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[814] 大和魂(日本の心のルーツを探る)
日時: 2017/06/26 13:15
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:ZChukVGk

(プロローグ)

人類が霊長類と分類されて他の動物よりも繁栄してきたのは、その頭脳的能力が発達、進化してきたからであります。
始原における人類は、その頭脳的能力で道具を使うことを覚え、そのうちに火を自在に使えるようになりました。

これは生きる(食べる)事において画期的な進化でありました。
一方で人々は集団で生活して行くことの重要性に目覚め次第に大きな集落を形成し分業をするようになってきた。
集団で生活し始めると、自分達の生活を脅かす自然の力に対する畏怖の心も結集することになり自然崇拝、呪術などが起きることになりました。
このころになると、集団には統治の機能が求められ次第に原始国家に近い概念が生まれてきました。

人間の頭脳的能力が生きるための対自然から、統治という人間自身の問題まで対象にし始めたと言うことです。
集団の英知(頭脳的能力の総体)を集めることに成功した人類は、農業、漁業、工業の分野を確立し安定した社会を構成することが出来ました。
このころになると、宗教と言うものが次第に鮮明な形を帯びてきて、人々の精神的ケアをするとともに、宗教を通じて集団の結束を図るようになってきました。
同時に統治者は独裁の傾向が強くなり王国を形成するようになります。
自然を相手に生産活動に殉じてきた人間でしたが、集団の力が強化されるとともに、他の集団を略奪することにより、成果がもたらされることに気がつき以来、血で血を洗う抗争が続いてきました。

さて、3000年も4000年も遡りますが、一応は自然を相手の格闘に一段落した人間は、その精神的な余裕の分だけ、その頭脳的能力を内面に向けるようになりました。
それが宗教であり、哲学の世界です。

文字として残る最古の哲学は、2000年くらい前のギリシャ哲学でありますが、その内容は主に統治の問題に絡んで話されています。
最初の哲学が、ようやく手に入れた人間社会の安定のために、人間は如何にあるべきかが最大テーマであったという事でしょう。
中国における儒教というものもこの範疇に入ると思います。

時を同じくして、キリスト教、イスラム教、仏教が興っています。現在まで続いているこれの宗教は、哲学とは別の方向から人間の内面性を説こうとしたものであり、それまでの宗教が民族単位に近かったものから人類共通の普遍性を主張しているのが特徴です。
西欧の歴史は、一時、キリスト教の精神で色濃く塗られていましたが、キリスト教的教義への反動として、500年くらい前にルネッサンス(文芸復興)と言う考え方が広まりました。
直接はキリスト教支配の前の人間精神への回帰ですが、実際は新たな人間性の認識へ移りました。
其処では、人間自身を自然とも切り離し、神とも切り離して如何に生きられるかについての思索がなされました。

それは300年後に資本主義、民主主義という鮮明な形で認識されるに至っています。
その途中、西欧哲学はスピノザに始まりホッブス、デカルト、カントへ至る人間自身の認識論(観念論)からヘーゲルの純粋論理的認識論(弁証法)へ進むなど、自然の理を超越しようとした試みが中心でありました。
それを人類の進化、発展と見れば、そのまま肯定もできるでしょう。
確かに、論理的に西欧哲学的思考で割り切ることにより、現代社会の繁栄があるのです。
さて、現代社会において我々が直面している困難は、深いところで人間性の問題につながっています。

資本主義、民主主義のシステムは、物資と情報、享楽と言う意味で人類に飛躍的な果実をもたらしました。
自然とともに生きなければならないと言う束縛から人類を解放したと言えます。
そうして、現代社会が直面している困難と言うのは、その昔、人類が経験していた自然の恐怖とは質が異なる困難であります。
ここに現代の困難は文明史的な次元の課題であると思います。
ここ4000年の間に営まれてきた宗教、哲学の概念の延長上で、どのように捉えられるか、更なる進化と言う観点から捉えるのか、人間性というものを自然との関わりで見直すことが正解であるのかが問われています。
これに対して、直線的に斯くあるべしと言うよりも、この観点から日本の歴史を振り返ってみたいと思います。

具体的には、弟3期西欧文明(資本主義・民主主義)が今日ある状況以外に人類は選択の余地がなかったのか、その過程において切り捨ててしまったものの中に人類が必要としていたものはなかったのかについて検証することから始めようと思います。
タイトルの「大和魂」とは、西欧文明以前の日本の精神文化を総称したものであります。
途方もなく長ったらしい話になりますが、ボチボチと御付き合い願いますよう御願いします。
説明のために掲げています長文は適当に読み飛ばしていただければ幸甚に思います。



(追申です 2017年6月24日)

このスレッドも、旧掲示板で書き始めてから言いますと10年近くたっています。
「大和魂」という標題のため、読んでくださる方は、常に「大和魂」の概念を探ろうとされているようです。
しかしながら、このタイトルは、このスレッド全体を通して感受されるべきものとして書いていますので、「大和魂」とは何かという設問には答えが見いだせなく戸惑いながら、結局は何が言いたいのか解らずしまいの様でしょう。
タイトルのつけ方が適正ではなかったかもしれません。
そこで、この時点(No188のレス)で私自身、ようやくたどり着いた「大和魂」の概念について次の様に説明して置きたいと思います。

<大和魂とは>

西欧民主主義が入ってくる前
江戸時代の朱子学に毒されるまえ
特に武士道などは、もってのほか。

それを取ったとき、
日本人はどのような生き方をしていたか。
それを探りたいのであり、言葉では、簡単には現せなく体感してほしいと思っております。

また「魂」という言葉を使っていますのは、物事に挑戦する意欲を表現しています。
これも具体的には言えませんが、山田長政の話やら、あまり良いことはしてないようですが倭寇など海外へ積極的に進出する、その気概。
日本人にも、そんな積極性があったことを頼もしく感じています。
そして、それは日本独自の文化、芸術を生み育てる力にもなっています。

その様なものを一括して「大和魂」と言っています。
そうして、そういうものを、この文章から感じ取っていただけることが出来たら幸いと思って書いています。
ですが、将来の日本人に「大和魂」だけを押し付けるつもりで言っているのではありません。
日本人には「大和魂」があることを忘れず、社会を生きてほしいと願うのです。

※ 体感してほしいと言っていますように、この文章の各所に伝説、神話、他の国の事情などを説明している箇所が随分とあります。退屈かもしれませんが、それを読まれることによって、それが書かれた時代、場所の様子を感じ取っていただきたいのです。
特に前半の部分は、日本民族と他国の民族性の違いを感じ取るために、長ったらしく資料を集めました。

(目  次)
No 0      プロローグ・目次
(前 章)
NO 1〜7    「大和」とは
(民話・伝説)
No 8〜16    日本の神話・伝説
NO 17〜20  中国の神話・伝説
NO 21〜37    世界のドラゴン伝説
No 38〜42    中国の民話
NO 43〜47    世界の七夕伝説
NO 48〜50    中国の民話・伝説
NO 51〜67    インドの民話・伝説
No 67〜93    イスラムの民話・伝説
No 94〜124   アングロサクソンの民話・伝説
(日本の歴史検証)
No 125〜137   「和」の検証 
No 138〜151   神代の時代から古墳時代
N0        飛鳥・奈良時代(一時、サーバのトラブルがあり、この部分が消えています)
No        平安時代(一時、サーバのトラブルがあり、この部分が消えています)
※ 後日復旧する予定。
No 152〜169   鎌倉時代
NO 170〜     室町時代
NO        江戸時代(未稿)
No        明治時代(未稿)
No        現代(未稿)
NO        「大和魂」とは(未稿)
No        エピローグ(未稿)

※ 世界の民話・伝説に紙面を割いているのは、日本人と他民族の気質の違いを探るためです。
メンテ

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大和魂 97 ( No.101 )
日時: 2011/01/01 01:44
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:4a8cTSBU

前回までアングロサクソンと言う言葉で現す概念を探ってきましたが、さらにその源流を確かめるためにユダヤ民族及びユダヤ教の古代を見てみましょう。

旧約聖書によると、民族の始祖アブラハムが、メソポタミアのウル(現在のイラク南部)から部族を引き連れて「カナンの地」(現在のイスラエル、パレスチナ付近)に移住したとされる。彼らは「移住民」という意味の「ヘブライ人」と呼ばれた。この付近で遊牧生活を続けたヘブライ人は、紀元前17世紀頃カナンの地から古代エジプトに集団移住するが、やがてこの地で奴隷とされる。

その後、エジプトのヘブライ人指導者モーセが中心となり、約60万人の人々がエジプトからシナイ半島に脱出を果たす(「出エジプト」)。彼らは神から与えられた「約束の地」と信じられたカナンの地(パレスチナ)に辿り着き、この地の先住民であったカナン人やペリシテ人(いずれもフェニキア系民族と考えられる)を、長年にわたる拮抗の末に駆逐または同化させて、カナンの地に定着した。この頃から「イスラエル人」を自称するようになり、ヘブライ語もこの頃にカナン人の言葉を取り入れて成立したと考えられる。

紀元前10世紀頃、古代イスラエル人はヤハウェ信仰(ユダヤ教の原型)を国教とする古代イスラエル王国をカナン(パレスチナ)に建国したが、ソロモン王の死後、紀元前930年頃、北のイスラエル王国と南のユダ王国に分裂した(「ユダヤ」とは元来、ユダ王国のあったパレスチナ南部を指す)。北のイスラエル王国は紀元前721年にアッシリアによって滅ぼされ(失われた十支族)、さらに南のユダ王国は紀元前586年に新バビロニアの侵攻により滅亡、多くの人民が奴隷としてバビロンに囚われた(バビロン捕囚)。

彼らはユダ王国の遺民という意味で「ユダヤ人」と呼ばれるようになった。アケメネス朝ペルシアによる新バビロニア王国滅亡に伴い、捕囚のユダヤ人は解放されてエルサレムに帰還し、ペルシア帝国の支配下で自治国として統一イスラエルが復興された。ユダヤ教の教義も、この頃にほぼ確立された。アケメネス朝の滅亡後、古代マケドニア王国、セレウコス朝シリアなどに宗主国が引き継がれ、最終的にはローマ帝国領のユダヤ属州とされる。この頃にはヘブライ語は既に古典語となり、日常語としては系統の近いアラム語にほぼ取って代わり、のちに国際語としてギリシャ語も浸透した。また、ヘレニズム諸国の各地に商人などとして移住したユダヤ人移民(ディアスポラ)の活動も、この頃に始まる。ローマ支配下の紀元20年代頃、ユダヤ属州北部ナザレの民から出たイエス・キリスト(ナザレのイエス)が活動したと伝えられる。

紀元66年からローマ帝国に対し反乱を起こすが(ユダヤ戦争)、鎮圧されてユダヤ人による自治は完全に廃止され、厳しい民族的弾圧を受けた。ユダヤ人の自称である「イスラエル」という名や、ユダヤ属州という地名も廃され、かつて古代イスラエル人の敵であったペリシテ人に由来する「パレスチナ」という地名があえて復活された。以来ユダヤ人は2000年近く統一した民族集団を持たず、多くの人民がヨーロッパを中心に世界各国へ移住して離散した。以降ユダヤ教徒として宗教的結束を保ちつつ、各地への定着が進む。その後もパレスチナの地に残ったユダヤ人の子孫は、多くは民族としての独自性を失い、のちにはアラブ人の支配下でイスラム教徒として同化し、いわゆる現在の「パレスチナ人」になったと考えられる。
最盛期の人口は2億5000万人である。

余談であるが、前近代のキリスト教圏においてユダヤ人(ユダヤ教徒)は政治家、農民など土地の保有と公的な職業に就くことを認められなかった。逆にキリスト教が禁じている金貸しを営むことが可能であったため、伝統的に金融業や商業に従事するものが多かった。また世界的に散らばり独自の情報ネットワークを持っていた。そのため現在でもユダヤ人には商人やメディア関係が多いとされる。アルトゥル・ショーペンハウアーは『フランクフルトでユダヤ人の足を踏んだらモスクワからサンフランシスコまで情報が行き渡る』と指摘していた。
メンテ
大和魂 98 ( No.102 )
日時: 2011/01/01 01:46
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:4a8cTSBU

さて、ユダヤ教についてであるが、上記にも出てきた「モーゼの十戒」から形を成してゆくことになる。

そのモーゼの十戒を下記に現す。

1.主が唯一の神であること
2.偶像を作ってはならないこと(偶像崇拝の禁止)
3.神の名を徒らに取り上げてはならないこと
4.安息日を守ること
5.父母を敬うこと
6.殺人をしてはいけないこと
7.姦淫をしてはいけないこと
8.盗んではいけないこと
9.偽証してはいけないこと
10.隣人の家をむさぼってはいけないこと

1から4までは神と人との関係であり、5から10までは人と人に関する項目(同時に刑法の根幹)である。

ユダヤ教は『タナハ』 (tanakh)、『ミクラー』 (miqra') とよぶ書を聖典とする。これはキリスト教の『旧約聖書』と同じ書物である。ただし、成立状況が異なるので、キリスト教とは書物の配列が異なる。イスラム教でも『モーセ五書』は『コーラン』に次いで重要視される。ユダヤ教では、この他にタルムードをはじめとしたラビ文学も重視する。

しかし、ユダヤ教はキリスト教やイスラム教と違い、信仰、教義そのもの以上に、その前提としての行為・行動の実践と学究を重視する。例えば、ユダヤ教の観点からは、信仰
一方、形式的に考えれば初期のキリスト教徒はすべてユダヤ人だったのであり、「ユダヤ人キリスト教徒」という矛盾を含んだ呼称も成立する。

世界中の全ての民族は「ユダヤ教」に改宗することによってユダヤ人となりうるのであり、ユダヤ人は他宗教に改宗することによってもはや狭い意味での「ユダヤ人」ではなくなってしまう。これは民族の定義を血縁によるのか、宗教によるのか、「ユダヤ教」が「民族宗教」なのか、あるいは「宗教民族」ともいえるのか、といった問題につながる。

このように、内面的な信仰に頼らず行動・生活や民族を重視し、また唯一の神は遍在(maqom)すると考える傾向(特にハシディズムに良く現れる概念)があるため、ユダヤ教の内部にはキリスト教的、またイスラム教的な意味での排他性は存在しない。
また「モーゼの五書」がイスラム教で「コーラン」についで重要視されているように、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は同根から出ていると言える。現代まで続くイスラム教とキリスト教の対立が近親相克の歴史であった即面も興味を引くところであります。
メンテ
大和魂 99 ( No.103 )
日時: 2011/01/01 01:49
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:4a8cTSBU

ユダヤ教徒の特性を少し紹介していきます。

ユダヤ教徒はタルムードと呼ばれる教典に従って行動すると知られているが、これはラビ的ユダヤ教徒に限られる。タルムードは2世紀頃からユダヤ人の間で幾たびも議論の末に改良を重ねられてきた生活および思想の基礎であり、家族やユダヤ人同士でタルムードの内容について討議する事もある。

(教育)

ユダヤ教において最も特徴のある分野は教育でユダヤ教徒は教育こそが身を守る手段と考え、国を守るには兵隊を生み出すよりも子供によい教育を受けさせるべきとされている。そのため一般大衆の殆どが文盲だった紀元前からユダヤ人のコミュニティでは授業料が無料の公立学校が存在していた。平均的なユダヤ教徒は非常に教育熱心で、子供をいい学校に行かせるためには借金をすることも当然と考える。家庭では特に父親の存在が重要で、先導して子供に勉強、タルムードなどを教え、子供を立派なユダヤ人に育てたものは永遠の魂を得ると信じられている。また子供が13歳に達するとバル・ミツワー(成人式)の儀式が行われ完全に大人と同様と扱われる。

(死生観)

ユダヤ教は死を現実的なものと捉えており、一般的な宗教に見られる「死後の世界」というものは存在しない。最後の審判の時にすべての魂が復活し、現世で善行(貧者の救済など)を成し遂げた者は永遠の魂を手に入れ、悪行を重ねた者は地獄に落ちると考えられている。

(労働)

労働は神の行った行為の1つであるため、神聖な行為と考えられている。そして、安息日と呼ばれる休日を週1回は必ず行うべきであり、安息日の間は労働はしてはならず、機械に触れてもいけない。自分自身を見つめ、自分と対話したり、家族と対話したりする。

(性)

ユダヤ教では性衝動や性行為は自然なもので、必要悪とはみなさない。姦淫は罪であるが、夫婦の性行為はそれを捻じ曲げることがむしろ罪であるとされる。また、快楽を伴わない性交も同様に罪とされる。

さて、話しは古代に戻りまして、エーゲ海周りの歴史を紐といてみることにします。
紀元前6千年紀から5千年紀には、北アフリカには農業生産を主体とする定住文化集落や都市の原型が確認されており、これらを継承して紀元前3千年紀となってエジプト統一帝国(古王国)が成立したとも考えられる。小アジアには、北アフリカと同じぐらいに古い定住文化集落が存在しており、紀元前2千年紀頃にはヒッタイト帝国が成立するが、それ以前にも多数の都市国家が存在した。

西欧領域では、紀元前3千年紀頃より印欧語族の進出が著しくなったが、考古学的資料等からは、印欧語族以前にこの領域には先住民族の文化が存在したことが知られている。その為、例えばギリシアでは、ギリシア人は紀元前2千年紀頃より数度にわたり波状に南下して行ったが、すでに先住民族とその文化が存在しており、この古い文化は古代ギリシア文化のなかに取り込まれた。

しかし、紀元前2千年紀となると地中海世界では陸路を通じてではなく、むしろ海路を通じての文化的政治的な相互作用が活発となり、エジプトはクレータのミノア文明と交流を行っており、また古代ギリシア人は地中海世界のヴァイキングのような形で、各地に遠征し略奪戦争を行った。その一つはホメーロスがうたった「トロイア戦争」であると考えられる。ただし、トロイエは東西の交流の要衝にあった為、考古学的に、幾度も戦役に見舞われ、都市は破壊され、再度構築されてきたことが確認されている。
メンテ
大和魂 100 ( No.104 )
日時: 2011/01/01 03:00
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:pZT5uw6.

東にチグリスユーフラテス文明と西にエジプト文明という世界の4大文明の狭間でキリスト教世界の萌芽が育てられていたと言うことになります。
チグリスユーフラテス文明については先に少し触れました、ここでエジプト文明についても触れてみたく思います。

(エジプト文明)

チグリスユーフラテス、黄河、インダス文明と同じように、ここもナイル河流域に発達した農業を中心として興った文明です。
そうしてこれら4大文明の発祥の地では、他の文明の地よりも、それぞれ大きな王国が出現しています。

農業生産を背景に強大な王国が出来たことにより人々にとっては安定した環境があったのでしょう。
より小さな王国では常に侵略による興亡にさらされ、事実ユダヤの民も国土を持たない流浪の民となってしまったのです。
特にエジプトの王権は極めて強くピラミッドなどの遺跡を今に残しています。

そのエジプトの成り立ちですが、エジプト人は自分たちの国をケメト(「黒い土」の意)と呼んでいました。ナイルの洪水によって堆積する黒土にちなんだものでした。

ナイル川と太陽は対を成す力と考えられ、ナイルの氾濫による大地の草木の再生、そして朝晩に死と再生を繰り返す太陽は、オシリス神の神格や様々な宗教的意識に影響を与えた。

エジプトの歴史は古く長い。先王朝時代(紀元前BC3400年頃)は死者はナイルの洪水の及ばない、耕作地でない場所、沙漠に葬られた。沙漠で遺体が乾燥していったことで人工的な遺体の保存の思想がでてきたと考えられています。

紀元前BC3100年頃のエジプト統一まで、多数の都市、国家の神々がいました。

古王国時代の紀元前BC2480年頃には太陽神ラーが神々の最高位になり広く信仰され、その後も大きく影響し続け、後にアメンと習合した神格にもなりました。

紀元前2600年頃には、神官たちは神々を体系化し、いくつかを家族としてまとめた。ヘリオポリスの9柱神、ヘルモポリスの8柱神などです。

この頃から紀元前BC400年頃まで遺体の人工保存処理が行われました。

また紀元前BC2700-2200年と中王国時代の紀元前1980-1786年にはほとんどの王のためにメル(ピラミッド)が建てられたと言います。


エジプトはその後ローマやアレキサンダー大王の侵略をうけエジプト文明としての歴史は終わることになります。
エジプトに伝わる神話、伝説は主に王権を確立するためのものが多く驚くほど多くの神話が語られています。
それに引き替え、庶民の生活の様子を伺う民話などは乏しいのですが、ネットで検索できた一つの話を現代に近いものですが、紹介します。


(ゴハおじさん・・・)

『ゴハおじさん、市場へいく』ロバに乗るゴハおじさんが自分の背中にかごをかついだ理由。『ゴハおじさんとくつ』昼ごはんに招かれたと来た6人の悪戯者にゴハおじさんがした見事な仕返し。『ロバは何頭?』ロバの頭数が合わず悩むゴハおじさんの変な納得の仕方。『おやしきのえんかい』悪ガキ達を上手い嘘で追い払ったゴハおじさんですが・・・・。

『ネコはどこへ?』折角買った羊の肉を奥さん達に全部食べられ猫の仕業と言われて悩むゴハおじさん。『水あび』川で泳いだ時服を盗られたゴハおじさんが考えた変な対策。『クマ狩りにいったゴハおじさん』ゴハおじさん流クマ狩りの変な喜び方。『ゴハおじさん、強盗にであう』道で二人の強盗に出会ったゴハおじさんの見事な知恵。

『二十羽のガチョウ』近所の人から預かったガチョウが一匹足りない事実を絶対に認めないゴハおじさん。『だんまりのゴハおじさん』喋らないと賭けをしたら何が起きても意志を貫く頑固なゴハおじさん。『また、どろぼう』真夜中家に入られた泥棒に言い訳してかわすゴハおじさん。『ゴハおじさん、おふろ屋さんにいく』公衆浴場に行ったゴハおじさんは見かけで態度を変える世話係を戒めます。

『むすこに世の中をおしえるゴハおじさん』他人が自分をどう思うかを気に病む息子に教え諭すゴハおじさん。『あたらしいロバ』年寄りのロバを若いのに換えたくなったゴハおじさんでしたが・・・・。『ゴハおじさんと三人の賢者』遠くの国から来た三人の賢者が出す難題にとんちで答える「一休さん」の様なゴハおじさん。

とりとめのない話の中で、お人よしで、したたかな「ゴハ」おじさんの生き様が風刺されています。

これは次に紹介します、現在エジプト旅行記の風情にも共通するものであります。
メンテ
大和魂 101 ( No.105 )
日時: 2011/01/01 03:02
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:pZT5uw6.

これとは別に現代エジプトを旅した方の日記のような文章を紹介します。

http://www.h6.dion.ne.jp/~euroman/index.htm

1.カイロへ

この旅の始まりは、空港の前の駐車場でひとり夜明けを待つという、非常に静かなものであった。空港といっても地方都市の鉄道駅のような簡単な造りである。同じ飛行機でやって来た数十名の人たちはいつの間にかどこかへ行ってしまって、とにかくザックをかつぎ、タクシーやホテルの客引きを振り切って外に出る。広い駐車場の中で適当に居場所を見つけて腰を下ろす。先進国以外の国を本格的に歩くのは初めてのことで、少し神経がぴりぴりしていた。そして夜明けと共に赤白ツートンカラーのなるほどさすがにこれはアフリカだな、という埃まみれのオンボロバスが現れ、恐ろしく乱暴な走り方をするこのオンボロバスが僅か1時間で僕をあの喧騒と混乱の街カイロにほおりこんでくれたのである。

右も左も分からない状態でホテル探し、航空券のリコンファーム、夜行列車の予約等々やらなければいけないことがあったし、とにかくこの街に慣れることから始めようと手当たり次第に歩き回ったが、その疲れること疲れること。道にあふれる人と車、ひっきりなしの車のクラクション、フルボリュームのコーラン、砂埃、暑さ、僕に集まる視線、悪臭、細かく書くときりがないのだけど、やかましさ、異様さ、無秩序さ、いちいち人の神経を逆なでするようなものばかりで、睡眠不足の僕は歩きながら吐き気すら覚えた。こんな町は明日すぐに出てしまおうと思いながら歩いていた。


2。カイロの男達

カイロには、その後四日間滞在した。やはり慣れるもので、イライラさせられることは度々であったが、圧倒されるばかりでなく、その異様さを面白いと感じられるようになった。特に、そこに歩いていたり、つっ立っていたり、座っていたり、物を売ったり、怒鳴り合ったり、とにかくそこら中に大勢いる人間が面白い。モロッコを旅行して、皆が俺を狙っているような気がする、と言った人がいたそうで、僕もタンジールに入ったときに成る程うまいことを言うもんだな、と思ったことがある。

ヨーロッパを歩いていてもアラブ人というと何となくうさんくさい印象をもってしまう。ところがここの連中は同じアラブ人でもちょっと違っている。視線もそうきつくないし、どことなく表情や行動に愛嬌がある。男たちの大半は鬚を生やし、大変に立派な、俺は何々族の末裔だぞといっているような威厳のある顔立ちをしているのだが、よく見るとそれぞれに少し間のびしたとぼけた顔をしている。カイロのような都会だと洋服を着ている人も多いが、たいていガラベーヤというあのアラブのひらひらした衣装を着て歩いている。水たまりを渡る時とかバスのステップを上がる時など、女の子がスカートを持ち上げるようにひょいとそのひらひらをつまみ上げるのが見ていて何ともおかしい。

この街の異様さのひとつは圧倒的に男だらけであることだ。女性はもちろん見かけないわけではないが、そう多くないしことに若い女性は少ない。男が目立ちすぎるのである。例えばそこら中にある喫茶店、シャーイと呼ばれる紅茶を飲み、水煙草を喫んで時間を潰しているのは皆、男である。そこに女性の姿を見ることは殆どない。ましてテーブルをはさんで恋人同士語り合うという図は絶対にない。イスラムの伝統で街なかでもアベックというものにお目にかからない。その代わり(という訳でもないだろうけど)男の二人連れというのがやたらと多く、手をつないでいたり腕を組んでいたり、日本人の感覚からするとどうも普通ではない。

別にホモという訳ではないそうなのだが、小指をからませていたり、いきなり立ち止まって見つめ合っていたりするのを見るとかなり気持ち悪い。そういえばルクソールでこんなことがあった。夕方ナイルのほとりの石のベンチにこしかけ、西岸に沈む夕日を見ていた。エジプトに来て見たいもののひとつであったし、ここまではしつこい物売りも来ないので静かに雰囲気にひたっていたら、そこに二人連れの男がきて僕のとなりに座る。いろいろと話しかけてくるので、適当に返事をしていると、そのうち話しが“ひとりで旅行していて寂しくないか”とか“自由な人生を求めてみないか”といった妙な具合になってきた。かわるがわる話しかけてくる二人のしゃべり方といい目つきといい、ねとっと甘ったるく、さすがに鈍い僕でも気がついて、表現がもっと直接的になったところで立ち上がってベンチを離れた。

こういうのは極端にしてもここの男達はベタベタとして仲が良い。ドライバーがしつこくクラクションを鳴らして怒鳴り合っているのも夫婦げんかでもやっているように見える。短い滞在での印象で本当かどうか分からないけれど、ののしりあうばかりで手は出さないのではないかと思う。もし血でも流れることがあれば、やった方がびっくりして事の重大さにオロオロし、さっきまでの怒りはどこへやら、相手を抱き起こしたりするのではないだろうか。旅行者にとってみれば真理は一つとばかりに我が道をつきすすむ欧米人社会に較べると、何だかよく解らないけど、ネトネト・ベタベタのカイロ社会の方が、身の安全に神経質にならなくて済む分楽である。但しこれは女性にとってはそうでもないようで、話をきくと体中触られたとか、後をつけられた、とか大変だったようだ。自分の国の女の子が自由にならない分、外人に目が行く訳で、考え様によってはここの男たちも可哀相だ。女の子と遊べないわ、酒も飲めないわで、男同士たむろしてシャーイを飲んでいる。

メンテ
大和魂 102 ( No.106 )
日時: 2011/01/01 03:05
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:pZT5uw6.

3カイロの子供達

驚くほど大勢の男達が、昼間からすることもなくぶらぶらしている。ルクソールで会ったタイヤという男もそうであったが、一日の大半ブラブラするのが仕事のような男も多い。その代りスークや駅で、小学生位の子どもが学校にも行かず、物を運んだり売ったり、よく働いていた。結構一人前に大人とやりあっていたりして生活力を感じさせる。

エジプトの子供達のたくましさを知りたかったら、王家の谷へ行くのにタクシーでなく、貸し自転車で行くと良い。道の両側から貧しい格好をした子供達が走り出してきて、これ買ってとか、バクシーシ(お金、頂戴)とか、次々に声をかけてくる。自転車の後を追いかけてくる子もいる。毎日観光客が通る度にあれをやっているのである。日本なら社会問題になりそうなものだが、彼らにとって教育よりも生活が大事なのだろうし、皆無邪気で明るい。そういえば、走ってゆく自転車の前でパッとスカートの前をめくって、ケケケと笑う妙なのもいた。

僕はどちらかといえば子どもは好きな方ではないと思うのだが、エジプトの子はカイロの街角で唇を歪めてバクシーシと手を出すガキも含めて皆可愛かった。カイロの喧騒を逃れてムハマンドアリモスクの回廊の柱の下に座って本を読んでいたら、遠足で来たらしい小学生の一団が僕を見つけ、あっという間に彼らにとり囲まれてしまった。“ハロー”“ハロー”口々に叫んで手を差し出す。一つ握ってやると私も私もという感じで、目の前にいくつも手が並ぶ。殆ど全員と握手するまで輪がとけなかった。こういう無邪気さがそのまま大きくなって、あの親切仲良しエジプト人になるのだなと思った。

4。タハリール広場に

ニューカイロのミダン・エル・タハリールは常時数十台のバスやミニバス、それにタクシーが発着する巨大な広場である。多量の人と車の混乱振りはカイロの象徴のようなところである。ここで慣れぬ旅行者は、いかに目当てのバスに乗るか苦労することになる。バスはあちこちで次から次へと発車しているのだが、どこで待ったらいいものやら、またそれが解ってもバスの行き先や系統番号がアラビア語で書かれているので途方に暮れる。70と書いてあるのは70ではなく、65だというのだからかなわない。大体、来るバス来るバス人でギッシリで、はみ出て手すりにぶら下がっている奴もいる。止まらぬうちにワッと飛び降り、乗ろうとする連中ともみ合い、走り出しても尚何人も飛びおり、また元と同じギッシリの状態になって、どうにか出発していく。異邦人は喧騒と混乱の中、ア然として立ちつくしている。

そこで登場するのが親切エジプト人である。いかにエジプト人が親切かということは、ここで自分のバスを尋ねれば良く解る。たとえ英語が解らなくても、ついて来いという仕草をし、車の洪水を横切るのに手を貸してくれ、あちらの乗り場で尋ね、こちらで尋ね、それでも解らないでいると、たいてい“俺も手伝おう”という男がもうひとりふたり現れ、それぞれ自分の予定が遅れるのもおかまいなしに、驚くべきことに僕がちゃんと目当てのバスに乗り込む迄見届けてくれる。

ホッサム君という男もそうであった。立派な体格でヒゲも薄く生やしているが、多分高校生ぐらいと思う。このホッサム君僕が乗るカイロ旧空港行きのバスを15分ほど一緒に待っていてくれた。学校へ行く途中とみえて英語の教科書を持っていた。僕はこの日ルクソールへ行くところであったが、ホッサム君は自分の家の住所と行き方をエジプト語、英語の両方で書いて、カイロに戻ってきたら是非遊びに来てくれと言う。バス乗り場を聞いただけでこういう展開になるところがおもしろい。“きっとだよ”というホッサム君の無邪気な笑顔が印象に残る。

5。ギザにて

ギザのピラミッドは、エジプトの中でも有数の観光地である。タハリールから乗った乗り合いタクシーは、ピラミッドの少し手前で地元の乗客が皆降りて僕ひとりになると、さっそく、ピラミッドまで行くならあと1ポンドとここまで十数キロ来たその4倍の料金をふっかけてくる。すぐにこれである。“バカ言え”と言って降りて歩いて行く。ピラミッドから1キロ離れているが、もう物売りやらくだ引き、ガイドが声をかけてくる。この手の連中は結構しつこいのでうんざりさせられるが、タンジールの自称ガイドに較べるとここの人達はそうひどくない。

ノー、と言って通りすぎてもしばらくはついてくるが、こちらも立ち止まって、もう一度はっきりノーといって歩き出すと、大体あきらめるようである。それでも僕の後ろで、半ば泣き声のような声で、“何で俺に値段を聞かないんだ”“たった1ポンドだよ1ポンド”“オーイ、この品物を見てくれよォ”といつまでも叫んでいるのを背中で聞いていると、芝居がかった大げさな言い方に吹き出してしまう。観光客相手にぼろうとする連中も、ここでは善人エジプト人の気質が見えかくれする。

うるさい連中から逃げるようにして歩いていたら道に迷ってしまって、またまた地元の人に助けてもらった。エジプト独特の丸いパンをモグモグ食べながらやって来た20才位の男である。英語をしゃべらず、そのまま歩いていくので、こりゃ駄目かな、と思いながらついていくと十字路に来て、こっちだという風な仕草をしてまた歩いていく。

道が上りになって、ピラミッドが近いことが知れる。らくだ引きが“こっちが近道だ”などといいながら連れて行こうとするが、無視してモグモグ兄さんについていく。中にはモグモグ兄さんをつかまえて何か言うのがいる。エジプト語なので分からないが、“商売の邪魔をするな、案内なら俺がやる”とでも言っているのだろう。困ったようにこちらを見るので、その度にノーと言ってやると、兄さんはまた歩き出す。ゆるいカーブをまがると目の前にピラミッドが二つ巨大な姿を現した。兄さんは、あれがピラミッドだというようなことを言い、くるりと振り返って今来た道をスタスタ下りて行った。礼を言う暇もなかった。


メンテ
大和魂 103 ( No.107 )
日時: 2011/01/01 03:21
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:pZT5uw6.

6 再びカイロにて

ルクソールから夜行列車でカイロに向かった。ルクソールを深夜出て丸半日、正午を回って列車は運河に沿って走っている。夜が明けてからまるで変らぬ風景が続いている。狭く、空気の汚れた車内にいるのがしんどくなって、デッキへ行った。幅が日本の列車の一倍半程あるドアは開け放たれていて、乾いた暖かい風が吹き付けてくる。降りる駅が近づいたのか4,5人の黒人がどやどやとデッキに出てきた。きいてみると、スーダンから来たという。

カイロの南数十キロの小さな町の大学に留学するのだそうで、列車がスピードをゆるめる度に、ちがうちがうこの町じゃない、などと言い合っている。その中の一人が僕にむかって“エジプトはいい所だろう”“ウンウン皆親切でいい人たちだ”そう答えながら、明日この国を去る僕はエジプトで会ったいろいろな男たちの顔を思い出していた。親切であることは間違いないが、日本語や英語でいう親切とは少し違うような気がした。

親切エジプト人は俺は俺、お前はお前で、お互いの人格を認めつつ、博愛主義的親切を発揮するヨーロッパ人とは違う。その点では何やらエジプト全体でひとつの家族のようにお互い仲の良いエジプト人は、相手が自分と同質の人間であることを期待する日本人に近いのかもしれない。しかし絶対的親切というか、あの確信に満ちた顔付きは、行動や考え方が人からどうみられているかということに容易に左右される日本人では持ち得ないものである。歴史なのか土地なのか民族なのか分からないが、あれはもうそういう風に人間が出来ているとしか言いようがない。

スーダンの学生が僕が持ってたマイルドセブンライトを珍しそうに見るので一本ずつ分けてあげた。と、それまで黙って我々の傍に立っていた太ったエジプト人のオッサンが、何やらエジプト語を言いながら僕の煙草を箱ごと取り上げ、自分のポケットにしまいこみ、代わりにクレオパトラというこの国の人気煙草を僕に渡してよこし、ニッと笑った。遠くサッカラの階段状ピラミッドが見えてきた。列車は混乱と喧騒の町カイロに近づきつつあった。 

(おわり)


このようにエジプト人の気質が、豊穣の地ナイルで育ったおおらかさと共に、厳しい王権に耐えて生き抜いてきエジプト人のしたたかさの両方を受け継いでいるというのは早計でしょうか。

考えますと中国の民族性も、大陸的といわれるような大らかさと、厳しい個人的エゴが内在しているように見えます。
大きな文明が展開した地域は、作物に恵まれ人々の心が安定して発達してきた反面、中国では蒙古が略奪を常套手段とした様に呵責のない民族性が顕著であります。

落ち着ける土地に恵まれなかったユダヤの民や、農業でなく牧畜に生活を頼った地域、または小国家間で抗争が絶えなかった地域では、民族の移動が盛んに行われ、4大文明が発達した地域に比べて大らかさにかけた民族性となったことも事実でしょう。
そうして、これから辿るユダヤ、キリスト於いてはアングロサクソンの世界は、その4大文明地の対極にある社会の検証となります。
メンテ
大和魂 104(キリスト教) ( No.108 )
日時: 2011/01/02 15:09
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:DIuVJCPI

西欧(アングロサクソン)の世界を知るのに、どうしてもキリスト教をはずして考えることはできません。
そのキリスト教の世界を見てみることにしましょう。

http://www.ijournal.org/world/christ.htm

キリスト教の前身のユダヤ教は神からあたえられた戒め、戒律、掟、聖書でいえば十戒、仏教でいえば五戒、そういう戒めを守り、その守った度合いに応じて義とされるということで、人間の自力が強調されている。すなわち人間の徹底的な自力本願の宗教である。それに対し、キリスト教はイエス キリストの十字架というかたちでもって罪の赦しが与えられるわけである。信仰生活はただ一方的に神の愛と恵みと恩寵によって成立する。これがキリスト教、特にプロテスタント神学の立場である。そういう点において、キリスト教は徹底した他力本願の宗教であると言える。

ユダヤ人たちは神から要求された律法の箇条というものを何とか全うしようとした。律法を遵守している人はおうおうにして律法を行っていない人と比較して、優越感にひたるという過ちに陥ることがある。イエス キリストはそのような人たちを痛烈に批判した。律法を遵守するという行為の動機が自分が救われたいとか自分が優越感を感じたいということにあることを痛烈に批判したのである。

キリスト教は人間が救われるため何か条件を立てることの必要のない宗教である。何故かというとキリスト教によると天国にいく条件というのは神側から一方的なプレゼントとしてくれるわけである。人間が何かの条件を立てたのでその見返りとして神から何か恵みをもらえるということではないのである。善行は救われるためにするのではなくて、救われたから、赦されたから、愛されたからというのがその動機である。何か打算的なそれをする事によって何か見返りを期待したり、そうするところに結局は善を指向しながらもエゴイズムがあるんだとイエス キリストは指摘したのである。
(引用終わり)

上記の文章を検証するまでにキリスト教の経典「新約聖書」を紹介します。

『新約聖書』(しんやくせいしょ、ギリシア語: Καινή Διαθήκη, ラテン語: Novum Testamentum)は、紀元1世紀から2世紀にかけてキリスト教徒たちによって書かれた文書で、『旧約聖書』とならぶキリスト教の聖典。また、イスラム教でもイエスを預言者の一人として認めることから、その一部(福音書)が啓典とされている。『

新約聖書』には27の書が含まれるが、それらはイエス・キリストの生涯と言葉(福音と呼ばれる)、初代教会の歴史(『使徒言行録』)、初代教会の指導者たちによって書かれた手紙(書簡)、黙示文学(『ヨハネの黙示録』)からなっている。「旧約聖書」「新約聖書」の「旧」「新」という言い方を避けるため、旧約聖書を『ヘブライ語聖書』、新約聖書を『ギリシア語聖書』と呼ぶこともある。

福音書には下記のものがあります。

マタイによる福音書 (マタイ書、マタイ伝) 税吏出身の使徒マタイ
マルコによる福音書 (マルコ書、マルコ伝) ペトロとパウロの弟子であったマルコ
ルカによる福音書 (ルカ書、ルカ伝) おそらくパウロの弟子であったルカ
ヨハネによる福音書 (ヨハネ伝) 使徒ヨハネ

そのうちのマタイの福音書の一部を転載します。
メンテ
大和魂 105(キリスト教) ( No.109 )
日時: 2011/01/02 15:14
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:DIuVJCPI

マタイによる福音書
山上の垂訓

全体の1/3くらいに省略してますが、それでもずいぶんと長いので適当に割愛して読んでいただクコとで、初めての御方に聖書の世界を感じていただきたく思います。

第1章
1:1
アブラハムの子であるダビデの子、イエス・キリストの系図。
1:2
アブラハムはイサクの父であり、イサクはヤコブの父、ヤコブはユダとその兄弟たちとの父、
1:3
ユダはタマルによるパレスとザラとの父、パレスはエスロンの父、エスロンはアラムの父、
1:4
アラムはアミナダブの父、アミナダブはナアソンの父、ナアソンはサルモンの父、
1:5
サルモンはラハブによるボアズの父、ボアズはルツによるオベデの父、オベデはエッサイの父、
1:6
エッサイはダビデ王の父であった。ダビデはウリヤの妻によるソロモンの父であり、
1:7
ソロモンはレハベアムの父、レハベアムはアビヤの父、アビヤはアサの父、
1:8
アサはヨサパテの父、ヨサパテはヨラムの父、ヨラムはウジヤの父、
1:9
ウジヤはヨタムの父、ヨタムはアハズの父、アハズはヒゼキヤの父、
1:10
ヒゼキヤはマナセの父、マナセはアモンの父、アモンはヨシヤの父、
1:11
ヨシヤはバビロンへ移されたころ、エコニヤとその兄弟たちとの父となった。
1:12
バビロンへ移されたのち、エコニヤはサラテルの父となった。サラテルはゾロバベルの父、
1:13
ゾロバベルはアビウデの父、アビウデはエリヤキムの父、エリヤキムはアゾルの父、
1:14
アゾルはサドクの父、サドクはアキムの父、アキムはエリウデの父、
1:15
エリウデはエレアザルの父、エレアザルはマタンの父、マタンはヤコブの父、
1:16
ヤコブはマリヤの夫ヨセフの父であった。このマリヤからキリストといわれるイエスがお生れになった。
1:17
だから、アブラハムからダビデまでの代は合わせて十四代、ダビデからバビロンへ移されるまでは十四代、そして、バビロンへ移されてからキリストまでは十四代である。
1:18
イエス・キリストの誕生の次第はこうであった。母マリヤはヨセフと婚約していたが、まだ一緒にならない前に、聖霊によって身重になった。
1:19
夫ヨセフは正しい人であったので、彼女のことが公けになることを好まず、ひそかに離縁しようと決心した。
1:20
彼がこのことを思いめぐらしていたとき、主の使が夢に現れて言った、「ダビデの子ヨセフよ、心配しないでマリヤを妻として迎えるがよい。その胎内に宿っているものは聖霊によるのである。
1:21
彼女は男の子を産むであろう。その名をイエスと名づけなさい。彼は、おのれの民をそのもろもろの罪から救う者となるからである」。
1:22
すべてこれらのことが起ったのは、主が預言者によって言われたことの成就するためである。すなわち、
1:23
「見よ、おとめがみごもって男の子を産むであろう。
その名はインマヌエルと呼ばれるであろう」。
これは、「神われらと共にいます」という意味である。
1:24
ヨセフは眠りからさめた後に、主の使が命じたとおりに、マリヤを妻に迎えた。
1:25
しかし、子が生れるまでは、彼女を知ることはなかった。そして、その子をイエスと名づけた。
メンテ
大和魂 106(キリスト教) ( No.110 )
日時: 2011/01/02 15:15
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:DIuVJCPI

第2章
2:1
イエスがヘロデ王の代に、ユダヤのベツレヘムでお生れになったとき、見よ、東からきた博士たちがエルサレムに着いて言った、
2:2
「ユダヤ人の王としてお生れになったかたは、どこにおられますか。わたしたちは東の方でその星を見たので、そのかたを拝みにきました」。
2:3
ヘロデ王はこのことを聞いて不安を感じた。エルサレムの人々もみな、同様であった。
2:4
そこで王は祭司長たちと民の律法学者たちとを全部集めて、キリストはどこに生れるのかと、彼らに問いただした。
2:5
彼らは王に言った、「それはユダヤのベツレヘムです。預言者がこうしるしています、
2:6
『ユダの地、ベツレヘムよ、
おまえはユダの君たちの中で、
決して最も小さいものではない。
おまえの中からひとりの君が出て、
わが民イスラエルの牧者となるであろう』」。
2:7
そこで、ヘロデはひそかに博士たちを呼んで、星の現れた時について詳しく聞き、
2:8
彼らをベツレヘムにつかわして言った、「行って、その幼な子のことを詳しく調べ、見つかったらわたしに知らせてくれ。わたしも拝みに行くから」。
2:9
彼らは王の言うことを聞いて出かけると、見よ、彼らが東方で見た星が、彼らより先に進んで、幼な子のいる所まで行き、その上にとどまった。
2:10
彼らはその星を見て、非常な喜びにあふれた。
2:11
そして、家にはいって、母マリヤのそばにいる幼な子に会い、ひれ伏して拝み、また、宝の箱をあけて、黄金・乳香・没薬などの贈り物をささげた。
2:12
そして、夢でヘロデのところに帰るなとのみ告げを受けたので、他の道をとおって自分の国へ帰って行った。
2:13
彼らが帰って行ったのち、見よ、主の使が夢でヨセフに現れて言った、「立って、幼な子とその母を連れて、エジプトに逃げなさい。そして、あなたに知らせるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが幼な子を捜し出して、殺そうとしている」。
2:14
そこで、ヨセフは立って、夜の間に幼な子とその母とを連れてエジプトへ行き、
2:15
ヘロデが死ぬまでそこにとどまっていた。それは、主が預言者によって「エジプトからわが子を呼び出した」と言われたことが、成就するためである。
2:16
さて、ヘロデは博士たちにだまされたと知って、非常に立腹した。そして人々をつかわし、博士たちから確かめた時に基いて、ベツレヘムとその附近の地方とにいる二歳以下の男の子を、ことごとく殺した。
2:17
こうして、預言者エレミヤによって言われたことが、成就したのである。
2:18
「叫び泣く大いなる悲しみの声が
ラマで聞えた。
ラケルはその子らのためになげいた。
子らがもはやいないので、
慰められることさえ願わなかった」。
2:19
さて、ヘロデが死んだのち、見よ、主の使がエジプトにいるヨセフに夢で現れて言った、
2:20
「立って、幼な子とその母を連れて、イスラエルの地に行け。幼な子の命をねらっていた人々は、死んでしまった」。
2:21
そこでヨセフは立って、幼な子とその母とを連れて、イスラエルの地に帰った。
2:22
しかし、アケラオがその父ヘロデに代ってユダヤを治めていると聞いたので、そこへ行くことを恐れた。そして夢でみ告げを受けたので、ガリラヤの地方に退き、
2:23
ナザレという町に行って住んだ。これは預言者たちによって、「彼はナザレ人と呼ばれるであろう」と言われたことが、成就するためである。
第3章
3:1
そのころ、バプテスマのヨハネが現れ、ユダヤの荒野で教を宣べて言った、
3:2
「悔い改めよ、天国は近づいた」。
3:3
預言者イザヤによって、
「荒野で呼ばわる者の声がする、
『主の道を備えよ、
その道筋をまっすぐにせよ』」
と言われたのは、この人のことである。
3:4
このヨハネは、らくだの毛ごろもを着物にし、腰に皮の帯をしめ、いなごと野蜜とを食物としていた。
3:5
すると、エルサレムとユダヤ全土とヨルダン附近一帯の人々が、ぞくぞくとヨハネのところに出てきて、
3:6
自分の罪を告白し、ヨルダン川でヨハネからバプテスマを受けた。
3:7
ヨハネは、パリサイ人やサドカイ人が大ぜいバプテスマを受けようとしてきたのを見て、彼らに言った、「まむしの子らよ、迫ってきている神の怒りから、おまえたちはのがれられると、だれが教えたのか。
3:8
だから、悔改めにふさわしい実を結べ。
3:9
自分たちの父にはアブラハムがあるなどと、心の中で思ってもみるな。おまえたちに言っておく、神はこれらの石ころからでも、アブラハムの子を起すことができるのだ。
3:10
斧がすでに木の根もとに置かれている。だから、良い実を結ばない木はことごとく切られて、火の中に投げ込まれるのだ。
3:11
わたしは悔改めのために、水でおまえたちにバプテスマを授けている。しかし、わたしのあとから来る人はわたしよりも力のあるかたで、わたしはそのくつをぬがせてあげる値うちもない。このかたは、聖霊と火とによっておまえたちにバプテスマをお授けになるであろう。
3:12
また、箕を手に持って、打ち場の麦をふるい分け、麦は倉に納め、からは消えない火で焼き捨てるであろう」。
3:13
そのときイエスは、ガリラヤを出てヨルダン川に現れ、ヨハネのところにきて、バプテスマを受けようとされた。
3:14
ところがヨハネは、それを思いとどまらせようとして言った、「わたしこそあなたからバプテスマを受けるはずですのに、あなたがわたしのところにおいでになるのですか」。
3:15
しかし、イエスは答えて言われた、「今は受けさせてもらいたい。このように、すべての正しいことを成就するのは、われわれにふさわしいことである」。そこでヨハネはイエスの言われるとおりにした。
3:16
イエスはバプテスマを受けるとすぐ、水から上がられた。すると、見よ、天が開け、神の御霊がはとのように自分の上に下ってくるのを、ごらんになった。
3:17
また天から声があって言った、「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」。
メンテ

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