Re: 1000兆円の借金について<マクロ経済論> ( No.181 ) |
- 日時: 2013/11/26 19:47
- 名前: 天橋立の愚痴人間 ID:lQ23pAbo
- UP
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Re: 1000兆円の借金について<マクロ経済論> ( No.182 ) |
- 日時: 2013/11/27 15:11
- 名前: 天橋立の愚痴人間 ID:gpydwSqE
- UPします
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Re: 1000兆円の借金について<マクロ経済論> ( No.183 ) |
- 日時: 2016/02/08 21:00
- 名前: 天橋立の愚痴人間 ID:5MBe./mI
- 久しぶりにUPします。
懐かしいレスを再掲します。
日時: 2010/03/11 22:53 名前: seijikeizai111
政府紙幣と国債は根源的には同じである。 政府紙幣と国債の違いは、発行体である政府部門の会計処理の違いに過ぎない。
政府紙幣は損益勘定で行い、国債は資産・負債勘定でする。
だから、国債は限りなく貨幣である。
政府紙幣がよいなら、国債もよい。
むしろ同じであるなら国債の方が優っている。
なぜなら貨幣量の調整という役割には、資産負債勘定の方が適しているからだ。 また、利息相当分(経済成長分)の供給もするからだ。
ただ、貨幣を増やしたからと言って経済成長しない。 何に使うかが一番大切だ。
国は、直接使わず減税すべきである。 使い方は国民が決めるべきである。 減税の財源が、国債の発行である。
貿易黒字分をどうするかという話
基本的には円を基軸通貨にするくらいの覚悟がないとだめだ。 基軸通貨になるための条件は、経済力だけでなく軍事力も必要になる。 基軸通貨というのは、世界の通貨発行権があることなのである。 通貨発行権は、権力者の権利なのである。
食料鎖国論の話
天橋立の愚痴人間さんの持論ということですが、初めて知ったのでこの文章だけではよくわかりません。
私のアイデアは、・・・
地方への交付金を、その県の面積(陸地と海洋含む)に応じて配分すればいいと思っています。 国土や海洋を守るにはそれなりのコストがかかるからです。 お金のあるところに人が集まるからです。 何に使うかは、国が決めるのではなくそれぞれの地方で決めて、特色を出せばよいからです。 地方によってはそれを全額減税するところもあってよいと思う。
もちろん不景気の時には、国債を発行して配ればいいです。
日時: 2010/03/11 23:42名前: 天橋立の愚痴人間
seijikeizai111 さん、こんばんは。
経済のことに御詳しい貴方に聞いていただきたい。
「食料鎖国論」は4年も前から展開しています。
格差社会の問題を景気、不景気さらには金融の問題にすり替えて考えていますが、それ以前に、科学の発達による生産技術の進歩が引き起こす職場を無くする人間の増大は、また別の次元の話です。
日本だけを考えても、所謂工業生産品の生産力は、我が国で消費する量をはるかに上回っております。 ですから、今まで一番多くの人を吸収してきた物資の生産の場で、働く人々は非常に少なくてよくなってきています。
今のところ、輸出によって外国で裁くことによりあまり目立っていませんが(実はすでに産業の空洞化による失業者の増加という現象はかなり酷くなってきています)、中国、インドなどが同じように生産力を発達させれば、たちまちその現実が押し寄せます。
こんな時に、現在我が国にいる6500万人の労働者はの幾らくらいが就業可能かです。 ですから、働くということを漫然と考えていては大変です。
そこで考えたのが、第一次産業の復活なのです。 農業に関わらず、林業、漁業共に大変な職業であり、苦労の割には収入が見込まれません。 ですが、たとえ年収が200〜300万円であっても、考えようによっては幸せな生活を送れます。
現在、第一次産業に従事している人は、300〜400万人でしょう。 それを将来は2000万人くらいにすることで、工業生産の分野の余剰人員を吸収できないか、と考えています。
そうして、この分野は不必要に集約化、機械化をすることはいけないと思っています。 人間の知恵として、この分野の進歩は抑制することです。 しかしながら、そうすればたちまちにしてエンゲル係数が上がるとか、住宅建設が高額になるとかの影響が出ます。
こういう選択を我々が出来るか否かは、我々自身の価値観の転換(パラダイムチェンジ)が必要です。 そのほかに、農地の問題や、実際に第一次産業を希望する人間がいるか、否かなど大きな課題があります。
でありますが、これなくしては多くの人々が生活保護など福祉の力をかりて、働かずに生活することになります。 人間、働いてこそ人間性が維持できるのであり、働かない人間の大集団の行き着く先は、それこそ地獄絵図であると思っています。
こういう観点から、まず日本の農業のありようを見直し、多くの人が地方に移住して農業を営めるような環境を国家が用意することです。
そのために与えられた時間は、30〜50年と思っています。 ということは、すぐにも着手しなければならないということになります。
多くの人が地方へ移住すること事態、社会の環境を変えて、他の経済の流れも変わってきます。 今は非常に希薄になってしまった、地域循環型の経済圏が出来てくるという期待もしています。
今の市場主義の発達は、経済圏の循環領域が少なくともアジア単位まで広がり、其処には初期の資本主義の根本原理、需要と供給のバランスが、実質的には、地域にいる限り取れていません。
地域の人たち、都市部の人たちも同じで、グローバル化の波に乗り切れない多くの人にとっては、もはや現代は、資本主義の経済圏にも、昔の自給自足の経済圏にも入っていないのです。
これが格差社会の根本の原因と思っています。
ただし、グローバル化の波に乗っている輸出企業、大手流通業などの系列にいる人たちは、いまだ市場主義の競争に目の色を変えて追っかけている上に、国家も、その後押しをする事だけが国家の使命、国家の興隆と勘違いして、誰もが来るべき危機に備えてはいません。
まあ、食料鎖国論の背景はこんなものです。 ですが、机上の論理はできても、現実は切り替えの資金、財政の問題に行き当たります。
そこで、マクロ経済の分野で、先に紹介したようなことが本当に可能か、否かに興味があるのです。
日時: 2010/03/13 08:04名前: seijikeizai111
昨日珍しく忙しくお返事遅くなりました。
食料鎖国論の背景については同意します。
財源については、マクロ的には(長期的には)国債を発行すれば問題ありません。
おっしゃるように2000万人分くらいのものです。 300万円×2000万人=60兆円です。
60兆円はどこにあるのだと言われるでしょう。 60兆円は、まわりまわって所得税という形で必ず国に戻ります。 戻らないのは税制に不備があるか、途中で金融資産にされているかですから、儲けた人から税金を取るという税制を整備すればよい。 それでも捕捉できなくて金融資産になってしまったものは国債を発行してまた取り戻せばいいのです。
その金額で経済が均衡していきます。
経済は生き物です。 誰かの支出は誰かの所得。 有機的につながっています。 物の価値にも絶対というものは無く、すべて相対評価ですから、変動しながら落ち着いていきます。 60兆円が所得再配分されるという前提で、経済が動き、やがて有機的なつながりができて、落ち着きます。 その時今の物価がすべて10倍になっていても、所得も10倍になっていればいいわけです。
リンゴ1個=1ドルだとすると
リンゴ1個100円=1ドル が リンゴ1個1000円=1ドル となっても
リンゴ1個=1ドルというのは変わらないからです。
リンゴが10倍になっても所得も10倍になるから同じです。 これをインフレだという人、円安にすれば損するという人はおかしいのです。 インフレになっても何も損していません。得もしていません。 円安になっても何も損はしていません。何も得もしていません。
このように物の価値が変動して経済が安定するのです。
だから、経済を破壊してリンゴが作れなくなることが一番ダメなことなのです。 経済を破壊してリンゴが作れなくなってしまえば、1ドルは手に入りません。
ただ、長期的に見てよくても短期的にいいかどうかは別です。
前期の前提は、所得も10倍になればということです。
急激に激変すれば、生身の人間ですからついていけません。 短期的にはすごく得する人とすごく損する人が出てしまいます。 所得が20倍になる人もいれば、変わらない人も出ます。 ですからゆっくりとする必要はあります。 ただし、ゆっくりしてもついてこれない人は他の方法で救済します。(福祉です。)
さて、食料鎖国論という方法がよいかどうかですが、個別にはいろいろ問題はあるとおもいます。
もしよいとしても国全体で同じことをしても需給バランスが保てません。 魚、米、野菜、果物、それぞれ地域特性があります。 水も大きな食料の一つです。 また、農林業といっても食料になるだけではありません。 紙、木材、などもあります。
それぞれの地域で何を作り出すかということを、中央で決めるのでは無理があります。 できるだけ地方で決めさせるようにするべきです。
ベーシックインカムでもよいのではないかといわれるように問題の本質は、所得の再配分の方法です。 ベーシックインカムでもマクロ的には同じですが、天橋立の愚痴人間さんの言われるとおり、それは人間としての生き方の問題であり、社会が成り立たなくなるということになるでしょう。
ですから、都市から地方へお金をどうやって大義名分が立てて戻すかです。 お金のある人からお金のない人にどうやって大義名分が立てて戻すかです。
田中角栄はやはり天才だったと思います。 あの時代では最適な方法でした。 しかし、田中角栄の時代に考え出された公共事業を通じての地方へ配分は、道路など作るものがなくなってしまった段階で行き詰ってきました。 田中角栄が悪いのではなく、いつまでも同じ方法にしがみついていた後の政治家が悪いのです。
私は、国土保全を大義名分に地方にお金を配ればよいと思っています。
地方に配られたお金の使い方は、それぞれの地方で決めればよい。 選択するのは地方です。
国土保全の一環として天橋立の愚痴人間さんの言われるような食料鎖国論としての農業、林業、水産業もあればよいと思います。
また単に、山林の保全だけでもいいでしょう。 生産するだけが、仕事ではありません。 国土保全は広い意味で、人間が生活するためのインフラ事業です。
国などの公機関は、儲からないけど国全体にとって必要なことをするのが仕事だからです。 国土保全は、儲からないから国がやらなければならない事業です。
60兆円を地方に分配するのです。 国土保全が目的ですから、配分は面積割がいいと思っています。 2000万人分の雇用相当分です。
思いつくままに述べましたが、食料鎖国論をたたき台にしていろいろ考えられますね。
食料鎖国論の背景となる基本的な考えには賛成です。
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Re: 1000兆円の借金について<マクロ経済論> ( No.184 ) |
- 日時: 2016/02/08 21:40
- 名前: 天橋立の愚痴人間 ID:5MBe./mI
- 先のレスで seijikeizai111さんも言っておられる様に、60兆円のお金を有効に使えば、かなり社会が変わります。
500兆円も用意すれば、どれほど変わることができるか。
それに引き換え、現在の債務、1000兆円は、どうしてできたのか。
全く理解できないことが、この半世紀で起きています。
起きてしまったことは取り返しがつかないとしても、今後は同じ轍を踏まないようにしなければ成りません。
現在の政治屋、官僚共に、それができるでしょうか。
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Re: 1000兆円の借金について<マクロ経済論> ( No.185 ) |
- 日時: 2016/02/12 21:41
- 名前: 天橋立の愚痴人間 ID:x9umxIbE
- 一時はプライマリーバランス云々と、ふざけた話を大層に提示していた。
金融当局は、1000兆円を超える債務が出来たことの原因も隠して、プライマリーバランスだと、とぼけた事を言い、精勤を回避し、国民をたぶらかせている。
考えれば解ること。 税収の倍以上の予算を組み、それで1000兆円の借金を、どうして返せる。 破綻する企業の借金は、最終的に雪だるま式に増えるもの。
10年も経たずに、1000兆円は2000兆円を超える。 30年も経つと8000兆円となる予想もされている。
それにも関わらず、未だに現行資本主義の金融理論えお聖書の様に守ると言う愚かさ。 何の為である。
その金融理論のために現在があるのではないか。 日本は北朝鮮のような国家ではないのである。
あらゆる商品が溢れるほどある。 十二分な生産力もある。
通貨が溢れても、商品の取り合いになるはずはない。 それでも、通貨の増刷を拒み(実際は金融システムを桃るためにやりながら)、金利、為替差益と言う名目で、国民の資産を資本が吸い上げているのである。
そのような経済のシステムをなんとかしなければ、社会が持たない。 弱者は救われない。
1000兆円の借金をどうするかなど明白なこと。 そのようなことよりも重大な問題があるのである。
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国債残高について ( No.186 ) |
- 日時: 2016/02/24 01:01
- 名前: 天橋立の愚痴人間 ID:VWVYJGm6
- 現在日本は1000兆円近い国債残高があります。
国債自体は明治の頃からありますが、戦後の少し余裕が出来た頃から建設国債を中心に、増えてきます。 少し遅れて赤字国債も増えてきました。
昭和の終わりになると、借り換えの為の国債発行が始まります。 正規の償還ができなくなってきたのです。
これからば、国債残高が貯まる一方で、現在の1000兆円の借金となっています。 昭和50年度の国債残高は15兆円程度であります。 昭和50年と言いますと、ベトナム戦争が終結した年であり、田中角栄が政権を降りた直後です。
建設国際は、一時期、10兆円を超えていましたが平均すれば、現在に至るまで、7〜8兆円と言ったところです。 増えて言ったのは特例債と言われる赤字国際です。
これが平成12年には20兆円を超えました。 それと同時に、国債を償還する為の国債、借換債の発行が、50兆円を超えて、もはや財政は破綻状態です。 平成27年度には 建設国債 6.0兆円 特例債(赤字国債) 31.0兆円 借換債 116.0兆円
と、もう滅茶苦茶です。
今まで発行した国債の類計を見てみましょう。
建設国債などは戦後、総計しても350兆円くらいのものです。 ついでに言いますと 特例債(赤字国債)は 約600兆円 借換債は 約2400兆円
この数字が何を意味するかお解りでしょう。
建設国債の発行が原因で、1000兆円の借金が出来た訳ではありません。 実際は税収の不足を補うために発行した赤字国債と国債償還のために出している借換債が積もり積もって、雪だるま式に1000兆円となったのです。
なを、最近深刻なのは、1年で発行しなければならないう借換債が100兆円を超えていることです。 この増え方が急激に大きく、このまま行けば30年後には8000兆円を超える債務ができると言った予想に現れています。
要するに、これは、現行の制度の下に通貨の制度の維持のために通貨の増刷をやっていることに違いありません。 通貨の増刷、そのものの意味はなく、国民にとって何の利益もありません。
また現在の時点で、日本国債の95%は国内でまかなわれています。 これが理由で日本の財政は大丈夫と言う人もいますが、何を持って大丈夫と言うのでしょう。 国内の国債の引受手で一番多いのは銀行、保険会社であり65%を持っています。 あとは、日銀や政府が持っていて、個人の所有は30兆円、3%です。 このことは国債発行が単なる金融ゲームとして操作されていることを示しています。
これを、国民の経済問題として取り上げるべくもありません。 1000兆円の借金の返済のことよりも、根本的な通貨制度の改変が必要なのです。
具体的には、金利を考えなくてよい、単なる通貨の増刷です。 いきなりではいけませんが(いきなりでも良いかもしれません)、毎年の国債の償還には、はじめから通貨の増刷で対応すれば10年もすれば借金はなくなります。 金利の付く借換債など発行しない。
おそらく財務省も究極のところは、これで逃げるつもりなのでしょう。 また、通貨の考え方を考えればできるのです。
1000兆円の借金の問題は、これより手はなく、小学生でも解ることです。
https://sites.google.com/site/nekodemokeizai/jing-jino-ben-zhitookane/14-okaneno-si-zhiha-hede-juemaru (ネコでも解る経済問題)
現在の通貨管理制度では、あらゆる面で対応できなくなっているのです。 中央銀行制度などと、意味のない事を、後生大事にやっているから収拾がつかなくなっているのです。
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ネコでも解る経済学 財政債権 1 ( No.187 ) |
- 日時: 2016/03/01 13:27
- 名前: 天橋立の愚痴人間 ID:tpQGzreo
- https://sites.google.com/site/nekodemokeizai/nekodemowakaru-jing-ji-yong-yu/syakkin_gokai
から全文引用
財政再建 国債を廃止し、政府通貨を発行せよ
<会計学に頭が凝り固まっている人は経済を理解できない>
Q.
ネットで経済記事を見ていたら、ある記事で財政再建推進派の学者が、「増税によって国債を減らせば消費が減るのは当然で、それは将来の世代のために受け入れろ」のような事を書いていたのにゃ。本当にそうなのかにゃ?その部分を引用してみるにゃ。
「これまでは、後世に債務を付け回していた分だけ可処分所得が多かったことで消費が多かっただけで、増税により後世に債務を付け回さないようにした分だけ消費が減るのは、今を生きる世代が、世代間の責任を全うするコストともいえよう。」
A.
ほっほっほ、突っ込みどころ満載じゃな。世間の人はこういう「常識っぽい話」に騙されることが多いのじゃが、これはミクロ経済とマクロ経済を、意図的に混同させた記事じゃ。確かにミクロ(一般家庭)ではそうじゃが、マクロ(国家経済全体)で言えば、まるで意味不明の主張じゃと思う。
最大の誤解は「後世に債務を付け回していた分だけ可処分所得が多かったことで消費が多かった」という部分じゃ。ご家庭の話ならその通り!ある家庭のご主人の給料が毎月30万円で、それに加えて10万円の借金をして、合計40万円を毎月消費していたとしよう。すると借金の返済をはじめたら、たとえば毎月5万円の返済をはじめたら、毎月の給料である30万円から5万円を返済に回すから、消費は25万円に減る。これは、小学生でもわかることじゃ。これはミクロ経済(一般家庭や企業)の話じゃ。
Q.
確かに、そんなのネコでもわかるにゃ。でも、マクロ経済(国家経済)だとそうじゃないのかにゃ?
A.
左様じゃ。もちろん、マクロ的な視点で見ただけではダメじゃ。「カネでしか物事を見れない」頭、つまり会計学でしか経済を理解できない頭では真実は見えてこない。会計学だけで経済は語れない。経済の原理原則から、ゼロベースで経済を考える視点が必要なのじゃ。経済の原理原則はカネではない。モノじゃ。そもそも経済活動とは、古来から、人々がモノを生産し、それを分配(または市場における交換)することで成り立ってきた。この「生産と分配」こそが経済の本質なのじゃ。そしておカネは生産されたものを分配(交換)する目的のためにある。そこを原点に考える必要がある。
すると、突然、現代経済の違う姿が見えてくる。
たとえば先ほどの「後世に債務を付け回していた分だけ可処分所得が多かったことで消費が多かった・・・」という下りじゃが、これが奇妙に見えてくる。確かに購買可能なおカネの量という、カネの視点(会計学)からみればその通りじゃが、分配可能なモノの量という、モノの視点から見れば、まるで違う。購買可能なモノの生産力は、負債を増やしていた時期も、返済を始めてからも、何も変化することはないからじゃ。つまり分配可能なモノは返済を始めてからも十分に確保できる。モノが十分にあるにも関わらず、消費だけが減るとすれば、これは通貨が不足しているに過ぎない。
つまり、カネすなわち会計学から言えば、最大消費量は可処分所得によって決まるが、モノの視点から言えば、最大消費量は生産力によって決まる。そして、実体経済とはカネではなく、モノである。ゆえに、借金を減らしたからと言って、最大消費量が必ずしも減少するとは限らない。
Q.
う〜、わかりにくいにゃ。もっと簡単に言うにゃ。 A.
つまり、「消費が多かった」という事は、おカネの量がどうこういう以前に、そもそも、消費可能なモノをたくさん生産できる生産力が存在していた事を意味する。つまり、人々の豊かな生活を支えるのに十分な量のモノを作り出す力があるという事じゃ。その生産力こそが人々の消費を支えるのじゃ。もし、借金をしてたくさんのおカネを持っていたとしても、そもそも買えるだけのモノが不足しておれば、消費は出来ない。消費とは借金で成り立つのではなく、モノがあって成り立つのじゃ。
消費の量を根本的に決めるのは、おカネの量ではなく、モノの量、ひいては生産力なのじゃ。おカネは、市場においてモノの交換を媒介する道具に過ぎない。もし生産力が十分にあるにもかかわらず、人々に豊かさが行き渡らないのであれば、それはカネが足りないだけなのじゃ。
たとえば借金によって消費していた時代に生産能力が100あったとする。ある時点から借金の返済を始めたとしても、相変わらず生産能力は100である。モノの視点から経済を見れば、100の生産能力があるのだから、国民は100の財を受け取ることができるはずだ。借金をするとか、しないとかは本来は関係がないのじゃ。これは実体経済がカネの理論でゆがめられる典型的な例じゃな。
(続く)
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ネコでも解る経済学 財政債権 2 ( No.188 ) |
- 日時: 2016/03/01 13:30
- 名前: 天橋立の愚痴人間 ID:tpQGzreo
- <なぜ借金を増やすと経済が活性化するのか>
Q.
ふ〜ん、わかったような、わからないような。でも、おカネよりモノが大切なのはわかるにゃ。おカネがいくらあってもモノが不足していれば消費はできないにゃ。借金して消費が増えるというのは、そもそも前提条件として、それだけ生産力が大きいという事にゃ。
A.
経済の原理原則に戻ってみよう。経済とは人々が生産したモノを分配(交換)して成り立っておる。ということは、人々がより多くのモノを生産できるようになれば、より多くのモノを分配(交換)できるようになる。つまり、モノをたくさんつくる力、すなわち生産力が大きければ人々に行き渡るモノも多くなり、消費は大きくなるはずじゃ。これが消費が大きいという本質的な意味じゃ。
ところが、おカネが不足すると、モノや生産力がたくさんあるにも関わらず、分配(交換)がスムーズにできなくなり、消費が減退する。「おカネがまわらなくなる」とはこの事じゃ。おカネは市場経済において生産されたモノ(財)を交換する役割を果たす。だから回るおカネの量が減るとモノの交換に支障をきたすのじゃ。これがデフレの正体じゃ。
じゃからこそ、デフレを防ぐために政府が国債を発行して借金でおカネを増やし、それを使うことによっておカネを回し、モノ(財)の交換を活発化することで消費を増やしてきたのじゃ。おカネを増やせば、もともと社会に備わっていた生産力が十分に発揮されて経済が活性化するのじゃ。つまり、「回るおカネの量」が経済に極めて大きな意味を持つ。回るおカネが不足しておるから、それを増やすために借金するのじゃよ。
Q.
にゃるほどニャ〜。回るおカネが増えれば、市場におけるモノの交換がスムーズになって、生産力のポテンシャル(潜在力)を十分に発揮することができるのにゃ。
A.
回るおカネの量が足りないということは、本来必要とされているおカネの量に比べて、現在のおカネの量が不足しておるという事じゃ。じゃから借金をしておカネを増やせば、経済が本来のポテンシャルを発揮できるようになる。では、おカネを増やす方法としては借金しかあり得ないのじゃろうか?
<借金でおカネを増やすな 国債を廃止し、通貨を発行せよ>
Q.
ふにゃ〜!そう言われてみればそうなのにゃ。おカネが足りないから借金する、そんな事をしているから財政破たんになるのにゃ。「おカネは印刷すればできる」。それは日銀がバンバンおカネを刷って証明したにゃ。国債なんかすぐにやめるにゃ。おカネを刷るのにゃ!
A.
ほっほっほ、ネコもついに気が付いたようじゃな。国債を発行するから政府が借金まみれになり、将来世代への付け回しとなるのじゃ。国債は廃止すべきじゃ。そもそも通貨発行権を持つ「国家」が借金まみれになるのは、異常事態と言わすして何と言えるじゃろうか。なぜこんな異常事態になるかというと、通貨発行権を日銀という「政府であって政府でない」変な機関に握られておるからじゃ。おまけに日銀は「日銀の独立性」を主張し、政府のいう事を聞かず、国民を無視して勝手な事をしてきた。安倍政権に焼きを入れられて少しはおとなしくなったが、ネコをかぶっておるだけじゃろう。
Q.
日銀がネコをかぶるとは、ネコに対する冒涜にゃ。いっしょにしないで欲しいにゃ。
A.
まあまあ。そこで、いう事を聞かない日銀は役に立たんので、政府紙幣を発行するのじゃ。極めて当然の事じゃが、政府にも通貨の発行権はある。それが「硬貨」じゃ。硬貨は日銀ではなく政府が発行しておる。それを紙幣に拡大するというだけの話じゃ。当然じゃが、政府紙幣の1万円と日銀券の1万円は同じじゃ。
もちろん、政府紙幣を発行しなくとも、日銀が政府に協力的になり、国債を直接引き受けするようになれば、政府紙幣は必要ない。じゃが、今のところ日銀は「国債の直接引き受けはしない」と言っているので、であれば、政府紙幣もやむを得ないじゃろう。
そして国債を廃止し、通貨発行で財政を補填するようになれば、財政破綻の心配は全く無くなる。
国債を廃止し、財政破綻の原因を元から絶つべきじゃ。
<預金課税で通貨を回収 インフレを防ぐ>
Q.
でも、おカネを刷ると「ハイパーインフレが〜」と騒ぐ人が出るのにゃ。
A.
そうじゃな、じゃが、国債を廃しして通貨を発行すれば財政破綻を防げるから良いのではないか?そもそも財政再建も景気回復もインフレ抑制も、同時にすべて達成できるほど「都合の良い」方法などありはせん。通貨発行は、インフレにはなるが、財政再建も景気回復も可能な政策じゃ。それを否定するとは、いったい何が望みなのじゃろう。日本の景気回復をさせたくないのじゃろうか?
「おカネを増やすとおカネが水増しになってインフレになる」という人がおるが、これは全く違う。おカネを増やすと、回るおカネも増える。すると企業の投資や家計の購買力が増え、モノが飛ぶように売れるようになり、景気が劇的に回復する。すると売り上げが増えすぎてモノが足りなくなるのでインフレが生じる。つまり結果的にインフレになる。じゃが、景気回復でインフレになって何か問題はあるのか?
Q.
モノがばんばん売れるようになって困るのは、日本復活を望まない人くらいのものにゃ。
A.
とはいえ、無制限におカネを増やし続ければ、インフレが止まらなくなるのは当然じゃ。そこで、インフレ目標を明確にして、その範囲内で通貨を発行し、財政を行うわけじゃ。
そして、同時に「預金課税」を新設する。これは必ず必要じゃ。おカネを増やせば、一時的におカネが市場に回るが、やがて誰かの資産として貯め込まれてしまう。例えば、バブル崩壊後に公共事業のために大量に国債が発行されたが、それで生まれた膨大なおカネはどこへ行ったのか?大企業や一部の資産家の資産になったわけじゃ。じゃからこそ、個人の金融資産が1600兆円もあり、大企業の内部留保が300兆円もあるのじゃ。それは国家のバランスシートを見れば明白じゃ。
じゃから、政府通貨を継続的に供給すると、それらのカネは資産家や企業の貯蓄としてどんどん膨らみ続け、インフレを引き起こす潜在的なリスクとなる。しかも、余剰なおカネは使われず死蔵されるだけでなく、逆に投機に使われてバブルを引き起こし、実体経済を破壊するリスクがある。回るおカネは大切じゃが、死蔵されるカネはリスクに過ぎん。じゃから、政府通貨発行で増え続ける「死蔵されているカネ」を預金課税として回収して財源に活用する。そうすれば政府通貨の新規発行額を減らすことができる。
政府通貨発行に関しては、インフレ目標を達成したあとは、新規に発行できる通貨の量は減らさざるを得ない。従って通貨発行以外に財政のための財源が必要となるが、これが預金課税と消費税じゃ。そして、この二つの税をうまく使い分ける事で物価のコントロールも同時に可能だと考えておる。たとえば、通貨が貯め込まれて動かなくなるデフレ期には預金課税を増税して消費税を減税する。逆に消費過熱によるインフレの際には消費税を増税して預金課税を減税する。このように景気の状態に応じて、通貨発行と消費税や預金課税を使い分けるのじゃ。これで過剰な通貨供給を押さえ、インフレをコントロールする。
<国債を廃止し、通貨を発行して、将来への貯蓄とせよ>
A.
国債とは確かに後世へのつけ回しである。じゃから国債を発行するのはやめるべきじゃ。そもそも国債は発行する必要などない。おカネが足りないのであれば、借金で充当するのではなく、おカネを印刷すれば良いのじゃ。国債とは、債務によって現在の生産力のポテンシャルを引き出す行為である。昔はそれでも経済は成り立っていた。しかし今日、それは持続可能ではなく、やがて破綻することが明らかとなった。じゃから国債は廃止すべきじゃ。
国債は後世へのつけ回しである。しかし通貨発行は後世への貯蓄となる。なぜなら、通貨発行によって経済のポテンシャル(潜在力)を引き出せるからじゃ。貨幣経済において経済のポテンシャルを引き出す手段はおカネである。おカネさえあれば、経済は活性化できる。しかしそのおカネを借金で調達すれば、後世へのつけ回しとなる。しかし政府紙幣で調達すれば、それは返済の必要が無い。
返済する必要のないおカネで経済を活性化することが、将来の世代への貯蓄となる。
もちろん、貯蓄と言っても「実体経済に寄生するおカネという存在」ではない。
「力強い生産力」という、実体のある、つまり真の意味での財産である。
国債を廃止し、政府紙幣を発行しよう。
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年間100兆円の通貨の増刷で、1000兆円の債務は消える。 ( No.189 ) |
- 日時: 2016/03/09 14:08
- 名前: 天橋立の愚痴人間 ID:RA.xYlXk
- 日本の債務の合計は、2000年では500兆円、2015年では1000兆円と増えている。
実質の財政では、社会福祉費こそ増えているが、年間1〜2兆円の問題。
年平均で、35兆円の債務の超過の説明にはならない。 要するに赤字国債(借換債)が増えているのである。
それも、2000当時は、10兆円くらいであったものが、最近は100兆円を越している。 実質の通貨の増刷以外の何ものでもない。
国債の引受を日銀がする場合、通貨の増刷になるが、民間の場合はそうではないという議論が出てくるであろうが、それなら、考えてみましょう。
国債の引き受けての大手は銀行、保険会社であり全体の65%を占めている。 つまり年間65兆円を超える国債を購入し続ける資金が彼らにあるのか。 償還金もあるとしても、それは30〜40兆円のことであり。20〜30兆円の資金を毎年国債に変える余裕などないはずである。
これには。何かカラクリがあるはずだ。 思いつくのは、銀行、保険会社の国債購入資金は、約束手形のようなものであり、実際に現金は動いてないということになる。 そうでなければ、毎年、何の臆面もなく、100兆円を超える借換債の発行を言い出すことはできないはず。 要するに、これは、実質通貨の増刷にほかならない。
それでいて、通貨管理政策など、片腹痛い。 どうして、そんな猿芝居をしなければならぬ。
最初から、過去に発行した国債の償還の為に通貨の増刷をすれば良いこと。 毎年100兆円の通貨の増刷をすれば、1000兆円の債務など10年で消える。 過去に国債を購入している人たちの権利も保証される。 問題は何もない。 いや、問題がある。 それは政府に頼まれて毎年空手形を発行し、10年間で300兆円ほどの払い戻し(償還)受け取る企業が存在することである。
また、実質通貨の増刷、最近は100兆円の増刷をしても、名目さえ立っていれば経済に混乱は起きていないことが実証されている。 では、通貨の増刷をタブーとする理屈の正体は、何なのだ。 それはユダ菌など巨大資本の利権を担保するための金融システムを維持する為に過ぎない。
通貨の増刷によって将来社会の基盤を作ろうと言っても、それは現金をバラまくことではない。 あくまでも、社会保障制度の維持の為、雇用を確保するために使うということである。
それに寄って深刻なインフレなど起きることはないのである。 過去15年間で実際に起きてはいない。
これは世界中に共通することであり、各国が、それに目覚めて、現行の通貨管理の歪な矛盾に気がついて、国の事情にあった通貨管理、通貨の増刷に踏み切ることである。
これによってこそ、ユダ菌はじめ、巨大資本の束縛から解放されるのである。 物資の生産力も十分にあり、これ以上のグローバル化も必要なく、安定した国づくりを始める時代であるのだ。 ユダ菌問題などは、霞んでしまうことであろう。
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ユダ菌の増殖の仕組み ( No.190 ) |
- 日時: 2016/03/15 12:53
- 名前: 天橋立の愚痴人間 ID:AUUu9AR2
- 順序が逆になったかもしれません。」
<無から創造されるお金(巨額債務発生の手順)>
日本語では、紙幣と手形は違う言葉で表現されますが、英語では紙幣も手形も「notes」「bill」「draft」です。 つまり、 ドルというお金の正体は、米国政府が発行する国債を担保に、ニューヨーク連邦準備銀行が米国政府に貸し付けた手形=債券証書なのです。
例えば、米国政府が1億ドル必要だとしましょう。 そうすると連邦準備銀行は、米国財務省から1億ドル分の国債を購入し、政府の口座に1億ドルを振り込みます。 この政府の口座に振り込まれた1億ドルは、誰かの口座から借りてきて振り込んだお金ではありません。連邦準備銀行が何か実物的な資産を提供しているわけでもありません。 ただ、米国政府の口座に1億ドルと記入するだけです。
連邦準備銀行は口座に数字を記入するだけで“無”から1億ドルを創造するのです。 そして、政府は、1億ドルを受け取り、公共事業の出費として米国社会に1億ドルが流れていきます。
さて、政府は時が来たら、連邦準備銀行に利子をつけて返さなければなりません。
仮に利子をつけて1億5千万ドルを返済するとしましょう。米国政府はアメリカ国民から税金を集め、1億5千万ドルを連邦準備銀行に返済しなければなりません。しかし、 世の中に出回っているおカネは1億ドル。5千万ドル足りません。 政府が1億5千万ドルを連邦準備銀行に返済するには、新しく国債を発行し、世の中に流し、回収するしかありません。
ここに政府の借金が規則的なリズムで大きくなっていく理由があります。 銀行は“無”からおカネを生み出し、国民はそれに対して利息を支払う義務を負う。 また政府は財政赤字を積み上げていく。
そして、このマジックのようなお金を使って世界中からアメリカに実質的な富が流れ込んでいく。その利益が最終的にはロスチャイルド一族をはじめとする国際金融資本家の懐(ふところ)に収まる、という仕組みになっています。 つまり(中央)銀行制度とは合法的な搾取(さくしゅ)システムなのです。
「現代の銀行制度は、貨幣を“無”から作り出す。その手口は、恐らく、これまで発明された詐術の中で、最も驚くべき代物である。銀行は不正によって作られ、罪のうちに生まれた。銀行家は地球を所有する。」―イングランド銀行初代総裁 ジョシア・スタンプ卿
(引用終わり)
要するに、この利子の存在が問題なのです。 全体は架空の金でも利子は現実の搾取として残ります。
ユダ菌が狙っているのは、まさしく、この利子分。 奴らは金貸しなので当然のこと。
だから、国家による通貨の増刷(無利子)は絶対に許せない。
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