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[814] 大和魂(日本の心のルーツを探る)
日時: 2017/06/26 13:15
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:ZChukVGk

(プロローグ)

人類が霊長類と分類されて他の動物よりも繁栄してきたのは、その頭脳的能力が発達、進化してきたからであります。
始原における人類は、その頭脳的能力で道具を使うことを覚え、そのうちに火を自在に使えるようになりました。

これは生きる(食べる)事において画期的な進化でありました。
一方で人々は集団で生活して行くことの重要性に目覚め次第に大きな集落を形成し分業をするようになってきた。
集団で生活し始めると、自分達の生活を脅かす自然の力に対する畏怖の心も結集することになり自然崇拝、呪術などが起きることになりました。
このころになると、集団には統治の機能が求められ次第に原始国家に近い概念が生まれてきました。

人間の頭脳的能力が生きるための対自然から、統治という人間自身の問題まで対象にし始めたと言うことです。
集団の英知(頭脳的能力の総体)を集めることに成功した人類は、農業、漁業、工業の分野を確立し安定した社会を構成することが出来ました。
このころになると、宗教と言うものが次第に鮮明な形を帯びてきて、人々の精神的ケアをするとともに、宗教を通じて集団の結束を図るようになってきました。
同時に統治者は独裁の傾向が強くなり王国を形成するようになります。
自然を相手に生産活動に殉じてきた人間でしたが、集団の力が強化されるとともに、他の集団を略奪することにより、成果がもたらされることに気がつき以来、血で血を洗う抗争が続いてきました。

さて、3000年も4000年も遡りますが、一応は自然を相手の格闘に一段落した人間は、その精神的な余裕の分だけ、その頭脳的能力を内面に向けるようになりました。
それが宗教であり、哲学の世界です。

文字として残る最古の哲学は、2000年くらい前のギリシャ哲学でありますが、その内容は主に統治の問題に絡んで話されています。
最初の哲学が、ようやく手に入れた人間社会の安定のために、人間は如何にあるべきかが最大テーマであったという事でしょう。
中国における儒教というものもこの範疇に入ると思います。

時を同じくして、キリスト教、イスラム教、仏教が興っています。現在まで続いているこれの宗教は、哲学とは別の方向から人間の内面性を説こうとしたものであり、それまでの宗教が民族単位に近かったものから人類共通の普遍性を主張しているのが特徴です。
西欧の歴史は、一時、キリスト教の精神で色濃く塗られていましたが、キリスト教的教義への反動として、500年くらい前にルネッサンス(文芸復興)と言う考え方が広まりました。
直接はキリスト教支配の前の人間精神への回帰ですが、実際は新たな人間性の認識へ移りました。
其処では、人間自身を自然とも切り離し、神とも切り離して如何に生きられるかについての思索がなされました。

それは300年後に資本主義、民主主義という鮮明な形で認識されるに至っています。
その途中、西欧哲学はスピノザに始まりホッブス、デカルト、カントへ至る人間自身の認識論(観念論)からヘーゲルの純粋論理的認識論(弁証法)へ進むなど、自然の理を超越しようとした試みが中心でありました。
それを人類の進化、発展と見れば、そのまま肯定もできるでしょう。
確かに、論理的に西欧哲学的思考で割り切ることにより、現代社会の繁栄があるのです。
さて、現代社会において我々が直面している困難は、深いところで人間性の問題につながっています。

資本主義、民主主義のシステムは、物資と情報、享楽と言う意味で人類に飛躍的な果実をもたらしました。
自然とともに生きなければならないと言う束縛から人類を解放したと言えます。
そうして、現代社会が直面している困難と言うのは、その昔、人類が経験していた自然の恐怖とは質が異なる困難であります。
ここに現代の困難は文明史的な次元の課題であると思います。
ここ4000年の間に営まれてきた宗教、哲学の概念の延長上で、どのように捉えられるか、更なる進化と言う観点から捉えるのか、人間性というものを自然との関わりで見直すことが正解であるのかが問われています。
これに対して、直線的に斯くあるべしと言うよりも、この観点から日本の歴史を振り返ってみたいと思います。

具体的には、弟3期西欧文明(資本主義・民主主義)が今日ある状況以外に人類は選択の余地がなかったのか、その過程において切り捨ててしまったものの中に人類が必要としていたものはなかったのかについて検証することから始めようと思います。
タイトルの「大和魂」とは、西欧文明以前の日本の精神文化を総称したものであります。
途方もなく長ったらしい話になりますが、ボチボチと御付き合い願いますよう御願いします。
説明のために掲げています長文は適当に読み飛ばしていただければ幸甚に思います。



(追申です 2017年6月24日)

このスレッドも、旧掲示板で書き始めてから言いますと10年近くたっています。
「大和魂」という標題のため、読んでくださる方は、常に「大和魂」の概念を探ろうとされているようです。
しかしながら、このタイトルは、このスレッド全体を通して感受されるべきものとして書いていますので、「大和魂」とは何かという設問には答えが見いだせなく戸惑いながら、結局は何が言いたいのか解らずしまいの様でしょう。
タイトルのつけ方が適正ではなかったかもしれません。
そこで、この時点(No188のレス)で私自身、ようやくたどり着いた「大和魂」の概念について次の様に説明して置きたいと思います。

<大和魂とは>

西欧民主主義が入ってくる前
江戸時代の朱子学に毒されるまえ
特に武士道などは、もってのほか。

それを取ったとき、
日本人はどのような生き方をしていたか。
それを探りたいのであり、言葉では、簡単には現せなく体感してほしいと思っております。

また「魂」という言葉を使っていますのは、物事に挑戦する意欲を表現しています。
これも具体的には言えませんが、山田長政の話やら、あまり良いことはしてないようですが倭寇など海外へ積極的に進出する、その気概。
日本人にも、そんな積極性があったことを頼もしく感じています。
そして、それは日本独自の文化、芸術を生み育てる力にもなっています。

その様なものを一括して「大和魂」と言っています。
そうして、そういうものを、この文章から感じ取っていただけることが出来たら幸いと思って書いています。
ですが、将来の日本人に「大和魂」だけを押し付けるつもりで言っているのではありません。
日本人には「大和魂」があることを忘れず、社会を生きてほしいと願うのです。

※ 体感してほしいと言っていますように、この文章の各所に伝説、神話、他の国の事情などを説明している箇所が随分とあります。退屈かもしれませんが、それを読まれることによって、それが書かれた時代、場所の様子を感じ取っていただきたいのです。
特に前半の部分は、日本民族と他国の民族性の違いを感じ取るために、長ったらしく資料を集めました。

(目  次)
No 0      プロローグ・目次
(前 章)
NO 1〜7    「大和」とは
(民話・伝説)
No 8〜16    日本の神話・伝説
NO 17〜20  中国の神話・伝説
NO 21〜37    世界のドラゴン伝説
No 38〜42    中国の民話
NO 43〜47    世界の七夕伝説
NO 48〜50    中国の民話・伝説
NO 51〜67    インドの民話・伝説
No 67〜93    イスラムの民話・伝説
No 94〜124   アングロサクソンの民話・伝説
(日本の歴史検証)
No 125〜137   「和」の検証 
No 138〜151   神代の時代から古墳時代
N0        飛鳥・奈良時代(一時、サーバのトラブルがあり、この部分が消えています)
No        平安時代(一時、サーバのトラブルがあり、この部分が消えています)
※ 後日復旧する予定。
No 152〜169   鎌倉時代
NO 170〜     室町時代
NO        江戸時代(未稿)
No        明治時代(未稿)
No        現代(未稿)
NO        「大和魂」とは(未稿)
No        エピローグ(未稿)

※ 世界の民話・伝説に紙面を割いているのは、日本人と他民族の気質の違いを探るためです。
メンテ

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室町時代 ( No.172 )
日時: 2017/06/14 20:47
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:4ZVowqEc

ここで日本の年代別人口の推移を見て置きましょう。
(我が国の人口の推移)
縄文時代(1万年)        2〜20万人
弥生時代(600年)        20〜60万人
古墳時代〜飛鳥時代(450年)   60〜450万人
奈良時代(100年)        450〜550万人
平安時代(400年)        550〜700万人
鎌倉時代〜安土桃山時代(400年) 700〜1800万人
江戸時代(250年)        1800〜3400万人
明治時代(50年)         3400〜5500万人
大正時代(15年)         5500〜6400万人
昭和時代(60年)         6400〜1億1700万人
平成時代(30年)         1億1700〜1億2800万人

室町時代の事はざっと概観しました。
鎌倉・室町時代は、基幹産業の農業は技術的な発展があり食料の生産が増えて最初の人口の爆発が起き、大国家としてのかたちが形成されていった時代です。
人口の増加は町づくりを促し、同時に市場の改革も起き全国で市場がたち、貨幣経済も発達しました。
このように大衆が大衆の求めに応じて社会を作り上げて行った時代と言えましょう。
それに対して中央政府は無力で室町幕府などは形だけの支配と化していたのでしょう。
その代わりに、守護大名などは領地経営に精をだし、力をつけてきて、後の戦国時代と言われる元を作っていきました。
大衆の力は経済だけではなく、手工業、建築、絵画、歌舞伎、茶の湯などの文化も発揚し、後世に伝わる日本文化のほとんどの源を作り上げていきました。
対外的にも御朱印船貿易など、海外に飛躍したのもこの時代です。
政治的には、この気風は下克上を生み、戦国時代を経て日本の実質的な再統一へ向かいました。
また権力に対する不満から庶民が一揆を起こすようにもなりました。
戦国時代と言われている頃からは一向一揆と言われているように宗教と結び付いて大きな一揆がおきています。
江戸時代の武士道は忠義一筋で主君の為なら何時でも命を投げ出す、と言ったものですが、この時代の武士道は、飽くまでも一族郎党を養うための武士の覚悟の事を言い、一族郎党を守る為なら何時でも敵方へ寝返る事を正当化するような激しいものでした。
江戸時代を経て儒教の影響で大人しくなった日本人からみれば、信じられない奔放さを持っていたのが日本人です。

私はこの時代(鎌倉・室町)を日本を作った日本人の時代と思います。
この後、神道などを中心に、もう少し詳しく見てみる事にします。
メンテ
神道の話 1 ( No.173 )
日時: 2017/06/14 21:38
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:4ZVowqEc

さて、ここで神道について触れておきましょう。

どの民族においても始原的な信仰心と言うものは、アニミズム、トーテミズムと言う形であったものと思います。
日本の場合の氏神信仰の発祥は、それが、もう少し進んで集落の五穀豊穣を願う儀式が形式化された弥生時代と言えましょう。
それ以前は、神話、伝説の世界であると言えます。
これについては、このスレッドの最初の方でかなりのスペースを割いて言及しています。

神社に祀ってある神様と言うのは次の様なものです。

1. 自然物や自然現象を神格化した神
2. 思考・災いといった抽象的なものを神格化した観念神
3. 古代の指導者・有力者などを神格化したと思われる神(エウヘメリズム)、氏の集団や村里の守り神とされるようになる神々
4. 万物の創造主としての神(ここにおいてはthe Godである)
5. 万物の創造主・主宰者としての全能の天皇

八百万の神(やおよろずのかみ)と言うのは、自然のもの全てには神が宿っていることが、八百万の神の考え方であり、日本では古くから、山の神様、田んぼの神様、トイレの神様(厠神 かわやがみ)、台所の神様など、米粒の中にも神様がいると考えられてきた。自然に存在するものを崇拝する気持ちが、神が宿っていると考えることから八百万の神と言われるようになったと考えられる。八百万とは無限に近い神がいることを表しており、数ある多神教の中でも、数が多い考え方であると言える。 またこういった性格から、特定能力が著しく秀でた、もしくは特定分野で認められた人物への敬称として「神」が使われることがある。

大和朝廷成立後には神社に祀る神として
大圀主命(おおくにぬしのみこと)
須佐之男命(すさのおのみこと)などの伝説の人物の名前であったり
隼総別命(はやぶさわけのみこと)
誉田別天皇(ほむたわけのすめらみこと=応神天皇)など天皇、皇族など有力者の名が出てきます。

最初の頃の神道の神様は、地域、地域に根付いた神様で日本中に無数にありました。
大和朝廷成立に至る過程で、地域を支配した豪族などを神とするようになり、それが氏神信仰の謂れともなりました。
その氏も次第に大権力者、大和朝廷につながるものを神として祀るようになってきたのです。
我が国固有の宗教としての神道の面白いところは、統治の有力者だけではなく、有力者に恨みを残して亡くなった人物を『神』として祀り、祟りを避けようとした例も数多くあります。中でも菅原道真を祀る天満宮は亡くなった人間を神として扱う顕著な例です。 また、一人ひとりはそれほど有力な人物でなくとも、数多くの人々が亡くなった場合にも神として祀られ、これは靖国神社等が例として挙げられます。

次第に国家権力と結びつく神道に対して、それ以前の民衆の信仰の対象であった神道を古神道と言います。

古神道は「原始宗教の一つである」ともされ、世界各地で人が社会を持った太古の昔から自然発生的に生まれたものと、その様相はおしなべて同様である。その要素は、自然崇拝・精霊崇拝(アニミズム)、またはその延長線上にある先祖崇拝としての命・御魂・霊・神などの不可知な物質ではない生命の本質としてのマナの概念や、常世(とこよ・神や悪いものが住む)と現世(うつしよ・人の国や現実世界)からなる世界観と、禁足地や神域の存在と、それぞれを隔てる端境とその往来を妨げる結界や、祈祷・占い(シャーマニズム)による祈願祈念とその結果による政(まつりごと)の指針、国の創世と人の創世の神話の発生があげられる。

神道の神様の始原的な概念は、荒魂(あらみたま)・和魂(にぎみたま)と言う2つの側面を持って捉えられています。
荒魂は神の荒々しい側面、荒ぶる魂である。天変地異を引き起こし、病を流行らせ、人の心を荒廃させて争いへ駆り立てる神の働きである。神の祟りは荒魂の表れである。それに対し和魂は、雨や日光の恵みなど、神の優しく平和的な側面である。神の加護は和魂の表れである。
荒魂と和魂は、同一の神であっても別の神に見えるほどの強い個性の表れであり、実際別の神名が与えられたり、皇大神宮の正宮と荒祭宮といったように、別に祀られていたりすることもある。人々は神の怒りを鎮め、荒魂を和魂に変えるために、神に供物を捧げ、儀式や祭を行ってきた。この神の御魂の極端な二面性が、神道の信仰の源となっています。

荒魂・和魂の概念は、我が国の伝説の中にも現れています。
各地にある竜神伝説は、恐ろしい竜ではあるが、大切に崇めると雨を降らせてくれる人々の守り竜でもある。河童伝説もキツネ伝説も大概は、その動物の二面性を説いています。
菅原道真の様に恨みを残して死んでいった人を祀る気持ちも同じように禍を転じて福としたい気持ちの現れです。西欧にも竜神伝説はありますが、西欧のそれは、飽くまでも人間に禍する竜としてのみ描かれています。
日本の神道と言うよりも神社信仰のこの概念こそ日本的であり大切な想いであると思います。

村祭り、初詣、七五三、宮参りなど現代まで受け継がれている神社行事は、この古神道の心が現代まで永遠と受け継がれてきたことを表します。

メンテ
神道の話 2 ( No.174 )
日時: 2017/06/15 10:22
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:xuCVLJQs

氏神信仰について
当地の氏神神社である須津彦神社に対する想いは、皆様それぞれであると思います。少し長文になりますが、私たち神社を預かる者として、神社の側からの気持ちを述べさせていただきます。
前半は、趣旨説明のための長文ですので興味のない方は、読み飛ばしていただけば良いかと思います。

始めに土地の神様の話しをします。

「神道」と言えば右翼がこのむ言葉の様に思われがちですが、「大和魂」と同じ様に随分と歪な解釈がなされるようになりましたが、本来は以下のようなものなのです。


(氏神)

本来の氏神は、古代にその氏人たちだけが祀った神であり、祖先神であることが多かった。例として、中臣氏は天児屋根命、忌部氏は天太玉命を祀った。
中世以降、氏神の周辺に住み、その祭礼に参加する者全体を「氏子」と称するようになり、氏神は鎮守や産土神と区別されなくなった。同じ氏神を祭る人々を「氏子中」、「氏子同」といい、その代表者である氏子総代を中心に神事や祭事が担われている。氏神を祀る神社の周辺には住んでいないが、その神を信仰する者を「崇敬者(すうけいしゃ)」といい、氏子と併せて「氏子崇敬者」と総称する。
中世以降の例としては、源氏の八幡神(八幡宮)、平氏の厳島明神(厳島神社)などが挙げられる。別格として皇室の祖神を祭った伊勢神宮は、近世までは皇室のみの氏神であったが、今日では日本人全員の総氏神とされている。

(鎮守)

鎮守(ちんじゅ)は、その土地に鎮まりその土地やその土地の者を守る神のことである。平安時代以降になると荘園制が形成され貴族や武士、寺院などの私的領地が確立され、氏族社会が崩壊し氏神信仰も衰退するが、荘園領主達は荘園を鎮護する目的でその土地の守護神を祀るようになる。これが鎮守であり、室町時代の頃に荘園制が崩壊すると信仰は衰退し、氏神に合祀され今日に至っていることが多い。

(産土神)

産土神(うぶすながみ)はその者が産まれた土地の神であり、その者を一生守護すると考えられている。生涯を通じて同じ土地に住むことが多かった時代は、ほとんどの場合産土神と鎮守は同じ神であった。ただし、現在は転居する者が多いため産土神と鎮守神が異なる場合も多い。
この氏神信仰は七五三などで見ることが出来るが、生まれて間もない子供のお宮参りは本来氏神神社にお参りして、その土地の一員になることを認めてもらうための儀式の一つだった。

氏神は「古代にその氏人たちだけが祀った神であり」と言われています様に、元を糾せば、あらゆる事物や現象に霊魂,精霊が宿ると信じる観念、いわゆるアニミズムと、以下に説明する、トーテミズムが融合した形で原始宗教と思われるものの延長にあると思われる。

(トーテミズム)

日本の神道を含めた自然崇拝の信仰形態において、部族や血縁に対し、生きる縁を与えるものとして、「自分と似たようなもの」が祝福あるいは生命力を与えると考えられた。彼らは、部族ごとに石、光線、動物、植物とさまざまな形で表され、異なる世界から来るマナ(神秘的な力の源とされる概念)を、共有していると考えられた。
そうして、その概念は、狩猟生活が中心であった長い縄文時代を経て、稲作が始まった弥生時代になって定着したといえます。


極、小単位ではじまった氏神信仰が、変質し始めたのは、生活集団が、より大きなものへと変わって行ったことと関連します。

稲作の伝来、定着と共に社会的大きな変化は環濠集落誕生と社会構成である。
最初は小さな集団から始まったのであろうが、これが段々と大規模なものとなり直径が数百メートルもある大規模なものとなり、村の概念から国の概念へと発達して行く。
また収穫物と言う財産を保持することになり、狩猟生活における獲物の取り合いとは別の、集団同士(村)の熾烈で大規模な争奪戦を生む原因ともなった。

「 クニ」の形成

弥生時代、当時の最先進地域であった北部九 州では、当初、それぞれ個別の集落として存在していた「ムラ」が、農耕が基本に持つ高い人口再生産力を発揮してムラの拡大・分化を生み、近辺の生産適地を埋め尽くすように未開地を耕作地へ変えていった。
その結果増加した「ムラムラ」が、弥生前期後半ごろから小共同体(おそらく血族集団、本家と分家などから構成されたような共同体)に成長し、更にその小共同体が、指導力を持った中心的な小共同体と、そういう小共同体との共存を図ろうとする従属的な小共同体とに階層化し、それらが一つのグループとなって「クニ」を形成し始めた。
クニ形成の基本的要因は、水資源の共有化や管理の一元化の必要性が生じたことにあったと思われる。
それほどにムラの数や人口が急増し、北部九州の中小河川の水量では、その効率的な利用が強く求められたからであろう。
当然、クニの内外で調整や裁定というような社会的作業や、それがうまく図れなかった場合には、争いが−すなわちこの列島において初めての戦争が−起こったであろう。

大和朝廷による国家の統一とともに、氏神信仰も随分と様相が変わってきました。

神道の元になったもの、すなわち、大和政権の中で信奉された神を祀っていたのは、物部氏であり、中臣氏でした。これらの氏族は、神を祀ることを生業としていた氏族です。一方の蘇我氏は朝鮮半島からの文化の受入に積極的であったと言われています。日本書紀の欽明天皇の条には、天皇が譲り受けた仏をとうしたものかと問うた時、蘇我稲目は受容することを進言し、物部尾輿と中臣鎌子は180いる日本の神(国神)怒りを買うと言って反対します。所謂、崇仏廃仏論争です。一時期、物部・中臣が勢力を持ち、仏像の廃棄や寺の焼却を黙認します。次の世代である蘇我馬子、物部守屋になると、次の敏達天皇は廃物希釈を実施しますが、次の用明天皇から大きく流れが変わります。そして、武力で、蘇我馬子が物部守屋を倒すに至り、完全なる仏教の時代がやってきます。

天武天皇の時、天皇中心の国家体制が整備されます。この時、天皇家の氏神である天照大神が日本民族の代表の神として位置づけられます。この後、作られた記紀の中でも天照大神を祀ることの重要さが記載されています。この時、仏教の中においても神様の格上げが行われます。そして、菩薩になった神があらわれます。代表的なのが、応神天皇こと八幡神は、八幡大菩薩となりました。現在の宇佐神宮も、延喜式に記載されている名前は、八幡大菩薩宇佐宮です。

(仏教の伝来)

仏教が日本に伝わったのは、現在、552年と538年の説があります。
当時の仏教は、仏教自身が鎮護国家の思想をもち、神道による国家体系とは別のものであった。

(鎮護国家)

仏教の教義に基づき、仏・菩薩や諸王が国家を鎮め護るという思想と、それによってもたらされる効果。7世紀、日本の律令体制構築に際し、朝廷は中国の王朝に倣って護国の思想を受容し、国家の中心に位置する国王(天皇)の擁護や、国情・社会の安定、他国からの防衛といった効果を祈念すると同時に、仏教の教義を通じて諸地域住民の感情・思想面での統制を図ろうとした。

そのために、鎌倉時代になると「本地垂迹説}などが現れることになる。

本地垂迹(ほんじすいじゃく)とは、仏教が興隆した時代に発生した神仏習合思想の一つで、日本の八百万の神々は、実は様々な仏(菩薩や天部なども含む)が化身として日本の地に現れた権現(ごんげん)であるとする考えである。

(続く)
メンテ
神道の話 3 ( No.175 )
日時: 2017/06/15 14:12
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:xuCVLJQs

氏神信仰の形で始まった日本の信仰が、どのように変わって行ったかの歴史です。

(神道の確立)

鎌倉時代になると、まずは仏教ありきの中でも、本地垂迹説を日本において、また、各仏教宗派の中で整理しようという気運が生まれてきます。天台宗系の山王神道、真言宗系の真言神道(両部神道)などが確立していきます。日蓮宗では、法華神道がおこり、日替わりの神様である法華三十番神が祀られるようになりました。また、それと同時に伊勢神宮の外宮では、古くからの儀礼を体系化した度会神道(外宮神道、伊勢神道という言い方をされる本も見受けられるが、江戸時代の同名のものとは異なっている)がおこります。

(吉田神道)

室町時代に入ると、ようやく仏教とは別次元で、日本における神の道なるものを確立しようする動きが表れます。それを成し遂げたのが、吉田兼倶(よしだかねとも)です。彼の起こした教義を、元本宗源神道といい、仏教ありきの両部神道や山王神道にではなく、反本地垂迹説を唱え、本地で唯一なるものが神であるとして森羅万象を体系づけた世界観をあらわすようになります。そして、『唯一神道名法要集』の中で、神道の考え方を整理し、仏教に依存する本迹縁起神道、両部習合神道、元本宗源神道の三種に分けられとし、最後の、元本宗源神道こそが、吉田家の祖先神であるアメノコヤネノミコトによって伝えられた正統的神道であると主張しました。また、仏教、儒教との関係を、仏教は「花実」、儒教は「枝葉」、神道は「根」と表現し、仏教や儒教が神道の上に成り立つ物であると示しました。吉田家は、兼倶の父の代まで卜部家であり、古来の神道を引き継いでいた家柄であることは間違い有りません。しかし、兼倶以降、皇室の白川家に変わって吉田家が神道の家元になり、権限を持つようになりました。

(本居宣長)

江戸時代に入り、本居宣長は、賀茂真淵の古道説を継承し、『古事記』の研究に取り組み、約35年を費やして当時の『古事記』研究をした結果、古事記が独自の価値を持った史書としての評価を獲得していくことになった。

(平田篤胤)

本居宣長らの後を引き継ぐ形で、儒教・仏教と習合した神道を批判したが、やがてその思想は宣長学派の実証主義から逸脱した神秘学的なものに変貌していった。篤胤の学説は水戸学同様幕末の尊皇攘夷の支柱となった。
平田篤胤の神道を復古神道と言うが、それはやがて明治維新の思想的側面を形成し、神仏分離、廃仏毀釈の運動となり、神道国教化を推進したとある。

それは大和朝廷からつながる天皇家の存在を国体の中心に据えると言うものであり。
天皇家の氏神、伊勢神宮を国家神道の頂点とするものであった。

(明治政府における神社の統合)

明治4年に、神社を「国家の祭祀」として社格制度を決めたのである。
それによると伊勢神宮を頂点とする神道系の宗教団体として、約8万社ある日本の神社のうち主要なものなど7万9千社以上を統合した。
後の9000社は、何かの理由で伊勢神宮の傘下には置けなかったものである。
この国家神道の考え方が、どのように展開していったかは、記憶に新しいものである。

ですが、神道を考えるとき、この国家神道の思想が人為的政治的に作り上げられてものであり、信仰の対象と言う意味では価値を置く必要のないものであることは明白です。

(参考に日本の神社の概要を紹介します)

神明神社・皇大神社(お伊勢さん) 伊勢神宮内宮 天照大御神
(この中に79000社があります)
八幡神社 宇佐神宮 八幡神(応神天皇)
天満宮・天神神社・北野神社・菅原神社 太宰府天満宮
北野天満宮 菅原道真
宗像神社 宗像大社 宗像三女神
厳島神社 厳島神社 宗像三女神
八坂神社・祇園社 八坂神社 素盞嗚尊
津島神社・天王社・須賀神社 津島神社 素盞嗚尊
氷川神社 氷川神社 素盞嗚尊
諏訪神社 諏訪大社 建御名方神
日吉神社・日枝神社(山王さん) 日吉大社東本宮 大山咋神
松尾神社 松尾大社 大山咋神
熊野神社 熊野三山 熊野神
白山神社 白山比盗_社 菊理媛神
熱田神社 熱田神宮 熱田大神(草薙剣)
浅間神社 富士山本宮浅間大社 木花咲耶姫命
鹿島神社 鹿島神宮 武甕槌命
香取神社 香取神宮 経津主命
春日神社 春日大社 武甕槌命・経津主命
愛宕神社 愛宕神社 迦具土神
秋葉神社 秋葉山本宮秋葉神社 迦具土神
金毘羅神社・琴平神社(こんぴらさん) 金刀比羅宮 金毘羅神(現在は大物主神)
住吉神社 住吉大社 住吉大神
多賀神社 (お多賀さん) 多賀大社 伊邪那岐命・伊邪那美命
貴船神社・貴布祢神社 貴船神社 闇淤加美神・高淤加美神
出雲神社 出雲大社 大国主命
塩竈神社 鹽竈神社 塩土老翁神
賀茂神社 賀茂別雷神社(上賀茂神社)
賀茂御祖神社(下鴨神社) 賀茂別雷神
大鳥(鷲・鳳)神社 大鳥大社(西日本) 日本武尊・大鳥連祖神
鷲宮神社・大鷲神社(東日本) 日本武尊
大神神社・三輪神社(三輪明神) 大神神社 大物主命
稲荷神社 伏見稲荷大社 宇迦之御魂神・保食神ほか穀物神
淡嶋神社 淡嶋神社 少彦名命(淡島神)
猿田彦神社・佐田神社・大田神社・白髭神社
賽神社・道祖神 椿大神社 猿田彦神
恵比寿(恵比須・戎)神社 西宮神社 蛭子命(ひるこ・えびす)
美保神社 事代主命
大山祗神社 大山祇神社 大山祇神
三島神社 大山祇神社 大山祇神
三嶋大社 大山祇神・事代主命
御嶽神社・御岳神社 御嶽神社 造化三神
阿蘇神社 阿蘇神社 健磐龍命(阿蘇十二神)
山神社 大山祇神(山神)
メンテ
神道の話 4 ( No.176 )
日時: 2017/06/16 10:35
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:tIVq0bOg

神道に拘っていますが、私は神道でも飛鳥時代以前の古神道(氏神信仰)の中に日本の日本らしい心の存在を見ているからです。
そこのところをもう少し検証してみます。

そもそも宗教とは何かという問いに対して

世界には日常の経験によっては証明不可能な秩序が存在し、人間は神あるいは法則という象徴を媒介としてこれを理解し、その秩序を根拠として人間の生活の目標とそれを取り巻く状況の意味と価値が普遍的、永続的に説明できるという信念の体系をいう。この信念は、生き生きした実在感をもって体験として受け取られ、合理的には解決できない問題から生じる知的、情的な緊張を解消し、人間に生きがい、幸福を与える役割を果たすものとして期待されている。また、信念を同じくする人々が、教会、教団とよばれる共同体を形成する。

この様に形式的で、堅苦しい説明がありますが、これでは宗教の外見上(教団の存在)の概念については理解できるが、宗教そのものについての説明には乏しい。

概略すぎて申し訳けないが、歴史的に宗教のことを追ってみよう。

(呪術の段階)

宗教は最初、アニミズムやシャーマニズムと言う形で、生産の為の自然崇拝から始った。やがてそれが一神教とか多神教の形で神という概念を創り出した。
この段階では、個人及び生計を共にする小集団がその不安に対応するために宗教活動を行うのが中心であり、そのうち指導者が長老とか呪術者という形で出てくる。

(古代宗教の段階)

その後社会が発達し、人間の生活単位が部族から民族へ、さらに国家と広がるに従い宗教のあり方(宗教によせる気持)も複雑化し大規模となり、部族神、国家神の形をとることになる。
古代エジプト王国などは、その究極の形である。
此処では王は宗教上の最高権威でもあり、宗教は個人及び生計を共にする小集団の宗教的願いを包括しながらも統治の為の要素も宗教活動の中に入ってくる。
この時代の国家は純粋な宗教国家と言える。

(世界宗教の段階)

古代国家の終わり、起源前、1000〜2000年のころになると、人間の生産力もあがり、国家としての集団生活も安定してくると、人々は「人間とは何か。「宇宙とは何か」と言う領域のことにも興味を持つようになり、国家の枠組みを突き抜けた思考をするようになる。
形而上学的な哲学が興り、宗教も国家を逸脱し万人を対象とする理念が現われた。
それが、現代まで続いているキリスト教であり、イスラム教、仏教の発祥となって、くしくも起源前1000〜起源年の間に一斉に現われた。

最初に述べた「宗教とは何か」と言う問いにたいして、キリスト教については、教父と言われているアウグスティヌスの次の言葉で総括することにする。
「告白』という書物の冒頭で、「(主よ)、私たちの心は、あなたの内に安らうまで、安らぎを得ません」と述べ、キリストの教えを信じて初めて魂の安らぎを得たと告白している。
その前提に彼は「人間は貴方(神)に似せられて造られている」言っている。
言い替えれば、キリスト教の教義は、人々は、キリストの教えに学ぶ(キリストに近づく)ことで心の安寧を得るということに集約できる。

一方、同じ一神教であるイスラム教では、アラーの神に忠誠を求める。人々はそのアラーの戒律をひたすら守ることで心の平安を得ることとされている。
そのためにイスラム教の社会は、信仰という領域で中央集権的な様相が強く、ために宗教と国家が結ぶ付くことが多くなる。
イスラム教を信仰する国民の比率が多くなると、結びつかざる要素があるのである。

これに対して多神教社会で発達してきた仏教の世界では少し様相が異なってくる。
起源前5世紀に現われた仏陀の教えは「この世を苦しみ・迷いの世界と見、苦行にも悦楽にも偏らない正しい実践によってそこから脱け出ること、さらには迷いに沈む生きとし生けるものを救うことを目ざす」ことであった。
仏陀の教えの境地に達することを「解脱」と言い、それによって「涅槃」の世界へ導くことが教義とされている。
要するにキリスト教、イスラム教がひたすら神との関係を強調するのに対して仏教では各自の修練を求め、それによって各自は平安が得られるというものである。
また、仏教の世界観では「輪廻転生」を言う。これも先の2宗教とは根本的に異なり、生(人性)を宇宙の流れの中に位置づけている。
人々は個人であって個人でないのである。

このように我々が宗教と言う概念で捉えるのは世界宗教(アーノルド・トインビーは高等宗教と名づけている)のことであって、2000年の間、人類はこれに基づいて輝かしい発展の歴史を作ってきた。
ところが、この間の科学技術の発達と、それに伴って結実した経済の発達は人間社会自身の悩みを変質させることになった。

次に日本の様子を伺ってみることにしましょう。

メンテ
神道の話 5 ( No.177 )
日時: 2017/06/16 10:36
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:tIVq0bOg

以下の文章は、このスレッドの前の方に出てきて重複するかもしれません。



信仰心の文化人類学的考察

古代日本の世界 「怨霊伝説」

人類には既知の生活圏内においても、どうしても克服できない恐怖が付きまといます。たびたび襲い掛かる地震や噴火などの天災、疫病です。昔の人は、これらの原因を科学的に理解することができず、従って解決できなかったのです。この未知なるものへの「恐怖」が、神や悪魔、亡霊や怨霊といった存在を生み出したのです。

人類は、これらを敬い供養を重ねることで、「未知の恐怖」を克服できると信じるしかありませんでした。近世に至るまで、天災や疫病や精神病といった「目に見えない恐怖」は、悪魔や怨霊の仕業と信じられていました。それが西洋(キリスト教圏)では悪魔、我が国では怨霊伝説として残っています。

まず、怨霊とは何か?それは、恨みを呑んで死んでいった人の霊魂です。怨霊は、一神教世界の悪魔と異なり、個別的で具体的な存在なのです。東洋世界では、怨霊は、恨みを晴らすために仇の命を付け狙い、あるいは天災や疫病を引き起こす邪悪な存在だと考えられていました。これを退治する方法は、供養を重ねて怒りを和らげることで、成仏してもらうしかありません。あるいは、仇討ちを成就させてあげるしかありません。

歴史的に見て誰もが認める怨霊としては、崇徳上皇、菅原道真、平将門、佐倉惣五郎、西郷隆盛などがある。また、最近では、これに加えて、一部の歴史家、小説家が検証した怨霊としては、蘇我入鹿、聖徳太子、長屋王、藤原三代などがある。

これら、怨霊となった人々の共通点は、いずれも不慮の死を遂げていることである。しかも、これらの人々は、理想を掲げて活動していたが、政敵により殺害された人達である。そして、崇徳上皇、菅原道真のように政敵に対して深い恨みを抱き、後世に災いを引き起こしたと見られている。
 
権力者(藤原氏)は、自身の後ろめたさから、民衆と一緒に道真を「天神様」として祀りあげるのである。これにより、権力者自身、道真と民衆から、許しを請うているのである。そうすることで、怨霊も民衆もそれ以上は、権力者を憎むことはなかった。

これこそが、日本の「怨霊思想」である。一見、非科学的な、祟りの話であるが、その中身は、政治、人事に対する民衆の怒り、それに対する、権力者の贖罪、そして、新たな平和の到来、といった政治問題の解決の手段なのである。

出雲大社の謂れにしても、それはヤマト王権成立の過程で、オオクニヌシノカミ(大国主神)が葦原中国(あしはらなかつくに、日本の古称)を天孫に譲った功績に対して、アマテラスオオミカミ(天照大神)が造営してやった壮大な宮殿とされているが、実際は「オオクニヌシノカミは本心から納得して素直に国譲りをしたのではない、戦いに破れて激しい怨念を抱いたままこの世を去ったというのだ。その怨霊を鎮めるため、幽事(あの世のこと)の支配者としておだて上げ、その宮殿としてアマテラスオオミカミの子孫の住まいより大きい大神殿を建ててやった」と主張されている歴史家がいます。


「西欧の悪魔」

これに対して悪魔は、主にキリスト教やイスラム教といった一神教世界に登場する存在であり、唯一神と対立する概念です。神=善、悪魔=悪と考えるのが一番簡単なのですが(ゾロアスター教ではそうなっている)、キリスト教世界などでは、神と悪魔はしばしば混然としています。人間の態度いかんで、神が悪(=天罰)を為すこともあるからです。

欧州のキリスト教会では、悪魔は人間の心の弱さに付けこんで、心を腐らせる邪悪な存在であると教えていました。庶民は、教会に縋り正しい信仰を守ることを怠れば、弱い心が悪魔に食われてしまい、神の御許に辿り着けなくなるというのです。つまり悪魔は、個人の信仰を揺るがせる「恐怖」なのです。天災や疫病は、むしろ、人間が悪魔に負けて正しい信仰を失ったことに対する「神が下した天罰」と考えるのです

ゲーテの『ファウスト』は、悪魔を描いた傑作です。主人公の学者ファウストは、老齢になって「本当の人生の満足」を得ていないことに気づきます。悩み苦しんだ彼は、悪魔メフィストと、ある契約を結びます。悪魔が彼に「本当の人生の満足」を与えてくれるのなら、魂を悪魔に献上するというのです。様々な冒険を経て、ついに本当の幸せを知ったファウストは、心からの満足とともに地獄に落ちるのです。

ウイリアム・フリードキン監督の『エクソシスト』(1974)は、悪魔祓いの物語です。主人公のカラス神父は、少女リーガンの体内に巣食う凶悪な悪魔を撃退するのですが、自らは命を落とします。ショッキングな悪魔描写が話題を呼び、1970年代のホラーブームを生んだ傑作です。

他にも沢山ありますが、悪魔が登場する物語は、人間の実存を巡る哲学的なテーマが多いようです。そして、ほとんどの物語がアンハッピーエンドです。悪魔は退治されず、主人公は堕落するか命を落とすのです。

このように一神教世界の悪魔は、神と表裏一体の概念となっていて、神の世界を守護するために使われます。

ヤマト民族が、お互いの生活の平穏のために怨霊を祀り「和」を望んだことと随分と異なるようです。
これは後に記述する、アングロサクソン、ゲルマン民族との性格の比較にも通じることになってきます。


次に「日本の龍神伝説」を2つ紹介します。

「大分県 震動の滝の竜神伝説」

昔々、震動滝の竜神が年老いてきて、神通力が年々衰えるのを苦にし
どうにかして若い人間を食いたいと願っていた。
ある日北方の釣り人に神通力を送った。それとは知らずいつもよりよく釣れるので釣り人はとうとう滝つぼまで引き寄せられて竜神につかまった。

竜神が「不老長寿の薬にお前の娘をどうしても食いたい。
差し出さねばお前を食うまでだ」と迫ったので釣り人は恐ろしさのあまり
娘を捧げる約束をして逃げ帰ったと。

しかしいつまで待っても娘が来ないので竜神はとうとう怒ってしまい
神通力で部落の底を抜いて水を抜き捨ててしまった。

田も畑も作物は枯れ、井戸水もなくなり部落は最大の危機に見舞われた。
そして竜神は最後の力を振り絞り、断崖をよじ登り部落に火を吹きつけ始めたと。

そこで娘の恋人の若者が一計を思いつき部落総出で白鳥神社に集まり
餅をつき不老長寿の祈願を受けて竜神に捧げた。
竜神も白鳥神社には一言もなく引き下がり、部落は難儀を救われた。
その後天災や大水の出るたびに部落では餅をつき、滝つぼに投げ入れて
竜神の機嫌をとるようになったと。

竜神が崖を這い上がった時の跡が今も残っていて、白崩れとか竜神崩れとかいって
白鳥神社の横に大きく口を開けていてのぞくと恐ろしいということじゃ。



津南町立芦ヶ崎小学校編  「竜ヶ窪に伝わるお話」より

ある年長い日照りが続き、村人はヒエやアワどころか水一滴なく苦しい生活をしていました。

ある時一人の青年が食べ物を探しに出かけると、昼寝をしている龍の側に卵があるのを見つけ、 盗み出しました。村に帰り、せめて年寄りや子供にだけでも食べさせようと卵を割ると、 中から龍の子が現れ母親に助けを求めたのです。怒りに狂った母親龍が村人を食い殺そうとすると、 村人は「子供だけは助けてほしい」と必死で頼みました。

龍はその心に打たれ、村人のために3日3晩雨を降らせ池を作ってやりました。 そして「この池はおまえたちの美しい心の象徴だ。しかし人の心の曇るとき、この池は涸れてしまうであろう」と言い残して消えました。 村人はこの池を『龍ヶ窪』と名付けて大切にし、龍神様をおまつりしたということです。

これに対してヨーロッパのそれは、

「悪の化身 西洋のドラゴン」

 序章で前述したように、龍は古代中国において四神・四霊などの一つに数え挙げられ、神獣や瑞獣とみなされてきた。また中国では、龍は天子を意味するものであり、天子に関する事柄に用いられ、さらには英雄や豪傑をたとえるものでもあり、特に優れていることを指している。

ところがヨーロッパにおいては、伝説上の怪獣・ドラゴンは中国の龍に近い形態を持つ動物であるにもかかわらず龍とは異なる立場に位置し、強い力・暗黒・暴力を象徴するものとされている。

ヨーロッパで描かれる典型的なドラゴンは、頭に角を持ち、胴は緑や黒っぽい色の鱗におおわれた蛇、あるいはトカゲのような爬虫類のもので、西洋における龍の名「ドラゴン」はギリシア語の「ドラコーン」を由来とし、「ドラコーン」とはすなわち蛇を意味している。獅子の前脚と鷲の後ろ足、サソリの尾などを持つものとして描かれており、また特徴として、コウモリのような翼を有している。

この翼を用いて天空を飛翔し、口から火と煙を吐くとされている。また太古の昔、人類登場以前に存在していた恐竜に似た姿をしてもいる。このようにドラゴンはいくつかの動物が組み合わされた形態を持っていた。

 強い力・悪を象徴する西洋の龍=ドラゴンは、神話や物語、伝説の中では神々と対立する存在として登場する。その多くが神々の敵として悪魔視されており、その姿を変えることなく人間を襲うドラゴンは、聖人・英雄に悉く退治されてしまうのである。ギリシア神話の中ではヘラクレス、ゼウス、アポロンをはじめとする多くの神々・英雄たちによるドラゴン退治の話が語られている。

特にキリスト教では、ドラゴンは秩序を乱す悪(=異教徒)として邪悪、醜悪なものと見なされていた。『新約聖書』ヨハネの黙示録には、巨大な龍または年を経た蛇が天上で天使ミカエル等と戦った末に敗れ、全人類を惑わす者、悪魔・サタンと呼ばれ、地上に投げ落とされ、地下深くに閉じこめられたと記されている。

この中に登場する龍は、火のように赤い大きな龍で、七つの頭、七つの冠に十本の角を持ち、一度に天の星の三分の一をなぎ払ってしまうような尾を有する強大な怪物であった。聖書においてのドラゴンは、何か実在の生き物を表わす言葉として使用されているのではなく、むしろ邪悪・悪魔といったイメージの象徴的な意味を表わすものとして描かれている。

その他、イタリア、スペイン、ドイツ、北欧などヨーロッパ各地の至るところに神々・英雄によるドラゴン退治の物語が残っているのみならず、数多くの絵画や彫刻などにもモチーフとして用いられてきた。
メンテ
神道の話 6 ( No.178 )
日時: 2017/06/16 10:37
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:tIVq0bOg

如何でしょうか、日本の竜神伝説の優しい事が御分かりと思います。
怨霊伝説、悪魔伝説と同じように人間の恐怖心の裏返しで各種の伝説は言い伝えられています。

その恐怖とは何であったのでしょうか。

一番に考えら得ることは餓えへの恐怖、つまりは作物の不作だったと思います、狩猟や漁業の成果を祈願する面もあったと思いますが、これは古代のことである程度は安定していたでしょう。

その次には、生命の不安だったでしょう。
疫病、戦い、さらには権力者にとっては永遠の生命を求めていたかも知れません。

そう言うものの対象が水生動物としての龍(ドラゴン)へ向かったともいえます。また、荒れ狂う大河の流域の人々が大河を恐れたのかも知れません。

ヨーロッパではドラゴンは悪魔のように恐れられる存在だけであった事と、中国などでは権力の象徴としてより用いられたことなど、それぞれに民族性が感じられます。

一神教の影響が強いヨーロッパは、あくまでも善をなすものは神のみであり、全てをそれと対立して考える方向が強いようです。
ですからドラゴンはあくまでも人々に害をなす存在として恐れられ、祀られてきたと思います。

それと対極にあるのが日本で、龍をも篭絡し人々に善を成す存在に置き換えています。龍神を手厚く祀ること(自戒すること)によって豊作が得られると言うことです。

割愛しましたが、中国では、人々のそんな思い(豊作祈願)よりも、為政者の威光のために龍が用いられてきたようです。

ヨーロッパや中国などでは、これから述べることになりますが、国家や群落同士が血で血を洗う闘争が続いていました。豊作よりも戦いに勝って生き抜くことの方が重要であったとも思います。

また神と個人の対話を旨とする一神教が育っている社会では、集団としての祈願などは興味がなかったのかも知れません。


一神教の世界と多神教の世界を一部の事例で検証して見ました。
日本は良い国の形をしていると思いませんか。

この延長で出てきたのが日本の信仰、氏神信仰なのです。
繰り返しますが、荒魂(あらみたま)・和魂(にぎみたま)という神の概念が解りやすくなったでしょう。

神道の神様の始原的な概念は、荒魂(あらみたま)・和魂(にぎみたま)と言う2つの側面を持って捉えられています。
荒魂は神の荒々しい側面、荒ぶる魂である。天変地異を引き起こし、病を流行らせ、人の心を荒廃させて争いへ駆り立てる神の働きである。神の祟りは荒魂の表れである。それに対し和魂は、雨や日光の恵みなど、神の優しく平和的な側面である。神の加護は和魂の表れである。
荒魂と和魂は、同一の神であっても別の神に見えるほどの強い個性の表れであり、実際別の神名が与えられたり、皇大神宮の正宮と荒祭宮といったように、別に祀られていたりすることもある。人々は神の怒りを鎮め、荒魂を和魂に変えるために、神に供物を捧げ、儀式や祭を行ってきた。この神の御魂の極端な二面性が、神道の信仰の源となっています。


現在、普通に言われている神道は、鎌倉時代以降、国体を考えることと関連して根源の信仰心から離れた歪なものになっているのです。
しかしながら、日本の心のルーツを探ると言う面では大切な概念であり、また、この根源的な信仰心は現在でも民衆の中に伝わり生きているのです。

大和魂の概念とともに、我が国の精神文化の上で大切な要素となっています。
これで、神道の話は一旦終わります。

メンテ
神道の話 7 ( No.179 )
日時: 2017/06/22 22:15
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:FdLlezlU

少し時代は飛びますが、神道に関して先走っておきます。


国家神道と言う言葉があります。
これは、このスレッドで追及している日本の心の源泉を神道(古神道)に求めながら何かのきっかけで神道を天皇の権威つけにする事に利用し、次第に信仰としての神道からはみだした結果の神道なのです。

その経緯について検証してみましょう。
国体を論じる風潮は、鎌倉時代から大きな動きになってきました。
外国の例では一つの王朝が滅びると、前の王朝の影響のあるものは、その後継者ともども徹底的に排除されるのが普通でした。
しかしながら日本においては、実質の天皇支配はすでに平安朝初期までであったのですが、その後は天皇は名目に代理人が統治をする様式が定着していきます。

平安時代は、それでも政治の中心は御所でやられたいたものが、武家政権である鎌倉時代以降は幕府を設けて幕府が統治するようになりました。
幕府は天皇から統治を委託されていると言う形を取っていました。
何故かこの形式は江戸時代が終わるまで700年も続きました。
そういえば、日本の歴史では時代の権力者(幕府を開いた者)で実質日本全土を武力によって制圧したものはなく、長く江戸幕府ですら、遠征の途中で和解をし、者に従っています。
その大義名分に天皇家の存在があったのでしょう。

その為にも天皇家側にも実際の統治者の側にも天皇家の存在を権威つける必要があったのではと思います。
その動きは鎌倉時代から活発になり、天皇家の権威つけに古事記の研究が始まったのではないかと思います。
我が国の正史とされている日本書紀とは違い、古事記には神代の時代からの伝説が書かれており、それが神武天皇から始まる天皇家の系図(皇紀2600年説)を造るようになったのでしょう。

それでも室町時代までは、単純に天皇家の権威つけで終わっていましたが、江戸時代にはいり様相が変わってきます。
江戸雄時代には賀茂真淵や本居宣長が出て、日本人のこころのルーツの様なものに関心を持ちました。
当時は仏教や儒教などいろいろな教えが広まっていて、彼らは日本的なものを検証しようとしたのでしょう。
両名とも、相当な博学で、四書五経など中国の古典、儒教、仏教、それにキリスト教の教えすら精通していたようです。
賀茂真淵は荷田春満を師とし、『万葉集』などの古典研究を通じて古代日本人の精神を研究し、和歌における古風の尊重、万葉主義を主張して和歌の革新に貢献した。また、人為的な君臣の関係を重視する朱子学の道徳を否定し、日本の古典にみられ、古代日本人の精神性の純粋な表れとされる、作為のない自然の心情・態度こそ人間本来のあるべき姿であるとしていました。

一方、宣長は、真淵の励ましを受けて『古事記』の研究に取り組み、約35年を費やして当時の『古事記』研究の集大成である注釈書『古事記伝』を著した[。『古事記伝』の成果は、当時の人々に衝撃的に受け入れられ、一般には正史である『日本書紀』を講読する際の副読本としての位置づけであった『古事記』が、独自の価値を持った史書としての評価を獲得していく契機となった。
同時に、本居宣長は、『源氏物語』の中にみられる「もののあはれ」という日本固有の情緒こそ文学の本質であると提唱し、大昔から脈々と伝わる自然情緒や精神を第一義とし、外来的な儒教の教え(「漢意」)を自然に背く考えであると非難し、中華文明を参考にして取り入れる荻生徂徠を批判したとされる。
最初の国学と言われるものは、こうして始まったのですが、平田篤胤の登場によって様相が変わってきます。

平田篤胤は、本居宣長の死後に登場し、実際には本居宣長に師事した訳ではないのに宣長の弟子と称していました。
平田篤胤も宣長と同じように博学であり当時の最大の思想家であったのですが、篤胤と宣長の違うところは、宣長が日本的な心は飽くまでも氏神信仰(古神道)の域をでなものであったのに対して、篤胤のそれは、同じ様な日本の心を天皇家を権威つけするための神道に関連付けたことです。

後で詳しく説明しますが、具体的に簡単に言いますと、
日本的なこころ、素朴な信仰心は最終的には神様の体系の大元、大国主命(伊勢神宮)につながり、各地のことはその土地の国魂神、一宮の神や産土神・氏神が司るとした。

子の思想が、国家神道を生む基になった。
平田篤胤の怪しからん摩り替えであったが、その影響は幕末から明治時代の社会へ大きな影響を及ぼす事になった。

それでは平田篤胤の思想を、もう少し詳しく説明してみましょう。

篤胤は、他の学者のように他界を現世と切り離して考えたりはしなかった。黄泉の国の存在は認めたが、死者の国ではないとした。篤胤は、現実の習俗などから類推して、死者の魂は、死者の世界に行くが、その異界は現世のあらゆる場所に遍在しているとした。そして、神々が神社に鎮座しているように、死者の魂は墓上に留まるものだと考えた。現世からはその幽界をみることはできないが、死者の魂はこの世から離れても、人々の身近なところにある幽界にいて、現世のことをみており、祭祀を通じて生者と交流し、永遠に近親者・縁者を見守って行くのだとした。
これは近代以降、民俗学が明らかにした日本の伝統的な他界観に非常に近いといえる。逆に言えば、民俗学は、国学の影響を強く受けているということでもある。

現世は仮の世であり、死後の世界こそ本当の世界であるとした。これはキリスト教の影響である。篤胤は、キリスト教の教典も、『古事記』や仏典などと同じように古の教えを伝える古伝のひとつとして見ていたのである。

(大国主命の主宰神説)

篤胤によれば幽界は、大国主命が司る世界だという。大国主命は死者の魂を審判し、その現世での功罪に応じて褒賞懲罰を課すとしているが、死者が受けるその懲罰について、篤胤は詳細を述べていない。これは、篤胤の関心があくまで、この世における人生の不合理性の解決・救済にあり、為政者が望むような倫理的な規範の遵守を説くものではなかったことを示している。
この大国主命の幽冥界主宰神説は、篤胤以降復古神道の基本的な教義となり、近代以降の神道および政教関係を大きく方向付けることとなった1881年(明治14年)の祭神論争の出雲派の敗北で、公的には否定されるが、現在でも多くの神道系宗教で受け入れられている。

(引用終わり)

この前半の部分は良いとしても、それを大国主命の主宰神説に結びつけたのが大きな間違いであったのである。
宗教(信仰心)と政治は別物でなければならない。
神道をアラーに神を信じるような一神教にする事など、もっとも日本の精神に反している。
平田篤胤は、そこまで理解してなかったとしても、水戸学以降の存在が歪な思想を生んでしまった。

>アラーの神のためなら命まで捧げる
>天皇のために死んで来い

同じことでしょう。
日本の古神道(氏神信仰)は、決してそのようなものではなかったはず。

平田篤胤は悪い!
メンテ
神道の話 8(おまけ)  日本会議とも ( No.180 )
日時: 2017/06/22 23:24
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:FdLlezlU

現在日本には8万社の神社があると言いました。
そうして、明治政府は平田篤胤が唱えたように大国主命を祀る伊勢神宮を頂点とする神道系の宗教団体として、約8万社ある日本の神社のうち主要なものなど7万9千社以上を統合した。
それを管理する為の神社庁なる役所もどきの宗教法人を作り、全国の神社を管理している。
私の地区の神社も、その傘下で、京都府神社庁に届けを出しており、神社総代は地元の氏子が選んだ者を任命すると言う形を取っている。
そんな事を知らずに私は神社総代に選出され、大変ではあるが地元に為には力を尽くす積りであったが、就任早々神社庁に総代変更の届けを出せと言う。
これは何だ!と思いながらも総代を続けるうちに解ったことが、伊勢神宮系列に入っているために毎年、伊勢神宮の御札を購入するよう割り当ての数と共に請求された。
ヤクザ組織の上納金である。
ここまでは歴代総代もやってきた事としたがって来た。
しかしながら、神社庁の割り振りで、当地周囲の各神社が集まり支部を作っているそうで、その支部の総会に出なければならないらしい。
その支部の総会にでて、私は切れてしまった。
その総会の初めに、80人ほど集まった私と同じような総代に、伊勢神宮の方を向いて礼拝しろと言う。
これもイスラム教と同じ仕草。
もちろん、私はそんな事に応じるはずはない。
さらに、そのあとに、君が代を斉唱しろという。
完全に切れた私は、任期中のその後の5回の総会はすべてボイコットした。
何が悲しくて天皇の為に我が身を犠牲にして神社を守らねばならないか。

ですが実際の神社の管理は、そんなものとは違います。
初詣の世話に始まり、村祭り、厄年祈願祭、節分祭、村祈祷など、地域の人が喜んでくれる行事の世話なのです。
これが氏神信仰で当地の神社も1300年の昔から、これを続けているのです。
ここに本当の日本の心が宿っているのです。
国家神道など、クソ喰らえなのです。
そんな事を言っていたら、誰も協力はしてくれません。

ところで、ここに出てきた神社庁、その総本山えお神社本庁と言います。
どれくらいの金をせしめているかと言えば、79000×上納金(当地の様な小さな神社でも20万円)=160億円。
おそらく500〜800億円はあるでしょう。
話は飛びますが、次に「日本会議」の事に触れましょう。
日本会議は、1997年に設立された、日本の民間団体である。2016年現在、会員は約38000名、全国都道府県に本部があり、また241の市町村支部がある。会長は、田久保忠衛(2016年7月現在)。
日本会議国会議員懇談会と日本会議地方議員連盟は、日本会議の関連団体。

設立の経緯
1997年5月30日に日本を守る会と日本を守る国民会議を統合して設立された。
日本を守る会は1974年4月に、円覚寺貫主・朝比奈宗源が神道・仏教系の新宗教に呼びかけて結成、政治課題に対して様々な保守的な政治運動を行っていた。
日本を守る国民会議は1981年10月に設立。 最高裁判所長官を務めた石田和外らの呼びかけによって財界人・学者中心で、元号法制定を目的に1978年7月に結成された「元号法制化実現国民会議」をもとに、これを改組してつくられた。

要するに宗教団体の影響が強い団体で、統一教会、成長の家などの影響もありますが、何と言っても神社本庁の影響か、国家神道としての神道の影響が強くあります。

全体的に保守系の思想が強い団体ですが、奴等に本当に日本を憂う哲学(思想)などないことは明白であり、だから手っ取り早い国家神道に拠ったのです。
「日本会議」などと仰々しい名前を付けていますが歴史も40年間余りと浅く、内容は街宣右翼と変わらない軽薄なものです。
ただね、宗教票が欲しいクソ議員と、利権絡みで集まりたい輩が中心に集まる集団です。
ところが御本尊、神社庁はもともと(明治以来)日本各地に支部を置く全国組織のお上、資金はふんだんにある。
その世話だと思うが「日本会議」全国に支部をもち、その支部毎に同じ様によからぬ事を企む輩があるまり数の上では大組織となっている。

「日本会議」をつぶすなら神社本庁をつぶせば良いのだが、この神社本庁と言う奴は、平気で日本中の神社から上納金を平気であつめるヤクザ。なかなかつぶれない。
私の地域の神社の例で言ったように、全国79000の神社は神社庁に何の恩恵も受けてない。
神社庁などなくても変わらず、なくした方は日本の文化の為にも良い。
繰り返すが「日本会議」とは、そんなごろつきが牛耳っている組織である。
そういう事を間違いなく、しっかりと認識されることである。
そういう認識が広まれば「日本会議」など屁、みたいなものである。
メンテ
神道と天皇家 1 ( No.181 )
日時: 2017/06/24 13:34
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:saPMkyLI

ところで神道国家などを目指す思想が何処から来たのか検証してみる事にしましょう。
これは、大和魂の前提となる和の心の発祥と定着の時期と関係あるので、少し後戻りしますが書いてみます。


日本書記
http://nihonsinwa.com/column/novel/22.html
以下は日本書記の目次です。古事記も同じような項目で編纂されているので比較されれば面白いでしょう。

日本書紀神代上
日本書紀神代下
神武天皇(日本書紀)
綏靖天皇〜開化天皇(日本書紀)
崇神天皇(日本書紀)
垂仁天皇(日本書紀)
景行天皇(日本書紀)
成務天皇(日本書紀)
仲哀天皇(日本書紀)
神功皇后(日本書紀)
応神天皇(日本書紀)
仁徳天皇(日本書紀)
履中天皇・反正天皇(日本書紀)
允恭天皇(日本書紀)
安康天皇(日本書紀)
雄略天皇(日本書紀)
清寧天皇(日本書紀)
顕宗天皇(日本書紀)
仁賢天皇(日本書紀)
武烈天皇(日本書紀)
継体天皇(日本書紀)
安閑天皇・宣化天皇(日本書紀)
欽明天皇(日本書紀)
敏達天皇(日本書紀)
用明天皇(日本書紀)
崇峻天皇(日本書紀)
推古天皇(日本書紀)
舒明天皇(日本書紀)
皇極天皇(日本書紀)
孝徳天皇(日本書紀)
斉明天皇(日本書紀)
天智天皇(日本書紀)
天武天皇(日本書紀28)
天武天皇(日本書紀29)
持統天皇(日本書紀30巻)

ここで日本書紀神代上の内容を少し紹介します。
我が国の創生神話です。
その名前は知っていても、余り日本書記、古事記を読まれることがないので興味があるかと思います。

「日本書紀神代上」
(第一段本文 世界のはじまり)
昔、まだ天と地が分かれておらず
陰と陽が分かれておらず
混沌としていて鶏の卵のようでした。

そこにほんのちょっと兆しがありました。
その澄んで明るいものは
薄く広がって天となりました。
重く濁ったものは地となりました。

天となるものは動きやすく
地となるものは固まりにくかったのです。
なので天が先に生まれ、
次に地が固まりました。
その後、その中に神が生まれました。

世界が生まれたとき
国は漂っていました。
それは魚が水に浮かんでいるようでした。

天地の中に一つのものが生まれました。
アシの芽に似ていました。
国常立尊(クニノトコタチノミコト)です。

(とても尊いものを「尊(ミコト)」と書きます。そのほかは「命(ミコト)」と書きます)

次に国狹槌尊(クニノサツチノミコト)、次に豊斟渟尊(トヨクムヌノミコト=トヨクモノミコト)が生まれました。

これらの三柱は対となる配偶者の居ない男神でした。

(第一段一書(一)天地が分かれて、その虚空に)
天地が分かれて、その虚空に何かがありました。その形を表現することは難しいようなものでした。

その中に神が現れました。

国常立尊(クニノトコタチ)です。
別名を国底立尊(クニノソコタチ)と言います。

次に国狭槌尊(クニノサツチ)。
別名を国狭立尊(クニノサタチ)です。

次に豊国主尊(トヨクニヌシ)です。
別名を豊組野尊(トヨクムノ)です。
またの別名を豊香節野尊(トヨカフシノ)です。
またの別名を浮経野豊買尊(ウカフノノトヨカヒ)です。
またの別名を豊国野尊(トヨクニノ)です。
またの別名を葉木国野尊(ハコクニノ)です。
またの別名を見野尊(ミノ)です。

(第一段一書(二)葦の芽が生えるように)
昔、国も地も出来上がっていないときは、例えるならば水に浮かぶ油のように漂っていました。

その時、その国の中から、葦の芽が生えるように、一つの物が生まれました。そうして生まれた神を可美葦牙彦舅尊(ウマシアシカビヒコヂ)と言いました。

次に生まれたのが国常立尊(クニノトコタチノミコト)。
次が国狹槌尊(クニノサツチノミコト)。
葉木国(ハコクニ)を「播舉矩爾(ハコクニ)」といい、
可美(ウマシ)を「于麻時(ウマジ)」という。

(第一段一書(三)初めに「神人」が居ました)
天地が混沌としていたとき、初めに「神人」が居ました。名前は可美葦牙彦舅尊(ウマシアシカビヒコヂ)です。
次に国底立尊(クニノソコタチ)です。
彦舅(ヒコヂ)を比古尼(ヒコジ)と言います。

(第一段一書(四)高天原に生まれた神)
天地が初めに別れて、神が生まれた。
それが国常立尊(クニノトコタチノミコト)。
次に国狹槌尊(クニノサツチノミコト)。

また、高天原に生まれた神が天御中主尊(アメノミナカヌシ)です。次に高皇産靈尊(タカミムスビ)。次に神皇産靈尊(カミムスビ)です。
皇産靈(ミムスビ)は美武須毗(ミムスビ)といいます

(第一段一書(五)海の上で根づくところが無いでいる浮雲)
天と地がまだ区別がつかないときのこと。それは例えるならば、海の上で根づくところが無いでいる浮雲のようだった。

そこにひとつの物が生まれた。

葦の芽が初めて泥の中から生えて来たようだった。やがて人の形となった。

それが国常立尊(クニノトコタチノミコト)です。

(第一段一書(六)空中に葦の芽と脂)
天地が分かれて何か物がありました。

葦の芽が空中に生え、これが神となりました。
これが天常立尊(アメノトコタチノミコト)です。
次に可美葦牙彦舅尊(ウマシアシカビヒコヂノミコト)が生まれました。

また物がありました。
脂が空中に生まれ、それが神となりました。
それが国常立尊(クニノトコタチノミコト)です


次に現れた神は泥土煮尊(ウヒジニ)です。
別名を埿土根尊(ウヒジネ)と言います。

次に現れた神は沙土煑尊(スヒジニ)です。
別名を沙土根尊(スヒジネ)と言います。

次に現れた神は大戸之道尊(オオトノジ)です。
一説によると大戸之邊(オオトノベ)とも言われます。

次に現れた神は大苫邊尊(オオトマベ)です。
この二柱の神は別名を大戸摩彦尊(オオトマヒコ)と大戸摩姫尊(オオトマヒメ)と言います。また別名を大富道尊(オオトミヂ)と大富邊尊(オオトミベ)と言います。


次に現れた神は面足尊(オモタル)・惶根尊(カシコネ)といいます。
別名を吾屋惶根尊(アヤカシコネ)、忌橿城尊(イミカシキ)、青橿城根尊(アオカシキネ)、吾屋橿城尊(アヤカシキネ)と言います。

(第二段本文・第三段本文 神代七代)
次に現れたのが伊弉諾尊(イザナギ)・伊弉冉尊(イザナミ)です。

これらの八柱の神は天の道と地の道が交わって生まれました。それで男女となっています。国常立尊(クニノトコタチノミコト)から伊弉諾尊(イザナギノミコト)・伊弉冉尊(イザナミノミコト)までを神代七代と呼びます。

きりがないので、人格神→おなじみの神代七代が登場した所で省略します。
この後、神武天皇編の冒頭に以下の文章があります。


(追申)

日本の創世神話がインドのそれと非常に似通っていることに驚かされます。

リグ・ヴェーダ    インド哲学の祖

そのとき、無もなく、有もなかった、
空界もなく、その上の天もなかった。
世界を庇護したのはだれか、それを包んだのはだれか。
あの底知れぬ深遠はどこにあったのか、あの海はどこに。

そのとき、死もなく、不死もなく、
夜と昼とがさだかでなかった。
かの唯一者は、息なく呼吸し、
そのほかには何ものも存在しなかった。

全世界は暗黒におおわれ、
光なく、夜の中に消える大洋であった。
そのとき、おおいの中に隠れていたもの、
かの(唯一者)が灼熱の力によって生まれた。

これから出て、はじめに現れたのが、
知の種子なる意欲であった。
有の根底を無のなかに見いだしたのは、
心の動きにしたがい、探し求めた聖賢たちであった。

彼らが測素を横にずっと張ったとき、
何がその下にあって、何がその上にあったのか。
種子をもつものが存在し、活動する力が存在した。
自存力が下に、あふれそうな力が上に。

だが、だれがうまく尋ね当てたのか。
創造がどこから生じたかを、だれか認めたものがいたのか。
神々も、この創造よりのちに生まれ出た。
では、創造がどこから生じたかを、だれが宣言するのか。

創造を生み出したもの、
彼はいと高き天の光でそれを総覧し、
彼はそれをつくりなし、あるいはつくりなさず。
彼はそれを知り、あるいはまたそれを知らないか。
メンテ

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