日本の文明開化の発端となった黒船ペリーによる開国要求の主なる理由は捕鯨船への必要物資の供給でした。 欧米では鯨肉を食する習慣は、ノルウエーやアイスランドなどの一部の国を除いてありません。 以前、鯨油は灯油の原料として利用されていました。 アメリカでは1859年に国内で石油が発見されるまでは、鯨油の灯油ランプが必需品で、鯨は乱獲され、石油発見後も捕鯨は続けられました。
19世紀後半にはアメリカを中心とする欧米列強の捕鯨船が、千島沖、日本近海へ進出し捕獲するようになりました。 ぺリーの下田港、函館港の開港要求の理由はそのためでした。 このため日本近海の鯨は激減し、日本の捕鯨は不振となり、多くの捕鯨業が廃業においこまれていきました。
日本では弥生時代から鯨を捕獲していた事は、発掘された道具や武器からわかっています。 鯨は捨てるところがない、といわれるほど利用の途が広く、骨にいたるまでほとんど全てを利用していました。
牛、豚を食する習慣のなかった時代、鯨肉は動物性たんぱく質の重要な供給源でもありました。
1937年に国際捕鯨取締協定なる条約ができ、この年の会議で国際捕鯨委員会(IWC)が設立されます。 鯨資源の保存と言う観点から、鯨の乱獲を防ぐ話し合いがもたれます。
その後、徐々に捕鯨に関する規制は強化されていきます。 日本以外で捕鯨をするソ連、ノルウェー、ペルーはIWCから脱退し、IWCの決議に拘束されることなく捕鯨を続けていますが、日本は1988年から商業捕鯨を中止しています。
捕鯨を禁止する理由は、知能が高い哺乳類だから、不思議な通信段をもっているから、揚句の果てには神聖な動物などと言い出す始末です。 人間が鯨を食することはごく自然な行為です。 問題なのは、アメリカが油の取れない肉の部分をを捨ててしまっていたように、恵みを粗末に扱うことです。 食物連鎖はそれぞれの生き物の命の犠牲の上に成り立った貴重な循環なのです。
その上、鯨は大きいものですと一日に30トンもの魚を食べます。 鯨が増える事で人間が食する魚が不足する事態も容易に想像でき、近い将来、気がついた時には大海が鯨の天下になってしまうかもしれません。 世界の年間漁業生産量が約一億トンであるのに対し、クジラが1年間に食べる魚の量は3億トンから4億トンに達します。
水産庁の日本鯨類研究所によると、ミンククジラは南極海だけで76万頭生息、マッコウクジラも200万頭台に回復しつつあると言う。 ミンククジラは今後100年間、毎年2千頭づつ捕っても総数は減らないそうです。
捕鯨禁止に関して特にヒステリーとも思えるくらい反対しているのがニュージーランドとオーストラリアだが、これらの諸国は19世紀での先祖の乱獲をどのように位置付けているのでしょうか。 過去の歴史は問題ではないのでしょうか。 それに、オーストラリアでの原住民の殺戮の歴史は、凄まじいものがあります。
イギリスからの移民が始まる前には、原住民アボリジニの人口は30万強であったと言わてれる。 しかし、大陸の各地で、原住民は土地を奪われ、更に、殺戮や強制移住などで、人口が激減し、今日、生き残ったのは、わずか1割程度だ。 その原住民が多く住んでいる地域は、白人には住みにくい環境である大陸中央部、砂漠地帯、あるいは乾燥地であり、北部は熱帯だ。
イギリスによるオーストラリア領有が始まったのは18世紀。 当時のイギリスではアメリカの独立によって、それまでのように囚人を送り込めなくなったため、監獄は囚人であふれかえっていました。 そこでオーストラリアに囚人を送ることになり、1788年1月28日に第一回目の囚人移民船団がシドニーに到着した。 この日は現在の建国記念日となっています。
ニュージーランドはもともとイギリスの捕鯨基地として栄えた。 そして、土地を奪い取るために原住民であるマオリ族を絶滅寸前まで殺戮したのは、そのイギリス人たちだった。
元々多くの犯罪者がイギリスから移住して、出来た国々だから、その血に流れる性格は凶暴なのかもしれません。 散々人間を殺戮した歴史を持つ、こんな人たちに鯨を殺してはいけない、などと言われても何の説得力も無い。
おしまい