Re: 要はlogicの問題 ( No.9 ) |
- 日時: 2018/11/15 11:09
- 名前: 日本貧民党 ID:wO7h.iMs
- 物事に最初と終りがある様に、文章にも起承転結が在るもの。
私の様な者が読んでも理解できる文章を書くのが、開かれた掲示板には必要と愚考します。
自分だけ判る文章を書いても、其れは「独り言」に過ぎません。
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総括・柏市戸籍改ざん事件と匿名掲示板の使い方 その1 ( No.10 ) |
- 日時: 2018/11/15 09:59
- 名前: 遂犯無罪 ID:zCzQpWnQ
- 匿名掲示板の利点は言いたいことが言えるから、これに対して忌憚なき意見・反論がされる、まあ弁証法みたいな意味合いがある匿名掲示板ですが、こうした主張には責任の所在の裏付けがされないのが難であります、相手の秘密の暴露をさせた成功例です。
総括・柏市戸籍改ざん事件と匿名掲示板の使い方 その1 http://suihanmuzai.com/index4/161129.jpg.html
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Re: 「コンクリートから人へ」・・・これは大きな間違いである。 ( No.11 ) |
- 日時: 2018/11/15 20:25
- 名前: transimpex_ochd ID:gYXXovcU
- ???
プライド?
誰にも期待しないと書きました。
それから、、返信ご無用と書きました。
長い間、、人間不信を感じた結果です。
勝手に、、人の文章を解釈したら、、良いのでは?
期待など、、していません。
貴方が、、同じ経験をなさったら、、判る事です。
人と、、深く話し合う気は、、、もうありません。
悪しからず。
ストーカーされている現状を書いているだけです。
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Re: 「コンクリートから人へ」・・・これは大きな間違いである。 ( No.12 ) |
- 日時: 2018/11/15 21:12
- 名前: transimpex_ochd ID:gYXXovcU
- 先程、、住宅保障会社から訳の判らない請求書が来ました。
何がしたいのか 判らない人達です。
創価に入らせる為の色々な手段を受けて来ました。
管理人? 嘘をつく管理人を信用出来ますか?
嫌がらせを住居者を使ってする、差別利権で、、人の生活を破壊する人達を、、信用しろという事は、、無理です。
管理会社からは、、何も連絡も無しで、、急に保障会社から請求書が来たり、、日本社会の普通の遣り方では
理解出来ません(毎月 支払ってます)。
こういう事をするから、、距離を置いているのです。
勝手な想像で、、人を判断するな。
私は、、男ではありません。
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Re: 「コンクリートから人へ」・・・これは大きな間違いである。 ( No.13 ) |
- 日時: 2018/11/15 21:30
- 名前: transimpex_ochd ID:gYXXovcU
- transimpex_ochd(スコットランド・ケール語で8です)で投稿しています。
保証人を立てているのに、、保障会社も入るように言われたのは、、おかしくありませんか?
保障会社は、、保証人を立てていない人が入るものでは?
本当に、、おかしな事ばかり。
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Re: 「コンクリートから人へ」・・・これは大きな間違いである。 ( No.14 ) |
- 日時: 2018/11/16 03:00
- 名前: 日本貧民党 ID:TisjkWPM
- Web上の「掲示板」と言うものは、単なるコメントの貼り付け版では無い!
不特定多数の人間が「掲示板」と言うWeb 空間の上で、意見交換をしたり、討論をしたり、する事が基本と心得る。
上記のようなコミュニケーションを拒否するのであれば、「掲示板」を利用せず、自分専用の「ホームページ」「ブログ」などを開設して、その上で思う存分「持論」を述べれば良い。其れが面白く興味深い物であれば、辛抱強く書き続けて居れば、閲覧者が増えて来る。
私は別途 私の「ブログ」を持って居るが、最近ようやく閲覧者が500を超えた。閲覧者の殆どは見るだけ、所謂「ロムするだけ」であるが、私の書いた文章に興味を持って呉れて居る事は確かだし、持論を述べたり、意見を開陳する事は、ある種の自己顕示欲の発露であるが、其れに反応して呉れる閲覧者が居る事に、幾許かの喜びも得る事が出来る。
transimupex_ochd とか言う投稿者も、他人とのコミュニケーションを拒否するならば、自分のホームページなどで自由に思う存分書けばよい!。 掲示板に投稿すると言う事は、自分が書いた事を他人に見せたいと言う欲望から発する行為である。其れに対する他者からの意見や反論を拒否するなどと言う言辞は、掲示板への“妨害行為・お邪魔虫”である。
更に、敢えて言うが、#11、#12、♯13、等に書かれて居る事柄は、単なるプライベート情報で、社会的普遍性の在るものでは無い! 下らぬ「わたくしごと」を書くなら自分の「ブログ」で書いて貰いたい!
更にもう一つ、>私は男では有りません と書いて居るが、其れが如何したと言うのだ! 掲示板の投稿者に男も女も無い! 皆、一個の「人間」として投稿しているのだよ。
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中国の公共事業 ( No.15 ) |
- 日時: 2018/11/17 17:05
- 名前: 天橋立の愚痴人間 ID:3D5aEK9c
- >中国は全土で巨大な公共事業を行って経済を拡大させ、経済失速を食い止める政策を取ってきました。
一例を挙げると毎年1000キロ以上の高速鉄道を建設していて、在来線を含めると毎年8000キロ建設しています。
JR東日本は7500キロ、フル規格新幹線は1050キロなので、中国は毎年JR東日本を建設しています。
道路や空港も同様のペースで建設されていて、港湾やダム、ビル群などハコ物施設もバンバン建設しています。
>中国のGDP寄与度をみると、国内消費と並んで固定資本の形成が大きな割合を占めており、中国の経済成長において重要な要素となっている。固定資本に占める公的部門の比率は正確には不明であるが、固定資本投資額からは日本の高度経済成長期に準ずるか、それよりやや高いと考えられる。
特に前出の「4兆元(68兆円)投資」は、中国政府が経済危機からの脱却を目的に、GDPの約15%に相当する大規模なインフラ投資を行ったもので、2009年においては4〜5%の寄与があったものと推測される。
そうして中国の公的債務の残高は、4000兆円にものぼると言われている。
>この様な中国経済をして
そもそも公共事業には、「巨大な道路や橋を完成させることにより、その後の経済発展の基盤を作る」という意味と、「建設作業に巨額の資金を投じることにより、建設時点での経済の活性化と雇用の維持を図る」という目的とが存在します。公共事業については、経済発展効果に比べて投下される資金が膨大過ぎて「建設会社にメシを食わせるために事業をやっているのではないか」などと批判されることは、どの国でもある話です。日本でも、例えば、本州四国連絡橋は3つのルートの全てを建設する必要があるのか、といった議論もありましたし、青函トンネルも、新函館北斗まで北海道新幹線が開通したのが去年(2016年)であったことを考えれば、急いで1988年のタイミングで開通させる必要はなかったのではないか、といった議論もなされることがあります。
こういった「公共事業を巡る議論」は、中国に限らず、どの国でもある話ですが、私の感覚では、中国では「野党による政権与党に対する批判」もないし「報道機関による政府批判」もないので、中国の公共事業においては、「完成することによる経済基盤としてのメリット」はあまり重要視されず「建設工事を進めることによる経済の活性化と雇用の創出」を主な目的とするものがかなり多いのではないかという印象を持っています。2009年前半、リーマン・ショック対応の公共事業が始まった頃、私は北京の街で、前年オリンピックのためにきれいに整備された歩道をまた掘り返して透水性舗装に変える工事をやったり、1980年代の私の前回の北京駐在の時に新築されたアパート群を2009年の時点で取り壊してまた作り直す工事をやっているところなどを目の当たりにしたので、特にそういう印象があるのかもしれません。
今、中国政府は、今年(2017年)秋に開かれる中国共産党大会の開催までは、経済の水準を維持して、失業者を大量に発生させるようなことは絶対に避けたいと考えて、経済実態とは関係なく、大量の公共事業を行っているように見えます。経済効果をあまり生まない公共事業は、資金や資源の無駄となるばかりでなく、将来、経済発展に伴う税収増がないのに維持費ばかりかさんで、結果的に国全体の経済の重荷になる可能性をはらんでいます。また、共産党大会が終了したとたんに公共事業をやめてしまう、というようなことになるのだったら、党大会が終わる2017年秋頃から中国経済は急速に減速してしまうことになるでしょう。適切な批判と監視がない状況で進む「公共事業頼みの中国経済」は、問題を抱えたまま肥大化することになります。中国のそうした状況を理解しないで、例えば、2016年半ばから2017年に掛けて、今、中国経済には回復の兆しがあるのだ、と認識するのは危険かもしれません。
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2017/02/post-bce1.html (イヴァン ウィルのブログより)
このような危惧を表明しているのが大半である。
だが、その根拠こそ、市場主義経済の理論を無条件に取り入れた、既成概念に捉われた無責任な意見である。
中国経済の事を言うのに「何時バブルがはじけるか」と言っているが、公共事業による直接的な過度な投資がバブルの原因などではないのである。
>日本は明治維新から1990年ごろまで、巨額公共事業を続けてきました。
集中度という意味でピークは実は第二次対戦中で、国民を強制労働させて戦争という公共事業を行いました。
この結果対戦中は失業率ゼロという好景気で、実は経済としてはかなり良かったのでした。
戦後は高度成長期からバブル期まで公共事業を拡大し、日本は焼け野原から経済大国と呼ばれるようになりました。
30年近い前に起きた我が国のバブル崩壊と公共事業とは直接的に何の関係もないのである。
我が国の公的債務が1300兆円を超え様が、それによって国民経済が疲弊している事にはならないのと同じで、中国の4000兆円の公的債務も中国の国民経済を疲弊させるものではない。
都合が悪いのは、世界の通貨管理を担っているユダ菌などの関係者であるのだ。
各国が自国の通貨を増刷し、自国の経済を支えるようになっては困るのである。
そうした流れの上に立って、紹介したような文章が飛び交っている。
良く読めば、奴等の危惧には何の根拠もないことが解る。
公共事業こそが、国民経済を救うのである。
土建業を中心とした公共事業は、直接の労働力確保以外に、資材、運輸など実に巾の広いすそ野を持った領域であるのである。
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「コンクリートから人へ」への付け 熊本大水害! ( No.16 ) |
- 日時: 2020/07/13 14:14
- 名前: 天橋立の愚痴人間 ID:x4Ic.eRY
- 熊本県南部などを襲った豪雨。氾濫した球磨(くま)川は、「日本三大急流」として知られ、過去にも水害に見舞われたことから「暴れ川」の異名も持つ。流域の治水対策をめぐっては、昭和40年まで3年連続で起きた水害を機に治水ダム計画が進んだが、地元の反対を受けて中止された。その後、国や流域自治体、地元住民で治水対策を協議し続けてきたが、抜本策が打ち出せないまま今回、想定を上回る甚大な豪雨被害が起きた。
球磨川は熊本県水上村の源流から人吉盆地、八代平野を経て八代海に注ぐ全長115キロの1級河川。流域の年間平均雨量は全国平均の約1・6倍の2800ミリで、本流と支流の合流点にあたる人吉市中心部や球磨村渡地区は、洪水の危険性が以前から指摘されていた。
熊本大の大本照憲教授(河川工学)は、今回は本流と支流双方が同時に増水し、異常出水につながったと分析。「人吉市街地では急速に水が流れ込み、避難できないほどの流速だった可能性がある」とする。
だが、流域での治水対策は進んではこなかった。国土交通省によると、球磨川流域では40年7月に大規模な水害が発生。翌41年、国は球磨川支流の川辺川に治水を目的としたダムの計画を発表した。
しかし、地元の反対などで事業は進まず平成20年、蒲島郁夫知事が計画反対を表明。翌年、民主党政権が計画を中止した。その後、国や県、流域自治体が堤防かさ上げや川底の掘削などの治水策を協議してきたが、議論はまとまらず、ダム計画も廃止されていない。
「ダムによらない治水を目指してきたが、費用が多額でできなかった。非常に悔やまれる」。蒲島知事は5日、報道陣の質問にこう述べた。国交省九州地方整備局は球磨川の国管理流域だけでも11カ所で氾濫、人吉市中神町で堤防1カ所が決壊しているのを確認している。
大本教授は「ダム以外にも田畑など『安全弁』となる氾濫地帯をつくるなど、人的被害を最小化するため流域全体での治水対策を早急にとる必要があった」と指摘している。
>「ダムによらない治水」
「ダムによらない治水」の具体的な策としては、(1)遊水池、(2)放水路、(3)引堤(堤防を川の両側に広げること)、(4)堤防嵩上などの方法がある。
ただし、7月11日放送の朝日放送「正義のミカタ」に出演した藤井聡・京大教授によれば、それらのコスト、工期は、(1)遊水池(1兆2000億円、110年)、(2)放水路(8200億円、45年)、(3)引堤(8100億円、200年)、(4)堤防嵩上(2800億円、95年)ということだ。
「ダムによらない治水」の方法は、あるにはあるが、いずれもコストパフォーマンスではダムの代替にはなり得ない。大規模な住民立ち退きや別の環境問題も発生得るので、日本の急勾配の河川では多くの場合、上流の一ヵ所にダムをつくるほうがはるかにいいのは明らかだ。
(引用終わり)
民主党政権は、ダムばかりではなく、すべての公共事業(建設事業)を縮小しようと「コンクリートから人へ」などと無責任な政策を標榜し日本の経済を衰退させた。 経済だけでなく、今回の様に自然災害引き起こし、国民の安全を脅かした。
>公共事業は経済効果がないと、下の記事を言うバカがいる。 バカと言うよりも、GDPさえ上がれば問題ないとする、新自由主義経済論者の放言である。
原田泰(早稲田大学政治経済学部教授) 日本のGDPは公共投資が減っても増加している
建設工事費が上昇しているということは、私が考えていた以上に効果が小さくなっているということだ。では、なぜ私は公共事業の効果が小さいと述べてきたのか。その理由は以下のとおりである。
まず第一に、公共事業をするとは、建設国債を出して建設投資をするということだから、それをしない場合より金利が上がって、民間の投資を押しのけてしまうからである。これはクラウディング・アウトといわれるものである。
第二に、金利が上がれば資本が流入して円高になる。円が上がれば輸出が減少して、公共事業の刺激効果を減殺するからである。これはマンデル=フレミング・モデルといわれるものの結果である。なお、クラウディング・アウト、マンデル=フレミング・モデルの意味するところは、「公共投資で景気を刺激したいのなら、同時に金融を緩和しなければ効果はない、もしくは減殺される」ということである。
第三に、効果の小さい公共事業をすればそれだけ将来は貧しくなるということだから、消費が減る。東日本大震災の復興工事で巨大な防潮堤や高台の団地を造成しているが、そこに住む人はいないという状況が生まれるだろう。いくら災害から守っても、守られるべき人がいなければ無駄な投資ということになる。
第四に、国の借金が増えれば将来には増税が必要になるわけだから、そのためにいま貯蓄して将来の増税に備えるので消費が減る。この説明に対して多くの読者は、そんなことは非現実的だと思われるだろうが、年金や高齢になったときの医療費、介護費などについて考えれば、それほど非現実的でもない。国の借金が巨額になれば、国家は将来の社会保障支出を賄えないので、自分で準備するしかない、すなわち、貯蓄するしかないと思っている方は多いだろう。
第五は、すでに述べた公共事業が民間の建設投資を押し出してしまう効果である。建設クラウディング・アウトと呼ぶことにしよう。日本には、東日本復興、福島原発事故の処理、東京オリンピックという、しなければならない建設工事がある。被災地域の生活を取り戻すためには、住宅と漁港や水産加工所などの再建が何よりも必要だ。福島原発から放射能が漏れないようにするためには、地下水が流れ込まないように周りを遮水壁で囲まなければならない。核燃料を取り除くためには巨大なクレーンをつくらなければならない。東京オリンピックのためには斬新なデザインの新国立競技場、その他の会場、交通インフラの追加的な建設をしなければならない。要するに、巨大な建設事業をしなければならない。
(引用終わり)
>公共事業とケインズの経済学
ケインズは、赤字国債を発行して金融機関や国民に買ってもらい、そのお金で公共事業を増やして雇用を生み出そうと考えました。赤字国債は借金ですから、いずれ返さなければなりませんが、公共事業で景気がよくなれば消費が増え税収も増える。そして財政支出したお金が国に戻ってくる。そのお金で借金を返せば、一時的に赤字は出るけれども回りまわってやがて赤字が解消され財政は均衡するんだ、というのがケインズの考え方です。
(引用終わり)
>ケインズを批判する勢力
第一に、ケインズ政策にはインフレーションという副作用があった。 一般に、好景気の時は需要圧力が大きく、物価は上昇傾向を持つ。一方、不景気のときにはデフレギャップが発生し物価は下落傾向を持つ。しかし、もし、不景気のときに経済に有効需要を注入す れば、下がるべき物価が下がらなくなる。つまり、不況期の有効需要創出政策は経済をインフレ体質にしてしまうのだ。
一般に、インフレと失業はトレードオフ関係にあるといわれる。つまり、インフレという病気と失業という病気の両方ともを一度に は治療できない関係にある。もし、インフレと失業のどちらか一方しか選べないとしたら、人々はどちらを選択するだろうか。 もちろん人々はインフレを選択する。経験してみれば分かるが、人生にとって失業ほど残酷なものはない。だから、人々は多少のインフレは我慢してでも、何とか不景気にだけはならないで欲しいと願う。資本主義にとってインフレは失業を回避するための必要悪である。かくして、ケインズ政策を採る資本主義国は例外なくインフレ体質に陥るのである。
ケインズ政策の第二の副作用は財政赤字という問題である。不況期に国債を発行し、借金をして公共事業をする。借金は返さなければならない。いつ返すか?当然、景気がよくなったときである。 しかし、景気がよくなって本当に不景気の時にした借金が返せるのか?
答えはノーである。好景気による自然増収だけでは足りない。返済のためには増税が必要だ。しかし、国民は減税には賛成しても増税には反対する。増税を公約に掲げる立候補者は選挙で勝てないのだ。 かくして、不景気のときに借金を重ね、景気がよくなっても返さない。その繰り返しが40年以上も続けられてきたのである。特にバブルが崩壊した1991年以降、借金総額は雪だるま式にふくらんでいった。
(引用終わり)
ケインズを批判しているのが、新自由自由主義の輩。 我が国も1000兆円の債務を抱えながら、日常の経済運営に何の支障があると言うのだ。
要するに通貨発行権を含めて経済を考えるならば、新自由主義者の批判は当たらないのである。 弱肉強食を推進し、GDPの増加だけを是とする新自由主義は世界中の多くの人々の生活を破綻させている。 経済の指標のみを追い求める新自由主義経済論など、今や不適切なものであり、乗り越えなければならない。
ケインズも、新自由主義論者触れていないが、現代の経済の最大課題は経済的格差の問題、雇用の問題である。
第一次産業の保護育成、公共事業により万遍なく地方に雇用を生み出す政策。 それが求められているのだ。
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Re: 「コンクリートから人へ」・・・これは大きな間違いである。 ( No.17 ) |
- 日時: 2020/07/19 10:19
- 名前: ooeyama ID:mPITWaf2
- >ダムに依らない治水
過って中近東のIS支配地にテロ活動が頻発したとき、危険だから旅行をしないでとの政府要請を無視した若者が、ISのテロ組織に捕らえられ殺された、然し世論で巻き起こった声は、拉致被害者の政府の責任で救出せよ、など擁護する声は皆無。危険地帯へ出かけた無謀な行為の非難と、若者への「自己責任論」の大合唱だった。世論に渦巻く非難論調に、事故歴ゼロ、災害や被災経験ゼロ、避難所暮らしゼロの、災害に安心な土地に住むooeyamaも同調した覚えがある。
上記のたとえと対比するのは適正でないが、毎年繰り返される自然災害と被災した住民たち、しかし危険な土地に家を建て棲む彼らに、若者と同様な自己責任の非難は聞かれない。逆に支援の遅れや被災家庭の生活再建へ、公的な支援をの声だけが木魂する、そして民主党政権の「コンクリートから人へ」の政策に和するごとく、ダム建設を中止した県知事への的外れな責任論も、、
100年に一度の洪水? 10年に一度の大雨? もう聞き飽きたフレーズだ、毎年繰り返し聞かされれば驚きもしない。命の危機です避難してください、と防災マイクで呼びかけても、危機意識の欠落した住民は動じない、気候変動が常態化し災害多発の今、車増加に道路の建設で応え車公害を膿んだ如く、年々激甚さを増す家屋と人的な被害を、防災対策に土建業だけ潤す公共事業のイタチゴッコは愚か、
今、政府がなすべき恒久的かつ効果的な対策は、母なる地球の自然環境を破壊し、建設に保守点検に膨大な公費を投じる、治水ダムや砂防ダムの建設ではない、泥縄の護岸工事も河川の浚渫工事も血税の無駄、各地方自治体が作成したハザードマップ内の住民を「自己責任論」で立ち退かせることだ、さすれば毎年何兆円もの災害対策費は無くて済む。未来に生きる子供たちに巨額な負債を残すは罪悪と言えよう。
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Re: 「コンクリートから人へ」・・・これは大きな間違いである。 ( No.18 ) |
- 日時: 2020/07/24 17:56
- 名前: 天橋立の愚痴人間 ID:nMbh/ObM
- ooeyamaさんに対する反論と言うか、別の意見
民主主義が謳歌している現代で、自己責任論を言われることは、ある意味尊重します。
ただし、具体的な意味で災害を受けないために、環境を変える(転居する)と言うくだりには全て賛成と言う訳にはいかない。
なぜかと言えば、古代の文明は、ほとんど大河周辺で栄えてきた。
大河周辺と言うのは、それなりに人類に意味があること。人類に利益を与えてきた環境である。
中国の三峡ダムの決壊で、流域の1憶人を超す住民に被害がでると予想されている。
文明の発達した現在、それを防ぐこと、被害を緩和することが出来る。
その為の巨悪の財政投資を問題とされているが、
>未来に生きる子供たちに巨額な負債を残すは罪悪と言えよう。
私は、この事にも、疑問を呈する。
三峡ダムの建設にも大変な費用を伴ったが、それで中国経済が立ち行かなったことはない。
日本の場合でも、毎年、行われる公共事業の経費も、赤字国債が積みあがることで財政のバランスが取られ、そのために国家が行き詰まった形跡はない。
要するに赤字国債などいくら発行しても良いのである。
ならば、公共事業が増えても
>未来に生きる子供たちに巨額な負債を残すは罪悪と言えよう。
にはならないはず。
我々は、日銀の貸借対照表の束縛に捉われすぎているのです。
国家財政の理念を変えれば
>「コンクリートから人へ」・・・これは大きな間違いである。
これが成立する。
最近はMMTなどと言う考えが金融界に飛び出してきた。
赤字国債の発行限度は、いくらでもよいと言う考え、
みかたを変えれば、1000兆円の借金は、今後いくら増えても返す必要はないと言うこと。
で、あるならば、
全ての見方が変わってくる。
>「コンクリートから人へ」・・・これは大きな間違いである。
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