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[814] 大和魂(日本の心のルーツを探る)
日時: 2018/05/23 11:57
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:XPKXw99A

「大和魂」と言う言葉を使うと嫌悪感に満ちてこれを否定する人たちが多い。
まるで街宣右翼と同類に扱われる。

しかしながら先の大戦において、国を守る為に散って行った200万近い兵士の事は、どのように思われるのか。

全てが全てでないとしても「大和魂」を信じて突進し倒れた兵士の事は考えられないのか。
その「大和魂」が軍部によって利用されていたとしても当事者の兵士の責任ではない。

ここで「大和魂」をミソクソに言う事は彼らの死を馬鹿にする事になる。
調子者が騙されて死んだと言えますか。

彼等の為にも「大和魂」は正当に評価することが大事と思います。
彼等は、まさしく彼等なりの「大和魂」を持って、国を守る為に死んで行ったのです。


(プロローグ)

人類が霊長類と分類されて他の動物よりも繁栄してきたのは、その頭脳的能力が発達、進化してきたからであります。
始原における人類は、その頭脳的能力で道具を使うことを覚え、そのうちに火を自在に使えるようになりました。

これは生きる(食べる)事において画期的な進化でありました。
一方で人々は集団で生活して行くことの重要性に目覚め次第に大きな集落を形成し分業をするようになってきた。
集団で生活し始めると、自分達の生活を脅かす自然の力に対する畏怖の心も結集することになり自然崇拝、呪術などが起きることになりました。
このころになると、集団には統治の機能が求められ次第に原始国家に近い概念が生まれてきました。

人間の頭脳的能力が生きるための対自然から、統治という人間自身の問題まで対象にし始めたと言うことです。
集団の英知(頭脳的能力の総体)を集めることに成功した人類は、農業、漁業、工業の分野を確立し安定した社会を構成することが出来ました。
このころになると、宗教と言うものが次第に鮮明な形を帯びてきて、人々の精神的ケアをするとともに、宗教を通じて集団の結束を図るようになってきました。
同時に統治者は独裁の傾向が強くなり王国を形成するようになります。
自然を相手に生産活動に殉じてきた人間でしたが、集団の力が強化されるとともに、他の集団を略奪することにより、成果がもたらされることに気がつき以来、血で血を洗う抗争が続いてきました。

さて、3000年も4000年も遡りますが、一応は自然を相手の格闘に一段落した人間は、その精神的な余裕の分だけ、その頭脳的能力を内面に向けるようになりました。
それが宗教であり、哲学の世界です。

文字として残る最古の哲学は、2000年くらい前のギリシャ哲学でありますが、その内容は主に統治の問題に絡んで話されています。
最初の哲学が、ようやく手に入れた人間社会の安定のために、人間は如何にあるべきかが最大テーマであったという事でしょう。
中国における儒教というものもこの範疇に入ると思います。

時を同じくして、キリスト教、イスラム教、仏教が興っています。現在まで続いているこれの宗教は、哲学とは別の方向から人間の内面性を説こうとしたものであり、それまでの宗教が民族単位に近かったものから人類共通の普遍性を主張しているのが特徴です。
西欧の歴史は、一時、キリスト教の精神で色濃く塗られていましたが、キリスト教的教義への反動として、500年くらい前にルネッサンス(文芸復興)と言う考え方が広まりました。
直接はキリスト教支配の前の人間精神への回帰ですが、実際は新たな人間性の認識へ移りました。
其処では、人間自身を自然とも切り離し、神とも切り離して如何に生きられるかについての思索がなされました。

それは300年後に資本主義、民主主義という鮮明な形で認識されるに至っています。
その途中、西欧哲学はスピノザに始まりホッブス、デカルト、カントへ至る人間自身の認識論(観念論)からヘーゲルの純粋論理的認識論(弁証法)へ進むなど、自然の理を超越しようとした試みが中心でありました。
それを人類の進化、発展と見れば、そのまま肯定もできるでしょう。
確かに、論理的に西欧哲学的思考で割り切ることにより、現代社会の繁栄があるのです。
さて、現代社会において我々が直面している困難は、深いところで人間性の問題につながっています。

資本主義、民主主義のシステムは、物資と情報、享楽と言う意味で人類に飛躍的な果実をもたらしました。
自然とともに生きなければならないと言う束縛から人類を解放したと言えます。
そうして、現代社会が直面している困難と言うのは、その昔、人類が経験していた自然の恐怖とは質が異なる困難であります。
ここに現代の困難は文明史的な次元の課題であると思います。
ここ4000年の間に営まれてきた宗教、哲学の概念の延長上で、どのように捉えられるか、更なる進化と言う観点から捉えるのか、人間性というものを自然との関わりで見直すことが正解であるのかが問われています。
これに対して、直線的に斯くあるべしと言うよりも、この観点から日本の歴史を振り返ってみたいと思います。

具体的には、弟3期西欧文明(資本主義・民主主義)が今日ある状況以外に人類は選択の余地がなかったのか、その過程において切り捨ててしまったものの中に人類が必要としていたものはなかったのかについて検証することから始めようと思います。
タイトルの「大和魂」とは、西欧文明以前の日本の精神文化を総称したものであります。
途方もなく長ったらしい話になりますが、ボチボチと御付き合い願いますよう御願いします。
説明のために掲げています長文は適当に読み飛ばしていただければ幸甚に思います。


(追申です 2017年6月24日)

このスレッドも、旧掲示板で書き始めてから言いますと10年近くたっています。
「大和魂」という標題のため、読んでくださる方は、常に「大和魂」の概念を探ろうとされているようです。
しかしながら、このタイトルは、このスレッド全体を通して感受されるべきものとして書いていますので、「大和魂」とは何かという設問には答えが見いだせなく戸惑いながら、結局は何が言いたいのか解らずしまいの様でしょう。
タイトルのつけ方が適正ではなかったかもしれません。
そこで、この時点(No188のレス)で私自身、ようやくたどり着いた「大和魂」の概念について次の様に説明して置きたいと思います。

<大和魂とは>

西欧民主主義が入ってくる前
江戸時代の朱子学に毒されるまえ
特に武士道などは、もってのほか。

それを取ったとき、
日本人はどのような生き方をしていたか。
それを探りたいのであり、言葉では、簡単には現せなく体感してほしいと思っております。

また「魂」という言葉を使っていますのは、物事に挑戦する意欲を表現しています。
これも具体的には言えませんが、山田長政の話やら、あまり良いことはしてないようですが倭寇など海外へ積極的に進出する、その気概。
日本人にも、そんな積極性があったことを頼もしく感じています。
そして、それは日本独自の文化、芸術を生み育てる力にもなっています。

その様なものを一括して「大和魂」と言っています。
そうして、そういうものを、この文章から感じ取っていただけることが出来たら幸いと思って書いています。
ですが、将来の日本人に「大和魂」だけを押し付けるつもりで言っているのではありません。
日本人には「大和魂」があることを忘れず、社会を生きてほしいと願うのです。

※ 体感してほしいと言っていますように、この文章の各所に伝説、神話、他の国の事情などを説明している箇所が随分とあります。退屈かもしれませんが、それを読まれることによって、それが書かれた時代、場所の様子を感じ取っていただきたいのです。
特に前半の部分は、日本民族と他国の民族性の違いを感じ取るために、長ったらしく資料を集めました。

(目  次)
No 0      プロローグ・目次
(前 章)
NO 1〜7    「大和」とは
(民話・伝説)
No 8〜16    日本の神話・伝説
NO 17〜20  中国の神話・伝説
NO 21〜37    世界のドラゴン伝説
No 38〜42    中国の民話
NO 43〜47    世界の七夕伝説
NO 48〜50    中国の民話・伝説
NO 51〜67    インドの民話・伝説
No 67〜93    イスラムの民話・伝説
No 94〜124   アングロサクソンの民話・伝説
(日本の歴史検証)
No 125〜137   「和」の検証 
No 138〜151   神代の時代から古墳時代
N0        飛鳥・奈良時代(一時、サーバのトラブルがあり、この部分が消えています)
No        平安時代(一時、サーバのトラブルがあり、この部分が消えています)
※ 後日復旧する予定。
No 152〜169   鎌倉時代
NO 170〜     室町時代
NO        江戸時代(未稿)
No        明治時代(未稿)
No        現代(未稿)
NO        「大和魂」とは(未稿)
No        エピローグ(未稿)

※ 世界の民話・伝説に紙面を割いているのは、日本人と他民族の気質の違いを探るためです。
メンテ

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大和魂 74 ( No.76 )
日時: 2010/10/23 15:49
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:YwJjsl9g

イラク北部で発見(ザクロス山中シャニダール洞穴)された男の化石などは、その上の土を取って顕微鏡で観察したら、ヒヤシンスやヤグルマギクの花粉が大量に発見された。

 かれが死んだときに、母親か恋人か友人かわからないけど、野花をいっぱい摘んできて、その亡骸にかぶせたんですよ。
 今でもそこには5月から6月にかけて、丘の上一面に野生のヒヤシンスが咲くそうです。ちょうどその季節にかれは死んだんだね。

 死後の世界に対する想いとか、花を見て美しいと思う、大げさにいったら芸術感覚があったということです。

 また、先天的に片手、片目のつぶれた40代男性の化石もありました。40歳といえば当時なら相当な年のはずです。障害を持ちながらも、仲間の助けを得ながら天寿を全うしたわけです。宗教的儀礼をおこなうとか、火の番とか、何かの役目を持っていたのでしょう。単純に障害者を切り捨てる社会ではなかったということがわかります。

 その後にでてくるのが、いよいよわれわれの直接の祖先です。新人といいます。その代表としてクロマニヨン人と、上洞人(じょうどうじん)を覚えておくこと。
 今から4万年くらい前に登場します。遺跡はたくさんあるけれど、かれらの残した洞穴壁画は覚えましょう。

 スペインのアルタミラ洞穴、フランスのラスコー洞穴の壁画は有名。1万5千年くらい前に描かれましたが、躍動感、色彩、どれをとってもすばらしい。
 馬や、牛の絵が多いでしょ。なぜこんなのを描いたのか実はよくわかっていない。猟でたくさん獲物が捕れるように願って描いたという説もあるが、当時の獲物はトナカイで、馬・牛ではなかったらしい。
 しかも、どこの壁画も洞穴のものすごく奥の方の、這っていかなければはいれないような所の天井とか、とにかく描きにくい所に描いている。何か宗教的なモノだともいわれますが、結局わかりません。
 志摩スペイン村パルケ・エスパーニャにはアルタミラ洞穴壁画と同じモノがつくられているそうです。一度見てみたいね。

 言い忘れていました。道具ですが、猿人の時代から石器がでます。打製石器です。新人の時代、1万5千年くらい前までは打製石器が続きます。ただ、原人、旧人、新人となるに従って精巧な石器になってきます。

 猿人、原人、旧人、新人と人類は進化しているんですが、一つだけ注意しておきたいのは、たとえばネアンデルタール人がクロマニヨン人に進化したかどうかは、不明です。
 同じ地層から旧人と新人が見つかる時期もあるんだね。
 同じように、猿人と旧人の関係、原人と旧人の関係もまだ、不明です。本によって書いてあることが違うのです。
 まだまだ、われわれの直接の祖先については研究途上です。

* 追記:2002年2月19日
細胞中のミトコンドリアのDNAを分析すると特定の人物の母系をさかのぼることができる。この方法によると、ネアンデルタール人はわれわれ現世人類の祖先ではないという。(「イヴの七人の娘たち」ブライアン・サイクス、ソニーマガジンズ、2001)


考古学的な、人類の誕生を終わり、次には文明の誕生へ向かいます。
メンテ
大和魂 75 ( No.77 )
日時: 2010/10/23 15:51
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:YwJjsl9g

「文明誕生」

 さて、約1万年前、旧石器に代わって、新石器時代が始まります。磨いて加工した石器、磨製石器が登場します。こんなのですね。(石器の写真を見せる)

 打製石器に比べて持ちやすいのはわかるね。
 しかし、打製石器も馬鹿にならんよ。
 打製石器持ってきました。あ、これは○○先生がつくったの。奈良と大阪のあいだの二上山でサヌカイトという石器のいい材料がでるのですが、それを割ってつくった。ほら、こんなものでもよく切れるでしょ。(板の上で、新聞紙をシャキシャキと切り裂く)
次に農耕の起源です。メソポタミア地方で最初の農耕が始まったというのが従来の定説でしたが、最近いろいろな発掘調査で、中国の長江流域ではそれより遙か以前、1万3千年前くらいから稲作が始まっていたことがわかってきました。
 長江流域で定住生活が始まったのはさらにさかのぼって、1万6千年前といわれています。人は定住して土器を作成しはじめます。先日(4月17日)朝日新聞に載っていましたが、日本でも1万6000年前の土器が出土しています。
 これからも世界各地で、さらに古い遺跡が発見される可能性は充分あります。農耕の起源、発生地については、今のところ不明です。

 メソポタミア地方では、約7000年前には麦作と牧畜が始まります。イラクのジャルモ遺跡が有名です。

 農耕牧畜によって、食糧の収穫が予想できるようになる。うまくすれば、食べる以上に生産できる。その日その日を狩猟・採集で生活していたのに比べれば、どれだけ生活に余裕ができたことか。これを、食糧生産革命といっています。革命というのは、世の中がひっくり返るような変化に対する呼びかた、と考えておいてください。

 ここから、ちょっと難しい話です。
 さっき、食べる以上に生産できた、と言いました。これ、難しい言い方で余剰生産物という。農業技術も改良されていきますから、余剰生産物は増加します。この余剰生産物が文明を生んだとってよい。

 余分な食糧ができると、働かなくてもよい人々がでてきます。
 
 以前ならみんなが同じ仕事をしていたのに、違う役割で生きていく人たちが出現する。これを、階級の発生といいます。
 どんな人たちかというと、まずは神に仕えるような人たち、神官です。たぶん、農耕がうまくいくように天候を神に祈る人々が最初にでてきた農業をしない人たちだ。
 邪馬台国の卑弥呼も一種の神官です。彼女は、奥にこもってみんなには顔も見せずに神に祈っている。特殊な能力があると信じられていたんだろう。
 神官は、一般の人たちからその能力を恐れられるでしょう。そして、権力を持つようになるんだね。
 
 権力を持つ者は、必然的に自分が生きていくのに必要以上の土地や家畜を持つようにもなります。私有財産という。
 
 神官以外に、戦士も生まれてくる。他の集団から自分たちの集団を守るためにかれらも農耕を免除されて、特権階級になっていく。職人も、農業以外の仕事だけをする人々だ。

 マジカルな能力、人並みはずれた体力や体格、技能、あるいは人格的統率力、そういう力を持つ人々がリーダー層になる。階級分化です。
 やがて、指導者が支配者となって国家が生まれます。
 国家といっても、村がそのまま国になる、小さなものです。吉野ヶ里遺跡なんかは、そんなものの一つでしょう。
 この小さな国家を歴史学では、都市国家といいます。自分たちの集落を守るため集落の周りには城壁をめぐらせます。都市国家はみな、城壁を持っています。
 国家の支配者は租税を集める。誰からどれだけ税を徴収したか記録する必要がでてくる。文字はそのために発明されたともいわれます。

 階級、私有財産、都市国家、そして文明が生まれてきます。

続く
メンテ
大和魂 76 ( No.78 )
日時: 2010/10/23 15:52
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:YwJjsl9g

「四大文明」

 農耕が世界各地で始まるのですが、その中で文明と
呼べるものを生み出した地域が四つあります。すべて、大河の流域に生まれました。
 メソポタミア文明---ティグリス・ユーフラテス河
 エジプト文明---ナイル川
 インダス文明---インダス川
 黄河文明--------黄河

 古い順に列べてあります。
 長江文明を言う人もいますが、まだ評価が定まっていませんから、ここでは覚えなくてもいいです。
 それぞれの話は次回以降にやります。
 今日はこの四大文明の共通点を確認して終わろう。

 写真を見てもらうとよく分かります。みんなよく似た風景でしょう。
 この四つの地域はすべて年間平均気温が20度前後、どちらかといえば雨が少なく乾燥地域です。しかし、水があれば農耕可能なんだ。そして、大河が流れている。水があるわけね。しかし、この大河の水をコントロールするには、多くの人が知恵と力を合わせる必要がありました。
 努力をすれば生きていける土地だったんだね。
 その、努力をするということが文明を生み出したんではないか、と私は思うのです。
 熱帯、亜熱帯の植生豊かな土地に生きている人々は、同じ農耕をするにも、ぼちぼちで生きていける。人々を組織して、自然に対して必死に取り組まなくてもやっていける。そういう土地では、文明は生まれなかったし、生まれる必要もなかったのでしょう。

 やがて、厳しい環境の中で生きていくために生まれた文明が、周りの地域に影響を与えはじめます。文明のあるところにはたくさんの食糧と高い技術があるわけだから、周りの民族はそれを欲しくなります。文明地域に武力で侵入する集団もある。徐々に技術が広がって文明化していく民族集団もあらわれる。いよいよ、歴史が動き始めます。

続く
メンテ
大和魂 77 ( No.79 )
日時: 2010/10/23 15:54
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:YwJjsl9g

「メソポタミア文明」
シュメール人

 世界で最初に生まれた文明がメソポタミア文明です。
 紀元前3500年くらいには都市国家が成立して、文明といえるものになったといっていいでしょう。

 メソポタミアとは川のあいだという意味で、ティグリス、ユーフラテスの二つの川にはさまれた地方をさします。現在の国名でいうとイラクです。今はサダム・フセイン大統領で有名。昨年末(1998)にもアメリカとイギリスに空爆されて大きなニュースになりましたね。

 このメソポタミア地方の川下、河口付近にはじめての文明ができます。
 文明をつくりあげたのはシュメール人。民族系統不明です。残された彫刻などを見ると、目がくりくりと大きくて、波打つ立派な長いあごひげが特徴的ですね。

 今、この地域はイスラム教徒、アラブ人の世界ですが、男たちはみんなひげを蓄える風習がある。ひげがないと子どもかオカマだと思われるらしい。アラブ社会の民俗を研究している人の講演を聞いたことがありますが、その先生は帰国直後で、ヤギみたいなちょび髭を一所懸命のばしていました。「こんなヒゲでも、はやしていないと一人前として扱ってもらえないので」とぼやいてました。
 ひげ等のファッションは、時代、文化によって変化するものですが、ひょっとしたらこの地域ではシュメール人以来5000年間ずっとひげを伸ばしていたのかもしれないね。(注:シュメール人はひげを剃るのが一般的らしいが、使用していた資料集の写真にもとづいて、このような説明をしていました)

 メソポタミアに最初に文明が生まれたのは、農業生産性が非常に高かったかららしい。
 まず、麦と羊の原産地だった。そして、この麦の収穫量が非常に高かった。1粒の麦を播いて、20倍から80倍の収穫があったといわれています。
 これが、どのくらいすごいかというと、19世紀のヨーロッパで麦の収穫は播種量の5、6倍くらい、現代でもヨーロッパで15倍から16倍、アメリカで23倍という数字があります。
 だから、現代と同じかそれ以上の収穫があったというわけだ。たくさん穫れれば、余裕も生まれる。その余裕が、後世に残る文明を生み出したのでしょう。
 ちなみに、日本の米はどうかというと、江戸時代は30から40倍、今は110倍から144倍です。

 シュメール人はメソポタミア地方にたくさんの都市国家を築きました。ウル、ウルク、ラガシュなどという都市が有名です。しかし、都市国家どうしの抗争が激しく、統一国家ができることはありませんでした。政治は、神殿を中心に神権政治がおこなわれていたらしい。

続く
メンテ
大和魂 78 ( No.80 )
日時: 2010/10/29 22:50
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:2DYRbETw

シュメール人の文化
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 かれらの残した文化は後世に大きな影響を与えているからこれはしっかり覚えておきましょう。

 まずは、暦(こよみ)。世界初の暦。月の満ち欠けで、年月をはかる太陰暦です。

 数字は60進法でした。これは、現在もある分野で日常的に使われるね。何ですか。そう、時間です。一時間はなぜか60分。なぜかというとシュメールなの。多くの小学生が、時間の計算でつまづく。君たちも苦しんだでしょ。シュメールだね。
 なぜ、シュメール人が60進法を採用したかははっきり判っていません。

 土器は彩文土器というのがでます。土器に赤い模様が描かれていますね。

 文字は、くさび形文字を発明しました。紙はまだない時代、粘土板に葦を切ったものでくさび形に字を刻み込んでいきました。細かい文字でたくさん書いているね。シュメール人が歴史から消えたあとも、メソポタミア地方では長いあいだこの文字を使っていました。今のアルファベットの役割を果たしたわけだ。

 シュメール人の時代から二千年もあとですが、アケメネス朝ペルシアという国が大帝国をつくります。この国もくさび形文字を使っていて、ダレイオス大王という王が、自分の功績を刻んだベヒストゥーン碑文というのを残しました。これは三つの言語をくさび形文字で刻んだもので、くさび形文字解読のきっかけとなった重要な碑文です。解読したのははローリンソンというイギリス人。覚えておきましょう。
 この碑文は地上100メートル以上の絶壁に刻まれていて、ローリンソンは今でいうロッククライミングみたいなことをして、まあ命がけで碑文を模写したんです。19世紀のことです。

 それからハンコ、印章です、これもシュメール人が最初。円筒印章というのがあって、絵が刻んである。これを粘土の上をコロコロと転がすと長い絵が浮かび上がるわけです。円筒印章は中心にひもを通して首に懸けるようになっていた。これを身につけているのが高い地位の象徴だったらしいです。

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エデンの園
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 シュメール人の文化、暮らしはいろいろな伝説や物語に、大きな影響をあたえています。

 たとえば、旧約聖書にはシュメールの影響がかなりあります。

 旧約聖書の最初の話、神が世界と人間を創造する話があります。
 神が「光あれ」といって光ができる。これが一日目。二日、三日といろいろ造って、六日目に人間を造って、七日目にお休みします。これは、シュメールの七曜の影響。

 それからアダムとイヴの話。
 神が泥からつくりあげた最初の人間がアダム。一人じゃ寂しかろうと、神はアダムの肋骨を一本採って、これで女イヴを造る。二人は、裸のままの姿でそれを恥ずかしいとも思わずに、働かなくても暮らせる地上の楽園、エデンの園に住んでます。
 さて、神は二人に一つの約束をさせるんだ。エデンの園の真ん中に知恵の木がある。その実だけは、絶対に食べてはならないという約束です。ところが、なぜか蛇がでてくるのです。その蛇がイヴを誘惑する。知恵の木の実を食べても死にませんよ、ほら、こんなにおいしおっませ。食べなはれ、と言う。イヴはついつい食べてしまう。おまけにアダムにも勧めて、結局二人とも食べてしまった。すると、急に知恵がついてしまってかれらは互いに裸であることに気がつき、葉っぱで腰蓑をつくって、局部を隠します。

 約束を破ったことが神に知られ、その怒りに触れて二人はエデンの園を追放されました。追放されたのがエデンの東。そこでは、地にはいつくばって厳しい労働をしなければ生きていけないんです。ジェームズ・ディーン主演の「エデンの東」という映画があります。楽園のすぐ隣だけれどそこは楽園ではない、それがエデンの東。そう思って見るとこの映画また一段と深いよ。

 エデンの園の話がシュメールとどんな関係があるかというと、エデンの園はシュメール人が住んでいた実在の場所らしい。
 ラガシュとウンマという二つの都市国家が、前2600〜前2500年頃に「グ・エディン」(平野の首)という土地をめぐって戦争を繰り返しているんです。どうもこのグ・エディンがエデンの園のモデルらしい。

 話が後先になりましたが、旧約聖書をつくったのはヘブライ人という人たちです。かれらは前10世紀頃に自分たちの国家を建設するんですが、それ以前は部族ごとに分かれて牧畜などをしながらメソポタミア地方からエジプトにかけて放浪生活をしていた。豊かなシュメールの土地に住みたいけれど、そこに入り込むだけの勢力がなかったんだろう。なぜ、自分たちはあの豊かな土地に住めないのか、という不満・不運を自分たち自身に納得させるため楽園追放の物語がつくられたのではないかと思います。人間というのは納得さえできれば不運に耐えられる生き物なんだと思う。エデンは、豊かなシュメールの地の、その中でももっとも豊かな土地の象徴だったんだろう。

 それから、バベルの塔の話です。これは知っていますか。
 人間が天まで届きそうな高い塔を建てる。これを知った神が、この塔を打ち壊すんだね。
 「神に届こうとする不届きな振る舞いだ」と神様が怒ったと一般にいわれていますが、聖書を読むとそんなことは書いていません。理由は解らないがとにかく神は塔を壊し、人々はちりぢりになり、お互いに話す言葉が通じなくなった、という話。
 で、このバベルの塔のモデルがやはりシュメールにあるらしい。
 シュメール人たちが建設した神殿にジッグラトというものがあります。高い塔の形をした神殿で、その遺跡はたくさん残っています。これがバベルの塔のモデルといわれています。

続く
メンテ
大和魂 79 ( No.81 )
日時: 2010/10/29 22:52
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:2DYRbETw

大洪水
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 極め付きの話は、ノアの箱舟でしょう。
人々が神に対する信仰を失って、自堕落な生活を送っているときに、ノアという男だけが信仰を守って敬虔な生活をしていた。神は、信仰を忘れた人類を滅ぼそうと思ったけれど、まじめなノアだけは助けようとするんですね。ある日、箱舟をつくれと、ノアにお告げをする。なんだかわからないままにノアはお告げに従って、家族みんなして箱舟をつくります。長さこれだけ、幅これだけとか、神は結構細かいお告げをする。で、そのとおりにつくります。他の人たちはそんなノアを馬鹿にするんだけど。
 ところが大洪水がやってきて、舟に乗り込んでいたノアの家族だけが生き残ったという話。
 このとき、ノアはあらゆる動物をつがいで舟に乗せていて、これも助かる。

 このノアの箱舟の話も、シュメール人の話に元ネタがあるのです。
 シュメール人が残した粘土板に『ギルガメシュ叙事詩』といわれる物語があって、そこにノアの箱舟とそっくりの話が載っていたのです。
 プリント見てください。少し読んでみよう。

 まず、神のお告げです。
「シュルパックの人、ウパラ=トゥトの息子よ、家を打ち壊し、舟を造れ。…すべての生きものの種を舟に積み込め。おまえが造るべきその舟は、その寸法を定められた通りにせねばならぬ。…
六日六晩にわたって、嵐と洪水が押し寄せ、台風が国土を荒らした。七日目がやってくると、洪水の嵐は戦いに敗れた。…そしてすべての人間は泥土に帰していた。…舟はニシルの山にとどまった。…七日目がやってっくると、私は鳩を解き放してやった。鳩は立ち去ったが、舞い戻ってきた。…私は大烏を解き放してやった。大烏は立ち去り、水が引いたのを見て、ものを食べ、飛び回り、かあかあ鳴き、帰ってこなかった。そこで私は…、生け贄をささげた。」(ギルガメシュ叙事詩の洪水物語、高橋正男訳)

 聖書にも大嵐がおさまったあと、ノアが鳥を飛ばして陸地が現れたかどうか確かめる場面があるんですが、こんな細かいところまでそっくり。

 キリスト教を信仰するヨーロッパ人たちは聖書に書いてあることは真実の物語と考えていたのですが、『ギルガメシュ叙事詩』が発見されることによって、旧約聖書が成立する1000年以上前に、その元の話があったことがわかった。

 洪水神話はメソポタミア地方全域で広く普及した物語だったのだろうということです。古代の説話のひとつとして、聖書が相対化されたという意味で、ヨーロッパ人にとってギルガメシュの物語は大発見だったのです。

実際にシュメール人の遺跡発掘がすすんでいくと、シュメール人の都市国家が大きな洪水にみまわれていることもわかってきた。

 『ギルガメシュ叙事詩』には、こんな一節もある。
 ある時ギルガメシュは太陽神ウトゥに訴える。
「…
 心悲しいことに、わたしの町では、人はすべて死ぬ。
 …
 わたしは城壁の外を眺めていて
 死体がいくつも河面に浮いているのを、
 見てしまったのだ」

 洪水で苦しんでいたんだね。
 ティグリス・ユーフラテス河の氾濫の記憶がしだいに大洪水の神話物語に発展したのだといわれています。

続く
メンテ
大和魂 80 ( No.82 )
日時: 2010/10/29 22:53
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:2DYRbETw

-------------
「もののけ姫」
-------------
 ギルガメシュ叙事詩の話をもう一つ。聖書の元ネタといったんだけど、映画の元ネタにもなってるんだ。
 「もののけ姫」見ましたか。私、4回見ました。大流行したから見た人も多いんじゃないかな。
 あれの元はギルガメシュ叙事詩ですよ。5000年前のシュメール人の物語が現代人に訴えるパワーを持ってるんだね。

 ギルガメシュ叙事詩の前半にこんな話がある。
 当時からメソポタミア地方は森林資源は乏しかったらしい。
 英雄ギルガメシュは町を建設するために木材が欲しい。そこで、レバノン杉、このレバノン杉はまた後々でてきますからよく覚えておいてください、そのレバノン杉の森に木を採りに出かける。ギルガメシュは親友のエンキムドゥという勇士とともに旅立つんです。祟りがあるから止めとけ、という周囲の制止を振り切って。
 ギルガメシュとエンキムドゥはレバノン杉の森にやってきて、その美しさに立ちつくす。
 美しさに圧倒された二人は呆然と森を見続けます。
 しかし、ギルガメシュは気を取り直してこう思った。

 「この森を破壊し、ウルクの町を立派にすることが、人間の幸福になるのだ」

 森の中に入っていくとそこには森の神フンババというのがいて、森を守るためにギルガメシュたちと闘うんですが、最後には森の神はエンキムドゥに殺されてしまう。フンババは頭を切り落とされて殺され、エンキムドゥは「頭をつかみ金桶に押し込めた」。
 その後、エンキムドゥは祟りで別の神に殺されてしまうんですがね。

 「もののけ姫」と同じでしょ。
エンキムドゥが「たたら場」のエボシ様、フンババがシシ神、首を落として桶に詰めるところまで同じ。
 ギルガメシュ叙事詩では、フンババが殺されたあと「ただ充満するものが山に満ちた」と書かれている。
 「もののけ姫」では、シシ神の体から流れ出たどろどろのものが山を焼き尽くす。宮崎駿の解釈なんだろうな。
 エンキムドゥは祟りで死にますが、エボシ様は、狼の神モロに片腕を食いちぎられるだけですんでいますがね。この辺、優しい解釈だね。

 人間が文明を発展させれば、必ず自然を破壊する、森を破壊しなければ生きていけない。
 しかし、森を殺せばそれは必ず人間、人類といっていいかな、にそのしっぺ返しは来る。どうすればいいのか。森とともに生きる道はないのかと「もののけ姫」ではアシタカが苦悩するまま、解答なしで終わります。

 5000年前にすでに、自然破壊の問題が起こっていたということは、しっかり覚えておいた方がよい。

 レバノン杉は、地中海東岸のレバノン山脈から小アジアにかけて広く分布していました。
 しかし、シュメール人の時代にすでにレバノン山脈東側の、メソポタミア地方に面している方はほとんど切り尽くされていたらしい。現在では西側地中海に面した地域もわずかに残っているだけです。現在のレバノン国旗の真ん中には、レバノン杉が描かれています。

 森林資源が乏しいために、メソポタミア地方ではインダス川流域からも木材を輸入していた。レバノン山脈から運ぶよりも、インドから海上輸送した方が簡単だったらしい。そのインダス川下流地域も今は森林資源は枯渇しています。

続く
メンテ
大和魂 81 ( No.83 )
日時: 2010/10/29 22:54
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:2DYRbETw

アッカド王国
 前2400年頃、シュメール地方にはじめて統一国家ができます。
 これがアッカド王国。
 建国したのはシュメール人ではなく、メソポタミア北部の山地に住んでいたアッカド人。
 民族系統はセム系といいます。残された言語で民族系統を判断するのですが、セム系というのは現在のアラブ人と同じです。念を押しておきますが、シュメール人は民族系統不明ですよ。

 アッカド王国の王の名前を覚えておきましょう。

 サルゴン1世。
 史上最初の大王といっていいでしょう。アッカド王国はサルゴン1世だけ覚えればいいからね。

 ここからはサルゴン1世のおまけの話。
 サルゴン1世の伝説を記した粘土板も発見されている。サルゴン1世のお父さんはアッカド王、ところがお母さんは尼さん。
 その尼さんがサルゴンを妊娠、出産してしまう。
 尼さんが子どもを産むのは許されていないので、彼女は生まれたばかりのサルゴンを籠に乗せて川に流すんです。まあ、捨てたわけね。
 サルゴンは灌漑人に拾われ、かれの息子として育てられます。成長したあと、イシュタル女神がかれを愛し、そして王として君臨した、というんです。

 英雄というのは一度は捨てられ、成長してから別の世界から異様なパワーを身につけて帰ってくる。そして、本来あるべき地位につく。こういうパターンの話を英雄流離譚というそうです。
 世界各地に似たようなパターンの神話や物語が残されています。前の授業でしたアーサー王の出生の話や、旧約聖書のモーセも同じです。

 それから、お母さんが尼さんというところ、イエスの母が処女マリアという話を連想しませんか。ここは、きわどいですが考えはじめると面白いところですよ。
 もっと、大胆に連想を飛躍させると、川に流すところ、逆に流れてくる側から描けば、これは桃太郎ですね。桃太郎は鬼退治して英雄になりますが、一体誰がどこから流したんでしょうね。桃太郎の原型の原型もひょっとしたらこれかも知れませんね。考えはじめたらキリがないね。

 アッカド王国のサルゴン1世によって統一されたメソポタミアも、200年ほどたつと、山岳民族の侵入によってまた分裂します。

 豊かで、文化の高いメソポタミア地方は周辺の蛮族にとってはかっこうの略奪対象です。あわよくばそこを支配できればこれに越したことはない。
 メソポタミアの歴史は次から次へと、この地に侵入する諸民族の歴史といってもよいくらいです。

 アッカド王国滅亡後、一時はシュメール人のウル第三王朝というのが栄えますが、これもエラム人とかアムル人とかいうのが侵入し崩壊。

--------------
バビロニア王国
--------------
 次にメソポタミアを統一したのがセム系アムル人が前19世紀に建てた古バビロニア王国です。別名バビロン第一王朝。前17世紀までつづきます。
 都は有名なバビロン。
 王も一人覚えてください。ハンムラビ王です。

 この王は、シュメール時代からこの地方におこなわれてきた法律を集大成したので有名。
 ハンムラビ法典。超重要です。

 ハンムラビ法典の説明します。

続く
メンテ
大和魂 82 ( No.84 )
日時: 2010/10/29 23:09
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:2DYRbETw

ハンムラビ法典の説明します。
 特徴二つ。
1,同害復讐の原則
「目には目を、歯には歯を」ですね。
  「もし人が自由人の目をつぶしたときは、かれの目をつぶす。」(第196条)
誰かに危害を加えたら、同じことをされるということだ。
 非常に厳しい法律のように感じますね。でも、この同害復讐の原則は復讐に合理的な限度を定めたという点で社会が発展したことを示しています。
 多くの民族が侵入し、戦を繰り返したメソポタミア地方は、生きていくうえで常に緊張していなければいけなかったと思います。
 古バビロニア王国の支配者はアムル人でしょ、支配されているのはシュメール人、アッカド人、そのほかいろいろな民族がいたと思う。違う言葉をしゃべって、違う風習で暮らしている。争いがおきたときどうやって仲裁するか、合理的なルールが必要だったんだね。
 そういう中で生み出されたのが同害復讐の原則。

2,身分差別的刑罰
 「もし奴隷が自由人の頬を殴ったときは、かれの耳を切り取る。」(第205条)
奴隷が自由人に危害を加えたら、それ以上の重い刑をうけるわけだ。逆に身分の高い者が奴隷を傷つけても罰金ですみます。厳しい身分差別があったことがわかります。

 この、「頬を殴ったときは」、という表現、頭の隅の方に残しておいてください。これに関する話をまたいずれします。
 以上二つの特徴を見ると現代的感覚からはやはり残酷な感じがします。

 しかし、ハンムラビ法典のあとがきに、こんな文がある。

 「強者が弱者を虐げないように、正義が孤児と寡婦とに授けられるように」この法をつくったと。

 単純に古い時代は野蛮だったとか遅れていたとか、考えないようにしてください。



以上で「世界史講義録」の紹介を終わります。

 エジプト文明---ナイル川
 インダス文明---インダス川
 黄河文明--------黄河
などの紹介は割愛しますが、上記サイトには書かれていますので興味のある方はサイトを御覧ください。

さて、随分と長い引用をしてきましたが、ここで感じていただきたいのは、キリスト教圏の場合も同じですが、この地域は中国、インド、ましてや日本などと異なり、民族間の相克が激しい地でありました。
このような地域で一神教は発達してきたことと無関係ではないように思います。
これからイスラムと言う概念の発祥がどの時代、どの地域を中心に起きてきたか、からはじめたいと思います。

http://www.geocities.jp/timeway/kougi-1.html

金岡新氏が高校生の授業のために書かれた「世界史講義録」からの引用を終わります。

さて、大和魂 NO 6でシュメールと日本との関係に触れていました。

(再掲)

日ユ同祖という考え方があります。「シュメールと日本、同祖」というのが精確だと思います。

楔形文字は表意文字と表音文字との組合せで、これは日本語と同じやり方です。そして文法も、”既知名詞+変化名詞+変化態様”というように、日本語と語順が同じです。

シュメールとは現在の南イラクのことです。そしてそこに北からヒッタイト族などがやって来た。そしてバビロニアなどの国家を建設してシュメールの文化をシリアに広めた。シリアとは、現在のシリア、レバノン、バレスチナ、ヨルダン、イスラエルを包括する地区です。シュメールはユダヤにとって先進文化地域だった。

楔形文字は、古代オリエント地区で東アジアにおける漢字と同じ役割を果たしていました。メソポタミアの共通文字だった。

シュメールには葦原が広がっていたらしい。日本もかつては”豊葦原の国”と呼ばれました。葦は筆(ペン)を作るために利用されます。粘土と葦の組合せが文を生んだ。「書く」とは引っ掻くと言う意味です。Grammarのグラムは刻むという意味。紙が発明されるまで、文字は刻んだり引っ掻いたりするしか記する方法が無かった。

シュメールの人々が東に移住し、インダス文明を築くなどしながら、南海伝いに日本までやってきた可能性は十分にあると思います。

再掲終わり。

ノアの箱船、バベルの塔、エデンの園、最近は、もののけ姫などもアニメでとりあげられるなど、日本人にも自然と理解されやすいものがあるようです。

最も、金岡氏も書いておられるように、民族間の相克が激しい地であったことは我が国とは随分と違います。

イスラムとは、そういう世界なのです。
メンテ
大和魂 83 ( No.85 )
日時: 2010/10/30 22:19
名前: 天橋立の愚痴人間 メールを送信する

前回でイスラムとは、そういう世界ですと書きましたが実は、まだイスラム教は生まれていません。
チグリスユーフラテス河の流域の興ったメソポタミア文明圏に6世紀の中ごろマホメッドが今のサウジアラビアのメッカに生まれました。
今日メッカはイスラム教最大の聖地とされており、当地へは体力と財力が許す限りあらゆるムスリム(イスラム教徒)が一生かけても巡礼することを目指しています。
世界最大の宗教イスラム教は西アジア、北アフリカ、西アフリカ、東アフリカ、中央アジア、南アジア、東南アジアなどの57か国、オブザーバーが5ヵ国がイスラム諸国会議機構を構成し、イスラム教を信仰する人口は世界で13億人と言われています。
さて、ここでマホメッドのことについて触れておきましょう。

http://www.b-family.org/public_html/public_html/omoi/010/mahmeddoc.htm

神の啓示

時は西暦610年。日本では推古天皇と聖徳太子の時世です。場所はアラビア半島の中ほどにそびえ立つヒラー山の頂上。一人の男が頂上にある洞窟で瞑想にふけっていると、いきなり凄まじい衝撃に見舞われました。超自然的な何者かが彼の身体を抑え込み、「読め!」と鋭く迫ってきたのです。それは、まことに衝撃的な出来事でした。抑え込まれて息絶え絶えになった男は、今にも死ぬかと思いながら、「何を読めばいいのか」と必死になって尋ねるのですが、その何者かはひたすら彼に強く迫ります。「読め、さあ読め!」と。男は再び死ぬ思いをしながらも、この恐るべき者の来襲に耐え忍びます。そして、三度「読め!」と迫られ、たまりかねて再度問い直しました。「一体何を読めばいいのか」と。そこで、その何者かは初めて答えました:

読め、「あなたの主は最高の尊貴であられ、
筆によって(書くことを)教えられた御方。
人間に未知なることを教えられた御方である」

(コーラン 96章1〜5節 )

マホメッドはそれをひたすら復唱しました。どのくらい経ったでしょうか?何者かはそれをじっと聞いていると、ふっと姿をかき消してしまいました。意識が戻り、まどろみから目が覚めました。しかし、心に刻み込まれたその章句は生々しく存在していました。と、洞窟から出たマホメッドに、再び何ものかの声がしました。「マホメッドよ、汝は神の使徒である…」思わず顔を上げてみました。それは、壮絶な光景でした。その何者かは、両足で地平線をまたぎ、すっくと立っているではありませんか!眼を背けました。その場を逃れようと試みました。しかし無駄でした。得体の知れぬ何者かは、行く先々に現れ続けたのです。マホメッドは、ただ立ち尽くしてそれを見つめていました…。これが『預言者伝(スーラ・ナバウィ−ヤ)』の伝える啓示の際の光景です。そしてこれ以後、マホメッドのもとへは神の啓示が頻発します。そしてここに、ユダヤ教、キリスト教と続いてきたセム系一神教最後の分派『イスラムの預言者マホメッド』が誕生しました。マホメッド40歳の時のことでした。

ユダヤ教・キリスト教との訣別

メディナ遷行からメッカ入城に至る8年間、マホメッドが敵として闘ったのはクライシュ族だけではありませんでした。当初、マホメッドは、ユダヤ教徒に対して自分の教説が受け入れられるのではないかとの強い期待を抱いていました。同じ啓典の民として、メッカの多神教徒と共同して戦えると思っていたからです。彼が、メッカとエルサレム(ユダヤ人の聖地)の双方をキブラ(礼拝の時に向かう方向)としていたことは、そうした思いが働いてのことでした。ところが、ユダヤ教徒はみなマホメッドの敵に回ってゆきました。いや、メッカの多神教徒以上にマホメッドに抵抗してゆきます。

いかに苛酷な拷問を受けても、どんな惨烈な禍難の裡に投げ込まれても、絶対に父祖の信仰を守り通そうとするユダヤ人の宗教性は、マホメッドが考えていたような甘いものではありませんでした。彼らは、マホメッドの聖書に対する知識の欠如を嘲りました。そして、その解釈の誤謬を鋭く突くのでした。さらには、マホメッドが多数の女性を妻に迎えたことに対して、公然と揶揄嘲笑しました。「この好色の偽預言者が!」と。彼らの視線は限りなく冷ややかでした。このため、マホメッドも急速に反発を強めてゆき、メッカ側に勝利して自己の地歩を築くと同時に、これらユダヤ諸部族を次々と追放・粛正していったのです:

あなたがた信仰する者よ、
ユダヤ人やキリスト教徒を、仲間としてはならない。
かれらは互いに友である。
あなたがたの中誰でも、かれらを仲間とする者は、
かれらの同類である。
アッラーは決して不義の民を御導きになられない。

(コーラン第5章51節 )

マホメッドにとって、キリスト教徒も彼の期待を裏切った背信の輩でしかありませんでした。こうして、唯一の心頼みだったキリスト教とも決然と袂を分たなければなりませんでした。とりわけマホメッドは、キリスト教の三位一体説を徹底して批判し、神の子イエスの存在について難詰します:

「神が子をもたれただと?」
「唯一絶対の神が、自分と並び称される者を持たれているだと?」
「いったい、神に対してこれほどの冒涜があるだろうか!」
マホメッドは、神の唯一性・絶対性・全知全能性を犯す多神教的な傾向を断固として排除しようとします。その最大の根拠となったのが次の一節でした:

彼はアッラー、唯一のお方であられる。
アッラーは自存され
産み給わず、産まれたまわぬ。
彼に比べうる何ものもない。

(コーラン112章1〜4章)

この短い宣言の中に、イスラムの神の概念が見事に塗り込められています。イスラム教の宗派的自立です。イスラム教は、メッカの多神教との抗争、メディナでのユダヤ教・キリスト教との闘争を経て、ついにアラビア半島の一角に産声を上げたのです。そして、彼らとの戦いに勝ち抜きながら、630年にメッカ入城を果たしました。ラクダでカーバ神殿に入ってきたマホメッドは、そこに祀られていた一切の神々を打ち壊しながら、新たなるイスラムの時代の到来を宣言します。8年前、石をもて追われるようにメッカから逃亡した預言者は、アラビア半島を統一した勝利者として帰還したのです。彼の一生のなかで、最も晴れがましい瞬間でした:

(引用おわり)
メンテ

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