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[814] 大和魂(日本の心のルーツを探る)
日時: 2017/06/26 13:15
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:ZChukVGk

(プロローグ)

人類が霊長類と分類されて他の動物よりも繁栄してきたのは、その頭脳的能力が発達、進化してきたからであります。
始原における人類は、その頭脳的能力で道具を使うことを覚え、そのうちに火を自在に使えるようになりました。

これは生きる(食べる)事において画期的な進化でありました。
一方で人々は集団で生活して行くことの重要性に目覚め次第に大きな集落を形成し分業をするようになってきた。
集団で生活し始めると、自分達の生活を脅かす自然の力に対する畏怖の心も結集することになり自然崇拝、呪術などが起きることになりました。
このころになると、集団には統治の機能が求められ次第に原始国家に近い概念が生まれてきました。

人間の頭脳的能力が生きるための対自然から、統治という人間自身の問題まで対象にし始めたと言うことです。
集団の英知(頭脳的能力の総体)を集めることに成功した人類は、農業、漁業、工業の分野を確立し安定した社会を構成することが出来ました。
このころになると、宗教と言うものが次第に鮮明な形を帯びてきて、人々の精神的ケアをするとともに、宗教を通じて集団の結束を図るようになってきました。
同時に統治者は独裁の傾向が強くなり王国を形成するようになります。
自然を相手に生産活動に殉じてきた人間でしたが、集団の力が強化されるとともに、他の集団を略奪することにより、成果がもたらされることに気がつき以来、血で血を洗う抗争が続いてきました。

さて、3000年も4000年も遡りますが、一応は自然を相手の格闘に一段落した人間は、その精神的な余裕の分だけ、その頭脳的能力を内面に向けるようになりました。
それが宗教であり、哲学の世界です。

文字として残る最古の哲学は、2000年くらい前のギリシャ哲学でありますが、その内容は主に統治の問題に絡んで話されています。
最初の哲学が、ようやく手に入れた人間社会の安定のために、人間は如何にあるべきかが最大テーマであったという事でしょう。
中国における儒教というものもこの範疇に入ると思います。

時を同じくして、キリスト教、イスラム教、仏教が興っています。現在まで続いているこれの宗教は、哲学とは別の方向から人間の内面性を説こうとしたものであり、それまでの宗教が民族単位に近かったものから人類共通の普遍性を主張しているのが特徴です。
西欧の歴史は、一時、キリスト教の精神で色濃く塗られていましたが、キリスト教的教義への反動として、500年くらい前にルネッサンス(文芸復興)と言う考え方が広まりました。
直接はキリスト教支配の前の人間精神への回帰ですが、実際は新たな人間性の認識へ移りました。
其処では、人間自身を自然とも切り離し、神とも切り離して如何に生きられるかについての思索がなされました。

それは300年後に資本主義、民主主義という鮮明な形で認識されるに至っています。
その途中、西欧哲学はスピノザに始まりホッブス、デカルト、カントへ至る人間自身の認識論(観念論)からヘーゲルの純粋論理的認識論(弁証法)へ進むなど、自然の理を超越しようとした試みが中心でありました。
それを人類の進化、発展と見れば、そのまま肯定もできるでしょう。
確かに、論理的に西欧哲学的思考で割り切ることにより、現代社会の繁栄があるのです。
さて、現代社会において我々が直面している困難は、深いところで人間性の問題につながっています。

資本主義、民主主義のシステムは、物資と情報、享楽と言う意味で人類に飛躍的な果実をもたらしました。
自然とともに生きなければならないと言う束縛から人類を解放したと言えます。
そうして、現代社会が直面している困難と言うのは、その昔、人類が経験していた自然の恐怖とは質が異なる困難であります。
ここに現代の困難は文明史的な次元の課題であると思います。
ここ4000年の間に営まれてきた宗教、哲学の概念の延長上で、どのように捉えられるか、更なる進化と言う観点から捉えるのか、人間性というものを自然との関わりで見直すことが正解であるのかが問われています。
これに対して、直線的に斯くあるべしと言うよりも、この観点から日本の歴史を振り返ってみたいと思います。

具体的には、弟3期西欧文明(資本主義・民主主義)が今日ある状況以外に人類は選択の余地がなかったのか、その過程において切り捨ててしまったものの中に人類が必要としていたものはなかったのかについて検証することから始めようと思います。
タイトルの「大和魂」とは、西欧文明以前の日本の精神文化を総称したものであります。
途方もなく長ったらしい話になりますが、ボチボチと御付き合い願いますよう御願いします。
説明のために掲げています長文は適当に読み飛ばしていただければ幸甚に思います。



(追申です 2017年6月24日)

このスレッドも、旧掲示板で書き始めてから言いますと10年近くたっています。
「大和魂」という標題のため、読んでくださる方は、常に「大和魂」の概念を探ろうとされているようです。
しかしながら、このタイトルは、このスレッド全体を通して感受されるべきものとして書いていますので、「大和魂」とは何かという設問には答えが見いだせなく戸惑いながら、結局は何が言いたいのか解らずしまいの様でしょう。
タイトルのつけ方が適正ではなかったかもしれません。
そこで、この時点(No188のレス)で私自身、ようやくたどり着いた「大和魂」の概念について次の様に説明して置きたいと思います。

<大和魂とは>

西欧民主主義が入ってくる前
江戸時代の朱子学に毒されるまえ
特に武士道などは、もってのほか。

それを取ったとき、
日本人はどのような生き方をしていたか。
それを探りたいのであり、言葉では、簡単には現せなく体感してほしいと思っております。

また「魂」という言葉を使っていますのは、物事に挑戦する意欲を表現しています。
これも具体的には言えませんが、山田長政の話やら、あまり良いことはしてないようですが倭寇など海外へ積極的に進出する、その気概。
日本人にも、そんな積極性があったことを頼もしく感じています。
そして、それは日本独自の文化、芸術を生み育てる力にもなっています。

その様なものを一括して「大和魂」と言っています。
そうして、そういうものを、この文章から感じ取っていただけることが出来たら幸いと思って書いています。
ですが、将来の日本人に「大和魂」だけを押し付けるつもりで言っているのではありません。
日本人には「大和魂」があることを忘れず、社会を生きてほしいと願うのです。

※ 体感してほしいと言っていますように、この文章の各所に伝説、神話、他の国の事情などを説明している箇所が随分とあります。退屈かもしれませんが、それを読まれることによって、それが書かれた時代、場所の様子を感じ取っていただきたいのです。
特に前半の部分は、日本民族と他国の民族性の違いを感じ取るために、長ったらしく資料を集めました。

(目  次)
No 0      プロローグ・目次
(前 章)
NO 1〜7    「大和」とは
(民話・伝説)
No 8〜16    日本の神話・伝説
NO 17〜20  中国の神話・伝説
NO 21〜37    世界のドラゴン伝説
No 38〜42    中国の民話
NO 43〜47    世界の七夕伝説
NO 48〜50    中国の民話・伝説
NO 51〜67    インドの民話・伝説
No 67〜93    イスラムの民話・伝説
No 94〜124   アングロサクソンの民話・伝説
(日本の歴史検証)
No 125〜137   「和」の検証 
No 138〜151   神代の時代から古墳時代
N0        飛鳥・奈良時代(一時、サーバのトラブルがあり、この部分が消えています)
No        平安時代(一時、サーバのトラブルがあり、この部分が消えています)
※ 後日復旧する予定。
No 152〜169   鎌倉時代
NO 170〜     室町時代
NO        江戸時代(未稿)
No        明治時代(未稿)
No        現代(未稿)
NO        「大和魂」とは(未稿)
No        エピローグ(未稿)

※ 世界の民話・伝説に紙面を割いているのは、日本人と他民族の気質の違いを探るためです。
メンテ

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大和魂 59 ( No.61 )
日時: 2010/10/20 14:21
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:O0eqDvis

インドの伝説を一つ紹介します。
http://chaichai.campur.com/indozatugaku/ganesha.html

「ゾウの神様ガネーシャ伝説」

インドでもっとも人気のある神様ガネーシャ。その強烈なキャラクターは数ある神々のなかでも異彩を放っており、一度見た人は決して忘れることは出来ないだろう。



ガネーシャの特徴はその顔にある。写真を見ていただけば分かるように、見事なゾウ顔なのだ。ユーモラスな顔という人もあるが、目付きは結構怪しい。

それは例えるなら、マリファナのやりすぎみたいな恍惚の表情のようでもあるし、またじっさいのゾウにも似ていなくもない。見れば見るほど不思議な気分になる神様でもある。

ところで、ガネーシャの足元にはいつもネズミの姿がある。じつはこのネズミ、ガネーシャの乗り物である。じっさいに乗っている絵はまだ見たことがない。

また、ガネーシャの牙の片方は必ず折れていなければならない。伝説によると。…とある月夜の晩にふらふらとガネーシャが出歩いているとき、目の前を横切った蛇にネズミが驚き、主人のガネーシャを振り落としてしまった。牙はその衝撃でポキリと折れてしまった。ガネーシャは怒って、蛇を捕まえ、腰に巻きつけてしまったのだとか…。また、その場面を見ていた月が大笑いしたため、ガネーシャはまたもや癇癪をおこして折れた牙を投げつけてしまった。それで結局、折れた牙は今も行方不明のままだ。まったく神様らしくない話だが、ガネーシャ誕生譚はさらに奇想天外なものだ。


元祖ガネーシャ?

ことの始まりはシヴァ神(破壊の神)の妻パールヴァティーが自分の垢で人形を作ったことにあった。多分、これも気まぐれに違いないが、すっかり気に入った彼女はその人形に魂を吹き込み息子にしてしまった。そしてまず、この息子に自分が入浴中の門番の役割をいいつけた。

そんなこととは知らずにこの家に戻ってきたのが夫のシヴァだった。でも、シヴァとこの息子は初対面、お互い「入れろ入れない」の押し問答になってしまった。すっかり激昂したシヴァはこの息子を殺そうとしたがなかなか歯が立たない(史上最強の神様のはずなのに…?)。そこでビシュヌの助けも借り、ようやくこの息子の首を切り落とすことに成功した。

しかし、問題はパールヴァティーである。まさか自分の夫が息子を殺してしまうなどと想像もしていなかったから、この事態に激しく動揺し、嘆き悲しんだ。シヴァはもともと同情心の強い神様だから何とかしなければ、という訳で、とにかく家来の悪鬼たちに「すぐに何でもいいから首を用意してこい」と命令した。そこで悪鬼たちが慌てて出発し、ようやく見つけたのがゾウだった。ゾウは哀れにも首を切り落とされ、その首を死んだ息子の胴体につけて生き返らせた。こうして生まれたのがガネーシャである。

ガネーシャの一般的な説明を読むと、「富をもたらす現世利益のおだやかな神様」といった説明がよくあるが、そんなつまらない神様はインドには存在しない(存在できない)。ガネーシャもまた、かなり癖のある神様である。ずるがしこいし癇癪持ちだし何より嫉妬深い。信者たちは、その嫉妬を恐れて、寺院に行くとまずガネーシャの祠へ行ってお祈りをする。まあ、かなり我がままな神様だと思って間違いない。

ところで、毎年夏、8月から9月の10日間、ガネーシャの誕生を祝う祭りが西インドを中心に行われる。粘土で作られたガネーシャの巨大な像が街を練り歩き、最後は川や海に流される。とくに有名なのはムンバイとプネ、いつかは行きたい祭りの一つだ。

−−−−−−−−−−−−−
ガネーシャは日本にもやってきている。おそらく平安時代、空海あたりによって連れてこられ、長いあいだ門外不出であったのが、中世あたりに一般に出回った。いわゆる「聖天さん」がそうだ。正式名称は「大聖歓喜天」である。ゾウ頭の男女が抱き合うような怪しい格好をとる姿で知られている。あまりに怪しかったためか、お稲荷さんや弁天さんのようにはメジャーにはならなかったが、その分、謎めいている。


如何でしょうか。
日本の穏やかな話と違い、逞しい創造性が見られるでしょう。
これがインドの特徴で、全体の流れよりも個人の恣意が尊重されます。
メンテ
大和魂 60 ( No.62 )
日時: 2010/10/20 14:24
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:O0eqDvis

「月の模様になったうさぎの伝説」

昔から日本では月にはうさぎが住んでいて、お餅をついていると伝えられて
いますが、そのルーツをたどるとインドの伝説が元になっているようです。
インドではこのような伝説が伝わっています。
 昔ウサギとキツネとサルの三匹がとても仲良く暮らしていました。ある時三匹は、
自分たちが何故獣の姿をしているのかを、真剣に話し合いました。

   「きっと前世の行いが、悪かったからだろう」
   「それならばこれからは、人の役に立つような行いを、しようじゃないか」

まもなくそのチャンスが訪れました。三匹の前に、ひとりのみすぼらしい老人が
現れたのです。彼らはさっそく老人の世話をすることにしました。サルは木に登り
木の実を集めてきました。キツネは野山を走り回って、果物を集めてきました。
しかし、ウサギには何もすることがありませんでした。そこで彼は自分自身を
食べてもらおうと、燃えさかる炎の中に身を投じてしまいました。これを見た老人は
びっくりしてしまいました。実は老人は神様の仮の姿だったのです。

   「お前たちの優しい気持ちは良くわかった。来世ではきっと人間にしよう。
   それにしてもウサギには可愛そうなことをした。月の中にウサギの姿を
   永遠に残してやろう。」
月の黒い模様は、ウサギが喜んではねている姿なのである。



「狩猟の神アルテミスの伝説」

月の女神アルテミスは、芸術の神アポロンの双子の姉です。アルテミスは
処女の女神としても知られていて、他に狩猟と弓の技をつかさどりました。
いつも弓矢を持ちニンフに囲まれて、野山を駆けめぐりました。野生の動
物や子供、弱者達の守護神でもあったのです。

しかし少女のような純粋さゆえか、異常なまでに潔癖で、しばし冷酷な一面
もみせました。彼女が池や川で水浴をしているところを覗いた男達は、ひど
い報復を受け、その罰として女に変身させられた者もいるほどです。

 その中でも悲惨な処罰を受けたのが、優れた狩人であったアクタイオン
でした。彼は狩りの途中で、偶然にアルテミスの水浴中の裸身を見てしまい
ました。アルテミスはこの偶然を許そうとはしませんでした。アクタイオンは
ポロンの孫であり、人間の世界で言えば、アルテミスは大伯母に当たります。
それにも関わらず、アクタイオンを鹿に変えてしまいました。彼の50匹の猟犬
は、その鹿が主人であることも知らないままに飛びかかり、主人を貪り食って
しまったのです。
メンテ
大和魂 61 ( No.63 )
日時: 2010/10/20 14:27
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:O0eqDvis

次は民話です。

「人の運命」

 ある国に貧乏な爺さんと、婆さんと、その息子がいた。三人はたいへん信心深くて、毎日神に祈りを捧げながら日を送っていた。けれどいっこうにその御利益もなくて、二晩に一晩は飯をぬいて寝る、というふうだった。それでも三人は神の祭礼だけは欠かした事がなかった。
 ある日、天で幸福の女神のラクシュミーが夫のナーラーヤナ神に言った。
「ねえ、あなた。あの三人は毎日わたしたちをこれほど熱心に拝んでいるのに、あんなに不幸だなんて」

「そんな事を言っても、彼らの運命は現世ではこういう事になっているのじゃ」
ナーラーヤナがこう答えるとラクシュミーは、
「いいえ、あなた。それは嘘ですよ。わたしは幸福の神ラクシュミーですよ。あなたは偉大なナーラーヤナ神じゃありませんか。ああしていつもわたしたちの事を拝んでいるのですから、ひとつ行って望みを叶えてやろうじゃありませんか」と言った。

 そこで二人の神は連れ立って下界へ下りていった。そして三人の住む家の庭に立ち、家の者を呼ぶと中から爺さんが出て来た。
「われわれは天から来たナーラーヤナとラクシュミーじゃ」
ナーラーヤナ神がこう言うと、爺さんはびっくりして、
「こんな貧乏人の家になんでまた来られましたか」と言って、いそいそと家の中から破れたカンタ(刺し子布)を出して来た。二神はそこに坐って言った。
「お前達はたいへん信仰があつい。そこで今日はお前達の望みを叶えに来たのじゃ。何なりと望みを申すがよい」

「それは本当ですか」
「本当じゃ。明日から毎朝ひとりずつ池に行って身を清め、そのあとで自分の望みを言うがよい。財宝でも何でもやろう。もし大国の王になりたいというなら王にもしてやるぞ」
こう言って、二人の神は天に帰っていった。

 これを聞いた爺さんと婆さんと息子は喜んだ。そしてそれぞれ自分の願いごとを考え、誰がはじめに望みを叶えてもらうかその順番を決めた。
まず婆さんが初めに望みを叶えてもらう事になった。婆さんは翌朝早く池へ行き、体や手足を洗って身を清めると、どんな望みを言おうかと考えた。
「わしはこんなに黒くて醜い。村の連中もわしを見てはバカにしおる。爺さんは財宝が欲しいと言っていたから、うん、そうじゃ。それならわしは...」と言って神にこう願った。
「神様、わしを美人にして下さいな。インドで一番美しい女に、いやそれより世界で一番美しい女にして下さいな」

 するとたちまち婆さんはこの世にまたとないほどの美女になった。
 そして池から上がり、さて家へ帰ろうかと思っているところへ、ある国の商人が通りかかった。そして美女になった婆さんを見た。
「わたしのような金持ちの家にもこんなに美しい女はいないのに、こんな辺ぴな田舎の池のほとりにこんな美女がいるとは...」

 商人はこうつぶやくと、美女になった婆さんを馬に乗せてさらっていってしまった。
 これを見た爺さんはたいへん悲しんだ。
「わしの婆さんがいなかったら、この所帯も意味がない。いくら財宝を得て王になったところで婆さんがいなくては何になろう。それならいっそのこと...」

爺さんは翌朝池に行き、身を清めてから神にこう祈った。
「神様、さらわれてしまったわしの婆さんをどうか豚にして下さい」
 商人は美女になった婆さんをさらっていって家の一室にかくまい、翌日結婚式をあげる事にしていた。ところが一日たってみると驚いた事に美女が豚になっている。
「これはどうした事だ!わたしは豚などさらってきた覚えはなかったが...」

 商人は豚をひっぱたいて追い出した。
 豚は家に帰って来たが、豚になってしまっては仕方がない。爺さんも豚をたたいてはあっちへ追ったりこっちへ追ったりしていた。これを見て息子は、
「ああ、母さんが豚になってしまっては、いくらおれが財を得たところで何になろう」と思って、

翌朝池に行くと神様にこう願った。
「神様、どうかおれの母さんを元通りの姿にして下さい」
 すると婆さんは黒くて醜い元の姿に戻った。これで三人の願いは聞き届けられた。
 天でナーラーヤナ神は言った。
「どうだね、ラクシュミー。わしが言った通り、彼らに運はなかったのじゃ」-おわり-



我々にも、そのまま当てはまるような話しです。
しかし、日本ではこの種の民話はありません。
倫理、道徳の間に埋没しているのでしょう。
メンテ
大和魂 62 ( No.64 )
日時: 2010/10/20 14:30
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:O0eqDvis

今度は、現代にも生きている、ことわざの類です。

インドのことわざ 言い伝え
http://www.namasute-mumbai.com/kotowaza.html

日本語がご堪能なギータ・ナイアルさんにインドのことわざや
日常生活での言い伝えについてうかがいました。
ギータ先生は、印日協会で日本語講師を勤めるかたわら、
日系企業の通訳としてご活躍です。
英語、ヒンディー語、カルナータカ語など5つ以上の言語を習得されてます。
美術の造詣も深くムンバイのJJアートスクールで学ばれました。

 皆さんこんにちは、今回のテーマをいただいた時に、最初に考えたのは、子供の時に聞いた物語です。その事からお話します。

 夜、泥棒が、街一番のお金持ちの家に忍び込み、荷物を持って逃げ出そうとした時、足の指の爪を剥がして家の中に落としてしまいました。泥棒は大急ぎで戻って爪を拾おうとしたが、爪はなかなか見つからず、仕方なく電気をつけたら見つかってしまいました。

この泥棒が、どうして爪などにこだわったかといえば、インドでは、古くから「爪を落としたところは滅びる」といわれていました。泥棒にしてみれば、大事な仕事場(お金持ちの家)がなくなっては困るので、爪を必死になって探していたという笑い話です。

インドの社会背景には、『小さなものでも大きなものへのつながりがある。』という考え方があります。カルマ(因縁)と言いますが、常に、自分の言った些細な言葉や考え方も、大きなものにつながっている、だから思慮の足りない言動を慎む様にという戒めが、この物語にはあります。もちろん先のとがった爪は危ないので切った後の始末の戒めでもあるわけですが。

Q.爪の話が出ましたが、日本では、夜のタブーがあります。例えば、夜に爪を切ってはいけない。

夜に、塩を買ってはいけない。夜に、新しいものを使い始めてはいけな
い。それと反対に、祝事は、朝の方が良いとされています。インドには、朝・夜の時間によるタブーがありますか。

インドでも時間に関するいろいろな観念があります。日没の時間は、1日の中で、とても大切な瞬間です。サンスクリットの考えから来ていますが、日没と日の出の時間は精神的にも大変敏感になる時間で、この時間には、お線香をたき空気を清めてお祈りをします。日が暮れて家に灯をともす時、私も今日1日の無事を感謝しながら敬虔な気持ちでお祈りをします。

この時間をサンジャ(サンスクリット)と言い、女性の名前にもよく使われています。日の出は、ウシャ(サンスクリット)といい、これもよく女性の名前として、使われています。ウシャには、ヒンディーの聖人にとっても大事な時間で、早朝4時頃からお祈りをします。太陽に水を奉げて祈る時間です。

インドでも夜、爪や髪の毛を切ってはいけないといわれています。夜、暗いところで刃物を使うと事故になることへの戒めでもあると思いますが…。また、夜は、塩、ヨーグルトは、貸してはいけないとされています。鍋などの調理器具の貸し借りもいけなくて、結婚式や、人寄せで、大なべを借りに来た時は、担保に小さな鍋を預かるというしきたりもあります。また、夜の戒めとして、新しいものをおろして使わない、お金を貸さない、新しいものを買わないという、戒めもあります。

 ボンベイのような都会では、このような時間の戒めを全部守っていくには、忙しすぎるし、合理的ではありません。インドでもゆったりとした時間があった時の戒めが多いのですが、私自身、若い頃はあまり気にしなかったことも、歳をとるにしたがって、何か、生活上に意味のある決まりなのではないかと思うようになりました。

夜遅くまで外出していて、日没をかなり過ぎてから電気をつけるような時もスイッチを入れながら、心の中で、お祈りしています。夕方の時間は、とても大切な時間と、意識しています。また、女性は、家の運を守る役割があるとも言われていて、灯をともし、スイッチを入れるのは、守り神の女性の仕事でもあります。

続く
 
メンテ
大和魂 63 ( No.65 )
日時: 2010/10/20 14:31
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:O0eqDvis

Q.日本では、「茶柱が立つ」(お茶の中に茶の芯が浮く事)と縁起が良いとか、「雨降って地かたまる」という、縁起の良い前触れについても良く言われます。良い事のまえぶれについてインドにも言い伝えがありますか。

 商店などでは、朝1番のお客さんを大切にします。何も買わずに帰られてしまうと、1日商売がうまくいかないという考えから、たとえどんなにお客に値切られても買ってもらいたがります。以前は、私の母が朝早くクレープ(布地)を買いに行き、その店では買わなかったけど、母が再び戻ってきたら店主が店の前で母を待っていたそうです。

母が店を出てから1時間あまりの間に大変な客入りで、大繁盛。母は、ただで、クレープを貰ったそうです。母が、商売繁盛をもたらしたと思ったそうです。一番最初のお客は大事にされます。

また、仕事場に入る時、そこの床に手をついてその手を自分の額に持っていき拝んだりします。今日1日仕事が上手くいきますようにという気持ちですね。舞台に上がる時もそうですね。

 インドでは、朝一番に目に、入ったもので、その日の運を占ったりします。それは、いつも嫌われていたり疎まれているもので、生肉、お酒、痛いもの(刺とか、出掛けにどこかをぶつけて、痛い思いをする)、ヒジュラ(インドのオカマの人たち)などです。こういうものに、朝一番に出会うと、今日は、これ以上嫌なことはない、転じて、良い事があるとなるわけです。

 ヒンディー教の新年(4月14,15日ごろ)には、朝、母に4時ごろに起こされます。この時目は目隠しされていて、祭壇の前に行くまで目を閉じていなければなりません。祭壇には、お盆に花、カジョル、鏡、ランプ、米、ビンディーの赤い粉、金貨など美しいものが入っています。新年に先ず目に入るものが美しいものであり、これを見ると1年間良い事があると思われています。またこの日は、子供たちは少しだけお金を貰います。お年玉と同じです。新年のお花には、ハルディーという金色の花が使われます。藤のような花で黄色です。

(この花は、日本名で金くさり、英名ゴールデン・シャワーというそうです。イギリスでもよく観られるそうです。4月頃、マニ・バワンの通りが見事だそうで、この通りは、ハルディー・レーンというそうです。)
カジョルとは、ギー(インドのバター)を煮詰めてその煤を銅版に受けて作った黒い粉です。子供が厄除けで目の下につけています。

Q.カジョル(子供が目の下につける黒い墨)について教えてください。

インドでは、あまりむやみに子供を誉めてはいけないと言われています。なぜなら、可愛い、綺麗といわれて、人の妬みを買うと子供に災いが起こるといわれているからです。だからよく子供が器量を誉められるとお母さんは急いで子供を家に連れて帰り、塩とチリをつかんで、子供の前で、ぐるぐる3、5、7回まわして、口の中で、小さな声で呪文を唱えてチリと塩を火に投げ捨てて清めたりします。

そのために、目の下にカジョル(黒墨)をつけて人の妬みをかわない様に厄除けにします。子供の食べっぷりを誉めてもいけません。赤ちゃんなどが、よく食べますねといわれると病気になるともいわれています。しかし、親ならばわがこを誉められて、悪い気はしないのでこの言い伝えについてはあまり神経質になることはありませんが。
メンテ
大和魂 64 ( No.66 )
日時: 2010/10/20 14:32
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:O0eqDvis

Q.方角についても日本では、南や東は、良い方角ですが、北や西は、あまり良くあり
ません。インドはどうですか。

インドでは死んだ人は、南向きに寝かせます。普通は、東を頭にして寝るのが良いとされていますが、北についてはあまりタブーはありません。西は、好ましくない方位です。

Q.左右の使い分けについても教えてください。

基本的には、上半身は、右手で、下半身は左手で。物を手渡す時は、必ず右手で。厳格な人は、顔は右手で、腰から下、足は左手で洗いますが、これはとても不便なので、気分的にそう守ろうと考えている程度で…しっかり分けては暮らせませんから。

Q.アジアの女性には、タブーはたくさんあると思うのですが、女性のタブーで今でも厳しく守られている事があれば教えてください。

一番強く言われているのは、妊娠中に月食を見てはいけない、月食中の外出です。これは、子供に障るといわれていて、どんなに、西洋的教育を受けて、進歩的なインドの女性も頑なに守っています。

Q.日本では、3や、8が昔から良い数字といわれています。また、贈り物をする時などは、4(し)は、死に通じるので、嫌われます。奇数は、これ以上半分にできないので、壊れないという意味から、祝事に使われます。数字についても教えてください。

奇数はよい数とされています。結婚のお祝い金は、10,001ルピーというように奇数を包みます。また、0(ゼロ)は、インドで発見された数字ですけど、何もない、空虚であるということから良い数字とされています。かたちも輪なので、完全無欠で良い数です。

おでこにつけるビンディーは○。実はここから来ています。
また、ビンディーは、第三の目、心の目でもあるわけですが。
4についてのインドでの考え方は、社会の規範は、4で表されます。方角、ヴェータ(ヒンドゥー教の聖典)は、4つあります。カーストも4つですね。

 話が横にそれますが、ヒンディー教のヴェータ(聖典)というのは、4つあって、これには、人間はなぜ生きるのか、生きる目的について書かれています。1はダルマ(人間らしさ)ダルマのために働く、人が人のために働く、人の役に立つということ。2つ目は、アッタ(物、お金)の為に働くということ。3つ目は、カーマ(愛)ですね。もちろん、子供や隣人への愛も含まれますよ。4つ目はモクシャ(悟り、自分の魂の開放)です。

5は5つの金属を合わせたものは、体に良いとされていて、5種類の金属をバングルなどにして身につけていますね。
7は、サンスクリットでも大事な数です。7つの世界、7つの大陸、7つの海、7つの惑星、インドの音階も7つですね(サ・レ・ガ・マ・パ・ダ・ニ・ラ)=(ド・レ・ミ…)。結婚式で、火の周りを回るのも7回ですし、大事な人が来た時にお清めで、お盆に載ったお供え(花、ランプ、カジョルなど8品目)を、ぐるぐる回すのも7回です。
8は、このお供えが8品目ですね。


まだまだ書いてありますが以下は省略します。
メンテ
大和魂 65 ( No.67 )
日時: 2010/10/20 14:36
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:O0eqDvis

インド古代への旅は一段落させておいて現代インドの様子も見ておきましょう。

インドの社会と言えば、現在も残るカーストの制度とIT産業分野を発達させた高度な知識集団の存在を思い浮かべます。

歴史的に見ても、イスラム圏との宗教戦争や独立戦争はあったとしても覇権を争う大きな戦争は体験していない大国であります。

その他に、宗教的な考え方を大切にしている国民性などが感じられます。
そう言うものを、限られた情報ですが少し検証してみます。

インドのカースト制
http://www.indochannel.jp/society/class/01.html

日本では一般的に、インド独特の身分制度であるカースト制度とは、バラモン(僧侶)、クシャトリヤ(王侯・武士)、ヴァイシャ(平民)、シュードラ(隷属民)という四階層で構成される身分制度であると思われています。この区分はすでに紀元前数世紀頃、古代インドのバラモン教(ヒンドゥー教の母体となった民族宗教)の聖典『リグ・ヴェーダ』の中に見ることができます。この区分はインドでは「ヴァルナ」と呼ばれ、本来は肌の色に由来するものでした。当時インドに侵攻したアーリア人の肌が、土着のドラヴィダ民族に比べ白かったため、自らの肌色を頂点として作り上げた階級制度です。

日本語では四姓制度としても知られるヴァルナですが、実際にはこれらの制度に入ることのできないアウトカースト(不可触民・アチュート・ダリット)も存在するため、インドの社会は大きく五つに区分されるということもできます

このヴァルナに加え、職業別の階級制度(身分差別)であるジャーティという区分も存在します。サブ・カーストとも呼ばれるジャーティの種類は、一説には2,000とも3,000とも言われます。インド社会を現実的に構成するのは、数え切れないほど細分化された世襲制度ジャーティです。各ジャーティは伝統的な職能集団で、地域社会内ではジャーティ間での分業体制が成り立っています。これに加え、ジャーティの特徴として内婚制(同ジャーティ内での結婚)が挙げられます。この内婚制度は現在でも厳格に守られており、異カースト(異宗教)間の結婚は少数です。このように、インドのカースト制度とは、「ヴァルナ・ジャーティ」制度ということができます。

 この身分制度の根幹を成す考え方として、ヒンドゥー教独特の浄・不浄の概念があります。もっとも身分が高い階級は最高に清浄であり、身分が下がるに従ってケガレも増すという考えです。そして浄・不浄の概念は、これもヒンドゥー教の根幹を成す業・輪廻の概念と抜きがたく結びついています。つまり、現世の身分を決定するのは前世の行いであり、現在の自分に与えられた身分(職業)に没頭することで、来世のよりよい身分が約束されるというわけです。この考え方の枠組みによれば、下の階級が上層階級へ尽くすことこそが、自らを救済する道であるということになります。このことが、いわゆるカースト制度がなかなか消えない理由でしょう。

 独立後のインド憲法ではカースト差別を禁止しており、政府は最下層に置かれた不可触民や先住民の地位向上のため教育、公的雇用、選挙での留保制度といった保護政策をとっています。また近代化や都市化が進みつつあるため、新たな職業への進出等で地域の伝統的な分業関係が崩れ、カースト制度はゆるやかに解体の方向に進みつつあるといってもいいでしょう。しかし村落社会を中心に依然として根強い影響を持っています。   

インドの大家族制

インドでは、伝統的にジョイント・ファミリーと呼ばれる一族郎党が一ヶ所に集まって暮らす大家族システムが一般的でした。これは、大量の労働力を確保する必要がある農村地帯でとくに発達したスタイルです。現在都市部では核家族も増えてきてはいますが、依然としてジョイント・ファミリーは一般的なインド人の理想とする暮らし方であるということは間違いないでしょう。今でも農村部では、100人以上の家族を抱えるジョイント・ファミリーも存在します。 大家族制度の影響を示すひとつの例として、親族の名称の複雑さが挙げられます。インドでは、父方の祖父(ダーダー)、父方の祖母(ダーディー)、母方の祖父(ナーナー)、母方の祖母(ナーニー)それぞれに名称があります(カッコ内はヒンディ語での呼称)。このように、父母どちらの血統かで呼び名が異なっており、おじやおばに当たる呼称も10種類に分類されるそうです。

続く
メンテ
大和魂 66 ( No.68 )
日時: 2010/10/20 14:40
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:O0eqDvis

IT産業の発展と「〇」の概念を生み出した国。

インドではヒンドゥー教をベースに頭脳労働が尊いとされており、初等教育よりも高等教育に重点がおかれていることも特徴です。

インド工科大学(IIT、Indian Institute of Technology)やインド科学大学院大学(IISc、Indian Institute of Science)など、世界のトップクラスの大学や大学院があります。IITなどは、ここに落ちた学生で、米国のマサチューセッツ工科大学に入るとまで言われているほどです。
もともとインドの数学の発達は早く

特に、インドの数学は古代ギリシャの数学の影響を多大に受け、古代インドで発展した数学は8世紀ころにはイスラム世界に伝わりアラビア数学に影響を与えた歴史があります。
有名な「ゼロ」の概念も当時のインドで発見されています。

「ゼロ」の発見の意味

ゼロの数字「0」は、インドで生まれたといわれています。インドでは夜空に輝く星は、地球から眺めると点や小さな円に見えることから、それを「・」や「○」で表していました。これを無を意味する概念、「シーニャ」と呼びました。

ゼロという数字は、まず、「何もない」ということを示すためにある、といえます。私たちは、モノの数を数えるときに数字という概念を使い始めましたが、何個あるかということの他に、「何もない」ということを表現しなければならなくなったのです。

私たちは普段、十進法の数字を使います。これは、数が十個目になったら、次のケタにあがるというものです。

 1 2 3 4 5 6 7 8 9

 その次は、十個のかたまりが1つという意味で、十の位が「1」になります。つまり、こうです。

 1

 わかりましたか?これが十を表したつもりです。一の位は何もないので、何もかかなかったのですが...この表現方法では、とても分かりにくいので、ゼロが必要になったのです。つまり「ケタ」を表す必要があったのです。当然、正しくはこうなります。

 10

 日本や中国では、漢数字で数を表すことができます。一、十、百、千、万、億...ですから、言葉にするときも、ゼロを意識せず言うことができます。

 「三百五」

 しかし、ときどき聞き間違えることがあるので、丁寧にいうときは、

 「三百とんで五」

 と言うこともあります。この「とんで」がゼロを意味しているのです。
 ゼロの存在に慣れてしまった今では、ありがたみが薄いかもしれませんが、ゼロの発見はとても偉大です。何もないことを最初に表現しようと考え付いたのは一体誰なのでしょうか?まさに暗号を解くような発想です。


インドではもともと、哲学と宗教の境目がなく、哲学者といわれる人が衆人の前で白熱した持論を戦わせる、それが時には数日に及ぶようなことがあったそうである。

見方を変えれば哲学が大衆の中に溶け込んでいると言えるでしょう。これはヒンズー教が一神教ではなく、また先に言いましたようにインドの宗教は日本で言う仏教よりも神道信仰に近いものであり、現世のあり方と結びついていることと無縁ではないと思います。

そう言う観念力が発達した社会がカースト制度を受け入れていることも、西欧の合理的精神から見れば不思議なことです。

メンテ
大和魂 67 ( No.69 )
日時: 2010/10/20 14:45
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:O0eqDvis

最後にリグ・ベーダの一章を紹介してインドへの旅を終えようと思います。
私の好きなこの詩は、現代インドの人々の底流に今も生きているのではないでしょうか。
不思議の国、インドであります。

「リグ・ベーダ」

そのとき、無もなく、有もなかった、
空界もなく、その上の天もなかった。
世界を庇護したのはだれか、それを包んだのはだれか。
あの底知れぬ深遠はどこにあったのか、あの海はどこに。

そのとき、死もなく、不死もなく、
夜と昼とがさだかでなかった。
かの唯一者は、息なく呼吸し、
そのほかには何ものも存在しなかった。

全世界は暗黒におおわれ、
光なく、夜の中に消える大洋であった。
そのとき、おおいの中に隠れていたもの、
かの(唯一者)が灼熱の力によって生まれた。

これから出て、はじめに現れたのが、
知の種子なる意欲であった。
有の根底を無のなかに見いだしたのは、
心の動きにしたがい、探し求めた聖賢たちであった。

彼らが測素を横にずっと張ったとき、
何がその下にあって、何がその上にあったのか。
種子をもつものが存在し、活動する力が存在した。
自存力が下に、あふれそうな力が上に。

だが、だれがうまく尋ね当てたのか。
創造がどこから生じたかを、だれか認めたものがいたのか。
神々も、この創造よりのちに生まれ出た。
では、創造がどこから生じたかを、だれが宣言するのか。

創造を生み出したもの、
彼はいと高き天の光でそれを総覧し、
彼はそれをつくりなし、あるいはつくりなさず。
彼はそれを知り、あるいはまたそれを知らないか。
メンテ
大和魂 68 ( No.70 )
日時: 2010/10/23 15:41
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:YwJjsl9g

さてイスラムの社会です。
ここはメソポタミア文明発祥の地で、これまでの中国、インドに比べて入り乱れた民族間の抗争の地です。
何を持って古代イスラムとすればよいのでしょう。
とりあえずは、メソポタミア文明というものに近づいてみましょう。

http://www.geocities.jp/timeway/kougi-1.html
上記は金岡新氏が高校生の授業のために書かれた「世界史講義録」です、紹介する以外に実に広範な内容を書かれています。
しばらくは、この文章によって話を進めます。
最初に、論旨には直接関係はありませんが「人類の誕生」と言う内容について書かれていることを紹介します。
以前に「人間の歴史」(イリン著)と言う書物を読みました。其処では原始人たちが、火や道具を用いるようになったきっかけ等が書かれていました。
そういう時代から人間が社会を構成するようになるまでの経緯を述べたものです。
その要約とも言うべき氏の文章を紹介します。

「人類の誕生」

進化論
 歴史が始まるには、人類が誕生しなければなりません。どのように人類が誕生したか。今でこそ進化ということは常識になっているけれど、この考えが発表された当時は大きな抵抗がありました。
 進化論で有名な学者、知っていますか。そう、ダーウィンですね。イギリス海軍の測量船「ビーグル号」に博物学者として乗り込み、南半球の各地を調査した。各地の動植物を観察するなかで進化論を確立します。
有名なのがガラパゴス諸島。小さな島がたくさん集まっていて、ここにしかいないという動物がたくさんいるんですが、ダーウィンが観察してると、あることに気づく。ちょっと隣の島に行くと、同じ種類の鳥でもくちばしの形が少しづつ違う。ガラパゴスゾウガメというカメがいるのですが、これも隣の島に行くと甲羅の形が違っている。こういう体験と自然淘汰という考えを結びつけて、『種の起源』という本を出版したのが1859年でした。進化論をとなえたのはダーウィンがはじめてではないのですが、この本が一大センセーションを巻き起こしたんですね。

 何が問題だったかというと、ダーウィンはイギリス人ですね。イギリス人を含めてヨーロッパ人はみんなキリスト教を信じている。

続く
メンテ

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