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[814] 大和魂(日本の心のルーツを探る)
日時: 2018/05/23 11:57
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:XPKXw99A

「大和魂」と言う言葉を使うと嫌悪感に満ちてこれを否定する人たちが多い。
まるで街宣右翼と同類に扱われる。

しかしながら先の大戦において、国を守る為に散って行った200万近い兵士の事は、どのように思われるのか。

全てが全てでないとしても「大和魂」を信じて突進し倒れた兵士の事は考えられないのか。
その「大和魂」が軍部によって利用されていたとしても当事者の兵士の責任ではない。

ここで「大和魂」をミソクソに言う事は彼らの死を馬鹿にする事になる。
調子者が騙されて死んだと言えますか。

彼等の為にも「大和魂」は正当に評価することが大事と思います。
彼等は、まさしく彼等なりの「大和魂」を持って、国を守る為に死んで行ったのです。


(プロローグ)

人類が霊長類と分類されて他の動物よりも繁栄してきたのは、その頭脳的能力が発達、進化してきたからであります。
始原における人類は、その頭脳的能力で道具を使うことを覚え、そのうちに火を自在に使えるようになりました。

これは生きる(食べる)事において画期的な進化でありました。
一方で人々は集団で生活して行くことの重要性に目覚め次第に大きな集落を形成し分業をするようになってきた。
集団で生活し始めると、自分達の生活を脅かす自然の力に対する畏怖の心も結集することになり自然崇拝、呪術などが起きることになりました。
このころになると、集団には統治の機能が求められ次第に原始国家に近い概念が生まれてきました。

人間の頭脳的能力が生きるための対自然から、統治という人間自身の問題まで対象にし始めたと言うことです。
集団の英知(頭脳的能力の総体)を集めることに成功した人類は、農業、漁業、工業の分野を確立し安定した社会を構成することが出来ました。
このころになると、宗教と言うものが次第に鮮明な形を帯びてきて、人々の精神的ケアをするとともに、宗教を通じて集団の結束を図るようになってきました。
同時に統治者は独裁の傾向が強くなり王国を形成するようになります。
自然を相手に生産活動に殉じてきた人間でしたが、集団の力が強化されるとともに、他の集団を略奪することにより、成果がもたらされることに気がつき以来、血で血を洗う抗争が続いてきました。

さて、3000年も4000年も遡りますが、一応は自然を相手の格闘に一段落した人間は、その精神的な余裕の分だけ、その頭脳的能力を内面に向けるようになりました。
それが宗教であり、哲学の世界です。

文字として残る最古の哲学は、2000年くらい前のギリシャ哲学でありますが、その内容は主に統治の問題に絡んで話されています。
最初の哲学が、ようやく手に入れた人間社会の安定のために、人間は如何にあるべきかが最大テーマであったという事でしょう。
中国における儒教というものもこの範疇に入ると思います。

時を同じくして、キリスト教、イスラム教、仏教が興っています。現在まで続いているこれの宗教は、哲学とは別の方向から人間の内面性を説こうとしたものであり、それまでの宗教が民族単位に近かったものから人類共通の普遍性を主張しているのが特徴です。
西欧の歴史は、一時、キリスト教の精神で色濃く塗られていましたが、キリスト教的教義への反動として、500年くらい前にルネッサンス(文芸復興)と言う考え方が広まりました。
直接はキリスト教支配の前の人間精神への回帰ですが、実際は新たな人間性の認識へ移りました。
其処では、人間自身を自然とも切り離し、神とも切り離して如何に生きられるかについての思索がなされました。

それは300年後に資本主義、民主主義という鮮明な形で認識されるに至っています。
その途中、西欧哲学はスピノザに始まりホッブス、デカルト、カントへ至る人間自身の認識論(観念論)からヘーゲルの純粋論理的認識論(弁証法)へ進むなど、自然の理を超越しようとした試みが中心でありました。
それを人類の進化、発展と見れば、そのまま肯定もできるでしょう。
確かに、論理的に西欧哲学的思考で割り切ることにより、現代社会の繁栄があるのです。
さて、現代社会において我々が直面している困難は、深いところで人間性の問題につながっています。

資本主義、民主主義のシステムは、物資と情報、享楽と言う意味で人類に飛躍的な果実をもたらしました。
自然とともに生きなければならないと言う束縛から人類を解放したと言えます。
そうして、現代社会が直面している困難と言うのは、その昔、人類が経験していた自然の恐怖とは質が異なる困難であります。
ここに現代の困難は文明史的な次元の課題であると思います。
ここ4000年の間に営まれてきた宗教、哲学の概念の延長上で、どのように捉えられるか、更なる進化と言う観点から捉えるのか、人間性というものを自然との関わりで見直すことが正解であるのかが問われています。
これに対して、直線的に斯くあるべしと言うよりも、この観点から日本の歴史を振り返ってみたいと思います。

具体的には、弟3期西欧文明(資本主義・民主主義)が今日ある状況以外に人類は選択の余地がなかったのか、その過程において切り捨ててしまったものの中に人類が必要としていたものはなかったのかについて検証することから始めようと思います。
タイトルの「大和魂」とは、西欧文明以前の日本の精神文化を総称したものであります。
途方もなく長ったらしい話になりますが、ボチボチと御付き合い願いますよう御願いします。
説明のために掲げています長文は適当に読み飛ばしていただければ幸甚に思います。


(追申です 2017年6月24日)

このスレッドも、旧掲示板で書き始めてから言いますと10年近くたっています。
「大和魂」という標題のため、読んでくださる方は、常に「大和魂」の概念を探ろうとされているようです。
しかしながら、このタイトルは、このスレッド全体を通して感受されるべきものとして書いていますので、「大和魂」とは何かという設問には答えが見いだせなく戸惑いながら、結局は何が言いたいのか解らずしまいの様でしょう。
タイトルのつけ方が適正ではなかったかもしれません。
そこで、この時点(No188のレス)で私自身、ようやくたどり着いた「大和魂」の概念について次の様に説明して置きたいと思います。

<大和魂とは>

西欧民主主義が入ってくる前
江戸時代の朱子学に毒されるまえ
特に武士道などは、もってのほか。

それを取ったとき、
日本人はどのような生き方をしていたか。
それを探りたいのであり、言葉では、簡単には現せなく体感してほしいと思っております。

また「魂」という言葉を使っていますのは、物事に挑戦する意欲を表現しています。
これも具体的には言えませんが、山田長政の話やら、あまり良いことはしてないようですが倭寇など海外へ積極的に進出する、その気概。
日本人にも、そんな積極性があったことを頼もしく感じています。
そして、それは日本独自の文化、芸術を生み育てる力にもなっています。

その様なものを一括して「大和魂」と言っています。
そうして、そういうものを、この文章から感じ取っていただけることが出来たら幸いと思って書いています。
ですが、将来の日本人に「大和魂」だけを押し付けるつもりで言っているのではありません。
日本人には「大和魂」があることを忘れず、社会を生きてほしいと願うのです。

※ 体感してほしいと言っていますように、この文章の各所に伝説、神話、他の国の事情などを説明している箇所が随分とあります。退屈かもしれませんが、それを読まれることによって、それが書かれた時代、場所の様子を感じ取っていただきたいのです。
特に前半の部分は、日本民族と他国の民族性の違いを感じ取るために、長ったらしく資料を集めました。

(目  次)
No 0      プロローグ・目次
(前 章)
NO 1〜7    「大和」とは
(民話・伝説)
No 8〜16    日本の神話・伝説
NO 17〜20  中国の神話・伝説
NO 21〜37    世界のドラゴン伝説
No 38〜42    中国の民話
NO 43〜47    世界の七夕伝説
NO 48〜50    中国の民話・伝説
NO 51〜67    インドの民話・伝説
No 67〜93    イスラムの民話・伝説
No 94〜124   アングロサクソンの民話・伝説
(日本の歴史検証)
No 125〜137   「和」の検証 
No 138〜151   神代の時代から古墳時代
N0        飛鳥・奈良時代(一時、サーバのトラブルがあり、この部分が消えています)
No        平安時代(一時、サーバのトラブルがあり、この部分が消えています)
※ 後日復旧する予定。
No 152〜169   鎌倉時代
NO 170〜     室町時代
NO        江戸時代(未稿)
No        明治時代(未稿)
No        現代(未稿)
NO        「大和魂」とは(未稿)
No        エピローグ(未稿)

※ 世界の民話・伝説に紙面を割いているのは、日本人と他民族の気質の違いを探るためです。
メンテ

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司馬遼太郎史観→接ぎ木文化 1 ( No.230 )
日時: 2018/05/21 13:44
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:aA98q2Qw

今まで私が書いて来たことと重複するものもありますが、私の独断の恐れも取り除くためにも、司馬遼太郎の史観を紹介しましょう。
江戸時代以前の考察は少ないが社会全般の事に言及しています。

司馬遼太郎『この国のかたち1』文藝春秋、1990年3月

どうして大和政権が古代日本の代表的な勢力となったのか。4、5世紀であっても大和政権は、他の諸勢力に比して比較的大きかったが、絶対的ではなかった。ところが7世紀になると、戦国乱世のような大規模な攻伐があったようには思われないのに統一性の高い国家ができた。この奇現象は、1869年の版籍奉還も同じである。
7世紀の面妖さは、5世紀の中国に隋という統一帝国が勃興したことにより説明できる。対外恐怖心が共有されたことが大きい。これは明治維新も同じである。統一国家の芯となったのは「律(刑法)・令(行政方)・格(例外的な法規)・式(細則)」である。四者は相関し法体系をなした。これらは中国から導入した王土王民制(儒教に基礎をおく)である。しかし、制度のうち宦官と科挙は入れず、儒教も学問としては導入したが民間の宗教意識としては導入しなかった。これらを導入していたら日本は中国そのものになっていただろう。
6、7世紀に日本に導入された仏教もインドのそれとは異なる。王朝や氏族を守護するものとして導入された。平安初期の天台宗・真言宗もこの点で変わりはない。日本では幸運にも、ついに、ヨーロッパ、中近東、インドあるいは中国のように、人々のすべてが思想化されてしまうという歴史を持たなかった。しかし、思想への憧れは持っており、宗教ではなく書物を通じて摂取しようとした。

○2「朱子学の作用」

明治維新の革命思想は極めて貧弱なものである。スローガンは尊王攘夷しかなかった。外圧に対する悲鳴のようなもので、フランス革命のように人類の理想を謳ったものではない。革命の思想や理想というものは遺伝子のようなもので、その後の歴史を規制したり形づけたりする力を持つ。明治維新ではここが貧弱であり、その後敗戦に至るまでの間に近代そのものがやせ衰えてしまった。
鎖国が国是としておお暴れして革命したわけだが、それが達せられるとさっさと開国してしまった。
人間はよほどでない限り、自分の生国、母校などに自己愛のようなものをもっているが、この土俗的な感情は軽度の場合ユーモアになるが、重度の場合は血生臭く、見苦しい。単なるナショナリズムは愛国という高度の倫理とは別次元のものである。
ナショナリズムは、本来、眠らせておくべき性質のものである。わざわざこれに火をつけるのは、よほど高度の政治意図から出る操作であり、歴史はこれに揺さぶられると、一国一民族は壊滅してしまうという多くの例を遺している。
ついでながら「尊王攘夷」も輸入思想である。宋(960-1279)では、征服王朝による侵略を受け続け、結局滅んでしまったが、その政権下で夷を打ち払い、漢民族の正当の王を尊ぶべしという思想を生んだ。これは危機時におけるものであり、普遍性を持つものではない。
日本の13世紀はすばらしい時代であった。新仏教、彫刻におけるリアリズム、開拓農民の政権(鎌倉幕府)により、律令制下で力を蓄えた公家・寺社勢力と対抗し、田を作るものがその土地を所有する権利を確立した。この素朴なリアリズムをよりどころにする百姓の政権ができて、日本は中国や朝鮮とは似ない歴史を歩み始めた。
宋学(尊王攘夷)はイデオロギーであったが、このとりこになったのが後醍醐天皇である。日本の天皇としてではなく、中国の皇帝のようなつもりになり大乱を起こした。
宋学は、本場中国にあっては、朱子により大成し、精密化された。朱子学の理屈っぽさと、現実よりも名分を重んじる態度は、官学化されることで弊害を生んだ。日本では、朱子学の空論性が攻撃され、江戸期の思想に好ましい効果を生んだが、一箇所朱子学が沈殿していった土地がある、それが水戸である。幕末、水戸は朱子学的尊王攘夷思想の中心的存在となった。

○3「雑貨屋の帝国主義」

日露戦争における海軍は、大規模な海軍たらざるをえなかった。ウラジオストックに停泊し、また欧露から回航されて来る大艦隊と戦うには、やむなく大海軍であることを必要とした。応急の必要に迫られ、日本は開戦前7〜8年の間に世界有数の大海軍を建設した。
本来、大海軍というものは世界各地に植民地を持つような国において必要なものであり、無敵艦隊のスペインはそうした例の代表的なものである。
日露戦争後においても日本は世界中に植民地など有していない。大海軍は必要なかったのだ。しかし、一度生まれた組織は、参謀本部という奇胎を背後に増殖を続けた。
日本における帝国主義は本当に存在したのか。たしかに日本は韓国併合を行ったが、イギリスにおける帝国主義は、過剰な商品やカネのはけ口であるが、日本ではそんな過剰な商品など存在しなかった。日露戦争の勝利が日本国と日本人の調子をくるわせてしまった。
小村寿太郎は、ぎりぎりのところでポーツマスにおける講和を結んだ。日本にはもう戦争を続けるだけの力は残っていなかった。しかし、国内では講和拒否、戦争継続を唱える新聞と大群衆を生んでいた。この狂気こそがその40年後の破滅への出発点であった。
満州へは当時無関税で商品を輸出していた。これにより現地の資本は総倒れとなったが、その商品たるや、人絹、砂糖、雑貨のようなものであった。このちゃちな帝国主義のために国家が滅ぶこととなる。一人のヒトラーも出ずに大勢でばかな40年を持った国は他にはない。

○4「統帥権の無限性」

現在と日本史上の中世、近世には十分つながりがある。しかし、近代の昭和一ケタから20年の敗戦までは、日本史の中で非連続の時代である。
自分は昭和18年当時、中国東北部にいたが、常にノモンハン事変(昭和14年)のことが頭にあった。ソ連のBT戦車は大量生産の雑な車体であったが、防御力と攻撃力に優れ、ノモンハンの日本軍は、じつに死傷率70%という世界戦史にまれな敗北をして停戦した。これは関東軍参謀の独走で行われた。
昭和前期の日本は、統一的な意思決定能力をもっていたとは思われない。
当時の参謀本部作戦課長に話を聞いたことがあったが、小石ほども実のあることを言わなかった。

○5「正成と諭吉」

維新後、尊王攘夷思想は、尊王だけが残り、イデオロギー化した。マルキシズムを含め、イデオロギーが善玉・悪玉をよりわけたり論断するようになると、幼児のようにあどけなく、残忍になる。
後醍醐天皇は、建武の中興において、ごく自然な日本的体制であった鎌倉の武家体制を否定し、中国の皇帝のような専制権を持とうとした。正成はこれに呼応して、河内金剛山のふもと赤坂に城塞を作り、1000名の手兵で幕府軍20万7600騎(太平記)の大軍に抵抗した。北条執権府がいかに無能で弱いかを天下にさらけ出し、赤坂陥落後も、ゲリラ戦や正規戦で幕府軍を大いに苦しめた。
尊氏が北朝を立ててからは、焦土作戦を企画した。京都という都市は食糧を生産せず貯蔵もしていない。いったん京都を退いて敵の尊氏を京都に呼び込み、四方を固めて敵を叩こうとした。しかし、帝の側近は帝が京都を退くこの策を受け入れず、聖運でなんとかなるのではないかとした。正成は、わずか500騎で兵庫に下り、湊川で一族とともに討ち死にする。
太平記読みは講談の源流であり、とくに江戸期、元禄のころ武士や庶民の間で隆盛を極めた。人気は正成に集中した。昭和になり、朱子の尊王論が国民教育に取り入れられ、楠木正成は思想語に近くなった。

○6「機密の中の国家」

明治憲法は明らかに三権分立の憲法であった。統帥権などという用語は存在していない。日本の歴史は一級の歴史であるが、この昭和10年から20年だけは異質な時代である。

○7「明治の平等主義」

明治維新は徹底的な革命だった。諸藩に莫大な金を貸して富裕を誇った金融業は、鴻池を残して一夜でまるはだかになり、全国300万の士族とその家族は失業し、農民は米でなく現金で年貢を払わなくてはならなくなった。
江戸時代は幕府も藩も原則として自作農主義であり小作農は少なく、自作農は自給自足を原則としており、現金など持っていなかった。このため現金の入る家業の造り酒屋にたのみこみ、自分の田の所有権を渡し、税金を肩代わりしてもらう約束で小作農になった。革命は、フランス革命やロシア革命と異なり、誰も得をせず、社会全体が手傷を負う形で成立した。
島津久光は、この革命の発端となった薩摩藩を率いていたにもかかわらず、こんなドラスティックな形での変革は望まなかった。彼は、新政府(太政官)を憎み、西郷を安禄山であると悪罵した。西郷もこれは堪えたようで、新政府を辞して鹿児島に戻っている。久光は大久保も恨んだ。まさか版籍奉還をするとは考えていなかった。
大久保は冷厳な人物であった。儒教的な思弁を好まず、軽兆さがなく、現実主義だった。

○8「日本の近代」

忠臣蔵はお侍の話である。浅野家の若い殿様が、高家(儀典課長)の吉良にいじめられる。この浅野家の経済力の裏には赤穂の塩があった。これが全国に流通していた。また、日本列島の沿岸を回船が運航し、商品流通を行っていた。
また江戸の識字率は世界一だったのではないか。文字を習わせるのは、聖賢の書を読むためではなく、農村や町方のこどもが奉公した時に帳付けをできるようにするという、きわめて経済的な動機によるものである。江戸や大坂では劇場が栄えたが、これは貴族の保護によるものでなく、大衆の木戸銭によるものである。
商品経済の盛んな世になると、モノの売買、カネの貸借すべて個人が矢面に立つようになる。モノの価値を権力でなく相場が決めるようになり、江戸時代はそうした意味ですでに近代であった。


ヨーロッパにおける近代精神は、宗教的権威の否定、科学的合理主義と人格の自律性、人間主義の3つが柱であるが、これらはすでにそれぞれ富永仲基、山片播桃、井原西鶴により江戸時代に育成されていた。


※※※ 「明治維新成立の時、この日本が育てた近代に欧米の近代を接木していれば面白いことになったのではないか。」


○9「尊王攘夷」

宋の時代、北方の女真人が金という国を興し、宋を苦しめた。金も宋ものちに蒙古によって滅ぼされる。
李氏朝鮮にとって攘夷は非常に大きな問題であり苦しめられ続けた。日本の攘夷は、明治を迎えあっという間に開国に切り替わってしまうなど単純なものでしかなかった。

○10「浄瑠璃記」

海商でありロシアに拿捕された高田屋嘉兵衛は、初等教育を受けていなかったが、浄瑠璃好きのおかげで魅力的な表現力を持っていた。最下級の町人に過ぎなかったが、魅力的な人物であり、ロシア側は将官として待遇した。捕虜であるにもかかわらず、日露の問題を解決しようと外交を行った。
浄瑠璃の曾根崎心中では、徳兵衛は、裏切られた油屋の手代九平次を、あいつも男をみがく奴と心で思う。在所から都市へ出て一人前になるには個人の倫理的修業が必要で、江戸人は町人も男を磨いていた。

○11「信長と独裁」

信長は、部下の門地を問わなかった。秀吉は浮浪児のあがりである。信長好みの気迫はあったが個人的な武芸があったわけではない。
信長は、結局人間を道具としてみており、鋭利な方がよく、使い道が多様であるほどいい。秀吉は、早くからこうした信長の性質を見抜き、我を捨て、道具としてのみ自分を仕立てた。
信長は、秀吉に経理・補給という計数の才、ついで土木の才も見いだした。秀吉は大功を立てると、その果実を惜しげもなく信長に差し出した。
信長は、いっさい資料はないけれども、中国の皇帝制のような、中央集権・郡県制を夢見ていたのではないか。
本能寺の変にみられるように、日本史は独裁者につよい反発をもった歴史といっていい。

○12「高貴な「虚」」

大概大概(テゲテゲ)という言葉が薩摩にある。上の者は大方針のあらましを言うだけでこまごまとした指図はしない、といった意味である。戊辰戦争の西郷隆盛、日露戦争の大山巌、東郷平八郎といった薩摩人はみなテゲを守った。これは薩摩の風土性というより、日本全体がそのような風である。
上の三名は、マスタープランを明示した後は、部署部署を責任者に任せてしまい、自身は精神的な象徴性を保つのに終始する。これに対し、山県有朋(長州)はこまごましたことを部下に指示した。
テゲであるには、人格に光がなければならない。そうでない人物が首領になると日本人は参ってしまう。
日本陸軍では、くだらない人物も大山型を気取り、スタッフに過ぎない参謀に大きな権限を持たせた。これら参謀は専断と横暴のふるまいをした。

○13「孫文と日本」

明治の日本には、渋沢栄一ら資本主義の興し手を見ても、民衆を見ても「公」の意識が浸透していた。福沢諭吉はそうした状況から、立国の基礎は公ではなく私なのだと諭したほどである。

○14「江戸期の多様さ」

いまの社会を見ると、行政管理の精度は高いが平面的な統一性、文化
の均質性、価値意識の単純さが目立つ。国をあげて受験に熱中しているという愚かしさである。価値の多様状況こそ独創性のある思考や社会の活性を生むのに、逆の均一性に走り続けている。
江戸期の商品経済が商人や都市近くの農民に合理主義思想をもたらした。
三百ある藩において、たしかに礼儀作法、服制、結髪、文章表現などはほぼ一種類であったが、教育や学問は藩ごとに違った。

○15「若衆と械闘」

中国人は、とくに個人がいい。中国人はリラックスしているのに、日本人はいつも緊張している。日本人は公意識を持ちすぎている。



続く
メンテ
司馬遼太郎史観→接ぎ木文化 2 ( No.231 )
日時: 2018/05/21 13:51
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:aA98q2Qw

○16「藩の変化」

「藩」というが、このことばは江戸中期まで使われていない。たとえば大石内蔵助は、播州赤穂藩士とは称さない。浅野内匠頭家来であった。藩という言葉が日常語になるのはようやく幕末になってからであった。奈良時代以来、江戸期に至るまで、公というとお上のことであったが、この「藩」という言葉の普及とともに、公という言葉は、いわゆる公意識のようなものに変わっていったのである。

○17「土佐の場合」

土佐を含む南海道には平等意識が強く、過剰な敬語が発達しなかった。
薩長土肥ということばでまとめられがちだが、この四藩はそれぞれ性格がかなり異なっていた。

○18「豊臣期の一情景」

守護は、のちの戦国初期の北条早雲のように懸命な民政をするわけではなく、ただの租税のふんだくり屋であった。
地侍は、基本的に百姓である。加賀平野はもともと低湿地に過ぎなかったが、ここに13、14世紀に地侍が入植し、美田を作り上げた。守護の富樫氏は、そうした後に入ってきて年貢を要求した。入植者は、兵農不分の頃なので、甲冑も弓矢も持っていた。これら地侍の連合を「一揆」と称した。加賀一揆は、富樫氏を滅ぼし、1488年から100年間、加賀は百姓の持ちたる国などといわれた。この百姓とは地侍のことである。

○19「谷の国」

新興住宅地は丘のうえに造成されることが多いが、もともと日本人は谷に住み、農業を行ってきた。村落や城下町も谷につくられた。
様子が変わったのは、横浜開港後からで、外国人たちが高そうな丘に住むようになった。

○20「六朝の余風」

室町までの日本の貴族は呑気なものだった。北条早雲が初めて領民の暮らしを考えるようになった。

○21「日本と仏教」

本来の仏教はじつにすっきりしており、人が死ねば空に帰するという考え方で、釈迦も墓を持たない。他の宗教のような教義もなく、救済の思想もない。
解脱こそが理想であり、煩悩の束縛から放たれ、自主的自由を得ることが理想である。
一方、日本の宗教改革ともいえる鎌倉時代には、浄土真宗と禅宗が現れた。禅宗は、仏教本来の解脱的性格を備えている。一方、浄土真宗は、仏教よりもキリスト教に近く、救済の性格を持つ。
救済の性格は、本来の仏教にはなく、大乗仏教にはじめて現れるものである。
親鸞は大乗経典のなかでも『阿弥陀経』のみを自分の根本経典とした。阿弥陀仏をGODに近い唯一的存在ととらえた。親鸞の思想にはいっさい呪術性がなく、これを排除した点はプロテスタンティズムに似ている。念仏はひとのためのものではなく自分のためのものであり、鎌倉時代の個の成立と関係がある。

○22「日本の君主」

日本においては君主は君臨すれども統治せず、の姿勢を持ち続けた。江戸期に実権を持っていたのは藩主ではなく老中であった。



(引用終わり)

この中で、

「明治維新成立の時、この日本が育てた近代に欧米の近代を接木していれば面白いことになったのではないか。」

という事を言っています。

接ぎ木とは園芸用語で

2個以上の植物体を、人為的に作った切断面で接着して、1つの個体とすることである。このとき、上部にする植物体を穂木、下部にする植物体を台木という。通常、遺伝的に異なる部分から構成されている個体を作る技術として用いられるが、果樹等の育種年限の短縮化、接ぎ木雑種の育成などの目的で行われる場合もある。

柑橘類の台木にデコポンを接ぎ木した例(左は接ぎ木後に新たな葉が成長、右上は接ぎ木に失敗し枝が枯れる)
接ぎ木は、挿し木や取り木と同じく有用植物を枝単位で栄養生殖させる方法である。他の方法と根本的に異なるのは、目的とする植物の枝から根を出させるのではなく、別の植物の根の上に目的の植物の枝をつなぐことである。接ぎ穂と台木は近縁な方が定着しやすいが、実際には同種ではない組合せもよく使われる。うまくいけばつないだ部分で互いの組織が癒合し、一見は一つの植物のような姿で成長する。勿論実際にはこの接触させた位置より上は目的の植物の枝から生長したものであり、それより下は台木の植物のものであり、遺伝的に異なっている。但しまれにこれらが混じり合ってキメラや、更に遺伝子のやりとりが行われることもある(後述)。

接ぎ木の目的は接ぎ穂とする植物の増殖であることが多い。挿し木とは異なってはじめから根があることが有利な点となる。欠点は、台木となる成長した植物を準備する必要があるために、挿し木ほど効率がよい繁殖が出来ない。

接ぎ木の目的としては、このほかに接ぎ穂にする植物の根を台木の植物に置き換えることそのものである例もある。改良された農業品種は性質が弱い場合がままあり、例えば根の病害虫に対して弱い場合もある。このようなとき、より強健な野生種の根を台木にしてその品種を接ぎ木するのが有効であることがある。更に特殊な例では、葉緑体を持たなくなった品種を野生種の上に接いで育てる、というサボテンの例もある。コニファーでは、根張りの悪い品種の欠点を補うために接ぎ木での繁殖が行われることがある。

よくある失敗としては、台木の方から新芽が出た場合、こちらが元気になっていつの間にか接ぎ穂の方がなくなってしまう、というのがある。たとえばライラックを植えていたのに花が咲くと何故かイボタノキだった、というのがこれにあたる。

接木雑種(つぎきざっしゅ)とは、異なる品種の作物を接ぎ木した結果、変異などにより、生じた新種。栄養雑種(えいようざっしゅ) ともいう。

古代ギリシア人は接ぎ木によって果実の香りや色を改良するよう試みた。ソ連のルイセンコは接木のみで雑種ができると主張し、遺伝的な性質までも変化させるという学説を流布した。スターリン、ソ連政府のお墨付きによって絶対的な学説とされたが、科学的な実証性のない学説であったため、その後、接木によって新しい品種はできないとされた。



以上の様に、接ぎ木したとは言っても、その効果が一定して良いものであるとは限らない。
日本の場合、明治時代の文明開化は確かに接ぎ木されたものであろう。
しかしながら、その接ぎ木によって、望ましい文化が派生したのであろうか。
元木と接ぎ木の関係は、どのようになっているのであろうか。
いずれにしても栄養分は元木のそれに頼っているはず。

どの様な植生が期待できるのか、

勿論、短絡的に結果を望むものではないが、その検証は必要なのではないであろうか。

他の例として、内村鑑三が武士道の上にキリスト教精神を接ぎ木しようとした例がある。
これは成果が全く上がらなかった。
メンテ
時代考証のまとめ ( No.232 )
日時: 2018/05/21 18:46
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:aA98q2Qw

13世紀の日本は素晴らしいと司馬遼太郎氏も言っているように、鎌倉時代以降の4世紀は日本人が民族として国家として目覚めた時代であった。
私は、その活力を日本人の魂と定義し「大和魂」と言いたい。
しかしながら、その大和魂を導き出した源流(ルーツ)に和の心がある事を忘れてはならない。
鎌倉以降の民族の有り様は、他の民族にもそれぞれあること。他の民族と異なるのは、その前提となる「和」の心である。
このスレッドでは、最初のころ、大きな紙面を割いて、それに言及して来た。
それを理解せずに「大和魂」を取り上げる事は出来ない。

その日本特有の民族の心「大和魂」が、明治時代に言われるような意味に変質して来たのは何故であるか。
それをこれから解きほぐしてみたい。

江戸時代に入って何が変わったかと言えば、それは専制国家としての安定と繁栄の為の制度が完成されたことである。

それは庶民にとって幸せであっても不都合な事ではなかった。
ではあるが、専制君主による統治と庶民の有り様については別の問題が生じる。
お上に従うと言う形の下、政治と言う問題が庶民の間でも問題になる。
政治が上手く機能している場合は、ともかく、政治を、社会を変えようとする民族の力はそがれる事になる。
特に我が国の様に外国からの侵略が無い場合、庶民の民族意識は抑圧される一方であった。

あれほど平和的で活発であった民族意識が抑えられ背景には、朱子学による統治と天皇家を元首とする神道の思想の影響がある。
神道においては、古来氏神信仰として自然発生的に広まった宗教であったが、時代が遡るにつれて、特に室町時代以降、天皇家の氏神を全ての国民の氏神とすることで、天皇家の権威を確立させようとする動きであった。
それは最初は武家に奪われた政権を貴族に取り戻そうとする動きの一端であったが、時の政権、特に明治時代の政権は、これを利用し統治をする事を企んだ。

天皇家を全ての国民の氏神に置き換えるという事は、多神教の枠からはみ出す神道の一神教化であり、あってはならない、また、出来ない相談であった。
毎日天皇に対して礼拝するなど考えられないことではあったが、それに近く各家庭に天皇の写真を飾る事などは奨励された。

これが明治の神道国家思想であり、現在までも影響している国民の思いである。
それとは別に、天皇家への愛着は大和政権以来でも1500年、伝説の時代を含めると2000年以上の長きに渡り国民の間に定着し時代と共に政権が代わっても未だに天皇家が健在である事が証明している。
しかしながら、あるべき天皇の形は、日本人の心の取りどころ氏神信仰の象徴として天皇家の氏神を認めるところでなければならない。
現代の神社庁などの様に、全国の氏神を系列化されることなどあってはならない。

でも、そうした氏神信仰の系列化が室町時代にはじまり江戸時代の本居宣長などによって完成された。
江戸時代、幕府は天皇家を国民の心の代表として敬意を払って認めることで終始し、問題は起きなかった。
明治政府は、此れも司馬遼太郎が指摘している様に、明治維新は特に大義名分に基づいた革命ではなく、子供の様な現状否定から始まった。
そのために新生国家としての理念もなく天皇を担ぎだし神道国家などを求める国家となり、天皇と国民を直接結びつける結果となった。
戦争などで天皇陛下万歳と叫んで突進する様な気概を人為的につくりあげた。

もう一つの要素は朱子学である。
儒教、朱子学については別途、詳細を述べるが江戸時代に入って官学となった朱子学の大義名分論は、家臣は主に絶対的に服従すべきであるという思想を指します。つまり、君主に絶対的忠誠を誓わせるもので、支配者の江戸幕府にとって都合が良いものであり、武家政治という理念を提唱するのに理想的だったのです。また、社会秩序の維持を図ることもでき、個人と社会を統治する思想も提唱しています。そこで、江戸幕府は幕藩体制を擁護する統治思想を必要としていたこともあり、朱子学を統治思想として導入したのです。
武士道とも相まって、この思想は盤石の体制となり徳川幕府を支える事になる。

まあ、この両面から巧妙にマインドコントロールされたと言える。
この様な時代が250年続いたが、やがて外国船の来航が激しくなり西欧文化の匂いが我が国にも入ってきた。
その匂いが幕藩体制の矛盾と共に、新しい芽を生むことになり明治維新を迎えた。
その明治維新の改革(革命)も、内から湧き上がる大義名分と言うよりも外国の圧力にも乗るものであり、理念なき改革に終わり、明治政府の体制を生み出した。
もちろん、立憲民主主義など形式的には西欧化はなしたが、国民のレベルでは受動的なものであった。
現代社会はと言えば、江戸時代、明治時代に渡って巧妙にマイルドコントロールされた日本人が、西欧文明を接ぎ木され、元木の姿が解らないままに、発育して来た様なものである。
メンテ
時代考証のまとめ 2 ( No.233 )
日時: 2018/05/23 21:42
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:XPKXw99A

前回、

>現代社会はと言えば、江戸時代、明治時代に渡って巧妙にマイルドコントロールされた日本人が、西欧文明を接ぎ木され、元木の姿が解らないままに、発育して来た様なものである。

と言ったが、元木の姿とは何を指すのであろう。
それは文化、文明の成果の事ではなく「大和魂」で現される心の問題である。
「大和魂」と言っても、その源流である「和の心は」接ぎ木への栄養分として常に供給されていたとも言える。

ごく最近、神戸大震災でも、東日本大震災でも、被害者達の整然とした行動は世界中を驚愕させるものであった。
これが日本人なのである。

ただし、接ぎ木の部分は、別の西欧風の進化を遂げ、別の様相を呈しているのである。
日本と言う大木は、接ぎ木によって、もっと違う形に成長していた可能性もあるのである。

さすがに、司馬遼太郎は整然と日本の歴史を俯瞰している。
それによると、奈良、飛鳥の時代から明治まで、中国の影響を受けながら、それは体制的な分野の事であり、民衆レベルではなかったと言っている。

江戸時代でも一般庶民の生活は西欧に引けをとるものでは決してなかったと言っている。
士農工商と言う、幕藩体制でありながら、民衆が自由奔放に生活していた面は、箱庭の民主主義が成立していたとも言える。
戦争がなくなった250年の間、民衆が育てた社会なのであろう。

また、蒙古の襲来はあったものの、我が国は外国の侵略とは縁の遠い数千年の歴史がある。
「和の心」は、それだからこそ醸成して行ったとも言える。

しかしながら、我が国の民主主義は、本当の意味で民衆が勝ち取ったものではない。
民衆が止むにやまれず行動して勝ち取ったものではない。
民主主義の第一義は主権在民である。

「和の心」が先行して、この面が希薄なまま現代に至っている。
そのために、既に社会としては江戸時代から民主主義と言いながら明治から先の大戦に至る国家権力の暴走を止められなかった。
現代社会においてアメリカ追従に専念せざるを得ないのも、権力に対する抵抗心が弱いからである。
現代社会の専制君主は、アメリカに代表される資本の力(世界経済)である。
世界中が、その専制に疑問を持ち始めているのに、日本は未だに従順に従うつもりであるのだ。

200年前の市民革命は封建権力に対してであった。
現代社会が求められている第二の市民革命の相手は資本(世界経済)である。

「大和魂」の源流{和の心」は現代日本にも未だに息づいている。
でも、それだけでは不十分であり、必要十分条件として「和の心+○○」が必要であるのだ。
「和の心+○○」、これを「大和魂」としている。

そうして、それが認められるのが我が国の中世であると思っている。
江戸時代以降の儒教(朱子学)が潜航する統治への認識は、その「大和魂」の発露を阻害している。

「大和魂」とは、アメリカのフロンティアスピリット、イギリスのジョンブル魂の様に民衆の持つ気概の事である。
フロンティアスピリットもジョンブル魂も、それは決して対外的進攻を意味するものではない。

日本の「大和魂」だけが、戦争の道具の様に思われているが、それは戦前の軍部により押し付けであり、その様な軽薄なもので「大和魂」を理解してはいけないのである。

「和の心」も大切なものであり、民族的な心としては得難いものであるが、時代の困難を切り抜けるには、それだけでは出来ないのである。

メンテ
「大和魂」とは! ( No.234 )
日時: 2018/05/23 21:49
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:XPKXw99A

時代考証は終わりにして、改まって「大和魂」とは、何かと考えてみよう。

この文章の書きかけにおいて「大和魂」と言う言葉は紫式部が源氏物語の於いて、当時の貴族の青年たちに、将来、政治に関わるときの心構えとして教えていた事に始まる。

大和魂に代わる言葉として「社会正義」として見る事も出来るでしょう。

ウィキペディアによると、

正義とは、倫理、合理性、法律、自然法、宗教、公正などにもとづく道徳的な正しさに関する概念である。 正義の実質的な内容を探究する学問分野は正義論と呼ばれる。広義すなわち日本語の日常的な意味においては、道理に適った正しいこと全般を意味する。

正義の言葉の中の義については東洋的な意味では、特に次の事が強調される。

人間の行動・志操・道徳で、「よい」「ただしい」とされる概念である。義人とは「堅く正義を守る人。わが身の利害をかえりみずに他人のために尽くす人」。

言語的には問題は無いとしても、実際において、何が正義かという観点から見ると、正義の意味が往々にして変節する場合がある。
ヒットラーの登場も、当時のドイツでは正義であった。
日本の軍部の独走も多くの国民には正義と見えた。

で、あるので「大和魂」を正義と言う概念で見るだけでは問題があります。

また、ヒットラーの場合の様に暴走はしなくても、その言葉に多くの人たちが影響を受けすぎると狂信者の集団の様な弊害をもたらす。
「社会正義」と言っても、それが具体的なある方向性を示した時、一つの勢力となり他方を圧迫する。

革命が必要なとき以外は「大和魂」と言う概念を、その様なもので捉える事は問題である。
正義と言う意味では、個人個人が正義の心根を強く持っている状態としておきたい。

また、その正義とは

>倫理、合理性、法律、自然法、宗教、公正などにもとづく道徳的な正しさに関する概念である。

という意味でもない。
その様なものも超越した生き様と見ている。

人間社会に必要な向上心、助け合いの心を強く持ち、必要な時にはそれを発揮できる気概である。
決して特定の正義に組する事ではない。

その様な「大和魂」であってこそ、民衆を正しく導くことが出来るのである。
また、導くと言っても国家、民族そのものを導くなどと言っている訳でもない。

人間の集団は、幾ら民主主義を唱えても結局は一部の先験者によって導かれるもの。
これは、歴史においても、皆さんの身の回りにおいても実証されているはず。

太鼓を打つとき、大きく打てば大きく反応し、小さく打てば小さく反応するように、「大和魂」は必要に応じて発揮されれば良いのである。

昨今、安倍内閣打倒のデモが国会周辺で行われている。
デモを主宰している人、参加している人は、それぞれ止むを得ない心情(大和魂)に駆られてやっているのでしょう。
でも、それに多くの人が呼応しません。

結果、あの安倍自民党が何時までも悪政を敷いたままです。
イスラムの様な熱狂を支持する訳ではありませんが、我が国は大人しすぎる。

というか、それぞれが身勝手すぎる。
社会正義よりも、己の安全、安泰、損得を優先する。
己と言う小さな小さな入れ物に閉じこもる。

「大和魂」を謳い、熱狂せよとは毛頭言いません。
また、歴史的にも、そんな時代はありませんでした(戦前の一時期を除いて)。

時代が、そういう環境であったのでしょうが、
貴族政権から解放された日本人が、自らの可能性を求めて積極的に動き始めたのが鎌倉時代以降。
その生き様の中に「大和魂」を見る思いです。
勿論、当然の事ですが、当時は、彼らに、その様な自覚など無かったでしょう。

「大和魂」とは、その様なもの
フロンティアスピリットとは、その様なものではありませんか。


(追伸)

「大和魂」と言う言葉を使うと嫌悪感に満ちてこれを否定する人たちが多い。
まるで街宣右翼と同類に扱われる。

しかしながら先の大戦において、国を守る為に散って行った200万近い兵士の事は、どのように思われるのか。

全てが全てでないとしても「大和魂」を信じて突進し倒れた兵士の事は考えられないのか。
その「大和魂」が軍部によって利用されていたとしても当事者の兵士の責任ではない。

ここで「大和魂」をミソクソに言う事は彼らの死を馬鹿にする事になる。
調子者が騙されて死んだと言えますか。

彼等の為にも「大和魂」は正当に評価することが大事と思います。
彼等は、まさしく彼等なりの「大和魂」を持って、国を守る為に死んだのです。


メンテ
大和魂とは ( No.235 )
日時: 2018/08/02 16:37
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:42inf0Oo

阿修羅掲示版などでも、安倍政権批判が渦を巻いている。

批判する心は理解できる。

しかしながら、理屈が先行し、理屈に拘るばかりで、国民の切なる思い、憤怒の気持ち、何とかしたいと言う気持ちは、あまり伝わってはこない。

「大和魂」とは、国民自身が、共に良い社会を築こうとする思いではないかと思う。

「大和魂」と言う言葉を使えば、直ちに戦前までの、権力による押し付けの心の様に取り上げられる。

そうでは、無いでしょう。

権力の形態が何であろうと、国民の望む心意気ではありませんか。

格差が広まり政治は腐敗し誰もが救いの手を差し伸べないとき

国民自身が、これではいけないと想う強い気持ちを持つべきではないか。

その気持ちの総体が「大和魂」ではないかと思う。

民主主義の名の下に、希薄になってしまった連帯意識を取り戻すのが「大和魂」ではないかと思います。

「大和魂」は皆の気持ちであり、権力者に利用されるものではなく、逆に権力者に立ち向かうものであると思います。

メンテ
民族のバックボーン(大和魂) ( No.236 )
日時: 2018/09/30 14:40
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:yGU1Ap.Q

久しぶりに書き込みます。
最近、糾弾掲示板の意図に反して邪悪は心根から発する投稿が続いていました。
糾弾掲示板は、どのような内容に関わらず、真摯に思いを訴えるところです。
御口直しにどうぞ!

世界の民族のバックボーン

>フロンティアスピリット(アメリカ)
開拓者精神。特に米国の西部辺境における開拓者たちの精神。剛健・忍耐・創意、また闘争性・現実性・利己性などを特色とする。

>ジョンブル魂(イギリス)
言ってみれば、日本の「大和魂」やドイツの「ゲルマン魂」の英国版です。
一言で言えば「不屈の精神」ですが、意味するところは「イギリス人固有の、頑固で律儀、
こつこつと自分の思いを追求する姿勢」のことでしょう。

>ゲルマン魂(ドイツ)
ゲルマン魂とは、「不屈の精神」などと言われますが、

サッカーで言えば、最後のホイッスルまで絶対にあきらめないめない。
裏を返せば、勝利にこだわり常に敗北を恐れている魂とも言い換えられるでしょう。

ゲルマン人(ゲルマンじん、ドイツ語:Germanen)は、現在のドイツ北部・デンマーク・スカンディナヴィア南部地帯に居住していたインド・ヨーロッパ語族。
原始ゲルマン人は現在のデンマーク人、スウェーデン人、ノルウェー人、アイスランド人、アングロ・サクソン人、オランダ人、ドイツ人などの祖先となった[2]。アングロ・サクソン人になったゲルマン人系部族にはアングル人、サクソン人、ジュート人、フリース人がいた。

>ノブレスオブリージュ(フランス)
高い地位や身分に伴う義務。ヨーロッパ社会で、貴族など高い身分の者にはそれに相応した重い責任・義務があるとする考え方。

>中華思想(中国)
中国が世界の文化,政治の中心であり,他に優越しているという意識,思想。中国では伝統的に漢民族の居住する黄河中下流を中原と称し,異民族を夷狄 (いてき) ,あるいは蛮夷と呼んできた。異民族は東夷,西戎,南蛮,北狄に分けられ,この四夷を,中華がその徳化によって包摂しようというのである。この思想は古く周代に始り,以後近代まで連綿として引継がれ,中国人独特の世界観を形成してその歴史や文化に多大な影響を与えてきた。漢民族の優位が確保されている限りにおいては寛容で開放的な博愛主義となって現れるが,ひとたび優位が否定された場合には,きわめて偏狭な保守排外主義の傾向が示される。

>大和魂
日本民族固有の精神として強調された観念。和魂,大和心,日本精神と同義。日本人の対外意識の一面を示すもので,古くは中国に対し,近代以降は西洋に対して主張された。平安時代には,和魂漢才という語にみるように,日本人の実生活から遊離した漢才(からざえ),すなわち漢学上の知識や才能に対して,日本人独自の思考ないし行動の仕方をさすのに用いられた。江戸時代に入り,国学者本居宣長は儒者の漢学崇拝に対抗して和魂を訪ね,「敷島のやまとごころを人問はば朝日に匂ふ山桜花」と詠んで,日本的美意識と,中華思想に対する日本文化自立の心意気をうたいあげた。

※ 詳しい検証は、このスレッドの全てでやっています。
メンテ
悪貨は良貨を駆逐する ( No.237 )
日時: 2019/04/13 14:56
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:zxOrmilQ

多くの皆さんが日本人の劣化を嘆いておられます。
政治批判も民意批判もつまるところ日本人の劣化を指しています。

>「悪貨は良貨を駆逐する」と言う言葉があります。

これは以外にもイギリスで言われたことです。

十六世紀、エドワード六世・エリザベス一世のもとで財務顧問を担当した貿易商グレシャムが唱えた経済法則で、エリザベス一世に提出した意見書にあることば。
当時は通貨は金で作られており、通貨を増やすために金の含有量を減らした通貨が流通し、金の含有量が高い通貨はしまい込まれると言ったのです。

※ 現在では経済法則から離れて、悪人(物)がのさばる社会では善人(物)が追い払われるという意味で使われることが多い。

これを現代社会全般の事象に当てはめて見ましょう。

昔の日本、特に江戸時代以降の日本では儒教、仏教の影響によって倫理・道徳の思想は社会に浸透していました。
幕末から明治にかけて来日した欧米人が吃驚したほどです。
まあ、貨幣で言えば金の純度が高い人格が普通であったと言えます。

明治時代の到来とともに西欧化が進み民主主義的考え方が入って来ましたが、同時に皇国思想も押し付けられ、皇室に対する思いが国民を抱合することで、共生の要素が醸し出されていました。

戦後の民主化は、その枠も取り払われ、日本人はまともに西欧民主主義と向かい合うことになりました。
西欧民主主義というものは、同時にキリスト教社会でもあり、キリスト教の規範は、彼等の根底に息づいていました。

ところが、日本では、そのキリスト教抜きの民主主義を民主主義と捉え狂気して迎えました。
安易に手に入る悪貨は、個人の権利、自由意識と捉えることが出来るでしょう。
良貨とは、社会を守る規範の思想です。

この場合、良貨を大切にしているのではなく、しまいこんで忘れているのです。
戦前から生きている人たちは、まだ良貨の価値を知っていますが、現代人には、それが認識できない。
ことある場合には非常に脆弱な社会となっていると思います。

それに対して欧米人は、悪貨を使いながらもキリスト教を捨ててはいない。
逆に捉えれば悪の確信犯。

そりゃあ、悪に対しては、日本より強いであろう。
中国人は中華思想が根底にあり、これも極悪人の要素を持っている。
アフリカ、東南アジアの発展途上国は、悪の競争に勝ち抜くことに懸命で、それなりの緊張感がある。

日本だけが、悪の社会に埋没し、悪自身の大きな方向も知らず、悪に親しんでいる状況。
じっとしていれば、他国に追いつかれ、追い抜かれることになる。

民主主義が悪いとは言わない。
けれども民主主義だけに埋没することは危険である。

民主主義は貨幣ではあるが悪貨なのである・
良貨の存在を忘れては貨幣経済は成り立たないで、いずれ自滅することになる。

日本人にとって良貨とは何か。
それは倫理、道徳であり、和の心、同時によりよき社会を求める気概(大和魂)であろう。

悪貨の中の、のんべんだらりとした生活は、いずれ社会そのものを見失う。
民主主義とは主権在民のこと。

その民が、民主主義の中の個人の権利、自由に埋没していれば、やがて社会の恩恵は失われることになる。
それだけではなく、強力な悪貨にも打ち負かされる。

民主主義は良い。
だが、それを追い求めるばかりでは、民主主義の恩恵を享受することも出来なくなる。

スマホに興じ、ゲームに夢中の現代人にそれが防止できるのであろうか。
馬鹿を売り物にするテレビ番組の中で育った子供たちが気がつくであろうか。

日本には何かが足りない。
キリスト教的、覇権主義もなく、発展途上国の情熱もない。

民衆はともかくとしても、政治でも経済界でも、大きな理念に裏打ちされた人間がいない。




メンテ
私の大和魂! 俺の大和魂 ! ( No.238 )
日時: 2019/08/31 00:16
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:KMSoEItk

NO236のレスで、フロンティアスピリット、ジョンブル魂、中華思想などと比べて、大和魂のことを次のように書きました。

>大和魂

日本民族固有の精神として強調された観念。和魂,大和心,日本精神と同義。日本人の対外意識の一面を示すもので,古くは中国に対し,近代以降は西洋に対して主張された。平安時代には,和魂漢才という語にみるように,日本人の実生活から遊離した漢才(からざえ),すなわち漢学上の知識や才能に対して,日本人独自の思考ないし行動の仕方をさすのに用いられた。江戸時代に入り,国学者本居宣長は儒者の漢学崇拝に対抗して和魂を訪ね,「敷島のやまとごころを人問はば朝日に匂ふ山桜花」と詠んで,日本的美意識と,中華思想に対する日本文化自立の心意気をうたいあげた。

大和に拘るのは、古代の日本で入りんで来る中国の影響に対して日本独自のものとして使われ始めていた。
しかしながら、このスレッドで求めたい「大和魂」は、中国などを意識するものではなく、日本独自の境地を求めるものである。

経緯については、このスレッドの冒頭から、随分と長い道のりで追及してきましたが、現実問題として平たく取り上げれば、次の様になります。

たとえば、この掲示板に皆さんは、止むに止まれぬ気持ちら、空しく思っても、日本のこと、国民のことを思って投稿をされています。
投稿したからと言って何の得もありません。

でも、社会のために何かをしたいという気持ちが、そうさせているのです。
その気持ちを「大和魂」と言いたいのです。

社会に貢献するということですが、
キリスト教社会でも、そうしたことはなされています。
しかしながら、それはキリスト教に基づく偽善といえばしかられますが、日本人が持つ感情とは少し違います。

インドでも、イスラム社会でも助け合いの気持ちはあるでしょう。
日本の場合、その根源にあるものは「和」の心、その民族性であり、他民族にはない、穏やかな心,善良なもので誇りに思っています。

それから出てくる助け合いの心、信念、意思が大和魂としたいのです。
また「大和魂」が花開くといいますか、求められるのは、時代性が有ります。
貴族社会から民衆社会への過渡期、鎌倉時代に「大和魂」が花開いた時代を見ています。

この場合の「大和魂」は英雄的なものですが、偉業をなす英雄でなくても、それぞれの人たちの心意気も立派な「大和魂」としたいです。

要するに日本人の心のルーツ、求めるべきルールが「大和魂」のです。
そういう意味で、何の得もないのに、日本を憂いて投稿してくださる方々は、立派な「大和魂」を持っておられると思います。
俺の「大和魂」が、そうさせるのだと、思っていただいて何の不都合があるのでしょう。

できれば多くの国民が、これに目覚めていただきたいものです。
そうすれば、安倍政権打倒の市民デモも多くの人が参加するでしょう。

でもね、私が「大和魂」を言えば、殆どの人は街宣右翼が使う、戦前の間違った認識を当て嵌めうっとおしく思われます。
それでは、皆さんが想っている社会を憂い、何とかしたいという気持ちは何なのでしょう。

止むぬ止まれぬ「大和魂」と言うことに、何の問題があるのでしょう。

明治以降の一時の様相で、伝統的な「大和魂」と言う言葉を汚されたくは無いものです。

現代日本に欠落しているのは、

民主主義の名の下に各人が身勝手になりすぎ、政治を含む公の問題を省みない、

その「大和魂」と言うものではないですか。

権力者に対して言っているのでは、決してありませんよ。

「大和魂」と言う言葉に抵抗があるなら「日本魂」でも良いのですが、同じこと。

ならば、1500年の昔からある「大和魂」で良いではありませんか。

フロンティアスピリッツといえば、インデアンを別として殆どのアメリカ人は誇らしく応えるでしょう。

日本人は、どうして「大和魂」と言う言葉に嫌悪感を抱くのか。



※ 今回のレスで、実質的に、このスレッドの結論に達してしまいました。

中世に入ってからの、儒教とか仏教の影響、国学との関係など、まだまだ、説明したいところもあるのですが。

このスレッドが、この様に長くなったのは、ひとえに「大和魂」と言う言葉に込めた日本人の心情(心のルール)を、色々な面から認識(知識で伝えるのではなく、身体で感じ取っていただきたい)していただきたい為、神話・伝説の世界まで入り込みました。

我が国の歴史で「大和魂」が溌剌として具現したのは鎌倉時代と思っています。
残念ながら、その鎌倉時代に言い及んだ投稿の多くは、掲示板のサーバのトラブルで消えてしまっています。
復活したいところですが、最近は気力を失い、ままなりません。

御長読を有難うございました。
メンテ
ドルガバ ジーンズ スーパーコピー ( No.239 )
日時: 2019/12/30 05:51
名前: 9035 ID:qtwa0o9A メールを送信する
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