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[814] 大和魂(日本の心のルーツを探る)
日時: 2018/05/23 11:57
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:XPKXw99A

「大和魂」と言う言葉を使うと嫌悪感に満ちてこれを否定する人たちが多い。
まるで街宣右翼と同類に扱われる。

しかしながら先の大戦において、国を守る為に散って行った200万近い兵士の事は、どのように思われるのか。

全てが全てでないとしても「大和魂」を信じて突進し倒れた兵士の事は考えられないのか。
その「大和魂」が軍部によって利用されていたとしても当事者の兵士の責任ではない。

ここで「大和魂」をミソクソに言う事は彼らの死を馬鹿にする事になる。
調子者が騙されて死んだと言えますか。

彼等の為にも「大和魂」は正当に評価することが大事と思います。
彼等は、まさしく彼等なりの「大和魂」を持って、国を守る為に死んで行ったのです。


(プロローグ)

人類が霊長類と分類されて他の動物よりも繁栄してきたのは、その頭脳的能力が発達、進化してきたからであります。
始原における人類は、その頭脳的能力で道具を使うことを覚え、そのうちに火を自在に使えるようになりました。

これは生きる(食べる)事において画期的な進化でありました。
一方で人々は集団で生活して行くことの重要性に目覚め次第に大きな集落を形成し分業をするようになってきた。
集団で生活し始めると、自分達の生活を脅かす自然の力に対する畏怖の心も結集することになり自然崇拝、呪術などが起きることになりました。
このころになると、集団には統治の機能が求められ次第に原始国家に近い概念が生まれてきました。

人間の頭脳的能力が生きるための対自然から、統治という人間自身の問題まで対象にし始めたと言うことです。
集団の英知(頭脳的能力の総体)を集めることに成功した人類は、農業、漁業、工業の分野を確立し安定した社会を構成することが出来ました。
このころになると、宗教と言うものが次第に鮮明な形を帯びてきて、人々の精神的ケアをするとともに、宗教を通じて集団の結束を図るようになってきました。
同時に統治者は独裁の傾向が強くなり王国を形成するようになります。
自然を相手に生産活動に殉じてきた人間でしたが、集団の力が強化されるとともに、他の集団を略奪することにより、成果がもたらされることに気がつき以来、血で血を洗う抗争が続いてきました。

さて、3000年も4000年も遡りますが、一応は自然を相手の格闘に一段落した人間は、その精神的な余裕の分だけ、その頭脳的能力を内面に向けるようになりました。
それが宗教であり、哲学の世界です。

文字として残る最古の哲学は、2000年くらい前のギリシャ哲学でありますが、その内容は主に統治の問題に絡んで話されています。
最初の哲学が、ようやく手に入れた人間社会の安定のために、人間は如何にあるべきかが最大テーマであったという事でしょう。
中国における儒教というものもこの範疇に入ると思います。

時を同じくして、キリスト教、イスラム教、仏教が興っています。現在まで続いているこれの宗教は、哲学とは別の方向から人間の内面性を説こうとしたものであり、それまでの宗教が民族単位に近かったものから人類共通の普遍性を主張しているのが特徴です。
西欧の歴史は、一時、キリスト教の精神で色濃く塗られていましたが、キリスト教的教義への反動として、500年くらい前にルネッサンス(文芸復興)と言う考え方が広まりました。
直接はキリスト教支配の前の人間精神への回帰ですが、実際は新たな人間性の認識へ移りました。
其処では、人間自身を自然とも切り離し、神とも切り離して如何に生きられるかについての思索がなされました。

それは300年後に資本主義、民主主義という鮮明な形で認識されるに至っています。
その途中、西欧哲学はスピノザに始まりホッブス、デカルト、カントへ至る人間自身の認識論(観念論)からヘーゲルの純粋論理的認識論(弁証法)へ進むなど、自然の理を超越しようとした試みが中心でありました。
それを人類の進化、発展と見れば、そのまま肯定もできるでしょう。
確かに、論理的に西欧哲学的思考で割り切ることにより、現代社会の繁栄があるのです。
さて、現代社会において我々が直面している困難は、深いところで人間性の問題につながっています。

資本主義、民主主義のシステムは、物資と情報、享楽と言う意味で人類に飛躍的な果実をもたらしました。
自然とともに生きなければならないと言う束縛から人類を解放したと言えます。
そうして、現代社会が直面している困難と言うのは、その昔、人類が経験していた自然の恐怖とは質が異なる困難であります。
ここに現代の困難は文明史的な次元の課題であると思います。
ここ4000年の間に営まれてきた宗教、哲学の概念の延長上で、どのように捉えられるか、更なる進化と言う観点から捉えるのか、人間性というものを自然との関わりで見直すことが正解であるのかが問われています。
これに対して、直線的に斯くあるべしと言うよりも、この観点から日本の歴史を振り返ってみたいと思います。

具体的には、弟3期西欧文明(資本主義・民主主義)が今日ある状況以外に人類は選択の余地がなかったのか、その過程において切り捨ててしまったものの中に人類が必要としていたものはなかったのかについて検証することから始めようと思います。
タイトルの「大和魂」とは、西欧文明以前の日本の精神文化を総称したものであります。
途方もなく長ったらしい話になりますが、ボチボチと御付き合い願いますよう御願いします。
説明のために掲げています長文は適当に読み飛ばしていただければ幸甚に思います。


(追申です 2017年6月24日)

このスレッドも、旧掲示板で書き始めてから言いますと10年近くたっています。
「大和魂」という標題のため、読んでくださる方は、常に「大和魂」の概念を探ろうとされているようです。
しかしながら、このタイトルは、このスレッド全体を通して感受されるべきものとして書いていますので、「大和魂」とは何かという設問には答えが見いだせなく戸惑いながら、結局は何が言いたいのか解らずしまいの様でしょう。
タイトルのつけ方が適正ではなかったかもしれません。
そこで、この時点(No188のレス)で私自身、ようやくたどり着いた「大和魂」の概念について次の様に説明して置きたいと思います。

<大和魂とは>

西欧民主主義が入ってくる前
江戸時代の朱子学に毒されるまえ
特に武士道などは、もってのほか。

それを取ったとき、
日本人はどのような生き方をしていたか。
それを探りたいのであり、言葉では、簡単には現せなく体感してほしいと思っております。

また「魂」という言葉を使っていますのは、物事に挑戦する意欲を表現しています。
これも具体的には言えませんが、山田長政の話やら、あまり良いことはしてないようですが倭寇など海外へ積極的に進出する、その気概。
日本人にも、そんな積極性があったことを頼もしく感じています。
そして、それは日本独自の文化、芸術を生み育てる力にもなっています。

その様なものを一括して「大和魂」と言っています。
そうして、そういうものを、この文章から感じ取っていただけることが出来たら幸いと思って書いています。
ですが、将来の日本人に「大和魂」だけを押し付けるつもりで言っているのではありません。
日本人には「大和魂」があることを忘れず、社会を生きてほしいと願うのです。

※ 体感してほしいと言っていますように、この文章の各所に伝説、神話、他の国の事情などを説明している箇所が随分とあります。退屈かもしれませんが、それを読まれることによって、それが書かれた時代、場所の様子を感じ取っていただきたいのです。
特に前半の部分は、日本民族と他国の民族性の違いを感じ取るために、長ったらしく資料を集めました。

(目  次)
No 0      プロローグ・目次
(前 章)
NO 1〜7    「大和」とは
(民話・伝説)
No 8〜16    日本の神話・伝説
NO 17〜20  中国の神話・伝説
NO 21〜37    世界のドラゴン伝説
No 38〜42    中国の民話
NO 43〜47    世界の七夕伝説
NO 48〜50    中国の民話・伝説
NO 51〜67    インドの民話・伝説
No 67〜93    イスラムの民話・伝説
No 94〜124   アングロサクソンの民話・伝説
(日本の歴史検証)
No 125〜137   「和」の検証 
No 138〜151   神代の時代から古墳時代
N0        飛鳥・奈良時代(一時、サーバのトラブルがあり、この部分が消えています)
No        平安時代(一時、サーバのトラブルがあり、この部分が消えています)
※ 後日復旧する予定。
No 152〜169   鎌倉時代
NO 170〜     室町時代
NO        江戸時代(未稿)
No        明治時代(未稿)
No        現代(未稿)
NO        「大和魂」とは(未稿)
No        エピローグ(未稿)

※ 世界の民話・伝説に紙面を割いているのは、日本人と他民族の気質の違いを探るためです。
メンテ

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Re: 大和魂(日本の心のルーツを探る) ( No.149 )
日時: 2013/02/17 13:47:02
名前: 天橋立の愚痴人間

遂犯無罪 さん
こんなものにも興味を持って頂き有難うございます。
心に余裕が無いので書き続けていませんが、まだまだやるつもりでいます。
さて「氏」そのものではありませんが、最近地元の神社総代をする事になりまして、はじめの神社委員会(30名)での挨拶に下記の話をしました。
神社委員会と言いましても、殆どが順番などで指名されている人間で、特に神社に興味を持っている人ではありません。


「須津彦神社と言いますのは、須津、夕ヶ丘、浜垣、宝山地区全てを含む地域を神域とした神社であります。
神社創建の時代は解りませんが、これは、どの神社でもそのように見えます。
ですが、平安朝に書かれた縁起式(900年)に丹後65座の一つとして、その名があります。
これから言いますと千数百年の歴史があると思います。
ついでに説明しておきますと、この神社の宮司を務めていただいています宮津の山王宮宮司との関係ですが、宮司に聞きますと、ほんの一時期、代わった事があるそうですが、江戸時代から、須津彦神社の宮司を務めてきた記録があるそうです。
また、現在、奉賛会に登録されています氏子の数は、295軒でありますが、

氏子と言う概念は、その神社の神域で生活する全ての人々を指しているようです。

このような意味で、特別に宗教上の理由で否定されていない限り、当地に住まわれる全ての皆様を氏子と思うべきかと思います。
出来ますれば、会費、要するに、お札を買っていただく奉賛会員になって欲しいのは山々ですが。

氏神信仰につきましては、神道と言う形で集約される前は、地域、地域に住む人たちが祖先神として祭った事が始まりであり、このような意味で、今日のように競争、競争でバラバラになりがちな、皆様の心をつなぐものとして、将来まで守って行かねばならないと思います。」


ここで言います「氏」とは、特定の名前こそ出ていませんが、その地域の豪族を指している場合が多いです。
中には、菅原道真を祭った天満宮もあるように、後世になるほど、その傾向が強く、終局的には、天皇家を祀る国家神道にまでなりました。
このような意味の「氏」は希望しませんが、始原的な意味での氏神信仰は受け入れます。

中国で、孔子の性をもつ末裔が、200万人いるともいわれています。
儒教の教えの強い韓国では、結婚しても夫婦の性は変えないと聞きます。
これは、日本的にいえば「氏」を軽んじているとも考えられますが、韓国流にいえば、韓国こそ「氏」を大切に思っている事になるのでしょうね。

「人間の成長の限界」スレッドで、キリスト教の事に触れていますが、同様に「氏」と言う概念も使われている内に意味が変遷しているのではないでしょうか。

最初は、共生のための認識であったものが、その内に個の主張の目印になり、権力闘争や、個人間の利害の象徴になってきたと思います。

民主主義、資本主義の概念と同じように、気を許して使っていると我々自身の束縛となってしまうのでしょうね。
身近な生活の中でも、名家意識もたまに触れさせられます。
プライドは、ある意味で必要でもあり、現在、強いプライドを持ってない人でも、可能であればプライド意識の強い人に変わってしまうことも考えられます。
また、その可能性があるから、我慢して生きて行かれるとも思います。

「氏」を意識することは、必要悪と言う面もあり(それが無くなった場合のディメリットを考えれば)人間の性と言いますか、業と言いますか、哲学的ば意味で「人間の成長の限界」スレッドのテーマであると思います。

最後に、氏名の誤字について。

裁判や契約書などの場合は、間違っているでは済まされない事ですが、通常の生活の場合、私の事を誤字で表現される場合があります。
私は、私が確認されれば良いでは無いかと、鷹揚に構えていますが、そうではない人の方がずっと多いですね。
しかしながら、他人が間違えるのはともかく、自分が間違えることはありえません(生涯、一度もありません)

貴方の周囲で、虐げられてなくなって行った人々を、差し支えなければ紹介してください。
平和ボケしている人間は、そういうものを見たくない気持ちで充満しています。
民主主義でも資本主義でも、それに溺れていると社会の崩壊に結びつくことを見ようとはしないのです。

我が国の住民の多くが、何時、それに気がつくかが問題ですね。


メンテ
Re: 大和魂(日本の心のルーツを探る) ( No.150 )
日時: 2013/02/17 17:42:45
名前: 遂犯無罪

鈍すれば貧ず・・か、貧ずれば鈍するか、まあどちらにせよ生きてゆくには希望と健康、そして適度な金銭が必要です。
刑務所では自己決定権は、悔悟教誨の参加の有無ぐらい、ここが長くなると看守に恭順に従うことに何の不満も無くなる。
洞窟の比喩というやつです、この共産党は70年代には今の4倍の国会議員を擁していた、それが景気が低迷する時代となり激減、先の見えない経済不安が要因でしょう。

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メンテ
Re: 大和魂(日本の心のルーツを探る) ( No.151 )
日時: 2013/02/17 19:29:28
名前: 天橋立の愚痴人間

>鈍すれば貧ず・・か、貧ずれば鈍するか・・・

遂犯無罪さんらしい、受け止め方ですね。


平和ボケした社会で、人々を引っ張ろうとする試みは、まさに、ドンキホーテの仕事です。

ボランティアに膿んでいては勤まりません。
人間とは、犬、ネコよりも可愛げのない動物ですね。

まあ、それでもやるのがボランティ精神。

そんなところでしょうか。

しかしながら、世が世であれば、ボランティアも命がけ。
その分、幸せか、そうでないかも自分次第と言う事ですか。

共産党は、共産党である限り、信用できないと思っています。
メンテ
Re: 大和魂(日本の心のルーツを探る) ( No.152 )
日時: 2013/05/01 13:33:00
名前: 天橋立の愚痴人間

さて、鎌倉仏教を語る前に、宗教の概念を俯瞰しておきましょう。

「宗教とは」ウィキペディアでは、

宗教の起源とは、古代において人類が宗教観や原始宗教を最初に持った時点・事象のことである。これは精神的起源と社会的起源に分類でき、それぞれの宗教が持つ固有の逸話的な起源である様々な創世神話とは区別される。
宗教の起源を解明する取り組みでは、人類の進化の過程で現われる宗教的行動から多くの情報が得られる。人間が初めて宗教的になった時期は明確ではないが、宗教的行為の信頼できる証拠は中期旧石器時代(5-30万年前)から見つかっている。古代エジプトとメソポタミアで宗教は成文化され、宗教史が始まる。

と書かれています。また、
「宗教とは何か」と言う問いに下記のような説明があります。

世界には日常の経験によっては証明不可能な秩序が存在し、人間は神あるいは法則という象徴を媒介としてこれを理解し、その秩序を根拠として人間の生活の目標とそれを取り巻く状況の意味と価値が普遍的、永続的に説明できるという信念の体系をいう。
この信念は、生き生きした実在感をもって体験として受け取られ、合理的には解決できない問題から生じる知的、情的な緊張を解消し、人間に生きがい、幸福を与える役割を果たすものとして期待されている。また、信念を同じくする人々が、教会、教団とよばれる共同体を形成する。

はっきりと言いまして、これでもあまり理解は出来ません。
また、宗教と言うものの形式的な象徴として、下記のものがあります。

●超越的存在、超自然現象、ヌミノースといった概念があり、通常は幽霊、悪魔と神のような存在や、魔法や占いのような行為が含まれる。
●ほとんど常に音楽や踊りを伴った儀式、式典がある。
●道徳、善のような社会的規範の指示がある。
●神話、宗教的真理 、教義がある。

更に、歴史的にみましょう。

(呪術の段階)

宗教は最初、アニミズムやシャーマニズムと言う形で、生産の為の自然崇拝から始った。やがてそれが一神教とか多神教の形で神という概念を創り出した。
この段階では、個人及び生計を共にする小集団がその不安に対応するために宗教活動を行うのが中心であり、そのうち指導者が長老とか呪術者という形で出てくる。

(古代宗教の段階)

その後社会が発達し、人間の生活単位が部族から民族へ、さらに国家と広がるに従い宗教のあり方(宗教によせる気持)も複雑化し大規模となり、部族神、国家神の形をとることになる。
古代エジプト王国などは、その究極の形である。
此処では王は宗教上の最高権威でもあり、宗教は個人及び生計を共にする小集団の宗教的願いを包括しながらも統治の為の要素も宗教活動の中に入ってくる。
この時代の国家は純粋な宗教国家と言える。

(世界宗教の段階)

古代国家の終わり、起源前、1000〜2000年のころになると、人間の生産力もあがり、国家としての集団生活も安定してくると、人々は「人間とは何か。「宇宙とは何か」と言う領域のことにも興味を持つようになり、国家の枠組みを突き抜けた思考をするようになる。
形而上学的な哲学が興り、宗教も国家を逸脱し万人を対象とする理念が現われた(アーノルド・トインビーが宗教論で言っている高等宗教)。
それが、現代まで続いているキリスト教であり、イスラム教、仏教の発祥となって、くしくも紀元前1000〜紀元年の間に一斉に現われた。

(日本の古代原始宗教→蛇信仰)

日本の縄文時代は約一万二千年前から始まり、約一万年続いた。中期から増大した縄文土器には蛇の造形が数多く見られ、単なる装飾というよりは呪術的な印象が強くあらわれている。また頭にマムシを巻きつけた女性の土偶や、男根を象った呪術シンボルとみられる石棒も、縄文中期からその数が増大している。近年の考古学によって、縄文中期に稲や稗を栽培していた痕跡がみつかったことから、縄文中期にはすでに農耕が存在した可能性が高く、新石器時代の日本の縄文時代にも、農耕文化によって世界的に伝播した主要な豊穣の呪術的シンボルである蛇・渦巻文・女性像・男根像がすべて見出される。このように日本は蛇信仰のメッカであった。
(農耕と関連する蛇信仰は世界中で見られる)

(神道について)

神道は、古来あった神々への信仰が、仏教、道教、儒教などの影響を受けて展開してきた宗教である。神道には、最初から明確な教義があったわけではなく、長い時間をかけて神学が形成され、とりわけ近世になって体系化が進められた。また、古来の伝統的な信仰や儀礼が「神道」として認識されるようになったのは、仏教の伝来以降のことと考えられる。

(現代日本の宗教信仰)

現代社会において、日本は無宗教の国とも言われていますが、消極的な信仰であっても神道を受け入れている人は1億人以上、仏教を受け入れている人もそれと同じくらいと考えられています。
メンテ
Re: 大和魂(日本の心のルーツを探る) ( No.153 )
日時: 2013/05/01 14:53:15
名前: 天橋立の愚痴人間

鎌倉時代の仏教を検証する前に、ウィキペディアで概要を確認する事にします。

「仏教の歴史」

仏教は、約2500年前(紀元前5世紀)にインド北部ガンジス川中流域で、釈迦が提唱し、発生した(初期仏教)。他の世界宗教とは異なり、自然崇拝や民族宗教などの原始宗教をルーツに持たない。当時のインドでは祭事を司る支配階級バラモンとは別に、サマナ(沙門)といわれる出身、出自を問わない自由な立場の思想家、宗教家、修行者らがおり、仏教はこの文化を出発点としている。発生当初の仏教の性格は、同時代の孔子などの諸子百家、ソクラテスなどのギリシャ哲学者らが示すのと同じく、従来の盲信的な原始的宗教から脱しようとしたものと見られ、とくに初期経典からそのような方向性を読み取れる。

釈迦の滅後100年頃、段々と釈迦の説いた教えの解釈に、色々の異見が生じて岐れるようになってきた。その為に釈迦の説法の地であるヴァイシャリーで、第二回の三蔵の結集を行い、釈迦の教えを再検討する作業に入った。この時、僧伽は教義の解釈によって上座部と大衆部の二つに大きく分裂する(根本分裂)。

仏教の上座部の一部は、スリランカに伝わり、さらに、タイなど東南アジアに伝わり、現在も広く残っている(小乗仏教)

一方大衆部は、単に生死を脱した阿羅漢ではなく、一切智智を備えた仏となって、積極的に一切の衆生を済度する教え(大乗仏教)が起こる。この考え方は急速に広まり、アフガニスタンから中央アジアを経由して、中国・韓国・日本に伝わっている。


「日本の仏教史」ウィキペディアより

(飛鳥時代)

『日本書紀』によると、仏教が伝来したのは飛鳥時代、552年(欽明天皇13年)に百済の聖明王により釈迦仏の金銅像と経論他が献上された時だとされている。
仏教が伝来した際に、次のような騒ぎが起こったと『日本書紀』に書かれている。欽明天皇が、仏教を信仰の可否について群臣に問うた時、物部尾輿と中臣鎌子ら(神道勢力)は仏教に反対した。一方、蘇我稲目は、西の国々はみんな仏教を信じている。日本もどうして信じないでおれようか(「西蕃諸國一皆禮之,豐秋日本豈獨背也」)として、仏教に帰依したいと言ったので、天皇は稲目に仏像と経論他を下げ与えた。稲目は私邸を寺として仏像を拝んだ。その後、疫病が流行ると、尾輿らは、外国から来た神(仏)を拝んだので、国津神の怒りを買ったのだ(「昔日不須臣計 致斯病死 今不遠而復 必當有慶 宜早投棄 懃求後福」)として、寺を焼き仏像を難波の掘江に捨てた。その後、仏教の可否を巡る争いは物部尾輿・蘇我稲目の子供達(物部守屋と蘇我馬子)の代にまで持ち越され、用明天皇の後継者を巡る争いで物部守屋が滅亡されるまで続いた。この戦いでは厩戸皇子(後に聖徳太子と呼ばれる)が馬子側に参戦していた。厩戸皇子は四天王に願をかけて戦に勝てるように祈り、その通りになった事から摂津国に四天王寺(大阪市天王寺区)を建立した。馬子も諸天王・大神王たちに願をかけ、戦勝の暁には、諸天王・大神王のために寺塔を建てて三宝を広めることを誓った。このため、馬子は法興寺(別名飛鳥寺、奈良に移ってからは元興寺)を建立した。厩戸皇子は『法華経』・『維摩経』・『勝鬘経』の三つの経の解説書(『三経義疏』)を書き、『十七条憲法』の第二条に、「篤(あつく)く三宝を敬へ 三寶とは佛(ほとけ) 法(のり)僧(ほうし)なり」(「篤敬三寶 三寶者 佛 法 僧也」)と書くなど、仏教の導入に積極的な役割を果たした。この後、仏教は国家鎮護の道具となり、天皇家自ら寺を建てるようになった。

(奈良時代)

中国や日本では仏教の発展に伴い律令法の中に僧尼の統制(仏教そのものの統制ではない)を定めた法令(僧尼令)が導入された。だが、中国では、仏教の出家が「家」の秩序を破壊するなど、儒教論理に合わないとされ迫害されたのに対し、日本では「鎮護国家」の発想の下、「僧尼令」や僧綱・度牒制度が導入されて官僚組織の一員とまで化したのは興味深いことだと言える(僧正・僧都などは律令制で定められた僧官)。もっともこうした統制について国家が建立した官寺とそれ以外の貴族や民衆によって建てられた民間寺院(私寺)とでは温度差があったともされ、後者に対する統制がどこまで行われていたかについては意見が分かれている。
こうした「南都六宗」と呼ばれた、三論宗、成実宗、法相宗、倶舎宗、律宗、華厳宗などが大勢を極めた。また、聖武天皇は位を孝謙天皇に譲り、出家した。聖武は妻の光明皇后の影響から信仰に厚く、国分寺、国分尼寺の建造を命じ、大和の国分寺である東大寺に大仏を建造した。出家した聖武上皇は「三宝の奴」とまで称した。仏教が定着するにつれて、実は日本の神々も仏が化身として現れた「権現」であるという考えである本地垂迹説が起こり、様々の神の本地(仏)が定められ、神像が僧侶の形で制作されることがあった。しかし、仏法が盛んになってくると、今度は戒律などを無視する僧などが増えたりしたため、聖武天皇の時代に鑑真が招かれた。鑑真は東大寺に戒壇を設け、僧侶に戒を授けた。聖武天皇も鑑真から戒を授かった。鑑真は唐招提寺を建立し、そこに住んだ。

(平安時代)

その後これら寺院群は政治に口を出すようになった。桓武天皇は、彼らの影響力を弱めるために平安京に遷都し、空海及び最澄を遣唐使とともに中国に送り出し、密教を学ばせた。新しい仏教をもって、奈良の旧仏教に対抗させようとしたのである。最澄(天台宗)、空海(真言宗)には、それぞれ比叡山と高野山を与えて寺を開かせ、密教を広めさせた。平安時代中期は釈迦入滅の二千年後にあたる。正法の千年・像法の千年の後、仏教が滅びる暗黒時代、すなわち末法の世が始まったと考えられた。末法の世にはどんなに努力しても誰も悟りを得ることができない。国が衰え人々の心も荒み、現世での幸福も期待できない。このような人々の状況から、ひたすら来世の幸せを願う浄土信仰が流行した。貴族も阿弥陀仏にすがり、極楽浄土に迎えられることを願って来迎図などを盛んに描かせ、その究極として宇治の地に平等院を建立した。その鳳凰堂の姿形は、正に極楽の阿弥陀仏の宮殿(くうでん)を模したものである。だが、平安時代末期に入ると社会不安が増大し、広大な所領の持ち主であり裕福であった大寺院は盗賊などに狙われる危険性が高くなった。そこでこうした外部からの侵入者から防衛するために僧侶や信徒が武装したのが僧兵である。だが、次第に僧兵そのものが勢力拡大のための武装集団と化し、対立宗派・寺院への攻撃や朝廷への強訴などの武力行使を行う集団として社会の不安要素の1つになっていった。また、寺院内に石垣や堀を巡らせる等の一種の城塞化を進める寺院も現れた。

(鎌倉時代)

鎌倉時代に入ると、前時代末期からの動乱で仏教にも変革が起きた。それまでの仏教の主流が「鎮護国家」を標榜した国家や貴族のための儀式や研究に置かれていたものが、次第に民衆の救済のためのものとなっていったのである。主として叡山で学んだ僧侶によって仏教の民衆化が図られ、新しい宗派が作られていった。これらの宗派では、それまでの宗派と違い、難しい理論や厳しい修行ではなく、在家の信者が生活の合間に実践できるような易しい教え(易行)が説かれている。これらの中には、「南無妙法蓮華経」と唱えることで救われるとする日蓮宗、「南無阿弥陀仏」と念仏を唱え続ける(称名念仏)事で救われるとする浄土宗、浄土宗からさらに踏み込んで「善人なをもて往生を遂ぐ、いはんや悪人をや(『善人→「自力作善」の者=阿弥陀仏を頼りとせず、自分の力で善根功徳を積んでさとりを開こうとする者』でさえ往生できるのだから、悪人→我々のような煩悩を具足のように身にまとった者が往生できるのはいうまでもないことだ)」という悪人正機の教えを説いた浄土真宗(一向宗)、踊りながら念仏を唱える融通念仏や時宗があった。このように鎌倉時代には乱立ともいえるほど新しい宗派が誕生した。これらの宗派は、定着するまで例外なく既存の宗派に弾劾されたが、同時に旧宗派の革新も引き起こした。弾劾の中でも日蓮宗の日蓮は過激なことで知られ、他宗を非難し御題目を唱えなければ国が滅ぶと言い、幕府に強く弾圧された。しかし、民衆に浸透し一般化すると、この弾圧も次第に沈静化していった。

鎌倉時代は、武士が貴族から権力を奪い、力を着々とつけていた時代でもあった。この時代には臨済宗と曹洞宗という二つの禅宗が、相次いで中国からもたらされた。力をつけつつあった武士に好まれた事から、鎌倉などに多くの禅寺が建てられ、大いに栄えた。この代表的なものを「鎌倉五山」という。また、虎関師錬が仏教史書である『元亨釈書』を著した。
更に従来の仏教の間でも現状を批判する動きが高まってきた。特に律宗やそこから派生した真言律宗などでは社会事業などに乗り出しながら民衆の救済に加わるだけではなく、自ら国家の指定した戒壇を拒否して独自の授戒儀式を開始するなど、新しい宗派よりも革新的な動きすら見せた。
メンテ
Re: 大和魂(日本の心のルーツを探る) ( No.154 )
日時: 2013/06/16 17:31:07
名前: 鎌倉時代・・・天橋立の愚痴人間

「鎌倉時代」

大人しい民族といわれている日本にも「革命」があったと言えば、それは鎌倉時代を創出した勢力である。
大和朝廷の誕生で明確な国家の形を作って以来、平安朝までの天皇家を中心とする貴族社会を覆したのは武士団であり、ある意味で市民による権力奪取であった。

大和朝廷成立までの闘争は、豪族間の覇権争いであり、そうして出来た権力機構に対するはじめての反乱であった。
以後、日本では明治維新で受動的に体制が変わるまでは、一揆こそ起きても体制そのものを変える試みはなかった。
最も、西欧でも、それは市民革命と言われるものが200〜300年前に起きただけのものであり、頻繁に起こりえる現象でもなく、未だ明確な革命の現象を経験しない国家もかなりある。
このような意味では、日本民族が大人しいという定義には当てはまらない。

現時物語、枕草子などの、平安朝の女流文化が世界の先端を行っていたと言われるように、鎌倉時代を現出させた我が国の民の力は相当に評価なされるべきものと思う。
直接の政治権力争いは、平家、源氏に関わる伝承で確認することは出来る。
ここでは、そうではなく、仏教を通した民衆レベルでの革命の雰囲気を探りたい。

倉時代に新しい仏教が出てくる概略は、すでに書いています。
要するに。それまでの国家護持を目的とする一部の人間の仏教から、民衆中心の流布を目的としたものであり、厳しい修業ではなく信じることで救われるというものでした。
これによって仏教が大きく広まる反対に、純粋論理としての仏道意識は希薄化しても行きき将来に課題も残し、現代の葬式仏教の様なものになる可能性も含んでいたのです。
それは、さておき、このことは政治的な領域ではない分野(人間救済と言う)で大衆が市民権を得たという事になります。
ですので下記の新興仏教(鎌倉仏教)は爆発的に支持されて行きました。
その後に起きる一向一揆が、民衆による唯一の反権力闘争であったことも、此処に起源があると思います。
この新しいものを受け入れる鎌倉時代の民衆の心が、何処から来ているのか、それは待ち望んでいたものであったのか、新しいものを受け入れる勇気がどれほどのものであったか興味を引くところです。
同時に、その宗教を興した僧達の気概は何処にあったのか、何故、鎌倉時代のみにそれが噴出したのか。
勿論鎌倉時代の、新興仏教を興す動きは当時の権力者から弾圧を少なからず受けています。
キリスト教圏のそれ程ではありませんが。
その鎌倉仏教を簡単に説明しておきます。
(浄土宗)
開祖 法然  本山 知恩院
 南無阿弥陀仏と唱えると浄土に行ける

(浄土真宗)
開祖 親鸞  本山 本願寺
「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや(歎異抄)」と説いた親鸞以来、一向宗とも門徒宗とも言われ後世の激しい宗教活動を行なった。


(時宗)
開祖 一遍   本山 遊行寺
一人の念仏が万人の念仏と融合するという大念仏を説き「念仏踊り」を取り入れた。

(臨済宗)
開祖 鎌倉時代に中国から伝わったもので 栄西が中心で広めた     
本山 妙心寺、建仁寺、南禅寺派などに分散
問答と座禅を奨励

(曹洞宗)
開祖 道元   本山  永平寺
座禅を奨励

(日蓮宗)
開祖  日蓮   本山  身延山久遠寺
ひたすら、南無妙法蓮華経を唱える

以上のように現代につながる宗旨と名僧が、この時代に輩出している。

一方で、神道は、元々自然信仰、先祖崇拝と言う農業を主体とした我が国で自然発生的に起きたものであったが、大和朝廷の成立の過程で神話と結びつけられて政治に利用されるように変わってきた(大和朝廷成立の体系付け)。
それが鎌倉時代に以降、より体系つけられ国家存立の理念化されて行った。
しかしながら、鎌倉時代の当初のそれは、国家神道へ向かう後世のそれではなく神官の家に生まれた鴨長明が「方丈記」で示したように仏教的無常観が漂う世界からみて、決して後世の様なものではなかったと思われる。

それでは、「何故、その必要(国家神道化する)があったかと言う疑問を呈する」。
これは実権を失った天皇家が、以後も崇拝され現存していることにもつながる。
要するに、名目でも天皇家を中心とした平安朝を倒し、国家を掌握した武士階級が彼等自身の大義名分を求めたからであり、その傾向は江戸時代の神道(平田篤胤)で完成される。

この様に鎌倉時代は新しい社会の清新の意気込みにあふれていた時代であり、権威化、形式化していない生のままの日本人が垣間見られる時代である。
メンテ
大和魂を説明するのは難しい! ( No.155 )
日時: 2015/10/25 00:48
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:MB2nfb3k

このスレッドも、最近の10くらいの投稿が抜け落ちてしましました。

UPするついでに「大和魂」の概念について少し書いておきましょう。

「大和魂」と同様なものとして、

アメリカのフロンティア・スピリッツ
イギリスのジョンブル魂
ドイツのゲルマン魂を挙げています。

それぞれ、これと言った格別の意味は感じませんが、共通するところは民族の「気概」と言う概念でしょうか。
それは、どの民族にもあるとして、これらの言葉があるのは、その民族が、それを誇りに思っているせいでしょう。

但し、気概と言う概念が、結果として国家の暴走行為にも加担することがあります。
しかしながら、対象が何であれ、その集団が何かをなすばあい、そのようなものが認識できなければ、集団は、集団としては何も動かないと言うことでしょう。

特に民主主義が発達して、多くの人々は集団としての行動に、殆ど無頓着を決め込むようになりました。

>「民主主義は最悪の政治といえる。これまで試みられてきた、民主主義以外の全ての政治体制を除けばだが」
と言うチャーチルの言葉のうちに、民主主義の特性が良く表されています。

要するに民主主義は肯定はするが、問題もあるのである、と言う事です。
チャーチルが否定した独裁、専制政治と大衆のマインドコントロールの非は、現実的にありますが、そうかと言って民主主義の手法では乗り切れない問題もあると言う事です。

民族の「気概」とは、ともすれば、暴走します。
アメリカ大陸におけるアングロサクソンの暴虐も、イギリスの植民地支配も民族のエネルギーの結果でしょう。

ですが歴史は、好む、好まないに関わらず民族の気概によって動かされているのです。
これ(気概)を否定するのではなく、気概の方向性をコントロールすることが大切ではありませんか。

現代日本においても、横たわる問題点の根本を解決できる手段はありません。
少なくとも個人的レベルの問題として解決は不可能です。

これに向かう民族としての意思(気概)なくして、状況を動かすことはできないでしょう。
実際に、この掲示板でも、我々が憂いている状況は、何の打つ手もないでしょう。

方向性は何であっても、この状況を突破出来るのは民族としての気概が高まった時でしょう。
具体的には食料鎖国政策、市場主義経済体制の否定(部分的)、このよううなことは、個人的な現状の損得計算からではできません。

「大和魂」を持てば解決できると言うような単純なものでもなく、そのような都合の良い精神論など、あるはずはありません。
大和魂とは、こうした状況を憂いて何とか切り抜けようとする気概ではありませんか。

それが現代には殆どない。
選挙の投票率が年々減っていることも、何とかしようとする気概がない。
「大和魂」と言う言葉を使って、こうした状況に叱咤激励しているものとしたいですね。

このように見れば、フロンティア・スピリッツと言うものが、どのような場合に考えられているか、理解できるはずです。
糾弾掲示板に寄稿されている皆さんも、そうした思い、いてもたってもおられない思いが、そうさせているのであり。
それを「大和魂」とすることができるでしょう。

>かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂(吉田松陰)

かくしても何もならないものと知りながらやむにやまれぬ大和魂(糾弾掲示板)

※ ついでに説明します。ネットで発信されると言うことは、他の人にも訴えると言うリーダー心が、そうさせているのです。
大和魂と言う場合、それは必ずしも一般大衆を対象に言ってはいないつもりであると言う事です。

そうして、その皆様の想いは何に向いているのでしょう。
決して独裁国家や軍国主義ではなく、社会を何とかしたいと言う気持ち(気概)でしょう。

みんなの為に、より良い社会を求める、より良い政治を求める、その心が「大和魂」であり、これが凝縮されたとき社会は動くことになるでしょう。
現代日本は、そうした「大和魂」が希薄になっていると言っているのです。
皆さんは個人的満足観の代償に気概を持たねばならないと言う事を認識しないのです。

ですが、私は日本の歴史は、そんなものではなかった。
最も個人的な生活は今ほど満たされてはいなかったこともあります。
そのようなこともあり、
鎌倉時代から戦国時代を通して、否幕末の様相も、日本を思う「大和魂」が息づいていたと思います。
戦前の「大和魂」は確かに方向性が間違っていました。
軍事政権のすることが、より良い道と思わされてきたのです。

ですが結果として「大和魂」が日本のためにはならなかったのは、明治以降の一時期だけの問題です。
後の時代は、権力は権力として、民衆は従わざるを得なかったものの、決して権力に服従していた訳ではないのです。

ずっと将来は地球国家として人類は一つのシステムの中で生きていくものとしても、それまでは、やはり集団を統率する理念も必要でしょう。
地球国家となっても「大和魂」のような概念は必要でしょうが、そんな時には「大和魂」とか「ゲルマン魂」とか区別する必要はないでしょうが、とりあえずは現代、我が国が我が国としてできることはやらねばならないでしょう。

「大和魂」と呼ぶような概念なしに、やっていけるでしょうか。そのような概念の裏打ちなしにやっていけるでしょうか。

やっていけるものなら、糾弾掲示板に何も書き込まなくても、様子を見ているだけで良いことになります。
「大和魂」のような概念を具体的に現せないのは、このような概念なのです。
全体としては、何らかの色のついた「大和魂」ではいけないのです。

最後に、社会を何とかしたいと言う気概ですが、
その方法は飽くまでも日本的な発想が根底にあり、決してフロンティア・スピリッツやゲルマン魂とは同じではありません。
だから「大和魂」なのです。

メンテ
大和魂の言語学的おさらい ( No.156 )
日時: 2015/10/26 19:01
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:omAbr/Kw

満天下さんなどに、かなり誤解されているようなので、ここで言語学的に「大和魂」を検証して見ます。

言語はある個人の認識(認識内容や関係意識――以下同様)を他の個人に伝えるための物質的・物理的媒介物である。個人の認識そのものを直接他の個人に伝えることは不可能であるからそれをなんとか伝えるための媒介物として人類は言語や絵画などの表現を創り出した。したがって人間が自己の認識をいかにして言語(表現)という形態に変換し、また言語(表現)という形態からいかにして他者の認識――この場合の他者には自己も含まれる――という形態を再形成するのかを知るためには、人間の認識がいかなるものであるのかという科学的な研究が必要になる。(三浦つとむ著 認識と言語の理論)

要するに、言葉を用いて意思伝達をするのであるが、微妙な問題ほど、よほど神経を使わなければ、自分が思う事を相手に伝えることが出来ないと言う事です。

さて「大和魂」と言う言葉ですが、大和と言う言葉自体は地名をさし、これによって、その地方に住んでいた民族の総称と言う意味でも使います。
ですが、これを日本と言う国家を意味する事があるのです。
単なる民族の総称と、国家をさすこととは微妙に違ってきます。


また、魂と言う言葉は、通常、次の様な場合に使います。

1 生きものの体の中に宿って、心の働きをつかさどると考えられるもの。古来、肉体を離れても存在し、不滅のものと信じられてきた。霊魂。たま。「―が抜けたようになる」「仏作って―入れず」
2 心の活力。精神。気力。「仕事に―を打ち込む」
3 それなしではそのものがありえないくらい大事なもの。「刀は武士の―、鏡は女の―」
4 (多く「…だましい」の形で)そのもののもつ固有の精神。また、気構え。「大和(やまと)―」「負けじ―」
5 思慮。分別。
6 素質。天分。才気。

これは飽くまでも個人の人格的な内容を現しているに過ぎません。

これが組み合わされて

「大和魂」となった場合が大変です。

一般的には、以下の様に言われています。

>日本民族固有の精神として強調された観念。和魂,大和心,日本精神と同義。日本人の対外意識の一面を示すもので,古くは中国に対し,近代以降は西洋に対して主張された。

いつの間にか、民族の心が国家の心となってしまっています。
国家と言う概念は、別途検証しましたが、決して地理的なものにとどまらず、国家を構成する国民の利害も含むことになります。

更には、これが国家神道とも結びつき、国家の為に死を顧みず行動する勇猛さを「大和魂」と解釈するようになりました。

どこで間違ったかと言えば、大和と言う言葉を国家と置き換えたこと。
大和魂と言うのは、飽くまでも大和に住む人たち(民族)のこころの持ちように過ぎないのです。

個人の、こころの持ち様が源泉なので、それは具体的な事象に対して結束を促す様なものではないはずです。
先にも書いていますように、糾弾掲示板で社会を憂うのも大和魂のなせる事と思います。
松陰の様な厳しい大和魂も見られますが、みんながみんな、そのように気違いじみた行動をされても困りものです。

それぞれの立ち場の人たちの、それぞれの生き様と言ってよいと思います。
その大和魂は、人の為に社会の為に必要な事があれば、それにも向かってやると言う単なる気概であり、思想的な方向性とは関係ありません。

但し、それは古くは平田篤胤などが出てから、大和と言う単語を国家と規定し、神道的な大和魂の概念を構築することになりました。
大和魂と言う言葉の意味は数種類挙げられていますが、近世以降はこの傾向が強く明治以降最悪の使われ方になりました。

これは、民族のこころとは、似ても似つかぬ概念です。
「大和魂」の概念には決して国家があってはなりません。

それを統合して何かをするのではなく、飽くまでも個人のこころの持ちようの事です。
ですが、実際には、ここまで誤解されてしまった「大和魂」を正しく受け入れさせることも大変でしょう。
メンテ
Re: 大和魂(日本の心のルーツを探る) ( No.157 )
日時: 2016/02/13 11:38
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:El3Dbx/E

文明的転換の為のスレッドですが、後半の部分が、先のサーバのトラブルで消えてしましました。

鎌倉時代の検証ですが、思い出しながら続けて見たいと思います。
メンテ
Re: 大和魂(日本の心のルーツを探る) ( No.158 )
日時: 2016/02/29 17:59
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:HDnb.89E

大和魂と言う言葉が、この掲示板の中でも随分と歪に捉えられています。

大和魂は、我々日本人の心のルーツとして取り上げています。

何が、大和魂でしょうか。

現代日本の困難を克服するために心を合わせましょうと言う意味で

大和魂を探っています。

随分と長いスレッドになっていますし、未だ完成していません。

興味のある部分でも垣間見てきださい。
メンテ

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