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[529] 1000兆円の借金について<マクロ経済論>
日時: 2010/03/11 00:41
名前: 天橋立の愚痴人間

ヤフー掲示板より。
「21世紀の世界」トピックスで、最近興味のある意見交換をやっています。
私には、今一つ理解できない部分があります。
当サイトでも、財政の問題について同じような発想を持っておられる方がいます。
ご意見を御聞かせください。


http://profiles.yahoo.co.jp/junkangatashakai

2)内需拡大政策:国の資産を増やすような事業を国が行って、その支払いは通貨の印刷で賄う。この方法は内需拡大で景気をよくし、且つ将来に国の債務を残さないことを意味する。

国民の資産を増やすような事業を国が行って、需要を拡大する方法は、少なくともその需要分の景気浮揚効果がある。

その資金調達の方法が、国債発行に拠るのか、印刷に拠るのかによってその効果が変わるかだが、変わらないと言うのが正しいだろう。何故ならどちらの場合も通貨の増大量は同じだからだ。(貸借関係から生まれた通貨か、単に印刷して生まれた通貨かの違いはあるが、通貨の増大量は同一)

確かに通貨増大が国の借金となっているか、なっていないかの違いはあるが、もし国の借金になっていないことに意味があるのなら、買いオペをすれば実質的に同じこととなる。ところが既に述べたように、現状の日本では、買いオペは経済浮揚効果をほとんど持っていない。

国債は現状で買い手が付いているし、更には国の借金なら民間に金利分が流れる。そこにはいくらかの景気浮揚効果も期待できる。

私にはここまで、通貨の印刷による景気浮揚の道筋は見えて来ていません。もしシリウスさんが、景気浮揚効果が期待できる具体的道筋のアイデアがあるのなら、ぜひ教えてください。


以上全文転載。
メンテ

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経済学の勧め <基礎を振り返る 5 ( No.99 )
日時: 2010/07/21 15:51
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:vSacdtyM

http://www.ne.jp/asahi/british/pub/econ/neoclassic.html

「新古典派経済学」

現在米英で主流派といわれる考え方。この学派はその根源をアダムスミスにまでさかのぼることができる。競争によるパレート最適、およびそれに付随するウェルフェアマキシマムを強調する。市場原理に基づいた競争が、諸要素の適正配分を促し、かつ技術の発展をもたらすというもの。現在の世界銀行及びIMFもおおよそこの考え方に乗っている。イギリスではこの考え方が、サッチャリズム=新保守主義のもとでの規制撤廃・民営化をバックアップした。

開発経済にあてはめた場合、途上国の政府はその介入範囲の狭小化を迫られることになる。つまり、国家的支援や国営企業、地場産業育成のための各種補助金などを切り捨て、自由競争・自由市場をモットーとする「小さな政府」となることが要請されるのである。もちろん国際経済の中にあっては、輸出・輸入ともに開かれたものとなる。経済的側面において政府に与えられた役割は、Market Failure、いわゆる「市場機能の欠落」部分に関しての修正のみである。市場機能が欠落する分野というのは、教育・福祉などの公共財や、市場原理を取りこめない自然独占状態についてである。(独占という状態は基本的に許されないが。)また、市場原理が望ましくない結果をもたらす場合(下記郵政行為を参照)や市場原理とは関係のない外部要因(環境汚染など)について管理・規制することが認められるのみである。

ここで想定される開発経路は、外資企業による直接海外投資によってである。安い労働力はそのまま比較優位となって、外資企業を誘致する。直接海外投資は資金のみならず、技術やR&D施設、ノウハウなども包括するので、これにしたがって開発がすすむ。ただし、これは企業行為の現地化が必要事項となる。現地経済と切り離された外資企業の経済活動は、ローカル企業に技術の移転を及ぼさず、現地経済を刺激することもないからである。
この考え方を、わかりやすく説明すると下のようになる。

八百屋の主人のぼやき

「まいったね、向かいのスーパーが安売りを始めたってさ。客がとられちゃたまらん。こっちも安売り始めなきゃ。ますます利益がさがっちまう*1。こりゃ経営を見なおして、ムダを省いて*2、新たに仕入先を見つけなきゃいかんな。新たなサービスも始めるか…。こうも競争が激しいと、いつつぶれるかわからんしな*3。隣町の魚屋はスーパーに負けて店をたたんじまったっていうし。」

おばさんのつぶやき

「スーパーが安売りを始めたおかげで、八百屋さんのお野菜も安くなったわ。やっぱり競争がないとダメなのよね。八百屋さんも新鮮なものをそろえるようになったし、種類も増えたわ。もし、郵便局が民営化されたら、宅急便と競争するようになって、郵便料金も安くなるのかしら*4」

先進国企業の戦略

「まいったな〜。この国では最近、パートですらも高い給料あげなくちゃいけないから、人件費が高くついちまう。このさい、どっか給料安くすむところに工場を移すか。*5」

途上国の政府の希望

「どっかおかね持ってる外国の企業さんがうちの国に来てくれないかな。そしたら、うちの国民働かせて給料がっぽりもらうのに。ついでに機械の扱い方とか教えてくれたらいいな。だって、うちの国民まだそういうの慣れてないし。もしそれで教育してくれたら、今度はもっと高い給料もらえるようになって、また別の企業が“安くて質のいい労働力”を求めてこの国に入ってくるに違いない。*6」

*1 市場競争は売主の不当搾取を不可能にする。つまり、価格競争があるところでは下手に高い値段をつけるとほされてしまうのだ。
*2 市場競争は、恒久的に技術革新を要請する。経営の合理化と新規戦略の提案は競争力を維持するための基本的要素である。
*3 市場競争においては、つねに破産および赤字のリスクが伴う。これと対照的なのが国営企業である。例えば、林野庁の膨れ上がった赤字は有名であろう。このように赤字のリスクが破産に直結しないところでは、放漫な経営になりがちである。
*4 一時期話題になったのが郵政省の民営化である。ここでのポイントは、郵政省が黒字運営であること。および、離島・山岳奥地地帯への配達義務である。まず、黒字運営の状態ならば当面民営化の緊急性は薄い。ほとんどの場合、民営化はその放漫経営が問題化されてから議題にあがる。次に、経済的視点からすると離島・山岳奥地地帯への配達は理に適うものではない。50円のハガキ一枚のために郵便ボートを走らせたり、山奥に入っていくのは大幅な赤字原因となる。現在郵便行為が国営に限られているのも大きくはその理由による。
*5   比較優位とは、もともとリカルドが考えたもの。経済をやった人なら一度はワインと布の話を聞いたことがあると思う。
*6   政府の役割は制限的なものになるので、ここでの政府は全部希望を愚痴るだけということになる。積極的な外資企業誘致は、政府の恣意的価値観が介入するので好ましくないとされる。

続く
メンテ
経済学の勧め <基礎を振り返る 6 ( No.100 )
日時: 2010/07/21 15:54
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:vSacdtyM

http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=18452
「るいネット」
スミスの批判する重商主義とは、つまり富とは貨幣であるという考え方です。そして、当時、外貨(金銀)をいかに獲得するかが重要な国家のテーマであったわけです。スミスは、国富の基盤をこうした貨幣という不確かなものに据えることを批判したかったわけです。そして、確かな富とは、土地に根ざした労働生産物であるべきだと考えたのでした。土地を所有するということは、その土地に責任を持つことを意味します。そして、そこから貴族に特有の徳、すなわち、勇気、知恵、深慮、寛容が成立していたのでした。つまり、スミスが求めたものは、市場経済の確かな基礎であったのです。

 さらに、スミスは、人はもっとも確実で安全なところにまず投資し、その順序は、農業、製造業、そして最後に外国貿易の順序になると述べています。つまり、これが自由な経済活動の帰結であり、要は、スミスは、国内経済を重視するがゆえに重商主義を批判したわけです。ここで、「神の見えざる手」のくだりについて考えてみると、つまり、スミスは、自由にすれば当然国内に投資をするだろうということを述べたかったのではないかという帰結に至るわけです。スミスにとって、貿易とは、余剰生産物の交換にすぎなかったのです。

 アダムスミスの述べた「神の見えざる手」が、当時の時代背景や思想的背景を無視して、現代において一人歩きをしているという点です。当時スミスがもっとも言いたかったのは、地に足のついた経済基盤によるべきだという点です。しかし、現代の市場は、株式市場を始めとして、ますます投機的な要素が増大し、人々の感情によって大きく変動するものとなっており、正にスミスがもっとも批判したかったものそのものとなっているわけです。現代においてスミスがいたら、まさかこんな市場に経済をゆだねるべきだとは絶対に言わないでしょう。
 近年のアメリカの好景気は、金融業やIT産業に対する過剰な期待によって支えられています。いずれの産業も不確実な要素の大きい産業です。また、経済活動においては、市場のおける自由競争の原理が強調されており、そのとき引き合いに出されるのがアダムスミスの「神の見えざる手」です。実は、不確実なものを経済の基盤に置くことを批判していたアダムスミスのの言葉が、彼の批判した経済活動のありかたを助長するための引き合いに出されているということになります。
 
 日本ではアメリカの成功(?)にならい、アメリカの後を追う形で、IT産業に活路を見出そうとしています。その期待は過剰ともいえます。また、日本では90年代に起きたバブル経済の崩壊の教訓を生かせと言われています。しかし、IT産業によせる人々の過剰な期待は、まさにあれだけ痛い目を見たバブルの再来を期待しているようにみえます。

 このような状況をみれば、アダムスミスは、おそらく「もっと地に足をつけた経済活動をしなさい。」と批判するに違いありません。

(引用終わり)

これは先に紹介した、佐伯啓思 「アダムスミスの誤算−幻想のグローバル資本主義(上)」 に関連する記事である。

言われているように、スミスが考えた重商主義批判というのは、当時の経済活動が帰結として国家の富の増加に重きが置かれているのに対して、万民による万民のための経済活動の開放を目指したものである。

それも確かな「富」とは土地に根ざした労働生産物であるべきだと言ったように、経済活動を人間社会がそれまでやってきたように始原的な「需要」と「供給」を想定していた。
勿論、それは科学技術の進歩による生産性、運搬手段の発達により、想定外の現象が生まれることは予想できなかったことは認めなければならない。

その矛盾を突いてと言うか、補って展開したのが「新古典派経済学」ぼ流れである。
しかしながら、もともと曖昧な認識である「見えざる神の手」の部分については何の検証もしてないところに「新古典派経済学」の末裔の身勝手さがある。

結果、アダムスミスが目指した経済活動の主役を国家(少数の支配者)から一般の民衆に移そうとした本来の意義をないがしろにして、経済の主役を巨大資本にすり替えたのである。
アダムスミスの頃は、自由と思われる国民の経済活動の成果が行き着くところ国家(支配者)へ集まっていた。

現在は同じように一般民衆は、それ(資本主義)を信じて経済活動に勤しんでいるが、その富の多くは、結局一部の資本家へ集まっている。
これは社会科学としての近代経済学の大きな瑕疵である。

続く
メンテ
経済学の勧め <基礎を振り返る 7 ( No.101 )
日時: 2010/07/21 15:58
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:vSacdtyM

ところで、先に紹介した広島大学助教授は下記のように言われている。
http://homepage3.nifty.com/tkubota/kotenha01.htm

「マクロ経済学の発生」

 国民所得決定の理論はマクロ経済学の中心問題である。1930年代には大不況の時代があった。映画「モダンタイムズ」などでその頃のムードを知ることができる。マクロ経済学はそのような状況を背景に生まれてきた。

 1936年に出版されたケインズの『一般理論』がその契機となった(Keynes, J.M., The General Theory of Employment, Interest and Money, Macmillan, 1936)。第2次世界大戦後、ケインズ経済学が学界で一般に広く普及した。1950年代、60年代は、ケインズ経済学の時代であった。

 その後、1970年代に新古典派経済学が支配的になって、状況は変化した。この2つの学派で失業問題に関する意見の相違がある。

 失業を3種類に分業しよう。自発的失業、摩擦的失業、非自発的失業の3つである。自発的失業とは賃金が低いから、それで働かないという失業である。そのような失業は別に問題ではない。摩擦的失業とはリクルートのための失業である。これは転職する先が十分にあるのなら問題にする必要がない。政治的に問題になるのは非自発的失業である、すなわち現行の賃金で働きたいと思っているのに職が無くて失業している状態をさす。

 非自発的失業が存在するのならば、政治的に対応が必要である。新古典派経済学は非自発的失業の存在を認めない。現在は、1990年代の不況で、ケインズ経済学が少し見直されつつある。マクロ経済学の教科書では、短期にはケインズ経済学、長期では新古典派があてはまると整理しているものが多い。この講義では、この2つの立場の両方を説明する。

 景気の変動はかなり古くから知られていた。そのような景気変動の説明として、貨幣の不足説がある。つまり、貨幣が少ないから不景気で、貨幣を増やせば景気が良くなるとい
う説である。経済学はそのような説を否定するところから始まった。

 ケインズ経済学が批判の対象とした理論を古典派の経済学という(経済学史の用語法から言えば、これも新古典派経済学である。マクロ経済学では、新古典派という場合、ケインズ以後の精緻化されたものだけを指すことが多い)。


(引用終わり)

満天下さんが指摘された下記の言葉につながって行く。

>・・・記憶に残っている部分だけで申せば、後に東大総長になられた大河内一男さんが打ち立てられた社会政策経済学などは、経済の社会関係に重点を置かれ、この系統に入る大学では東大、京大、九大・・・資本主義の前提に立って限界効用説から景気循環の分析に重点を置いたところでは、一ツ橋、阪大などでした・・・

「社会政策経済学」と言う言葉に興味を引くし、ぜひ内容を知りたいものである。


最後に、

以上長々と説明しましたが、問題の「為替」の概念にも、同じように始原的な為替の概念と、新自由主義的に使われる為替の概念があり、少なくとも、現在我々が抱いている為替の概念に、そのまま拘る必要はないのではないでしょうか。


この項終わり。

もし全部読まれたら、
誠に、誠に、御長読ありがとうございました。
メンテ
「神の見えざる手」の問題 ( No.102 )
日時: 2010/07/21 16:37
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:vSacdtyM

近代経済学は「神の見えざる手」について何の言及もしていない。
アダムスミスの頃の「神の手」は、それでも万民がかすかに意識できるものであった。

経済学においては、その「神の見えざる手」が最大のテーマであらねばならぬはずである。
それを、スミスが、その言葉で逃げたのを幸いに、以降すっと解明から逃げている。

一方で世界の国家は自らを、民主主義国家であると定義し、福祉国家と自称してはばからない。
経済における「神の手」は、その言葉通り世界の国家の上に君臨し、ひたすら巨大資本に使える僕を増やしている。

国家は、その後始末をするのに大わらわの状態である。
それも、神ならぬモンスターの手にかかれば国家の矜持も限界を示している。

およそ人間の手に成るもの、科学でさえもタブーを合わせもっている。
すなわち「人間のコピー」であり
「細菌兵器」の開発である。
倫理、道徳には刑法がある。

経済の世界で「神の見えざる手」は何故放置されているのであろう。
現世の信者達が、独占禁止法などの防御手段を講じることはあっても、教父である経済学者には何の呵責の念もない。

現代経済学者の卑劣さは、カルト教団の首謀者と同類である。
厳しく経済界の怠慢を問う。
メンテ
Re:経済学の勧め・中間差入れ・・・ ( No.103 )
日時: 2010/07/22 07:59
名前: 満天下有人 ID:zmQjlWTg

・・・アダムスミスに始まる古典派経済、そこから色んな学派が分化して来たわけですが、一国の富は領主や王が創り出すものではなく、当時の中世から近世への転換期における生産関係上、富は農地や資本設備に投下された労働の生産物であると規定、これがマルクスの、より精緻な労働価値論を生むことになる・・・

一方、生産物の、そしてそれによって創出される富の分配、これもマルクスが剰余価値概念の構築によって、資本的生産様式では付加価値分配を歪める本質的な欠陥があるとし、同時に商品という形態を通じて価値が実現されるとき、その価値はどのような方法で決められるのか、つまり価格は何によって決まるのか、そこを重点とする学派が供給と需要の関係、それも人間の満足度による効用によって決まるとする、限界効用学派が分岐して来る・・・

・・・限界効用学派の需給論は、ある意味、人間が本来的に持つ意志の選択、それは時々に変化するものであるから、その意味でスミスの「神の見えざる手」の概念に通じるものがあります・・・

人間を制御することは不可能である、故に放置しておけ、自由にさせておけ、その行為が社会秩序を壊すなら法によって処罰するしかない、衆愚というものはさような存在であるからという、現代版思想の大御所がハイエクですね・・・

・・・古典経済は、この二つの大きな学派に分化されて来たわけですが、逆に言うとスミスの国富論は、二つの大きな命題を含んでいたと言えます・・・

・・・人間が生存に必要とする財、それは商品なる形態によって供給されるから必然的に「貨幣」の需要を発生させる・・・これはマルクスが価値概念で、価値➝使用価値➝交換価値の概念で論理的に証明しているところですが、同時に、この融通無碍なる「商品としての貨幣」が将来、どのような暴れ方をするのかも資本論の中の貨幣論で予測もしておりました・・・現実はまさにそのようになってしまいました・・・貨幣もまた「商品として」利益を生む手段の側面が強く働き出しました・・・

・・・限界効用学派は、限界効用分析に注力する余り、そこまで分析しておりませんでしたが、しかしその延長線上で貨幣が経済を活性化させるという新理論が出てきました・・・所謂マネタリズムです、マルクスによる貨幣暴走論の予言が的中した形です・・・

・・・ご紹介の佐伯啓思はまたこのようにも言っていますね・・・経済は生存と生活の安定を確保するための組織立った活動ではなく、諸個人の能力を試すゲームになってしまった・・・

これはハイエク的新自由主義への批判であり、能力を試すゲームとは、金融市場における能力であり、まさにマルクスが予言した貨幣の暴走の実現の場が、限界効用学派を胎盤として生まれてきたマネタリズムによって実現されている・・・それが現代における経済の光景であろうと思うのです・・・

・・・混乱の中に調和が生まれて来る、そう言った先哲の名は忘れましたが、ここまで来ると、混乱は調和を生むのでなく滅亡を生むのではないかと・・・

それを誰も止めることが出来ない、なぜか、人間がそうしてしまっているから・・・神の見えざる手というより、人間の「見えざる愚」という方が、適格かも知れません・・・。
メンテ
Re 経済学の勧め・中間差入れ ( No.104 )
日時: 2010/07/22 09:03
名前: 天橋立の愚痴人間

満天下さん、おはようございます。
今日は、これでも久しぶりに早くからPCの前に座っています。

差し入れの内容、さすがに知識を良く咀嚼された解りやすい文章です。
マルクスのことも省略しましたが、初期の資本主義の理念構想に意外と貢献しているのですね。
これは大発見でした。


>それを誰も止めることが出来ない、なぜか、人間がそうしてしまっているから・・・神の見えざる手というより、人間の「見えざる愚」という方が、適格かも知れません・・・。

これが満天下さん「当代世間裏算用」スレッドの冒頭で指摘されている「経済学の怠慢」なのですね。

開放された利己心の行く末が、このようになることは解りきったこと、だから現代においてはマルクスでなくとも、誰でも予想できます。
結局のところ人類は、経済の面において1万年前の弱肉強食の時代へ逆戻りしてしまったと言うことでしょう。
まあ、人類は本質的に変わらないともいえるでしょうが。

軍事産業のためには、9.11テロや、イラク、アフガン戦争を引き起こすなどは、さらに悪辣になっているとも言えます。

西欧文明第三期と言うものは、ここ200年くらい、民主主義と資本主義の両輪により展開されてきました。
昔の、王権国家、宗教国家の形態が良いとは勿論思いませんが、このままでも良いとも思いません。
大変困難な命題ですが、何かが必要ですね。

これからは「神」のせいにしないで、人間が人間自身と対峙する必要があります。経済学と言えども。


>・・・混乱の中に調和が生まれて来る、そう言った先哲の名は忘れましたが、ここまで来ると、混乱は調和を生むのでなく滅亡を生むのではないかと・・・

その哲学者、誰か知りませんが、それは哲学ではなく、論理学、分類学の範疇ですね。

西欧個人主義というものがなかなか理解しづらかったのですが、それ故、日本人も見につけるべき良いものと思っていたのですが、最近は完全にクエッションマークをつけるに至りました。

人生における「個」の主張、なるほど魅力的な言葉でありますが、生か死かの問題、価値観の問題、情緒的な問題、物質的格差の問題の中で生きる人々全てに健全な「個」を主張させようとしても無理と言うものです。

前にも言いましたように、キリスト教圏の、悩みは神との対話で処理しましょうと言うのも現代では最早通用しません。

人間はやはりある程度は「公(共)」の意識に助けられねば人間性を維持できない人も相当いることを自覚すべきでしょう。

その方法も、経済学で言う「神の手」のごとく難解な問題のようです。
何となれば、西欧哲学者が何千年かけても、結局は誰一人現代の人類を救うことが出来ないことで証明されています。

この情報社会に生きる現代人の多くは、プラトン、スピノザ、デカルト、カント、ニーチェ、サルトルの論理を身につけていると思います。
ただ巧緻な表現力を持たないだけです。

今後のことを考えるとため息ですね。
最も、若い人たちに言わせれは、天が落ちてくることを憂いているようなものと言われるでしょうが。
メンテ
最早日本は平成恐慌と言える<菊地英博 ( No.105 )
日時: 2010/08/08 22:05
名前: 天橋立の愚痴人間 メールを送信する

以下菊池氏の文章を紹介します。

最後に「日本復活5ヵ年計画」を示されしいるところは評価したい。
だが、具体的な施策は抽象的であるし「昭和の恐慌」から反省点を求められているようだが、因果関係は想定できても、それでは本当の改革着手点は不明のままである。
それは論理が純粋経済学の範疇にあるからであると推測する。
であるので、さらに大きな側面からの取り組みが必要と思われるが、それがこのスレッドの課題である。

http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/files/kikuchi2009may.pdf

「内需創出国債」100兆円を発行せよ
もはや平成恐慌。泥沼から脱出する唯一の方策は?

菊地英博 (日本金融財政研究所所長)


 日本は既に「経済恐慌」に陥っている。輸出の激減と円高によって、昨年10〜12月
の日本の実質GDP(国内総生産、われわれの給与と企業の税引き前利益の合計と見てよ
い)の伸び率は、欧米諸国の2倍以上の低下を見せた。輸出だけに依存してきた日本経済
の脆弱性が、顕著に露呈している。

「平成恐慌」とも言える状態に陥ったのは、この10年の「構造改革」以来の経済政策が
根本的に間違っていたからだ。構造改革による内需抑制策の結果、日本は「10年デフ
レ」「10年ゼロ成長」の状況にあり、OECD(経済協力開発機構)加盟国の「相対的
貧困度ランキング」でワースト4位という惨めな国になってしまった。いまや、雇用者の
3分の1、若者では40数%が非正規社員(2,800万人)である。生活保護者は
160万人を突破し、年収200万円以下のワーキングプアは1千万人を超えた。
 ところが一方で、日本は世界一の金持ち国家でもある。個人預貯金は1,500兆円に
および、このうち、300兆円を超すおカネを対外純債権として海外に貸し出しているの
だ。

 本稿では「10年デフレ」「10年ゼロ成長」を招くに至った経済政策の問題点をつま
びらかにした上で、日本を成長軌道に戻すための処方箋を提案していく。さらには我々が
経験してきた昭和恐慌とアメリカ大恐慌の教訓から、平成恐慌を乗り越える現実的な方針
を探ってみようと思う。

経済を陥没させた「構造改革」

 日本は二つの誤った経済政策を取り入れたことで、「10年デフレ」「10年ゼロ成長」
を招いた。それは「基礎的財政収支均衡目標(2011年度目標)」と「金融庁の三点
セットによる金融機関の締め付け(ペイオフ、時価会計・減損会計、自己資本比率規
制)」である。そのベースとなったのが、新自由主義・市場原理主義という「伝染病」だ。

 伝染病に罹患した政府与党は「小さい政府」「均衡財政」「消費税引き上げ」という三つ
のドグマに陥った。結果として現在の日本は、緊縮財政デフレ → 経済規模縮小でゼロ成
長 → 雇用減少 → 税収減 → 増税(既に定率減税廃止)→ 消費税増税という「悪魔の縮小
均衡」の状態にある。抜本的な政策の変更がなければ、「20年デフレ」「20年ゼロ成
長」へ向かって一段と深刻になるであろう。

 そもそもデフレとは、物価が継続して下がることである。最も的確に総合的な物価動向
を表す指標はGDPデフレーターというもので、年率2〜3%のプラスの時、経済は健全
だと言える。


 97年、当時の橋本内閣が財政改革を断行。所得税と消費税を引き上げ、公共投資を大
幅削減した。この緊縮財政によって、一挙に需要は抑制され、結果として株価は暴落。多
額の株式を保有していた大手銀行は自己資本が減り、大掛かりな信用収縮を引き起こした。
この「平成金融恐慌」が起きた翌年の98年からGDPデフレーターはマイナスとなり、
デフレが始まった。

 橋本内閣の後を受けた小渕内閣は、98年から99年にかけて金融安定化政策(不良債
権処理)と景気振興策を実施。これにより99年度にはGDP成長率がプラスに転じ、
2000年度には税収が50兆円台に戻るなど、日本経済はいったん、息を吹き返そうと
していた。

 ところが01年4月に成立した小泉内閣は、「構造改革」という美名の下に、財政・金
融両面で典型的なデフレ政策を強行。成長軌道に乗りつつあった経済を墜落させてしまっ
たのだ。

 財政面では02年度に、基礎的財政収支(プライマリーバランス)を11年度までに均
衡させる目標を導入し、デフレを強化してきた。基礎的財政収支の均衡策とは、構造改革
による緊縮財政で税収が激減したために、財政支出をその激減した税収の範囲内で抑えよ
うという政策である。

 具体的に見ると、01年度から地方交付税交付金・国庫支出金の削減、02年度から公
共投資の削減が始まっている。現在まで、8年間にわたってこの方針は継続され、09年
度予算でも見直されなかった。「構造改革」が始まる前の00年度の水準と比較すると、
8年間の削減額の累計は、地方交付税交付金で、47兆円、公共投資で13兆円、合計で
60兆円になる。つまり、地方から60兆円を召し上げて、小泉内閣の緊縮財政で悪化し
た基礎的財政収支を11年度までに均衡させようとしてきたのである。

 過去8年間で都道府県別名目GDPの成長率を見ると、一部の地域を除いてほとんどの
県がゼロないしマイナスであり、都市部との格差は拡大する一方である。とくに交付税の
削減は、地方の医療費、教育費を中心とする地域の公共サービスの削減につながり、医療
崩壊を招いた主因となっている。

 金融面では、前述の「金融庁の三点セット」によって金融機関を締め付けることで、デ
フレを助長してきた。

 なかでも「時価会計」は、保有する有価証券や不動産(含む担保物件)を、その時に取
引された時価で評価しようとする方法である。時価会計の下では、株式や債券の市場価格
が上下するたびに、自己資本が変動する。株価が下がり続けている状況では、金融機関の
貸し出し態度はどんどん厳しくなり、融資を受けられない企業が続出するのは当然の成り
行きだ。こうしたメカニズムがはたらくことで、デフレは一段と悪化して行く。

続く
メンテ
最早日本は平成恐慌と言える<菊地英博 ( No.106 )
日時: 2010/08/08 22:09
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:AJTtBgi6

アメリカ大恐慌のときには、1933年に政府が「金融機関に対する時価会計の適用を
停止する」と宣言し、実に93年まで60年間も継続していたのである。現在、欧米では
既に事実上、金融機関に対する時価会計の適用を凍結している。
 また、「自己資本比率規制」は、92年度から日本の金融機関に適用されている。

しかし私は、当初から「地域銀行等には適用すべきではない」と考えていた。デフレが深刻化
している時期には自己資本が減額するので、貸し出しが減少する原因となるからである。

「構造改革によって国内がゼロ成長であるにもかかわらず、その事態の大きさを隠蔽して
きたのは、「円安バブル」「輸出バブル」によるGDPの粉飾であった。政府は極端な低金
利と金融緩和策で、円ドル相場を円安に誘導し、円安・輸出バブルを演出してきたのだ。

 こうした政策によって、輸出企業の多い都心部や一部の地域(愛知県、三重県など)で
はGDPの名目成長率がプラスになり、辛うじて日本国内のマイナス成長を防止してきた。
次第にGDPに占める輸出比率は上昇し、08年では、15〜17%にも達している。

GDPに占める「純輸出」(輸出から輸入を引いたネットの輸出)の割合は、90年代で
は1%程度だったのが、07年には5%、金額として25兆円を超える水準まで上昇して
いた。

 輸出への依存度が高まっていた状況下で、昨年後半からアメリカ発の世界同時不況が起
こり、各国の株価が暴落。海外需要が激減し、日本の輸出産業は大ダメージを受けた。ア
メリカの消費ブームは既に崩壊しており、欧州やアジアでも今後は日本からの輸入は大幅
に落ち込むであろう。

 国内のマイナス成長を輸出バブルで表面だけ糊塗してきた政策は崩壊した。GDPの
5%に達していた純輸出はゼロないしマイナスに落ち込み、国内の有効需要は少なくとも
25〜35兆円の減少となっている。「輸出大国日本」は終焉を迎えた。そして日本の
「10年デフレ」「10年ゼロ成長」を招いた「構造改革」の帰結は、国内経済の陥没で
あった。

「日本復活5ヵ年計画」

 現下の「平成恐慌」から脱却するためには、どのような処方箋が必要なのか。ここでは
次のような政策を提案したい。

 第一に、制度面からデフレ要因を根絶していく必要がある。そのためにはまず、「基礎
的財政収支均衡目標」を凍結廃止し、「金融行政三点セット」の適用を廃止すべきだ。い
ずれも日本の現状にそぐわない、市場原理主義の発想による制度だ。政府は緊縮財政、増
税路線をやめ、重点投資と投資減税による積極財政へと方針を転換する必要がある。「三
点セット」の中のペイオフは、欧米では今回の金融危機を受け、首相や財務大臣が「銀行
預金は全額保護する」「銀行間の資金取引は政府保証する」と宣言しており、事実上、凍
結されている。また、アメリカは自国の金融機関が危機に直面した途端、時価会計の導入
を凍結している。金融財政システムの根幹から市場原理主義を一掃するために、三点セッ
トの凍結を法制化すべきである。

 第二に、「輸出大国」から「社会大国」への転換を図るべきである。輸出中心の経済モ
デルが崩壊した日本では、内需を拡大し、内需中心の成長産業を育成していく経済モデル
への転換が求められる。「社会大国」となるには、そのベースとして、医療や年金などの
社会保障制度を充実させ、国民全体に行き渡るしっかりしたセーフティ・ネットを張り巡
らせる必要があるだろう。経済成長が促進される中で、社会保障費の財源が生み出される
形をとれればいい。

 具体的な打開策としては、「日本復活5ヵ年計画」を提言する。これは、政府投資の
30兆円と減税枠の10兆円(投資減税、定率減税復活、消費税減税)を合わせた40兆
円(GDPの8%)の景気対策を毎年実施し、5年間にわたって継続するというものだ。
40兆円はすべて新規の財政支出(真水)とし、5年間で予算総額は200兆円になる。
景気が回復して税収が増加すると、初年度の財政支出は4年目から税収の増加額で戻って
くるので、5ヵ年計画の財源はほぼ120〜130兆円で十分である。

 新しい成長産業として育成すべき分野は、国民生活を豊かにする社会基盤・インフラス
トラクチャー(社会的共通資本)の構築、自然環境の整備、教育、医療、未来を見つめた
資源問題など、われわれ国民の生活を充実させる産業である。デフレで消沈している民間
では限度があるので、官民が一体となり、国が大きなビジョンを出すべきである。

 また、緊縮財政で極度に疲弊している地方に対して、交付税を大幅に増加し、08年度
予算で25.4兆円に落ち込んでいる「地方交付税交付金」と「国庫支出金」の合計を、
00年度の34.4兆円まで早急に戻すべきである。戻ったお金で、都市部では依然とし
て残る通勤地獄や交通渋滞の解消や、都市環境を美化し保全するための電線の地下への埋
設など、G7国で最も貧弱な社会資本を拡充していくのだ。

 この計画から、次の経済成長が期待できる(『週刊エコノミスト』09年3月31日号
に掲載された筑波大学元副学長・宍戸駿太郎氏の経済モデルから筆者が推計)。
@名目GDP成長率 年平均4〜5%(実質3〜4%)。A名目GDP金額は初年度で、
530〜540兆円、5年目で650〜680兆円。B税収は初年度、52〜54兆円、
5年目70〜75兆円。C政府の「純債務」の国民負担率は初年度で55〜58%、5年
目で42〜45%に改善し、超健全財政となる。「純債務」とは政府の粗債務から政府保
有の金融資産を引いたネットの債務のことだ。この中から医療費や年金などの社会保障費
は、消費税の増税なしでも十分支出できる。
財源はいくらでもある。


続く
メンテ
最早日本は平成恐慌と言える<菊地英博 ( ( No.107 )
日時: 2010/08/08 22:11
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:AJTtBgi6

 ここまで、「平成不況」から脱却するための処方箋を提示してきたが、こうした財政支
出をするための財源はどこにあるのか。実は、政府にも民間にも財源はいくらでもあるの
だ。

 財務省は「日本は838兆円もの債務を抱えており、これはGDPの160%にものぼ
る危機的な金額だ」と財政危機を煽っている。ところが日本は世界一の金融資産を持つ債
権国である。財政はどの国でも「純債務」で見るべきであり、特に日本政府はGDPを上
回る金融資産(特別会計にある)を保有しているから、純債務で見ないと実態がわからな
い。07年末現在で「粗債務」は838兆円、「金融資産」は549兆円で、「純債務」は
289兆円に過ぎない。これは名目GDP比で52%程度であって、ユーロ地域並である。
海外の経済学者や金融関係者で日本が財政危機だと思っている人はいない。

 日本経済を活性化させ、税収が増える経済にするには、名目GDP成長率を毎年4〜
5%に引き上げる必要がある。それには政府が緊縮財政をやめて、積極財政政策に転換し、
財政支出の重点を投資項目に集中させることだ。過去の経験からみて、これ以外に税収を
増加させて財政赤字を縮小する道は絶対にありえない。

 そのための財政支出の財源を次のように考えたい。

@「内需創出国債」を80〜100兆円発行する。
 内需を創出するために、新規に建設国債を発行する。この新国債を「内需創出国債」と
名づけたい。その財源は、アメリカの国債に投資されている国民の預貯金を使う。われわ
れ国民の預貯金を、われわれのために使うようにするのだ。

 現在、日本が保有している対外債権のうち、90兆円は外貨準備として保有し、大部分
をアメリカの国債で運用している。外貨準備は一国が経済危機に陥ったときや、急に多額
の外貨が必要になったときに使うために保有している資金で、国家のために外貨を買うの
であるから、中央銀行の資金で賄うのが当然だ。

 99年9月までは、外貨準備は日本銀行の資金で調達されていた。円高対策として、財
務省が為替市場でドル買い(円売り)をするときに必要な円資金は、財務省が政府短期証
券を発行し、それを日銀が引き受けて(買い取って)調達していた。これはどこの国でも
当然のことで、国の代理として中央銀行が自らの資金で外貨を調達し、保有していたので
ある。

 ところが、99年10月から、政府は、外貨買取りの円資金調達のための政府短期証券
を市場に売りっ放しにし、主に一般の金融機関がそれを購入することになった。こうなる
と、われわれ国民の預貯金が政府短期証券の購入に充てられ、政府はこの資金を使ってド
ル買いをして円高を防いでいる。こうして、購入したドルを政府はほとんどアメリカの国
債に投資している。つまり、われわれ国民の預貯金が海外に流出して国民のために使われ
ていないのだ。これが一因で国内経済が不活発になっている。

 今回提案する方式は、政府が新たに建設国債(内需創出国債)を発行するとともに、日
銀は外貨準備のために発行していた政府短期証券を新規の建設国債と同額だけ市場で買い
取る。こうすることによって、「外貨準備は中央銀行の資金で賄う」という原則に戻るこ
とができ、「内需創出国債」は新たな国民負担とはならず、われわれ国民の預貯金で調達
されたことになる。

 外貨準備の調達資金を日銀の資産に戻せば、国民の預貯金のうち外貨準備の原資分で
あった102兆円(07年末)は、建設国債発行のためにすぐに利用可能である。さらに、
社会保障基金も大部分がわれわれ国民が拠出した資金であり、新規国債発行のための担保
になる積立金である。07年末で、残高は222兆円ある。

A個人向けに「デフレ脱却国債」を20兆円以上発行する。
 非譲渡性の預金と同じ形式の、5年ものの新国債を発行し、原則5年継続で保有しても
らう。これを「デフレ脱却国債」と名づける。購入者には5年後に無税扱いの10%の褒
賞金か、相続人が褒賞金と同額の相続税の税額控除が受けられる特典を与える。現在、大
口の相続税は土地や農地で物納されることが多い。この新国債を購入したい人に対しては、
政府系金融機関が土地や農地を担保に同額の融資を実行する。高齢者がこの融資制度を利
用して生前に新国債を購入しておけば、相続に際して税額控除を受けることが可能になる。

B特別会計の「国家備蓄金(埋蔵金)」のうち、50兆円程度を一般会計の投資項目に振
り向ける。

 特別会計内の「積立金・剰余金・繰越金」(06年度決算で104兆円)と外貨準備の
運用益(約3〜4兆円)は、本来すべて一般会計に入れて税収と同様に扱うべき利益金で
あり、特別会計に備蓄する必要はまったくない。これらを政府投資支出の財源として活用
する。また、現在財務省が考えている、「国債整理基金」(06年度決算で34.9兆円の
繰越・剰余金)の資金による既発国債の期限前買い入れ償却は止める。

 以上のようにして得た資金を政府投資にまわし、経済が活性化すれば、名目GDPも増
加して税収も増える。結果として政府債務の国民負担率(政府債務を名目GDPで割った
比率)が低下し、国債残高も減ることになる。

続く
メンテ
最早日本は平成恐慌と言える<菊地英博 ( No.108 )
日時: 2010/08/08 22:13
名前: 天橋立の愚痴人間 メールを送信する

昭和恐慌からの教訓

 我々は過去、1930年1月〜31年12月の2年間にわたり、「昭和恐慌」を経験し
ている。当時の状況を仔細に分析することで、恐慌を抜け出す光明は見えてこないだろう
か。

 平成恐慌と昭和恐慌を比較すると、類似点が多いことに気付く。第一に、両方ともデフ
レが進んでいる最中に、大蔵省・財務省の主導で均衡財政(自らのデフレ政策で落ち込ん
だ税収に合わせて歳出を削減する)を強行した「財政デフレ」であることだ。そして金融
政策はともに引き締める方針をとった。

 昭和恐慌の指導者は、大蔵省出身の浜口雄幸首相(民政党)と、日本銀行出身の井上準
之助大蔵大臣だった。30年からの2年間で財政支出を15%削減したことにより、24
年から継続していたデフレ(GDPデフレーターのマイナス)が一挙に加速した。

 平成恐慌では財務省が主導して「財政改革」「基礎的財政収支均衡策」が進められた。
また、竹中平蔵経済財政政策担当大臣は「市場原理清算型の不良債権処理」を行った。竹
中行政では減損会計を使って不良資産を増加させることで、信用不安も起こしていない
UFJ銀行を意図的に合併に追いやり、金融システムを不安定にしてしまった。さらに
01年度から公共投資と地方交付税交付金・国庫支出金(補助金)を毎年削減し続け、
8年間で27%(累計60兆円)も削った。09年度予算もデフレ促進型であり、恐慌の
終わりは見えない。

 第二に、ともに円の対ドル相場が切りあがっている。昭和恐慌では円の対ドル相場を
22.9%切り上げて金本位制(通貨の供給量を保有している金の増減に合わせる通貨制度で円を金価格に結び付ける)に復帰した。平成恐慌でもすでに円の対ドル相場は20%
前後上昇し、輸出が減少している。

 第三に、昭和恐慌では、新聞・ラジオがデフレを称賛しており、平成恐慌でもマスコミ
は構造改革と財政危機の宣伝に熱心であった。

 第四に、昭和恐慌では金本位制への復帰が、平成恐慌では新自由主義、市場原理主義が
グローバル・スタンダードであると宣伝されていた。

 第五に、社会不安が深刻化していった。昭和恐慌では「(都会の芸者置屋へ)娘身売り
の場合は当相談所へ御出下さい」(山形県伊佐澤村相談所)という張り紙が出されるほど
(1930年2月5日付、山形新聞)、国民の生活は困窮していた。浜口雄幸首相、井上
準之助大蔵大臣はともに襲撃され、デフレによる国民の犠牲とそれへの反発は尋常ではな
く、31年9月の満州事変を国民は喝采した。平成恐慌でも生活困窮者の増加が顕著で、
戦後初めての大きな社会不安が醸成されている。

 しかし、昭和恐慌は31年12月の政権交代によって終わりを迎えた。

 民政党の若槻内閣の後を受けた政友会の犬養毅首相は、大蔵大臣に高橋是清を任命。高
橋はまず、金本位制から離脱し、通貨供給量を金の保有高に関係なく、政府と日本銀行の
裁量によって決められるようにした。国民には政友会の新しい政策を発表し、「金融を大
幅に緩和すること」「政府投資で雇用の機会を増やすこと」を公約する。この時点で昭和
恐慌のデフレ心理は解消したのである。

 続いて早急に、公共投資を中心とした財政支出を大幅に増加させた。前年度との対比で
見ると、32年に22%、33年に20%、34年に12%と継続して増加させることで、
28年から4年続いたGDPのマイナス成長がプラスに転じた。物価は上昇し、国民所得
も増加。経済規模の拡大により雇用機会も増え、地方経済にも好影響をもたらした。この
結果、33年ごろからは税収も増加し始め、34年ごろから政府投資の原資を税収の増加
で賄えるようになり、国債発行額が少なくなっていった。景気振興策として国債を発行す
ると、当初の1〜2年は政府の債務負担は増加するものの、3〜4年で名目GDPが増加
し、税収が増加するので、政府債務の国民負担率は低下してゆくのだ。

続く
メンテ

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