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[814] 大和魂(日本の心のルーツを探る)
日時: 2018/05/23 11:57
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:XPKXw99A

「大和魂」と言う言葉を使うと嫌悪感に満ちてこれを否定する人たちが多い。
まるで街宣右翼と同類に扱われる。

しかしながら先の大戦において、国を守る為に散って行った200万近い兵士の事は、どのように思われるのか。

全てが全てでないとしても「大和魂」を信じて突進し倒れた兵士の事は考えられないのか。
その「大和魂」が軍部によって利用されていたとしても当事者の兵士の責任ではない。

ここで「大和魂」をミソクソに言う事は彼らの死を馬鹿にする事になる。
調子者が騙されて死んだと言えますか。

彼等の為にも「大和魂」は正当に評価することが大事と思います。
彼等は、まさしく彼等なりの「大和魂」を持って、国を守る為に死んで行ったのです。


(プロローグ)

人類が霊長類と分類されて他の動物よりも繁栄してきたのは、その頭脳的能力が発達、進化してきたからであります。
始原における人類は、その頭脳的能力で道具を使うことを覚え、そのうちに火を自在に使えるようになりました。

これは生きる(食べる)事において画期的な進化でありました。
一方で人々は集団で生活して行くことの重要性に目覚め次第に大きな集落を形成し分業をするようになってきた。
集団で生活し始めると、自分達の生活を脅かす自然の力に対する畏怖の心も結集することになり自然崇拝、呪術などが起きることになりました。
このころになると、集団には統治の機能が求められ次第に原始国家に近い概念が生まれてきました。

人間の頭脳的能力が生きるための対自然から、統治という人間自身の問題まで対象にし始めたと言うことです。
集団の英知(頭脳的能力の総体)を集めることに成功した人類は、農業、漁業、工業の分野を確立し安定した社会を構成することが出来ました。
このころになると、宗教と言うものが次第に鮮明な形を帯びてきて、人々の精神的ケアをするとともに、宗教を通じて集団の結束を図るようになってきました。
同時に統治者は独裁の傾向が強くなり王国を形成するようになります。
自然を相手に生産活動に殉じてきた人間でしたが、集団の力が強化されるとともに、他の集団を略奪することにより、成果がもたらされることに気がつき以来、血で血を洗う抗争が続いてきました。

さて、3000年も4000年も遡りますが、一応は自然を相手の格闘に一段落した人間は、その精神的な余裕の分だけ、その頭脳的能力を内面に向けるようになりました。
それが宗教であり、哲学の世界です。

文字として残る最古の哲学は、2000年くらい前のギリシャ哲学でありますが、その内容は主に統治の問題に絡んで話されています。
最初の哲学が、ようやく手に入れた人間社会の安定のために、人間は如何にあるべきかが最大テーマであったという事でしょう。
中国における儒教というものもこの範疇に入ると思います。

時を同じくして、キリスト教、イスラム教、仏教が興っています。現在まで続いているこれの宗教は、哲学とは別の方向から人間の内面性を説こうとしたものであり、それまでの宗教が民族単位に近かったものから人類共通の普遍性を主張しているのが特徴です。
西欧の歴史は、一時、キリスト教の精神で色濃く塗られていましたが、キリスト教的教義への反動として、500年くらい前にルネッサンス(文芸復興)と言う考え方が広まりました。
直接はキリスト教支配の前の人間精神への回帰ですが、実際は新たな人間性の認識へ移りました。
其処では、人間自身を自然とも切り離し、神とも切り離して如何に生きられるかについての思索がなされました。

それは300年後に資本主義、民主主義という鮮明な形で認識されるに至っています。
その途中、西欧哲学はスピノザに始まりホッブス、デカルト、カントへ至る人間自身の認識論(観念論)からヘーゲルの純粋論理的認識論(弁証法)へ進むなど、自然の理を超越しようとした試みが中心でありました。
それを人類の進化、発展と見れば、そのまま肯定もできるでしょう。
確かに、論理的に西欧哲学的思考で割り切ることにより、現代社会の繁栄があるのです。
さて、現代社会において我々が直面している困難は、深いところで人間性の問題につながっています。

資本主義、民主主義のシステムは、物資と情報、享楽と言う意味で人類に飛躍的な果実をもたらしました。
自然とともに生きなければならないと言う束縛から人類を解放したと言えます。
そうして、現代社会が直面している困難と言うのは、その昔、人類が経験していた自然の恐怖とは質が異なる困難であります。
ここに現代の困難は文明史的な次元の課題であると思います。
ここ4000年の間に営まれてきた宗教、哲学の概念の延長上で、どのように捉えられるか、更なる進化と言う観点から捉えるのか、人間性というものを自然との関わりで見直すことが正解であるのかが問われています。
これに対して、直線的に斯くあるべしと言うよりも、この観点から日本の歴史を振り返ってみたいと思います。

具体的には、弟3期西欧文明(資本主義・民主主義)が今日ある状況以外に人類は選択の余地がなかったのか、その過程において切り捨ててしまったものの中に人類が必要としていたものはなかったのかについて検証することから始めようと思います。
タイトルの「大和魂」とは、西欧文明以前の日本の精神文化を総称したものであります。
途方もなく長ったらしい話になりますが、ボチボチと御付き合い願いますよう御願いします。
説明のために掲げています長文は適当に読み飛ばしていただければ幸甚に思います。


(追申です 2017年6月24日)

このスレッドも、旧掲示板で書き始めてから言いますと10年近くたっています。
「大和魂」という標題のため、読んでくださる方は、常に「大和魂」の概念を探ろうとされているようです。
しかしながら、このタイトルは、このスレッド全体を通して感受されるべきものとして書いていますので、「大和魂」とは何かという設問には答えが見いだせなく戸惑いながら、結局は何が言いたいのか解らずしまいの様でしょう。
タイトルのつけ方が適正ではなかったかもしれません。
そこで、この時点(No188のレス)で私自身、ようやくたどり着いた「大和魂」の概念について次の様に説明して置きたいと思います。

<大和魂とは>

西欧民主主義が入ってくる前
江戸時代の朱子学に毒されるまえ
特に武士道などは、もってのほか。

それを取ったとき、
日本人はどのような生き方をしていたか。
それを探りたいのであり、言葉では、簡単には現せなく体感してほしいと思っております。

また「魂」という言葉を使っていますのは、物事に挑戦する意欲を表現しています。
これも具体的には言えませんが、山田長政の話やら、あまり良いことはしてないようですが倭寇など海外へ積極的に進出する、その気概。
日本人にも、そんな積極性があったことを頼もしく感じています。
そして、それは日本独自の文化、芸術を生み育てる力にもなっています。

その様なものを一括して「大和魂」と言っています。
そうして、そういうものを、この文章から感じ取っていただけることが出来たら幸いと思って書いています。
ですが、将来の日本人に「大和魂」だけを押し付けるつもりで言っているのではありません。
日本人には「大和魂」があることを忘れず、社会を生きてほしいと願うのです。

※ 体感してほしいと言っていますように、この文章の各所に伝説、神話、他の国の事情などを説明している箇所が随分とあります。退屈かもしれませんが、それを読まれることによって、それが書かれた時代、場所の様子を感じ取っていただきたいのです。
特に前半の部分は、日本民族と他国の民族性の違いを感じ取るために、長ったらしく資料を集めました。

(目  次)
No 0      プロローグ・目次
(前 章)
NO 1〜7    「大和」とは
(民話・伝説)
No 8〜16    日本の神話・伝説
NO 17〜20  中国の神話・伝説
NO 21〜37    世界のドラゴン伝説
No 38〜42    中国の民話
NO 43〜47    世界の七夕伝説
NO 48〜50    中国の民話・伝説
NO 51〜67    インドの民話・伝説
No 67〜93    イスラムの民話・伝説
No 94〜124   アングロサクソンの民話・伝説
(日本の歴史検証)
No 125〜137   「和」の検証 
No 138〜151   神代の時代から古墳時代
N0        飛鳥・奈良時代(一時、サーバのトラブルがあり、この部分が消えています)
No        平安時代(一時、サーバのトラブルがあり、この部分が消えています)
※ 後日復旧する予定。
No 152〜169   鎌倉時代
NO 170〜     室町時代
NO        江戸時代(未稿)
No        明治時代(未稿)
No        現代(未稿)
NO        「大和魂」とは(未稿)
No        エピローグ(未稿)

※ 世界の民話・伝説に紙面を割いているのは、日本人と他民族の気質の違いを探るためです。
メンテ

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大和魂 15 ( No.17 )
日時: 2010/10/15 08:26
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:AOs0erLs

「中国古代の人々の生活」

中国古代の人々は、人間の霊魂は永遠不滅であり、墳墓がこの霊魂の住まいであると考えていました。また、死後の世界は、現実世界の延長で、そこでの暮らしぶりは、現世となんら変わるところがないとも考えました。そのため、墓の主が満ち足りた生活が送れるように、現実世界のさまざまなものを明器(めいき)や俑(よう)に作って墓に副葬したのです。明器とは死者が生前の生活で必要としたものを死後の世界でも使えるように模造したもので、建物や儀式に使う器、飲食器、人間、動物など、実に多様な器物や生き物が陶製や木製、青銅製などで造られます。

戦国時代後期、紀元前3世紀の終わり頃に著された、「藍より出でし青は藍より青く、・・」の書き出しで有名な『荀子(じゅんし)』の「礼論篇(れいろんへん)」に、墓に供える明器について書かれた部分があり、そこには、酒を容れる甕や「ほと」(無+つくりに瓦)は空のままとし、楽器の笙や「う」(竹かんむり+于)はならべても吹奏せず、琴や「しつ」(王王の下に必)も弦は張っても調律しない、などと記されています。実際、前漢初め頃の湖南省の馬王堆(まおうたい)1号墓で発見された楽器の「う」(竹かんむり+于)は吹き口と管の部分がつながっておらず、音はでません。このように外観は似せているが実体を伴わないもの、それが明器の本来の姿なのです。

俑は明器の一種で、生き物を象ったものです。特に人物俑は、死者に対して冥府へ供奉するという役目から見て、俑の中心的な存在と思われます。そして、生前にかわいがった犬などの愛玩動物や家畜なども死後の生活を完結するための重要な副葬品としてお供に加えられます。

このように、生活空間を構成するさまざまな建物や生活道具、そこで生活する人間や動物、そして来世への憧れを表現した器物など、その内容は非常に豊富で多種多様です。こうして、地下の世界に「生きる喜び」にあふれた理想郷が創出されたのです。

これらの明器や俑は、各時代の人々の生活を生き生きと眼前に甦らせます。中国古代の人々が来世に伴いたいと願った生活情景の数々、働き、舞い踊って生活を楽しむ人々や、彼らとともに暮らす動物たちなどによって、その生活の息吹と夢をたどります。

(以上下記引用)
http://www.hum.pref.yamaguchi.jp/tokuten/H18/kenchiku/kenchiku.htm

続く
メンテ
大和魂 16 ( No.18 )
日時: 2010/10/15 08:27
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:AOs0erLs

中国の風土は「南船北馬」、「南稲北粟」、「北儒南道」といわれるように、黄河と長江の流域では、その文化は大きく異なっていた。北中国には畑作農民と遊牧民が混在し、南中国には稲作農民と海洋民が交じり合って生活していた。最初に河姆渡遺跡の発掘をもとにした長江中下流域の越文化を見てみよう。

中国の黄河流域の「馬の文化」と長江流域の「舟の文化」を統合した秦・漢帝国は、漢民族本位ではあったが内陸に閉じこもっていのではなく、漢武帝時代には河西回廊に西域都護府を置き、周辺諸民族に王候の爵位を与えて中国の藩国に加えて東世界を成立させた。

その東アジア世界で見落とせないのは、漢帝国の国家管理を超えた海の民の活動が、非常に早い時期から国境を越えた広がりをみせていることである。事実、中国文明の基盤になった長江流域の「舟の文化」は、今から約一万年前の縄文時代に黒潮に乗って日本に流入し、日本を含む環シナ海圏が初歩的に形成されるにいたっている。

 長江流域の「舟の文化」が、どのように環シナ海圏に伝播していったかを見てみよう。中国古代の歴史を記録した書物では、長江流域からベトナムにいたる広大な地域に居住した人々は「百越の民」として一括されている。 そこには古くには於越、南越、駱越、区呉、目深などと呼ばれたさまざまな種族が生活し、河川や海域で稲作や漁労を行い、すでに見てきたように、青銅器・鉄器・陶磁器・絹織物・漆工芸などの各種産業を発達させ、舟を操って水上交易に従事していた。

 江南地域ばかりでなく、四川や雲南、さらに江西から広東やベトナムにいたる地域に散在する、苗族・壮族・景頗族などの多くの少数民族はその末裔にあたる。稲作と操船に巧みだつた越系の人々の活動を調べてみると、この「百越の民」は非常に古くから朝鮮半島南岸や西日本の原住民といわれる倭人と海を隔てて往来し、その生活習俗を同じくしていたことが、環シナ海圏の波間に浮かびあがってくる。

中国古典の「荘子」・「韓非子」・「淮南子」などに散見される、越人の生活風俗は、河川や海原に棲息するサメやワニからの危害を避けるために「断髪文身」、つまり頭髪を短く切り、体に刺青をしていた。また、海にもぐるだけではなく、田植や草取りのためにも裸足の生活を送り、日常生活に舟は生活に欠かせない道具だった。 

 さらに『「後漢書倭伝』を見ると、朝鮮の韓族にも体に刺青をする「文身」の風があったようで、中国の古文書に登場した倭人は、日本列島西北部ばかりでなく、朝鮮南岸から渤海湾・黄海の沿海地区、さらには東シナ海にいたる広大な海域に居住する人々だった。その限り、中国の沿海に居住した「百越の民」と倭人の習俗と生業がほぼ同一であったとみてよい。

(以上下記引用)
http://www2.ocn.ne.jp/~bunmei54/kuroshio.htm

続く
 
メンテ
大和魂 17 ( No.19 )
日時: 2010/10/15 08:28
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:AOs0erLs

 環シナ海に広がる「百越の民」と倭人たちは、秦・漢以前からゴンドラ型の竜骨舟にのって往来していたのだろう。東シナ海の荒波にもまれてしばしば遭難したこともあったろうが、呉越の造船技術や操船技術の発達はかなりのもので、すでに春秋戦国期に外洋航海の記録がある。 船首と船尾の反り上がったゴンドラ型の船は、季節風と黒潮に乗って朝鮮や日本に到来したことは、朝鮮海峡や日本海岸に残されたこの竜骨舟の絵図からも知られている。

 この往来を通じて環シナ海の自然崇拝の観念が共有されるようになっても不自然ではない。長江中下流域の「良渚文化」から上流域の「三星堆文化」にいたるまで、越系の人々が河姆渡以来の太陽信仰・精霊信仰・鳥信仰・目玉信仰などの観念を共有していたことは、『ギャラリ−』の「長江文明のイメ−ジ」を参考にしてもらえれば、それが稲作と操船の民のどんな自然崇拝であったかを見ることができるが、朝鮮半島や日本に居住した倭人もまた太陽(女神)信仰・鳥信仰・蛇信仰などの観念を共有していたのである。 

中国の「百越の民」の信仰は、明らかに日本にも伝播して縄文時代の基層文化の一端を形成していたといってよい。そればかりではなく、この太陽神と結びつた鳥信仰も、環シナ海圏一帯に広がり、日本の稲作にもその痕跡を残している。
事実、戦国時代の楚のお墓から多数の霊鳥の作り物が出土し、田畑の耕作を鳥の助けを借りて行う鳥田伝説も残っているばかりか、広西の壮族などの越系の人々の間には田に鳥杆を立てる風習がいまでも続いている。

太陽神や鳥信仰だけではない。「百越の民」の居住する温暖湿潤な中国の沿海地方やベトナム・台湾・琉球といった地方では、稲作とともに蛇信仰も共通していた。蛇信仰に関しては、門がまえに蛇をあらわす虫の字が入っている閩越という地名があるように、この地域の山河や海原にはたくさんの蛇が棲息し、それが蛇信仰のもとになっている。 

太陽(女神)信仰や霊鳥信仰そして龍蛇信仰は自然崇拝に違いないが、それは稲作と操船の民の生活から生み出された信仰であり、南海から東海にかけて海を渡って往来した越人と倭人が共有する信仰だったのである。

この海の民の自然崇拝を基盤にして成立したのが、「舟の文化」を特色付ける道教であった。それは黒潮に乗って日本にも伝播している。日本の「古事記」の創世神話にある「天っ神」・「国っ神」・「海(わだつみ)の神」は、道教の世界観をもとにして構成されているといわれているが、天照大神が女神であったばかりでなく、神武天皇の生みの母は「海神(わたつかみ)の女(むすめ)」だったように、道教は非常に早くに、日本の稲作と深く溶け合って浸透していたに違いない。

 日本の稲作は弥生時代に朝鮮半島を経由して九州北部に定着したといわれてきたが、事実はもつと古く、中国沿岸から接に伝播したことも十分に推測される。中国の舟山群島は上海の鼻先にあり、航海の安全を祈る道教寺院が建てられているが、最近にそこからも河姆渡から呉越時代にいたる稲作遺跡が発見されているのである。

 事実、上海を間近にした日本の唐津市の采煙遺跡の最下層からも、縄文晩期の水田跡が見出されて、東シナ海から直接に海を渡ってきたル−トが大きく浮かび上がってきている。それに加えて、紀元前2000年頃のベトナムのドンソン文化に先行する遺跡からも、青銅器とともにジャポニカの籾が出土しているので、環シナ海の黒潮にのった稲作の伝来の可能性はさらに大きい。稲作の道は、渤海湾から朝鮮経由の道と、東シナ海から直接に伝わった道の二つのル−トが、古来からあったのだろう。

(以上下記引用)
http://www2.ocn.ne.jp/~bunmei54/kuroshio.htm

続く
 
メンテ
大和魂 18 ( No.20 )
日時: 2010/10/15 08:29
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:AOs0erLs

 こうして「百越の民」の太陽信仰・鳥信仰・蛇信仰などの自然崇拝は、日本の縄文文化の基層になり、日本の古事記にも、「舟の文化」の特徴をもった道教の影響がみられるようになった。大和朝が確立して朝鮮半島を経由して「馬の文化」が流入し、また漢帝国の崩壊した以後の魏晋南北朝期間は仏教も伝播されるようになり、民間の道教よりも、国家護持の仏教が信奉されるようになったが、日本における空海の真言密教の土着にみるように、仏教は縄文期に広がっていた道教を基盤にして土着化したのである。

そのことは空海の著作として伝えられている儒教・道教・仏教の三教を比較した『三教指帰』をみれば明らかだろう。いずれにしても、この道教を基盤にして根付いた真言密教の広がりのもとで、日本の奈良から平安への転換が引き起されていったのである。

インドの仏教が普及する途上で、ヒンズ−教の神々が菩薩の足元に踏み敷かれたように、日本においても国家の手による仏教の普及は、「神殺し」のドラマをともなって進展した。大和朝が繰り広げた土蜘蛛や隼人征伐の故事から推測されるように、国家の手による仏教の普及は一種の「神殺し」であり、道教と結びついていた土俗信仰は、大和朝の支配の拡大とともに血なまぐさいドラマをともなって仏教に統合されていったに違いない。

(以上下記引用)
http://www2.ocn.ne.jp/~bunmei54/kuroshio.htm
 
メンテ
大和魂 19 ( No.21 )
日時: 2010/10/15 08:30
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:AOs0erLs

(神話と伝説の世界)

中国の神話・伝説は日本のそれに比べて系統だっていないとされている。しかし、それは日本の神話に通じるものがあるようです。

古代中国に発祥する思想のひとつに四神思想というものがある。四神とはすなわち、青龍、白虎、朱雀、玄武(亀と蛇とがからみ合ったもの)と言われる4種の神獣を指し、それをそれぞれ東西南北に配して守護神とし、四方から中央を守るのである。古くは前1世紀頃の古代中国の経書『礼記』曲礼篇上に「朱鳥を前にして玄武を後にし、青龍を左にして白虎を右にし、招搖上に在り」 1と記されている。

また『淮南子』天文訓には五行思想に基づき、中央に黄龍を配したものが加えられている2。さらに時代は遡り、戦国時代前期、曾国の乙という名の国君の墓から出土した漆器の箱の蓋3には、中央に北斗、周囲に二十八宿にあたる星名とともに、両端に龍と虎の図案が描かれていた。その後、前漢時代末期には器物や壁画に、後漢時代に入ると四神鏡や画像石4は盛んに用いられるようになる。

 四神思想は東アジア地域にまで影響を及ぼし、5世紀前半の高句麗では、死者を守護するように墓室装飾に四神図がみられるようになる。高句麗古墳の天井壁画には星宿とともに、四神図が描かれている5。高句麗を通して四神思想、四神図が伝来することとなった古代日本でも、墓室装飾として用いられる。

奈良県に所在するキトラ古墳、1972年に発掘された7世紀末から8世紀初め頃と推定される高松塚古墳からは、ともに壁画に描かれた四神図が発見された。また墓室装飾のみならず、薬師寺如来像の台座には四神図が鋳出されており、最も古い文献としては『続日本紀』に、「文武天皇の701(大宝元)年正月に大極殿で行われた朝賀の儀において、正門の左に日像、青龍、朱雀、右に月像、玄武白虎を飾った幡を立てた」6という記載があり、この時代の日本文化に四神思想の影響をみることができる。また現在でも、四神旗は神社で祭場、社頭の装飾などに用いられている。

 古代中国には青龍、白虎、朱雀、玄武を四神として信仰の対象とするだけでなく、龍、亀、麒麟、鳳凰、想像上の動物4種を四霊とみなし信仰する思想があった。『礼記』礼運篇には「麟・鳳・亀・龍、これを四霊と謂う」7と記載があり、『家語』ではこの四霊に中央として聖人を加え、五霊と称している。また四霊は四瑞とも称される。四瑞とは聖人が出現する前兆、すなわち瑞祥として現れると考えられていた4種の神獣を指し、孔子が誕生した際には、麒麟が出現したとされている。

(以上下記引用)

 http://www.hum.ibaraki.ac.jp/kano/student/99nagai.html
メンテ
大和魂 20 ( No.22 )
日時: 2010/10/15 11:22
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:AOs0erLs

これからしばらくの記事は永井朋子氏の「中国古代の聖獣伝説 -龍思想に関する研究-」からの引用です。

http://www.hum.ibaraki.ac.jp/kano/student/99nagai.html

少し長くなりますが、龍伝説を題材に世界の民族の風習に言及されていて今後、民族性を比較するのに良いと思いましたので全文掲載します。

次にあげる氏の感想は、「大和魂」を探る論旨からは離れていますが、現在、まさしく考えねばならないことを指摘されています。ちなみに氏は中国文化を研究されている、新進気鋭の方であります。


「またドラゴンと龍の捉えられ方が異なるに至った理由には、古代においては生活そのものであった、それぞれの土地で行われてきた農業の状況が大きく関わっている。

東洋の灌漑水に依存する稲作・漁撈51地帯では、ドラゴンは神であり、そこでは人々は自然を畏敬し、異なるものと共生融合し、あらゆるものは再生と循環をくりかえすと考えた。」

これに対し、天水に依存するドラゴンを殺す麦作・牧畜地帯の西洋文明は、自然を支配し分析する近代科学を発展させ、人類に幸せをもたらした。

しかし、人類が発展したことにより地球の自然は壊れ始め、今日では様々な環境問題を抱えている。自然を敬い、共生してきた中国古代の思想に、今こそ立ち返り、見つめ直すときがきている」

続く
メンテ
大和魂 21 ( No.23 )
日時: 2010/10/15 11:24
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:AOs0erLs

第一章 世界各地に分布する龍

 第一章では、前述した通り、中国の龍に類似する代表的なものとして西洋のドラゴン及びインドのナーガを取り上げようと思う。三者ともそれぞれ想像上の動物であり、蛇に似た形態を持つという特徴がみられる。そこで中国の古代思想、自然観を考察する上で、ドラゴン、ナーガがそれぞれどのように信仰されてきたのか、相違点を比較してみたい。

(一) 悪の化身 西洋のドラゴン

 序章で前述したように、龍は古代中国において四神・四霊などの一つに数え挙げられ、神獣や瑞獣とみなされてきた。また中国では、龍は天子を意味するものであり、天子に関する事柄に用いられ、さらには英雄や豪傑をたとえるものでもあり、特に優れていることを指している。

ところがヨーロッパにおいては、伝説上の怪獣・ドラゴンは中国の龍に近い形態を持つ動物であるにもかかわらず龍とは異なる立場に位置し、強い力・暗黒・暴力を象徴するものとされている。

ヨーロッパで描かれる典型的なドラゴンは、頭に角を持ち、胴は緑や黒っぽい色の鱗におおわれた蛇、あるいはトカゲのような爬虫類のもので、西洋における龍の名「ドラゴン」はギリシア語の「ドラコーン」を由来とし、「ドラコーン」とはすなわち蛇を意味している。獅子の前脚と鷲の後ろ足、サソリの尾などを持つものとして描かれており、また特徴として、コウモリのような翼を有している。

この翼を用いて天空を飛翔し、口から火と煙を吐くとされている。また太古の昔、人類登場以前に存在していた恐竜に似た姿をしてもいる。このようにドラゴンはいくつかの動物が組み合わされた形態を持っていた。

 強い力・悪を象徴する西洋の龍=ドラゴンは、神話や物語、伝説の中では神々と対立する存在として登場する。その多くが神々の敵として悪魔視されており、その姿を変えることなく人間を襲うドラゴンは、聖人・英雄に悉く退治されてしまうのである。ギリシア神話の中ではヘラクレス、ゼウス、アポロンをはじめとする多くの神々・英雄たちによるドラゴン退治の話が語られている。

特にキリスト教では、ドラゴンは秩序を乱す悪(=異教徒)として邪悪、醜悪なものと見なされていた。『新約聖書』ヨハネの黙示録には、巨大な龍または年を経た蛇が天上で天使ミカエル等と戦った末に敗れ、全人類を惑わす者、悪魔・サタンと呼ばれ、地上に投げ落とされ、地下深くに閉じこめられたと記されている。

この中に登場する龍は、火のように赤い大きな龍で、七つの頭、七つの冠に十本の角を持ち、一度に天の星の三分の一をなぎ払ってしまうような尾を有する強大な怪物であった。聖書においてのドラゴンは、何か実在の生き物を表わす言葉として使用されているのではなく、むしろ邪悪・悪魔といったイメージの象徴的な意味を表わすものとして描かれている。

その他、イタリア、スペイン、ドイツ、北欧などヨーロッパ各地の至るところに神々・英雄によるドラゴン退治の物語が残っているのみならず、数多くの絵画や彫刻などにもモチーフとして用いられてきた。

続く
メンテ
大和魂 22 ( No.24 )
日時: 2010/10/15 11:25
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:AOs0erLs

 ヨーロッパより以前、古代オリエント文明においても龍退治の話が存在している。龍退治は主に天地創造において語られているが、バビロニア8の叙事詩『エヌマ・エリシュ』の中においては、英雄マルドゥークが龍とされるティアマトを殺し、天と地を創造したと記している。

さらにティアマトが大蛇、巨大な龍などの様々な怪物を産み出したとも書いている。後のキリスト教に影響を与えたペルシャのゾロアスター教9の経典『アヴェスタ』には、三頭に六つの眼と三つの口を有し、千の超能力を持つ、邪悪な龍、アジ・ダハーカが登場する。ゾロアスター教は善神と悪神との対立を説いており、善神の勝利を信ずる。アジ・ダハーカは終末における善と悪の戦いで、神の敵対者であるアンラ・マンユの配下として、ともに最後まで善に抵抗する悪として登場している。さらに『アヴェスタ』においても龍を退治する英雄が、ペルシャの英雄叙事詩『シャー・ナーメ』でも勇者ロスタムが荒野に棲む龍と戦う話が書かれている。神々は強い力の象徴とされるドラゴンを退治することによって、自らの権力、力の強さを誇示することに利用したのである。

また龍であるとは断言できないが、エジプト神話においては、天の支配者・太陽神ラーとその協力者である天候神セトによって、淵ヌンに住む冥界の大蛇で暗黒の象徴とされるアポピスが征服される話が語られている。

 ドラゴンは海や川の水中を始めとし、池や泉にまで至る水際や地中、洞窟などを棲み家とする水棲の動物とされ、「水」に関連づけられることがあるが雨を降らすことはできず、神々が自らの能力を示威するかのように、ドラゴン退治を行った結果、大地に恵みの雨をもたらすことができるのだと考えられていた。その上、稲妻や大雨による洪水などの災害は龍がもたらすものと考えられていたため、嵐・天候を司る神が、最強とされる巨大な龍・イルルヤンカシュを退治する話がヒッタイト10に残っており、その話をモチーフにしたものが石灰岩に刻まれている。

 悪の象徴と否定的な存在としてみなされる一方で、古代ローマでは龍の描かれた軍旗が用いられていた。強い力を象徴する龍を軍旗に用いることは広い地域で見られるもので、東はエジプト、西ではケルト族11において特に盛んに使われていた。

船に龍頭をかたどったものや、イギリスでは、ワイヴァーンと称される二本の足と翼を持ったドラゴンが霊力を持つ聖なる動物として扱われており、旗に用いられただけでなく、現在でもロンドン市の紋章にワイヴァーンが使用されており、イギリス王室の紋章にも見られる。その他柱、鉄道会社などの紋章として彫られたワイヴァーンを至るところで見ることができる。

ドラゴンと似た形態を有してはいるが、性格は全く異なるものである。さらに古代イランにおいては、尾をくわえ輪になったウロボロス型の龍が、永遠を象徴するもの、また墓の守護者として墓石に使用されていた。


 またドラゴンは中世ヨーロッパで行われていた錬金術において、水銀と結びつく、神聖な第一物質とみなされ、「錬金術師たちが獅子、鷲、鴉(または一角獣)と併せてドラゴンを四性の一とした。」12とあり、ドラゴンはサラマンダー(火蜥蜴)とともに四元素13のうち火を象徴するものとされている。以上のように、肯定的な象徴として捉えられていたドラゴンの例がいくつか残ってはいるが、およそ西洋においてのドラゴンは邪悪な悪の化身とみなされ、神々・英雄によって退治される対象者であるという思想が主流である。

続く
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大和魂 23 ( No.25 )
日時: 2010/10/15 11:26
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:AOs0erLs

(二) 善悪二面性を併せ持つ インドのナーガ(龍神)

 インドのナーガは神の協力者である。ナーガは龍神または蛇神、龍蛇ともされている。ナーガは大蛇を神格化したもので、半蛇半神の姿で、時に多頭で現され、聖獣とされる。インドに棲息する毒蛇コブラの神であり、四肢はなく、角と髭いずれも有しておらず、合成獣である龍やドラゴンと違って、動物との混成はみられない。

ナーガは仏教において重要な役割を持つ。ナーガは仏法の守護神であるとともに、雨を恵む水の神でもあり、時に雲を起こし、雨を降らせて五穀豊作をもたらす。竜宮に住み、神通力を持ち、変幻自在で、人間の姿に変わることも可能とする。

ナーガとは古代インドの文章語、サンスクリット語で、蛇を指す。しかし、仏典が中国に持ち込まれ漢語に訳された際に「龍」、ナーガ・ラージャは「龍王」と訳され、ナーガが中国における龍と同一視されるに至った。

 その一方でインドにはヴリトラと呼ばれる悪龍が存在し、人々に危害を及ぼし、人畜五穀に大きな災禍を加えるものとして恐れられていた。仏教以前の古代インドでは、当時インドを支配していたバラモン族を中心とするアーリア人14によって、多神教であるバラモン教が信仰されていた。バラモン教はヒンズー教の前身とされている。バラモン教の経典の一つ、『リグ・ヴェーダ』にヴリトラ龍とインドラ神との戦いが述べられている。

その中でヴリトラ龍はアヒと呼ばれており、アヒとはすなわち蛇を指し、アヒは世界の始まりと同時にその身体に全世界の水を巻き付かせ、流れを止めてしまった。そのアヒを稲妻によって殺したインドラ神が水を穿ち、大地に雨を降らせたのである。

アヒは水の神であったにもかかわらず、それ自体が信仰されることはなく、ヨーロッパにおけるドラゴン退治を行った神々・英雄と同様に、アーリア人の主神であった武勇の神・インドラが雨を恵むのであり、人々はインドラ神に雨を祈願し、信仰の対象としていた。後にインドラ神は仏教にも取り入れられ、梵天15と並ぶ仏教の護法神・帝釈天となる。

 邪神とみなされた龍であったが、アーリア人の侵入以前にはインドの原住民によって樹木、リンガ(性器)崇拝などと併せて蛇神崇拝が行われていた。その後インドに侵入してきた異民族は蛇神を龍神信仰として取り入れ、龍王はアイラーヴァタまたはマニバドラなどと称され、龍神は尊神として信仰されるに至る。

また西北インドを征服したクシャーナ族16においても民間信仰から取り入れられた龍神は崇拝の対象とされていた。蛇神崇拝は後の仏教、主に西インドで広く信仰されているジャイナ教17の民間信仰に大きな影響を与えている。

 インドの民族宗教であるヒンズー教は多神教であり、バラモン教から多くを受け継ぐとともに、仏教や民間信仰から多くの影響を受けている。バラモン教において、さして高い地位に位置していなかったシヴァ(ルドラ)神、ヴィシュヌ神がヒンズー教では最高位の主神として迎え入れられた。シヴァ神崇拝は蛇神、特にリンガ崇拝をその中に取り入れている。

さらにインド神話には、シヴァに従わない修験者によって猛毒のコブラ蛇を投げつけられたが、シヴァはそれを恐れもせずに身体を装飾するかのように巻き付け、修験者から崇められたと語られている。シヴァ神は大自在天として仏教の中に姿を見せている。

続く
 
メンテ
大和魂 24 ( No.26 )
日時: 2010/10/15 11:27
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:AOs0erLs

一方ヴィシュヌ神は、七つや五つまたは九つといった頭を持つアナンタもしくはシェーシャなどと称される多頭の蛇を使者のようなものとし、モンスーンの期間中には長円形にとぐろを巻いたアナンタの上に眠り続け、雨を降らせる。その後、ヴィシュヌ神はアナンタに座し、その頭上には多頭の蛇がヴィシュヌ神を守護するかのように首をもたげる。この姿に似たものは仏教の中にも見られ、アナンタはアナンタ竜王(難陀竜王)と名を変え、仏陀の守護神として登場する。

 さらにヴィシュヌ神、アナンタと切り離せないものとして、神鳥ガルーダが挙げられる。ヴィシュヌ神は横たわり、座す時にはアナンタを用いるが、移動を行う時にはガルーダの背に乗って天空を飛翔するとされ、ガルーダも後に迦楼羅として仏教に取り入れられている。

ガルーダは鷹のような鋭い爪と嘴、大きな翼と尾を有し、悪をくじく戦いの神と信仰され、ナーガの天敵であり、蛇を喰らうといわれる。ガルーダとナーガはともにヒンズー教の中で聖獣とみなされており、一対となって正と悪、天界と冥界、東と西、男性と女性をそれぞれ象徴している。ヒンズー教の美術品として、ナーガを背にしたガルーダ像や多頭のナーガにまたがったガルーダ像が東南アジア、主にインドネシア、アンコール・ワットに残されている。

 聖獣としての龍のみならず、『リグ・ヴェーダ』のヴリトラ龍とインドラ神の戦いと同様に、ヒンズー教においても毒龍カーリヤとクリシュナ神の戦いの物語が存在している。カーリヤ龍は蛇の王とされ、ガンジス川または海に棲み、五つの頭と毒気を持ち、五つの口から炎とともに吐き出す。

クリシュナ神はヴィシュヌ神の化身のひとつであり、ヒンズー教の二大叙事詩のひとつ『マハーバーラタ』に牧童として登場する。同じく仏教の中にも悪龍が登場する。仏法に従わず、雨を呼び起こして五穀に大きな災害をもたらすとされる龍王が存在しているのである。

 ナーガ信仰はインドのみならず、東南アジアを中心とした地域にその姿をみることができる。イスラム教の伝播によりヒンズー教の衰退を余儀なくされた東南アジアでは、ナーガやガルーダをモチーフにした美術品がインドネシアやカンボジアのアンコール・ワットなどの遺跡に残されているように、以前はヒンズー教徒がその多くを占め、それとともに仏教もが取り入れられ、それぞれ独自の文化が息づいていた。

またネパールにおいてもナーガ信仰が行われており、ヒンズー教や仏教からの影響を多く受けている。首都カトマンズはナーガが住まう地といわれ、ナーガをカトマンズ盆地の守護神として祀っている。ネパールはインドからの移住者によって支配され、その王朝が栄えた。当時の王宮跡や寺院にはモチーフとなったナーガが多く刻まれており、今日でも五穀に恵みの雨をもたらす水の神として信仰の対象となっている。さらにラオスでもナーガが信仰され、やはり、昔栄えた王宮や寺院などにナーガを刻んだものが見受けられる。

ナーガは河や海、水源の支配者であり、雨を自由に操る能力を有すると考えられ、今日でもラオス、タイの龍船祭を始めとして、ネパールなど各地で降雨を祈願する祭りが行われている。

 各地でナーガを対象とする雨乞いが行われているように、ナーガ信仰は善の性質をより多く持つ。インドに棲息する猛毒コブラは人々に死をもたらす動物として恐れられていたが、古代人はそれを崇めることで危険を遠ざけられると考えていた。インドの原住民18によって行われていた蛇神崇拝などの民間信仰は、徐々に異民族の中に取り入れられていったが、当初、侵入者であるアーリア人にとって敵対する原住民の信仰は邪悪なものとして扱われていた。

そのため、悪としての性質を持つ龍も神話や伝説とともに生き続け、ナーガが善悪二面性を有するに至ったのだろう。

続く
 
メンテ

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