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[814] 大和魂(日本の心のルーツを探る)
日時: 2017/06/26 13:15
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:ZChukVGk

(プロローグ)

人類が霊長類と分類されて他の動物よりも繁栄してきたのは、その頭脳的能力が発達、進化してきたからであります。
始原における人類は、その頭脳的能力で道具を使うことを覚え、そのうちに火を自在に使えるようになりました。

これは生きる(食べる)事において画期的な進化でありました。
一方で人々は集団で生活して行くことの重要性に目覚め次第に大きな集落を形成し分業をするようになってきた。
集団で生活し始めると、自分達の生活を脅かす自然の力に対する畏怖の心も結集することになり自然崇拝、呪術などが起きることになりました。
このころになると、集団には統治の機能が求められ次第に原始国家に近い概念が生まれてきました。

人間の頭脳的能力が生きるための対自然から、統治という人間自身の問題まで対象にし始めたと言うことです。
集団の英知(頭脳的能力の総体)を集めることに成功した人類は、農業、漁業、工業の分野を確立し安定した社会を構成することが出来ました。
このころになると、宗教と言うものが次第に鮮明な形を帯びてきて、人々の精神的ケアをするとともに、宗教を通じて集団の結束を図るようになってきました。
同時に統治者は独裁の傾向が強くなり王国を形成するようになります。
自然を相手に生産活動に殉じてきた人間でしたが、集団の力が強化されるとともに、他の集団を略奪することにより、成果がもたらされることに気がつき以来、血で血を洗う抗争が続いてきました。

さて、3000年も4000年も遡りますが、一応は自然を相手の格闘に一段落した人間は、その精神的な余裕の分だけ、その頭脳的能力を内面に向けるようになりました。
それが宗教であり、哲学の世界です。

文字として残る最古の哲学は、2000年くらい前のギリシャ哲学でありますが、その内容は主に統治の問題に絡んで話されています。
最初の哲学が、ようやく手に入れた人間社会の安定のために、人間は如何にあるべきかが最大テーマであったという事でしょう。
中国における儒教というものもこの範疇に入ると思います。

時を同じくして、キリスト教、イスラム教、仏教が興っています。現在まで続いているこれの宗教は、哲学とは別の方向から人間の内面性を説こうとしたものであり、それまでの宗教が民族単位に近かったものから人類共通の普遍性を主張しているのが特徴です。
西欧の歴史は、一時、キリスト教の精神で色濃く塗られていましたが、キリスト教的教義への反動として、500年くらい前にルネッサンス(文芸復興)と言う考え方が広まりました。
直接はキリスト教支配の前の人間精神への回帰ですが、実際は新たな人間性の認識へ移りました。
其処では、人間自身を自然とも切り離し、神とも切り離して如何に生きられるかについての思索がなされました。

それは300年後に資本主義、民主主義という鮮明な形で認識されるに至っています。
その途中、西欧哲学はスピノザに始まりホッブス、デカルト、カントへ至る人間自身の認識論(観念論)からヘーゲルの純粋論理的認識論(弁証法)へ進むなど、自然の理を超越しようとした試みが中心でありました。
それを人類の進化、発展と見れば、そのまま肯定もできるでしょう。
確かに、論理的に西欧哲学的思考で割り切ることにより、現代社会の繁栄があるのです。
さて、現代社会において我々が直面している困難は、深いところで人間性の問題につながっています。

資本主義、民主主義のシステムは、物資と情報、享楽と言う意味で人類に飛躍的な果実をもたらしました。
自然とともに生きなければならないと言う束縛から人類を解放したと言えます。
そうして、現代社会が直面している困難と言うのは、その昔、人類が経験していた自然の恐怖とは質が異なる困難であります。
ここに現代の困難は文明史的な次元の課題であると思います。
ここ4000年の間に営まれてきた宗教、哲学の概念の延長上で、どのように捉えられるか、更なる進化と言う観点から捉えるのか、人間性というものを自然との関わりで見直すことが正解であるのかが問われています。
これに対して、直線的に斯くあるべしと言うよりも、この観点から日本の歴史を振り返ってみたいと思います。

具体的には、弟3期西欧文明(資本主義・民主主義)が今日ある状況以外に人類は選択の余地がなかったのか、その過程において切り捨ててしまったものの中に人類が必要としていたものはなかったのかについて検証することから始めようと思います。
タイトルの「大和魂」とは、西欧文明以前の日本の精神文化を総称したものであります。
途方もなく長ったらしい話になりますが、ボチボチと御付き合い願いますよう御願いします。
説明のために掲げています長文は適当に読み飛ばしていただければ幸甚に思います。



(追申です 2017年6月24日)

このスレッドも、旧掲示板で書き始めてから言いますと10年近くたっています。
「大和魂」という標題のため、読んでくださる方は、常に「大和魂」の概念を探ろうとされているようです。
しかしながら、このタイトルは、このスレッド全体を通して感受されるべきものとして書いていますので、「大和魂」とは何かという設問には答えが見いだせなく戸惑いながら、結局は何が言いたいのか解らずしまいの様でしょう。
タイトルのつけ方が適正ではなかったかもしれません。
そこで、この時点(No188のレス)で私自身、ようやくたどり着いた「大和魂」の概念について次の様に説明して置きたいと思います。

<大和魂とは>

西欧民主主義が入ってくる前
江戸時代の朱子学に毒されるまえ
特に武士道などは、もってのほか。

それを取ったとき、
日本人はどのような生き方をしていたか。
それを探りたいのであり、言葉では、簡単には現せなく体感してほしいと思っております。

また「魂」という言葉を使っていますのは、物事に挑戦する意欲を表現しています。
これも具体的には言えませんが、山田長政の話やら、あまり良いことはしてないようですが倭寇など海外へ積極的に進出する、その気概。
日本人にも、そんな積極性があったことを頼もしく感じています。
そして、それは日本独自の文化、芸術を生み育てる力にもなっています。

その様なものを一括して「大和魂」と言っています。
そうして、そういうものを、この文章から感じ取っていただけることが出来たら幸いと思って書いています。
ですが、将来の日本人に「大和魂」だけを押し付けるつもりで言っているのではありません。
日本人には「大和魂」があることを忘れず、社会を生きてほしいと願うのです。

※ 体感してほしいと言っていますように、この文章の各所に伝説、神話、他の国の事情などを説明している箇所が随分とあります。退屈かもしれませんが、それを読まれることによって、それが書かれた時代、場所の様子を感じ取っていただきたいのです。
特に前半の部分は、日本民族と他国の民族性の違いを感じ取るために、長ったらしく資料を集めました。

(目  次)
No 0      プロローグ・目次
(前 章)
NO 1〜7    「大和」とは
(民話・伝説)
No 8〜16    日本の神話・伝説
NO 17〜20  中国の神話・伝説
NO 21〜37    世界のドラゴン伝説
No 38〜42    中国の民話
NO 43〜47    世界の七夕伝説
NO 48〜50    中国の民話・伝説
NO 51〜67    インドの民話・伝説
No 67〜93    イスラムの民話・伝説
No 94〜124   アングロサクソンの民話・伝説
(日本の歴史検証)
No 125〜137   「和」の検証 
No 138〜151   神代の時代から古墳時代
N0        飛鳥・奈良時代(一時、サーバのトラブルがあり、この部分が消えています)
No        平安時代(一時、サーバのトラブルがあり、この部分が消えています)
※ 後日復旧する予定。
No 152〜169   鎌倉時代
NO 170〜     室町時代
NO        江戸時代(未稿)
No        明治時代(未稿)
No        現代(未稿)
NO        「大和魂」とは(未稿)
No        エピローグ(未稿)

※ 世界の民話・伝説に紙面を割いているのは、日本人と他民族の気質の違いを探るためです。
メンテ

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大和魂 50 ( No.52 )
日時: 2010/10/16 11:14
名前: 天橋立の愚痴人間

プラトンの考えによれば、すべての人間が平等ということはありえなかった。人間には能力や資質において歴然とした差がある。だから国家社会は、人間のこの差を前提にして運営されなければならない。思慮に欠けた人間たちは、統治に与らせるべきではなく、国を守るべきものは、それに相応しい勇気を持たねばならない。

プラトンがこのような考えを抱くに至った背景には、貴族の生まれであるという彼自身の出自と、当時のアテナイに行われていた民主政治への反発があった。彼の師匠ソクラテスを死に追いやったのは、ほかならぬアテナイの民主政治であった。民主政治は衆愚政治をもたらす。その結果高貴なものは排除されて、俗悪なものがはびこる。こうプラトンは考えたのである。

一方隣国のスパルタにおいては厳格な階級制度が敷かれていて、人びとは生まれと能力に応じて、統治するもの、戦うもの、統治されるものへと区分されていた。しかも統治階級や戦士階級の内部においては、原始共産制的な共同生活が徹底されていた。この新興の国家は、著しいエネルギーに満ち、あらゆる点でアテナイより優れているように見えたばかりか、ペロポネソス戦争以後のヘラスの世界において、覇者としての実力を蓄えつつあった。

プラトンはこのスパルタの国家のあり方に、強い感銘を受けたに違いない。彼の国家論はある意味で、スパルタのそれを理想化したものとも受け取れるのである。

プラトンは、理想国家の成員は三つの階級に区分されなければならないと主張する。統治者、戦士、普通の人である。そしてそれぞれが己に課せられた徳を実践することで、全体としての徳つまり公正が実現される。統治者の徳は智恵であり、戦死の徳は勇気であり、普通人の徳は節制である。これら各階級に固有の徳と国家全体としての徳との関係においては、国家の徳が優先される。国家が正しく運営されてはじめて、それに属する各個人の徳も正しいものになるのである。

このようにプラトンの国家論は、国家優位の考えに立ったものであり、そこには個人の意味は最低限においてしか認められない。諸個人の徳の総和が国家の徳を構成するという考えではなく、国家の徳が諸個人に反射的に及ぶのだという、全体主義的な色彩が強い考えに立っているのである。

中国にしろギリシャにしろ、現存する、その思想は国家のかたち、為政者の有り様を説くことが主体であり、其処からは民族の心の本音を探ることは難しくなっています。

孔子の論語も詰まるところは為政者から見た秩序を強調しています。
現代の我々から見ても、庶民の生活にとってなじみ深い忠孝の精神も、元はと言えば、君主が為政をなしやすいように考えて言われたものです。

最後の方は、中世にまで飛んでしまいましたが、長く続けてきた文章の中で、中国の民というものの認識にすこしでも役立てていただければ幸いです。

また、ここでは触れませんでしたが、宗教と言う側面からの検証も大切と思います。
宗教といえば大別して一神教と多神教の世界観がありますが、中国では、そのどちらも根付かなかったように思います。

これについては後ほど考えたいと思います。

中国への旅はこれで御終いとします。
メンテ
大和魂 51 ( No.53 )
日時: 2010/10/18 12:45
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:ijv0VBCI

さて、下記のサイトの助けをかりて古代インドへ向かいます。
http://www.h2.dion.ne.jp/~mogiseka/lecture/ancient_muslim_india.htm

インドはヨーロッパと同じくらいの面積があります。「ヨーロッパ人」が、たくさんの民族を含んでいるように、「インド人」も決して一つの民族ではありません。北インドに住むアーリヤ人は、ヨーロッパ系の民族で、南インドに住むドラヴィダ人とは、顔付きがまったく違います。19世紀にインドを植民地支配したイギリス人は、アーリヤ人の言葉とヨーロッパの言葉がよく似ていることから、ヨーロッパ人とアーリヤ人は同じ祖先を持つインド=ヨーロッパ語族だという仮説を立てました。そして、南ロシアからインドにやってきたアーリヤ人がインドに文明をもたらしたのだ、と考えました。

ですから、ハラッパーやモエンジョ=ダロでアーリヤ人の侵入以前のインダス文明の遺跡が見つかったとき、これがどの民族が残したものなのかが大問題になりました。ドラヴィダ人説が有力ですが、はっきりした証拠がありません。出土した印章(ハンコ)には文字が刻まれていますが、単語ばかりで文法がわからず、解読できないからです。最近発見されたドーラヴィーラ遺跡からは、都市の周囲を囲む巨大な貯水池と、インダス文字で書かれた都市の入り口の看板?が見つかっています。


インダス文明滅亡の原因はわかりません。おそらく、何か大きな気候変動によるもので、同じ原因でアーリヤ人の移動がはじまったと考えるべきしょう。カイバル峠からパンジャーブ地方(パキスタン北部)に入り、遊牧生活をしていたアーリヤ人の生活については、聖典『リグ=ヴェーダ』で知ることができます。ヴェーダとは神々への賛歌のことですね。彼らは自然を神々として崇拝し、ヴェーダを唱えて神々を祭る祭司階級をバラモン、この自然崇拝の多神教をバラモン教といいます。同じような多神教(オリンポス12神)を信仰したギリシア人が、専門の祭司階級を持たなかったのとは対照的です。インドの過酷な自然へのおそれが、自然をコントロールするバラモンの権威を高めたのでしょう。

バラモンの下には、貴族(クシャトリヤ)・平民(ヴァイシャ)・奴隷(シュードラ)がいました。先住民が奴隷とされたのはギリシア人と同じです。この四つの身分を種姓しゅせい(ヴァルナ)といい、のちに細分化されて、いまも残るインド独特の身分制度(ジャーティー、またはカースト制度)となりました。起源前1000年ころ、鉄器の伝来とともに、ガンジス川流域に入ったアーリヤ人は、森を切り開いて農業をはじめます。紀元前1000年っていうのは…

たとえばオリエントでは、ダヴィデ王・ソロモン王の時代、ギリシアではドーリア人が侵入した後の暗黒時代、中国では周が殷を滅ぼした頃のことです。超先進地帯のオリエントは別として、ギリシア・インド・中国の古代史は、ほぼ同時進行で展開していきます。まず、鉄器による開墾がすすみ、領土争いから都市国家の間の戦争となり、新しい思想が生まれてくるのです。中国の春秋戦国時代にあたるのが、インドの十六王国時代です。戦乱の日々が繰り返され、人々にとって恐ろしいのは自然ではなく人間となったのです。バラモンに代わってクシャトリヤ、ヴァイシャが台頭し、自然へのおそれに代わって、人間とは何か、人間としていかに生きるかが驍ラきしょう。カイバル峠からパンジャーブ地方(パキスタン北部)に入り、遊牧生活をしていたアーリヤ人の生活については、聖典『リグ=ヴェーダ』で知ることができます。ヴェーダとは神々への賛歌のことですね。彼らは自然を神々として崇拝し、ヴェーダを唱えて神々を祭る祭司階級をバラモン、この自然崇拝の多神教をバラモン教といいます。同じような多神教(オリンポス12神)を信仰したギリシア人が、専門の祭司階級を持たなかったのとは対照的です。インドの過酷な自然へのおそれが、自然をコントロールするバラモンの権威を高めたのでしょう。

バラモンの下には、貴族(クシャトリヤ)・平民(ヴァイシャ)・奴隷(シュードラ)がいました。先住民が奴隷とされたのはギリシア人と同じです。この四つの身分を種姓しゅせい(ヴァルナ)といい、のちに細分化されて、いまも残るインド独特の身分制度(ジャーティー、またはカースト制度)となりました。起源前1000年ころ、鉄器の伝来とともに、ガンジス川流域に入ったアーリヤ人は、森を切り開いて農業をはじめます。紀元前1000年っていうのは…

たとえばオリエントでは、ダヴィデ王・ソロモン王の時代、ギリシアではドーリア人が侵入した後の暗黒時代、中国では周が殷を滅ぼした頃のことです。超先進地帯のオリエントは別として、ギリシア・インド・中国の古代史は、ほぼ同時進行で展開していきます。まず、鉄器による開墾がすすみ、領土争いから都市国家の間の戦争となり、新しい思想が生まれてくるのです。中国の春秋戦国時代にあたるのが、インドの十六王国時代です。戦乱の日々が繰り返され、人々にとって恐ろしいのは自然ではなく人間となったのです。バラモンに代わってクシャトリヤ、ヴァイシャが台頭し、自然へのおそれに代わって、人間とは何か、人間としていかに生きるかが問われるようになりました。ちょうどギリシア哲学や中国の諸子百家が生まれた頃に、仏教などのインド哲学が生まれたのです。

仏教の源流となったのは、ウパニシャッド哲学です。バラモン教の聖典ヴェーダの理論書である『ウパニシャッド』はこう説きます。肉体は衰え、やがて土に戻るが、魂であるアートマン(我が)は不滅である。死とは魂が肉体を脱ぎ捨てることにすぎない。魂は再び肉体を得る。あなたは、生まれてくる前に別の人生を送っていたし、死んだ後にも別の人生がある。魂は、何百、何千と人生を繰り返し、そのたびに肉体という衣服を着たり脱いだりしているだけのことだ。永遠に生と死とを繰り返すことを輪廻転生りんねてんしょうといい、これでは魂の平安は得られない。輪廻の悪循環を断ち切って、宇宙の中心にある魂のふるさとであるブラフマン(梵ぼん)に回帰して、一切の苦しみから解放されること(解脱げだつ)を目指すべきである。ブラフマンとアートマンとは一体であること(梵我一如ぼんがいちじょ)を知れ、と。

続く
メンテ
大和魂 52 ( No.54 )
日時: 2010/10/18 12:47
名前: 天橋立の愚痴人間

インドの古代社会を訪れる前に、インドの宗教のことに触れておきましょう。

◎日本の仏教は、インドの仏教と、どうつながるんですか?

マウリヤ朝までの仏教を上座部じょうざぶ仏教と呼びます。ブッダのように家族を捨て、財産を捨て、名前を捨て、頭を丸めて寺に入り、ひたすら自己の解脱のために修行を続けるのです。このような修行者(出家者)は上座部と呼ばれて、社会生活を営む在家ざいけの信者とは区別され、尊敬されました。スリランカから、ビルマやタイに広まったのはこの上座部仏教です。タイの男性は今でも、一生に一度は頭を剃り、3か月くらい寺で修行する習慣があります。在家信者のまま救ってもらおうとする中国や日本の仏教(大乗仏教)とはまったく違います。

クシャーナ朝の時代、在家の信者も救済するという大乗だいじょう仏教が生まれます。万人救済の「大きな乗り物」という意味です。自分たちは日々の生活に追われ、家族を捨てることもできない。修行者にはなれないから、ブッダや、ブッダの弟子となった修行者たちを神(菩薩ぼさつ)として崇拝し、救済してもらおうというわけです。ナーガールジュナは『中論』を著し、大乗仏教を理論化しました。また、崇拝するには偶像が必要になるので、仏像(ブッダや菩薩の像)が作られるようになりました。クシャーナ朝の都プルシャプラがあるガンダーラ地方からは、おびただしい数の仏像が発掘されています。ガンダーラ美術と呼ばれるそれらの仏像は、同じ時代のローマ帝国でさかんに作られた神々の像とよく似ており、ともにヘレニズム文化の影響下にあったことがわかります。

この大乗仏教は,シルクロードを経て西域から中国へ伝わり、仏図澄ぶっとちょう・鳩摩羅什くまらじゅうが、五胡十六国時代の中国で布教します。ですから、中国・朝鮮・日本に伝わった仏教は、すべて大乗仏教です。なお、大乗仏教の側では上座部仏教のことを小乗仏教(小さな乗り物)と呼んでいます。ちょっとばかにした言い方ですね。使わないほうがいいでしょう。

続く
メンテ
大和魂 53 ( No.55 )
日時: 2010/10/18 12:49
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:ijv0VBCI

◎ヒンドゥー教って何ですか? 仏教とどう違うんですか?

仏教の考えでは、「この世」は幻のようなものです。死は避けられず、人間は滅びゆくものである。「この世」における財産や幸福に何の価値があろうか…。そんなものは捨て、「あの世」での解脱を求めるべきではないか、と。こういう悲観的な思想は、戦乱の世には流行します。しかし、社会が安定し、人々がそれぞれ人生の目標に向かってがんばれるような時代には、むしろ「この世」を積極的に肯定するような、楽観的な思想が求められます。「金儲けしたい」「いい学校に入りたい」「素敵な人と結婚したい」など、現世の欲望(現世利益げんせりやく)をかなえてくれる神さまを人々は求めるのです。学業成就や交通安全や縁結びのお札ふだを、あなたはどこでもらいますか? 仏教のお寺ですか? 神社ですよね?

そう、日本人は「あの世」のことは仏教に、「この世」のことは神社に、と使い分けていますね。日本の神社信仰(神道しんとう)は、このような現世利益の信仰で成り立っているのです。インドにも神社信仰にあたるものがあり、これをヒンドゥー教というのです。日本の神道、中国の道教と同じく、ヒンドゥー教は特定の開祖や教義をもちません。神さまは、古代バラモン教の神々とドラヴィダ人の神々をあわせて星の数ほどいますが、特にシヴァ神(破壊、嵐、舞踊の神)、ヴィシュヌ神(秩序、太陽の神)が人気者です。

ヒンドゥーの教えでは、欲望も権力も、現実に存在するものは肯定的に考えます。輪廻転生の思想もありますが、解脱を目指すより、よりよい来世(次の人生)を迎えることを願うのです。前世(前の人生)での自分の行い(業ごう、カルマ)が、現世の運命を定めたのであり、これを変えることはできない。だから、社会を変えるのではなく、与えられた運命を受け入れ、その中でベストをつくす。そうすれば来世でよりよい運命に転生できるであろう、と説くのです。実は、このような思想がインド独特の身分制度、カースト制度の容認につながったのです。

ヒンドゥーの聖典『マヌ法典』は、神々が人類の始祖マヌに与えた法という形で、身分ごとの職業・結婚・食事に関する細々した規定を定めています。この点で、現世否定の仏教やジャイナ教が、カースト制度をはっきり否定したのとは対照的ですね。

ヒンドゥー教が民衆の間に広まっていったグプタ朝の時代、仏教の僧侶たちは大学の中で、学問的研究に没頭し、民衆への布教を軽視しました。草の根の支持者を失った仏教は、国家の保護を失えば衰退する運命にありました。イラン系遊牧民エフタルの侵入によるグプタ朝の衰退、古代最後のヴァルダナ朝が短期間で崩壊したあと、インドはたくさんの地方政権に解体し、仏教を保護しようとする政府はなくなりました。こうして仏教寺院は荒れはてた遺跡となり、インドはヒンドゥー国家となっていったのです。

ついでに現在騒動が起きているチベット密教について触れましょう。
仏教の一派が、ヒンドゥー教の現世利益も取り入れて、勢力挽回をはかったのです。さまざまな祈祷(まじない)や秘密の儀式で現世の望みをかなえてくれます。唐代の中国で真言宗として確立し、空海(弘法大師)が日本に伝えました。○○大師というのは、真言宗(密教)の寺、という意味です。密教はチベット(吐蕃とばん)にも伝わり、チベットの民間宗教と融合して非常に発達しました。これがラマ教(チベット仏教)です。モンゴルのフビライ=ハンを夢中にさせたのがこれです。ラマ教の教主ダライ=ラマは、事実上チベットの支配者になります。

続く
メンテ
大和魂 54 ( No.56 )
日時: 2010/10/18 12:50
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:ijv0VBCI

11世紀初めには、イスラム系のガズナ朝のマフムードによって、はじめてインドはイスラム系勢力の侵入を受けることになります。ここにインド地方におけるイスラムとヒンズーの宿命的な対立が始まります。

イスラム教とヒンズー教の違い。

イスラムの教えでは、全知全能の唯一神が宇宙を作り、人間を作った。この恐るべき神は、いつか最後の審判を下し、全人類を裁き、歴史を終わらせる。絶対的な神の前では人間は小さな小さな存在であり、人間同士が差別しあうのはばかげている。神の前では人間は平等である、と説きます。

ところが、ヒンドゥーの教えでは、神々は自然の中に無数に存在し、人間に恩恵を与える。神々の姿が多様であるように、人間の姿も多様であり、身分の違いがあるのは当然である。人間は、生と死を永遠に繰り返す。よりよき来世のため、神々に祈れ、と説きます。

この対立が、現代のインドとパキスタンの対立、核実験やミサイル開発という形でかなりヤバイところまでいっているという現実につながるわけで、「仕方ない」では済まされません。

水と油みたいな2つの宗教が、仲良くやっていくことはできないのか? 実は、仲良くやっていた時代もあったのです。ムガル帝国3代皇帝アクバルの時代です。彼は、2つの宗教が共存できる国を目指しました。ヒンドゥーに対する異教徒税(ジズヤ)を廃止、自分もラージプート族の娘と結婚し、新しい都アグラにはヒンドゥー様式の宮殿を建てます。ヒンドゥー、イスラムの学者に、キリスト教の宣教師も加えて討論させたり、すべての宗教を統一する“神聖宗教”をつくろうとまで考えました。

インドには平和が訪れました。税金は十分に集まり、国の財政をうるおしました。皇帝シャー=ジャハーンが、亡き王妃のために作った白大理石の巨大な墓、タージ=マハルは、ムガル帝国の豊かさと、文化融和の象徴なのです。本来、イスラムには人間のためにあのような巨大建造物を作るという発想はありません。形はイスラムのモスク風ですが、考え方はヒンドゥーです。このように、いままで考えられなかったような、文化の融合が起こりました。言葉では、ヒンディー語(北インドの言葉)の文法にアラビア語・ペルシア語の単語を取り入れ、アラビア文字で表記するウルドゥー語が生まれました。現在も、パキスタンや北インドで使用されています。宗教ではイスラム教とヒンドゥー教が融合してシク教が生まれました。

ヒンドゥー教のヴィシュヌ神は、太陽のようにすべてを包み込む優しい神さまです。同時に、さまざまな姿に化身(けしん)する神でもあります。『マハーバーラタ』の英雄クリシュナや、『ラーマーヤナ』のラーマ王子は、ヴィシュヌの化身なのです。

このヴィシュヌ神=ラーマ・クリシュナ神に帰依することで救いを得ようとする一派が生まれました。さまざまな神が、実は一人の神である、という考えは、限りなく一神教に近くなります。神への帰依(きえ、バクティ)という考えも、神への服従(イスラム)という考えとほとんど同じです。ムガル帝国の初期、イスラム教徒の織工として生まれ、ヒンドゥーのヴィシュヌ派の教育を受けたカビールは「ヒンドゥーもイスラムも、同じ!」と説きました。続いて下級カースト出身のナーナクは、ヴィシュヌもアッラーも同じ唯一神の二つの姿である、と考え、唯一神への帰依、偶像の否定、カーストの否定を説くシク教の教祖となりました。

しかし、「正統的な」イスラム教徒、ヒンドゥー教徒から見れば、このようなごちゃまぜ宗教は「異端」とされ、迫害されます。シャー=ジャハーンの子、アウラングゼーブは、正統イスラム教徒でした。ムガル帝国の不幸はここから始まります。彼は、異端の父を幽閉し、ジズヤ復活を宣言し、これに従わないヒンドゥー教徒を武力討伐しはじめます。デカン高原のヒンドゥー教徒はマラータ同盟を結成して激しく抵抗し、インドは再び戦乱の中に沈んでいきます。混乱のインドを、イギリス人が征服するのはたやすいことでした。

ところで、宗教融和の考えは20世紀によみがえります。イギリスからのインド独立と、ヒンドゥー・イスラムの融和を説いたガンディーは、熱心なヴィシュヌ派の信者でした。彼は『マハーバーラタ』を終生手放さず、クリシュナ神が説く宗教融和の考えを、実行しようとしたのです。そういう意味で、彼はアクバル皇帝の後継者でした。宗教対立が激化する中で、インド・パキスタンが分離独立し、これに反対して融和を解くガンディーは、その翌年、「正統」ヒンドゥー教徒の凶弾に倒れます。


引用終わり。
メンテ
大和魂 55 ( No.57 )
日時: 2010/10/18 18:49
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:ijv0VBCI

しばらくは、インドの神話の世界です。

〜古代インド大叙事詩『ラーマーヤナ』より〜
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mizuta/mizutasekaisi/4rama.htm

ヒンドゥー教の聖典は?
 キリスト教は『聖書』、イスラム教は『コーラン』、ではヒンドゥー教の聖典は? 実はヒンドゥー教には聖典はありません。しかし、ヒンドゥー教徒には、聖典ともいえる心のよりどころになっている書物があります。それは、紀元前数世紀から語り継がれている『ラーマーヤナ』と『マハーバーラタ』という二つの大叙事詩なのです。

 『ラーマーヤナ』は、インドや東南アジアのヒンドゥー教徒の世界では、祭りなどの時に芝居・舞踊劇・紙芝居などで上演され続けています。また『ラーマーヤナ』は、二千数百年間、親から子さらに孫へと語り継がれてきました。字が読める読めないということと関係なく、すべてのヒンドゥー教徒の心の中で、今も『ラーマーヤナ』は生きているのです。

作者ヴァールミーキはインドのホメロス
 『ラーマーヤナ』は24000シュローカの大叙事詩です。シュローカというのは、二行を一つの対にした詩の単位でのことです。『ラーマーヤナ』は48000行の長大な詩なのです。

 この叙事詩はヴァールミーキという詩人の作とされています。ヴァールミーキはガンジス川流域のコーサラ国(紀元前6世紀頃)の人であったといわれています。インドのホメロス(古代ギリシアの大詩人)ともいえる人です。

『ラーマーヤナ』の舞台
 現在、北インドで多数を占めるアーリア人がインドに侵入したのは紀元前1500年頃です。その頃、古代インダス文明は衰退期に入っていました。アーリア人は、インダス文明の残滓から諸要素を吸収しつつ、のちのヒンドゥー教につながる宗教観・宇宙観を生みだしていきました。

 アーリア人がインド北部を東進して肥沃なガンジス川流域に入ったのは、紀元前1000年頃です。やがて、ガンジス川流域に16の王国が生まれます。その中にコーサラ国(紀元前6世紀頃)という王国がありました。これから紹介する大叙事詩『ラーマーヤナ』はこのコーサラ国の王子ラーマとその妃シーターを中心に展開される愛と冒険の物語です。北はコーサラ国から南はマイソールさらにスリランカまで、インド全体がその舞台となります。

主人公ラーマ
 ラーマはコーサラ国の都アヨーディヤーで、ダシャラタ王とその一番目の妃との間に生まれました。ダシャラタ王には三人の妃があり、二人目の妃との間に生まれたバラタ王子、さらに三人目の妃との間に双子の王子がおりました。長男ラーマはこの異母兄弟三人とともに育ちました。

 実は、この四人兄弟はヴィシュヌ神の生まれ変わりでした。ヴィシュヌ神は万物に化身して世界を救う神です。ラーマたちは、この世の災厄のもとになっている魔王ラーヴァナを退治するために、人間の姿をしてこの世にあらわれたヴィシュヌ神の化身だったのです。

ラーマ王子の妃シーター
 同じ時代、ガンジス川流域にミティラーという国がありました。ある時、その国の王が鋤(すき)で土を掘り起こしていると、土の中から幼女が現れました。王はこの幼女にシーターと名づけ、王女として育てたのです。シーターとは田の畝(うね)という意味です。

 王は神の大きな強い弓を引くことのできる者にシーターを嫁がせることにしました。美しいシーターを求めて多くの男たちがやってきましたが、だれもこの弓を引けるものは現れませんでした。そこへ、ラーマがやってきました。ラーマはその弓をやすやすと持ち上げ、弦をつけようと曲げはじめたとき、たちまち百雷のごときとどろきとともに弓は真二つに折れたのです。こうして、土から生まれたシーターはヴィシュヌ神の化身ラーマと結婚することになりました。その後12年の間、二人は幸せな日々を都で過ごしました。

続く
メンテ
大和魂 56 ( No.58 )
日時: 2010/10/18 18:55
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:ijv0VBCI

少しだけストーリーを追ってみて、その世界の様子を見たいと思います。

ラーマ、森へ追放される

 コーサラ国のダシャラタ王が引退して、ラーマが王位を継ごうとした時のことです。異母弟バラタの母が悪い侍女にそそのかされて陰謀をはたらきます。その陰謀のために、気の進まない弟バラタが王位につき、ラーマは14年間、森に追放されることになってしまいました。

 ラーマは一人で森に行こうとします。しかし、シーターは「森にお連れくださいませ。さもなくば毒を仰ぐか火に入るかでございます」と嘆願します。妃シーターのことばを聞いたラーマは、シーターを連れていく決心をしました。さらにラーマを慕っていた弟ラクシュマナ(双子の一人)も一緒に行くことを願います。ラーマはシーター、ラクシュマナとともに森の中へと入っていきます。森の生活は厳しいながらも、三人は力を合わせて生きていきます。

魔王ラーヴァナ

 ラーマは、魔王ラーヴァナを退治するためにこの世に現れたヴィシュヌ神の化身でした。魔王ラーヴァナは、ランカー島(今のスリランカ)にいました。魔王にはシュールパナカーという妹がいます。ある時、その妹がラーマたちのいる森に遊びに来ました。魔王の妹はラーマに恋をします。そして、ラーマを誘惑しようとするのですが、ふられてしまいます。魔王の妹は、開き直ってラーマの妃シーターに襲いかかるのですが、逆にラーマ兄弟に耳と鼻を切り落とされてしまうのです。この話を聞いた魔王ラーヴァナは、シーターを奪い取ることを決心します。魔王ラーヴァナは、魔法師を強引に説き伏せてシーター誘拐計画を実行するのです。

金色の鹿

 魔王に説き伏せられた魔法師は、金色の鹿に化けてシーターの前にあらわれます。シーターはこの金色の鹿に魅了されてしまいます。そして、ラーマにその鹿を捕らえて欲しいと強くねだるのです。ラーマはシーターのために逃げ去る金色の鹿を追いかけていきます。遠くまで追いかけた末、ついにラーマは金色の鹿を射止めました。すると、鹿は魔法師の本性を現しました。そして、ラーマの声を真似て「ああシーター!ああラクシュマナー!」と叫びながら死んでいきました。

 遠くから聞こえるその声を聞いたシーターは、弟ラクシュマナにラーマを助けに行って欲しいと懇願します。弟ラクシュマナは、シーターを守っておくようにというラーマの命令との間で激しく葛藤します。しかし、「ラーマをうしなうならば、私は火にも入り…、いかにしても命を絶つ。他の男に身をまかせることなどあろうか」というシーターことばにおされて、弟ラクシュマナはシーターをおいてラーマの方へ向かうのでした。
 魔王ラーヴァナは、計画通り、一人になったシーターを捕らえてランカー島に連れ去ってしまうのです。

猿の王スグリーヴァ

 ラーマ兄弟は、必死になってシーターを探します。その捜索中に、キシュキンダー(南インドのマイソール)の森で、シーター誘拐を目撃していた猿の王スグリーヴァとその重臣たちにであいます。猿たちは、シーターが残していった装身具と肩掛けを保管していました。
 この猿の王スグリーヴァは、猿の国の王位を兄に奪われていました。兄が戦いで死んだと誤解して王位についていたスグリーヴァのもとに、生きていた兄が遠征から帰ってきたのです。兄は弟から王位を取り返すだけでなく、弟の妻ターラーまで奪い取ったのでした。
 その話を聞いたラーマは、妃シーターを失っている自らの身の上から、強く猿の王スグリーヴァに同情します。そして、王位奪還の戦いを助ける約束をします。一方、スグリーヴァは、兄を倒して王位に復したのち、猿王国の軍団でシーターを探し出す約束をするのです。

猿の王位争い

 スグリーヴァは兄に戦いを挑みました。激しい一騎打ちの末、スグリーヴァが倒されかけた時、ラーマは影から弓を放って兄を倒します。スグリーヴァはラーマの助けにより勝ちました。敗れて死に瀕した兄は、ラーマの攻撃を「ルール違反の罪深い攻撃」であったと非難します。ラーマは、弟の妻ターラーを掠奪した兄の罪に対する処罰を与えたのだと言ってこれに答えました。

 兄は亡くなります。兄の妃になっていたターラーは、同じ弓で自分も殺して欲しいとラーマに懇願します。しかし、ラーマはターラーを殺しませんでした。そして、倒された兄は、一人で火葬されたのです。

続く
 
メンテ
大和魂 57 ( No.59 )
日時: 2010/10/18 18:57
名前: 天橋立の愚痴人間

快楽に耽る猿たち

 兄を倒したスグリーヴァは猿の王に復帰します。戴冠式が行われました。その後、宴会が延々と続き、王スグリーヴァ、再び妃となったターラーをはじめ、猿たちは快楽に耽る日々を過ごしてしまうのです。王スグリーヴァは、シーター捜索の約束をなかなか実行しません。

 その猿たちの都へ、ラーマの弟ラクシュマナがやってきます。ラクシュマナは快楽に耽る猿たちの様子を見て怒りに燃え上がるのです。怒るラクシュマナに対し、猿王の妃ターラーは答えます。「私はラーマがなにゆえに立腹しておられるのかということも、遅延の原因も知っております。私はまた、現在いかなることがなされるべきかも知っております。私は、肉の欲望の力にさえ無知ではありません。

…王は、色情におぼれながらつねに私のかたわらで過ごし、恥を知る心も忘れてしまいました。…しかし、王はすでに兵を召集するよう命をくだしております。…」さらに続くおだやかなターラーの思慮深いことばによって、ラーマの弟ラクシュマナは心をなごませるのでした。ターラーは、友情を大切にしなければならないことを忘れていませんでした。ターラーは、酒と快楽の中にありながらも自己を見失っていなかったのです。兄王の葬儀の時に、殉死するというターラーをラーマが殺さなかったからこそ、このようなターラーがあったのだと思います。

 そして、剛勇な猿たちが集結するのでした。

猿王の重臣ハヌマーンの大活躍

 猿王の重臣ハヌマーンはシーター捜索のため、集結した猿の軍勢をひきつれてランカー島に向かいました。そしてついにシーターを見つけだしました。シーターは魔王ラーヴァナのいうことをすべて拒否して、監禁されていたのです。

 ハヌマーンたちは満身創痍になって戦います。が、ハヌマーンは捕らえられてしまい、しっぽに油を注がれて火をつけられてしまいます。しかし、シーターの祈りが火の神アグニに通じます。ハヌマーンは火の熱さを感じませんでした。逆にその火でランカー島に火を放ち、島は火の海となるのです。ハヌマーンはシーターの所在を知らせにラーマの元へと帰るのです。
 知らせを聞いたラーマはランカー島へ行き、魔王ラーヴァナを壮絶な戦いの末に倒しました。

ラーマの疑いと怒り

 そして、ラーマはついにシーターと再会します。しかし、彼は
「余が戦争を完遂したのは、おんみのためではなかった。…いま余は、夷狄の家に長く滞留したことについて、おんみの徳性を疑うものである。余の前に立つおんみを、余は見るに耐えないのである。…いずこへと好むところへおもむくがよいであろう。」
とシーターの純潔を疑うとともに、シーターに怒りをぶつけるのです。
炎の中のシーター

 ラーマに疑われたシーターは、

「誓って申しますが、私は潔白であります。…ラーヴァナは私の意識がないとき、私の肢体に触れたかもしれませんが、それは私の罪でしょうか。…葬送の火を私のためにおつくり下さい。…この非難を受けては、生きる心はありません。…私は身を焔に投じます。」
と言います。ラーマの弟ラクシュマナは葬送の火を準備しました。シーターはラーマのまわりを一度あるき、火に近づき、火神アグニに呼びかけました。

「もし私のラーマへの愛がまったく純潔でありますならば、私をこの火焔より守らせたまえ」
 シーターは火を一巡し、その火に身を投じました。すると、その炎の中から火神アグニがシーターを膝に置いてあらわれました。シーターは真紅の衣裳をまとい黒髪をなびかせ、燦然とあらわれたのです。火はシーターを焼きませんでした。

 こうして、ラーマはシーターを再び迎えることになるのです。ラーマはシーターとともにコーサラ国の都アヨーディヤーに凱旋します。弟バラタは、父王ダシャラタの死後、ラーマのサンダルを玉座に置いて帰りを待っていました。ラーマは弟バラタの差し出すサンダルをはいて玉座にのぼりました。
 こうして壮大な『ラーマーヤナ』の物語は終わるのです。

メンテ
大和魂 58 ( No.60 )
日時: 2010/10/18 19:10
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:ijv0VBCI

如何でしょう。日本の神話に登場する神々たちも、親族間の争いを経て、建国の神が現れています。

中国には、このような神話はありません。これから訪れるイスラムの世界の成り立ちも、そんなに人間的なものではありません。
ただインドと日本の違いは、倒した政敵の扱いです。
日本では、怨霊伝説となって倒された神々にも思いを馳せております。


話は少し飛びますが、インドには“サティ(寡婦殉死)”と言う風習があります。

 ヒンドゥー教の世界では、夫に先立たれた妻が、夫の火葬の火で殉死する風習がありました。これをサティといいます。この風習の背景には、『ラーマーヤナ』の物語があると考えられます。しかし、サティを行う人間の女性はシーターのように炎の中からは現れません。インドでは、多くの女性がサティの犠牲になってきたのです。サティは1829年に禁止されました。しかし、その後もサティは散発的に行われてきています。

ループ・カンワルさんのサティ

 1987年1月17日、インド北西部のラジャスタン州デオララ村で、18才の娘ループ・カンワルさんは24才の医者をめざしていたマン・シンさんと結婚しました。しかし、夫マン・シンさんはその年の秋に亡くなってしまいました。葬儀はその日に行われました。若妻カンワルさんは赤い結婚式の衣裳に身を包みました。

村人が見守る中、遺体を焼くために積み上げられた薪の上に座ったのです。喪主である夫の弟が火をつけました。1987年9月4日、カンワルさんはそのまま焼死しました。カンワルさんは炎の中で笑みを浮かべていたと村人はいいます。

 カンワルさんは神になりました。その後、神になったカンワルさんを崇(あが)める盛大な儀式が行われました。人口1万人に満たない村に30万人以上の人々が集まったといいます。

カンワルさんは微笑んだか?
 この話を知ったとき、私はカンワルさんの炎の中での微笑みが信じられませんでした。彼女の微笑みは村人たちの幻想だったのではないでしょうか。私は、カンワルさんがシーターのように熱さを感じなかったとは考えられないのです。カンワルさんは生身の人間です。サティは、「死」への恐怖とともに、身体的に大きな痛みを伴う残虐な儀式なのです。

 カンワルさんは死後、神になったかも知れません。しかし、炎に包まれていた時は、神ではなく生身の人間だったはずです。

神々の過ち

 『ラーマーヤナ』のシーターのお話はとても純粋で美しい物語です。ただし、シーターは土から生まれた神さまであったことを忘れてはなりません。その純粋さ・美しさは神ゆえのものなのです。生身の人間に神さまの純粋さを求めてはいけないと思います。

 『ラーマーヤナ』をよく読んでみると、神々でさえいろいろな過ちを犯しています。シーターは金色の鹿に目を奪われてしまってラーマにしつこくねだりました。ラーマは猿の王位争いで、弓を影から放っています。ラーマがシーターを疑ったのも大きな過ちでした。人間の姿をしているというだけで、神々もいろいろな過ちを犯してしまうのです。

猿たちの過ち
 『ラーマーヤナ』では、猿たちもいろいろな過ちを犯しています。王位争いは誤解から始まっています。弟スグリーヴァの戴冠後、猿たちは快楽に耽る日々を過ごしました。そして、ラーマとの約束をなかなか果たしませんでした。ターラーは、兄王の死後に自分も殺して欲しいと言ったすぐ後から、弟王と快楽に耽る生活を送っていました。

しかし、ターラーは自らの過酷な運命に負けませんでした。怒るラーマの弟を冷静になぐさめ、猿たちに約束を果たさせたのです。その時のターラーの様子は次のようでした。

「艶冶(えんや)なターラーは、酔顔のまま、よろめく足どりに帯をならしながら、豊満な胸の重みから体をいささか前に傾けて、ラクシュマナ(ラーマの弟)に進みよった。…ターラーは酔いのゆえに羞恥を忘れ、…媚(こび)をたたえながら大胆に話しかけた。」

過酷な運命に翻弄され、酒と快楽の中にありました。しかし、ターラーは自己を見失うことなく、冷静に思慮深いことばを語りだしたのです。ターラーは友情の大切さを忘れませんでした。

シーターからターラーへ

 「猿の世界」と「ラーマたち神々の化身」の世界とは大きな違いがあります。それは、ラーマたちが、猿の世界にはない「完璧な純粋性」を求めていたということです。そこに『ラーマーヤナ』の美しさがあります。その神々しい美しさは炎の中のシーターに結晶します。シーターのような神々しい美しさを求める心は大切かも知れません。

ただ、神の求める「完璧な純粋性」を生身の人間に求めてはいけないのではないでしょうか。『ラーマーヤナ』は、神々でさえ人間の姿をしている時は、過ちを犯すものだと教えているではありませんか。


ラーマヤーナの項、終わり
メンテ
大和魂 59 ( No.61 )
日時: 2010/10/20 14:21
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:O0eqDvis

インドの伝説を一つ紹介します。
http://chaichai.campur.com/indozatugaku/ganesha.html

「ゾウの神様ガネーシャ伝説」

インドでもっとも人気のある神様ガネーシャ。その強烈なキャラクターは数ある神々のなかでも異彩を放っており、一度見た人は決して忘れることは出来ないだろう。



ガネーシャの特徴はその顔にある。写真を見ていただけば分かるように、見事なゾウ顔なのだ。ユーモラスな顔という人もあるが、目付きは結構怪しい。

それは例えるなら、マリファナのやりすぎみたいな恍惚の表情のようでもあるし、またじっさいのゾウにも似ていなくもない。見れば見るほど不思議な気分になる神様でもある。

ところで、ガネーシャの足元にはいつもネズミの姿がある。じつはこのネズミ、ガネーシャの乗り物である。じっさいに乗っている絵はまだ見たことがない。

また、ガネーシャの牙の片方は必ず折れていなければならない。伝説によると。…とある月夜の晩にふらふらとガネーシャが出歩いているとき、目の前を横切った蛇にネズミが驚き、主人のガネーシャを振り落としてしまった。牙はその衝撃でポキリと折れてしまった。ガネーシャは怒って、蛇を捕まえ、腰に巻きつけてしまったのだとか…。また、その場面を見ていた月が大笑いしたため、ガネーシャはまたもや癇癪をおこして折れた牙を投げつけてしまった。それで結局、折れた牙は今も行方不明のままだ。まったく神様らしくない話だが、ガネーシャ誕生譚はさらに奇想天外なものだ。


元祖ガネーシャ?

ことの始まりはシヴァ神(破壊の神)の妻パールヴァティーが自分の垢で人形を作ったことにあった。多分、これも気まぐれに違いないが、すっかり気に入った彼女はその人形に魂を吹き込み息子にしてしまった。そしてまず、この息子に自分が入浴中の門番の役割をいいつけた。

そんなこととは知らずにこの家に戻ってきたのが夫のシヴァだった。でも、シヴァとこの息子は初対面、お互い「入れろ入れない」の押し問答になってしまった。すっかり激昂したシヴァはこの息子を殺そうとしたがなかなか歯が立たない(史上最強の神様のはずなのに…?)。そこでビシュヌの助けも借り、ようやくこの息子の首を切り落とすことに成功した。

しかし、問題はパールヴァティーである。まさか自分の夫が息子を殺してしまうなどと想像もしていなかったから、この事態に激しく動揺し、嘆き悲しんだ。シヴァはもともと同情心の強い神様だから何とかしなければ、という訳で、とにかく家来の悪鬼たちに「すぐに何でもいいから首を用意してこい」と命令した。そこで悪鬼たちが慌てて出発し、ようやく見つけたのがゾウだった。ゾウは哀れにも首を切り落とされ、その首を死んだ息子の胴体につけて生き返らせた。こうして生まれたのがガネーシャである。

ガネーシャの一般的な説明を読むと、「富をもたらす現世利益のおだやかな神様」といった説明がよくあるが、そんなつまらない神様はインドには存在しない(存在できない)。ガネーシャもまた、かなり癖のある神様である。ずるがしこいし癇癪持ちだし何より嫉妬深い。信者たちは、その嫉妬を恐れて、寺院に行くとまずガネーシャの祠へ行ってお祈りをする。まあ、かなり我がままな神様だと思って間違いない。

ところで、毎年夏、8月から9月の10日間、ガネーシャの誕生を祝う祭りが西インドを中心に行われる。粘土で作られたガネーシャの巨大な像が街を練り歩き、最後は川や海に流される。とくに有名なのはムンバイとプネ、いつかは行きたい祭りの一つだ。

−−−−−−−−−−−−−
ガネーシャは日本にもやってきている。おそらく平安時代、空海あたりによって連れてこられ、長いあいだ門外不出であったのが、中世あたりに一般に出回った。いわゆる「聖天さん」がそうだ。正式名称は「大聖歓喜天」である。ゾウ頭の男女が抱き合うような怪しい格好をとる姿で知られている。あまりに怪しかったためか、お稲荷さんや弁天さんのようにはメジャーにはならなかったが、その分、謎めいている。


如何でしょうか。
日本の穏やかな話と違い、逞しい創造性が見られるでしょう。
これがインドの特徴で、全体の流れよりも個人の恣意が尊重されます。
メンテ

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