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[814] 大和魂(日本の心のルーツを探る)
日時: 2018/05/23 11:57
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:XPKXw99A

「大和魂」と言う言葉を使うと嫌悪感に満ちてこれを否定する人たちが多い。
まるで街宣右翼と同類に扱われる。

しかしながら先の大戦において、国を守る為に散って行った200万近い兵士の事は、どのように思われるのか。

全てが全てでないとしても「大和魂」を信じて突進し倒れた兵士の事は考えられないのか。
その「大和魂」が軍部によって利用されていたとしても当事者の兵士の責任ではない。

ここで「大和魂」をミソクソに言う事は彼らの死を馬鹿にする事になる。
調子者が騙されて死んだと言えますか。

彼等の為にも「大和魂」は正当に評価することが大事と思います。
彼等は、まさしく彼等なりの「大和魂」を持って、国を守る為に死んで行ったのです。


(プロローグ)

人類が霊長類と分類されて他の動物よりも繁栄してきたのは、その頭脳的能力が発達、進化してきたからであります。
始原における人類は、その頭脳的能力で道具を使うことを覚え、そのうちに火を自在に使えるようになりました。

これは生きる(食べる)事において画期的な進化でありました。
一方で人々は集団で生活して行くことの重要性に目覚め次第に大きな集落を形成し分業をするようになってきた。
集団で生活し始めると、自分達の生活を脅かす自然の力に対する畏怖の心も結集することになり自然崇拝、呪術などが起きることになりました。
このころになると、集団には統治の機能が求められ次第に原始国家に近い概念が生まれてきました。

人間の頭脳的能力が生きるための対自然から、統治という人間自身の問題まで対象にし始めたと言うことです。
集団の英知(頭脳的能力の総体)を集めることに成功した人類は、農業、漁業、工業の分野を確立し安定した社会を構成することが出来ました。
このころになると、宗教と言うものが次第に鮮明な形を帯びてきて、人々の精神的ケアをするとともに、宗教を通じて集団の結束を図るようになってきました。
同時に統治者は独裁の傾向が強くなり王国を形成するようになります。
自然を相手に生産活動に殉じてきた人間でしたが、集団の力が強化されるとともに、他の集団を略奪することにより、成果がもたらされることに気がつき以来、血で血を洗う抗争が続いてきました。

さて、3000年も4000年も遡りますが、一応は自然を相手の格闘に一段落した人間は、その精神的な余裕の分だけ、その頭脳的能力を内面に向けるようになりました。
それが宗教であり、哲学の世界です。

文字として残る最古の哲学は、2000年くらい前のギリシャ哲学でありますが、その内容は主に統治の問題に絡んで話されています。
最初の哲学が、ようやく手に入れた人間社会の安定のために、人間は如何にあるべきかが最大テーマであったという事でしょう。
中国における儒教というものもこの範疇に入ると思います。

時を同じくして、キリスト教、イスラム教、仏教が興っています。現在まで続いているこれの宗教は、哲学とは別の方向から人間の内面性を説こうとしたものであり、それまでの宗教が民族単位に近かったものから人類共通の普遍性を主張しているのが特徴です。
西欧の歴史は、一時、キリスト教の精神で色濃く塗られていましたが、キリスト教的教義への反動として、500年くらい前にルネッサンス(文芸復興)と言う考え方が広まりました。
直接はキリスト教支配の前の人間精神への回帰ですが、実際は新たな人間性の認識へ移りました。
其処では、人間自身を自然とも切り離し、神とも切り離して如何に生きられるかについての思索がなされました。

それは300年後に資本主義、民主主義という鮮明な形で認識されるに至っています。
その途中、西欧哲学はスピノザに始まりホッブス、デカルト、カントへ至る人間自身の認識論(観念論)からヘーゲルの純粋論理的認識論(弁証法)へ進むなど、自然の理を超越しようとした試みが中心でありました。
それを人類の進化、発展と見れば、そのまま肯定もできるでしょう。
確かに、論理的に西欧哲学的思考で割り切ることにより、現代社会の繁栄があるのです。
さて、現代社会において我々が直面している困難は、深いところで人間性の問題につながっています。

資本主義、民主主義のシステムは、物資と情報、享楽と言う意味で人類に飛躍的な果実をもたらしました。
自然とともに生きなければならないと言う束縛から人類を解放したと言えます。
そうして、現代社会が直面している困難と言うのは、その昔、人類が経験していた自然の恐怖とは質が異なる困難であります。
ここに現代の困難は文明史的な次元の課題であると思います。
ここ4000年の間に営まれてきた宗教、哲学の概念の延長上で、どのように捉えられるか、更なる進化と言う観点から捉えるのか、人間性というものを自然との関わりで見直すことが正解であるのかが問われています。
これに対して、直線的に斯くあるべしと言うよりも、この観点から日本の歴史を振り返ってみたいと思います。

具体的には、弟3期西欧文明(資本主義・民主主義)が今日ある状況以外に人類は選択の余地がなかったのか、その過程において切り捨ててしまったものの中に人類が必要としていたものはなかったのかについて検証することから始めようと思います。
タイトルの「大和魂」とは、西欧文明以前の日本の精神文化を総称したものであります。
途方もなく長ったらしい話になりますが、ボチボチと御付き合い願いますよう御願いします。
説明のために掲げています長文は適当に読み飛ばしていただければ幸甚に思います。


(追申です 2017年6月24日)

このスレッドも、旧掲示板で書き始めてから言いますと10年近くたっています。
「大和魂」という標題のため、読んでくださる方は、常に「大和魂」の概念を探ろうとされているようです。
しかしながら、このタイトルは、このスレッド全体を通して感受されるべきものとして書いていますので、「大和魂」とは何かという設問には答えが見いだせなく戸惑いながら、結局は何が言いたいのか解らずしまいの様でしょう。
タイトルのつけ方が適正ではなかったかもしれません。
そこで、この時点(No188のレス)で私自身、ようやくたどり着いた「大和魂」の概念について次の様に説明して置きたいと思います。

<大和魂とは>

西欧民主主義が入ってくる前
江戸時代の朱子学に毒されるまえ
特に武士道などは、もってのほか。

それを取ったとき、
日本人はどのような生き方をしていたか。
それを探りたいのであり、言葉では、簡単には現せなく体感してほしいと思っております。

また「魂」という言葉を使っていますのは、物事に挑戦する意欲を表現しています。
これも具体的には言えませんが、山田長政の話やら、あまり良いことはしてないようですが倭寇など海外へ積極的に進出する、その気概。
日本人にも、そんな積極性があったことを頼もしく感じています。
そして、それは日本独自の文化、芸術を生み育てる力にもなっています。

その様なものを一括して「大和魂」と言っています。
そうして、そういうものを、この文章から感じ取っていただけることが出来たら幸いと思って書いています。
ですが、将来の日本人に「大和魂」だけを押し付けるつもりで言っているのではありません。
日本人には「大和魂」があることを忘れず、社会を生きてほしいと願うのです。

※ 体感してほしいと言っていますように、この文章の各所に伝説、神話、他の国の事情などを説明している箇所が随分とあります。退屈かもしれませんが、それを読まれることによって、それが書かれた時代、場所の様子を感じ取っていただきたいのです。
特に前半の部分は、日本民族と他国の民族性の違いを感じ取るために、長ったらしく資料を集めました。

(目  次)
No 0      プロローグ・目次
(前 章)
NO 1〜7    「大和」とは
(民話・伝説)
No 8〜16    日本の神話・伝説
NO 17〜20  中国の神話・伝説
NO 21〜37    世界のドラゴン伝説
No 38〜42    中国の民話
NO 43〜47    世界の七夕伝説
NO 48〜50    中国の民話・伝説
NO 51〜67    インドの民話・伝説
No 67〜93    イスラムの民話・伝説
No 94〜124   アングロサクソンの民話・伝説
(日本の歴史検証)
No 125〜137   「和」の検証 
No 138〜151   神代の時代から古墳時代
N0        飛鳥・奈良時代(一時、サーバのトラブルがあり、この部分が消えています)
No        平安時代(一時、サーバのトラブルがあり、この部分が消えています)
※ 後日復旧する予定。
No 152〜169   鎌倉時代
NO 170〜     室町時代
NO        江戸時代(未稿)
No        明治時代(未稿)
No        現代(未稿)
NO        「大和魂」とは(未稿)
No        エピローグ(未稿)

※ 世界の民話・伝説に紙面を割いているのは、日本人と他民族の気質の違いを探るためです。
メンテ

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大和魂 88 ( No.90 )
日時: 2010/10/30 22:36
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:yYb25.VU

【サウジイスラーム社会における個人の諸権利 1】


 家庭はいくつもの個人から成り、社会はいくつもの家庭から成る。これまでの文章で示してきたように、私はサウジ社会において個人と家庭が学ぶところの道徳や特質の多くを説明してきた。疑念の余地のないことだが、健全なる教育を受けてきた個人と家庭から成立する社会は、互助性が強い、正しく良い社会になる。というのもそこにおいて各個人は義務と権利をわきまえ、自らの義務を果たすことに満足し、生命と財産と尊厳において安心していられるからである。それゆえ社会全体も平和と安定の下にあることが出来るのだ。

それでは各個人が全ての面において一丸になって助け合うことが出来るようになるため、社会に堅固さと安定を供給する原因と手段とは何であろうか? アッラーがそのしもべたちにお与えになった恩恵の中でも最も偉大なものの1つである、イスラーム兄弟愛がそのうちの1つであろう。この兄弟愛は愛情、平安、相互扶助、結束といったものをもたらす、ムスリム共同体の基本なのである。そして相違や争いといったことは、それが起こったら即その基本に立ち返らなければならないところの例外なのである。

 これから私がこの文章を通じて行おうとしていることは、サウジ社会が個人にインプットし、そしてその実践に努力するところの道徳意識かつ特質を読者の皆さんに説明することである。そしてそれらは人々の間に兄弟愛を芽生えさせるがためなのであり、かつ社会に平安と堅固さと幸福を実現させるがためなのである。そして読者の皆さんは、私が述べていくこれらの項目―私が「個人の他人に対する諸権利」と呼ぶもの―が決して真新しいものではないことにお気づきになられるだろう。

というのもサウジ・ムスリム社会も他の多くの民と同様、平和を望む社会であるからだ。ただ何がサウジ社会を際立たせるかと言えば、それは彼らが実践しようとしているそれらの特質が国民の心に深く根付いた宗教的・信仰的なものであり、かつ人間の健全な性質にそぐっていることであろう。それゆえこれらの特質を実践しようとする彼らの衝動は強力になるのであり、イスラームの教えがもたらしたものの実践によって現世と来世の幸福が実現するという彼らの信仰は非常に固いのである。

 このテーマを説明するにあたり、読者の皆さんに分かりやすく読んで頂くため、話を2分割することにした。前半ではそれを実践することで社会に兄弟愛が芽生える特質を取り上げ、後半では兄弟愛を損ない、かつ社会からの平和と幸福の喪失と社会の退廃をもたらす禁じられた要素を取り上げようと思う。


1.主アッラーにおいて愛し合うこと

 それはつまり、社会に属する個人が互いに愛し合うことである。そしていずれ消えゆく現世的な目的ではなく、アッラーの御顔を意図した愛でもって愛し合うことである。アッラーゆえの愛はかれが永遠であるゆえに、永続する。しかし物質的な目的ゆえの愛は、物質が消えゆく性質であるゆえに消滅するのである。愛し合う者たちは互いに安らぎを得る。それゆえアッラーは人間に、愛する者には「愛しています。」と明言するよう命じた。

それはより互いの親近感が増し、また相手の心に平穏をもたらすがためである。このようにして人々の間には愛情や寛容さ、他者優先の精神などが生まれる。そして誰もが住みたいと夢見るような、素晴らしい社会が世界に出現するのだ。しかし残念ながら、物質主義が人々の心と理性を支配してしまった。そしてムスリムもまたイスラームが命じる義務を忘れ、他の民と同様に物質主義の中に埋もれ、憎しみと嫉妬の社会の中に溺れているのだ。

続く
 
メンテ
大和魂 89 ( No.91 )
日時: 2010/10/30 22:37
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:yYb25.VU

2.お互いに訪問と連絡をもつこと

 ムスリムがアッラーの御許での報奨を望んでその同胞を訪問することは、アッラーが最もお悦びになるところの良い行為の1つである。ただ訪問者はそのタイミングをよく見計らなければならず、相手が訪問されることで喜びそうな場合は訪問を重ね、一緒に時を過ごす。しかし相手が忙しそうだったり、あるいは1人で居たそうな場合は訪問を控え、彼の邪魔をしないようにする。

病人のお見舞いも同様で、病人がそう望むのでなければ、長居はしない。尚病人のお見舞いは預言者ムハンマドが強く推奨したことの内の1つで、病人とその家族、お見舞いする者たちの間の愛情を深めるものである。それによって病人は気遣いの気持ちを感じ、心が癒され、訪問する側は彼の安否を知り、かつ病状の回復を望むことにつながる。

預言者ムハンマドは、病人のお見舞いをムスリムの同胞に対する義務の1つに数え上げている。お見舞いや訪問の真価は、1人きりで誰からも気遣われずに病気や孤独と戦ったことのある者にしか分からないだろう。そしてこのような状況は、不信仰の国や、イスラームの作法から遠のいてしまったイスラーム諸国になんと多いことだろうか。

 しかしサウジ社会に暮らしたことのある者なら、各人の中にこの特質が根付いていることを明白に知ることが出来るだろう。1週間に1度も訪問者のない家はなく、訪問や集まりが幾度と繰り返されることについては前にも述べた通りである。病人のお見舞いも気軽かつ頻繁に行われ、お見舞い客のない病室は皆無に等しい。数年前私の祖母が病気になった時、私たちは数ヶ月間に渡って彼女を病院に入院させなければならなかった。

そして当時その病院が提供してくれていた高度のサービスと、祖母がほぼ意識不明の痴呆的状態であった事実にもかかわらず、私は彼女が一晩として一人で夜を過ごしたことを覚えていない。私たちは毎晩彼女に交代制で付き添い、奇妙にも誰が付き添い役を獲得するかを争っていたほどだったのだ。実際のところ、彼女の病状は重かったにもかかわらず、私は彼女が私たちにいつも囲まれて幸せだったのではないかと感じている。このようにサウジ社会では病人も障害者も、生きている者も死んでいる者も互いに隔離されることはない。墓地もまた死人の訪問者で溢れているのだ。

(中略)

続く
メンテ
大和魂 90 ( No.92 )
日時: 2010/10/30 22:38
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:yYb25.VU

4.困窮者と弱者の援助

 アッラーはその創造物をその強さや弱さにおいて多様にお創りになり、そしてある者をその糧において他の者より優遇された。そして通常弱者は強者を、貧者は富者を必要とし、病人は健康な者を、ある事に無知な者はそのことについての知識を持つ者を必要とする。

 またアッラーは善行と敬神の念において援助しあうことを命じ、罪悪と敵対心のもとに援助し合うことを禁じられた。そして今日同志が必要としているものは、明日は自分自身が必要となるかもしれない。必要を満足させることはイスラームの兄弟愛の求めるところのものである。そしてイスラームにおける社会教育は善行を勧め、悪行を禁じることなのである。全世界が求めている平和とは、実にこのことなのだ。そしてそれは孤児の援助や貧者の救済、無所有者に衣食を与えることなどを命じているイスラーム教育の他にはない。もとより困窮している者を援助するのは社会がそうでならなければならないところのもので、それは特定の個人や場所、時間に限定されてはいない。それどころか特定の宗教だけに向けられてもいない。逆に人間は宗教や国籍、時間や場所などに制限されることなく、困窮者を援助しなければならない。

 親愛なる読者の皆さんに向けてもう一度強調するが、イスラームという教えはムスリム以外の人々に対して邪険に振舞うことなど命じてはいない。その反対に、彼らへの奉仕はムスリムに対する奉仕と同様のものである。もし彼らが私の言うことと矛盾することをしているのを見たら、あなたはムスリムが真のイスラームから遠くかけ離れた所にいることを確認するだろう。

この項、以下略
 
続く
メンテ
大和魂 91 ( No.93 )
日時: 2010/10/30 22:40
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:yYb25.VU

9.他者優先の精神

 他者優先とは、この世の何らかの物事において自らが必要としているところのものを、他人に優先させて譲ることを言う。その逆は独占だが、それは人が何かを占有して他人にそれを渡さず、あるいは力をもって他人をその占有物から閉め出す事である。他者優先の精神は人の品行のうちでも最も優れたもので、順番としてその後に正義が来る。前にも触れたように、正義とは各人が自らの権利を有する状態である。一方独占は人の品行のうちでも最も悪いものだ。この他者優先の精神は、社会を平和の頂点にまで到達させる。というのも各人が自らの現世的チャンスから身を引き、他人にそれを優先させるからである。彼は独占や占有などということを考えることは言うまでもなく、彼自身の権利を全て享受しようとすることすらしない。

 正義は社会に平安をもたらす。それは個人が互いに不正を犯すということを考えず、自らの権利を全て獲得しようとはせず、かつ他人に不正を働かないからである。それゆえ不正を働くこともなければ、不正を味わうこともない。一方独占は社会から平安を根こそぎにしてしまう、死をもたらす伝染病である。というのもそこにおいて各人は、それが権利に基いていようとなかろうと、自らに最高の現世的利益をもたらすことしか考えないからである。そして力を有する者が、独占者であり占有者である。こうした私欲に基いた社会は、現世の虚栄を追い求めて競争する社会であり、各人や各党は自らを強化し、その力でもって独占と占有を求める。その結果社会には心配や争い、戦争や反乱が続発し、平安が乱されて家庭と個人の関係は恐怖で満ちる。人間というものは私欲が強いほど、神への服従から遠のくものである。というのも人間が真に神への服従に徹したならば、現世的欲望や独占欲は減少し、神が彼に与えた以上のものを得ようとする野望なども薄れるからだ。

 ゆえにアッラーは、人を高徳へと誘った。それこそ神のもとにあるものを求めるということから生じる、吝嗇の念を捨てた他者優先の精神である。そしてこの高徳とは稀にしか見られないものであるが、決して不可能なことではない。自らの内で奮闘する者は、奮闘しただけのものを他者優先の精神の形で実現できるだろう。ここで、私が今まで耳にした中で最も素晴らしい他者優先の精神に関わる話をしよう:ある昔のこと、ムスリムの一団が外国に向けて旅に出た。そして彼らの何人かしか食料を携えておらず、しかもそれは僅かなものだった。後に日が暮れ、腹を減らした一行は休憩し食事を取ることにした。しかし食料は少ししかない。それである者が提案し、食料を持っている者はそれを出し、持っていない者たちに恥をかかせないよう、明かりを消して皆一緒に食べることにした。一同はもぐもぐ音を立てて食べ出し、その音が途絶えた時に食事が終わったこと印となった。彼らが明かりを点けると、何とした事だろうか、食べ物は手付かずのまま残っているではないか!?そこにいた全員が友人に気を遣わず食べてもらおうと、ただ音を立てて食べる振りをしていたのだった。これが彼らのしたことだった。それに比べ、盗みや自分に何の権利もないものにまで手を伸ばそうとして明かりを消す人々の、なんとあさましいことだろうか。

(中略)

続く
メンテ
大和魂 92 ( No.94 )
日時: 2010/10/30 22:42
名前: 天橋立の愚痴人間 メールを送信する

16.義務と権利の遂行

 社会の個人には他人に対する義務があり、また彼らには他人に対する権利がある。そして各人は他人に対する義務を遂行しなければならない。例えばイスラームの5柱の1つであるザカート(喜捨)は、神が富裕な者に義務付けたものであり、それを喜捨の受領の権利を持つ者たちに付与することにおいて遅延することは不正である。これは借金などについても同様である。

以下省略。



長々と、このような話が続きます。
そこで言われていますのは、人々の日常生活においてアラーの神の名の下に多くの具体的な規範があると言うことです。

我が国古来の宗教を神道としてみても、インドのヒンズー教にも神との関係において、このような規範はありません。
おなじ一神教のキリスト教との違いについてはこれから述べることになりますが、その様な意味でこの項を御覧になって欲しいと思います。
ついでに申しますと、ユダヤ教はまた少し異なる考え方となります。

続く
メンテ
大和魂 93 ( No.95 )
日時: 2010/10/30 22:51
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:yYb25.VU

「女性の男性に対する権利」

1.満足のいく結婚相手の選択:

 女性を気に入らない相手に無理矢理結婚させることは、許されない。それは平穏な生活や精神的な安らぎ、愛情、平静、慈悲の念などを失わせてしまうだろう。そしてこれらは、イスラーム法における結婚生活の目的の中でも、最も重要な要素なのである。それゆえ結婚に際しては女性の同意が条件付けられ、初婚の女性の場合は「沈黙」が同意の証しとされる。というのも初婚の女性というのは大方羞恥心が強く、はっきりと同意の言葉を言えないからだ。一方初婚でない場合は、言葉によるはっきりとした結婚への同意が条件となる。

2.女性の後見人が彼女のために良い夫を探し、縁談を作る権利:

3.花婿として問題ない者の申し出を拒否しないこと:

 花婿として問題のない者が女性に結婚の申し出をしてきた場合、その後見人は彼女自身が拒否しない限り、それを拒否すべきではない。むしろ適当な男性が申し込んできたら、それを受け入れなければならず、財産や地位などの理由で彼をはねのけてはならない。

4.男性は、相手の女性を気に入ったことを確認してから結婚の申し込みをする:

 それは結婚をして初めて、彼女への嫌悪感を募らさないためである。そしてそれにより女性が不幸な人生を送り、離婚へと至る可能性を抑えるためである。

5.可能な範囲での婚資金の譲渡:

 そして花婿は花嫁に婚資金を払う義務があるが、その金額は適度に控えるべきである。しかし花婿にそれだけの経済力があるならば、金額をそれに見合った高額に設定してもよい。 セクション2:結婚する際の女性の権利:3つの主な権利にまとめられる。

1.婚姻のお披露目

2.晩餐への招待

3.複数の妻がいる夫は、妻たちと一緒に過ごす日を特定しなければならない

 夫は花嫁が初婚であった場合は1週間、そうでない場合は3日間、彼女と一緒に暮らさなければならない。その後はまた他の妻たちと代替制で定期的に過ごす。この新婚期の特別期間の規定の意味はアッラーこそがよくご存知だが、おそらく新居地に移転してきた新妻が落ち着くようにとの取り計らいではないか。そしてこの期間新郎新婦が互いに満足し合うため、という意味も含まれているように思われる。。

セクション3:結婚生活における女性の権利

1.結婚・家庭生活において権利や義務とされる宗教的教えを、妻が学習する権利:

 そこには子供の権利と義務、両者の親類の権利、隣人の権利など、妻が知るべき諸権利が含まれる。そして妻の教育は、家庭の各人の教育の基礎を意味する。というのも母の教育は、その言葉やよき模範的行為をもって子供らへと受け継がれるからである。そして男性が最も重視すべきことは、家庭の幸福がそれによって成就するところの、妻の宗教教育である。そしてそれは特に彼女が若くして結婚した場合、あるいは無教育である場合に留意しなければならない。

2.妻が夫からよく扱われ、粗暴ではなく優しくされる権利:

 夫が妻とよい関係であり、彼女を優しくいたわりかつ優れた道徳をもって接することは、互いの愛情と親愛を結び、家庭の平安と妻の心の安らぎと静寂を生じることにつながる。そして夫婦は最も多く接触する者同志であるゆえ、2人の間には沢山の問題が生まれ、時には視点の相違も生じることもある。それゆえ夫婦は互いに辛抱し合い、互いの過ちを許し合わなければならず、そして互いの権利をおろそかにしてはならないのである。そしてそうすることにより、夫婦生活における恒常的な分裂や不一致を防ぐことが出来るのである。


3.必要なものを十分なだけ扶養される権利:

 妻に対する十分な扶養、そして彼女に回りの者と同じような程度の衣服を身につけさせることは、夫の義務である。そしてもし夫が裕福であるなら、彼は吝嗇と浪費をすることなく、妻に余裕をもった扶養をするべきである。預言者ムハンマドは、施しを始めるのは自らが扶養している者たちからであることを命じたが、妻こそは最もその優先権を持つ者であることに疑念はない。

4.必要時に外出する権利:

 妻が夫の家に留まり、外出するのに夫の許可を要するというのは、夫の妻に対する権利の1つであることは既に述べた。そしてアッラーは必要に応じ、女性が外出することを認められた。

 これが女性が必要に応じて外出することへの、アッラーとその預言者からの許可である。しかし妻はその際、夫の許可を得なければならない。


他にもいろいろと規範が続きますが省略します。

http://www.aii-t.org/j/maqha/magazi
 


以上で、イスラムへの旅を終わり、次にはユダヤ教、キリスト教が展開したヨーロッパへ行きたいと思います。

退屈な、長話が続いていますが、民族の心を話の中から感じ取っていただきたいためです。
完結に表現された文章からは、我が国の「和」の心を検証出来るような本当のことが解りません。

なお、これから先は書き溜めたものがありませんので、ゆっくりとなります。
メンテ
Re: 大和魂(日本の心のルーツを探る) ( No.96 )
日時: 2010/11/09 09:53
名前: イントゥイッション ID:ofzpIXZk

お久しぶりですぅ。。。 URAの前がイ○○ディですぅ。。。
 
とても興味深く拝見させていただいています。

イスラム社会の男女のつながりについてもです。。。 ところでサウジなどは、税金が無く、王宮は、年に一度、貧しい人たちの要望に応えて、車などを買い与えたりしているそうです。。。
資源が豊富な国は、それはそれで良いところがたくさんあるものでしょうか。。。気候が違うことも関与しているかもしれません。
ところで、
↓です。

>さて、現代社会において我々が直面している困難は、深いところで人間性の問題につながっています。

現代は、もうネットの世界に浸っている人が多く見受けられます。 ネット社会のつながりとでも言いますか、それによって、社会に貢献できる人もいれば、闇の中に閉じ込められてしまう人もいます。 

特に最近は自殺サイトという奇妙なものまで生じ、いじめにあった女子学生が、そのようなサイトで自分の悩みの相談をする。。。。 それも時間帯が夜中まで。。。

そして出会うのが、16歳も年上の、まだ結婚していない(今、日本では30代、40代の男子の人口半分以上が結婚していない状況ですが。。。)ので、そのようなサイトで時間をつぶすしかないのでしょうか。。。 

そしてその男性は、悩みのサイトにはいってくる女性を見つけては、どのような容姿か聞いて、自分の好みに合った女性なら、すぐに恋愛感情を生じさせるように好きだと何度も何度も念仏のようにその女性に対してつぶやき、最後は会いたい、会いたいと相手に何度もつぶやき、セックスを迫る! セックスぐせのある女性とそのようになって、その男はセックスを断ったと言うが、世間ズレしていない16歳も下のかわいい女子学生なら、もうほうっておきたくないでしょう。。。

すぐに会ってセックスを迫り、その女子学生は、断って、初めてそんな雰囲気を体験したものだから、いじめで悩んで相談に乗ってもらっていたはずなのに、なぜか悩みの対象が今度はその男になり、その女子学生は母親や学校の保険の先生に相談するはめになってしまった。。。同級生も、その女子学生は、本当に素直で世間ズレしていないので、放っておけなく、その親に電話をかけてきた。。。。

母親はその男に携帯で連絡すると、女性が成人になったら性行為は自由だ! 訴えるなら訴えてみろ! と言うしまつ! 日本では、法的という言葉が、どんなに悪い行為であっても、その悪い行為を逆に保護してしまい、そうだからしかたがない! と思う人が多く存在してしまう! 真実は、そのような行為はネット犯罪なのに、その男は認識していない! 


メンテ
イントゥイッション さんへ ( No.97 )
日時: 2010/11/09 12:48
名前: 天橋立の愚痴人間 メールを送信する

イントゥイッション さん、はじめての御訪問(此処へは)ありがとうございます。
これからの、ユダヤ、キリスト教国といいますか、アングロサクソンの考え方を探るのが一苦労です。

論理的なアプローチではなく、肌で感じる彼らの特徴を覗いてみたいのですが、何よりも参考になるのは、彼らと実際に接触された方の経験です。

日常の細かなことでも御知らせください。
この文章は、掲示板ではなじまない長文ですが、2年くらい前から何度か挑戦しています。
掲示板でやっていますと、何回かコメントをいただきこともあり、大変参考になり、文脈を変えるようなこともありありがたく思っております。

今続けているとりとめもない話ですが、日本人の心の基と言われている「和」の概念は、やさしいとか、和やかなどと言う平易な概念よりも深いものとして捉えたいのです。

各国の伝説、神話や生活ぶりを覗くことによって、少しはそれを感得していただけないかと長々とやっているのです。
メンテ
大和魂 94 ( No.98 )
日時: 2010/12/05 02:50
名前: 天橋立の愚痴人間

さて、次に取り組みますのはアングロサクソンの歴史です。
アングロサクソン系の古代を遡ることは今までと違い大変複雑な様相を呈しています。
どちらかと言えば、現在問題としているアングロサクソン系の思考方法の源を辿ることにおいて、表題のアングロサクソン人の歴史を検証するだけでは目的を達することは出来ません。
此処で使っている「アングロサクソン」の言葉の意味を特定しておく必要があります。

民族的な背景は、3〜5世紀にかけて行われたゲルマン民族の大移動に伴い、イングランドへ移住したゲルマン人が基になりアングロサクソンと言う言葉が使われるようになりました。
その後のイギリスの歴史は彼らによって彩られています。
ピューリタン革命を経てアメリカへ移住した人々も含めて、アングロサクソン文化の有様は現代民主主義、資本主義の思想の源流となっています。

アングロサクソン的な発想を見てみますと、大航海時代以降の植民地獲得戦争、近代国家における帝国主義による侵略戦争などたぶんにエゴを受容した考え方が目立ちます。
結果から見ての発想ですが、現代資本主義も下記のように分別して言う場合もあるようです。

ライン型資本主義(ドイツ・日本型)

メイン・バンク制,間接金融型で,企業の利害関係者(stake holder)全体,つまり経営者・株主だけでなく従業員の利害をも重視し,終身雇用,小さい賃金格差,従業員との協議による経営,愛社精神などを特徴としている。格差の小ささが共同体意識を生み,社会は安定している。

アングロサクソン型資本主義「米英型」(米英型)

金融市場依存型(直接金融型)であって,企業は主として証券市場において株式や社債を発行して資金を調達する。株主(share holder)の価値を最上位に置き,株主が気に入らない経営者は罷免されるので,経営者は常に株価を最重要視せざるをえない。業績が悪化すると,最後に雇用されたものから順にレイオフされ社員は職を失う。
これからしばら続けますのは、現在、世界中の国々で広く受け入れられているアングロサクソン流の思考方法を検証するための試みであります。

まずはアングロサクソンとは何を指す言葉なのか述べてみます。
そこで解るのは、アングロサクソンと言う言葉では、この文章の目的である民族の心には行き着かないことが解ります。

アングロサクソンの項でその民族の心まで遡るためには、宗教革命を通して変質したキリスト教の歴史、キリスト教を通してユダヤ教の有様、要するにユダヤの民がどのようにアングロサクソンと関わりを持っているかなどに思いを馳せねばなりません。
厄介なテーマをとき解くことが出来ますか、否か、やってみることにします。
メンテ
大和魂 95 ( No.99 )
日時: 2010/12/05 03:30
名前: 天橋立の愚痴人間

アングロサクソンとは、

ゲルマン民族の大移動とは、4世紀から5世紀にかけてヨーロッパと北アフリカで起きたゲルマン人の大移動のこと。この大移動をもって、ヨーロッパの古代と中世の画期とされる。
ゲルマン人は古代時代にはローマ帝国を脅かす蛮族として活動し、中世にはローマ人(ラテン人)・キリスト教文化との混合によって中世ヨーロッパ世界を形成した。現代においては、ドイツ、オーストリア、スイス、ルクセンブルク、オランダ、スウェーデン、ノルウェー、デンマーク等に住む人々、イングランドのアングロ・サクソン人、ベルギーのフランデレン人、フランスのアルザス人、イタリアの南ティロル人がこの集団の系譜を引いているが、何れの勢力も長い歴史の中で複数の部族間の離合集散や異民族との混血を繰り返しており、古代のゲルマン人とは同質ではない。

当時、現在のデンマークやドイツに住んでいたアングロ人、シュート人、サクソン人などがイギリスに渡りアングロサクソンと呼ばれるようになった。
アングロサクソンのことを「プロテスタント系白人」と言うが、これはその後に起きたキリスト教の宗教改革と密接に関連し存在してきたからであり、その経緯も触れておかねばならないでしょう。
プロテスタント系白人は、アングロサクソン以外に、ドイツ系、オーストリア系、オランダ系などがあります。またスコットランド系も、プロテスタント系白人ですが、アングロサクソンとは言わないことを添えておきます。

ウィキペデイアによる宗教改革の概論。

ルターの宗教改革

ルターは、1517年にローマ教会の堕落に抗議して95ヶ条の論題を打ちつけ、この贖宥状批判は大きな反響を呼んだ。宗教改革は各地に拡大し、ローマ教皇の絶対主義に嫌悪していた周辺の諸侯の支持を得た。農奴制からの解放を求める農民も反乱を起こし、神学者であったトマス・ミュンツァーがこれに呼応し、闘争が激化するとルターはこれを批判するようになり、鎮圧された(ドイツ農民戦争)。カトリックを支持する神聖ローマ皇帝と、ルター派の諸侯の間で戦闘が続いたが、1555年にアウクスブルクの和議が結ばれ、諸侯はカトリックと新教(ルター派)を選択する権利が認められた。
ルターの貢献は、聖書の自国語(ドイツ語)訳にある。当時、カトリック教会では、ラテン語がミサにおいて使用され、一般大衆には理解できなかった。ルターは聖書を、学者の手から一般人の手に取り戻したのである。また、音楽を好むルターは賛美歌の作詞・作曲をしたことにおいても知られている。

カルヴァンの宗教改革

カルヴァンはすでにファレルによって宗教改革が始まっていたジュネーヴに立ち寄った際に、請われて留まりそこで活動するようになった。ルターの宗教改革が信仰の改革に徹していたのに対し、カルヴァンは礼拝様式と教会制度の改革に着手した。礼拝式文を整え、ジュネーブ詩篇歌を採用し、信仰告白・カテキズム・教会規則を整備し、教師職の他に(彼らの理解によれば)初代教会以来の信徒の職務である長老職と執事職を回復し、長老制の基礎を作った。またカルヴァンは聖餐を重んじ、毎回の礼拝でこれを執り行おうとしたが、それは市当局の反対により実現しなかった。

イングランドの宗教改革

イングランドでは、ヘンリー8世の離婚問題が改革の直接原因で、政治的・経済的な動機も強い。ヘンリー8世は、教皇権と分離したイギリス国教会(アングロ・カトリック)を設立し、新たに教会組織を作ろうと図った。これに反対した大法官トマス・モアは処刑された。のちヘンリー8世はローマ・カトリックの修道院を多数廃止し、その財産を没収して、国庫へと入れた。
ヘンリー8世のあとを継いだエドワード6世 は、1552年にジョン・ノックスの影響を受けたカルヴァン主義的な42箇条に署名し、エドワード6世の時代にプロテスタントの宗教改革が進められたが、メアリー1世はローマの教皇を中心とするカトリック教会を復活してプロテスタントを迫害し、女性子供を含む約300人を処刑したため、ブラッディ・マリー(血まみれマリー)と呼ばれた。処刑された中にはトマス・クランマー、ヒュー・ラティマー、ニコラス・リドリーらがおり、彼らは今日プロテスタントの殉教者として知られている。

これは、ローマ教皇を中心とするカトリック教会の考えによれば、修道院解散で富を得た者たちが反発したにすぎないとしている。それ以前、ローマ教会は英国に膨大な土地、財産を所有していた。
メアリー1世の後を継いだエリザベス1世は再びイングランド国教会を国教とし、イングランドにおける国教会の優位が確立した。しかし、政治的・経済的な動機が強かったイングランドの改革を不十分とみなし、更に改革を推し進めたのが清教徒たちであった。
1605年にローマ・カトリック教徒が英国議会を爆破しようとする火薬陰謀事件が起こったが、事前に発覚した。

(宗教改革概要おわり)
メンテ

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