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[814] 大和魂(日本の心のルーツを探る)
日時: 2018/05/23 11:57
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:XPKXw99A

「大和魂」と言う言葉を使うと嫌悪感に満ちてこれを否定する人たちが多い。
まるで街宣右翼と同類に扱われる。

しかしながら先の大戦において、国を守る為に散って行った200万近い兵士の事は、どのように思われるのか。

全てが全てでないとしても「大和魂」を信じて突進し倒れた兵士の事は考えられないのか。
その「大和魂」が軍部によって利用されていたとしても当事者の兵士の責任ではない。

ここで「大和魂」をミソクソに言う事は彼らの死を馬鹿にする事になる。
調子者が騙されて死んだと言えますか。

彼等の為にも「大和魂」は正当に評価することが大事と思います。
彼等は、まさしく彼等なりの「大和魂」を持って、国を守る為に死んで行ったのです。


(プロローグ)

人類が霊長類と分類されて他の動物よりも繁栄してきたのは、その頭脳的能力が発達、進化してきたからであります。
始原における人類は、その頭脳的能力で道具を使うことを覚え、そのうちに火を自在に使えるようになりました。

これは生きる(食べる)事において画期的な進化でありました。
一方で人々は集団で生活して行くことの重要性に目覚め次第に大きな集落を形成し分業をするようになってきた。
集団で生活し始めると、自分達の生活を脅かす自然の力に対する畏怖の心も結集することになり自然崇拝、呪術などが起きることになりました。
このころになると、集団には統治の機能が求められ次第に原始国家に近い概念が生まれてきました。

人間の頭脳的能力が生きるための対自然から、統治という人間自身の問題まで対象にし始めたと言うことです。
集団の英知(頭脳的能力の総体)を集めることに成功した人類は、農業、漁業、工業の分野を確立し安定した社会を構成することが出来ました。
このころになると、宗教と言うものが次第に鮮明な形を帯びてきて、人々の精神的ケアをするとともに、宗教を通じて集団の結束を図るようになってきました。
同時に統治者は独裁の傾向が強くなり王国を形成するようになります。
自然を相手に生産活動に殉じてきた人間でしたが、集団の力が強化されるとともに、他の集団を略奪することにより、成果がもたらされることに気がつき以来、血で血を洗う抗争が続いてきました。

さて、3000年も4000年も遡りますが、一応は自然を相手の格闘に一段落した人間は、その精神的な余裕の分だけ、その頭脳的能力を内面に向けるようになりました。
それが宗教であり、哲学の世界です。

文字として残る最古の哲学は、2000年くらい前のギリシャ哲学でありますが、その内容は主に統治の問題に絡んで話されています。
最初の哲学が、ようやく手に入れた人間社会の安定のために、人間は如何にあるべきかが最大テーマであったという事でしょう。
中国における儒教というものもこの範疇に入ると思います。

時を同じくして、キリスト教、イスラム教、仏教が興っています。現在まで続いているこれの宗教は、哲学とは別の方向から人間の内面性を説こうとしたものであり、それまでの宗教が民族単位に近かったものから人類共通の普遍性を主張しているのが特徴です。
西欧の歴史は、一時、キリスト教の精神で色濃く塗られていましたが、キリスト教的教義への反動として、500年くらい前にルネッサンス(文芸復興)と言う考え方が広まりました。
直接はキリスト教支配の前の人間精神への回帰ですが、実際は新たな人間性の認識へ移りました。
其処では、人間自身を自然とも切り離し、神とも切り離して如何に生きられるかについての思索がなされました。

それは300年後に資本主義、民主主義という鮮明な形で認識されるに至っています。
その途中、西欧哲学はスピノザに始まりホッブス、デカルト、カントへ至る人間自身の認識論(観念論)からヘーゲルの純粋論理的認識論(弁証法)へ進むなど、自然の理を超越しようとした試みが中心でありました。
それを人類の進化、発展と見れば、そのまま肯定もできるでしょう。
確かに、論理的に西欧哲学的思考で割り切ることにより、現代社会の繁栄があるのです。
さて、現代社会において我々が直面している困難は、深いところで人間性の問題につながっています。

資本主義、民主主義のシステムは、物資と情報、享楽と言う意味で人類に飛躍的な果実をもたらしました。
自然とともに生きなければならないと言う束縛から人類を解放したと言えます。
そうして、現代社会が直面している困難と言うのは、その昔、人類が経験していた自然の恐怖とは質が異なる困難であります。
ここに現代の困難は文明史的な次元の課題であると思います。
ここ4000年の間に営まれてきた宗教、哲学の概念の延長上で、どのように捉えられるか、更なる進化と言う観点から捉えるのか、人間性というものを自然との関わりで見直すことが正解であるのかが問われています。
これに対して、直線的に斯くあるべしと言うよりも、この観点から日本の歴史を振り返ってみたいと思います。

具体的には、弟3期西欧文明(資本主義・民主主義)が今日ある状況以外に人類は選択の余地がなかったのか、その過程において切り捨ててしまったものの中に人類が必要としていたものはなかったのかについて検証することから始めようと思います。
タイトルの「大和魂」とは、西欧文明以前の日本の精神文化を総称したものであります。
途方もなく長ったらしい話になりますが、ボチボチと御付き合い願いますよう御願いします。
説明のために掲げています長文は適当に読み飛ばしていただければ幸甚に思います。


(追申です 2017年6月24日)

このスレッドも、旧掲示板で書き始めてから言いますと10年近くたっています。
「大和魂」という標題のため、読んでくださる方は、常に「大和魂」の概念を探ろうとされているようです。
しかしながら、このタイトルは、このスレッド全体を通して感受されるべきものとして書いていますので、「大和魂」とは何かという設問には答えが見いだせなく戸惑いながら、結局は何が言いたいのか解らずしまいの様でしょう。
タイトルのつけ方が適正ではなかったかもしれません。
そこで、この時点(No188のレス)で私自身、ようやくたどり着いた「大和魂」の概念について次の様に説明して置きたいと思います。

<大和魂とは>

西欧民主主義が入ってくる前
江戸時代の朱子学に毒されるまえ
特に武士道などは、もってのほか。

それを取ったとき、
日本人はどのような生き方をしていたか。
それを探りたいのであり、言葉では、簡単には現せなく体感してほしいと思っております。

また「魂」という言葉を使っていますのは、物事に挑戦する意欲を表現しています。
これも具体的には言えませんが、山田長政の話やら、あまり良いことはしてないようですが倭寇など海外へ積極的に進出する、その気概。
日本人にも、そんな積極性があったことを頼もしく感じています。
そして、それは日本独自の文化、芸術を生み育てる力にもなっています。

その様なものを一括して「大和魂」と言っています。
そうして、そういうものを、この文章から感じ取っていただけることが出来たら幸いと思って書いています。
ですが、将来の日本人に「大和魂」だけを押し付けるつもりで言っているのではありません。
日本人には「大和魂」があることを忘れず、社会を生きてほしいと願うのです。

※ 体感してほしいと言っていますように、この文章の各所に伝説、神話、他の国の事情などを説明している箇所が随分とあります。退屈かもしれませんが、それを読まれることによって、それが書かれた時代、場所の様子を感じ取っていただきたいのです。
特に前半の部分は、日本民族と他国の民族性の違いを感じ取るために、長ったらしく資料を集めました。

(目  次)
No 0      プロローグ・目次
(前 章)
NO 1〜7    「大和」とは
(民話・伝説)
No 8〜16    日本の神話・伝説
NO 17〜20  中国の神話・伝説
NO 21〜37    世界のドラゴン伝説
No 38〜42    中国の民話
NO 43〜47    世界の七夕伝説
NO 48〜50    中国の民話・伝説
NO 51〜67    インドの民話・伝説
No 67〜93    イスラムの民話・伝説
No 94〜124   アングロサクソンの民話・伝説
(日本の歴史検証)
No 125〜137   「和」の検証 
No 138〜151   神代の時代から古墳時代
N0        飛鳥・奈良時代(一時、サーバのトラブルがあり、この部分が消えています)
No        平安時代(一時、サーバのトラブルがあり、この部分が消えています)
※ 後日復旧する予定。
No 152〜169   鎌倉時代
NO 170〜     室町時代
NO        江戸時代(未稿)
No        明治時代(未稿)
No        現代(未稿)
NO        「大和魂」とは(未稿)
No        エピローグ(未稿)

※ 世界の民話・伝説に紙面を割いているのは、日本人と他民族の気質の違いを探るためです。
メンテ

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大和魂 35 ( No.37 )
日時: 2010/10/15 11:45
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:AOs0erLs

第四章 結論

 世界各地至るところで「龍」に関する神話や伝説、物語などが数多く存在する。ドラゴン、ナーガ、龍、三者それぞれが起源を持ち、各地で似たような形態を有する動物が想像された。ナーガおよびエジプトの蛇信仰はコブラが神格化した姿であり、ドラゴン、龍の起源が蛇やワニを始めとする爬虫類のものであれ、河や雷の自然現象であれ、すべてに共通することは、崇拝されるに至った理由はそのものに対する恐怖と畏怖が背景に存在していることである。

また強大な力を持つ動物であることも共通点であると言える。そのため、龍を退治することで西洋の神々・英雄は自らの力を示すことに利用し、中国においては皇帝を守護する者として、その存在を認められた。退治される対象であっても嵐や稲妻とともに洪水をひきおこす原因として、神獣であっても雨をもたらすものとして、水をシンボルする動物であり、水・雨と関連して考えられている。

第三章で前述した通り、人類文明の繁栄において河は重要な役割を担い、文明の栄えた地には必要不可欠なものとして大河が流れている。四大文明と定義されるメソポタミア文明にはティグリス、ユーフラテス河が、エジプト文明にはナイル川が、インダス文明、黄河文明にもそれぞれ、その文明の名を持つ大河が横たわる。

 では、なぜドラゴンは邪悪と悪魔視され、龍は神獣として、全く異なった信仰が行われるに至ったのだろう。それは西洋世界を中心とする人々と古代中国人との自然に対する考えの違いが原因である。退治されるドラゴンはすなわち、人間が自然をも支配しようとした考えの表われであり、河を象徴するドラゴンは敵対者とみなされた。

中国においても河の氾濫をひきおこす龍は恐れられてはいたが、その恐怖は畏敬の対象となり神として崇められたのである。古代中国人は、人間をはるかに超越した力を有する自然を征服しようとはせず、自然の法則に従い、自然とともに共存し生を営んできた。『老子』においては「自然の存在を総体的にとらえて、いわば自然の意味とか精神と言ってもよいような一種の自然界の理法を尊重している」、「中国では、天は自然であると共に主宰者でもあって、そういうものとしてまた人と密接に関係しているという形で、長い歴史をつらぬいてきた」、このような思想を生み出してきた中国では自然を象徴する龍が敵対者とみなされることはなかったのである。

 またドラゴンと龍の捉えられ方が異なるに至った理由には、古代においては生活そのものであった、それぞれの土地で行われてきた農業の状況が大きく関わっている。「東洋の灌漑水に依存する稲作・漁撈地帯では、ドラゴンは神であり、そこでは人々は自然を畏敬し、異なるものと共生融合し、あらゆるものは再生と循環をくりかえすと考えた」が、「これに対し、天水に依存するドラゴンを殺す麦作・牧畜地帯の西洋文明は、自然を支配し分析する近代科学を発展させ、人類に幸せをもたらした」。

しかし、人類が発展したことにより地球の自然は壊れ始め、今日では様々な環境問題を抱えている。自然を敬い、共生してきた中国古代の思想に、今こそ立ち返り、見つめ直すときがきている。

終わり
 
メンテ
大和魂 36 ( No.38 )
日時: 2010/10/15 11:47
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:AOs0erLs

日本の竜神伝説を2つ紹介します。

「大分県 震動の滝の竜神伝説」

昔々、震動滝の竜神が年老いてきて、神通力が年々衰えるのを苦にし
どうにかして若い人間を食いたいと願っていた。
ある日北方の釣り人に神通力を送った。それとは知らずいつもよりよく釣れるので釣り人はとうとう滝つぼまで引き寄せられて竜神につかまった。

竜神が「不老長寿の薬にお前の娘をどうしても食いたい。
差し出さねばお前を食うまでだ」と迫ったので釣り人は恐ろしさのあまり
娘を捧げる約束をして逃げ帰ったと。

しかしいつまで待っても娘が来ないので竜神はとうとう怒ってしまい
神通力で部落の底を抜いて水を抜き捨ててしまった。

田も畑も作物は枯れ、井戸水もなくなり部落は最大の危機に見舞われた。
そして竜神は最後の力を振り絞り、断崖をよじ登り部落に火を吹きつけ始めたと。

そこで娘の恋人の若者が一計を思いつき部落総出で白鳥神社に集まり
餅をつき不老長寿の祈願を受けて竜神に捧げた。
竜神も白鳥神社には一言もなく引き下がり、部落は難儀を救われた。
その後天災や大水の出るたびに部落では餅をつき、滝つぼに投げ入れて
竜神の機嫌をとるようになったと。

竜神が崖を這い上がった時の跡が今も残っていて、白崩れとか竜神崩れとかいって
白鳥神社の横に大きく口を開けていてのぞくと恐ろしいということじゃ。



津南町立芦ヶ崎小学校編  「竜ヶ窪に伝わるお話」より

ある年長い日照りが続き、村人はヒエやアワどころか水一滴なく苦しい生活をしていました。

ある時一人の青年が食べ物を探しに出かけると、昼寝をしている龍の側に卵があるのを見つけ、 盗み出しました。村に帰り、せめて年寄りや子供にだけでも食べさせようと卵を割ると、 中から龍の子が現れ母親に助けを求めたのです。怒りに狂った母親龍が村人を食い殺そうとすると、 村人は「子供だけは助けてほしい」と必死で頼みました。

龍はその心に打たれ、村人のために3日3晩雨を降らせ池を作ってやりました。 そして「この池はおまえたちの美しい心の象徴だ。しかし人の心の曇るとき、この池は涸れてしまうであろう」と言い残して消えました。 村人はこの池を『龍ヶ窪』と名付けて大切にし、龍神様をおまつりしたということです。
 
一部重複してしまいました。

続く
メンテ
大和魂 37 ( No.39 )
日時: 2010/10/15 11:48
名前: 天橋立の愚痴人間

如何でしょうか、日本の竜神伝説の優しい事が御分かりと思います。
怨霊伝説、悪魔伝説と同じように人間の恐怖心の裏返しで各種の伝説は言い伝えられています。

その恐怖とは何であったのでしょうか。

一番に考えら得ることは餓えへの恐怖、つまりは作物の不作だったと思います、狩猟や漁業の成果を祈願する面もあったと思いますが、これは古代のことである程度は安定していたでしょう。

その次には、生命の不安だったでしょう。
疫病、戦い、さらには権力者にとっては永遠の生命を求めていたかも知れません。

そう言うものの対象が水生動物としての龍(ドラゴン)へ向かったともいえます。また、荒れ狂う大河の流域の人々が大河を恐れたのかも知れません。

ヨーロッパではドラゴンは悪魔のように恐れられる存在だけであった事と、中国などでは権力の象徴としてより用いられたことなど、それぞれに民族性が感じられます。

一神教の影響が強いヨーロッパは、あくまでも善をなすものは神のみであり、全てをそれと対立して考える方向が強いようです。
ですからドラゴンはあくまでも人々に害をなす存在として恐れられ、祀られてきたと思います。

それと対極にあるのが日本で、龍をも篭絡し人々に善を成す存在に置き換えています。龍神を手厚く祀ること(自戒すること)によって豊作が得られると言うことです。

一方、中国では、人々のそんな思い(豊作祈願)よりも、為政者の威光のために龍が用いられてきたようです。

ヨーロッパや中国などでは、これから述べることになりますが、国家や群落同士が血で血を洗う闘争が続いていました。豊作よりも戦いに勝って生き抜くことの方が重要であったとも思います。

また神と個人の対話を旨とする一神教が育っている社会では、集団としての祈願などは興味がなかったのかも知れません。

勿論、何処の地方でも出発は豊作祈願から始まったのではないかと思います。
それが地域性、民族性によって別々の様式に変化していることを認識してドラゴンの項を終わりとします。
 
メンテ
大和魂 38 ( No.40 )
日時: 2010/10/16 09:18
名前: 天橋立の愚痴人間

伝説や神話などを長々と語っていますのは、それによって、思想を説いた書物などには出てこない人々の心情に触れたいからです。
ピラミッドやポンペイの遺跡などを通して、当時の人々の生き様を想像することも、興味深いものです。

今までは「竜神伝説」を介して人間界と天界(大自然の理)の関係を見てきましたが、人々から見た世界観を垣間見る伝説もあります。

それを「猿神伝説」で覗いた後、「七夕伝説」で同じテーマの伝説でも、日本、中国、韓国などでどのように異なっているかを見てみましょう。


「白猿伝。」

西暦五百三十五年〜五百四十五年頃、南朝の梁の武帝は平南将軍、蘭欽(りんきん)と別動軍の武将、欧陽糸乞(糸辺に乞と書いてこつ、おうようこつ)を南方遠征に派遣しました。

蘭欽将軍と欧は桂林(現在の広西チョワン族自治区、武宣県西南近辺)まで進みました。欧はあたりの部族をことごとく平定し、険阻な奥地にまで進軍し、そこで陣を休めました。

欧は遠征に妻、鳳仙(ほうせん)を伴っていました。鳳仙は肌のキメが細かく白く、とても美しい女性でした。

その地の部族の長が挨拶に来た時の事です。欧とその横に座る欧の妻を見た長は、非常に驚いた顔をしました。不審に思った欧は、「どうされた? 我が妻に何かご不信がおありか?」とたずねました。長は、非常に困った様子で、しばらく考え込んだ後、欧に答えました。

「この地には神がおり、若い女をさらっていくのです。特に綺麗な女は必ず狙われるのです。どうぞ、奥様に護衛をつけ御守りください。」
欧は鳳仙と顔を見合わせました。

この地の女は皆、男と同じ格好をし、髪を隠し、ほおかむりをしていたのです。部下に調べさせた所、長の言う事は本当で、もう何十人もの若い娘が消え去ったと、このあたりの者はみな同じように話しました。

欧はすぐさま家の周囲に護衛をつけ、鳳仙を屋敷の奥深くの部屋に隠し、妻の回りに、剣を持った女剣士を十余人、見張りにつけました。そして妻の部屋の回りに何重にも兵士を置き、自らも剣を携え、鳳仙の側に陣取りました。

夜になって強い風が吹き、次第に空が真っ暗となりました。一晩中、大風が吹き荒れ、戸をガタガタと叩き、屋敷を揺らし続けました。欧は鳳仙とじっと夜が開けるのを待ちました。午前三時頃、ふっと風がやみ、あたりが静かになりました。欧は鳳仙とあたりを見まわしました。その静けさはどこか異様でした。人の気配、息遣いさえ消えていたのです。

突然、欧は眠気に襲われ、目の前が真っ暗になりました。そしてハッと気がつくと妻の姿が消えていたのです。

欧は驚いて外に出ると、部屋の回りには女剣士が眠っていました。要所要所に配置した兵士も折り重なるように眠りこけていたのです。不思議な事に部屋も屋敷のどこも、すべて鍵がかかったままで、いったい妻がどう連れ去られたのかもわかりませんでした。欧は外に出て追おうとしましたが、あたりは灯さえ飲み込む深い霧に包まれ、何もかも朦朧として一歩も進む事が出来ませんでした。

夜が明けると、眠っていた者も目を覚まし、霧も消えて行きました。欧は妻を追い求め、部下を四方に放って探索を続けました。自分が鳳仙を守りきれなかった事に腹が立って仕方ありませんでした。欧は自ら深い山に入り、とうてい人の行けないような所も、くまなく探しました。

欧は妻を何ヶ月も探し続け、屋敷から百里も離れた竹やぶの中から、鳳仙の履いていたユリの刺繍の靴を見つけました。その小さな靴は、雨に濡れ汚れて痛んでいましたが、間違いなく妻の物でした。

竹やぶの向こうには切り立った険しい山が累々と広がっていました。欧は鳳仙の靴を握りしめると必ず妻を救い出すと奮い立ちました。

欧は屈強な兵士を三十人選抜し、武器と食料をもって、山の中に分け入って行きました。岩陰で夜露をしのぎ、食事を取り、十日あまり進んだ時、山の中にひときわ大きな山を見つけました。その山の回りには、川のように湖が広がっていました。欧と部下はいかだを作り、その湖を渡りました。

欧達は湖をわたり終えると切り立った岩をよじ登りました。 そしてその崖の上には、青々とした竹が生い茂り、庭園のように岩が並び、その間に見た事の無いような花が咲いていました。

欧達は高い山の上に広がる見た事もない光景に不思議に思いました。岩の門をくぐると、足下に絨毯のような緑のしとねがひろがっていたのです。 そして、その向こうには、女達が笑い声をあげながら行き来していました。

欧はその中に妻がいないかと走りよりました。

女達は、突然現れた欧に驚いた様子で、その場に立ち止まりました。欧は女達の中に鳳仙がいないのを知ると、うつむいてしまった。

女達は欧を見つめ、「あなたはどうしてこんな所に来たの?」と、訪ねました。欧は女達に妻が何者かに連れ去られ、妻を探して分け入って来た事を話しました。

女達は顔を見合わせ、「あなたの奥様はここにいらっしゃいます、ついていらっしゃい。」と言うと女達は欧を岩屋の奥へ連れて行きました。岩屋の奥は広間のように広がり、いくつもの部屋がありました。

その中の一つに欧の妻は休んでいました。
  「鳳仙!」

鳳仙は振り向き、欧を見つけると涙をぽろぽろこぼしました。欧は鳳仙の側に駆け寄り抱きしめました。女達も部下も、やっと会えた二人を、ただ見つめていました。

  「すぐにここから逃げよう。」
  しかし鳳仙は首を横に振りました。
  「あのものは人ではありません。 逃げる事など出来ないのです。」
  鳳仙はそう言ってうなだれました。

回りにいた女達も顔を覆い泣きはじめました。欧も部下もどうしていいのかわかりませんでした。女達のまとめ役と思われる女が話しはじめました。

「私たちの中には、十年以上も長い間、ここに捕らわれているものもおります。あのものは一日に何千里も駆け、不思議な技を使います。何百人もの人間が武器を以てしてもかなうものではありません。幸い、まだ戻ってきていないから急いでお逃げください。」
  
「そんなことは出来ません。 目の前に妻がいるものを、勝てないからと言う理由で、置いて逃げる事など出来ません。」欧は鳳仙の手を握りしめて言いました。

女達は顔を見合わせました。そしてしばらく相談しあうと、決心したように欧に言いました。

「あのものは酒が好きで、酔うと必ず自分の力を見せびらかそうと、五色の絹の紐で寝台の上で手足を縛らせ、その紐を引きちぎって見せます。しかし、以前紐を三本よりあわせたらちぎれなかった事があったのです。絹の紐に麻を隠したら、きっと引きちぎる事が出来ないでしょう。 十日後、麻の縄と美酒、エサにする犬を十匹用意して、正午過ぎに来てください。早すぎないように注意してくださいね。」

「わかりました。 十日後、正午過ぎ、ですね。」
欧はそう言い終わると、鳳仙の手を握り、部下と共に山を下りていきました。

それから十日後となりました。
欧と部下三十人は約束通り、麻紐とこおばしい酒、犬を連れ、正午過ぎに山を登ってきました。
  鳳仙と女達は欧達を迎え準備をはじめました。犬を竹の林の中に隠し、お酒の壺を花の中に隠しました。そして、欧達は岩の穴の中に隠れると、怪物が帰ってくるのを待ちました。
  
  午後になり、しばらくすると、空に風が舞い、何か白いものがひらひらと降りてきました。それは、白い髭を生やした王侯貴族のような男でした。女達がその男を出迎えましたが、男は暗く沈んだ顔をしていました。
  「どうなされたのですか?」一人の女が聞きました。
  その男は、「うむ、わしは山の神に訴えられた。 死刑の宣告を受けるかも知れぬ。」と言うと剣を二振り取り、稲妻のように舞い踊りました。剣は岩を裂き、空を割って、大きな音をゴロゴロと響かせ、光の円を描きました。男はひとしきり、舞い踊ると剣を置き、くんくんと鼻を鳴らしました。
  「犬の匂いがする。」
  すると女達は待っていたように、
  「はい。山犬が迷い込んできたのです。」と、ささやきました。
  「ほう、犬か。」
  男は急にうれしそうな顔をすると、鼻を鳴らして犬の匂いをかぎながら、探しました。そして犬を見つけると、身を踊らせてつかみかかり、手足を引き裂いて肉を喰らいました。その姿は、すでに人のものではありませんでした。
  女達は、酒の瓶をとり出し、その怪物の側に置きました。怪物は犬を次々と引き裂き、肉を喰らい、血をすすり、酒を瓶ごと飲み干しました。怪物は犬を食べ尽くすと、女達を連れて岩屋の中に入っていきました。
  中から怪物と女達の笑い声が聞こえてきました。
  しばらくすると岩屋の中から女が一人出てきて、欧達を呼びました。欧と部下三十人は剣を抜くと岩屋の中に躍り込みました。中には麻の仕込まれた絹の紐で縛られた怪物がいました。
  その姿は白く長い毛におおわれた大猿で、欧達を見ると歯をむき出して暴れ、縛った岩の寝台がミシミシと音をたてていました。
  「あなた、早く!」鳳仙が叫びました。
  欧は剣を怪物の頭に打ちつけました。しかし、怪物の毛は針金のように強く、体は岩のように硬く、剣をはじきました。欧は剣で何度も打ちつけましたが傷つける事さえ出来ませんでした。部下が剣を振り上げ、欧の加勢をしましたが、剣のはじかれる音がただ響くだけでした。怪物は暴れ、縛っている絹の紐がほつれて、今にも紐を引きちぎりそうでした。

鳳仙は、燭台が倒れ大きな音を出した時、怪物が慌てて自分のへその下をかばった事を思い出しました。
  「へその下よ!」
鳳仙の叫びに、欧は剣を怪物に突き立てました。その剣は怪物のへその下にブスリと吸い込まれ、怪物は大きな声を上げて動きを止めました。

私は千歳になる今まで、子供が出来なかった。今、私の子が出来たのだ。 だから私の死期が来たのだ。」
怪物はつぶやくように声を上げました。
「もし、誰かに子供が生まれたら、大切に育ててくれ。その子は大きくなり、必ず偉大な君主のもとで働き、一族をさかえさせるであろう。」
  
怪物の口からは血が流れ落ち、息絶えました。欧は岩屋の屋敷からたくさんの宝物を見つけました。そして、捕まっていた女達を連れ帰り、あるものは我が家へ、あるものは部下のもとへと嫁がせました。

鳳仙はその後、妊娠し、白い髪の子を生みました。
その子は聡明な子供で、成長後、王宮で王に仕えたと言う事です。              


 
メンテ
大和魂 39 ( No.41 )
日時: 2010/10/16 09:20
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:X6H6o81I

Res45
引用

もともと広大な地域で複数の民族が競争して繁栄を図っているので、例え民族単位であっても、その全てを統一して国家を考える事は大変困難でありました。現在の中国の範囲を考えても、最初に統一したのは秦の始皇帝であり、実際の王朝を続けたのは漢(紀元前250年)からです。

また、統一されたと言っても、広大な領土と多数の国民があり、極めの細かい為政が出来たとは考えられません。
中国人には公と私の認識が日本人のそれとはニアンスが少し違うように言う人がいます。

中国は長い間、公(国)は、其処ここにあり、その上、自分が属する公の、その上の公も認めざるを得ないと言うような環境にあったと思います。
それに対して日本の場合は、公といえば、領土的にも民族的にも1つであり、それを損なう外力は殆ど意識しなくてもよい環境でした。

中国人の公の概念は日本人のそれほど、強い観念となっていないのも当然と思います。

次には古代中国の思想について考えます。

時代が少し下って周(紀元前1046〜紀元前256年)、それも春秋戦国といわれるころ、中国では、その後の中国思想となるものが殆ど生まれた時代です。

諸子百家 :中国の周末から漢にかけて出現した,諸学者と諸学派の意。 前漢初期,前後して展開した諸子の学術を,陰陽・儒・墨・名・法・道の六家(りくか)に要約したのは,司馬遷の父,司馬談。さらに前漢後期,すでに国教となって儒家の尊奉した経書は六芸(りくげい:詩・書,礼・楽,易・春秋)として別格に扱われていたが,『漢書』芸文志の諸子部門は,六芸からはずされた儒家の書(53家)を筆頭に,道(37家)・陰陽(21家)・法(10家)・名(7家)・墨(6家)と従横(12家)・雑(20家)・農(9家)と小説(15家),の10家者流189家に分類された。うち六芸を補いうるものは,小説家をはぶいた9家,つまり九流(きゅうりゅう)とされた。また後に九流から独立して兵家も諸子に加えられた。
 

続く
メンテ
大和魂 40 ( No.42 )
日時: 2010/10/16 09:21
名前: 天橋立の愚痴人間

このお話は、「補江総白猿伝」というお話で、江総の作った「白猿伝」を補う、と言う意味のタイトルです。

江総は実在の人物ですが、白猿伝を作った事実は無く、この作品の製作者は不明とされています。欧とその子は実在の人物で、作中で猿の子とされる欧陽詢は父の死後、父の友人江総に育てられ、書家、文学者となりました。ただ、その容貌が醜かったため、このような作品が作られたとされています。(妻の名を鳳仙としたのは、自分の考えで加えたものです。)

作品としては、しっぺい太郎や日本の猿神伝説の源流とされ、また話の型は御伽草子の「酒呑童子」へとつながるものとされています。

なぜ中国の大猿は女性をさらうのか?というと、その猿達にはメスがいないのだとある説話は説明しています。

猿神になるには、人間から変身してなる場合と、猿が何百年も生きて猿神になる場合があるのですが、メスはならないのでしょうか?

少々納得いかないのですが、説話だし、神話だし、中国では猿に気をつけましょう、というお話でした。

http://www.pleasuremind.jp/COLUMN/COLUM064.html


随分と長ったらしい話しですが、いかにも「個」に拘る中国らしい話だと思いませんか。

もう一つ「不老長寿」に拘る話を紹介します。

http://www007.upp.so-net.ne.jp/soma/somatimes/soma/china_j.html

「中国魔術茸」

古代中国では、「不老不死」を求めて、様々な試みが行われた。中でも、中国錬金術、または錬丹術と呼ばれる不死の霊薬作りは、皇帝たちの心を捉えた。

そうした霊薬を作る成分の中で、「霊芝」というキノコは、たいへん重要な位置を占めていた。「列仙伝」によると、彭祖という人物は、霊芝を食べて八百歳まで長生きし、仙人となった、とある。

この霊芝の正体は、固いキノコ、マンネンタケ(マンネンタケ科)である。最近でも、マンネンタケはガンに効くと言われ、非常に高い値がつけられ、漢方薬として珍重されている。また、伝統美術・工芸作品にも、数多くその独特の姿を残している。

「聖なるキノコソーマ」著者のワッソンは、ソーマと霊芝との関わりについて論じている。古代インドの霊的物質、ソーマにまつわる伝説が中国に渡り、霊芝伝説になった、というのだ。

けれど、ソーマはリグ・ヴェーダに「絞って汁を取る」という記述があるように、柔らかく、汁にあふれているらしい。だがマンネンタケは固く、煎じて飲むことは出来ても、絞ることなどとうてい不可能である。

ソーマという柔らかいキノコが、何故固いキノコ霊芝に化けたのか?

ワッソンはそれを、中国科学史学者ジョゼフ・ニーダムを引用して、「刺激の伝播」という言葉で説明している。インドから中国へもたらされたのは、キノコそのものではなく、「不思議なキノコ」という「刺激」、言い換えると「イメージ」「情報」だった。皇帝はソーマを求めて果たせなかった。そこで、不思議な形態を持つキノコ・マンネンタケを「ソーマの偽物」として位置づけたのだ、と。

確かにそれは魅力的な説だといえる。インドから中国への情報の伝播の可能性や経路については、例えば、中野美代子著「孫悟空の誕生」で示されている(インド伝説上のサル「ハヌマーン」が、海のシルクロードを経て中国に伝わり、「孫悟空」のモデルの一つになった、とする)。さらに、中国では日本同様月にうさぎが住むといわれるが、うさぎが杵でついているのは餅ではなく仙草(霊芝)なのだと氏は著書「奇景の図像学」で書いている。そして、ソーマは月の神であり、シャシン(うさぎを持つもの・月)なる別名がある、とも述べている。

しかし、ワッソン説には一つ疑問が残る。それは、ソーマ的精神作用をもたないマンネンタケが、なぜ中国人の心を強く引きつけ、ソーマの代理をつとめることができたのか、という点である。

そのヒントとなりそうな考えが、テレンス・マッケナの「神々の糧」で示されている。マッケナは、聖餐として使われた向精神的なキノコが、人間との共生関係を失っていく段階を4つに分け、こう説明している。

一・他の植物・アルコールなどにとって変わられる

二・象徴である代用的な植物(作用のないもの)を使用する

三・象徴物(教義・儀式など)のみになる

四・神秘体験すら放棄する

つまり、ソーマが中国に受容された際、もたらされたのはその第2段階の「象徴」だったのではないか、と言うことが出来る。

それに加えて、ソーマ―霊芝の変換には、中国人のものの考え方、というものも大きく影響しているのではないだろうか。

一つには、中国人が、不老不死を追及する際、鉱物を重要視していたこととも関係があるのではないか、と私は考える。人間に不朽の生命をもたらすものは、それ自体、不朽でなければならない。朝に生え夕方しおれるような、うつろいやすいキノコに、中国人は、不滅の生命を見ることが出来なかったのではないだろうか。その点マンネンタケは固く、自然の状態で透き漆でも塗っているかのように輝いている。生命の永続性を感じさせるには、まことに都合が良かった。

もう一つは、中国人がキノコの持つ精神作用にさほど強い関心を持たなかったのではないか、という可能性である。

「二本足のものは親以外なんでも食べる」と言われてきた中国で、インドのソーマや、南米のテオナナカトルのような、向精神的な植物やキノコなどを、シャーマニズムに利用した記録をあまり耳にしないのはなぜだろう。あえて記録に残さなかったとも考えられるが、「人間食べたときの味」といった、ダークな記録も残っているのである。漢民族は、非常に記録を尊ぶ民族であるのだ。そもそも、霊薬というものは、薬(ドラッグ)の最たるものではないか。

確かに、中国には、キノコ王国日本に比べてキノコの種類はそう多くないと聞く。しかし、中華料理にはしいたけ・きくらげ・きぬがさたけといったキノコたちが豊富に使われている。とりわけ中国南部ではイグチ類などを含めた、豊富なキノコが利用されている。

かりに、ソーマ的マジカルマッシュルームが当時の中国で入手不可能であったとしよう。もしソーマの「効能」が中国人を刺激したのであれば、例えば大麻やけしなどに読み替えられてもいいはずだ。しかし実際は、中国人が求めたのは「キノコ」であった。つまり、ソーマの「効能」は、中国人の求めてやまないものに読み替えられたのではないか。

中国皇帝は、地位・財産など現世的欲望を満たした後は、肉体を永続させるさせることに執着した。徹底した現世礼賛である。そもそも、不老不死を願うなんて、よほどこの世に満足していなければ成立しない思想ではないだろうか。(韓国の歌謡「恨(ハン)五百年」も、本来は「恨み」という意味ではなく、「五百年くらいは生きたいのに(出来なくて悔しい)」という意味らしい。)

中国人、そしてその影響を強く受ける日本人の前には、酒も、キノコも、大麻も、同じ「酔い」であったのではないだろうか。精神作用などというものに無関心であっても、不思議はない。

このことは、今日にも続く、「マヤク」はすべていけない、と言う論理とも、関係があるように思われる。

注・彭祖(ほうそ)…それにしても、この彭祖って人、「抱朴子」によると「人間の理想としては、旨いものを食い、軽くて温かい着物を着、男女の交わりをし、高禄を食み」と仙人にしちゃえらい生臭い人なんだが、仙人が霞食ってるてえのは日本人の考えで、中国仙人はおおむね現世的快楽に意欲満々のようである。(だいたい、房中術ってSEXの方法やし…)

「恨(ハン)五百年」…日本では、チョー・ヨンピルの歌唱によるものが有名。そういえば、漫画家根元敬氏が見た韓国のシャーマンは、強力ドリンク剤でトランス状態に入るそうです。(アッパーだ!)

メンテ
大和魂 41 ( No.43 )
日時: 2010/10/16 09:23
名前: 天橋立の愚痴人間

「中国の七夕伝説1  「述異記」 中国」

天の川の東の岸に、大変美しい仙女が住んでいた。彼女は天帝の娘で、機を織るのが仕事だったので、織女と呼ばれていた。

織女は朝も昼も機を織りつづけて、雲か霧かと見まごう薄くて綺麗な布を織り出していた。その仕事に専念していたので、他に何の楽しみもなく、身なりに気を遣うことさえなかった。

天帝は娘のこんな様を哀れみ、天の川の西の岸に住む牽牛という男に嫁がせた。

ところが、結婚すると織女は機織りをぱったりとやめてしまった。夫との楽しい生活にすっかり夢中になってしまい、機の前に座ることさえなくなった。天帝はついに怒り、織女を東の岸に追い返してしまった。

この時から、牽牛と織女は年に一度しか会えなくなってしまったのである。


「中国の七夕伝説2  中国 広東省 陸安」

天に、牛郎と織女という美しい男女がいました。牛郎は牛を飼い、織女は機を織って、毎日毎日、自分の仕事に精を出して暮していました。この様子を見ていた天帝が、二人の仲をとりもって夫婦にしました。

ところが、結婚すると二人は互いに夢中になって、仕事を怠けるようになってしまいました。天帝は怒り、カラスに命じて「二人は河の両岸に別れ、七日に一度しか逢ってはならない」と伝言させました。

しかし、このカラスは言葉を上手く話せなかったのです。カラスは二人のところへ飛んで行くと、こう伝えました。

「二人は河の両岸に別れ、毎年七月七日に一度しか逢ってはならない」

こうして、牛郎と織女は年に一度しか逢えなくなってしまったのでした。


「中国の七夕伝説3  中国 泉州」

昔、織女という娘がいた。裕福な家の娘でたいそう美しかったが、選り好みして十八にもなって結婚していなかった。彼女は七尺二寸ものとても長い髪の毛を持っていて、毎日梳かすのも大変だった。

ある月の夜、織女は月に願った。

「私は、生まれてから一度も笑ったことがありません。もしも私を笑わせる者があるなら、きっとその人と結婚しますわ」

あくる朝、織女がいつものように髪を梳いていると、向かいに住んでいる牛飼いの牽牛郎が、頭に毛が数本しかないのに織女の髪梳きの真似をしておどけた。それを見ると、織女はおかしくて吹き出してしまった。

笑ったものの、織女はすぐに泣き出した。昨夜の月への誓いを思い出したからだ。けれど自分の立てた誓いだからと、父親に相談してみた。当然ながら、父親はとんでもないことだ、と相手にしなかった。織女は思い悩み、思いつめてついに病の床に就いた。牽牛郎は織女の侍女からこのことを聞いたが、何をすることも出来なかった。

そんなある日のこと。悲しむ織女にカササギが話し掛けてきて、伝令役を勤めようと言った。織女は喜び、「彼に、これから毎月七日に私の庭に逢いにきてと伝えて欲しいの」と言って、カササギの足に手紙を結びつけた。

ところが、カササギは手紙をなくしてしまい、仕方なく牽牛郎に口頭で伝えた。

「これから、毎年七月七日に逢いに来て下さいと仰せでした」

気まずく思ったのか、カササギは織女の元には帰らなかった。牽牛郎は七月七日に織女に逢えると思って楽しみにしたが、織女の方はカササギが戻らないので絶望し、病が重くなって死んだ。それを聞いた牽牛郎も嘆き悲しんで死んでしまった。

死んだ牽牛郎と織女は、天に昇って牛郎星と織女星になり、夫婦になった。そして毎年七月七日に逢うのである。

続く
メンテ
大和魂 42 ( No.44 )
日時: 2010/10/16 10:23
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:X6H6o81I

「韓国の七夕伝説1  韓国」

陰暦七月七日を、七月七夕という。この日には、牽牛と織女の切ない伝説が語り伝えられている。

天の国の牧童・牽牛と、玉皇上帝の孫娘の織女が結婚した。彼らは結婚しても遊んで食べて怠け暮していた。上帝は怒り、牽牛は銀河水(天の川)の東方に、織女は西方に別れて住まわせることにした。それで、夫婦は切ない気持ちのまま、渡れない河を間に置いて暮さねばならなかった。

その話を伝え聞いたカラスとカササギたちが、毎年七夕に天に昇り、二人のために銀河水に烏鵲橋をかけた。それで、牽牛と織女は七夕にこの橋を渡って一年の寂しさを語り合い、また別れるのである。

こんなわけで、七夕には地上にはカラスやカササギは一羽もいないといわれる。いるとしたら、病気で飛べない者である。また、自身を橋にして踏まれるため(あるいは、橋の材料を頭に載せて運ぶため)、この時期のカラスやカササギたちは みんな頭の羽根が抜けるらしい。

なお、七夕前後には雨が降ることが多いが、これは牽牛と織女が逢瀬の準備に車の埃を洗い流すからで、これを"洗車雨"と呼ぶ。また、七夕の夕方に雨が降れば二人が逢えた喜びの涙とし、翌日の夜明けに降れば別れの悲しみの涙とする。よって、これらを"灑涙雨"と呼ぶ。


「韓国の七夕伝説2  韓国」
 
ある星の国に美しい姫がおり、王は別の星の国の王子を婿に迎えた。しかし、この王子はたまによからぬ事をしていた。王は怒り、王子を天の川の北岸の彼方に追放した。しかし娘の気持ちを思い、一年に一度、七月七日にだけ天の川のほとりで逢う事を許した。

一年も離れ離れなので、夫婦は悲しみ、その涙は雨となって地上に降り注いで、ついには洪水になった。地上の王の命により、カササギが選ばれて天に昇った。そうして沢山のカササギが天の川の北の岸から南の岸まで頭と羽をそろえて並んだので、王子はこの橋を渡って姫に逢うことが出来、地上の雨もピタリとやんだ。

そんなわけで、七月七日の朝に雨が降ると「嘆きの雨」、昼に降ると「逢えた喜びの雨」、夜に降ると「別れの悲しみの雨」という。また、七月七日にカササギを見かけることがあると、橋をかけに行かない怠け者だとて、追い払ったりするそうだ。

メンテ
大和魂 43 ( No.45 )
日時: 2010/10/16 10:36
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:X6H6o81I

「ベトナムの七夕伝説1  ベトナム」
 
天のヤーデ王の娘、チュク・ヌは銀河の岸辺で機を織り、対岸ではヌグン・ランという牧童が羊の群れの番をしていた。二人はやがて相愛の仲になり、王に結婚を願い出た。王は二人の決心が固いことを知り、一つの条件を出して結婚を認めた。

「お前たちの結婚を認めよう。ただし、結婚しても自分の仕事を怠けるようなことがあってはならない。一年のうち七月だけは仕事を休んでもよいが、その他の月は仕事に精を出すのだ」

しかし、ヤーデ王が危惧した通り、新婚の二人は幸福に酔いしれ、仕事もせずに二人で天空を歩き回るばかりだった。ヤーデ王は激怒し、二人に銀河の両岸に分かれて住むように厳命した。

「お前たちはそれぞれ、自分の仕事をするがよい。ただし、七月にだけは逢うことを許そう」

こうして、チュク・ヌとヌグン・ランは銀河に隔てられて暮し、七月にだけ逢えることになった。この月になると、カラスたちは大地を離れ、見当たらなくなる。というのも、カラスたちは銀河に飛んで行って、二人のために橋をかけてやっているからだ。チュク・ヌはこの橋を渡って、愛しいヌグン・ランの元へ駆けて行く。

ほら、七月になると毎日雨ばかり降るだろう。それは、二人が一緒にいる時には喜びの涙を落とし、別れる時には悲しみの涙を落とすからなのだ。この涙雨は大地を潤し、私たちに豊かな実りをもたらしてくれるのだよ。

「ベトナムの七夕伝説2  ベトナム」

むかしむかし、ある寂しいところに池があった。その池へ行く道は誰も知らなかった。そこではいつも天女たちが水浴びをしていた。

ある日のこと、一人の樵[きこり]がそこに来て、天女が水浴びしているのを見つけた。天女たちは着物を池のほとりの木の根元に脱いでいた。水浴びが終わると着物を着て飛び去っていったが、樵は最後に一人の天女だけが残ったことに気付くと、彼女の着物に飛びついてそれをとってしまった。天女は泣きながら樵に付いてきて、着物を返して、それがないと天に帰れないのと訴えたが、樵は聞こえないふりをした。天女を自分の妻にしたかったからだ。彼女は樵に付いていかざるを得なかった。樵は家に着くと、天女の着物を米蔵の米の下に隠した。

天女は二、三年 樵と共に暮らして、もう三歳の男の子がいた。ある日のこと、天女は夫の留守の間に米の蓄えを全部売ってしまった。すると米の下に昔の着物があるのを見つけた。彼女はとても喜んでそれを着たが、自分の櫛だけは外して、子供の着物の襟にしっかりとくっつけた。そして子供に言った。

「お前はここにいなさい。お前の母は天女で、お前の父は人間なのです。これ以上一緒に暮らすことは出来ません」

そして暫く泣いていたが、やがて飛び去った。

樵が家に帰ってくると、息子が泣いているのが聞こえた。それで自分の母に、妻はどこにいるのかと尋ねた。母は、今日は一日中嫁を見なかったと答えた。樵は何が起こったのかを悟った。そして急いで米蔵に行ってみたが、蔵は空っぽで天女の着物はなくなっていた。息子の着物に櫛が付けられているのを見て、妻は自分たちを捨てていったのだとはっきり分かった。

それ以来、樵の心は晴れることがなかった。息子を連れてあの池に行ってみたりもしたが、天女はもう水浴びに降りて来ることはなかった。ただ、天女の侍女たちが水を汲みにやってくるだけだった。

樵は侍女に「喉が渇いたので水を飲ませてくれ」と頼み、自分たちの哀れな身の上を語った。その間に、小さな男の子の櫛が水がめの中に落ちた。

侍女たちが家に帰って水がめの水を空けると、かめの底に櫛があった。天女が「この櫛はどうしたの」と訊ねたが、侍女たちにはどうしてそんな物が入っているのか分からない。そこで「池の側で誰かに会ったのですか」と天女が訊ねると、侍女たちは答えた。

「私たちは子供を抱いた男に出会いました。その人は水を一杯飲ませてくれと頼んできました。妻を探しているのだけれども見つけられないのだと言っていましたよ」

天女はハンカチに魔法をかけて侍女たちに渡し、こう言いつけた。

「その池にもう一度行きなさい。そしてその男に会ったら、このハンカチを頭に巻いて私たちに付いていらっしゃい、と言うのですよ」

侍女たちは言われたとおりにして樵を連れてきた。

夫婦は再び一緒になれて嬉しくてならなかった。しばらく経って樵は「どうして自分たちを捨てていったのか」と訊ねた。天女はこう答えた。

「人間と天国の住人との結婚は長く続けることは出来ないのです。だから私はあなたを捨てて帰ってきました。けれどあなたがあまりにも悲しんでいることを知ったので、その苦しみを慰めるためにあなたをここに連れてこさせたのです。けれど今はもう、あなたは地上に帰らなければなりません」

樵は深くため息をついて、お前から離れたくないと言った。すると天女は言った。

「先に地上に降りていてください。しばらくしたら私は仏陀[ファト・バ]からお許しを得て、またあなたと一緒に暮らしましょう。今はまだそうできないのです。なにしろ私がここに戻ってからほんの少ししか経っていないのですから」

樵は重い心ではあったが帰ることに同意した。天女は召使たちに、夫と息子を太鼓に乗せて、縄で地上に降ろすようにと言いつけた。そして樵に子供のための米を渡しながらこう言った。

「地上に着いたら太鼓を二度叩いてください。そうすれば召使たちは縄を切りますから」

二人は泣きながら別れた。そして召使たちは縄をしっかりと太鼓に結びつけた。ところが半分くらい降りていったところで、ワタリガラスの群れが飛んで来たのだ。カラスは小さな男の子が米を食べているのを見つけて、太鼓の上に舞い降りると散らばった米粒をつつき始めた。太鼓はカラスのくちばしでドンドンと鳴り響き、縄は切られて、父子は海に墜落して溺れ死んだ。カラスたちはこれを見て大きな声で啼いて飛び去った。

女神 仏陀[ファト・バ]がこの悲痛な声を耳にし、天女たちを集めて「誰がその父子を死に導いたのか」と尋ねた。その天女を罰するため、女神は天女を明けの明星にし、父子を宵の明星にした。召使たちは毎年七月十五日に葬儀を行わなければならなくなった。同じ日に、ワタリガラスは家族が再会できるように橋を作る。ワタリガラスの頭が禿げているのはこのためである。

 

この日、あちこちの村でも罪滅ぼしの供物が捧げられると言う。明けの明星は明け方に現れ、宵の明星は夕方に現れる。この二つの星は、天で互いに求め合いながらついに一緒になることの出来なかった、あの夫婦なのである。


続く
メンテ
大和魂 44 ( No.46 )
日時: 2010/10/16 10:45
名前: 天橋立の愚痴人間

「日本の七夕伝説1 七夕女[たなばたつめ]  日本 『為相古今集註』」

昔、唐[もろこし]に乾陸魏という長者がいた。その下女が水辺で洗い物をしていると、大蛇が出て、口から結んだ手紙を出して、長者に渡せと言う。長者の三人の娘のうちどれか一人をよこせというのだ。さもなくば長者一家はおろかその一族眷属全てが破滅するだろう、と。もし娘をくれるならば、これより東の山中に七間四面の屋敷があるので、その中に姫を乗せた輿を置いて、他の者は帰せ、と。

下女は恐ろしく思いながら報せに行き、長者が見に行くと、長さ二丈七、八尺ばかりの大蛇だ。見るからに、本当に恐ろしい。蛇が先に下女に語ったように言うので、「分かった。三人の娘に話してみよう」と言って屋敷に帰ると、蛇も帰った。

さて、長者は家に帰ってから物も食べないで寝込み、嘆いた。娘たちは理由を知らないで、父の病気を何とかしようと部屋に見舞いに来た。長者が「一人も娘をやらないでいれば親子五人、親類縁者数万人が一度に滅んでしまう。それが嫌だから娘を一人やろうと思っても、どの子をやることもできない。みんな私の子供だ。そう思うと病気になり、物も食べられないのだ」と言うと、長女は「嫌だわ。相手がどんなでも人間ならお父様の言いつけに従いますが、そんな恐ろしいことには、たとえ一日でみんな死んでしまうことになっても、進んで従う気にはなりません」と言って帰った。その後 次女が来て病状を訊いてくるので、さっきのように答えた。この次女も、さっきの姉のように答えて帰った。もっともなことで恨むこともできず、思い煩った。

末の娘はことに幼く、まだたったの十三歳である。どんなに怖がるだろうと思うと、父母もなかなか言い出せずにいたが、父が物も食べられないのを悲しんで、自分で父のところに理由を尋ねに来た。しょんぼりとかくかくしかじかと説明して、「お前の姉さん二人は嫌だと断ったが、もっともで恨めないことだ。ましてお前は幼いのだから、どんなに怖がるだろうと思うと、力も出なかった。わしらの子供がみんなが滅ぶ宿因になるのだ。約束の日も近い。それにしても、わしら一族、牛や馬にいたるまで失われることを思えば、心細くて悲しくてたまらない」と語った。

末娘はじっと話を聞いて、涙を流して言った。

「私がこうして楽しい日々を送ったのも、お父様とお母様のおかげです。だから、たとえ火や水に入り、鬼に食べられ神に取られようとも、お父様とお母様のために言いつけに従うことを嫌がったりしません。ましてや、私が行かなければみんな死ぬと言うのでしょう。私一人が蛇に食べられて、家族から使用人のみんなまで助けることができるなら、それはとてもいいことです。死んだ後はきっと極楽に行けます。……さぁ、安心して、早くご飯を食べてください」

これを聞いて、両親はもとより、使用人にいたるまでみんな袖をしぼって泣いた。

すぐに、明日は約束の日、という日になった。娘は人に形見を渡したり別れの挨拶をしたりし、行水して身を清めて、守り仏の金銅の観音像をしっかり肌身につけた。観音経を持って輿に乗り、家族や使用人がお葬式のように泣きどよむ中、「早く連れて行ってください。約束に遅れたら、蛇が来てみんなに災いをなすかもしれません」とキッパリした様子である。輿は急いで出発し、父母は、せめて自分たちの命の代わりに、と珍しい宝を添えて送った。

例の蛇が指定した山里に行ってみると、忌まわしい感じの御殿がある。その中に輿を置いて、送りの者たちは泣く泣く帰った。娘はたった一人残って観音経を唱えていると、長さ二丈ばかりの大蛇が這い出てきた。目は月日のごとく、口は獅子のそれのようである。輿の側まで這い寄って、舌をちろちろと出している。暫くそうしてから蛇が言うには、

「小刀を持っていますか。私の背を尾まで割ってください」

嫌だと思ったが、硯の小刀を取り出して、言われた通りに割った。すると、蛇の中から、十七、八ばかりの、色が白く、辺りが照り輝くように麗しい男が出てきた。綺麗な服に宝石の冠をつけて、全てこの世の人とも思えない。例の蛇の皮を身に巻き、娘と夫婦になって、めでたいと言うばかりである。男の眷属もどこからともなく現れて、使用人として働き始めた。

それから十七日経って、娘の家族は、もしや蛇の食い残した骨などあるかもしれない、拾って供養しようと思って、人を使いに出した。すると、死んだりしないで、立派に富み栄えているではないか。夫も蛇ではなく美男子だし、やってきた人々は思いがけなくて、嬉し涙を流した。

さて、このことを長者夫婦に伝えると、喜んで大声を張り上げて、急いで見に行った。すると、後園の倉は数え切れないほど、庭の砂まで金や宝石を敷いてある。まるで生きながら仏の国に来たようで、嬉しくてたまらなかった。婿を見れば蛇どころか辺りが光り輝くような美男子。両親は手を合わせて拝んだ。

これを見て、蛇のところに行くのを嫌がった二人の姉は口惜しくねたましく、私が行けばよかった、私が行けばよかったと、悔しがった。

ある日、夫は娘に言った。

「私は四王天の梵天王の子で、彦星という者です。あなたと前世の縁があったので、あなたと夫婦になるために下界にこの三年間住みました。今度、天の父の用で天に帰り昇ります。決してあの朱の唐櫃[からびつ]を開けないでください。来年三月には必ず戻ります。けれど、もし、この朱の唐櫃を開けたら、どんなに願おうとも帰る事はできないでしょう」

続く
メンテ

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