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[35] 新しい日本のかたち
日時: 2009/08/03 07:48
名前: 天橋立の愚痴人間

政権交代後を睨み、50年100年先までの構想を探りたいと思います。

抽象的な紹介で申し訳けありませんが、此処も皆様の御意見で埋めていただきたいと思います。

私も、そのうちに力を入れて書き込みをしようと思います。
メンテ

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Re: 新しい日本のかたち ( No.1 )
日時: 2009/08/03 10:28
名前: 天の橋立の愚痴人間

>閲覧されている方もおられるようですので、旧掲示板から、初めのものを転載させていただきます。



現在、我が国のみならず多くの国で直面している問題は

資本主義経済の発達に伴う経済的矛盾に関するものであり

物質と情報の氾濫のなかで人間性が見失われている現象であります。

我が国でも、いろいろな問題が噴出しております。

それを政権争いの面で取り上げているだけでは根本的な解決は得られないと思います。

経済のグローバル化を否定するのではなく、民主主義も大切にして、何が考えられるのでしょう。

副題として「身の丈に合った環境つくり」を挙げて、意見を展開して行きたいと思います。

多くの皆様の御意見が得られますように御願い申し上げます。
メンテ
Re: 新しい日本のかたち ( No.2 )
日時: 2009/08/03 10:33
名前: 天の橋立の愚痴人間

>同じく一部の転載ですが、記事が飛んでいるので見苦しいところがあります。


「新しい日本のかたち」を表題にして、経済的だけでなく精神的にもグローバル化の一途をたどり、そのために現れ始めている歪な人間性に焦点をあてる事で将来の社会を考えようとしています。

その発端は、投稿蘭の掲載しています「人類の環」と題した小文からスタートしています。

グローバル化で忘れかけている、小規模の生活圏での生活の有り様、身の丈に合った生活の有り様などの概念を取り戻し見直す事の大切さを言おうとしています。
そして、その小さな環が重なりあい、重複し合いながら大きな環の中に入って行く。
経済の事も、世界中の人々の精神の事もその様に認識されねばならないと思っています。

貴方が言われている南洋諸島での戦時中の出来事は、旧日本軍が地域の環を大切に扱ったことになるように思います。

このトビの目的は、戦時中の美談的な発想から一歩進み、グローバル化による弊害に対応するために、その様な社会を取り戻さなければならないと謳っています。

グローバル化の問題は経済的な面だけではなく、科学技術の発達で人間の精神が随分と人間離れしたところまで行ってしまっていることに対する警鐘も唱えなければならないと思います。

資本主義と民主主義をリードしてきた欧米風の価値観が世界中に蔓延していますが「人類の環」の発想からは、それだけではうまく行かないでしょう。

我が国古来の心の文化は、それを矯正するのに非常に有効な手段であると認識しています。
その我が国の心の文化がどの様なものであったか、あるのか、まずはこのことをもう少し鮮明に把握したいものです。

こんなところから初めていますので、このトビが結実を得るのは何時になるかわかりません。其処まで行き着けるかどうかも解りません。

しかし、貴方があげられた構想は、このトビのおおらかな結論のようなものです。
これを、経済の面を含み論理的に整理して多くの方が共通の概念として認識できるような資料を作りたく思っています。

メンテ
Re: 新しい日本のかたち ( No.3 )
日時: 2009/08/07 07:33
名前: 天の橋立の愚痴人間

つい最近、私の知っている若者が自殺した。私の息子の1才年上で22才でした。
御両親も良く知っている方で、特に御父さんの落胆はかける言葉もありませんでした。

専門学校を卒業し、社会人となって1年あまり、小学校の時から野球が好きで高校生までやり通しました。

地元の小さな小学校の同級生、20名あまりにも、良く慕われ人気者でスポーツマン、何があったかは知りませんが、突然のことで全く信じられません。

他にも、閉じこもりの子供を持った家庭の話しも、テレビなどではなく、身近に入ってくる話でも、2つや3つの家庭ではありません。

子供が自殺をすると、すぐに苛めの問題が取りざたされますが、そんな範疇で考えられないものが進行しているのではないでしょうか。

我々年配のものは、それなりに生活の変遷を体験しています。
生きると言うことも、希望と言う事も、幸せの意味もある程度心に思い浮かべる事が出来ます。

民主主義の意味も、自由の意味も、その反対のことを思い浮かべられるだけ理解できております。

しかし、生まれて以来、不幸も絶望も不自由も真から体験することなく、身近に見ることなく育った若者が、生きる事をどの様に捕らえているか、彼らにとって希望とは何であるのか、こんな事を思い浮かべるとき、私は暗惨たる思いに駆られます。

我々が育った環境よりも、今の若者の方が人生を考える上に実に厳しい条件の下に育っているのです。

我々は弁当のおかず一つでも喜びを感じ、数少ない玩具を大切にし、社会で働く大工さんや瓦屋さんを見て育ちました。

大人になれば自分も働いて、欲しいものを買うことが出来るようになりたい。都会に行けばどんなことがあるのだろうと、いろいろな希望を持つことが出来ました。

知らず知らずの内に人生の設計図のようなものが出来あがって行ったのです。

我々は、子供達の環境の違いを良く理解しているのでしょうか。
我々と同じ人生観を、幸福感を、希望を子供達が感じることが出来ているのでしょうか。

しかしながら、このように設定しても、問題が解決する訳ではありません。

人類の歴史はいろいろ言われていますが、仮に 300万年と仮定して、今日ほど物質や情報に恵まれ、社会保障の制度も発達し、生きる事の苦しさから開放されてきたのは、たかだか50年であります。

99.999%の時間を、人間は自然の摂理と葛藤して生きて来たのです。
人間は大自然とも戦い、自身が生きる努力をしなければ生きて行けない環境で生活してきました。

そのような概念すら、環境の変化はあっと言うまに稀薄にしてしまっていると言うことです。
ここは心理学の分野となります。
人間が特定の異常な環境におかれたとき、どれほど脆いものなのか、そんなことに興味を惹かれます。

一方で、人類の環の中で述べました、増大する余暇の問題も同時に影響していると思います。

長くなりますので今回はここまでとします。

メンテ
Re: 新しい日本のかたち ( No.4 )
日時: 2009/08/07 07:36
名前: 天の橋立の愚痴人間

若し人三世一切の(もしひとさんぜいっさいの)

仏を了知んと欲しなば(ほとけをしらんとほっしなば)

法界性を感ず応し(ほっかいしょうをかんずべし)

一切唯心造なりと(いっさいゆいしんぞうなりと)

普く衆生を観ずるに(あまねくしゅじょうをかんずるに)

各々仏性具しぬれば(おのおのぶっしょうぐしぬれば)

一念不生に至る時(いちねんふしょうにいたるとき)

忽ち仏性現前し(たちまちぶっしょうげんぜんし)

男女上下の隔てなく(なんにょじょうげのへだてなく)

其儘即ち仏なり。(そのまますなわちほとけなり)

偶々一念迷い初め(たまたまいちねんまよいそめ)

自凡夫となるゆえに(みずからぼんぷとなるゆえに)

三毒五慾の情起り(さんどくごよくのじょうおこり)

殺生偸盗邪淫慾(せっしょうちゅうとうじゃいんよく)

悪口両舌綺語妄語(あっくりょうぜつきごもうご)

瞋り恚ち愚痴我慢(いかりはらだちぐちがまん)

貪り惜しみて嫉み妬み(むさぼりおしみていみねたみ)

憎愛執着誉め譏り(ぞうあいしゅうちゃくほめそしり)

悪業罪を造りては(あくごうざいをつくりては)

地獄や傍生餓鬼となり(じごくやぼうしょうがきとなり)

千生万劫沈淪し(せんしょうまんごうちんりんし)

受る苦患ぞ怖しき。(うくるくげんぞおそろしき)

夫れ人間の身を受けて(それにんげんのみをうけて)

此世に生まれ来る事は(このよにうまれくることは)

爪の上端に置ける土(つめのうわはにおけるつち)

三悪道に堕入りて(さんあくどうにおちいりて)

苦患に沈む輩は(くげんにしずむともがらは)

大地の土のごとくなり。(だいちのつちのごとくなり)

況て尊き仏法の(ましてたうときぶっぽうの)

教えに親しく遭う事は(おしえにしたしくあうことは)

百千劫にも遭いがたし。(ひゃくせんごうにもあいがたし)

斯る時節を失わず(かかるじせつをうしなわず)

必ず出離を求むべし。(かならずしゅつりをもとむべし)

人々賢き智慧あらば(にんにんかしこきちえあらば)

春は万の種を蒔き(はるはよろずのたねをまき)

秋の実登をまつのみか(あきのみのりをまつのみか)

衣服家宅に至るまで(いふくかたくにいたるまで)

遠き覚悟のありながら(とおきかくごのありながら)

今をも知れぬ後の世の(いまをもしれぬのちのよの)

永き冥路を打忘れ(ながきやみじをうちわすれ)

空しく過るぞ愚なり。(むなしくすぐるぞおろかなり)

老若貴賎も諸共に(ろうにゃくきせんももろともに)

無常の風に誘われて(むじょうのかぜにさそわれて)

忽ち此世を終る時(たちまちこのよをおわるとき)

耳も聴えず目も見えず(みみもきこえずめもみえず)

一生作し置く罪過が(いっしょうなしおくつみとがが)

聚り来たって責るゆえ(あつまりきたってせむるゆえ)

臨命終の苦しみは(りんみょうじゅうのくるしみは)

百千万の鋒に(ひゃくせんまんのほこさきに)

突き悩さるるごとくなり。(つきなやまさるるごとくなり)

其時何をか頼むべき(そのときなにをかたのむべき)

田畠数多有とても(でんぱたあまたあるとても)

冥土の用には成らぬもの(めいどのようにはならぬもの)

金銀財宝持つ人も(きんぎんざいほうもつひとも)

携え行くべき道ならず。(たずさえゆくべきみちならず)

妻子眷属有りしとて(さいしけんぞくありしとて)

伴い行事更になし。(ともないゆくことさらになし)

偕老比翼の契ひも(かいろうひよくのかたらひも)

少時浮世の夢にして(しばしうきよのゆめにして)

出入りの息の絶えぬれば(でいりのいきのたえぬれば)

野辺の送りを営みて(のべのおくりをいとなみて)

老も若も仇野の(おいもわかきもあだしのの)

空の煙と消え失て(そらのけむりときえうせて)

朝夕撫し黒髪も(あさゆうなでしくろかみも)

蓬が根の塵となる。(よもぎがもとのちりとなる)

造悪人の最後には(ぞうあくにんのさいごには)

壁も柱も戸障子も(かべもはしらもとしょうじも)

獄卒の姿に見えければ(おにのすがたにみえければ)

始めて何れも後悔し(はじめていずれもこうかいし)

斯かる憂目に有るならば(かかるうきめにあるならば)

後生菩提もねがうべし(ごしょうぼだいもねがうべし)

悪しき心も持つまじに(あしきこころももつまじに)

我が身に悪行するのみか(わがみにあくぎょうするのみか)

人に膽性を傷めさせ(ひとにきもせをいためさせ)

倶に作りし罪過の(ともにつくりしつみとがの)

我が身一つに報い来て(わがみひとつにむくいきて)

己と作りし地獄ゆえ(おのれとつくりしじごくゆえ)

免れ遁るる方ぞなき(まぬがれのがるるかたぞなき)

此の悲しさを誰に告げ(このかなしさをたれにつげ)

又誰をかを恨むべき(またたれをかうらむべき)

思い遣るべし其時の(おもいやるべしそのときの)

苦患の程は幾ばかり(くげんのほどはいかばかり)

因果の道理を辧えて(いんがのどうりをわきまえて)

悪しき心を矯直し(あしきこころをためなおし)

後世の大事を覚悟して(ごせのだいじをかくごして)

善根功徳に心ざし(ぜんこんくどくにこころざし)

親に孝行君に忠(おやにこうこうきみにちゅう)

兄弟夫婦睦じく(きょうだいふうふむつまじく)

親族他人も夫々に(しんぞくたにんもそれぞれに)

長幼尊卑の義を守り(ちょうようそんぴのぎをまもり)

無礼不実のなきように(ぶれいふじつのなきように)

己を捨てて人を立て(おのれをすててひとをたて)

人の善からぬ罪過を(ひとのよからぬつみとがを)

仮令我が身に受るとも(たとえわがみにうくるとも)

人をば罪に落とすまじ(ひとをばつみにおとすまじ)



続く
メンテ
Re: 新しい日本のかたち ( No.5 )
日時: 2009/08/07 07:37
名前: 天の橋立の愚痴人間

飢寒に苦しむものを見ば(きかんにくるしむものをみば)

身の分限に及ぶほど(みのぶんげんにおよぶほど)

施し恵みを致しつつ(ほどこしめぐみをいたしつつ)

鳥類魚類に至るまで(ちょうるいぎょるいにいたるまで)

情けをかけて救うべし(なさけをかけてすくうべし)

尚ぶらくは人間の(たっとぶらくはにんげんの)

受くる形は其侭に(うくるかたちはそのままに)

仏の姿にかわらねば(ほとけのすがたにかわらねば)

心ひとつを改めて(こころひとつをあらためて)

慈悲仁譲になりぬれば(じひじんじょうになりぬれば)

男も女も諸共に(おとこもおんなももろともに)

此の身が即ち仏にて(このみがすなわちほとけにて)

仏が仏を念ずれば(ほとけがほとけをねんずれば)

一聲唱うる?名も(ひとこえとなうるしょうみょうも)

諸仏の浄土に通徹し(しょぶつのじょうどにつうてつし)

無始劫来の罪障も(むしごうらいのざいしょうも)

一時に消失果てぬれば(いちじにきえうせはてぬれば)

尋常仏に近づきて(よのつねほとけにちかづきて)

礼拝恭敬を慇懃に(らいはいくぎょうをいんぎんに)

香花燈燭採りささげ(こうはなともしびとりささげ)

粥飯茶菓等供えつつ(しゅくはんさかとうそなえつつ)

身口意三業清浄に(しんくいさんごうしょうじょうに)

称名念仏経陀羅尼(しょうみょうねんぶつきょうだらに)

坐禅観法修しぬれば(ざぜんかんぽうしゅうしぬれば)

浄土は元より我が身にて(じょうどはもとよりわがみにて)

心が即ち仏なり(こころがすなわちほとけなり)

熟々衆生を観ずるに(つらつらしゅじょうをかんずるに)

生生世世の父母や(しょうじょうせせのちちははや)

六親眷属師長まで(ろくしんけんぞくしちょうまで)

其の恩愛の深き事(そのおんあいのふかきこと)

各々現世に異ならず(おのおのげんせにことならず)

然るに六趣に輪廻して(しかるにろくしゅにりんねして)

種々の苦患に浮き沈む(しゅじゅのくげんにうきしずむ)

其の有様を察するに(そのありさまをさっするに)

身の毛も寒竪ばかりなり(みのけもよだつばかりなり)

皆々悲願を企てて(みなみなひがんをくわだてて)

無明の眠りを覚ましつつ(むみょうのねむりをさましつつ)

行住坐臥に怠らず(ぎょうじゅうざがにおこたらず)

一心勇猛に修業して(いっしんゆうもうにしゅぎょうして)

六衢の衆生の愍念し(ろっくのしゅじょうのみんねんし)

菩提の道に趣かせ(ぼだいのみちにおもむかせ)

本有の衆徳を発露して(ほんうのしゅとくをほつろして)

不報の恩を報ぜんと(ふほうのおんをほうぜんと)

般若の船に掉さして(はんにゃのふねにさおさして)

涅槃の岸に到るべし(ねはんのきしにいたるべし)



禅宗聖典より

メンテ
心の問題 ( No.6 )
日時: 2009/08/07 07:37
名前: 天の橋立の愚痴人間

前回で長い経典を読んでいただいたのは、

「夫れ人間の身を受けて

此世に生まれ来る事は

爪の上端に置ける土」

が言いたい為でありました。

人間が生きると言う事は、大自然の前では、ほんの一瞬、極小な場所の事であります。

その認識の中で、人は生きているのです。
全てを受け入れ、全てを認識しているからこそ、運命を受け入れ観念して精一杯生きられるのです。

科学文明の発達は、お釈迦様が2000年をかけて訴えられていた経典の世界も朧なものに変えてしまいました。

若い人たちだけとは言わず、我々も含んで、我々は希望の可能性を拡大してきました。

それ自身は良いのですが、際限なき希望は希望としての目的ではなくなり、その分、自らの足元を見失っている事になるのではないでしょうか。

人生を掴みきっていない若者が輩出しているのではないでしょうか。
苛めの横行も、多発する信じられないような凶悪事件も、その根幹には生きる事の意味が捕らえきれない人たちの叫びのような気がします。

そうは言いましても、対症療法がある訳ではありません。
また、科学の発展も、経済の発展も、これも人間性、自らの自然の流れ出あります。
それを止めることは出来ませんし、止めて解決できるものでもありません。

直ちに結論に行くことは出来ませんが、このような事もこれから考える大切なことであり、見ようによっては、何にもまして困難な課題であります。
 
メンテ
心の問題 ( No.7 )
日時: 2009/08/07 07:39
名前: 天の橋立の愚痴人間

現代の人の心の問題は、人間自身が人間性を見失っていることからきているものと言っていたことの続きです。

200年以上前、ヨーロッパで民主主義の思想が勃興したころ、人々が考えた自由とは、個性とは、今から思えば随分と謙虚なものであったと思います。

それまで続いたキリスト教の影響からルネッサンスで人間性を取り戻した人々は、折から起こった市民革命などで、政治的にも封建君主から自立できたのです。

その自由は、集会の自由であり、引越しの自由であったり、仕事を選ぶ自由などであったと思います。

また人々の希望は、美味しいものを食べたり、小旅行を楽しんだり、趣味の時間を楽しむことであったと思います。

それらは誠実に働く事で叶えられ、殆どの人がそれを目指し、着々と手に入れることができました。

人々は自分のやるべき事、他人がやっている事を容易に理解してました。
同じような価値観を持っている人達の間では自然とルールも生まれ、皆がそれに習う事は自然でありました。

現代は様相が違うのです。
物質的にすでに豊かな生活の中で昔の人が希望とした殆どの希望はすでに叶えられ、溢れる情報の前に、価値観は多様化し孤独の中で自分の希望を(生きがい)探さねばならなくなっています。単純に家族的連続性の上に自己を認識できないのです。

人類の一部の英知がリードしてきた科学技術の発達に伴う生活環境に心がついて行けていないのです。
荒唐無稽な例えをしますが、

SF映画の宇宙船の中や小惑星で人生を送っている様子を見て、皆さんどの様に思われることでしょう。
殆どの方は、あんな生活よりも現在の地球の生活を望まれると思います。
あの方達は、精神そのものが未来用に変身しているものと思います。

ところが現代の科学は、200年か300年後にはあのような事が現実に起こせるようなスピードで進んでいるのです。

一方で、資本主義経済のシステムも、グローバル化と言って、巨大資本の力は、人間の幸せを基準とするような判断の付け入る余地をなくして進んでいます。

国家も資本をコントロールを出来なくなっていて、逆に資本の論理で動いています。
このように世界は、物質的、精神的な両面で一個の人間の背丈をはるかに越えて流れて行こうとしています。

突然ですが、アーノルドトインビーの文明論の一部を紹介します。

(文明の発生)
ここで、彼はまるでプラトンの洞窟の話しのような仮定をする。巨大な岩山の中腹の岩棚に横になっている人類の状況を、文明発生直前の様態と規定する。彼らが再び岩山を登ろうとするとき文明がスタートしたと言います。

これだけでは、解らないと思います。そこで登場するのが、ミメシス(模倣)と言う行為の内容を説明しております。文明発生以前のミネシスは、時代を遡る方向へ向いていた、つまり、長老などを通して過去の崇拝を主眼としていた。そのミメシスが、時代の先駆者を追うようになったとき、文明はスタートすることになったと言う。要するに社会が前進を始めたと言うことです。ここで最初に文明発生直前の社会が中腹の岩棚にあったと言う事は、文明とは言わない。
(以上)

その後、彼は挑戦と応戦と言う言葉を使い文明の発展を説明しています。
挑戦も応戦も、その時代の文明を襲う、人的災難や自然の災難とそれを切り抜ける人々の様子を言っています。

突然、何でこのような文章を紹介したかと言いますと、数百万年の歴史において人類は常に複数の先駆者(リーダー)がでて、それを人々が追っかけて行くと言う形を繰り返してきた。そして文明を襲う困難(挑戦)とは、他民族の侵略や、大自然の猛威であった。その都度人類は先駆者を頼り彼らを真似ることで行動を起こし文明を維持し発展させてきたと言うことです。

そして現代社会で人類に挑戦してきているものを、先に話した科学技術の発達と巨大資本の猛威とすれば、今、我々の前に先駆者はいるのであろうか。
今回の挑戦は共に人類自身が作り上げた挑戦であることは、今までとは質が異なっているのである。

紙面の関係で今晩はここまでとします。
メンテ

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