですから、これらを否定するべきではなく、むしろ積極的に有効に活用して行くべきでしょうが、
立場を入れ替え、目的と手段、そして手段のための道具として、正しく認識して行く姿勢が先ず必要だと思います。

しかし、その前に分配に対する根拠を、国民共通の価値観、イデオロギーとして確立しないことには、公平性が保てません。
今まで行われてきたように、権力や多数派の都合のいいようにいくらでも解釈次第で自由に出来ます。
もちろん分配だけでなく生産にも言えることです。

何処までが正当な利得であるのか、何処からが不当な利得なのか、それはどうしてか、どういう根拠があるのか。
今までは、政治家と官僚が勝手に作った法律で、合法、違法という判断だけが、されてきました。
イデオロギーとしての確立がなされない限り、もし官僚の時代が終わったとしても、新たな権力による支配と搾取が繰り返されます。

当然、先ず人間の尊厳、そして社会全体としての生産性が、目標になってくるでしょうが、これは、互いがお互いの要素になり、どちらが欠けてもどちらも成り立ちません。
先ず思想的な根拠に基づいて、ひとつひとつ正して行かなくてはならないと思います。


たとえば、失業問題ですが、社会にあまり必要とされていない仕事に法的保護を使い、十分な利得を社会から受け取ることは、社会にとってまた本人にとって本当によいことでしょうか?
私は、仕事が見つからなければ、それよりも生活保護を受け取りながら、ボランティアなどしたほうが、社会にとっても本人にとってもよいことではないか。
とも思うのです。

世の中には、経済的な富を目標とする人もいれば、不自由ない生活だけが目標である人、精神的な安定が最大目標の人、たくさんの人たちがいます。
彼らのそれぞれが、分に応じた生活、分に応じた役割、役立ちに応じた報酬、これらが認められなくてはならないと思うのです。

現在の社会は、国民全てが懸命に働き、社会の上層部が自身の目的に応じ、その利益を分配するという構造が出来ています。
そのような社会では、失業は、どうしても解決しなくてはいけない問題です。
罪悪であるかのような扱いを受けます。
彼らは、社会の上層部の、利益を減らし負担を増やし、体制を批判します。

しかし私たちは奴隷ではありません。

もちろん考え方はたくさんあると思います。

しかし、人を支配することを前提としない立場であれば、共通のイデオロギーが持てると思います。

私たちが意識せずに行ってしまっている搾取による利得は、手放さなくてはならなくなるでしょう。
それでも、それ以上の物を得ることになると、考えています。


メンテ
Re: 新しい日本のかたち ( No.23 )
日時: 2010/10/25 03:16
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:yAyaBq2A

「ケインズ経済学の危機と新自由主義的経済学の台頭」の続きです。

他方でケイジアンや新古典派の理論経済学の中からは、ケインズ経済学あるいはマクロ経済学のミクロ的な基礎付けを目指して、理論的な再構築を試みる研究が輩出してきた。この流れは1970年代後半からArrow−Hahn(1971)流の位相数学による一般均衝理論のフレームワークを用いて、固定価格の制約下での数量調整機構による均衝の存在や安定性を証明する所謂「ケイジアン不均衝分析」から始まった。

こうしたミクロ理論の研究動向は、マクロ理論研究の在り方のも少なからず影響を与えた。新自由主義経済学の中でも、とりわけ合理的期待学派や新しい古典派は、ミクロ的な基礎付けを重視し、代表的経済主体を想定して、その主体的均衝を目指す行動仮説を明示的に理論家しつつ、マクロ理論を展開した。

こうして新しい潮流が勢いを増す中で、ミクロ的均衝分析アプローチに基づくハイエクの景気循環論、貨幣理論、資本理論などが再び注目されるようになり、陰に陽に新しい潮流に影響を及ぼしてきた。新自由主義的な金融、財政政策論の展開論文には、林(1989)があり、それらとハイエク経済学との関連については古賀(1983)があるが、本稿では1990年代の展開も踏まえて特に景気循環論との関係で、新自由主義的な経済学とハイエクとの関係を論考する。

そこで、まず2節ではハイエクの景気循環論の重要な特徴を整理して把握するとともに、3節以下ではハイエク理論がそうした新しい潮流とどのように関わってきたのか、学説史的に考察する。

続く

メンテ
Re: 新しい日本のかたち ( No.24 )
日時: 2011/06/26 17:54
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:rH3wz/nM

「新しい日本のかたち」を求めた、このスレッドも随分と休止状態でしたが、皆様の御意見を賜りまして続けたいと思います。

宜しく御願いします。
メンテ
投稿文紹介<ドイツの官僚制度 ( No.25 )
日時: 2011/09/22 15:17
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:85ZdXCoo

財政問題は増税で解決しない。第3回「ドイツから学ぶ官僚支配政府の克服(責任ある決裁権と政治任用制度!)」
http://www.asyura2.com/11/senkyo119/msg/716.html
投稿者 msehi 日時 2011 年 9 月 22 日 12:14:36: MaTW.8vfzXWdQ


投稿者msehi
http://d.hatena.ne.jp/msehi/

現在の官僚支配政府は殖産興業、富国強兵を求めた明治政府誕生から既に始まっており、伊藤博文らはそのためにドイツ帝国のベルリン大学で学び、ドイツの官僚制度を模倣した。
(実際はドイツでは、ビスマルク率いる政府も議会決定なしには身動きできなかったことから、勅令などのやり方で、議会決定なしで主導できる立憲君主制をウィン大学のロレンツ・フォン・シュタイン教授から学んだ。)
すなわち二つの目的を最優先して遂行するために、勅令によって議会に左右されない官僚による専制政府を誕生させたと言えよう。
確かに議会の延々とした議論と判断に依らないことは、即効的に機能し、一丸となった統率力で、日本を短期的に飛躍的に発展させた。
しかしそのような急速な発展自体が官僚組織を肥大化させ、無責任な大本営へと変質させていき、太平洋戦争開戦によって破綻した。

そして戦後の日本もこのような官僚制度を反省することなく、核の持ち込みや核保有の密約などで明らかなように再び官僚主導の統率力のある政府によって、飛躍的な産業発展をさせた。
しかしその飛躍的な発展自体が驕りと過信を招き、官僚支配政府は無責任な大本営と化し、再び破綻へと突き進もうとしている。

これに対してドイツでは、戦前の官僚組織の一兆パーセントのハイパーインフレとナチズムを招いたことが徹底して反省され、情報公開をガラス張りに国民に開き、官僚組織は政府に尽くす以前に基本法に則って国民全体の利益に奉仕することが、あらゆる側面で求められた。
その大きな柱の一つは権限の下への委譲であり、担当した官僚が責任の伴う決裁権を持っていることだ。
すなわち日本のように稟議制といって、担当した官僚が係長、課長、局長、大臣官房長、大臣といった承認や指図に従って行政を実施し、過失があっても大臣が替わるだけで責任が問われないシステムではなく、担当者に決裁権があるかわりに、過失の際は責任が厳しく問われるシステムである。
それゆえ官僚は、官僚組織よりも国民への奉仕を優先せざるを得ない。
但し決裁権が任される官僚は、大学のディプロマー試験やマギスター試験に合格し、2年間条件付官使として勤務した後、ラウフバー試験(法文系は司法試験を兼ねていることから、弁護士資格を収得)に合格しなくてはならない。
そして3年以上の各省庁での見習い期間を経て、決裁権を持つ官僚になるが、課長以上へ昇進するためには競争も激しく、同時に厳しい責任が課せられている。
それは、日本のように国家公務員試験1種に合格すれば、キャリア官僚として官僚組織があたかも自らの共同体を守るために、上へ上へ育成昇進させていくシステムとは対極するものである。
そしてもう一つのドイツの柱は政治任用制度であり、誕生した政権が各省庁の事務次官、局長などの約400人の上級官僚を任用するシステムである。
そのため各省庁の官僚は各政党にリストされており(多くは政党に入党している)、自ずと情報公開を徹底させ、官僚組織の自己目的化を分断していると言えよう。
しかもこれらの官僚は、厳しい決裁への責任が課せられることから、政党に属すことで政党に支配されることなく、基本法に基づいて国民全体の利益を最優先して求めているのである。

それゆえ2010年メルケル政権が原発運転期間を28年間延長し、原発推進へ舵を切ろうとした際、その過ちを強く指摘し、脱原発を実現させたのはドイツの官僚たちであったと言っても過言ではない。

その証拠にドイツのZDFフィルム「大いなるこけおどし・・・政治の間違った約束」に、責任を担う官僚たちは積極的に出演し、原発運転期間延長の政策が間違った政策であることを強く指摘している。

(ヴォルフガング・レネベルク、2009年まで連邦原子炉安全局局長)
私は安全性の理由から、古い原発を設定された期間以上運転することは、無責任だと思っている。
ドイツの全ての原発は、今日申請許可が得られるものではないだろう。

(ボルフラム・ケーニヒ、放射線防護局局長)
ゴアレーベンのような一つだけの最終処分場カードを切ると、実質的には10年から15年の長いプロセスの終わりに、すなわち原子力の計画確定作業の終わりに、安全性の裏づけが得られないということが明らかになれば、対処できない。
私たちは、政治が選んだやり方を理解できない。

(ヨアヒム・ヴィランド、法務局憲法裁判官)
脱原発合意が解約されるなら、すなわち飛行機墜落を防御できない古い原発の操業許可が延長されるなら、国家は市民を守る防御義務に違反する。

(オラーフ ホォフマイヤー、環境事務局メルケル首相政府顧問)
脱原発からの下車は、明らかに巨大電力企業に長期に渡って好意を約束したものである。
それは内容的に全く馬鹿げており、エネルギー政策的に全く間違った決定である。
私たちは脱原発を、さらに徹底して実現していかなければならない。
原発の長期運転は必然的により高い収益をもたらす。しかし必然的に安い電力料金にはならない。
もし私たちが底なしに向かう原発の運転期間を延長するというシグナルを与えるなら、それは同時に再生エネルギー源の基盤による持続的な電力供給を本質的に望まないというシグナルを与えることである。
その限りでは、このシグナルは全く致命的である。

このようにドイツの官僚たちは、官僚組織や政府よりも国民全体の利益と責任を最優先して、国民に奉仕していることは明らかである。

日本は約百年前にドイツから官僚制度を導入したが、それは明らかに機能不全に陥っており、今まさにドイツの国民に奉仕する官僚制度への転換が求められている。


財政問題は増税で解決できない。第1回「政治の過ちによる国民への復興増税というタカリ(激怒!)」
http://www.asyura2.com/11/senkyo119/msg/620.html

財政問題は増税で解決できない。第2回「民にタカル官僚支配政府の舞台裏(審議会は「やらせメール」だ!)」
http://www.asyura2.com/11/senkyo119/msg/656.html

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Re: 新しい日本のかたち ( No.26 )
日時: 2011/09/22 18:26
名前: 満天下有人 ID:QvYLG6tY

・・・先ほどニュースで、民主党税制調査会(座長・藤井裕久)の一部模様を見ましたが、増税は消費税、法人税及び“たばこ税”を軸に進め、所得税には極力触れないというもの・・・

・・・議員からは、オカネは空から降ってくるものではない、よって増税は避けて通れないという意見まで出て、ウンザリを通り越してヘドが出そうになりました・・・

・・・たばこ税も軸にと言う藤井・・・たばこ税がどれほど財源に寄与するのか、思えば厚労相になった小宮洋子が大臣としての初記者会見で、年金や医療費問題と言う国家の大きな政策には触れずに、いきなりたばこ税増税を財務省にお願いすると言ったことが思い出されて、藤井座長の発言も、さもありなんと・・・(笑)・・・

・・・もう既に、IMF、米国の意向を受けた財務省の、のぼせあがったかと思えるほどの売国政治様相になってしまいました・・・これに追従するメダカ政治、新しい国の形は、このようなものになってしまいました・・・

批判ばかりだとの批判もこれあり、しかし、もう批判するしか手がありません、何を希望しても、こんな有り様です、新しいことを考える気力も失せてしまいます・・・暴動が一番手っ取り早いのですが、今のこの国では、ムリもいいところです・・・ドイツ官僚のように官僚自らが転換しようとする気配も無し・・・あっても消されてしまう・・・。
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Re: 新しい日本のかたち ( No.27 )
日時: 2011/09/22 18:47
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:85ZdXCoo

増税は時期ではないと叫んでいる民主党の馬鹿共も、自分の選挙目当てで言っている事が解かりすぎるほど解かります。

こんな連中が何十年政治をやっていても国の改革は出来ません。出来ないと言っていても政治がやらねば誰がやると言うのでしょう。

>・・・暴動が一番手っ取り早いのですが、今のこの国では、ムリもいいところです・・・

暴動どころか、僅かに存在する市民デモも、小沢、小沢と個人に頼り、自分たちが何に対して不満を持っているかも、堂々と主張することも出来ません。

反原発デモが盛り上がり、6万人の人間を集めるようになったのは、ただ「原発を止めろ」と言う単純な意思表示があるからです。

市民デモでも「こんな政治は止めろ」だけを叫ぶべきで、それに多くの人が呼応するというスタンスを取らねばなりません。

何時も言っていますように、妙に賢くなった国民が、自ら理に溺れ、大きな意思を発揮できません。
暴動などの単純明快な憤怒の気持ちに収斂することは出来ない所以が、平和ボケ、理屈ボケした大衆意識にあるのです。

一事が万事、重箱の底をつつくような考え方の蔓延に絶望を感じます。
奴等は、重箱のゴミのようなものより認めることが出来ないのです。

さて、愚痴はこれくらいにして、最近、阿修羅で下記の方に出会い、糾弾サイトへも起こし願うように頼んでおきました。

投稿者msehi
http://d.hatena.ne.jp/msehi/

この方も、自分のブログで一生懸命に我が国のありようを憂いておられます。
ドイツに関する見識が御高いようで、是非意見を聞きたいものです。



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