Re: 1000兆円の借金について<マクロ経済論> ( No.11 ) |
- 日時: 2010/03/12 10:21
- 名前: 北の国から
- つまり、天橋立の愚痴人間さんが強調されているように、国民の多くの価値観を変えて、たとえば「肉にしても、野菜にしても、ただ安ければいいというものではない」とか「日本で一次産業にたずさわっている人たちの努力で、日本の国の食料と、経済はなりたっている」とか「少し高くても、日本の食料品を使用することによって、国の再建に役立つ」などと言う考えかたが、広く普及していくことは、ひとつの方法で、これは可能でしょう。
ところが、一次産業を相手に(少なくなったとは言え)、商売している金融、農機具、肥料などの企業が、機械化、近代化をやはり協力におしすすめることによって生き残っていくしか道はないからです。 しかし、この面でも「まあ、状況が変わっていけば、何とかなるもんだ」というような事例が、ごく最近ありました。 いいことなのか、どうかは別にして、自家用車保有者の「好みの車種」の大きなかわりようです。(日本だけでなく、世界でも) わたし自身も含め、車には「快適さ」をもとめてしまいます。加速、ダートでの壮行性能、長距離を運転しても疲れないなどでしょうか。ところが「燃料が高くなった」「収入が上がらない」ということが数年つづいたなかで、いわゆる「大きい車」の需要はダウンし、町中に「軽自動車」がすごい勢いで増えています。 つまり、具体的な大きな変化によって、対応する国民だということでもありますね。
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Re: 1000兆円の借金について<マクロ経済論> ( No.12 ) |
- 日時: 2010/03/12 11:21
- 名前: 北の国から
- 天橋立の愚痴人間さんがそうであるように、わたしも「科学と技術の発展」を否定していません。むしろ全面的に肯定しています。(原子力は危険な要素があるものの、原子力の「科学としての」研究は、積極的におこなうべきです)
第一次産業、とりわけ農業が、科学(自然科学の分野が多い)の進歩を、どう受け入れ、道考えたらいいのか、ということは簡単ではありません。 たとえば、農業にとって「アンモニアの合成」(ずいぶん昔の話ですが)によって、収穫が飛躍的に改善されたのは、行く知られたことです。そして、その収穫の改善によって、(その当時の)多くの餓死者が、作物の普及によって、劇的に現象したのもよく知られていることです。
つまり、自然科学の発展、成果は、基本的には人類の幸福に役立っているはずです。 そして、それは、経済のしくみ(資本主義であろうと社会主義であろうと)、とんでもなく悪用される危険に満ち溢れています。
しかし、逆に、資本主義経済であっても、(フランス、オランダなどの実績をみるまでもなく)農業と、科学技術、安全ということは、かなりのレベルで、うまく解け合うことはまったく可能なのですね。科学者、研究者、技術者と企業が、どれだけそういう立場にたてるのか、そういう研究をどれだけ、政治として支援できるのか、ということだけなのですから。
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Re: 1000兆円の借金について<マクロ経済論> ( No.13 ) |
- 日時: 2010/03/12 13:28
- 名前: 天橋立の愚痴人間
- ご理解をいただきありがとうございます。
私が言っていますことは、これだけでは、理想屋のそしりを受けると思います。 ですが、現在は400年前から始まったと思われる、西欧第三期文明にたいする、文明史的転換の時代と位置づけています。
科学技術の礼賛、発達と、利己心の開放を促進してきた民主主義、資本主義に対する反省です。 ただし、それら全てを否定する訳ではありません。
ただ進歩という概念を少しばかり制御はしなければならないかと思います。 たしか、「進歩」の概念を皮肉って表現している映像もありました。
勿論、医学や宇宙工学などまだまだ進歩を望む分野もありますが、資本の論理の性急な展開などはコントロールを必要とするでしょう。 400年前から始まった文明の展開の根源は、利己心(人間性)の開放が源泉でした。 これにより人間は新しい幸せを掴むことが出来ました。
ですから私は人間の利己心のコントロールは出来るだけやるべきではないと思います。 しかし、細かいところでは例の禁煙問題など、ルール、マナーとして存在しています。 我が国で大規模営農を禁止する、農業への株式会社の参入は法律で禁止してきました。
コントロールしすぎるということは、人間に束縛感を生じさせ、決して良い社会を築くことにはなりません。カルトの社会になってしまうからです。
それ以前に、人間自身が新しい価値観に目覚めることです。 幸いに、北の国からさんも感じておられるように、物質的な繁栄が、逆に物質の追求欲という面で少しは変化してきている様相も見えるようです。
食料鎖国論と言いますのは、新しい国のかたち(文明)の実現のための単なる象徴的な面に過ぎません。 食料鎖国のような体制を具体的に追及することよりも、これを受け入れられる国民の心を醸成することの方が大変なのです。
私は「大和魂」という命題で、最近は忘れてしまっている人間の精神の良い面を取り戻すように訴えようとしています。 そういうところから解きほぐして行かねばならないのですが、それも遅々として進まない状況です。
最後に、これも言い尽くしていることですが、歴史家のアーノルド・トインビーが40年以上前に「これからの人類の課題は余暇の問題になるであろう」と言っていますように、物質的豊かさと、有り余る余暇の時間は、人間にとって最も困難な事態を引き起こすということも、そろそろ自覚しなければならないのではないでしょうか。
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Re: 1000兆円の借金について<マクロ経済論> ( No.14 ) |
- 日時: 2010/03/12 19:16
- 名前: 平 國造
- 天橋立の愚痴人間さん皆々様
毎度勉強させて頂いております。私、昨年の小沢氏の西松問題の報道に疑問を抱き、初めてネットを始めた不勉強者でありました。それからは、政治経済のブログ、それに対するコメントを拝読するうちに極最近「ベーシック・インカム」とゆう言葉を知り下記のURLに記載された講演記録を読み目から鱗の想いを抱いております。天橋立の愚痴人間さん皆々様のご意見ご感想など記載くだされば 嬉しいです。
http://bijp.net/transcript/article/91
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Re: 1000兆円の借金について<マクロ経済論> ( No.15 ) |
- 日時: 2010/03/12 23:01
- 名前: 天橋立の愚痴人間
- 平 國造 さん、はじめまして。
私も「ベーシック・インカム」という言葉を始めて聞きました。
早速紹介されたサイトへ行ってきました。
ですが、人間にとって生きるために働かねばならないと言う拘束は大変重要な意味を持っていると思います。
みんなが、働かなくても何とかなると思い込んでしまっては、それこそ社会が千路に乱れます。 ちょっとした事で喧嘩をし、殺し合いが始まる社会となるでしょう。
なにせ、働くことなど真剣で考えなくとも良いのですから、人間の欲が何処へ向かうか知れたものではありません。
働かねば食えないという状況は、人間の精神を良くコントロールしているのだと思います。 また人生の充実も、貧富の問題ではなく、喜怒哀楽を潜り抜けてきた人生に対して感じられるものだと思います。
福祉の一環としての救済なら良いですが、一律に「ベーシック・インカム」の制度を適応するのは如何なものでしょう。
ブログを主唱されている方は、そんな制度を取り入れても実際に活用する人は多くはないはずといっておられるようですが、根本的に生きることが国家によって自動的に保証されることになれば、人生の緊張感の大半が希薄になってしまいます。
そこで生まれる精神的な弛緩が、とんでもない社会を現出することになるのではないでしょうか。
政治のことなど、殆どの人が無関心になるでしょう。
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Re: 1000兆円の借金について<マクロ経済論> ( No.16 ) |
- 日時: 2010/03/13 08:04
- 名前: seijikeizai111
- 昨日珍しく忙しくお返事遅くなりました。
食料鎖国論の背景については同意します。
財源については、マクロ的には(長期的には)国債を発行すれば問題ありません。
おっしゃるように2000万人分くらいのものです。 300万円×2000万人=60兆円です。
60兆円はどこにあるのだと言われるでしょう。 60兆円は、まわりまわって所得税という形で必ず国に戻ります。 戻らないのは税制に不備があるか、途中で金融資産にされているかですから、儲けた人から税金を取るという税制を整備すればよい。 それでも捕捉できなくて金融資産になってしまったものは国債を発行してまた取り戻せばいいのです。
その金額で経済が均衡していきます。
経済は生き物です。 誰かの支出は誰かの所得。 有機的につながっています。 物の価値にも絶対というものは無く、すべて相対評価ですから、変動しながら落ち着いていきます。 60兆円が所得再配分されるという前提で、経済が動き、やがて有機的なつながりができて、落ち着きます。 その時今の物価がすべて10倍になっていても、所得も10倍になっていればいいわけです。
リンゴ1個=1ドルだとすると
リンゴ1個100円=1ドル が リンゴ1個1000円=1ドル となっても
リンゴ1個=1ドルというのは変わらないからです。
リンゴが10倍になっても所得も10倍になるから同じです。 これをインフレだという人、円安にすれば損するという人はおかしいのです。 インフレになっても何も損していません。得もしていません。 円安になっても何も損はしていません。何も得もしていません。
このように物の価値が変動して経済が安定するのです。
だから、経済を破壊してリンゴが作れなくなることが一番ダメなことなのです。 経済を破壊してリンゴが作れなくなってしまえば、1ドルは手に入りません。
ただ、長期的に見てよくても短期的にいいかどうかは別です。
前期の前提は、所得も10倍になればということです。
急激に激変すれば、生身の人間ですからついていけません。 短期的にはすごく得する人とすごく損する人が出てしまいます。 所得が20倍になる人もいれば、変わらない人も出ます。 ですからゆっくりとする必要はあります。 ただし、ゆっくりしてもついてこれない人は他の方法で救済します。(福祉です。)
さて、食料鎖国論という方法がよいかどうかですが、個別にはいろいろ問題はあるとおもいます。
もしよいとしても国全体で同じことをしても需給バランスが保てません。 魚、米、野菜、果物、それぞれ地域特性があります。 水も大きな食料の一つです。 また、農林業といっても食料になるだけではありません。 紙、木材、などもあります。
それぞれの地域で何を作り出すかということを、中央で決めるのでは無理があります。 できるだけ地方で決めさせるようにするべきです。
ベーシックインカムでもよいのではないかといわれるように問題の本質は、所得の再配分の方法です。 ベーシックインカムでもマクロ的には同じですが、天橋立の愚痴人間さんの言われるとおり、それは人間としての生き方の問題であり、社会が成り立たなくなるということになるでしょう。
ですから、都市から地方へお金をどうやって大義名分が立てて戻すかです。 お金のある人からお金のない人にどうやって大義名分が立てて戻すかです。
田中角栄はやはり天才だったと思います。 あの時代では最適な方法でした。 しかし、田中角栄の時代に考え出された公共事業を通じての地方へ配分は、道路など作るものがなくなってしまった段階で行き詰ってきました。 田中角栄が悪いのではなく、いつまでも同じ方法にしがみついていた後の政治家が悪いのです。
私は、国土保全を大義名分に地方にお金を配ればよいと思っています。
地方に配られたお金の使い方は、それぞれの地方で決めればよい。 選択するのは地方です。
国土保全の一環として天橋立の愚痴人間さんの言われるような食料鎖国論としての農業、林業、水産業もあればよいと思います。
また単に、山林の保全だけでもいいでしょう。 生産するだけが、仕事ではありません。 国土保全は広い意味で、人間が生活するためのインフラ事業です。
国などの公機関は、儲からないけど国全体にとって必要なことをするのが仕事だからです。 国土保全は、儲からないから国がやらなければならない事業です。
60兆円を地方に分配するのです。 国土保全が目的ですから、配分は面積割がいいと思っています。 2000万人分の雇用相当分です。
思いつくままに述べましたが、食料鎖国論をたたき台にしていろいろ考えられますね。
食料鎖国論の背景となる基本的な考えには賛成です。
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Re: 1000兆円の借金について<マクロ経済論> ( No.17 ) |
- 日時: 2010/03/13 19:59
- 名前: 平 國造
- 天橋立の愚痴人間さま
早々のご返事誠にありがとうございます。
私は飢餓への恐れがちょっとしたことで喧嘩をし、殺し合う社会になることを危惧しております。「このままでは食べて行けない、人として生活できない」 という絶望的な思考が精神を乱し秋葉のような事案が発生したやに思慮しております。そのような人達が集団を組んだら・・・・ その行為の未然防止のためにと個人に対する様々な規制を設けた法律が制定される。そして・・・・
古代ローマは「パンとサーカス」で滅びたとも言われておりそのことを心配されることも解りますが、「パンとたっぷりの教育と少々のサーカス」 であれば良いのではと思った次第でありました。 感謝
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Re: 1000兆円の借金について<マクロ経済論> ( No.18 ) |
- 日時: 2010/03/13 20:22
- 名前: 天橋立の愚痴人間
- 平 國造 さん、
貴方が指摘されていることは、すぐ其処まできている現実に近いでしょう。
最近は、田舎町でも窃盗事件が多くなり、それが何時殺人になるかも知れません。
もはや、泥棒も職業の一つに数えても良いのではないでしょうか。
恐ろしいことが起きようとしています。
個人が、どんなに努力しても食えないのでは仕方ないでしょう。
あきらめて死んで行った私の知人もいます。
力のある人間が食べるための犯罪を犯すことを誰が止められるでしょう。
可能な限りの知恵を絞って
何とかしなければならないと思います。
「ベーシックインカム」を思いついた人も、こういうことを考えられているのでしょう。
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ベーシック.インカム ( No.19 ) |
- 日時: 2010/03/14 09:30
- 名前: 石郷岡
- 憲法14条に「すべて国民は・・・政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」とあります。
税金が国の運営の根幹である事を鑑みれば、租税特別措置(宗教法人の税減免含む)や、生活保護、障害者給付、累進課税は、国民を差別しており憲法違反です。
給付に関しては、政策的に資金補助・サービス提供する事を完全に否定するつもりはありません。 しかしながら運営の際、議員や行政担当者の恣意的な判断が入る可能性は否定できず、公平が損なわれる可能性があります。従って、極力抑制すべきでしょう。
そのような考え方を持っていたところ、一年ほど前にYahoo掲示板で「ベーシック・インカム」を紹介されました。 「老若男女全ての国民に公平に一定額を支給する」という、憲法14条と25条の理念に適った考え方で、当然私は賛成です。
貧困問題・失業問題・自殺問題・少子化問題・過疎化問題を同時に解決する方法であり、尚且つ行政の簡素化・景気回復・新たなビジネス創造による国際競争力向上も期待できるのです。
問題は財源です。私は「金融資産税の導入」を考えておりましたが、電子マネー(e\)には考えが及びませんでした。インフレが心配ですが、検討する価値は十分あります。 同時に、考えを同じくする人々の存在に勇気づけられ、BI実現に一筋の光明が見えた思いです。
平さん、サイトのご紹介ありがとうございました。
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Re: 1000兆円の借金について<マクロ経済論> ( No.20 ) |
- 日時: 2010/03/14 12:54
- 名前: 天橋立の愚痴人間
- 石郷岡 さん、貴方の憲法解釈は間違っています。
第十四条【法の下の平等、貴族制度の否認、栄典の限界】 1 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
先に「政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」よあるのは、その前段である「人種、信条、性別、社会的身分又は門地により」を抜かしては意味が違ってしまいます。
また
第二十五条【生存権、国の生存権保障義務】 1 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。 2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
国家は、これを維持するために税金を徴収し施策をやっているのです。そして経済的な分野の福祉の対象は貧困層が対象になる場合が多く、そのための累進課税、生活保護制度などは、この25条を根拠に実施されている。
国家が何故国民一般の生存権の保障義務を負っているかといえば、人間社会は基本的に弱肉強食の性質を持っているゆえ、国家の介入が必要であるということであり、そのために国家による差別的とも思われる規制は国民全体の平等性、公平性の理念のもと、限られた範囲で、これを行うという行為です。
と、言いますのは「ベーシックインカム」などの手段では、別の大きな問題を引き起こすので、富者のものから一部を貧者に還元する手段はやむを得ないのです。
これを否定することは、憲法25条、そのものを否定することになります。
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