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[814] 大和魂(日本の心のルーツを探る)
日時: 2018/05/23 11:57
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:XPKXw99A

「大和魂」と言う言葉を使うと嫌悪感に満ちてこれを否定する人たちが多い。
まるで街宣右翼と同類に扱われる。

しかしながら先の大戦において、国を守る為に散って行った200万近い兵士の事は、どのように思われるのか。

全てが全てでないとしても「大和魂」を信じて突進し倒れた兵士の事は考えられないのか。
その「大和魂」が軍部によって利用されていたとしても当事者の兵士の責任ではない。

ここで「大和魂」をミソクソに言う事は彼らの死を馬鹿にする事になる。
調子者が騙されて死んだと言えますか。

彼等の為にも「大和魂」は正当に評価することが大事と思います。
彼等は、まさしく彼等なりの「大和魂」を持って、国を守る為に死んで行ったのです。


(プロローグ)

人類が霊長類と分類されて他の動物よりも繁栄してきたのは、その頭脳的能力が発達、進化してきたからであります。
始原における人類は、その頭脳的能力で道具を使うことを覚え、そのうちに火を自在に使えるようになりました。

これは生きる(食べる)事において画期的な進化でありました。
一方で人々は集団で生活して行くことの重要性に目覚め次第に大きな集落を形成し分業をするようになってきた。
集団で生活し始めると、自分達の生活を脅かす自然の力に対する畏怖の心も結集することになり自然崇拝、呪術などが起きることになりました。
このころになると、集団には統治の機能が求められ次第に原始国家に近い概念が生まれてきました。

人間の頭脳的能力が生きるための対自然から、統治という人間自身の問題まで対象にし始めたと言うことです。
集団の英知(頭脳的能力の総体)を集めることに成功した人類は、農業、漁業、工業の分野を確立し安定した社会を構成することが出来ました。
このころになると、宗教と言うものが次第に鮮明な形を帯びてきて、人々の精神的ケアをするとともに、宗教を通じて集団の結束を図るようになってきました。
同時に統治者は独裁の傾向が強くなり王国を形成するようになります。
自然を相手に生産活動に殉じてきた人間でしたが、集団の力が強化されるとともに、他の集団を略奪することにより、成果がもたらされることに気がつき以来、血で血を洗う抗争が続いてきました。

さて、3000年も4000年も遡りますが、一応は自然を相手の格闘に一段落した人間は、その精神的な余裕の分だけ、その頭脳的能力を内面に向けるようになりました。
それが宗教であり、哲学の世界です。

文字として残る最古の哲学は、2000年くらい前のギリシャ哲学でありますが、その内容は主に統治の問題に絡んで話されています。
最初の哲学が、ようやく手に入れた人間社会の安定のために、人間は如何にあるべきかが最大テーマであったという事でしょう。
中国における儒教というものもこの範疇に入ると思います。

時を同じくして、キリスト教、イスラム教、仏教が興っています。現在まで続いているこれの宗教は、哲学とは別の方向から人間の内面性を説こうとしたものであり、それまでの宗教が民族単位に近かったものから人類共通の普遍性を主張しているのが特徴です。
西欧の歴史は、一時、キリスト教の精神で色濃く塗られていましたが、キリスト教的教義への反動として、500年くらい前にルネッサンス(文芸復興)と言う考え方が広まりました。
直接はキリスト教支配の前の人間精神への回帰ですが、実際は新たな人間性の認識へ移りました。
其処では、人間自身を自然とも切り離し、神とも切り離して如何に生きられるかについての思索がなされました。

それは300年後に資本主義、民主主義という鮮明な形で認識されるに至っています。
その途中、西欧哲学はスピノザに始まりホッブス、デカルト、カントへ至る人間自身の認識論(観念論)からヘーゲルの純粋論理的認識論(弁証法)へ進むなど、自然の理を超越しようとした試みが中心でありました。
それを人類の進化、発展と見れば、そのまま肯定もできるでしょう。
確かに、論理的に西欧哲学的思考で割り切ることにより、現代社会の繁栄があるのです。
さて、現代社会において我々が直面している困難は、深いところで人間性の問題につながっています。

資本主義、民主主義のシステムは、物資と情報、享楽と言う意味で人類に飛躍的な果実をもたらしました。
自然とともに生きなければならないと言う束縛から人類を解放したと言えます。
そうして、現代社会が直面している困難と言うのは、その昔、人類が経験していた自然の恐怖とは質が異なる困難であります。
ここに現代の困難は文明史的な次元の課題であると思います。
ここ4000年の間に営まれてきた宗教、哲学の概念の延長上で、どのように捉えられるか、更なる進化と言う観点から捉えるのか、人間性というものを自然との関わりで見直すことが正解であるのかが問われています。
これに対して、直線的に斯くあるべしと言うよりも、この観点から日本の歴史を振り返ってみたいと思います。

具体的には、弟3期西欧文明(資本主義・民主主義)が今日ある状況以外に人類は選択の余地がなかったのか、その過程において切り捨ててしまったものの中に人類が必要としていたものはなかったのかについて検証することから始めようと思います。
タイトルの「大和魂」とは、西欧文明以前の日本の精神文化を総称したものであります。
途方もなく長ったらしい話になりますが、ボチボチと御付き合い願いますよう御願いします。
説明のために掲げています長文は適当に読み飛ばしていただければ幸甚に思います。


(追申です 2017年6月24日)

このスレッドも、旧掲示板で書き始めてから言いますと10年近くたっています。
「大和魂」という標題のため、読んでくださる方は、常に「大和魂」の概念を探ろうとされているようです。
しかしながら、このタイトルは、このスレッド全体を通して感受されるべきものとして書いていますので、「大和魂」とは何かという設問には答えが見いだせなく戸惑いながら、結局は何が言いたいのか解らずしまいの様でしょう。
タイトルのつけ方が適正ではなかったかもしれません。
そこで、この時点(No188のレス)で私自身、ようやくたどり着いた「大和魂」の概念について次の様に説明して置きたいと思います。

<大和魂とは>

西欧民主主義が入ってくる前
江戸時代の朱子学に毒されるまえ
特に武士道などは、もってのほか。

それを取ったとき、
日本人はどのような生き方をしていたか。
それを探りたいのであり、言葉では、簡単には現せなく体感してほしいと思っております。

また「魂」という言葉を使っていますのは、物事に挑戦する意欲を表現しています。
これも具体的には言えませんが、山田長政の話やら、あまり良いことはしてないようですが倭寇など海外へ積極的に進出する、その気概。
日本人にも、そんな積極性があったことを頼もしく感じています。
そして、それは日本独自の文化、芸術を生み育てる力にもなっています。

その様なものを一括して「大和魂」と言っています。
そうして、そういうものを、この文章から感じ取っていただけることが出来たら幸いと思って書いています。
ですが、将来の日本人に「大和魂」だけを押し付けるつもりで言っているのではありません。
日本人には「大和魂」があることを忘れず、社会を生きてほしいと願うのです。

※ 体感してほしいと言っていますように、この文章の各所に伝説、神話、他の国の事情などを説明している箇所が随分とあります。退屈かもしれませんが、それを読まれることによって、それが書かれた時代、場所の様子を感じ取っていただきたいのです。
特に前半の部分は、日本民族と他国の民族性の違いを感じ取るために、長ったらしく資料を集めました。

(目  次)
No 0      プロローグ・目次
(前 章)
NO 1〜7    「大和」とは
(民話・伝説)
No 8〜16    日本の神話・伝説
NO 17〜20  中国の神話・伝説
NO 21〜37    世界のドラゴン伝説
No 38〜42    中国の民話
NO 43〜47    世界の七夕伝説
NO 48〜50    中国の民話・伝説
NO 51〜67    インドの民話・伝説
No 67〜93    イスラムの民話・伝説
No 94〜124   アングロサクソンの民話・伝説
(日本の歴史検証)
No 125〜137   「和」の検証 
No 138〜151   神代の時代から古墳時代
N0        飛鳥・奈良時代(一時、サーバのトラブルがあり、この部分が消えています)
No        平安時代(一時、サーバのトラブルがあり、この部分が消えています)
※ 後日復旧する予定。
No 152〜169   鎌倉時代
NO 170〜     室町時代
NO        江戸時代(未稿)
No        明治時代(未稿)
No        現代(未稿)
NO        「大和魂」とは(未稿)
No        エピローグ(未稿)

※ 世界の民話・伝説に紙面を割いているのは、日本人と他民族の気質の違いを探るためです。
メンテ

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Re: 大和魂(日本の心のルーツを探る) ( No.140 )
日時: 2012/03/10 02:54
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:R4027gzk

http://www.geocities.jp/ikoh12/index.html

33,000年前ごろを境に汎世界的に気候の激変があり、気候が寒冷化、乾燥化したという。その結果、海面の低下が起こり、日本列島は大陸と陸続きに近い状況になった。(当然、樺太や北海道は大陸と陸続きになった。)

日本海では30,000年前から27,000年前を境に暖かい対馬暖流(黒潮の支流)が流入しなくなった。そうすると水蒸気が大幅に減少し、雪雲が出来なくなり、ますます日本海側は少雨化・乾燥化したと考えられる。
森林は後退し、草原とツガなどの樹林が散在する、今の北海道のような風景が出現していたのだろう。

ちょうどそのとき動物相にも大きな変化が現れた。北方ユーラシアの草原に生息していた大型哺乳動物(オーロックス、バイソン、あるいはヘラジカ、馬など)が乾燥化・草原化した日本列島に南下してきた。マンモスも北海道まで南下して来ていたことが確認されている。 

また33,000年前頃は、ヨーロッパも激変の時代であった。おそらく1万年間ぐらいは現生人類と共存したと思われる、ネアンデルタール人が遂に絶滅に至るのである。その原因は明らかではないが、寒冷化が関係したという見方がある。アジアでも、アジアの旧人達が同じ運命を辿ったのであろうか。

一方、ホモ・サピエンス即ち現生人類は、この時期に画期的な石刃技法を獲得し、すなわち生存能力を高め、クロマニヨン人が西ユーラシアに急速に拡散する。東ユーラシアでもアジアの新人が、中国北部からシベリアや日本列島にも拡散している。

丁度このころ、バイカル湖を中心としたところから荒屋型彫器という特徴的な細石器を持った文化が2〜3万年前に出現し1万年後には日本列島に流入していた(バイカル湖方面からの人口流入)。

発見された縄文時代の遺跡数の分析から、縄文以降、各期の推定人口から、8,000年前の縄文早期の人口は、東日本地区で17,300人、西日本地区で2,800人の計、20000人と推定している。
このうち当時バイカル湖付近からの渡来規模を、約7,000人ほどであったと考えられている。

ところで、ナウマンゾウなどを追って狩猟採集の生活をしていた当時の住人にとって、大量の渡来人は彼らの生活(食)を脅かすことになった。
落葉広葉樹林が大量に生み出してくれるクルミ、クリ、ドングリなどの堅果類やヤマノイモなどの野生のイモ類などの、植物性食料資源の本格的活用に目を向けさせ、その開発を急がせることになったであろうことは、まず間違いないと考えられる。

それまでの獣肉中心のメニューに、植物資源を加えることになるののだが、エネルギー源となる澱粉の含有量の多い植物資源、堅果類(除く、クルミ)やイモ類などは、生(β澱粉)のままでは大変消化しにくい。熱と水でその結晶を破壊してα澱粉に変えないと食用とはならない。
この加熱処理のための煮沸用の容器として、どうしても「土器」が必要だったのである。

以上のように、この時代の人々の獣肉に対する危機感と、植物資源に対するこうした欲求とが、「土器」という人類が初めて化学的変化を利用した製品を作り出すことに繋がったと思われる。
旧石器時代末期ないし縄文草創期が推定される。

氷河時代が終わり、気温が上昇して、あらゆる動物相や植物相が大きく変化した。当時の列島の人々は、そうした環境の変化に対応して、土器を発明し、槍に代って弓矢を発明した。
「土器」は先にも触れたように、人類が初めて利用した“化学的変化”であり、「弓矢」はこれも

人類が初めて利用する“物理的作用”であると言える。ホモ・サピエンスの知的能力が環境の変化に刺激されて、飛躍的に向上したことが窺える。
すなわち、まさに「縄文変革」という画期が起こり、この列島の新石器時代、縄文時代の幕が開かれたのである。

また海水面の上昇により、大陸とこの列島とが徒歩で渡れなくても、舟などの海上交通手段で旧石器時代から、比較的自由に往来出来き、
縄文時代が決して鎖国状態などではなく、タイムスケール的にはノンビリとしたものではあるが、活発な国際的な文化交流があり、国内においても、東と西の大きな文化差を乗り越えた、人および情報の交換があったと思われる。

さて、我が国への渡来人の続きであるが、稲作が伝来し弥生時代が始まったという考えから、先に挙げた古代年表では弥生時代の始まりは紀元前300年としていますが、実はそれに遡ること500年、紀元前800年くらいの稲作があったと言う遺跡が発見されています。
メンテ
Re: 大和魂(日本の心のルーツを探る) ( No.141 )
日時: 2012/03/10 03:12
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:R4027gzk

ところで、稲作伝承を伴う弥生時代における渡来人の大襲来の前、バイカル湖方面からの人口流入と同じころより、南方(朝鮮半島経由)からの渡来人も続いていた。

中でも、ネパールのヒマラヤの麓からブータン、アッサムの一部を通って、東南アジア北部山地、雲南・貴州高地、長江流域の江南山地をへて、朝鮮半島の南端をかすめ、日本に至っている共通する樹木、所謂、照葉樹林とそれに恩恵を受けて育った人たちの流れがあります。
仮称「照葉樹林文化圏」と名付けられ。我が国では九州から東日本へ向って入って行っております。

おそらく我々が今浸かっている豊穣な稲作文化ではなくて、はるか昔の祖先から伝えられた、不作や飢饉の時には非常食物の知識として、大切にしなければならぬ文化伝統であるからこそ、それは特別に美味くも贅沢でもないのに、“ハレの日に食べねばならぬ”のであり、我々はその文化要素に触れたとき、“琴線に触れるような、密かな懐かしさ”をこの文化に感じるのではなかろうか。

この様に、稲作文化以前から根付いている思われる、私達の習俗を下記に列挙してみます。

―物質的文化―

(水さらしによるアク抜き技法)
ワラビ、クズ、ヒガンバナなどの野生芋類、カシの実など堅実類の食用化。

(絹を作る技術)
蚕をはじめ、野生のものを含め、数多くの絹糸虫の繭から糸を引く。

(漆器を作る技法)
ウルシの木や、その近縁種の樹皮を使う。

(雑穀、根菜型焼畑農耕)
アワ、シコクビエ、モロコシ、ソバ、オカボなどの雑穀類、サトイモ、ナガイモなどのイモ類。

(ハンギング・ウォールの家屋構造)
柱や梁で屋根を支え、壁は柱の間に吊ったような構造。

(鵜飼の習俗)
河川で鵜を使って行なう漁撈。

―食事文化―

(粘性に富むモチ食品嗜好)
モチアワ、モチキビ、モチ稲などのモチ種の開発、モチ、チマキ、オコワなどの食品。

(ハレの食品としての慣行)
儀礼や接待用として、あるいは贈答用としてのモチ製品の活用。

(大豆の発酵食品)
ミソ、ナットウなど。

(サトイモを用いる慣行)
正月の儀礼用にサトイモを用いたり、8月15夜に月を拝み、イモ祭りをする習俗。

(コンニャクイモという特殊な食品)
コンニャクイモの中のマンナンという多糖を糊化して固めたもの。

(ナレズシ)
蒸したモチ米と魚肉を交互に桶の中に漬け込み、十分醗酵させた食品。

(小豆を邪霊祓いに用いる習俗)
小豆に邪霊を祓う力があると考え、歳事儀礼に用いる習俗。

(芳香野菜などの利用)
柑橘類やシソ類の栽培。

(葉茶の飲食慣行)
茶の葉を穴の中で発酵させ、それを加工して食べ茶、噛み茶、飲み茶。

(醸造酒の技術)
雑穀や米を粒のまま麹を用いて発酵させ、酒を醸造する。

―精神文化―

(死体化生型神話)
オオゲツヒメやウケモチガミなどの女神が殺され、その死体から作物が生まれたとする神話。

(洪水神話)
原古の洪水から生き残った兄妹神が世界を創造する(イザナミ、イザナギの神話はその一変形)。

(歌垣の習俗)
春秋の満月の夜などに、若い男女が丘に登り、歌の交換、愛情の印を交換して求婚する。

(儀礼的狩猟の慣行)
焼畑の火入れに先立ち、村の男達が狩を行って獲物の多寡で焼畑の豊凶を占う。

(山上他界の概念)
人生は山に由来し、死者の魂は死後再び山に帰って行くという観念。

(霊魂信仰)
巨石や巨木などに宿り、時に臨んで去来する神。

(正月に訪れる異型の来訪神)
牡鹿半島のナマハゲなど。

(同じ型の昔話しや説話の伝承)
羽衣伝説、花咲爺、サルカニ合戦、炭焼小五郎、絵姿女房など。


以上、

現代社会に住みながら、想像を絶する古代の縄文人と、私達の日常からも共感出来る思いがこんなにあるとは思いもよらなかったことでしょう。

メンテ
Re: 大和魂(日本の心のルーツを探る) ( No.142 )
日時: 2012/03/10 16:18
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:R4027gzk

ここで、我が国の人のルーツと渡来人ことを確認しておきましょう。
今から15000年くらい前の人口は、当時の北方よりの渡来者(7000人)を含めて20000人程度であったようです。

それから縄文時代といわれる1万年の間、自然の環境と共に増減(最大26万人)したものの縄文時代の後期には76000人と推定されています。
これが弥生時代の後期には60万人と推定され、

西暦700年(飛鳥・奈良時代)には540万人となって行きます。
このうち、弥生時代から飛鳥までの1000年間に渡来した人は100〜150万人と推定されています。
人口の自然増もありますが、人口における渡来人の割合、かつ渡来人は常に石器や農耕技術を伴って渡来していることは、我が民族文化のルーツを探るのに重要な観点となるでしょう。

さて、稲作の渡来と弥生時代のことになります。

縄文中期の繁栄も、4,000年前ごろから起きた地球の寒冷化で突然崩壊した。特に中国では3000年前の寒冷化、乾燥化は厳しく北方の民は大挙して長江流域に押し寄せた。
このために長江流域を追われた民族は中国の奥地ばかりではなく、東南アジアにも向かったし、台湾島にも向かった。

これらの人々によって我が国に稲作が伝えられたのは紀元前800年(弥生前ないし縄文後期)とされている。

稲作の伝来、定着と共に社会的大きな変化は環濠集落誕生と社会構成である。
最初は小さな集団から始まったのであろうが、これが段々と大規模なものとなり直径が数百メートルもある大規模なものとなり、村の概念から国の概念へと発達して行く。
また収穫物と言う財産を保持することになり、狩猟生活における獲物の取り合いとは別の、集団同士(村)の熾烈で大規模な争奪戦を生む原因ともなった。

「 クニ」の形成

弥生時代、当時の最先進地域であった北部九州では、当初、それぞれ個別の集落として存在していた「ムラ」が、農耕が基本に持つ高い人口再生産力を発揮してムラの拡大・分化を生み、近辺の生産適地を埋め尽くすように未開地を耕作地へ変えていった。

その結果増加した「ムラムラ」が、弥生前期後半ごろから小共同体(おそらく血族集団、本家と分家などから構成されたような共同体)に成長し、更にその小共同体が、指導力を持った中心的な小共同体と、そういう小共同体との共存を図ろうとする従属的な小共同体とに階層化し、それらが一つのグループとなって「クニ」を形成し始めた。
クニ形成の基本的要因は、水資源の共有化や管理の一元化の必要性が生じたことにあったと思われる。

それほどにムラの数や人口が急増し、北部九州の中小河川の水量では、その効率的な利用が強く求められたからであろう。
当然、クニの内外で調整や裁定というような社会的作業や、それがうまく図れなかった場合には、争いが−すなわちこの列島において初めての戦争が−起こったであろう。
それは次第に、大リーダー(大首長)と小リーダー(小首長)、さらにその構成員というように、人々の間に階層的な関係を発生させた。
縄文時代には考えられなかった、社会構造が形成され始めたのである。

そうした日本列島の新しい鼓動は、半島や大陸の方にも聞こえ始めていた。
「楽浪海中に倭人有り、分かれて百余国を為し、歳時を以て来たり献見す、と云ふ」
これは『漢書』に記された一文の読み下し文であるが、中国の正史に「倭」が登場した最初の記述である。時代は紀元前1世紀の頃。
現代文に直せば

「楽浪郡から海路を行った先に倭人と言う処がある。(倭の人々がいる、という読み方が一般的であるが、そういう漢文の用法は見出せない、という意見もある) 100以上の国々に分かれており、毎年、四季毎に(楽浪郡政庁を)訪れて貢物を献上する、と言う話である」

これはすなわち、当時の漢(前漢)を中心とする東アジアの国際社会の中に、倭(or倭人)と呼ばれる北部九州を中心とした西日本のクニグニが、一つの勢力として登場してきたことを意味する。
そして、100余国すなわち100余クニとは北部九州だけで収まりきれるものではなく、おそらく「倭」とは西日本全体を指していたのであろう、としている。

中国は後漢の時代、倭の「奴国」が自称太夫(=大臣、長官)を遣わして朝貢をした。時の皇帝・光武帝は返礼として印綬を下賜したという。
この一文は有名な「漢委奴国王」 により証明された。

この頃、「倭」のいかほどの国が後漢と外交関係を持っていたか明らかではないが、「奴」という国が倭の代表として、ないしは倭の中でも特別な国として認められていたということであろう。 
しかしながら「奴」が国々の代表であったのに対して近隣の伊都国(福岡西方)は漢皇室との関係において特別の権威を持っていて「奴」と連携して後漢と外交関係を保っていたものと考えられる。

これらの「国」が成立するまでには、クニとクニとの間でサバイバルの戦いがあったであろうことは想像に難くないが、「国」と「国」同士が激しく対立して戦った形跡はない。
これはおそらく、当時、新興国であった倭を構成する国々が、東アジアの国際社会に於ける倭の位置を十分認識し、対立するどころか相互補完して、諸外国に伍して行こうとしたからだと推測される。

その中で紀元200年、伊都国が、その後ろ盾と頼っていた後漢の勢力が弱体化するに従って、自らの権威も衰え、倭国連合を掌握する力を削がれることになっていくのである。
従って、倭国ではもはやいずれの国も、倭国連合を掌握する力はなく伊都国の代わりに新たな連合の盟主になろうと意欲を示す国、鉄や諸々の舶来の文物、技術を求め独自の交易を展開して利益を得ようとする国、あらたな倭国のフレーム作りを画策する国などが次々と台頭し、相争ったに違いない。

魏志倭人伝にいう「倭国乱れる(倭国大乱)」とはこういう状況を語ったと思われる。
さらに倭人伝は続ける。
「 倭国乱れ、相攻伐すること歴年、すなわち共に一女子を立てて王となす。名づけて卑弥呼という。」  

それこそ「邪馬台政権」の樹立であり、これまでの「王」に変わる王の中の王「大王」卑弥呼の擁立であった。
この新邪馬台王権の誕生は、その後の7世紀後半の律令国家の成立という、大和朝廷の完成に向けての画期となったというのである。

しかしいずれにせよ、倭ないし邪馬台国は、中国王朝に対し朝貢を続け、冊封をうけて、東アジアにおける交易と安全の保障を求めるという卑弥呼以来の外交方針を続けたのである。

突然ではありますが、現代のアメリカ追従の腑抜け外交ぶりをみて、
「日出処の天子、書を没する処の天子に致す。つつがなきや…」という聖徳太子による当時の大国、中国からの独立宣言と思しき宣言を心から称えたい。

一気に大和朝廷出現までの歴史を遡りましたが、弥生時代以降の渡来人についてまとめておきます。
渡来時期を4つに区分すると・・・

T 紀元前2〜3世紀 弥生時代に日本に定住した。
U 5世紀前後  倭の五王が治めてた時代で,朝鮮半島からの渡来人が多い。
V 5世紀後半〜6世紀  今来漢人(いまきのあやひと)が最新技術をもたらした。
W 7世紀  百済・高句麗などから亡命してきた。

5世紀の渡来人で代表的な集団といえば秦(はた)氏と漢(あや)氏(ともに個人名ではなく,集団名・一族名を指している)である。彼ら渡来人たちは優れた技術と能力を持ち,日本の国づくりを根底で支えたと言える。

この様に我が国は縄文前期の1万年前から、多くの渡来人によって構成されてきました。
人種的には

南方系 ミクロネシア、ポリネシア
中国系 江南人
北方系 バイカル湖系、古モンゴロイド
等が、千島、樺太、朝鮮半島、南方から海を隔てて移り住んで、縄文人、弥生人、アイヌ人、本土人として定着して行きました。

メンテ
Re: 大和魂(日本の心のルーツを探る) ( No.143 )
日時: 2012/03/15 21:17
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:c4K/7VIE

今、この文章の書き始め、NO3のレスの場所に再び立っています。
(再掲)
聖徳太子の「和」と言う言葉が出てきました。
日本民族を語るとき、いつでも出てくるのが「和」と言う言葉です。
はじめに、それを検証することにします。

以下は下記のサイトからの引用です、「日本の心」について詳しく検証されています。
http://homepage2.nifty.com/khosokawa/j-mind01.htm

「和」と言えば、誰でも知っているのは、聖徳太子の「和をもって貴しとなす」。この理念は、日本人のものの考え方をよく表しています。しかし、「和」の精神は聖徳太子の独創ではなく、古くから日本の国に受け継がれてきたものです。

「和」とは、もともと「わ」という音の日本語です。その「わ」にシナの漢字の「和」があてられたわけです。
作家の井沢元彦さんによると、本来「わ」には「環」や「輪」の意味しかなく、環濠集落(堀をめぐらした集落)を表す言葉でした。それが、集団や仲間の意味を表す言葉となり、シナ人に、自国の意味で「わ」と言ったところ、「倭」(背が小さい、体が曲がっているなどを意味)という文字を当てられました。
その後、「わ」は、集団的な協調の精神やアイデンティティをも意味するようにもなり、日本側の要望により、国名の文字を「倭」から「和」に代えてもらったのだろう、と井沢さんは考えています。(1)

さて、かつて日本列島に住みついた人々は、「わ」すなわち環濠集落を作って、小集団が分立していました。その小さな集団が段々と国家を形成し、より大きな国家に統合されていきました。
その過程では、戦争もあったでしょうが、統合の多くは、話し合いで決まっただろうと考えられます。というのは、日本の神話には、諸外国に比べて、戦争の話が非常に少ないからです。それは、日本列島の温和な風土の影響によるところが大きいでしょう。

そして、人々には、対立・抗争よりも調和・融合をよしとする「和」の精神が育まれ、一つの民族として融合・形成されてきたと考えられます。そのことを、私たちは、日本の神話の中に見出すことができます。
(転載終わり)

「大和魂」に言及する以前の前提条件、「和のこころ」について再検証をするときが来ました。
最初は単なる「和のこころ」と言う語彙的な追求の範囲でしたが、ここに、風土的、人口構成的、慣習的、宗教哲学的側面から見ることが出来るようになりました。

今から15000〜30000年は、日本に住む人間の数は10000人程度であり、それが散在するさまは、国家、民族としての把握をする必要はないでしょう。
縄文初期といわれる時代(15000年前)から1万年の間は、気候の寒冷化の厳しい時代もあり、人口も年代に比例しては増えず、決して温暖で住みやすい地域であるとは言えなかったようです。
4000年前に寒冷化がやわらぎ、それから現代に続く温暖化の到来と共に、四方を海に囲まれた日本は、初めて住みよい国土を意識したと思います。
紀元前800年ころから、大陸から新しい文化を持った(稲作)人口の流入をみてから、我が国は確実な発展の軌道に入ったといえます。
弥生時代は総人口が60万人にもなり、環濠集落を形成するようになっていた。
大きな集落は、やがて「クニ」の意識も芽生えさせた時代と言えます。
中国などに比較して、随分と遅い国家(民族)意識の誕生と思います。
そうして、最初に探ろうとして「和のこころ」の源流も、この時代と設定して差し支えないと思います。
ところが、我が国の歴史書(古事記)などでは、このころの時代検証を全て「神話」で代弁しています。
神話の考証は別途するとして、当時のありのままの姿に立ち入ってみたいと思います。
10万年以上前から続く地球的民族移動の観点から捉えると、日本に移住して住み着くことは他の地域が通過点であることに対して一方の終着点であった。
これにより、大きな集団が定着することはなく、小さな多様な集団が寄り集まっていたと思われる。
弥生時代に入り、人口の急激な増加と共に、その中に「クニ」と言う概念が生まれるまで成長する期間は、極、短期間であったと思われる。
次々と押し寄せる新たな移住民にしてみれば、独占するというよりも、分かち合うという事の方が現実的解決方であったと思います。
倭の百余国の発生の過程で、あまり大きな争乱はなかったと記されていることが、それを示していると思います。
分かち合うに十分な恵まれた国土があったと言うことでしょう。
しかしながら、元々は独占欲も豊富な人間自身のDNAを失っているという訳でもないので、その後の勢力争いは必然と再燃することになります。
魏志倭人伝などで伝えられている紀元前から紀元後にわたる「倭国大乱」は、その結果であり、民意は、決して「和」の中に収斂されるようなことはなかったと言えます。

時を経て、大和朝廷が興り、聖徳太子が為政の方針を「和を持って尊しとする」と言うように宣言したことをきっかけに、我が国の国民性が「和」に拘るように解釈されがちですが、太子の発想はさにあらず、数百年前、仲良くやった時代を思い出せという諭しであるといえます。
聖徳太子出現の前、200年間は、権力争奪の内乱状態であり、太子自身も蘇我氏、物部氏の権力争いの被害者であったといえる。
大和朝廷が根付き、一応は平穏が訪れたと思われる時期に「和」の必要性を説いたものであり、我が国の民情が「和」を尊ぶと言ったものではないと思います。
それでは、それが何時のまにか、日本のこころのルーツのように思われている「和」の心の要素は元々なかったと言えるでしょうか。
ここで狩猟民族と農耕民族という側面から、古代日本の社会を見ることにしましょう。
元々は、全ての人間は狩猟採集から生活を始めました。
稲作を代表とする栽培農業が始まり農耕民族と狩猟民族という色分けをするようになりました。
これから見ると、紀元前800年くらいから稲作を始めた我が国は農耕民族と言えるでしょう。
それ以前の時代は、民族と識別するほどの人口を要していません。
稲作が何時から始まったと言えば、世界では1万年以上前であるといわれています。
その後に並存した狩猟民族と農耕民族という色分けで民族の特徴(性格)を示すことがあります。
要するに狩猟民族は、獲物を求めて定住することはなく、互いに猟場を求めて移動する。
そうして集団が生きて行くための獲物は性格上蓄積をすることが難しく、常に必要に応じた獲物探することが宿命であった(生存経済)。
これに対して農耕民族は、豊作であれば産物を集積し非常時に備えることが出来た。
狩猟民族が獲物を前に、他部族と譲り合いなどするような事態は殆ど考えられないのにたいして、農耕民族は、条件さえ整っていれば、他部族との共生が容易く実現できた。
一方で、収穫物の蓄積が可能と言うことは、集団の中の有力者による富の独占と言う傾向が現われる。
それが進んで他部族のそれも手に入れようと、他部族を侵略する戦いも生まれてきた。
他部族の侵略と言う意味では、狩猟民族においても、自然の獲物を狩猟で手に入れることと同じように他部族を侵略して他部族の獲物を、そのまま取得すると言うことが行なわれる。
両者共に侵略と言う行為に違いはないが、農耕民族のそれは、侵略する対象は、作物に限らず農地そのものの所有権移転も対象になりえるのに対して、狩猟民族の侵略は、全てを奪いつくすことが目的となる。
この違いの分だけ狩猟民族の侵略は、つまり性格は残酷なものとして考えられている。
ジンギスハーンなどの侵略の多くが皆殺し、都市破壊を伴っていることが、それを証明している。
最終的には農耕民族へ収斂されて行くのであるが、世界的に言えば、農耕民族は主にアジアモンスーン地帯に多く、狩猟民族はヨーロッパに多いと言われている。
これは、後に言う一神教と多神教の分布地帯とも重なり合っている。

この様な意味からでも、縄文時代から弥生時代における我が国の社会は、地域外からの大きな侵略もなく、地域に住んでいる人たちの数も少なく、部族間同士の過酷な生存競争はなかったものと考えられる。
その上に、稲作文化が発生してから、すでに1万年を経由しての到来は(紀元前800年)、文化的にも成熟したものであり、種族間のトラブルの解決方法もすでに経験済みのものとして伝わってきたと推測される。
それ故に、他地域のように、長期に渡る怨念のようなものもなく、渡来人同士、また土着民、渡来人が比較的容易に和合できたのではないかと想像する。
すでに争うよりも和合する方が互いの為であると言う環境が整っていたのである。

繰り返しますが、聖徳太子が「和を持って尊しとする」と言った、その「和」の意味と、我々がそれに重ね合わせる「和」の意味は同じとはいえないのです。
後世の、大和こころ、すなわち、和のこころと解するを否定する訳ではなく、そのようになって言った経緯を検証することが大切と思います。
その要因は、このころは仏教、江戸時代においては儒教の影響で、現在我々が思っている「和」の心があると思います。
メンテ
Re: 大和魂(日本の心のルーツを探る) ( No.144 )
日時: 2012/03/16 05:06
名前: グッキー ID:34xQwfyc

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和の心のルーツ
元々、動物の心の中に有るものではないかな
メンテ
Re: 大和魂(日本の心のルーツを探る) ( No.145 )
日時: 2012/03/16 10:09
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:rGD3mJ.s

グッキーさん、レスをありがとうございます。

このところ「和」の概念を掘り下げています。
今まで各地の神話、伝説などに時間を割いてきましたにも、民族によって人の心がどのように展開しているのかを実感したいからです。

どの民族の神話、伝説もある意味、人間の生きる叫びのようなものが聞こえてきますし、「和」を大きく捕らえれば皆に共通するものがあるようです。
現代でも、欧米人もアジア人も、ただ親切な面ではあまり変わりはないのではないでしょうか。

グッキーさんが示しておられる動物界の習性とも言えるのでしょう。

それでも、心の根底に流れる発想の差異を多神教、一神教、あるいは農耕民族、狩猟民族と比較することによって嗅ぎ分けて見たいと思っています。

それと民族の時系列における影響を含んで、日本の「和」の特性を抽出できれば良いと思っています。
メンテ
Re: 大和魂(日本の心のルーツを探る) ( No.146 )
日時: 2012/03/16 13:10
名前: グッキー ID:0/KIt0xY

天橋立の愚痴人間さん

>現代でも、欧米人もアジア人も、ただ親切な面ではあまり変わりはないのではないでしょうか。

中国では日本旅行をすると親日家になると言います。
欧米、その他も同じ傾向が有ります。
日本人は清潔と親切という定評が有ります。

>グッキーさんが示しておられる動物界の習性とも言えるのでしょう。

人間を含めた動物の本性ではないかと考えます。
それが争いや戦争で歪められて来たのではないかと思います。
日本は島国なので過酷な戦争が無く、和の心が多く残っているのではないかと思います
メンテ
Re: 大和魂(日本の心のルーツを探る) ( No.147 )
日時: 2012/11/07 01:06:41
名前: 天橋立の愚痴人間

日本民族の特性と言われている「和のこころ」については此れまでとして、

話は飛んで、これからしばらく鎌倉仏教の事について述べたいと思います。

今日は、とりあえずスレッドのUPに留めます。
メンテ
Re: 大和魂(日本の心のルーツを探る) ( No.148 )
日時: 2013/02/17 10:13:39
名前: 遂犯無罪

天橋立の愚痴人間さん

私が服役した名誉毀損事件の新証拠は、検事面前調書の本人署名を検事が代筆した、しかしこれが誤字であった。
この異字体の間違えはこの高橋自身に纏わる知識かと、天さんの名字も確か「嶋」が付きこの辺の関心はおありかと。

我が棲むボロアパートのアル中ヤクザ達は、昨年10月を最後に5人総てが頓死、中には検察の呼び出し中の者もいた。
こいつらの死亡平均年齢は50代という無惨なもの、人間は内から死んでゆくとは実感した。

この者たちは多くの偽名を使い、また偽装の養子縁組で姓名をころころ変えて、名前まで変える奴もいた。
こうしたこともあり氏名など簡単に変えられから関心はなかった、ところが「氏」とは大変に深いものである事を認識せずにはおられない近況となりました。

ここら辺のことを論じて戴きたいのですが。
ttp://www.suihanmuzai.com/130215.jpg.html
メンテ
Re: 大和魂(日本の心のルーツを探る) ( No.149 )
日時: 2013/02/17 13:47:02
名前: 天橋立の愚痴人間

遂犯無罪 さん
こんなものにも興味を持って頂き有難うございます。
心に余裕が無いので書き続けていませんが、まだまだやるつもりでいます。
さて「氏」そのものではありませんが、最近地元の神社総代をする事になりまして、はじめの神社委員会(30名)での挨拶に下記の話をしました。
神社委員会と言いましても、殆どが順番などで指名されている人間で、特に神社に興味を持っている人ではありません。


「須津彦神社と言いますのは、須津、夕ヶ丘、浜垣、宝山地区全てを含む地域を神域とした神社であります。
神社創建の時代は解りませんが、これは、どの神社でもそのように見えます。
ですが、平安朝に書かれた縁起式(900年)に丹後65座の一つとして、その名があります。
これから言いますと千数百年の歴史があると思います。
ついでに説明しておきますと、この神社の宮司を務めていただいています宮津の山王宮宮司との関係ですが、宮司に聞きますと、ほんの一時期、代わった事があるそうですが、江戸時代から、須津彦神社の宮司を務めてきた記録があるそうです。
また、現在、奉賛会に登録されています氏子の数は、295軒でありますが、

氏子と言う概念は、その神社の神域で生活する全ての人々を指しているようです。

このような意味で、特別に宗教上の理由で否定されていない限り、当地に住まわれる全ての皆様を氏子と思うべきかと思います。
出来ますれば、会費、要するに、お札を買っていただく奉賛会員になって欲しいのは山々ですが。

氏神信仰につきましては、神道と言う形で集約される前は、地域、地域に住む人たちが祖先神として祭った事が始まりであり、このような意味で、今日のように競争、競争でバラバラになりがちな、皆様の心をつなぐものとして、将来まで守って行かねばならないと思います。」


ここで言います「氏」とは、特定の名前こそ出ていませんが、その地域の豪族を指している場合が多いです。
中には、菅原道真を祭った天満宮もあるように、後世になるほど、その傾向が強く、終局的には、天皇家を祀る国家神道にまでなりました。
このような意味の「氏」は希望しませんが、始原的な意味での氏神信仰は受け入れます。

中国で、孔子の性をもつ末裔が、200万人いるともいわれています。
儒教の教えの強い韓国では、結婚しても夫婦の性は変えないと聞きます。
これは、日本的にいえば「氏」を軽んじているとも考えられますが、韓国流にいえば、韓国こそ「氏」を大切に思っている事になるのでしょうね。

「人間の成長の限界」スレッドで、キリスト教の事に触れていますが、同様に「氏」と言う概念も使われている内に意味が変遷しているのではないでしょうか。

最初は、共生のための認識であったものが、その内に個の主張の目印になり、権力闘争や、個人間の利害の象徴になってきたと思います。

民主主義、資本主義の概念と同じように、気を許して使っていると我々自身の束縛となってしまうのでしょうね。
身近な生活の中でも、名家意識もたまに触れさせられます。
プライドは、ある意味で必要でもあり、現在、強いプライドを持ってない人でも、可能であればプライド意識の強い人に変わってしまうことも考えられます。
また、その可能性があるから、我慢して生きて行かれるとも思います。

「氏」を意識することは、必要悪と言う面もあり(それが無くなった場合のディメリットを考えれば)人間の性と言いますか、業と言いますか、哲学的ば意味で「人間の成長の限界」スレッドのテーマであると思います。

最後に、氏名の誤字について。

裁判や契約書などの場合は、間違っているでは済まされない事ですが、通常の生活の場合、私の事を誤字で表現される場合があります。
私は、私が確認されれば良いでは無いかと、鷹揚に構えていますが、そうではない人の方がずっと多いですね。
しかしながら、他人が間違えるのはともかく、自分が間違えることはありえません(生涯、一度もありません)

貴方の周囲で、虐げられてなくなって行った人々を、差し支えなければ紹介してください。
平和ボケしている人間は、そういうものを見たくない気持ちで充満しています。
民主主義でも資本主義でも、それに溺れていると社会の崩壊に結びつくことを見ようとはしないのです。

我が国の住民の多くが、何時、それに気がつくかが問題ですね。


メンテ

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